• 検索結果がありません。

密教文化 Vol. 1956 No. 32 005久保田 収「聖徳太子観音化身説の源由 P42-53」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "密教文化 Vol. 1956 No. 32 005久保田 収「聖徳太子観音化身説の源由 P42-53」"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

密 教 文 化

一 聖 徳 太 子 に 対 す る 景 仰 は、 鎌 倉 時 代 の 前 後 に お い て、 き は め て 盛 ん で あ つ た。 そ し て、 そ れ は、 当 時 の 復 古 的 な 風 潮 と 結 び つ い て、 仏 教 思 想 の 新 展 開、 仏 教 教 化 の 発 展 の 上 に、 重 要 な 鍵 と な つ た。 こ の こ と は、 す で に 早 く 大 屋 徳 城 氏 ( ﹁ 仏 教 各 宗 に 於 け る 聖 徳 太 子 の 信 仰 ﹂ 大 正 + 年 刊 ) や 辻 善 之 助 先 生 ( ﹁ 鎌 倉 時 代 の 復 古 思 想 と 新 宗 教 の 興 隆 ﹂ 大 正 十 一 年 発 表、 日 本 仏 教 史 之 研 究 続 編 所 収 ) が 明 か に さ れ た と こ ろ で あ る。 そ の 太 子 景 仰 は、 太 子 を 観 音 菩 薩 の 化 身 と す る 信 仰 に 焦 点 を お い て を り、 こ の こ ろ の 太 子 信 仰 は、 ほ と ん ど 観 音 信 仰 と 相 表 裏 す る と い つ て よ い ほ ど で あ つ た。 い ま そ の 顕 著 な も の を 挙 げ る と、 親 驚 が あ る。 親 鴛 が、 そ の 宗 教 的 な 煩 悶 を 解 決 す る た め に、 聖 徳 太 子 ゆ か り の 京 都 六 角 堂 に 参 籠 し て、 観 音 の 夢 告 を 得 た こ と は、 本 願 寺 聖 人 親 驚 絵 伝 の 伝 へ る と こ ろ で あ つ て、 親 驚 の 伝 記 の 中 で も 著 名 な も の で あ る が、 こ の こ と は 恵 信 尼 自 筆 消 息 に も み ら れ る の で、 親 鷺 の 信 仰 の 成 立 の 上 に、 観 音 の 化 身 と し て の 太 子 が 重 要 な 地 位 に 立 つ て ゐ る こ と は、 十 分 推 量 せ ら れ る。 そ れ ゆ え に、 親 鷺 の 和 讃 の 中 に、 太 子 を た た へ る も の が 幾 つ か あ る こ と は、 決 し て 不 思 議 で は な い。 中 で も、 正 像 末 和 讃 の 皇 太 子 聖 徳 奉 讃 の 中 で、 救 世 観 音 大 菩 薩 聖 徳 皇 と 示 現 し て 多 々 の ご と く す て ず し て 阿 摩 の ご と く に そ ひ た ま ふ と い ひ、 大 慈 救 世 聖 徳 皇 父 の ご と く に お は し ま す 大 悲 救 世 観 世 音 母 の ご と く に お は し ま す と 称 へ て ゐ る こ と は、 篤 信 の 状 ま こ と に 深 い も の が 感 ぜ ら れ る。 同 様 の こ と は、 解 脱 の 作 と 伝 へ ら れ る 太 子 和 讃 に も み え 敬 礼 太 子 上 宮 王 本 体 救 世 観 世 音 大 悲 弘 誓 深 く し て 蒼 浜 海 の 如 く な り と あ つ て、 太 子 の 徳 を 深 く 仰 い で ゐ る の で あ る。 解 脱 は、 法 華 経 開 示 抄 の 嘱 累 義 問 答 の 中 で、 ﹁ 聖 徳 太 子、 是 救 世 観 音 権 化 身 也 ﹂ と い つ て を り、 こ の 和 讃 が 解 脱 の 作 で あ る か 否 か は

(2)

し ば ら く お く と し て も、 解 脱 が、 太 子 を 救 世 観 音 の 化 身 と 信 じ て、 そ の 前 に 脆 い て ゐ た こ と は 疑 ひ な い。 聖 徳 太 子 全 集 ( 第 五 太 子 関 係 芸 術 篇 参 照 ) に 収 め る 数 多 い 聖 徳 太 子 講 式 は、 ほ と ん ど 太 子 を 救 世 観 音 の 化 身 と 仰 い で 讃 仰 の こ と ば を 捧 げ て ゐ る の で あ り、 ま た 元 久 二 年 に 草 し た 円 運 の 如 意 輪 講 式 は、 太 子 を 如 意 輪 観 音 の 化 身 と す る も の で は あ る が、 同 様、 深 い 讃 歎 の 心 の う か が は れ る も の で あ る。 か う し た 信 仰 が、 ひ ろ く 一 般 に 広 ま り 普 及 し て ゐ た こ と は、 い ふ ま で も な い。 こ の や う に、 太 子 を 観 音 の 化 身 と す る 信 仰 は、 鎌 倉 時 代 の 前 後 を 最 も 盛 ん と す る が、 し か し そ の 源 流 は 遠 く さ か の ぼ る も の が あ つ た。 二 聖 徳 太 子 の 伝 記 と し て 最 も 古 い も の は 上 宮 記 で あ る が、 不 幸 に し て 今 日 そ の 全 文 は 伝 は ら な い。 わ つ か に そ の 一 部 が 釈 日 本 紀 巻 十 三 の 聖 徳 太 子 伝 雑 勘 文 の 中 に 引 用 さ れ て ゐ る に 止 ま る。 こ の 文 の 中 に は、 い ま 問 題 と し て 採 上 げ た 太 子 観 音 化 身 説 を 反 映 し て ゐ る と み ら れ る 内 容 は 見 受 け ら れ な い 〇 つ い で 太 子 伝 と し て は 上 宮 聖 徳 法 王 帝 説 が あ る が、 こ れ に も 観 音 化 身 説 は み ら れ ず、 ま た 日 本 書 紀 推 古 天 皇 紀 も 太 子 の 伝 記 を 述 べ る も の と し て 挙 げ な く て は な ら な い が、 こ こ に も 明 瞭 な 観 音 化 身 説 を 見 出 す こ と は で き な い。 そ の 説 が 明 確 に 現 は れ て く る の は、 聖 徳 太 子 伝 暦 を 待 た な け れ ば な ら な い の で あ る。 聖 徳 太 子 伝 暦 は、 そ の 奥 に ﹁ 古 本 奥 書 云、 延 喜 十 七 年 九 月、 蔵 人 頭 兼 輔 撰 ﹂ と み え て ゐ る。 そ の 本 文 の 中 に、 推 古 天 皇 十 二 年 秋 七 月、 秦 川 勝 の 案 内 で、 太 子 が 峰 岡 に 一 宿 せ ら れ た こ と を 述 べ て ゐ る が、 そ の と き 太 子 が 侍 臣 に 向 つ て、 ﹁ 吾 相 二 此 地 一、 国 之 秀 也、 ( 中 略 ) 二 百 歳 後、 有 二 一 聖 皇 一、 再 遷 成 レ 都、 興 二 隆 釈 典 一、 苗 胤 相 続、 不 墜 二 旧 軌 一、 故 感 二 夢 相 鞘、 今 遊 二 此 処 鱒、 ﹂ と 仰 せ ら れ た と 記 し て ゐ る。 二 百 歳 の 後、 一 聖 皇 あ り と い ふ の は 桓 武 天 皇 の こ と で あ り、 こ の 御 代 に 平 安 遷 都 が 行 は れ た の で あ つ て、 右 の 文 は こ の 事 実 を 踏 ま へ て の 成 文 で あ る と 考 へ ら れ る か ら、 こ の 書 が 桓 武 天 皇 以 後 に つ く ら れ た ご と は 明 白 で あ る。 従 つ て、 古 本 の 奥 書 の 如 く、 こ れ を 延 喜 十 七 年 の 藤 原 兼 輔 の 撰 と み て 誤 り な い で あ ら う。 こ れ を 延 喜 十 七 年 の 撰 と す る と、 一 応 ふ れ て お き た い の は、 法 隆 寺 蔵 写 本 南 無 舎 利 口 決 義 軌 で あ る。 こ の 書 に は、 ﹁ 此 菩 薩 和 光 同 塵 無 辺 故、 示 二 生 於 人 間 唱、 生 二 聖 徳 太 子 鱒 給、 ﹂ と い ひ、 ﹁ 性 徳 無 漏 之 理 体 如 意 輪 観 自 在 菩 薩 即 今 聖 徳 太 子 之 全 体 也 ﹂ と あ つ て、 太 子 を 如 意 輪 観 音 の 化 身 と み て ゐ る の で あ る が、 こ の 書 の 末 尾 に ﹁ 予 空 海 伝 二 真 雅 法 師 一、 大 同 二 年 丁 亥 九 月 中 旬 五 日 記、 入 唐 沙 門 空 海 三 + 四 法 + 三 ﹂ と あ り、 も し こ れ が 大 同 二 年 の 撰 で あ る な ら ば、 聖 徳 太 子 伝 暦 よ り も さ ら に 遡 る も の で あ る。 し か し、 こ の 書 は、 早 く 弘 法 大 師 全 集 の 編 著 が 指 摘 し て ゐ る や う に、 後 代 の 偽 作 で あ つ て、 大 同 二 年 と 聖 徳 太 子 観 音 化 身 説 の 源 由

