駒 澤大學 佛教 學 部論 集第
24
號 平成5
年10
月 (79
)八
敬
法
の
歴
史
性
に
関
す
る
考
察
世
燈
(
金
仁
淑
)
1
.問
題
の所 在
仏 教の 女 性 観 を論じる場 合, 主に 取 り上 げ られるの は, 変 成
男
子 説 や 女人五 障 説や八敬法
で あるが, これ らは仏 教 本 来の思想
で はな い との 見方
が学 界
の 主流
を 成 して い る。 確か に 変 成男
子 説は原 始 経 典 に は現
れ な い もの で あ り, 女 人五障
説 は原 始経 典の 一 部に の み現れ る もの で ある。 しか し 八 敬 法の 場 合は , 律 蔵や 阿含 な どの初
期の仏典
に数多 く
その記録
が 残 っ て い る。 平 川彰
博士 も述べ て お られ る よ うに , 現存
の阿
含や律 蔵が聖 典 とし て 固 定 し たの は, 仏 陀の 滅後
か な りの 年代 を経て か らで は あるが , 何 らか の 意 味で 仏 説を 含 ん で い る 1) とい うの が , 学 界の 通 説であ
る。 し か し八敬法
は 常に仏 説であ
るこ と が否定
されて い る。八敬 法は, 女性の 出 家の 条 件 とし て 定め られた, 女 性出家 者が
男
性 出家 者に対 して守 るべ ぎ尊 敬 法で , 男性だけだっ た 教 団に女 性が 入 る こ とに よっ て予 想さ れ る問 題を防 ぐた め に制 定 された もの であ
る。 それゆ え 八 敬法
は ,仏
陀の 女性 観の 現 れで あ り, 仏 教 の 女性観の 歴史の 始 ま り と も言 える。 八敬 法が仏 説で ある こ と の 否 定は, 八 敬 法 が 仏 教 の 女 性 観で あるこ との 否定で もある。 初 期 仏 典に数 多 く 残さ れて い る 八敬 法を非 仏 説 とする な ら ば, 仏説 とし て 認 め ら れ るの は どの ぐら い 残るの であろ う。 大 乗 非 仏 説 の 登 場 と ともに仏 教 界で は, 神 格 化さ れて い た仏 陀を人 間 的 側 面か ら理解
し よ うとし,様
々 な研 究 が なさ れ た。 しか しな が ら女
性 観に お い て は, 仏陀
の 人 間的側
面を認め よ う と し ない の が現 状で ある。こ の論 文は , 八敬
法
が仏
説であ
り, 八敬法制
定が 歴史的事実
で ある可能性 が 高 い こ と と, それが仏教
の女
性 観に な っ て い るこ とを 明 らか にす
る を目的とする。 方 法と し て は, まず八敬 法の 現 存 資 料の 種 類 と性 格を検 討 し, 次 に そ の 資 料に従 っ て, 八 敬法 制 定をめ ぐ る 諸般の 事 情や 八 敬 法の 条 項 別 内容 を 比 較してそ の 原形 を 推定す
る。 そ して最 後
に八敬法
の 歴史的事実
性 を 追 究し たい と考
える。(
80
) 八敬 法の 歴 史性に 関する考察 (世燈)2
.八
敬
法
の資
料
管見
の 限 り, 八敬 法が記 述さ れて い る資
料に は 次の17
種 が ある。(
1
)
パ ー リ文 献
Vinaya
−piVaka
,Vo1
・LP
・52
, 『南伝大蔵経
』巻
2
,律蔵
2
,PP
・83
−84
Vinaya
−pitaka
,Vo1
.L
pp
.253
−283
,r
南 伝 大 蔵経』 巻4
, 律 蔵4
,pp
.378
−425
Ahguttara
−nikEya ,Vo1
.N
,pp
.274
−279
,r
南 伝 大 蔵 経』 巻21
,増
支
部経 典5
, pp .194
−202
(2
) 漢 訳 文 献『四
分律
』巻
48
(T
.22
, pp ・922c
−927c
)『五 分 律』
巻
29
(T .22
, pp.185b
−190b
)『摩 訶 僧 祗 律』
巻
30
(T
.22
, pp .471a
−476b
) 『十 誦 律』 巻47
(T
.22
, p.345b
−c)『根 本 説一切
有
部 毘 那 耶雑事』 巻29
−30
(T
.24
, pp .350b
−352b
)『
根本説
一切有部
百一羯
磨』巻
2
(T
.24
, p . 464b −c)『根 本 薩 婆 多 部 律 摂』 巻
10
(T
.24
, p .582a
)『律二 十二 明 了論』 (
T
.24
, p 。670c
)『毘 尼母経』 巻
1
(T . 24, p . 803a −b)『大 愛 道 比丘尼 経』 巻 上 (
T
. 24 , pp .945b
−950a)
『中阿含 経 』 巻
28
,116
経 (T .1
, pp .605a
−607b
)『仏 説 瞿 曇 弥 記 果 経』 (T .
1
, pp . 856a −858a) 『中 本 起 経』 巻 下 (T
.4
, pp .158a
−159b
)(
3
)
チベ ヅ ト訳文 献
耳
dul
−ba
phran
−tshegs
−kyi
gshi
,
Vinaya
−keudraka
−vastu (r影 印北京 版西蔵大 蔵 経』 巻
44
, pp .161
−162
)以上の 資 料を
仏
典の 性格
別に 分 類す
る と,律
部, 阿含 部, 本 縁 部に分
け られ る。 律部の 資 料 と し て は, パ ー リ律, 漢訳 五大広律, チ ベ ッ ト訳有 部律 な どの 律 蔵 と, 『明 了論』, 『毘尼 母経』, 『大 愛 道比 丘 尼 経』 な どの 律 典 が ある。 阿含
部 経 典の 中で は, 『増支
部 経典
』, 『中
阿含
経』, 『瞿曇弥記果経
』 に, 本 縁部
の 中で は 『中本 起 経 』 に八敬 法が含ま れ てい る 。 こ の よ うに 八 敬 法の 資料は, 原 始 仏 典の八 敬法の歴 史性に関 する考察 (世 燈) (
81
) 律 蔵や阿 含にその大 半が含
まれて い る。「経 蔵よ り律蔵 の 方が 比 較的 よ く保存さ れ て きた」2) とい わ れ る が, そ れは, 「律 蔵は 僧 伽の 組織や 規 則 を 明 か す こ とが 目 的て あるか ら, 律 蔵 伝 持 者 の 個 人の 創 意 や判
断
によっ て , 規 則 を改変
し た り, 組織
の 説 明 を変 更 して , 伝 持 す るこ と は簡単
に で ぎる もの で は ない 」3)か らで あろ う。 その うえ律 蔵は異 本の 数が多い た め, 内容の 比 較に よ っ て 古 い 要 素を 取 り出す こ と がで ぎる。 八敬 法は 現 存の 全 て の 律 蔵に その記 録
