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密教研究 Vol. 1924 No. 15 007大三輪 信哉「観賢僧正と其時代 P105-124」

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高 祖 大 師 が 入 定 し て 靈 體 ま だ 冷 か な ら の 百 年 未 満 の 歳 月 に 於 て 、 な せ 海 内 無 双 と 謡 は れ る 高 野 の 廟 地 が 荊 棘 に 埋 れ た か 、 な せ 弘 法 利 生 の 福 音 を 歌 ふ 三 寳 鳥 の 聲 か 寂 し く 響 い た か 、 由 來 八 葉 蓮 壹 の 峯 中 に は 斯 ん な 疑 團 が 兀 然 と し て 氷 塊 の 如 く 残 つ て 居 た 、 月 去 り 星 流 れ て 茲 に 千 歳 、 誰 か 此 解 決 に 向 つ て 釋 然 を 與 へ た り や 、 思 へ は 禿 樹 春 に 遇 へ と も 花 咲 か ず 、 増 从 夏 に 入 つ て 伴 け 注 か ざ る の 奇 觀 に あ ら ず や 。 僧 正 觀 賢 を 觀 る 固 よ り 多 方 面 な る 可 し 、 吾 人 は 今 こ の 大 な る 宗 門 疑 義 の 穴 か ら 其 一 片 だ も 覗 い て 見 た く 庶 幾 す る、 も と よ り 盲 人 摸 象 の 誹 り を 免 れ ぬ は 豫 め 覺 悟 す る と こ ろ で あ る 、 要 す る に 疑 問 の 孔 は 頗 る 深 い が 覗 く 吾 人 の 眼 光 は 甚 だ 小 さ き に 過 ぎ る 、 之 を稱 し て 管 見 と 云 ふ 、 其 全 豹 を 窺 い 得 さ る は 敢 て 説 明 の 限 り で な い 、 故 に 曰 く ﹁雜 つ と 観 る 觀 賢 僧 正 ﹂ 僧正 觀 賢 を 覗 く に は 尊 師 聖 寳 を 通 せ ね ば な ら 漁 、 尊 師 聖 寳 を 通 ず る に は 大 師 法 光 (眞 雅 僧 正 ) を 訪 ぬ る 必 要 が あ る 、 大 師 法 光 を 訪 の る は 直 ち に 高祖 入 定 後 の 教 勢 を 覗 る こ とゝ な る 、 蓋 し 此 期 間 の 宗 勢 が 必 然 の 要 求 と し て 僧 正 觀 賢 を 産 ん だ の で あ る 、 觀 賢 は 實 に 此 要 求 を 満 す 可 く 生 れ た權 化 た る を 信 ず る 、 幸 に 這 個 權 化 の 哲 人 に よ り て 解 決 さ れ た 威 に 我 大 眞 言 宗 の 安 定 を 得 た 譯 で あ る 。 と 、 吾 人 は 確 信 し て 僧 正 觀 賢 に 敬 畏 と 感 謝 を 拂 ふ て 平 素 か ら 歸 命 頂 禮 し て 居 る 次 第 で あ る 。 観 賢 僧 正 の 生 家 親 賢 僧 正 と 其 時 代  一 〇 五

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 〇 六 僧 正 觀 賢 は 如 何 な る 身 分 の 人 を 両 親 と し た の か 、 從 事 閲 る と こ ろ に は 未 だ 父 母 の 姓 名 を 具 に 發 見 し 得 ぬ 、 唯 尊 師 か 讃 岐 行 脚 の 砌 り 同 州 の 海 邊 で 此神 童 を 發 見 し た 際 に 於 け る 双 方 の 交 語 に よ り て 略 ほ 其 身 分 を 想 像 す る 程 度 に 止 ま る 、 ﹁祖 師 代 々 ﹂ に 曰 く 。 尊 師 昔 四 國 を 修 行 し 給 ふ て 讃 岐 の 國 に 至 て 人 の 宅 に て 乞 食 し 玉 ふ 、 其 門 邊 五 六 歳 許 の 小 兒 遊 戯 す 、倩々 是 を 見 給 に 高 相 面 に 顯 て 佛 法 の 棟 梁 な る べ し 、 尊 師 小 見 に 云 は く 、 父 は 何 く に ぞ 、 兒 云 田 殖 さ せ に 、 又 母 は 答 て 云 く 家 に あ り 尊 師 即 は ち 入 て 乞 食 し 給 ふ 、 母 、 尊 師 を 見 奉 り て 歸 敬 の 思 を 生 じ 、 申 し て 云 は く 、 物 食 し け ん 哉 、 即 ち 大 豆 飯 を 新 し き 墨 器 に 盛 て 羞 め 奉 つ も 能 く 食 し 了 り と あ る を 見 れ ば 、 其 家 庭 の 農 家 歌 態 を 爲 し て 居 る 、 共 か た は ら で 從 來 の 諸 傳 記 を 見 れ ば 多 く は 秦 氏 を 學 げ て 伴 宿 禰 を 或 説 に 付 し て あ る 、 獨 り 醍 醐 三 寳 院 の 五 八 代 記 か 伴 の 宿 禰 を 正 系 に 學 て 秦氏 を 或 説 と し て あ る 、 尤 も 同 記 の 中 に も 聖 寳

俗姓秦氏或云伴宿禰譛岐國人上醍醐中院建立號設若寺

僧正 と あ り て 前 後 相 違 し て 居 る の は 頗 る 怪訝 で あ る が 、 之 は 多 分 筆 者 か 平 素 耳 目 に觸 れ た 多 数 説 に 釣 ら れ て 書 い た 誤 筆 と 思 は れ る 、 特 に 同 記 に は 正 複 二 本 が あ る 、 吾 人 の 見 る の は 複 本 で あ る か ら 正 本 を 閲 ぬ 以 上 は 何 ん と も 云 へ ぬ 、 だ か 肝 心 の 觀 賢 の 條 下 に 伴 宿 禰 と あ る か ら 今 は 之 に 憑 る 外 は な い 、 其 事 項 は 後 段 に 譲 る こ と と し て 元 享 釋 書 に は 觀 賢 姓 は 秦 氏 き 書 て 、 其 注 に 秦 氏 帛 を 造 り 人 の 膚 を 煖 む 、 膚 と 秦 和 訓 近 し 以 て 氏 と な す 云 々 と あ る 、 而 し て 起 原 か 秦 の 始 皇 に あ り と す る は 別 掲 姓 氏 録 の 如 し 、 往 昔 秦 の 姓 氏 を 製 帛 の 機 業 家 が 得 た り と す れ ば 夫 れ は 或 場 合 の 別 稱 と も 見 へ る 、 何 故 な れ は 往 昔 は 多 く の 場 合 に 於 て 農 工 兼 業 で あ つ た 、 機 業 に 於 て 特 に 然 り で あ る 、 謂 ゆ る 一 夫 耕 さゞ れ ば 一 人 其 飢 を 受 け 一 婦 織 ら ざ れ ば 一 人 其 寒 を 受 く 抔 の 格 言 に 徴 し て も 此 間 の 消 息 を 知 る 可 き で あ る 、故 に 五 八 代 記 の 決 定 と譛 岐 の 海 濱 で 聖 賢 と

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少 年 觀 賢 の對 話 等 か ら 推 察 し て 、 觀 賢 の 生 家 は 大 伴 系 統 で あ つ て そ の 昔 は 宿 禰 家 郎 は ち 武 士 で 在 つ た も め が 或 機 會 に 歸 農 し て 耕 織 を 兼 業 し た 處 か ら 、 世 人 が 機 織 り の 方 面 を 重 視 し て 、 何 時 し か 伴 宿 禰 を さ し 措 て 秦 を 通 稱 に 呼 ふ 様 に 成 つ た 譯 で は あ る ま い か 、 例 へ は 商 家 が 氏 を 呼 ば れ す し て 屋 號 で 世 の 認 識 を 得 る の と 同 様 の 趣 で は あ る ま い か 、 宿 禰 の 稱 は 君 主 が 其 臣 下 を 尊 親 し て の 古 き 詞 で あ つ て 、 大 兄 に 野 す る 小 兄 の 約 で 夫 が 後 日 の 姓 に 成 つ た ざ の 説 で あ る か ら 、伴 氏 の 名 族 た る は 説 の 限 り で な い 。 因 に 本 稿 引 用 の 五 八 代 記 は 醍 醐 山 の 中 興 義 演 准 い后 の 編 纂 で あ る 。 右 の 通 り で 僧正 觀 賢 の 俗 籍 は 二 説 に 爲 て 居 る が 五 八 代 記 の 觀 賢 條 下 を 正 當 と す れ ば 、 大 伴 氏 と 佐 伯 氏 と は 同祖 同 系 の 因 縁 が あ る か ら 觀 賢 と 高 祖 と が 血 統 上 宿 世 の 契 縁 頗 る 密 な る も の あ る を 知 る 可 き で あ る 、 今 姓 氏 録 に よ つ て 之 を對 照 し て 見 れ ば 左 の 通 り で あ る 。 大 件 宿 禰 高 鳥 産 霊 尊 之 世 孫 天 押 日 命 之 後 也 。 初 天 孫 彦 火 瑳 々 柞 尊神 駕 之 降 也 。 天 押 日 命 。 大 來 目 部 立 於 御 前 。 降 干 日 向 高 千 穂 峰 。 然 後 以 大 來 目 部 爲 天 靱 負 之 號 起 於 此 也 。 雄 略 天 皇 御 世 以 入 部 靱 負 賜 大 連 公 。 奏 日 衛 門 開闔 之 務 。 於 職 巳 重 。 若 有一 身 難 堪坐與 愚 兒 語相伴奉 衛 左 右 。 勅 依 奏 。 是 大 伴 佐 伯 二 氏 掌 左 右 開 闔 之 縁 也 而 し て 此 頃 の 次 に 左 の 一 項 を 附 記 し て 有 る 。 佐 伯 宿 禰 大 伴 宿 謡 同 。 道 臣 命 七 世 孫 室 屋 大 連 公 後 也 佐 伯 直 景 行 天 皇 々 子 稻 背 入 彦 命 之 後 也 。 男 御 諸 別 命 。 稚 足 彦 天 皇 謚 成 務 御 代 。 中 分 針 間 國 給 之 。仍 號 針 間 別 男 阿良 都 命 一 名 伊 許 自 別 誉 田 天 皇 爲 定 國 界 ひ 車 駕 巡 幸 到 針 間 國 神 峰 郡 瓦 村 東崗 上 干 時 青 菜 葉 自 崗 還 川 流 下 。 天 皇 詔應 川 上 有 人 也仍 差 伊 許 自 別 命 往 問 。 即 答 曰 己 等 是 日 本 尊 平 東 夷 時 所 俘 蝦 夷 之 後 也 散 遣 於 針 間 。 阿 藝。 阿 波 。 讃 岐 。 伊 豫 等 國 仍 居 之 民 也 伊 許 自 別 命 以 復 奏 。 天 皇 曰 。 宣 汝 爲 君 治 之 即 賜 氏 針 間 別 佐 伯 直 中 略 直 者 謂 君 也 、 爾 後 至 庚 午 年 脱 落 針 間 別 三 字 偏 爲 佐 伯 直 。 因 み に 五 八 代 記 の 系 圖 と 對 照 す れ ば 多 少 の 差 が あ る 景 行 天 皇 の 庚 午 は 天 皇 の 崩 御 の 年 で あ る に 拘 ら す 、 五 八 代 記 高 祖 の 生 家 佐 伯 家 に 就 て 左 の 通 り 記 し て あ る か ら 参 考 ま で に 紹 介 し て 置 く 。 觀 賢 僧 正 と 其時 代  一 〇 七

