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小学校体育行政に関する研究 : 教育課程並びに事業を中心として

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Academic year: 2021

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(1)         学 位 論 文. 小学校体育行政に関する研究    一教育課程並びに事業を中心として一. 教科領域教育専攻   生活健康系コース.      8.  M873妻1E  梅岡 己則    (昭和63年12月20日提出).

(2) 目. 次. 第4章教育委員会の小学校体育行政…一一……・……・……一…102  第1節 都道府県教育委員会の’   1 概説…………・…・………・・1・02. 第1章 一一一一一一一一e一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一. @1.  1 緒言.          小学校体育行政                    2 教員研修事業一……112  第2節市町村教育委員会の      1概説……………・…・……・・1・2・3. 2. 研究の目的. ・3. 3. 研究の方法. ・4.  4 先行研究の動向.          小学校体育行政                    2 教員研修事業………tl 37. 第5章学校鯖鞭のために・……一・・…………・……・・……144  第1節 学校体育行政の在り方     1 文部省・……・…・一…・…144. ・4.                    2 教育委員会・・…・……・・150. 第2章      明治期の初等体育行政    1 教育課程行政一…・…・10        第2次世界大戦前の初等体育行政………………・………・10.  第2節 小学校体育振興へ向けて 1 体育者の課題・………………一1 55.  第1節.                 2 本研究の今後の課題……・1 59.  第2節 学校体操教授要目期の    1教育課程行政一一…・3・2            初等体育行政. 結謝.                    2事業行政……・…・………・2・O.     甑                          162.                    2 事業行政一・…一………4・8. 164. 辞. 弓1用文献一覧. 165.  第1節 体育出品復活前の      1 教育課程行政………一63            初等体育行政                    2事業行政一……一……・72. 参考文献一覧一. 167.  第2節 体育局再復活後の       1 教育課程行政一一一・82           初等体育行政. 回. 第3章第2次世界大回の初等体育行政一……・・……一…・63. 忌.                    2 事業行政……・…………一・9 O. 資料. 調査用紙. 168.

(3) 第1 章. 実施状況に関する調査」によれば,特別活動の全体計画を作成してい ない小学校は24%に上っている.又,昭和58年の同局実施の「道徳の. 1 緒言  我が国の初等(小学校)体育は明治5年の学制に始まり,教育令,. 実施状況に関する調査」は,道徳の全体計画を作成していない小学校. 小学校令,国民学校令,教育基本法と幾多の法的な改革を経た結果,. 実施時閤などを備えた教科書並の年間指導計画を作成していない小学. 現在のような充実を示すに至った.例えば小学校体育施設について資. 校は57%にも達した事,そして,約10%の小学校が年間授業時間数が. 料を検討すると,体育館やプールの設置率が人口急増地域の埼玉県や. 30時間未満という状況である事を示している.文部省がその振興に力. 千葉県に於いても100%近く1に達している.又,体育を校内研究の中. を入れている道徳教育が,これだけの数値しか示さなかったのである.. 核に据えている学校が非常に多くある状況2や,教員採用者選考に於. 更に,同省が実施した調査でさえこのような高い数値になったことか. ける体育実技重視の傾向3等々が明らかとなっており,その充実度を. ら,実際は値がもっと高くなると推測される.筆者はこの数値を見て. うかがい知ることができる.. 決して意外だという感じは覚えない.「当然だ」いう気持ちを抱く現. は28%も存在していると述べている.更に資料や授業の展開の大要,. しかし,微力ながらも筆者のように現場で小学校体育を振興しよう. 場人は筆者一一人ではないはずだ.体育も教科書が発行されていないこ. としている教師は,数字が示す内容と,体育を校内研究の中核とし. とから,道徳や特別活動と同様な傾向があるのではないかと推測され. ていない小学校の体育現場とは,かなり異なっていると感じている筈. る.この調査の結果に基づき,文部省では道徳については副読本の制. である. 現場に体育指導上の問題状況が存在していることを示すよ. 作を企画?している.そのことは,文部省が教育課程編成や学習指導. うに,「体育嫌い」が多くの研究者によって研究され4,そして,そ. において教科書等の重要性を認めているとも受け取れる.体育局でも. の生成原因が探られ5ている.更に,文部省の体力・運動能力調査に. 「教科書がない全教科担任制の小学校体育についても教材研究を十分. よって,常に体格の充実とは裏腹に子供の体力の伸びが不足している. に行うことは困難」8と述べており,教科書の重要性に言及している. 事が指摘され6ている.これらの事から,小学校体育が効果的に実施. かのようである.これらのことからも,教科書が使用されないのは,. されているか否かを検討する必要があると考えられる.. 小学校体育を実施し効果を上げていく上で重大な妨げになると思われ.  各小学校が実施する体育の全体計画作成状況に大きな示唆を与える. る.. 調査結果がある.それは,教科に位置づけられてはいないが,体育と.  学校教育法第21条第1項は,「小学校においては文部大臣の検定を. 同様,文部省が出す学習指導要領や指導書及び指導の手引きなどに基. 経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用し. づき,各学校が指導計画を立てている道徳や特別活動に関する調査で. なければならない」と定めている.しかし,教科の一つである体育に. ある.昭和60年5月に文部省初等中等教育局が実施した「特別活動の. は前述のように教科用図書が発行されていないため,事実上の教育課. 一1一. 一2一.

(4) 程編成の拠り所となるものが欠如している.そこで,各学校は学習指. 振興に対する行政の在り方の追求を試みることである.. 導要領や各教育委員会の指導助言の方針などに基づき,教育課程を編 成することになる.そのため小学校体育では,教育委員会の指導助言. 3 研究の方法. の果たす役割は非常に大きいと言える。更に,学習指導要領総則には.  まず,「文部省年報」や「文部広報」等の政府刊行物及び,「体育. 「学校における体育の指導は学校の教育活動全体を通じて適切に行う. 史」や「明治以降教育制度発達史」或は「日本教科書体系近代編」等. ものとする」という定めがあり,教育課程の編成に際しては教育目標. の参考書類を基に,文部省の初等体育行政史を明らかにし考察を加え. の設定評価,授業時数決定,各教科等の年間指導計画や日課表の作成. た.. 及び体育等の全体計画作成が必要な事を考えると,教育委員会は,軽.  次1[ ,「教育委員会月報」や「文部時報」,「文部行政総覧」或は. 視されがちな体育の教育課程編成について,より有効な指導助言をし. 「文部省年報」や「初等教育資料」等の政府刊行物及び「日本教育年. なければならない.したがって体育の教育課程編成においては,他教. 鑑」や「現代日本教育制度史料」等の参考書類を基に,戦後から現在. 科以上に教育委員会が及ぼす行政作用は必要であると言える.教育課. までの文部省に於ける現代の初等体育行政の流れを明らかにし,考察. 程編成に対する指導助言という助成作用だけでなく,現実に教育委員. をおこなった.. 会は,児童の体育交流や教員の体育研修等の事業を行い,小学校体育.  そして,質問紙による調査や教育委員会に依頼して収集した学校体. を振興する施策を実施している事実がある.そして,都道府県教育委. 育行政施策資料及び,教育委員会発行の体育要覧や教育センター発行. 員会や大都市の教育委員会はその組織中に,学校体育を専管する部局. の体育研究紀要或は,教育行政や体育経営・管理に関する参考書類等. を有している.これらの事を考慮すれば,学校体育行政という行政部. を基に,現在の地方に於ける初等体育行政施策を明らかにし,考察を. 門が必要であり又,それが存在していると言える.この学校体育行政. 加えた.. が小学校へ及ぼす行政作用を明らかにし,それによって明確にならた.  最後に,明治以降の初等体育行政史及び,現在の初等体育行政施策. 事柄に考察を加えれば,現場の振興を図る手だてにアプローチできる. に内在している小学校体育振興を妨げている要因を導きだし,それぞ. と考えられる.. れの行政機関に於ける望ましい行政作用を考察した.. 2 研究の目的. 4 先行研究の動向.  教科書が発行されない状況を生み出した文部行政の小学校体育行政.  体育行政に関する研究には,学校体育行政と社会体育行政という2. 施策を歴史的に考察すると共に,現在に於ける行政施策の調査及び資. っの流れが考えられる.前者は,体育が学校教育活動全体を通じてお. 料の研究を通して,行政に内在する問題点を明らかにし,小学校体育. こなうものとされているたあに,教育課程行政の1分野を担うという. 一3一. 一4一.

