Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
kalpanal
百
ghava
と
kalpanagaurava
金
沢
篤
granthagauravabhay
甑d
iha
dihmatram
ucyate .0
バ ー ッ タ派 (
Bhatta
)の 知 識 論の 綱 要 書 として 名 高い ナ ー ラー ヤ ナ (Naraya4a
)の
『
マ ーナ メ ー ヨ ー ダヤ 』 (Manameyodaya
:MMU
)に は 次の よ うな一節
が あ る。i
)napi
pari
首e$yad
vayusiddhib!
asiddhadravyakalpanatab siddhasyai −va
dravyasya
gupantarakalpanaya
laghiyastaratvat
!kalpanalagha
・vasyaiva
hi
gupavattaratvam
ahur
acaryah
kalpanalaghavam
yatra
tam
pak
§am rocayamahe1
kalpan
且gauravam
yatra
ta
阻pak
$a卑 na sah 盃mahe〃
iti
!
atastvagindriyagrahyo
vayuh1
(MMu
,P
.161
,11
.1
−
6
)1
) 残余
法 (pariSe
$ya
)に基
づ い て 風(
vayu)
の確
立(
siddhi)
があ
る, とい うこともない 。 確 定 し て い な い 実 体 (
dravya
)の 想 定 (kalpana
)よ り, 確 定 して いる もの に 他な らぬ
実体
に 対 する他
の 性 質 (gupa
)の 想定
’ が , 遙か に よ り簡 潔(
1aghiyastara
)であ
るが故
に。何 故
なら師
長 (acaryah
)が「
想定
の簡潔
さ」
(
kalpanalaghava
)こそ が, 遙か に素晴
ら しい (gupavattara
)こ とで ある と , 言 わ れ て い るの で あ る か ら。 〔即 ち〕「想 定の
簡潔
さの存す
る所 説 (pak
$a)を余
は好
め り (rocayamahe )。 想定
の
複
雑さ (kalpanagaurava
)の 存 する所 説 (pak
$a)を 余ば
耐 え じ(na saha ・mahe )。」
と。 こ の 故に, 風は触 感 (
tvagindriya
)に よっ て 把捉 され る。こ こ で
便
宜 的に 「想
定の簡 潔
さ」「
想 定の複 雑
さ」 と訳さ れ たkalpan21aghava
,kalpanagaurava
とい う術語
工) に よ っ て表わ さ れ る 二概
念は ,後
代 主に ニ ヤ ーヤ 学 派 (Naiyayika
c・rTarkika
)の 論理 学にあ っ て, 知 識 手段 (pramapa
)の補 助
を 一 554 一 N工 工一EleotronioKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty (
54
)kalpanalaghava
とkalpanagaurava
なす もの (sahakarin )と して の タ ル カ (tarka
)の 内に 明 確に 数 えられる に い た る もの であ
る2) 。実 際
その両語
は対
比 的に用 い られ る こ と が多
く, 一般に他
説の 過 (do
§a)を指 摘し, 自説の 卓 越 性の 宣 揚 と して 展 開 ・具 現 され る イ ン ド哲 学 の 数 あ る 論書
の内
に屡
々 見 出される もの で ある。 小論
は ,若
干の 用 例 を 通 じて主 とし て その 「二概念 」
及び そ れ ら と表裏
を なす 「一つ の 原 則3)」を詮 議 し,あ わ せ て従
来 看過
されて きた 「一つ の 歴 史 的 展SS
‘)」を得る こ とを 目的 と し て い る。1
.少 し く簡
潔
に 過 ぎる嫌い が ある とは 言え, 手 始めに こ のi
)を今 少 し仔 細に検 討 して み よ う。前主張 :〔残 余 法 (
pariSe
$ya
)に基づ い て 〕 風 (vayu )の 確立 (siddhi )がある。 (
A
)定
説
:A
の否定
。:風 は 触 感 (
tvagindriya
) に よっ て 把捉 され る。 (B
)認 定
:
A
に はkalpanagaurava
カミあり ,B
に はkalpanalaghava
カ9
ある。:
A
よ り,B
が優
れて い る。原
則
:一 つ の 論 題を廻る二 つ の 理 論が ある 時に は ,kalpanalaghava
の あ る理 論が優 れて い る。 (
C
)根 拠 :
C
を表 明する師 長の 言があ り ,自
らもC
を受
け入 れ る立場にあ
る。原
則
:性質
を 持つ もの (dharmin
)の 想 定 よ り, 性質
(dharma
) の 想 定 が 簡 潔で ある。 (D
) 5)風 (vayu ) とい う
実
体 (dravya
)は , 前主張 者に とっ て は , 確i
定
し て い な い(
asiddha )が , 定 説 者に とっ て は,確
定 して い る (siddha )。前
主張
者 に とっ て は , 風 は直 接知覚
で きず (apratyak $a), 残 余 法 6) に 基づ い て確 定 され る。 こ れ は , 定説
老に とっ て は, 確定
して い な い実
体を想
定 する こ と (kalpana
)で ある。 定説者
は , 確 定 して い る実 体た る風は, その 実 体に別の 性 質 (guoa
) を想 定 する こ と (kalpana
)に よっ て, 直 接 知 覚される ( = 触 感 に よ っ て 把捉 され る)と 主張 す る。 原則D
に ょっ て , こ の 二 つ の 説 (理 論)で は,後
者の想
定 が よ り簡 潔
で あ る。 従 っ て, 原 則C
に よっ てB
説が優
れ て い る。 こ の 原則C
は ,い わ ぽ 「理論構
築
上の簡潔
性の 原 則7)」
と呼ぶ こ とが出 来る。 だ が, こ の 原 則を歯
牙 に か け な い 者に とっ ては, こ の 一節 に 展 開される議 論は無意
味 な もの となる はず
であ
る 。 ま 一553
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
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kalpanalaghava
とkalpanagaurava
(55) た, 仮 りに原 則C
を受
け 入 れた とし て も, 原則
D
に関
し て は , 異論
が あ り得
よ う8) 。 この 用 例は残念
なが ら, そ の 間の や り と りまで は 教えて くれ な い 。 た だ, 原 則C
が 明 確に されな い ま まに それを用 い て議
論が展 開 さ れ る こ と が 普 通で あ る9) こ と を考え る な らば, こ のi
) で , 原 則C
が ,師
長 の 言 明 と して 明確
に 表 明 されて い る こ とは重
要で あろ う。薯 者
Narayarpa
は , 別の 箇所
で また次の よ うに記 して い る。ii
)gaurava
靼laghava
甲 cetitarkau
sarvatrik 翫v ubhau!
