近代監査と損益計算書の監査 : とくにP/L監査の特 質によせて
その他のタイトル Modern Audit and Income Statement Audit
著者 高尾 忠男
雑誌名 關西大學商學論集
巻 7
号 3
ページ 177‑196
発行年 1962‑08‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00021665
計算の途へと前進してきたのである︒ であった︒このように会計の進歩は︑
ま え
が
き
近代監査と損益計算書の監査
とくにp/L監査の特質によせてl
一九
近代会計理論の流れの主たるもののひとつは︑財務諸表のウニートが財産計算観より損益計算観へ︑つまり静態
会計観より動態会計観︑すなわち在来の貸借対照表中心から損益計算書中心へと︑その重点を転換させてきたこと
近代監査と損益計算書の監査 ツューマーレンバッハにおいて理論的に代表された動態会計へと急速に成果
このことは︑監査会計における領域においても︑必然的に﹁近代監壺﹂という方向に大きく転進せしめるにいた
った︒ほんらい︑伝統的といわれる監査領域にありては︑信用監査をもって企業の安全性の批判ということは会計
における保守主義的思考からのものであって︑それは当然のこととして貸借対照表監査を︑財務諸表監査での唯一
のものであるかのように重視してきた︒ところが近代会計理論の流れと共に︑近代監査においても︑財務諸表監査
自体︑信用能力監査︵貸借対照表監査︶から収益力監査︵損益計算書の監査︶
︵高
尾︶
高
へと︑そのボイントを移行してきた
尾
J巾I.!.ヽ
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近代監究と損益計算書の監査
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︑
いわゆる近代監査と損益計算書の監査︵以下たんに﹁損益計算書監査﹂と称する︶は︑監査会計の領
域において如何なる存在理由があり︑特質を有するのであろうか︑そしてまた︑損益計算監査効果の程度はどのよ
うであろうか︑小稿はこれらにかんして若干の考察を加えるにある︒
こんにちのごとく︑資本主義経済機構の主軸である株式会社企業が複雑・高度になって大規模化し︑膨大な設備
と巨額な投下資金を要するごとくなると︑その結果として企業体における資本と経営との分離︑また所有と管理と
の分離は必然的に生ずるところである︒ここに企業経営に直接関与・参加しない多数の出資者︵投資家︶いわゆる
不在株主と呼ばれる者の数は︑ただ増加の一途をたどるのみである︒他方︑信用経済の観点からすれば長期債権者
︵授信者︶にしても︑その他の利害関係者のすべてについても同じことがいえる︒これらの利害関係者がもっとも
期待し︑希求するところの利益擁護は︑すなわちその会社企業が提供する財務諸表を通じてのみ︑はじめて保護せ
られる︒すなわち︑この財務諸表をもってのみ企業体における利害関係者として接触することのできる唯一の会社
企業における財務上の正否判断資料のすべてであることはいうまでもない︒したがって︑如何なる利害関係者とい
えどもかかる財務諸表を手段としてのみ︑そこではじめて︑その会社企業の財政状態および経営成績にかんする一
切の実体を︑正しく把握することができるのであり︑さらにそれを甚礎とすることによってのみ︑それら利害関係
者は利害関係者としての正しい︑好ましい経済行為を期待し︑実現することができるからである︒
︵高 尾︶
二0
かように経営管理者とその利害関係者とを直結すべき重大な役割を果すべきところの財務諸表であるべきである
にかかわらず︑企業によって公表される財務諸表は︑如何ように︑ひいきめに表現してみたいと思ったところで︑
それは決して単なる事実の客観的内容を示すものではないといわなければならないところに多くの課題を含んでい
るといえよう︒そこには︑どのようにしても︑経僻者側とすれば︑企業管理者としての宿命ともいうべき恣意性も
あるであろうし︑政策的思考の介入する場合も存するであろう︒またそれぞれの作成者において︑商法・税法・会
計原則その他の諸規定での枠内で︑慣行にしたがって処理するとはいうものの︑それらの行為は︑まったく作成者
自身の自由な判断にもとづいた結果によって処理されるものであるから︑究極において︑それはたんなる作成責任
者の一種の意見を表明したものといってもよいものと思われる︒換言すると︑いうところの財務諸表なるものは︑
企業における首脳者の意見をはじめとして︑会計スクッフの判断︑主観的要求︑諸種の政策的意図が多分に加味さ
