学生間の相互学習を促すライティングスペースの検 討 : 多人数授業におけるブログ活用の成果と課題
著者 高口 涼, 藤井 基貴
雑誌名 静岡大学教育実践総合センター紀要
巻 21
ページ 103‑110
発行年 2013‑03‑29
出版者 静岡大学教育学部附属教育実践総合センター
URL http://doi.org/10.14945/00007787
学生間の相互学習 を促す ライティングスペースの検討
―多 ― 業におけるプログ活用の成果 と課題 一 高口 涼 * 藤井基貴
**Ccpnsider of"W五 五電 spacC"tO encourage mutuallea― g atnong sttdcnts:
´にlicvcments and problelns ofthe use Ofblog ln the largc classrm
Ryo
Koguchi
Motoki Fujii AbstractThe purpose
of this
paperis to clarify
hov the digitizedvriting
spacein
educationis
about tothink. It
Fould bea
clue $,henthat
would leadto
encourage mutual leaming among students andconsider the "Actite Learning"
in
thefuture.
l{as organlzed on a theorypractice, in this
paper, x,eshoY the setting
of
whatI
think.キー ワー ド
:
プ ログ活用多人数授業
アクティブ
は じめに
人 間は、書 くとい うこ とによって、歴史であれ、報 告 であれ、情報を記録す ること、議事録であれ、書簡 であれ、合理的かつ生産的な議論 に資す ることのいず れ もがな されてきた。
昨今 の教育お よび学習 の場においては、
IT技
術 の 導入 が加 速度 的に進みつつ あるヽ 市原 [2009]の ま と めによれば、¨(略
)…
授 業 でIT技
術 を活 用 す る試 み は パ ー ソナル コン ピュー タ (以下パ ソコ ン とす る (原文 ママ))が
普及 した1990年
代 に大 いに注 目された。そ こでの利用は教室 に置かれた個別パ ソコンによるものであつた。その後、パ ソコンが イ ンターネ ッ トに常 時接続 され るよ うになつた2000年
代以降、ネ ッ トワークの機能 を活用 した新 しいタイ プの活用、すなわちコミュニケーシ ヨン を生 か した教 育活動へ の利用が現実化 され るよ う になった2と、
lT技
術 の導入の変遷 が述べ られ てい る。IT技
術 と付き合い生きてい くこ と、その活用方法を学ぶこと は現在の教育および学習活動において必要不可欠な要 素 となってい ることがい える。 したがって、教育や学 習の際 にIT技
術 を どの よ うに使 うのか とい うことは、*静 岡大学大学院
**静 岡大学教育学部
ラーニング
ライテ イングスペース
相互学習 授業デザイ ンを考 える上で も大 きなテーマ となる。
元来、教育や学習の場 における情報技術 のツールは ICT と総1木さオしる。
ICT
とは 、「Infornation and Colu unication Technology」 の ことで、情報 コ ミュニ ケー シ ョン技術 を指丸 材料収集は もちろんの こと、
それ を取捨選択する、ま とめることや、他者 との議論 にも用いることができるであろ う。 また、 自らが現在 どの程度 まで知見を得ているか、ア ウ トプ ッ ト可能で あるか とい うことを示す手段 としても用い るこ とがで きる。 さらに、ア ウ トプ ッ トを如何にす るかとい うこ ともICT活用の一環 となる。
大学授業におけるICT活用の研究は、大学教育改革 として、特に視聴覚教材をい力ヽこ用 いるか、 とい う問 題意識 と、
1997年
に大学設置基準が改訂 されたこと によ り制度化 された遠隔地教育 との関連で注 目されて きた:。さらに、2003年 度、文科省の 「教育CP」 の頃には、
ICT活用 に関 しては、遠隔教育な どの教育機会の拡大 の文脈で語 られていたものか ら、教育効果の向上をは
じめ とする 「教育の質保証」の文脈へ と変化 してきて い る。つま り、学士課程での質の中での議論 として学 修支援環境飢 な ど教育サポー トスタッフの充実、ICT を活用 した双方 向型の授業や教学 システムの整備、学 生 に対す る経済的支援、学生の主体的な学びのベース となる図書館の機能強化等
)と
併せ て論 じられ るよ う になったのである。大学教育にお けるこ うしたICT活 用の議論の変化 を鑑 み て、本稿では、教育の場においてデ ィジタル化 され た書記空間を 「ライティングスペース」 として意味づ
高 口 涼・藤井基貴
