博 士 ( 医 学 ) 松 崎 広 和
学 位 論 文 題 名
幼若期ストレス負荷による
5 ― HTIA 受容体機能の変化に関する神経薬理学的研究 学位論文内容の要旨
【背 景 と 目 的】 ス トレ ス 応 答 に関 わ る 脳 内シス テムは、 生後、 発達の 過程で 形成さ れる。
幼児 期 に 受 けた ス ト レ スが 成 長 後 の情 動 ス トレス に対す る感受 性を亢 進させ 、抑う つ、不 安 あ る いはPTSDと い っ た スト レ ス 関 連精 神 疾 患 の誘 因 と な るこ と が 報 告さ れ て い る。 ま た 、 脳内 セ ロ ト ニン 神 経 系 はス ト レ ス 応答 機 構 におい て重要 な役割 を果た してい ると考 えられ て お り 、特 に5‑HTIA受 容体 が 不 安 など の 情 動 と関 連 性 が 深い と 考 え られ て い る 。実 験 的 に 幼 若期 の ス ト レス と し て 現在 広 く 用 いら れ て いるも のに母 子分離 ストレ スがあ る。こ の母子 分 離ス ト レ ス によ り 成 熟 後の 不 安 水 準が 変 化 するこ とが報 告され ている が、こ れらの 研究は 、 行 動 変容 に 関 連 する 脳 部 位 を特 定 す る ため に 、 オ ート ラ ジ オ グラ フ イ ー によ る5‑HTIA受 容 体 数 やin situハ イ ブ リ ダ イ ゼ ー シ ョ ン に よ る5‑HTIA受 容 体mRNAの 変 化 を 調 べ た も のが ほ と んど で あ り 、特 定 の 脳 部位 に お け る5‑HTIA受 容 体 の機 能 を 直 接調 べ た 研 究で は な い 。 当研 究 室 で も、 ラ ッ ト の幼 若 期 に 電撃 フ ッ トショ ック(foot shock: FS)を負 荷する と、成 熟 後 の 行動 応 答 に 変化 が 生 じ るこ と 、 そ の変 化 に は5‑HTIA受 容 体 が 関与 し て い る可 能 性 を 報 告し て き た 。以 上 の 背 景を 踏 ま え 、本 研 究 は、幼 若期の ストレ ス負荷 が、不 安との 関連性 が 強 い と考 え ら れ てい る 脳 内5‑HTIA受 容 体 の 機能 に 及 ば す影 響 を 追 究し た 。 @ 神経 細 胞 活 性 化の マ ー カ ーで あ るc‑Fosを 用 い た免 疫 組 織 化学 的 手 法 およ び 脳 内 微小透 析法を 用いて 、幼 若期 ス ト レ ス負 荷 が 注 意、 判 断 、 行動 な ど の統合 部位と して考 えられ ている 内側前 頭前野 の 5‑HTIA受 容体 機 能 に 及ば す 影 響 につ い て 検 討し た 。 ま た、5‑HTIA受 容体 の 特 異 的リ ガ ン ド で あ る[3H]WAY100635を 用 い た 受 容 体 結 合 実 験 、 定 量PCRに よ る5‑HTIA受 容 体mRNA測 定も 行 っ た 。◎ 幼 若 期 スト レ ス の 負荷 が 、 不安に おいて 重要な 脳部位 と考え られて いる背 側 海 馬 お よ び 扁 桃 体 の5ーHTIA受 容 体 機 能 に 及 ば す 影 響 に つ い て 、 文 脈 的 恐 怖 条 件 付 け (contextual fear conditioning: CFC)試験 におけ る5‑HTIA受容 体を介する抗不安作用を指標と して検討した。さらに5‑HTIA受容体結合実験および定量PCRを行った。
【 材 料 と 方 法 】 幼 若 期 ス ト レ ス 負 荷 と し て 生 後3週 齢(3wFS)のWistar系 雄 性 ラ ッ ト に 、 FS (0.5 mA、2秒 間 、30秒 毎 、5回 ) を 、 電 撃 シ ョ ッ ク 箱(FS‑box)を 用 い て5日 間 反 復 負 荷し た 。 対 照群 と し てFS‑boxに 入 れ る処 置 の み を負 荷 し たFS非 負 荷 ラット(non‑FS群) を用 いた。(D5‑HTIA受容体作動薬であるR一(+)‑8ーhydroxy‑2‑(di‑n‑propylamino) tetralin (8‑OH‑DPAT) を投 与 し 、 神経 細 胞 活 性化 の 指 標 とな るc−Fosの発 現を調 べた。 さらに、 内側前 頭前野 では