gauravarp
kalpanadhikyarp
l
訌ghavam
tv
alpakalpana〃
do
$apras .ahgar 亘patvarp
gauravasyaiva
vidyate!
sadhye
gu
ロakath 亘dvara
laghavasya
prasafigata
1
! (MMU
,
p
.40
,11
.1
−4
)2
)複
雑さ (gaurava
) と簡 潔 さ (laghava
) とい う二 つ の タ ル カ は 一般的
なもの (sarvatrika )で ある。 複 雑 さ とは 想 定の 過 剰 性 (
kalpanadhikya
)で あ り, 一 方 簡 潔さ とは ,
少
量 の 想 定 (alpakalpana )で ある。複
雑さに のみ, 過へ の
帰 着 (
do
§aprasahga ) とい う形を もつ こ とが存
す る。簡潔
さに は 利を語る こ と (
gupakatha
) を媒 介 と し て , 所 証 (sadhya )へ 帰 着 す る こ と が あ る。iii
)prabhakarah
punar
asyahpadarthantaratvam
anumanagamyat ・vam ca sarpgirante
!
tad
ayuktam asyah siddhasyaivapadarthasya
gupatvena
kalpane
laghavat
!anyathagauravaprasahgat
!
6akteh
padarthantaratvam
apikaumarilanam
i
§tam
eva!
ity
ala卑tanni
−rasaprayasena
!
anumanagamyatvamtu
pratyak
$atodr
$tasarpban
・dhasyaiva
lifigasyanumapakatvam
iti
samarthayadbhir asmabhirevanum 訌n :aparik $
ayarp
nirastam!
10) (MMU
,p
.266
,11
.5
−
10
)3
) また プ ラ バ ーカ ラの徒
(Prabhakara
) ら は , こ の 〔可能
力〕 が,他
の〔
独
立の 〕句義
(padartha
)
であ
る こ と, 及び推
理(
anumana ) に よっ て了 知 さ れ る もの で ある こ とを , 主張 す る。 〔だが 〕そ れ は適当 で は な い 。
こ の 〔可
能
力〕に対
し て ,確
定 した もの に他
な ら な い句 義
の ,性質
(guna
)で
あ
る と想 定
する な らぽ,簡 潔
であ
るが故
に 。 さ もな け れ ぽ,複 雑
さ 〔とい う過が〕 出 来 する が故に。 可能 力が , 他の 〔独 立の 〕 句
義
で ある と い うこ と もま た , ク ー? H リラ の
徒
(Kaumarila
) らに と っ て は , 望ま れ た もの 一552
一一 N工 工一EleotronioKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 〔
56
)kalpanalaghava
とkalpanagaurava
(i
§ta
) に他な らない の で ある。 以 上で , その〔
可能力
は他
の 独 立 の 句義
で ある との , プ ラパ ーカ ラの 徒 らの 主 張〕 の 論駁の 為の努
力は充 分であ
る。 一方
, 〔可能 力が〕推理 に よっ て 了 知 される もの で ある こ とは ,直 接
知覚
に 基づ い て知覚
された関係
を持
つ もの に他
な らぬ微 標 (1i
血ga
)が推 理せ しむ る もの で ある と考える他な らぬ 我々 に よっ て ,厂
推
理 の考察 〔
章
〕」 に お い て , 論 駁 され たの である。こ の
ii
)iii
)に よ っ て, 先にi
)につ い て検 討
し た こ と が, 概 ね 裏づ け られる で あろ う。kalpanalaghava
,・gaurava
とい う二概
念を 明らか に するii
)に お い て は ,laghava
,gaurava
の 二者
が , そ れぞれ alpalt)
,
adhikya
に対
応す
るも
の と して 明 記さ れ て い る こ と,i
)と 同様
そ の 二概
念を用い て の議
論 の実
例を与
えるiii
)にお い て は , やは り
原則
D
が活 用されて い る こ との 二 点 を 確 認して 次に 進 も う。皿.
i
) に お い てNaraya
ロa がkalpanalaghava
,−gaurava
を用
い て の 議 論の 為の 「権 威 」 と して引
用 する師 長 (acaryah
) の 言は,i
)iii
) の 用 例で 明らか な通 り,二 っ の 主張に
対
して , そ れ ぞれkalpanalaghava
,−gaurava
を配 する こ とに よ って ,
後
者 を退け , 前者 を選び とる際
の 拠 り所 となる もの であ
る。想定
の持
つ「
軽
い こ と
」
(laghava
orlaghutva
)「
重い こ と」 (gaurava
orgurutva
)とい う性質
は , それ 自体が そ れ を持
つ想
定ない しそれ よ りなる主張 (理 論 )の 優 ・ 劣の 基 準な の で は ない 。 論 者に よっ て は , 「重 い こ ともある ぺ し, 〔だか ら とい っ て〕 ど ん
な過が ある だ ろ う
」
(bhavatu
gauravam
apiko
do
$a「2)) とい う開 き直
りが常
に予 想され るか らである 。 そ の 際に拠 り所 と な るの が, その 原 則
C
で あろ う。従
っ て その 二 概 念 と, 個 々 の 想 定に そ れ を認 定 する こ とを通 じて それ らに優
・劣
を 割 り当て る原 則 とを 明 確に 区 別 する必要
があ
る。 その 二概
念が , どの よ うな環 境の 中で 育まれ た か , そ して 何 時,kalpanalaghava
,・gaurava
と い う二 つ の 術語
と して 結 実 し た か , さ らに その 原 則C
が , 何 時, 誰に よ っ て 明確に 表明 さ れ た か , と問 うこ とが, 歴史 的展望
を得
る に は不 可 欠で あろ う。 そ の意 味
でNarayapa
に よっ て 権 威 者 とされる 師 長が誰かを 先 ず問題に し よ うとい うの で ある 。MMU
の英
訳を も与
える編
者C
.Kunhan
Raja
&S
.S
。Suryanarayana
Sastri
は, ただ 師 長 (acaryah13
) )をThe
Preceptors
とす るぼ か りで , そ れ が誰
を指
すか に言 及せず
, ま た引
用 句の 出典 も詳 らか に して い ない 。 だ が,MMU
一551
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
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kalpanalaghava と
kalpanagaurava
(57 )冒 頭の
帰敬偈
に は以
下の よ うにあ
る こ とか ら, その師長
をパ ー ッ タ派
の創始 者
たる クマ ー リラ (
Kumarila
)と考
えて い る の か も知れ ない。
iv
)acaryamatapathodhau
balan
api nini §atam !bhimata
卑ko
’pi
gopalapotah
pota
ivastu
nah〃
manameyavibhagena vastUnam
dvividha
sthitih!
