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駒澤大学佛教学部論集 18 027金沢 篤「kalpanalaghavaとkalpanagaurava」

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(1)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University

kalpanal

ghava

kalpanagaurava

granthagauravabhay

d

 

iha

 

dihmatram

 ucyate .

0

 

バ ー 派 (

Bhatta

知 識 論綱 要 書 として 名 高い ナ ー ラー ヤ ナ (

Naraya4a

マ ーナ メ ー ヨ ー ダ 』 (

Manameyodaya

MMU

うな一

が あ る

 

i

 

napi  

pari

首e

yad

 vayusiddhib

asiddhadravyakalpanatab  siddhasyai −

   

va  

dravyasya

 gupantarakalpanaya

 

laghiyastaratvat

kalpanalagha

   

vasyaiva  

hi

 

gupavattaratvam

 

ahur

 

acaryah

    

kalpanalaghavam

 

yatra

 

tam

 

pak

§am  rocayamahe  

1

kalpan

gauravam

 

yatra

 

ta

pak

a na  sah 盃mahe

 

iti

atas  

tvagindriyagrahyo

 vayuh  

1

MMu

 

P

161

11

1

6

1

) 残

法 (

pariSe

ya

)に

づ い て 風

vayu

siddhi

る, とい うこ

  

ともない 。 確 定 し て い な い 実 体 (

dravya

)の 想 定 (

kalpana

)よ り, 確 定 して い

 

る もの に な らぬ

実体

対 す

性 質

gupa

)の

’ が , 遙か に よ り簡 潔

 

1aghiyastara

)で

るが

に。

何 故

なら

長 (

acaryah

)が

の簡

 

kalpanalaghava

)こそ が, 遙か に素

ら しい (

gupavattara

)こ とで ある と ,  言 わ れ て い るの で あ る か ら。 〔即 ち〕

    

「想 定の

簡潔

存す

る所 説 (

pak

$a)を

め り (rocayamahe )。 想

さ (

kalpanagaurava

)の 存 する所 説 (

pak

$a)を 余

耐 え じ(na  saha ・

    mahe )。」

   

と。 こ の 故に, 風は触 感 (

tvagindriya

)に よっ て 把捉 され る。

  

こ こ で

便

宜 的に 「

定の

簡 潔

さ」

想 定の

複 雑

さ」 と訳さ れ た

kalpan21aghava

kalpanagaurava

とい う術

工) に よ っ て表わ さ れ る 二

念は

代 主に ニ ヤ ーヤ 学 派 (

Naiyayika

 c・r 

Tarkika

)の 論理 学にあ っ て, 知 識 手段 (

pramapa

)の

補 助

を 一 554 一 N工 工一Eleotronio  

(2)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty (

54

kalpanalaghava

kalpanagaurava

なす もの sahakarin して の タ ル カ

tarka

明 確数 える に い た る もの で

る2) 。

実 際

その

両語

比 的に用 い られ る こ と が

く, 一

do

§a)を指 摘し, 自説の 卓 越 性の 宣 揚 と して 展 開 ・具 現 され る イ ン ド哲 学 の 数 あ る 論

見 出される もの で ある。 小

は ,

干の 用 例 を 通 じて主 とし て その

概念 」

び そ れ ら と

を な 一つ の 原 則3)」を詮 議 し,あ わ せ て

来 看

されて きた 「一つ の 歴 史 的 展

SS

‘)を得る こ とを 目的 し て い る。

1

 

少 し く簡

に 過 ぎる嫌い が ある とは 言え, 手 始めに こ の

i

)を今 少 し仔 細に検 討 して み よ う。

  

前主張 :〔残 余 法 (

pariSe

ya

に基づ い て 〕 風 (vayu )の 確立 (siddhi )が

        ある。 (

A

   

説 

A

否定

    

 

触 感

tvagindriya

に よっ て 把捉 され る。 (

B

   

認 定

 

A

に は

kalpanagaurava

カミ , 

B

に は

kalpanalaghava

9

ある。

        

A

よ り,

B

れて い る。

  

:一 つ の 論 題を廻る二 つ の 理 論が ある 時に は ,

kalpanalaghava

の あ る

      

理 論が優 れて い

C

   

根 拠 :

C

表 明す師 長 言があ

らも

C

け入 れ る立場に

る。

  

:性

を 持つ もの (

dharmin

)の 想 定 よ り, 性

dharma

) の 想 定 が         簡 潔で ある。 (

D

) 5)

 

風 (vayu ) とい う

体 (

dravya

)は , 前主張 者に とっ て は , 確

i

し て い な い

asiddha )が , 定 説 者に とっ て は,

定 して い る (siddha )。

者 に とっ て は , 風 は直 接知

で きず (apratyak $a), 残 余 法 6) に 基づ い て確 定 され る。 こ れ は , 定

老に とっ て は, 確

して い な い

体を

定 する こ と (

kalpana

)で ある。 定説

は , 確 定 して い る実 体た る風は, その 実 体に別の 性 質 (

guoa

) を想 定 する こ と (

kalpana

)に よっ て, 直 接 知 覚される ( = 触 感 に よ っ て 把捉 され る)と 主張 す る。 原則

D

に ょっ て , こ の 二 つ の 説 (理 論)で は,

者の

定 が よ り

簡 潔

で あ る。 従 っ て, 原 則

C

に よっ て

B

説が

れ て い る。 こ の 原則

C

は ,い わ ぽ 「理論

上の

簡潔

性の 原 則7)

と呼ぶ こ とが出 来る。 だ が, こ の 原 則を

牙 に か け な い 者に とっ ては, こ の 一 展 開議 論

味 な も となる は

。 ま 一

553

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(3)

Komazawa University

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kalpanalaghava

kalpanagaurava

55 た, 仮 りに原 則

C

け 入 れた とし て も, 原

D

し て は , 異

が あ り

よ う8) 。 この 用 例は残

なが ら, そ の 間の や り と りまで は 教えて くれ な い 。 た だ, 原 則

C

が 明 確に されな い ま まに それを用 い て

論が展 開 さ れ る こ と が 普 通で あ る9) こ と をえ る な らば, こ の

i

) で , 原 則

C

が ,

長 の 言 明 と して 明

に 表 明 されて い る こ とは

要で

 