けなお し、その内容および特質の分析を進めることを 目的 としている。研究対象については、静岡大学教育 学部科 目にて、開講 されている 「道徳指導論」 (著者 の一人である藤井基貴
)の
実践4、 とりわけプログを 用 いた課題提示 とその応答を講義内において行 うという実践 に注 目し、それを手がか りにプ ログを用 いた課 題提示 と学生がプログに課題 を書 き込む とい う方法 を、
学生の学習・研究を支えるICT活 用を取 り入れたアク テ ィプ・ ラーニングの成果 としてとらえ、同ライティ ングスペースの分析を
(3)で
行 う。そのため (1) お よび(2)に
ついてはその前提 となる、大学教育改 革 にお ける質保証の議論 と「書くことJと
の関わ りに ついて論 じる。1.大
学軟青の質 とアクティ プ・ ラーニ ング 文部科学省 が、 「大学教育改革実行プラン」 (2012 年 6月 5日)を
公表 し、中央教育審議会 は、 「新 たな 未来 を築 くための大学教育の質的転換に向けて〜生涯 学 び続 け、主体的に考 える力を育成す る大学へ〜」(2012年 8月 28日
)を
答 申 し、また、同 日に 「大学 入学者選抜の改善をは じめとす る高等学校教育 と大学 教 育の 円滑な接続 と連 携 の強化 の た めの方策 につ い てJの
諮 問を受けている ところである。 「大学改革実 行 プラン」では、 「大学教育の質的転換 」が唱われて お り、学修時間の実質的な増加・確保により、① 「答 えのない問題」を発見、最善解 を導 くために必要な専 門的知識及び汎用的能力 を鍛 えること、②実習や体験 活動な どの教育によって知的な基礎 に裏付けられた技 術や技能 を身 に付 けるこ と、が求 め られ ている。中央教育審議会 (以下、中教審
)で
議論 され ている よ うに、大学のステークホルダーである社会が、学士 課程教育改善の現在の到達点に満足 していない とい う 視点を基礎 としてお り、学生 に対 しては、高校 までの 受 け身 の勉強 とは質的 に異 なる主体的な学びのための 学生の学修時間が少ない とい う大きな問題があるとし ている。本来の制度設計では、 「大学制度 において、
1単
位 は予習や復習などの自学 を含めて45時
間の学修 を要 す る内容 で構成 す ることが標準 とされ ている。 これは 学びの主体性 とい う大学 における学修の本質 に基づ く 仕組 みであ り、体系的なカ リキ ュラムに不可分 に運動 す るものである̀」 とされている。上記の問題意識 と制度設計を踏まえて、高等教育の 課題 が学生数等の 「量
Jか
ら教育の 「質」へ と転換す るユニバーサル段階において、また、我が国が激 しさ を増す社会変化に直面す る中で生き抜 くことをできる 学生養成 を しよ うと、学 士課程教育の質的転換への早 急かつ効果的な取組が求 められ ている。こ うした議論が さらに洗練 され、大学教育がよ り学 生指向 とな り、学修 しやす く、成長 できる環境が整備
されてい くことは、基本的に望ま しいことである。
ア クティプ・ ラーニングにつ いてであるが、アク テ ィプ・ ラーニングは、文科省の資料 によるとし、
「伝統的な教員 による一方向的な講義形式 の教 育 とは異 な り、学習者 の能動的な学習へ の参加 を 取 り入れ た教授・学習法の総乳 学習者 が能動的 に学ぶ ことによって、後で学んだ情報 を思い出 し やすい、あるいは異なる文脈でもその情報 を使 い こな しやすい とい う理 由か ら用い られ る教授 法。
発 見学習、問題解決学 習、体験学習、調査学習等 が含 まれ るが、教室内でのグループ・デ ィスカ ッ シ ョン、ディベー ト、 グループ・ ワーク等を行 う ことでも取 り入れ られ る」
とある。つま り、インプ ッ トからア ウ トプッ トヘ と 至 る一連の流れを枠付けする教授 法であると理解する ことができる。具体的に述べ ると、資料やデータ、映 像や情報を多様なツールか ら取 り入れ、その取 り入れ たものの中か ら何を選択 して、 どうい う課題設定をす るか とい うことが重要になる。その後、その設定 した 課題 を踏まえて、比較、分析、批評、判断、整理を含 めた批判的検討を行 い、最終的にア ウ トプ ッ トヘ と至 る。 こうした一連の流れを学習者 自身が型 を求め、構 築 しつつ行 つてい くのである。 そ うしたアクテ イブ・
ラーニングを行 つてい く中で、個別 学習 のみでは比較、
分析、批評 、判断、整理 を含 めた批判 的検討 を行 い、
最終的にア ウ トプ ン トヘ と至 るとい うことは必ず しも 完結できるとはいえず、他者 と協同 して学習 していく ことが必要になつてくる。また、学修 における内容に 関 しての必要性 を説 かれ て知 るのではな く、 自らの経 験 か ら必要性 を感 じ取 つてい くことができる。 自分で や ること、できることと、他者がや つていること、や ることのできることとを議論等を通 じて連携 させ、 ど の よ うにま とめてい くかを重視 してい るのである。
