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― 幕末・明治初期におけるデスは女性語か

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Academic year: 2022

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1.はじめに

デスを用いる文体は女性を指標する―少なくとも20世紀のある時期にはそう 説明できる感覚が共有されていた。例えば次のような記事がある。

読売新聞社にくる投稿には「です調」と「である調」の両方がありますが「で ある調」のほうが多く、全体の三分の二前後です。「です調」は、やはり婦人 の投稿に多いようです。(読売新聞1965、下線引用者)

わたしは、このシリーズをデス・マス体で書きました。〔中略〕今のところこ の文体は婦人・子ども向けという印象が強いようですが、新聞の婦人欄も主流 はデス・マス体ではありません。(野元1980、下線引用者)

いずれも『読売新聞』の記事である。1つ目は読者からの投稿の文体に関する質 問に対して編集部が答えたもの、2つ目は野元菊雄の連載「日本語」の最終回で、

デス・マス体を用いた理由を野元自身が述べた文章である。いずれからもデスを 用いる文体が「婦人」のものだという認識が当時共有されていたことがうかがわ れる。

井出(1979)は、1977年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した木村治美『黄 昏のロンドンから』が「女性の文章」と好意的に受け止められた理由についての エッセイである。多用される「のです」について、「のだ」「のである」と印象を 比べつつ「のです」は「女性は当たりがやわらかく、相手とぶつからぬよう、気 を配ることが期待されている世の中の一般風潮にマッチする表現である」(井出

1979:73)とする。比較的近年の指摘としては、2006年の新聞投書においては女

性による投書の方が男性のものに比べてデス・マス体を多用しているという島崎

(2007)がある。

幕末・明治初期におけるデスは女性語か

深 澤   愛

研究ノート

(2)

こうした感覚はどのようにして形成され共有されていったのか。筆者の関心はデ ス体の持つ指標性の形成や普及の過程にある。本稿は、その前段階としてデス体の 指標性の形成過程に関する先行研究について検討を加えたい。後述するように先行 研究自体が少ないのだが、それらが立脚している調査結果の解釈には慎重を期する 必要があるように思われる。

結論を先取りして言うならば、文体の一種であるデス体が女性を指標するに至っ た理由に口語のデスが女性語であったことを挙げるのはいささか無理がある。本稿 ではこの点について、デス体の指標性の形成過程に関する先行研究が参照する人情 本の調査結果についての簡単な検証を行いたい。

なお、本稿では「デス体」という場合には書き言葉における文体の一種を指す。

2.デス体の指標性の形成過程に関する先行研究

1に挙げたようなデス体の指標性の形成過程については、日本語史研究ではほと んど問題にされてきていないと思われる。管見のかぎりでは、田中(2001)と川口

(2010)とがこの点について直接的に論じている数少ない先行研究である。

明治期のデアル体、デアリマス体、デス体について論じる田中(2001)は、1980 年代ごろのことと思われる1文体イメージの観察を織り交ぜつつ、デス体について 次のように述べる。

デス体が、一般社会の文体として勢力を得てくるのは、やはり、芥川龍之介が

「杜子春」をデス体で書きあげた、大正期にはいってからである。しかし、デ ス体の文章は、書簡体は別として、すくなくとも、太平洋戦争までは、子ども 向きないしは、女性向きの文体であった。これは、デス体が長く学校教育を中 心に育てられてきたことや、デスそのものの生い立ちが女性ことばと深い関係 をもっていたことによる。(田中2001:752)

デス体が「女性向き」の文体だという指摘とともに、その理由を口語デスの語史 に求めている。デスの「生い立ちが女性ことばと深い関係」にあるという指摘につ いては後述する。

(3)

第一期国定国語教科書と『少年世界』『少女世界』への投稿作文との文体を調査 した川口(2010)は、『少女世界』の投稿作文2の8割は敬体で、中でもデスを用 いるものが圧倒的に多いという。そして「口語文で綴ることを求められた少女た ちの大半が選択したのは、「常体」ではなく「敬体」であり、その中でも、最も敬 意の程度の低く、「女性語としての色彩がきわめて強かった」(田中1991:112)

