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一 一九世紀前半オランダ工業の展開

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(1)

第一章

第二章

結 語

一九世紀前半オランダ工業の展開

│ オ ラ ン ダ 産 業 革 命 論 形 成 へ の 一 視 角

一九世紀前半のオランダヱ業

l

西部海岸都市工業と北プラパント繊維工業││

トウェンテ繊維エ業の展開

一九世記前半オランダ工業と産業革命

課題 と展 翠 序

最近のオランダ経済史研究の注目すべき動向に︑一九世紀オ

ランダ経済の再建1﹁工業化﹂に関する一連の研究がある@こ

うした動向に先鞭をつけ従来の研究史の空白を埋める上で意義

をも った のが

︑日 ア・ ヨン グ﹄ .﹀

・︒

∞守 口問

︒の

﹃一 八五

Ol

‑‑

九一四年における才ランダの工業化﹄ハ

zb 内

﹂﹃

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な 弓ミ ミ

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弘 司 史 昌

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‑S

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Jω 円 ︒ 同

H色 白

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83

であった︒ブ

一九世紀前半オランダ工業の展開

ルッフマンスH

H

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四旨

田口

師︑

﹃馬

力と

人力

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号︑

弘︑

豆︑

異文

S

E

室内

迂= ‑

m a の

司君

︒ロ

宮向

︒唱

H8 0

以外にさしたる研究の

なかったこの分野に︑同書のはたした役割は大きなものがあっ

た@

デ・ヨングは︑同書において︑一八五O年以降の各工業部門

の発展を数量的に測定し︑ロストウの発展段階論171ク・オ

S W

ゆえ同理論によるその発展の跡付けを試みている@そし

て結論として︑彼は国民所得の成長率︑投資率等を引用しつ

つ︑一九世紀末からニ

O

世紀初頭にかけての世紀転換期をオラ

( 1 )  

ンダにおけるテイクオフ期とした@

2) デ・ヨングの研究以降︑ジョエル・モキア﹄D巴玄

o ru 可

吋︑

(3

) 

チャ

lド・グリフィス

E n

F R

a

寸・の民自笹田等の研究者によ

り︑一つにはベルギー﹁工業化﹂との比較史的視点に立脚しつ

つ︑あるいは他方︑ヨーロッパ﹁工業化﹂の中でのオランダ

O七

(2)

立教経済学研究三八巻一号三九八四年)

工業化﹂の特性把握といった視点から︑研究の蓄積がなされて

きてい忍@

しかしながらこうした研究蓄積にもかかわらず︑一九世紀オ

ランダ経済の一再建過程日﹁工業化﹂過程の性格が明らかになっ

たとはいいがたい︒確かに︑デ・ヨング等の研究により個別部

門の生産力的・数量的展開過程はかなり明らかにされてきてい

る︒しかし︑そうした個別部門の生産力的発展を内にはらみつ

つ展開する経済総体の構造の問題︑すなわちオランダ国民経済

の構造の問題は︑必ずしも明らかになっているとはいいがた

他方︑日本におけるオランダ経済史研究は一九世紀に関して

ほとんど蓄積をもたないといってよい@唯一︑石坂昭雄教授に

( 4 )  

よる一八三O年までを対象とした研究があるだけである@

石坂教授は大塚久雄教授のオランダ経済史研究の蓄積の上に

たち︑市民革命以降のオランダ経済を都市商業資本ハアムステ

ルダム等)と農村における﹁自生的﹂産業資本(北プラパントに

おける繊維工業資木等﹀との対抗関係で理解︑把握しようとする

ものであるといってよい@しかしながら︑石坂教授の研究対象

はベルギー王国の分離・独立までの時期であり︑なわかっ重点

は市民革命期における租税制度の変革を中心とした財政制度の

分析にある︒従って教授の分析は一九世紀のオランダ経済発展

をめぐる基本的対抗関係の一面を鋭くついているとはいえ︑一

八三

O年以降の経済発展を視野に入れるならば必ずしも充分な

一 O

5ものとはいえないよ︑7

に思 われ る︒ 従って︑以上のような研究状況において︑一九世紀オラγダ

経済の﹁工業化﹂過程とその怯格を分析し︑何らかの性格規定

を与えるには︑研究蓄積が決定的に不足しているといわざるを

(6

) 

えな

い︒

それではこうした研究状況の限界に対する一応の了解のもと

で︑我々は一九世紀オランダ経済史のいかなる点に注目ずべき

であり︑ぞれに対してどのような接近が可能であろうか︒

︿問題の設定と限定﹀

第一に︑我々が問題とすべきは︑単なる数量変化の結果とし

ての﹁工業化﹂過程の把握ではない︒従来の研究蓄積を利用し

つつ︑一九世紀オランダ経済の直面した事態

ll

ヨーロッパ大

陸へのイギリス産業革命の波及︑その中での経済再建

ll

の中

で︑どのような構造をもった国民経済が形成されてきたのかを

分析することが問題である@すなわち︑資本主義確立の画期と

しての産業革命が︑オランダにおいてはいかに発生し︑どのよ

うな特質をもったものであったかを明らかにすることが問題で

ある@第二に︑そうしたオランダ産業革命がもった国際的性格の把

握である︒イギリス産業資本の圧倒的な生産力優位のもとで︑

ヨーロッパ大陸諸国は多様な産業革命を展開するのであるが︑

その展開によって形成されるであろうヨーロッパ的規模での分

(3)

