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駒澤大学佛教学部論集 24 019金 仁淑「八敬法の歴史性に関する考察」

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(1)

駒 澤大學 佛教 學 部論 集第

24

號  平成

5

10

月 (

79

仁  

1

所 在

 

仏 教の 女 性 観 を論じる場 合, 主に 取 り上 げ られるの は, 変 成

子 説 や 女人五 障 説や八敬

で あるが, これ らは仏 教 本 来の思

で はな い との 見

学 界

の 主

を 成 して い る。 確か に 変 成

子 説は原 始 経 典 に は

れ な い もの で あ り, 女 人五

説 は原 始経 典の 一 に の み現れ る もの で る。 しか し 八 敬 法の 場 合は , 律 蔵や 阿含 な どの

期の

仏典

数多 く

その

記録

が 残 っ て い る。 平 川

博士 も述べ て お られ る よ うに , 現

含や律 蔵が聖 典 とし て 固 定 し たの は, 仏 陀の 滅

か な りの 年代 を経て か らで は あるが , 何 らか の 意 味で 仏 説を 含 ん で い る 1) , 学 界の 通 説で

る。 し か し八

敬法

は 常に仏 説で

るこ と が否

されて い る。

 

八敬 法は, 女性の 出 家の 条 件 とし て 定め られた, 女 性出家 者が

性 出家 者に対 して守 るべ ぎ尊 敬 法 , 男性だけだっ た 教 団に女 性が 入 る こ とに よっ て予 想さ れ る問 題を防 ぐた め に制 定 された もの で

る。 それゆ え 八 敬

は ,

陀の 女性 観の 現 れで あ り, 仏 教 の 女性観の 歴史の 始 ま り と も言 える。 八敬 法が仏 説で ある こ と の 否 定は, 八 敬 法 が 仏 教 の 女 性 観で あるこ との 否定で もある。 初 期 仏 典に数 多 く 残さ れて い る 八敬 法を非 仏 説 とする な ら ば, 仏説 とし て 認 め ら れ るの は どの ぐら い るの であろ う。 大 乗 非 仏 説 の 登 場 と ともに仏 教 界で は, 神 格 化さ れて い た仏 陀を人 間 的 側 面か ら理

し よ うとし,

々 な研 究 が なさ れ た。 しか しな が ら

性 観に お い て は, 仏

の 人 間的

面を認め よ う と し ない の が現 状で ある。

 

こ の論 文は , 八敬

説で

り, 八

敬法制

定が 歴史

的事実

で ある可能性 が 高 い こ と と, それが

仏教

性 観に な っ て い るこ とを 明 らか に

る を目的とする。 方 法と し て は, まず八敬 法の 現 存 資 料の 種 類 と性 格を検 討 し, 次 に そ の 資 料に従 っ て, 八 敬法 制 定をめ ぐ る 諸般の 事 情や 八 敬 法の 条 項 別 内容 を 比 較してそ の 原形 を 推

定す

る。 そ して

最 後

に八

敬法

の 歴

史的事実

性 を 追 究し たい と

える。

(2)

80

) 八敬 法の 歴 史性に 関する考察 (世燈)

       

2

 

管見

り, 八敬 法が記 述さ れて い る

料に は 次の

17

種 が ある。

   (

1

 

パ ー 文 献

   

 

Vinaya

piVaka

, 

Vo1

LP

52

, 『

南伝大蔵経

2

律蔵

2

, 

PP

83

84

   

 

Vinaya

pitaka

, 

Vo1

. 

L

 

pp

253

283

, 

r

南 伝 大 蔵経』 巻

4

, 律 蔵

4

     

pp

378

425

   

 

Ahguttara

−nikEya , 

Vo1

. 

N

, 

pp

274

279

, 

r

南 伝 大 蔵 経』 巻

21

     支

部経 典

5

, pp .

194

202

    (

2

) 漢 訳 文 献

     

分律

48

T

22

, pp ・

922c

927c

     

五 分 律

29

T .

22

, pp.

185b

190b

   

 

摩 訶 僧 祗 律

30

T

22

, pp .

471a

476b

         『十 誦 律

47

T

22

, p.

345b

c

    

  『根 本 説

部 毘 那 耶

29

30

T

24

, pp . 

350b

352b

     

根本説

切有部

2

T

24

, p . 464b −c)

       

根 本 薩 婆 多 部 律 摂

10

T

24

, p .

582a

     

明 了

T

24

, p 。

670c

       

毘 尼

1

T . 24, p . 803a −b)

       

大 愛 道 比尼 経 巻 上

T

. 24 , pp . 

945b

950a)

     

含 経 』 巻

28

116

経 (T .

1

, pp . 

605a

607b

     

仏 説 瞿 曇 弥 記 果 経 T .

1

, pp . 856a −858a)          『中 本 起 経 巻 下

T

4

, pp . 

158a

159b

  

3

 

チベ 文 献

   

 

dul

ba

 

phran

tshegs

kyi

 

gshi

, 

Vinaya

keudraka

−vastu (r影 印北

       京 版西蔵大 蔵 経』 巻

44

, pp .

161

162

 

以上の 資 料

典の 性

別に 分 類

る と,

部, 阿含 部, 本 縁 部に

け られ る。 律部の 資 料 と し て は, パ ー リ律, 漢訳 五大広律, チ ベ ッ ト訳有 部律 な どの 律 蔵 と, 『明 了論』, 『毘尼 母経』, 『大 愛 道比 丘 尼 経』 な どの 律 典 が ある。 阿

部 経 典の で は, 『

増支

部 経

』, 『

経』, 『瞿

曇弥記果経

』 に, 本 縁

の 中で は 『本 起 経 敬 法ま れ て 。 こ の よ うに 八 敬 法の 資料は, 原 始 仏 典の

(3)

      八 敬法の歴 史性に関 する考察 (世 燈)            (

81

) 律 蔵や阿 含にその大 半が

まれて い る。

 

が 比 的 よ く保存さ れ て 2) とい わ れ る が, そ れは, 「 蔵は 僧 伽の 組織や 規 則 を 明 か す こ とが 目 的て あるか ら, 律 蔵 伝 持 者 の 個 人の 創 意 や判

によっ て , 規 則 を改

し た り, 組

の 説 明 を変 更 して , 伝 持 す るこ と は簡

に で ぎる もの で は ない 」3)か らで あろ う。 その うえ律 蔵は異 本の 数が多い た め, 内容の 比 較に よ っ て 古 い 要 素を 取 り出す こ と がで ぎる。 八敬 法は 現 存の 全 て の 律 蔵に その

記 録

が 残っ て い る か ら, 比 較に よ る原 形の 推 定が可 能 とな る。

  律

蔵と比べ , 「異 本 , 実 際の 比較を行 う場合, 後 世の

増 広の ため合 致 しない 部 分が多い 」4)と言われる。 しか し八 敬 法の 資

と して の 阿 含は , 異 本 もあ り内 容 上の 合 致 点 も見え る。

Ahguttara

−nikaya (r増支 部 経典』) と 『中阿含 経 』 の 八敬 法は, 順序や 細部の 内 容に お い て は 異な る点が あ るが, 概ね に おい ては合 致 し, 比較 研究 に有 効で ある。 『

