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藩政確立期における新田開発の展開

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Academic year: 2021

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(1)

藩 政 確 立 期 に お け る 新 田 開 発 の 展 開

津 軽 藩 の 場

J

新 田 開 発 に つ い て の 諸 研 究 は ' そ の 歴 史 的 意 義 に 関 し て ' 特 に そ

の 封 建 的 小 農 民 の 自 立 ‑ 近 世 封 建 制 の 社 会 的 基 底 た る 本 百 姓 体 制 の

基 本 的 完 成 に 求 め ' ま た 新 田 甚 魔 力 に 関 し て は 畑 作 新 田 の 生 産 力 上 l︻HⅦ■一川じ 昇 に よ る 商 品 経 済 の 展 開 を 指 摘 し た 。

特 に 近 世 初 〜 前 期 で は ' 基 底 に ' 「 小 農 自 立 」 政 策 の 存 在 を 見 て

「 小 農 自 立 を 可 能 に す る 具 体 的 条 件 と し て 新 田 開 発 が 存 在 」 し て い た

と 位 置 づ け ' 「 初 期 の 新 田 開 発 は 耕 地 の 拡 張 ' 年 貢 の 増 加 な ど の 経

済 的 必 要 を 満 た し た と 同 時 に 牢 人 問 題 の 一 処 理 方 法 と い う 社 会 問 題

的 性 質 」 と ' 「 開 発 の 実 現 を 通 し て 小 百 姓 を 多 数 分 出 さ せ ' 百 姓 経

営 数 の 増 加 と い う 江 戸 時 代 封 建 領 主 の 基 本 的 農 民 政 策 を 開 花 さ せ る

挺 子 」 と な り '^ hV の 開 発 主 体 と し て 牢 人 ・ 在 地 土 豪 が 開 発 請 負 人 と 2︻HⅦ■旧u な っ て 推 進 し た と さ れ る 。

右 は 幕 府 の 新 田 開 発 に つ い て で あ る が 、 諸 藩 に お い て も 頻 繁 に み

ら れ る 。 例 え ば 、 仙 台 藩 に お け る 「 奉 公 人 新 田 」 ' 金 沢 藩 「 給 人 開 」

等 ' 藩 士 知 行 新 田 が 展 開 さ れ る が ' 順 次 的 に そ れ ら は 、 藩 営 化 な い

し 藩 士 知 行 新 田 の 否 定 の 方 向 を と る 。 こ の 動 向 は ' 基 本 的 に 個 別 藩

に お け る 藩 権 力 の 確 立 に と も な っ た 給 人 知 行 権 = 開 発 権 の 制 限 ・

定 ' 同 時 的 に 藩 権 力 に よ る 直 接 的 開 発 へ の 転 化 を 意 味 す る と 思 わ れ

る 。

幕 藩 領 主 権 力 に と っ て 新 田 開 発 は ' 武 力 に よ る 領 地 拡 張 の 道 を 塞

が れ た 近 世 大 名 の 意 識 的 な 政 策 の あ ら わ れ で あ り ' 重 要 な 位 置 を 藩

政 上 に し め る も の で あ る 。 そ し て そ の 開 発 に あ た り ' 現 実 の 担 当 者

が 誰 で あ る に せ よ ' 目 的 は 幕 藩 権 力 の 年 貢 量 増 加 の 一 大 政 策 と し て

の 増 徴 に あ っ た と い え よ う 。

津 軽 蒲 に お い て は ' 新 田 開 発 は 以 下 論 述 す る 所 で あ る が ' 結 果 的

に は ' 藩 財 政 拡 大 ‑ 家 臣 団 再 生 産 の 物 質 的 基 礎 と し て 行 な わ れ ' そ

れ は 地 方 知 行 制 下 の 絵 人 知 行 権 と 大 き ‑ 関 わ り つ つ 展 開 し ' 直 接 的

に は 「幸 作 」 下 級 船 人 を 増 大 さ せ て い っ た 。

小 論 で は 津 軽 藩 を 例 と し て ' 新 田 開 発 が い か な る 意 味 内 容 を 有 L t

い か に 展 開 し て い ‑ か を 藩 制 確 立 期 に 視 点 を 置 い て 検 討 す る 。

そ の た め 前 提 と し て 電 文 期 に 至 る ま で の 開 発 に つ い て ふ れ て お ‑ 0

津 軽 藩 に お け る 開 発 は l 被 に 新 田 も 含 め 「 派 立 」 と 称 斗 杭 る

も と 3nⅦ一Ⅷ l■U も と の 意 味 と し て は ' 「 始 め る

若 手 す る 。 企 て る

」 と い う 事 で

あ ろ う が ' 史 料 上 「 旅 立 」 と あ る も の の 多 ‑ は 何 等 か の 形 で 新 田 と

(2)

関 係 が あ る よ う で あ る O 藩 政 成 立 期 に つ い て は 十 分 で な ‑ ' 後 代 に 4iZ■川じ 編 纂 さ れ た ﹃ 家 記 ﹄ 等 か ら 類 推 す る し か な い 。 こ れ ら に よ れ ば 、 元

和 ‑ 寛 永 期 の 「 派 立 」 は 、 「 自 他 無 縁 の 者 」 の 有 村 と 、 数 年 に わ た

る 鍬 下 年 季 の 設 定 を 行 っ て い る 。 そ し て 「 旅 立 」 に あ た っ た 人 々 に

つ い て 、 そ の 階 層 を み る と 次 の 切 ‑ で あ る O )5

0 北 村 久 左 衛 門

祖 父 は 従 五 位 、 河 村 山 城 権 守 季 高 の 商 、 弥 助 と 称 し 、 細 川 氏 に 仕

え た が 天 文 年 中 に 戦 死 、 父 を 北 村 平 右 衛 門 完 続 、 磯 人 の 後 ' 慶 長 五

年 七 月 に 近 江 で 初 代 藩 主 為 信 に 召 拘 ら れ ( 五 〇 〇 石 ) ' 関 ケ 頃 の 戦

い に 旗 奉 行 と し て 出 陣 ' 二 代 藩 主 信 枚 の 代 に は 深 浦 城 代 と な り ' 元

和 四 年 死 去 。 久 左 衛 門 宗 容 は 正 保 元 年 に 加 増 ( 五 〇 〇 石 ) を 受 け 、 「年 寄 役 」 を つ と め 慶 安 元 年 死 去 。

○ 工 藤 小 左 衛 門

父 を 太 郎 左 衛 門 武 重 と い い 、 天 正 年 中 に 知 行 高 三 〇 石 で 新 規 召 出 '

「 大 光 寺 村 近 郷 五 ケ 村 支 配 頭 」 と な り ' 元 和 五 年 に 相 木 野 へ う つ り

「以 御 威 光 」 「御 派 取 立 北 田 畑 開 発 方 へ 取 付 」 て ' 同 六 年 に 隠 居 L t

倖 小 左 衛 門 武 行 の 家 督 と な り ' 武 行 も 引 続 い て 開 発 に 従 事 L t 寛 永

二 年 に 「開 発 方 成 就 」 し 、 「 同 三 年 御 伽 増 ト シ テ 新 矧 七 十 石 下 置 レ

新 知 士 仰 付 ラ レ 」 た と い わ れ る 。

ここ

に み ら れ る 如 ‑ 、 元 和 ‑ 寧 氷 期 の 開 発 ‑ 「 旅 立 」 は ' 前 者 で

は 五 〇 〇 石 (後 一 〇 〇 〇 石 ) と い う 蒲 重 臣 層 ' 或 は 後 者 の 「 大 光 寺

村 近 郷 五 ケ 村 支 配 」 と い う 在 地 に 勢 力 を 有 す る

と を 窺 わ せ る 知 行

高 三 〇 石 と い う 者 な ど 、 多 様 な 簡 層 に よ り 担 わ れ て お ‑ ' 後 述 す る

7n∬川U

知 行 派

も そ の 一 型 態 と し て

あった。

う し た 多

な 階 層 に 担 わ れ た 「 派 立 」 を 行 な わ し め た も の と し^8.̲ ㌔ て

元 和 ・ 寛 永 末 年 の 飢 誰 が あ り ' そ の 復 旧 策 と し て の 意 味 が 指 摘

さ れ て い ろ 。

第 一 章 「 小 知 行 派 立 」 を め ぐ っ て

元 和 ・ 電 永 期 と い う 藩 政 成 立 期 に お け る 開 発 が 前 述 し た 如 ‑ の 特

徴 を 有 し て い た の に ‑ ら べ る と ' 寛 文 期 を 初 め と す る 藩 政 確 立 期 の

そ れ は か な り 異 っ た 様 相 を し め し て い る 。

す な わ ち 開 発 が 「小 知 行 派 立 」 「狙 硬 派 立 」 と い う 二 形 態 に 中 心

を 置 き 、 そ の 主 体 と し て 「小 知 行 」 が 主 柱 と な っ て ‑ る の で あ る O

本 章 で は ' こ の 「.小 知 行 旅 立 」 を め ぐ る 詰 問 預 に つ い て を 検 討 す

る こ と と し た い 。

一 、 「 小 知 行 」 に つ い て

「 小 知 行 」 と は 津 軽 滞 独 白 の 軽 部 LL 級 武 士 と 称 さ れ る 。 先 に 津 軽

浦 の 新 田 開 発 を 取 り 上 げ ら れ た 菊 地 利 夫 ・ 奥 本 賢 人 両 氏 は そ れ ぞ れ

次 の よ う に 規 定 さ れ て い る 。

菊 地 氏 は 「小 知 行 」 を 「 隠 遁 武 士 に 起 源 を も つ 虐 辰 や 武 士 で あ り ' 9 豪 農 は 派 立 後 に 小 知 得 ・ 新 知 士 と い う 士 籍 に 列 し