atas
tad
ubhaya 卑bramah
≦rimatkaumariladhvna〃
(MMU
,
P
.1
,11
.4
−7
)4
) 幼童
らを も,師
長(
acarya
)
の思 想
の大
洋へ誘
わん とし て 怖 じ気づ い て いる我 らに とっ て は ,
如
何な る牛 飼い の 子 も小船
の如
きで あろ う。知 識 手 段と知 識
対
象の 別に よ り,実
在 物は 二種
であ
る。 こ の 故に我
ら は,その 両 者 を 吉 祥 なる ク マ ー リラ 〔の 徒 〕の
道
に 従 っ て述
べ る。実 際
MMU
の こ.こ か し こ に は, や は り英
訳者
に よっ て は 出典
が 明 記さ れ ない ll) もの の , 師 長 (acaryah
) の 言 と して, 我 々 に も馴 染 み の 『シ ュ ロ ー カ ヴァ ール ッ テ イ カ』 (Slokavarttika
:SV
)等の 詩節
が引
かれて い る 15)の で ある 。 だ が 残 念 なが ら問題
の詩節
はSV
に見
出されず
,Kumarila
の 他の 現 行 著 作 中に も 見 出 さ れ な い 。 従 っ て そ れは今
日少
なか らぬ 断 片 が回収 されて い る,Kumarila
の 失わ れ た著作
『ブ リハ ッ テ ィ ーカ ー』 (Brhattika
)の もの と も考 え られ る16)が , そ う断 定す
る には決
め て を欠
くよ うで ある。 い つ の 場 合に も引
用 句の出典捜
し は面倒
な もの である が ,幸い こ の場 合に は , 思い が け ない 所か ら資 料が得
られ るの で あ る。 今 日 ニ ヤーヤ (一ヴ ァ イ シ ェ ー シ カ) 学 派の 綱 要 書 と して 知 ら れ る ヶ 一 シ ャ ヴ ァ ミ シ ュ ラ (KeSavamiSra
)の 『タ ル カバ ー シ ャ ー』(
TarkabhaSa
)に対
するチ ソ ナ ム バ ッ タ (
Cinnarpbhatta
) の 『プ ラ カ ー シ カ ー』(Tarkabha
$tipraka
・Sika
:TBhP
) 中に 以 下の 一節がある。v)samarthELIpakalpana
kalpanalaghavam
, samarthanalpakalpana
ka
・Ipanagauravam
!tatra
kevala
卑tantubhir
evapatotpattyupapattau
tadgatarttpasyapi
karapatvakalpanayam
kalpanagauravado
$ah syat!
tad
uktamV
互caspatimi §raih −kalpana
】.aghavam
yatra
tarp
pak
$alp (rocaya )mahe1
ヒ
alpanagaurava 阻yatra
ta
卑pak
$arp na sahamahe〃
iti
〃
(TBhP
,p
.106
,11
.3
−
8
)5
)想
定の簡潔
さ と は,適 当
な る少量 の (alpa ) 想定
で あ り, 想 定の複
雑さ と一
550
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University (
58
)kalpanalaghava
とkalpanagaurava
は,適 当
な る非 少 量 (analpa )の 想定で ある。 そ の 場 合,単
に諸の 糸 (ta
− ntu )に よっ て の み , 布 (pata
)の 生 起が妥 当で ある時に , その 〔糸に〕存 する色 (rapa ) もまた 〔布の 生 起の 〕 原 因で ある と想 定 するな らば, 想 定 の 複 雑 さ とい う過 (do
§a) が 出 来 するで あろ う。 尊 きヴ ァ ーチ ャ ス パ テ ィ ミシ ュ ラ (Vacaspatimigra
)に よ っ て以 下の こ と が 言われて い るの で ある。「
想定
の 簡 潔 さの 存 する所 説 (paksa
) を 余は 好め り (rocayamahe )。 想 定の 複 雑 さ (kalpanagaurava
)の 存 す る 所説 (pak
$a)を余は 耐え じ (na sahamahe ) 。」 と。編 者が依 拠 し た写 本の 不 備 よ り(rocaya )mahe と留 保 を 付 さ なけ れぽ な らなか っ た とは い え,
MMU
で 師 長 (acaryah
)の もの と される引用 句とTBhP
で ヴ ァ ーチ ャ ス パ テ ィ ミ シ ュ ラ (Vacaspatimi
≦ra)の 言 と され る引用 句 と が 同一 の も の で ある と考
え る こ とは許
されるで あ ろ う。kalpanalaghava
,−gaurava
の 使用 に 際して , ミ ーマ ー ン サ ー (Mimamsa
)学派
とニ ヤ ーヤ学 派の 両 著 作に お い て権
威 とし て 引かれ る詩 節が , 同 一 の もの で あ り, そ れ がVacaspati
の もの で あ る こ とは重 要で ある。 ニ ヤ ーヤ学派
の 重 要な学
匠で あ り, バ ー ッ タ派 の 著 作 も物
し,後 代 sarvatantrasvatantra と呼
称
され るVacaspatii7
) が ,Narayapa
に よっ て
Kumarila
と 同一 の 尊 称で 呼 ぼ れ た と して も不思 議で は あるまい 18) 。さて,
Cinnalpbhatta
に よ っ て問題の 詩 節が他な らぬVacaspati
の もの で あ る こ と が 明 らか に な っ たの で あるか ら, 次に はその 出典を詳
らか に し て お く必 要 がある。 だ が,今
日 まで か な りの 数の 著 作を完 全 な 形で 伝 えるVacaspati
の 現 行著 作
中に は, 問 題の詩節
は 見 出さ れ な い の である。 従 っ て, そ の 詩 節は, や は り 失わ れて し ま っ たVacaspati
の著作
『タ ッ トヴァ サ ミー ク シ ャ ー』 (Brahmata
・ttvasamik
$a
) 中の もの と考 える こ とも可 能か も知れ な い 。 だ が, 今は 失わ れ て し ま っ て い る もの に つ い て空
想を逞 し くす る よ りは, 現に 見られ るVacaspati
の唯
一 の 独 立の 著 作『
タ ッ ト ヴ ァ ビン ドゥ』
(Tattvabindu
:TB
)中
の次
の 一節に帰
すこ との 方が無難
で あろ う。vi)
tatha
catisrah
6aktayah
kalpyeran
,
dve
va!