本 起 経』 の場 合は , 仏 伝 とし て の

誇張

や修

ま れて お り,

文学

性に富ん で い る の で , そ こ か ら

実 性を取 り出す こ は不 可 能である。 しか し 八敬 法に お い て は , 律 蔵や阿 含との 比

に よっ て ,

改 変

増 広の

部 分

を切 り放

こ とがで きるの で 比

の 対 象に な る。

 

道 比 尼 経 つ い て は, 平川博士 は , 律 蔵の 説とは 合致し ない 点 が 多 い た め, 部 派 仏 教の律の文 献 とは見が た く, また律 と し て は 異系 統の 経 典で あ る5)

て お られる。 八敬 法の 内 容に お い て も, 他 律 とは顕 著に異 なる。 しか し

r

中本 起経』 の 内容 とほ ぼ 合 致 する。 『中 本起 経』 とは同系

の もの か, 一 方が他 方の

けた 可

性 が

われる。

 

明 了 論 尼 母』 は , 広

釈 し た戒 論で ある。 簡 略で は ある が, 八敬法の 記述がある。 『尼 母 』 に は 八敬 法 制 定の 事 情だ け が, 『明 了論』 に は 八

法の 条項だ け が記 述 さ れて い る。

  資料

の うち, 漢 訳の 『毘 那 耶

雑事

』, 『百 一羯 磨』, 『

摂』 やチ ベ ッ ト 訳の

Vinaya

k

draka

−vastu r毘那 耶雑 事

』)は, 全て 根 本 説一切有 部の 律で あ り, 八敬 法の

容に お い て も

らの 矛 盾 もない の で , 以下漢訳の 『毘 那 耶 雑 事 だけ を取 り上 げる こ とに する。 パ ー リ文献 の 三種の 八敬 法の 資 料 もパ ー リ上 座 部 所

の もの で , 全 く同じ

容で ある た め , 以下

Villaya

pitaka

だけ を取 り上げ る。 r瞿曇 弥 記 果 経』 と 『中阿 含 経』 も同じ原 本か らの 訳 出で る6) で, 内 容の違 い が ない

り, 以下 『

阿 含

』 だ けを取 り上 げる。

(4)

82

) 八敬 法の歴史性に関する考察 (世燈)

3

. 八

敬 法 制 定

諸 般

事 情

 

1

)  内容の 比較

 

十 誦 律 , 『僧

祗律

』, 『明 了論』 に は八

敬 法制定

をめ ぐる

般 の

事情

記述

が 欠けて お り, 『毘尼 母経』 に は こ の 記 述の みが ある。 『パ ー リ律』, 『四分

』, 『五 分 律』, 『

部 律』, 『毘尼母 経

a

, 『中阿 含 経』, 『中本 起 経』, 『大 愛 道比丘 尼

ge

』 7) の

8

, 八

敬 法制定

をめ ぐる諸 般の 事 情の 内容を比

する。

  

1

 

弥 の

 

仏 陀が釈 氏 国迦 維 羅 衛 城尼拘

園に お ら れ る時, 仏 陀の

母で

波闍 波

提 瞿曇

弥は

仏陀

に詣 り, 出

可を

懇請

する が, 仏

は許され ない 。

 

瞿曇 弥の 出 家を求め た 場 所 と出家へ の 発心に 関す る 記事に おい て は, 全資料 矛 盾 な く合 致 す る。 しか し許 さ ない 理 由は定かで ない 。 『パ ー リ律』, 『

本 起

』, 『

比 丘尼 経 に は

し ま なS) , 『毘尼 母経』 に は 「許 す を 欲 しな い 」9)と なっ てい る。 『五 分 律』, 『有 部 律』, 『中阿 含 経』 に は, 在 家で 精進 する こ とを 勧め て い る。 なか で も 『有 部 律 』 で は, 白衣 を

精進

す る よ うに, 『五

律』 と 『中 阿 含 経』 で は, 髪の毛を剃 り, 袈 裟を

る こと まで は 許してい る。 1°) 『分 律 で は仏 法 , 『大 愛 道 比丘尼 経』 で は 清 浄 梵 行が久 し くない 11) とを 不 許の 理 由 としてい る。 確か な不 許の 理 由はつ か めない が, 仏 陀が女 性の 出 家 を 好 ま なか っ た こ とだけは事

の よ うで ある。

   (

2

 

弥の 再 発心

  瞿

曇 弥の 再 度出家懇 請は, 阿 難

i

の 手 助 けを

て ,

うじ て 許さ れ る。

 

こ の 記 録は全 資 料 矛 盾 な く合 致 するが , 出 家が 許 され た場 所は 資 料に よっ て 異 な る。 『パ ー 』 に は毘 舎 離 城 大 林重 閣, 『四

律』, 『五 分 律』, 『毘 尼 母経』 に は

衞 国 祗 沍

舎, 『

部 律』 に は 劫比 羅 城 往 販 葦, 『大 愛 道 比丘尼 経』 に は

和 県, 『中阿

経』 に は 那

摩 提

舎, 『中 本 起 経』 に は 那 私 県となっ て い る。 現 存 資

で は, 瞿

曇弥

の 出

さ れた場 所の 決

は で

ない が, 瞿

曇弥

の 出家が こ こで始めて 許さ れ た こ とは全 資 料一一

Sk

する記 事で ある。     (

3

)  阿 難の 代 弁

 

阿 難 が

わ りに

出家

許 可

し出た時 も, 仏

そ うとしない 。

る と阿 難は, 瞿 曇 弥の 仏 陀を養 育 し た恩 恵を思い 出さぜ , また女 性 も出家 して 修 行 す れ ば四沙

果を

ら れ る かを 聞 く。 仏 陀は得 られ る と

え, やむを得 ず 盟

(5)

八敬法の歴 史 性に関する考察 (世 燈) (

83

) 曇 弥の 出 家を許さ れ る。

 

毘尼 諸 資 料養 育 恩12) , また全

資料

に 四

13) 記 述

る。

料に よ っ て

育 恩 と 四沙 門果の 記 述の 順 は 異な る。 『有 部 律 , 『中阿 含 経』, 『中本 起 経』, 『大 愛 道 比 尼 経 で は , 瞿

弥が最 初に 出 家の 許 可を求め に 行っ た 時に も, 四沙 門果の 記 述が見え る。 こ こ で は , 瞿 曇 弥は 「女人 も修 行 すれ ぽ, 四沙 門 果を

られる か ら, 仏

に おい て 出 家す るを 許し て 下さい 」 14) , 女性 も修 行 す れば最 高の を得 られる こ と を 女性 出 家の 正当 性の 拠 とし て