者 と と ら え '

奥 本 氏 は 「小 知 行 と は 後 の 足 軽 で あ っ て ' 更 に 郷 足 軽 ・ 足 軽 警 固 と

分 れ る 。 つ ま り 小 知 行 は 軽 禄 の 武 士 の ‑ 暇 的 呼 称 で あ っ て 特 別 に 組

(3)

∴叫 を 成 し て い た も の と は 思 わ れ な い Y と さ れ , 「 小 知 行 」 ‑ 足 軽 と し

て と ら え ら れ て い る 。

両 氏 は 右 の よ う な 理 解 に 立 っ て 「 小 知 臆 州 立 」 を 、 開 発 へ の 恩 功 ノハuて と し て の 「 小 知 行 」 ‑ 1 「 新 知 士 (馬 廻 ) 」 と い う 身 分 的 上 昇 の 点 と

岩 木 川 下 流 低 湿 地 帯 開 発 の 困 難 性 に よ る 「 小 知 行 派 立 」 の 挫 折 ‑‑

「御 蔵 派 」 の 展 開 を ' 「 小 知 行 派 立 」 に つ い て の 共 通 的 理 解 と さ れ て

い る 。

こ の よ う に 「 小 知 行 」 に つ い て 、 そ の 特 徴 的 諸 点 に 関 し て は 不 明

な ま ま 「 派 立 」 に つ い て 論 じ ら れ て い る 欠 占 盲 指 摘 し え よ う 。 そ こ

で ま ず 一 応 「 小 知 行 」 に つ い て 若 干 述 べ て お ‑ 事 と す る 。

﹃ 津 軽 興 業 誌 ﹄ は 「 小 知 行 と 云 ひ 新 知 士 と 云 ふ は 皆 開 発 に 大 に 功

を 立 た る 人 共 也 」 と し 「 小 知 行 と は 開 発 の 田 地 半 高 を 以 て 禄 と す る 的 を 云 ふ 」 ' ま た ﹃ 奥 富 士 物 語 ﹄ は 「 元 は 御 足 軽 を 小 知 行 或 は 郷 足 軽 E7' 等 云 ひ て , 大 勢 込 に 而 被 召 」 d ij と し て お ‑ , こ れ ら 請 書 か ら は 十 分

な 答 を 得 る こ と は む ず か し い 。

そ こ で ' そ の 1 面 を 知 る た め に ' 元 和 五 年 の 川 中 島 転 封 (幕 府 へ

の 働 き か け 等 に よ ‑ 中 止 ) の 際 ' 藩 主 に 臣 従 を 申 し 出 た 小 知 行 八 三

入 に つ い

て み よ う 。

〔表

1〕 小知行‑ 83 騎の姓名 について ‑ 「 津軽一統志」 による

村名 を もって姓 とす る

為 信 :永緑 1

0年‑

慶長

12

信 枚 : 慶長

12

年〜

寛永

8

「津軽一統志」

「信枚公恩知百石宛 被宛行覚」

「 8

3

騎家筋 」

町名

姓名 を有す る

不 明

〔表 2 〕 小知行

‑ 83

騎召抱時知行高表

召 抱 時

知 行 局

信 信 枚 不 明

? 3 1 1 1

20 3611 4

25 1 2

30 24 191 46

35 1 1

50

6 16

‑ 3‑

ま ず ︹ 表 ‑ ︺ に つ い て で あ る が ﹃ 津 軽 一 統 志 ﹄ の 割 注 に 指 摘 さ れ

る 如 ‑ ' 「 八 十 三 騎 」 と 称 さ れ た 「 小 知 行 」 の 大 半 が ' 村 名 を も っ

て 姓 と し て い る こ と を 示 し て お ‑ 、 彼 ら が 各 村 落 に お い て 在 地 に 一

定 の 勢 力 を 有 し て い た こ と を 推 測 せ し め る 。 次 に ︹ 表 2 ︺ は ' 「 小 知 行 」 が ' い つ 頃 ' ど の 程 度 の 知 行 高 で 召

抱 と な っ た か を 表 わ し て い る 。 こ れ に よ る と 大 部 分 は 為 信 時 代 に 三

〇 石 程 度 で 召 抱 と な っ て お ‑ ' 全 体 的 に も ㈲ 為 信 時 代 に 多 ‑ t か つ ㈲ そ の 知 行 高 は 三 〇 石 が 圧 倒 的 に 多 い の で あ る 。 こ の 表 か ら 除 外 し

た 二 例 は 、 川 中 村 弥 右 衛 門 ‑ 慶 長 l 七 年 家 督 七 〇 〇 石 安 堵 、 「 浪 岡

(4)

城 差 置 」 と し て 先 祖 は 一 〇 〇 〇 買 菅 つ け て い た が ' 元 和 元 年 に 召 上 と な

り 三 〇 石 無 役 と な っ た . は 相 内 村 治 兵 衛 ‑ 追 良 瀬 ・ 広 ln 両 村 に 知 行

地 を 有 し 、 為 信 代 に そ の 知 行 高 は 五 〇 石 で あ っ た が ' 後 に 召 上 ら れ

新 た に 信 枚 代 に 相 内 村 に 五 〇 石 の 知 行 が 認 め ら れ た 。 す な わ ち 、

の 二 例 は 「小 知 行 」 が 川 旧 臣 層 の 没 落 の 結 果 ' ま た は 各 村 落 の 在 地

武 士 層 の 取 立 の 結 果 と し て 生 ま れ た こ と を 示 し て い る 。 ㈹ こ の 「 小 知 行 」 に つ い て 山 県

つ い て み る と ' 「小 知 行 」 は 同

村 の 「手 作 給 人 」 の 基 本 的 部 分 で あ ‑ 、 「 非 手 作 」 絶 入 ' お よ び 「小 知 行 」 で な い 「 手 作 」 給 人 と ' そ の l 村 内 に お け る 知 行 高 を み る

と 圧 倒 的 な 集 中 を 示 し て い る の で あ っ て 、 譜 代 上 級 家 臣 を 中 心 と す

る 「 非 手 作 」 地 方 絵 人 知 行 地 の 分 散 性 と 相 違 を 示 し て い る 。

同 じ ‑ 山 口 村 の 「 小 知 行 」 に つ い て ' 一 村 内 の 知 行 高 の 分 布 を 示

し た も の が ︹ 表 3 ︺ で あ る 。

〔表

3

明暦二年

「山口村諸給人御検地之帳

によ る

知行高 「小知行」人数

0‑ 1 1

1‑ 3

5‑

10

15‑ 61

20‑ 2

25‑ 2

30‑ 1

す な わ ち へ 同 村 の 「 小 知 行 」 の 知 行 高 は 一 〇 石 を 境 と し て い る こ

と が 明 確 で あ る 。 し か も 一 〇 石 以 下 の 層 は い ず れ も 検 地 帳 に 「 水 木 宇 左 衛 門 取 立 」 と 記 載 さ れ ' 明 暦 段 階 か 近 い 時 に 「 取 立 」 ら れ た 存

在 で あ る 。 こ の 部 分 の 知 行 高 は ' 同 村 に お け る 農 民 持 高 の 下 位 に 相

当 し て い る 。 と こ ろ が す で に 当 時 「 小 知 行 」 で あ っ た 者 は ' 平 均 し

て 知 行 高 が 「 取 立 」 層 の 三 倍 以 上 と な っ て い る の で あ っ て ' こ の こ

と は 「 小 知 行 」 が ' 藩 士 に よ っ て 農 民 身 分 か ら 「 取 立 」 ら れ ' そ の

後 ' 順 次 的 に 知 行 高 が 加 増 さ れ て い ‑ こ と に よ ‑ 再 生 産 さ れ る 存 在

で あ る こ と を 推 定 せ し め る 。 し か も 「 小 知 行 」 は ' 同 村 を 例 と す れ

ば ' 「 小 知 行 右 衛 門 太 郎 」 「 小 知 毎 新 助 」 「 小 知 行 弥 四 郎 」 が ' 「御 蔵 (百 姓 ) 」 の 国 十 郎 ・ 作 十 郎 ・ 喜 蔵 を 「 打 出 百 姓 」 と し て 検 地 3 . 帳 に 名 講 さ せ て い る の で あ っ て ' 小 百 姓 を 「 打 出 」 = 分 出 さ せ 得 る

複 合 家 族 的 経 営 を そ の 構 造 と し て い 工 も の と 思 わ れ る 。

右 の よ う な 「 小 知 行 」 は 藩 制 機 構 に お い て は い か な る 位 置 を 占 め

て い た の だ ろ う か 。

寛 文 期 に お い て は ' 「 小 知 行 」 は 「 小 知 行 組 」 と し て ' 最 下 級 家

臣 団 と し て あ ‑ ' 「 小 知 行 頭 」 の 下 に い ‑ つ か の 組 に 編 成 さ れ t S 「組 頭 ‑ 並 小 知 行 」 と い う 形 を と っ て い た 。 そ の 外 に 組 を 離 れ て t 的 「郡 奉 行 支 配 」 「 用 人 支 配 」 等 の 下 級 職 制 に 配 さ れ て い る 場 合