従 つて、知見 を収集 し、 自分で問いを立て、構成 を決 め、収集 した材料の批判 的検討 と他者 との議論、連携 を経て得 られ る理論 に至 とい う一連 の研究のサイクル を、各 自が 自らの力によつて発見す ることがアクティ プ・ ラーニングである。 さらに述べ ると、 自分 自身の ア ウ トプ ッ トを生産す ることが求め られ るとい うとこ ろに、積極的な授業への参加が求められ るのである。
近年 は、学生が大学 で学習や学修'した こ とを どの よ うに生かすのか とい うことに非常 に重心を置いて議 論がな され ている。 それ は、 「質保証」や 「質転換J
をキー ワー ドとして、大学教育改革の流れの中に位置 づ けられてきたことがいえる。大学教育は、学問の リ テ ランーを養成す ること場であると解釈 しても前段落
までに述べてきたことと相違 しないだろ う。学問の リ テ ラシーは言い換 えると、学問の見巧者、聞き巧者 と いつてもよい。学問の見巧者、聞き巧者 を養成すると い う視点を取 り入れ るこ とで、質は具体的に何をさす か とい うことが見えて くると考 えられ る。
見巧者 とは、演劇 や芝居 に通 じていて、見方 の上手 な人の ことを指 し、間巧者 は、開き上手の ことを指す。
その意味か ら分かるよ うに、この語は広 く演劇や芝居 の世界で用い られてきた語である。
現行教育基本法 では、第七条第一項 において、大学 は 「学術の中心
Jで
あるとい う理念 を示 し、この理念 を踏まえて 「高い教養 と専門的能力を培 うとともに、深 く真理 を探究 して新 たな知見 を創造 し、 これ らの成 果 を広 く社会 に提供す るこ とによ り、社会 の発展 に寄 与す るもの
Jで
あ ると規定 されてい る。 い うまでもな く学術 の本質は真理 の探究であ り、 この学術 の理念 を 根底 と した大学 教 育 は、需 要 と供 給 関係 に あ る教 育 サー ビスの提供のことではない。さらに第二項では、大学について 「自主性、 自律性 その他 の大学 にお ける教 育及び研 究の特性 が尊重 され なけれ ばな らない
Jと
している。 「学術 の中心」であ るとい うことは、学術の知の拠点 として社会から一定 の距離を保 ちつつ、距離感 を保 ち、社会の批評および 提言 をす るこ とを意味す るものである。「学術の中心」 としての大学の本質は、学習者に対 して、学問を批判的に検討できる学習者 を育成できる ことが求 め られている。その方法がこれか らにおいて も議論 され ることは必要 な ことである。学習者の育成 において、アクテ ィプ・ ラーニングが用いられ、学習 者 自らが学術 を 自らの頭 に描 くことができ、学問の良 き批評者 となる とい うこ と、良き批評者 を輩 出す るこ とが大学教育の質を決める。
学習者が大学を出た後 にも、 自らが得た知見や仲間 を手がか りに して、学問を大学の外か ら批評 し続けら れ るこ とが これ か ら求 め られ てゆ く。。 こ うした、 日 的の基 に、多 くの学習者の意見が集約 される手法での 課題提示 とその意見交流 の場が整備 され ることは望ま
しい ことである。
2.書
くとい うこ とについて書 くとい うことを考察す るにあた り、一つの入 リロ を示す。
……苦悩の詩 は、同時 に苦悩そのものであ り、
また苦悩以外の他の ものである。実存主義の語彙 を適用すれば、詩 と諸君 はい うかも しれない。ま さに しか り、彼 はそれ をつ く る、彼 は想像 の家 を画 布の上 に創 造す るので、家 の記 号 を追」造す る
の ではない。そ して このよ うに出現 した家は、現 実 の家 のあ らゆ るあいまい さを具 えてい る。 作家 は諸君を導 くことができる。 た とえば、 あば ら屋 を描 写 して、それ を社会的不正 の象徴 とし、諸君 の怒 りを喚起す ることができる。 しか し画家はだ まつている。 (傍点原文ママ
)'
サル トル は、この引用のす ぐ後 の部分で、 「誰が あ えて画家または音楽家 にはつき りした社会的立場をも とめるだろ うかⅢ」 と指摘 している。文章を書 くとい うこ とは、書 き手である作者 ・筆者 に明確 な立場 が求 め られ る。その立ち位置か ら、何 らかの事柄に光をあ てることなのである。その光、つま り、文章には読み 手 を時 として扇動 し、時 として導 きを与える効果が あ るlt
