法 と 人 間 (4)
野 阪 滋 男
目 次 「すべての外部からの働きかけは,一般にその個 1 はじめに 人にとっての健康と幸福を増進するよう図らねば
∬ 道徳的人間と法的人間 ならないこと」を意味している。死の告知の問題 皿政治的人間と法的人間(以上本誌第46号,1982) は主として前者に関連する。つぎに 自己決定の
】〉 法の理念からみた人間像(以上本誌第50号,1985) 原則 を重要な支柱とする人間尊重という観点で V法の道徳との関係からみた人間像其の一 ある。その意味するところは, 個人は主体性を
1.医師・患者間の倫理への接近 持った存在として遇されるべきであり,主体性を 2.法の非倫理化 失った個人は保護される権利がある ということ 3.「死の告知」をめぐって である。死の告知に関していえば,患者は予後に 一医師の説明義務の一場面一 ついての情報を与えられ,治療選択についての決 4.ガンで逝った人からのメッセージ 定ができるようにすべしということになる。そし
(以上本誌第52号,1986) て患者は,直接あるいは適切な インフォームド 同 其のニ コンセント 〈十分に情報を与えられたうえでの 5ボ倫理原則と市民・患者・看護者の意識 同意〉の過程を経て,幸福増進と自己決定のバラ α 諸家の見解にみる死の告知 ンスをはかるべきものとされた。
7.国民的調査結果のもつ意味と倫理 (以上本号) そのうち,インフォームドコンセントの実施状 況に関して,種々の病院医療の現場における患者 と医療関係者との相互関係に関する調査が実施さ V法と道徳との関係からみた人間像 れた。それらの結果を比較検討した結果,慢性疾
其の二 患の患者を除いて,実際の問題としての医師。患 5 倫理原則と市民・患者・看護者の意識 者間のコミュニケーションは,法律が想定してい 1983年に公にされたアメリカ大統領委員会報告 るようなインフォームドコンセントとはかけ離れ r医療に関する意思決建当によると,同委員会は たものであることが示された。
三つの重要な倫理原則に注意を喚起した。すなわ またガンの告知に関する同委員会の調査による ちそれは,①人々の幸福は押し進められるべき と,下謙示すように告知するのが一般的となっ こと,② 人々の価値観や選択権は尊重されるべ ており,告知の是非の問題は,この30年間で克服 きこと,③ 人々は公平に処遇されるべきこと, されたかの感を抱かしめる。しかし,上述のよう であった。「幸福を増進する義務」は,消極的な にインフォームドコンセントに関する状況からみ 意味では,所謂ヒポクラテスの宣誓にあるように, ると,医療の実際において告知が一般的になった 患者に 害を与えない ということである。内容 というだけで,告知の是非の問題が解消されたわ 的には,「極度の慎重さをもって医療を実践する けではなさそうである。
こと,各段階を慎重に秤量して行うべきこと」と 一方わが厚生省は,昭和60年9月に,「胃がん
理解される。さらにそれは,積極的な意味では, の検診と告知」に関する調査を行なった。その結
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癌の告知に関するアメリカ大統領委員会調査 一般人への質問
問: 医師が,あなたが癌であると診断した場合,あなたは告知されることを望みますか,それと も告知されないで治療されることを望みますか。
(対象者数1.251人)
告知して欲しい。 96%
告知しないで治療して欲しい。 3 わからない。 1
問: 1年以内に死に至る癌を患った場合にあなたは,医師が具体的にあなたの余命を告げること を望みますか,それとも望みませんか。
(対象者数1.251人)
具体的に告げてほしい。 85%
告げないで欲しい。 14 わからない。 2 医師への質問
問: あなたが患者に末期肺癌と診断を下した場合,あなたは,どのように,その事実を患者に告 げますか。次のうちから選んで下さい。
(対象者数805人)
癌の進行度と予後について統計的な
事実のみを告げる。 13%