れているといわなければならないのであって︑このような︑すっきりしないきらいのある性格をもっている財務諸
表であるかぎりにおいてはすくなくとも︑その財務諸表は公正妥当であるとはいえず︑
の計数的把握ということは︑ゆがめられるのであるから安全とはいえないことは当然である︒
できるだけもっとも正当な財務諸表を作成しようと︑企業経営の衡にあたるものも︑経理部門のものも各々の立
場上の責任という見地からして︑またすぺてにわたり全力を結集して大いに努力するであろうと考えられるけれど
も︑それだからといって正確性を期待するのも︑絶対的に誤りがないとはこれまたいえないのである︒それはおよ
そ種々の事情からして一会計期間という尺か月なり一か年の長い間の経営活動より発生するさまざまの取引におよ
(1 )
ぶものを会計処理するのであるからには︑加何に細心の注意を払い︑内部牽制組織
( i n t
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)
を
近代監査と損益計算書の監査
︵高 尾︶
したがって︑その経営実体
であ
る︒
有していたとしても︑ある種の項目を見落したり︑見誤まることもあるだろうし︑それのみならず不幸にして︑
れら
が︑
近代監査と損益計算害の監査
力~
たまたま正確な会計的知識をもちあわせていなかったために会計的判断をゆがめるようなことも稀ではな いのである︒かの監壺甚準も︑財務諸表はややもすれば公正妥当を欠き︑誤謬または不確実な要素の介入する要素 が多く︑財政状態および経営成績の適正な表現がゆがめられ︑政策的考慮によって粉飾されるおそれがすくなくな い︒それゆえ外部関係人の収益を擁護するためには︑判断の妥当性を確かめることが必要であるとしている︒かく て財務諸表をしてその真実性と正確性という︑財務諸表ほんらいの美しい姿の表現されることを期待するとともに︑
それらの信頼性を止揚せんがために︑もっとも必須的なものとして監査が要請される所以であり︑ここに近代財筋
諸表監査というところの︑
いわゆる﹁近代監査﹂と呼称されるものが社会的必然性によって存在するにいたったの そこで近代的な株式会社の財務諸表監査は何故に必要であるのか︑これを明らかにすることが次の課題として考
えられる︒およそ近代的な株式会社に対して外部の関係者が何かの取引関係をもとうとすれば︑その会社の財政状 態と経営成績がいかなるものであるかを知らねばならぬが︑それが従来と違って会社の内情を直接に知ることがで きないことが建前になっている
3それがため当該会社の財務諸表によらねばならず︑
︵高 尾︶
またこれが唯一の有力な手段
になっている︒近代会計理論が財務諸表の公開性の原則を取り上げる所以もこのと
r
Jろにある︒そこで︑もしも財
務諸表を公認会計士のような一定の資格と条件を備えた監査人によって監査せしめ︑その結果を監査報告書にして
のすべての関係者がおかれているのである︒ 一般に外部の関係者という点では︑同一の水準にこれら 添付せしめたならば︑外部の関係者が取引関係をもつかどうかの判断資料に財務諸表を利用するに際して︑その監査報告書によって︑問題の財務諸表はかくの状態であることが判るから︑利用する財務諸表の内容を信頼し︑それによって取引関係の可否を判断する資料にできるわけである︒しばしば︑監査を受けることによって財務諸表に信頼性を高めるといわれているのは︑この点を指しているのである︒
しかし︑財務諸表を監査することによって信頼性を高めるといっても︑それは財務諸表に対する判断資料を充実
し︑財務諸表に対する誤解の危険をできるだけなくしようとするにすぎないのである︒だから︑外部の人々が監査
を受けた財務諸表によって︑その会社の実力を高く評価しようと︑時には同じ財務諸表によっても低く評価しよう
と︑それは各人の判断に任かされている︒故に︑財務諸表監査は外部の関係者の判断資料を充実するが︑判断の適
否からくるところの固有の危険は依然として外部の人々に残されているわけである︒この点は財務諸表監査に要請
すべき性質のものではない︒またここに財務諸表監査の外部の関係者への保護機能に限界がある︒
さて
︑
かかる外部の関係者にはいかなる人々があうか︒本来︑財務諸表は自己資本を主体にした会計記録の資料
から作成されているのであるから︑株主が外部の関係者であるのはいうまでもないが︑現今資本会計が問題になる
ように︑自己資本と共に他人資本も財務諸表に関連することが多い︒この点では社債権者︑債権者も外部の関係に
なるのは当然である︒ところが︑利益の分配︑損失の分担︑剰余金の婦属などについては関係がないが関係者にな
るのである︒この点で株主︑社債権者のように財務諸表に直接の利害関係者もあれば︑単に利用する意味の外部の