る 。

「 小 知 行 」 は 要 約 す る と ' 知 行 高 と し て は 三 〇 石 前 後 を 中 心 と L t

土 豪 的 武 士 ・ 没 落 旧 族 を 元 和 期 に は 核 と す る も の の 、 明 暦 期 に は 藩

士 に よ る 「 取 立 」 に よ っ て 農 民 層 を も 含 め て 再 生 産 さ れ て お り ' 津

軽 藩 地 方 知 行 制 下 に お け る 「手 作 」 絶 入 の 中 心 を な し へ 後 述 す る 如

‑ ' 新 EE 開 発 の 場 合 に 顕 著 で あ る よ う に 「小 知 行 」

‑・‑

「 新 矧 士 (局

廻 ) 」 と い う 身 分 的 上 昇 を 遂 げ る こ と に よ り ' 個 別 津 軽 藩 に お け る

4

(5)

家 臣 団 編 成 の 根 幹 と な っ た と い え よ う 。

二 、「 小 知 行 派 立 」

本 節 で は 、 「 小 知 行 派 立 」 の 行 な わ れ た 二 つ の 村 落 に つ い て 検 討

し 、 「 小 知 行 旅 立 」 の 実 態 に つ い て み る

と と す る 。 細 ま ず 初 め に 川 合 村 に つ い

と と す る 。 同 村 に つ い て は ' 延

宝 五 年 三 月 二 四 日 付 の 「 乍 恐 以 書 付 中 上 」 と 過 さ れ る 史 料 に よ り 、

開 発 の 概 要 が 判 明 す る 。 そ れ に よ る と 「 川 合 村 之 内 新 地 三 千 石 余 」

の 地 所 を ' 同 史 料 の 提 出 者 五 人 (毛 円 茂 右 衛 門 ・ 川 村 彦 兵 衛 ・ 左 野

小 三 郎 ・ 鹿 内 小 石 衛 門 ・ 工 藤 惣 右 衛 門 ) と 佐 藤 覚 左 衛 門 ・ 福 田 源 兵

衛 の 七 人 で ' 「 水 貫 普 請 」 と 「 小 知 行 取 立 」 を 上 申 し た 結 果 ' 寛 文

十 一 年 三 月 に 「 右 之 普 請 被 仰 付 」 れ た (第 一 条 ) ‑ の で あ る 。 そ の

具 休 的 な 内 容 は (第 二 二 二 条 ) ' 「 水 貫 」 と し て 用 排 水 路 を 「 大 川

(岩 木 川 ) 」 ま で 取 り つ け る こ と で あ り ' こ の 普 請 中 は 「小 知 行 役 」

の 円 、 江 戸 へ の 「 登 役 」 を 代 銀 納 ‑ 「 登 代 銀 」 と し 、 た だ し 他 の 役

に つ い て は 「 冬 中 御 役 義 相 勤 」 る と し て い る (第 g l条 ) 。

う し て

「 水 貫 」 の 「 普 請 」 が 完 成 し た 段 階 で 、 「 千 葉 源 右 衛 門 ・ 八 木 僑 杢

兵 衛 」 に 「 此 方 よ ‑ 差 図 仕 可 申 付 」

し ' 「 二 百 余 」 を 申 し つ け た (第 五 条 ) 。 こ の 普 請 は ' 「 人 足 四 千 八 百 七 十 九 人 」 を 要 し て お り 、

T 銀 三 貰 」ハ 百 八 十 二 匁 1 分 」 を 「手 前 銀 に 而 相 究 申 」 し た の で あ り '

こ う し て 成 就 し た 田 畑 は 「 御 郡 奉 行 よ り 為 御 見 分 と 高 橋 源 右 衛 門 八

木 橋 杢 兵 衛 を 以 申 立 」 て た 結 果 ' 「 大 分 ㈲ 為 仕 」 っ た と し て 滞 当 局

か ら 「 爾 今 己 後 小 知 行 役 御 赦 免 」 を 認 め ら れ 、 か つ 「 (小 知 行 ) 組 頭 に 被 仰 付 」 れ た の で あ っ た 。 S 次 に 同 じ ‑ 「小 知 行 旅 立 」 の 行 な わ れ た 鶴 ケ 岡 に つ い て み て み よ

A

O

こ の 場 合 も ' 鶴 ケ 岡 の 「高 三 千 石 之 場 用 地 」 を 「 御 新 田 に 取 立 」

て 、 そ の 後 に 「 人 数 」ハ 十 六 人 仕 立 可 申 」 き こ と を そ の 内 容 と し て い

る 。

そ れ は 具 体 的 に は ' 同 所 で 「 川 除 水 抜 江 溝 等 普 請 」 L t 「 段 々 郷

御 足 軽 仕 付 」 る こ と で あ り 、 開 発 の 条 件 と し て 「年 季 之 儀 は 七 ケ 年

休 」 と す る と し て い る 。 こ れ ら の 普 請 ・ 有 付 を 行 う ' す な わ ち 新 田

開 発 に あ た る に つ い て は 「 警 固 に は 高 五 十 石 宛 並 御 足 軽 に は 高 三 十

石 宛 」 を 「 被 下 」 る こ と が 、 反 対 給 付 と し て 藩 に 要 求 さ れ て い る ほ

か 、 特 に 鶴 ケ 岡 開 発 の 中 心 的 存 在 で あ っ た と 思 わ れ る 相 馬 甚 助 ・ 渋

谷 兵 左 衛 門 は 「 御 新 田 人 数 並 普 請 等 成 就 」 し た 場 合 ' 「両 人 之 儀 は

御 新 田 頭 に 被 仰 付 高 百 石 つ 〜 右 御 新 田 2 円 に 而 被 下 置 」 る こ と を 求

め 、 寛 文 十 二 年 凹 月 、 戸 田 七 郎 兵 衛 を 経 て 藩 当 局 に 開 発 の 許 可 を 申

請 し 、 同 年 八 月 十 七 日 に 許 可 さ れ ' 天 和 二 年 に は 寄 子 の う ち 「 六 十

六 人 年 季 明 」 け て い る 。

こ の 鶴 ケ 岡 開 発 の 「普 請 仕 様 」 は 同 史 料 に よ れ ば 次 の 如 ‑ で あ る 。

す な わ ち 川 貧 村 同 様 ' 岩 木 川 へ 抜 け る 用 排 水 路 の 設 定 が そ の 内 容 で

あ り ' こ の 普 請 に 要 し た 労 働 力 ・ 費 用 は

‑ ‑ ⁚ ⁚ 略 ‑ ‑ ‑

右 惣 歩 設 一 万 E I百 拾 七 人

此 日 僻 錦 六 胃 凹 百 九 拾 目 一 分 樋 代 共 入

(6)

内 ⁚

弐 買 弐 百 五 拾 目 一 分 郷 足 軽 出 之

壱 買 弐 百 目 警 固 四 人 出 之

三貫目

甚 助 兵 衛 門 出 之

不 十 分 な が ら こ の 二 例 を 総 合 し て 「 小 知 行 派 立 」 を み る と 次 の 様

に 理 解 さ れ る で あ ろ う 。

基 本 的 な 「 小 知 行 派 立 」 の 内 容 は ' 用 排 水 路 の 設 定 と 農 耕 に 従 事

せ る 「 小 知 行 」 取 立 か ら 成 る が ' 第 一 の 問 題 は 「 水 貫 普 請 」

=

用 排

水 路 の 設 定 で あ っ て ' 「 小 知 行

取 立 は そ れ ら が 「 成 就 」 し て か ら

か 、 ま た は 同 時 進 行 的 に 徐 々 に 行 な わ れ る 。 そ の 開 発 の 主 体 は 川 合

村 の 場 合 、 明 ら か に 「 小 知 行 」 で あ ‑ ' 鶴 ケ 岡 村 に つ い て も 「 警 固 」

以 下 は 「 小 知 行 」 身 分 で あ り

'

相 馬 甚 助 ・ 渋 谷 兵 左 衛 門 に つ い て も

「 新 田 頭 」 と い う 形 で 「 高 百 石 」 を 「 御 新 田 」 の 内 に 与 え ら れ て い

る こ と か ら み て 、 「 小 知 行 」 身 分 な い し 「幸 作 」 絶 入 と 思 わ れ る 。

す な わ ち 従 来 言 わ れ た 如 ‑ ' 「 藩 士 」 に よ っ て 「 小 知 行 」 が 取 立 ら

れ て 「 小 知 行 派 立 」 が 成 立 す る の で は な ‑ し て ' 実 際 は 「 小 知 行 」

が 、 前 者 の 場 合 ' 千 葉 源 右 衛 門 ・ 八 木 僑 杢 兵 衛 、 後 者 で は ' 戸 田 七

郎 兵 衛 を 中 継 し て 藩 当 局 に 開 発 申 請 し ' そ の 結 果 ' 成 立 す る も の と

と ら え る べ き で あ ろ う 。

「 派 立 」 の 遂 行 に つ い て は ' 両 史 料 に よ れ ば ' そ の 普 請 費 用 は 「派 立 」 を 藩 当 局 に 申 請 し た 「 小 知 行 」 ら が 分 担 し て お ‑ ' こ れ に よ

