奈良教育大学学術リポジトリNEAR
わが国における Naturliches Turnen 研究について
著者 森 真知子
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 31
号 1
ページ 75‑83
発行年 1982‑11‑25
その他のタイトル Uber die Forschungen des naturlichen Turnens in Japan
URL http://hdl.handle.net/10105/2336
1(cult驚ミBBSI57
。c),19詰
わが国におけるNatiirliches Turnen研究について
森 真 知 子 (奈良教育大学体育学教室)
(昭和57年4月30日受理)
I. Nal拍rliches Turnenの概要
Natdniches Turnenとは、第一次大戦後のオーストリア体育改革をおし進めていったKarl Gaulhofer (1885‑1941)とMargarete Streicher (1891‑)の体育思想に冠せられた名称である。
彼らは、当時の文部大臣Otto Glockelが改革教育学(Reformp五dagogik)の思想に基づいて打 ち出した教育の三原則、 ①自己活動の原則(Selbsttatigkeit)、 ②合科教育の原則(Gesamterzieh‑
ung)、 ③郷土の原則(Bodenstandigkeit)に沿って、体育の分野での改革を具体的に進めていっ たのである。教師の号令のもとに規定された幾何学的運動を一斉に行うそれまでの形式体操を否 定し、生徒の自発性を尊重する運動財や指導方法を中心にした体育を確立してゆくことが、彼ら の主眼であった。こうして、 Natiirliches Turnenは、一方で医学的、生物学的、人間学的な学 問背景をもちながら、他方で当時盛んになりはじめていた遊戯奨励運動、スポーツ促進運動、新 体操運動、ワンダ‑フォーゲル奨励運動など、さまざまの体育運動(Leibesubungen)の潮流を 柔軟に取り入れ、統一的な体育(Korperliche Erziehung)へと発展していったのである。
因みに、形式体操を否定し、児童・生徒中心の体育へと変革していったという点では、 Natiir‑
1iches Turnenに限らず、 20世紀初めのアメリカにおける New Physical Education,フランス におけるHebertの自然的方法による体育、ドイツのBodeらに代表される新体操(Neue Gym‑
nastik)、あるいは、わが国戦後の体育なども軌を一にした現象として捉えることができるのであ る。勿論、これらそれぞれは、理論の展開や具体的な実践の仕方において、かなり異なっている。
しかし、ここでは、むしろ、 Natiirliches Turnenは世界に共通した体育現象の中の一つの流れ であるということをおさえておきたい。
Ⅱ.戦前のわが国におけるNat丘rliches Turnen研究
戦前では、森悌次郎、大谷武一らが、当時のヨ‑ロッパ体育の動向を察知し、 Natiirliches Turnenの紹介にも力を注いでいる。
まず、森は、 1928年にGaulhofer と Streicher の共著"Grundzuge des osterreichischen Volksschulturnens" (1922, Wien)1'の中の第1、 2章を部分的に訳し、 「自然体操の原理」2)とい うタイトルの本を出版している。森がこの訳書のはしかきにて「国情、人情、風俗の凡てが我が 日本とは、殆ど其の趣を異にして居る彼の地に於て考へられた所謂自然的体操が、我が日本に於 て、殊に寛今学校体操の普及徹底期に於て、どれだけの価値を持ち、どれだけの参考になるかは、
この抄訳を読む人の心々にまかせなければならぬ。」3)と述べていることからも窺えるように、こ
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の時点では、彼自身の立場は明らかにされていない。ただ、彼がヨーロッパの新しい体操の考え 方をわが国に伝えようと努力していることは明白である。さらに、森は、1931年「欧州に於ける 体操の新傾向」4)にて、オーストリーの学校体操という章を設け、Gaulhofer論文"Systemdes Schulturnens"5'の要約と"GrundzvigedesosterreichishenSchulturnens"の2、4、5、6章を 紹介している。
岩野次郎も森の延長上で、1934年…GrundziigedesosterreichischenSchulturnens"の要約 を発表している6)が、やはり、彼も自己の見解は述べていない。