padana
τp
hi
tavad
artharUpabhidhanarUpa ≦aktih ,
tadartharUpapam
anyonyanvayaSa−
ktib
,tadadhanaSaktiS
capara
padanam
eveti
!
smarakatvapak §e
tuktalp
6aktidvayam
!anvitabhidhanetu
padanam
ekaivaSaktih
,一
549
一Komazawa University
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kalpanalaghava
とkalpanagaurava
tat
kalpan
ほ1aghavat
etad eva nyayyamiti
〃atrOcyate − −satyam ;
kalpanalaghavalp
yatra
ta
阻pak
$a珥 rocayamahe1
(
59
)tad
evakataratreti
nipupalp sampradharyatam 〃 (TB
,P
.122
,1
.3
−p
.123
,1
。8
)6
) ま た そ うで あるな らぽ, 三つ の 可能 力 (Sakti
)が 想定 さ れ る こ とに なる であろ う。 もし くは二 つ の 〔可
能
力 が 想 定 される こ とになるで あろ う〕。 なぜな ら諸の 単 語 (
pada
)に は , 先 ず意 味
自体
に〔関
する〕表 示 力 (abhidhana )とい う形の 可 能 力 (
Sakti
)が ,〔さ らに 〕諸の そ の意
味 自体に は , 相互連 関(anyonyanvaya ) す る可 能 力が, さ らに , 他な らぬ諸の 単 語 に は, そ の
〔諸の 意 味 自体 に , 相互連 関 する 可
能
力 〕を生 ずる も う 一 つ の 可能
力が 〔想定 される こ とに な るで あろ う〕か ら。 一
方
,〔
単語
を ,〕 想起
せ しむ る もので ある 〔と考 える〕 説 (smarakatvapak $a)に お い て は , 二 つ の 可
能
力 が〔想 定 され る で あろ う〕 と言 わ れた。 しか る に ,
連 関表
示 (anvitabhidha −na ) 〔説 〕に お い て は, 諸の 単 語 に, 唯 一つ の 可
能
力が 〔想 定さ れ る の で ある〕。 従 っ て, 想 定の 簡
潔
さ (kalpanalaghava
) の 故に, そ の 〔連関表
示 説 〕だけが正 しい の で ある, と。 これ に 関し て 言 わ れる 。 そ の 通 りで あ る。想 定の 簡潔 さの 存す る所説 (
pak
§a)を 余は 好め り (rocayamahe )。他 な らぬその
〔
想定
の簡 潔
さ〕
が何
れ にあ
る か と い う こ と は, 正確
に(nipunam ) 決 定 され るべ きで あ る。
単 語
の持
つ 表示 力 等に関
する諸 説の 検 討 と し て ある, このTB
の 一節に 明らか な 通 り,MMU
やTBhP
に お い て 権 威 とし て 引かれた 一詩 節の 半 分ま で が , 確 か にVacaspati
自身に よっ て 記されて い る の で あ る。 こ のTB
中の 詩節
が , これ まで のTB
の研 究 者に ょ っ て は , 他の 論 師の 著 作か らの 引 用で は な し に ,Vacaspati
自身に よる もの と無 条 件 に考 え られて い る19) こ と を確 認し た上で , 果 た して 同一 人 物が , 同 一 の 半 詩 節を 持つ 異な っ た詩 節を 書 き残 す こ と が あ り得る か とい う点に 思い を 馳せ よ う。 もし か し た ら本来
TB
に は ,i
)v)中
の詩節
の後
半 も あ っ た の か も知れ ない 。 ま た 問 題の 詩 節の 後 半は い わ ば前 半 の 反 復に 過 ぎない と も言 え, ある意 味で は 冗 長 と も見 なし得る もの で あ る。Vacaspati
以後
,TB
の そ の 詩 節の有
用 性 に注 目した人物
に よ っ て後
半が捏造
・ 付 加 されて そ れ 以 来 そ 一548
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
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(
60
)kalpanalaghava
とkalpanagaurava
れ が
Vacaspati
の言 とし て流
通するに至 っ た と む しろ考え るべ きで あろ う。 何れに し て も,
laghava
とgaurava
と を対概念
と承知す
る限
り, こ の半詩 節
だけで も充 分に 言 い 尽 され て い る と 見 な し
得
る原 則C
は ,Vacaspati
の もの と考 えてお こ う。 さ らに vi)か らは,
i
)ii
)iii
)v)では analpa , alpa ;(adhikya
), alpa との
結
び付
きに よっ て 理解す
る他
な く, 必ず
し も明確
で は な か っ たgaurava
,laghava
が , 単純
に数
え る こ との で きる (従 っ てgaurava
,laghava
の認
定が容易に で きる), 想
定
の 対 象た る「可
能
力」
(Sakti
) の 数の 多 ・少
と して現
れて い る20) こ とに 注 目しよ う。 こ の 場 合 に は もはや, 原 則D
は必 要 と され て い な い よ う で ある。 皿.実の とこ ろ, vi )の 詩 節は,
TB
の議 論 全 体 21) の 展 開の上 で 極めて 重 要な役 割を担
う三 つ の 詩節
の内
の一つ で ある。 その後 半
に ,kalpanalaghava
,・gaurava
を用 い て の 議 論に 際し て の 注意
事 項が端的
に述
べ られて い る22) とい う点を確認
し た上 で ,kalpan51aghava
,・gaurava
と表 裏を なす 一つ の 原 則を 十 全に 知る為に も 残 りの 特に こ の 詩 節に 関わ りの 深い 詩 節を 以 下に 引こ う。vii)miyamanaparityago
badhake
nasati sphute!