る 限 り で は 各 「 派 立 」 に つ い て 藩 か ら の 資 本 面 で の 助 成 は 無 ‑ ' 鶴

ケ 岡 の 場 合 で は ' そ の 分 担 金 の 多 少 が 知 行 加 増 の 根 拠 の 一 つ と な っ て い る 。 一 万 ㌧ 藩 当 局 は 開 発 に あ た っ て い る 「 小 知 行 」 に 対 し て ' 「小 知 行 役 」 の う ち 「 登 役 」 の 代 銀 化 を も っ て 開 発 負 担 の 軽 減 に あ

て て い る ほ か ' 新 田 そ れ 自 体 に つ い て は 鍬 下 年 季 を 設 定 し て い る 。

そ の 期 間 は 鶴 ケ 岡 村 の 場 合 ' 「 悪 所 之 儀 に 侯 間 年 季 之 儀 は 七 ケ 年 休

に 被 仰 付 」 れ た と し て い る こ と か ら み て 、 大 体 五 年 以 下 で は な か っ

た か と 思 わ れ る 。

ま た 用 排 水 路 設 定 に つ づ ‑ 耕 作 者

=

「 小 知 行 」 の 取 立 に つ い て は

不 明 の 点 が 多 い が ' 川 菖 村 の 場 合 ' 取 立 は 千 葉 源 右 衛 門 ・ 八 木 橋 杢

兵 衛 に 「 此 方 よ り 差 図 仕 可 申 付 」 と し て お り 、 開 発 を 申 請 し た

「 小 知 行 」 が 直 接 、 取 立 を 行 な っ て い な い こ と は 注 目 さ れ る 。

さ て 右 の よ う な 内 容 を 持 つ 「 小 知 行 派 立 」 は 成 就 し た 段 階 で 、 郡

奉 行 の 昆 分 を 受 け る こ と と な る 。 そ し て こ の 見 分 が 藩 当 局 に よ り 承

認 さ れ る こ と に よ り 初 め て 開 発 に 対 す る 反 対 給 付 が 与 え ら れ る の で

あ る 。 そ れ は 具 体 的 に は ' 開 発 の 主 体

=

項 話 者 で あ っ た 「小 知 行

に 対 し ' 川 倉 村 の 場 合 は 「 爾 今 己 後 小 知

吾.一.三

三 と ' 「 与 頭 」

へ の 身 分 的 上 昇 で あ り ' 鶴 ケ 岡 村 で は 関 学 莞

方 担 に 応 じ た 加 増

と ' 中 心 者 二 名 の 「 新 田 頭 」 へ の 任 命 が 、 前 著 一∴ 場 合 は 藩 当 局 に よ

‑ 行 な わ れ ' 後 者 で は 開 発 の 条 件 と し て 認 め ら れ て い る 。 た だ し こ

の 川 貧 村 と 鶴 ケ 岡 村 に お け る 差 異 は 本 質 的 な も の で は な ‑ 史 料 の 惟 帥 格 に よ る も の と 思 わ れ

で あ っ て ' 「 小 知 行 派 上り 亡 の 成 就 に よ ‑ ' 「小 知 行 」 は 加 増 と 身 分 的 上 昇 を 同 時 的 に 得 た も の と 思 わ れ る の で

あ る 。

6

(7)

三 1 小 知 行 派 立 」 と 藩 権 力

本 節 に お い て は ' 藩 権 力 が 個 々 の 「 派 立 」 に 対 し て ' い か な る 規 臼 制 を 行 い ' そ の 展 開 を 規 定 し て い る か 検 討 し た

寛 文 八 年 正 月 十 八 日 ' 藩 は 次 の 法 令 を 発 し た 。

御 家 中 江 新 地 被 下 僕 地 所 御 定 之 覚

一、 原 子 よ り 下

「 さ ‑ み 御 派 之 下

一、 広 須 御 派 之 下 ′ ′ ′ ′ 右 之 通 新 地 書 上 講 取 可 被 申 侯 以 上

寛 文 八 年 正 月 十 八 日

北 村 与 左 衛 門 殿

岡 文 左 衛 門 殿 的

こ れ に よ れ ば 寛 文 八 年 段 階 で 「 新 地 被 下 」 る べ き 場 所 は ' い ず れ

も 岩 木 川 の 申 ・ 下 流 よ り 北 方 に 限 定 さ れ る こ と と な る が ' 問 題 は 単 に

そ う し た 地 域 的 限 定 に と ど ま ら ず ' 同 史 料 中 に あ る 「 新 地 書 上 」 と

は い か な る も の か と い う こ と ' ま た そ れ は (藩 権 力 が 個 々 の 開 発 に

あ た り そ れ を 講 取 る こ と は ) 何 を 意 味 し て い る の か に つ い て で あ ろ

う 。 こ の 「 新 地 書 上 」 を 通 じ て ' 前 述 し た 本 節 の 目 的 ‑ 「 小 知 行 派

立 」 に お け る 藩 権 力 の あ り 方 を み る こ と と す る 。

「 派

の 「 覚 十 ㌦ ㍉ ㍉ ∴ 、 ∴ ∴ 一∵ ∴ \

さ れ て い る 。 同 史 料 は 開 発 に 関 L t ま ず ' 「 前 々 書 上 仕 申 請 侯 新 地 」

に 対 し て ' 「嘘 々 よ 上 関 候 を 共 通 に 仕 置 普 請 等 さ せ 」 て お い て 後 に 申 し 立 て て も ' 「 先 書 上 江 も 不 片 付 御 公 儀 江 可 被 召 上 」 る 。 ま

た ' 特 に 「 開 候 て 二 年 迄 先 書 上 江 片 付 可 申 侯 ' 三 年 め ハ た と へ 不 存

候 共 申 分 ケ 立 ま し き 事 」 と し て お り (第 一 条 ) ' こ の こ と は 「 書 上 」

を 行 っ た 新 開 予 定 地 の 放 任 を 規 制 し た も の で あ り ' 特 に 三 年 以 上 は

特 に そ の 強 い 規 制 の 対 象 と な っ て い る の は 注 目 さ れ よ う 。

第 三 条 は 「 新 地 書 上 無 之 」 き 場 所 に つ い て は ' 「 ひ ら き 申 間 数 」

と 「 新 地 書 上 」 さ れ た 以 外 の 土 地 ' す な わ ち 藩 に 開 発 が 許 可 さ れ た

以 外 の 土 地 の 私 的 開 発 は 禁 止 さ れ て い る と 同 時 に ' 「 新 地 書 上 」 さ

れ て も 現 在 ' 末 だ 開 発 に 取 り か か っ て い な い 土 地 に つ い て も '

ら か さ 畠 う ち 在 々 之 も の 草 よ し か ‑ 侯 共 違 乱 不 仕 か ら せ 可 申 事 」

と し て ' そ の 囲 い 込 み を 禁 止 し て い る の で あ る 。

さ ら に 第 二 条 ・ 第 四 条 に お い て は ' 「 自 分 知 行 之 列 」 は 「 私 に は

り 申 間 敷 」 (帯 二 条 ) 「 川 端 よ り 弐 十 間 之 内 田 地 に 開 き 申 間 数 」 と

し て お り ' 「 新 地 書 上 」 さ れ て 開 発 地 と し て 認 可 さ れ た 土 地 で あ っ

て も 勝 手 な 普 請 は 禁 じ ら れ て お り ' こ の よ う な 普 請 ・ 開 発 を 行 う 場

合 は 「 御 郡 奉 行 江 相 断 指 図 次 第 」 に す べ き こ と が 明 記 さ れ て い る 。

こ の 史 料 に よ っ て 個 々 の 開 発 地 は ' 「 新 地 書 上 」 と い う 文 書 を 通

じ て 藩 の 許 可 の 下 に 設 定 さ れ る こ と が 明 確 で あ り ' し か も 史 料 は 未

開 地 の 占 有 化 の 禁 止 や 用 排 水 路 設 定 な ど の 実 際 の 開 発

=

普 請 を 行 な

う に あ た っ て は ' 藩 = 郡 奉 行 に よ る 「指 図 」 ' す な わ ち 藩 権 力 に よ

る 規 制 ・ 監 督 の も と に 初 め て 実 現 さ れ る の で あ る こ と を も 規 定 し て

い る の で あ る 。

右 の よ う に 「 新 地 書 上 」 は 開 発 の 根 拠 で あ り ' い わ ば そ れ を 通 じ

7

(8)

て 藩 権 力 は 個 々 の 開 発 を 掌 握 し て い る と い え る の で あ る が ' そ れ は 印 藩 機 構 上 ' 次 の 様 に 処 理 さ れ

「 新 地 書 上 」 は ' ま ず 郡 奉 行 に 提 出 さ れ ' そ れ は 「 御 用 所 」 へ と

差 上 ら れ る の で あ る が ' こ の 時 、 郡 奉 行 所 に は 「 地 所 吟 味 之 為 」 と

し て 「 一 通 」 な ら ぴ 「 野 竿 之 帳 面 」 が 保 存 さ れ て い る 。 「 御 用 所 」

へ 送 ら れ た 「 新 地 書 上 」 は 、 そ こ か ら 勘 定 所 へ ま わ さ れ ' 勘 定 奉 行

は 「 野 竿 之 帳 面 」 を 請 取 り 「 年 期 明 之 吟 味 」 に あ た る こ と が 規 定 さ

れ て い る 。 す な わ ち ' 郡 奉 行

勘 定 奉 行 機 構 は ' 「 新 地 書 上 」 と 同

時 に 「 野 竿 之 帳 面 」 を 把 握 し て い る 。 e 右 の こ と を ' 郡 奉 行 が そ の 職 務 と し て 、 「 新 地 出 入 」 を 「 落 着 可