書 く とい うことがすな わ ち行 動 であ る こ とが ア ク チ ュアル であると示せ る。そのものの存在、社会事象 を記号 ととらえ、書 き手はそ の記号を言葉 として記九 あ りのままの物費 性、記号は 自覚的に意識 して用いて い るその対 自を弁証法的に即かつ対 自的に記 している のである。 ここに、書 くとい うことの存在が求められ る。学習者 がその場にいることを示 し、思考 している ことを示す手段 として書 くとい う行為がな され るので ある。そ うして、書かれたものは、学習 しているとい う行動である。 この行動が広 く共有 され ることで、他 者 との切磋琢磨や、議論、 自己の省 察、を促す ことに つながるのではないか と考え られ る。
学習において書 くとい うことは次の段階を経ている。
ものを読む こ とによつて考 える意欲 が湧 いて くる。講 義 はその読む とい うこ との道標 を示す こ とができるに す ぎない。何 も読まず して、考 えることな どはできな い。無か ら考察 とい う有は生まれないのである。考 え るこ とはその場 に 自らが存在 してい るこ とを示そ うと す る試 みであ り、 この世界 に生 きている自分 を表現す ることである。書 く意欲は考 えるこ とによつて湧いて くる。書いて示 さなければ、考えたことにはな らない し、 自らの存在 を示す ことはできない。であるか ら、
「コメン ト欄 の記述 の内容が特定の水準に達 したと見 な されな けれ ば、欠席 と同様 の扱 い をす る」 とい う捉 え方が成 り立ちえるのである。考えることと書 くこと は循環す る。
4に
おいて具体的な検討は述べ ることにす るが、書 かれたものを、読み取 り、汲み上げ、応答す ることは、書 くこ との訓練 を促進 させ る有効 な手段である。 「書 き手」である学習者 の存在 を認 め、明確化 させ、学習 の深化 を促す。 これまでは、多 くこ うした手続 きを紙 媒体 によつて行 つていた。紙 に書 くとい うことは、用 紙 と筆記用具 を前 に した 自己 との対話 を強 く促す装置 として有効 であると考 えられ る反面、紙媒体で行 うこ
高口 涼・藤井基貴
との欠点は、多人数授業 においては、授業者対学生の 構 図のみでのや り取 りに終始 しがちであるとい うこと である。従つて、応答は特定の書かれたもののみ とな り、 さらに、特定の応答 によって得 られた情報 しか得 るこ とが学生にはできない。
ICT活
用、 と りわけプ ログを用いた授業課題の提示 は、学生の考えをそのまま関覧す ることができる。場 合 によつては、既 に提 出 され た学生の課題 を受 けて別 の学生がさらに記述をす るとい うことが行 えるし、実 際 に行 われていた。 ここで為 された内容 を さらに受 け て、応答す るとい うことは、学生間の相互学習を促す 授業課題 の提示 とその課題お よび内容理解 の深化 に大 いに寄与す る方法であると考 えられる。3.ラ
イティ ングスペース としてのbl●gJ,ボ
ル ダーが『 ライテ ィングスペース』を出版 したのは、
1991年
の ことである (日本語翻訳版の出 版 は1994年
)。 ここでは、コンピュータによる電子 的エ ク リチ ュールの可能性 につ いて論 じられている。ボル ダーは結論 として、
電 子 ライテ ィングの世界 には、万人必 読のテ キス トとい うものはない。 テキス トがあつて、
或 るものは多 くの読者 が、又或 るものは少数の 読者 が、詳細 に検討 した りしなかった りす る、
た だそ れ だけの こ とだ。偉大で、避 けて通 るこ とが許 されないよ うな書物 とい うものは、印刷 時代 に属す るの であ る。そ して印刷時代 は今や 過 ぎ去 りつつ あるのだlち
と述べている。 コンピュータが印刷書籍に単に取つ て代わるものではな く、読み書きされ るところの質そ のものが変容 している。 とい うことを指摘 している。
も う一方 で、 「ライテ ィ ングスペー ス
Jと
してのTCT活
用 につ いて、学生間の相互学習を促すライティ ングスペースの構築を考察す る。 ここでは、電子テキ ス ト論 としてではなく、書き読まれる空間のデ ィジタ ル的な構成 をい力ヽこ思考す るか、 とい うところに関心 を寄せ た論 を展開す る。具体的には、人は書 く時、書 かれるものにいかに規定 される力、 人は読む時、読む ものにいかに規定 され るか とい うことである。90年
代後半 にな され た教 育 とコン ピュータの議論 に 目を向けてみると、佐伯 [1997]を は じめとしたもの がみ られ、 この頃 の コ ン ピュー タ と教育 は、 コン ピュー タを導入することに対 して必ず しも否定 される ことではないが、導入す ることで、知を代行 されて し まい、基礎学力が低下 して しま うのではないか。 と いつた懸念が残 つていた。つま り、便利で使いやすい道具を用 いる とい うことが、学修 の支援 となることが 直結 され るとはいえず、む しろ
(便
利 で使 いやすい道 具 に頼 つて しま うこ とで頭を使 う機会を失 いかねない。とい うことである。
一人ひ とりの個人が、個人のみで完結する学習にお いては、先に挙げ られているような懸念が残 つている と言える。