関係者もいる︒かように違った二つのグループがあるが︑
近代監査と損益計算書の監査
︵高
尾︶
大きな意義があるわけである︒ 近代監査と損益計算書の監査
しか
し︑
かかる外部の関係者は公開した財務諸表によっていかなる利害関係があろうか︒例えば会社側では或る
会計方針のもとで財務諸表を作成したとすれば︑この財務諸表を利用する外部の関係者にとっては︑その財務諸表
が有望な意味に解釈できる関係者もあれば︑有望でないように解釈できる関係者もいる︒いまかりに保守主義の方
針で財務諸表を作成したとせばどうか︒社債権者︑銀行などは会社の財政的基礎が堅実であるとして好ましくなる
であろうが︑近代的な株主にとっては今期の利益配分額が普通株主︑優先株主︑無額面株主などの相互間に影響が
あり︑更にいくらかの配分額が次期以後の株主の帰属になり︑好ましくないこともあろう︒この一例からしても︑
外部の関係者は会社の財務諸表から受ける影響には利害相反することが起きてくるのである︒かかることは従来で
もあったが︑特に近代経済社会においては会社経営と外部の関係者とが分離していることを建前にしているから︑
かかることを単に現実の問題と見倣して放置できない︒むしろ財務諸表から受ける相互の利害関係を調整するよう
にせねばならぬのである︒ここに近代会計学が会計上の規範として会計基準を問題にする所以がある︒また我国に
おいても企業会計原則︑財務諸表準則が制定されているのは︑
とこ
ろが
︑
であ
った
り︑
かかる外部の関係者の利害を調整することに一つの
かような規範に甚いて作成した財務諸表を監査するに際して︑監査人によってその監査の態度が不揃
また監査の範囲とその深さの程度において違っておれば︑外部の関係者にとっては︑何の益するとこ
ろもない︒そこで監査についても︑かなりの幅をもたせているが︑その規範を制定せねばならぬことになる︒ここ
に近代監査論において監査基準
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並びに監査手続
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などが)
(2 )
監査上の規範として問題にされる所以である︒
︵高 尾︶
ニ四
そもそも会計の立場からすれば︑今日の経営とは将来利潤を獲得するために︑前もって費用の支出を行なうこと
を特徴とするものであって︑
かかる支出を勘定において︑如何に処理するかが︑今日の財務会計の中心課題なので ある︒しかしながら現在ではもはや評価という判断の行使を以てしては︑過去または現在の支出の幾何が資産とし て繰越さるべきかは決定しえないのである︒評価ということは多種多様の原因に左右されるものであって︑年々の
近代監査と損益計算書の監査
︵高 尾︶
ひとびとに提供することは決して容易のことではない︒
二五
この近代監査が目的とするところは︑公正不偏の立場から︑主として財務諸表上における各勘定を分析して︑各 種の立証手段により︑会計諸記録の正当性を判断し︑財務諸表がその企業の財政状態および経営成績を適正に明示 しているかどうかについて検証するにある︒別言すれば︑財務諸表に表示された経営者の判断の建全性や︑
公正妥当と認められた会計原則および慣習との継続的一致に関して︑監査人が客観的な判断を下し︑公正な意見を 表明するにあるのである︒すなわち企業の判断が適正であるかどうかを判定し︑
その旨の意見を表明することによ
って企業の公表する財務諸表における真実性と信頼性を高揚せしめることにより︑企業のすべての利害関係者ばか りでなく︑あらたに利害関係をもつにいたるべきひとびとの利益を保護することにあるのは多言するまでもない︒
以上のようにこんにち︑近代監査といわれている財務諸表監査の基礎的資料とされる諸表はいうまでもなく︑企 業自身が作成する財務諸表であり︑これが提供され︑公表されることを前提要件としている︒どのような会計資料 であっても資料提供の用役は会計の正確な経済価値の数的把握をたてまえとしているのであって︑それを要求する
一般
に
近代監査と損益計算書の監査
評価は価格水準の変動︑評価人の心理状態等の変化により非常に相違せざるをえない︒したがって評価を基礎とし
て利潤を計算するならば︑営業成果に関係ある他のすべての要素はほとんど無意味なものになる惧れがある︒今日
の大企業の会計は資産の年次評価は実際上行ないえないという前提から出発しているのである︒しかしながら︑財
務会計において資産の年次評価はこれを断念するとしても︑それに代って支出を期間的に配分する方法が別に考慮
