ケルト社会の地域性とアイデンティティとしての信 仰 : 紀元前3世紀以降のウィンデリキアを例に
著者 九鬼 由紀
URL http://hdl.handle.net/10236/00029077
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論 文 内 容 の 要 旨
「ケルト人」とは古代ローマ人から見てエトルリア人よりもさらに北方に住む「蛮族」の呼称であったが,
より一般的には紀元前にイベリア半島からガリアをへて,アルプス以北のヨーロッパ全域に広く分布した 人々とされる。彼らはさらに海を越えてブリテン諸島に渡る一方,ヘレニズム時代にはバルカン半島から小 アジアを席巻して,ギリシア人から「ガラタイ」とも呼ばれた。今日の「ケルト」は,ゲルマン人移動前の ヨーロッパ先住民を包括する民族概念として使われている。
九鬼由紀氏は,以上のようなケルト概念はたぶんに近代ヨーロッパ人によって創出された性質が強いと主 張する。本論文の序章および補論「「ケルト」とは何か」では,これまで十分な資料根拠を欠いたまま,言 語や文化を中心にヨーロッパ先住民としてのアイデンティティが「ケルト」に付与されてきた経緯が明らか となる。九鬼氏は,内実をあいまいにしたまま「ケルト」概念を「汎ヨーロッパ的」に普遍化するのではな く,むしろ「地域性」に配慮した具体的な検証をふまえての「ケルト」像の再構築が必要だとする。
博士請求論文「ケルト社会の地域性とアイデンティティとしての信仰」は,序章において以上のような課 題を設定した上で,第1部「ケルト社会の地域性」に3つの章,続く第2部「ウィンデリキアの信仰の諸相」
に4つの章を配して,補論と終章を加えて新たな「ケルト」像の提示に向けた議論を展開する。
第1部「「ケルト」の地域性」は,本論文が取り上げる紀元前3世紀以降の時代背景を確認した上で,「ケ ルト」と定義づけられるヨーロッパ各地域の様相を概括する。第1章「「ケルト」社会の同質性」では,当 該時期に各地で生じた人々の居住上の大きな変化,すなわち独自の都市形態「オッピドゥム」の出現とそれ にともなう社会・文化上の変容に注目する。第2章「「ケルト」の姿」では、広く「ケルト」とされる各地 域について,歴史学・言語学・考古学の3つの視点から共通する特徴の有無を確認するとともに,歴史学に おける「ケルト」研究の中心のひとつであるガリアの社会と信仰について概観する。さらに第3章「ケルト 社会の地域性」では,本論文がおもに取り扱う南ドイツ,古代ローマ人が「ウィンデリキア」と呼んだ地域 について,研究史を振り返りながら先行する時代からの流れをおさえ,第2部での具体的な考察への方向づ けがなされる。
論文後半の第2部では,現在のドイツのバイエルン州を中心とする「ウィンデリキア」地域における「ケ ルト」社会の姿とその住民たち信仰について,考古学資料を加味して具体的考察が展開される。
第1章「ウィンデリキアとその周辺の「都市」における信仰の機能―マンヒングの事例を中心に―」では,
氏 名
学 位 の 専 攻 分 野 の 名 称 学 位 記 番 号 学位授与の要件 学位授与年月日 学 位 論 文 題 目
論 文 審 査 委 員 (主査)
(副査)
九 鬼 由 紀
ケルト社会の地域性とアイデンティティとしての信仰 ―紀元前3世紀以降のウィンデリキアを例に―
博 士(歴史学)
甲文第195号(文部科学省への報告番号甲第708号)
学位規則第4条第1項該当 2020年2月28日
中 谷 功 治 藤 井 崇
教 授 教 授
福 永 伸 哉
(大阪大学大学院文学研究科教授)- 2 -
この地域においてもっとも資料が豊富であるマンヒングのオッピドゥムを中心に他の2か所の事例を加えて,
囲壁のなかでの宗教的活動の痕跡とそれらが共同体において占めた位置を探る。つづく第2章「「都市」の 外側と共同体―方形土塁 Viereckschanzen は何を意味するか―」では,オッピドゥムの外部に視点を移して,
ドイツ南部や南西部に点在する「方形土塁」と呼ばれる遺構の役割について考察する。1950年代以降の発掘 事例を中心に分析をおこない,「聖域」と呼ばれる構造物の活用実態について可能なかぎりの批判的検証が なされる。第3章「モノから見る信仰のかたち―植物・動物・ヒトをかたどって―」は,オッピドゥムや方 形土塁から出土した遺物の装飾意匠を手がかりに,人々の信仰の表現方法について考察を加える。本章の4 つの節では「植物」「動物」「ヒト」の装飾がほどこされた遺物を分析し,そこに込められた思いや表現の解 釈をおこなう。最後に第4章「ケルト社会における貨幣の機能―貨幣の図像モチーフを手掛かりに―」では,
