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法 と 人 間 (4)

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(1)

法 と 人 間 (4)

野  阪  滋  男

目 次      「すべての外部からの働きかけは,一般にその個 1 はじめに       人にとっての健康と幸福を増進するよう図らねば

∬ 道徳的人間と法的人間       ならないこと」を意味している。死の告知の問題 皿政治的人間と法的人間(以上本誌第46号,1982)   は主として前者に関連する。つぎに 自己決定の

】〉 法の理念からみた人間像(以上本誌第50号,1985)  原則 を重要な支柱とする人間尊重という観点で V法の道徳との関係からみた人間像其の一     ある。その意味するところは, 個人は主体性を

1.医師・患者間の倫理への接近         持った存在として遇されるべきであり,主体性を 2.法の非倫理化       失った個人は保護される権利がある ということ 3.「死の告知」をめぐって       である。死の告知に関していえば,患者は予後に 一医師の説明義務の一場面一       ついての情報を与えられ,治療選択についての決 4.ガンで逝った人からのメッセージ       定ができるようにすべしということになる。そし

(以上本誌第52号,1986)  て患者は,直接あるいは適切な インフォームド 同 其のニ       コンセント 〈十分に情報を与えられたうえでの 5ボ倫理原則と市民・患者・看護者の意識      同意〉の過程を経て,幸福増進と自己決定のバラ α 諸家の見解にみる死の告知      ンスをはかるべきものとされた。

7.国民的調査結果のもつ意味と倫理 (以上本号)   そのうち,インフォームドコンセントの実施状 況に関して,種々の病院医療の現場における患者 と医療関係者との相互関係に関する調査が実施さ V法と道徳との関係からみた人間像    れた。それらの結果を比較検討した結果,慢性疾

其の二  患の患者を除いて,実際の問題としての医師。患 5 倫理原則と市民・患者・看護者の意識    者間のコミュニケーションは,法律が想定してい 1983年に公にされたアメリカ大統領委員会報告  るようなインフォームドコンセントとはかけ離れ r医療に関する意思決建当によると,同委員会は  たものであることが示された。

三つの重要な倫理原則に注意を喚起した。すなわ   またガンの告知に関する同委員会の調査による ちそれは,①人々の幸福は押し進められるべき と,下謙示すように告知するのが一般的となっ こと,② 人々の価値観や選択権は尊重されるべ  ており,告知の是非の問題は,この30年間で克服 きこと,③ 人々は公平に処遇されるべきこと,  されたかの感を抱かしめる。しかし,上述のよう であった。「幸福を増進する義務」は,消極的な  にインフォームドコンセントに関する状況からみ 意味では,所謂ヒポクラテスの宣誓にあるように,  ると,医療の実際において告知が一般的になった 患者に 害を与えない ということである。内容  というだけで,告知の是非の問題が解消されたわ 的には,「極度の慎重さをもって医療を実践する  けではなさそうである。

こと,各段階を慎重に秤量して行うべきこと」と   一方わが厚生省は,昭和60年9月に,「胃がん

理解される。さらにそれは,積極的な意味では,  の検診と告知」に関する調査を行なった。その結

(2)

22       茨城大学政経学会雑誌 第53号

癌の告知に関するアメリカ大統領委員会調査 一般人への質問

問: 医師が,あなたが癌であると診断した場合,あなたは告知されることを望みますか,それと も告知されないで治療されることを望みますか。

(対象者数1.251人)

告知して欲しい。       96%

告知しないで治療して欲しい。      3 わからない。      1

問: 1年以内に死に至る癌を患った場合にあなたは,医師が具体的にあなたの余命を告げること を望みますか,それとも望みませんか。

(対象者数1.251人)

具体的に告げてほしい。         85%

告げないで欲しい。      14 わからない。      2 医師への質問

問: あなたが患者に末期肺癌と診断を下した場合,あなたは,どのように,その事実を患者に告 げますか。次のうちから選んで下さい。

(対象者数805人)

癌の進行度と予後について統計的な

事実のみを告げる。         13%

どの位生きられるかの期間は告げないが,

その期間がそう長いものではないこと を強調する。       33 どの位生きられるかの期間は告げないが,

1年以上は生きられないことを強調する。28 余命については告げない。       22 わからない。       5

資料:Making Health Care Decisions

        (3}

ハを報ずる新聞記事によると,詳細はわからない    した理由はなにか。

が,30歳以上の約2万8千人が対象とされた。以    知らせると,がっくりくると思うから(47%)

下関連部分の結果をここに示すことにする。      うまく知らせる自信がないから(26%)

①検査で仮に胃がんがみつかったら,知らせ    自分がなっても,知りたくないから(12%)

てもらいたいかどうか。       この調査の対象となった者の4割が,胃のレン 知らせてほしい(57%)      トゲン検査を一度も受けたことのない人である。

知らせてほしくない(21%)        定期的に検診を受けている者は16%にすぎない。

どちらともいえない(22%)        とすると,この意識調査がどれほどの意味がある

②検査で家族が胃がんとわかったとき,本人  か,いさ、か疑問がないわけではない。前稿で紹    にそのことを告げるか。      介したアメリカにおける1950年代の調査では,い 知らせる(19%)       ずれの対象も患者であった。この種の調査は,そ 知らせない(44%)      の目的によって対象者が,医師であったり,ガン どちらともいえない(37%)        患者であったり,一般人(健康な者)であったり

③ 家族に知らせない,どちらともいえないと  する。「ガンの宣告」「ガンの告知」という表現

(3)

野阪:法と人間(4)      23

が示すように,医療行為が,医療主体である医者  ある妻の希望は無視され,患者とその妻を前にし の側からする一方的な行為であるとするならば,  ての冷厳なる事実の告知という方法は,医療が医 医師に対して意見,方針等を調査することは意味  師,患者間の信頼関係の上にのみ成り立つものと がある。また医療行為が,法律上正当化されるた  するならば,結果的にそれをぶちこわすものであ めには・その事の性質上,「患者の同意・希望」  ろう。こうした事態になった以上,医師の当初の が前提とされるので,患者に対する調査も意味が  意図とは逆に,「後の治療に差しつかえ」になっ ある。かような意味で,今回の調査は,一般人へ  たかもしれない。患者本人の意思により,その後 のものであり,社会的合意が得られるや否やとい  の治療効果を考えての事実の告知を是とするも,

う点では参考となるが,一種の傍観者の意識調査  その告知方法,態度等に一考を要する場合もある の域を脱しえないというべきかもしれない。    ことをこの事例は教えている。事実をありのまま ところで・調査結果が報道された数日後,新聞  かくすところなく告げるべきだといっても,医療 投書欄に,「あまりにも冷酷肺がんの宣告」と  (行為)にあっては,それがかならずしも最善で        凶