されねばならない︒すなわち一定の支出のうちその年度の収益に負担せしむべき部分と︑次期へ繰越すべき部分を
区別すべき何らかの方法が必要である︒しからざれば年次損益計算は行いえないからである︒この必要から利潤を
算定するとともに貸借対照表を作成するところの種々の慣習的方法が生れてきたのである
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3. ) ︒
アメリカにおける会計士の代表者達は近代企業の財務会計の特徴をこう説明している︒これをいい換えるならば︑
財務会計のいわゆる財産法の計理から損益法の計理への転換は企業規模の拡大複雑化とともに不可避であったとみ
るのである︒ということはすなわち︑近F的貸借対照表は︑固定資産の増大によって必然的に︑財産表から残高表
へ変質せざるをえなかったということである︒要するに近代企業における財務会計の中心問題は費用と収益の期間
的配
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h revenue)である︒すなわち︑その第一の任務は事業年度に帰属する収益
とこれを負担せしむべき費用を正当に把握して純益を算定することであり︑
に集計して次期へ繰越すのである︒したがって財務会計は過去において一般に行われたような資産の年次評価に依
存するものではない︒ただ例外として棚卸資産の時価が原価より低い場合︑時価まで原価を切下げる慣習が残って
いるのみである︒それ故近代的貸借対照表は現実の財政事実の真の姿をあるがままに表現したものではありえない︒
︵高 尾︶
しかるのち収支の残余額を貸借対照表
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二六
かを検査し︑その妥当性を吟味することである︒ して仮決算にすぎないというべきであろう︒
二七
一般に財務表は︑帳薄記録と慣習的方法と主観 これは人為的に会計期間を区切って費用と収益を配偶せる結果派生した副産物であって︑多分に主観的判断や見積を含むのである︒また費用収益の期間的配分
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には︱つの方法が定
っているわけではなく︑実際上数多くの異なった方法が慣習として形造られ︑発達している︒たとえば棚卸資産の
原価を算定する個別法︑先入先出法︑後入先出法︑移動平均法︑総平均法または最終原価法が対立するごとくであ
る︒しかも方法それ自体としてはいずれを是としていずれを非とすることはできないのであって︑
理由がある︒したがって貸借対照表というよりは損益表を含めて︑
的判断の綜合的結果である︒
一事業年度の利潤ほ︑判断の如何により︑慣習的方法の選択により︑
対額について精密な正確性を要請することは不可能である︒それ故毎期の損益計算は厳密にいえば︑決算にあらず
当時の財務会計学を支配せる根本思想は以上に述べたごとくである︒果してしからば損益計算監査は如何なる任
務を果すべく︑
を期待することができないとすれば︑如何なる点を監査すべきであろうか︒ それぞれ存在の
いろいろに算定しうるのであって︑その絶
また果しうるのであろうか︒もっと具体的にいえば︑事業年度ごとの個別的利益額について正確性
これに対する解答は︑計算の結果が問題にならぬとすれば︑計算の仕方について当否を吟味するほかはないとい
うことである︒すなわち費用収益の分割︑配偶について如何なる判断が下され︑如何なる慣習的方法が用いられた
近代監査と損益計算書の監査
︵高
尾︶
がその特質にふれてみる︒
四
近代監査と損益計算書の監査
判断の当否は︑必然的に判断した人の能力と誠実さの程度に依存するとともに︑方法の選択適用において必然的
に︑適正な会計原則を遵守したか否かにかかるのである︒したがって︑損益計算監査においては︑費用収益が如何
なる方法で分割︑配偶されたか︑それが健全な会計原則に準拠したものかどうかを確めることが極めて重要な任務
(4 )
とな
る︒
われわれは監査会計の立場から︑近代監査のよってたっところの所以︑
であること︑そして近代監査の目的とするところ︑ならびに損益計算書監査の任務等にかんして概括的ではあるが︑
いちおうの検討を加えたのであるが︑さらに︑近代監査のもとにおける損益計算書監査の特質といわれる点につい
て考察をすすめる︒ つまり︑それは社会的必然性による存在
しからば︑損益計算書監査における特質とされるところとしては︑如何ようなことが考えられるのであろうか︑
このことは︑それぞれの監査的観点の度合によってある程度のちがいの生ずことはいたしかたのないところである
まず第一に︑企業の一会計期間において︑