また、大谷武一は、1933年、「喚国学校体操構案」7)と称して"Grundz也gedesosterreichishen Schulturnens"の中の"NaturlichesTurnen"の項を訳し、彼の指導のもとに東京高等師範学校 体育学研究室は、Gaulhofer…SystemdesSchulturnens"も紹介している。8)さらに大谷は、「習 練の必要」、9)「呼吸運動」、10)「シュトライヒエル博士の姿勢教育」11)といったテーマでNatiir‑
1ichesTurnenの考え方を断片的に伝えている。
こうしたわが国戦前の体育学者の活動を概観して言えることは、NatdnichesTurnenの研究 と言うよりは、むしろ紹介と言った方がふさわしい状況にあるということである。しかしながら、
これらの体育学者達が単に右のものを左にもってくる.という意味でNatiirlichesTurnenを紹介 したとも思えない。そこには漠然としていても彼らなりの何らかの意図が働いていたにちがいな いOそこで、彼らが、NatiirlichesTurnenのうちのどの部分をクローズアップし、どのように 紹介したかということを探ることによって、わが国戦前の体育学者達の問題意識を明らかにして いきたい。
まず、森、大谷、岩野によって紹介された"GrundzugedesosterreichischenSchulturnens"
であるが、この本は、前時代の形式体操をどのように批判的に受けとめ、そして新しい時代にふ さわしい体育をどのように創造していったらよいかという指針を示すことを目的として刊行され たものであり、しかも小学校教師を対象に、いかにわかりやすく体育に関する基本問題を明らか にするかということを主眼にしたものである。したがって、"Grundzdge"は、体育の学術的な 研究書ではなく、啓蒙書に属するというべきであろう。
ここで、"Grundziige"の章立てを紹介するとつぎのようである12)
。
1.DasnatiirlicheTurnenundseineBegriindung 2.TurnstoffundTurnunterricht
3.DieHaltungsschuleimengerenSinn 4.Stundenbilder
5.DasTurnenimSchulzimmer
6.Turnlehrplanfurdas1.bis5.SchuljahrderallgemeinenVolksschule 7.EmpfehlenswerteBucher
この中で、森の抄訳「自然体操の原理」や岩野の紹介論文「独逸体操の新傾向(七)」の対象と なったのは、1.の大部分と2.の一部であり、大谷の紹介論文「故国学校体操構案」や「ガウル ホ‑フェルの自然的体操」の対象となったのも1.の一部分である。
それでは、三者が一致して注目しているところの1.の内容はどのようなものであったのか。
これについては、稲垣が要債よくまとめている13)ので、これを参考にしてその概要を述べてみよ う。
1.では、まず、Pestalozzi教育学、最新の生理学、心理学などからの成果を援用し、さらに、
GutsMuths 以後の代表的な体育の思想家、実践家が近代ドイツ体育の発展にはたした功罪につ いて簡単な分析を試みながら、 Natiirliches Turnenの概念と目標が打ち出されている。つまり、
人間は身体的なもの(Korperliches)、心情的なもの(Seelisches)、知的なもの(Geistiges)が 不可分に結合した存在であるというPestalozziの指摘にもかかわらず、これまでの学校教育及び 学校体育では、知的なもの(Geistiges)だけを強調し、はかのものを軽視してきた。そこに、こ んにちの学校教育の歪みが生ずる最大の原因がある。したがって、もう一度人間存在の原点に立
ちかえって、児童の本性(Natur)、すなわち、身体的なもの、心情的なもの、知的なものを調和 的に発育、発達させるような教育が求められなければならない。そして、体育もこの意味での教 育に貢献しなければならないというのである。
そこで、まず、人間を「自然存在」 (Naturwesen)として把握し、教育は「人間本性」 (Men‑
shennatur)から出発し、 「全人」 (Ganzmensch)形成を目標とする総合教育(Gesamterziehung) でなければならないO そして体育も同様である。すなわち、 「身体」 (Korper)を起点(Angriffs‑
punkt)としながらもSeeleやGeistと密接にかかわりながら全人形成を目指すのである。
Natiirliches Turnenは、児童の本性を深く認識し、児童の発育、発達や運動欲求に応じた「生 物学的に有益な刺激となる」身体運動(Leibesiibungen)を活用しつつ、身体陶冶(Korperbild‑
ung)をしていくところにある。
さらに、身体陶冶の目標は、 Leistung とForm とInhaltの三者を調和させることにある。