閧キる65歳の主婦の声が載った。患者(夫)は宣  あるということにはならないのである。

告を希望し,家族(妻)は知らせないことが思い   これに反して,同じく肺がんの宣告でも,逆の やりだと思ったようである。      結果となり,見事な生の燃焼という結果を導いた

「(前略) 夫は一昨年,末期の肺がんと  と思われる事例もある。先の厚生省の調査結果が 診断されました。私は『絶対に本人には知ら  報道されるおよそ1ケ月前に,50歳の婦人から,

せないでほしい』と懇願しました。担当医は  「r貴い命』身で示した夫」と題する投稿があっ r本人から本当の事を告げてほしい,と言わ  た曹)10年前の出来事ではあるが,その人の夫,そ れているから,うそはつけない。まして,今  してその夫を中心とした家族の充実した生が窺い 後の治療にも差しつかえる』と言われました。  えて,教えられるところがある。

rそれではごく初期とか,場所が悪く手術が     「(前略) 病院から帰った夫がr死刑の できないと告げて下さい』と嘆願しました。    宣告だ。肺がんで,長くて六カ月,早くて三

しかし,数日後担当医は夫と私を前にして    カ月だっ』しぼり出すような声でした。突然,

rあなたの肺がんは,第五段階の五,病状は    光も色も消えてしまった茶の間で,私たちは 既に三期です』と宣告したのです。医師が自    声もなく震えていました。

分の立場を守るためのこうした高慢な発言,     rどうして,何も悪いこともしないのに。

家族の言葉を無視しての行為は許されるもの    中学生になったばかりの息子,小学校に入っ でしようか。これでは必死な家族の患者への    たばかりの娘をどうするんだ』。うめくよう 思いやりも悲願も葬り去られてしまいます。    な夫のことばでした。

入院患者は家族にとってr人質』同然です。     rお父さん大丈夫?』心配そうな子供たち 激しい怒りを抑えながらも,担当医に尊敬の    に,どう言ったらよいか,涙で声も出ません。

そぶりを続けなければならないのです。どう    ぼうぜんと過ごした一週間。夫は『できるか か,世のお医者様たち,人間としての温かさ    ぎり,頑張る』と入院しました。それからで をもう少し持って下さい。」      す,すさまじいまでの生への闘いがはじまっ 医師は,何よりも,患者本人の希望を尊重すべ    たのは。カキの葉,サルのこしかけ,オウレ し,それこそが医療の原点だとすれば,この医師    ン……。良いというものは,何でも試しまし の為したこと一患者本人の言葉を文字通り受け    た。

とめて率直に事実を告知したこと〜は批判(非     夜は消灯前のひととき,息子に将来,生き

難)されるべきではなかろう。しかし,近親者で    て行くうえでの支えのひとつにもなれば,と

(4)

24      茨城大学政経学会雑誌 第53号

万葉集のうた,先人の格言を英訳して暗記さ  重してもらいたい」

せました。娘には童話を一話ずつでした。    医師は,乞われて澤野のエッセイを読んでいた。

せめて中学を卒業するまで生きていてやり  そして,いよいよ「ガンの告知」のその時の様子 たい,と入退院をくり返しました。最後に気  を澤野はつぎのように書いている。

管支切開をうけ,r一日でも頑張りたい』と,     「十分後に,私は鶴川医院の奥の座敷に坐 必死でジュースを飲み込む夫の姿は,涙なく    っていた。斜めうしろには,妻が坐っていた。

しては見られませんでした。      やがて襖がひらいて,医師が姿を見せる。そ 診断を受けてから一年,夫は息子の期末テ    の顔に,微かな困惑の色を滲ませて,またあ ストの終った日に亡くなりました。41歳でし    の優しい微笑がうかんでいた。

た。(後略)」      r本を読ませてもらいました。青木先生たち この事例におけるガンの宣告は,患者が,その    にも読んでもらいました。あなたの書いてい 告知を望んでいたかどうかは不明であるが,症状    らっしゃることには,私も百パーセント賛成 の説明から死期(予後)まで告知をしているよう    です。』

ではある。宣告後のショックをのりこえ,限られ     しかし,医師は洋服を着ていながら,礼儀 た自分自身の生命を燃焼しえたのは,酷な表現か    正しく膝を折って坐った。それが,これから もしれないが,医師が患者自身に,率直に事実を    口にしようとしていることの重大さを暗示し 告知したればこそと思われる。40歳という若さの    ていた。

患者は,なによりも第一に,学童期にある二児の    rあなたはノト説家だし,色々なことをよく知っ 父親として,「今自分が何を為すべきか」を考え    ていらっしゃる,考えてもいらっしゃる。』

たに違いない。ここには,患者と医師との関係に     私は,医師が私に言おうと決心しながら,

ついては記されていないが,医師の告知の仕方や    それでも言い澱んでいる部分を察した。

態度は多分適切であったのであろうし,宣告後の    一こんないいお医者さんに,余り苦労を 患者の生き方から推し測ると,患者がそうした些    させていけない。

事否重大事を超越するだけの強靱な精神力をもっ    rガンですか。』

ていたのかもしれない。      私は,一番率直な形で,質問を投げつけた。        (6}

@「ガンからの生還」を果した作家澤野久雄の言     鍔ぜり合いは,一瞬の間に解けた。

は,医師と患者との好ましい関係を背景に,「ガ    『ガンといっても,本当に初期のものです。

ンの宣告」をうけた。澤野自身,「どんな死を望    切ってしまえば,今なら完全に癒ります。』」

むか」というエッセイのなかで,自らの立場を示   医師の口からガンという言葉を耳にした澤野の していた。      心に,奇妙にも,してやったりという喜びが湧い

「自分が病んだ時,自分の病気については  てきたというのである。ガンに関してはとかく口 正確に知っていたい。ガンに罹ると,医師た  の固い(日本中の)医師から,とうとう真実をひ ちの多くはそれを患者に隠すものらしいが,  き出してやった,そして,「一ああ,俺はその 私は死ぬ時まで真実を隠されたり,だまされ  『最後の時』だけは,だまされずにすんだ」こと たりするのはいやだ。出来ることなら死の一,  をよろこんだというのであった。ガンの告知に関 ニカ月前には,死の予告を受けたい。そうす  して,医師の独断と驕りに憤る澤野にしてみれば れば私は,当然,処理しておくべきことを正  自然な気持であったろう。その思いは厳しい。