(3)

密 教 文 化 み る わ け に は い か ぬ。 や は り 鎌 倉 時 代 の 前 後 に 偽 作 さ れ た も の と み な く て は な ら な い。 従 つ て、 太 子 観 音 化 身 説 の 明 白 に み ら れ る の は、 聖 徳 太 子 伝 暦 で あ り、 平 安 時 代 の 初 期 に あ る と い ふ べ き で あ ら う。 さ て、 聖 徳 太 子 伝 暦 を み る と、 ま つ 太 子 の 出 生 伝 説 を の せ て、 次 の や う に 述 べ て ゐ る。 欽 明 天 皇 三 十 二 年 辛 卯 春 正 月 朔、 甲 子 夜、 妃 夢 有 二 金 色 僧 一、 容 儀 太 艶、 対 レ 妃 而 立、 謂 レ之 日、 吾 有 一-救 世 之 願 一、 願 暫 宿 二 後 腹 輔、 妃 問、 是 為 レ 誰 乎、 僧 日、 吾 救 世 菩 薩、 家 在 二 西 方 一、 妃 日、 妾 腹 垢 機、 何 宿 二 貴 人 舶、 僧 日、 吾 不 レ 厭 二 垢 機 一、 唯 望 紗 感 二 人 間 噌、 妃 日、 不 二 敢 辞 譲 一、 左 之 右 之 随 レ 命、 僧 懐 二 歓 色 一、 躍 入 二 口 中 一、 妃 即 驚 膳、 喉 中 猶 似 レ 呑 レ物、 妃 意 太 奇、 謂 二 皇 子 噌、 皇 子 日、 偶 之 所 レ 誕、 必 得 二 聖 人 一、 太 子 の 出 生 に つ い て、 救 世 菩 薩 の 救 世 の 願 に よ つ て 誕 生 さ れ た こ と を 説 い て ゐ る の で あ る。 次 に 敏 達 天 皇 十 二 年 七 月 に、 百 済 の 賢 者 葦 北 達 率 日 羅 が 来 朝 し た こ と を 述 べ た と こ ろ で は、 日 羅 が 太 子 を み て 地 に 脆 い て 合 掌 し て、 ﹁ 敬 礼 救 世 観 世 音、 伝 燈 東 方 粟 教 王 ﹂ と 申 し た こ と を 記 し て ゐ る。 こ の 偶 は、 前 に あ げ た 出 生 伝 説 の 中 に あ る ﹁ 吾 救 世 菩 薩、 家 在 二 西 方 一 ﹂ と い ふ 句 と と も に、 慶 保 胤 の 日 本 往 生 極 楽 記 の 中 に み え た の を は じ め と し て、 後 代、 重 視 せ ら れ、 各 種 の 聖 徳 太 子 講 式 そ の 他 に 引 か れ て、 太 子 を 讃 歎 す る こ と ば と な つ た。 さ ら に、 推 古 天 皇 五 年 四 月 に 来 朝 し た 百 済 の 王 子 阿 佐 も ま た 太 子 を 拝 し て、 ﹁ 救 世 大 慈、 観 音 菩 薩、 妙 教 流 通、 東 方 日 国、 四 十 九 歳、 伝 燈 演 説、 大 慈 大 悲、 敬 礼 菩 薩 ﹂ と い つ た 旨 も 記 さ れ て ゐ る。 こ の 文 も 前 文 と 同 工 異 曲 で あ り、 や は り 太 子 を 観 音 の 化 身 と す る 思 想 の 上 に 立 つ も の で あ る。 か く の 如 く、 こ の 書 に 首 尾 一 貫 す る も の は、 太 子 観 音 化 身 説 で あ り、 こ の 説 は こ の 書 に お い て 明 白 な 形 で 示 さ れ た の で あ る。 三 こ の や う に、 聖 徳 太 子 伝 暦 に お い て、 観 音 化 身 説 が 明 瞭 な 形 で 示 さ れ た の で あ る が、 そ れ を 生 み 出 し た も の は 何 で あ ら う か。 観 音 化 身 説 よ り も 早 く 喧 伝 せ ら れ た も の に、 太 子 慧 思 禅 師 後 身 説 が あ る。 こ れ は 前 述 の 大 屋 徳 城 氏 の 著 書 に み え、 ま た 辻 先 生 も ﹁聖 徳 太 子 慧 思 禅 師 後 身 説 に 関 す る 疑 ひ ﹂ ( 昭 和 四 年 発 表、 日 本 仏 教 史 之 研 究 続 篇 所 収 ) の 中 で、 こ の 説 に つ い て 述 べ ら れ、 こ の 説 は、 鑑 真 と と も に 来 朝 し た 思 託 の 云 ひ 始 め た も の で、 天 台 僧 徒 に よ つ て 普 及 し た も の で あ る、 と 推 断 せ ら れ た。 恐 ら く そ の 説 か れ る 通 り で あ ら う。 こ の 説 が 明 瞭 に 説 か れ て ゐ る も の は、 唐 大 和 尚 東 征 伝 で あ る。 す な は ち、 そ の 中 に、 栄 叡 普 照 が 鑑 真 に 対 し 日 本 へ の 来 遊 を 請 う て、 ﹁ 仏 法 東 流 至 二 日 本 国 一、 難 レ 有 二 其 法 一、 而 無 二 伝 法 人 一、 本 国 昔 有 二 聖 徳 太 子 一、 日、 二 百 年 後 聖 教 興 二 於 日 本 一、

(4)