(5) 他教科にない特殊性を有している事から生じる概念である.学校体育.  教育行政研究は教育行政学会という学術組織を有しており,独自の. 行政という教育行政分野が考えられるのに対して,表1−1に示した体. 専門研究領域を持っている.そして,そこでは表1−2に示したように,. 育行政研究の動向からは,学校体育行政に関する研究は殆ど行われて. 教育委員会の組織や施策及び教育課程や教育政策等の研究がなされて. いない.表に挙げた5論文とも社会体育行政に関するものであり,そ. いる.しかし,体育を対象にした研究は皆無である.表にも示した如. の内容は社会体育施設及び事業に対する補助金に関する考察や,教育. く,教育委員会の規模による行政組織及び施策の研究や調査はかなり. 委員会の規模や特定地域を対象にした実態調査による社会体育振興へ. 行われている.これらによれば,いずれも人口3万人以下の教育委員. の提言を行っている論文である.実態調査に関しては体育局が5年に. 会の行政機能の不十分さを指摘している.即ち,教育課程編成につい. 1回程度実施し,社会体育行政研究に対し基礎的資料を提供している.. ての指導では10万以上の都市は100%行っているのに対し,3万以下. 石橋9は「体育管理学研究の動向に関する研究」の中で,行政体に関. では14%に過ぎない.又,この教育課程に対する実:施報告は10万以上. する研究論文が3%を占めているに過ぎない事を報告している.実数. のところは100%求めているが,3万以下では29%が報告を求めてい. でいえば,30年間で僅かにユ8編の研究論文数であり,このうち5編が. るだけである.更に,教育課程の実際的指導は10万以上では72%が自. 学校体育行政に関するもので,その内容は指導要領や指導者養成制度. らの教育委員会で行うのに対し,3万以下では14%が行うのに止どま. であり学校体育政策を論じたものは1編だけである.この研究からも. り,1.5万以下では10%にも満たない.しかも3万以下の教育委員会. わかるように,学校体育行政研究は体育管理学分野に於いても,殆ど. は都道府県教育委員会の助成に頼る割合が約25%で,学校に任せきり. 研究されていないのである.体育雑誌記事から研究動向を考察した同. にしている比率は60%前後に昇っているのである.このような調査研. じ石橋10の研究も,同様の結果を示している.. 究は文部省に於いても毎年行われているが,体育行政にまで言及した.      表1一一1 過去10年間の体育行政研究の動向. ものは全く見当たらない.教育行政研究は体育行政研究と比較して学. 1)我が国スポーツに関する財政政策                中山 正吉  鳥取大紀要   15. 校教育に関する研究が多く,社会教育に対する研究は少ない状況であ.  (中山は体育学研究33 ・一 2に論文「スポーツと政治」を発表している). 2子 運     。                増田 靖博  体育科教育 32−3 3)地域スポーツクラブ育成事業に関する研究                阿保 雅行  東京外語大論集 31     (阿保のこの主題の研究は以後2編発表されている) 4)体育スポーツの普及振興に関する提言                蜂須賀弘久他 京都教育大紀要 60 蓉)福岡市におけるスポーツ施設の現状とその社会学的考察                三本松政敏  福岡教育大紀要 31. 一5一. る.教育行政と体育行政の発達に於ける歴史的な相違が表れているよ うに思える.社会教育を対象にした研究に於いても体育に関する事項 に触れている研究は見当たらないことからも,教育行政研究で特に体 育だけを取り出して研究の対象とする事は行われていないと思われる.. おそらく,教育行政には学校教育行政や社会教育行政及び,文化行政 や科学行政或は学術行政などの研究領域は存在しても,保健体育行政 或はスポーツ行政の研究領域は存在しないのであろう.. 一6一.

(6) 表1−2 教育行政研究の動向. 1)40年 市町村教育委員会の行政機能に関する研究. @               国立教育研究所紀要45 2)48年 市町村教育委員会の実態と問題点 @                千票差教育センター紀要104 3)49年 教育行政と学校における“地域”の位置と論理 @         神田  修  教育学研究41−2 4)52年 地方自治と教育行政一教育委員会一宇度を中心に @         森田 道雄  教育学研究44−4 5)52年 教育政策過程の分析一形成過程と決定過程について一. @         熊谷泰忠長崎大教育学部教育科学研究報告25 6)53年 教育課程の基準と教育行政 @         小松 郁夫  教育行政学会年報 4 7)55年 教育行政の広域化に する 証・研九 @         徳村 蒸   佐賀大教育学部研究費文集26 i徳村はこれに関する一連の研究論文を同論文集に発表している). 856  云  行   、設 ・ に  る 九 @         田代 直人  山口大教育論集 3 @(田代はこれに関する一連の研究論文を同論集に発表している) 9)56年 都道府県における教育指導行政の特色と課題 @         沢井昭男他  教育行政学会年報 7 10)56年 新学習指導要領に関する実証的研究. @         坂本 孝徳  教育行政学会年報 7 11)56年 学校教育目標に関する実証的研究. @         沢井 昭男  教育行政学会年報 7 12)57年 教職の質的向上と教育指導行政に関する研究1 @         沢井 昭男  山形大紀要(教育科学)8−1 13)58年 新色 要漬に・する  文員 の・・の 憲とその  1. @         岩下新太郎他 教育行政学会年報 9 14)58年 市町村教育委員会における教育行政の広域化. @         馬場 将光  教育行政学会年報 9 15)60年 地方教育行政に関する一考察一千葉県A市の調査報告一 @         浦野 東洋一 東京大学教  。  25 16)63年 地方教育行政調査結果の概要.  体育行政史研究は或は体育教科書研究は,体系的には行われていな いが体育史研究の中でいくらか見られる.しかし,表1−3に示すよう に,通史的に行われた研究や教科書行政に関する研究は全く行われて いない.殆どが,行政に関して多くは触れない体育史研究である..        表1−3体育行政史研究の動向 1)学校体育指導要綱に関する歴史的考察. @            坂入  明 東京家政大学研究紀要21 2)戦後学校体育における   活の経過 @             佐藤 良雄 体育の科学 30−9 3)わが国におけるスポーツ発展の社会的特性 @             団  琢磨 島根大教育学部紀要12 4)明治期における群馬県下 @      小学校屋外運動場設置状況に関する史的考察 @             福地 豊樹 群馬大教育学部紀要17 5)軽体操の近代日本体 屯田 課 への_入に関する 的研究 @             能勢 修一 体育学研究28−3 6)学校体育における遊戯の変遷 @             国枝タカコ 茨城大教育学部紀要30 7)明治期における体操教員資格制度の研究 @             中村 民雄 福島大教育学部論集34 8)陸軍現役将校配属制度の研究 @             遠藤 芳信 北海道教育大紀要35−2 9)体操伝習所卒業生原収造の岩手県における体育活動について @             大久保英哲 体育学研究32−1 10)国民教育制度成立期の学校体育 @             高津 勝了 体育学研究17−3 11)運動場定型の要因 @             谷釜 了正 体育学研究24−4 12)学校体育の史的研究 @             川島 虎雄 愛:媛大研究報告30 @(川島は同誌の研究を過去に約20編,同集に発表している). @         調査統計企画課  教育委員会月報 457号               一. iその他,文部省刊「教育委員会月報」に教育委員会の現状に関する @調査結果や活性化に関する論説が数多く掲載されている) 17)63年 教育委員会の活性化一市町村教育委員会を中心にして一 @         清水 俊彦   現代学校経営研究創刊号 一7一.            引用文献 1)学校体育必携第29号P.78埼玉県教育局  昭和63年度学校体育要覧P.188千葉県教育委員三 一8一.