ー189−
シナプス 後部に存在する5‑HTIA受容体を介した縫線核へのフイードバック抑制系が存在す る こ と が 知ら れて いる の で、 内側 前頭 前野 で8‑OH‑DPATを 透析 液中 に入 れて 還流 する reverse dialysis法を行い、同時に同部位での5‑HT遊離量を測定することにより、内側前頭 前野での5ーHTIA受容体機能を評価し た。さらに、5‑HTIA受容体の特異的リガンドである [3H]WAY̲100635を 用い た受 容体 結合 実験 なら ぴに 定量PCRに よる5ーHTIA受容体mRNA測 定を行っ た。◎不安の評価系であるCFC試験を用いて、5‑HTIA受容体を介する抗不安作用 を 指標 とし て、不安との関連 性が強い脳部位と考えられている背側海馬および扁桃体 へ 8‑OHーDPATの局所投与を行い、これらの部位に対する幼若期ストレス負荷の影響を検討し た 。さ らに 、受 容 体結 合実 験な らび に定量PCRによる5‑HTIA受容体mRNA測定を行った 。
【 結 果 】(D3wFS群 ではnon‑FS群と 比較 して 、内 側前 頭前 野に おい て、8‑OH‑DPAT投与 により発現するc―Fos陽性細胞数が減少していた。測定を行った他の領域では、non‑FS群お よ ぴ3wFS群 とも に8‑OH‑DPATに よる 有意 なc‑Fos発 現増 加が 認め られ、両群問に差は な かった。 脳内微小透析法において、non‑FS群では8―OH‑DPAT還流により内側前頭前野の細 胞 外5‑HT濃 度はべースライン の約50%まで減少したのに対して、3wFS群では減少せず 、 non‑FS群 と有意差が認められた。一方、幼若期ストレス負荷は内側前頭前野の5ーHTIA受容 体 数お よびmRNA量 に影 響を 与え なか った。◎8‑OH‑DPATの全身投与により、non‑FS群 は 0.2 mg/kgの用量でfreezingが低下したが、3wFS群では同じ用量でfreezingは低下しなかっ た 。扁 桃体 ーの8−OH‑DPATの 局所投与によりnon‑FS群、3wFS群の両群ともfreezingは 低 下した。 一方、背側海馬への8ーOH‑DPATの局所投与によりnon‑FS群ではfreezingは低下し たが、3wFS群ではfreezingの低下は認められなかった。5‑HTIA受容体数は扁桃体では変化 し なか った が、背側海馬にお いてはnon‑FS群と比較して3wFS群で有意に低下していた 。 しかし、5―HTIA受容体mRNAの発現量 に関しては背側海馬、扁桃体ともにnon‑FS群と3wFS 群の間に 差は認められなかった。
【 考察 】03wFS群 は内 側前 頭前 野の5‑HTIA受容体機能が低下している可能性が示唆さ れ た。また 、今回測定した他の部位においては発現したc‑Fos陽性細胞数に変化が無かったこ とから、5ーHTIA受容体機能は、内側前頭前野において、部位特異的に変化していると考え られる。 また、脳内微小透析実験より、3wFS群は内側前頭前野のシナプス後部に存在する 5‑HTIA受 容体を介した5‑HTの遊離調節機構が減弱していることが明らかとなった。この調 節機構の減弱は幼若期ストレス負荷による行動異常と関係している可能性が考えられる。◎
幼若期ス トレスの負荷によって扁桃体では変化が認められないが、背側海馬では5‑HTIA受 容体機能カミ減弱することが示唆された。また、その機能減弱には5‑HTIA受容体数の減少が 関与して いることが示唆された。
【 結論 】幼 児期のストレスが 誘因となって発症する精神疾患としてうつ病やPTSDなど が あり、これらの疾患には前頭前野や海馬、扁桃体などが関与していると考えられている。本 研究は、 幼若期のストレス負荷により前頭前野や海馬の5‑HTIA受容体機能が低下すること を明らかとした。っまり、幼若期ストレス負荷はこれらの精神疾患の病因の一端を反映して いると考えることができる。したがって、本研究結果およびこれからの研究展開は、精神疾 患におけるストレス脆弱性の寄与を解明する糸口となり、新たな治療戦略、妥当性の高い薬
‑ 190 ‑
物療法の可能性や成熟後の精神疾患発症の予防のための有用な情報を提供するものと考え られる。
‑ 191―