「デス」であったのは、必然」(川口2010:39)だったと田中の論を引きながら述 べる3

これらの研究においては口語のデスが女性と結びつく形式であったことがデス体 の指標性形成の要因とされている。そして、田中が口語におけるデスを女性と結び つける根拠は、松村(1990)による人情本の調査結果である。

明治初年の洋学会話書類を分析した松村(1990)は、分析のための比較対象とし て幕末から明治初期の人情本の会話文について調査を行っている。対象としている のは山々亭有人の『春色玉襷』(1856・7頃成立)、『春色恋廼染分解』(1860-1865 刊 )、『 毬 唄 三 人 娘 』(1865刊 )、『 春 色 江 戸 紫 』(1864-1868刊 )、『 花 暦 封 じ 文 』

(1866-刊)の5作品である。

松村は、会話文におけるデスの全用例316例のうち女性登場人物の使用例が287 例、男性登場人物の使用例が29例であることを示して次のように述べている。

それにしても、有人関係の人情本に見られる「です」は、男女による使われ方 の差違はほとんど見られないとはいうものの、その使用されている量について は、女性によるものが圧倒的に多く、男性によって使われているものはその一 割程度に過ぎないということははっきりしているのである。そして、こういう 点が、明治初年における洋学会話書類における「です」の使われ方とは大きく 異なっているのである。(松村1990:406)

田中(2001)はこの結果をもとに「明治のはじめごろは、「デス」は女性語として の色彩がきわめて強かったものとみられる」(田中2001:771)など幕末・明治初 期における口語のデスを女性語ととらえるのである。

しかし、松村と同じ人情本をより詳しく調査した長崎(2000)(2012)の結果と

(4)

照らし合わせると、口語におけるデスを女性語とするのは難しいように思われる。

3.口語のデスは女性語か―長崎(2012)の調査結果を用いた松村

(1990)の検討―

長崎(2000)は、江戸末期の人情本の会話文におけるデスの使用者および使用す る文脈についての詳しい調査を踏まえ、従来大きな隔たりを持つと考えられてきた 文化文政期までのデスと幕末のデスとには連続性があることを説いた論考である。

長崎(2000)の考察は、江戸語から東京語にかけての断定表現を通時的に論じた長 崎(2012)にほぼそのまま引き継がれているため4、以下では長崎(2012)を用い て検討する。

長崎(2012)で調査対象とされた人情本には松村(1990)と同じ山々亭有人の5 作品が含まれている。長崎は作品ごとのデスの用例数を登場人物、生業、性別、聞 き手別に表に示し、デスの使用場面の分析とともに有人の人情本におけるデスの使 用を観察している。登場人物の中では「他国出身者を除くほか、芸人や芸者、遊 女、その他幇間や箱廻しなど、狭斜で働く人物以外と規定」(長崎2012:222)す る「江戸の一般民」におけるデスの使用状況が観察の中心であり、まとめとして次 のように述べている。

用例数から見ると、江戸の一般民の使用は、時代が下るにつれ、多くなってき たといえる。但し、その用例の数量を全体から割り出すと、317例中40例、

全体の12.6%であり、他は花魁、女郎、芸者や芸人、太鼓持ちなど遊郭関係の

職業の人物、あるいは他国出身者の使用が占めており、江戸の一般民の日常語 というには低い値を示している。(長崎2012:232-233)

この指摘から、デスの使用者層に偏りがあることは明らかである。そこで本稿で は、松村(1990)が対象とした山々亭有人の5作品におけるデスの使用者数と用例 数について、長崎(2012)の調査結果を再集計した5

具体的には、『春色恋廼染分解』の用例を集計した「表1」(長崎2012:222)、

『春色江戸紫』の「表2」(長崎2012:225)、『毬唄三人娘』の「表3」(長崎2012:

(5)

228)、『花暦封じ文』の「表4」(長崎2012:229)、『春色玉襷』の「表5」(長崎 2012:231)に示されている用例数およびデスを用いる登場人物の人数を、それぞ れ「江戸の一般民」と「それ以外」とに分けて合計数を出した。