原則に準拠して合理的であるかどうかを吟味すべきであるということ︒第二に︑企業の採用したところの会計処理
︵分類・記録︒計算・報告︶の方法が一般に認められた企業会計原則に準拠して合理的であるかどうかを吟味すべ
きであるということ︒第三に︑企業が採用しているすべての方法そのものが果して継続的に前期に行ったと同一の
︵高 尾︶
いわゆる費用と収益の認識・測定の基準が一般に認められた企業会計
ニ八
ほかならないといえるのである︒
︵高 尾︶
二九
方法でなされているかどうかを吟味するためにできるだけ長期観察を行うべきであるということ︒第四に︑監査技
術︵ここでは試査と抜検査︶を徹底して用いるところの吟味の方法を行なうべきであるということ︒第五に︑企業
の概括的正確性の傍証を把握するためにすべての比率を用いて吟味すべきであるということ︒
いちおう︑きわめて端的に列挙してみるとこのようにいえると思うのであるけれども︑損益計算書監査の特質に
ついての基本的問題ともいうべき︑それをきわめて複雑化し︑招来しているものに企業体の宿命とされているゴー
イング・コンサーン
( g o i
n g c o
n c e r
n )
を指摘することができるであろう︒企業のもつ継続経営の自然性をゆがめ
てまで︑人為的に按分せられた営業年度ごとに期間計算された結果の純損益そのものは︑企業の経理担当者が豊富
な会計全般にわたる知識と経験をもって︑それを如何に注意深く会計処理を行ない︑またいっぽう有能な監査人が
如何に精密なる監査を実施したとしても︑企業の純損益が絶対的正確を表示しうるものではないのである︒何故な
らば企業の設立︵開店日︶よりその解散︵閉鎖日︶に至る企業の全経営活動期間を通じてなされるところの結果に
おいて把握せられた企業の純損益にして︑はじめてその正確性をわれわれは期待できるのであることはいうまでも
ない︒しかるにただ単に便宜的に︑人為的に全経営活動の流れを一定事業年度ごとに按分して会計処理を行ない損
益計算をしたとしても︑それはどこまでもいわゆる仮定上に立脚したる決算の範疇を脱しえないものであるからに
さらにしいてあげるとすれば︑費用・収益という損︒益の項目におけるそれぞれの集計額は︑
近代監査と損益計算書の監査 いずれも期間の合
計額であって︑この一会計期間での企業の取引量は︑もちろんその規模の大小︑業種の如何により相異はあるが︑
取引量そのものは小企業といえども案外多量である︒したがって︑かかる多量の取引に関してその正確性や妥当性
近代監査と損益計算書の監査
を期するために︑精細に漏れなく監査を実施することは︑いかようにしても行なおうとすれば︑それはでき得ない.
ことではないけれども︑あまりにも多大の監査費用を要する点からいえば︑
らば決して好ましいあり方ではない︒かくして損益計算書の諸項目はそれら以外の方法にもとずいて概括的な正確
このような理由にもとずいて︑
いわゆる損益計算書監査そのものは︑すなわち﹁原則と方法﹂もしくは﹁記録と 方法﹂にかんしての照合を主眼としてその妥当性なり正確性をたしかめてゆくものであると考えられている︒
しかしながら︑財務諸表監査の領域において伝統的貸借対照表監査は︑その資産・負債および資本の諸項目につ いては︑損・益項目と同様に︑会計期間中に多量の取引によって大いに影響されることであろうが︑損益計算書監 査の対象としているところの取引そのものを対象とし︑それを監査するより仕方がないのである︒したがって︑こ こに両者の監査手続の相異がみられるのであり︑損益計算書監査においての﹁原則と方法﹂もしくは﹁記録と記録
﹂の照合を主眼とするのに対して︑貸借対照表監査においては資産・負債および資本の項目別にわたって﹁記録と
事実﹂の照合を主眼としてゆく方法でもって︑
する
のは
︑
入念に監査を実施せんとするところのものに比してみるとき︑ここ
に損益計算書の監査はその手続上においていちじるしき特質を形成しているものと思われる︒長期観察を企業会計 原則の継続性の立場において行なったり︑試査や各種の比率を吟味する監査技術をできるだけ採用して行なおうと
まった<損益計算書監査における独得のものであるといえる︒そこで︑損益計算書監査においての費用
・収益にかんする各項目の監査に当っては︑損益計算書監査が有する機能を発揮して︑その監査が執行されるべき
であることについてはここで多言するまでもないところである︒ 性を吟味するをもって是なりとされているのである︒
︵高 尾︶
つまり監査の経済性の観点からするな
゜
計算書監査といえども︑
︵高 尾︶
かの企業会計原則が規定するつまり︑当期の営業収益はその給付の実現によってのみ算定されるのであり︑費用