(7)   文部省助成局調査によれば,昭和58年5月1日現在で全国の小学校   屋内運動場設置率は92Xに達している   文部省体育局調査によれば,昭和61年5月1日現在水泳プール設置   率は77%に達している 2)兵庫県立教育研修所研究紀要138 P.110 これによれば、県下の   595小学校で体力作りや体育を研究主題にする学校は,2っ以上の   主題を掲げる学校も含め127に上る   滋賀県総合教育センター紀要60−3「学校経営に関する研究」に   よれば,県下219小学校中,体育を研究主題にしている学校は12校. 第2:章. 第2次世界大戦前の初等体育行政 第1節 明治期の初等体育行政.  1 教育課程行政.   で全体の5%にあたり,国語は23%,社会と算数は7%,理科は体育と同   じ5%,道徳は11%である.  近代教育が始まった明治における,最初の法令は中小学規則である.. 3)教育委員会月報の毎年10月号に各都道府県の教員採用者選考試験   の状況が報告される 4)中学生が評価する小学校体育授業の現状 麻生和江他                東京体育学研究6号P.19   運動嫌いに関する研究 石橋保・佐久本稔                福岡教育大紀要5分冊23P.27   体育の得意な子と不得意な子に関する比較研究 嘉戸修                東京学芸大学紀要5部門33P.165   体育科教育の諸問題「体育嫌い」の背景から 嘉戸修                東京学芸大学紀要5部門28P.227 5)「運動ぎらい」の生成機序に関する事例研究 波多野義郎                体育学研究26−3P.177   「体育授業ぎらい」の生成に関する因果推論の試み 伊藤靖男                体育学研究27−3P.239 6)毎年10月10日に「体力・運動能力調査」の結果が新聞に公表されて   いる.58年朝日「ちょっぴり現代っ子にたくましさ」      59年朝日「10年前をやや上回り,体力伸びる」      61年神戸「低下していた体力運動能力は上向きに」      63年読売「体格は上昇運動能力は大幅ダウン」 7)昭和62年12.月24日教育課程審議会の答申「llの一教科書及び補助   教材」に記載されており,昭和63年度予算に道徳教育用教材(副読   本)に関する調査研究費が計上されている 8)教育委員会月報343号P.117 9)体育管理学研究の動向に関する研究   一体育管理学会・体育経営学会発表機関紙の内容分析からみた一一           石橋保 福岡教育大紀要第33号第5分冊P.47 10)体育管理学研究の動向に関する研究   一体育雑誌の内容分析からみた一           石橋保 福岡教育大針要説32号第5分冊P.97. ここでは,体育は普通学としては認められていなかった.つまり,教. 一9一. 育課程の中に存在していなかったのである.当時の小学は大学の予備 校的なものとして位置付けられ,国民一般を対象としたものではなかっ た.一方,地方では一般の子弟を教育するために小学校を設置する動 きもでてきた.特に京都府などで盛んであったが,教育課程の中に体 育は存在していなかった.勿論,音楽や美術などの芸術科目も設けら れておらず,内容は読,書,算が主となっていた.江戸時代の表面上 の平和が,武官優位のこれまでの社会を文官優位の社会に変えていっ た歴史の流れが,ここでも脈々と続いていたのであろう..  学制が発布されると,体育も音楽と共に小学校教育課程の中に初め. て位置付けられた.しかし,実際の教育課程を示す明治5年11月の小 学教則概表には,体育も音楽も記載されていなかった.翌年出された 改正小学教則の小学教則概表に,体育は体操として週の実施時間数や 指導の拠り所が欄外に記載された.学制は当時の国民一般の暮らしや 社会情勢からみて,非現実的な制度であった1とされているが,法令 として示された内容は当時の政治の考えかたを示唆するものとして重 要である.このように考えると当時の西洋列強のアジアをうかがう力. 一 10一.