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 〇 八 次 に 觀 賢 俗 姓 の 異 説 秦 氏 に 就 い て の 姓 氏 録 の 説 は 左 の 通 り で あ る 。 太 秦 公 宿 禰 秦 始 皇 帝 世 孫 孝 武 王 之 後 也 。 男 功 満 王 。 仲 哀 天 皇 八 年 來 朝 。 男 融 通 王一云弓月王 應 神 天 皇 十 四 年 來 朝 。 攣 二 ( 百 カ ) 廿 七 縣 姓 歸 化 。 献 金 銀 玉 帛 等 物 仁 徳 天 皇 御 世 。 以 百 廿 七 縣 秦 民 分 置 諸 郡 即 使 養蚕 織 絹 。 天 皇 詔 曰 。 秦 王 所 献 縣 綿 絹 帛 。 朕 服 用 柔 軟 。 温 暖 肌 膚 賜 姓 波 多 公 。 秦 公 酒 。 雄 略 天 皇 御 世 継 綿 帛 委 積 如 岳 。 天 皇 嘉 之 賜 號 曰禹 都 萬 佐 此 他 泰 長 藏 連 。 泰 忌 寸 。 泰 造 等 あ れ ど も 何 れ も 同 耐 の 家 と せ り 。 泰 氏 の 出 處 右 の 如 き で あ る 、 然 る に 義 演 准 后 は 從 來 の 説 を 排 し て 伴 家 し 断 定 し た と こ ろ に は 牢 乎 た る 典據 と 確 信 が 無 ね ば な ら ぬ 、 要 す る に 當 時 の 密 教 は 眞 言 も 天 台 も 其 の 棟 梁 を 讃 岐 じ 仰 い だ 事 が 多 大 で あ る 、 空 海 、 眞 稚 、 實 慧 、 道 雄 、 眞 然 、 智 泉 、 聖 寳 、 圓 仁 の 如 き 之 で あ る 、 故 に 、 聖 寳 尊 師 が 其 法 嗣 を 讃 岐 に 求 め て 而 か も 佐 伯 家 と 同祖 の 大 伴 家 か ら 觀 賢 を 得 た の は 偶 然 に 似 て 偶 然 で は 有 る ま い 。

高 祖 大 師 入 定 後 の 数 十 年 間 は 、 天 台 の 興 隆 期 で 眞 言 の 雌 伏 期 で あ つ た 雌 伏 の 裏 面 に は 無 論 捲 土 重 來 が 潜 在 し て 居 る 、 而 し て 其 任 に 當 つ た が 主 と し て 僧 正 觀 賢 の 法 祖 父 な る 法 光 大 師 (眞 雅 ) で 有 つ た 、 抑 同 大 師 は 淳 和 以 降 数 代 の 天 子 に 歸 依 さ れ た 大 徳 で あ る が 、 取 り 分 け 清 和 帝 と は 特 別 の 關 係 で あ つ て 、 護 持 僧 の 一 面 に は 謂 ゆ る 太 傳 の 觀 が め つ だ 、 故 に 此 太 傳 式 の 護 持 僧 眞 雅 は 同 帝 の 御 發 育 と 倶に 其 加 持 力 を 進 展 し て 終 に 豫 期 の 捲 土 重 來 の 準 備 が 出 來 た 譯 だ 、 そ れ が 愛 資 聖 寳 の 修 行 の 成 就 と 稚 兒 文 珠 式 の 觀 賢 の 入 室 で あ つ た 。

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古 傳 が 示 す 眞 雅 僧 正 と 尊 師 聖 寳 と の 二 師 の 間 に は 面 白 い 一 齣 が あ る 、 そ れ が 一 匹 の 犬 か ら 出 來 た 勘 當 事 件 で あ る 。 僧 正 は 犬 を 愛 す 尊 師 は 之 を 好 ま す 、 或 時 奪 師 は 師 の 僧正 の 不 在 を 奇 貨 と し 、 之 を 欲 し が る 門 前 の 猟 師 に 呉 れ て や つ た 、 僧 正 之 を 知 つ て 自 恣 專 断 の 行 爲 な り と し て 尊 師 を 勘 當 し た と 云 ふ 意 味 の 事 實 は 師 資 の 交 渉 に あ げ ら れ て 有 る 、 之 は 實 に 面 白 い 八 百 長 式 の 事 柄 で は な い か 、 若 し 左 も 無 く て 之 が 眞 實 勘 當 の 理 由 と し た ら 眞 雅 僧 正 と 云 ふ 人 は 事 態 の 輕 重 を 辨 別 せ ぬ 氣 まゝ も の と 言 は ね ば な ら ぬ 、 法 光 大 師 た る 程 の 人 豈 に 此 の 如 き 愚 物 な ら ん だ 。 盖 し 眞 雅 僧 正 は 賢 明 に し て 万 便 に 富 ん だ 卓 識 家 て め る 、 故 に 其 生 涯 の 大 半 を 九 重 雲 深 き 宮 廷 の 裡 に 没 し て 後 日 の 準 備 に 出 精 し た 、 其 心 事 を 知 ら ぬ 世 人 は 之 を 檜 生 の 實 慧 師 に 比 較 し て 多 少 の 誹 誘 を 與 へ た 様 子 で あ つ た が 、 僧 正 が 期 す る 或 準 備 の 爲 に は そ ん な 事 は 牛 の 角 を 蚊 の 整 す 程 も 感 じ 無 つ た で あ ら ふ 、 而 し て 前 に擧 け た 愛 資 の 勘 當 の 如 き も 無 論 準 備 の 一 つ で 他 の 誹 諺 を 意 と せ ず 表 面 惨 忽 の 行 爲 を 敢 て し て 生 得 の 驥 足 を 伸 べ し め て 以 て 大 に 其 將 來 に 資 せ ん と し た 方 便 で 有 つ た と 解 す べ き だ 。 升 は 又 何 故 ぞ と 云 へ は 尊 師 聖 賢 が 法 門 の 獅 虎 た る こ と は 賢 明 な る 本 師 眞 雅 の 夙 知 す る 處 で あ る 、 然 る に そ れ を 其 儘 自 己 の 膝 下 に 置 く こ と は 自 己 と 同 様 じ 斯 る 其 獅 虎 を し て 何 時 ま でも 雌 伏 行 爲 を 倶 に せ し む る 事 と な る 、 蓋 し 僧 正 の 心 算 と し て は 弟 子 の 尊 師 が 徳 器 成 就 の 曉 は ま さ し く 天 台 の 興 隆 期 が 其 頂 巓 に 達 す 可 く 、 夫 れ と 同 時 に 我 眞 言 が 唯 伏 の 床よ り 擡 頭 し て 捲 土 重 來 を 實 現 す る 時 期 で あ る と 考 へ た か ら 、 其 大 任 を 托 す 可 き 法 嗣 を し て 自 己 と 同 様 宮 廷 の 護 持 僧 た ら し む る 事 は 堪 へ 難 き 處 で あ る 、 則 は ち 自 己 の 生 涯 は 上 へ 高 く 伸 び て 來 た が 次 の 継 承 者 た る 聖 寳 尊 師 に は 上 へ も 高 く 横 へ も 廣 い 生 涯 を 経 營 さ し た い 爲 め 十 分 の 自 由 を 與 ふ 可 く 計 書 し た 、 頭 脳 透 明 他 の 心 事 を 透 觀 す る に 鋭 敏 な る 聖 寳 尊 師 は 亦 た 之 を 曉 つ て 茲 に 犬 の 問 題 を 持 へ 出 し て 、 自 己 觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 〇 九