もまたそれに対応するところの原価が当期の営業費用として認識されるのである︒そして必ずしも費用・収益の対
応せざる営業外費用および収益︵損失および利益をも含む︶もこれに準じて当期発生額が計上せられる︒さらに期
であって︑未費消原価および未実現収益での金額にかんしては︑すべて貸借対照表に記載しなければならないので
ある︒また資産勘定において︑当期での費消せしものや︑次期以降においての収益をもたらすことのないとされる
原価は︑それぞれ当期の費用としなければならないのである︒このことは︑いわゆる損益計算書における必要処理
であったとしても貸借対照表のそれとまったく不可分の関係にあることを立証するものである︒これをもって損益
つまり関連する貸借対照表項目の検証なくしてはその監査の完壁を期することができない
(5
)
とされる所以でもある︒かかるがごときは端的にいって︑貸借対照表の示す期首と期末におけるそれぞれの諸項目
の金額が真に適正に表示されていたとするならば︑その結果において算定されたところの所得額は︑
<貸借対照表を作成するにさいして適用される企業会計原則に準拠した妥当なものとなるのは理の当然である︒そ
れは要するに貸借対照表監査にありては︑期間での費用・収益各項目が果して適正妥当に会計処理されているや否
や等についてのことがらはその関知する機能を有しないのである︒しかしながら︑すでにふれたるごとく損益計算
においてはいわば関連項目についての正当性を明瞭に立証することのできる優れた機能をもつものである︒すなわ
近代監査と損益計算書の監査 間外での費用や収益の金額については︑もしあるとすれば︑
いうまでもな それは直接未処分利益剰余金に計上せらるべきもの
五
近代監査と損益計算書の監査
ち損益計算書での仕入︑売上の項目に対しては︑必然的に貸借対照表における期首と期末に所有する在庫品を検証
することが要求されるのであり︑また貸借対照表での固定資産の評価にかんしては反対に損益計算書における減価
償却費の項目を念査しなければならないのであって︑これらの関連的項目は︑例へば︑売上においても貸借対照表
の受取勘定や在庫品を照査することにより︑損益計算書における売上高の期間的な見地よりの妥当性を把握するこ
とが可能であるから立証手段となりうる︒反対に受取勘定の確認に当っては︑売上高の適正性を確かめうることが
できる︒また︑前払費用や繰延費用の吟味は当期に必ず計上すべき費用が繰延べられていないか︑反対に︑前期か
ら繰越されたところの費用であるから当然のこととして当期に計上が処理されているか等をそれぞれ立証できるの
をいうのであるが︑このような関連的項目はすくなしとしないのである︒
ここに損益計算書監査が有するといわれるところの監査手続は如何ようになされるのであろうか︑ここでは︑い
まず最初に売上高における場合について
売上計上の時期がもっととも重要となるのであるから︑
次に売上計上の方法が︑ したがってこの場合には企業会計原則に準拠の有無を
はたして前期とまったく同様の方法でもって継続してなされているかどうかについて
前期および前々期を含む営業期間における月別売上一覧表にもとずいて︑その月間比較および前期・前々期の
同月とそれぞれ比較を行ない︑その結果いちじるしき変動の生ずる月を選んで︑その月の売上に関する︵たとえ ③ R
たし
かめ
る︒
照合することによってその正当性をたしかめる︒ ① ちおう筆者なりの角度からその方法を確かめることにする︒
︵高 尾︶
ない
︒ はじめて売上原価を確定づけることになるのであるがゆえに︑この在庫品在庫品を明確にすることによって︑ この売上原価にありては︑前段において述べた売上高の①から⑤までと同様の方法でもって試査を行なうべき
については︑すでに貸借対照表監査において検証が終了している場合はその金額を援用するのもよいのである︒
けれども損益計算書での監査としても一応︑商品回転率を算出することにより︑
とを比較し︑もしそれらしき差異が生じたときは︑その担当者をして説明を求め︑十分満足するの域まで達する
を要するはもちろんのことである︒しかるのちにおいてそれらの理由の適正性・妥当性をたしかめなければなら
近代監査と損益計算書の監査 であるのはいうまでもない︒
︵高 尾︶
② ① つぎに売上原価における場合について 検証しなければならない︒ がってかかるがごとき販売のある場合には︑ そして差異がある場合には︑さらに関係の書票の個々についてのその理由を深く追求すべきである︒金額の如何を問わず返品・値下ある場合にありても④項と同様の方法でもって念査の要あるはいうまでもない本店以外にも店舗を有する場合︑たとえば本・支店間での売上︑また月賦販売︑さらに試用販売等の行われし