(8) の強まりから,近代化を急ぐ必要があった我が国は,体育や芸術どこ. 図が全46書の中に記載されている.体操書は文部省が刊行したもので,. ろではなかったことが推測される.体育や芸術は近代教育の体裁を整. 全6巻よりなり段階的に運動教材を配した教師用教科書で進んだ内容. えるたあのもので,教育が身を身を立てる手段であるとした身固出書. のものであった.これらのことから,学制発布当時は教科書行政の中. の趣旨には該当しなかった.特に体育が国語系や自然科学系教科の学. で体育は特に置き去りにされていたということもなく,普通の扱いで. 力向上の補助的手段であったことは,学制が養生口授や生理の保健学. あった事がわかる.. 習を重視した教育課程にしていたことや,体操が知的学習の能率を上 げるために有効なものとした当時の修身教科書である文部省制定「小t.  学制が実状に合わない4ことから廃止されるに至り,明治ユ2年9月. 学生徒心得」や他の修身教科書2の記述からもわかる.各府県が小学. 教育令が出され教科が大幅に整理された.体育は音楽,図工,家庭と. 教則に準拠して制定した教則中3に,体操を教科目とした記録が残っ. 共に随意科目になった.翌年出された改正教育令も体育や芸術につい. ている(明治8年5月に改正された秋田県下等小学教則によれば,唱. ては同じ記述であった.この改正教育令23条は国が頒布する綱領に基. 歌や図工は教科目に入っていなかった).しかし,テスト科目には殆. づき,地方が教則を作成すると規定した.これによって,明治ユ1年5. ど加えられなかった4ようである.これらのことから,体操は教科目. 月に学制の小学教則が廃止されて以来途絶えていた教育課程の拠り所. にはなっていたにも拘わらず,実際には評価を要するほどの重要性は. である教則が制定されるようになった.これが明治14年5月に定めら. 認められず,その上,体操の内容については国や地方が制定した小学. れた小学校教則綱領である.この綱領は,先に出された教学聖旨の方. 教則には記載されていない実状であったことから,多くの体育史の文. 針に基づいている5とされている.即ち,修身が筆頭教科にされたこ. 献は体操授業の実施に関して否定的な記述をしている.. とや,西欧半文明開化主義的教育を否定し儒教的国粋主義的教育を推.  学制発布当時,教育課程行政の中心をなしていたのは教科書行政で. 進を意図したことに拠っている.しかし,これによって保健の流れを. ある.これに関してはどの教科の実状もよく似ており,特に体育だけ. 汲む体育が,武道(防衛や戦争遂行の目的で行われる体育)の流れを. が遅れていたのではなかった.多くの教科書が示されている明治6年. 汲む体育にとって変わることにはならなかった.武道が脚光を浴びる. 4月の文部省布達58号の小学用書目録には,体育の小学用書は記載さ. ようになるのはもっと先である.保健の流れが主であることは,明治. れていない.これは,他の教科に比べて体育関係の書物が少なかった. 14年6月に出された「小学校教員心得」からもわかる.この心得の3. たあ,担当者に見つけられなかったのであろう.同じ6年7月の文部. 点目と5回目で「身体教育は体操だけでなく校舎環境を良くし,健康. 省布達107号の小学教科書中翻刻を許可する書目の中に,体操図が記. を害するものを予防すること」「快活の気性は心身をのびのびさせる. 載されているのである.そして,明治7年10月の文部省布達25号の「小. ことより生まれるためこれは教授上大切である.教員は正しい日常生. 学教科書中翻刻を許可する書目」の中に体操書,血中体操法図,体操. 活をして運動をとり入れよ」としており,保健衛生思想を訴えている。. 一 11一. 一 12一.

(9) このことからも当時の体育の教育課程上の位置付けは,保健衛生のた. 用図書検定条例が定められるまでの間認可制が続いた.体操伝習所が. あの手段であったと思われる.体育は音楽,家庭と共に必修科目となっ. 設立された影響もあったのか,この頃教師用教科書や手引書はかなり. た.そして,画期的なことに25条において体育の指導内容が,遊戯,. 発行された.この当時の教師用教科書や手引き書としては,坪井玄道. 徒手運動,器械運動(神戸区教育沿革史によれば,明治17年当時の内. 外罰「戸外遊戯法」(18年),坪井玄道他著「小学普通体操法上・下」. 容は既に軽体操と隊列運動になっている)と規定された.しかし,27. (17年),小林二郎他異「小学体操書」(16年),リーランド著「新制体操. 条の教育課程編成の一例として挙げられた表には,体育の教授時間数. 法」「新撰体操書」(15年)などが挙げられる.すべては教師用であり,. は記載されず欄外に毎日20分間適宜課すと示されていた.このことか. 小学読本には見られるようになってきた児童用は皆無であった.. らも,当時の体育に対する考え方は学制時のそれと全く変わっていな かったと言ってよい..  明治19年4月に教育令が廃止され小学校令が公布された.学校令は,.  教授内容は体操伝習所が設立されたため今までより研究されるよう. 教育は身を立てる手段でなく国家のために行うもの6という考えのも. になり,又,ここで師範学校の体操教員が養成されるようになった.. とに作られている.このことは,これが改正を重ねるたびに,授業料. そのことにより,尋常小学校の体操科の内容に影響を与え始めたが,. 徴収原則の廃止や義務教育年限の延長を成し遂げていったことからも. 卒業生数は開設期間を通して160名余りであった.更に,伝習所卒業. わかる.小学校令の国家主義的教育は,体育の振興に大きな役割を果. 生から指導を受けることになる師範学校卒業生は,明治13年において. たした.体育は,保健の流れを汲むもののほか兵式体操を通しての訓. 1455人であり約9万人の小学校教員数に比べると極めて少なかった.. 育という新しい流れが加わり,後に改称された教練や武道と共に体育. したがって,教員養成の面から体育指導の充実を期待することは,数. の中核になっていくのである.小学校令では,体育は音楽や図工に比. 字の上からも難しかったと思われる.一方,教育令期の教科書行政は. べて重視され,一時期を除いては必修教科であった。しかし,教科書. 体育にとっては全くなかったも同然であった.思想的な意味もあり明. 行政面からみると他教科との差は歴然としてくる時期なのである.. 治13年3月文部省中に,編集局が置かれ教科書の編纂が開姶されたが,.  明治19年の小学校令施行規則に該当する「小学校ノ学科及其程度」. 体育の教科書は編纂されなかった.同じ年の6月掛地方学務局に取調. では,尋常小学校は体育必修(唱歌と合わせて週時数6時間),音楽. 掛を置き,教科書の良否を調査し妥当でない書目を各府県に示SUよ. 図工は随意,高等小学校は体育(唱歌と合わせて週時数5時閤)図工. うになった.そして,同じ8月には28種,9月には15種の教科書を妥. 必修,音楽は随意となり体育が重視されたことがわかる.修身の時間. 当でないとしたが1これらのリストの中に体育は一点もなかった.16. 数が減った分,体育音楽の時間数がふえ実践的な修身を目指したもの. 年7月に文部省は,各府県に対し教科書の採用をこれまでの文部省に. と思われる.内容も遊戯,軽体操,隊列運動と規定され,兵式体操が. 届け出る開申制から認可制にすると通知した.以後,19年5月に教科. 導入されている.京都府が定あた小学校の学科及び其程度実施方法に. 一13一. 一14一.