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観 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 〇 を 勘 當 す 可 く そ の 機 會 を 本 師 僧 正 に 提 供 し た 、 眞 雅 僧 正 ま た 之 を す か さ す 之 を 決 行 し て 仕 舞 つ た と 云 ふ 段 取 り を や つ た 、 此 般 の 消 息 は 實 に 何 ん と も 言 へ ぬ 面 白 い 場 面 で 、 追 い 出 す 人 も 出 さ るゝ も の も 互 に 顔 を 見 返 り て 莞 爾 微 笑 以 心 傳 心 の お 去 ら ば と や つ た 活 作 略 と 來 ち や 、 唯 佛 與 佛 乃 能 知 我 の 境 界 で 大 乗 菩 薩 の 遊 戯 三 昧 が 觀 想 眼 の 底 に 浮 動 し 來 り て 歴 々 光 り を 放 つ の 感 無 量 で あ る 、 此 の 如 く し て 自 由 を 與 へ ら ら れ た 聖 寳 尊 師 は 忽 ち 窮 屈 な る 堂 上 佛 法 の 本 山 か ら 逸 出 し 去 つ て抖 藪 行 脚 を 縦 し い ま ゝ に し た 結 果 、 果 然 因 縁 深 き 玉 藻 依 る 讃 岐 の 州 で 世 に も 稀 な る 騏 麟 兒 を 發 見 し た 、 之 が 言 ふ ま で も な く 本 篇 の 主 人 公 觀 賢 僧 正 で あ つ た 。 由 來 本 宗 の 吉 事 に は 犬 に 因 徴 が 繋 か る 高 祖 は 犬 に 導 か れ て 靈 地 を 得 て 南 海 の 鐵 塔 を 築 き 、 尊 師 は 犬 で 逃 け 出 し て 神 童 を 發 見 し て 宗 門 の 棟 梁 を 得 た 。 若 し 夫 れ俚 謡 を か り て 之 を 歌 へ ば 犬 か と り も つ 縁 か い ナ ー 。 目 出 た い 話 じ や 、 愉 快 じ や な い か 。

總 て の 物 に 對 象 が あ る 、 國 家 の 上 に も 假 想 の 敵 と 謂 ふ も の が あ る 、 敵 の 語 は 穏 當 を 鉄 く 嫌 は あ る が 人 生 の 向 上 發 展 に は 之 が 必 要 じ や 、 何 故 な れ ば發 展 は 競 争 の 産 物 で あ る か ら で あ る 、 而 し て 僧 正 觀 賢 の 前 に 展 開 さ れ た 假 想 の 敵 は と 問 へ ば 其 答 は 無 論 當 時 の 天 台 宗 を 推 し て 可 な り で あ ら う 。 觀 賢 僧 正 時 代 の 假 想 の 敵 は 矢 張 り 聖 賢 尊 師 の 前 に も そ れ と 現 れ た に 相 違 な い 、 蓋 し 聖 寳 尊 師 は 機 鋒 の 鋭 い禪 機 に 富 ん だ 果 断 家 で あ つ た 、 壯 時 南 都 の 修 學 中 慳 食 長 者 を 降 伏 し て 満 山 の 學 徒 を 濟 ふ た 逸 事 や 、 本 師 の 愛 犬 を 無 断 譲 與 し た 事 績 や、 宇 治 の 橋 で 乞 食 坊 主 に 誤 認 さ れ た 滑 稽 事 や に 見 て も 其 岸 鱗 を 首 肯 さ れ る 、 就 中 尊 師 は 身 は 王 統 の 出 で あ り な が ら 其 主 義 に 於 て 民 衆 的 で あ つ た 事 も 其 性 格 の 割 出 し で あ ら う 、 想 ふ に 當 時 平安 都 城 に 雲 を 壓 し て 現 れ た 諸 大 寺 院 を 見 ゐ

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尊 師 の 眼 に は 一 種 の 昼 氣 楼 の 觀 が あ つ た か も 知 れ ぬ 、 何 故 な れ ば 尊 師 は 寛 平 年 中 貞 觀 寺 の 座 主 と 七 大 寺 の 検 校 に 補 せ ら れ た る 得 意 の 境 遇 に 満 足 せ す 都 巽 の 一 角 笠 取 山 を 相 し て 令 法 久 住 の 新 道 場 を 私 營 し た る に 見 て も 其 心 事 を忖 度 す る に 難 く な い 譯 だ 。 我 祖 師 空 海 大 師 入 唐 歸 朝 の 日 金 剛 乗 流 布 の 處 を 知 ら ん が 爲 め 三 股 杵 を 投 す る に 雲 中 に 入 り 去 る 吾 も 亦 是 の 如 し 、 願 く は 佛 天證 明 そ の 勝 地 を 示 し 玉 へ 云 々 は 醍 醐 開 關 前 深 草 の 普 明 寺 に 於 け る 尊 師 の 發 願 で あ る か ら 、 其 意 氣 が 新 建 設 に 在 る を 知 る べ き で あ る 、 而 し て 又 此 新 建 設 の 其 半 面 が 對 外 的 の 態 度 で あ つ た と 觀 る も 必 ず し も 無 理 由 で は な い と 信 ず る は 非 か 。 然 り 而 し て 觀 賢 僧 正 は 斯 る 主 義 態 度 の 傑 物 を 師 父 と し て 幼 稚 時 代 か ら 其 薫 陶 鉗 鎚 を 受 け た 、 散 に 其 の 成 功 途 上 の 鋒鋩 が 毎 に 此 邊 に 顯 れ て 居 る 、 曰 く 慈 覺 大 師 圓 仁 ) の 大 日 経 義 釋 の 無 断 習 得 。 弘 法 大 師 勅 諡 奏 請 の 徹 底 的 運 動 前 は 多 少 揶 揄 の 悪 戯 に 類 す る も 、 後 は 洋 血 淋 満 た る 宗 門 生 命 の 建 設 運 動 で あ つ た 、 此 運 動 が 成 功 し て 觀 賢 僧 正 た る も の 始 め て 假 想 の 敵 に 向 つ て 凱 歌 を 唱 へ た 譯 で あ る 、 又 た 師 父 尊 師 及 び 法 祖 父 僧 正 の 附屬 に 對 へ だ 大 貢 献 で あ る 、 夫 れ よ り 以 來 一時 閑 古 鳥 の啼 い た 高 野 の 山 は 金 碧 燦 爛 た る 比 叡 の 山 を 遙 に睥 睨 し つ ゝ 五 畿 八 道 に 瀰 漫 し た 大 小 寺 院 を 提 げ て 天 台 の 六 大 寳 塔 三 千 坊 を 後 に 瞠 若 せ し む る 壯 觀 を 呈 す る 事 と 成 つ た 、 之 が 眞 雅 僧 正 が 雌 伏 中 に 準 備 し た 結 果 の 現 れ で 、 其 當 面 の 役 を 勤 め た が 實 に 我 觀 賢 僧 正 で あ つ た 。 大 師 號 勅 諡 の 一 件 は 觀 賢 僧 正 の 爲 に は 畢 生 の 事 業 で あ つ た 、 こ れ は 當 時 の 宗 門 に 於 け る 權 威 的 生 命 の 寓 す る 事 態 で あ る か ら だ 、 此 目 的 を 達 し た 觀 賢 僧 正 は 、 中 三 年 を 置 い て 七 十 三 を 一 期 と し て 目 出 度 圓 寂 を 告 げ た 、 我 宗 徒 た る も の は 宜 し く 紳 に 銘 し て 記 憶 す べ き で あ る 。 觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 一

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 二 活 觀 音 と 稚 兒 文 珠 尊 師 聖 寳 が 、 恩 師 眞 雅 の 怒 に 觸 れ て 其 室 を 去 り 瓢 然 と し て 抖薮 行 脚 の 途 に 上 り 身 を 雲 水 に 托 し て 天 下 の 名 山 大 澤 を跋 渉 し た 、 其 折 り 立 ち 寄 つ た 玉 藻 依 る 讃 岐 の 州 は 思 出 多 き 自 己 の 瓜 聲 の 地 で 、 法 縁 に 於 て も 俗 縁 に 於 て も 特 殊 の 縁 故 地 で あ る 、 一 日 杖 を 或 海 島 に 飛 ば し た 時 に 路 傍 群 童 の 嬉 戯 す る に 會 ふ た 、 尊 師 其 邊 り に 便 利 し て 手 洗 の 水 を 見 す 、 試 に 附 近 に 水 の 有 無 を 問 ふ 一 童 某 所 を 指 し て そ れ に 答 ふ 、 更 に 一 童 あ り て 示 指 の 水 は 不 浮 に し て 用 に 堪 へ ず と 警 告 す 、尊 師 笑 つ て 諸 注 に 浄穢 な し 、 な ん ぞ 水 の 浄 と 不 浄 を 論 ぜ ん や と 云 つ た 、 處 が 一 童 言 下 に 詰 つ て 曰 く 水 に 浄 不 浄 な く ん ば 何 ん ぞ 手 を 洗 ふ こ と を 要 せ ん や と 、 猛 虎 の 一 聲 山 月 高 く 、 獅 口 の 一 音 百 獣 伏 す 、 栴 檀 は 二 葉 に し て 薫 し く 龍 は 三 寸 に し て 呑 牛 の 氣 あ り 、 龍 女 は 七 歳 に し て 得 道 す 、 之 れ 豈 に 文 珠 の 愛 化 と 言 は す し て 何 ぞ や 、 尊 師 既 に 此 喝 破 に 會 ふ て 忽 ち 其 大 器 を 曉 る と き 則 は ち 驚 異 の 眸 を 定 め て 之 を 現 れ ば 漆 黒 の 瞳 は 痛 氣 を 含 ん で 而 か も 神 光 金 馬 を 射 る の 異 相 を 示 し 、擧 揚 互 人 の 觀 あ り 、 正 に 之 れ 後 隼 所 畏 底 の 神 童 、 尊 師 一 見 意 頗 る 動 き 頓 に 愛 憐 の 感 を 生 す 、 則 は ち 量 子 の 東 道 に よ り 其 生 家 を 訪 ひ 彼 が 母 の 供 養 を 受 け 、 終 に 拉 し 去 つ て 京 都 に 還 り 、 書 は 行 乞 し て 之 を 養 ひ 夜 は 燈 を剪 て 學 事 を 授 く 、 眞 に 之 れ 師 は 慈 親 た り 資 は 愛 兒 た り で 水 も 漏 さ ぬ 仲 と な つ た 、 之 が 言 ふ ま で も な く 後 日 の 法 嗣 と し て 眞 言 密 教 の 大 功 者 と し て 待 に 待 た る 時 代 の 救 濟 主 と し て の 僧 正 觀 賢 の 幼 時 の 経 路 で あ る 。 聖 寳尊 師 は 其 行 脚 中 に 於 て 是 程 の 獲 物 を 爲 し て 喜 色 満 面 で 歸 洛 し た 、 而 も 表 面 勘 氣 を 受 け た 身 は 直 接 本 師 の 門 を 叩 く 譯 に 参 ら す 徐 う に 其 時 機 を 待 つ て 居 る 中 に 測 ら す 權 臣 藤原 良 房 に邂 遁 し て 、 同 卿 の 手 に よ り て 一た び 閉 ぢ た る 師 門 が 開 け て 神 童 を 紹 介 す る 事 を 得 た 、 醍 醐 の 古 記 に は 當 時 の 光 景 を 左 の 如 く 語 つ て 居 る 。 又 乞 食 に 出 て 或 處 に 前 追 の 聲 の し け れ ば 門 の 片 方 に 立 寄 け れ ば 、 良 房 卿 乗 車 し て過 け り 、