申 付 」 き と さ れ ' ま た 各 開 発 地 に 対 し て 「 百 姓 数 多 在 村 」 を 「 派 頭

井 に 肝 前 亡 に 堅 ‑ 申 し つ け る 等 の 、 開 発 = 「 派 立 」 に 関 す る 監 督 権 ・

裁 判 権 を 賦 与 さ れ て い る こ と と 考 え あ わ せ た 場 合 、 開 発 主 体 を 「 小

知 行 」 と し 、 そ の 「 手 前 銀 」 を 以 っ て 行 な わ れ る 「 藩 士 知 行 新 田 」

的 性 格 を も つ 「 小 知 行 派 立 」 で は あ る が ' そ れ は 具 体 的 に は 「 新 知

書 上 」 を 通 じ て ' 一 元 的 に 藩 権 力 ・ 郡 ‑ 勘 定 奉 行 機 構 に 掌 握 さ れ て

い る こ と が 結 論 さ れ ' そ こ で は 自 か ら を 〝 調 停 者

と し て 粧 っ て

い た の で あ る 。

四 ㌧ 「 小 知 行 派 」 村 落 を め ぐ っ て

さ て 「小 知 行 派 立 」 は ' そ の 内 容 の 一 つ と し て 、 多 数 の (例 え ば

前 記 し た 如 ‑ 「 六 六 人 」 ま た コ l(

冒)

丞 ) 「 小 知 行 」 を 「 聖 と て 、

開 発 地 に 有 付 け る こ と を 任 務 と し て い た 。

右 の こ と は ' 多 数 の 「 小 知 行 」 が 有 付 け ら れ た 新 田 村 落 の 構 造 を し て ' い わ ゆ る 古 村 と 比 較 し た 場 合 ' 特 異 な 様 相 を 示 す こ と を 必 然

化 し た 。

J<>iL

本 節 で は ' こ の こ と を 新 田 村 と し て 金 木 村 を ' 古 村 と し て 本 町 村

を 取 り 上 げ 検 討 す る こ と と し た い 。

金 木 村 は ' 船 田 数 三 二 〇 四 人 役 九 歩 ' う ち 絵 地 一 八 〇 五 人 役 七 歩

〔表

4

古村 (本町村 )新 田村 (金木村 )村落状況 (天和四年 )

1人役

‑ 1

ツ役

‑ 200

金木村分は枝村 も含む

枝村分

2 0

金木村 『金裾 β 土史』

郷 寸「 大光∃覗代

官所郷 雅臓 給地田畑

屋純真外議最善上帳」

金 木 村 本 町

田 御 蔵

499

人役

2

262

人役8 歩

5

給地 弓

1805

人役

7

832

人役

御蔵

54

ツ役

2

30

ツ役4 歩

給地

326ツ役4

186

ツ役

4

1

05

御読抱屋敷

9 4

0

御蔵抱屋敷

7

御読一年作屋敷

33

御詠一軍作屋敷

7

絵人屋敷

62

絵人屋敷

21

鍛治屋敷

1

裏屋敷

5

一「

郷足軽

26小知行 2

辛 作

絵 人 郷警固

1用人 .郡 奉行支配 5

組足軽 .組笥司

4支配 .級 .与力 13

代百手代

1不

1

小人 .ぞうり取

5

‑ 8‑

(9)

で あ り 、 蔵 人 地 四 九 九 人 役 二 歩 。 本 町 村 は ' 総 田 数 一 〇 九 四 人 役 八

歩 五 厘 ' 給 地 八 三 二 人 役 ' 蔵 人 地 二 六 二 人 役 八 歩 五 厘 と な っ て い る 。

︹ 表 4 ︺ は ' 両 村 の 田 畑 、 お よ び 屋 敷 数 と そ の 構 成 ' ま た 各 村 に お

い て 「 手 作 」 を 行 っ て い る 給 人 の 身 分 ' 人 数 に つ い て し め し た も の

で あ る 。

さ て こ の ︹ 表 4 ︺ か ら 以 下 の こ と が 指 摘 で き よ う 。 川 屋 敷 数 を み た 場 合 ' 1 村 内 に お い て 「 御 蔵 抱 屋 敷 」 ‑ 蔵 人 百 姓 I

の 少 な さ が 目 立 つ 。 は そ れ に 比 し て ' 「 給 人 手 作 」 I 給 地 層 の 広 汎 な 展 開 が み ら れ る 。

こ の 二 点 は 両 村 な ら び 他 村 に つ い て も 同 様 に み ら れ ' 地 方 知 行 制

下 の 津 軽 藩 の 村 落 構 造 の 一 般 的 傾 向 と 思 わ れ る 。

に も か か わ ら ず ' 両 村 の 間 に お い て は ' 川 広 汎 な 展 開 を 示 す 「 手 作 給 人 」 に 代 表 さ れ る 給 地 の 比 率 が ' 金 木

村 に 圧 倒 的 に し め さ れ る 。 )綾 さ ら に ' そ の 「手 作 給 人 」 の 身 分 を み る な ら ' 金 木 村 で は ︹表

4

の 如 ‑ 、 「 郷 足 軽 」 「 郷 警 固 」 が そ の 中 心 と な っ て い る の に 対 し '

本 町 村 に お い て は ' 上 級 給 人 (基 本 的 に は 城 下 集 住 ) の 「 組 子 」

「 支 配 」 ま た は 「 郡 奉 行 支 配 」 「 用 人 支 配 」 を 中 心 と し て い る こ

と が 明 白 で あ る 。 伺 ︹ 表 4 ︺ 中 屋 敷 の う ち ' 金 木 村 に お い て は ' そ の 村 内 に 「 鍛 冶 屋

敷 」 を 有 し て い る 。 こ れ は 金 木 村 を 含 め 古 村 に は み ら れ な い 特 色

と い え ' 開 発 の た め 必 要 な 農 工 貝 等 の 修 繕 を 行 っ て い た も の で あ

ろ う 。 用 ︹ 表 4 ︺ に は 示 さ な か っ た が ' 本 町 村 の 場 合 で は 周 辺 各 村 と の 間

に 広 汎 な 出 入 作 関 係 が 展 開 し て い る 。 と こ ろ が 金 木 村 で は 僅 か に

嘉 瀬 村 に 一 〇 人 役 越 石 と な っ て い る の み で あ る 。 こ の こ と は 本 町

村 な り 金 木 村 の 特 別 な 事 情 も 考 え ら れ る が 、 一 般 的 に 古 村 部 に お

い て は 顕 著 な 出 入 作 が 展 開 し て い る 。

と い っ た 明 確 な 相 違 点 が 指 摘 さ れ る の で あ っ て ' 「小 知 行 派 」 新

田 村 落 は 「 給 人 手 作 」 に 支 え ら れ る 「 小 知 行 」 (郷 足 軽 ) の 広 汎 な

展 開 を 特 色 と す る の で あ っ て ' 藩 の 直 接 的 権 力 基 盤 た る 「御 百 姓 」 「= 蔵 百 姓 ) は 増 加 せ ず ' こ の こ と は 後 に ' 藩 主 導 の 開 発 が 「 小 知 行

こLt

「小 知 行 派 立 」 に つ い て の べ た 。 そ の 場 合 ' 藩 に よ る 規 制

と そ の 具 休 的 あ り 方 は 、 こ の 形 の 新 田 が ' い わ ゆ る 「 藩 士 知 行 新 田 」

と し て あ り な が ら も ' そ こ に は 藩 権 力 に よ る 一 定 の 統 制 が 行 な わ れ

て い た こ と を 示 し て い る 。

そ し て 開 発 の 成 就 に よ っ て 「小 知 行 」 ら が 「 与 頭 」 と な り '

参 士 」 ( 「 馬 廻 」 ) と な っ て い ‑ 事 実 は 、 開 発 が 同 時 的 に ' 下 級 給

人 を 中 級 給 人 へ と い う 形 の 新 給 人 の 組 み 込 み 策 と し て 、 給 人 再 生 産

を 行 う 体 制 的 な 上 昇 の 途 と し て 機 能 し て い た こ と を し め し て い る 。

寛 文 明 に 頻 繁 に み ら れ る 「小 知 行 派 立 」 を 整 理 す る な ら ば 、 H 生

産 物 地 代 ‑ 米 の ' い わ ば 平 面 的 な ' す な わ ち 面 積 拡 大 の 方 向 に よ る

増 大 ' す な わ ち ' そ の 限 り で の 藩 財 政 の 一 定 の 確 立 の 基 礎 を 固 め た

9

(10)