確に処理して死ぬだろう。……最後に,人間     「日本のある高名な医師は,その著書の中 というものは,自分の意志に関係なく生まれ    で次のように言っている。

てくるものだ。死ぬ時ぐらい自分の意志を尊    rガン患者が医師に向かって,偽らずに事実

(5)

野阪:法と人間(4}       25

を教えてくれと言う場合,その患者は彼がガ    るものか責任がもてないといった不安があ ンに罹っているのではないという証言をほし    る。」

がっているのだ。』      〔事例2〕 38歳の男性の舌ガン患者

なるほど,そういうことはあるかもしれな   第一回目の手術が予想外に難航し,入院当初か い。もし彼がまだ若ければ,そして彼を必要  らのムンテラは大分異った方向へ進展しつつあっ とする多くの係累を抱えていれば,一更に  た。術後の回復もはかばかしくなく,舌半側切除,

は,彼自身がその将来に小さからぬ野心や願  喉頭全摘などの再手術の必要性が話された後は,

望をいだいていたら,彼は医師からガンでは  そのショックも強く放射線科医師への不信,不 ないという保証を得たいであろう。しかし,  満を訴え,病気がガンではないかという不安感,

すべての患者がそうであると断定することは,  声だけは失いたくないという強い希望を訴えるよ ガンに罹ったことのない医師の独断ではない  うになった。確実に自分の病気が悪い方向へ進ん のか。私はこんなことを広言する医師の内部  でいることを患者は自覚したのであろう,「オレ に,許しがたい驕りを感じずにはいられな  の体はどうなっているのだ」「本当のことを教え い。」       てくれ」「オレは囚人か,オレは人間だ」と訴え ところで病名や死の告知をしない場合,時とし  るようになった。患者の妻にだけ真実が知らされ て,その看護にあたる者に迷いが生ずる。以下に  たが,患者に対しては,最後までなに一つ真実が 示す四例は,もし病名や死の告知をしていたら,  話されななかった。看護婦はつぎのように述懐す

またちがった生の燃焼ということがあったかもし  る。

      17)

黷ネいという事例である。      「看護婦間では,Aさんはむずかしい患者,

〔事例1〕 42歳の男性の胃ガン患者        こわい患者というレッテルをはられ,Aさん 胃全摘術後8ケ月で再発,病状名は手術前は胃    を積極的に訪問したがらなかった。また訪問 潰瘍,再発時は腸癒着とムンテラ,妻は本当のこ    してもできるだけ短時間で切り上げ,呼びと とを知っていたが,本人は最後までムンテラを信    められたくない,何を質問されるかわからな じていた。最後になって,衰弱がひどく苦しい状    いし返答にも困ってしまうなどと,まったく 態とはなったが,予後が悪いことも知らせておら    逃げこしの看護しかできなかった。……Aさ ず,患者は死までは考えていなかったようである。    んの怒りを受けとめ,その怒りが何を意味し 家人は,諦めてはいたものの,急激な死の転帰に    ているのかを探り,妻を助けたならば,Aさ 動揺を示したという。患者が亡くなった後で,妻    んは妻に感謝しつつ死を迎えることができた が看護婦に述懐するところによると,「よくして    のではないだろうか。」

いただいて思い残すことはただ一つをのぞいて何   〔事例3〕 39歳の男性の肝臓ガン患者 もない。そのただ一つとは,最初の手術を終えた   医師は肝炎とのみ説明し,発熱が持続していた とき,ガンだと言ってほしかった」というのであ  が,患者は病気に対しての疑問をあまり抱かず,

る。「主人はとても強い人だったから,ガンだと  外泊をすすめた際も,「すっかり治ってから帰り 言われてもきっとそれを乗り越えて,残された同  ます」といったようで,退院できるとさえ思って

じ8カ月間でも,やりたいことをやり,2人でもっ  いたようである。8カ月入院の後亡くなった。看 と有意義に生きることができたかもしれない」と  護婦は述懐する。

いうのであった。看護婦はっぎのように述懐する。     「39歳という年齢,ローン返済中,理容師,

「第一の問題は私自身が ガンの宣告 と    子ども2人,妻のことなど考えると,残され

いう問題から逃げていることにあると思う。    た期間をもっと有効に使ってもらうことはで

それを言った後,自分がその患者を支えきれ    きなかったものかと心残りである。

(6)

26      茨城大学政経学会雑誌 第53号

一度,医師をまじえて,病名を告げたほう   医師はそのまま応対せず,患者もそれ以上の質 がよいのではと話し合いをもったが,うやむ  問はしない。この患者は苦痛を伴う治療に対して やにされ,そのままになってしまった。その  も,言葉は柔らかいがはっきりと意見を主張し断 とき,もっと私には,言い続けることが必要  る。自立心も強く,自分の病気を客観的にながめ,

だったと思う。      他の人への配慮も示す。病状が悪化してくると,

今でも,この患者に対し,病名を告げて残   「ガン」うんぬんは一言もいわなくなったが,新 された期間をもっと有効に,何か残すことが  聞のrガンシリーズ』はずっと読み続けていた。

できたらなあ,という思いと,最後まで肝炎  振り返って看護婦は述懐する。

と信じ,疑うことをせず,苦しまずに亡くなっ     「もはやガンであろうがなかろうが,死は ていき,それで幸せだったのかなあ,という    肉体のかなりの部分を侵しているので, 痛 思いが交互に頭をかすめる。ただ一つ言える    み という身体への対処が中心となり,訪室 ことは,末期患者に対したとき,うそは言い    のためらいは軽くなったような気がする。そ たくない,へたななぐさめを言うのはよそう,    れに,家族とかかわることで患者を見捨てて 誠意をもって接し,援助していきたいという    はいないという自己満足もあった。でも,今 ことである。」      私は反省させられる。あの,鋭く追及してい

〔事例4〕 56歳の女性の乳ガン患者        た時期を大切にしなくては,ガンを宣告する 左乳房根治術を行なってから2年半で乳ガン再    しないではなく,患者が不安に揺れている 発での入院であった。「私はガンでしょ」と患者    rその時』にとどまっていないと,もうその から言われた際の,看護婦との対話は次のような    時はもどらない、と。鼻汁をたらし,ときに

ものであった。      は上半身裸になって支離滅裂なことを言った 患者:また胸に水がたまっているような気が    りして,この患者の個性が失われる前に,で

する。ガン性肋膜炎かしら。○○さん    ある。」

も胃潰瘍と言われているけど,腹水た

まっているから胃ガンでしょう。外国     (1)厚生省医務局医事課監訳rアメリカ大統領委 では患者にガン宣告するのに,日本で     員会生命倫理総括レポート』(昭和59年)86頁,