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尊 師 を 見 て 只 人 に 非 ず と て 召 寄 同 車 し た り け り 、 良 房 の 家 に 至 り 物 語 し け る に 尊 師 如 上 の 事 を 申 し 給 け り 、 問 彼 の 僧 正 の 御 勘 氣 を 申 許 さ れ 候 な ん や 、良 房 易 き 程 の 事 こ そ と て 日 を 約 し 、 又 装 束 な ん ど 調 へ 儲 け て 着 せ し め 同 車 し て 貞 觀 寺 に 参 ち れ け り 中 略 良 房 卿 勘 氣 を 許 さ る 可 き の 由 被 申 け り 、 僧 正 一 旦 の 事 に 依 て 勘 當 し 候 ひ き 、 來 臨 神 妙 の 由 被 仰 け り 、 既 に 勘 氣 を 許 し て 後 彼 の 小 兒 を 召 寄 て 學 問 せ さ せ ら れ け り 、 聰 敏 利 根 申 す 限 り 無 し 我 付 属 の 弟 子 と 爲 し 給 ふ 、 彼 の 小 兒 は 今 の 般 若 寺 の 僧 正 觀 賢 是 な り 云 々 と 。

抖薮

に收

の麒

り と す る と も 夫 れ は 之 を 中 心 と し て の副 産 物 と 言 ふ 可 き だ 、 青 龍 の 恵 果 は 先 き に 東 海 の 空 海 を 待 つ て 満 足 を 唱 へ 、 小 野 の 聖 寳 は 後 に 觀 賢 を 得 て 目 的 を 達 し た の で あ る 。

聖 寳 と 觀 寳 の 二 大 高 僧 は 、 僧 寳 と し て の 師 資 で あ れ ど も 其 親 し み は 寧 ろ 骨 肉 で あ る 、 否 或 る 場 合 に 於 て は 骨 肉 間 に も 見 る に 難 き 睦 み が あ る 、 其 表 現 は 尊 師 が 讃 岐 の 海 島 で 彼 の神 童 と 初 會 見 の劈 頭 に あ る 、 觀 賢 は 此 表 現 に 同 せ ら れ て 尊 師 が 言 ふ が ま ゝ に 京 都 に扈 從 し た の で あ る 、 否 宿 縁 深 き 慈 父 の懷 に 抱 か れ た の で あ る 、 尊 師 の た ま は く い ざ 阿 古 摩 呂 京 に て 車 や う つ く し き 物 ど も 見 せ 奉 ら ん と 云 々 兒 曰 く 、 阿 古 麿 の 語 と 其 場 の 表 情 は 此 神 童 を し て 敬 慕 の 血 を 沸 騰 せ し め て 即 下 に 慈 父 の 觀 を 呈 せ し め た の で あ る 、 何 故 な れ ば 阿 古 は ﹃ 吾 子 ﹄ で あ る 、 卸 は ち 童 子 に 對 す る 親 し み の 極 度 に 出 だ 詞 で あ る 、 尊 師 は 其 當 時 は や く 親 賢 僧 正 と 其 時 代 一 一 三

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 四 も 此 神 童 を 見 て 稀 世 の 珍 、 文 珠 の 再 來 と 信 じ 此 邂 逅 を 佛 天 の 引 接 と 觀 見 し た の で あ る か ら 、 そ の 所 感 が 渾 身 の 愛 情 と 化 し て ﹁ 吾 子 ま ろ ﹂ と 呼 ひ か け た 、 其 際 の 聲 は 後 日 尊 師 が 大 和 の 島 栖 で 吹 き 鳴 ら し た 法 螺 の 響 に 百 獣 が 慴 伏 し た と 同 様 に 、 天 地 神 祇 を も 感 動 す る 威 力 を 發 揮 し て 此 可 憐 の 神 童 を 喚 ひ か け た で 有 ら ふ 、 神 童 も 亦 不 思 議 の 引 力 に 吸 ひ つ け ら れ る 様 に 、 百 川 が 長 鯨 に 呑 ま る ゝ 様 な 氣 分 に 打 た れ て ﹃ 阿 ! ﹂ と 諾 へ た 譯 で あ ら う 、 斯 う 云 ふ 會 合 は 凡 智 に 解 せ ぬ 宿 世 の 縁 の 發 露 で あ る か ら 二 者 一 た び 會 す れ ば 膝 膠 相 離 れ ざ る は 無 論 の こ と で あ る 、 其 般 の 光 景 を 醍 醐 の 先 師 は 序 し て 干 時 見 を 懐 て 走 り 去 り て 須 更 に し 上 洛 し 般 若 寺 の 庵 室 に 至 り 此 兒 を 置 て 京 へ 出 て ゝ 次 第 乞 食 し て 之 を 養 焉 、 如 此 し て 日 月 を 送 る 、 小 兒 讀 書 の 間 一 反 受 習 て 再 び 不 問 、 抜 群 聰 敏 天 の 授 く る 所 な り と 云 云 と 言 と 言 つ て 居 る 、 鳴 呼 観 賢 僧 正 は 果 し て 天 授 の 巨 人 で あ つ た 。

聖 賢 尊 師 は 讃 岐 の 海 邊 で 稀 世 の 珍 を 發 見 し て 而 か も 夫 れ が 童 眞 兒 の 化 生 た る を 知 つ た 、 當 時 の 會 合 を 傳 燈 廣 録 で 祐 寳 師 が 賛 し て 聖 に 非 す ん は 則 は ち 賢 を 知 る こ と 匝 し 乃 至 寳 分 衛 し て 文 珠 の 化 を 識 る 、 何 と な れ は 不 垢 不 浄 は 文 珠 の 深 旨 、 空 宗 の 意 味 な り 、 寳 無 浄 不 浄 を 説 き 賢 無 浄 不 浄 を 詰 す 、 文 珠 に 非 ず ん ば 則 は ち 程 子 就 ん ぞ 言 ふ を 得 ん や と 、 觀 賢 既 に 學 事 に 就 き 純 を し て 捲 舌 せ し む る 程 の 進 歩 が 日 に 増 し て 恩 師 の 鍾 愛 が 益 々 加 は つ た 譯 で あ る 、 去 れ ど 斯 か る 神 童 も 長 き 月 日 の 間 に は 恩 師 の 嚴 怒 を 蒙 る べ き 機 會 が 造 ら れ た 、 尊 師 は 之 を 捕 捉 し て 平 素 は 掌 中 の 玉 と 愛 し た 態 度 に 似 も 遺 ら ず 、 忽 ち 一 室 の 中 に 打 き 込 ん で 数 年 間 月 日 の 光 り も 見 せ な つ か 事 が あ つ た 、 之 れ 固 よ り 兒 獅 を 千 似 の 谿 崖 に 投 ず る と 云 ふ 母 獅 の 試 練 に 外 な ら す と は 言 へ 、 其 責 苦 に 遇 う 本 人 の 少 年 と し て は 勢 ひ 悲 威 も す れ は 憤 慨 も せ ざ る を 得