こ と と t O 開 発 を 行 う こ と に よ る 新 下 中 級 給 人 の 再 生 産 ‑ 新 た な る

家 臣 団 形 成 の 二 つ の 意 義 を 有 し た と い え よ う 。

し か し な が ら ' そ こ に こ そ 藩 政 確 立 期 に お い て 新 田 開 発 が 政 策 的

に 転 換 し て い く 基 本 的 要 素 が 内 包 し て い た の で あ る 。

第 二 章 「 御 蔵 派 」 を め ぐ っ て

寛 文 期 の 新 田 開 発 の う ち 「小 知 行 派 立 」 の 問 題 に つ い て 前 述 し た

が ' 本 章 で は 同 じ く 寛 文 期 の 開 発 ‑ 「 御 蔵 派 立 」 に つ い て 検 討 す る 。

「 い わ ゆ る 「 御 蔵 派 」 に つ い て

研 究 史 的 に 「 御 蔵 派 」 は 次 の よ う に 定 義 さ れ て き た 。 す な わ ち '

「 ﹃ 御 蔵 派 ﹄ す な わ ち 藩 の 直 営 に よ る 開 田 」 と し て ' 「 御 蔵 派 は '

小 知 行 開 発 の で き な い 上 地 に 対 す る 開 田 策 で ' 新 田 奉 行 を 任 命 し て

監 督 さ せ 堰 奉 行 ・ 普 請 奉 行 を 置 い て 水 利 面 を 担 当 さ せ '

人 寄 役

を 設 け て 他 領 か ら も 百 姓 を 呼 び 寄 せ て 実 施 し た も の で あ る 。 そ し て

一 〇 年 間 の 年 貢 の 免 除 ' 飯 米 ・ 家 屋 建 築 局 の 木 材 を 支 給 す る な ど の

保 葉 も と ら れ た 」 ・ 銅 こ の う ち 「 小 知 行 開 発 の で き な い 土 地 」 と

は 具 休 的 に は ' 岩 木 川 下 流 の 低 湿 地 帯 を 指 し て い る 。 す な わ ち ' 3

「 御 蔵 派 」 と は ' 藩 直 営 で あ り ' ㈲ 「 直 営 」 と は 新 田 奉 行 の 管 轄 下

に お か れ ' 水 利 面 が 藩 権 力 に 一 手 に 掌 握 さ れ る と と も に ' 全 面 的 な

藩 の 保 護 が 行 な わ れ る こ と で あ る こ と 。 3 こ う し た 「 御 蔵 派 」 が 展

開 す る に 至 る 基 本 的 理 由 の 一 つ は ' 地 理 的 な も の で あ っ た こ と 等 を 帥 特 徴 と し て い る 。 こ れ が 共 通 的 な 「 御 蔵 派 」 の 認 識 と 思 わ れ る

右 の こ と は ' し か し な が ら ' 史 料 上 実 際 に 確 か め ら れ て い る と は

い え ず ' 特 に 寛 文 期 の そ れ に つ い て ま ず 検 討 し て み た い 。

「 御 蔵 派 」 に つ い て ' 寛 文 二 年 十 二 月 十 六 日 条 の ﹃ 藩 日 記 ﹄ は 以

下 の 記 事 を 伝 え て い る 。

ま ず 川 広 須 新 田 に 関 し て ' 小 知 行 三 上 弥 五 左 衛 門 ・ 同 三 上 茂 左 衛

門 の 申 し 立 て で あ る が ' そ れ は ' 鳥 屋 跡 高 二 五 〇 石 を 「 御 蔵 派 」 に

仕 立 て た い と し ' そ れ に つ い て 「 五 年 休 」 の 年 季 を 藩 に 要 求 し ' 「随 分 端 立 可 申 」 と し て 「 年 期 之 儀 も 五 年 休 に 」 申 し 付 け て い る 。 佃

同 前 の 二 人 と 赤 石 清 右 衛 門 ・ 津 島 長 左 衛 門 が ' 広 須 六 千 石 の 「御 派 」

の 堰 普 請 が 成 就 し た と し て ' 来 年 か ら 「 人 迄 寄 」 せ て ' 「 蔵 派 」 に

仕 立 て る の で ' そ れ に つ き 「 小 知 行 御 赦 免 」 を 願 い 出 た も の で あ る

が ' 藩 は そ の う ち の 「 登 役 ハ 赦 免 」 と L t 「 御 国 役 ハ 御 勤 」 と し て

「 御 派 随 分 取 立 候 様 」 に 申 し 付 け て い る 。 3 1,禅 田 村 の 高 三 千 石 の 土

地 に つ い て 三 浦 権 兵 衛 が ' そ れ を 「 御 蔵 派 」 に 仕 立 る 旨 を 記 し ' そ

れ に つ い て ' 中 村 河 か ら 「 堰 上 ケ 」 を 行 う が ' 人 足 を 大 勢 必 要 と す

る の で あ る か ら 「手 勢 に て 成 兼 」 る と し ' 「 御 人 足 御 助 」 と 「 年 期

五 年 休 に 被 仰 付 被 下 度 」 の 二 点 ' さ ら に 「 成 就 仕 侯 ハ ゝ 新 地 加 増 七

拾 石 喝 下 度 」 旨 を 願 い ' こ れ に つ い て 藩 は 「 随 分 手 勢 に て 堰 普 請 仕

御 派 仕 立 可 申 」 き 旨 を 申 し 付 け ' 加 増 の 件 に つ い て は ' 「 御 下 向 に

得 御 意 可 申 付 申 付 」 た の で あ る 。

さ ら に ' こ の 条 の 旬 の 三 浦 権 兵 衛 は ' 同 じ 「 御 蔵 派 」 の 開 発 に つ

い て の 願 い 出 を 藩 に 提 出 し た こ と が ' 寛 文 三 年 五 月 十 二 日 条 の ﹃ 藩

10

(11)

日 記 ﹄ に よ っ て 確 認 さ れ る の で あ る 。

そ れ に よ る な ら ば ' 権 兵 衛 は 「 小 知 行 役 」 と し て 「 江 戸 登 」 を 申

し 付 け ら れ た の で あ る が ' 旧 冬 ( 二 年 十 二 月 ) 浮 田 野 御 派 開 発 に と

り か か っ て お り ' 「 大 分 之 堰 普 請 之 儀 」 を 理 由 と L t 「 罷 登 候 て ハ

普 請 仕 儀 不 罷 成 」 の で 、 「 登 代 銀 」 に 仰 付 ら れ る よ う に 書 付 を 提 出

し ' 藩 は ' そ の 通 り に ' 「 先 当 年 斗 登 代 鋸 百 四 拾 匁 掛 さ せ 」 る ・i15 う

に 指 示 し て い る の で あ る 。

こ の 寛 文 初 年 の ﹃ 藩 日 記 ﹄ の 記 事 に あ ら わ れ た と こ ろ の 「 御 蔵 派 」

に つ い て 整 理 を す れ ば 以 下 の 如 ‑ と な る と 思 わ れ る リ す な わ ち t

O 「 御 蔵 派 」 は 、 「 小 知 行 派 立 」 で み た と 同 じ ‑ ' 「 小 知 行 」 の 申

し 立 て に よ り 設 定 さ れ る こ と 。

臼 し か も ' 申 し 立 て を 行 っ た 「 小 知 行 」 が ' 三 浦 権 兵 衛 の 例 に み ら

れ る 如 ‑ ' 「 江 戸 登 」 す る こ と で ' 「 普 請 仕 儀 不 罷 成 」 る 事 態 に

な る 事 は ' 彼 ら が 個 々 の 「御 蔵 派 」 の 開 発 に 直 接 的 に 携 わ り ' そ

の 責 任 者 と し て あ っ た こ と を 意 味 し て い る 。

白 「 御 蔵 派 」 と し て の 開 発 は ' 糾 鍬 下 年 季 が 五 年 休 と し て 設 定 さ れ

て お り t か つ iDS 申 し 立 て を 行 っ た 「 小 知 行 」 の 「 小 知 行 役 」

(

登 役 」 ) が 「 登 代 銀 」 化 さ れ る と と も に ' 何 「手 勢 に て 成 兼 」 る

場 合 に は ' 「 御 人 足 御 助 」 を 受 け る こ と ' さ ら に 斡 「 御 蔵 派 」 開

発 に 対 す る 「 新 地 加 増 」 が 与 え ら れ る こ と 。 ま た ' 寛 文 期 に あ っ て は ' こ れ ら 開 発 が 藩 I 新 田 奉 行 に よ り 管 轄 さ

れ た も の で な い こ と は ' こ れ ら 日 記 の 事 項 が ' 直 接 的 に 「 小 知 行 」

か ら の 申 し 立 て の 記 載 を と っ て い る こ と か ら も 窺 わ れ よ う 。

す な わ ち ' 前 述 せ る 「 御 蔵 派 」 理 解 ( 「 藩 営 新 田 」 と し て の ) は '

寛 文 期 の そ れ に つ い て は 妥 当 で な ‑ ' ま た 「 御 蔵 派 」 の 展 開 を 「 小

知 行 派 上下 l の 挫 折 に 求 め る ' 「 小 知 行 派 」 ← 「 御 蔵 派 」 と い う 単 純 帥 な 理

同 様 ' 正 確 で は な い 。

右 の 諸 点 は ' 明 ら か に 寛 文 期 の 「 御 蔵 派 」 が 「 小 知 行 派 ヰ 」 同 様 、

個 々 の 給 人 の 下 に 展 開 す る 性 格 の ‑ の で あ る こ と を 示 し て い よ う 。 二 、 「 御 蔵 派 立 」

前 節 に お い て ' 従 来 の 「 御 蔵 派 」 理 解 に つ い て 否 定 的 な 見 解 を の

べ た 。 本 節 に お い て は ' そ れ で は 「 御 蔵 派 」 を い か に 理 解 す る か に

つ い て 論 述 し た い 。

ま ず 問 題 と な る で あ ろ う こ と は 「 御 蔵 派 」 と い う 名 称 そ の も の で

あ ろ う 。 従 来 の 理 解 が 成 立 す る 一 因 と し て 「 御 蔵 」 を 藩 と し て 解 し

て い た の で は な い か と 思 わ れ る の だ が 、 果 し て ' こ の 「 御 蔵 」 と は

何 を 意 味 し て い た の か 私 見 を 述 べ て み た い 。

こ の 場 合 ' 参 考 と な る の は ' 前 述 し た 「 小 知 行 派 立 」 ' ま た 「 か

.