学位論文審査の要旨 主査 教 授 本 間研一 副査 教 授 三 輪聡一 副査 教 授 小 山 司 副査 教 授 渡 辺雅彦 副査 教授 佐々木秀直
学 位 論 文 題 名
幼若期ストレス負荷による
5 ― HTIA 受容体機能の変化に関する神経薬理学的研究
ストレス応答に関 わる脳内システムは、生後、発達の過程で形成される。幼児期に受け た スト レス が成 長後 の情動スト レスに対する感受性を亢進させ、抑うつ、不安あるいは PTSDといったストレ ス関連精神疾患の誘因となることが報告されている。本研究は、幼若 期のストレス負荷が 、内側前頭前野の5‑HTIA受容体機能に及ばす影響について、免疫組織 化学的手法や脳内微 小透析法などを用いて検討したものである。その結果、幼若期ストレ ス負荷により5−HTの遊離調節機構が減弱していることが示され、これは内側前頭前野のポ ストシナプスに存在 する5‑HTIA受容体を介した反応であることが示唆された。また、幼若 期におけるストレス負荷が、海馬および扁桃体の5‑HTIA受容体機能に及ぼす影響について、
5‑HTIA受容体を介す る抗不安作用を指標として検討した研究では、幼若期のストレス負荷 によって扁桃体では5‑HTIA受容体機能に変化は認められないが、海馬では受容体機能が減 弱することが示され た。また、その機能減弱には5‑HTIA受容体数の減少が関与しているこ とが示唆された。
学 位 審 査 は 、 平 成22年3日 午後4時30分よ り、 医学 研究 科中 研究 棟3階 のセ ミナ ー室 において、5名の審査員(主査・本問研一教授)の出席のもと、非公開で行われた。まず、
申請者がスライドを 用いて学位論文の概要を30分にわたって説明した後に、審査員からの 個別の質問があり、 最後に総合討論が行われた。質疑時間は約40分であった。副査の渡辺 教授から、部位によ り幼若期のストレス負荷の影響が異なる理由にっいてどのように考え て いる か、 内側 前頭 前野の受容 体数やmRNA発現量に変化が認められないが、機能が変化 していることについ てどのように考えているかの質問があった。これらの質問に対し、申 請者は部位差は脳構 造の機能分化により生じたと考えられ、また受容体機能、特に細胞内 情報伝達系が関与し ている可能性があると述べた。また、副査の三輪教授から、免疫染色
‑ 192―
で用いた各 種マーカーの妥当性について、脳内微小透析法で得られた結果の解釈にプレシ ナプスの5‑HTIA受容体の存在を考慮に入れなくても良いのかの質問があった。これらの質 問に対し、 申請者は、マーカーとしては通常用いられているものを使用したこと、内側前 頭前野では プレシナプスに5‑HTIA受容体の存在は報告されていないと回答した。また、副 査の小山教 授から、幼若期ストレス負荷の摂食などに対する影響について、内側前頭前野 の機能変化 をc‑Fosの発現変化をもって言うことができるのかの質問があった。これらの質 問に対して 、申請者は、この研究では摂食量は測定していないが、体重変化は認められな かったこと 、またc‑Fosの発現変化のみでは機能変化は言えないと回答した。副査の佐々木 教授から、 内側前頭前野の機能低下は神経細胞が減少したことによるものか、臨床で見ら れるような 海馬の萎縮などの形態変化が起きているかとの質問があった。これらの質問に 対し、申請 者は神経細胞の数は減少していないと回答した。主査の本間教授から、内側前 頭前野の5‑HTのネガティブフイードバック機構の脆弱性と不安との関連について、またこ れからの研 究の方向性についての質問がなされた。これらの質問に対し、申請者はセロト ニ ンに 不活化を 抑えるSSRIが抗不安作用をもっことをあげて、その関連 性を説明した。
本学位論 文は、幼若期ストレス負荷と情動に関与する前頭前野、海馬、扁桃体における 5‑HTIA受容 体の機能を明らかにしたものであり、この研究は幼児期に受けたストレスに起 因 す る 精 神 疾 患 の 治 療 や 予 防 の た め の 基 礎 的 研 究 と な る こ と が 期 待 さ れ る 。 審査員一 同は、これらの成果を評価し、大学院課程における研鑽や取得単位なども併せ 申 請 者 が 博 士 ( 医 学 ) の 学 位 を 受 け る の に 充 分 な 資 格 を 有 す る も の と 判 定 し た 。
ー 193―