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(1)

日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿

     

〔一〕

   先ずは中国の書籍所載の物語から。   東 とうしん 晋 (三一七─四二〇)の 干 かん 宝 ぽう 編 (( ( 撰と言われ る (( ( 古今の怪異非常を語った紀元四世紀の『 捜 そう 神 じん 記 き 』全二十巻は中国後 代の 稗 はい 史 し 小説および民間伝承に多大な影響を与え た (( ( が、日本にも舶載されて同様の形で伝播した痕跡が少なくな い (( ( 。   たとえば、こんな話はどうだろう。なお〔       〕内は論者の補足である(以下同様) 。   先ず原 文 (( ( を掲げる〔旧字は新字に改めた〕 。巻十八にある。題すれば「細腰」か。

日本民話「化け物寺」の由来

鈴 

木   

滿

─中国の源泉と日本への流入

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号   魏郡張奮者,家本巨富,忽衰老財散,遂売宅与程応。応入居,挙家病疾,転売隣人何文。文先独持大刀,暮入北堂 中 梁 上。 至 三 更 竟, 忽 有 一 人, 長 丈 余, 高 冠 黄 衣, 升 堂, 呼 曰 :「 細 腰。 」 細 腰 応 諾, 曰 :「 舎 中 何 以 有 生 人 気?」 答 曰 :「 無之。 」便去。須臾,有矣一高冠青衣者;次之,又有高冠白衣者。問答并如前。及将暁,文乃下堂中,如向法呼 之, 問 曰 :「 黄 衣 者 為 誰?」 曰 :「 金 也。 在 堂 西 壁 下。 」「 青 衣 者 為 誰?」 曰 :「 銭 也。 在 堂 前 井 辺 五 歩。 」「 白 衣 者 為 誰?」曰 :「 銀也。在牆東北角柱下。 」「汝復為誰?」曰 :「 我,杵也、今在竈下。 」及暁,文按次掘之,得金銀五百斤, 銭千万貫,仍取杵焚之。由此大富,宅遂清寧。   次に読み下し文にしてみる〔句読点はいくらか読み易く改めた〕 。   魏 ぎ 郡 ぐん の張奮は、家 本 もと 巨富なれども、忽ち衰老し財散じ、遂に宅を売りて程応に与う。応入居するに、家を挙げて病 疾し、隣人の 何 か 文 ぶん に転売す。文先に独り大刀を持ちて、暮に北堂中に入り 梁 はり に 上 のぼ る。三更の 竟 おわ りに至り、忽ち一人有 り。 長 たけ 丈余、高冠黄衣、堂に 升 のぼ り、呼びて曰く「細腰」と。細腰応諾す。曰く「舎中何ぞ以て 生 せい 人 じん の気の有るや」と。 答 え て 曰 く「 之 これ 無 し 」 と。 便 すなわ ち 去 る。 須 しゅ 臾 ゆ に し て 有 り、 一 高 冠 青 衣 の 者。 之 に 次 ぎ て、 又 高 冠 白 衣 の 者 有 り。 問 答 并 なら びに 前 さき の如し。 将 まさ に暁にならんとするに及び、文乃ち堂中に下り、 向 さき の法の如く之を呼び、問いて曰く「黄衣の者 は 誰 たれ と 為 す や 」 と。 曰 く「 金 な り。 堂 西 の 壁 下 に 在 り 」 と。 「 青 衣 の 者 は 誰 と 為 す や 」 と。 曰 く「 銭 な り。 堂 前 の 井 せい 辺 へん 五 歩 に 在 り 」 と。 「 白 衣 の 者 は 誰 と 為 す や 」 と。 曰 く「 銀 な り。 牆 しょう の 東 北 角 の 柱 下 に 在 り 」 と。 「 汝 は 復 また 誰 と 為 す や」と。曰く「我は 杵 きね なり。今 竈 べつ 下 か に在り」と。暁に及び、文按次して之を掘るに、金銀五百斤、銭千万貫を得たり。 仍ち杵を取りて之を焚く。此れに由りて大いに富み、宅は遂に清寧なり。