しか し、学生間において相互に能力を高め 合 う、 とい う視点で考察 してみ ると、基礎学 力の低下 とい うことが結びつけられ るものではない。それは、
相互 に学習 を促 し高 め合 うとい うこ とは、持 ち うる知 は人それぞれ異なつてお り、互いが持 ち うる知を持ち 寄 り、その中か ら検討、議論がなされるとい う、相互 に学習することを通 じてより高次の知が構成 され ると 考 えられ る。
今回の
blogを
用 いたことと関連 させてみると、今 回のblogは
、学生個々の知 を集積 させ る、 とい う点 では効果があつた とい うことができる。また、既 にコ メン トされ た ものを参照 してさらに付け足 しや、踏ま えた上で課題のテーマを考察することができるツール として紙に書き込む とい うことと比較 して成果があつ た と考えられ る。また、一度課題 を持 ち帰 り、考えることで、思考の 深化が期待 できる。
そ の反 面 で、
blo8の
リスク と して、講義受講学生 以外 も閲覧できることから、荒 らされ る可能性や、そ れ を考慮 しす ぎて しま うと、課題提示の際に、 よ り講 義 に踏み込んだ提示 が難 しくなつて しま う。 しか し、パスワー ドを導入す るといつたセキュ リテ ィ面を重視 しすぎると、アクセシビリティが低下 して しま う懸念 があ り、オープンにするとい うこととセキュ リティと の接配がこれか らの課題 となるll
本節 のは じめに引用 したボル ダーの結論 の とお り、
学生間の相互学習を促す課題提示は 「テキス トがあつ て、或 るものは多 くの読者が、又或るものは少数の読 者 が、詳細 に検討 した りしなかつた りす る、ただそれ だけの こと」である。多人数授業において、知が集積 され、検討、議論がなされ るこうした環境はこれから の学習形態に一石を投 じたものであるといえ、これか らよ り詳細に今 日議論 されている大学教育改革の流れ と関連づけて論 じる必要がある。具体的には、主体的 に学ぶ姿勢を持 たせやすいアクティブ・ ラーニングの 手法 としてblogを用 いることは、blog開設 の手 間は あるが、一度 開設す ることで、半期 にわたつて用 いる こ とができ、削除 しなければ、授業後 も
blogを
参照 す るこ とができる。自学 自習を表全に学習者 に任せて しま うのではな く、
授業者側の仕掛けとして課題提示があ り、その課題提 示 を受 けて、学習者 自身が考察 し、持 ち うる知を持ち 寄 つて、課題 に取 り組 んでい くとい う流れ が
blogを
用 いる ことで成立す る。 さらに、blogに
お いて展開授業者 と相互にや りとりをすることも成立する。
ボル ダーの述べ るように、 「電子的テキス トが世界 である とすると、それは常に動きつつある世界であろ うИ
J
し、また 「コンピュータのテキス トは決 して静 的なものではない し、また読者がそれに与える様々に 変わる コンテキス トか らかけはなれ た もので もない 嬌」のである。書 くとい うことによつて、考えている ことを示す とともに、コンピュータ空間においては、知の集積に寄与 している。それを読み返す ことで、 自 らの考 察過程が視覚的に分かる。
bloし をは じめ とす る、 コンピュー タ上での記述空 間には、対話可能性 が保持 されてお り、知 を持 ち寄 り、
集積す るとい うことと、 自己の考察を視覚的に明確 に できる とい う
2つ
の側面が見 られ る。今回の実践では、課題 としてある事雨について調べ たこと、考えたことを問 うものや、実際の教材を授業 内で提示 し、その先の発間を考える課題 、教 材その も のの取 り扱いの是非を問い、考察 させ る課題、グルー プで討議、検討 し、意見をま とめ、その結果 を報告す る形式で提示 した課題、それぞれの学生の背景を知 る 手がか りとなる課題 の提示を した。
授業内において、その場で問われ、答 えることとは 異な り、一度持ち帰つて、 じつ くり考えて課題 に取 り 組んだ り、他者の意見を見た上で、それ を受けて 自身 ならどのように答えるかを組み立てた りしている様子 が、課題提出か ら窺 うことができた。
また、大学における学生の学びについて研究 した長 橋・花井[2012]に よれば、 「
S大
学教育学部学生は、大学生活を通 し、個人で努力 し力をつけた とい うより はむ しろ、仲間 と切磋琢磨 してい くことによつて力を つけた と感 じてい ることЮ
Jと
指摘 してお り、端的に 示す ことのできる視点 として、本稿で取 り上げる実践 が、仲間 と切磋琢磨 して力をより伸ばすために、互い の考えを知 りうることに寄与 しているもの とも考えら れ る。つま り、課題提示か ら課題提出までをプログ上 で行 うことで、受講者の思考が受講者 に共有できるも の となる。本年度用いたプログは、過年度同様 に、 ウェブ上に 残 してお く予定である。 ここか ら振 り返 りの手がか り を得て考察を行 うことのできる環境 をさしあた り整 え ることができていることは成果である。