はどうして隠すのかしら,言ってほし     20頁参照。800人の医師と1250人の一般成人へ いのに。       のインタビューの結果,「一般人と医師は,患 看護婦:日本と外国では宗教も違うし,なかな     者が自分の状態と治療について可能な限りすべ

か受け入れられないのではないかしら。     ての情報を手に入れる権利を有していること,

患 者:私は言ってほしい。かくしても身体の     患者は大かたそのような情報を知りたいと望ん 末期症状でわかってくる。渡辺淳一の     でいるという点で一致していた」と報告してい 本にも書いてあった。ここに入院する     る。

前に開業医に行ったが,そこで手術の     ②厚生省健康政策局医事課編r生命と倫理につ 傷あとを見て,乳ガンと指摘され,医     いて考える一生命と倫理に関する懇談報告』

師と看護婦がガン性肋膜炎と言ってい      (1985年)161頁による。

るのを聞いてしまった。       (3》朝日新聞昭61・6・12 患者は回診の医師に対しても明確な質問をする。    (4)朝日新聞昭61・6・25「声」

患者:今,こんな状態なのに,末期になった    (5)朝日新聞61・5・9「ひととき」

らどうなるんですか。      ㈲澤野久雄r生きていた一「ガン」からの生還』

医 師:えっ,末期?       (昭和60年)

(7)

野阪:法と人間{4)      27

(71日本看護協会編r死の看護事例集」(1984年)    のは,迷い惑っている最たるものでございま す。既にこれこれの症状では施す術がないと

6諸家の見解にみる死の告知  。、   知った時には・医師は必要なしとはいえ,ど囚αWフーフェランドにみる『医戒』      うして人間としてこれを憐まないでおられま

Christoph Wilhelm Hufeland(1762〜1836)    しようか。一たとえ苦痛がはなはだしい者 は,カントやゲーテやシェリングの影響を直接的,    とはいえ,なおる希望のある時は,これに耐 間接的に受けつつ,いわゆる 生気論 を展開す    えることもできるでしょう。しかし既に回復 るが,当時のヨーロッパばかりでなく,わが国に    する希望もなく,劇痛・苦悶に耐えがたい患 も杉田成卿や緒方洪庵らによって,伝えられた。    者にあっては,医師としては,最大の友愛と ユ床医としてのフーフェランドは,徹底したヒポ   犠櫨ぞあわれみといつくしみ)をそそがねば クラテス・パターンの人だとされ,その著r医戒』    なりません。こうした切迫した時にこそ,患 は,当時のドイツの「その時代の道徳律,理性の    者をしてその生をいとうような心境においこ 練磨と良心の命ずる義務を果すことの歓び」をそ    まず,さらにまさに消減しようとする希望が の基本にすえたものと評されている。        消えないよういっそう力づけて,たとえ生を 徳川末期から,わが医師間に爆発的に強くひろ    まっとうさせることがかなわずとも,これを がり,延々として現代まで,この著『医戒』が,    慰めるのは,これこそく仁〉の最大なるもの わが国の「医の倫理」として,なんらかの形でい    ではございませんか。」

きているとされる。とすると,単にこのフーフェ   まさに「醤術ハ仁ヲ艦スルノ貴術」だというの ランドの所見は,単にわが国「幕末の西欧医学思  である。

想」にとどまらず,わが国におけるヒポクラテス   さらに医師は,その技術によってばかりでなく,

の誓ともいうべきものといってもよいのかもしれ  何気なく用いたことばでも患者に害を及ぼし,そ ない。       の生命を短くしてしまうこともある。患者にとっ

医術の根元は,「病メル者ヲ見テコレヲ救ハム  て,「恐,悶,驚」の三者はもっとも害であり,

ト欲スル情意」にあり,医家は,「他ノ生命ヲ保  医師はこれを避けるべく心せねばならないという 全シ2他ノ健康ヲ同復シ,他ノ痛苦ヲ緩解スル」  のである。

ことを最大の目的とする。そして,医術を行なう     「医師はただその術をもってだけでなく,

に際しては,最大の注意,最高の精密さと最善の    ことばをもってしても,よく患者の命を短く 配慮を致せば,医家と患者との間に「交感」が生    してしまうものでございます。もちろん医師 まれ,「病者ハ馨ヲ信ズルコト最モ深ク,書ハ病    が意図してこれをするわけではございません。

者ヲ察スルコト最モ至ルコト」ができる。そして,    しかし,意識しないでも,結局は患者に死を 患者が不治の病に罹っている場合でも同様である。    うながすに至ることがございます。でござい

「医師というものは,ただ一般的に病を治    ますか〉ら,医師は,常にこれを戒め慎み,患 療するのみではなく,不治といわれる疾病に    者を畏縮させたり,その勇気をそこなうよう

あたっても,患者の生命を保全し,その苦痛    なことがらは,これをすべてさけねばなりま をやわらげるということが職務であり,一つ    せん。これこそが医師の高貴,霊妙な職務で の功徳でございます。それなのに,医師は患    ございます。およそ患者のために有害であっ 者の病が不治であると診断決定した時に,そ    たり,その命を短くさせるようなことは,ど の医師が勇進の意気をうしない,ついには患    んな小さなことでも,医師の方からこれを示 者をないがしろにし,時にはこれをうちすて    してはなりません。医師たるものは,その言 て顧みないものがございます。このようなも   語・態度・風貌において,必ずきちんとして

(8)

28       野阪:法と人間㈲

さわやかでなければなりません。病人という  起る良心の問題すなわち,特定の倫理問題」に ものが,自分から死生を疑うようになります  ついて論述している。本書は,いわゆる「医学の と,己れのかかっている医師を見て,そして,  倫理」を取り扱ったものではないとされながらも,

己れの死生を決しようと考えるものでござい  「医療の倫理」にはいさ、かの貢献ができること ます。」       を願っているとされる。

いわんや,病気の重篤なることやその死期など   J・Fletcherは,医療的診断を「真実を知る を告げることは,「豊悪ムベキノ甚シキナラズヤ」  われわれの権利」 (Medical Diagnosis:Our

ということになる。      Right to Know the Truth)として位置づける。

「医師のある者は病人にその病が危機に近  「患者は真実を知る権利をもっている。われわれ いことを告げたり,またはとうてい助からぬ  は人の正当な権利を生かす道徳的義務をもってい と死すべきを告げてかくさないものがござい  る。それゆえ,医師は患者に真実を告げなければ ます。こういう医師は,何と憎むべきの甚し  ならない。医師は,自分の医師としての技術,治 いものではございませんか。また反対に,患  療に責任をもたなければならないが,同程度に患 者の親巻が医師にむかって,病人の生死を詰  者に真実をつくす責任を負うている。」