薯 者

Narayarpa

は , 別の 箇

で また次の よ うに記 して い る。

   

ii

 

gaurava

laghava

甲 ceti  

tarkau

 sarvatrik 翫v ubhau

      

gauravarp

 

kalpanadhikyarp

 

l

ghavam

 

tv

 alpakalpana

   

do

$apras .ahgar 亘

patvarp

 

gauravasyaiva

 vidyate

 

   

sadhye  

gu

ロakath

dvara

 

laghavasya

 

prasafigata

 

1

! (

MMU

, 

p

40

,    

11

1

4

2

雑さ (

gaurava

) と簡 潔 さ (

laghava

) とい 二 つ の タ ル カ は 一般

  

もの (sarvatrika )で ある。 複 雑 さ とは 想 定の 過 剰 性 (

kalpanadhikya

 

で あ り, 一 方 簡 潔

量 の 想 定 (alpakalpana )で ある。

雑さに の

 

み, 過へ の

帰 着 (

do

§aprasahga ) とい う形を もつ こ とが

す る。

簡潔

  

に は を語る こ と (

gupakatha

) を媒 介 と し て , 所 証 (sadhya )へ 帰 着  す る こ と が あ る。

iii

prabhakarah

 

punar

 asyah  

padarthantaratvam

  anumanagamyat

 

vam  ca  sarpgirante

tad

 ayuktam  asyah  siddhasyaiva  

padarthasya

  

gupatvena

 

kalpane

 

laghavat

anyatha  

gauravaprasahgat

6akteh

 

padarthantaratvam

 api 

kaumarilanam

 

i

§

tam

 eva

ity

 ala

tanni

 

rasaprayasena

anumanagamyatvam  

tu

 

pratyak

$ato  

dr

tasarpban

 

dhasyaiva

 

lifigasyanumapakatvam

 

iti

  samarthayadbhir   asmabhir

 

evanum 訌n :aparik

ayarp

 nirastam

10)

MMU

, 

p

266

11

5

10

3

) また プ ラ バ ーカ ラの

Prabhakara

は , こ の 〔可

力〕 が,

  〔

立の

句義

padartha

る こ と, 及び

anumana ) に よっ て

 

了 知 さ れ る もの で ある こ とを , 主張 す る。 〔だが 〕そ れ は適当 で は な い 。

  

こ の 〔可

力〕に

し て ,

定 した もの に

な ら な い

句 義

の ,

性質

guna

 

る と

想 定

する な らぽ,

簡 潔

るが

に 。 さ もな け れ ぽ,

複 雑

さ 〔と

 

が〕 出 来 する が故に。 可能 力が , 他の 〔独 立の 〕 句

で ある と い う

  

こ と もま た , ク ー H リラ の

Kaumarila

) ら と っ て は , 望ま れ た もの 一 

552

 一一 N工 工一Eleotronio  

(4)

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56

kalpanalaghava

kalpanagaurava

i

§

ta

) に他な らない の で 。 以 上で , その

能力

の 独 立 の 句

で ある との , プ ラパ ーカ ラの の 主 張〕 の 論駁の

は充 分で

る。 一

, 〔可能 力が〕推理 に よっ て 了 知 される もの で ある こ とは ,

直 接

に 基づ い て

知覚

された

関係

の に

な らぬ微 標 (

1i

ga

が推 理せ しむ る もの で ある と考える他な らぬ 我々 に よっ て ,

理 の

考察 〔

〕」 に お い て , 論 駁 され たの である。

 

こ の

ii

iii

に よ っ て, 先に

i

)につ い て

検 討

し た こ と が, 概 ね 裏づ け られる で あろ う。

kalpanalaghava

,・

gaurava

とい う二

念を 明らか に する

ii

)に お い て は ,

laghava

, 

gaurava

の 二

が , そ れぞれ alpalt

, 

adhikya

の と して 明 記さ れ て い る こ と,

i

)と 同

そ の 二

念を用い て の

論 の

例を

える

iii

)に

お い て は , やは り

原則

D

が活 用されて い る こ の 二 点 を 確 認して も う。

皿.

 

i

) に お い て

Naraya

ロa が

kalpanalaghava

,−

gaurava

い て の 議 論の 為の 「権 威 」 と して

用 する師 長 (

acaryah

) の 言は, 

i

iii

) の 用 例で 明らか な通 り,

二 っ の

して , そ れ ぞれ

kalpanalaghava

,−

gaurava

を配 する こ とに よ っ

て ,

者 を退け , 前者 を選び とる

の 拠 り所 となる もの で

想定

い こ と

laghava

 or 

laghutva

い こ 」 (

gaurava

 or 

gurutva

う性

は , それ 自体が そ れ を

定ない しそれ よ りなる主張 (理 論 )の 優 ・ 劣の 基 準

な の で は ない 。 論 者に よっ て は , 「重 い こ ともある ぺ し, 〔だか ら とい っ て〕 ど ん

な過が ある だ ろ う

bhavatu

 

gauravam

 api  

ko

 

do

a「2)

開 き直

に予 想され るか らである 。 そ の 際に拠 り所 と な るの が, その 原 則

C

で あろ う

っ て その 二 概 念 と, 個 々 の 想 定に そ れ を認 定 する こ とを通 じて それ らに

を 割 り当て る原 則 とを 明 確に 区 別 する必

る。 その 二

念が , どの よ うな環 境の 中で 育まれ た か , そ して 何 時,

kalpanalaghava

,・

gaurava

と い う二 つ の 術

と して 結 実 し た か , さ らに その 原 則

C

が , 何 時, 誰に よ っ て 明確に 表明 さ れ た か , と問 うこ とが, 歴

史 的展望

る に は不 可 欠で あろ う。 そ の

意 味

Narayapa

に よっ て 権 威 者 とされる 師 長が誰かを 先 ず問題に し よ うとい うの で ある 。

 

MMU

を も

える

C

. 

Kunhan

 

Raja

S

. 

