中国における地域特性と保険政策
塔 林 図 雅
■アブストラクト
本論文は,特殊中国事情をふまえた議論である。すなわち,持続的な高度 経済成長と地域間経済格差の拡大という保険経営環境を背景に,保険政策の あり方について論じる。そのため,地域の事例研究を通じて,地域特性を浮 き彫りにした。さらに,地域特性と保険政策の関係性について考察すること によって,成長性が見込まれる中国保険市場において,いかに地域特性を考 慮した保険政策を実行していくべきかを論じる。
■キーワード
中国保険業,地域特性,保険政策
はじめに
中国経済は1980年代に始まった珠江デルタ地域,1990年代に始まった長江 デルタ地域の振興を起爆剤として高成長を実現した。これらの先進地域の発 展が後進地域の経済成長につながることが 先富論 の究極の目的であっ
*平成21年12月18日の日本保険学会関東部会報告による。
/平成22年8月5日原稿受領。
1) 本稿は,2009年12月18日開催の日本保険学会・関東部会にて報告した内容を 先生方からのご指摘をふまえ,修正・加筆したものである。ただし,文責は筆 者に帰することはいうまでもない。
2) 鄧小平理論の中核となる。鄧小平氏は1978年第11期中央委員会第3回全体会 議で,中国における社会主義体制の新たな方向性となる 中国の特色ある社会 主義 の建設に関する多くの理論と政策を詳述した。1982年の第12回党大会に
たが,現実的には地域間格差が急速に広がっていった。それが地域間所得格 差だけにとどまらず,雇用・年金・医療・教育などの格差をも生み出し,地 域内部での経済格差も問題視されている。
上記のような経営環境の変化の中で,筆者は今まで中国保険業の発展と課 題をテーマに問題提起をしてきた 。そこで,本論では地域特性をふまえた 保険政策のあり方について考察する。つまり絶対的な経済格差が大きいとい う中国の現状をふまえて,地域経済の発展レベルに対応して,いかに政策方 針を定めていくべきであるかを重点的に議論したい。
1.中国保険業の現状と地域特性
1.1 中国保険業の現状
周知の通り,今日の中国は世界経済の牽引役となり,国家の総合的な経済 競争力を示すGDPにおいても2010年度に日本を抜き,アメリカに次ぐ世界 第2の大国に成長する見通しである 。なお,保険業は,国民経済の発展を
おいて,鄧小平氏は 中国の特色ある社会主義 を正式に打ち出し,鄧小平理 論が初歩的に形成された。それ以降,鄧小平は 何が社会主義か,どう社会主 義を建設するのか との根本的な問題について, 社会主義初級段階理論 ,基 本路線 1つの中心,2つの基本点 など,鄧小平理論の基本的輪郭を固めた。
1992年初めに鄧小平氏は 南巡講話 の中で 姓資姓社 (資本主義か社会主 義か)など, 先富論 (国民がともに豊かになるためには,一部の人,一部の 地域が先に豊かになるよう発展させるべき。これら発展した先進地域が後進地 域の発展に手助けをする義務がある。)同年10月の第14回党大会は 中国の特 色ある社会主義理論の構築 の主な内容について,中国の社会主義の発展路 線・発展段階・根本的任務・発展原動力など,多方面から系統的な概括を行い,
鄧小平理論を体系化した。1997年の第15回党大会は,鄧小平理論という概念を 公式に採用し,党規約に加えた。1999年に憲法にも加えられた。
3) たとえば,上海は中国のもっとも保険市場が発展している都市であり,市場 競争が激しく,中国内国保険企業のみならず外資系保険企業も参入している激 戦区である。一方,自動車の個人所有が急速に進んでおり,自動車保険も主力 商品となり,地域間の相違が大きくないのが特徴的であった。詳細は塔林図雅
(2008)と塔林図雅(2009)を参照。
4) 産経ニュース(2009年7月16日付) 中国GDP,日本抜き 世界第2位の経
受けて成長していく特性を有している。中国保険業は,このような経済の急 成長とともに近年平均22%の成長率で発展してきた(図表1を参照)。
また,保険企業は本業の保険事業の拡張を受け,金融機関投資家としての 機能が向上した。近年,保険企業の資産規模は増大しており,資産運用に関 する規制緩和 の追い風もあり,国内金融市場の活発化につれて,保険企業 はインフラの整備に関連する投資を積極的に行ったことが,国民経済の発展 に大いに寄与した。なお,今日の中国保険業界で,銀行と証券会社を傘下に 入れた形でコングロマリット化が形成されつつある。これらを勘案すると,