どの位生きられるかの期間は告げないが,
その期間がそう長いものではないこと を強調する。 33 どの位生きられるかの期間は告げないが,
1年以上は生きられないことを強調する。28 余命については告げない。 22 わからない。 5
資料:Making Health Care Decisions
(3}
ハを報ずる新聞記事によると,詳細はわからない した理由はなにか。
が,30歳以上の約2万8千人が対象とされた。以 知らせると,がっくりくると思うから(47%)
下関連部分の結果をここに示すことにする。 うまく知らせる自信がないから(26%)
①検査で仮に胃がんがみつかったら,知らせ 自分がなっても,知りたくないから(12%)
てもらいたいかどうか。 この調査の対象となった者の4割が,胃のレン 知らせてほしい(57%) トゲン検査を一度も受けたことのない人である。
知らせてほしくない(21%) 定期的に検診を受けている者は16%にすぎない。
どちらともいえない(22%) とすると,この意識調査がどれほどの意味がある
②検査で家族が胃がんとわかったとき,本人 か,いさ、か疑問がないわけではない。前稿で紹 にそのことを告げるか。 介したアメリカにおける1950年代の調査では,い 知らせる(19%) ずれの対象も患者であった。この種の調査は,そ 知らせない(44%) の目的によって対象者が,医師であったり,ガン どちらともいえない(37%) 患者であったり,一般人(健康な者)であったり
③ 家族に知らせない,どちらともいえないと する。「ガンの宣告」「ガンの告知」という表現
野阪:法と人間(4) 23
が示すように,医療行為が,医療主体である医者 ある妻の希望は無視され,患者とその妻を前にし の側からする一方的な行為であるとするならば, ての冷厳なる事実の告知という方法は,医療が医 医師に対して意見,方針等を調査することは意味 師,患者間の信頼関係の上にのみ成り立つものと がある。また医療行為が,法律上正当化されるた するならば,結果的にそれをぶちこわすものであ めには・その事の性質上,「患者の同意・希望」 ろう。こうした事態になった以上,医師の当初の が前提とされるので,患者に対する調査も意味が 意図とは逆に,「後の治療に差しつかえ」になっ ある。かような意味で,今回の調査は,一般人へ たかもしれない。患者本人の意思により,その後 のものであり,社会的合意が得られるや否やとい の治療効果を考えての事実の告知を是とするも,
う点では参考となるが,一種の傍観者の意識調査 その告知方法,態度等に一考を要する場合もある の域を脱しえないというべきかもしれない。 ことをこの事例は教えている。事実をありのまま ところで・調査結果が報道された数日後,新聞 かくすところなく告げるべきだといっても,医療 投書欄に,「あまりにも冷酷肺がんの宣告」と (行為)にあっては,それがかならずしも最善で 凶
閧キる65歳の主婦の声が載った。患者(夫)は宣 あるということにはならないのである。
告を希望し,家族(妻)は知らせないことが思い これに反して,同じく肺がんの宣告でも,逆の やりだと思ったようである。 結果となり,見事な生の燃焼という結果を導いた
「(前略) 夫は一昨年,末期の肺がんと と思われる事例もある。先の厚生省の調査結果が 診断されました。私は『絶対に本人には知ら 報道されるおよそ1ケ月前に,50歳の婦人から,
せないでほしい』と懇願しました。担当医は 「r貴い命』身で示した夫」と題する投稿があっ r本人から本当の事を告げてほしい,と言わ た曹)10年前の出来事ではあるが,その人の夫,そ れているから,うそはつけない。まして,今 してその夫を中心とした家族の充実した生が窺い 後の治療にも差しつかえる』と言われました。 えて,教えられるところがある。
rそれではごく初期とか,場所が悪く手術が 「(前略) 病院から帰った夫がr死刑の できないと告げて下さい』と嘆願しました。 宣告だ。肺がんで,長くて六カ月,早くて三
しかし,数日後担当医は夫と私を前にして カ月だっ』しぼり出すような声でした。突然,