S

。 

Suryanarayana

Sastri

は, ただ 師 長 (

acaryah13

) )を

The

 

Preceptors

ぼ か りで , そ れ が

すか に言 及せ

, ま た

用 句の 出典 も詳 らか に して い ない 。 だ が,

MMU

551

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(5)

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kalpanalaghava

kalpanagaurava

57 )

冒 頭の

帰敬偈

に は

下の よ うに

る こ か ら, その

師長

をパ ー ッ タ

創始 者

る クマ ー リ

Kumarila

も知れ な

  

iv

acaryamatapathodhau

 

balan

 api nini §atam

     

bhimata

ko

pi

 

gopalapotah

 

pota

 

ivastu

 nah

     

manameyavibhagena  vastUnam  

dvividha

 sthitih

     

atas  

tad

 ubhaya

bramah

≦rimatkaumariladhvna

MMU

P

1

,      

11

4

7

  

4

) 幼

らを も,

acarya

思 想

洋へ

わん とし て 怖 じ気づ い て い

    

る我 らに とっ て は ,

何な る牛 飼い の 子 も小

きで あろ う。

    

知 識 手 段と知 識

象の 別に よ り,

在 物は 二

る。 こ の 故に

ら は,

    

その 両 者 を 吉 祥 な ク マ ー 徒 〕の

っ て

べ る。

  実 際

MMU

の こ.こ か し こ に は, や は り

に よっ て は 出

が 明 記さ れ ない ll) もの の , 師 長 (

acaryah

) の 言 と して, 我 々 に も馴 染 み の 『シ ュ ロ ー カ ヴァ ール ッ テ イ カ』 (

Slokavarttika

SV

)等の 詩

かれて い る 15)る 。 だ が 残 念 なが ら

問題

詩節

SV

され

, 

Kumarila

の 他の 現 行 著 作 中に も 見 出 さ れ な い 。 従 っ て そ れは

なか らぬ 断 片 が回収 されて い る,

Kumarila

の 失わ れ た

著作

『ブ リハ ッ テ ィ ーカ ー』 (

Brhattika

)の もの と も考 え られ る16)が , そ う

断 定す

る には

め て を

くよ うで る。 い つ の 場 合に も

用 句の

出典捜

し は

面倒

な もの である が ,幸い こ の場 合に は , 思い が け ない 所か ら資 料が

られ るの で あ る。 今 日 ニ (一 ァ イ シ ェ ー シ カ) 学 派の 綱 要 書 と して 知 ら れ る ヶ 一 シ ヴ ァ ミ シ ュ ラ (

KeSavamiSra

)の 『タ ル カバ ー シ ー』

TarkabhaSa

)に

るチ ソ ナ ム バ

Cinnarpbhatta

) の プ ラ カ ー シ カ ー

Tarkabha

tipraka

Sika

TBhP

) 中に 以 下の 一がある。

  

vsamarthELIpakalpana  

kalpanalaghavam

, samarthanalpakalpana  

ka

    

Ipanagauravam

tatra

 

kevala

tantubhir

 eva  

patotpattyupapattau

    

tadgatarttpasyapi

 

karapatvakalpanayam

 

kalpanagauravado

ah syat

   

tad

 uktam  

V

互caspatimi §raih −

     

kalpana

】.

aghavam

 

yatra

 

tarp

 

pak

alp (rocaya )mahe  

1

alpanagaurava

yatra

 

ta

pak

arp na  sahamahe

 

iti

TBhP

, 

p

106

11

3

8

5

定の

簡潔

さ と は,

適 当

な る少量 の (alpa ) 想

で あ り, 想 定の

雑さ と

550

(6)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University (

58

kalpanalaghava

kalpanagaurava

は,

適 当

な る非 少 量 (analpa 想定で ある。 そ の 場 合,

に諸の 糸 (

ta

− ntu に よっ て の み , 布 (

pata

)の 生 起が妥 当で ある時に , その 〔糸に〕存 する色 (rapa ) もまた 〔布の 生 起〕 原 因 想 定 すな ら 想 定複 雑 さ とい う過 (

do

§a) が 出 来 するで あろ う。 尊 きヴ ァ ー ャ ス パ テ ィ ミシ ュ ラ (

Vacaspatimigra

)に よ っ て以 下の こ と が 言われて い るの で ある。

 

簡 潔 さ存 す所 説

paksa

) を 余め り (rocayamahe 。 想 定の 複 雑 さ (

kalpanagaurava

)の 存 す る 所説 (

pak

$a)を余は 耐え じ (na  sahamahe ) 。」 と。

 

編 者が依 拠 し た写 本の 不 備 よ り(rocaya mahe 留 保 を 付 さ なけ れぽ な らなか っ た とは い え,

MMU

で 師 長 (

acaryah

)の もの と される引用 句と

TBhP

で ヴ ァ ーチ ャ ス パ テ ィ ミ シ ュ ラ (

Vacaspatimi

≦ra)の 言 と され る引用 句 と が 同一 の も の で る と

え る こ

されるで あ ろ う。

kalpanalaghava

,−

gaurava

の 使用 に 際して , ミ ーマ ー ン サ ー

Mimamsa

学派

とニ 学 派 両 著 作に お

威 とし て 引かれ る詩 節が , 同 一 の で あ り, そ れ が

Vacaspati

の もの で あ る こ は重 要で 。 ニ ヤ ー

学派

重 要

り, バ ー ッ タ派 の 著 作 も

し,

後 代 sarvatantrasvatantra

され

Vacaspatii7

が , 

Narayapa

に よっ て

Kumarila

と 同一 の 尊 称で 呼 ぼ れ た と して も不思 議で は あるまい 18) 。

 

さて,

Cinnalpbhatta

に よ っ て問題の 詩 節が他な らぬ

Vacaspati

の もの で あ る こ と が 明 らか に な っ たの で あるか ら, 次に はその 出典を

らか に し て お く必 要 がある。 だ が,

日 まで か な りの 数の 著 作を完 全 な 形で 伝 える

Vacaspati

の 現 行

著 作

中に は, 問 題の

詩節

は 見 出さ れ な い の である。 従 っ て, そ の 詩 節は, や は り 失わ れて し ま っ た

Vacaspati

著作

『タ ッ トヴァ サ ミー ク シ ャ ー』 (

Brahmata

ttvasamik

a

) 中の もの と考 える こ とも可 能か も知れ な い だ が, 今は 失わ れ て し ま っ て い る もの に つ い て

想を逞 し くす る よ りは, 現に 見られ る

Vacaspati

一 の 独 立の 著 作

タ ッ ト ヴ ァ ビン ドゥ

Tattvabindu

TB

の 一節に

すこ との

無難

で あろ う。

   

vi

tatha

 ca 

tisrah

 