すなわち、これら三者のいずれかが過大評価されるとき、身体陶冶は奇形を生むことになり、児 童の自然な発育、発達を妨げることになる。したがって、常に美しく、良いFormを念頭に置 きながら、精神的、情緒的なInhaltに満ちあふれていて、しかも十分に身体的なLeistungを 養成する教育によってのみ、身体陶冶の真の調和は達成されるのであるO これが、 Natiirliches Turnenの本質目標である。
以上が、概念と目標の概略であり、このあとに、児童の身体を知り、理解しなければならない こと、児童の精神生活(Seelenleben)を観察すべきこと、それぞれの運動が身体的機能に対して どのような作用をもつのかを知らなければならないこと、そこから運動価値(Ubungswert)を 特徴づけるべきこと、それによって、運動意図(Ubungsabsicht)を調節することができること などが続き、さらに、 F.A. Schmidtを引用して、運動分類の生理学的根拠などが詳しく述べら れている。
以上が、 "Grundziige"第1童の内容であるが、戦前の体育学者達がこぞって、この部分に着 目したのはなぜであろうか。それは、やはり、わが国でも第一次大戦後の好景気を背景にした自 由、解放の風潮の中で、それまでの「スウェーデン体操」と「教練」を二本柱にした体操科のあ
り方に疑問がもたれはじめていたからであろう。そして、この疑問に、当を得た形で答えている のが、ほかならぬ"Grundiige"であったのである。
体育が全人形成を目指す総合教育の一側面を担うものとして捉えられること、すなわち、体育 は、身体を起点としながらも、 SeeleやGeist と深くかかわりながら全人形成を目指すものであ ること、児童の本性を深く認識し、児童の発育、発達や運動欲求に応じた運動財や指導法が考え られなければならないこと。こういった点に、当時のわが国の先覚者達は、意識的にしろ、無意 識的にしろ、新しい空気を感じはじめていたのである。まさに、改革教育学の思想が体育という 器に乗って、海のかなたからやってきたという感がある。
さて、 "Grundzdge"のみならず、 Gaulhofer論文"System des Schulturnens"を大谷の指導
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下で、東京高等師範学校体育学研究室が紹介していることは、さすがに先見の明があると言わね ばならないであろう。というのも、このGaulhofer論文は、歴史の上からみても画期的なもの であり、同時代人として大きな影響力をもっていたドイツ人のC. DiemやE. Neuendorffの教 材体系にも大きな影響を及ぼし、また、寛在のオーストリア体育指導要領にもその影響を色濃く 残しているからである。しかし、残念ながら、戦前のわが国では、単に紹介するだけに終り、そ れをさまざまの角度から検討したり、わが国の体育指導書と比較したりする試みは行われていな いのである。
そのはか、大谷は、 「習練の必要」、 「呼吸運動」、 「シュトライヒェル博士の姿勢教育」などの テーマで「体育研究」に掲載し、 Natiirliches Turnenを断片的に紹介しているが、これらのも のは、医療体操的な色彩が強い。
以上、戦前のわが国における Natiirliches Turnen研究の動向を見渡してきたわけであるが、
つぎの点に整理することができよう。
①総じて、 Natiirliches Turnenを紹介するというレベルのものである。
②特に、 「全人形成を目指す総合教育の一側面としての体育、児童の本性に基づく体育」という 改革教育学的な理念を中心に紹介されている。
③その後のヨ‑ロッパ体育の理論形成に大きな影響を与えたGaulhofer論文"System des Schul‑
turnens"も紹介されているが、検討は全く加えられていない。
④医療体操的なものがクローズアップされて紹介されている。
これらの点をまとめると、戦前のわが国における体育学者達は、 Natiirliches Turnenの改革 教育学的な理念に対しては目を向けたものの、その理念に基づいた体育教材の捉え方や体育指導 法の原理を探究するまでには至らなかった。その証拠に、それまでのわが国における体育教材の 主流であったスウェーデン体操の延長上でしか考えられないようなテーマ(たとえば、姿勢とか 呼吸について)のみが、クローズアップされ、 Natiirliches Turnenの中心テーマといってもよ い"System des Schulturnens"は、紹介されただけで全く検討が加えられなかった、と言うこ とができよう。
こうして、戦前のわが国における Naturliches Turnen研究は、 1937年の大谷の紹介論文「ガ ウルポーフェルの自然的体操」を最後に打ち切られ、わが国は太平洋戦争に突入していったので ある。
Ⅲ.戦後のわが国におけるNat血Iiches Turnen研究
言うまでもなく、戦後のわが国は、アメリカからの影響が非常に強かったため、ヨーロッパへ の関心は、きわめて薄かったO そのため、 Natiirliches Turnen研究は、 1960年になってようや