7 V

業関係内部でのオランダ経済の位置を問題とすることである@

第三に︑植民地経営との関連である︒インドネシア植民地と

一九世紀オランダ経済の再建n﹁工業化﹂過程の造り出す特殊

な関連を視野心入れ︑問題とすることである︒

本稿はこうした問題設定のもとに︑﹁オランダ産業革命論﹂

形成のための作業の一環として︑オランダにおける﹁初期資本

主義︿芯諸

WE

HV

同 窓口 回

50

﹂期として位置づけられている一八一8三年から一八五O年までの工業の展開を分析するものである@

一九世紀前半のオランダ工業の全国的展開状況に分析を加

え︑オランダ産業革命︑あるいは経済再建との関連を明らかに

することを課題とする@

従って本稿では︑それぞれが重要な分野である農業︑経済・

通商政策の諸問題は一応考察の対象から外し︑工業の展開過程

に問題を限定する︒

第 一 章 一 九 世 紀 前 半 の オ ラ ン ダ 工 業

││西部沿岸諸都市と北ブラバント││

9

)

↓一九世紀前半オランダ経済概観

rt

¥ 

パタピア共和国からフランス支配期にかけての市民革命期を

経て︑一八一五年のネiデルラント王国成立に至る時期のオラ

ンダ経済は︑衰退︑没落状態にあったといってよい@すでに一

八世紀後半以降︑イギリスを先頭とする国内工業に基盤をもっ

﹁自立的﹂国民経済の台頭により︑いわゆる﹁トラフィ1

ク ﹂

一九世紀前半オランダ工業の展開 と呼ばれた仲継加工貿易に依存するオランダ工業はその活動範囲をいちじるしく狭め︑オラシグ経済は加工貿易・商業活動から対イギリスを中心とする金融業への特化の度

(

合を強めていった︒

オランダ工業の衰退の

一事例として︑かのライ

デン毛織物業をあげるこ

とができる︒一七世紀に

おけるヨーロッパ最大の

毛織物工業都市であったライデシは︑一八世紀に入ると一七一

一年を頂点に︑以後表1に示されるように没落していった@

しかしながら︑停滞しつつあったオランダ経済に決定的な打

撃を与えたのは︑ナポレオンによる対英封鎖世大陸制度の導入

であった︒これにより︑通商活動に依存するオランダ工業は決

定的打撃を受け︑とりわけ西部誇州の都市工業はそれ以降のフ

ランス支配期を通じて回復することはなかった︒表2は大陸制 度

ι

よる打撃の深さを明示している@

マルクスによりマニュファクチュア経営の典型としてあげら

れた紙製造︑砂糖精製業︑タパっ︑生来︑造船など︑仲継貿易

1:業 者 数

ライデン・ラーケン織業者の変遷

ヨ竺竺 i

f i  

quQd7FnvnE

ηanr

i 1

1751年 1761  1771  1781  1791 

表1

(出典)N. W. Posthumus, De geschiedenisn Leidschelaken indust;e,vol.  III. 1207. 

一 O

(4)

立教経済学研究三八巻‑号(一九八四年)

オランダ都市工業の衰退, 1806‑1811 

雇 用 数 I

ηdustry  Area Included  Units 

製 糖 EC  10 41. 7  0.3  1,408  133 

tons 

タ ノ 〈 コ NH, F, 0, G  tons  5,573  1,031  2,125  376 

糸 Towns of  Pieces  1,700  600  700  225  Haar1em and 

Utrecht 

113.41 

呑 料 NH, SH, U,F,G  10 54.4  661  453 

realS

陶器製造 SH, F  10 6, 127  4,884  378  268 

Pieces 

油 i EC  10 6.3  n.a.  n.a. 

Pints 

つ づ れ 織 City of  10 130 40  140  80 

Hilversum  ells  300 150 

蒸 留 酒 SH  10 64  22  n.a.  n.a. 

電~宮巴屯一明 1竺こJ

litres 

ピ £ 一

:ノレ EC  10 325  370  900  900 

.鋭、轡磁器 tons 

造 盟 関 船 NH, U  n.a.  n.a.  3,000  387 

机三元町二一布 NH, U  Pieces  19,768  5,800  106  48 

ニ;シ;ン漁 EC  10 36.4  12.8 1,274  448 

tons 

表2

'NH=North Holland; SH=South HoIland;  F=Friesland; O=Overijssel; U=UtJecht  G=Groningen; EC=entire country. 

"First  figure refers to  high quality products, second figure to  a lower quality.  '1810. 

出典:d'Alphonse, Atercu, pp. 223‑351. J. Mokyr.前掲望書p.87より引用。

一 一

Q

活動と密接に結合した諸

工業部門の壊滅的打撃は

疑う余地がない@

以上︑パ夕︑ピア共和国

成立からナポレオンの没

落に至る混乱期のもた︑り

した結果は︑このような

ものであった︒

ごうした状況下︑一八

一三年に成立したネlデ

ルラント王国は︑経済の

停滞を打破し︑その再建

を最大の課題として登場

したのである@当時のヨ

ーロッパ大陸における最

先遣工業地域であった南

部ネiデルラント地方を 統 合 し て 成 立 し た 王 国

は︑南部の工業カにより

北部の衰退した商業力を

回復させ︑両者の結合に

よる資本主義的再生産機

構の確立の機会をもった

(5)

のである@しかしながら︑一八三

O

年の南部諸州のベルギー王

留としての分離︑独立により︑わずか一八年にしてその機会は

失なわれてしまった@その結果︑北部ネ

i

デルラント地方はイ

ンドネシア植民地をふくむ旧連邦共和国の経済的枠組の中で︑

(

経済再建と工業育成へ取組まざるおえなくなったのであった@

こうしてオランダ経済は︑一八一一一一年以降新たな展開をとげ

ることになるが︑本稿ではそれを主要工業地域別に分析したい

と忠︑7@そのためには︑まず主要工業部門の分布状況を確認す

る必要がある︒そのよで︑一九世紀前半期︿一八一三年以降﹀の

オランダ工業の地域別構成を確定することとする︒

︑ ︐

r e

ブルッフマンスの﹃一九世紀前半におけるオランダ工業統

(

計﹄を主要な材料として工業分布図を作成すると︑図ーのよう

にな

る︒

この図から︑一九世紀前半におけるオランダ工業の三中心地

域の存在を指摘しうる︒すなわち︑①西部海岸地域の都市工

業︑@北プラパント州の繊維工業︑①オーバーエイセル州トウ

ェンテ地方の繊維工業︑の三地域である︒

そこで以下この三地域の工業の実態︑展開を各々検討し︑オ

ランダ工業の全体像と構造の分析を行ないたい︒ 地域分布

一九世紀前半オランダ工業の展開 ︑•• 信西部海岸地域の都市工業連邦共和国時代︑経済活動の中核であったこの地域は︑いわゆる﹁トラフィiク﹂と呼ばれる仲継貿易に依存する加工型工