4.学
習メデ ィエー ター としての TA筆者は、テ ィーチングアシスタン ト(以下、
TA)と
して 「道徳指導論」 (著者の一人である藤井基貴が担 当)に
参加 した。同科 目では、講義の課題提出、即ち 学部学生 (以下、受講生)の
考察 した内容にTAが
応 答 してい く仕組みが取 り入れ られた。 これ らは、担 当 教員のみが通常行 つていた応答にTAも
加わることになされることとなった。
実際には、冒頭
10分
以内の持 ち時間を用いて筆者 はTAと
い う立場『 で応答 を試みた。また、応答 に際 しては、A4サ
イズ1枚
の資料を作成口し、配布 した。TAと
して参加す ることを通 して考察 した教授能力 開発 について示す。今回、担当教員 と担 うこととなつた受講生に応答す るとい う行為は、提出された課題の読み込みに根付 く ものであ り、ここか ら何 を読み取 り、 どのように応答 するか とい うことが問われていた。それはつま り、課 題を提出 した受講生の存在を如何様にとらえたか、応 答 に際 しては、
TAと
い う立場か らどのよ うに応答す るかについて、単に内容のま とめや感想 を述べ るだけ ではなく、受講生がより学習を深化することができる よ うに配慮することが問われていた。 こうした機会は 自身の活動を省察す る機会が得 られ るとともに、担当 教員か らの助言は、筆者が どのよ うに見 られているか を客観視す ることにもなつた。つま り、こうした手続 きを経 ることによ り、TA自
身が 「読み手」 と 「学習 者」の行き来を していた とい うことになる。こうした活動は、応答が受講生への学習を深化 させ る教授行為 の一環であることがいえる
:TAを
通 じて、自己の活動の省察、課題 の読み込みか ら実際の教授行 為へ と結びつける作業は、実践 としての副1練となった。
提出された課題 を読み込む ことは根気を要する。 よ き 「読み手」 とな らなければ、課題提出者の意図を汲 み取ることができない。汲み取 らなければ応答するこ ともできない。 よき 「読み手」 となるには、読み方の 多様 さ、視点が要求 され る。 よき 「読み手」 となる訓 練ができる、 しかも担当教員の助言付 きであることは、
TAの
教授能力開発におおいに寄与す るものであると 考えられ る。おわ りに
本論文では、大学での多人数授 業 とりわけ学部専門 科 日で、
2012年
度において著者の一人である藤井基貴が展開 されている 「道徳指導論」の実践方法の紹介 (取扱い事例の紹介
)と
分析 を通 して、多人数授業に おけるICT活
用を活用 した 「アクテ ィプ・ ラーニン グJお
よび 「ライティングスペース」構築の成果 と課 題について検討 してきた。書 くとい うことについては、 「ライテ ィングスペー ス」 としての
ICT活
用について、学生間の相互学習を 促す授業課題の提示 を考察 した。。本稿は、先行研究で確認 されてきたことを改めて確 認 したにす ぎない部分 もある。他方で、以下二点につ いては、本稿の新たな見解 として示す ことができた と 考えている。
第一は、書 くとい うことが改めて何 を意味 している
高 口 涼・藤井基貴
かである。
プログを用いた授業デザインに関 しては、直接にブ ログを用いた実践や方法 としてこれまでは論 じられて き た こ とが 、 中 島・ 豊 福120091や向後12005]か ら見 る こ とがで き る。 また、プ ログは濱康 ・森 広・ 正 司・永 田・ 卸 l12006]の 研 究 に も見 られ るよ うに、情 報発信 の道 具 と して用 い る とい うこ とと、永 田・ 森 広・ 鈴 木
12005]の
研究にも見られるように、ティーチング・
ポー ト
7オ
リオの利用に関 しての研究が進められてき た。本稿 では、プ ログを用 いた実践の検討 とい う面では 新規性 は多 くを見 られないかもしれない。 しか しなが ら、デ ィジタル空間における 「ライテ ィングスペー ス
Jの
構築 とい う観点か ら、書 くとい うことを概念 的 に突 き詰めていつた ときに、改めてそれは哲学におけ る存在論への志向を呼び覚ます ものとして描きなおす こ とができた と考えている。つま り、プログ上に課題 をコメン トし提出するとい うことが、存在の問題、 こ と 「ここに私はいる」 とい うことの現れ として、逃げ も隠れ もできないあ りのままの個人の存在の在 り方を 見 ることができるのである。書 くとい うこと自体が、ポー トフォ リオとしての 目に見える形での蓄積 とい う よ りも、書 くとい うことは、書き手がその場に存在 し ているとい うことを示す行為であった。そ ういった意 味で、本論文は方法論や実践の在 り方について論 じら れ てきた