が 残っ て い る か ら, 比 較に よ る原 形の 推 定が可 能 とな る。律
蔵と比べ て阿含は , 「異 本の 数が少な い うえに , 実 際の 比較を行 う場合, 後 世の 改変
増 広の ため合 致 しない 部 分が多い 」4)と言われる。 しか し八 敬 法の 資料
と して の 阿 含は , 異 本 もあ り内 容 上の 合 致 点 も見え る。Ahguttara
−nikaya (r増支 部 経典』) と 『中阿含 経 』 の 八敬 法は, 順序や 細部の 内 容に お い て は 異な る点が あ るが, 概ね に おい ては合 致 し, 比較 研究 に有 効で ある。 『中
本 起 経』 の場 合は , 仏 伝 とし て の誇張
や修飾
が含
ま れて お り,文学
性に富ん で い る の で , そ こ か ら事
実 性を取 り出す こ とは不 可 能である。 しか し 八敬 法に お い て は , 律 蔵や阿 含との 比較
に よっ て ,改 変
増 広の部 分
を切 り放す
こ とがで きるの で 比較
の 対 象に な る。『大
愛
道 比丘 尼 経』 につ い て は, 平川博士 は , 律 蔵の 説とは 合致し ない 点 が 多 い た め, 部 派 仏 教の律の文 献 とは見が た く, また律 と し て は 異系 統の 経 典で あ る5)と見
て お られる。 八敬 法の 内 容に お い て も, 他 律 とは顕 著に異 なる。 しか しr
中本 起経』 の 内容 とほ ぼ 合 致 する。 『中 本起 経』 とは同系統
の もの か, 一 方が他 方の 影響
を受
けた 可能
性 が窺
われる。『明 了 論』 と 『毘尼 母経』 は , 広
律
を解
釈 し た戒 論で ある。 簡 略で は ある が, 八敬法の 記述がある。 『毘尼 母経 』 に は 八敬 法 制 定の 事 情だ け が, 『明 了論』 に は 八敬
法の 条項だ け が記 述 さ れて い る。資料
の うち, 漢 訳の 『毘 那 耶雑事
』, 『百 一羯 磨』, 『律
摂』 やチ ベ ッ ト 訳のVinaya
−k
興draka
−vastu (r毘那 耶雑 事』)は, 全て 根 本 説一切有 部の 律で あ り, 八敬 法の
内
容に お い て も何
らの 矛 盾 もない の で , 以下漢訳の 『毘 那 耶 雑 事』 だけ を取 り上 げる こ とに する。 パ ー リ文献 の 三種の 八敬 法の 資 料 もパ ー リ上 座 部 所属
の もの で , 全 く同じ内
容で ある た め , 以下Villaya
・pitaka
だけ を取 り上げ る。 r瞿曇 弥 記 果 経』 と 『中阿 含 経』 も同じ原 本か らの 訳 出で ある6)の で, 内 容の違 い が ない限
り, 以下 『中
阿 含経
』 だ けを取 り上 げる。(
82
) 八敬 法の歴史性に関する考察 (世燈)3
. 八敬 法 制 定
を
めぐ
る諸 般
の事 情
1
) 内容の 比較『十 誦 律』 , 『僧
祗律
』, 『明 了論』 に は八敬 法制定
をめ ぐる諸
般 の事情
の記述
が 欠けて お り, 『毘尼 母経』 に は こ の 記 述の みが ある。 『パ ー リ律』, 『四分律
』, 『五 分 律』, 『有
部 律』, 『毘尼母 経a
, 『中阿 含 経』, 『中本 起 経』, 『大 愛 道比丘 尼ge
』 7) の8
種
の資
料か ら, 八敬 法制定
をめ ぐる諸 般の 事 情の 内容を比較
する。(
1
)瞿
曇
弥 の 発心仏 陀が釈 氏 国迦 維 羅 衛 城尼拘
律
園に お ら れ る時, 仏 陀の養
母であ
る摩
訶波闍 波
提 瞿曇
弥は仏陀
の 所に詣 り, 出家
の許
可を懇請
する が, 仏陀
は許され ない 。瞿曇 弥の 出 家を求め た 場 所 と出家へ の 発心に 関す る 記事に おい て は, 全資料 矛 盾 な く合 致 す る。 しか し許 さ ない 理 由は定かで ない 。 『パ ー リ律』, 『
中
本 起経
』, 『大愛
道比 丘尼 経』 に は単
に 「楽 し ま ない」S)と , 『毘尼 母経』 に は 「許 す を 欲 しな い 」9)と なっ てい る。 『五 分 律』, 『有 部 律』, 『中阿 含 経』 に は, 在 家で 精進 する こ とを 勧め て い る。 なか で も 『有 部 律 』 で は, 白衣 を着
て精進
す る よ うに, 『五分
律』 と 『中 阿 含 経』 で は, 髪の毛を剃 り, 袈 裟を着
る こと まで は 許してい る。 1°) 『四分 律』 で は仏 法が , 『大 愛 道 比丘尼 経』 で は 清 浄 梵 行が久 し くない 11)こ とを 不 許の 理 由 としてい る。 確か な不 許の 理 由はつ か めない が, 仏 陀が女 性の 出 家 を 好 ま なか っ た こ とだけは事実
の よ うで ある。(
2
)瞿
曇
弥の 再 発心瞿
曇 弥の 再 度の 出家の 懇 請は, 阿 難i
の 手 助 けを得
て ,辛
うじ て 許さ れ る。こ の 記 録は全 資 料 矛 盾 な く合 致 するが , 出 家が 許 され た場 所は 資 料に よっ て 異 な る。 『パ ー り律 』 に は毘 舎 離 城 大 林重 閣, 『四
分
律』, 『五 分 律』, 『毘 尼 母経』 に は舎
衞 国 祗 沍精
舎, 『有
部 律』 に は 劫比 羅 城 往 販 葦, 『大 愛 道 比丘尼 経』 に は那
和 県, 『中阿含
経』 に は 那摩 提
尼精
舎, 『中 本 起 経』 に は 那 私 県となっ て い る。 現 存 資料
で は, 瞿曇弥
の 出家
が許
さ れた場 所の 決定
は でぎ
ない が, 瞿曇弥
の 出家が こ こで始めて 許さ れ た こ とは全 資 料一一Sk
する記 事で ある。 (3
) 阿 難の 代 弁阿 難 が
代
わ りに 瞿曇
弥の出家
の 許 可を申
し出た時 も, 仏陀
は許
そ うとしない 。す
る と阿 難は, 瞿 曇 弥の 仏 陀を養 育 し た恩 恵を思い 出さぜ , また女 性 も出家 して 修 行 す れ ば四沙門
果を得
ら れ る かを 聞 く。 仏 陀は得 られ る と答
え, やむを得 ず 盟八敬法の歴 史 性に関する考察 (世 燈) (
83
) 曇 弥の 出 家を許さ れ る。『毘尼母経』 を除い た諸 資 料に養 育 恩12)の , また全
資料
に 四沙
門果
13)の 記 述があ
る。資
料に よ っ て養
育 恩 と 四沙 門果の 記 述の 順 は 異な る。 『有 部 律』 , 『中阿 含 経』, 『中本 起 経』, 『大 愛 道 比丘 尼 経』 で は , 瞿曇