問することがございますが,このようなこと   そもそも患者は,モノ(anεε)ではなく,問題 は,どうして人道にそむかぬということがで  をもった人間であり,それ故に,医師との関係で きましょうか。      は,ひとりの人であり,ナンヂ(a漁oω)として およそあらかじめ人間の生死をうらなうこ  でなければならない。このことの倫理的意味は,

となどは医師のかかわり知ったことではござ  医師は,患者に対し,人間中心的態度で接すべき いませんし,医師にこれを問うことができる  だということになる。

ものでもございません。       「もし,患者が自分の状態と疾患の予後を

〈死を告げる〉とは〈死を与える〉と名づ    まったく知らないで,たんに医療の対象と けるのでございます。医師というものは元来,    されるとき,その患者はナンヂであること 生を保全するのが仕事でございます。どうし   をやめ,ソレとなってしまっている。彼は て〈死を与える〉ことができましようか。も    モノとしてあやつられているのであって,人

しも患者が,さらに理屈をもって論議しなけ    として扱われていないし,また,認められ ればならぬことがあるという名目で,自分の    てもいない。彼は良心の裁き(the forum of 病気の真の姿を知りたいと求めても,決して    conscienece)において自分の場をもたず,責

すぐに,その患者の生きる希望を絶たせるよ    任性を奪われしたがって道徳的地位をも失っ うなことをしてはなりません。         ている。」

わたくしはかって二人の患者を知っており   本来真実と信頼とは,つねに一緒に相伴うもの ました。名医もその患者の懇切な願いに動か  で,この二つは,相互に要求し前提とし合う。真 されて,ついに,患者の病が不治であること  実を語ること,それは,ナンヂとナンヂとかわり を告げたのでございます。それから日ならず  合う医師と患者との関係にあって本質的なもの

して,その病人は自尽(自殺)してしまいま  で,真実を告げることを差控えるということは,

 した。」      患者が大人ではなく小児か白痴であり,ナンジと      (2)

、よフレッチャーにみるr道徳と医療』    いうよりソレとされているのにほかならない,と Joseph Fletcherは,プロテスタント神学者で  Fletcherはいう。

あるが,1954年にr道徳と医療』と題する著書を     「臨機応変の虚言は不可避的に破壊的結果

あらわした。そのなかで彼は,「医療のあいだに    をうむ。虚言が虚偽により直接的になされよ

(9)

茨城大学政経学会雑誌 第53号      29

うが,真実を明かさないことにより間接的に    状態での診断を下す場合でも,思わしくない なされようが,そこに何らの実質的差異はな    予後を確かめる場合もそうである。

い。虚言は人間の信頼関係をおびやかし,相     患者が何も質問をしないからといって,質 互的信頼の一要素を取去る。信頼的人間関係    問したいことがないわけではない。ただ一回 のないとき,医療は決して人間に対する配慮    の回診,ただ一回の対話で事足れりとするこ とならず,人体を自由に操ることでしかなく    とはできない。わたしどもが何を言ったらよ なる。」      いかを悟るには,時を待ち患者の言うことに 病気が危機的状況においてなされる,臨機応変    よく耳を傾ける以外に途はない。絶えず変わ の虚言もまた認めえない。医師のなす診断を,患    りゆく病の旅を続けながら,患者が何と立ち 者の真実を知る権利として観念するFletcher   向かい,何を考えているかを知ろうとするな は,要するにつぎの理由が根本的なものであると    ら,彼の沈黙と間隙のほうが言葉より以上に 結論づけている。      それらをさらけ出す。

「第一に,もしどのような事情をも知るこ     ……ほとんどのコミュニケーションは言葉 とができないとすれば,人格として,われわ    なしに,間接的に達しうる。これは人との真 れの人間的,道徳的性質は,われわれからは    の出会いにおいてはもちろん,とりわけ困難 く奪されるということである。第二に,医師    な険悪な状況に直面している人の場合,なか にはわれわれについて知ることをゆだねてい    んずく重病患者の場合にいえることである。

るが,それら事実はわれわれのものであって     いやな事実は意図的にいつも隠すという方 医師のものではなく,われわれに対してそれ    針への主たる反論は,そうじたことがコミュ ら事実を拒否することは,彼に属するもので    ニケーションを,不可能とまではいえないま なくわれわれ自身に属するものをわれわれか    でも,きわめてむずかしくするということで ら奪うものであること,第三に,医師と患者    ある。ひとたび患者と率直に話ができるよう の関係は最高の意味において人格的関係であ    になると,常にというわけではないが,雰囲 り,したがって十全な形での医療的処置と治    気は一転する。そうなればわたしどもは,彼 癒の可能性は,技術的手腕にも依存するが,    等からの手がかりを心しずかに待つことがで

それにも増して相互的尊敬と信頼に依存して    き,彼等を,知性と勇気にあふれ個人的決断 いるということ。第四に, 生と死についての    も期待しうる個人だとみるようになる。彼等 諸事実の知識を患者に与えないことは,自分    も,その望むときにこれらの手がかりをわた 自身の状態についてすべて知っている患者を    しどもに呈示してやっと安堵の胸をなでおろ 除いて何人も担うことができない責任をとる    すのであろう。」

 ことを意味する。」       「ほとんどの患者が,わたしどもが考えて       (3)回 C.ソーンダースにみるr患者との対話』     いることを彼等に告げるべきだということよ

Cicely M S Saundersは,イギリスの聖ク   り,自分達が考えていることをわたしどもが リストーファー・ホスピスの運営をするなかで,    知るべきだとはるかに切望している。……

1965年にr患者との対話』と題する小論を書いた。    患者にとって必要なことは,自分の体験を 潔下その骨子となる部分を抄訳紹介する。      彼にとって意味あらしあ,あるいはすくなく

「もし患者が治癒に協力したり,未知の恐    とも耐えられるような仕方で,彼の体験を操 れからまぬかれるべきものなら,患者はだれ    ることであり,どのように自分を処していく でも,自分の病気について,わかりやすい,    かを決あるのは,彼自身だということである。

納得のゆく説明が必要とされる。望がもてる    それ故に,わたしどもの物静かな着実性が,

(10)

30      野阪:法と人間(4)

彼等が自分自身の道を見出すに何らかの援け  むからである。しかし,それらには有力な反論が となる以外は,患者にわたしどもの信ずると  ある。患者は,自分の疾患について,そのように

 ころを押しつけられるものではない。」    は知りたがってはおらず,できるものなら重病や       {4)回S.ボクにみるr医療とうそ』        死と対決せずに済ませるものなら知りたくないと