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ぬ 、 去 れ ど 神 童 觀 賢 に は 此 怨 嗟 の 状 ば な か つ た の み な ら ず 却 つ て 日 夜 師 父 の 尊 師 を 戀 ひ 慕 ふ て 須 更 も 之 を 忘 れ る 事 か 出 來 な か つ た 、 當 時 の 有 り 様 を 描 い だ の か 鎌 倉 無 住 の 雜 事 談 で あ る 。 觀 賢 の 若 く お は し け る 時 、 い か な る 事 に や 、 尊 師 勘 當 し 給 て 一 両 年 小 庵 に 籠 居 て 出 仕 な か り け る 、 師 窓 の 隙 よ り の ぞ き み 給 け れ ば 、 形 像 の 前 に 座 し て 髪 長 く お ひ て 閑 座 せ ら れ た り け る 、 師 召 出 し て 、 わ 僧 が 向 ひ 座 し た る は 誰 ぞと 問 ひ 給 け れ ば 、 御 勘 當 蒙 て 後 月 日 の 光 に も 當 り 候 は す し て 、 さ し い で ず 候 程 に 戀 し く 思 ま ゐ ら せ て 、 御 影 を 作 り ま ゐ ら せ て 、 を が み ま ら せ て 、 心 を な く さ め 候 と 、 申 さ れ け れ ば 、 其 影 持 ち 來 れ 開 眼 せ ん と て 其 後 ゆ る さ せ 給 て け り、 彼 の 影 像 先 年 の 回 禄 の 時 焼 け 了 ん ぬ 、 法 滅 の 相 歟 口 惜 事 也 云 云 眞 雅 の 聖 寳 を 、 聖 寳 の 觀 賢 を 勘 當 せ る 事 蹟 を 思 へ ば 、 師 恩 の 洪 大 に 敬 意 を 拂 は ぬ を 得 ぬ 、 特 に 尊 師 が 愛 資 を 数 年 間 小 庵 に 籠 居 し た る の 一 事 に 至 り て は 正 は 之 れ 聖 胎 長 養 の 好 方 便 、 之 を 稿 に 寫 す た に も 感 激 の 暗 涙 滂 沱 の 感 を 禁 し 得 の 次 第 で あ る 、 鳴 呼 此 師 あ り て 此 資 め り 、 此 資 あ り て 此 師 め り 、 彼 の 中 川 の 得 度 法 則 に あ る 師 資 の 親 子 觀 の 發 動 は 這 個 二 師 の 交 渉 に 於 て 其 圓 満 和 見 る の で あ る 、 流 石 の 聖 賢 尊 師 も 愛 資 觀 賢 が 座 敷 牢 か ら 出 さ れ た 際 の 告 白 を 一 聴 し 去 つ た 時 は 、 定 め て 嬉 し 涙 が 喉 元 に こ み 上 け た 事 と 想 察 す る は 、 強 か ち 凡 情 の 邪 推 で は あ る ま い 。 正 に 之 れ 活 觀 音 と 文 珠 の 交 渉 、 昔 日 の 密 教 は 斯 の 如 く に じ て 興 隆 の 準 備 が 出 來 だ の だ 。 宗 運 の 救 濟 主 平 安 朝 の 二 大 新 宗 は 言 ふ ま で も な く 、 天 台 と 眞 言 で あ れ ど も 、 其 發 達 の 度 は 天 台 が 眞 言 よ り か 一 日 の 長 で あ る 、 乃 は ち 彼 の 根 本 道 場 と し て の 比 叡 山 は 延 暦 七 年 の 開 關 で 、 年 號 を 取 つ て 寺 號 と さ れ た 處 に 既 に 特 殊 の 地 位 を 示 し て 居 る 、 眞 言 は 之 に 後 る こ と 十 九 年 に し て 始 め て 呱 聲 を 學 げ た か ら 其 根 本 道 場 の 鼎 も 自 然 に 彼 に 後 れ て 据 へ ら れ た 譯 だ 。 觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 五

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 六 故 に 開 宗 の 順 序 か ら 天 台 眞 言 と 成 つ て 居 る と 共 に 其 開 祖 も 亦 た 最 澄 空 海 と 呼 ば れ た の は 當 然 の 次 弟 で あ る 、 去 れ ど 二 者 或 種 の 位 地 は 右 の 順 序 及 び 年 の 長 少と 排 し て 百 角 に 並 稱 さ れ て 甲 乙 輕 重 は 無 か つ た の が 、 其 後 の 約 百 年 間 に は 意 外 の 懸 隔 を 生 す る の 外 觀 を 呈 し た 、 之 が 證 左 と し て は 朝 家 が 二 宗 の 祖 師 に 與 へ た 諡 號 の 時 期 に 見 て も 明 で あ る 。 先 づ 傳 教 大 師 の 諡 號 が 下 つ た が 開 祖 最 澄 入 滅 後 四 十 六 年 で 、 傳 教 の 法 孫 圓 仁 が 慈 覺 大 師 の 諡 號 を 受 け た が 其 滅 後 三 年 で あ る 、 處 が 我 眞 言 宗 の 開 祖 は 如 何 と 見 れ ば 、 其 入 定 か ら 八 十 七 年 目 で あ つ て 、 傳 教 慈 覺 の 二 大 師 よ り 後 な る こ と 實 に 五 十 六 年 で 、 彼 の 圓 珍 の 智 證 大 師 に 先 ん ず る こ と 纔 に 六 年 で め る 、 去 れ ば 我 宗 は 祖 師 の 入 定 後 八 十 七 年 間 に 於 て 二 度 ま で 他 宗 に 超 越 さ れ だ 勘 定 で あ る 。 生 前 は 最 澄 空 海 と 互 角 に 呼 ば れ て 朝 野 の 認 識 も 敢 で 甲 乙 な か り し も が 、 其 入 定 後 に 於 て は 遽 然 と し て 此 の 様 な 相 違 を 生 じ た の は 蓋 し 我 宗 徒 の 見 て 以 て 憾 な き 能 は ざ る 處 で 、 僧 正 の 贈 位 す ら 遺 弟 眞 濟 が 功 に 代 へ て 哀 訴 し た 結 果 で あ る か ら、 當 時 の 宗 状 は 年 々 加 は る 天 台 の 榮 冠 を 指 を 咬 へ て 傍 觀 し て 居 た 様 な も の だ 、 此 時 に 際 し て の 我 觀 賢 僧 正 の 努 力 は 辛 う じ て 其 均 衡 を 祖 師 の 生 前 に 復 し て 天 台 と 互 角 に な つ た 譯 で あ る か ら 、 見 物 側 の 第 三 者 か ら 見 た ら 眞 言 の 位 地 を 百 尺 の 溪 底 よ り 引 上 げ た 様 な 盛 觀 で あ つ た の で あ ら ふ 。 以 上 は 彼 我 両 宗 の 開 宗 前 後 に 於 け る 位 地 の 中 樞 に 就 て 抽 象 的 の 事 例 を 學 げ た も の で あ る が 、 其 の 此 處 に 至 る 原 因 討 究 す る と 云 ふ こ と は 時 代 の 産 兒 觀 賢 僧 正 を 觀 る 上 に 於 て 逸 す べ か ら ざ る 事 項 で あ る 、 今 少 し く 両 宗 百 年 聞 の 概 況 和 訊 ね て 見 る こ と ゝ す る 。 先 づ 天 台 の 祖 師 傳 教 大 師 が 入 唐 に 際 し て は 高 足 義 眞 が 随 伴 し て 同 大 師 を 補 佐 し た 事 が 多 大 で あ つ た が 、 其 歸 朝 後 に 於 け る 同 師 の 努 力 が 同 宗 の 興 隆 に 與 つ た 貢 献 の 更 に 莫 大 な る は 無 論 で あ る 、 之 に 反 し て 我 宗 祖 弘 法 大 師 の 入 唐 に は 此 羽

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翼 は 無 か つ た 、 随 て 彼 の 十 大 弟 子 の 如 き も 大 師 の 歸 朝 後 に 出 來 た 産 物 で あ つ た 、 故 に 豫 て 準 備 を 整 へ た 天 台 宗 に 比 し て 、 宗 運 の 進 展 一 歩 を 遅 れ る と 云 ぶ 事 は 止 む を 得 ぬ 處 で あ る 、 加 之 天 台 で は 始 祖 傳 教 に 次 い で 圓 仁 圓 珍 の こ 師 が 入 唐 求 法 し て 始 祖 を 補 足 す る 點 に 於 て 、 謂 は ゆ る 龍 に 翼 あ る の 觀 を 呈 し た 處 か ら 、 天 台 の 宗 運 は 日 に 日 に 新 に し て 傳 教 の 滅 後 七 十 年 頃 ま で に は 國 内 要 地 の 多 寳 塔 の 六 基 か 、 叡 山 を 中 心 に 配 置 さ れ た 三 千 坊 と 共 に 嚴 然 の 雄 姿 を 構 へ て 五 畿 八 道 を 號 令 す る の 觀 を 呈 し た 。 其 一 方 之 と 前 後 し て 新 興 し た 我 眞 言 宗 は 如 何 と 視 れ ば 、 實 慧 東 寺 を 守 り 、 眞 然 高 野 を 嗣 ぎ 、 眞 雅 貞 觀 寺 を 開 き 、 眞 濟 高 雄 を 鎭 す る 等 遺 弟 の 諸 星 燦 然 法 燈 を 輝 す と 雖 も 、 實 慧 は 着 實 を 主 と し て 外 觀 に 馳 せ ず 、 眞 然 の 拮 据 は 高 野 に 忙 が し く 、 眞 濟 は 衣 徳 に 歸 依 さ る ゝ も 清 和 に 疎 く 、 眞 雅 は 朝 家 に 親 し ま る ゝ も 民 衆 に 密 な ら ず 、 加 ふ る に 其 後 天 台 側 の 入 唐 求 法 は 多 大 の 成 果 を 齎 ら し て 社 會 の 耳 目 を 聳 動 す る に 見 て、 眞 濟 の 入 唐 は 浪 に さ ゝ へ ら れ て 果 さ す 、 眞 如 の 渡 天 は 却 つ て 他 郷 の 鬼 と 化 し 、 圓 行 宗 叡 常 曉 等 の 入 唐 は 收 得 多 大 な る も 、 還 後 の 経 營 は 内 容 の 充 實 に 勉 め て 外 觀 は 彼 に 譲 る を 脱 れ ざ る の 遺 憾 が 有 っ た 、 之 れ 朝 野 の 認 識 が 我 祖 の 入 定 後 暫 時 の 間 彼 に 厚 く 我 に 薄 す き が 如 き 痕 跡 を 残 し た 動 機 の 一 つ で 有 ら ふ 、 獨 り 此 間 に 處 し て 眞 雅 僧 正 は 歴 朝 聖 主 の 歸 依 を 收 む る こ と 最 も 厚 く 、 終 に 當 時 無 双 の 壯 觀 を 極 め た 貞 觀 寺 を 興 立 す る に 至 っ た 、 史 家 之 を 記 し て 妬 氣 満 々 で あ る 、 曰 く 十 六 年 (貞 觀 )貞 觀 寺 を 建 て 大 齋 會 を 設 く 其 費 巨 萬 、 是 よ り 先 き 年 荐 り に 餓 へ 所 在 盗 起 り 國 用 足 ら ず 、 故 に 五 位 以 上 の 俸 を 減 ぜ り 、 而 し て 猶 ほ 此 暴 あ り 云 云 (國 史 畧 ) 以 て 僧 正 が 如 何 に 國 家 の 中 心 に 向 つ て 其 徳 望 を 扶 植 し た か を 見 る 可 き で あ る 、 之 れ 蓋 し 僧 正 が 外 力 の 中 心 浸 漸 に 備 へ た る 大 法 護 持 の 努 力 と 解 す 可 き で あ ら ふ 、 若 し 然 ら す し て 眞 雅 僧 正 も 他 の 遺 弟 と 同 一 行 動 に 出 た り と す れ ば 、 其 に 室 内 に 巨 人 聖 賢 を 養 ひ 其 晩 年 に 英 傑 觀 賢 を 得 る と 觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 七