ときは︑どうしても未実現利益の関係があるから︑それらの含まれていないことをたしかめる必要がある︒した
っとめて売上利益計上の方法にかんして︑その妥当性をめんみつに ⑥ が︑それは試査や抜検査によって行なう︒ ⑤ ④ ば送り状や納品伝票等︶証票の合計額との突合せをする︒
できるだけ前期におけるその率
個別監査にまつよりしかたがないであろう︒ ① 第四ほ営業外損益における場合について れていることの可否を検証すべきである︒ ⑥ ④
らな
い︒
③ ③ ① 第三は営業費における場合について ずから吟味すべきである︒ なお必要なこととして総益テストがある︒すなわち売上高との関連においてこの総益テストを行なうことによ
り︑もしもいちじるしい増減がみられる場合︑質問を発し関係者の説明を求める︒そしてその説明の妥当性をみ
前期を含む月別営業費内訳一覧表にもとずいて比較観察を行って検討してみる︒
この湯合できるだけ変動費と固定費に区分せしめる︒
変動費にかんしては売上高に対する比率によって︑月間および前期の同月と比較せしめて︑そこにいちじるし
き変動のみられる項目を選択して勘定分析を試みることによって︑その変動の原因の如何をたしかめなければな
固定費については実際支払月額を︑変動費と同じ方法をもって比較を行ない︑その結果︑変動の疑わしきと思
われる項目に関してのみ勘定分析を用いてかかる変動生し原因を吟味すべきである︒
さらによく検討しなければならないものとして資本的支出と収益的支出にかんする区分が問題とされうる︒こ
れについては企業会計原則に照応してその準拠の妥当性の如何および︑前期と同一方針のもとに継続して一貫さ
この営業外損益においては比較銅察を適用するも︑その実質的な効果は期待できないので本項目では︑たんに ③ . 近代監査と損益計算書の監査
︵高 尾︶
四
六
︵高 尾︶
よって金額的にみて多額と考えられるか︑いっばん通念上から異常と思われるがごとき項目を採りあげて︑そ
たとえば︑受取利子収入を所有公社債と照合せしめると同時に︑借入金との関係において逆に支払利息の正当
性を照査することによってそれぞれの妥当性をたしかめるがごときである︒
五
.
以上によって明らかなように損益計算に附随する関係勘定の監査手続を概括的にいえば︑主として個々の勘定項
.抜検査によって行なうか︑ 目を前期のそれと比較観察をするか︑関連項目なり︑勘定の一覧表または明細表をもとにしての検閲・照査・試査
いくつかの勘定項目を選択してそれらについて証拠入手による突合わせをするか︑さ
らにいくつかの期間を選んで期間における関係帳簿書類等を照査するかによってなされると断定されうるのである︒
したがって︑このような内容と範囲に帰一するものであるとするならば︑それらは企業の有する内部統制組織を検
閲し︑その実施状況がきわめて信頼をおくにたると認められた場合には︑その内部統制組織の制度を大いに活用す
べきである︒そして︑
して︑損益計算書監査はその成果を高度に発揮することとなるのである︒ ⑧
さらに進んでこれと協調することによって一段と効果を期待すべきはいうまでもない︒かく
およそ︑企業経営の健全なる運営とその発展を企図し︑その能率向上を期待せんがためには︑会計上の虚偽誤謬︑
不正詐欺等の発生を未然に防止すると共に︑正当なる会計資料が提供されるような方策が︑態勢が講じられなけれ
ばならない︒その方策︑その態勢については学問としての分野においても種々あると考えられるのはいうまでもな
近代監査と損益計算書の監査 れぞれに対応する資産︑負債との関連において吟味する︒ R
近代監査と損益計算害の監査
﹁会計は今日なお進歩の過
い︒けれども本稿でとりあげた監査会計の領域では︑青木教授がその定義で﹁経営の実体の計数的把握に関する組 織とその過程とその結果について正当性を判断し︑経営目的の実現性とを批判し︑もって経営政策樹立の資料を提
(6 )
供せんとするもの﹂といわれているごとく︑会計の機能として企業における全財産の保護と︑経営目的という︑そ れ本来の事業目的の健全向上に重点を置く分野が厳然と存在していることに甜目すべきであることを主張するもの 近代会計観にかんしては︑すでにシュマーレンバッハによって明確に解明し指摘されているところであるが︑こ
れはまた次のことについてもいえるのではなかろうか︒すなわち︑企業会計が経営規模の拡大化︑巨大な財産構成 の複雑化に禍いされて︑実際上技術的困難さのゆえに財産計算である貸借対照表を放棄したのはやむを得ないこと であろうというのである︒もとより︑これに対処して損益法の成果計算を精密化し︑
(7 )
に接近すべく損益計算書の正確化へ努力したことはいうまでもない︒