弥が最 初に 出 家の 許 可を求め に 行っ た 時に も, 四沙 門果の 記 述が見え る。 こ こ で は , 瞿 曇 弥は 「女人 も修 行 すれ ぽ, 四沙 門 果を得
られる か ら, 仏法
に おい て 出 家す るを 許し て 下さい 」 14)と言い , 女性 も修 行 す れば最 高の 位を得 られる こ と を 女性 出 家の 正当 性の 根拠 とし て提
示 し てい る。 阿難 との 対 話の時
に も,仏 陀
は 最 初は 瞿曇
弥の 出家
を 許 そ う と し ない が, その 理 由 と して 『有 部 律』 と 『毘尼 母経』 で は正法が, 『中 阿 含 経』, 『中
本 起 経 』, 『大愛 道比 丘 尼 経 』 で は清 浄 梵 行 が, 『瞿曇 弥記果
経』 で は梵行者
が 久し く ない 15)こ とを挙 げて い る。 正法, 清浄梵
行,梵
行 者 とい う語か ら教 団の 堕落が予 想 さ れた こ と が分か る。(
4
)八
敬
法の 制定
仏 陀は 八 敬 法を制 定 し, 瞿 曇 弥の 出家は 八敬 法を守る こ と を前 提 とし て 許さ れ る。 阿難は仏
陀
か ら聞い た 八敬 法の 内 容を瞿曇 弥に 伝え る。 瞿曇弥
は喜
ん で そ れ を頂戴 す
る。こ の 記 述は全 資料 矛 盾な く合致 する。 た だ し, 八 敬 法 制 定の 目的を現 す比喩は 様 々 で ある。 『パ ー リ律に は , 八敬 法を制 定 する こ とを, 大池に ば予め堤 を設 け て水の 氾濫 を 防 ぐこ とに 16)譬え てい る 。 また 『四 分
律
』 に は,大
水 に お い て は安
全 な橋で 渡る こ とに 17) , 『毘尼母 経』 に は, 水 を渡
る た め に 橋 や船を 造 るこ とに IB) , 『中本 起経』 や 『大愛
道比丘尼 経』ユ9)に は , 水 を 防 ぐた め に堤を設 け るこ とに そ れ ぞれ譬えてい る。 『中阿 含 経』 や 『有
部律
』 20)に も類 似し た譬
え が見え る。 いず
れ も八敬 法の制
定が教
団 内で 起 こ り得
る問題 を未 然に 防止する た め で ある こ と を現 して い る。(
5
)
瞿
曇 弥
の受
具 足戒
瞿
曇
弥が 八敬 法を受 持 する こ と を 瞿曇
弥の 受具足 戒 とする。『中本 起 経』 と 『大愛道 比 丘尼経』 を 除 く諸 資 料に 記 載さ れ て い る 。 『毘尼 母経』 で は , 比丘 尼の 五 種
受
具 21〕の解
説の中
で , 瞿 曇 弥の 八敬 法を受 持 するを 師 法 受 具 と名 付 ける と言っ て い る。 『中本 起 経』 と 『大 愛 道比丘尼 経』 で は , 「八敬 法を受 持 する もの に は , 沙 門に な るを 許 す」 と し, 瞿曇
弥は後
で 大 戒 (r中本 起経』 の 場 合), ま た は十戒 (『大愛道比 丘 尼 経』 の 場合)22)を受け る こ と に な っ てい る。(
84
) 八 敬 法の歴史性に関す る考 察 (世 燈)(
6
) 瞿曇
弥の 異議提
起瞿
曇
弥は, 八敬 法の うち, 「受戒 して 百歳に な る 比 丘 尼 で も, 本 日受 戒 し た 比 丘 に 敬 意を 払 うこ と」 とい う一条 項に 対して 異議を提起 す る。これは 『四分 律』 , 『毘 尼 母 経』, 『大
愛
道 比丘尼 経』 を 除い た資 料 23) に 記 載 さ れ て い る。 『五 分 律』 に は, 八 敬法を受け た 時点で, そ の中
の 一条 項に異 議が ある と言っ て い るが, 他の 資料で は比丘尼 教 団が大 き くなっ て か らの こ とに な っ て い る。異 議
提 起の 主体は, 『パ ー リ律』 と 『五分 律』 で は 瞿 曇 弥, 『有部律
』 で は諸 上 座碁 芻 尼, 『中 阿 含 経』 と 『中 本 起 経』 で は瞿 曇 弥及 び長 老比 丘尼 た ちに な っ てい る。 異 議の内容
は , 『パ ー リ律』 で は 「長幼
に従
っ て 」 (yathZvuqqharp ), 『五分
律』, 『有 部 律』, 『中 阿含
経』 で は , 「(出家の 年月の)大小 に従っ て」 敬 意を払
う こ とで ある。 『中本 起 経』 で は , 瞿 曇 弥が仏 陀に, 「長 老 比丘尼た ちは 久し く梵 行 を 修め て , すで に真
理 を悟っ て い るの に , ど うして 本 日受戒
した幼 少の 比丘 に敬
意
を払
うで し ょ うか z4)と言っ て い る。 彼 女たちの 異議
は黙 殺さ れ るが, そ の 理 由 とし て は , 『五 分 律』, 『有
部 律』, 『中阿含経』, 『中本 起 経』 で は 正法減
少説 25)が挙 げ
ら れて い る。 『パ ー リ律
』 の 場合
は, 仏 陀は阿難
か ら彼女
た ちの 異議
を聞い て , 「邪 説の 法を守 護 する外道た ち さ え女 人に 敬 意を払わ ない の に, ど うして 如来
が 女 人に敬 意 を 払 うだろ うか」26)と答えた と記録
し て い る。 仏 教が当 時の イ ン ドの 風 習をその ま ま受 け入れた可 能 性が窺われる。 (7
) 正 法 減 少 説仏
陀は, 女 性の 出家 を 許 す こ とに よっ て, 正 法の 存 続 期 間 が減少す
る こ とを 予 言 する。 『五分 律』 , 『有 部 律』, 『中本 起 経』, 『中阿含 経』 27)で は 瞿 曇 弥た ちの 異 議に 対 す る 不 許理 由 とし て 説か れ, 厂千 年 住 すべ き正法が, 五 百年 に なる」 と言 う。 『パ ー リ律』, 『四分律』, 『毘 尼母経』 2S)で は 瞿曇 弥の 出 家を許 し た後の 嘆 息の 語に な っ て い る。 『パ ー リ律
』 で は 「千 年存
続 する正法
が数
百年になる」 と, 『四 分 律』 で は 「仏 法は 久 し く五 百歳
住 す」 と , 『毘 尼 母 経』 で は, 「五 百世の 正法が減る」 と言 う。 『大 愛道 比 丘 尼 経』 で は , 瞿曇弥 の 二 度 目の 出 家の 懇 請 の 時, 許 そ うと し な い 理 由 として 「仏 法 地の 清 浄 梵 行 が久 し く住 しない 」29)こ とが 述べ ら れ て い る。後
者の四経の 場 合は, 必ず
し も千 年が 五 百年に な る とは し ない が, 前 者の 四経 と 同様に , 正法の 存 続 期 間が 減 少す る こ とを 言 っ て い る。 正法 減 少 説は全資