業が発達していた︒

すでに述べたように︑パタピア共和国からナポレオンの大陸

制度に至る時期のオランダ商業の停滞は︑この地域の工業を衰

退させてしまった@しかし一八一三年のネlデルラント王国の

成立は︑インドネシア植民地の返還とともに商業活動の復活を

約束するものであり︑これによって工業の再建の端精ち聞かれ

Q

ではネ

i

デルラント王国成立以降の工業部門の展開はどのよ

うであったのか@

残念ながら︑当該西部沿岸諸州ハ北・西ホラント州︑ゼi

ラン

州)のすべてを含むこの時期のヱ業活動を︑数量的に確定しう

る工業統計は存在しない@しかし一八二ハ年の北ホラント州全

域に関するヱ業統計と一八四三年のアムステルダム︑ハl

タム

に関するヱ業統計は利用できる@従って主にこれらの統計をも

とにして︑西部都市工業のおおまかな実態を検討したい@

表3は前述の統計をもとに生産部門別経営規模を示したもの

である@表3の様々な制約に留意しつつも︑いかなる推論が可能であ

ろうか@おそらくは︑以下の諸点を指摘しうるであろう︒

(6)

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年)

北ホラントgrlrlのヱ業部門別経営規模

地 1816年 1843年

部 門

経 営 数

I

児(成童労人労働労働者働者数〉者 / 域

1 . 繊 維 工 業

綿 糸 A  3  15  3  10一/34一

H  2  5  2  289  /130 

N H   9  96 

綿 布 A 

日 1  2 

N H   56  各3‑20

J票 白 A 

H  1  10‑15 

N H   11  71‑114 

染 色 A  11  32 

H  2  4  2  5 

N H   40  74‑78 

生 糸 A  1  12 

H  2  40  3  50/5 

N H   3  52 

締 織 A  46  1  4 

H  4  46 

N H   4  20 

手 袋 A  18  20 

H  N H  

麻 打

N H  H  3  5 

麻 糸 A 

N H   1  60‑80 

き A 

N H   1  75‑100 

帽 子 A  7  18  6  192/ 92 

H  119  え /

90 

H  5  27 

N H   9  117 

牛 毛 A 

N H   21  100‑160 

γ下ゲ

, 

ストッキ A 

H  1  16  57  9/ 6 

N H   1  16 

表3

(7)

1  1  15 

2  1 

? ? ・

1  1 

4/

168  1  168  一5

5

50  28 

21  7 

169‑219  5 

20  1 

20  1 

36‑46  3 

94‑114  16 

10‑10  1 

20‑25 

797‑882  11  11  1 

ny

1 i 

E

AHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHHAHH  N N N N N N N N N N N N N N N N  

リネン・ナプキ ン

ボ ン

ノ、

一九世紀前半オランダ工業の展開

防 水 灰 色 布

商 用 カ ン パ ス

カ ー ペ ッ

ブ ロ

毛 紡

布 帆

一 一 一

(8)

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年﹀

一一

地 1816年 1843年

F

経 営 数 I児〈成童労人労働働労者働者〉数者 / 域

な 染 A  1  79  2  19/11 

H  2  287/120 

N H   5  134 

り 糸 A  4  170 

H  1  2/

N H   4  170 

つ や 出 し A 

H  1 

N H  

馬 毛 A 

H  1 

N H  

裁 縫 A 

H  133  21/22 

N H  

他 A 

N H   7  33/  2 

2.木 材 工 業

製 材 A  11  120  84  49/16 

H  3  10  3  9/ 7 

N H   207  1

290‑1

302 

帆 柱 A 

N H   2  5 

杖 A 

N H   1  6 

J 板 A 

H  N H  

染 料 用 材 A  1  3/ 1 

H  N H  

3.化 学 工 業

火 薬 A 

N H  H  8  30‑31 

N H   2  20 

し ょ う の う A  60  600 

N H   60  600 

(9)

16/  1  1/

7 3  4 

︒ ︒

QUt

nL

10 

u

qd

ou

A  H  N H  

AHH N 

獣 脂 融

AHHAHH 

N N   ア ス フ ア ル ト

1/ 3  A  1 

H  N H   学 製 品

一九世紀前半オランダ工業の展開

3/ 0  4  1 

2  8  9 

10‑/4‑8  9 

33/14  2 

12  3 

AHHAHAHH  N N   4.皮 草

革 製

プ ロ

94‑114  16 

羊 皮

A  H 

N H   2 

5 .