今 鐘 二 此 運 唱、 和 上 東 遊 興 化、 ﹂ と 申 し た の に 答 へ て、 鑑 真 は ﹁ 昔 聞、 南 岳 思 禅 師、 遷 化 之 後、 託 二 生 倭 国 王 子 一、 興 二 隆 仏 法 一 済 二 度 衆 生 こ 云 々 と い つ た と あ る の が、 そ れ で あ る。 こ の 書 は、 思 託 の 著 は す と こ ろ で、 奈 良 時 代 後 期 の も の で あ る が、 同 じ く 思 託 の 著 は し た 延 暦 僧 録 所 載 の 上 宮 皇 太 子 菩 薩 伝 に も ﹁ 思 禅 師 後 生 二 日 本 国 豊 田 天 皇 宮 こ と 記 さ れ て ゐ る 〇 こ の ほ か、 こ の 説 は 光 定 の 一 心 戒 文 に 引 か れ た 淡 海 三 船 の 詩 の 中 に も み え れ ば、 経 国 集、 梵 網 経 註 に も 同 様 に 述 べ ら れ て ゐ る が、 そ れ ら は い つ れ も 思 託 の 説 か ら 出 た も の と み ら れ る。 こ の 説 は、 奈 良 時 代 の 後 期、 慧 思 の 流 れ を 汲 む 鑑 真 へ の 世 の 非 難 を 解 く た め に、 思 託 に よ つ て 説 か れ、 平 安 時 代、 天 台 僧 徒 に よ つ て 継 承 せ ら れ た の で あ る。 従 つ て、 聖 徳 太 子 伝 暦 の 出 現 に 先 行 す る も の で あ る が、 太 子 観 音 化 身 説 は、 こ の 太 子 慧 思 禅 師 後 身 説 と、 直 接 に 連 結 す る も の と は 認 め が た い。 恐 ら く そ の 発 生 に お い て は、 両 者 は 全 く 別 個 の も の で あ つ た と み る べ き で は な か ら う か。 太 子 観 音 化 身 説 の 繭 芽 は、 こ の 慧 思 禅 師 後 身 説 に あ る の で は な く し て、 そ れ 以 前 の 太 子 に 対 す る 崇 敬 の 中 か ら 生 れ た と 考 へ た い の で あ る。 こ の こ と の 一 つ の 手 懸 と し て 考 察 し た い の は、 上 述 の 聖 徳 太 子 伝 暦 に お い て、 太 子 観 音 化 身 説 の み ら れ る と こ ろ が、 こ れ に 先 行 す る 諸 伝 に ど の や う に 現 は れ て ゐ る か、 と い ふ こ と で あ る。 日 羅 と 阿 佐 が 太 子 を 敬 礼 し た こ と に つ い て は、 上 宮 聖 徳 太 子 伝 補 閾 記 に も 日 本 書 紀 に も 記 す と こ ろ が な い が、 母 后 懐 妊 の 条 に つ い て は、 右 の 聖 徳 太 子 伝 補 闘 記 に ﹁ 后 夢 有 レ 僧、 容 儀 太 艶、 対 レ 后 而 立、 謂 レ 之 日、 吾 有 二 救 世 願 噌、 暫 宿 二 后 腹 噸、 后 夢 中 許 諾、 ﹂ と あ る。 日 本 書 紀 に は、 こ の 条 に つ い て 触 れ る と こ ろ は な い。 伝 暦 の 文 は、 天 平 ご ろ の 編 修 と み ら れ る 聖 徳 太 子 伝 補 閾 記 の こ の 文 を 骨 子 と し て、 こ れ に 潤 色 を 加 へ、 観 音 化 身 説 を 明 示 し た も の で あ る こ と は、 疑 ひ な い。 こ こ で 注 意 さ れ る の は、 聖 徳 太 子 伝 補 闘 記 の 文 中、 ﹁ 救 世 願 ﹂ と あ る こ と で あ る 〇 太 子 が 救 世 観 音 の 化 身 と せ ら れ た こ と は 上 述 の 通 り で あ る が、 大 陸 の 仏 教 に は 救 苦 観 音 と い ふ 名 称 は あ つ て も、 救 世 観 音 と は い は れ て ゐ な か つ た と い ふ が、 さ う で あ れ ば、 救 世 観 音 と は、 わ が 国 で は じ め て 現 は れ た 名 称 で あ る。 そ の 由 来 す る と こ ろ は、 法 華 経 普 門 品 の 中 の ﹁ 観 音 妙 智 力 能 救 二 世 間 苦 こ に あ る こ と は、 い ふ ま で も な い で あ ら う。 救 世 観 音 と、 い つ ご ろ か ら 云 ひ 始 め た か は 明 か で な い が、 右 の 聖 徳 太 子 伝 補 閾 記 に い ふ ﹁ 救 世 願 ﹂ が、 普 門 品 の こ の 句 を 意 識 .し て 表 現 さ れ た と い へ な い で あ ら う か。 も し こ の 推 定 が 許 さ れ る と す れ ば、 本 書 の 中 に 早 く も 太 子 観 音 化 身 説 の 萌 芽 が 形 造 ら れ て ゐ た と み る こ と が で き よ う。 四 聖 徳 太 子 を 理 想 化 す る 傾 向 は、 顕 著 に み ら れ る と こ ろ で あ つ た。 太 子 が き は め て す ぐ れ た 人 格 と 叡 知 を 有 せ ら れ た こ と は、 十 七 条 憲 法、 三 経 義 疏 な ど の 高 遭 な 識 見 と 洞 徹 し た 知 解 聖 徳 太 子 観 音 化 身 説 の 源 由

(5)

密 教 文 化 を 伺 ふ に 足 る 成 文 著 書 だ け か ら で も 考 へ ら れ る が、 こ の や う な す ぐ れ た 資 質 と 人 格 が、 当 時 の 人 々 の 心 に 深 い 感 銘 を 与 へ、 そ れ が 次 第 に 敬 慕 の 思 ひ を 濃 く し、 や が て 崇 拝 の 対 象 と し て 理 想 化 す る や う に な つ た こ と は、 想 像 に 難 く な い。 ま つ 法 王 帝 説 を み る と、 ﹁ 至 二 長 大 之 時 一、 一 時 聞 こ 八 人 之 白 言 輔 而 弁 二 其 理 こ と て、 一 時 に 八 人 の 訴 へ を き か れ た こ と を 述 べ て ゐ る。 こ れ は 事 実 に 近 か つ た と も み ら れ る か ら、 こ れ は し ば ら く 別 と し て も、 太 子 が 義 疏 を つ く ら れ た こ と を 述 べ て、 上 宮 王 師、 高 麗 慧 慈 師、 王 命、 能 悟 二 浬 繋 常 住、 五 種 仏 性 之 理 一、 明 二 開 法 華 三 車、 権 実 二 智 之 趣 哺、 通 二 達 維 摩 不 思 変 解 脱 之 宗 一、 且 知 二 経 部、 薩 婆 多 両 家 之 弁 囎、 亦 知 一二 二 玄 五 経 之 旨 噌、 並 照 二 天 文 地 理 之 道 噌、 即 造 二 法 華 等 経 疏 七 巻 一、 号 日 二 上 宮 御 製 疏 一、 太 子 所 レ問 之 義、 師 有 レ 所 レ 不 レ 通、 太 子 夜 夢 見 二 金 人 二、 来 教 二 不 解 之 義 輔、 太 子 磨 後 即 解 レ 之、 乃 以 伝 二 於 師 一、 師 亦 領 解、 如 レ 是 之 事、 非 二 一 二 二 耳、 と あ る。 す な は ち、 太 子 が 御 製 疏 に 際 し て、 慧 慈 の 答 へ る こ と の で き な か つ た 難 解 の 箇 所 を、 太 子 は 夢 の な か で 金 人 の 教 へ に よ つ て 領 解 さ れ た と い ふ の で あ る。 こ れ は、 こ の 後 の 太 子 夢 殿 入 定 の 説 と と も に、 多 分 に 神 秘 的 な 表 現 に 満 ち た 記 事 で あ る。 し か も、 ﹁ 如 レ 是 之 事、 非 二 一 二 一 耳 ﹂ と す る の で あ る か ら、 こ こ に 太 子 へ の 驚 畏 と 崇 敬 の 上 に 立 つ 理 想 化 の 第 一 歩 を み る こ と が で き る の で あ る。 や が て、 日 本 書 紀 に な る と、 さ ら に そ の 成 長 を み た。 太 子 莞 去 の 条 に は、 是 時、 諸 王 諸 臣、 及 天 下 百 姓、 悉、 長 老 如 レ 失 二 愛 男 噌、 而 塩 酢 之 味、 在 レ ロ 不 レ 嘗、 少 幼 如 レ 亡 二 慈 父 母 舶、 以 契 泣 之 声、 満 二 於 行 路 一、 乃 耕 夫 止 レ 紹、 春 婦 不 レ 杵、 皆 日、 日 月 失 レ 輝、 天 地 既 崩、 自 レ 今 以 後、 誰 侍 哉。 と あ る。 当 時 の 国 民 が 太 子 の 莞 去 を 深 く 悲 ん だ こ と は、 さ ぞ や と 思 は れ る の で あ つ て、 こ の 記 事 の 内 容 は 必 ず し も 誇 張 に 過 ぎ た も の と は い へ な い の で あ る が、 し か し、 日 本 書 紀 の 他 の 記 事 の 表 現 に 比 べ る と き、 編 者 の 主 観 的 叙 述 の き は め て 強 い こ と は 否 定 で き な い。 太 子 へ の 景 仰 に 異 常 な も の の あ る こ と を 思 は せ る。 ま た、 高 麗 の 僧 慧 慈 が、 太 子 の 莞 去 を き い て 大 い に 悲 し み、 自 ら 誓 つ た 通 り、 そ の 翌 年 の 太 子 莞 去 と 同 じ 日 に 逝 去 し た こ と を 記 し て、 ﹁ 是 以 時 人 之 彼 此 共 言、 其 独 非 二 上 宮 太 子 之 聖 醐、 慧 慈 亦 聖 也 ﹂ と あ る の は、 時 人 に 託 し て、 編 者 自 身 の 声 を あ ら は し た も の と い へ な い で あ ら う か。 太 子 は 聖 と さ れ た の で あ る。 太 子 を 聖 と す る 思 想 は、 同 じ く 日 本 書 紀 の 慧 慈 の 誓 願 の 中 に も み え て ゐ る。 誓 願 日、 於 二 日 本 国 一有 二 聖 人 一、 日 二 上 宮 豊 聰 耳 皇 子 噌、 固 天 仮 レ 縦、 以 二 玄 聖 之 徳 一、 生 二 日 本 之 国 噌、 苞 二 貰 三 統 輔、 纂 二 先 聖 之 宏 猷 一、 恭 二 敬 三 宝 一、 救 二 黎 元 之 厄 一、 是 実 大 聖 也、 と あ る の が、 こ れ で あ る。 さ ら に、 太 子 の 御 誕 生 を 述 べ た