示 し てい る。 阿難 との 対 話の

に も,

仏 陀

は 最 初は 瞿

弥の 出

を 許 そ う と し ない が, その 理 由 と して 『有 部 律』 と 『毘尼 母経』 で は正法が, 『中 阿 含 経』, 『

本 起 経 』, 『大愛 道比 丘 尼 経 』 で は清 浄 梵 行 が, 『瞿

曇 弥記果

経』 で は

梵行者

が 久し く ない 15)こ とを挙 げて い る。 正法, 清

浄梵

行,

行 者 とい う語か ら教 団の 堕落が予 想 さ れた こ と が分か る。

  

4

 

法の 制

 

仏 陀は 八 敬 法を制 定 し, 瞿 曇 弥の 出家は 八敬 法を守る こ と を前 提 とし て 許さ れ る。 阿難は仏

か ら聞い た 八敬 法の 内 容を瞿曇 弥に 伝え る。 瞿

曇弥

ん で そ れ を頂

戴 す

る。

 

こ の 記 述は全 資料 矛 盾な く合致 する。 た だ し, 八 敬 法 制 定の 目的を現 す比喩は 様 々 で ある。 『パ ー に は , 八敬 法を制 定 する こ とを, 大池に ば予め堤 を設 け て水の 氾濫 を 防 ぐに 16)え て 。 また 『四 分

』 に は,

水 に お い て は

全 な橋で 渡る こ とに 17) , 『毘尼母 経』 に は, 水 を

る た め に 橋 や船を 造 るこ とに IB) , 『中本 起経

道比尼 経ユ9)に は , 水 を 防 ぐた め に堤を設 け るこ とに そ れ ぞれ譬えてい る。 『中阿 含 経』 や 『

』 20) も類 似し た

え が見え る。 い

れ も八敬 法の

定が

団 内で 起 こ り

る問題 を未 然に 防止する た め で ある こ と を現 して い る。

   (

5

 

曇 弥

具 足

 

弥が 八敬 法を受 持 する こ と を 瞿

弥の 具足 戒 とする。

 

中本 起 経 道 比 を 除 く諸 資 料 記 載さ れ て い 。 『毘尼 母経』 で は , 比丘 尼の 五 種

具 21〕

説の

で , 瞿 曇 弥の 八敬 法を受 持 するを 師 法 受 具 と名 付 ける と言っ て い る。 『中本 起 経 大 愛 道尼 経 で は , 「八敬 法を受 持 する もの に は , 沙 門に な るを 許 す」 と し, 瞿

弥は

で 大 戒 (r中本 起経』 の 場 合), ま た は十戒 (『愛道比 丘 尼 経』 の 22)け る に な っ てい る。

(6)

84

)             八 敬 法の歴史性に関す る考 察 (世 燈)

   (

6

) 瞿

弥の

議提

 

弥は, 八敬 法の うち, 「受戒 して 百歳に な る 比 丘 尼 で も, 本 日受 戒 し た 比 丘 に 敬 意を 払 うこ と」 とい う一条 項に 対して 異議を提起 す る。

 

は 『分 律 , 『毘 尼 母 経』, 『大

道 比丘尼 経』 を 除い た資 料 23) に 記 載 さ れ て い る。 『五 分 律』 に は, 八 敬法を受け た 時点で, そ の

の 一条 項に異 議が ある と言っ て い るが, 他の 資料で は比丘尼 教 団が大 き くなっ て か らの こ とに な っ て い る。

異 議

提 起の 主体は, 『パ ー リ律』 と 『五分 律』 で は 瞿 曇 弥, 『

有部律

』 で は諸 上 座碁 芻 尼, 『中 阿 含 経』 と 『中 本 起 経』 で は瞿 曇 弥及 び長 老比 丘尼 た ちに な っ てい る。 異 議の

内容

は , 『パ ー リ律』 で は 「長

っ て 」 (yathZvuqqharp ), 『五

律』, 『有 部 律』, 『中 阿

経』 で は , 「(出家の 年月の)大小 に従っ て」 敬 意を

う こ とで ある。 『中本 起 経』 で は , 瞿 曇 弥が仏 陀に, 「長 老 比丘尼た ちは 久し く梵 行 を 修め て , すで に

理 を悟っ て い るの に , ど うして 本 日

受戒

した幼 少の 比丘 に

うで し ょ うか z4)と言っ て い る。 彼 女たちの 異

は黙 殺さ れ るが, そ の 理 由 とし て は , 『五 分 律』, 『

部 律』, 『中阿含経』, 『中本 起 経』 で は 正法

少説 25)

挙 げ

ら れて い る。 『パ ー リ

』 の 場

は, 仏 陀は阿

か ら

彼女

た ちの 異

を聞い て , 「邪 説の 法を守 護 する外道た ち さ え女 人に 敬 意を払わ ない の に, ど うして 如

が 女 人に敬 意 を 払 うだろ うか」26)と答えた と記

し て い る。 仏 教が当 時の イ ン ドの 風 習をその ま ま受 け入れた可 能 性が窺われる。     (

7

) 正 法 減 少 説

  仏

陀は, 女 性の 出家 を 許 す こ とに よっ て, 正 法の 存 続 期 間 が

減少す

る こ とを 予 言 する。   『分 律 , 『有 部 律』, 『中本 起 経』, 『中阿含 経』 27) 瞿 曇 弥た ち 異 議 対 す る 不 許理 由 とし て 説か れ, 厂千 年 住 すべ き正法が, 五 百年 に なる」 と言 う。 『パ ー リ』, 『四分律』, 『毘 尼母経』 2S)で は 瞿曇 弥 出 家 し た 嘆 息 っ て い る。 『パ ー リ

』 で は 「千 年

続 する正

百年になる」 と, 『四 分 律』 で は 「仏 法は 久 し 五 百

住 す , 『毘 尼 母 経』 で は, 「五 百世の 正法が減る」 と言 う。 『大 愛道 比 丘 尼 経 で は , 瞿曇弥 の 二 度 目の 出 家の 懇 請 の 時, 許 そ うと し な い 理 由 として 「仏 法 地の 清 浄 梵 行 が久 し く住 しない 29)こ とが 述ら れ い る。

者の四経の 場 合は, 必

し も千 年が 五 百年に な る とは し ない が, 前 者の 四経 と 同様に , 正法の 存 続 期 間が 減 少す る こ とを 言 っ て い る。 正法 減 少 説は全

料 合 致 す る記

である。 こ の 説に は, 仏 陀が, 比丘 の 清

梵 行の 欠 如 と, そ れに よ る正

(7)

八敬 法の歴 史性に関 する考 察 (世 燈) (

85

) 法の 存 続期間の 減 少に , 懸 念を 示 し た こ とが よ く現れてい る。

   (

8

) 女

人五

 

女性 に は , 天 帝 釈, 魔天 王, 梵天 王 , 転 輪 聖 王 , 仏 に な れ ない 五障がある とい う説 で ある。 正法が減 少 す る原 因は,