(10) 拠れば,国に準じて週5.5時間の体操を尋常科に課している.「小学. 欠くときは,他の教科を行うよう規定していたことからもわかる.教. 校ノ学科及其程度」が明治20年に改正され,隊列運動は兵式体操と改. 科書行政でも22年から29年の8年間で出版された教科書はなく,手引. 称されている.当時の文部大臣森有礼は,兵式体操によって国民に軍. き書も表2−1のように僅かに4冊であった.これは,師範学校教員を. 隊的気質を育成しようとし,国民精神作興の一貫として位置付けたと. 養成する高等師範学校の,体操専修科の廃止(23年∼28年まで)に因. 思われる.これが現場において森が意図していた通り実践されていた. る影響とも思われる.小学校令期における体育の不遇時期でもある.. ら,体育の小学校教育に於ける地位は大きく高まっていたに違いない.. 小学校令第12条を受けて24年11月「小学校教則大綱」が定められた.. 前述の如く,19年5月に教科用図書検定条例によって,教科書は各府. この大綱の第1条では,徳性の養成や知識技術の育成について触れら. 県が採用するか否かに拘わらず文部省の検定が受けられるようになっ. れているが体育に関しては全く触れられていない.しかし,大綱の第. た.ところが教科書発行数は増え始めたけれども体育は1冊も発行さ. 11条で他の教:科と同様体育の目標が記されている.体操科の教授内容. れなかった.一方,体育の手引き書は表2−1のように19年には10点が. は,新たに戸外運動と水泳が加わった.内容が豊富になったにも拘わ. 出版され明治5年以来の最多発行となった.. らず,続いて出された明治25年5月の文部省令7号「作文体操及裁縫.              表2−1. 科教科書裁定に関する件」で,これらは教師用教科書に限り採定して.    明治期に於ける体操指導書及び手引き書発行の推移. もよいとし,同年9月文部省告示9号も作文唱歌手工裁縫と共に体操. 明 治 5一一10 11−14 15’v 18 19 20  21 10 21 7  行数  5  2  15. 22 ’一v 28.  4. 29’一v 32. 33 Av 38. 39・v.  13.  51.  48. 備考 海後宗臣編「近代日本教科書体系」より筆者作成.  明治23年には小学校令が改正され,体育に関しては尋常小学校は随. 意(週時数3時間),高等小学校は必修(週時数男子3時問,女子2 時間)となった.この改正は,新しい地方制度制定に伴ってなされた もので,小学校教育の目標を初あて掲げた.しかし,新しい地方制度 に体育はなじまなつかたのか,この目標には体育に関する記述は見ら れない.体育が随意科目とされたのは,施設面の不備7もあろうがそ れが国民教育の基礎として認められなかったためであると言える.こ のことは当時の岩手県小学校教則の中で,尋常科は体操を必修とした が簡易科には設けなかったことや,秋田県小学校教則第24条が体操を. は,生徒用教科書を裁定せず教師用のみと規定した.しかし,体操教 科書の実状は,前述の如く教師用でも検定を受けたものはほとんどな く,体操関係図書は教科書でなく手引書参考書であった.いよいよ体. 育の児童用教科書発行は遠のいていくのであった.19年5月∼31年3 月の間に,唱歌の教科書は24点が検定を通っているのに対し,体操は. 唯一,29年8月に検定を通った「小学普通体操法」のみである.しか し発行が1点ということもあったのか,必ずしも地方の学校で教師用 教科書として使用されているという事ではなかった8.体育が軽視さ. れる当時の風潮に対して,明治27年9月井上文相は文部省訓令第6回 忌文部省22年報)の中で,小学校令第1条の「児童身体の発達に留意 して」を「児童の体育に留意して」と読み替えて,知育偏重を戒あ体. 操の衛生面と精神面への貢献を述べ,そして9項目にわたって体育の 一 15一. 一 16一.

(11) 奨励を訓示している.主なものを挙げると,「兵式体操も普通体操と. けで76冊にのぼった.ちなみに,この間,小学校教科書として検定を. 同様手足全身の運動を活発にして,死法に流れぬように」「高等小学. 受け認可されたのは910点に達していた.このうち体操科は2点(明. 校生徒には軍歌とともに兵式体操を行い.器械体操も採り入れよ」「小. 治34年10月の小学校用体操教科書,35年4月の小学校用体操教科書). 学校生徒は袖が筒状の衣服を着用せよ」「放課後は活発に大気中で運. である.しかし,僅かに出版された教師用教科書が地方の学校で必ず. 動せよ」などである.保健衛生面だけでなく,訓育面で貢献する体育. しも使用されているとは限らなかった9。36年4月からは主要教科の. を強調していると言える.. 教科用図書は国定化されているので,明治37年から40年にかけての4 年間では,認可点数は180と減少している.この中で,国定でない体.  明治33年小学校令が全面改定され教育課程の国定化が確立した.従. 操は僅か1点(37年8月の新撰小学校体操法)となっている.一方,. 来までは,国の綱領や大綱に基づき地方が教則を定めて,文部大臣の. 発行された手引書中に小学校用が何点含まれるかは不明であるが,ス. 許可を得るという形であった.これに対し,今回の改定により教授内. ウェーデン体操の影響,遊戯ダンスの書物の出版,「体操遊戯調査会」. 容や授業時間数まで定めた「小学校令施行規則」が出された.これに. の開催などもあって教師用手引書出版に関する限り活発であった.し. よって,尋常小学校も高等小学校も体育は必修となり,週時数は尋常. かし,他教科から比べれば上記の数値が示している通り検定教科書は. 科は4時間,高等科は3時間となった.この施行規則によれば体操は,. 極めて少ない.ちなみに,同時期(33年∼40年)の唱歌の教科書の出. 保健,四肢の運動機能発達,規則順守と協同の習慣育成をねらってい. 版数は21点であり,実業教科の教科書出版数は更に多数になついる.. る.尋常小学校では,図工音楽に関しては随意科目のままであった.. 表2−2の通り他教科と異なり,体操書は出版すれども検定受けずの状. しかし,小学校令第71条で施設が整わない尋常小学校に於いては,体. 態であった.. 操授業猶予の時限措置を講じており,施設設備行政の貧困さを露呈し た.教科書行政に関しては,明治36年4.月の小学校令施行規則改正第. 53条で,体操などの児童用教科書は採早しないとされた.38年4月文 部省令68号により,小学校教科用図書翻刻発行規則を改正した.その. 第1章第1条では,体操の教師用国定教科書に関する記述はなされな かった.これによって体育の児童用教科書は出版されないことが固定. 表2−2 明治19年∼明治36年夏検定期間)における検定教科書発行数 修身 読本 作文 習字 算術地理 歴史 1 61 427 25 215 児 176 192 0 8 14 171 10 44 119 142 不 93 109. 科 図画 唱歌 体操 家事 0 6 43 266 8 1. 30. 55. 考 児は児童用教科書,教は教師用教科書,不は教師児童用教科書    体操は国定になった36年以降に1点発行されているので,明治年    間に発行されたのはみんなで4点である(29,34,35,37の各年)          文部省刊「検定済教科用図書表」より筆者作成. 化されてしまったと同時に,国定教師用教科書も出版されないことに なった.しかし,この時期,体操が必修教科になったことも影響した. のか,手引書の出版数は33年から40年にかけての8年間で主なものだ. 一17一.  明治40年3月に小学校令が改正され尋常小学校の年限が延長された. 内容は,音楽(唱歌)が必修となり体育と同じ枠の教科として週時数. 一 18一.