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 八 も 、 彼 れ の 手 腕 を 揮 ふ 點 に 於 て 其 の 當 時 よ り 更 ら に 困 難 な る も の が 有 つ た 事 と 信 ず る 、 蓋 し 我 宗 の 祖 風 は 自 か ら 他 に 異 な る も の が あ つ て 其 行 方 は 毎 に 地 味 で あ る 、 例 せ ば 傳 教 の 在 世 中 戒 壇 院 の 問 題 に 就 い て 南 都 北 嶺 が 死 力 を 鑑 し て 繋 争 を 演 じ た 際 我 宗 祖 は 瓢 然 全 國 漫 遊 を 想 ひ 立 ち て 身 を 雲 水 に 委 し て 一 時 都 門 と 遠 ざ か つ た に 見 て も 明 で あ ら ふ 、 由 來 左 様 の 祖 蹤 で あ る か ら 眞 雅 僧 正 が 窮 届 な る 宮 廷 生 活 を し て 或 種 の 努 力 を 拂 ひ つ ゝ あ る 際 、 世 間 で は 却 つ て 他 の 實 慧 大 徳 等 を 謳 歌 稱 讃 す る 傾 が 有 つ た 、 故 に 血 脉 抄 は 喜 多 院 御 記 を 引 い て 左 の 通 り 記 し て あ る 満 利 天 皇 治 世 十 八 箇 年 之 問 御 所 勢 功 厥 幾 、 雖 然 群 生 悲 愍 之 方 便 不 及 於 檜 生 申 傳 云 々 と 、 之 れ は 祖 風 か ら 割 り 出 し た 批 判 の 聲 で あ ら ふ 、 眞 雅 僧 正 た る も の 素 よ り 之 を 知 つ て 居 る 、 知 つ て 而 し て 敢 て 四 園 の 誹 謗 を 甘 ん ず る は 大 な る 期 待 が 有 つ た か ら で あ る 、 語 を 換 く ば 天 台 宗 が 闔 宗 の 努 力 を 拂 つ て 天 下 の 耳 目 を 驚 か し た 様 な 六 基 の 寳 塔 三 千 の 坊 を 直 接 全 國 に 碁 布 せ ず と も 、 之 に 代 へ る 宗 運 の 中 心 を 守 る 爲 め に 十 八 ケ 年 間 も 聖 體 護 持 に 全 幅 の 精 誠 を 抽 ん で た 譯 で 有 る 、 之 れ が 僧 正 と し て 或 期 待 に 拂 う た 隠 忍 堅 耐 の 努 力 で あ る 、 果 然 此 の 積 功 累 徳 が 後 日 の 潜 勢 力 と 化 し て 、 帝 室 の 獨 營 を 標 榜 す る 廣 澤 の 祖 山 仁 和 寺 が 涌 出 し た り 、 我 家 と 此 寺 と は 二 而 不 二 に し て 興 廢 を 倶 に す る と 言 ふ が 如 き 鳳 詔 が 根 本 道 場 の 東 寺 に 描 げ ら れ た り 、一 時 草 莱 に 没 し た 祖 廟 高 野 の 荘 嚴 が 天 下 に 冠 た る 様 に な る と か 、 嵯 峨 や 醍 醐 の 如 き 各 大 名 藍 が 續 出 す る や ら し て 諡 號 勅 賜 の 前 後 に 於 て 駟 馬 の 勢 を 以 て 大 眞 言 宗 の 樹 立 を 與 へ る 原 力 を 造 ら れ た 譯 で あ る 、 此 等 の 結 果 を 綜 合 し て 追 想 す る 時 は 宗 租 が 南 都 北 嶺 の 繋 争 中 全 國 漫 遊 邊 土 攝 化 の 爲 め に 、 足 に 草 鞋 頭 に 笠 で 浮 身 を 窶 さ れ 乍 ら も 、 眞 雅 僧 正 か 賛 車 昇 殿 の 光 榮 を 專 に せ ら れ し も 宗 運 建 設 の 上 に は 異 曲 同 巧 と 謂 ふ 可 き で 有 る 、 若 し 左 も な く し て 其 行 動 が 此 反 封 に 出 た ら ん か 其 結 果 は 、 觀 賢 僧 正 の 巨 手 に よ り て 一 時 に 振 興 し た 高 野 を は じ め 一 般 宗 勢 興 隆 の 大 事 績 も 或 は 其 時 代 が ズ ツ と 遅

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れ た か も 測 り 知 る 可 か ら ず で あ る 、 随 つ て 權 威 高 き 我 東 密 も 他 の 台 密 の 下 風 に 立 つ の 不 得 止 時 期 が 作 ら れ た か も 絶 對 に 否 定 す 可 か ら ず で あ る 、 此 點 よ り 觀 て 觀 賢 僧 正 の 宗 門 興 隆 の 大 事 績 は 眞 雅 僧 正 に 負 ふ 事 を 抹 殺 は 出 來 の 。 然 る に 若 し 人 あ り て 之 に 肯 定 を 與 へ ぬ 場 合 あ れ ば 吾 人 は 其 當 時 に 於 け る 高 野 祖 廟 地 の 光 景 を 提 げ 來 っ て 之 を 説 破 す る ま で ゝ あ る 、 元 亨 釋 書 に 曰 く 此 山 弘 法 の 入 定 よ り 後 、 今 に い た り て 入 十 餘 年 な り け れ ば 、 零 落 す る こ と 尤 甚 し く 、 荊 棘 路 に 塞 り て と を り う べ く も あ ら ず 云 々 又 た 廣 録 に も 高 野 山 に 庵 主 な く 、 塵 に 埋 ま り 草 に 荒 さ む こ と 既 已 に 三 載 、 真 爾 と し て 呑 煙 絶 す 云 々 こ れ 等 で あ る 、 加 ふ る に 二 世 無 空 は 先 師 の 遺 業 に 繼 承 の 功 全 つ た か ら ず 、 環 境 既 に 之 を 輕 視 す る の 嫌 が 有 つ た か ら 、 其 遷 化 後 も 生 前 愛 銭 の 癖 に 崇 ら れ て 死 後 蛇 體 を 受 く が 如 き 不 祥 の 風 説 さ へ 傳 へ ら れ た 、 血 脉 抄 に 元 亨 釋 書 を 引 い て 釋 の 無 空 中 略 晩 年 自 か ら 謂 へ ら く 我 れ 甚 だ 窶 亡 後 遺 弟 を 煩 さ ん 、 如 か す 私 に 蓄 へ て 喪 事 に 供 ん に は と 、 萬 銭 を 貯 て 梁 間 に 置 く 人 知 ら ざ る な り 、 延 喜 二 十 一 年 室 病 ん で 六 月 死 す 、 言 ば 銭 に 及 ば す 、 右 僕 射 藤 仲 平 空 と 善 し 、 夢 に 空 弊 衣 垢 面 に し て 形 甚 だ 枯 槁 し て 告 て 曰 く 、 我 貨 を 伏 す を 以 て 蛇 身 を 受 く 、 願 く ば 公 其 銭 を 取 て 法 華 を 寫 せ 必 ず 苦 趣 を 脱 せ ん 云 々 之 れ 宗 門 上 不 祥 の 風 説 に 屬 す る も 亦 た 一 面 よ り 觀 て 皮 肉 の 教 訓 と も 謂 ふ 可 き で あ る 、 何 故 な れ ば 當 時 野 山 僧 の 状 態 が 之 を 必 要 と す る 堕 風 が あ つ た か ら で あ る 、 廣 録 祈 親 條 下 に 曰 く 大 師 定 後 八 十 餘 載 延 喜 十 六 年 室 座 主 山 を 離 や 真 然 と し て 香 煙 を 絶 す 大 凡 そ 三 年 、 稍 荒 涼 に 曁 ぶ 、 衆 僧 あ り と 雖 も 口 腹 を 養 ふ て 廢 毀 を 意 と せ ず 云 々 叡 山 の 祖 廟 が 燦 然 た る 光 り を 琵 琶 の 湖 面 に 映 す る 際 、 我 高 野 山 の 祖 廟 は 悲 愴 の 光 景 此 の 如 き で あ る 、 以 て 當 時 宗 門 の 位 地 認 識 を 推 し て 知 る べ き で は な い か 、 宜 な る か な 我 宗 祖 の 諡 號 が 天 台 觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 一 九

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 二 〇 に 後 る ゝ の 数 十 年 な る の み な ら す 、 其 開 祖 で も 其 孫 圓 仁 の 諡 號 に ま で 先 を 超 さ れ た る や だ 、 茲 に 於 て 我 宗 門 は 宗 運 救 濟 の 任 に 當 る 底 の 巨 人 の 出 世 を 呼 び 叫 ん で 遂 に 觀 賢 僧 正 を 得 た の で あ る 。