製 墜

1  紙

紙 A 

N H  E 

6

食 円 J J l jji¥‑

27/ 17  38  1 

44  l 

2  紙

87/  2  14  4 2 

130  14  164‑165  9  A 

H  N H   ノ

一 ピ

一五

6/ 0  1 

QUQdnUFO 

7O G‑

‑4   A  H  N H  

A E 

N H   コ ー ヒ ー

3/1‑1  12 

2  チ ョ コ レ ー ト

(10)

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年﹀

1843年

1労 働 者 数

経 営 数

I C

成 人 労 働 者 /

│児童労働者〉

1

寸 ‑‑F‑

1816年

門 地

46/12  9/ 5  56 

14  23 9 

48 8  219‑233 

48  21 4 

24  118 7  16  AHH N  AHH N 

粉 マ ス タ ー

8/ 

N  AHH  3 

芽 麦

1

045‑1

045/1  32 

60  600  25 

60  A H 

N H   砂、

2  ?  600 

96  60 

14 

AHH N 

せ ん

157  80  65 

A H 

N H   船 用 堅 パ ン

2  A  1 

N H  H 

かさfタノ〈コ

?  6 

6  30 

69  11  87‑101 7  10 

OOTAinhv

i

A  H  N H  

A H  N H   造

酒 類

6  1 

1/ 

← / 一 9 

1  AHH 

N  AHH N 

料 ロ ユ ノ

AHH N 

一一

六 4 

7 .

とうぎょう採石

煉 瓦

1  6 

100  1 

1  A 

H  N H  

A E  N H  

(11)

石 灰 A 

NH  H 

5  17 

隅 器 彩 色 A 

NH 

日 2  2 

陶 器 A 

1  3 

NH 

2  11 

硫 黄 , 硝 石 A  l  5  l  6/ 0 

NH  H 

ダ イ ヤ モ ン ド A  3  96/ 21 

NH  H 

石 材 接 断 A  1  60 

E王

NH 

8.金 属 加 工

精 密 A  3  25  1  7/ 3 

8  2/ 6 

NH 

医 療 A  2  6 

NH 

金 銀 製 品 A  51  236 

真 鈴 A  81  57  3  4/ 4 

3  2/ 3 

NH 

鉛, 白 鉛 A  2  17 

1  6  9  11/  4 

NH 

活 字 鋳 造 A  2  6  1  27/  4 

E王 1  32  1  91/  9 

NH 

3  38 

銃 弾 A  69  164  2  9+/ 

25  38/27 

NH 

A  46  87 

17  7/ 8 

NH 

防 水 用 品 A 

NH  H 

金 属 鋳 造 A  1  15/  0 

NH  H 

一九世紀前半オランダ工業の展開

一}

(12)

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年﹀

一一

八 1816年 1843年

F ヨ

経 営 数

I

児〈成童労人労働働労者働者〕数者 /

軍 需 品 製 造 A  1  7 

H  1 

N H  

そのイ也(はりが

ね,ナイフ,コンパ H  1 

9  2/ 2 

ス,すきく'し他〉 N H  

9.燃 料 工 業

ガ、 ス A  10  1  60一 70

H  1  18  11十〆/1+

N H  

な た ね 泊 , 1由 A 

H  3  2/ 1 

N H   10.

コ 。

i

本 印 リ原 A  28  160 

10 

H  5  12/  5 

N H   28  160  2  12‑19 

消 防 用 具 A  1  5  3  10/  3 

H  2  5 

N H   3  10 

A  5  1 

N H  

う 燭 A  80  100 

H  1  1/ 0 

N H   84  100 

娯 楽 用 カ ー ド A  1  20  ♀ 

H  N H  

フ A  2  7  1 

N H   7  7 

風 車 製 造 A 

N H   5  103 

搾 油 風 車 A 

N H   113 

ペ ン 製 造 A  11  50  1 

H  N H  

ス ト ー ブ 製 造 A 

H  1  3/ 3 

N H   1  1 

(13)

3/13  3 

化 粧 品 , 香 水 プ ア シ 製 造

2/ 2  3 

AHH 

?  N  AHH  1 

鯨 ひ げ 製 品

6/ 2  1 

A  H  N H   ア ノ

38/16  31/;12  11 5 

A  H  N H  

1/ 

1  2 

l  A 

H  N H  

A  H  N H   車

荷 馬 用

刷 印

一九世紀前半オランダヱ業の展開

色 顔 赤

1/ 1  2 

3  1 

49/10  41 

20/

15  A 

N H  H 

A H 

N H  

職 I A 

H  N H  

飾 I A 

H  N H   本

ベ ッ ド 製 造 メ ガ ネ 製

J

AHH N 

コルセット製造 内

1/

AHH N 

つ 4 

4/ 2  12 

A  H  N H   造

8/ 2  2 

7  A 

H  N H  

A H 

N H   職

バスケット製造

一一

(14)

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年) 1816年 1843年

営 数

I

〉/ 

は じ さ 玉 製 造 A 

H  1  1/ 1 

N H  

マ ッ ト レ ス A 

H  1 

N H  

傘 A 

日 3  一 /1 

N H  

H  1  4 

N H  

レノ A 

H  10/15 

iNH  11.造 船 業

中 ・ 大 型 船 A  40  400 

H  3/91 

N H   76  500‑505 

ボート,はしげ A 

H  1/ 1 

N H   4  4 

12. 蒸他気の機作業関,機その 2  284/ 26 

A:アムステルダム

H:ハールレム

NH:北ホラYト州

出典:Brugma Statistiek1. pp. 28‑51. 2.  pp. 840‑863. 

一 二

O

①まず︑都市工業としての多様

な製造業の存在を指摘しうる︒多

様な惜繊維製品の製造︑噌好品︑生

活必需品としての食品製造の多様

な展開は特にいちじるしい︒都市

生活者の消費生活を支え︑なおか

つ会図的規模での生活必需品ハ例

えば石鹸﹀︑消耗品需要をかなりの

程度まで満たしうるだけの製造を

行なっていたことが推測し︑7

る@

②工場ハ経営)の規模は︑一部

の例外を徐き︑中小規模にとどま

(刊

M )

って

いる

表3から︑蒸気機関の導入によ

る機械制大工場?本来の工場﹀の

有無は明らかではない︒一八一六

年統計には惹気機関の導入に関す

る項目はないが︑一八四三年統計

に関しては調査項目に使用動力機

の種類があり︑蒸気機関導入に関

してはかなりの程度明らかになっ

ている@それによれば︑アムステ

ルダムにおける蒸気導入部門とし

(15)

19世紀前半オランダ工業の地域分布 Leeu¥vaarden 

(y旬器j

図1

Franker 

(タイJレ)

‑九世紀前半オランダヱ業の展開

Helmond  (麻、綿) Eindhoven  (麻、毛織物)② Maastricht 

'1/ラス、陶器)

①南北ホテント

②北ブラパント

③トウェンテ 1

.