6aktayah

 

kalpyeran

, 

dve

 va

padana

τ

p

 

hi

 

tavad

   

artharUpabhidhanarUpa ≦aktih , 

tadartharUpapam

 anyonyanvayaSa

   

ktib

 

tadadhanaSaktiS

 

capara

 

padanam

 

eveti

 

smarakatvapak §e

   

tuktalp

 

6aktidvayam

anvitabhidhane  

tu

 

padanam

 ekaiva  

Saktih

一 

549

 一

(7)

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kalpanalaghava

kalpanagaurava

tat

 

kalpan

1aghavat

 etad  eva  nyayyam  

iti

atrOcyate − −satyam

 

kalpanalaghavalp

 

yatra

 

ta

pak

a珥 rocayamahe  

1

59

   tad

 eva  

kataratreti

 nipupalp  sampradharyatam 〃 (

TB

, 

P

122

1

 

3

p

123

1

8

6

) ま た そ うで るな らぽ, 三つ の 可能 力 (

Sakti

)が 想定 さ れ る こ とに なる で

 

あろ う。 もし くは二 つ の 〔可

力 が 想 定 される こ とになるで あろ う〕。 なぜ

 

な ら諸の 単 語 (

pada

に は , 先 ず

意 味

に〔

する〕表 示 力 (abhidhana )

 

とい う形可 能 力

Sakti

)が ,〔さ らに 〕諸の そ の

味 自体に は , 相互連 関

 

(anyonyanvaya ) す る可 能 力が, さ らに , 他な らぬ諸の 単 語 に は, そ の

 

〔諸の 意 味 自体 に , 相互連 関 する 可

力 〕を生 ずる も う 一

力が 〔想

 

定 される こ とに な るで あろ う〕か ら。 一

,〕 想

せ しむ る もの

 

る 〔と考 える〕 説 (smarakatvapak $a)に お い て は , 二 つ の 可

力 が

 

〔想 定 され る で あろ う〕 と言 わ れた。 しか る に ,

連 関表

示 (anvitabhidha −

 

na ) 〔説 〕に お い て は, 諸の 単 語 に, 唯 一

力が 〔想 定さ れ る の で あ

 

る〕。 従 っ て, 想 定の 簡

さ (

kalpanalaghava

) の 故に, そ の 〔連

関表

示   説 〕だけが正 しい の で ある, と。   これ に し て 言 わ れる 。 そ の 通 りで あ る。

  

想 定の 簡潔 さの す る所説 (

pak

§a)を 余は 好め り (rocayamahe )。

    

他 な らぬその

想定

簡 潔

れ に

る か と い う こ と は, 正

     

(nipunam ) 決 定 され るべ で あ る。

  単 語

つ 表 力 等に

諸 説の 検 討 し て あ この

TB

の 一らか な 通 り,

MMU

TBhP

に お い て 権 威 とし て 引かれた 一詩 節 半 分ま で , 確 か に

Vacaspati

自身に よっ て 記されて い る の で あ る。 こ の

TB

中の 詩

が , これ まで の

TB

の研 究 者に ょ っ て は , 他の 論 師の 著 作か らの 引 用で は な し に ,

Vacaspati

自身に よる もの と無 条 件 に考 え られて い 19) こ と を確 認し た上で , 果 た して 人 物が , 同 一 半 詩 節 っ た詩 節を 書 き残 す こ と が あ り得る か い う点に 思い を 馳せ よ う。 もし か し た ら本

TB

に は , 

i

)v)

詩節

半 も あ っ た の か も知れ ない 。 ま た 問 題の 詩 節の 後 半は い わ ば前 半 の 反 復に 過 ぎない と も言 え, ある意 味で は 冗 長 と も見 なし得る もの で あ る。

Vacaspati

, 

TB

の そ の 詩 節の

用 性 に注 目した人

に よ っ て

半が捏

・ 付 加 されて そ れ 以 来 そ 一

548

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(8)

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NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty

60

kalpanalaghava

kalpanagaurava

れ が

Vacaspati

の言 とし て

通するに至 っ た と む しろ考え るべ きで あろ う。 何

れに し て

laghava

gaurava

と を

対概念

と承

知す

り, こ の

半詩 節

だけ

で も充 分に 言 い 尽 され て い る と 見 な し

る原 則

C

は ,

Vacaspati

の もの と考 えて

お こ う。 さ らに vi)か らは, 

i

ii

iii

)v)では analpa , alpa ;(

adhikya

),  alpa と

きに よっ て 理

解す

な く, 必

し も

明確

で は な か っ た

gaurava

laghava

が , 単

え る こ との で きる (従 っ て

gaurava

, 

laghava

定が容

易に で きる), 想

の 対 象た る

 

「可

Sakti

) の 数の 多 ・

と して

れて い る20) こ 注 目しよ う。 こ の 場 合 に は もはや, 原 則

D

は必 要 と され て い な い よ う で ある。 皿.

 

実の とこ ろ, vi )の 詩 節は, 

TB

の議 論 全 体 21) の 展 開の上 で 極めて 重 要な役 割を

う三 つ の

の一つ

後 半

kalpanalaghava

,・

gaurava

を用 い て の 議 論に 際し て の

事 項が端

22) う点

確認

し た で ,

kalpan51aghava

,・

gaurava

と表 裏を なす 一 原 則 十 全 りの に こ の 詩 節に 関わ りの 詩 節 以 下に 引こ

  

viimiyamanaparityago  

badhake

 nasati  sphute

23)

     

dr

§

tat

 

karyopapattau

 ca nadr §

taparikalpana

TB

, 

p

8

11

4

5

7

) 明 白な否

要 因 (

badhaka

)が存 し な い な らば, 知

され る もの の 放 棄は

 

適 当

で は

ない 23)

経験

さ れ て い る もの

d

§

ta

: 可

見)

づ い て 結 果 (

karya

) 〔の 生 起 〕が成立するな らぽ ,経 験 さ れ て い な い adr §

ta

:不

   