觀 賢 僧 正 は 一 面 に 於 て 學 界 の 大 功 勢 者 で あ る 、 蓋 し 我 宗 祖 大 師 に は 多 数 の 遺 著 が あ つ た 、 夫 れ が 近 午 に 至 り 祖 風 宣 揚 會 の 努 力 に よ り 大 師 至 集 の 纒 つ た は 幸 で あ る 、 然 る に 千 年 の 昔 我 觀 賢 僧 正 は 之 を 其 在 世 中 に 實 行 し て 居 る 、 不 幸 に し て 當 時 取 り 纒 め た 詳 密 の 目 録 に 觸 れ ぬ が 、 廣 録 に は 今 載 、 帝 、 命 し て 大 師 の 撰 述 を 官 校 し 大 藏 に 入 れ 天 下 に 流 傳 せ し む と あ る 、 今 載 と は 永 喜 十 六 年 で 僧 正 が 權 大 僧 都 に 補 ら れ て 、 東 大 寺 検 校 、 醍 醐 寺 座 主 と な り 、 醍 醐 山 上 に 一 院 を 興 起 し て 中 院 と 名 け た 年 で あ る 、 大 師 撰 述 蒐 集 の 事 業 に も 同 僧 正 が 卒 先 第 一 で あ る か ち 、 祖 風 宣 揚 の 元 社 を 問 へ は 自 か ち 觀 賢 僧 正 で あ る か ら 有 り 難 い 。 温 良 玉 の 如 き 人 觀 賢 僧 正 が 一 面 は 非 常 の 硬 骨 で あ つ た こ と は 上 頃 の 話 や 諡 號 奏 請 の 上 で も 窺 知 す る 事 が 出 來 る が 、 他 の 一 面 は 温 良 玉 の 如 き 潤 澤 に 富 ん だ 人 格 者 で 有 つ た 事 が 解 る 、 其 證 左 も 無 論 一 二 に 止 ま ら ぬ か 生 前 權 律 師 を 拜 任 し た 當 日 恩 師 聖 寳 尊 師 も 僧 正 に 榮 進 さ れ て 師 資 同 時 に 参 内 し た 、 其 頃 の 律 師 は 容 易 な ら ぬ 榮 譽 の 位 階 で あ つ た に も 拘 ら ず 、 矢 張 り 少 年 時 代 の 情 誼 を 其 儘 に 恩 師 の 侍 者 を 勤 め て 其 三 衣 筥 を 捧 持 し て 之 に 扈 從 し た と あ る 、 世 譽 外 見 に 頓 着 す る 人 體 と し て は 到 底 出 來 得 ぬ 處 で あ る 、 此 様 子 を 見 た 程 の 人 は 何 れ も 弟 子 と し て の 麗 は し き 行 爲 に 感 嘆 を 禁 し 得 な か つ た と あ る 。 延 喜 二 年 三 月 二 十 三 日 任 權 律 師 此 日 聖 寳 任 僧 正 師 資 同 日 入 宮 伸 賀 退 殿 賢 持 師 之 三 衣 筥 君 臣 見 之 感 心 (廣 録 ) 又 、 寛 平 法 皇 が 、 僧 正 の 徳 を 慕 ふ の 餘 り 師 の 墓

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を 其 帝 陵 の 傍 に 並 置 す 可 く 遺 命 さ れ た 如 き も 、 畢 竟 僧 正 温 潤 の 徳 の 爾 ら し め る 處 で あ ら う 、 古 來 天 子 の 戒 師 を 勤 め た 名 師 は 少 な く な い 、 而 か も 遺 詔 此 の 如 き は 觀 賢 僧 正 の 外 に 多 く 其 例 を 發 見 し 得 ぬ と こ ろ と 信 す る 。

覲 賢 僧 正 は 、 各 種 の 點 よ り 見 て 大 師 の 諡 號 を 受 く る に 於 て 可 能 性 の 大 僧 た る を 信 す る 、 宗 門 に 局 限 し た 範 圍 て 視 て も 決 し て 月 並 的 の タ ミ の 僧 正 で な い 、 之 れ は 何 ん と か 特 別 の 方 法 を 以 て 、 此 偉 大 な る 宗 教 家 を 頌 徳 す る 必 要 が 有 ら う 。 若 し 夫 れ 醍 醐 派 の 上 か ら 見 て も 開 山 尊 師 に 諡 號 を 受 け た 以 上 は 此 僧 正 に 向 つ て 之 を 奏 請 し て も 不 都 合 は な い 筈 だ 、 現 に 新 義 眞 言 の 祖 師 覺 鑁 上 人 に 興 教 大 師 の 諡 號 の 下 つ た 時 な ど も 、 醍 醐 寺 は 謂 ゆ る 肝 煎 の 中 心 と な つ て 心 配 し た 證 左 が 同 山 の 古 文 書 に よ り て 發 見 さ れ る の み な ら す 同 派 の 頼 瑜 師 に 贈 官 を 願 つ た 時 も 醍 醐 の 一 山 か 關 係 し た 形 迹 が 十 分 で あ る 。 と し て 見 れ ば 醍 醐 と し て 觀 賢 僧 正 に 諡 號 夕 願 う 事 は 他 の 天 台 と 時 代 的 に 對 照 し て も 事 態 當 に 然 る 可 き で あ る 、 處 が 醍 醐 と し て 事 の 茲 に 出 て ぬ は 如 何 ん の 理 由 で あ る か 、 此 問 題 に 對 し て は 遡 つ て 廣 澤 の 益 信 師 が 本 覺 大 師 に 成 つ た 時 の 醍 醐 の 態 度 を 紹 介 す る 必 要 が あ る 。 醍 醐 寺 に 所 藏 さ れ る 徳 治 記 の 末 に 一 勸 賞 事 圓 城 寺 僧 正 大 師 號 事 二 月 三 日 被 宣 下 云 々 贈 大 僧 正 可 號 本 覺 大 師 云 々 ム 云 上 醍 醐 聖 -僧 正 影 堂 焼 失 之 間 造 畢 之 後 聖 -信 正 大 師 號 可 申 沙 汰 之 由 座 主 定 濟 僧 正 申 合 祖 師 信 正 憲-之 處 大 師 號 事 有 子 細 不 可 然 之 由 返 答 之 間 無 其 沙 汰 云 々 子 細 非 一 委 曲 在 師 傅 而 今 已 宣 下 阿 閣 梨 申 沙 汰 之 歟 定 叉 覆 訪 故 實 歟 云 々 と あ る 憲 ー は 憲 諄 國 師 の 事 で あ ら ふ 、 ツ マ リ 醍 醐 と し て は 其 頃 の 確 信 が 大 師 の 多 く 出 來 る の を 謙 遜 す る 傾 が あ つ た ら し い 、 夫 れ で 開 山 聖 賢 尊 師 に す ら 諡 號 を 願 は ん と は 計 畫 せ な か つ た 、 寧 ろ 廣 澤 の 諡 號 が 天 台 の 瀕 に 倣 ふ を 晒 笑 し た 様 な 心 持 で あ つ た か も 知 れ ぬ 。 觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 二 一

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 二 二 醍 醐 の 山 風 か 之 で あ る か ら 理 源 大 師 の 諡 號 も 非 常 に 遅 れ た 譯 で あ る 、 況 ん や 其 の 資 徒 の 觀 賢 僧 正 に 於 て を や じ や 、 去 り な か ら 觀 賢 僧 正 は 醍 醐 の 專 有 す べ き 祖 師 で な い 小 野 の 法 流 外 に 融 通 の 利 か ぬ 阿 闍 梨 で な い 、 同 僧 正 の 功 果 は 闔 宗 に 亘 つ て 居 る 、 故 に 今 は 醍 醐 の 觀 賢 を 以 て 見 る 可 き で な く て 、 宜 し く 眞 言 宗 各 派 の 上 に 戴 て 祖 師 恩 人 と し て 望 む 可 き で あ る か ら 、 人 爵 的 な る 諡 號 を 敢 て 問 題 に す る で は な い か 、 宗 徒 に 植 ゑ る 印 象 と し て は 何 に か 之 に 相 當 の 方 法 を 講 し て 然 ろ 可 き で あ る 、 此 點 に 於 て は 醍 醐 寺 ( 報 恩 院 ) の 先 師 憲 諄 國 師 も ま さ か 反 對 は 唱 へ ぬ 事 と 信 ず る 。

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祇 師 時 代 に は 觀 賢 僧 正 が 中 祇 師 で あ る 、 而 か も 尊 師 が 在 世 中 に 治 定 し た 眞 言 修 験 の 根 本 道 場 た る 大 和 鳥 栖 の 鳳 閣 寺 を 繼 承 し た は 貞 崇 僧 都 だ る に 拘 ら ず 、 觀 賢 の 中 祇 師 時 代 に は 貞 祭 は 小 祇 師 で あ る 、 し て 見 れ げ 貞 崇 師 が 鳳 閣 寺 を 繼 だ か ら 此 方 の 法 流 は 同 師 に 附 屬 し た 様 に 見 ゆ る も 其 内 容 は 尊 師 、 觀 賢 、 貞 崇 と な る 順 序 で あ る 、 故 に 觀 賢 師 は 矢 張 り 尊 師 の 後 を 承 け て 半 面 大 祇 師 で あ つ た に 相 違 な い 、 随 つ て 彼 の 醍 醐 山 も 眞 言 の 根 本 道 場 た る と 共 に 修 験 道 の 道 場 で あ つ た 事 も 首 肯 が 出 來 る 、 故 に 時 代 に 於 て 少 々 二 師 に 遅 れ る と は 言 へ 當 時 験 乗 の 泰 斗 と し て の 浄 藏 貴 所 の 一 子 浄 岳 が 醍 醐 山 伏 と な つ て 所 謂 當 山 派 の 修 験 と し て 醍 醐 に 止 住 し た と 云 ふ 古 説 も あ る か ら ま す く 推 定 に 難 く な い 。 要 す る に 聖 賢 尊 師 が 修 験 道 を 中 興 し た と 云 ふ 密 意 は 言 ふ ま で も な く 民 衆 佛 法 の 建 設 に あ る 、 這 般 の 消 息 は 尊 師 が ま さ し く 慧 印 流 の 法 幢 を 樹 立 す る 場 合 の 支 度 と し て の 大 峰 中 興 の 形 装 に 見 て 明 で あ る 、 其 際 の 尊 師 は 頭 上 に 兜 巾 を 戴 き