性に五

が ある ため で ある と言 う。

 

分律

中 阿含 経中 本3°)に の 現 れ 。 女 性 も修 行 す れぽ最 高の 位 を得られ る とい と, 女性 は仏に な れ ない とい う説が 同時に 説か れ て い る の は矛 盾で ある。 女 人五

障説

世の

入で ある可 能 性が窺 わ れ る。

 

料に おけ る八敬

制 定をめ ぐる諸 般の 事 情の 記 載 有 無を表で示 す と次の よ うである。        〈八敬 法 制定を め ぐ る 諸般事 情の対 照 表 〉

1

パ ー

四 分 五

毘尼 母 中阿 含

1

中本起 媛 道 瞿曇弥の心   

OlOlOlOlOlOlO

 

O

阿 難 の代 弁

O

 

QIOIOlolOlOlO

女 人の 四沙 門果 ○

 

OlO

 

O

 

OlO

八敬 法の制 定

OlolOlO10101010

瞿 曇弥の受具足戒

OIO1010101

1

瞿曇弥の異 議 提 起

oIx

 

O101

oiOl

正法 減 少説

OlO

 

OlOiOlO

OlO

女人 五障説 ・

lx

 

Ol

1

1010

 

・ 表に現 れて い る よ うに , 全 資 料 共 通の 記

は , 瞿

弥の

心 と再 発心, 阿

の 代 弁, 女人の 得四沙 門 果, 八敬 法の制 定, 正

法減

少説で

る。 瞿曇 弥の

具 足戒と 異 議 提起 の 記 事は 五 種の ,

人五

障説

は 三

資料

に の み

れる。

詳 細

内容

に おい て は

料ご 出 入 り

るが, 全

れに お い て は全

資料

する。

 

以 上 の 考 察か ら, 八 敬 法 制 定の 諸般の

情が 明 らか にな っ た。 それに よ り, 仏 陀が女 性の 出 家 を 好まなか っ た こ と と, そ の 理 由は 比丘 の

梵行

の 欠如 と正法の 存 続 期間 の 減 少で

る こ と が分か っ た。

陀は , 女 性に も男 性 と同 様に

最 高

の 位 を 得 られ る機

を与え るよ りは , 男性 出 家 者の 梵 行の 欠 如 と正法の 存 続 期 問の 減 少 を憂

したの で る。

(8)

(86 )              八 敬 法の歴 史 性に 関する考察 (世 燈)

 

2

原形の 推 定

 

諸 資 料か ら抽 出し た 八

法 制 定 をめ ぐる諸般の 事 情の 共通の 記事は,   瞿曇弥の最 初の 出家へ 懇 願 , 許 可さ れず 挫 折 する。 瞿曇 弥の二 度 目の出家へ の 懇願は, 阿 難の手助け を得, 八 敬 法を守る こ と を前 提とし て 許される。 仏 陀は女 性 も 修 行すれ ば 四沙門果 を得られ る とは い うもの の 出家を許 すこ とに よ っ て 正法 の 存続 期 間が減 少する と予 言 する。 とい うもの で ある。 これ は

料に

れ て い る 共通の

小 限の 記

っ て, こ れ を 筆 者は, 八敬 法 制 定をめ ぐる諸般 の 事 情の 原形 で ある と考え たい 。 少 な くと もこ の 記 述は , 歴史 的 事 実である と認め られ るだろ う。 し か し, 全 ての 資 料に共 通 す る記 述で ない か らとい っ て, 事

で ない と断 定 す る こ と は で きな い 。 比 丘尼の 具 足戒 が まだ存 在 しな い 時だ っ た た め , 比丘 尼 に果せ られた 最 初の

規 定

で ある 八

敬法

瞿曇

弥の 具 足戒 とす るの は , 十 分 考え られ るこ とで

る。 大 ぎ くな っ た比丘尼 教 団の 長 老 比丘 尼 た ちが,

年少

の 比 丘 た ちに

意を

わ なけ れ ば な らない こ とに 不 満を持ち, そ れに 対 し て異議を 提 起する こ と も, 十 分 あ り得 る こ とで ある。 女人 五 障説 が

世の 作 成で ある とし て も, 男性に

対す

性の 絶 対 服 従を要 求 する八

法の 内容か ら考 える と, こ の よ うな 説が生ま れ るの も無理 で は ない 。

 

以 上の 考 察か ら, 八敬法 の 制定 が, 歴史 的 事 実で ある可 能 性が高い こ とが明 ら か にな っ た。 そ れほ ど女 性の 出家を 許 す こ と を

躇 し, 女 性の 出 家に懸 念を 示 し た仏 陀 が, 何の 条 件 もなしに女 性の 出 家 を 許し たは ずはない 。 八

敬法

は , 女性 の 出 家の条 件 と して , ま た教 団の 堕 落の 予 防 策 として 制 定 さ れ た もの で ある。

4

 

八 敬 法

項 別

内 容

 

八敬 法は

資料

に よっ て

名称

が異な る。 八

法 と命 名 するの は 『僧

祗律

』, 『十 誦

』, 『毘尼 母経』 の み で

る。 『パ ー リ律』 は

Atthagaru

dhamma

,  r 四分 律』 は 八 尽

寿 不 可

過 法

, 『五 分

』 は 八可 越 法, 『

部 律』 は 八

敬 法, 『

』 は 八 尊 法, 『中阿含 経』 は 八尊師法, 『中 本 起 経』 と 『大 愛 道比丘尼経』 は 八 敬之

す る。

 

条 項 別 内容 を比 較 す る資 料に おい て は, 「八敬

をめ ぐる諸 般の

事 情

」 で 使 用 された資 料の うち, 八敬

内容

の 記 述が省か れて い る 『毘 尼母経』 を除 き 八敬 法の 内 容の み 記

されて い る 『

, 『僧 祗 律』, 『明 了 論』 31)加 え た

10

(9)

八敬法の歴 史性にす る考 察 (世燈) (

87

資 料 を使 用 す。  

1

) 条項別 内 容の比 較

 

八敬 法は八つ の 条 項か ら成 っ て い るが, 内 容 が 重

復す

る条

もある。 ま た全

料に 共通 す る条 項 もあれば, 一 資 料に の

れ る

条項

もあ 。 それら を性

別 に 分 類 す ると, 比丘 と比丘尼 の 関 係を現 す 条 項や , 行事, 比 丘 に

する言論, 住 居, その 他に 関 する条 項に 分 け られる。 比 較方 法 として は, 各 条 項の 内 容 を

す主要用 語の 対 照 表 に 拠 っ て, 全資料 共通の 記 事を取 り出 し, そ こか ら 八敬 法の 原 形にな る もの を 抽 出 す る。

  

1

比丘と比丘 尼の 関係 を 規 定

る条

 