今後東部地域の競争はますます激化すると同時に,市場の寡占化が進むこと がはたして地域保険格差にどのような影響を与えるか,まさに保険政策の在 り方に関係してくると思われる。なお,市場集中度が連年下がってきている が,大手3社は依然として大きな市場シェアを寡占している 。
保険業は国民の生活保障,企業の事業継続・成長の保障において,重要な 役割を果たしており,その健全な発展は国民経済の厚生につながる。中国の 特殊な経済環境の中で,中国保険企業は先進国の進んだ保険ノウハウおよび 技術を吸収しつつ,独自の発展プロセスを辿ってきたことはいうまでもない。
済大国 へ 内需主導で を参照。
5) 2009年2月の 保険法 の改正を受け,資産運用の規制緩和が一段と進んだ ことが大手保険企業のさらなる規模拡大を促すことになった。資産運用の規制 緩和のプロセスについて,詳細は沙銀華(2009)を参照。
6) たとえば,生命保険市場において,最大手の中国人寿保険股份有限公司の市 場シェアは2004年の55%から2008年に40%まで縮小した。一方,平安人寿保険 股份有限公司は17%から13%まで,太平洋人寿保険股份有限公司は11%から9
%まで縮少したが,比較的に安定した市場シェアを保ち,新規参入が活発にな っていることが浮き彫りになった。損害保険市場においても同様な傾向がみら れ,最大手の中国人民財産保険股份有限公司の市場シェアは2004年の58%から 2008年に42%まで落ち込み,太平洋財産保険股份有限公司と平安財産保険股份 有限公司は約10%前後のシェアで横ばいの状態にある。市場集中度から分かる ように,生命保険市場の
CR3は2004年の0.3435から0.185まで下がり,損害保
険市場のそれは0.3589から0.2006まで下がり,市場競争が徐々に進んでいる。1.2 中国保険業における地域格差
中国保険業における地域特性問題を次の二つの側面から理解する必要があ る。まず,地域間経済格差がその背景にあること,そして各地域の経済的固 有性が存在すること。次に,地域それぞれの特性,経済的固有性だけではな く,とくに非経済的な側面からみる各地域の文化的・社会的側面である。
そこでまず概念の整理として,格差とは何かを考えてみよう。所得格差,
産業間格差,地域間格差,あるいは社会保障の側面から何を 格差 と捉え るか,国民の意識の変化がその大元にあり,その発生背景は,経済構造の変 化である。いいかえれば,国民生活を取り巻くリスク環境の変化,つまりリ スク社会の形成によるものである。いうまでもなく中国における格差は,急 速に市場経済化を進めた結果である。 誰でも貧しく平等な社会 の計画経 済体制から 先富論 へと加速した市場経済体制への移行で象徴されるよう に,一部地域が先に豊かになる特権を与えられ,経済的に豊かになると同時 に,成功したモデル地域として国民福祉の向上においても,これらの先進地 域で試験的に行われた。したがって格差は,経済的格差にとどまらず,社会 保障,教育などの多方面に及び,深刻な問題となっている。図表2で示して いるように,中国保険業における地域格差も大きく,1人当たりでみた収入 保険料のばらつきがさらに顕著で,主に都市部,とくに大都市での普及が進 んでいることが分かる。また,東部・中部・西部の比較では,先進地域が集
図表1 収入保険料ベースでみる中国保険業の発展
出所)中国保険監督管理委員会
HP
より作成。中する東部地域の発展が著しく,1人当たり収入保険料ベースで中部と西部 の2倍以上になっている。いずれの地域においてもGDPの成長以上に保険 業の成長がみられる。しかし,中部と西部間の格差が縮小しているが,地域 内部における格差は依然として大きい 。要するに,地域の経済格差が背景 にあるため,都市部はいち早く市場経済へ移行し,自由競争を取り入れた形 になっていると考えられる。そして大都市から周辺の中小都市へと広がりを 見せる都市中心の成長が特徴的である。世界先進国の保険業の発展は長い期 間を要したが,中国は短期間で急成長し,飛躍的に現代的な保険制度を構築 している。しかし,さまざまな保険ノウハウや保険技術を取り入れて底上げ の成長を実現するまでは,保険浸透にタイムラグがあることを認識する必要 がある。