rあなたの肺がんは,第五段階の五,病状は 光も色も消えてしまった茶の間で,私たちは 既に三期です』と宣告したのです。医師が自 声もなく震えていました。
分の立場を守るためのこうした高慢な発言, rどうして,何も悪いこともしないのに。
家族の言葉を無視しての行為は許されるもの 中学生になったばかりの息子,小学校に入っ でしようか。これでは必死な家族の患者への たばかりの娘をどうするんだ』。うめくよう 思いやりも悲願も葬り去られてしまいます。 な夫のことばでした。
入院患者は家族にとってr人質』同然です。 rお父さん大丈夫?』心配そうな子供たち 激しい怒りを抑えながらも,担当医に尊敬の に,どう言ったらよいか,涙で声も出ません。
そぶりを続けなければならないのです。どう ぼうぜんと過ごした一週間。夫は『できるか か,世のお医者様たち,人間としての温かさ ぎり,頑張る』と入院しました。それからで をもう少し持って下さい。」 す,すさまじいまでの生への闘いがはじまっ 医師は,何よりも,患者本人の希望を尊重すべ たのは。カキの葉,サルのこしかけ,オウレ し,それこそが医療の原点だとすれば,この医師 ン……。良いというものは,何でも試しまし の為したこと一患者本人の言葉を文字通り受け た。
とめて率直に事実を告知したこと〜は批判(非 夜は消灯前のひととき,息子に将来,生き
難)されるべきではなかろう。しかし,近親者で て行くうえでの支えのひとつにもなれば,と
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万葉集のうた,先人の格言を英訳して暗記さ 重してもらいたい」
せました。娘には童話を一話ずつでした。 医師は,乞われて澤野のエッセイを読んでいた。
せめて中学を卒業するまで生きていてやり そして,いよいよ「ガンの告知」のその時の様子 たい,と入退院をくり返しました。最後に気 を澤野はつぎのように書いている。
管支切開をうけ,r一日でも頑張りたい』と, 「十分後に,私は鶴川医院の奥の座敷に坐 必死でジュースを飲み込む夫の姿は,涙なく っていた。斜めうしろには,妻が坐っていた。
しては見られませんでした。 やがて襖がひらいて,医師が姿を見せる。そ 診断を受けてから一年,夫は息子の期末テ の顔に,微かな困惑の色を滲ませて,またあ ストの終った日に亡くなりました。41歳でし の優しい微笑がうかんでいた。
た。(後略)」 r本を読ませてもらいました。青木先生たち この事例におけるガンの宣告は,患者が,その にも読んでもらいました。あなたの書いてい 告知を望んでいたかどうかは不明であるが,症状 らっしゃることには,私も百パーセント賛成 の説明から死期(予後)まで告知をしているよう です。』
ではある。宣告後のショックをのりこえ,限られ しかし,医師は洋服を着ていながら,礼儀 た自分自身の生命を燃焼しえたのは,酷な表現か 正しく膝を折って坐った。それが,これから もしれないが,医師が患者自身に,率直に事実を 口にしようとしていることの重大さを暗示し 告知したればこそと思われる。40歳という若さの ていた。
患者は,なによりも第一に,学童期にある二児の rあなたはノト説家だし,色々なことをよく知っ 父親として,「今自分が何を為すべきか」を考え ていらっしゃる,考えてもいらっしゃる。』
たに違いない。ここには,患者と医師との関係に 私は,医師が私に言おうと決心しながら,
ついては記されていないが,医師の告知の仕方や それでも言い澱んでいる部分を察した。
態度は多分適切であったのであろうし,宣告後の 一こんないいお医者さんに,余り苦労を 患者の生き方から推し測ると,患者がそうした些 させていけない。
事否重大事を超越するだけの強靱な精神力をもっ rガンですか。』
ていたのかもしれない。 私は,一番率直な形で,質問を投げつけた。 (6}
@「ガンからの生還」を果した作家澤野久雄の言 鍔ぜり合いは,一瞬の間に解けた。
は,医師と患者との好ましい関係を背景に,「ガ 『ガンといっても,本当に初期のものです。