『パ ー に よ , 「具 足戒を受 けて 百 歳に な る比 丘尼で も, 本 日具 足戒を

け た比丘 に

, 起立, 合 掌,

恭敬

すべ きである。 こ の 法を

敬,

重, 奉 事, 崇拝 し て寿 命が終わ る ま で犯して は い けな い 。」 32) とある。 下 線の 部

応 する各 資 料の

容を表に示せ ば次の よ うで ある。 四辮

1

百 歳 新 受戒 五分

戴 磁 〃 僧祗 律

1

百臘 〃 +誦

百歳 新 受具戒 櫺

受近円 酪 百

〃 近 円 明了 論

1

百 夏 是 日 受 具 足 戒 中 駘

1

艱 足雖 貊

始 受具 足 中本

百鰭 戒 新 受大戒 大愛

ノノ 用語や表 現の い があるだけで , 全 く同 じ内 容で ある。 全 資料 矛盾 な く 合 致

る。

  

2

 

行 事に 関

条項

 

行事に関 する 規定に は 四条 項 あるが, 『中 本 起 経 と 『大

道比 丘 尼経』 を除 い て は, 二部

衆あ

るい は比丘衆に 従っ て 行 うこ とになっ て い る。

(10)

88

)             八敬 法の 歴 史 性に関する考察 (世 燈)         半 月ご との 教 誠

 

『パ ー に よれ ぽ , 「比丘尼 は半 月ご とに比丘

に ,

布薩

を問 うこ とと

教誠

を受 け るこ との 二 法 を 請 うべ

で ある。 こ の 法を … … 犯し て は い け ない 。」 33)とあ る。 下

の 部 分に

対 応す

る各

資料

内容

は , 四分 律

1

半 月 僧

1

乞 鰕 五分 律

1

’・

bt

 TEi

t

僧祗

副  

〃 〃 所

1

求櫞 + 誦

副  

〃 ’

受瞰

半・半

請 鰕 明 了論

1

・!

1

輌 含

! ご

比 丘

i

受教 中 本起

1

比 鏘 大

礼事之

1

 

〃 〃 〃 で あ る。 行 事の 内 容は, 『パ ー リ

』 で は ,

経の

読誦

い て

罪過

懴 悔す

る こ とで あ る布 薩 と, 教 誠の 二 法を挙 げて い る。 『十 誦 律』 や 『明 了論』 で は , 八 敬 法を

け る こ とに , 『五

分律

』 で は

教誠

人 を請 うこ とにな っ て い る。 い

れ も 半 月ご に 比 丘

に 従 っ て

え を

ける こ とに は違い ない 。 しか し, 『中 本 起 経』 と 『

比 丘 尼』 の 場 合 , 「比 丘 が戒を受 持 す れ ぽ, 比丘 尼は半月以 上, 礼を もっ て彼に 事え るべ きである」34)と

り, 他の 資 料とは 異なる

容で

る。

     

半 月 間の 摩 那 堙

 

犯せ ぽ教 団か ら追放 さ れ る波 羅

罪の 次 の 重 罪で , 犯せば僧と しての 生

は残 る罪で る僧 残 罪の

罪法

関す

規 定

る。

残 罪を犯せば, 別

し て

衆僧

のため に苦 役に 服

懺悔法

那 唾せ られる。 比丘 は六 日間で

るが, 比 丘 尼 は半 月間で ある。 『パ ー リ律』 に よれば, 「比丘尼 は

法を 犯せ ば, 両 衆に お い て半 月 摩那 唾 を行 うべ

この を… … 犯し て は い け ない 。」 35)

線の 部 分に対 応 す る各 資 料の 内容は , 四 分

僧残罪

1

二部 僧

半 膊 繼 五 分

麁 悪罪 〃 ’ノ

(11)

八敬法の歴史性に関する考 察 (世 燈) 慚

+九僧 懶 尸沙 〃

膊 繼 (

89

) 桶

僧残罪

1

二 緲 〃 有部 律

i

衆 教 法

t

二 衆中 〃 摩 那馳 明 了

随一 尊 法

二 縮 〃 摩捺 多法 中 阿

僧伽 婆尸沙

1

酪 僧

+五 日行不慢 林 起

1

(自未得 道)犯戒 律

1

1

  ¥

fi

 

tS

過 齬 大愛

( 〃 )

鰭 中 〃 首 過懺 悔 で ある。 『中本 起 経』 と 『大 愛 道比 丘 尼 経』 を 除い て は , 諸

料 に共 通 す る

容 で ある。 二 経の 場 合は, 「比丘尼は, また

得道す

か ら,

法 律

を犯せ ば, 半 月 間

僧 中に行 き, 自ら罪過 をつ げ懺 悔 すべ きで ある」 36> となっ て い る。

   

  安 居

最後

の 日の 自恣

 

安 居の

最後

の 日に , 見,

聞 き

っ た こ とに つ い て 罪 過を指

し,

懺悔す

の 自恣 に関 す る規 定で る。 『パ ー リ律』 に よれ ば, 厂比丘尼は雨 安 居を終え れ ば, 両

て見, 聞 き, 疑 っ た 三 つ の 点に お い て 自恣を行 うべ きで

る。 こ の 法を … …犯し て はい な い 。」 37) ある。 下

の 部 分に対 応 する各 資 料の 内容 は , 四分

安 驍

1

比 丘 僧

三事 自恣見 蔽 册

自恣時

!! 見 聞 孵

鋸 竟

1

二 衆 中

1

(赧 畷 罪) 受 自恣 +辮

1

1

二 部僧

自恣 覦 聞鯉 有 辮

鋸 己

1

二衆 中

三覲 聞 疑罪 鞭 鱒 明 了

鋸 竟

i

駈 僧 〃 … 問難 如法受僧 正教 中阿含

坐 訖

緞 中

三親 醺 罪 中 本

三 月 止一

1

所 聞靦 当 自鱇 大愛

〃 ノノ 〃 である。 『中 本 起 経』 と 『大 愛道比 丘 尼経』 を除い て は , で

る。 二経の 場 合は, ね, 見, 聞 きした こ とを,

        諸資

料に 共 通 す る内容 「 止 ま り , 自らあるい は互 い に考 え た

 

自ら

省察

すべ

38) と

る。

(12)

(90

        

の歴史性に関する考 察 (世燈)           受 具足戒

 

比丘尼の

具 足 戒に に 関 する規 定で, 『パ ー リ律』 に よれば, 「

叉 摩 那は 二 年 間六 法にお い て訓 練を習 得 す れば, 両 衆に おい て見 足

を請 うべ きで ある。 こ の 法を … … 犯 し て はい ない。」 39)とあ 。 下 線の 部分 に対応 する各 資 料の内

は, 四分

式叉嚠

蘇 大 戒 五 分

副  

1

二 部鰰

1

( ’・

衆 中 + 講

ヒ丘尼

lL

[ −

EEi

大 戒 有部

(諸鰡 尼

期 近円 明 了

比丘 尼

1L

[・.