ICTの
活用 の研究に対 して、原理的な迫求 を行 った ささやかな成果でもある。また第二に、大学で学習するとい うことと、書 くと い うこと、 さらにそれ らが、いかに して結びつき、考 え られ るか とい うことである。
学生間の相互学習を促す こと、また、相互学習を促 す場を作 り出す とい うことは、対話を求め、デザイン す るとい うことであ り、これは、学問が誰のものでも な く、すべての人のものであることを保証 している。
そ して、その思考はそ こに私がいて考えているとい う 存在 のための ものであるとい うところに通 じている。
これは、提示 された課題 は、思考が練 り上げられ、深 化 してい くことを通 じて学生相互につながるとい うこ とと目の前にある課題 と考える自分がつながっている とい うことなのである。
学生間の相互学習を促す ライティングスペースの構 築は、 とりわけ、教育学部学生に対 しての、 とい う視 点で示す と、実践 と理論の往還の限界を定めた ところ か らの始ま りが示 され るようにならなければな らない とい うところが、課題 となるであろ う。
最後 に、だが しか し、 こ うしたアクティブ・ ラーニ ングやICT活用 の有用性 を認めることとしても、 「コ ミュニケーション能力」について触れ ることな く、コ ミュニケ‐ション能力が育成できる方法である、他者 との協同学習が可能 となる、 とい う結論に至るか どう
力,こつ いては、それ らを行 う環境、具体的には机の配 置や実施 場所、についての指摘がまだまだ足 りない と い うこともでき、端的に判断 して しま うことは、実践 の段階において、アクティプ・ラーニングやTCT活用 の 目的や効果 を歪めることにもな りかねず、慎重な検 討 が求め られ る。本稿 の課題は、他者 と練 り上げてい く知のツール として確認 してきたICT ttl用 の成果 を踏 まえ、コミュニケーションとい う視点を取 り入れ、ラ イテ ィングスペース構築の展開について考察 していく ことであろ う。
参考文献
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47号
、 2007市原信 「大学授 業 にお け るコ ミュニケ ー シ ョンにつ い て
その3J、 『東京家政学院大学紀要』
第
49号
、2009京都大学高等教育開発推進センター編『 生成する大学 教育学』、ナカニシヤ出版、2012
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斎藤里美、杉山憲司 (編著
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佐伯絆『 コンピュータと教育』、岩波書店、1986 佐伯絆『 新・ コンピュータと教育』、岩波書店、1997
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3』 、 2009
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静岡大学教育学部附属実践センター編、No 20、
2o12
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」
Dボ
ルダー (黒崎、伊古日、下野訳)『
ライティン グスペース』、産業図書、1994
」
Pサ
ル トル (カロ藤、自井、海老坂訳)『
文学 とは何 か』、人文書院、1998註
1導
入 され ているのは学校だけではない。学生、児童 生徒一人1台の時代である。初等・中等教育における 導入例 は 「デ ジタル教科書Jの
導入か らも時代の趨勢 であることがわかる。また、学生に関 しての顕著な事 例 は名古屋 商科大学の取 り組みがある (「パ ソコン無 償譲渡制度J http://¬甲w nucba ac jp/support/it―education/it html(2013年 1月 25日 閲覧
))。
2 1'腹黒[2009]、 p l
=本
稿 で考察す ることとなる、デ ィジタル化 された書 記空間につ いて も、電子 メール のや りとりや電子掲示 板 を用 いた遠 隔地教育の支援 に関わつた ものが多 く、これ らの研究の知見を享受 している。
4
本稿 で手がか りにす る実践 の概要は以下の通 り。(1)科
日の位置づけ「道徳指導論
Jは
①教 育学部学校教育教員養成過程 の、② 「教職 に関す る科 目Jに
、③4年
次の必履修科目として設置 され てい る。
(2)受
講登録者受講者 はあ らか じめ専攻専修 ごとにクラス分 けがな され てお り、基本 的には決 め られ たクラスで受講す る ことになる。本年度の初期登録者数は、教育実践学、
教育心理学、幼児教育学、特別支援教育、家庭科教育、
英語教育 を主 とす る107名であつた。 クラス分け、授 業登録 に関す る手続 きに関す る情報は、