料 合 致 す る記事
である。 こ の 説に は, 仏 陀が, 比丘 の 清浄
梵 行の 欠 如 と, そ れに よ る正八敬 法の歴 史性に関 する考 察 (世 燈) (
85
) 法の 存 続期間の 減 少に , 懸 念を 示 し た こ とが よ く現れてい る。(
8
) 女
人五障
説女性 に は , 天 帝 釈, 魔天 王, 梵天 王 , 転 輪 聖 王 , 仏 に な れ ない 五障がある とい う説 で ある。 正法が減 少 す る原 因は,
女
性に五障
が ある ため で ある と言 う。『五
分律
』, 『中 阿含 経』, 『中 本起経』3°)に の み現 れ る 。 女 性 も修 行 す れぽ最 高の 位 を得られ る とい う説と, 女性 は仏に な れ ない とい う説が 同時に 説か れ て い る の は矛 盾で ある。 女 人五障説
が後
世の挿
入で ある可 能 性が窺 わ れ る。各
資
料に おけ る八敬法
制 定をめ ぐる諸 般の 事 情の 記 載 有 無を表で示 す と次の よ うである。 〈八敬 法 制定を め ぐ る 諸般事 情の対 照 表 〉1
パ ー嚠
四 分 五到
倒
毘尼 母 中阿 含1
中本起 媛 道 瞿曇弥の発心OlOlOlOlOlOlO
O
阿 難 の代 弁O
QIOIOlolOlOlO
女 人の 得四沙 門果 ○[
○[
○OlO
O
OlO
八敬 法の制 定OlolOlO10101010
瞿 曇弥の受具足戒OIO1010101
・1
刈
・瞿曇弥の異 議 提 起
oIx
O101
刈
oiOl
・正法 減 少説
OlO
OlOiOlO
「
OlO
女人 五障説 ・
lx
Ol
・1
・1010
・ 表に現 れて い る よ うに , 全 資 料 共 通の 記
事
は , 瞿曇
弥の発
心 と再 発心, 阿難
の 代 弁, 女人の 得四沙 門 果, 八敬 法の制 定, 正法減
少説であ
る。 瞿曇 弥の受
具 足戒と 異 議 提起 の 記 事は 五 種の ,女
人五障説
は 三種
の資料
に の み現
れる。詳 細
の内容
に おい て は資
料ご とに 出 入 りがあ
るが, 全体
の流
れに お い て は全資料
一致
する。以 上 の 考 察か ら, 八 敬 法 制 定の 諸般の
事
情が 明 らか にな っ た。 それに よ り, 仏 陀が女 性の 出 家 を 好まなか っ た こ と と, そ の 理 由は 比丘 の梵行
の 欠如 と正法の 存 続 期間 の 減 少であ
る こ と が分か っ た。仏
陀は , 女 性に も男 性 と同 様に最 高
の 位 を 得 られ る機会
を与え るよ りは , 男性 出 家 者の 梵 行の 欠 如 と正法の 存 続 期 問の 減 少 を憂慮
したの で ある。(86 ) 八 敬 法の歴 史 性に 関する考察 (世 燈)
2
)
原形の 推 定諸 資 料か ら抽 出し た 八
敬
法 制 定 をめ ぐる諸般の 事 情の 共通の 記事は, 瞿曇弥の最 初の 出家へ の懇 願は , 許 可さ れず 挫 折 する。 瞿曇 弥の二 度 目の出家へ の 懇願は, 阿 難の手助け を得, 八 敬 法を守る こ と を前 提とし て 許される。 仏 陀は女 性 も 修 行すれ ば 四沙門果 を得られ る とは い うもの の , 女性の 出家を許 すこ とに よ っ て 正法 の 存続 期 間が減 少する と予 言 する。 とい うもの で ある。 これ は現
存資
料に現
れ て い る 共通の最
小 限の 記事
であ
っ て, こ れ を もっ て 筆 者は, 八敬 法 制 定をめ ぐる諸般 の 事 情の 原形 で ある と考え たい 。 少 な くと もこ の 記 述は , 歴史 的 事 実である と認め られ るだろ う。 し か し, 全 ての 資 料に共 通 す る記 述で ない か らとい っ て, 事実
で ない と断 定 す る こ と は で きな い 。 比 丘尼の 具 足戒 が まだ存 在 しな い 時だ っ た た め , 比丘 尼 に果せ られた 最 初の規 定
で ある 八敬法
を瞿曇
弥の 具 足戒 とす るの は , 十 分 考え られ るこ とであ
る。 大 ぎ くな っ た比丘尼 教 団の 長 老 比丘 尼 た ちが,年少
の 比 丘 た ちに敬
意を払
わ なけ れ ば な らない こ とに 不 満を持ち, そ れに 対 し て異議を 提 起する こ と も, 十 分 あ り得 る こ とで ある。 女人 五 障説 が後
世の 作 成で ある とし て も, 男性に対す
る女
性の 絶 対 服 従を要 求 する八敬
法の 内容か ら考 える と, こ の よ うな 説が生ま れ るの も無理 で は ない 。以 上の 考 察か ら, 八敬法 の 制定 が, 歴史 的 事 実で ある可 能 性が高い こ とが明 ら か にな っ た。 そ れほ ど女 性の 出家を 許 す こ と を
躊
躇 し, 女 性の 出 家に懸 念を 示 し た仏 陀 が, 何の 条 件 もなしに女 性の 出 家 を 許し たは ずはない 。 八敬法
は , 女性 の 出 家の条 件 と して , ま た教 団の 堕 落の 予 防 策 として 制 定 さ れ た もの で ある。4
.八 敬 法
の条
項 別
内 容
八敬 法は
資料
に よっ て名称
が異な る。 八敬
法 と命 名 するの は 『僧祗律
』, 『十 誦律
』, 『毘尼 母経』 の み であ
る。 『パ ー リ律』 はAtthagaru
−dhamma
, r 四分 律』 は 八 尽形
寿 不 可過 法
, 『五 分律
』 は 八可 越 法, 『有
部 律』 は 八尊
敬 法, 『明
了論
』 は 八 尊 法, 『中阿含 経』 は 八尊師法, 『中 本 起 経』 と 『大 愛 道比丘尼経』 は 八 敬之法
と称
す る。条 項 別 内容 を比 較 す る資 料に おい て は, 「八敬
法
制定
をめ ぐる諸 般の事 情
」 で 使 用 された資 料の うち, 八敬法
の内容
の 記 述が省か れて い る 『毘 尼母経』 を除 き, 八敬 法の 内 容の み 記述
されて い る 『十
誦律
』 , 『僧 祗 律』, 『明 了 論』 31)を加 え た10
八敬法の歴 史性に関す る考 察 (世燈) (
87
)種
の 資 料 を使 用 する。1
) 条項別 内 容の比 較八敬 法は八つ の 条 項か ら成 っ て い るが, 内 容 が 重
復す
る条項
もある。 ま た全資
料に 共通 す る条 項 もあれば, 一 部の 資 料に の み現
れ る条項
もある 。 それら を性格