ンの宣告」をうけた。澤野自身,「どんな死を望 切ってしまえば,今なら完全に癒ります。』」
むか」というエッセイのなかで,自らの立場を示 医師の口からガンという言葉を耳にした澤野の していた。 心に,奇妙にも,してやったりという喜びが湧い
「自分が病んだ時,自分の病気については てきたというのである。ガンに関してはとかく口 正確に知っていたい。ガンに罹ると,医師た の固い(日本中の)医師から,とうとう真実をひ ちの多くはそれを患者に隠すものらしいが, き出してやった,そして,「一ああ,俺はその 私は死ぬ時まで真実を隠されたり,だまされ 『最後の時』だけは,だまされずにすんだ」こと たりするのはいやだ。出来ることなら死の一, をよろこんだというのであった。ガンの告知に関 ニカ月前には,死の予告を受けたい。そうす して,医師の独断と驕りに憤る澤野にしてみれば れば私は,当然,処理しておくべきことを正 自然な気持であったろう。その思いは厳しい。
確に処理して死ぬだろう。……最後に,人間 「日本のある高名な医師は,その著書の中 というものは,自分の意志に関係なく生まれ で次のように言っている。
てくるものだ。死ぬ時ぐらい自分の意志を尊 rガン患者が医師に向かって,偽らずに事実
野阪:法と人間(4} 25
を教えてくれと言う場合,その患者は彼がガ るものか責任がもてないといった不安があ ンに罹っているのではないという証言をほし る。」
がっているのだ。』 〔事例2〕 38歳の男性の舌ガン患者
なるほど,そういうことはあるかもしれな 第一回目の手術が予想外に難航し,入院当初か い。もし彼がまだ若ければ,そして彼を必要 らのムンテラは大分異った方向へ進展しつつあっ とする多くの係累を抱えていれば,一更に た。術後の回復もはかばかしくなく,舌半側切除,
は,彼自身がその将来に小さからぬ野心や願 喉頭全摘などの再手術の必要性が話された後は,
望をいだいていたら,彼は医師からガンでは そのショックも強く放射線科医師への不信,不 ないという保証を得たいであろう。しかし, 満を訴え,病気がガンではないかという不安感,
すべての患者がそうであると断定することは, 声だけは失いたくないという強い希望を訴えるよ ガンに罹ったことのない医師の独断ではない うになった。確実に自分の病気が悪い方向へ進ん のか。私はこんなことを広言する医師の内部 でいることを患者は自覚したのであろう,「オレ に,許しがたい驕りを感じずにはいられな の体はどうなっているのだ」「本当のことを教え い。」 てくれ」「オレは囚人か,オレは人間だ」と訴え ところで病名や死の告知をしない場合,時とし るようになった。患者の妻にだけ真実が知らされ て,その看護にあたる者に迷いが生ずる。以下に たが,患者に対しては,最後までなに一つ真実が 示す四例は,もし病名や死の告知をしていたら, 話されななかった。看護婦はつぎのように述懐す
またちがった生の燃焼ということがあったかもし る。
17)
黷ネいという事例である。 「看護婦間では,Aさんはむずかしい患者,
〔事例1〕 42歳の男性の胃ガン患者 こわい患者というレッテルをはられ,Aさん 胃全摘術後8ケ月で再発,病状名は手術前は胃 を積極的に訪問したがらなかった。また訪問 潰瘍,再発時は腸癒着とムンテラ,妻は本当のこ してもできるだけ短時間で切り上げ,呼びと とを知っていたが,本人は最後までムンテラを信 められたくない,何を質問されるかわからな じていた。最後になって,衰弱がひどく苦しい状 いし返答にも困ってしまうなどと,まったく 態とはなったが,予後が悪いことも知らせておら 逃げこしの看護しかできなかった。……Aさ ず,患者は死までは考えていなかったようである。 んの怒りを受けとめ,その怒りが何を意味し 家人は,諦めてはいたものの,急激な死の転帰に ているのかを探り,妻を助けたならば,Aさ 動揺を示したという。患者が亡くなった後で,妻 んは妻に感謝しつつ死を迎えることができた が看護婦に述懐するところによると,「よくして のではないだろうか。」