い こ 派

水 夫 派

い っ た 用 例 に お い て , そ れ ぞ れ

知 行

「か い こ 」 「水 夫 」 と い っ た 語 句 と 「 派 立 」 が い か な る 関 係 に あ っ た

か と い う こ と で あ る 。

前 節 に お い て 「小 知 行 派 立 」 は ' 簡 単 に い え ば 藩 士 ま た は 「 小 知

行 」 に よ り 藩 に 申 し 立 て が 行 な わ れ ' 開 発 地 に 「 寄 人 」 と し て 「 小

知 行 」 が 有 村 ら れ る 形 の 派 立 で あ っ た 。 こ の 場 合 ' 「小 知 行 派 立 」

1 1

(12)

の 「 小 知 行 」 と は ' 開 発 を 申 し 立 て た 開 発 主 体 を 指 す か ' ま た は 有

付 ら れ た 「 小 知 行 」 を 意 味 し て い る か 二 通 り に 理 解 さ れ よ う 。

し か し 前 者 の 場 合 で は ' 当 然 ' 藩 士 も 含 ま れ る の で あ る か ら 必 ら

ず L も 妥 当 で あ る と は い え ず ' む し ろ 後 者 の 耕 作 者 の 身 分 性 格 を 意

味 し て い る と い う 理 解 が 正 し い の で は な い か と 思 わ れ る 。

さ ら に 「 か い こ 派 」 「 水 夫 御 派 」 と い っ た 場 合 で は ' そ れ ぞ れ 養

蚕 や 漁 業 を 行 う に あ た っ て ' そ の 物 質 的 な 基 礎 を 開 発 = 「 派 立 」 に

よ っ て 確 立 す る と い う 意 味 を 持 っ て い た も の と 思 わ れ る 。

右 の こ と を 考 え あ わ せ て 「 御 蔵 派 」 に つ い て み る な ら ば 、 特 に 「小 知 行 派 」 を 参 考 に す る と ' 「 御 蔵 派 」 と は 個 々 の 開 発 地 に 耕 作 者

と し て 有 付 ら れ た 人 間 の 身 分 が ' 「 小 知 行 」 と い っ た 身 分 で は な ‑

し て ' 地 方 知 行 制 下 に お け る 農 民 の う ち の 「 御 蔵 百 姓 」 で あ る こ と

を 意 味 し て い た の で は な い か と 思 わ れ る の で あ る 。

ま ず こ の こ と を 私 見 と し て 述 べ て お き ' 「 御 蔵 派 」 の 検 討 を 行 い '

確 認 し て み た い 。 S 延 宝 六 年 九 月 二 十 三 日 条 の ﹃ 藩 日 記 ﹄ は ' 唐 牛 与 右 衛 門 が 申 し た

て た 「 御 派 」 に つ い て の 記 事 を 所 載 し て い る 。 そ れ に よ る な ら ば '

「 今 度 被 仰 付 侯 御 派 之 儀 」 は 「 下 ハ 横 淵 よ り 上 ハ 昼 飯 鴨 場 迄 」 の

rg 窪 塁 網 可 仕 細 事 」 で あ っ た O 唐 牛 与 右 衛 門 は こ の 「 御 派 甲 止 」 ち

「 拙 者 一 分 之 物 人 に て 可 仕 」 と L t 「 寄 人 御 百 姓 仕 立 」 る こ と '

コ 堰 並 皇 網 堰 之 道 程 都 合 八 千 問 程 堰 数 七 ヶ 所 に て 堰 上 」 す る こ と を 具 体

的 に 挙 げ ' 「 地 所 皆 開 揃 候 得 而 よ り 五 年 の 間 年 季 と 御 定 被 仰 付 度 」

き 旨 を の べ ' さ ら に こ の 開 発 に つ い て は 「 従 御 公 儀 様 御 物 入 之 儀 少 も 御 入 不 被 遊 御 派 成 就 候 様 」 に と 付 け 加 え て い る 。

こ の 開 発 の 成 就 に つ い て ' す な わ ち 「 田 畑 共 千 石 開 揃 御 百 姓 共 差

上 可 申 」 き こ と が で き た 場 合 に は 、 「外 に 閑 地 一 分 之 情 」 と し て 「山 之 手 代 十 二 人 鈴 木 彦 兵 衛 山 見 之 弟 子 兼 而 よ り 申 付 候 」 に 対 し 、 「此 も の 共 三 十 石 宛 都 合 三 百 六 拾 石 」 ' ま た 「 此 外 に 御 派 之 組 頭 寄 せ

之 者 五 人 可 申 付 と 奉 存 候 」 者 に 「 一 人 五 十 石 宛 二 百 五 十 石 被 下 置 度 」

‑ と の べ て い る 。

さ ら に 砂 子 瀬 村 と 村 市 村 に つ い て ' 前 者 は 「 御 派 之 苗 代 仕 度 候 由 」

を も っ て ' 後 者 は 「御 派 取 立 申 扶 持 方 米 種 物 入 」 を 理 由 と し て ' 両

村 を 「 拙 者 支 配 」 に す る こ と を 求 め ' 村 市 村 の 六 人 の 「 御 百 姓 」 に

つ い て も ' 「 普 請 御 派 之 案 内 所 之 も の 故 存 侯 間 」 を 理 由 と し 「 自 分

支 配 」 に 仰 せ 付 け ら れ た い 旨 を 上 申 L t い ず れ も 「 随 分 入 精 取 立 可

致 申 由 与 右 衛 門 江 以 裏 判 申 渡 之 」 さ れ て い る の で あ る 。

こ の 事 例 は 多 ‑ の 問 題 点 を 含 ん で い る の で あ る が ' さ し あ た り 以

下 の 事 は 確 認 さ れ よ う 。

こ の 「 派 立 」 は 唐 牛 与 右 衛 門 が 「 被 仰 付 」 れ た こ と 。 さ ら に こ の

開 発 は 「小 知 行 派 立 」 同 様 ' 費 用 は 「 被 仰 付 」 れ た 者 の 自 費 に よ っ

て 行 な わ れ ' そ の 内 容 は 用 排 水 路 の 設 定 と 耕 作 者 の 有 付 で あ る こ と 。

ま た 成 就 に あ た っ て は 「 開 地 一 分 之 情 」 と し て の 加 増 が 認 め ら れ て

い た こ と 。 さ ら に 開 発 成 就 を 可 能 な ら し め ん が た め に 周 辺 村 落 を 開

発 人 の 「 自 分 支 配 」 と す る こ と も あ り 得 た こ と 等 で あ る 。 最 後 の 事

項 は 「小 知 行 派 立 」 の 場 合 で は 例 が な か っ た が ' 他 の 点 は ほ ぼ 同 一

で あ る 。 し か し な が ら 決 定 的 に 違 う こ と は ' 有 付 さ れ る 耕 作 者 が

12

(13)

面 百 姓 」 = 御 蔵 百 姓 で あ る こ と で あ る 。

右 の こ と を 前 述 の 考 察 と あ わ せ 考 え る な ら ば 「 御 蔵 派 」 と は ' 基

本 的 に は 「 小 知 行 派 立 」 と 同 じ 形 式 で あ る が ' そ の 差 異 は 、 そ の 有

付 に あ っ た と い え る で あ ろ う 。

こ の よ う な 特 徴 を も つ 「 御 蔵 派 」 が 成 立 す る に は ' こ の 唐 牛 与 右

衛 門 の 場 合 の 他 に 、 明 ら か に 「 小 知 行 派 立 」 の 行 き 詰 り (例 え ば t S 水 宇 損 等 ) を 途 中 か ら ' 「 御 蔵 派 」 へ 切 り 換 え さ せ た 例 も 散 見 す る