別 に 分 類 す ると, 比丘 と比丘尼 の 関 係を現 す 条 項や , 行事, 比 丘 に対
する言論, 住 居, その 他に 関 する条 項に 分 け られる。 比 較方 法 として は, 各 条 項の 内 容 を現
す主要用 語の 対 照 表 に 拠 っ て, 全資料 共通の 記 事を取 り出 し, そ こか ら 八敬 法の 原 形にな る もの を 抽 出 す る。(
1
)
比丘と比丘 尼の 関係 を 規 定す
る条項
『パ ー リ律』 に よれば , 「具 足戒を受 けて 百 歳に な る比 丘尼で も, 本 日具 足戒を
受
け た比丘 に敬
礼, 起立, 合 掌,恭敬
すべ きである。 こ の 法を尊
敬,尊
重, 奉 事, 崇拝 し て寿 命が終わ る ま で犯して は い けな い 。」 32) とある。 下 線の 部分
に対
応 する各 資 料の内
容を表に示せ ば次の よ うで ある。 四辮1
百 歳 新 受戒 五分刺
戴 磁 〃 僧祗 律1
百臘 〃 +誦副
百歳 新 受具戒 櫺副
受近円 酪 百劍
〃 近 円 明了 論1
百 夏 是 日 受 具 足 戒 中 駘1
艱 足雖 貊劇
始 受具 足 中本司
百鰭 戒 新 受大戒 大愛剥
〃 大戒 ノノ 用語や表 現の 違 い があるだけで , 全 く同 じ内 容で ある。 全 資料 矛盾 な く 合 致す
る。(
2
)
行 事に 関
す
る条項
行事に関 する 規定に は 四条 項 あるが, 『中 本 起 経』 と 『大
愛
道比 丘 尼経』 を除 い て は, 二部衆あ
るい は比丘衆に 従っ て 行 うこ とになっ て い る。(
88
) 八敬 法の 歴 史 性に関する考察 (世 燈) 半 月ご との 教 誠『パ ー リ律』 に よれ ぽ , 「比丘尼 は半 月ご とに比丘
衆
に ,布薩
を問 うこ とと教誠
を受 け るこ との 二 法 を 請 うべき
で ある。 こ の 法を … … 犯し て は い け ない 。」 33)とあ る。 下線
の 部 分に対 応す
る各資料
の内容
は , 四分 律1
半 月 僧1
乞 鰕 五分 律1
’・bt
TEi:衆t
乞槭 人 僧祗副
〃 〃 所1
求櫞 + 誦副
〃 ’噌[
受瞰 法房
部副
半・半川
餾隊
請 鰕 明 了論1
・!1
駈 鶻障
鱒 蠍 輌 含レ
! ご司
比 丘i
受教 中 本起レ
! 以上1
比 鏘 大劇
礼事之1
媛司
〃 〃 〃 で あ る。 行 事の 内 容は, 『パ ー リ
律
』 で は ,戒
経の読誦
を聞
い て罪過
を懴 悔す
る こ とで あ る布 薩 と, 教 誠の 二 法を挙 げて い る。 『十 誦 律』 や 『明 了論』 で は , 八 敬 法を受
け る こ とに , 『五分律
』 で は教誠
人 を請 うこ とにな っ て い る。 いず
れ も 半 月ご とに 比 丘衆
に 従 っ て教
え を受
ける こ とに は違い ない 。 しか し, 『中 本 起 経』 と 『大愛
道比 丘 尼経』 の 場 合は , 「比 丘 が戒を受 持 す れ ぽ, 比丘 尼は半月以 上, 礼を もっ て彼に 事え るべ きである」34)とあ
り, 他の 資 料とは 異なる内
容であ
る。半 月 間の 摩 那 堙
犯せ ぽ教 団か ら追放 さ れ る波 羅
夷
罪の 次 の 重 罪で , 犯せば僧と しての 生命
は残 る罪で ある僧 残 罪の 出罪法
に関す
る規 定
であ
る。僧
残 罪を犯せば, 別住
し て衆僧
のため に苦 役に 服す
る懺悔法
の摩
那 唾が 課せ られる。 比丘 は六 日間であ
るが, 比 丘 尼 は半 月間で ある。 『パ ー リ律』 に よれば, 「比丘尼 は尊
法を 犯せ ば, 両 衆に お い て半 月 摩那 唾 を行 うべぎ
であ
る。 この 法を… … 犯し て は い け ない 。」 35)とあ
る下 線の 部 分に対 応 す る各 資 料の 内容は , 四 分副
僧残罪1
二部 僧酬
半 膊 繼 五 分副
麁 悪罪 〃 ’ノ八敬法の歴史性に関する考 察 (世 燈) 慚
副
+九僧 懶 尸沙 〃伴
膊 繼 (89
) 桶副
僧残罪1
二 緲 〃 有部 律i
衆 教 法t
二 衆中 〃 摩 那馳 明 了訓
随一 尊 法[
二 縮 〃 摩捺 多法 中 阿刳
僧伽 婆尸沙1
酪 僧喇
+五 日行不慢 林 起1
(自未得 道)犯戒 律1
榊1
¥fi
tS
過 齬 大愛剃
( 〃 )灘 之司
鰭 中 〃 自首 過懺 悔 で ある。 『中本 起 経』 と 『大 愛 道比 丘 尼 経』 を 除い て は , 諸資
料 に共 通 す る内
容 で ある。 二 経の 場 合は, 「比丘尼は, また得道す
る前
か ら,も
し法 律
の戒
を犯せ ば, 半 月 間衆
僧 中に行 き, 自ら罪過 をつ げ懺 悔 すべ きで ある」 36> となっ て い る。安 居
最後
の 日の 自恣安 居の
最後
の 日に , 見,聞 き
,疑
っ た こ とに つ い て 罪 過を指摘
し,懺悔す
る行
事
の 自恣 に関 す る規 定で ある。 『パ ー リ律』 に よれ ば, 厂比丘尼は雨 安 居を終え れ ば, 両衆
に於
て見, 聞 き, 疑 っ た 三 つ の 点に お い て 自恣を行 うべ きであ
る。 こ の 法を … …犯し て はい けな い 。」 37)と ある。 下線
の 部 分に対 応 する各 資 料の 内容 は , 四分副
安 驍1
比 丘 僧陣
三事 自恣見 蔽 册副
自恣時レ
・ 衆儲
!! 見 聞 孵 鰍副
鋸 竟1
二 衆 中1
(赧 畷 罪) 受 自恣 +辮1
〃1
二 部僧剣
自恣 覦 聞鯉 有 辮陣
鋸 己1
二衆 中似
三覲 聞 疑罪 鞭 鱒 明 了訓
鋸 竟i
駈 僧 〃 … 問難 如法受僧 正教 中阿含陣
坐 訖陣
緞 中儲
三親 醺 罪 中 本司
三 月 止一刺
1
所 聞靦 当 自鱇 大愛剥
〃 ノノ 〃 である。 『中 本 起 経』 と 『大 愛道比 丘 尼経』 を除い て は , であ
る。 二経の 場 合は, ね, 見, 聞 きした こ とを,諸資
料に 共 通 す る内容 「三 カ月間一処に 止 ま り , 自らあるい は互 い に考 え たず
自ら
省察
すべき
で ある」38) とあ
る。(90)
八敬法の歴史性に関する考 察 (世燈) 受 具足戒
比丘尼の
受
具 足 戒に に 関 する規 定で, 『パ ー リ律』 に よれば, 「式
叉 摩 那は 二 年 間六 法にお い て訓 練を習 得 す れば, 両 衆に おい て見 足戒
を請 うべ きで ある。 こ の 法を … … 犯 し て はい けない。」 39)とある 。 下 線の 部分 に対応 する各 資 料の内容
は, 四分副
式叉嚠障