倫理学者Sissela Bokは,その著r嘘』のなか  いわれるが,大部分の患者は診断について知らせ で,「病人と瀕死の人に対するうそ」と題する見  て欲しいと希望し,不幸なしらせはこれを否認す 解を開陳している。医療専門家たちが正直である  るというところまでにはいたらない。また不幸な ということは,患者にとってもっとも重要である  真実を告げなければ傷っかないというが,「患者 が,患者に対して正直であれという義務は,医師  を精神的にむしばむ心配は,患者が真実を知らな の誓約また医学倫理要綱にはまったく見当らず,  いために,漠然とした疑惑を抱く」ことによって 医学教育で軽んじられることはないにしても,無  傷つくものである。さらには,重篤な病のため気 視されることが少なくない。あるとすれば,ヒポ  を落している患者が,深刻な予後をしらせること クラテスの宣誓にいう「病人を助けるために治療  により自殺や病状が悪化することがないとはいえ すること……しかし決して害を与え,悪をする目  ないが,それ自体「死に向かう反応」として自然 的でしないこと」に典拠を求めることができよう  なものと考えられる。それ故に,情報が患者にも か。ゆるされないうそがほとんどであるのに,患  たらしうる恩恵のほうがむしろ多大である。その 者に対するうそがとくに許されてきた理由をつぎ  病気がどのようなものであるかを知ることにより,

の点に求めている。      医師の指示・助言等に耳を傾け,よい結果が生ま

「彼ら(医師たち)が真実を明かしたり,  れうるというのである。

あるいは隠したり,曲げて伝えたりすること     「何よりも,苦しんでいる人に対し正直で は,患者に深刻な影響をおよぼす。医師たち    あるということは,たとえどれほど小さくて は,真実をゆがめあるいは隠すだけの彼らな    も,あらゆる回復の希望を彼らから奪うとい りの理由を強調する。癌患者の場合のように,    うことではない。また最も助けを必要として むだに病人を混乱させたり,不必要な苦しみ    いるときに見捨てられることはないという確 や不安を起こさせないようにするためであり,    信を,彼らから奪うことでもない。

真実を知らされない瀕死の患者の場合のよう     しかし偽りが常習化することを排除し,ま に,患者を希望のないまま放置しないためで    た陰蔽行為はそれを望む少数の患者や,率直 あり,また保証できない治療でも,楽観的見    な発言によって被害をこうむることが明らか 解を示すことによって,治療の可能性を多く    な人に限るべきなら,なすべきことは多い。

する,といった具合である。医師たちは情報    医学界はさっそくこの問題に取り組まねばな を治療方法の一部として利用し,それを患者    らなくなる。病人や瀕死の人を看護する訓練 にとって最善と思われる量だけ,最善と思わ    を受けている人たちは,死についてさえ話し れる程度に他の治療と混ぜて,最善と思われ    合える話し方を学ばねばならない。もし彼ら る時期に与える。」       が,患者へのいろいろな対処の仕方を考え,

診断とか予後というものが,ことのほか不確実    患者の立場にわが身を置き,自ら自身が死に なものであるかを知っている医師の大多数は,偽    直面するような経験がもてさえしたなら,そ ることができるほうを選ぶだろうというのである。    れを学ぶことは容易であろう。」

すなわち,偽ることによって「患者に被害を与え   圓 ソークとベルナールの見解

ることを回避できる」し,「真実」を告げないこ  Michel Salomonの編んだ対話集rフユーチャー・

      ⑤

ニによって,「患者を不必要に傷つけない」です  ライフ』から,二人の学者の見解を紹介する。

(11)

茨城大学政経学会雑誌 第53号       31

Jonas Salkは免疫学, Jean Bernardは血液学     第三のケースは非常に難しいもので,これ の専門である。Salkは,医師と患者という二つ    に対して私ははっきりとした解答を与えるこ の集団をもっと調和のとれたものにする必要があ    とはできない。それは死は確実でも,すぐに るとしたうえでの見解であり,Bernardは,来たる    はやってこない場合です。もっとも典型的な べき社会における医師と「医療権力」の役割につ    例は慢性の骨髄性白血病です。現在のところ,

いての見解の一部である。       この病気は平均3年,っまり2年から4年で

(i)Jonas Salkの見解      必ず死亡する。100パーセントです。もしあ

「病人は自分が本当に重体のとき,それに    なたが本当のことを言わなければ,あなたは ついて100パーセント知ることを望むだろう    病人の代理をすることになるので,間違った か? 人によっては知ることを望み,人によっ    行為をすることになる。もしかしたら,その ては幻想を抱こうとする。それぞれの観点を    病人はr私はもう働くのを止めよう。全部投 尊重しなければならない。私個人としては本    げだして楽しもう。いずれにせよ3年後には 当のことを全部知りたい方です。自分の真実    死ぬのだから』と言うかもしれない。しかし,

を知ることによって,自分自身の運命に影響    もしあなたが本当のことを言えば,悲劇的な を与えることができるからです。しかし医者    状況をつくってしまう。……いずれにせよ,

は病人の判断の肩代わりをすべきじゃない。    3年後には効き目のある新しい医薬が市場に 医者の教育は,手にできる最良の方法を用い    出まわらないとは限らないのに。

ることについて,医者をもっと人間的で有能     結局,問題はつぎのように要約することが にしてゆかなければならない。治癒する・治    できます。かなり治癒の確率の高い病気につ 療する・害を与えないが,医者の目標である    いてはまったく問題がない。死が間近に迫っ べきだ。それは今日でも通用する倫理の基礎    ている病気の場合は,病人に本当のことを言 と定めているヒポクラテスの誓約の意味にお    わなければならない。3,4年後には確実に いてです。」      死ぬような病気の場合について,私には何と

(ii)Jean Bernardの見解       も言えなくなる。」

       〔6}

u医者が肯定的な結果を確信している場合   圖 大貫恵美子にみる「日本人とガンの宣告」

はウソなどつく必要はまったくない。だから,   文化人類学者大貫恵美子は,日本のガンの宣告 医療の失敗とウソの間にほ明瞭なつながりが  が注意深く避けられている要因の一つに自己概念 ある。      の異質性をあげている。西欧社会たとえばアメリ ウソを少なくする方法は理論的には失敗を  力社会における「個人」は,孤立した存在である なくすることでしょう。最終的には三つのケー  のに対し,日本社会では,各人は他者との関係に スがあると思います。第一は治癒の可能性が  おいてのみ個人(自己)たりうる。したがって,