可 見)の 想 定は 〔

当で は 〕な い 。   こ こ に もま た一 つ の 原則の 表 明が ある。

  

原 則 :経 験 され

dr

ta

: 可 見 )に

づ い て結 果 (

karya

)〔の

起〕

    

が成 立 する な らば, 経

さ れ てい な い もの (adr §

ta

:不 可 見)の 想 定 は

    

当で は 〕 ない 。 (

E

 

TB

自体の 議 論の 詳 細に 立 ち 入 らず と も, こ こに 引い た vi)vii )の 二 詩 節の 重 要 性は , た だ

TB

文 章の 意 味の 知 識の 原 因

を 主

とす る論

る と い う 点を知 りさ えすれ ば 理

るで ろ う。 想 定 (

kalpana

)が ,

に 「経 験 され て い な い

(adr

ta

:不 可

)24) を

っ て の もの で

る とい うこ とで 原 則

C

る こ の

E

は,

Vacaspati

に よっ て 信

条表

明の

き もの 25)と して 表 明さ       一

547

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(9)

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kalpanalaghava

kalpanfigaurava

61

) れた原 則

C

に比 して や や具 体 性を

び た もの と 言 い

るの で ある 。 そ こ に は , 可 見の もの を 不都 合が ない

け入 れ た 上 で 理論が構 築 されるべ , 無 闇 に不 可 見の もの を想

する こ とを避け る とい う経験主 義 者

Vacaspati

る原

(nyaya が は っ きり

え るで

ろ う。 ま さ し く

オ ッ カ ム の 剃 刀 26 > 」で る。

C

の よ うな 形で の 原 則 明 が

Vacaspati

に は見 出し難い の に比 し て , 

E

での 原 則

は,

kalpanalaghava

, −

gaurava

し て , 全 く厦々 見 出 され と は

場 合 興

い こ で ある。 とい うの も, それ が,

々 の 目下 の

である

kalpanalaghava

,・

gaurava

に 関 す る歴 史 的 展 望 を 獲

する

縁 と な る よ うに わ れ る か らで ある。 そ こ で, 可 見 (

dr

§

ta

)と不 可

(adr $

ta

) とが

比さ れ て い る こ と27)

要である。 上 に 見た用 例か ら も容 易 に

て とれ る よ うに , 不 可 見の 代 表 例が , 可 能 力 (

6akti

)で ある こ とに は 異 論が な い で ろ う。

Sakti

が , 誰に とっ て も不 可 見と考 え られた か どうか 2B) は

は問 わ な い と して も,

な くと も

kalpanalaghava

,−

gaurava

とい う術 語を多 用 し,

明確

原 則

C

E

明して , それに拠 っ た

Vacaspati

に とっ て は , そ うで

っ た こ とは確 実である29)。 以 下 に は , こ の

Sakti

の 問 題 と関わ りの 深い , 原 則

E

に つ い て

検討

を進め よ う。

 Vacaspati

行 す が確

i

実 な シ ャ ン カ ラ (

ahkara

は , 『ブ ラ フ マ ス _ トラ』 (

Brahmasatra

)に 対 す る 『注

書 』 (

SathkarabhaSya

BSSBh

)の 中で

の よ うに 記し て い る。

  

viii)

 

varpebhya6  carthapratiteh  sarpbhavat  sphotakalpana ’narthika

   

!(

BSSBh

, 

p

329

, 

ll

9

10

  

8

)また

varna ) に基づ い て, 意

(artha )の 知 (

pratiti

)が, 可

   

能で ある が故に, ス ポ ータ (sphota )の 想

は,

無意 味

(anarthika )で

    

ある。

 

こ れ に して

Vacaspati

の 『タ ー トパ リ ヤ テ

ィ ー カ ー』 (

Nyayavarttikata

tparyatika

NVTT

)の 以 下

比 させ て み た な らば如 何で あろ うか。

  

ix

tasmad

 

dr

§ebhya  eva  varpebhyo  

dr

 aprakaranupatibhyo ,rtha ・

   

pratyayotpattir

 upapadyamana  nad §

tarp

 sphotatmana

dr6yama

   

navar りabhedapahnavena  

kalpayitum

 arhatiti  siddham

NVTT

, 

p

    

655

1

28

p

656

1

11

  

9

)そ れ故に,

の に

な らぬ , 既 知の

段に従 う諸の

字音

づ い 一 

546

一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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62

kalpanalaghava

kalpanagaurava

て ,

意 味

の 生

が 成立するの で

る か ら, 不 可 見の ス ポ ータ 自体 を, 可 見の

諸宇

別 異 性 を 否 定 す に よっ て , 想 定 し

な い , とい うこ とが確 定 し た 。

 

こ の

ix

)は,  viii )で 見られ る 「

意 味

の 知

とい う結

の 生

原 因 を 廻 る二

字音

(varpa )説 とス ポ ータ sphota )説議 論に , そ れ ぞ れ 可 見, 不 可見が配 さ れ て い に よっ て, ま さ し くそ れ が原 則

E

の 適 用例 で ある こ と を 示 して い る。 同 時に そ れは ,

dr

ta

, adr $

ta

との 認 定 が可 能で あ りさ えす れ ば, こ の 原 則

E

と そ れ に基づ い て成立す る

kalpanalaghava

,−

gaurava

を用い ての

論が他に も可 能 となる こ とを 端 的に示 し て い る と え るで あろ う。

  

x)na  

hi

 

kalpyamana

 

Saktih

 

6aktyantarayukta

 

kalpyate

, 

tanmatrad

   

eva  salpbhave 首aktyantarakalpanayam   anavasthapatat ,...(

TB

, 

p

    

28

11

3

5

  

10

に ,

想定

さ れ る もの で 可 能 力が, 他の 可 能 力 を 具 えて い る と 想

      さ れ る こ とはな い の で ある。 その 〔前 者 〕の み に基づ くだけで , 〔説 明〕が       可 能で ある時に , 他の 可 能 力 を 想 定 するな らば, 無 限遡 及 (anavastha )に       陥る が 故に 。

 