く体育史家、成田十次郎のヨ‑ロッパ留学によって、再開されるのである。
成田は「ガウルホーファー博士やストライヒャ‑博士は、シュピース体育を批判し、ヨーロッ パ諸国に個々に芽生えていた現代的体育に目を注ぎつつ、時代の諸々の思想や学問を背景にし、
うらづけにして一つの新しい体育を創造し、それによって、オーストリーの革新を計ったのであ った。そして、国内、国際的活動を通して、今日のヨーロッパ体育の主流を形成していったoJ14) と述べ、 Natiirliches Turnenの根本を次のようにまとめている。
①体育は、知識や技術の単なる指導でなく、全人形成であること。
②体育の指導は、児童の心的、身体的発育発達に適応すること。
③教材は、自然的、有機的、生活的であること。
要するに、成田は、 Natiirliches Turnenをこれまでの上からの号令でやらされる形式的集団 秩序体操中心の「体操科」から、子どもの側に立った「体育科」への転換を要求するものとして、
捉えているのであるO 戦前の研究者達が単なる紹介にとどまっていたのに対し、成田がNatdr‑
1iches Turnenを体操科から体育科への転向点として位置づけたことは、大きな進歩であろう。
しかし、このような位置づけは、何もNatiirliches Turnenに限らず、アメリカのNew Physi‑
cal EducationやフランスのHさbertのMethode naturelle,イギリスの「スポ‑ツ教育」、ドイ ツの新体操(Neue Gymnastik)などに関しても、同様になされ得るものである。つまり、 「児童 中心」という教育的理念の体育的産物として、これらのすべてを包含することができるのである。
したがって、成田の Naturliches Turnen研究は、きわめて教育学的視点の強いものであると言 えよう。彼は、そこからもう一歩進んで、体育としてはどのような理論を展開したかという問題 には、ノー・コメントである。つまり、教育的理念は明確にしたものの、体育固有の教育手段で ある身体運動(Leibesdbungen)の理論については、全く触れていないのである.
その点を一歩進めて研究したのは、同じく体育史研究者の稲垣正浩であろう。 「Gaulhofer Streicherにおける『体育』 (Naturliches Turnen)の概念成立について」、15) 「自然体育の立場か
らみた日本の学校体育」、16) 「K.ガウルホーファーの教材体系について」17)といった一連の論文 から窺い知ることができるように、稲垣は、とりわけGaulhoferの教材体系論に注目している。
そして、一般教育学的な解釈からさらに進んで体育プロパーな関心をそれに向けているのである。
たとえば、彼はGaulhoferの"System des Schulturnens"について、つぎのようにコメントし ている。少し長くなるが、引用してみよう。
「K.ガウルポーファーによれば、分類の最優先原理は『陶冶意図』 Bildungsabsichten (ある いは『修練意図』 Ubungsabsichten)であって、運動の特性や運動そのものの価値によるのでは ない、ということである。かれは、まず、本質的な肉体の陶冶意図にしたがって、身体修練を4 つの柱(矯正、形成、作業能力、巧技)で大分類している。 ‑‑ヰ略‑‑‑ただし、最終的な教材 選択の基準ということになると、その前提となっている『陶冶意図』にかなう身体修練そのもの の価値が問われることになる。つまり、身体修練の一般的効果Gesamtwirkungを確認しなけれ ばならない。そのためには、身体修練のあり方とあらゆる側面からの研究が必要となってくる。
たとえば発育・発達、性、資質といったものから、社会、民族、文化、歴史、風土などにいたる、
きわめて多角的な研究をとおして、身体修練の一般的効果を求めていかねばならない。この研究 債域を、ガウルホ‑ファーは「修練学」 Ubungslehreと呼んでいる。このようにして、一方では 教育学的な視点から陶冶意図による『大分類』を明確に打ち出し、他方では身体修練の一般的効 果に関する研究をとおして『小分類』の科学的な根拠を求めながら、 1つの教材体系を形成して いる。つまり、陶冶意図と運動学的研究の成果とによって、教材選択の規準が定まるのであって、
唯一絶対の教材体系というものは存在しない。」18)
つまり、 Gaulhoferの教材体系論では、単に教育的理念だけが先走りして掲げられているので はなく、それが、身体修練(Leibesdbungen)を手段としたときに、実現され得るものである かどうかという吟味が、常になされるような仕組になっているのである。だからこそ、 Leibes‑
iibungenそのものの価値をさまざまの角皮から検討するUbungslehreが体育の中心的研究領域 として位置づけられているのである。稲垣がGaulhoferのSystem des Schulturnenに関心を向