Ek

1

輌 含

1

1

具 足 中本

女人 駈

駈 撒 戒

1

琺 大愛道

1

臥 〃 〃 〃 で ある。 『パ ー リ律』, 『四分 律』, 『五分 律』, 『僧

律』 で は式 叉

那に なっ てい る が, そ の 他 の 資 料で は比丘 尼と なっ て い る。 式叉摩那 とは , 具 足 戒 を受 け る前 の 沙 弥 尼と して

18

か ら

20

才まで の 二 年 間, 特に 不

, 不殺, 不妄

, 不 飲酒, 不 非 時

の 六法を行 うもの をい う。 原 則 とし て は , 具 足

受 け

る こ とに よ っ て 始めて 比 丘 尼 に な るの で ある か ら, こ の 場 合は, 式 叉 摩 那の 方が前 後 意 味に 符合 する。 『中 本 起 経』 と 『大 愛 道比 丘 尼 経』 を除い て は, 諸 資料に 共 通 する内容で

る。 二 経の場 合は , 「比丘 が 大 戒を受 持す れば, 比 丘 尼 は

に従 っ て 正法を

けるべ

40)

    (

3

) 言 論に 関 す る条 項

 

比 丘 尼 の 比 丘 に対 す る言論の 自由 を 閉 ざす 規 定 だ が, 二 つ の

目に 分 けら れて い る。

       

比 丘 に

謗の

 

『パ ー 』 に は, 「比丘尼 は 如何な る理 由に よ っ て も比 丘 を罵 り謗 っ て はい け

⊃ こ の 法を … … 犯 して は い ない 。」 41 とある。

   

 

 

比 丘 に に 対 す る言 論の 自由の

剥奪

 

『パ ー に は , 「今 日以後, 比丘 尼 の比丘 に お け る言路 を閉ざ し, 比 丘 の 比

(13)

       八敬 法の歴 史性に 関する考察 (世燈)          (91 丘 尼に お け る言路 を閉ざ さ な い 。 この 法を … …犯し て は い け ない。」 42)

  条

項   と  に対 応 す る各 資 料の 内容は, ’ \ 条項       丶1\     主体 資料   比 丘 尼   比 丘 尼

1

比 丘 四分 律

1

不 応 黠 瞶 翻 比丘

1

不瓶 駈

1

応砒 丘 尼 五分 律 不得 罵比 丘

砒 丘 尼 僧祗 律 ×

1

駈 実罪 非 実罪

1

徽 丘膿 罪 十 誦 律 X 〃 説 比 丘 × 有部 律

1

柵 羅 鞴 噸 駈 不 応蔽 比 丘

1

応繍 責駈 尼 明 了論

1

碍 騾 騰 駈

黼 難 駈 砒 丘

× 中阿 含 × 〃 比 丘

1

比 丘犯 中本 起 × 〃 訟 問比丘 僧 事

1

訟 問駈 尼 大愛道 × 〃 ノノ で ある。

 

 

の 二つ の 条項に

け られて い る資 料は, 『バ ー リ律』, 『四 分 律』, 『分 律 , 『有

律』, 『明了論』 で あ り,   の 条 項の み で ある資 料は, 『僧 祗 律』, 『十 誦 律 , 『中阿含 経』, 『中本 起 経』, 『大

道 比丘 尼 経』 で ある。 同じ内 容 を二 つ に する必 要 が あっ た の だ ろ うか 。 最 初に 一 っ た の が

に 二つ に なっ た可 能 性が考え ら れ る。

 

の比丘 に対 する 言論の 自 由を剥 奪 する条 項は, 上 記の比丘 と 比丘 尼の 関 係を規 定 する条 項 と ともに, 全資 料 矛 盾な く合致する条項で ある。

   (

4

 

住 居に 関する条

       安

居の 場 所

 

『パ ー , 「比 丘 尼 は比 丘 の い ない 住 居で 安 居し て は い け ない 。 こ の 法 を … …犯 し て は い ない 。」 43 とある。 『中本 起 経』 と 『大 愛

比 丘 尼

』 を除い て は, 諸 資 料に 共通 す る内 容で ある。

       

同 居 の

 

中本起経

大愛 道

』 に , 「比丘 と比丘 尼は共に

住居 す

る こ とは で きない 」44〕とあ り, 安 居 とは 関 係の ない 規 定に なっ て い る。  比丘 の 居 所か ら離 れて い る と, 二 部 衆に 従 っ て行 うこ とに なっ て い る半 月 教 誠

(14)

92

)           八敬法の 歴 史 性に 関する考 察 (世 燈) や半 月摩 那 唾や 自恣な どの 行 事がで きない ため  の 規定が設 けられた ろ うが, こ こで も, 二 経は他

料 と異 なる

容で

る。

  

5

) 

その 他の 条項

 比 丘

す る 言論の 自由を閉 ざす 条 項が 一つ に な っ て い る 資 料に 現れ る 条 項 で , 次の 二 条 項が

る。

  

  「もし比 丘 が許せば, 比 丘 尼は比丘 に経, 律, 論を問 うこ と がで ぎる。」 45)

   

食事や

て は け な 。」 46)

  

は 『十 誦

』, 『

阿 含

』,

中本

』, 『

比丘 尼

』 に ,

 

は 『僧 祗 律に の み現 れる条 項で ある。

 

以 上 の 考 察か ら, 『

本 起

』 と 『

大 愛

道 比丘 尼 経』 は, 他

料 とは系

の 異 な る経 典で ある こ

わ れ る

の 厂二 部 衆」 あるい は 厂

で は 「比 丘」 個 人か 「(比丘 尼の

衆 僧」 になっ て い る。 また摩 那 唾 や 自

な どの

懺悔

の時に は ,

ら行 うこ とになっ て い る。 住 居の規 定におい て も, 他資 料 とは全 く異 なる内 容で, 比丘 衆 あるい は 二 部 衆 とは関 係の ない記 述で ある。 こ の よ うな点か ら二 は , 比 丘

か ら遠 く離 れた場 所に

住 してい る比 丘 尼

を対 象 に説か れた可 能 性が ある と思 わ れ る。

 

を除い て は, 全体の 内容 に おい ては ほ ぼ 合 致す る。 しか し, 全資 料 矛

く合

致 す る条 項は, 比丘 と比丘 尼 の 関係を規 定 す る条 項 と, 比丘 尼の 比丘 に 対 す る言論 の 自由を閉ざす 条 項の み で ある。 両方 とも比丘尼の比丘 に対 する絶 対 服 従 の

定で

る。

 

八 敬法の 条 項 は, 資料 に よっ て 重復 する もの も あ れ ば, 資料独 自の もの もあ る。 そ れ ぞれ 順序 も 異 な る。 順 序と条 項 数 な ど を 表 に示せ ば 次 の よ うで あ る。 〈順序と項 目数の対 照 表〉