あるケースだ。ここでは病人に全部の真実を  一成人の「個人の問題」であっても,家族その他 言わなければならない。rあなたは乳ガンに  の人々が集って一同で決めるといったことが稀で かかっている』と言わずに,ひとりの女性の  なく,医師と患者との関係にも特別なそれが成り 乳房を切除する権利はない。………      立っているとする。

第二は死が間近であるケースです。患者は     「日本社会において,医師がまず患者の家 2,3日のうちに死のうとしている。私の考    族に診断結果を告げ,家族は患者に対する一 えでは,ここでもすべての真実を告げなけれ    切の責任を負う,という習慣はこうした文化 ばならない。病人が精神的準備や遺書の準備    の根底にある人間観と密接に結びついている。

をしなければならないかもしれないのです。    日本の医師の役割は,アメリカの医師のそれ

(12)

32      野阪:法と人間(4)

よりずっと重い。少なくとも理想的には,医    患者となったからといって社会から隔離され 師は患者の精神状態を含んだ一切の責任を負    るどころか,当人は入院中にこそ,個人とし い,さまざまなことを,かれらのために判断    て,かつ,社会の一員としての自分自身を感 し,計らうことを医師の責任としてきた。」    じ,あるいは経験し,自らの重要性を確認し かように重大な責任を負わせる以上,医師は腕    うるのである。夫として,妻として,父,母 の優れた信頼のおける医師でなければならない。    として,職場仲間として,大切に思われてい そこで,親類一同が協力などして,医師への個人    ると改めて認めれば,患者の側でも,早くよ 的紹介をとりつけ,しかるべき病院の門を訪れる    くなってもとの仕事に戻りたいという気持は,

ことが多い。そして「この行為によって,日本人    いっそう強まる。

は自分の方で医師を選んだのであり,その逆では    右のような日本の患者の役割は,アメリカ ない,というr確信』をもつといってよい。主治    のそれと好対照をなす。アメリカでは,患者 医と然るべき紹介を通して特別な関係を結んだの    は腕輪に打たれた番号にすぎなくなってしま だから,患者は医師の個人的な気配りと最高の努    う。性別を無視して,画一的な殺菌済の病院 力を期待できる状態をつくり出」しえたと思う。    のお仕着せを着せられ,病院食を与えられ,

入院すると,主治医と患者の名前が,ベッドや病    外の社会からはほとんど完壁に隔絶される。

室の廊下に面した壁にも掲げられる習慣にも,両    アメリカでの患者の役割には,病気は望まし 者の個人的関係が深いことを象徴的に表わしてい    くない状態であり,病人は社会から隔離され る,というのである。       ねばならない,というアメリカ社会の一般的 かようにして,日本の医師は,患者に関する多    な考え方が,映し出されている。パーソンズ 大の責務を負わされた結果,患者を患者としてだ    が指摘しているごとく,r細菌学的にも動機 けでなく,一個の人間として取扱うことを,患者    的にも』病気は伝染性を有するから,病人を 及びその家族から期待されている。大貫は,こう    健康な人からr隔離』するというのが,アメ

した日本に特有な医師・患者の関係が,ガンなど    リカのやり方である……。

の重篤な疾患の宣告に慎重な態度をとらせている    アメリカでは,病気になった個人が患者に のではないかと結論づける。アメリカは,この30   なるということはまた,当人の固有性をそっ 年間のうちに,ガンの宣告に関しては積極的な姿    くり医療関係者の『権威』下に置くことを意 勢をとり,医療の実際では一般的なことになった。    味する……。

わが国でも漸次積極説がふえつつあるが,はたし    個人主義があれほどまでに重んじられてい てアメリカの後を追うようになるのであろうか。    るアメリカで,患者の役割が個人主義を否定 大貫の指摘によると,日本の生医学治療が病気に    しているのは,いかにも皮肉である。患者は 対する文化的許容の上に基礎を置いている点がア    ー個人としての固有性も,社会的地位・人格 メリカと対照的だとされる。文化的差異に注目し    も,剥奪され,自分で判断を下すことは許さ たい。      れず,日本の医師と比較して『人間味』に重

「病気に対する価値,考え方,取組み方な    きを置かないアメリカの医師の医学的判断に,

どは,日米のそれぞれの文化における病人お    すべて従わねばならない。したがって,……

よび患者の役割に反映している。日本文化は,    入院患者の役割は,人間性も個人主義も剥奪 患者の役割に否定的意味を付さない。患者の    される,耐え難い経験なのである。」

誰もが以前と変わらず,個性を持った一人の

人間であり,家族の一員であり,より大きな   {1》C.W.フーヘランド著・杉田成卿訳・杉本つと

社会団体の一員であり続ける。換言すれば,    む現代語訳r医戒一幕末の西欧医学思想一』

(13)

茨城大学政経学会雑誌 第53号      33

(原著1836年,原訳1849年,現代語訳1972年)なお  允(哲学)は以下のように、「モラル」の把え方 本稿での引用は,主として現代語訳によったが,本  にっいての議論の必要性を説いている。

文中での引用は杉田訳の 原訳 によった。なお参     「国民的な調査の結果,もし告知して欲し 照,阿知波五郎r近代日本の医学一西欧医学受容    いというのが96%もいるのだったら,当然医 の軌跡一』 (1982年)196〜220頁。       師はそういう人々の意見に従って告知するの

(2)Fletcher,よ, Morα誌απd Med c 肥(1954):    がいいのか,それでもなお告知しないという 34〜63.岩井祐彦訳『医療と人間』(1965年訳刊)35一    のなら,それはどういう理由なのか。その辺 69頁。引用は岩井訳によったが,訳文を一部変えた    りが私はすべての倫理の問題で,根本がその ところがある。      判断の根拠と何らかの形でかかわっているよ

(3)Saunders, q M C., Telling Patients ,   うな気がするのです。(中略)モラルという E砺cs πMedεc ηe(1977):238−239, ed.   のはどこまでも常に原則です。一人一人の細 Reiser, S ・L,Dyke, A.よ& Currun,    かいことについてのモラルなどというのはあ 毘J.      り得ないので,モラルというのは原則論であ

〔4)Bok, S.,Ly η8−MorαZ Cんoεce πPωわZ c    り,それを個々の例で嫌でもモラルというの αηdP渤αεeL加.(1980)220−241,古田暁訳    はそれに従ってやられるのが普通なのです。

r嘘の人間学』(1978年刊,1982年訳刊)266〜291   もちろん,その中で嫌がる人もいるでしょう。

頁,引用は古田訳によったが,訳文を一部変えたと    しかしそういう形がモラルであると私は思っ ころがある。      ているわけです。ですからそういう気持ちが

(5}ミッシェル・サロモン編・辻由美訳rフユーチャー・    あるということがわかっているが,個々の例 ライフ』(1981年刊,1985年訳刊)294頁,375〜6    を考えて何もしないというのは実はモラルと 頁。       は関係のないことではないかということなの