  Schiedam 

!c タパコ、ジエネノ,:~

Rotterdam  .r 

(造船、タバコ、機械J

出典:B:gmans'Statistiek 1, 2, 3より作成

(16)

北ブラパントにおけるヱ業生産の広がり, 1816年

表4

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年﹀

〈SBosch) 

(Eindhoven, 20作業所, 175労働者〉

(Tilburg) 

(TilbUJg, 7作業所, 50労働者〉

労 働 者 数

68 

23  133  32  36  103knegts, 

95jongens 

284~286

型 空 」

4ιunLnhUA

FD

iA

① 繊 維 工 業 ペ イ 青色捺染・染色 綿 捺 染 漂 白 よ り 糸 紡 績

守 ︐ ︒ ︐

n u

A u

ro‑‑na 

a a 

帽 子 す き 業 綿 糸 ス ト ッ キ ン グ ラーケンその他

毛織物 /E.ndhoven  2作業所, 100労働者

1

Geldrop  52"

, 

1

, 

296" 

¥ Oisterwyk  3  " 

104  " 

¥Tilburg  67"

, 

2

, 

705 1/ 

80~

3  4

368 

9  589  6 

25 

1)ネ ン 擦 染

リネン・ダマス

コ織etc.

一 一 一

1作業所, 60労働者、

1  " • 13  " 

, 

(Helmond) 

(Eindhoven 8作業所, 2,500労働者〉

(BIndhoven  Helmond  200 

1127jongensJ  25 

9  140  370  12  132  722  2

893  18  50  3  1 

4

Qd

Q u q A

'nwu

' 1 i τ i 1 4 1 A A

a 4

i

レ ー ス リ ボ ン 綿 染 色 サ ー イ サ ー イ す き 業 じ ゅ う た ん 亜 麻 縮じゅう(毛〕

リ ネ ン 布 リネン・綿織布 織 布 〈 毛 〕 毛 す き 毛ストッキング ビ ロ ー ド タ オ ル 地 布

55  27 

業 材

②木 製

(17)

30  13 

業 ん 大 用 船

③化

石 3  9 

業 革

J

尚 子

①皮

製 173  269 

業 紙

f氏

80  1 

AOJ

4nV9u

︒ ︒ ﹃

u E U P 3 9

nv

1 3 2 1 0 2 3 2 1  

︒ai

9  237 

6  3  140 

12  1  30  10  1  5  業

ビ ー ル チョコレート チ コ リ 製 粉 ・ 脱 殻

ジ ェ ネ パ 食 肉 麦芽(マルト)

魚 類 く ん せ い 塩

⑤製 製

品 工 酢

⑥食

一九世紀前半オランダ工業の展開

石 ガ 器 本 採

陶 レ 陶

① 

4  11 

2  23 Knechts

, 

43jongens 

1 9  

5~6

29  148  9 

31 

1 1 n k u n L F U  

14

 

属 加 工 密(時計) イ フ な づ ち

精 ナ か ピ

③ 

1  1 

A 1

L 0 n u 0

‑ A

i

nF

U

i s

7

他 自 門 器 ン 造 等 鉄

σ

防 用 車 製

油 制 消 楽 ボ 風 搾

出典:Brugmans' Statistiek, 1. pp.  28‑52より作成

(18)

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年﹀

て︑ダイヤモンド加工研磨︑帽子製造︑製粉︑製材︑砂糖精製

などがあった︒これらの中で蒸気機関導入による機械制工場が

支配的であったと思われる分野は︑ダイヤモンド加工︑研磨︑

︿M

) 砂糖精製の二部円である︒またハ

i

レムにおいては︑ビール醸

造︑綿布捺染︑締紡績業での蒸気機関導入が認められる︒

③アムステルダムにおける蒸気機認ならびに機械製造業とい

った生産材生産部門の若干の存在を見出すことができる︒アム

ハ旭川︾ステルダム以外には︑ロッテルダムハフェイエノi

ル ト明 日

] 0 5 2 e

に同様の製造業が存在した︒生産財生産部門の発展は非常に限

定され︑圏内の蒸気機関︑機械の需要に答えらるものではなか

︿

った@主にイギリス︑ベルギーからの輸入に依存していた@

︑ ︐

rt

北ブラパント地方は洪積土(層)におおわれ農業の土地生産 ︑ ︑

性が低く︑早くから農村における家内工業として麻︑毛織物を

中心とした繊維工業が興り︑多数の農婦が紡績・織布に従事し

ていた︒しかしながらホラント商H美資本による問屋制文配︑イ

ギリス製品との対抗という状況の中で停滞を続け︑一八世紀末

には危機的状況にあった︒しかし一八世紀末以降のホラント仲

継貿易資本の文配カ低下に伴う問屋制支配力の弱まり︑都市の

諸規制をのがれた毛織物業者の北ブラパント地方への移住はこ

の地方の繊維工業を活気づけ︑テイルブルグを中心とした毛織

( )