いただいて思い残すことはただ一つをのぞいて何 〔事例3〕 39歳の男性の肝臓ガン患者 もない。そのただ一つとは,最初の手術を終えた 医師は肝炎とのみ説明し,発熱が持続していた とき,ガンだと言ってほしかった」というのであ が,患者は病気に対しての疑問をあまり抱かず,
る。「主人はとても強い人だったから,ガンだと 外泊をすすめた際も,「すっかり治ってから帰り 言われてもきっとそれを乗り越えて,残された同 ます」といったようで,退院できるとさえ思って
じ8カ月間でも,やりたいことをやり,2人でもっ いたようである。8カ月入院の後亡くなった。看 と有意義に生きることができたかもしれない」と 護婦は述懐する。
いうのであった。看護婦はっぎのように述懐する。 「39歳という年齢,ローン返済中,理容師,
「第一の問題は私自身が ガンの宣告 と 子ども2人,妻のことなど考えると,残され
いう問題から逃げていることにあると思う。 た期間をもっと有効に使ってもらうことはで
それを言った後,自分がその患者を支えきれ きなかったものかと心残りである。
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一度,医師をまじえて,病名を告げたほう 医師はそのまま応対せず,患者もそれ以上の質 がよいのではと話し合いをもったが,うやむ 問はしない。この患者は苦痛を伴う治療に対して やにされ,そのままになってしまった。その も,言葉は柔らかいがはっきりと意見を主張し断 とき,もっと私には,言い続けることが必要 る。自立心も強く,自分の病気を客観的にながめ,
だったと思う。 他の人への配慮も示す。病状が悪化してくると,
今でも,この患者に対し,病名を告げて残 「ガン」うんぬんは一言もいわなくなったが,新 された期間をもっと有効に,何か残すことが 聞のrガンシリーズ』はずっと読み続けていた。
できたらなあ,という思いと,最後まで肝炎 振り返って看護婦は述懐する。
と信じ,疑うことをせず,苦しまずに亡くなっ 「もはやガンであろうがなかろうが,死は ていき,それで幸せだったのかなあ,という 肉体のかなりの部分を侵しているので, 痛 思いが交互に頭をかすめる。ただ一つ言える み という身体への対処が中心となり,訪室 ことは,末期患者に対したとき,うそは言い のためらいは軽くなったような気がする。そ たくない,へたななぐさめを言うのはよそう, れに,家族とかかわることで患者を見捨てて 誠意をもって接し,援助していきたいという はいないという自己満足もあった。でも,今 ことである。」 私は反省させられる。あの,鋭く追及してい
〔事例4〕 56歳の女性の乳ガン患者 た時期を大切にしなくては,ガンを宣告する 左乳房根治術を行なってから2年半で乳ガン再 しないではなく,患者が不安に揺れている 発での入院であった。「私はガンでしょ」と患者 rその時』にとどまっていないと,もうその から言われた際の,看護婦との対話は次のような 時はもどらない、と。鼻汁をたらし,ときに
ものであった。 は上半身裸になって支離滅裂なことを言った 患者:また胸に水がたまっているような気が りして,この患者の個性が失われる前に,で
する。ガン性肋膜炎かしら。○○さん ある。」
も胃潰瘍と言われているけど,腹水た
まっているから胃ガンでしょう。外国 (1)厚生省医務局医事課監訳rアメリカ大統領委 では患者にガン宣告するのに,日本で 員会生命倫理総括レポート』(昭和59年)86頁,
はどうして隠すのかしら,言ってほし 20頁参照。800人の医師と1250人の一般成人へ いのに。 のインタビューの結果,「一般人と医師は,患 看護婦:日本と外国では宗教も違うし,なかな 者が自分の状態と治療について可能な限りすべ
か受け入れられないのではないかしら。 ての情報を手に入れる権利を有していること,
患 者:私は言ってほしい。かくしても身体の 患者は大かたそのような情報を知りたいと望ん 末期症状でわかってくる。渡辺淳一の でいるという点で一致していた」と報告してい 本にも書いてあった。ここに入院する る。