80 i^un呂
けた大きな理由の一つは、このUbungslehreの構造解明という点にあると言えよう。それは、
一般教育学の単なる下請け的な研究から体育プロパーの観点をもったNatiirliches Turnen研究 への第一歩として、大きな意味をもっているのである。
Ⅳ.新しいNa仙rliches Turnen研究の方向
○スポーツ教育の台頭
周知のように、ヨーロッパ、特にドイツでは、 1970年代に入って「スポーツ教育」 (Sporter‑
ziehung)が提唱されるようになった。そのことについては、高橋が周到に研究している19)が、
それによると、体育(Leibeserziehung, Korpererziehung)ではなくて、スポーツ教育という用 語を使うようになった背景には、 ①東西ドイツのイデオロギー的問題(LeibかKorperか)の 解決、 ②スポーツの大衆化に伴う社会・文化現象としてのスポーツの認識、 ③スポーツの科学化 が挙げられる。そのうち①はドイツ特有の問題であるにしても, ②と③は、わが国にも共通した 現象として捉えることができるであろう。
それまでは、一部のエリートやプロの専有物として、社会全体からみれば、細々と存続してき たスポーツが、一気に社会・文化の中心的位置に躍り出てきたとでも言おうか1960年以後の西 ドイツのゴールデンプランや第二の道運動にみられるスポーツの大衆化運動に伴い、教科におい ても、単なる身体の発達刺激だけではなく、学校終了後も継続してスポーツを愛好するような刺 激を与えるという目標が掲げられるようになった。 (わが国では、このような考え方を「生涯体 育論」と呼ばれる。)社会におけるスポーツ活動との結合が、学校に強く求められてきているの である。体育(Leibeserziehung‑身体の教育あるいは身体による教育)ではなくて、スポーツ 教育であるとする点は、スポーツは社会・文化現象であって、単にからだを鍛える手段ではない
という認識が大きく働いているのである。
スポーツに対する社会全体の認識が高まれば、科学もそれに目を向けるようになることは当然 である。その結果、寛在では、教育の範ちゅうには納まりきれない多様な研究債域が買われてき ており、それらをどのように体系化するかという問題が盛んに論議されている。そのような過程 の中で、学問債域の総称として、スポーツ科学(Sportwissenschaft)という名称が選ばれ、それ との同質性を尊重して「スポーツ教育学」 (Sportp云dagogik)が、従来の「体育学」という名称 に代わって、出てきているのである。
体育学や体育科学という名称では具合の悪いことは、それを欧文になおしてみればよくわか る。つまり、 Science of Physical EducationやWissenschaft der Leibeserziehungという言 葉は存在しないのである。教育の範ちゅうに納まりきれないスポーツ寛象の研究に対して、体育 (‑Physical Education, Leibeserziehung‑身体教育)の科学と言うのは、不適当である。しか し、わが国では、教育以外の場でなされるスポーツ活動についても体育(たとえば、国民スポ‑
ツ大会と言わずに、国民体育大会と言う。)と呼んできた習慣もあって、なかなかその矛盾に気 がつかないでいるのである。
こうしたわが国特有の問題はともかく、スポーツの大衆化、科学化を背景に打ち立されてきた スポーツ教育は、単なる名称変更というだけでなく、理論的にも新しいものを求めつつある。こ れについて、 J.N. Schmitzは、 「環状においては、体育の構造に特有の陶冶課題の解明が優先さ れる。それまで体育は、この課題を独自の方法で解決することができず、ノ、ンディキャップを背
負っていた。体育は、長い歴史において、常に、一般教育思想に依存し、また、そのときどきの 教育理論に基づいてきた。そして、そのことによって、無理な教育的課題が委託されたこともあ る。昔の指導方針や指導要債を見ればすぐわかるように、そこでは伝統的な陶冶が吟味されない まま指示されている。確かに、体育は、そのときどきの教育理論を回避することはできないし、
それどころか、それに方向づけられる義務さえもっている。しかし、体育はその理論を具体的な 課題や可能性を背景に分析し、そのときどきに当を得たものを独自に形成しなければならないの である。どんな場合にも、吟味しないまま借用してくることを避け、そうすることによって、体 育・スポーツが、それ自体の外にある目標のために使われることのないよう、また、適切でない 課題のために意のままにされることのないよう気を配るべきである。原則的には、体育・スポー ツに対してよく出される国家的、政治的、イデオロギー的要求にも、このことは当てはまる。」20) と述べ、スポーツを手段化したときの外在的価値ではなく、スポーツそれ自体の内在的価値を理 論化すべきことを強調しているo