7) 1人当たり収入保険料ベースで見る場合,1999年に東部は171元,中部は71 元,西部は73元。2007年には,東部791元,中部355元,西部351元までいずれ も約5倍になった。収入保険料対
GDP
比率が,1999年に東部は1.7%,中部 は1.2%,西部は1.6%であった。2007年は,それぞれ2.4%,2.3%,2.5%に なった。図表2 2007年度地域別および一人当たり収入保険料(中国)
出所)中国保険監督管理委員会
HP
より作成。1.3 地域特性をめぐる先行研究
中国保険業における地域格差,あるいは不均衡発展について,中国国内で さまざまな角度から,研究がなされている。たとえば,保険市場の急激な発 展と地域保険格差問題について,劉(2002)は地域間利益の衝突や摩擦をい ち早く指摘した。 ・王(2008)は,地域別保険経営と保険規制を実行すべ きことを政策提言した。なお,地域別保険市場の発展水準と経済発展水準と の関係性について,消(2007)は,各地域の保険市場は必ずしも地域経済の 発展に伴って成長するとは限らないと主張している。袁・ (2007)は,地 域別生命保険市場の成長は保険会社の数,営業職員の数,都市部住民の一人 当たり可処分所得などの影響を受けると結論付ける一方で,損害保険市場は 地域総生産額,販売チャネル数と損害保険会社数に影響されると指摘した。
地域保険格差の形成要因について,郭(2008)は,地域別教育経費の投入要 素を強調した。また,統計データの不十分さを指摘した。張(2008)は,外 部要因と内部要因を強調した 。しかし,これらの研究は断片的に中国保険 業の地域格差問題を捉えている点で類似性があり,単純な計量的な手法のみ でその実態を浮き彫りにすることはできない。中国保険市場の地域性問題に ついて実証的な研究にとどまらず,それをふまえた保険業の健全な発展を確 保するための政策を議論することがもっと重要であると筆者は考えている。
とくに,地域特性は地域間の社会的・文化的側面を反映し,保険政策との関 係性について,広い視点で考察する必要があることを強調しておきたい。
2.中国における地域特性と保険業
2.1 各地域保険市場の構造的特徴からみた地域特性
本章では,いくつかの事例研究を通じて,地域特性を分析するが,その際,
経済的な側面のみならず,その非経済的な側面にも細心の注意を払うべきと
8) A)外部要因:経済発展の水準,市場改革の順序,対外市場開放の傾斜,保 険経営の地域制限体制,保険意識の地域格差。B)内部要因:保険業の特殊性 とその成長プロセスの特殊性。
考える。そこで,大都市・中小都市の比較,先進地域と後進地域の比較を通 じて,中国保険業発展の固有特性を示したい 。地域分類の意義は,地域が 有する経済的固有性と特徴を明らかにすることによって,これらの地域の保 険市場の構造的分析できると同時に,産業構造などから保険市場の今後の発 展の方向性をも推測することに役に立つ 。
さて各地域の保険市場の特徴を総合的にいえば,第1に,都市部の市場集 中率が低い。大都市ほど市場の寡占化が低下し,競争的な市場へシフトし,
都市での保険の普及に均一性がみられる。各省・自治区との比較では,都市 のそれよりはるかに遅れていることがわかる。また,上海と大連以外の都市 は,各省・自治区の省都であるため,各地域の保険市場は省都一極中心の成 長を続けているといえよう。
第2に,大手3社の市場占有率は比較的に東部の経済発展地域(上海,広 東)に合計シェアが50%台を占めている。大手3社は全国展開と地域重視の 戦略を合わせ持っている。さらに,個別市場の上位5社を示す場合,ほぼ市 場の90%が占められる形になっていることが多い。なお,ハルビン,西安,
フフホトでは,上位3位内に入った地域保険会社の出現が注目される。つま り地域に特定した保険会社の市場シェアの堅調な伸びは,事業展開コストの 高い地域を避け,ローカル物件をターゲットに市場を絞り込む戦略を持つ中 小保険会社の選択肢である。このような変化が,保険政策にも反映されるべ く,さらなる地域の特性にあった柔軟な保険行政が求められる。
第3に,保険会社の市場進出数をみてもわかるように,上海のそれが圧倒