(6)

次 に、 ﹁ 生 而 能 言、 有 二 聖 智 一、 及 レ壮、 一 聞 二 十 人 訴 一、 以 勿 レ 失 二 能 弁 一、 兼 知 二 未 然 こ と あ り、 ま た、 推 古 天 皇 二 十 一 年 十 二 月、 太 子 が 片 岡 山 の 飢 人 に 施 さ れ た こ と を 記 し て、 こ の と き の 太 子 の 言 と し て ﹁ 先 日 臥 二 干 道 一飢 者、 其 非 二 凡 人 一、 必 真 人 也 ﹂ と い ふ の を 挙 げ、 そ の 後 に 附 け 加 へ て、 ﹁ 時 人 大 異 日、 聖 之 知 レ 聖、 其 実 哉、 ﹂ と 太 子 を 称 へ る こ と ば を 記 し て ゐ る 如 き、 同 じ く 太 子 を 聖 と す る も の で あ る。 法 王 帝 説 を さ ら に 一 歩 進 め て、 太 子 を 聖 と す る 思 想 は、 書 紀 に お い て 確 立 し た と い へ る。 か う し た 思 想 が、 や が て、 聖 徳 太 子 伝 補 闘 記 に お い て、 ﹁ 救 世 願 ﹂ に よ る 太 子 降 誕 の 使 命 観 を 明 か に す る や う に な り、 観 音 化 身 説 を 胚 胎 せ し め た の で あ ら う。 そ し て こ の ﹁ 救 世 願 ﹂ と い ふ こ と ば の 起 る 一 因 と し て、 日 本 書 紀 に お い て 慧 慈 の 言 と し て、 太 子 の 徳 を 称 へ て ﹁ 恭 二 敬 三 宝 噌、 救 二 黎 元 之 厄 一、 ﹂ と あ る こ と を 想 起 せ ら れ る。 太 子 理 想 化 の 傾 向 の 中 に、 太 子 出 生 の 本 懐 を 示 す も の と 思 は れ る 表 現 が 生 れ、 太 子 の 現 世 に お け る 使 命 観 が、 観 音 化 身 説 へ と 移 行 し た の で あ ら う。 こ の 点 で、 慧 思 禅 師 後 身 説 の 出 現 と は 全 く 異 な る 自 然 の 発 展 が み ら れ る の で あ る。 観 音 菩 薩 は、 そ の 発 願 の 最 初 に 強 い 誓 願 を 起 し て、 現 世 に お け る 一 切 の 苦 厄 を 除 き、 恐 怖 や 不 安 を 去 る こ と が で き な い な ら ば、 成 仏 し な い と い ふ 慈 悲 心 を 示 し て ゐ る も の と さ れ る。 こ の 誓 願 か ら 生 れ る 功 徳 を、 普 門 品 で は、 七 難 を 除 き 三 毒 を 難 れ 三 求 を 満 足 す る も の と な し、 そ れ は 一 称 南 無 観 音、 一 念 観 音、 一 礼 観 音 に よ つ て 得 ら れ る と 説 い て ゐ る。 観 音 と い ふ 訳 語 は、 常 に 世 間 の 音 声 を 観 じ て 救 済 の 手 を 垂 れ る と い ふ と こ ろ か ら 出 た と い は れ る が、 他 方、 施 無 畏 者 の 名 の あ る や う に、 す べ て の 凡 夫 が 何 の 畏 れ も な く そ の 前 に 進 ん で 平 安 を 得 る こ と が で き、 か つ ま た 菩 薩 と し て、 自 ら 菩 薩 を 求 め る と と も に、 衆 生 を 済 度 す る も の で あ る。 こ こ に 救 苦 観 音 と か い は れ る 所 以 が あ る で あ ら う。 こ の や う な 救 世 観 音 の 姿 は、 自 ら 求 道 者 で あ る ば か り で な く、 政 治 の 衝 に 当 ら れ、 教 化 の 導 き を 垂 れ ら れ て、 現 実 生 活 の 苦 悩 苦 患 を 除 き 去 ら れ る 聖 者 と し て の 太 子 に、 ま こ と に ふ さ は し い と 考 へ ら れ た こ と で あ ら う。 普 門 品 に 観 世 音 三 十 身 応 現 説 が 説 か れ て ゐ る こ と は、 聖 で あ る 太 子 を 観 音 の 化 身 を 考 へ る 有 力 な 根 拠 を 提 供 し て ゐ る。 の み な ら ず ﹁ 応 下 以 二 小 王 身 一得 度 上 者、 即 現 二 小 王 身 一而 為 レ 説 レ 法 ﹂ と あ る こ と は、 一 層 具 体 的 に わ が 国 に お け る 観 音 化 身 の 出 現 を 示 す も の と 信 ぜ し め る の に、 十 分 な も の が あ つ た こ と で あ ら う。 ﹁ 敬 礼 救 世 観 世 音、 伝 燈 東 方 粟 散 王 ﹂ と い ふ 日 羅 の 偶 は、 や や 時 代 が 降 る も の と 考 へ ら れ る が、 転 輪 王 に 対 し て、 小 国 の 王 と い ふ 意 味 の 粟 散 王 の 語 を 用 い て ゐ る こ と は、 こ の 間 の 関 係 を 示 す も の と い へ な い で あ ら う か。 五 太 子 と 観 音 と の 関 連 は、 以 上 の や う な 問 題 の ほ か に、 直 接 聖 徳 太 子 観 音 化 身 説 説 の 源 由

(7)