(12) 4時間(高等科は体操だけで3時間)と示され,体育の授業時間数は.   2 事業行政. 概ね1時間減っている.就学年限の延長に伴い旧高等科1,2年は新尋.   学校教育を振興するための事業として,文部省が特に力を入れてい. 常科5,6年になり,兵式体操が尋常小学校第5,6学年に課された以外変.  た事柄は教員養成である.そこでまず,教員養成と言う面から明治期. 化はなかった.この時期,体育の教育内容に関して文部省と陸軍省と.  の体育を概観してゆく.教員養成に関しては東京師範学校及び体操伝. の間で体操に対する考えの対立があった.やがて,共同の調査会がも.  習所や高等師範学校の師範学校教員養成学校と,小学校教員養成を目. たれ学校体操整理統一案が出され,大正2年の制定の「学校体操教授.  的とする師範学校の,体育に関する教育課程や指導内容を明らかにし. 要目」になっていく.これを機に学校体操が森有礼の意図した方向へ. tていく.. 歩み出すのである.このことに関しては後の節で詳述する.教科書行.   明治5年4月文部省は学制発布に先立ち,「小学教師教指導場を建. 政では42年10月小学校教科用図書翻刻発行規則が改正され,第1条に.  立するの伺」を正院に提出し,その中で,師表学校(師範学校でなく. 6教科の翻刻発行が規定されたが体育はその中には入らなかった.体.  師表学校としている)の設立を急ぐように訴えている.この伺が認め. 育に教科書は要らないという事実が,このあたりで出来てきたようで.  られ5月置東京師範学校が設立された.当時の生徒募集に対する文部. もある.体操学習は知的な過程を経るのでなく,教師の説明を聞きな.  省の布達には,学問が立身出世のものであり才能技芸を成長させるも. がら教師の動作をまねるとされたのではないかと思われる.身体活動.  ので,よって小学を開き人を学に就かせるたあ小学の師範をする人を. は知的活動と殆ど関係がないという誤った考え方が社会の中に定着し.  養成するとしている.しかし,学制と同様体育に関する記述はない.. てしまったのも,体育に軍事的色彩が濃くなってきたこの時期であろ.  東京師範学校は東京高等師範学校の前身であり,教員養成学校の教員. うと推測される.そして,42年3月に小学校体操教科書が検定を通り.  を養成していたが,当時の教育界の混乱から教科書の編纂も手掛け,. 認可されたのを最後に体操の教科書は発行されなくなってしまった..  明治6年5月には,全国の小学教則の手本となった小学教則も作成し. 42年の教科書規則が出される以前から体操は方法論的にも行き詰まっ.  た.ここで作成された教則や教科書の申には,体育に関するものもあっ. て10おり,形式化された体操授業に児童用教科書を持たせて指導する.  た.これは,米国のスコットが母国の師範学校をモデルに日本の教員. ほどの科学性もなかったと思われる..  養成を指導したためで,文部省が体育に対する理解を持っていたとは  思われない.しかし,師範学校で実際に力を入れて教えられたのは正  科で英語,算術,余科で物理,化学,国語,漢文などの普通教科1で  あり,これらの普通教科に体育や音楽は入っていなかった.教授法も  師範学校教師が上等の生徒を教え,上等の生徒が下等の生徒を教える  形態がとられ,体育が指導される余地は殆どなかったようである.. 一19一. 一20一.

(13)  小学校の急増に伴って,明治6年8.月大阪と仙台に,翌7年2月に. なされたと思われる.明治17年の岩手師範学校の教員学科目分担表に. 名古屋,広島,長崎,新潟に官立の師範学校が設立された.ここでは. は,唱歌の担当者は記載されていたが,体操は記載されていなかった.. 東京師範学校と同様,各府県に開設されてきた教員養成機関の教員を. 体操は科学や学問,文化として教授するに足りないものとされていた. 育成11した.文部省の学監となったモルレーの進言によって,明治7. と推測される.そして,小学校では教員としての体育指導力は,不必. 年3月に女子師範学校を設置する布達が出され,お茶の水に東京女子. 要とされていたようである.秋田県で13年に制定された小学校教員学. 師範学校が設立された.設立当初のそこでの学科目に唱歌と共に体操. 力証明規則の検査科目に体操は入れられていない上に,15年制定の教. も設けられて.いた.その後,西南の役による財政難で東京以外の官立. 員免許状授与規則の検定項目の申にも体操は唱歌と共に加えられなかっ. 師範学校は県立に移管されて,教員養成は地方の手によって行われる. た.同様に,岩手県で13年に制定された公立小学校教員学業試験法は,. ようになり,政府は公立師範学校へ補助金を支出しその拡充を図るこ. 体操を試験科目としなかった(この試験に合格すれば訓導補に,師範. とになった.文部省年報によれば,明治9年には公立師範学校は104. 学校を卒業すれば訓導になれるシステムである).更に,15年の秋田. 校に達し,生徒数も8972人(卒業生は2313人)にのぼった.修業年限. 県師範学校教科用図書表の各科に,計134冊の教科書が記載されてい. は2年が多く教科は授業法のほかに読書,算術,習字などがあったが,. るが,体操教科書は1冊も含まれなかった.しかし,教員免許状授与. 後に,修身学や体操も教える12ようになった.ちなみに,明治11年7. 規則の試験科目に体操を加えるところ14もあり,又,明治16年7月の. 月制定の秋田県師範学校規則によれば,どの級にも体操が設けられて. 「府県立師範学校通則」で体操場の設置が義務づけられたり,体操伝. いる.しかし,他教科は学習内容が決まっているのに対し体操は決め. 習所卒業生の師範学校への派遣が奨励されたりしたことによって,各. ることができない状況であった.. 校である程度体操がなされていた13と考えられる.このような状況の.  教育令が出されると,師範学校に関する条文も整備され設置目的及. 中で,政府は明治18年11月「府県立学校の兵式体操及び軽体操の教員. び設置者或はその他詳細が定められた.そして,明治14年8月「師範. 養成に関する件」を出し,陸軍歩兵下士官を体操伝習所において体操. 学校教則大綱」を定めた.これによれば,従来の入学資格の品行端正. 教員として養成するようになった.. や体質強健を踏襲し,小学初等,中等,高等の各科の教員養成が目的.  明治11年9月文部省学務課に体操取調掛が設置され,初めての体育. であるとされ,師範学校教員養成の目的はなくなった.又,教授内容. 行政機関が設置され,次いで,師範学校とならんで我が国学校体育を. は各科のいずれも唱歌と共に体操が設けられ,申等以上には図画も設. 確立する中心になった体操伝習所が10月に設立された.1ユ年の歳出の. けられた.しかし,学科課程表に体操の文字はなく欄外に適宜課すと. 体操伝習所補助金額は約957円で,この額は東京大学医学部補助金の. された.これは中学校教則大綱も同じであり,当時体操は各教科時間. 約2割にあたる.以後,伝習所の補助金は増額されたが,先の医学部. の間の息抜き程度に保健上行うという,合理主義的な考えに基づいて. に対する割合は12年で約15% ,13年では約9%と低下してゆく.しか. 一21一. 一22一.