9) 問題点としては,事例研究であるため,選択された地域によって,研究結果 が偏る可能性がある。地域事例の選択に当たって,華南,華北,華東,東北,
西北,西南地域の代表的な地域を選び,事例を示すことに努めた。
10) 先行研究から分かるように,地域分類の方法は多種多様ある。なぜならば,
それは何を基準にするか,議論の分かれるところである。とくに,単純な計量 的な手法での地域の分類は,選択されたデータの内容,年代,規模によって,
分析結果が偏る可能性があるため,慎重さを必要とする。したがって,筆者は 統計的側面だけではなく,社会・文化的要因分析も必要であると考えている。
的に多い。各省の比較では,広東省に市場参入している保険会社数が多い。
四川省の会社数も多いが,それは西部開発による政策の影響であり,西部地 域でもっとも市場環境の整備が進んでいる各保険会社が拠点づくりを急いで いることがうかがえる。なお,省都である各都市(上海,大連を除く)はそ れぞれの地域の経済・政治・文化の中心であるため,保険会社の各地域での 市場参入はまずそれをターゲットに展開していると思われる。とくに内陸の 地域ほどこのような傾向がある(図表3を参照)。
2.2 保険商品種目の構成比からみた地域特性
まず生命保険商品の構成比から分かるように,各地で個人生命保険の割合
(普通保険,有配当保険,第3分野(個人)を含む)が70%を超えている所 図表3 各地域の保険市場の現況(2007年)
生命保険 会社数
損害保険 会社数
大手3社の市場シェア 市場集中度(HHI)
出所) 中国保険年鑑 2008 と各地域政府の 2007年国民経済与社会発展統計 公報 により作成。
損 保 0.1048 0.1298 0.2279 0.1179 0.1479 0.2726 0.1505 0.2474 0.1914 0.2746 0.2139 0.2614 0.2716 0.3253 生 保
0.1013 0.1126 0.1662 0.1265 0.2278 0.1853 0.2449 0.3369 0.2114 0.2394 0.1722 0.3343 0.3814 0.5571 損 保
53%
69%
65%
51%
58%
71%
55%
68%
68%
68%
60%
59%
72%
78%
生 保 51%
50%
61%
51%
71%
73%
74%
91%
64%
71%
60%
76%
84%
97%
31 19 15 18 15 12 16 10 19 15 18 16 12 10 31
17 12 17 10 11 10 6 17 12 17 10 11 6 上海市
広州市 武漢市 成都市 大連市 ハルビン 西安市 フフホト 広東省 湖北省 四川省 西省 黒竜江省 内モンゴル
が多く,産業の発達している地域では団体保険の割合が高くなっている。第 三分野の保険は,上海や広州などの経済発展地域でとくに高い割合を占め,
大都市の住民の医療リスクの対応に関して,社会保障の保障不足を民間医療 保険で補いたいという意識変化の表れであると推測できる。
次に,損害保険商品の構成比からわかるように,全地域共通して自動車保 険の割合が圧倒的に高い。しかし,上海や広州などの大都市では,比較的に それが低くなっている 。なお,企業保険や責任保険等は先進地域での売れ 行きが高く,企業が集中している地域は依然東部の経済発展地域である(図 表4と5を参照)。
2.3 各地域の 化的・社会的特性
中国は国土が広く,広範囲に渡って地域の特性が鮮明である。また,中国 は多民族・多文化国家でもあり,地域によって価値観や考え方の相違が大き
11) これは,あくまで,構成比でみた考察であり,総額でみればやはり東部先進 地域のほうが高い。
図表4 生命保険商品の構成化 (2007)
図表5 損害保険商品の構成化 (2007)
出所)上記2図表は 中国保険年鑑 2008 により作成。
く,地域固有の文化的社会的な要素が人々の保険選択に大きく影響すること になる。さらに,地域間の産業構造の違いや都市と農村の二元的構造,生活 慣習や家族制度に対する認識の相違などさまざまな要因が絡み合って,保険 需要に影響を与えている。とくに,都市化の進行と核家族化の変化は保険の 普及を大きく向上させたが,それは現時点であくまで大都市を中心とする市 場の拡大であり,地域特性がある意味で保険の普及を大きく左右する。