できるかぎり信頼しうる結果
財務諸表をささえている貸借対照表および損益計算書という二本の要の柱は︑複式簿記機構を基盤とするかぎり における会計処理の手続を行なう以上︑それは必然的な結果の産物である︒近代企業会計的観点より思考するとき︑
如何に損益計算が重視され優先的なものとして重宝され︑理解されてきているのかはここで繰返し記すまでもない︒
この点に関しては一般実務界においてもよく実践に正しく生かされていることである︒
(8 )
程をたどとつつある︒近代会計は不断の発展と拡張の過程にある﹂のである︒
(9 )
アメリカでの監査のはじまったのは信用目的のために行なうところの精密監査
(d
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であったとさ
れているのであるから︑そのプロ七スはまことに長い年月を経過し︑その監査経験はきわめて尊くつみ重ねられて で
ある
︒
︵高 尾︶
ノ-』—·
︵高 尾︶
きたのである︒しかし︑きわめて詳細な微にいり細にわたって吟味してゆく手続をとるこの監査は︑それによって
監査人にとっても︑
︳ 七
反映される監査効果に較べ︑あまりにも多くの日時と大きな監査費用を招来する事態は︑被監査企業にとっても︑
かかる精密監査は決して今日の変動する経済社会において︑変転常なき企業として好ましい監
査手段ではないのである︒ところが︑貸借対照表と損益計算書との監査は︑それの監査の弱点を補なうに足る十分
な監査としての効果を満たすことのできる優れた機能︑特質を有するものであることを知った︒それは︑まさしく
近代会計という潮流に流動するごとき損益計算という流れを優先しているにもかかわらず︑あえて財務諸表という
( 10 )
監査だけが依然として古き伝統を着飾ってか︑貸借対照表監査なる流れをば大事に引止めている所以のものは一体︑
それはすなわち︑経営本来の唯一の目慄が何はともあれ幾ら当期では利潤をあげることができたかという︑純損
益の数的把握という一点のみを擬視するを宿命として担っているものであるとし︑それをもって至上目標としてい
ることをまず認識しておくことが必要である︒そうすれば︑損益計算書的流れの監査手続は︑
いわ
ば原
則対
方法
︑
換言すれば︑企業の会計処理せし記録と一般に認められた原則︵記録︶との照合であっても︑もっともその手続ほ
内部統制という組織の信頼とに影響されるのであるが︑企業が唯一の目標としている利益追求の終着点である純損
益金額というところの実在性を明瞭に見究めるには貸借対照表監査よりも弱点があるといいうるであろう︒すなわ
ち貸借対照表的流れの監査手続は︑財産の実存を確かめることであった︒それは︑純損益ならば︑はたしてその金
額の真実性を確かめる手段として︑それがために記録と事実について︑その財産の実在性を自ら帳簿書類が表示す
るかを直接に検証するのである︒これによって現在の段階では少くとも貸借対照表監査がたしかに好ましいという
近代監査と損益計算書`の監査 如何なる理由︑如何なる根拠によるものであるか︒
ことがいいうるのであると考える︒
近代監査と損益計算害の監査
註
( 1 )
拙摘﹁内部牽制組織について﹂雑誌﹁税経通信第一︱︱一巻第二号﹂を参照されたい︒
(2 ) 久保田音二郎教授著﹁財務諸表監査﹂五ー八頁︒
(3 ) キャノン教授は︑会計資料は通常絶対的よりも︑むしろ相対的に意味をもつのであると述べている︒そして︑会計の目 的ほ資料を提供することであるともいっている︒
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19 52 .
(4 ) 岩 田 厳 教 授 著
﹁ 会 計 原 則 と 監 査 荼 準
﹂ 六 ニ ー 六 五 頁
︒
.
(5
) モントゴメリーは︑真の貸借対照表なるものは記帳の有無に関係なく︑総ての資産と負債・資本とを表示されておらな ければならないといっている︒
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(6 ) 青木倫太郎教授稿﹁会計士監査﹂雑誌﹁会計﹂第六八巻第四号︒
(7 ) 岩田厳教授稿﹁企業会計における会計士監査の意味﹂日本会計学会編
T財務監査論﹂︱二頁︒
(8 ) 青 木 倫 太 郎 教 授 稿 前 掲 書
︱ 二 頁
︒
・ (9 ) 拙稿﹁貸借対照表監査の特質と監査報告書﹂雑誌﹁監査﹂第二巻第五号を参照されたい︒
( 1 0 ) 拙稿前掲書を参照されたい︒
︵高 尾︶
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