(14) し,知的教科を中心とする東京師範学校では発展を見なかった体操は,. 教科書として文部省体操伝習所編の「新制体操法」「新撰体操書」と. 学校音楽が音楽取調掛によって発展したのと同様,この体操伝習所に. 松石安治編「普通体操隊列運動法」)が掲げられている.又,検定制. よって進展を見た15.伝習所廃止までの6年間の卒業生は163名で,. 度になってから,検定を通って認可されたこの時期の体操教科書は3. 彼らが各府県の師範学校等で軽体操の普及にあたった.伝習所では,. 点(普通体操隊列運動法,兵式体操教範,兵式教練教科書)あり,い. リーランドの紹介した軽手具を用いる軽体操の指導書である「新撰体. ずれも兵式体操用のものであった.文部省13年報に「兵式体操は体力. 操書」や「新制体操法」を出版し,軽体操の普及に貢献した.又,教. 作りだけでなく,秩序を守り粋事に耐えうる習慣を養う体育中越も大. 員養成や出版のほか,文部省の命による調査報告も行っている.この. 切なものである.その教員養成は急務であり府県は体操伝習所出身者. 報告中に,小学校関係では隊列運動を課すとしたものがある.このこ. を採用して普及させるように.」との訓示を掲載している.そしてそ. とが明治19年5月の「小学校の学科及其程度」で取り上げられ,遊戯,. の年の5月に「兵式体操用銃器取り扱い事項jを各府県に送付してい. 軽体操,隊列運動が教授内容として示された.後の「小学校教則大綱」. る.文部省が,兵式体操を教員養成の大きな柱にしていたことがわか. では遊戯,普通体操,兵式体操と名称が変更されたが,その内容は変. る.師範学校で課されている体育の時間数は6時間であり(女子師範. わらなつかった.更に,伝習所では戸外遊戯の奨励に努め,体操奨励. 学校では体操のみで3時間である),科目中最多であることからもわ. 会から運動会を普及させた.そして,これが学校行事として全国的に. かるように教員養成に於いて体育は重視された.教育令期の合理主義. 広がっていった.19年4月に東京高等師範学校体操専修科が設置され,. による衛生重視の体育ではなく,諸学校令期の体育は,国家主義ある. 伝習所はその役割を終えた.. いは実用主義教科として大きな位置を占めた.しかし,それは体育の.  小学校令と共に師範学校令が19年4.月に公布され,小学校教員養成. 学問や科学及び文化を教授するものではなかった事は明らかであった. は尋常師範学校でなされることになった.この尋常師範学校では体育. ちなみにこの「学科及其程度」は何度か改定されたが,体育に関して. が非常に重要視され,順良・信愛・雲集の3気質養成のために兵式体. 大きな変化はなかった.. 操と行軍旅行及び兵営的寄宿舎生活による軍隊式教育16がなされ,い.  師範学校令で基礎が確立した師範教育は,明治30年10月の師範教育. わゆる師範型教師タイプの形成に体育は大きな役割を果たしたのであ. 令によって更に整備された.これによって尋常師範学校の名称はなく. る.同年5月の「尋常師範学校の学科及其程度」では体操は必修であ. なり,又,公費生だけでなく私費生入学も認められた.そして,明治. り,その内容も普通体操と兵式体操で後者には行軍演習や兵学大意も. 40年4月に師範学校規程の制定により,中学校,高等女学校の卒業者. 設けられていたが,体育の理論に関する指導内容はなかった.同年7. を受け入れる本科第二部が設置され,ここに師範学校は中学校等との. 月に出された師範学校の教科書として採用すべき図書の申に,陸軍省. 連絡を有するようになった.この規程によって本科第一部の男子体操. 編の「体操教範」「歩兵操典」「射的教程」「野外演習軌典」(他の. 週教授時数は第4学年を除いて5時間となり,従来の6時間から見れ. 一 23一. 一24一.

(15) ばやや後退となったが,中学校や高等女学校と比較して多い状況は変. この学区取締の事務取扱手続の内容にも,学校体育行政に関する事柄. わらなかった.これは規程中に定めているように,身体の各部を均整. は全くなかった.地方に於ける末端の教育行政吏員は,巡回訓導と呼. に発育させ強健にするという一般的目標以外に,小学校体操の教授に. ばれる教員を兼任する教員の指導監督者であり,彼らは各地に自然科. 必要な知識技能や教授法を会得し,協同や規律を守る習慣を養うといっ. 学教科の指導内容や一斉指導方式の近代的教授法の普及にあたったが,. た教師に不可欠な力を求めたからである.したがって,教授内容は男. 体育に関する指導を行ったという記録はないようである.学制発布当. 生徒は普通体操,遊戯,兵式体操及び教授法と定めている.この中で. 時,学校体育行政という概念は存在しなかったと考えられる.文部省. も兵式体操は,明治41年8月にこの時期としては唯一の検定を通った. 第4年報に,文部省大書記官西村茂樹,久鬼隆一が明治ユ0年に行った. 小学校兵式体操書が発行されており,力が入れられていたことがわか. 学事視察の報告書が収録されている.これによれば,教科や学校管理. る.43年の師範学校長会議では,’ 鮪梵キんに論議されていた撃剣を必. に関する事柄が主で体育に関する記述は,炎天下の体操を戒めたこと. 修にすることの可否を協議している.これらから,文部省は小学校体. が注目をひくくらいであった。更に,5年報に秋田県巡視報告が記載. 育の最重要課題の一つとして,教員養成を考えていたと思われる.. されているが,そこには理数系問答や習字書取及び算術や作文に関す る苦言が載せられているが,体操の記述はなされていなかったのであ.  次に文部省の学校体育に関する指導行政を概観していく.学制発布. る.. 後文部省は,9月に大・中・少督学を置き,更に翌6年8月大・中・.  学制が廃止され教育令が制定されたが,これは短期間の内に2度の. 少視学を設置し,学区巡視事務章程に従って大学区の学事査察に当た. 改正を行い,文部省内の機構も目まぐるしく改革された.学務局が置. らせた.学制発布に伴って設けられた教育行政部局である督学局も「職. かれたのはこの時期であり,明治13年には地方学務局となり教則掛や. 制及び事務章程」の中で,就学奨励と学制の普及をあげており,指導. 取調掛などを置き,教則綱領制定や教科書取り調べの権能を有した.. に関しては十分前なされていなかったようである.7年6月に「学区. しかし,体育に関する事柄はなく体育教科書の問題で取り調べがなさ. 監視条例」「督学巡回規則」「視学巡回規則」を定めたが,体育に関. れた記録もない.比較的視察内容が詳述されている14年の9年報にお. する記述はなかった.地方教育行政官庁である各府県には,8年4月. ける権大書記官及び,19年の14年報における視学官が行った巡視報告. に学務課が新設され,ここでは督学局と協議の上,学区の設定及び学. にも体操に関する記述はなされいない.中央行政がこのような状況の. 区取締の任命,就学督励などを行う機能が付されたが,学校衛生や学. 中で,この時期,地方の教育行政機関として活動したのは学務委員で. 校体育に関する事務や指導を行う機能は全くなかった.又,学務課の. あり,彼らは各府県の事務心得に従って,校則や教則を撰定する任に. 下に置かれた(実際は学区取締の設置の方が早かった)学区取締は,. 当たったが,主として就学奨励や金策に奔走したのが実状1?であった.. 就学督促や小学校設置,学費調達などの学事一切を担当した.しかし,. そこで,実際の教育指導行政に携わったのは巡回訓導であった.16年. 一25一. 一 26一.