密 教 文 化 に 結 び つ け ら れ る も の が み ら れ な い で あ ら う か。 日 本 書 紀 に 観 音 信 仰 の こ と が 最 初 に 見 出 さ れ る の は、 天 武 天 皇 の 朱 鳥 元 年 七 月 の 条 で あ る。 こ れ に は、 天 皇 が 御 不 豫 で あ ら せ ら れ る の で、 こ .の 月、 諸 王 諸 臣 が 天 皇 の 御 為 に 観 音 像 を 造 り、 観 世 音 経 を 大 官 大 寺 に 説 か し め た と あ る。 さ ら に、 同 書 に は、 八 月、 宮 中 で 観 音 経 二 百 巻 を 読 ま し め た こ と が 記 さ れ て ゐ る。 ま た 泰 澄 和 尚 伝 記 に は、 持 続 天 皇 九 年 乙 未 の 年 ( 本 書 に こ の 年 を 大 化 元 年 と し て ゐ る が、 孝 徳 天 皇 の 大 化 元 年 と は 異 る。 ) に、 泰 澄 は 十 一 面 観 音 の 霊 夢 を 得 た こ と が 記 さ れ て ゐ る。 こ の こ ろ か ら、 観 音 信 仰 が あ ら は れ、 次 第 に 流 行 し た の で あ ら う。 従 つ て、 観 音 経 の 伝 来 や、 観 音 信 仰 の 起 り が、 そ れ 以 前 に 属 す る こ と は い ふ ま で も な い が、 聖 徳 太 子 の 時 代 に ま で 遡 つ て、 観 音 信 仰 が 明 白 な 形 で 確 立 し て ゐ た と み る こ と が で き る で あ ら う か。 法 華 経 に、 観 音 普 門 品 す な は ち 観 音 経 の あ る こ と は い ふ ま で も な い。 そ の 法 華 経 に つ い て 太 子 は 義 疏 を つ ぐ ら れ た の で あ る が、 聖 徳 太 子 伝 補 閾 記 に よ る と、 法 華 義 疏 は 甲 戌 年 す な は ち 推 古 天 皇 の 二 + 二 年 に 始 め ら れ、 翌 年 で き 上 つ た の で あ る。 聖 徳 太 子 伝 暦 に は、 法 華 経 義 疏 に 前 疏 と 後 疏 が あ つ た と し て を り、 こ れ に 従 へ ば、 後 疏 と い ふ の は、 こ の 二 十 三 年 に 出 来 上 っ た も の を 指 す ら し く、 前 疏 の 方 は 十 四 年 に 講 ぜ ら れ た も の で、 こ れ に 手 を 加 へ ら れ て 後 疏 が つ く ら れ た と 解 せ ら れ る の で あ る。 現 存 の 御 物 の 法 華 経 義 疏 に は、 一 度 清 書 し た も の に、 な お 貼 書 や 削 改 の が み え る か ら、 い つ れ に し ろ、 た え ず 研 究 を つ づ け ら れ た も の で あ る こ と は、 推 測 に 難 く な い。 こ の や う に、 太 子 は 法 華 経 を 深 く 研 究 さ れ た ば か り で な く、 こ れ を 尊 信 せ ら れ て ゐ た こ と は、 法 華 経 義 疏 の 語 句 の 中 か ら う か が は れ る。 同 書 法 師 品 の 疏 に、 ﹁ 所 三 以 偏 嘆 二 法 華 最 第 = 者、 只 就 二 会 レ 前 開 噌 レ 後 為 レ 論 故、 然 会 レ前 者 明 三 一二 乗 無 二 異 路 一、 語 二 万 善 同 帰 一、 開 レ 後 者、 語 二 万 善 皆 成 ジ 仏、 仏 寿 無 二 窮 極 一中、 則 開 二 浬 架 之 前 路 一、 作 二 常 住 之 由 漸 一、 前 後 両 望、 三 儀 隻 明、 ﹂ と あ り、 ま た 同 書 の は じ め に、 ﹁ 夫 妙 法 蓮 華 経 者、 蓋 是 惣 取 = 万 善 一合 為 一二 因 唱之 豊 田、 七 百 近 寿 転 成 = 長 遠 一 之 神 薬、 若 論 F 釈 迦 如 来 応 二 現 此 土 輔 之 大 意 上 者、 将 レ 欲 下 宜 演 = 此 経 教 軸、 修 二 同 帰 之 妙 因 噌、 令 上 得 二 英 二 之 大 果 噌、 ﹂ と あ る が、 太 子 は こ の 経 を 至 極 の 経 と 考 へ、 深 く 尊 重 さ れ て ゐ た の で あ る。 し か し、 だ か ら と い つ て、 こ の 経 の 中 の い は ゆ る 観 音 経 を と く に 尊 重 せ ら れ、 観 音 を 信 仰 せ ら れ て ゐ た 様 子 は み る こ と が で き な い。 大 乗 経 典 の 中 で、 観 音 の 功 徳 を 説 い て ゐ る の は、 阿 弥 陀 経 と 法 華 経 観 音 普 門 品 と で あ る。 阿 弥 陀 経 に お い て は、 観 音 は、 勢 至 と と も に 阿 弥 陀 仏 の 脇 侍 と し て 説 か れ て ゐ る に 過 ぎ な い か ら、 主 と し て 観 音 信 仰 を 形 成 す る も の と し て は、 観 音 普 門 品 と す べ き で あ ら う。 法 華 経 に は 六 訳 あ り、 そ の 最 古 の 三 国 呉 の 支 彊 良 接 の 訳 し た 法 華 三 昧 経 は 現 在 せ ず、 現 在 す る

(8)

も の で は、 西 晋 の 竺 法 護 の 訳 し た 正 観 音 経 十 巻 二 十 七 品 が 最 古 と 考 へ ら れ る。 支 那 に お い て 観 音 信 仰 の 芽 生 え た の は、 こ の 正 法 華 経 伝 訳 の 直 後 の こ と で あ り、 天 台 智 顕 の 著 は し た 観 音 義 経 に は、 晋 の 謝 敷 の 作 つ た 観 世 音 応 験 伝 を 引 い て、 竺 長 静 と い ふ も の が 晋 の 元 康 年 間 に 洛 陽 の 大 火 に 際 し て、 一 心 に 観 音 の 御 名 を 称 へ て 火 難 を 免 れ た こ と を 載 せ て ゐ る が、 こ れ が 観 音 信 仰 と し て 初 見 で あ る と さ れ て ゐ る。 東 晋 の 中 頃 以 後、 法 華 経 の 研 究 が 進 む に つ れ て、 観 音 信 仰 も 次 第 に 発 展 し、 聖 徳 太 子 の 法 華 経 義 疏 の 有 力 な 参 考 と な つ た 梁 の 光 宅 寺 法 雲 の 法 華 義 記 の 作 ら れ た と き に は、 観 音 信 仰 は ほ ぼ 確 立 し て ゐ た と み ら れ る。 そ し て そ の 普 及 盛 行 を 物 語 る の は 観 音 経 の 独 立 で あ る。 智 顕 の 観 音 玄 義 や 法 華 経 伝 記 に よ る と、 悲 華 経 を 訳 し た 北 涼 の 量 無 識 葱 嶺 を 越 え て 河 西 に 来 た と き、 王 の 沮 渠 蒙 遜 の 難 病 を み て、 観 音 菩 薩 は こ の 土 に 縁 が あ る と い つ て、 普 門 品 を 念 調 す る こ と を 勧 め、 た め に 病 苦 を 除 い た の で、 こ の と き か ら 観 音 経 が 独 立 し て ひ ろ く 流 布 す る や う に な つ た と い ふ。 こ の 観 音 経 だ け を 註 記 し た も の と し て は、 智 顕 の 観 音 玄 義 二 巻、 観 音 義 疏 二 巻 が 知 ら れ て ゐ る が、 智 顕 は 階 の 人、 従 つ て 階 と 時 を 同 じ う す る 聖 徳 太 子 の 時 代 の わ が 国 に、 観 音 信 仰 が 全 く 流 伝 し な か つ た と は い ひ が た い。 し か し、 仏 教 そ の も の の 流 伝 が ま だ 初 期 的 な 段 階 に 過 ぎ な か つ た 当 時 に お い て、 観 音 信 仰 が 明 確 な 形 を と つ て 現 は れ た と す る こ と は、 信 ぜ ら れ な い こ と で あ ら う。 や は り、 大 化 改 新 を 経 て 後 に お い て、 明 確 な 観 音 信 仰 が あ ら は れ て き た の で は あ る ま い か。 六 こ こ で 問 題 と な る の は、 正 倉 院 文 書 ( 大 日 本 古 文 書 + 二 の 五 三 頁 ) の 天 平 勝 宝 三 年 九 月 二 十 日 の 写 書 布 施 勘 定 帳 に ﹁ 観 世 音 経 疏 一 巻 上 宮 王 撰 ﹂ と あ る 歯 と で あ る。 こ の 観 音 経 疏 が 太 子 に よ つ て、 特 に つ く ら れ た と す れ ば、 太 子 の 観 音 信 仰 を 物 語 る 有 力 な 資 料 と な る か ら で あ る。 こ こ に 訳 さ れ た ﹁ 上 宮 太 子 撰 ﹂ と い ふ こ と に、 二 つ の 場 合 が 想 定 さ れ る。 第 一 は、 太 子 の 法 華 経 疏 の 中 か ら、 そ の 一 品 で あ る 普 門 品 の 義 疏 だ け を と り 出 し て、 こ こ に 観 音 経 疏 一 巻 と し て 写 し た こ と で あ る。 第 二 は、 法 華 経 義 疏 と は 別 個 に、 観 音 経 に つ い て 疏 を つ く ら れ た こ と で あ る。 法 華 経 義 疏 の う ち、 普 門 品 の 義 疏 は、 他 の 諸 品 に 比 し て 比 較 的 簡 単 で あ る。 こ の こ と か ら、 法 華 経 の 中 で 重 要 と 目 さ れ る 普 門 品 に つ い て、 新 た に 義 疏 を つ く ら れ て、 詳 説 さ れ た と す る 解 釈 も 生 れ る こ と で あ ら う。 ま た、 こ の 写 書 布 施 勘 定 帳 に は、 こ の 観 世 音 経 疏 と 並 べ て、 法 花、 勝 髪、 弥 勤、 梵 網、 薬 師、 十 一 面 な ど の 諸 経 疏 を あ げ、 そ の う ち、 法 華 経 疏 の 中 ﹁ 四 巻 上 宮 王 撰 ﹂ 勝 髪 経 疏 の 中 ﹁ 又 一 巻 上 宮 王 撰 ﹂ を あ げ て ゐ る か ら、 観 世 音 経 疏 は こ の 法 華 義 疏 と は 別 個 の も の と 考 へ る こ と も で き よ う。 か う し た 理 由 か ら、 こ れ を 太 子 の 新 た な 起 草 と 考 へ る こ 聖 徳 太 子 観 音 化 身 説 の 源 由