パ ー

At1hagaru

dhamma 四分 律 八尽形 寿不 可 過 法 五分律 八不 可 越 法 僧祗 律 八敬法 十誦 律 八敬法 有 部律 尊 法 八 敬 明了 論 八尊 法 中阿 含経     i大 愛 中本     道比 起 経     丘 敬 法 八 之 敬 法 八 之 尊 法 八 師 百齔 丘 尼

1

1

11

巨 巨

16

21

18

8

黜 丘

劇  

・ ・

1

1

1

・ ・

i71

t

1

(15)

八敬 法の 歴 史性に関する考察 (世燈) (

93

) } 半 月 灘

1

16

11

i

i

1

1

1

1

・ 半膵 繼

1

・ ・

1

1

1

14

71

1

・ 三 鶉 恣

1

・ ・

1

1

・ ・

18

81

1

1

・ 受 疑 戒

1

4

4

2

2

1

illll

誹 謝 ・ 丘

t7

・・

1

1

 

i

i

1

・…

1

i

1

1

・ 罷 鯑 ・

1

i

1

1

1

5

61

・ 不 得 並 居 ・

lx

x ×

i

× ×

3

3

不 先 受 食

1

1

1

1

・ ・

1

× ×

1

・ (総 条項 数)

1

(・)

(・)

(・)

(・) (・・

1

7 )

1

・)

1

・・・ …

i

(・) 重 復す る条 項を 一つ に した 場合, 条 項数が 七つ に な る資 料が 五 種を 占め る。 これ は八敬 法の 条 項 数

初か ら 八つ で あっ た かを疑わ し め る もの で ある。

 

2

  原

形の推定

 

すで に述べ た よ う, 八敬 法に お い て , 全 資 料矛盾な く合 致 する条項 は, 「受 戒 し て 百

に な る比 丘 尼 で も, 本日受 戒 し た比 丘 に敬 意 を 払 うべ きで ある」 と, 「比 丘 尼 の 比 丘 に お け る言 路を 閉 ざし, 比丘 尼に お ける言路を閉ざ さ な い 」 の 二 条 項の み で ある。 最 初は , こ の 二条 項だ けが要 求さ れ たか も 知 れ ない 。 し か し, 他の

資料

と異

系統

で ある可 能 性の い 『中 本起 経』 と

 

『大 愛道 比 丘 尼経』 を除 き, 重 複の 条 項 を 一 す れ , 共 通の 条 項は 七つ が数え られ る。 七つ の 条 項を 要 約すれ ば,

  

  受 戒 して 百歳に な る 比 丘 尼 で も, 本 日受 戒 し た比丘 に敬意を払 うこと。

  

 

 

半 月ご とに比 丘衆に

誡を

け る こ と。

  

 

 僧

残 罪を 犯せ ば, 二

衆におい て , 半 月間 摩 那 唾 を 行 うこ と。

  

 

 

安 居の

最 後

の 日に , 二部 衆 に おい て , 自恣を行 うこ と。

  

 

 

二部

に従 っ て 具 足 戒 を受け る こ と。

  

 

 

比 丘 の い ない で は安 居しない こ

  

 

 

比 丘 に対す る言 路を閉 ざす。 とな る。 しか し これ は,

くまで も現

存 資料

の共 通の記

っ て, この 七つ の 条

初か ら

在 した とは限 らない 。 こ の 中で行

に関 する条項で

 

   

(16)

94

)             八敬法の歴 史性に関す る考 察 (世燈)   を 一つ に して, さ らに要 約 す れ ば,

  

一,

戒し て 百

に な る比丘尼で

受戒

し た比丘 に敬 意を

うこ と。     一 , 全 て の 行 事は 比 丘衆に従 っ て 行 うこ と。     一, 比丘 の い ない 所で は 安 居し ない こ と。     一一・, 比丘 に対 す る言 路を閉 ざす。 の 四つ の 条 項にな る。 少な くともこれ らの

3

4

の 条 項は,

最 初

か ら制

さ れ た も の で あ り, これが八

法の 原 形で

る と推

される。 こ の よ うな点か ら,

最 初

か ら八 つ の 全 ての 条 項は整 っ て い なか っ たに して も, 比 丘 尼の比 丘 に対 す る

敬 法 は存 在し, その 制 定は 歴史 的 事 実であっ た と考え ら れ る。 平 川博士 も 「

な く と も比丘 尼を

最初

に , か か る

規 則

べ てが

られ た と は

見難

い 」 47)

見 方

を 示 され たが, い ずれ に せ よ, 全 く根 拠の な い とこ ろ か ら八敬 法 が 生まれた は ず はな い 。 何らか の 形で 比丘 尼の比 丘 に 対 する服 従の 規 定が あっ た こ とは疑い の 余 地 が ない こ る。

 

亮 寛 氏は , 平 川 博士 の 「 これ が 歴史 的事 実で ある か否か は 疑わ し い が」 48) とい う説を受け続い で , 次の よ うに 述べ て い る。      文 献 資料 を見る限 り第四, 五, 六条 件 中の 両 教団云々 , 第六条件の 式叉摩 那云 々 と    言 う記述等 を 見 る 時, 後に 作ら れ た もの で は ない か と推考 さ れ るか らで あ る。 即 ち,     Mahapajapati が 出家具足を 許可さ れた 時 点で は まだ比丘 尼教 団と呼ば れ る もの は存    在して い なっ たで あろ う し, 加 え て, 式叉摩那 も 在存していなか っ た と考え ら れ る。 49) し か し, これは説 得 力の ない 主張で ある と思わ れ る。 な ぜ な ら, 経 典に 現れて い る用語の て が最 初か ら存 在 し た とは限 ら ない か らで ある。 ま

存 在が

り, そ の 名 称は

に 作られる とい の は , 全て の

存 在

名称

て は ま る こ とで

ろ う。 つ ま り, 瞿 曇 弥の 出 家の 時点で は ま だ

存在

して い なか っ た 両教団 や 式叉

那 が, 瞿 曇 弥の 出 家

始め て 存 在 す る こ とに な り, ま た その 名

は比丘 尼 教団 が整 っ た

られた と考 え られ る。 そし て 経

典編纂

に は, そ れ らは

で に

機能

し てい る用語で , そ れ がその ま ま瞿 曇弥 の 出家 当時に遡 及 さ れ

使

用 さ れ た と 考え られ る。 八敬 法の 場 合 も同様に, た と え

称は 後に

ら れ た と して も, その もとにな る もの

ら れ た とは 限ら な い 。 ま た平 川博士は,     比 丘 尼 律の 中に, 八敬 法の若 干が条 文 化さ れて い るが , その 因 縁 談に は八敬 法につ    い て 何に も 言 っ て い な い。 八 敬法を知ら ない よ うで あるの で 八敬法が ま とめ られたの    は, 尼律の ま とまっ た後で あろ うか と考え ら れ る。 もし八敬法が最 初か ら固 定し て お    れば, それが ば らばらに尼 律の 中に は め こまれたの はおか しいで あろ う。 5°)

(17)