(16) 8月(文部省布達第16号)には巡回訓導に代えて小学校教員の授業・. た.更に,第32年報(明治37年)によれば,小学校,中学校,女学校. 訓育等を監督する督業訓導(翌年小学督業と改称)を各府県に置いた.. に関して目的科目別に学事視察が行われたが,体育に関する視察はな. この設置のねらいは,主として教員の資質向上にあったが体育に関し. されなかった.. て指導を行ったと言う記録は見当たらない18..  明治ユ8年の内閣制度,翌19年の諸学校令や視学官設置を定めた文部.  教員講習会は,文部省で行われる以前に地方で規則21を決めて行う. 省官制,2ユ年の市町村制,23年の郡制府県制と地方学事通則という如. 所があった.秋田県22では21年3月号師範学校壁体操術促成伝習所設. く,第2次世界大戦までの教育行政の土台が作られた.これにより,. 置を決め,毎日2時間4ケ月間現職教育を行っている.27年頃から8. 教育の内的事項は文部省が,外的事項は地方が責任を負うとされ,そ. 月に師範学校・中学校教員を対象とした文部省主催講習会が行われ始. して,文部大臣→地方長官→郡視学(23年設置)→学務委員19という. め,明治28年に地方師範学校教員等の文部省主催講習会が開かれたこ. 教育行政系統が出来上がった.教育課程に関しても文部大臣の出す教. とが,23年報に記されている.そして,30年には小学校教員の参列も. 則大綱→地方長官の定める小学校教則→校長等が決める教授細目→教. 認め,翌31年度講習会には体操の講習も加わり,小学校教員のほかに. 員作成の教授週録という系統が完成した.特に33年の小学校令以後は,. 地方視学の参列も許可した.33年の講習会は会場として東京以外に京. 今まで地方長官の権限であった小学校教則の制定権も,文部大臣に移. 都も充てられ519名が参加した.主として師範学校,中学校及び高等. り教育の中央統制が確立し,制度上では全国一律の教育が行われるよ. 女学校の教員が対象であり,体育に関しては普通体操,生理,衛生が. うになった.おそらく,体育指導も系統的な指導行政によって,森文. 受講科目であり57名(全体の1割強)が講習(以下表1の通り)を受. 相の意図した修身実践教科としての気質を鍛練する,体操が推進され. けた.又,文部省年報によれば視学講習会が教員講習会と共に開催さ. ていったと思われる.24年の文部省第19年報では,「身体は,百事を. れているが,体育に関する講習は明治42年になって初めてなされた.. 為す根源であり,幼時は身体発育が旺盛の時…  小学校に於いては. 他の教科が38年から本格的になされているのに比べると,遅れていた. 殊に留意するように」と訓諭し,22年報の省務にも前述の井上文相の. ことは否めない.しかし,第37年報(明治42年)によれば,省務総説. 訓示が記載され,文部省が体育指導行政を推進しようとする姿勢がう. に,師範教育では修身に重きをおき体育を奨励する,と記載されてい. かがえる.各府県では,視学規程及び小学校無謬50条の規定によって. る事から,決して体育が軽視されていた訳ではない.表2−3の文部省. 視学が中央の意図する教育を推進する任に当たった.その中で学校衛. 主催講習会を見てもわかる通り,明治40年あたりは体育指導行政が活. 生に関する視察はあったが体育に関するものはなかった.32年6月「視. 発でなかった時期であると考えられる.これは37年3月体操遊戯調査. 学及び視学官特別任用令」20が出され地方視学制度が確立した.これ. 会が発足し,学校体操の今後の方針を探っていた頃であり,兵式体操. によれば,視察事項7項目中に学校衛生はあっても体育は含まれなかっ. や普通体操が惰性的になり方法的には変化に乏しかった23ためであろ. 一27一. 一 28一.

(17) う.ところが,明治末期の43,44年になると,大正時代の体育の興隆. 学校衛生主事1名の予算1800円が計上された.これと合わせて30年に. の前触れのように,体育に関する文部省主催講習会は活発になってく. 置かれた地方の地方視学と並んで,学校衛生行政の系統が出来上がっ. る.文部省年報によれば,43年師範学校等の教員93人が陸軍戸山学校. た.文部省年報によれば,明治40年前後は学校清潔法や消毒法及び伝. の兵式体操講習に参加している.この年の文部主催講習会の参加者は. 染病や結核予防に関する協議や研究が,衛生に関する会議でなされて. 1087人である.翌44年には撃剣及び柔術の講習会が5週閤開かれてい. いる.そして,学校衛生設備整備や体操運動遊戯にも努めるようにと. る.又,43年の師範学校長会議では,課外の運動や作業の種類並びに. の意見が出されている.この頃になって,ようやく学校衛生行政が確. 撃剣必修の可否に関して協議がなされている.このように学校令が制. 立し,体育に関する面で僅かな協畿も行われるようになった.しかし. 定された明治時代の後半は,体育行政の萌芽時期と考えてもよいと思. ながら,独立した学校体育行政の確立は,大正時代まで待たねばなら. われる.. ないのである..        表2−3文部省主催講習会参加人数 明9口. 全体 体育. 29 72 0. 30 31. 184325. 0 56. 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 519 678 687 717 602 435 552 687 774 552 402 32. o. 57. 39. 65. 57. 61. 0. 0. 0. 0. 0.  一方学校衛生指導行政に関する機関が設置されたのもこの時期であ. る.明治29年5月に「学校衛生顧問及学校衛生主事を置く」の件が出 され,翌年には,学校衛生顧問会議が開かれ身体検査規程に関する協 議がなされている.以後,同会議は学校衛生に関する様々な協議を行っ た.同年3月には21年10.月に出された「学生生徒の活力検査」に関す. る訓令を廃し,「学生生徒身体検査規程」を定め,33年3月改正し新 たに省令を公布している.そして,検査は翌34年から始められ現在に 至っている.31年には学校衛生取調費が経常費として3000円も予算化. され,33年には学校衛生顧問会議が開かれた.31年1月には学校医設 置が勅令として出され,4月より施行された.翌年には,官立学校の 学校医4753名分計59.435円の予算措置を講じている(公立学校に関し. ては設置者負担).33年4月には,大臣官房に学校衛生課が置かれ,. 一 29一.             引用文献 1)学制百年史文部省p.ユ46.   日本教育史名倉英三郎編八千代出版p.83 2)修身教科書に現れた保健体育思想の研究石橋武彦不昧堂p.65 3)神戸区教育沿革史神戸小学校開校30年祝典会編p.116p.172   岩手県近代教育史岩手県教育委員会編p.411p.424 p.481   秋田県教育気嚢一巻秋田県教育委員会p.372   京都小学30年史京都小学30年記念会下p.201p.222 4)神戸区教育沿革史神戸小学校開校30年祝典会編p.116p.172. 5)学制百年史文部省編p.164 6)日本教育史名倉英三郎編八千代出版p.108 7)体育史講義岸野雄三編大修館p.172   修身教科書に現れた保健体育思想の研究石橋武彦不昧堂p.74   秋田県教育史第一巻秋田県教育委員会編p.355 8)京都小学30年史京都小学30年記念長編p.428   秋田県教育史第一巻秋田県教育委員会編p.141 9)秋田県教育史学一巻秋田県教育委員会編p.141 ユ0)体育史概説水野忠文編体育の科学社p.258   学校体育制度発達史井上一男大修館p.66 11)学制百年史文部省編p.240 12)岩手県近代教育史第一巻岩手県教育委員会編p.535p.565   島根県近代教育史第一巻島根県教育委員会編p.208 13)岩手県近代教育史第一巻岩手県教育委員会編p.17ユ 14)岩手県近代教育面第一巻岩手県教育委員会編p.828 一30一.

参照

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