(9)

密 教 文 化 と も 可 能 で は あ る が、 し か し、 法 華 経 義 疏 が、 太 子 の 講 経 を も と に し た も の で あ る と 考 へ る な ら ば、 普 門 品 が 簡 単 な こ と は、 と く に 意 あ つ て 他 日 の 義 疏 を 考 慮 さ れ て の こ と で は な く、 む し ろ 太 子 が 普 門 品 を さ ま で 重 視 さ れ な か つ た と み る こ と が、 素 直 な 解 釈 で は な い だ ら う か。 こ の 観 世 音 経 疏 に つ い て は、 他 に 全 く そ の 所 見 が な く、 法 隆 寺 流 記 資 財 帳、 そ の 他 の 太 子 伝 諸 書 に も 伝 へ る こ と が な い し、 ま た 上 述 の 正 倉 院 文 書 は 経 疏 を 書 写 し た と い ふ 記 録 に 過 ぎ な い か ら、 同 一 書 を 重 複 し て 掲 げ て ゐ て も 差 支 へ な い の で あ る。 従 っ て、 こ の 観 世 音 経 疏 は、 法 華 経 義 疏 の 中 か ら 普 門 品 義 疏 の み を と り 出 し て 書 写 し た と み る の が 自 然 で あ ら う。 大 屋 徳 城 氏 が ﹁ こ れ は 恐 ら く 法 華、 義 疏 の 中 の 普 門 品 の 義 疏 だ け を 別 行 し た も の で あ ら う ﹂ と さ れ て ゐ る こ と に 賛 成 し た い。 ( 日 本 仏 教 史 の 研 究 所 収、 ﹁ 飛 鳥 時 代 の 仏 教 と そ の 源 流 ﹂ ) 太 子 は、 法 華 経 義 疏 を つ く ら れ、 ま た 法 華 経 を 尊 重 さ れ た も の の、 当 時 と し て は 異 数 な こ と で あ つ て、 一 般 に 法 華 経 が 信 仰 生 活 の 上 で ひ ろ く 尊 崇 さ れ て く る の は、 奈 良 時 代 の こ と で あ る。 飛 鳥 時 代 に お い て、 最 も 盛 ん に 行 は れ た の は 金 光 明 経 で あ り、 つ い で 仁 王 経、 薬 師 経 で あ つ た。 奈 良 時 代 の 初 期 に お い て は、 大 般 若 経 が 比 較 的 多 く、 つ い で 金 光 明 経 と そ の 異 訳 で あ る 金 光 明 最 勝 経 と が 多 く 読 調 さ れ、 法 華 経 は こ れ に つ い で 尊 重 せ ら れ た の で あ つ た。 と く に 法 華 経 が 採 上 げ ら れ る や う に な つ た の は、 天 平 年 間 の こ と で あ る。 天 平 六 年 十 一 月 の 太 政 官 奏 に、 道 俗 を 論 ぜ ず ∩ 得 度 者 の 学 業 に 力 め て 法 華 経 一 部、 最 勝 王 経 一 部 を 暗 請 す べ き こ と を 述 べ、 同 十 二 年 に は、 天 下 に 令 し て、 国 毎 に 法 華 経 十 部 を 写 し、 か つ 七 重 の 塔 を 建 立 せ し め、 そ の 翌 年 に は、 国 分 寺 僧 尼 両 寺 に 法 華 経、 金 光 明 最 勝 経 各 一 部 を 書 写 せ し め る 詔 を 発 せ ら れ た こ と が、 続 日 本 紀 に み え て ゐ る。 法 華 経 の 研 究 も、 こ れ と 平 行 し て 進 ん で き た。 正 倉 院 文 書 の 天 平 + 九 年 六 月 七 日 の 写 疏 所 解 を み る と、 法 華 義 疏 と し て、 法 宝、 玄 範、 吉 蔵、 道 栄、 恵 浄、 憬 興、 玄 一 な ど の 著 書 を あ げ て を り、 翌 二 十 一 年 六 月 十 日 の 写 章 疏 目 録 に も、 法 華 論 子 註、 略 述、 要 略、 字 釈、 料 簡、 玄 義、 疏 談、 疏 義 記 な ど、 法 華 経 に 関 す る 研 究 資 料 が 並 べ ら れ て ゐ る こ と も、 こ の 時 代 と な つ て 法 華 経 が 重 視 さ れ る や う に な つ た 一 面 を 物 語 る も の で あ ら う。 こ れ に 伴 つ て、 観 音 経 も 次 第 に 読 請 せ ら れ る や う に な つ た と 思 は れ る 〇 前 述 の や う に、 天 武 天 皇 の 御 代 か ら 現 は れ て き た 観 世 音 経 の 尊 信 は、 天 平 の こ ろ と な つ て、 一 層 強 く な り 盛 ん と な つ た こ と で あ ら う 〇 太 子 の 普 門 品 の 義 疏 が、 と く に 法 華 経 義 疏 の 中 か ら と り 出 さ れ て、 独 立 し て 書 写 せ ら れ た の は、 観 音 信 仰 が 盛 ん と な つ て き た 結 果 乏 み て よ い の で は な か ら ヶ か。 七 観 音 造 像 に つ い て は、 前 述 の や う に、 続 日 本 紀 朱 鳥 元 年 七 月 の 条 に み え る。 従 つ て 観 音 像 は そ れ 以 前 か ら 伝 へ ら れ て ゐ

(10)