23)dr
§tat
karyopapattau
ca nadr §taparikalpana
〃
(TB
,p
。8
,11
.4
−
5
)7
) 明 白な否定
要 因 (badhaka
)が存 し な い な らば, 知覚
され る もの の 放 棄は〔
適 当
で は〕
ない 23)。経験
さ れ て い る もの(
d
;§ta
: 可見)
に基
づ い て 結 果 (karya
) 〔の 生 起 〕が成立するな らぽ ,経 験 さ れ て い な い もの (adr §ta
:不可 見)の 想 定は 〔
適
当で は 〕な い 。 こ こ に もま た一 つ の 原則の 表 明が ある。原 則 :経 験 されて い る もの (
dr
$ta
: 可 見 )に基
づ い て結 果 (karya
)〔の 生起〕
が成 立 する な らば, 経
験
さ れ てい な い もの (adr §ta
:不 可 見)の 想 定 は〔
適
当で は 〕 ない 。 (E
)TB
自体の 議 論の 詳 細に 立 ち 入 らず と も, こ こに 引い た vi)vii )の 二 詩 節の 重 要 性は , た だTB
が「
文 章の 意 味の 知 識の 原 因」
を 主題
とす る論書
であ
る と い う 点を知 りさ えすれ ば 理解
し得
るで あろ う。 想 定 (kalpana
)が ,常
に 「経 験 され て い な い もの」
(adr $ta
:不 可見
)24) を廻
っ て の もの であ
る とい うこ とで 原 則C
と拮
抗
し得
る こ の原
則E
は,Vacaspati
に よっ て 信条表
明の如
き もの 25)と して 表 明さ 一547
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
kalpanalaghava
とkalpanfigaurava
(61
) れた原 則C
に比 して や や具 体 性を帯
び た もの と 言 い得
るの で ある 。 そ こ に は , 可 見の もの を 不都 合が ない 限 り受
け入 れ た 上 で 理論が構 築 されるべ きで あ り , 無 闇 に不 可 見の もの を想定
する こ とを避け る とい う経験主 義 者Vacaspati
の 奉ず
る原則
(nyaya )が は っ きり窺
え るであ
ろ う。 ま さ し く「
オ ッ カ ム の 剃 刀 26 > 」で ある。C
の よ うな 形で の 原 則の 表 明 がVacaspati
の 他に は見 出し難い の に比 し て ,E
の形
での 原 則の表
明は,kalpanalaghava
, −gaurava
を用 い て の議
論に際 し て , 全 く厦々 見 出 され る こ と は,今
の 場 合 興味
深い こ とで ある。 とい うの も, それ が,我
々 の 目下 の関
心事
であるkalpanalaghava
,・gaurava
に 関 す る歴 史 的 展 望 を 獲得
する為
の機
縁 と な る よ うに 思わ れ る か らで ある。 そ こ で, 可 見 (dr
§ta
)と不 可見
(adr $ta
) とが対
比さ れ て い る こ と27)が重
要である。 上 に 見た用 例か ら も容 易 に見
て とれ る よ うに , 不 可 見の 代 表 例が , 可 能 力 (6akti
)で ある こ とに は 異 論が な い で あろ う。Sakti
が , 誰に とっ て も不 可 見と考 え られた か どうか 2B) は今
は問 わ な い と して も,少
な くと もkalpanalaghava
,−gaurava
とい う術 語を多 用 し,明確
に原 則
C
,E
を表
明して , それに拠 っ たVacaspati
に とっ て は , そ うであ
っ た こ とは確 実である29)。 以 下 に は , こ のSakti
の 問 題 と関わ りの 深い , 原 則E
に つ い て検討
を進め よ う。Vacaspati
に先
行 す る こ とが確i
実 な シ ャ ン カ ラ ($
ahkara)
は , 『ブ ラ フ マ ス _ トラ』 (Brahmasatra
)に 対 す る 『注解
書 』 (SathkarabhaSya
:BSSBh
)の 中で次
の よ うに 記し て い る。viii)
varpebhya6 carthapratiteh sarpbhavat sphotakalpana ’narthika
!(
BSSBh
,p
.329
,ll
.9
−
10
)8
)また諸
の字
音 (varna ) に基づ い て, 意味
(artha )の 知 (pratiti
)が, 可能で ある が故に, ス ポ ータ (sphota )の 想
定
は,無意 味
(anarthika )である。
こ れ に 対 して
Vacaspati
の 『タ ー トパ リ ヤ ティ ー カ ー』 (
Nyayavarttikata
−tparyatika
:NVTT
)の 以 下の文
を対
比 させ て み た な らば如 何で あろ うか。ix
)tasmad
dr
§‡ebhya eva varpebhyodr
$ aprakaranupatibhyo ,rtha ・pratyayotpattir
upapadyamana nad ;§tarp
sphotatmana 阻dr6yama
−navar りabhedapahnavena
kalpayitum
arhatiti siddham ...(NVTT
,
p
.655
,1
.28
−p
.656
,1
.11
)9
)そ れ故に,亘
見
のも
の に他
な らぬ , 既 知の手
段に従 う諸の字音
に基
づ い 一546
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
62
)kalpanalaghava
とkalpanagaurava
て ,意 味
の知
の 生起
が 成立するの であ
る か ら, 不 可 見の ス ポ ータ 自体 を, 可 見の諸宇
音の 別 異 性 を 否 定 す る こ とに よっ て , 想 定 し得
な い , とい うこ とが確 定 し た 。こ の
ix
)は, viii )で 見られ る 「意 味
の 知」
とい う結果
の 生起
の 原 因 を 廻 る二 説,字音
(varpa )説 とス ポ ータ (sphota )説の 議 論に , そ れ ぞ れ 可 見, 不 可見が配 さ れ て い る こ とに よっ て, ま さ し くそ れ が原 則E
の 適 用例 で ある こ と を 示 して い る。 同 時に そ れは ,dr
$ta
, adr $ta
との 認 定 が可 能で あ りさ えす れ ば, こ の 原 則E
と そ れ に基づ い て成立す るkalpanalaghava
,−gaurava
を用い ての議
論が他に も可 能 となる こ とを 端 的に示 し て い る と言 え るで あろ う。x)na
hi
kalpyamana
Saktih
6aktyantarayukta
kalpyate
,
tanmatrad
eva salpbhave 首aktyantarakalpanayam anavasthapatat ,...(
TB
,p
.28
,11