こ の X

は,

に vi

に お い て も

られ た

議論

類 似

の もの で は

る が, 

ix

との 対比 で 見た場 合,

た な展 望が開け て くる よ うで ある。 即 ち こ こ に見ら れ る 厂不 可 見の

A

の みに よっ て

X

の 説 明 がつ く と きに ,

A

とは 別 の 不可 見の

B

を 想 定 す る こ とは

当で は な い とい

で の 原 則は , 先の

場 合

が 可 見と不可

との 対 比に よ る もの α)で あっ た こ とを 確 認 する な らば, 少

の 不 可 見と多 数の 不 可 見と の 対 比に よ る もの

β

とが

で あろ う。

Vacaspati

原則

C

れ る

kalpanalaghava

,−

gaurava

接 的に は後 者を念 頭に お い た もの とは い え. 具

性を欠 く分だ け, 前 者を も包 摂

る もの と して 機 能 する こ とが 可 能 で あっ た と言える の で

る。 つ ま り,

kalpanalaghava

,・

gaurava

に は , こ の 二 つ の

局面

(α) (

β

) が考 慮 され な け れ ばな ら ない とい うこ とで ある。 そ し て , 原則

E

とは , (α)に の み

わ る もの で

る。 こ の こ とは,

代の 用 例に 基づ い て 析 出さ れ,

さ れて い る ,

kalpanalaghava

,・

gaurava

の 二 面 性,

qualitative

) と

「数 量 的 」 (

quantitative

)3°)

tr

対 応 する と言 えるか も しれ ない 。 vi )や x)に お け る よ うに, 多

の 不 可 見の 想 定か らなる理

よ りは,

少数

の 不 可

想 定

か ら な る理

kalpanalaghava

がある と認

する こ と は

易で

が , 

i

)丗) や 一

545

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kalpanalaghava

kalpanagaurava

63

) viii

ix

場 合 に は , 原 則

D

や 原 則

E

に 依 拠せ

して は, 

kalpanalaghava

,−

ga

− urava が

辺 に ある か の 定 は, そ う簡 単で は ない よ うに 見え る か らである。

 

実 際, こ の

E

の 形で の 原 則の 表明 が, 圧 倒 的 に 多い の で あ る。 こ の 原 則に従 う 限 り, その 理 論は

kalpanalaghava

保 持

る の で

り, その

則を 犯

kalpanagaurava

に踏み込 む こ とに な っ て , その 原則 の 遵 法

に よ り, 非

を 浴びせ られる こ に なる の で る。 その 原 則

E

の 具 体例 を二 ・ 三 見 み よ う 。 例 えぽ, ヴ ァ イ シ ェ ー 学 派 (

VaiSe

ika

)の 学 匠 シ ュ リー ダ ラ

Sridhara

)の 『ニ ヵ ン ダ リ』 (

Nyayakandali

NKan

) に は , 次の よ うに ある。

  

xi

tad

 apy  ape6alam , 

dr

te

 sa 卑

bhavaty

 adr §

takalpananavaka

at

 

13D

    

NKan

, 

p

346

11

10

1

   

11

) そ れ もまた

魅惑

的で はな い 。 可 見の もの が, 可 能で あるな ら ぽ , 不 可 見

    

の の 想 定

地 は ない が故に。

 

また

Vacaspati

は 『バ ーマ

Bhamati

BM

)の で は, 次の よ う に

表現

して い る。

   

xiina  ca 

dr

§

te

 salpbhavati

y

)adr ‡akalpana  nyayya  

1

BM

, 

p

.      

768

1

23

  

12

)ま た 可 見の もの , 可

で ある

に , 不 可 見 の も の の 想

が 正 し い

    

(nyayya ) とい うこ とは ない 。

 

し た例 は まだ ま だ い く らで

くこ とが出

る が, Vii )

iX

)X)Xi)Xii)に お い て の よ うに , 原則

E

現が

型 的で ある こ と を考 慮する な ら ば, そ れ らが, 全て 共 通 の 起 源を 持つ の で ある と, 推 定で きる よ うに 思わ れ るの で あ る。 以下 に は それを

検討

す るが, それ に

た っ て は その とっ か か りを ,

以下

士 の 記 述め たい 士 は , ミー マ ー ソ サ ー学 派の

有名

な綱 要

で あ る 『ア ル タ サ ソ グ バ 』 (

Arthasamgraha

和 訳 ・解 説32)

Mimamsa

学 派が

Veda

釈の 原 則 として

げて い の の

の 二 つ の 原 則

する33)

と し て , その うちの 一 つ を 「原則

B

と して , 次の よ うに 記 して お られ る。

   

イ) 「原則

B

Veda

規 定 す る と こ ろ に っ て

っ た行 為か ら可 見の 結果

    

(= 眼 見え

結果〉

が 生 ず

, そ の

行 為

か ら不 可

結果

(= 眼 に 見え ない 結 果 )が 生ず る と考 えて はな ら ない とい う

則。 34) 」

 

北 川 博士 は,依 拠 し た研 究 を 明記 されて は い の の 具 体 的に は 典 拠を 示 して は お られな い 。

者が

kalpanalaghava

,・

gaurava

との 関わ りで実例 の 中 一 544 一 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

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64

kalpanalaghava

kalpanagaurava

か ら

出 して 原則

E

と して 上 に

げた もの とこ の

原 則

B

は, か な り似て い る

の で ある。 北 川 博士 が参 照 され たその 研

を実 見で きない こ とは残 念で はあ る が,

者は その

原則

B

に 当たるサ ン ス ク リッ ト文を xiii) に見 出 し

る。

  

xiii‘‘

1abhyamane

 

phale

 

drste

  nadr

taparikalpana

 

iti

  nyayena

 

dr

taphalasarpbhave

d

ta

phala

kalpanasyanyayyatvat

Vyakh

 

ya

, 

MD

, 

i

, 

p

12

11

14

15

13

) 「

可 見の

が ,

られる な らぽ , 不 可 見 〔の 果 報 〕を想 定

る こ とは 〔適

   

当で は 〕 な い とい う原 則に よ り, 可見の 果 報が 可

で あ る 時 に , 不 可 見

     の (果 報 ) の 想 定は正 し くない が 故に。

 

Vaidyanatha

 