た の に 違 ひ な い 〇 聖 徳 太 子 伝 暦 を み る と、 推 古 天 皇 三 年 の 条 に、 淡 路 島 に 漂 着 し た 況 木 に つ い て、 ﹁ 即 有 レ 勅、 命 二 百 済 工 一 刻 噂碕 造 檀 像 一、 作 一観 音 菩 薩 -菩 薩 高 数 尺、 窒 吉 野 比 蘇 寺 臥 時 々 放 レ 光、 ﹂ と 記 さ れ て ゐ る。 こ れ が 事 実 と す れ ば、 観 音 造 像 の 記 事 と し て は き は め て 早 く、 前 述 の 朱 鳥 元 年 よ り さ ら に 遡 る も の で は あ る が、 果 し て 観 音 造 像 の こ と が あ つ た の か 疑 は し い。 こ の と き の 況 木 に つ い て は、 日 本 書 記 に は ﹁夏 四 月、 況 木 漂 二 着 於 淡 路 嶋 噌、 大 一 囲、 嶋 人 不 レ 知 二 況 木 一、 以 交 レ 薪 焼 二 於 竈 一、 其 姻 気 遠 薫、 則 異 以 献 レ 之、 ﹂ と あ る だ け で あ つ て、 況 木 を も つ て 仏 像 を 刻 ん だ と は み え て ゐ な い の で あ る。 鎌 倉 時 代 末 の 聖 徳 太 子 伝 記 ど な る と、 こ の と き の こ と を き は め て 詳 細 に 説 い て ゐ る が、 も と よ り 後 代 の 説 で あ つ て、 信 ず べ き 限 り で は な い。 し か し、 こ の ほ か、 太 子 所 縁 の 観 音 像 と 伝 へ る も の が な い で は な い。 た と へ ば、 四 天 王 寺 金 堂 の 本 尊 が あ る。 法 王 帝 説 や 日 本 書 紀 に は、 太 子 が 四 天 王 像 を 刻 ん で、 戦 ひ に 勝 つ た な ら ば 四 天 王 の た め に 寺 を 造 る と 誓 は れ た と 述 べ て ゐ る だ け で、 本 尊 の こ と に は 触 れ て ゐ な い が、 顕 真 の 古 今 目 録 抄 に は ﹁惣 太 子 所 造 意 輪 之 形 像、 不 三 見 二 及 儀 軌 本 経 之 説 一、 只 天 王 寺 之 金 堂 自 二 百 済 国 脚所 レ 奉 レ 送 之 金 銅 救 世 観 音 御 足 下、 是 如 意 輪 也、 銘 文 在 レ 之 云 々、 依 レ 之 所 二 知 伝 一歎、 救 世 観 音 如 意 輪 云 事、 以 二 此 尊 一所 レ 知 歎、 ﹂ と あ つ て、 本 尊 が 太 子 所 縁 の 如 意 輪 観 音 で あ る と し て ゐ る。 こ の 金 銅 の 像 は、 焼 け て い ま は 伝 は ら な い か ら 銘 文 が ど う い ふ も の で あ つ た か は、 知 る に 由 な い が、 京 都 盧 山 寺 所 蔵 の 丈 六 木 造 如 意 輪 観 音 像 は こ の 四 天 王 寺 金 堂 本 尊 を 模 し た も の と 伝 へ る。 こ の 像 は 鎌 倉 時 代 の 作 で あ つ て、 別 尊 雑 記、 覚 禅 抄、 十 巻 抄 な ど は、 こ の 様 式 を 二 習 の 如 意 輪 観 音 と 記 載 し て ゐ る O と こ ろ が、 同 じ 古 今 目 録 抄 に 註 記 ヲ ツ ト ノ ノ し て ﹁ 観 音 習 二 弥 勒 輔 義、 在 レ 之 歎、 ﹂ と い ひ、 ﹁ 天 王 寺 金 堂 観 ノ ノ ニ リ ナ リ ト 音 座 中、 有 二弥 勒 一 云 日 記 在 レ 之、 慈 円 僧 正 之 時 見 出 給 云 々、 ﹂ と あ つ て、 観 音 と 弥 勒 と が し ば し ば 混 同 さ れ て ゐ る こ と が 知 ら れ る か ら、 四 天 王 寺 金 堂 の 本 尊 が 果 し て 如 意 輪 観 音 で あ つ た か 弥 勒 で あ つ た か、 に は か に 決 し が た い と こ ろ で あ り、 さ ら に 遡 つ て こ こ に い ふ 本 尊 が 太 子 所 縁 で あ る か ど う か に つ い て も 疑 問 が な い で は な い。 円 運 の 如 意 輪 講 式 を み る と、 ﹁太 子 自 記 日、 我 身 救 世 観 音、 定 慧 契 女 大 勢 至、 生 二 我 身 一大 愛 母、 西 方 教 主 弥 陀 尊 云 々、 貴 哉 三 尊 秘 レ 本、 一 化 利 レ 物、 因 レ 葱 日 羅 阿 佐 百 済 之 先 賢 敬 礼 之 詞 無 レ 違、 天 王 中 宮 両 寺 之 本 尊 安 置 之 像 有 由、 ﹂ と あ つ て、 四 天 王 寺 の 本 尊 と と も に、 中 宮 寺 の 本 尊 も ま た 如 意 輪 観 音 と 伝 へ て き た こ と が 知 ら れ る。 中 宮 寺 の 本 尊 は、 そ の 端 麗 な 容 姿 で 有 名 で あ る が、 四 天 王 寺 金 堂 本 尊 を 模 し た と い ふ 藍 山 寺 の 像 と 同 様、 思 惟 半 助 像 で あ る。 こ れ と 同 じ や う な 思 惟 半 助 像 は、 広 隆 寺、 野 中 寺、 御 物 四 十 八 体 像 の 中 に も あ り、 そ れ ら は 多 く 如 意 輪 観 音 と 伝 へ ら れ て き た の で あ つ た が、 近 来 の 研 究 で は、 そ れ を 弥 勒 像 と 見 倣 し て ゐ る。 野 中 寺 の 像 の 台 座 櫃 縁 の 鍋 銘 に ﹁弥 勒 御 像 ﹂ と 明 記 さ れ て ゐ る こ と は、 そ の 有 力 な 根 聖 徳 太 子 観 音 化 身 説 の 源 由

(11)

密 教 文 化 拠 と な つ て ゐ る。 ま た、 如 意 輪 観 音 に は、 二 腎、 四 腎、 六 腎、 十 二 腎 な ど が あ り、 わ が 国 で は 六 腎 が 多 く、 六 腎 如 意 輪 観 音 の 儀 軌 は、 不 空 訳 如 意 輪 菩 薩 念 調 法 に 見 え て ゐ て、 そ の 右 第 一 手 思 惟 相 と 左 第 ] 手 光 明 山 を 按 ず る 相 と が 思 惟 半 跡 像 の 三 腎 と 似 て ゐ る や う に、 半 助 の 姿 も ま た 相 通 ず る も の の あ る と こ ろ か ら、 弥 勒 像 と 混 同 さ れ た と も 考 へ ら れ て ゐ る。 続 紀 に は、 道 鏡 は 義 淵 僧 正 の 弟 子 で、 よ く 如 意 輪 法 を 修 し た と あ り、 ま た 波 羅 門 僧 正 碑 に、 天 平 八 年 来 朝 し た 波 羅 門 僧 正 菩 提 が 臨 終 に 当 つ て、 ﹁ 吾 生 存 之 日、 普 為 二 四 恩 一奉 レ 造 二 如 意 輪 菩 薩 像 こ と い つ た と い ふ こ と が み え る か ら、 如 意 輪 観 音 の 造 像 は、 こ の こ ろ か ら 一 般 に 行 は れ る や う に な つ た こ と は 推 察 せ ら れ る。 し か も、 如 意 輪 観 音 を 造 像 す る と い ふ は つ き り し た 意 識 の も と に な さ れ る に は、 い は ゆ る 六 観 音 と し て 明 確 な 区 別 を た て る 儀 軌 が 確 定 し 伝 流 し て ゐ る こ と が 必 要 で あ る か ら、 や は り そ の 時 代 以 後 の こ と と い は ね ば な ら な い。 よ し 推 古 天 皇 の 御 代 に、 造 像 の こ と が あ つ た と し て も、 如 意 輪 観 音 と し て の 十 分 な 意 図 を も つ て 造 像 さ れ た と は い は れ な い で あ ら う。 こ の や う に、 太 子 の と き に、 観 音 の 造 像 が な さ れ た と み る こ と は、 十 分 な 根 拠 を も ち え な い の で あ り、 従 つ て 明 白 な 観 音 信 仰 が 存 在 し た と す る こ と も 困 難 で あ る。 こ れ と 比 べ て、 こ の 時 代 に お け る 弥 勒 造 像 の こ と に つ い て は 所 伝 が あ り、 ま た 弥 勒 信 仰 の 存 し た こ と も 推 知 せ ら れ る の で あ る。 ま つ 法 起 寺 露 盤 の 銘 に ﹁ 至 二 戊 戌 年 一、 福 亮 僧 正、 聖 徳 御 方、 敬 造 こ 弥 勒 像 一 躯 一、 構 二 立 金 堂 噌、 ﹂ と あ る か ら、 太 子 と の ゆ か り の 深 い 寺 院 に 弥 勒 像 の つ く ら れ た こ と が 知 ら れ る。 戊 戌 の 年 は 訂 明 天 皇 の 十 年 と み ら れ、 従 つ て、 太 子 莞 去 後、 余 り 遠 く な い と き に、 弥 勒 造 像 の こ と が 行 は れ た の で あ る。 日 本 書 紀 に は、 敏 達 天 皇 十 三 年 の 条 に、 百 済 か ら 来 朝 し た 鹿 深 臣 の 所 持 の 弥 勒 の 石 像 を 蘇 我 馬 子 が 安 置 し た こ と を 伝 へ る が、 こ れ に 従 へ ば、 太 子 の と き に 弥 勒 の 像 が 存 し て ゐ た 0 で あ り、 も し 天 寿 曼 茶 羅 に 示 さ れ る 天 寿 国 を 兜 率 天 と す る 説 が 信 ぜ ら れ る と す れ ば、 太 子 の 時 代 に 弥 勒 信 仰 が 存 し て ゐ た と し て よ い で じ あ ら う。 そ し て、 そ れ ら に 大 な り 小 な り 太 子 と の ゆ か り を み る こ と が で き る か ら、 太 子 の 建 立 さ れ た 寺 々 に 弥 勒 像 が 安 置 さ れ た と 推 定 す る こ と は、 観 音 像 よ り も、 は る か に 容 易 で あ る。 こ の や う に 考 へ る と、 太 子 造 像 の 所 伝 は あ つ て も、 太 子 の と き に 観 音 造 像 の あ つ た こ と、 太 子 に 観 音 信 仰 の 存 し た こ と は、 信 じ ら れ な い の で あ る。 八 だ が、 強 い て い へ ば、 太 子 と 観 音 と を 連 絡 す る も の が な い で は な い。 長 く 秘 仏 と さ れ て き た 夢 殿 の 本 尊 は 聖 観 音 像 で あ る が、 こ れ は、 天 平 宝 字 五 年 十 月 一 日 勘 録 の 東 院 資 財 帳 に、 ﹁ 上 宮 王 等 身 観 世 音 菩 薩 木 像 壱 躯 金 薄 押 ﹂ と あ つ て、 太 子 等 身 像 と 伝 へ て ゐ る。 こ れ は、 天 養 三 綱 奏 状 に も、 ﹁ 宮 之 前 別