蘇 大 戒 五 分副
〃1
二 部鰰1
期司
鰍剰
( ’・ )レ
・ 衆 中 ,具足 + 講レ
ヒ丘尼lL
[ −EEi
僧 大 戒 有部副
(諸鰡 尼月
期 近円 明 了訓
比丘 尼1L
[・.Ek
僧1
期 戒 輌 含1
〃1
駈 具 足 中本副
女人 駈副
駈 撒 戒1
琺 大愛道1
臥 〃 〃 〃 で ある。 『パ ー リ律』, 『四分 律』, 『五分 律』, 『僧祗
律』 で は式 叉摩
那に なっ てい る が, そ の 他 の 資 料で は比丘 尼と なっ て い る。 式叉摩那 とは , 具 足 戒 を受 け る前 の 沙 弥 尼と して18
才
か ら20
才まで の 二 年 間, 特に 不婬
, 不殺, 不妄語
, 不 飲酒, 不 非 時食
の 六法を行 うもの をい う。 原 則 とし て は , 具 足戒
を受 け
る こ とに よ っ て 始めて 比 丘 尼 に な るの で ある か ら, こ の 場 合は, 式 叉 摩 那の 方が前 後 意 味に 符合 する。 『中 本 起 経』 と 『大 愛 道比 丘 尼 経』 を除い て は, 諸 資料に 共 通 する内容であ
る。 二 経の場 合は , 「比丘 が 大 戒を受 持す れば, 比 丘 尼 は彼
に従 っ て 正法を受
けるべ ぎであ
る」40)とある 。(
3
) 言 論に 関 す る条 項比 丘 尼 の 比 丘 に対 す る言論の 自由 を 閉 ざす 規 定 だ が, 二 つ の
項
目に 分 けら れて い る。比 丘 に
対
する誹
謗の 禁止『パ ー リ律 』 に は, 「比丘尼 は 如何な る理 由に よ っ て も比 丘 を罵 り謗 っ て はい け
塾
⊃ こ の 法を … … 犯 して は い けない 。」 41) とある。比 丘 に に 対 す る言 論の 自由の
剥奪
『パ ー リ律』 に は , 「今 日以後, 比丘 尼 の比丘 に お け る言路 を閉ざ し, 比 丘 の 比
八敬 法の歴 史性に 関する考察 (世燈) (91 ) 丘 尼に お け る言路 を閉ざ さ な い 。 この 法を … …犯し て は い け ない。」 42)と
あ
る 。条
項 と に対 応 す る各 資 料の 内容は, ’ \ 条項 丶1\ 主体 資料 比 丘 尼 比 丘 尼1
比 丘 四分 律1
不 応 黠 瞶 翻 比丘1
不瓶 駈1
応砒 丘 尼 五分 律 不得 罵比 丘巨
・得靴 丘罪陪
砒 丘 尼 僧祗 律 ×1
稱 駈 実罪 非 実罪1
徽 丘膿 罪 十 誦 律 X 〃 説 比 丘見聞疑罪 × 有部 律1
柵 羅 鞴 噸 駈 不 応蔽 比 丘1
応繍 責駈 尼 明 了論1
碍 騾 騰 駈睡
黼 難 駈 砒 丘判
× 中阿 含 × 〃 説比 丘所犯1
得比 丘 尼所犯 中本 起 × 〃 訟 問比丘 僧 事1
訟 問駈 尼 大愛道 × 〃 ノノ で ある。と
の 二つ の 条項に
分
け られて い る資 料は, 『バ ー リ律』, 『四 分 律』, 『五分 律』 , 『有部
律』, 『明了論』 で あ り, の 条 項の み で ある資 料は, 『僧 祗 律』, 『十 誦 律』 , 『中阿含 経』, 『中本 起 経』, 『大愛
道 比丘 尼 経』 で ある。 同じ内 容 を二 つ に する必 要 が あっ た の だ ろ うか 。 最 初に 一つ だ っ た の が後
に 二つ に なっ た可 能 性が考え ら れ る。の比丘 に対 する 言論の 自 由を剥 奪 する条 項は, 上 記の比丘 と 比丘 尼の 関 係を規 定 する条 項 と ともに, 全資 料 矛 盾な く合致する条項で ある。
(
4
)
住 居に 関する条
項
安
居の 場 所『パ ー リ律』 には , 「比 丘 尼 は比 丘 の い ない 住 居で 安 居し て は い け ない 。 こ の 法 を … …犯 し て は い けない 。」 43) とある。 『中本 起 経』 と 『大 愛
道
比 丘 尼経
』 を除い て は, 諸 資 料に 共通 す る内 容で ある。同 居 の 禁止
『
中本起経
』 と 『大愛 道
比丘尼経
』 に は , 「比丘 と比丘 尼は共に住居 す
る こ とは で きない 」44〕とあ り, 安 居 とは 関 係の ない 規 定に なっ て い る。 比丘 の 居 所か ら離 れて い る と, 二 部 衆に 従 っ て行 うこ とに なっ て い る半 月 教 誠(
92
) 八敬法の 歴 史 性に 関する考 察 (世 燈) や半 月摩 那 唾や 自恣な どの 行 事がで きない ため の 規定が設 けられた ろ うが, こ こで も, 二 経は他資
料 と異 なる内
容であ
る。(
5
)
その 他の 条項比 丘
に 対す る 言論の 自由を閉 ざす 条 項が 一つ に な っ て い る 資 料に 現れ る 条 項 で , 次の 二 条 項があ
る。「もし比 丘 が許せば, 比 丘 尼は比丘 に経, 律, 論を問 うこ と がで ぎる。」 45)
「比丘 の
先
に食事や
寝
具を受
けて はい け ない 。」 46)は 『十 誦
律
』, 『中
阿 含経
』,中本
起経
』, 『大
愛道
比丘 尼経
』 に ,は 『僧 祗 律に の み現 れる条 項で ある。
以 上 の 考 察か ら, 『
中
本 起経
』 と 『大 愛
道 比丘 尼 経』 は, 他資
料 とは系統
の 異 な る経 典で ある こ とが窺
わ れ る。 他資
料の 厂二 部 衆」 あるい は 厂比丘衆」 が, 二経
で は 「比 丘」 個 人か 「(比丘 尼の)
衆 僧」 になっ て い る。 また摩 那 唾 や 自恣
な どの懺悔
の時に は ,自
ら行 うこ とになっ て い る。 住 居の規 定におい て も, 他資 料 とは全 く異 なる内 容で, 比丘 衆 あるい は 二 部 衆 とは関 係の ない記 述で ある。 こ の よ うな点か ら二 経は , 比 丘衆
か ら遠 く離 れた場 所に居
住 してい る比 丘 尼衆
を対 象 に説か れた可 能 性が ある と思 わ れ る。二 経を除い て は, 全体の 内容 に おい ては ほ ぼ 合 致す る。 しか し, 全資 料 矛
盾
なく合
致 す る条 項は, 比丘 と比丘 尼 の 関係を規 定 す る条 項 と, 比丘 尼の 比丘 に 対 す る言論 の 自由を閉ざす 条 項の み で ある。 両方 とも比丘尼の比丘 に対 する絶 対 服 従 の規
定であ
る。八 敬法の 条 項 は, 資料 に よっ て 重復 する もの も あ れ ば, 資料独 自の もの もあ る。 そ れ ぞれ 順序 も 異 な る。 順 序と条 項 数 な ど を 表 に示せ ば 次 の よ うで あ る。 〈順序と項 目数の対 照 表〉