このように,保険の普及および国民の保険意識の向上は,多面的な要素に 影響を受ける。保険商品の特性がその普及をもっと難しくしているともいえ る。保険商品は,無形財であると同時に弱需要財である。そのため,消費者 の潜在的保険ニーズを掘り起こすことが,とくに生命保険の販売において戦 略的重要性を有する。 保険普及過程とは,外部環境要因の中において,保 険企業の実施するマーケティング活動の影響を受け,消費者が保険を採用し ていく過程,換言すれば企業要因,消費者要因,そして外部環境要因の三者 の相互結果生じる軌跡として捉えることができる 。保険は 買われる 商品ではなく, 売られる 商品である。つまり,保険需要を掘り起こすこ とが大事である。そして,地域固有の特性が保険業に反映されることになる。
保険も,経済発展と共に発展する。しかし,およそ経済活動が,経済合理 性にのみ動かされるのではなく,様々な社会的・文化的要因の影響をうける ことも確かである 。各地域の特性は,地域固有の文化に加え,その地域 の 安全 危険 に対する思考と行動に差異を生じさせる可能性もある。
リスクと保険文化⎜リスクに対する考え方⎜は,保険思想史の研究を通して,
強調する必要がある。中世紀ヨーロッパでは,教会が慈善活動を行ったこと は,よく知られており,また現代でも福祉活動の主体となる例が多い。華僑 の間にみられる 邦 も,こうした社会集団の側面をもつと見てよいであろ う 。都市部の個人主義的な思想が保険の成長を促し,中国国民の生活や社
12) 上田(1994)pp.9‑10。
13) 田村(1990)p.10。
14) 水島(1987)p.26。
会保障に関する意識変換がその大きな要因となった。たとえば,上海の市民 社会は1910年代から形成されていき,上海語という標準語とまったく別の方 言を持っており,上海は当時から中国の経済・金融の中心であった 。した がって,保険を受け入れやすい風土が定着していると捉えることができよう。
一方,広東省は華僑文化の地であり,中国保険の発祥地でもある。華僑文化 による経済的影響が強い上,いち早く市場開放された地域として保険普及が 進んだ。黒竜江省や 西省は内陸に位置し,どちらかというと保守的な考え 方が強く,大家族主義による生活保障あるいは農村相互合作社による相互扶 助が依然として根強い。それをふまえると保険の普及はまだまだ時間を要す ると考えられる。また, 保険の契約論と確率論は保険文化を決定する。
したがって,保険制度に対して最低限の正しい認識を持っているか,保険契 約に対する認識は省民性による所が多い。換言すれば,保険制度が社会経済 構造とともに,あるいはそれにも増して文化構造の影響をとくに受けやすい といえよう。特定の地域社会に根付いた固有の思考・行動様式を作り出す多 種多様な文化要因は,社会の人々が一般に持つ生活目的,価値判断,職業に 対する評価にも深く関係するため,事例研究のなかで,文化人類学的な考察 を盛り込んでいく必要がある。
3.中国保険業における地域特性と保険政策のあり方
3.1 中国における保険政策の特徴
現在,中国の保険監督の行政機関は中国保険監督管理委員会である 。中 国の保険行政の特徴は,第1に,中央集権的な性格がまだ強い。第2に,保 険産業育成保護を目的とする成長政策中心の監督行政である。第3に,地方
15) 上海の市民社会の形成について,唐(1993)を参照。
16) 田村等編著(2008)p.32。
17) 当委員会は1998年に設置され,中国人民銀行からの保険監督権限の委譲を受 けた。35の地方出先機関と15の直轄部門で構成され,保険業界に対する全般的 な監督を担っている。
保険監督管理局は,単なる出先機関としての性格が強い。第4に,地方保険 監督行政の柔軟性の認識が欠けている。