前に開業医に行ったが,そこで手術の ②厚生省健康政策局医事課編r生命と倫理につ 傷あとを見て,乳ガンと指摘され,医 いて考える一生命と倫理に関する懇談報告』
師と看護婦がガン性肋膜炎と言ってい (1985年)161頁による。
るのを聞いてしまった。 (3》朝日新聞昭61・6・12 患者は回診の医師に対しても明確な質問をする。 (4)朝日新聞昭61・6・25「声」
患者:今,こんな状態なのに,末期になった (5)朝日新聞61・5・9「ひととき」
らどうなるんですか。 ㈲澤野久雄r生きていた一「ガン」からの生還』
医 師:えっ,末期? (昭和60年)
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(71日本看護協会編r死の看護事例集」(1984年) のは,迷い惑っている最たるものでございま す。既にこれこれの症状では施す術がないと
6諸家の見解にみる死の告知 。、 知った時には・医師は必要なしとはいえ,ど囚αWフーフェランドにみる『医戒』 うして人間としてこれを憐まないでおられま
Christoph Wilhelm Hufeland(1762〜1836) しようか。一たとえ苦痛がはなはだしい者 は,カントやゲーテやシェリングの影響を直接的, とはいえ,なおる希望のある時は,これに耐 間接的に受けつつ,いわゆる 生気論 を展開す えることもできるでしょう。しかし既に回復 るが,当時のヨーロッパばかりでなく,わが国に する希望もなく,劇痛・苦悶に耐えがたい患 も杉田成卿や緒方洪庵らによって,伝えられた。 者にあっては,医師としては,最大の友愛と ユ床医としてのフーフェランドは,徹底したヒポ 犠櫨ぞあわれみといつくしみ)をそそがねば クラテス・パターンの人だとされ,その著r医戒』 なりません。こうした切迫した時にこそ,患 は,当時のドイツの「その時代の道徳律,理性の 者をしてその生をいとうような心境においこ 練磨と良心の命ずる義務を果すことの歓び」をそ まず,さらにまさに消減しようとする希望が の基本にすえたものと評されている。 消えないよういっそう力づけて,たとえ生を 徳川末期から,わが医師間に爆発的に強くひろ まっとうさせることがかなわずとも,これを がり,延々として現代まで,この著『医戒』が, 慰めるのは,これこそく仁〉の最大なるもの わが国の「医の倫理」として,なんらかの形でい ではございませんか。」
きているとされる。とすると,単にこのフーフェ まさに「醤術ハ仁ヲ艦スルノ貴術」だというの ランドの所見は,単にわが国「幕末の西欧医学思 である。
想」にとどまらず,わが国におけるヒポクラテス さらに医師は,その技術によってばかりでなく,
の誓ともいうべきものといってもよいのかもしれ 何気なく用いたことばでも患者に害を及ぼし,そ ない。 の生命を短くしてしまうこともある。患者にとっ
医術の根元は,「病メル者ヲ見テコレヲ救ハム て,「恐,悶,驚」の三者はもっとも害であり,
ト欲スル情意」にあり,医家は,「他ノ生命ヲ保 医師はこれを避けるべく心せねばならないという 全シ2他ノ健康ヲ同復シ,他ノ痛苦ヲ緩解スル」 のである。
ことを最大の目的とする。そして,医術を行なう 「医師はただその術をもってだけでなく,
に際しては,最大の注意,最高の精密さと最善の ことばをもってしても,よく患者の命を短く 配慮を致せば,医家と患者との間に「交感」が生 してしまうものでございます。もちろん医師 まれ,「病者ハ馨ヲ信ズルコト最モ深ク,書ハ病 が意図してこれをするわけではございません。
者ヲ察スルコト最モ至ルコト」ができる。そして, しかし,意識しないでも,結局は患者に死を 患者が不治の病に罹っている場合でも同様である。 うながすに至ることがございます。でござい
「医師というものは,ただ一般的に病を治 ますか〉ら,医師は,常にこれを戒め慎み,患 療するのみではなく,不治といわれる疾病に 者を畏縮させたり,その勇気をそこなうよう