ト
避
\露
ぐ
パ ーリ律At1hagaru
dhamma 四分 律 八尽形 寿不 可 過 法 五分律 八不 可 越 法 僧祗 律 八敬法 十誦 律 八敬法 有 部律 尊 法 八 敬 明了 論 八尊 法 中阿 含経 i大 愛 中本 道比 起 経 丘 尼 敬 法 八 之 敬 法 八 之 尊 法 八 師 百齔 丘 尼1
1
11
・巨 巨
16
21
・18
8
黜 丘劇
・ ・1
・1
・1
・ ・i71
・t
・1
・八敬 法の 歴 史性に関する考察 (世燈) (
93
) } 半 月 灘1
・16
11
・i
・i
・1
・1
・1
・1
・ 半膵 繼1
・ ・レ
1
・1
・1
・14
71
・1
・ 三 鶉 恣1
・ ・1
・1
・ ・18
81
・1
・1
・ 受 疑 戒1
・4
4
2
2
1
い
illll
誹 謝 ・ 丘t7
・・1
…1
…i
・i
・1
・…1
…i
・1
・1
・ 罷 鯑 ・1
・i
刈
・1
・1
・1
・5
61
・ 不 得 並 居 ・lx
刈
刈
x ×i
× ×3
3
不 先 受 食1
・1
・1
・1
・ ・1
× ×1
・「
・「
・ (総 条項 数)1
(・)[
(・)[
(・)ト
(・) (・・1
・7 )1
(・)1
・・・ …i
(・) 重 復す る条 項を 一つ に した 場合, 条 項数が 七つ に な る資 料が 五 種を 占め る。 これ は八敬 法の 条 項 数が最
初か ら 八つ で あっ た かを疑わ し め る もの で ある。2
)
原
形の推定すで に述べ た よ うに, 八敬 法に お い て , 全 資 料矛盾な く合 致 する条項 は, 「受 戒 し て 百
歳
に な る比 丘 尼 で も, 本日受 戒 し た比 丘 に敬 意 を 払 うべ きで ある」 と, 「比 丘 尼 の 比 丘 に お け る言 路を 閉 ざし, 比丘 尼に お ける言路を閉ざ さ な い 」 の 二 条 項の み で ある。 最 初は , こ の 二条 項だ けが要 求さ れ たか も 知 れ ない 。 し か し, 他の資料
と異系統
で ある可 能 性の 高い 『中 本起 経』 と『大 愛道 比 丘 尼経』 を除 き, 重 複の 条 項 を 一つ にす れぽ , 共 通の 条 項は 七つ が数え られ る。 七つ の 条 項を 要 約すれ ば,
受 戒 して 百歳に な る 比 丘 尼 で も, 本 日受 戒 し た比丘 に敬意を払 うこと。
半 月ご とに比 丘衆に
教
誡を受
け る こ と。僧
残 罪を 犯せ ば, 二部
衆におい て , 半 月間 摩 那 唾 を 行 うこ と。安 居の
最 後
の 日に , 二部 衆 に おい て , 自恣を行 うこ と。二部
衆
に従 っ て 具 足 戒 を受け る こ と。比 丘 の い ない 所で は安 居しない こ と。
比 丘 に対す る言 路を閉 ざす。 とな る。 しか し これ は,
あ
くまで も現存 資料
の共 通の記事
であ
っ て, この 七つ の 条項
も最
初か ら存
在 した とは限 らない 。 こ の 中で行事
に関 する条項であ
る(
94
) 八敬法の歴 史性に関す る考 察 (世燈) を 一つ に して, さ らに要 約 す れ ば,一,
受
戒し て 百歳
に な る比丘尼でも
,本
日受戒
し た比丘 に敬 意を払
うこ と。 一 , 全 て の 行 事は 比 丘衆に従 っ て 行 うこ と。 一, 比丘 の い ない 所で は 安 居し ない こ と。 一一・, 比丘 に対 す る言 路を閉 ざす。 の 四つ の 条 項にな る。 少な くともこれ らの3
,4
の 条 項は,最 初
か ら制定
さ れ た も の で あ り, これが八敬
法の 原 形であ
る と推定
される。 こ の よ うな点か ら,最 初
か ら八 つ の 全 ての 条 項は整 っ て い なか っ たに して も, 比 丘 尼の比 丘 に対 す る尊
敬 法 は存 在し, その 制 定は 歴史 的 事 実であっ た と考え ら れ る。 平 川博士 も 「少
な く と も比丘 尼を作
る最初
に , か か る規 則
のす
べ てが作
られ た と は見難
い 」 47)と の見 方
を 示 され たが, い ずれ に せ よ, 全 く根 拠の な い とこ ろ か ら八敬 法 が 生まれた は ず はな い 。 何らか の 形で 比丘 尼の比 丘 に 対 する服 従の 規 定が あっ た こ とは疑い の 余 地 が ない こ とで ある。長
崎
亮 寛 氏は , 平 川 博士 の 「 これ が 歴史 的事 実で ある か否か は 疑わ し い が」 48) とい う説を受け続い で , 次の よ うに 述べ て い る。 文 献 資料 を見る限 り第四, 五, 六条 件 中の 両 教団云々 , 第六条件の 式叉摩 那云 々 と 言 う記述等 を 見 る 時, 後に 作ら れ た もの で は ない か と推考 さ れ るか らで あ る。 即 ち, Mahapajapati が 出家具足を 許可さ れた 時 点で は まだ比丘 尼教 団と呼ば れ る もの は存 在して い なっ たで あろ う し, 加 え て, 式叉摩那 も 在存していなか っ た と考え ら れ る。 49) し か し, これは説 得 力の ない 主張で ある と思わ れ る。 な ぜ な ら, 経 典に 現れて い る用語の 全て が最 初か ら存 在 し た とは限 ら ない か らで ある。 まず
存 在があ
り, そ の 名 称は後
に 作られる とい うの は , 全て の存 在
と名称
にあ
て は ま る こ とであ
ろ う。 つ ま り, 瞿 曇 弥の 出 家の 時点で は ま だ存在
して い なか っ た 両教団 や 式叉摩
那 が, 瞿 曇 弥の 出 家後
始め て 存 在 す る こ とに な り, ま た その 名称
は比丘 尼 教団 が整 っ た後
で作
られた と考 え られ る。 そし て 経典編纂
の時
に は, そ れ らはす
で に機能
し てい る用語で あ り, そ れ がその ま ま瞿 曇弥 の 出家 当時に遡 及 さ れ使
用 さ れ た と 考え られ る。 八敬 法の 場 合 も同様に, た と え名
称は 後に作
ら れ た と して も, その もとにな る もの も後
に作