.3
−5
)10
)実
に ,想定
さ れ る もの で ある可 能 力が, 他の 可 能 力 を 具 えて い る と 想定
さ れ る こ とはな い の で ある。 その 〔前 者 〕の み に基づ くだけで , 〔説 明〕が 可 能で ある時に , 他の 可 能 力 を 想 定 するな らば, 無 限遡 及 (anavastha )に 陥る が 故に 。こ の X
)
は,既
に vi)
に お い て も見
られ た議論
と類 似
の もの で はあ
る が,ix
)
との 対比 で 見た場 合,新
た な展 望が開け て くる よ うで ある。 即 ち こ こ に見ら れ る 厂不 可 見のA
の みに よっ てX
の 説 明 がつ く と きに ,A
とは 別 の 不可 見のB
を 想 定 す る こ とは適
当で は な い 」 とい う形
で の 原 則は , 先の場 合
が 可 見と不可見
との 対 比に よ る もの (α)で あっ た こ とを 確 認 する な らば, 少数
の 不 可 見と多 数の 不 可 見と の 対 比に よ る もの (β
)と解
する こ とが出来
るで あろ う。Vacaspati
の原則
C
に現
れ るkalpanalaghava
,−gaurava
は直
接 的に は後 者を念 頭に お い た もの とは い え. 具体
性を欠 く分だ け, 前 者を も包 摂す
る もの と して 機 能 する こ とが 可 能 で あっ た と言える の であ
る。 つ ま り,kalpanalaghava
,・gaurava
に は , こ の 二 つ の局面
(α) (β
) が考 慮 され な け れ ばな ら ない とい うこ とで ある。 そ し て , 原則E
とは , (α)に の み関
わ る もの であ
る。 こ の こ とは,後
代の 用 例に 基づ い て 析 出さ れ,指
摘
さ れて い る ,kalpanalaghava
,・gaurava
の 二 面 性,「
質
的」
(qualitative
) と「数 量 的 」 (
quantitative
)3°)tr
こ 対 応 する と言 えるか も しれ ない 。 vi )や x)に お け る よ うに, 多数
の 不 可 見の 想 定か らなる理論
よ りは,少数
の 不 可見
の想 定
か ら な る理論
にkalpanalaghava
がある と認定
する こ と は容
易であ
ろ うが ,i
)丗) や 一545
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
kalpanalaghava
とkalpanagaurava
(63
) viii )ix
)の 場 合 に は , 原 則D
や 原 則E
に 依 拠せず
して は,kalpanalaghava
,−ga
− urava が奈
辺 に ある か の 認定 は, そ う簡 単で は ない よ うに 見え る か らである。実 際, こ の
E
の 形で の 原 則の 表明 が, 圧 倒 的 に 多い の で あ る。 こ の 原 則に従 う 限 り, その 理 論はkalpanalaghava
を保 持
し得
る の であ
り, その原
則を 犯す
とkalpanagaurava
の 過 に踏み込 む こ とに な っ て , その 原則 の 遵 法者
に よ り, 非難
を 浴びせ られる こ とに なる の で ある。 その 原 則E
の 具 体例 を二 ・ 三 見て み よ う 。 例 えぽ, ヴ ァ イ シ ェ ー シ カ 学 派 (VaiSe
$ika
)の 学 匠 シ ュ リー ダ ラ(
Sridhara
)の 『ニ ャ ーヤ ヵ ン ダ リー』 (Nyayakandali
:NKan
) に は , 次の よ うに ある。xi)
tad
apy ape6alam ,dr
爭te
sa 卑bhavaty
adr §takalpananavaka
首at
13D
(
NKan
,p
.346
,11
.10
−1
工)11
) そ れ もまた魅惑
的で はな い 。 可 見の もの が, 可 能で あるな ら ぽ , 不 可 見の もの の 想 定の
余
地 は ない が故に。また
Vacaspati
は 『バ ーマ テ ィ ー』 (Bhamati
:BM
)の 中で は, 次の よ う に表現
して い る。xii)na ca
dr
§te
salpbhavati (=y
)adr 爭‡akalpana nyayya1
(BM
,
p
.768
,1
.23
)12
)ま た 可 見の もの が, 可能
で ある時
に , 不 可 見 の も の の 想定
が 正 し い(nyayya ) とい うこ とは ない 。
こ うし た例 は まだ ま だ い く らで も
引
くこ とが出来
る が, Vii )iX
)X)Xi)Xii)に お い て の よ うに , 原則E
の表
現が類
型 的で ある こ と を考 慮する な ら ば, そ れ らが, 全て 共 通 の 起 源を 持つ もの で ある と, 推 定で きる よ うに 思わ れ るの で あ る。 以下 に は それを検討
す るが, それ に当
た っ て は その とっ か か りを ,以下
の北
川秀
則博
士 の 記 述に 求め たい 。 博士 は , ミー マ ー ソ サ ー学 派の有名
な綱 要書
で あ る 『ア ル タ サ ソ グ ラ バ 』 (Arthasamgraha
) の 和 訳 ・解 説32)の 中で ,「
Mimamsa
学 派がVeda
解
釈の 原 則 として挙
げて い る もの の中
に次
の 二 つ の 原 則が存
する33)」
と し て , その うちの 一 つ を 「原則B
」
と して , 次の よ うに 記 して お られ る。イ) 「原則
B
:Veda
の 規 定 す る と こ ろ に 従っ て行
っ た行 為か ら可 見の 結果(= 眼に 見える
結果〉
が 生 ず る場合
に は , そ の行 為
か ら不 可見
の結果
(= 眼 に 見え ない 結 果 )が 生ず る と考 えて はな ら ない とい う原
則。 34) 」生
憎
北 川 博士 は,依 拠 し た研 究 を 明記 されて は い る もの の , 具 体 的に は 典 拠を 示 して は お られな い 。筆
者がkalpanalaghava
,・gaurava
との 関わ りで実例 の 中 一 544 一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
(
64
)kalpanalaghava
とkalpanagaurava
か ら
摘
出 して 原則E
と して 上 に掲
げた もの とこ の「
原 則B
」
は, か な り似て い るの で ある。 北 川 博士 が参 照 され たその 研
究
を実 見で きない こ とは残 念で はあ る が,筆
者は その厂
原則B
」に 当たるサ ン ス ク リッ ト文を xiii) に見 出 し得
る。xiii)‘‘
1abhyamane
phale
drste
nadr $taparikalpana
”iti
nyayenadr
爭taphalasarpbhave
’d
聯ta
(phala
)kalpanasyanyayyatvat
!