物業に一定の繁栄をもたらした︒ 北ブラパントの繊維工業

一二

北プラパントにおける繊維工業の広がりに関しては︑表4に

よって概観しうる︒

この表から指測しうるいくつかの点をあげると︑以下のとう

りである@

①テイルブルグの毛織物業中心地としての存在︒

テイルプルグにおける一八一Q

年か ら一 八三

一O年までの繊維

工業の生産力展開は︑次表5によって示される︒一八

O

九年

おそらくは畜力を利用したであろう機械紡績工場が導入され︑

ネlデルランド王国成立時には紡績工程における家内ヱ業はほ

ぼ一掃されていた︒他方︑織布工程における家内工業としての

性格は長く残存し︑一九世紀末の時点でもみられた︒ネl

デル

ラント王国成立直後の生産量の急激な減少はベルギー諸州との

競争によってもたらされたものと推定しうるが︑低級品(ベl

ズ︑フランネル等)製造への移行により生産量を回復しえた︒そ

の結果︑一八三O年までには︑全生産量の約七五をベルギー市

(刊日﹀場に供給するまでになっていた@

従って一八三0年代のベルギー王国分離・独立はテイルベル

グ毛織物工業にとって危械をもたらすものであったが︑軍事的

緊張の高まりによる軍需の増大はベルギー市場喪失をかなりの

程度のうめ合わせた@植民地市場に関しては︑熱帯地方に毛織

物製品が不向きであるという点から︑ほとんど重要性をもたなm

かったものとみてよい︒

一八三八年以降一八四

0

年代後半までの問︑需要の減少︑毛

(19)

テイルブルク'における毛織物・綿織物生産, 1l95‑1850  (in pieces) 

表5

Cotton  Fabrics  1810  10,210  1,750  1821  4,963  1,223  1811  9,645  750  1822  5,661  1,189  1812  10,579  310  1823  4,250  1,152  1813  6,906  68  1824  5,805  1,108  1814  n. a.  n. a.  1825  10,214  1,135  1815  n. a.  1,462  1826  14,254  1,204  1816  n. a.  1,620  1827  14,732  1, 135  1817  3,471  1,141  1828  15,580  878  1818  1,975  929  1829  21,869  694  1819  2,326  1, 136  1830  21,641  691  1820  3,929  1,017 

Woolen  Fabγics  γeaγ 

Cotton  Fabcs Woolen 

Fabγics  Year 

一九世紀前半オランダ工業の展開

出典:Keune,Industriele Ontwikkeling," pp. 14, 15, 17. J. Mokyr.前掲書.

p. 116より引用.

へルモントにおける麻綿織物生産, 1810‑1830 

〈inthousands of pieces) 

1 1

  Year 

表B

Cotton  1810  9.8  n.a.  1821  38.9  1.3  1811  19.2  n.a.  1822  39.0  1.3  1812  24.3  n.a.  1823  39.0  1.5  1813  22.8  n.a.  1824  39.0  1.6  1814  n.a.  n.a.  1825  39.1  1.6  1815  32.6  1.1  1826  37.8  1.5  1816  37.7  0.9  1827  38.6  1.7  1817  29.2  1.3  1828  54.5 3.2a  1818  38.8  1.2  1829  54.0  3.6  1819  38.7  1.1  1830  50.5  3.7  1820  38.4  1.2 

Linen 0γ 

Half Linen  Cotton 

Linen or  Half Linen  Year 

aFrom 1828 thegur includethe surrountryside. 

出典:Harkx, Helmondse Textielnyverheid, pp. 12223.J. Mokyr,前掲書, p. 118よ り引用.

(20)

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年)

織物製品輸入に対する低関税政策等により︑テイルプルグ毛織

物工業は停滞し国民経済全体の中での比重は低下していった︒

②麻︑綿織物工業の中心地としてのヘルモントの存在︒

ヘルモントにおける一八一O

年か ら一 八一

二O年までの繊維工

業の生産力展開は︑表6によって示される︒

これによれば︑一八一五年から一八三O年にかけての相対的

停滞を指摘しうる@

テイルプルグに比較して︑技術的変革の進展はおそく︑手労

働に基づく問屋制が支配的であった@ヘルモントへの最初の蒸

気機関導入は一八四六年であり︑飛梓の導入は一八三八年︑力

門 間 必 ﹀

織械にいたっては一八七O年まで使われることがなかった︒

生産工程としては︑麻糸の大部分をベルギー︑ドイツ地方か

らの輸入にたよっていたために紡績工程は発達せず︑織布工程

を中心としたものであった@

表6における一八二0年代末の綿布生産の増大は︑ヘルモン

ト繊維工業の麻から綿への生産旋回を推測させ︑7るが︑オラン

ダ綿工業にとって市場供給機関として決定的に重要な役割をも

った ネ

lデルラント通商会社の保護を受けることもなく︑一九

( お

世紀前半を通じて発展することはなかった︒

SJ

ft

北プラパント地方と同様︑この地方は洪積土に被われ農業の

生産性が低く︑麻︑ボンパゼイン

( 7

スティアン﹀を中心とし7 トゥエンテ地方の繊維工業

一一

一六

た織維工業が古くから農村の家内部業として広く営まれてい た@北プラパγト繊維工業と同様に商業資本による問屋制支配

のもとにあったが︑その支配はホラシト仲継貿易・商業資本に

よるものではなく︑いわゆる商人企業家︒口宏

E

S

R I

F E

門在同窓口と呼ばれる在来の商人資本家による直接的支配を受け

ていた@彼らの多くはアルメロ

k g

Dを中心に住居を構え︑

繊維工業に関与するだけでなく︑他に商品取扱いを行なう商人

( )

層であった@

麻・ボンパゼインを中心としたこのような商人層の活動も︑

一八世紀における純粋綿工業の発展の中で徐々に重点を綿布製

造に移動させるようになり︑ナポレオン戦争終了後の安価なイ

ギリス産綿糸の大量流入は純粋綿製品の製造を支配的なものと

)

した@そして一九世紀前半を通して非常に特殊な発展の道をた

どり︑一八六

O

年代にはオランダにおける最初の近代的l七0

工業部門として確立するのであった︒

そこで次に︑オランダ産業革命との関連で見逃すことのでき

ないトウェンテ綿業の発展を︑章をあらためて詳しく検討した

第二章

トウェンテ繊維︿綿﹀工業の展開

トウェンテ織継︿綿)工︑業の状態守︑ネlデルラシト王国成

立後の一八一六年について検討するとどうであろうか@トウェ

ンテ綿ヱ業の中心地であるアルメロ︑エンスヘデl

何回 田口 智念

(21)