http://wwv ed shizuoka ac jp/stufac/student/
(2012年12月27日閲覧
)及
び学生便覧 を参照 した。(3)用いたプ ログについて
g00プ ログ (無料
)を
用 い、 「成長す る道徳 くん2012」 として開設 した。本プ ログを用いた理 由は、無
料であるこ と、前年度 までの実践 においても同サイ ト のプログを用いて開設 されていた故である。初回講義 において、オ リエ ンテーシ ョンフークと関連 させて、
プ ログ投稿時に用いる番号を学生に配布 し、学生は課 題提出時にはその配布 された番号を用いて投稿す ると い う形式をとつた。
応答 については、そのプ ログを閲覧 し、資料を作成、
担 当教員 と検討の上、双方が次回講義冒頭で応答する とい う手続 きをとつた。
:「
大学教育部会の審議のまとめについて (素案)」http://wwv ltext go jp/b nenu/shingi/chukyo/chuky o4/015/attach/1318247 htn(2012年 12月 27日 間 覧)
e「
予測困難 な時代において 生涯学び続 け、主体的 に考える力をはぐくむ大学へ (中央教育審議会大学分 科会大学教育部会審議 ま とめ(案))用
語集」http://w椰層v mext go Jp/component/b」 nenu/shing1/gl
」1/̲̲lcsFiles/aFieldfile/2012/03/28/1319067̲2 pd f
(2012年 12月 27日 間覧
)の
ことである。また、直 後の引用 も、 ここか らの引用で ある。'学
習 と学修 を どの よ うに使 い分 けるのか。身 につ けたか どうかを指標 とす る見方 (山上浩二郎 「教育の質 向上は学修時間の増カロか らJ、 朝 日デ ジタル
(http://n¬T asahi com/edu/university/toretate/T KY201203080554 htmlIIPrOfilo(2013年 1月 25日 閲 覧
)))も
あるが、本稿では、学問を修める、単位修 得 を直接意味す る活動 につ いては学修 を、主 に経験 を 通 じた活動 によ り知識 を得 ることを学習 と表記す る。'小
林正夫 「地域連携型の大学教育 とその展開J、 斎 藤・杉 山[2009]所 収を もとに筆者 が 「学習者 が大学 を出た後 にも、 自らが得た知見や仲 間を手 がか りに して、
学問を大学の外か ら批評 し続け られ ることがこれか ら 求 め られ てゆ く
Jと
結論づ けた。なぜな らば、 どの研 究分野 と、または、誰 と連携す るのか とい う選択は、学問が適切 に批評 できるか らこそできることである と 考 え られ るか らである。
:JPサ
ル トル (加藤 、 自井、海老坂訳)『
文学 とは 何か』、人文書院、1998、p18
■ 上掲書、
p19
Hし
か しなが ら、絵画や音楽にはこのよ うなことが 必ず しも求められ るものではない。文章を書 くとい うことは即ち行動を意味す る。他者に対 して、思想的に 影響力を行使 している。 と解することができる。確か に、本文で引用 されているサル トルの論考はこと文学 における表現行為について考察 されたものである。 し か しなが ら、本稿 において、書 くとい う表現行為を考 察す るにあた り、サル トルの引用は、本稿の入 リロと
して有益な示唆をもた らす ものであると考えられる。
無論、ここでの 目的が文学、藝術 における表現行為を 考察す ることではないので、 これ以上 の作品に関 して 書 くとい うこ との考察 には立ち入 らず、作品 と書 くと い うことに関連 した考察は稿 を改めて論ず ることとし たい。
"J‐
Dボ
ル ダー (黒崎、伊古日、下野訳)『
ライ テ ィングスペース』、産業図書、1994、
p426
史 市原 [2007]の ような、プログと授業をタイムラグ な しに リアル タイムに情報共有を試み る利用方法 も研 究 されている。 この市原の試みの際に用い られたプロ グは、パスワー ド認証 を行い、履修生のみがアクセス 可能 とす るものであった。科 目履修者等 の条件 が本稿 において取 り扱つた試み とは異なるので一概 に比較は できないが、オープンにすることと、セ キュ リティの 按配 については要検討 である。
前掲書、
p272
に前掲書、
p273
(長
橋・ 花井[2012]、p176
Pmの
立場については、静岡大学大学教育セ ンター が発行 している『 ティーチングアシスタン トの心得・FAQ』
に示 され てお り、そこでは、 「教室の中では、TAも教員 として見 られ ているこ とに注意す る必要が
高 口 涼・藤井基貴
あ ります」 とある。
応答 の際に配布 した印刷資料は、高 口が作成 し、
も う一人の著者 であ り、担 当教員 で もある藤井 と内容 の検討 を行い、配布す るとい う手続 きをとった。