(Vyakh
。ya
,MD
,i
,p
.12
,11
.14
−
15
)13
) 「
可 見の 果報
が ,得
られる な らぽ , 不 可 見 〔の 果 報 〕を想 定す
る こ とは 〔適当で は 〕 な い 」 とい う原 則に よ り, 可見の 果 報が 可
能
で あ る 時 に , 不 可 見の (果 報 ) の 想 定は正 し くない が 故に。
著
者Vaidyanatha
Sastri
が こ の 原 則 (nyaya)
を どこ か ら引
い て きたか は,や は り不 明で あるが, 見る と こ ろ ミーマ ー ソ サ ー
学派
の 聖典解
釈 の 原 則 と し て, 「原則
B
」
がある こ とは, 確 実で ある。 ど うや ら後 代kalpanalaghava
,・gaurava
の 拠 り所 と して屡
々 持ち出 され る原
則 もや は り, ミーマ ー ン サ ー学 派 の 聖典
解 釈 の原
則 に起源
を見
出 され る よ うに思
われ るの である。『全
哲
学綱 要
』 (SarvadarSanasamgraha
:SDS
)の著 者 とし て 有名
な マ ー ダ ヴ ァ (Madhava
)の 『ジ ャ イ ミ ニ ィ ー ヤ ニ ヤ ーヤ v 一 ラ ー ヴィ ス タ ラ』 (Jaimi
− niyanyayamalavistara :JNMV
) に は 以下
の よ うにあ
る。xiv )
dr
§taphale
sa 甲bhavaty
ap 丘rvalp nakalpaniyam
!(JNMV
,p
.58
,1
.15
)
14
) 可見
の果報
が可 能で あるな らぽ,新 得力 (
aPUrva)
は想
定 されるぺき
で は ない 。さ らに ’t 一 ッ タ 派の
創
始 者 た るKumarila
の 『タ ン トラ ヴ ァ ール ッ テ ィ カ』 (Tantravarttika
:TnV
) セこは次の よ うにある。xv )
dr
鉱ehi
saty adr $tasya
kalpana
ni§pramapika
〃
(TnV
,ii
,p
.103
,
1
.12
)15
) 実に 可 見の もの が存
する 時に, 不 可見
の もの の想
定は, 正 し くな い 。また, シ ャ パ ラ (
§
abara )に はその『
注解書
』(
Sabarabha
$ya
:SBh
)中
に以下の よ うにある。
xvi )na ca
dr
$te
sati
adr $
takalpana
sambhavati
1
(SBh
, vii,p
.77
,11
.20
−21
)16
) ま た, 可 見の もの が存
する時に , 不 可見
の もの の想
定が, 可能
で あ る と一
543
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
kalpanalaghava
とkalpanagaurava
(65
) い うこ とは ない 。イ ) とか xiv )が野 放 図に 一般 化 し
得
ぬ 形を と っ て い る の に対 し て , XV )xvi ) が それ自
体上 に 見た原 則E
とほ ぼ同 じ表 現 を とっ て い る 35) こ とは , 意 味の ある こ とで あろ う。 だ が, だか ら と言 っ て, XV )xvi )が 一 般 性 と結びつ い て い た か と言 う と必ず し も そ うで はな い の で ある。 とい うの も, そ こに 見 られる 不可 見 (adr §ta
) が , 不 可 見 一 般 を意
味 す るの で はな く,特
定の 祭 式の 結 果 として あ る 「新得
力」
〈apttrva ) を意 味 す る もの で あるか らで ある。 その 意 味で , イ)もxiv )もxv )xvi )
も特 定の 状 況で適用 し
得
る同一 の 原 則 と見な し得
る の で ある。 こ こ に は ,Vacas
・pati
に よっ て 不 可 見と して の ス ポ ータ を 退け
る こ とを 念 頭に お い て持
ち出 された原
則E
とは全 く異な っ た思 惑が働い て い るの で ある。 だが , 後 代kalpanalagha
− va ,−gaurava
の適
用 に際
して,Vacaspati
な どに よ っ て 原 則E
とし て持
ち出され る もの が, ミ ーマ ー ソ サ ー学 派
の 聖典解
釈の原
則とし てSabara
に よっ て既
に 明 確 に表 現さ れ た もの に 基づ くこ とは推
定で きる で あろ う。Iv
.で は,
kalpanalaghava
, −gaurava
とい う術 語の 形 で ,後 代
ミ ーv 一 ン サ ー学派
の学 匠
に よ っ て の み な らず
, 議論
に際 して 広 く用い られる二概 念
の 方は ど うで あろ うか。kalpanalaghava
,・gaurava
と い う術 語の使
用 例は,筆 者
の管 見
する 限 り で は , それ ほ ど古 くは遡 り得
ない の で ある。 ま た, そ れ らの 術 語の 成立 に 関わ る と
考
え ら れ る厂
軽い 想定」
(laghu
−kalpana
)「
重
い 想 定 」 (guru
−kalpana
)とい う
形
で の1aghu
,guru
の使
用 例 に して も同 じこ とで ある。 以 下に は その 点に絞 っ て検 討を進め よ う と思 うが, そ れ は (α)に 関わ りを持つ 原 則
E
に対 して,主 に (
β
)に関わ る新た な原 則を探
る こ とで あろ う。Sabara
に は ,次の よ うな形で の 一つ の原
則の表現
が見
出され る。xvii )evarp saty alpiyasy adrStakalpana nyayya
!
(SBh
,
ii
,p
.380
,1
.8
)17
) こ うで あ る な らば, 少 数の , 不 可見の もの の 想 定が 正 しい の で ある 。原則
:少数
の , 不 可見
の もの の 想 定 が正 しい 。 (F
) 36)§
abara の著 作
中 に ,kalpanalaghava
,−gaurava
とい う術
語の 使 用 例 が 一切
見
られ ない こ と を思え ば, こ の xvii )は 貴 重で ある。 さ らにKumarila
(やPra
−bhakara
)の現 行著 作中
に も, そ れ らの用 例 がほぼ 見出 され ない 37)
とい う点を承
一 542 一
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
(
66
)kalpanaIaghava
とkalpanagaurava
知 した上 で ,
Kumarila
の 以下の 詩 節に注 目し よ う。xviii )adr §
tam
prathamam
tavan
nastity evarppratiyate
!