最近の保険行政の動向で,次のような動きがある。①2006年に発足した自 動車事故責任強制保険制度は,交通事故の被害者救済のための強制保険であ り,日本の自動車責任保険制度に類似する。ただし,経済格差の大きい現状 を踏まえて考えた場合,全国一律の保障金額が生活コストの高い発展地域の 住民にとって適切な金額設定であるかどうか,強制保険の会計制度の健全性 とも絡んで,今後討論すべきである。②2007年中国保監会による行政令によ って,実態上最大手国有保険会社の中国人寿が主な担い手として,短期少額 保険の販売がスタートした。その目標は,都市部低所得者と農村市場を対象 にした保険の普及であり,政策的に地域に目を向け,農村地域における医療 リスクや長寿リスク対応をバックアップする政策的意図が見られる。③また,
中国政府は農業保険に財政補助を行うことを決断した。保険利益の見込みが 極めて少ない農業保険の重要性を認識し,政策保険的性格付けをした。
3.2 中国における全国一律保険政策の弊害
前節で述べたように,中国の保険監督体制は中央集権的な性格がいまだに 強いため,地域の実情を考慮した保険政策が要請されている。ここでは,ま ず一律保険政策の弊害を指摘し,それをふまえて適正な政策提言を行うこと とする。
第1に,今までの全国一律の保険政策は,経済成長の速い地域をモデルに 実行されてきた。保険後発の中国にとって,短期的な視点から考えれば,こ のような保険政策が功を奏した部分が大きい。しかし,国民経済の下支えと なる保険業の健全な発展と国民福祉の公平性というより高い長期的な視点か ら考えれば,内陸地域の固有特性の配慮に欠けた政策になったといえよう。
そもそも,中国の社会主義市場経済体制の特徴が今日の保険政策の性質を 反映している。つまり,市場経済体制下で市場主体の利潤最大化追求の行動 を認める反面,社会主義国家である以上,政府は強力な市場介入のインセン
ティブを持っている。したがって,保険政策の中心は,初期の段階で経済政 策の方針に沿った監督行政を施行することになる。それが,自ずと経済発展 の速い地域をモデルとした政策制定に終始することとなる。
第2に,消費者保護の不十分さが挙げられる。保険政策は究極的に消費者 保護を目的とする。保険業の健全な発展はそのもう一つの中心的目的である が,保険業および保険商品の特殊性から,消費者は保険取引において,情報 の非対称という不利な立場にいる。未発達な保険市場において,消費者の保 険に対する認識が不十分な中,戦後日本の保険業の急成長時に生じた保険会 社の営業募集員による無理募集・義理募集などが招いた保険トラブルが今日 の中国保険市場で再現されている。換言すれば,保険業の育成・保護の促進 を中心に,中国では一律保険政策がとられてきたことが,消費者の利益を犠 牲にしていた側面もあると指摘できよう。したがって,一律な保険政策によ る地域保険格差の進行が懸念される。
3.3 地域特性と保険利用をめぐる不公平問題
一律保険政策のもとで,地域間格差が拡大した今,保険利用者の間で保険 料負担の不公平が生じる可能性もある。第1に,WTO加盟後の市場開放・
規制緩和が中国保険市場に競争激化をもたらし,とくに経済成長の速い地域 においては,市場獲得競争を中心とした過当競争も問題になった。このよう に,急速な規制緩和による歪みが生じ,また地域保険格差が拡大し,保険経 営の安全性への監督がより大きな課題になっている。保険規制の根拠として は保険企業の規模の経済性と情報の偏在性が挙げられる。健全な保険経営と 公平な保険利用の確保のため,適正な保険規制が求められる。
第2に,国民の生活保障方式には,貯蓄,家族内助け合い,地域の相互扶 助,社会保障,民間保険などがある。その中で,保険の経済的保障機能には 合理的な側面がある。保険料負担を対価に,万が一の時(保険事故発生),
保険契約者に保険金が支払われる。保険は,保険契約者の生活保障に対して,
大きな役割を果たしている。保険業の担うべき役割として,消費者の多様な
ニーズに対応できるような経営努力,所得層別の保険料負担能力に合わせた 保険商品設計によって,より多くの消費者に経済的保障を提供することが必 要である。
第3に,保険利用をめぐる公平性の問題を重視すべきである。公平性は究 極的に機会の公平と結果の公平の二つの側面から認識されるべきである。保 険アクセスの公平性,保険サービスの公平性問題がその中心である。また,
保険利用をめぐる公平性問題は,利用可能な消費者間の公平性問題,とさら に保険利用の可能な消費者と利用できない消費者間の公平性問題を個別に検 討しなければならない。後者に対しては,生活社会保障制度の整備促進が必 要であり,政府介入による社会福祉の向上によって改善していかなければな らない。