㈲大貫恵美子r日本人の病気観一一象徴人類学的考    です。私は前から生命と倫理の問題で常に言 察』(1985年)本書は,衛生観念や多様な治療法な    い続けてきていることなのですが,生命に関 ど,病気に対するわれわれの態度から,日本社会の    する科学的な医療のいろいろな具体例はいく 基本的な象徴構造と宇宙観を呈示したものである。    らでも出されるのですが,実はモラルという ものをどういうふうに考えるかということに 7.国民的調査結果のもつ意味と倫理       ついては,ほんんど議論が煮詰まっていない 昭和58年4月,厚生省内に,「生命と倫理に関    のです。それと同じことをそこでも感じるわ する懇談会」が設置された。委員には,分子生理    けです。」

(物)学,哲学,法学,医学等のいわゆる有識者   たしかに,「医師は患者に真実を告知すべし」

が選ばれ,臓器移植,脳死,体外受精等のテーマ  というとき,それが何を意味しているかかならず について,ゲスト・スピーカーを招き,それらの  しも明らかではない。道徳的存在として人間は誰 現状につき認識を共通したうえで,自由に懇談を  でもっねに,「嘘をつくのは罪悪である」から,

重ねた。そのなかで,医師と患者の関係について  医師は患者に真実を告げるべき(義務を負う)な も意見が交換された。そのテーマの一つに「癌の  のであろうか。あるいは,患者は疾病による苦痛 告知ヨがある。       から解放されるため,医師を頼って来る以上,そ

ところで,ガンの告知の是非についてのアンケー  れを根本的に裏切る行為と考えられる「嘘」 「偽

ト調査などで,告知すべしとの意見が多数を占め  り」は容認できないというのであろうか。あるい

た場合,一般論として医療の現場でそれに従うべ  はまた,免許を与えられた医師は,その資質と良

きかどうかの問題について,その委員の一人沢田  心的な実践を宣言(profess)したものと考えら

(14)

34       野阪:法と人間(4)

れるから,真実を告げないのはまさにこれに反し  すでに実施された検査・決断・治療の内容および ているのであろうか。あるいは,旧く,医師がそ  その結果,病状経過などについて,十分に理解で の倫理的規程のよりどころとなった「ヒポクラテ  きるまで医療従事者から説明を受ける権利を有し スの誓い」に対する違背だというのであろうか。  ます」と定めている。そしてその解説ではこう述

さらには,道徳又はモラルは,大多数の人々に  べている。

より支持されていることと理解されれば,10人中     「患者は健康を害したとき,その病状にっ 9人がそうだとされ、ば,それこそがモラル。倫    いて真実を知ることを欲しています。医療は,

理ということになるのであろうか。このあたりに    患者にr対する』ものではなく,患者のrた も問題がないわけではない。      め』のものですから,真実を知り,病状を理 懇談会委員中村元(哲学)はつぎのようにこの    解し健康を回復するために必要なすべての情 状況を語っている。      報を知ることは患者としての基本的な権利で

「相手に事実を,自然科学的な意味での事    す。(中略)

実を告げることが,ベネフィシャルであるか     ガンのような重大な疾病についても患者に どうかという問題と,それから,それがモラ    告知すべきものとするか否かは問題とされる ルな意味でもデューティになるかどうか,ゾ    ところです。基本的には原則として告知すべ レンとして要請されるかどうかという二つの    きものと考えますが,状況によっては告知に 問題があるわけです。こうなりますと,今後    よる弊害も予想されますので,告知の方法・

は,哲学の問題になります。ベネフィットと   時期,告知後のケア等,今後の課題と残され ゾレンとは別なものだと考える哲学と,一緒    ています。」

のものであるべきだという哲学と二つありま   ここにいう「患者の権利宣言」が,まさしく して,これを法律で決めるわけにはいかない  「倫理的基盤」をもっているかどうか,それによっ と思うのです。と言いますのは,哲学的にま  て,「患者の権利」となるか,単なる「患者の権 だ意見が一致していない問題ですから,そこ  利r宣言』」にとどまるのではなかろうか。いずれ は,医療の方々が個々の場合についてこ判定  にしても社会の諸制度の改革,それはまことに至 になるしかないと思います。それ以上に統制  難の業である。他日を期したい。

するということは,ちょっと無理だと思炉ま

す。      「四人の改革者たち」

かようにして道徳・倫理あるいはモラルなるも      RLスティーヴンスジ3)

のが,人々の意思(識)と,どのように関係して      四人の改革者たちが茨の繁みの下で会 いるかをも問題としなければならない。それによっ      合した。世界を変革しなければならない て「倫理」なるものが確認され,それがさらに法      ということに,四人全部の意見が一致し 律化される場合には必要不可欠なステップと考え      た。「われわれは財産を廃止しなければ

られる。       ならない」と一人がいった。

1984年10月,わが「患者の権利宣言全国起草委      「われわれは結婚を廃止しなければなら 員会)」は「患者の権利宣言」(案)を公にし泥ぎ      ない」と二番目の者がいった。

そのなかで,「知る権利」に関し,「患者は,自      「われわれは神を廃止しなければならな らの状況を理解するために必要なすべての情報を     い」と三番目の者がいった。

得る権利を有します」「患者は,これから行なわ      「われわれは仕事を廃止できればよいが」

れようとする検査および治療の目的・方法・内容・     と四番目の者がいった。

危険性・予後およびこれに代わりうる他の手段,      「実際の政治の限界を越えないようにし

(15)

茨城大学政経学会雑誌 第53号      35

よう」一番目の者がいった。「第一のこ   (1}厚生省健康対策局医事課編・前掲書161頁以下。

とは,人民を共通の水準まで引き下げて,   ② 「患者の権利宣言(案)をめぐって」〈座談会〉

平等にすることだ」      判例タイムズ551号(1985525)314頁以下参照。

「第一にやるべきことは」二番目の者が   ③R.Lスティーヴンスン著,枝村吉三訳r寓話』

いった。 「男女両性に自由を与えること    (1976年訳刊)42頁以下。

である」       〔本章未完〕

「第一のことは」三番目の者はいった。       〔1986・10・22稿〕

「実行の方法をみつけ出すことだ」

「第一の段階は」一番目の者がいった。

「聖書を廃止することだ」

「第一のことは」二番目の者がいった。

「法律を廃止することだ」

「第一のことは」三番目の者がいった。

「人間を廃止することだ」

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