ら れ た とは 限ら な い 。 ま た平 川博士は, 比 丘 尼 律の 中に, 八敬 法の若 干が条 文 化さ れて い るが , その 因 縁 談に は八敬 法につ い て 何に も 言 っ て い な い。 八 敬法を知ら ない よ うで あるの で 八敬法が ま とめ られたの は, 尼律の ま とまっ た後で あろ うか と考え ら れ る。 もし八敬法が最 初か ら固 定し て お れば, それが ば らばらに尼 律の 中に は め こまれたの はおか しいで あろ う。 5°)八敬 法の 歴 史性に関する考察 (世 燈) (
95
) と述べ て お られ る 。 し か し, 比 丘 尼 律がで きた後で 八 敬 法が ま とめ られ る方が む し ろ 不 自然で ある と思わ れる。 な ぜ な ら, 比丘尼 律で は懺 悔だけで 出罪で きる軽 罪 (payattika , 波 逸提 )の 戒 条で ある の に , そ れを 抜粋
して 出 家の 大前
提であ
る八 敬法の 条 項 とする はず
は な い か らで ある。 か りに 厂全て の 行事
は 比 丘衆
に従 っ て 行 うこ と」 とい う条 項が最
初にあ
っ た とすれぽ, そ れ にあ
て は まる内
容 と して, 尼 律の 中か ら半 月教誠
や半 月 摩 那 唾 や 自恣な どの戒
条を抜粋
し た 可能
性は考
え ら れ る が。以 上 の
考察
か ら, 八敬 法
の もとに な る比 丘 尼 の 比 丘 に対
す る尊
敬法
の制定
は, 歴史的
事実
であ
る こ と が 明 らか に なっ た と思 う。 八敬 法は仏 教の 女 性観
の 歴史の 始 ま りで あ り, 仏 教の 女 性 観の 根 底に は 八 敬 法の 思 想が根 深 く潜 在し て い る と思 わ れ る。5
.お わ
り
に八敬 法の
資
料に よ る限 り, 仏 陀の 木 来の 思 想は, 男 女 と もに 修 行す
れ ば最高
の 位を得
られ るとい う平等
思想
であっ た。 し か し仏 陀は,女
性を教 団に受
け入れる 際に , 自らの 平 等 思 想を守 る よ りは, 一 方の 他 方に対 する絶 対 服 従の 差 別の 規 則 を作る方を選んだ。 そ れは教 団の 堕 落を予 防 する ため で あっ た 。 し か し, 果た し て そ の よ うな 差 別法に よっ て比 丘 の梵
行は守
ら れ た の だ ろ うか。答
えは決し て肯 定 的な もの で はない 。 上 下 主従 関係
の 差 別法
は, 一方に優
越感を助 長 し, 他 方に 対 する勝 手次第の 行 動を 可能
にするか らで ある。仏
陀
の 八敬 法制
定は , 仏 陀最
大の 過 ちで あ っ た 。 八敬 法 制定
に よっ て 仏 陀の 平 等 思想は完 全な もの で な くな るか らである。 八敬 法 制 定以 来, 仏 教 は女人 五障説 や変
成 男子 説な ど極 端な 差 別 思 想を 生み 出 し, 仏 教 史を貫い て 男 性 中心社会
を築
い て来たの で ある。お まけに
現代
の仏 教者
たち は, ひ た す ら仏 教の 差 別 的側 面を 認め よ うと し な い 。 「女 性の 出 家 に対 す る仏
陀の 躊 躇や懸念
は, 多 数の 弟 子た ちを率い る指導
者 と し て は, ま っ た く当 然 の こ とで あ っ て, ブ ッ ダの 女 性 差 別を 示 す もの と解釈す べ きで は ない 」51 )と述べ る仏 教 者がお ら れ る。 ブ ヅ ダの 躊 躇や懸 念 が 当然で ある か ら, 八敬 法の 内 容が差別 の意味にな ら ない とい うの は ,男
性の立場
で の 自己弁
解に過 ぎない 。 ま た多 くの 仏 教 者が, 仏 教 の差 別 的 要 素は旧来の 伝 統 の 産 物であ ると主張 す る52)が , 旧来
の 伝統
の産物
であ
る か らと 言 っ て , その 差 別観が 正 当 化(
96
) 八敬 法の 歴 史性に関 する考 察 (世燈 ) されるわ けで は ない だ ろ う。 また 八 敬 法の 記 述は , 当 時 あるい は後 世の 比丘 た ち が 自分の都 合に合わせ て 作 り上 げた との 見 方を示 す仏 教 者53) もお られ る。 しか し仏
陀 時 代に は, その よ うな こ とはあ
り得ない こ とであ
ろ う。 そし て仏滅 後
は, 仏陀
の教
えは仏陀
と同様
に尊重
され,弟子
た ちは一 句一節
も損 傷
せず
に伝承
し よ う と努
めたに違い ない 。 年月の 経つ につ れ て,増
広 や変
容はあっ た に して も, 経 典 伝承者 が自分
の 都合
に 合わせ て勝 手に 作 り上 げる こ とは, 決して容 易に で きる こ とで は な い はずで ある。2500
年の 年月 を経た今
日 も 八敬 法の 残滓
は存 在 して お り, 八敬 法の 思想は生 き て い る。 現に 厳 然 と存 在し て い る もの を 隠蔽 し よ うとす るの は真の 仏 教 者の 態 度 で は ない 。 ど うい う背 景か ら生 まれた に せ よ, 仏 教 思 想の中に は差 別 的要 素が 含 ま れて い る こ と を, まず 認め るべき
である。 認め な い うちに は改善
の 余地 が な い か らで ある。 注 記1
) 平川彰 『律蔵の研究』 p,5
, 山喜房,1960
年 2 ) 前田恵 学 『原始仏教 聖典の 成 立史研究』 p .10
, 山 喜房,1964
年3
) 平 川彰, 前掲 書, p .51 4 ) 平 川彰, 前 掲 書, P.49
5
) 平 川 彰, 前 掲書, pp .273
−274
6
) 赤沼智善 『漢巴 四部四阿含互 照録』 p .16
, p .326
, 『仏書解説大 辞 典』 第二 巻 p .352
参 照。7
)Vinayapitaka
VoL
ll
, pp .253
−255
, 『四分 律』巻48
, 大IE22
, pp .922c
−923a
, 『五分 律』 巻
29
, 大 正22, p .185a
−b
, 『有部 律』 巻29
, 大 正24
, p .350b
−c, 『毘尼母 経』 巻1
, 大正24
, p .803a
−b
, 『中阿含経』巻28
, 大正1
, pp .605a
−606a
, 『中 本起経』 巻 下, 大正 4, P.158a−c,『大 愛道比丘 尼 経
』 巻上, 大正
24
, PP .945b
−946b
8
)Vinayapitaka
,Vol.
ll
, p .253
“
ala ηp
Gotami
ma te rucci matugamassa tath .
agatappavedite
dhammav 量naye agarasma anagariyapa pabbajja ’ ti.” 『中本 起経』巻下, 大 正4, p.