それにオルデンザlル

05

3N

SH

の繊維エ業

を中心とした部門別経

営規模を示したのが表7

であ る︒

これにより︑エンス

ヘデ

lのボンパゼイン

工業︑アルメロの麻工

業の存在を︑特徴とし

て指摘しうる@

そもそもオラン夕︑

とりわけトウェンテに

お け る 綿 工 業 の 発 展

は︑一八一三年以降の

対インドネシア貿易の

変遷と深く結びついて

いた

すなわち︑一八一三 ︒

年のネ

lデルラント王

国成立とそれに伴うイ

ンドネシア植民地の返

還は︑輸出商品として

の綿製品の国内におけ

誠 一 川 4 i } i D

Z

5 5 1 b L

働一

h 1 6 : 2 労 一 則

数一

年 一 選 一 日 E 2 m E M

EU一何百一

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Il

li

11

11

11

li

li

i

11

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il

il

i

潤1 一 業 ン 白 子 糸 染 色 業 ル 粉 パ 品

日 出 ‑ ︐

J︐ の 一 件 一 工 ゼ 工 ネ ず 産

︑ 一

︑ 一 製 油 の 粧 や 一 維 わ 品 エ し 紅 一 二 繍 ボ 漂 帽 綿 捺 染 倣 ピ 製 ジ 陶

方地

‑ ア

'p

│経営数

i

労働者数

① 繊 維 工 業 ボ ン パ ゼ イ ン 綿 布 綿 糸 染 色 ( 青 〉 帽 子 椛 毛 捺 染

リネン・

ナプキン つ や 出 し

モック・ベノレペット

品 工 業 Jレ 殻

コ 芽 他 材 草 皮

d

poaA

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F h d n r

 

︒ ︒ ︒

a n L

i

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4 A U r D o o n U L A U

E

E

E EAEAHVEAE

田 高

qa

 

表7

アルメロ, 1816年

︒ ︐

11AFD9dA‑FbqU1Eb

︒ ︒

一九世紀前半オランダヱ業の展開 qan4FhυqA 

' .

E4

460  30  3 

F

v

オノレデンザール, 1816年

¢ 繊 維 工 業 ボ ン パ ゼ イ ン 綿 糸 帽 子

① 食 品 工 業

ノレ

製 粉

③ そ の 他 油

0 1 i η 4

2  3  他

③そ

6 0 2 2  

n J

4 1

Ti

粉・脱

。 コ

め し 油 食 ピ 製 タ 麦 そ 製 製 な

③  

一一

一七

6  2  2 

出典:Brugmans' Statistiek 1. pp.  160‑164. 2, pp.  930‑933. 

(22)

立教経済学研究三八巻一号(一九八四年)

る製造を必要とした︒当時インドネシア市場をほぼ独占的に支

配していたイギリス産綿製品を駆逐し︑市場を自らの手中に収

( )

めることは︑王国にとって最重要な課題の一つであった︒当初︑

一八

三O年のベルギー王国分離・独立までの時期は︑南部ネi

デルラントのへントの

v g "

を中心とするブランドル地方の綿

工業に拠って輸出製品を確保しようとする政策がとられた︒従

って︑一八三

O

年まではトウェンテ綿工業が注目されるに至ら

ず︑その発展の開始はそれ以降のことであったQ

すなわち︑一八三Q年のベルギー王国の成立は︑ブランドル

綿工業のインドネシア向輸出を困難なものとし︑その結果輸出

商品としての綿製品製造をオランダ王国の領域内で行なう必要

が生まれたのであった︒

この事態に対し︑当初︑ベルギー独立に伴ない様々な理由

(政治的・宗教的)により南部ネlデルラントから移住した企業

家を中心として︑西部諸州(とりわけライデン)に綿工業を興す

ことが計画された@しかしながら︑西部諸川のもついくつかの

欠点ハ特に農村部と比較しての高賃金﹀により︑この計画はうまく

︿

いかなかった@こうした状況の中で︑トウェンテ綿L業の発震

が開始されるのである@

以下

︑一 八一 二

O年以降のトウェンテ綿工業発展の過程を検討

した

い︒

すでに指摘したように︑一九世紀オランダにおける繊維(綿)

工業の発達は︑何よりもまず対植民地輸出(対インドネシア植民

一二 八

地﹀商品の確保の視点から考察されねばならない︒すなわち︑

フランス支配期におけるイギリスによるオランダ領東インド植

民地(インドネシア植民地)の占領は︑その植民地市場を質︑量

ともに圧倒的な優位をもったイ草リス産業資本(綿工業資本)の

(

手にゆだねることとなり︑一八一四年の対英遜商条約による植

民地返還以降も︑イギリス綿製品による市場支配の状態には変

化がなかった@これに対して︑すでに述べたブランドル綿工業

の輸出向工業としての育成策がとられ︑一八二三/一八二四年

のジャワ・マドラへの輸入に対する差別関税︑﹁国内工業奨励

基金

L (

E E

田島常窓口

g g

ι2Z

丘 町

EZ

ZC

42

F忠 弘﹀ など

により︑イギリス綿製品の市場支配は急速に衰退するところと

なった︒しかし一八三O年のベルギー王国独立はこうした市場

構造を破壊し︑ここに北部ネ!日アルラントハオランダ王国﹀内で

の綿工業育成が問題となったのである︒

一八

二一

O年以降のトウェシテ綿工業の発展にとって︑ネlデ ルラント通商会社口叩Z

‑q

Z

g a

m ‑

B S

窓口町田沼ぷ

(以下︑通商会社)の﹁半政府械関﹂としての役割は重要であり

それ自体が一つの研究対象とすぺきものであるが︑本稿では行

論のうちに触れることとし︑まず斡出工業としての全体的な発

展を概観すると次表

8iA

8 B のよ うで ある

一八三六年の段階でジャヮ︑マドラの綿製品輸入に占めるオ

ランダ製品の割合は印%を越え︑輸出工業としての育成策が急

速に成功していったことが読み取れる︒

(23)