Sastri

こ の 原 則 (nyaya

を どこ か

い て きたか は,

や は り不 明で るが, 見る と こ ろ ミーマ ー ソ サ ー

学派

の 聖

典解

釈 の 原 則 と し て, 「原

B

がある こ は, 確 実で ある。 ど うや ら後 代

kalpanalaghava

,・

gaurava

の 拠 り所 と して

出 され

則 もや は り ミーマ ー ン サ ー学 派 の 聖

解 釈 の

起源

出 され る よ

われ るの である。

 

『全

綱 要

』 (

SarvadarSanasamgraha

SDS

)の著 者 とし て 有

な マ ー ダ ヴ ァ (

Madhava

)の 『ジ ャ イ ミ ニ ィ ー ヤ ニ ヤ ーヤ v 一 ラ ー ヴィ ス タ ラ』 (

Jaimi

− niyanyayamalavistara :

JNMV

) に は 以

の よ うに

る。

  

xiv

dr

§

taphale

 sa 甲

bhavaty

 ap 丘rvalp  na  

kalpaniyam

!(

JNMV

 

p

58

   

1

15

  

14

) 可

の果

が可 能で あるな らぽ,

新 得力 (

aPUrva

定 されるぺ

で      は ない 。

 

さ らに ’t 一 ッ タ 派の

始 者 た る

Kumarila

の 『タ ン トラ ヴ ァ ール ッ テ ィ カ』 (

Tantravarttika

TnV

) セこの よ うにある。

  

xv )

dr

鉱e 

hi

 saty  adr $

tasya

 

kalpana

 ni§

pramapika

TnV

, 

ii

, 

p

103

     

1

12

  

15

) 実に 可 見の が

する 時に, 不 可

の もの の

定は, 正 し くな い 。

 

また, シ ャ パ ラ (

§

abara )に はその

解書

Sabarabha

ya

SBh

に以

下の よ にある。

  

xvi na  ca 

dr

te

 

sati

 

adr

takalpana

 

sambhavati  

1

SBh

 vii 

p

77

,      

11

. 

20

21

  

16

) ま た, 可 見の もの が

する時に , 不 可

の もの の

定が, 可

で あ る と

543

(13)

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kalpanalaghava

kalpanagaurava

65

)      い こ とは ない

 

イ ) とか xiv )が野 放 図に 一般 化 し

ぬ 形を と っ て い る の に対 し て ,  XV )xvi ) が それ

体上 に た原 則

E

とほ ぼ同 じ表 現 を とっ て い る 35) こ とは , 意 味の ある こ とで あろ う。 だ が, だか ら と言 っ て, XV )xvi )が 一 般 性 と結びつ い て い た か と言 う と必ず し も そ うで はな い の で ある。 とい うの も, そ こに 見 られる 不可 見 (adr §

ta

) が , 不 可 見 一 般 を

味 す るの で はな く

定の 祭 式の 結 果 として あ る 「新

〈apttrva 意 味 す る もの で あるか らで ある。 その 意 味で , イ)もxiv )もxv )xvi )

も特 定の 状 況で適用 し

る同一 の 原 則 と見な し

る の で ある。 こ こ に は ,

Vacas

pati

に よっ て 不 可 見と して の ス ポ ータ を 退

る こ とを 念 頭に お い て

ち出 された

E

とは全 く異な っ た思 惑が働い て い るの で ある。 だが , 後 代

kalpanalagha

− va ,−

gaurava

用 に

して, 

Vacaspati

な どに よ っ て 原 則

E

とし て

ち出され る もの , ミ ーマ ー ソ サ ー

学 派

の 聖

典解

釈の

則とし て

Sabara

に よっ て

に 明 確 に表 現さ れ た もの に 基づ くこ とは

定で る で ろ う。

Iv

 

で は,

kalpanalaghava

, −

gaurava

術 語

後 代

ミ ーv 一

学 匠

に よ っ て の み な ら

, 議

に際 して 広 く用い られる二

概 念

の 方は ど うで あろ うか。

kalpanalaghava

,・

gaurava

と い う術 語の

使

用 例は,

筆 者

管 見

する 限 り で は , それ ほ ど古 くは遡 り

ない の で ある ま た, そ れ らの 術 語の 成立 に 関

わ る と

え ら れ る

軽い

定」

laghu

kalpana

想 定 」 (

guru

kalpana

とい

で の

1aghu

 

guru

使

用 例 に して も同 じこ とで る。 以 下に は その 点

に絞 っ て検 討を進め よ う と思 うが, そ れ は (α)に 関わ りを持つ 原 則

E

に対 して,

主 に (

β

)に関わ る新た な原 則を

る こ とで あろ う。

 

Sabara

に は ,次の よ うな形で の 一つ の

表現

され る。

  

xvii )evarp  saty  alpiyasy  adrStakalpana  nyayya

SBh

, 

ii

, 

p

. 

380

1

.      

8

  

17

) こ うで あ る な らば, 少 数の , 不 可見の もの の 想 定が 正 しい の で ある 。

  

原則

少数

の , 不 可

の もの の 想 定 が正 しい 。 (

F

) 36)

 

§

abara の

著 作

中 に , 

kalpanalaghava

,−

gaurava

とい う

語の 使 用 例 が 一

られ ない こ と をえ ば, こ の xvii )は 貴 重で ある。 さ らに

Kumarila

(や

Pra

bhakara

現 行著 作中

, そ れ らの用 例 がほぼ 見出 され ない 37

とい う点を承

一 542 一

(14)

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66

       

kalpanaIaghava

 

kalpanagaurava

知 した上 で ,

Kumarila

の 以下の 詩 節に注 目し よ う。

  

xviii adr §

tam

 

prathamam

 

tavan

 nastity  evarp  

pratiyate

     

tathaiva

  ni cayaS  catra  

drstam

 cen  na  virudhyate 〃 (α)

dr

ta6rutavirodhe

 

tu

 

saty  adr 爭

tam

 

Prakalpyate

ekena  cavirodhitve  siddhe  nanekakalpana 〃 (

β

)(

TnV

, 

iii

, 

P

     

3

11

4

7

18

)先 ず

一 に , 不 可 見の もの (adr §

ta

)は

存 在

しない , とい うよ うに 理 解さ れ る。 そ し て こ の 場 合, もし可

の もの (

drsta

) が矛 盾 し な い な らぽ, 全 くそ の よ ろに , 〔不可 見の 本の は存在 し たい , との 〕決定 (nigcaya )が ある。 (α)しか るに , 可 見の もの , 〔ない し〕可