貨幣に刻まれたモチーフを分析することで,外部世界から新しくもたらされた貨幣という要素が,ウィンデ リキアの人々の信仰にどのような影響をおよぼしたのかを考察する。
以上の議論からは,ブリテン諸島やガリア地域と一定の共通性を有しつつも,独自の地域的な特質をもっ て展開されたウィンデリキアの「ケルト人」たちの生活と信仰世界が明らかとなる。ここに,問題提起され た「ケルト」概念の再検討に向けたこの国おける研究の第一歩がしるされる。
論 文 審 査 結 果 の 要 旨
題目に「ケルト」という語を冠した日本語の博士論文は,20世紀末以降わずかに3篇を数えるのみである。
古代のケルトを扱ったものは1篇しかない。1971年に日本ケルト学会が創設されて約半世紀,発表された論 文は言語や文学に関するものが大半を占めている。このような研究状況のなか,ケルト概念の曖昧さをふま えて,おもに考古学的なデータを頼りに地域ごとの特徴の剔出をめざしたのが本論文である。対象となる地 域として,従来のケルト像形成の中心をなすガリア地域やブリテン諸島ではなく,南ドイツの古代名ウィン デリキアが選ばれた点も,日本でのケルト研究としてその斬新さが高く評価できる。
筆者の九鬼由紀氏は,博士論文の序章と補論においてこれまでのケルト研究の状況と課題を明確にしたう えで,第1部の3つの章で,ケルト世界の地域性を明確にするため,ハルシュタット期に続くラ・テーヌ 期の最後に出現したオッピドゥムと呼ばれる独自の都市形態に着目する。対象地域となるウィンデリキアは,
記述史料での言及は少ないものの,比較的多く残された考古学資料が手がかりとなる。東方への拡張期を 終えた紀元前225年以後のウィンデリキアにおいて,人々がローマやゲルマン人などの外部からの圧力を受 けつつ,どのような社会を築いたのか,考古資料を加味しつつ彼らの精神世界の地域的特性を見出す試みは,
研究史の流れに即した妥当な手法だといえる。
本格的な考察が展開される第2部では,発掘による遺構,出土した遺物やその出土状況,さらに遺物にほ どこされたモチーフを手がかりに,「ケルト人」たちがそれらに込めたであろう観念が読み解かれていく。
第1章では,マンヒングの墓の副葬品を近隣地域の墓からのデータと比較検討し,埋葬方式の土葬から火 葬への変化にともない,人々の信仰のありかたが神々や祖先への崇拝から自分たちの生活に根ざした領域へ と重点を移した,との仮説を導く。オッピドゥム外に広く点在する方形土塁を扱う第2章では,従来の「聖域」
説や「饗宴」説をふまえつつも,それらの用途の多様性,つまり信仰生活と世俗生活とが混淆していた点が 強調される。この信仰と世俗性の並存という視点は,第1章での仮説と合わせて一定の説得力をえて,第3 章での具体的な遺物の分析へと継承される。そこでは,地中海世界からの影響を受けた「崇拝の木」を手は じめに,山羊・鹿・馬の頭などのモチーフをもつ遺物を分析し,それらの用途の多様性と形態の類似性,精 神世界との関連性が指摘される。考察はさらに,おもりの単位である分銅や貨幣の表面に描かれる図像(神 や人物・太陽・鳥など)へと広げられ,背景にある神や自然への信仰心が確認される。
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本論文全体をとおして,大胆な主張を抑えた慎重な考察・解釈の態度は好感がもてるものの,実証レベル においてウィンデリキアに住んだ人々の精神世界の特徴が十分な説得力をもって提示できたかどうかは,評 価の分かれるところである。というのも,貨幣のような外界から伝来物を自分たちのものとするなかで,人々 の信仰心がどのように維持され,または変容したのか,大胆に仮説を展開できた可能性が残るからである。
また先行するハルシュタット期とのつながりを主張するのであれば,遺跡の位置関係などから人々の移動や 文化の継承の視点から人々の生活や精神世界にアプローチする方法があったはずである。
けれども,以上の批判は本論文が扱うことのできた資料点数がかならずしも潤沢でなかったこととも関係 しており,今後の課題とするのが適切である。九鬼氏も認めているように,本論は「地域的なケルト」の姿 を明らかにするための端緒となることをめざしており,この点において九鬼氏が導いた結論は十分にその役 割を果たしていることは明らかである。
以上,本論文審査委員一同は,2020年2月14日に実施された公開発表会と口頭試問による結果もふまえて,
九鬼由紀氏の論文「ケルト社会の地域性とアイデンティティとしての信仰―紀元前3世紀以降のウィンデリ キアを例に―」が「博士(歴史学)」の学位を授与するに値するとの結論に達したのでここに報告いたします。