tathaiva
ni ≦cayaS catradrstam
cen na virudhyate 〃 (α)dr
$ta6rutavirodhe
tu
saty adr 爭
tam
Prakalpyate
!ekena cavirodhitve siddhe nanekakalpana 〃 (
β
)(TnV
,iii
,P
・
3
,11
.4
−7
)18
)先 ず第
一 に , 不 可 見の もの (adr §ta
)は存 在
しない , とい うよ うに 理 解さ れ る。 そ し て こ の 場 合, もし可見
の もの (drsta
) が矛 盾 し な い な らぽ, 全 くそ の よ ろに , 〔不可 見の 本の は存在 し たい , との 〕決定 (nigcaya )が ある。 (α)しか るに , 可 見の もの , 〔ない し〕可聴
の もの (Sruta
)
に対
して 矛 盾が あ る な らば, 不 可 見の もの〔
ない し不 可聴 の も の 〕が, 想定 さ れ る。 そ し て .. 一 つ の〔
不 可 見の もの , な い し不 可聴の もの 〕に よっ て 無 矛 盾な もの で あ る こ とが , 確定 し た た らば, 複 数の 〔不 可 見の 本 の , た い し不 可聴
の もの 〕の想定 (
kalpana
) はtc
い 。 (β
)こ の
Kumarila
に よ る,Sabara
の xvii )に 表 明され た原 則に 対 する注 釈 として
あ
る xviii ) は ,後
代,ka
!panalaghava
, −gaurava
とい う術語
を用い て 盛 ん に 適 用 され る, い わ ぽ 「理論構 築
上 の 簡潔
性の原
則」
に関す る 一つ の 歴 史 的 展 望 を得る 為にある小
論に とっ て は , ま こ とに意 義 深 い もの と言わね ぽ な る ま い 。kalpanalaghava
, −gaurava
とい う二概
念が哲 学上 の 議 論にあ っ て有
効 に 活 用 さ れ る為の基
盤 として ある「
一つ の原則」
と言 うべ き「
理 論構築
上 の簡 潔
性 の 原 則 」が持つ 二 面 性 を, これ ほ どま で に簡潔
に 説 明し た例 を, 筆 者は寡 聞に も 知 ら ない の であ
る。(α) 可 見に 対 し て,
矛盾
が あるな らぽ, 不 可 見の想定
が な される。(
β
) 一 つ の 不 可 見の 想定
に よっ て , 矛盾
が解 消され る な らば ,複 数の 不 可見は想
定
す べ きで は な い 。 38)想 定の 対 象として の 不 可見 な もの の aneka に 対ず
zK
eka , alpa に対す
るΩ
一の両者を含 意 する もの とし ての alpa (or alpiyasi ) を用い て 明確 に
表
現 され た・$
abara に よ る xvii )の 原 則F
, 即ち 「少数
の , 不 可 見の もの の 想 定が 正 しい」
(alpiyasy adr 甼
takalpana
nyayya ) こ そ, 時 経て,Vacaspati
に よっ て与
え られ た原 則
C
,即
ち「
想
定の 簡 潔 さの ある所 説を余は 好め り」 (kalpanalaghava
壌yatra
tam
pakSam
rocayamahe )の 一祖
形と見 な し得
る の で ある。§
abara に 一一
541
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
kalpanalaghava
とkalpanagaurava
(67
) .よ っ て用い られて い るbahu
の 対概 念
を表わす もの として の alpa39)は ,後代
に お ’ い て もkalpanalaghava
中のlaghava
を説 明 する 際に一 度な らず 用い ら れ た もの 』 で あっ た40)。Kumarila
に よ っ て は な されなか っ た とは い え, プ ラ バ ー カ ラ(Prab
−.
hakara
) に よっ て は ,Sabara
に よるその原
則 を踏 ま えて evam c 盃dr
§tanuma
−
naprashgakalpana
laghiyasl
bhavi
§yati4i
) と まで 表 現され て い る こ と も, 今の 推 定 を
支 持す
る もの と言 え るか も知れ ない 。ミーマ ー ン サ ー学派の 主 要な関心
事
で ある ヴ ェ ーダ聖典
の解
釈に当
た っ て の 特 .殊な原 則F
と, さ らに広範
囲に適
用 し得
る謂わ ば 一般
化さ れ た原
則C
の 問にあ
っ て ,Kumarila
に よ っ て (α ) (β
) の 二 局 面が こ の 上 な く見事
に析
出 さ れ た こ と ・は , 極め て意 義深
・い の で ある。Kumarila
が , そ の膨
大な著作
中で , 全 く履
々 そ の 原 則に 依っ て議
論を展 開し て い る こ とは事 実
であ
る、 だ が , そ れは常
に個
々 の ・聖 典 解 釈上 の 問 題を越えて で は な く, し か も,
bahv
−(adrSta )−kalpana
, aneka・
(adr $
ta
)−kalpanii
,eka −(adr 爭
ta
)−kalpana
,alpa −(adr §
ta
)。kalpana
,stoka −
・(adrSta )−
kalpana
等
を用い て の もの 42)で ある。 そ し て
Kumarila
は ,laghava
(or
laghutva
;Iaghu
),gaurava
(orgurutva
;guru
) をkalpana
と の 結び付 きで 用い る こ とは , ほ とん どと言 っ て 良い ほ どになか っ た。 そ れに は ,
螽
abaraの 衣 鉢を 継 ぐミーマ ー ソサ ー学 派の 正 統 と して の
Kumarila
に とっ て ,Sabara
.が
laghava
,gaurava
を全 く別 の コ ン テ キ ス トで 別の意 味
合 い で用
い て い る43)
とい う
事 情
が あ っ た こ とが関係
して い た か も知 れない 。Kumarila
やPrabhakara
に は ,kalpanalaghava
,−gaurava
と い う 術語 の 使用
例は 見 られ ない に し て も, 二 人 とほぼ 同 時 代 人 と考
え られて い る§
ahkaraや マ ソ ダナ (
MarLdana
) に は ,kalpanalaghava
,・gaurava
とい う術語 に 直ち に.収 斂する か の 如 き用 例が以 下の よ うに 確か に見 出 され る の で あ る 。
xix )vrddhavyavahare ceme varpah
kramadyanugrhita
grhitartha
・vi忌e爭asarp
’
bandhah
santa尊
svavyavahare
’
py
ekaikavarpagraha1 ユ
a
−nantaram samastapratyavamar ≦
inyatp
buddhau
t
訌dr
≦a
evapratya
−vabhasamanas
ta
毋tam
artham avyabhicarepapratyayayi
爭yantiti
vamavadino
laghiyasi
kalpana
, sphotavadinastu
dr
§tahanir
ad ;§ta
・kalpana
ca , vartPaS cemekramepa
grhyamapah
sphotam vyafija −yanti
sa spho ‡o ’rtha 加 vyanakt 亘ti
gariyasi
kalpana
sy 且t
1
(BSSBh
,
p
.330
,11
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−・
6
)一