の もの (

Sruta

して 矛 盾が あ る な らば, 不 可 見の もの

ない し不 可聴 の も の が, 想定 さ れ る。 そ し て .. 一

不 可 , な い し不 可聴の もの 〕に よっ て 無 矛 盾な もの で あ る こ とが , 確定 し た た らば, 複 数の 〔不 可 見の 本 の た い し不 可

    

想定 (

kalpana

) は

tc

い 。 (

β

 

こ の

Kumarila

に よ る, 

Sabara

の xvii )に 表 明され た原 則に 対 する注 釈 とし

る xviii ) は ,

代, 

ka

panalaghava

, −

gaurava

を用い て ん に 適 用 され る, い わ ぽ 「理論

構 築

上 の 簡

性の

に関す る 一 歴 史 的 展 望 を得る 為にある

論に とっ て は , ま こ とに意 義 深 い もの と言わね ぽ な る ま い 。

kalpanalaghava

, −

gaurava

哲 学議 論にあ っ て

効 に 活 用 さ れ る為の

盤 として ある

 

一つ の

原則」

と言 うべ

 

理 論

構築

簡 潔

則 」が持つ 二 面 性 を, これ ほ どま で に

簡潔

に 説 明し た例 を, 筆 者は寡 聞に も 知 ら ない の で

る。

   

(α) 可 見に 対 し て,

矛盾

が あるな らぽ, 不 可 見の

想定

が な される。

   

β

) 一 つ の 不 可 見の

に よっ て , 矛

が解 消され る な らば ,複 数の 不 可

     

見は想

す べ で は な い 。 38)

 

想 定の 対 象として の 不 可見 な もの の aneka に

zK

 eka , alpa に

対す

Ω

一の

両者を含 意 する もの とし ての alpa or alpiyasi ) を用い て 明確 に

され た・

abara に よ る xvii )の 原 則

F

, 即ち 「少

の , 不 可 見の もの の 想 定が 正 しい

(alpiyasy  adr

takalpana

 nyayya ) こ そ, 時 経て, 

Vacaspati

に よっ て

え ら

れ た原 則

C

定の 簡 潔 さの ある所 説を余は 好め り」 (

kalpanalaghava

yatra

 

tam

 

pakSam

 rocayamahe )の 一

形と見 な し

る の で ある。

§

abara に 一

      一

541

(15)

Komazawa University

NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University

kalpanalaghava

kalpanagaurava

67

.よ っ て用い られて い る

bahu

の 対

概 念

を表わす もの として の alpa39)は ,

後代

に お ’ い て も

kalpanalaghava

中の

laghava

を説 明 する 際に一 度な らず 用い ら れ た もの 』 で っ た40)。

Kumarila

に よ っ て は な されなか っ た とは い え, プ ラ バ ー カ ラ

Prab

hakara

に よっ て は , 

Sabara

に よるその

則 を踏 ま えて evam  c 盃

dr

§

tanuma

naprashgakalpana  

laghiyasl

 

bhavi

§

yati4i

と ま表 現され て い る こ と も, 今

推 定 を

支 持す

の と言 え るか も知れ ない

  

ミーマ ー ン サ ー派の 主 要な関心

る ヴ ェ ーダ聖

釈に

た っ て の 特 .殊な原 則

F

と, さ らに

広範

囲に

用 し

る謂わ ば 一

さ れ た

C

っ て ,

Kumarila

に よ っ て (α ) (

β

) の 二 局 面が こ の 上 な く

見事

出 さ れ た こ と ・ , 極め て

意 義深

・い の で ある。

Kumarila

が , そ の

大な

著作

中で , 全 く

々 そ の 原 則に っ て

論を展 開し て い る こ とは

事 実

る、 だ が , そ れは

々 の ・

聖 典 解 釈上 の 問 題を越えて で は な く, し か も,

bahv

−(adrSta )−

kalpana

, aneka

(adr $

ta

)−

kalpanii

 

eka −(adr 爭

ta

)−

kalpana

 

alpa −(adr §

ta

)。

kalpana

 

stoka −

adrSta

kalpana

い て の 42)

る。 そ し て

Kumarila

は , 

laghava

(or  

laghutva

Iaghu

gaurava

(or 

gurutva

guru

) を

kalpana

付 きで 用い る こ は , ほ とん どと言 っ て 良い ほ どになか っ た。 そ れに は ,

abara

の 衣 鉢を 継 ぐミーマ ー ソサ ー学 派の 正 統 と して の

Kumarila

っ て , 

Sabara

.が

laghava

, 

gaurava

を全 く別 の コ ン テ キ ス トで 別の

意 味

合 い で

い て い る

43)

とい

事 情

が あ っ た こ とが関

して い た か も知 れない 。

  

Kumarila

Prabhakara

に は , 

kalpanalaghava

,−

gaurava

と い う 術語 の 使

例は 見 られ ない に し て も, 二 人 とほぼ 同 時 代 人 と

え られて い る

§

ahkara

や マ ソ ダナ (

MarLdana

) に は , 

kalpanalaghava

,・

gaurava

とい う術語 に 直ち に

る か如 き用 例が以 下の よ うに か に見 出 され る の で あ る 。

   

xix )vrddhavyavahare  ceme  varpah  

kramadyanugrhita

 

grhitartha

     

vi忌e爭asarp

bandhah

 santa

 

svavyavahare

 

py

 

ekaikavarpagraha1

a

     

nantaram  samastapratyavamar ≦

inyatp

 

buddhau

 

t

dr

a

 eva  

pratya

     

vabhasamanas  

ta

tam

 artham  avyabhicarepa  

pratyayayi

yantiti

     

vamavadino  

laghiyasi

 

kalpana

 sphotavadinas  

tu

 

dr

§

tahanir

 ad ;§

ta

     

kalpana

 ca  vartPaS  ceme  

kramepa

 

grhyamapah

  sphotam   vyafija −

     

yanti

 sa spho ‡o ’rtha vyanakt 亘

ti

 

gariyasi

 

kalpana

 sy 且

t

 

1

BSSBh

     

p

330

11

2

−・

6

一 

540

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