トウェンテ産繊維製品の蘭領インド

(インドネシア椋民地〉への輸出 1830一1840

(in pieces) 

表8‑A

1840  キ ャ リ コ

そ の 他 の 白 色 綿 布 染 色 綿 布

麻 布

出典:Boot, T'entscheKatoennUverheid, p, 71.  5

, 

775  1

070 

ω 一

× 一

品一一

V一ダ一一

‑m 一ラ 一総 一 n u 一オ 一一

O

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一 計 一

n一

i

; :

n u

8 4 6 8 5 3 8 4 5 3 0 9 6 6 7 3 7 7 8

H U

8 9 9 9 4 1 1 1 7 5 1 6 8 1 8 9 4 0 4

1

︒ 一 一

3 2 1 3 4 4 6 7 9 0 3 7 0 7 8 0 2 0 8

F 1 4

B E

4

E4S

E

入 一 念 一 輸 一 議 一

Ti ll

I

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‑l il i‑

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喜 一 品 一 例 一 世 一 7 9 7 9 3 5 8 8 8 0 3 7 9 4 7 2 4 6 0 ラ 一 竹 一 3 3 n J J J J J ι f i J J J ι J 3 1 A J ド 一

2

2 1 0 0 0 1 3 3 5 7 8 4 7 3 4 5 6 5 4

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一‑ フ一 個 一 オ 一

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hυ

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D

外 国 製 品

1. 51 

1. 55 

1. 86 

3.89  4.12  2.58  2.90  3.46  3.97  3.23  4.27  2.72  3.57  3.62  4.10  5.61  5.93  4.61  3.84 

678

222  7

926  11

949  84  1839 

460

767  10

909  11

070  300 

年 1836  1831  1832  1833  1834  1835  1836  1837  1838  1839  1840  1841  1842  1843  1844  1845  1846  1847  1848 

1834  13

200 

一九世紀前半オランダ工業の展開

出典:MuIler, Nederlandsche Kotoenniiverheid pp. 26‑27. 

一二九

(24)

立教経済学研究三一八巻一号(一九八四年﹀

それでは︑こうした輸出工業としてのトウェンテ綿工業の生

産構造はいかなるものであったのか@以下︑各生産工程の分析

を過して検討する︒

①緒績工程Q結論からいえば︑一九世紀前半のトウェンテ綿

工業は自らの内に紡績工程を確立するに至らず︑織布工程の綿

糸需要を満之すことはなかった@その最大の成因は︑イギリス

か︑りの低価格︑高品質な綿糸の大量流入に求めることがでさ

る︒通海会社による綿工業育成策は原則的に全生産工程の確立

を志向したのであるが︑綿糸に対するオランダの輸入関税は低

( mu v

 

く︑国内紡絞工程の自立的発展は困難をきわめた︒

一八

一二

0年代前半︑キャリコ製造に適した綿糸を製造しうる

紡績工場は︑喰一アルメロのホフケス親子会社のみであった︒

そこでは八万グルデシの資金投下により︑各二五二の紡錘数を

もった一三のミユlル・ジェニl機が蒸気によって稼動してい()た(自動ミュl

)

またホフケス親子会社以外に︑イギリス人技術者ジョン・デ

ィクソンHDYDEHSの指導の下︑国王ヴィレム一世による

六千グルデンの出資︑国内工業奨励基金による一八︑一九五グ

ルデンの貸付けをふくむ総資本額二O万グルデンのエンスヘデ

綿紡

績会

社開

口出

口町

四八

四回

開包

0 3 ω M M S 5

ユ }( 以下 宮内 回と 略す )が

一八三六年︑ユンスヘデに設立された@その後一八三0年代末

までに︑オーバーエイゼル州全体で計三つのキャリコ向紡績工

︿

)

場が設立された︒

一 三

O

しかしながら︑オーバーエイセル︑ヘルダ!ラント両州を中

心に製造され通商会社によって買付けられたキャリコは一八四O年におよそ六一万反であり︑綿糸じ換算して約一五O万Mの

綿糸に相当した︒他方︑ホフケス親子会社︑何回日によって生

産された綿糸は各々一一二O︑

OO

OM

鳴門

一八

四三

年﹀

︑一

回一

一一

︑ 五一︒培(一八四O午)であり︑会需要量の二つ

M m を供給するこ

とが なか った

@ま た一 二

0年代末のヨーロッパ全域での綿糸生産

過剰は綿花価格と綿糸価格の差をちぢめ︑オランダにおける綿

︿ )

糸生産の意義を著しく小さいものとした︒

このように紡績工程は確立の道を制限されていたのであっ

た︒外国(イギリス)製品との競争に対抗していくことは困難で

あり︑噌一可能な道として︑最終的円いはより低級な園内向綿布

( お

用の綿糸生産に活路をみい出していったものと思われる︒

②織布工程︒通商会社の諸施策はほぼ織布工程に集中してお

り︑この工程がトウェンテ綿工業の中核をなす︒

織布エ程の展開にとって第一に注意すべき重要点は︑その技

術的改良の問題である@一八三

O

年当時において農村における

家内部業として農業生産との結合により存在しており︑技術的

には非常に後進的であった︒飛行の導入はまだなく︑この地方

の低賃金労働力の存在という好条件りもかかわらず︑製造時間の過多民よる製造コスト高が輸出市場での競争力を弱めてい

(

当時の通筒会社事務総長ウィリアム・デ・クレルク当ロロ田昌 @

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