(12)

造 立 夢 殿 安 置 我 等 身 救 世 観 音 像 ﹂ と あ り、 ま た 東 院 縁 起 に も 昊 平 十 一 年歳次己卯 夏 四 月 十 日 即 令 三 河 内 山 贈 太 政 大 臣 敬 二 造 此 院 一、 則 八 角 円 堂、 安 置 太 子 在 世 所 造 御 影 救 世 観 音 像 云 々 ﹂ 之 あ つ て、 同 じ く 太 子 の 等 身 像 の 救 世 観 音 と し て ゐ る の で あ る。 こ れ が、 そ の 中 に い ふ や う に ﹁太 子 在 世 所 造 御 影 救 世 観 世 音 像 ﹂ で あ る か ど う か は、 に は か に 決 し が た い。 法 隆 寺 金 堂 本 尊 釈 迦 如 来 像 の 銘 文 中 に ﹁ 尺 土 王 身 ﹂ と あ る の は、 こ こ に い ふ 等 身 像 と い ふ の と 同 じ 意 味 で あ る と 考 へ ら れ る が、 一 は 菩 薩 の 立 像、 一 は 如 来 の 坐 像 で あ つ て、 高 さ に は 相 違 が あ る け れ ど も、 そ の 頭 部 は 髪 際 か ら 頭 先 ま で の 長 さ い つ れ も 六 寸 五 分、 面 幅 と も に 四 寸 八 分 と い ふ か ら、 等 身 像 と い ふ の は 必 ず し も 後 代 の 附 会 と す る こ と は で き な い で あ ら う。 両 像 と も、 太 子 の 菩 提 を 弔 ふ た め に、 太 子 に か た ど つ て 造 ら れ た も の と 考 へ て よ い の で は な い だ ら う か。 も し さ う で あ る な ら ば、 夢 殿 聖 観 音 像 も、 釈 迦 如 来 像 と ほ ぼ 同 じ こ ろ に 造 像 さ れ た も の で あ ら う。 太 子 に は、 直 接、 観 音 信 仰 を 語 る べ き も の は、 ほ と ん ど 存 し な い。 し か し 太 子 に 対 す る 追 憶 と 思 慕 の 余 り に、 慈 愛 に 満 ち た 夢 殿 の 聖 観 音 を 造 立 し た こ と は 疑 ひ な く、 そ し て、 同 じ く 太 子 等 身 の 像 と さ れ た 釈 迦 如 来 よ り も、 こ の 観 音 像 の 方 が、 太 子 に 対 す る 親 愛 と 敬 慕 と を よ り 近 く 感 じ ら れ る こ と は、 や が て こ の 像 の 中 に 太 子 の 姿 を 仰 ぎ み る や う に な つ た の で は あ る ま い か。 凡 夫 が 何 ら 畏 れ る と こ ろ も な く ひ ざ ま つ く こ と の で き る 慈 愛 に み ち た 尊 像 に、 衆 生 を 救 済 せ ら れ た 太 子 の 姿 を み る こ と は 不 思 議 で は あ る ま い。 こ の 像 は、 天 養 三 綱 奏 状 や 東 院 縁 起 に み え る や う に、 奈 良 時 代 の 後 期 以 来、 救 世 観 音 と 呼 ば れ る や う に な つ た の で あ る が、 日 本 書 紀 に み え る ﹁ 救 二 黎 元 之 厄 こ と す る 太 子 の 使 命 観 が、 さ ら に 太 子 伝 補 閾 記 に お け る ﹁ 救 世 願 ﹂ と い ふ 表 現 と な つ た こ と と 思 ひ 合 せ る と、 太 子 観 音 化 身 説 が こ の 尊 像 の 中 に 芽 生 え て ゐ る と 考 へ る こ と は、 必 ず し も 思 い 過 ご し で は あ る ま い。 四 天 王 寺 や 中 宮 寺 や 広 隆 寺 の 弥 勒 像 が 如 意 輪 観 音 と 呼 ば れ る や う に な つ た の は、 か な り、 早 い 時 期 で あ つ た こ と と 思 は れ る が、 太 子 観 音 化 身 説 の 前 進 に 伴 つ て 生 じ て き た も の で は な か ら う か。 以 上 の 如 く、 太 子 を 観 音 の 化 身 と み る 思 想 の 雨 芽 は、 奈 良 時 代 に お い て す で に み ら れ て ゐ た の で あ る が、 そ の 後 ま も な く 強 く 唱 導 さ れ た 慧 思 禅 師 後 身 説 の た め に 阻 ま れ て、 観 音 化 身 説 は 成 長 を み る こ と が な か つ た の で あ ら う。 し か し、 や が て 現 世 利 益 の 希 求 に 応 じ て 観 音 信 仰 が 盛 行 を み る や う に な る に つ れ て、 太 子 観 音 化 身 説 は 明 確 な 形 を と り、 ひ ろ く 一 般 に 信 ぜ ら れ る こ と と な つ た の で あ る。 こ の や う に 観 音 信 仰 の 盛 行 は、 太 子 観 音 化 身 を 力 強 く 育 て あ げ た の で あ る が、 そ れ は ま た 太 子 に 対 す る 尊 信 敬 慕 の 念 を い つ ま で も 伝 へ て ゆ き、 民 族 的 自 覚 と 復 活 と の 作 用 を 生 み 出 す 元 素 と し て、 仏 教 の 展 開 の み で は な く、 国 民 思 想 の 上 に 大 き な 力 と な つ た の で あ る。 ( 昭 和 三 十 年 九 刀 二 十 七 日 ) 聖 徳 太 子 観 音 化 身 説 の 源 由

参照

関連したドキュメント

  「教育とは,発達しつつある個人のなかに  主観的な文化を展開させようとする文化活動

CHNT- 61 田螺山 河姆渡文化期 Cinnamomum camphora 樟樹 礎盤 板目 CHNT- 62 田螺山 河姆渡文化期 Sabina or juniperus 圓柏or刺柏 細長浅容器 柾目 CHNT- 63 田螺山

III.2 Polynomial majorants and minorants for the Heaviside indicator function 78 III.3 Polynomial majorants and minorants for the stop-loss function 79 III.4 The

191 IV.5.1 Analytical structure of the stop-loss ordered minimal distribution 191 IV.5.2 Comparisons with the Chebyshev-Markov extremal random variables 194 IV.5.3 Small

に文化庁が策定した「文化財活用・理解促進戦略プログラム 2020 」では、文化財を貴重 な地域・観光資源として活用するための取組みとして、平成 32

の改善に加え,歩行効率にも大きな改善が見られた。脳

原田マハの小説「生きるぼくら」

スペイン中高年女性の平均時間は 8.4 時間(標準偏差 0.7)、イタリア中高年女性は 8.3 時間(標準偏差