こうしたSchmitzらの提案に基づき、西ドイツでは、スポーツ教育の基礎理論を形成するた めに、スポーツ運動を人間学的に考察し、スポーツ独自の教育的可能性を探究する動きが出てき ているのである。それまでの「身体による教育」では、スポ‑ツは一般的教育目標を達成するた めの手段として意味をもっていたが、今や、スポーツの内在的価値が問われだしているのである。
○新しい視点
スポ‑ツ教育の基礎的な理論づけとして、スポーツ運動の内在的価値の人間学的考察が大きな 役割をはたすようになってきているが、このような認識の上に立って、NaturlichesTurnenの 理論構造を見なおしてみる必要はないだろうか。
とりわけ、Gaulhoferの教材体系論では、確かに教師の陶冶意図(Bildungsabsicht)によって 教材が分類されているわけであるが、それらは決して教育一般の目標と同謁するために悪意的に 出されたものではなく、身体運動(Leibesiibungen)そのものの内在的価値が生かされる形で提 出されているものである。したがって、NatiirlichesTurnenは、表向きは、教育改革の一部と しての体育改革であったが、理論的には、すでに今日的問題(身体運動Leibesdbungenやスポ ーツの内在的価値を問う)と取り組んでいたことになる。このことから、今後のNatiirliches Turnen研究では、GaulhoferやStreicherのLeibesiibungenそのものに関する考察の土台に なっているものは何かということが中心テーマになるであろう。
1960年以後のスポーツ教育学では、スポーツ運動の基本形態を人間学的に考察することが重要 な課題となっているが、その代表者でもあるGrupeは、運動(Bewegung)とプレイ(Spiel)
を二本柱にしながら、スポーツ運動の教育的可能性を導いている21)
。このような理論の原点が
NaturlichesTurnenにあったのかどうかということも確められなければならないであろう。
先に述べたNatiirlichesTurnenの概要のところでは、アメリカのNewPhysicalEducationや フランスのMethodenaturelle,ドイツのNeueGymnastikなどの並んで、NatiirlichesTurnen は、児童の側に立つ全人形成としての体育の出発点として位置づけられると説明した。確かにそ のとおりである。しかし、今後の研究では、それらを十把ひとからげに扱うのではなく、それぞ れがどのような固有の理論を展開したかということに関心が注がれなければならないであろう。
従来の形式体操の克服という点では共通していても、その克服の仕方や理論の展開の仕方は、全 部異なるはずである。そして、このような問題へのアプローチは、それぞれが、スポーツあるい
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は身体運動(Leibesiibungen)の内在的価値をどう見たか、そして、どう理論化したかという点 に着目することによって、可能となるのである。
註及び引用
1) GaulhoferとStreicherが共著で出版した最初の本O同書は、 1924年にタイトルを"Grundzdge des ost‑
erreichischen Schulturnens"と変えて改訂版が出され、以後、このタイトルのもとに第3版(1927)、第4 版(1949)が出されている。
2)森陣次郎:自然体操の原理1928年 目黒書店 3)同 上:2頁
4)森悌次郎:欧州における体操の新傾向 学校体育文庫第12巻1931年 ‑誠杜
5) Gaulholer, K.: System des Schulturnens (1927) in: Natiirliches Turnen, Bd. 2. 1930. Wien 6)岩野次郎:独逸体操の新傾向(t)体育と競技、第13巻、第3号1934年
7)大谷武一:填国学校体操構案 体育研究、第1巻、第4号1933年
なお、同内容は、新教育体操(目黒書店、 1937年)の中の「ガウルホ‑フェルの自然的体操」においても紹 介されている。
8)体育学研究室:ガウルホーフェルの学校体操 体育と競技、第14巻、第12号1935年 9)大谷武一:習練の必要 体育研究、第1巻、第5号1933年
10)大谷武一:呼吸運動 体育研究、第2巻、第3号1934年
ll)大谷武一:シュトライヒェル博士の「姿勢教育」体育研究、第3巻、第2号1935年 12) "Grundzuge des osterreichischischien Volksschulturnens"第1版(1922)を参考にした0
13)稲垣正浩、岸野雄三:自然体育(Natiirliches Turnen)の研究 東京教育大学体育学部紀要、第11巻1972 年1‑12頁
14)成田十次郎:オーストリーの体育見聞記E)学校体育、 1962年5月 55頁