「江戸の一般民」は、先に引用した長崎(2012:222)に規定されているとおりで ある。つまり、本稿で「それ以外」とするものには「他国出身者」と「狭斜で働く 人物」とが含まれる。それぞれ、表に挙げられた人物名がいずれに該当するか長崎

(2012)の記述から判断した結果を次に示す。

『春色恋廼染分解』(長崎2012:表1)

「江戸の一般民」:[男]伊達屋與四郎、花沢屋彦三 [女]お重〔のちに花魁 の「重の井」〕、お政

それ以外:[男]福次郎、三千尾太夫、源七、佐助、男 [女]小萬、小金、

お夏、重の井〔花魁となる前は「お重」〕、手琴、賤の戸、おたか

『春色江戸紫』(長崎2012:表2)

「江戸の一般民」:[男]松坂屋惣次郎 [女]お組、お花、お咲、智清 それ以外:[男]柳亭左楽、(金太郎) [女]お楽、お幸、小照

『毬唄三人娘』4編、5編(長崎2012:表3)

「江戸の一般民」:[男]該当者なし [女]お富、お絹

それ以外:[男]尾上浮之助、(黒山伴六) [女]お民、女郎、賤機

『花暦封じ文』全4編(長崎2012:表4)

「江戸の一般民」:[男]該当者なし [女]お七

それ以外:[男]清助 [女]七吉、お鶴、 七綾〔女郎となる前は「お綾」〕、

大淀、綾浪、玉琴、母

『春色玉襷』全3編(長崎2012:表5)

「江戸の一般民」:[男]三十郎、駒三郎 [女]お清、お絹、お時、▲〔梶原 家の女中〕

それ以外:[男]該当者なし [女]白綾、三代春、綾浪、お幸

『春色恋廼染分解』における「お重」と「重の井」は同一人物である。お重のデ

(6)

ス使用例は1例あるが、それは重の井となったお重が夢の中で夫と再会した場面に 見られるもので、長崎は「江戸の一般民の用例とはいえないだろう」と指摘してい

る(長崎2012:223)。本稿ではお重と重の井をそれぞれ別に扱い、お重およびお

重のデス使用例1例はひとまず「江戸の一般民」に入れるが、限りなく「それ以 外」に近いものと考えられる。また、『花暦封じ文』における「お綾」と「七綾」

も同一人物であるが、お綾はデスを用いず女郎の七綾となってからデスを用いると いう。そこで上記の一覧および後に示す表には七綾のみを対象とした。また、「そ れ以外」のうち( )に入れた人物、すなわち『春色江戸紫』の「金太郎」と『毬 唄三人娘』の「黒山伴六」は「他国出身者」に当たる。この2名以外は全て「狭斜 で働く人物」と判断される。

以上をもとに集計した結果は次の表のとおりである6

表:山々亭有人 5 作品におけるデスの使用者数と用例数(長崎(2012)より再集計)

江戸の一般民 それ以外 江戸の一般民 それ以外

デス使用者数 13 24 5 10(2)

デス用例数 32 255 8 22(3)

※( )は他国出身者の内数   

表を一見して分かるとおり、デスの使用例は「女:それ以外」に255例と集中して いる。使用者数も「女:それ以外」が24人と最も多いが、使用者数の差を加味し ても用例の集中は際立っている。「江戸の一般民」においては「それ以外」に比べ て男女の数値上の差はあまりない。先にも述べたように、「江戸の一般民」以外で デスを使う登場人物のほとんどは「狭斜で働く人物」にあたる。そして、お綾(七 綾)のように、「江戸の一般民」から女郎となってのちにデスを使い始める女性登 場人物もいる。以上を鑑みるに、この5作品においては登場人物の性別よりも生業 の方がデス使用の重要な要素になっていると考えられる7

このように見てみると、松村(1990)の「女性によるものが圧倒的に多」いとい う指摘は、登場人物の人数や生業、調査対象とした人情本の偏りがそう感じさせた もののように思われる。有人作品における使用状況を、デスを女性語とする根拠と

(7)