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身 に 官 服 を 着 し 腰 に 長 劔 を 横 へ 手 に 法 螺 を 握 り 、 肩 に 九 條 を た ゝ ん だ 執 事 袈 裟 を 懸 て 居 る (種 字 に あ ら す 執 事 な り ) 之 を 曩 祖 役 行 者 の 形 姿 に 比 し て 更 に 進 一 歩 し た 民 衆 的 の 扮 装 で あ る 、 而 し て 劈 頭 に 大 和 の 鳥 栖 の 孤 峯 雲 を 壓 す る 邊 に 立 づ て 其 大 法 螺 を 吹 い て 當 時 入 峰 の 行 人 を 惨 害 し た 毒 龍 魑 魅 に 挑 戦 し た 時 、 一 螺 の 響 が 百 螺 の 大 梵 聲 と 化 し て 天 地 を 震 動 し 忽 ち 彼 等 の 魔 軍 を 駆 逐 し て 大 和 ア ル ブ ス の 探 検 を 終 り 正 し く 直 言 修 験 の 建 設 を 號 呼 し て 法 幢 高 く 天 の 一 角 に 飜 つ た の が 昌 泰 三 年 四 月 で あ つ た 、 ( 大 和 國 吉 野 郡 鳥 栖 山 眞 言 院 鳳 閣 寺 の 理 智 不 二 秘 密 灌 頂 で 之 が 後 日 云 ふ と こ ろ の 慧 印 灌 頂 の 濫 觴 で あ る 、 ) 其 際 大 祇 師 の 尊 師 に 次 て 最 も 重 要 の 役 を 勤 め た が 中 祇 師 の 觀 賢 僧 正 で あ つ た 、 而 し て 此 大 法 會 終 つ て 二 ヶ 月 日 の 六 月 し 靈 異 相 承 儀 軌 の 一 巻 が 出 來 た 、 之 が 企 く 眞 言 修 験 り 秘 密 の 経 軌 で あ つ て 、 嚢 祖 役 行 者 の 遺 教 を 陶 冶 精 錬 し た 寳 典 で あ る 、 而 し て 雀 末 に は 昌 泰 三 庚 申 年 六 月 初 五 日 觀 賢 貞 崇 と 明 に 銘 を 打 っ て 有 る か ら 眞 言 修 験 を 創 造 し た は 聖 寳 尊 師 な る は 無 論 で あ る が 、 之 を 完 成 し た の は 先 づ 指 を 觀 賢 僧 正 に 屈 せ ざ る を 得 ぬ 、 故 に 同 儀 軌 の 奥 書 に は ( 前 略 ) 昔 日 役 君 於 本 峰 傳 示 一 密 印 與 十 界 修 行 難 苦 之 行 相 (中 略 ) 觀 賢 貞 崇 之 徒 者 貫 攝 此 道 而 師 資 之 遺 法 不 可 令 断 絶 、此 道 爲 軌 範 故 、 此 本 軌 唯 受 一 人 不 許 枝 葉 須 爲 如 守 眼 肝 、 若 存 庶 儀 者 不 我 徒 云 々 以 て 斯 道 上 觀 賢 僧 正 の 位 地 が 如 何 に 重 要 さ れ て 居 た か ゞ 推 知 さ れ る で は な い か 。 本 來 此 儀 軌 の 作 者 は 聖 寳 尊 師 と し て 有 る が 、 或 は 觀 賢 参 與 の 合 作 と も 傳 へ ら れ て 居 る 、 其 わ け は 之 と 左 右 に す る ﹃ 修 験 最 勝 慧 印 三 昧 耶 玄 深 口 訣 抄 ﹄ に は 別 而 爲 七 段 中 略 七 壇 大 綱 者 觀 賢 僧 正 之 御 害 、 総 會 印 信 者 尊 師 之 御 製 也 云 々 と あ り て 、 此 跋 文 の 署 名 者 が 親 賢 僧 正 と 其 時 代  一 二 三

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觀 賢 僧 正 と 其 時 代  一 二 四 長 久 壬 午 年 二 月 二 十 五 日 山 正 伏 宗 僧 正 仁 海 謹 疏 と あ る か ら 確 な も の で は な い か 、 以 て 觀 賢 僧 正 の 半 面 が 直 ち に 修 験 の 大 導 師 で 有 つ た 事 が わ か る 、 否 修 験 聖 教 ま で 製 作 し た 大 建 設 者 で あ つ た こ と が 發 見 さ れ る 譯 で あ る 。 尚 ほ 此 外 に 補 闕 分 軌 、 觀 賢 僧 正 之 作 と 云 ふ 験 道 聖 教 が あ れ ど も 未 だ 正 本 を 發 見 せ ぬ 。 ﹁ 新 龍 樹 傳 の 研 究 ﹂ の 正 誤 表 二 六 頁 十 三 行 ﹁ 彼 の 八 十 歳 ﹂ は ﹁ 彼 王 の 八 十 歳 ﹂ 。 二 七 頁 十 四 行 ﹁ 大 雲 の ﹂ は ﹁ 大 雲 経 ﹂ 。 一 天 頁 三 行 の ﹁ 雨 原 ﹂ は ﹁ 両 原 ﹂ 。 同 八 行 ﹁ 支 那 ﹂ は ﹁ 新 羅 ﹂ の 誤 り 。 二 九 頁 一 行 ﹁ 況 し て 同 論 中 に は 善 無 畏 三 藏 の 選 述 せ る 大 日 経 供 養 次 第 法 を 引 用 し て ゐ る ﹂ の 全 文 は 省 略 す 。 三 〇 頁 五 行 ﹁ 出 世 も ﹂ は ﹁ 出 世 と ﹂ 。 八 行 ﹁ 捉 婆 ﹂ は ﹁ 提 婆 ﹂ 。 同 十 行 ﹁ 迦 膩 色 迦 王 と も ﹂ は ﹁ 迦 膩 色 迦 王 ( 第 二 世 ) と も ﹂ の 誤 り 。 三 一 頁 一 一 行 ﹁ ﹂ は ﹁ ﹂ 。 三 二 頁 終 行 ﹁ 印 無 ﹂ は ﹁ 印 度 ﹂ 。 三 四 頁 終 二 行 ﹁ 小 品 般 若 経 が ﹂ は ﹁ 小 品 般 若 経 は ﹂ 、 三 七 頁 五 行 ﹁ 古 代 發 ﹂ は ﹁ 古 代 の 發 生 ﹂ 。 七 行 ﹁ 史 實 ﹂ は ﹁ 史 的 ﹂ 。 四 〇 頁 九 行 ﹁ 羅 候 ﹂ は ﹁ 羅 喉 ﹂ 。 四 一 頁 一 行 ﹁ 無 法 忍 ﹂ は ﹁ 無 生 法 忽 ﹂ 。 三 行 ﹁ 騎 ﹂ は ﹁ 醫 ﹂ 。 十 二 行 ﹁ 名 な る 西 藏 ﹂ は ﹁ 有 名 な る 西 藏 ﹂ 。 四 四 行 三 行 、 四 行 、 七 行 、 八 行 、 九 行 の ﹁ 薩 詞 羅 ﹂ は ﹁ 薩 羅 詞 ﹂ 。 九 行 ﹁ 省 名 ﹂ は ﹁ 略 名 ﹂ 、 四 五 頁 三 行 ひ ﹁ 原 國 ﹂ は ﹁ 原 因 ﹂ 。 同 五 行 の ﹁ 違 し て ﹂ は ﹁ 達 し て ﹂ 。 同 ﹁ 坦 羅 乗 ﹂ は ﹁ 坦 特 羅 乗 ﹂ 。 四 六 頁 一 一 行 の ﹁ 阿 利 耶 提 ﹂ は ﹁ 阿 利 耶 提 婆 ﹂ 。 終 二 行 の ﹁ 羅 喉 羅 跋 陀 陀 ﹂ は ﹁ 羅 喉 羅 跋 陀 羅 ﹂ 。 五 〇 頁 一 行 の ﹁ 即 ち 格 樹 ? ) の 義 で あ る ﹂ は ﹁ 即 ち 榕 樹 ? ) の 義 で あ る と し て ﹂ 。 同 九 行 ﹁ 焼 か る ﹂ は ﹁ 燃 か る ﹂ 。 五 二 頁 一 行 の ﹁ 廻 諍 論 の 中 ( 一 ) を 除 く 外 ﹂ は ﹁ 廻 諍 論 ﹂ の 誤 り 、 同 三 行 、 五 行 の ﹁ 龍 猛 ﹂ は ﹁ 龍 樹 ﹂ の 誤 り 。 同 終 三 行 の ﹁ 呼 ば る ﹂ は ( 叫 ぶ ) 。 同 終 二 行 の (榕 樹 ) は ( 成 就 )。 五 二 頁 二 行 ﹁ ﹂ は ﹁ ﹂、 同 終 四 行 ﹁ 青 榜 ﹂ は ﹁ 看 楞 ﹂ 。 五 四 頁 六 行 ﹁ 毘 婆 妙 論 ﹂ は ﹁ 毘 婆 沙 論 ﹂ 、 五 五 頁 九 行 ﹁ 太 日 経 ﹂ は ﹁ 大 日 経 ﹂ の 誤 り な る を 訂 正 す 。

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