15)稲垣正浩: Gaulhofer・Streicherにおける「体育」 (Na仙rliches Turnen)の概念成立について、体育学研 究K‑1 1963年 232頁
16)稲垣正浩:自然体育の立場からみた日本の学校体育 月刊体育、第2巻、 5月号1971年 24‑27頁 17)稲垣正浩: K.ガウルホ‑ファーの教材体系について 体育の科学、 1976年4月 512‑516頁 18)同 上:514・515頁
19)高橋健夫:西ドイツの体育・スポーツ 体育科教育、 1978年10月増刊号 82‑85頁
20) Schmitz, J.N.: Fachdidaktische Analyen und Grundlagen, 3. Aufl. 1972. Karl Hofmann, S. 138
21) Grupe, 0.: Einfahrung in die Theorie der Leibeserziehung. 1968, Karl Hofmann
Uber die Forschungen des nat山ichen Turnens in Japan
Machiko Mori
(Seminar der Leibeserziehung, P&dagogishe Hochschule Nara, Japan) (Am 30. April 1982 angenommen)
Zusammenfassung
1. Grundriss des naturlichen Turnens
Das natiirliche Turnen wird unter den Gedanken der osterreichischen Turnreformern (Gaulhofer‑Streicher) nach dem ersten Weltkrieg verstanden. Das vorziehte sich im Zusam‑
menhang mit der reformpadagogischen Bewegungen und integrierte in hohem Mass die gesamten zeitgenossischen medizinischen, biologisch‑anthropologischen Erkenntnisse mit den aktuellen Stromungen in den Leibesiibungen (Schwedische Gymnastik, Spiel‑, Sport‑, Gym‑
nastik‑ und Wander‑Bewegung) zu einer einheitlichen "korperliche Erziehung"
2. Die Forschungen des natiirlichen Turnen vor dem zweiten Weltkrieg in Japan
Einige Forschern haben das natiirliche Turnen beachtet und vor allem "Grundzdge des osterreichischen Schulturnens" und "System des Schulturnens" ins japanisch iibersetzt. Aber ihre Einstellungen zum natiirlichen Turnen waren nicht klar.
3. Die Forschungen des natiirlichen Turnen nach dem zweiten Weltkrieg in Japan
Das natiirliche Turnen wurde zuerst neben dem amerkanischen …New Physical Educa‑
tion", dem franzozischen "Methode naturelle" von Hebert usw. als die Leibeserziehung "vom Kind aus" interpretiert. Und die fachdidaktische Interesse liegte im System des Schultur‑
nens von Gaulhofer.
4. Die neue Richtung
Das natiirliche Turnen soil nicht nur unter dem allgemeinen padagogischen Gesichtpunkt interpretiert, sondern auch fachspezi丘sch erforscht werden, indem die Frage gestellt wird, ob und wie das natiirliche Turnen hinsichtlich der sachlichen Strukturelemente von Leibes・
iibungen und Sportformen die ermittelten Bildungsaufgabe gestellt wird.