      八敬 法の 歴 史性に関する考察 (世 燈)             (

95

) と述べ て お られ 。 し か し, 比 丘 尼 律がで きた後で 八 敬 法が ま とめ られ る方が む し ろ 不 自然で ある と思わ れる。 な ぜ な ら, 比丘尼 律で は懺 悔だけで 出罪で きる軽 罪 (payattika , 波 逸提 )の 戒 条で ある の に , そ れを 抜

して 出 家の 大

提で

る八 敬法の 条 項 とする は

は な い か らで ある。 か りに 厂全て の 行

は 比 丘

に従 っ て 行 うこ と」 とい う条 項が

初に

っ た とすれぽ, そ れ に

て は まる

容 と して, 尼 律の か ら半 月教

や半 月 摩 那 唾 や 自恣な どの

を抜

し た 可

性は

え ら れ る が。

 

以 上 の

考察

か ら, 八

敬 法

の もとに な る比 丘 尼 の 比 丘 に

す る

制定

は, 歴史

る こ と が 明 らか に なっ た と思 う。 八敬 法は仏 教の 女 性

の 歴史の 始 ま りで あ り, 仏 教の 女 性 観の 根 底に は 八 敬 法の 思 想が根 深 く潜 在し て い る と思 わ れ る。

5

 

お わ

 

八敬 法の

料に よ る限 り, 仏 陀の 木 来の 思 想は, 男 女 と もに 修 行

れ ば

最高

の 位を

られ るとい う平

であっ た。 し か し仏 陀は,

性を教 団に

け入れる 際に , 自らの 平 等 思 想を守 る よ りは, 一 方の 他 方に対 する絶 対 服 従の 差 別の 規 則 を作る方を選んだ。 そ れは教 団の 堕 落を予 防 する ため で あっ た 。 し か し, 果た し て そ の よ うな 差 別法に よっ て比 丘 の

行は

ら れ た の だ ろ うか。

えは決し て肯 定 的な もの で はない 。 上 下 主従 関

の 差 別

は, 一方に

越感を助 長 し, 他 方に 対 する勝 手次第の 行 動を 可

にするか らで る。

 

の 八敬 法

定は , 仏 陀

大の 過 ちで あ っ た 。 八敬 法 制

に よっ て 仏 陀の 平 等 思想は完 全な もの で な くな るか らである。 八敬 法 制 定以 来, 仏 教 は女人 五障説 や

成 男子 説な ど極 端な 差 別 思 想を 生み 出 し, 仏 教 史を貫い て 男 性 中心

社会

い て来たの で ある。

 

お まけに

現代

仏 教者

たち は, ひ た す ら仏 教の 差 別 的側 面を 認め よ うと し な い 。 「女 性の 出 家 に対 す る

陀の 躊 躇や

懸念

は, 多 数の 弟 子た ちを率い る指

者 と し て は, ま っ た く当 然 の こ とで あ っ て, ブ ッ ダの 女 性 差 別を 示 す もの と解釈す べ で は い 」51 )と述べ る仏 教 者がお ら れ る。 ブ ヅ ダの 躊 躇や懸 念 が 当然で ある か ら, 八敬 法の 内 容が差別 の意味にな ら ない とい うの は ,

性の立

で の 自己

解に過 ぎない 。 ま た多 くの 仏 教 者が, 仏 教 の差 別 的 要 素は旧来の 伝 統 の 産 物であ ると主張 す る52) , 旧

の 伝

産物

る か らと 言 っ て , その 差 別観が 正 当 化

(18)

96

) 八敬 法の 歴 史性に関 する考 察 (世燈 ) されるわ けで は ない だ ろ う。 また 八 敬 法の 記 述は , 当 時 あるい は後 世の 比丘 た ち が 自分の都 合に合わせ て 作 り上 げた との 見 方を示 す仏 教 者53) もお られ る。 しか し

陀 時 代に は, その よ うな こ とは

り得ない こ とで

ろ う。 そし て

仏滅 後

は, 仏

えは

仏陀

同様

尊重

され,

弟子

た ちは一 句一

損 傷

伝承

し よ う と

めたに違い ない 。 年月の 経つ につ れ て,

広 や

容はあっ た に して も, 経 典 伝承者 が

自分

わせ て勝 手に り上 げる こ は, 決して容 易に で きる こ とで は な い はずで ある。

 

2500

年の 月 を経た

日 も 八敬 法の

は存 在 して お り, 八敬 法の 思想は生 き て い る。 現に 厳 然 と存 在し て い る もの を 隠蔽 し よ うとす るの は真の 仏 教 者の 態 度 で は ない 。 ど うい う背 景か ら生 まれた に せ よ, 仏 教 思 想の中に は差 別 的要 素が 含 ま れて い る こ と を, まず 認め るべ

である。 認め な い うちに は改

の 余地 が な い か らで ある。 注 記

1

平川彰 『 p

5

, 山喜房,

1960

年 2 ) 前田恵 学 『仏教 聖 成 立史研究 p .

10

, 山 喜房,

1964

3

)  平 川彰, 前掲 書, p .51 4 ) 平 川彰, 前 掲 書, P. 

49

5

) 平 川 彰, 前 掲書, pp .

273

274

6

) 赤沼智善 『巴 四互 照 p .

16

, p .

326

, 『仏書解説大 辞 典』 第二 巻 p .

352

参   照。

7

Vinayapitaka

 

VoL

 

ll

 pp .

253

255

分 律

48

IE22

 pp .

922c

923a

  分 律』 巻

29

, 大 正22, p .

185a

b

, 『有部 律』 巻

29

, 大 正

24

,  p .

350b

−c, 『毘尼母 経』 巻

1

,   大正

24

, p . 

803a

b

, 『中阿含経』巻

28

, 大正

1

, pp .

605a

606a

, 『中 本起経』 巻 下, 大正  4, P.158a−c,

大 愛道 尼 経

』 巻上, 大正

24

, PP .

945b

946b

8

) 

Vinayapitaka

, 

Vol.

 

ll

,  p .

253

ala ηp 

Gotami

 ma  te rucci  matugamassa  tath .

 

agatappavedite

 dhammav 量naye  agarasma  anagariyapa  pabbajja ’ ti.” 『中本 起経』

  巻下, 大 正4, p.

158a

「無楽以女人 入我法 律服法 衣者。」, 『大愛道比 丘 尼経』 巻上,大 正  

24

, p .

945c

厂無 楽以 母人入我 法 律中服 我法 衣者。」 9 ) 『尼 母 経 1,大 正24 ,p .

803a

欲 聴 出 家 。」

10

部律

29

, 大正

24

p

350b

「汝応在家著 白衣服。 修者梵行純一円満清浄無 染。」  『分 律

29

, 大正

22

,p .185b 「諸 女人輩自依於 仏。 在 家剃 頭著 袈裟衣。」, 『中阿含 経』   巻 28, 大 正1, p .

605a

「汝莫是 念。 女人 於 此 正法 律 中。 至信捨 家 無家学 道。 瞿曇 弥。 如 是

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