が ' こ の こ と を 以 っ て 全 面 的 な 「 小 知 行 派 立 」 の 挫 折 と 「 御 蔵 派 」

へ の 移 行 を 想 定 す る こ と は 不 可 能 で あ ろ う 。

三、

「 御 蔵 派 」 の 展 開

一 ・ 二 節 に わ た っ て 「 御 蔵 派 」 に つ い て 私 見 を 述 べ ' そ の 概 要 に

ふ れ た 。 そ の 紐 果 、 有 付 ら れ る 者 が 「 御 百 姓 」

農 民 身 分 で あ る と

い う 決 定 的 違 い に も 拘 ら ず 、 そ の 開 発 そ の も の の あ り 方 は 「 小 知 行

派 立 」 の 場 合 と 大 差 が 認 め ら れ な い こ と を 指 摘 し た 。 と す る な ら ば 、

「御 蔵 派 」 自 体 に つ い て も 矛 盾 的 要 素 を 含 ん で ‑ る の で は な い か と 思

わ れ 、 本 節 で は こ の 点 に つ い て 検 討 し て み た い 。

電 文 六 年 二 月 二 十 二 日 条 の ﹃藩 日 記 ﹄ は ' 各 「 御 派 」 に 次 の 様 な 指

令 が 藩 か ら 行 わ れ た こ と を 記 し て い る 。

ま ず 「 渡 辺 次 太 夫 取 立 御 派 」 で は 、 「 組 頭 花 田 物 ,.'.Lh '衛 」 ら 四 人 に

対 し ' 当 開 発 地 に お い て は 以 後 ' 小 知 行 の 取 立 "I (軍 用 で あ っ て 「 百

姓 と 和 合 壱 人 手 前 卜 入 り \ 積 り に 什 立 巾 候 肴 弥 組 頭 に 再 婚 付 」

Lt

も し 聞 古 姓 数 が 不 足 L L J場 合 は 彼 等 十や , r ′ る 。 同 様 、 「 佐 藤 五 郎 左 衛 門 取 立 .御 派 」 に つ い て 組 頭 二 人 と 組 子 九 人 か

ら 成 っ て い る が ' そ れ で は 組 子 が 一 人 づ つ 不 足 す る と し 、 「 弥 才 覚

仕 重 て 御 百 姓 を 仕 立 可 申 」 と 指 示 を し て い る 。

「 土 岐 弥 助 津 島 吉 右 衛 門 津 島 作 左 衛 門 取 立 御 派 」 で は ' 一 戸 弥 三

右 衛 門 に つ い て は 「 組 子 」 を 一 四 人 「 仕 立 」 て た の で 「 組 頭 」 に 申

し 付 け る と し つ つ ' 同 開 発 地 の 鈴 木 次 右 衛 門 ・ 鹿 円 次 五 右 衛 門 ・ 土

岐 安 兵 衛 に つ い て は 「組 子 不 足 」 と し て 、 「 日疋 以 来 御 百 姓 仕 立 可 申 」

と し て 「 今 迄 に 小 知 行 と 御 百 姓 と 壱 人 手 分 前 力 拾 人 宛 之 積 り に 仕 立 」 nⅦ川u

る こ と を 命 じ ' 「 不 足 に 候 ハ ゝ 並 小 知 行 に 可 被 仰 付 」 き 旨 を 付 記 し

て い る 。

最 後 に 「 太 田 市 助 三 橋 与 兵 衛 取 立 」 で は 、 「 与 頭 葛 西 七 郎 今 四 郎

左 衛 門 一二 ヒ 吉 左 萄 門 」 に つ い て ' 「 日疋 以 来 御 百 姓 を 今 迄 之 小 知 行 と

拾 人 ツ ゝ の 積 り に 仕 立 可 申 」 と L t 「 拾 人 ツ 〜 五 六 年 之 内 仕 立 兼 候 」

た 場 合 に は 「 並 小 知 行 に 可 申 付 」 さ と し て い る 。

こ れ ら 記 事 か ら 「 御 蔵 派 」 開 発 に あ っ て は 「 小 知 行 組 頭 」 一 人 に

き ' 「 小 知 行 」 と 「御 百 姓 」 と 合 わ せ 一 〇 人 が そ の 耕 作 者 と し て

取 立 ら れ る こ と が 頓 定 さ れ て い た こ と が 知 れ る 。 す な わ ち 開 発 は 右

の 人 数 を 一 単 位 と す る 開 発 に よ り 行 な わ れ て い た の で あ る 。

と こ ろ で こ の ﹃ 藩 日 記 ﹄ の 記 事 は ' そ う し た 規 定 に も か か わ ら ず '

現 実 に は 各 開 発 に お い て は 耕 作 者 数 ' 特 に 「 御

姓 」 が 不 足 し て い

る と い う 伏 悦 を 指 摘 し て い る の で あ る 。

す な わ ち ' 石 の こ と は ' 「 御 蔵 派 立 」 が

「小知

‖ 組

頭」

( お そ ら

13

(14)

‑ ' 個 々 の 開 発 の 申 請 者 ' ま た は 中 心 的 存 在 で あ っ た と 思 わ れ る )

の 「 並 小 知 行 」 へ の 身 分 的 降 格 と い う 強 制 を も あ え て 蒲 権 力 が 辞 さ

な い ほ ど に ' 現 実 に は そ の 開 発 の 主 柱 を 「 小 知 行 」 に 置 い て い た こ

と を し め L t 「 御 百 姓 」 の 有 付 は 進 行 し な か っ た こ と を 反 映 し て い

る の で あ ろ う 。

「 御 蔵 派 」 に つ い て ' 従 来 の 理 埠 を 検 討 し そ の 誤 ‑ を 明 確 に し つ

つ ' 1 定 の 実 像 を 述 べ た 。 す な わ ち ' 「 御 蔵 派 」 と は 「 直 営 新 田 」

と し て の 性 格 は 基 本 的 に 有 し て お ら ず ' そ の 開 発 に は 「 小 知 行 」 が

主 休 と な っ て い る 等 ' 「 小 知 行 派 立 」 と 類 似 が 多 ‑ ' 両 者 を 決 定 的

に 区 別 す る も の は 有 付 ら れ た 耕 作 者 の 身 分 的 相 違 で あ ‑ ' 「 御 蔵 派 」

と い う 名 称 自 休 そ こ に 起 因 し て い た こ と 。 に も 拘 ら ず ' 現 実 に は

「 御 百 姓 」 の 有 付 は 進 行 せ ず ' 「 小 知 行 」 に そ の 開 発 の 主 柱 が あ り '

そ れ に 対 し ' 藩 権 力 は 強 権 的 に 介 入 し ' 「 御 百 姓 」 の 有 付 を 行 な わ

せ て い る こ と 。 以 上 は 寛 文 期 の 「 御 蔵 派 」 の 持 っ た 特 徴 で あ ‑ ' 従

来 の 如 ‑ ' 「 小 知 行 派 立 」 か ら 「 御 蔵 派 」 へ 藩 の 新 田 政 策 が 移 行 す

る と い う 説 は 基 本 的 に 否 定 さ れ る で あ ろ う 。 そ の 場 合 ' 以 下 の 三 点 が ' 主 に 考 察 の 対 象 と な る で あ ろ う 。

l、 特 に ' 法 制 面 を 中 心 と し た 藩 権 力 の 開 発 に 対 す る 規 制 と 掌 握 。 二、 基 本 と な る 濯 概 排 水 設 備 ' そ の 藩 権 力 に よ る 管 理 。

三 、 開 発 に 伴 う 米 ‑ 生 存 物 地 代 の ' 敦 賀 ・ 大 坂 廻 米 の た め の ' 積 出 港 S へ の 領 内 輸 送 体 制 の 確 立 。

こ の う ち ' 1' に つ い て は 既 に 「小 知 行 派 立 」 と の 関 連 か ら 若 干 逮

べ て お い た の で 省 略 す る 。 ま た 二 二 ㌧ に つ い て は 藩 政 全 休 の 問 題 と し て

別 稿 に 譲 る こ と に し た い 。 そ こ で 二 t に 佳 岩 ,;を 置 い て 展 開 す る 。

第 三 章 新 田 開 発 を め ぐ る 藩 権 力 の 動 向

第 一 章 ・ 第 二 章 を 通 じ ' 寛 文 期 の 新 田 開 発 の う ち 「 小 知 行 派 立 」

「 御 蔵 派 立 」 に つ い て 検 討 し た 。 本 章 で は ' こ う し た 新 田 開 発 を め

ぐ る 藩 権 力 の 動 向 に つ い て ふ れ て み た い 。 「 濯 概 排 水 設 備 を め ぐ る 藩 権 力 の 動 向 的 そ の 具 休 例 と し て ' 土 淵

堰に

つ い て み る こ と と す る 。 こ の 用 水 路

は ' 広 須 新 田 の 用 水 確 保 を 目 的 と す る も の で あ り ' そ の 起 源 は 正 保

元 年 ま で 遡 り う る 。 初 め は 長 瀬 堰 ' 後 に 土 淵 堰 と 称 さ れ た も の で あ

る 。

こ の 津 軽 平 野 新 田 地 帯 へ の 大 用 水 路 の 一 つ で あ る 土 淵 堰 を 例 に '

延 宝 期 を 中 心 に す る こ と と す る 。

土 淵 堰 の 具 体 的 な 維 持 管 理 に つ い て ' 延 宝 五 年 に ' 蒲 用 人 岡 文 左 闇凶

衛 門 ・ 吉 村 場 左 衛 門 は 長 瀬 堰 奉 行 に 「 長 瀬 堰 奉 行 根 帳 」 が 以 っ て 指

令 し て い る 。

同 「 奉 行 根 帳 」 に よ れ ば ' こ の 堰 の 管 理 は ' 農 耕 手 順 に あ わ せ つ

つ ' 用 水 の 円 滑 な 利 用 を 定 め て お ‑ ' 特 に こ の 「 根 帳 」 が 重 点 と し

て い る こ と は ' そ の 保 護 ・ 補 修 に あ ‑ ' 堰 の 補 修 ‑ 「 普 請 」 は 「 雪

消 次 第 」 に 開 始 さ れ (第 一 条 ) ' そ の 普 請 に あ た っ て は 「 所 々 村 々

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