あたっても,患者の生命を保全し,その苦痛 なことがらは,これをすべてさけねばなりま をやわらげるということが職務であり,一つ せん。これこそが医師の高貴,霊妙な職務で の功徳でございます。それなのに,医師は患 ございます。およそ患者のために有害であっ 者の病が不治であると診断決定した時に,そ たり,その命を短くさせるようなことは,ど の医師が勇進の意気をうしない,ついには患 んな小さなことでも,医師の方からこれを示 者をないがしろにし,時にはこれをうちすて してはなりません。医師たるものは,その言 て顧みないものがございます。このようなも 語・態度・風貌において,必ずきちんとして
馬
28 野阪:法と人間㈲
さわやかでなければなりません。病人という 起る良心の問題すなわち,特定の倫理問題」に ものが,自分から死生を疑うようになります ついて論述している。本書は,いわゆる「医学の と,己れのかかっている医師を見て,そして, 倫理」を取り扱ったものではないとされながらも,
己れの死生を決しようと考えるものでござい 「医療の倫理」にはいさ、かの貢献ができること ます。」 を願っているとされる。
いわんや,病気の重篤なることやその死期など J・Fletcherは,医療的診断を「真実を知る を告げることは,「豊悪ムベキノ甚シキナラズヤ」 われわれの権利」 (Medical Diagnosis:Our
ということになる。 Right to Know the Truth)として位置づける。
「医師のある者は病人にその病が危機に近 「患者は真実を知る権利をもっている。われわれ いことを告げたり,またはとうてい助からぬ は人の正当な権利を生かす道徳的義務をもってい と死すべきを告げてかくさないものがござい る。それゆえ,医師は患者に真実を告げなければ ます。こういう医師は,何と憎むべきの甚し ならない。医師は,自分の医師としての技術,治 いものではございませんか。また反対に,患 療に責任をもたなければならないが,同程度に患 者の親巻が医師にむかって,病人の生死を詰 者に真実をつくす責任を負うている。」
問することがございますが,このようなこと そもそも患者は,モノ(anεε)ではなく,問題 は,どうして人道にそむかぬということがで をもった人間であり,それ故に,医師との関係で きましょうか。 は,ひとりの人であり,ナンヂ(a漁oω)として およそあらかじめ人間の生死をうらなうこ でなければならない。このことの倫理的意味は,
となどは医師のかかわり知ったことではござ 医師は,患者に対し,人間中心的態度で接すべき いませんし,医師にこれを問うことができる だということになる。
ものでもございません。 「もし,患者が自分の状態と疾患の予後を
〈死を告げる〉とは〈死を与える〉と名づ まったく知らないで,たんに医療の対象と けるのでございます。医師というものは元来, されるとき,その患者はナンヂであること 生を保全するのが仕事でございます。どうし をやめ,ソレとなってしまっている。彼は て〈死を与える〉ことができましようか。も モノとしてあやつられているのであって,人
しも患者が,さらに理屈をもって論議しなけ として扱われていないし,また,認められ ればならぬことがあるという名目で,自分の てもいない。彼は良心の裁き(the forum of 病気の真の姿を知りたいと求めても,決して conscienece)において自分の場をもたず,責
すぐに,その患者の生きる希望を絶たせるよ 任性を奪われしたがって道徳的地位をも失っ うなことをしてはなりません。 ている。」
わたくしはかって二人の患者を知っており 本来真実と信頼とは,つねに一緒に相伴うもの ました。名医もその患者の懇切な願いに動か で,この二つは,相互に要求し前提とし合う。真 されて,ついに,患者の病が不治であること 実を語ること,それは,ナンヂとナンヂとかわり を告げたのでございます。それから日ならず 合う医師と患者との関係にあって本質的なもの
して,その病人は自尽(自殺)してしまいま で,真実を告げることを差控えるということは,
した。」 患者が大人ではなく小児か白痴であり,ナンジと (2)