第4に,地域特性と保険利用をめぐる官民の役割分担を検討すべきである。
民間保険制度利用の可能性が高い中間所得層にとって,民間保険は合理的な 生活保障の選択肢の一つとなる。しかし,都市部低所得者層と多くの農村地 域の農民など民間保険の利用が困難な層に対しては,まずは社会保障制度の 普及と充実を図らなければならない。もちろん,社会保障制度は全国民を対 象に,その最低限の生活水準を確保することを目的としなければならない。
そのため,社会保障制度の構築と充実を中心に民間保険はその補完的役割を 果たすべきであろう。公平性を前提とした社会保障制度の構築は,都市・農 村の二元的構造の是正を通じて,国民生活の安定・安全に最低限の経済的保 障を提供することが期待される。
規制緩和の施行により,保険市場における自由競争が徐々に可能となる。
さらに,規制緩和の結果,保険企業は利益を最優先する経営主体として,利 益還元を見込んで進出する地域を選択できるようになる。このように,保険 業に焦点を与えてみた場合,限定された地域での自由競争による保険経営効 率向上により,消費者利益の向上が期待されるが,地域間での保険利用をめ ぐる不平等が起こりかねない。なぜならば,地域特性が大きく働くことが要 因となり,保険市場の構造が多様化しているからである。つまり,地方に行
けばいくほど独占的市場の傾向が強く,消費者にとっては,保険利用のコス トが高くなる可能性がある。保険市場が比較的発展している都市部では寡占 的市場がある一方,上海などの大都市や東部沿岸地域は競争的市場になって きている。これらの地域の消費者にとっては,保険へのアクセスが容易であ り,多様な保険サービスの中から,各自のニーズに合った割安の保険を選択 できる余地が後進地域よりはるかに大きい。
東部沿岸地域における自由競争の拡大と地域別保険利用格差の深刻化が懸 念されているが,このことで,保険規制の新たなあり方が問われているとい えよう。保険業における自由競争と保険規制の問題は,地域特性と絡んでさ らに複雑化している。とくに,国民経済的視点から考えることを前提に,保 険利用をめぐる不公平の是正のため,中央政府の地域均衡発展を目的とする 保険政策の下で,地域の特性をふまえた保険規制を行わなければならない。
3.4 経済発展段階をふまえた保険政策の必要性
保険業においても,経済発展段階が地域間の経済格差のどのような影響を 受けているか,深く考察する必要がある。保険利用の公平性 の観点から みた場合でも,地域の経済発展段階と地域特性に合わせた保険政策が要請さ れる 。保険企業の成長が国民の生活保障において,ますます重要な機能と 役割を果たすよう,地域別のきめ細かい政策部分と指針的な部分を同時に提
18) 格差は価値観の問題であり,公平性に深く関連する。ロールズの公正原理,
分配の平等を道徳的・倫理的に支持する有力な考え方がある。1971年に出版さ れたロールズの 正義論 は,二つの基本的な原理を提出した。一つは自由の 優勢性であり,すべての人は広範囲の自由に対して,平等な権利を持つとした。
第二の原理は,格差原理と呼ばれるものである。世の中には様々な不平等が存 在するが,最も不遇な人の利益を最大にすることが政策の目標になると主張し た。社会経済における地位や所得に関して,分配上最も不利な立場にいる人の 取り分を最大にするというものである。
19) 経済発展論では,ロストウは経済発展を5つの段階として定義している。
つまり伝統的社会,先行条件準備期,離陸期,成熟への前進期,大衆消費社 会の段階を指す。
示しなければならない。すなわち地域分類も異なるのであれば,保険業にお ける地域特性を明らかにしたうえで,保険政策の在り方を議論すべきである。
⑴ 経済発展と保険業の発展
経済発展の要因には複雑な要素が絡み合っているが,段階的に成長する特 徴がある。保険業の成長も同様である。したがって,保険業においても,経 済発展のプロセスを地域の経済発展とともに段階的に考察する必要がある。
それをふまえて,保険政策が施行されるべきである。
保険業は経済発展に遅れて成長する特徴がある。しかし,ある一定の助走 期間を経て,保険業は経済成長を凌ぐ勢いで成長する。経済発展なしに保険 業の発展はない。さらにその段階で,政府の保険育成・保護政策が大きな役 割を果たす。なお,保険に社会性と公共性があり,したがって保険事業はそ の福祉性と関連することから,国家の強い監督と規制を受ける。