するのはいささか困難である。

4.おわりに

周知のように明治期の東京語では急速にデスが普及する。デスの普及とそれに対 する当時の言説については山本(1972)が諸資料を引いて明らかにしている。山本

(1972)には『口語法別記』(1917(大正6)年)に記されたデスの語史とその普及 についての大槻文彦による説明を始めとして、明治30年代のものを中心にさまざ まな言説が引用・検討されているが、それらを見る限り当時のデスを女性のことば とするものは見当たらない。

この点についてはさらなる検討が必要ではあるが、仮に幕末・明治初期における デスが女性語と認識されていたとしても、デスが普及した明治30年代ごろにまで その認識が引き継がれていたとは言い難い。田中(2001)や川口(2010)がデス体 の普及時期と想定するのは明治期末や大正期のことである。口語におけるデスが女 性語であるという指摘は、仮にそれが事実だったとしても、やはりデス体の指標性 の形成過程に関連付けるのが難しい。

両論考は、デス体の指標性の形成過程に言及する数少ない先行研究として学ぶと ころも多い。しかし、デス体が女性を指標するに至った根拠として幕末・明治初期 の口語デスにおける女性性をあげることには無理があるように思われる。

参考文献

井出祥子(1979)「書きことばの中の「女らしさ」」『女のことば 男のことば』日本経済通 信社、65-75

川口良(2010)「書き言葉の文体確立過程における「性差」について―『少年世界』と『少 女世界』のデアルとデスを中心に―」『世界をつなぐことば』三元社、31-46

島崎洵子(2007)「新聞投書の文体分析―性差を中心に―」『武庫川女子大学言語文化研 究所年報』19、5-35

田中章夫(2001)『近代日本語の文法と表現』明治書院(特に「第九章 近代の文体」)

長崎靖子(2000)「江戸後期口語資料に見る「です」の意味―その使い手と語感を通して

―」『日本女子大学大学院文学研究科紀要』6、89-104

(8)

長崎靖子(2012)『断定表現の通時的研究―江戸語から東京語へ―』武蔵野書院 野元菊雄(1980)「日本語:デス・マス」『読売新聞』1980412日夕刊5

松村明(1990)「明治初年の洋学会話書における助動詞「です」とその用法」『近代語研究  第八集』武蔵野書院、395-455

山本正秀(1972)「「デス」の普及について」『真下三郎先生退官記念論文集 近世・近代の ことばと文学』第一学習社、107-136

読売新聞(1965)「読者と編集者」『読売新聞』196592日朝刊3

付記 本稿は、日本語ジェンダー学会2020年度オンライン研究会(2021年2月13 日、Zoomによるオンライン開催)での口頭発表「近代口語文体成立期における敬 体と女性との結びつきに関する検討」の一部に加筆・修正したものである。

1  次の引用を含む田中(2001)第9章の初出は、田中章夫(1990)「文体の選択」『国文学』

35-15、および、田中章夫(1991)「デアル・デアリマス・デス―近代教科書の会話体

―」『語源探究3』(明治書院)である。

2  川口(2010)が調査対象としているのは、114号(明治39(1906)年)、21、3、

5号(明治40(1907)年)である。

3  川口が引いているのは、注1に示した田中章夫(1991)。注1にも述べたとおり田中

(2001)に第9章の一部として収録されている。

4  3部第1章「江戸後期口語資料に見る「です」の意味―その使い手と語感を通して

―」

5  以下に行う再集計は、長崎(2012)の記述に全面的に依拠している。

6  表の用例数の合計は317。長崎(2012)にも松村(1990)の316と異なる旨の断りがある

(長崎2012:243)。

7  長崎(2012)における有人人情本の分析の趣旨は、「江戸の一般民」によるデスの使用例 は少なく、「男女間の親密な会話での用例や〔中略〕話し相手に媚びる場面での用例が目立 つ」(長崎2012:233)という使用場面の偏りを指摘することにある。デス使用例が狭斜で 働く女性登場人物の発話に大きく偏ると指摘する本稿は、この趣旨からはやや異なる点に

(9)

重きをおいていることを断わっておく。なお、長崎によれば、デスの使用例は同時期の他 の作品ではほとんど見られないという。

参照

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