⑵ 保険業の発展と地域特性
地域別保険業の発展において,経済的基礎,保険産業の構造,所有制構造,
歴史・文化などの影響による保険成長の度合は大きくばらつく。なお,1つ の地域内でも同様な傾向がある。つまり一省の中においても,その保険市場 は省都一極中心の構造になっていることが象徴的である。そのため,地域内 での保険格差も大きい。さらに地域の財政分権化の推進,地域特有の歴史 的・社会的・文化的背景など保険市場を取り巻く経営環境の差異は深刻の度 合いを増すのである。したがって,地域の均衡発展と保険利用の公平性の観 点から,地域特性をふまえた柔軟性のある保険政策が求められる。
⑶ 保険啓発活動・保険教育の必要性
保険制度は合理的な制度であることをより多くの消費者に理解してもらう ことが,保険政策の主要任務の1つである。つまり,保険啓発活動や保険教 育を重視し,多方面的な保険教育を行うことが重要な意義を持つ。保険協会 による保険普及を目的とした保険啓発活動以外にも,やはり政府による保険 啓蒙が重要である。なお,保険業界による保険啓蒙努力も要請されるであろ う。たとえば保険講座,公益活動,福祉活動などを通じて,知名度・注目
度・関心度を高めていくことも保険利用を拡大させることに役立つであろう。
大局的に見れば,保険教育の目的は,保険の理解を通じて,現代社会に 対する認識や個人生活における自立意識の確立を図ることにあるといえよう。
具体的には,自分のライフスタイルに適した保険を自主的に選択できる力を 養うことで,各自の生活目標を達成できる環境をつくることである 。し たがって,学校教育,家庭教育,社会教育を通じて,自助努力による生活保 障の重要性への認識向上が正しい保険知識の向上につながり,そして保険普 及へと進化していくのである。
おわりに
本論では,地域特性をふまえた保険政策の在り方について,理論的考察を 行い,地域の経済発展段階をふまえた保険政策実施の必要性を強調した。
そこで本論の結論を次の4点に集約できよう。⑴中国保険業の成長が国民 経済と国民生活に大きな役割を果たしたことを肯定する一方,地域別事例研 究を通じて,地域特性を浮き彫りにした。とくに,地域保険格差が著しい一 方,東部沿岸地域と内陸地域を問わず,1つの地域では省都を中心とした発 展が特徴的であることが明らかにした。⑵中国保険業の地域特性として,非 経済的な要因である地域固有の歴史的・社会的・文化的要因をとくに家族制 度,地域相互扶助制度などの側面から考察する必要があると強調した。⑶地 域特性の存在が前提とした保険利用において,国民経済学的視点から,公平 性問題が保険政策の重要な課題となる。社会保障制度の構築を進めつつ,そ れをベースに補完的な役割を果たす民間保険を育成することが重要である。
保険規制の究極の目的は消費者保護である。消費者が自己責任原則に基づき,
保険商品の選択をできるよう,情報開示などをめぐる統一したルール作りが 必要である。また,それぞれの地域の保険ニーズを高めるような保険啓蒙活 動や保険教育も重要であろう。そして,それを前提とした公平性と効率性の
20) 堀田(2009)p.33。
追求は保険政策の目的であり,保険業を取り巻く環境の変化を随時把握し,
対応できるような政策の意思決定システムを構築しなければならない。⑷中 国における地域特性を保険政策に反映させるべきである。中国は,国内保険 企業の育成保護とグローバル・スタンダードへの適応に努めてきた。しかし,
そのような新たな政策環境のなかで,中国保険業に順応できてない側面が顕 になった。中国保険業の健全な発展の確保と消費者保護の見地から,地域の 特性に合わせた保険政策方針のもとで,保険競争が行われるべきであろう。
本研究の意義は,他の発展途上国の保険業発展の研究にも役立つことにある。
格差は歴史の中で形成されてきたもので,地域の特性を生かした保険の取り 入れ方こそが地域間保険格差是正のカギになるであろう。
(筆者は慶應義塾大学大学院商学研究科後期博士課程)
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