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿   最後に現代語 訳 (( ( を試みる。   魏 郡 (( ( の張奮は、もともと大層な財産家だったが、急に衰窮して破産した。そこでとうとう居宅を程応に売却した。 応が引越したところ、一家中が病気になってしまったので、隣人の 何 か 文 ぶん に転売した。文はまず独りで大刀を持ち、日 暮れがたに北 堂 (( ( の中に入り、 梁 はり に 上 のぼ った。三更が果てる 頃 (( ( 、突然ある者が現れた。背丈は一 丈 ((( ( 余り、高い冠を被り黄 の 衣 を 纏 っ て い る の が、 庭 か ら 座 敷 に 上 が っ て 来 て、 「 細 腰 よ 」 と だ れ か を 呼 び 立 て た。 細 腰 が 返 事 を し た。 黄 衣 の 者 が 言 う に は「 家 の 中 に ど う し て 生 き た 人 間 の い る 気 配 が あ る の だ 」。 細 腰 が 答 え て 言 う に は「 そ ん な の は お り ま せ ん 」。 す る と 立 ち 去 っ た。 暫 く し て、 一 人 の 高 い 冠 を 被 り 青 い 衣 を 纏 っ て い る の が 次 に や っ て 来 た。 ま た 高 い 冠 を 被 って白い衣を纏ったのも来た。問いも答えも共に最初と同じだった〔このように省略されているが、民間伝承の語り 口 と し て は、 最 初 と 全 く 同 じ 反 復 が な さ れ、 合 計 三 度 の 問 答 が あ る は ず で、 そ う で な く て は 落 ち 着 き が 悪 い 〕。 明 け 方になろうとする頃〔しかし、まだ暗いので妖怪変化は活動している。 「細腰」も返答できる状態にあるわけ〕 、文は 堂に下り、これまでのやり方に従って訊ねて言った。 「黄の衣の者は何だ」 。答えていわく「黄金〔の精〕です。堂の 西の壁の下にあります」 。「青い衣の者は何だ」 。「青い銅銭〔銅銭は青く錆びる〕 〔の精〕です。堂の前の井戸の辺り、 五歩の所にあります」 。「白い衣の者は何だ」 。「白銀〔の精〕です。 牆 へい の東北の角の柱の下にあります」 。「さておまえ はいったい何だ」 。「わたしは 杵 ((( ( 〔の精〕です。今 竈 かまど の下におります」 。夜が明けて〔つまり妖怪変化の活動時間が終 了 し て か ら 〕、 文 が 順 番 に 発 掘 す る と、 金 銀 五 百 斤 ((( ( 、 銭 千 万 貫 ((( ( を 得 た。 そ れ か ら 杵 を 取 っ て 燃 や し て し ま っ た。 こ う して大いに富み、居宅は結局平穏無事だった。   こ れ は、 最 初 金 銀 お よ び 銅 銭 の 精 が、 彼 ら と し て は お そ ら く 危 害 を 加 え る 意 図 は 無 か っ た の に、 そ の い わ ゆ る

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 「 気 」 が 天 然 自 然 に 転 宅 者 一 家 に 悪 い 影 響 を 及 ぼ し た 次 第 だ が、 病 気 に し て し ま っ た 程 度 で、 幸 い 死 者 が 出 ぬ う ち、 新たな入手者が賢明に進退したため、めでたし、めでたし、に終わっている。多分、金銀および銅銭としても世に出 て用いられたかったのであろう。ただし、ここに哀れを留めたのは片手杵の「細腰」で、留守居役として奉仕した挙 句、器物の精怪は不祥である、とばかり人間によって火刑に処された。さぞかし不本意であったろう、と推察する。   次に紹介するのは、同じく巻十八にある、同工異曲ではあるがもっと怖い話。   これは宋の李昉撰『太平広記』五百巻巻四百三十九畜獣六の「 豕 いのこ 」の部に「安陽書生」として収録されている。   まず原文を掲げる。   安陽城南有一亭,夜不可宿,宿輒殺人。書生明術数,乃過宿之,亭民曰 :「 此不可宿。前後宿此,未有活者。 」書生 曰 :「 無苦也。吾自能諧。 」遂住廨舎。乃端坐誦書,良久乃休。夜半後,有一人,著 皁 単衣,来往戸外,呼亭主。亭主 応 諾。 「 見 亭 中 有 人 耶?」 答 曰 :「 向 者 有 一 書 生, 在 此 読 書。 適 休。 似 未 寝。 」 乃 暗 嗟 而 去。 須 臾, 復 有 一 人, 冠 赤 幘 者, 呼 亭 主。 問 答 如 前。 復 暗 嗟 而 去。 既 去 寂 然。 書 生 知 無 来 者, 即 起 詣 向 者 呼 処, 効 呼 亭 主。 亭 主 亦 応 諾。 復 云 : 「 亭中有人耶?」亭主答如前。乃問曰 :「 向黒衣来者誰?」曰 :「 北舎母猪也。 」又曰 :「 冠赤幘来者誰?」曰 :「 西舎雄 鶏 父 也。 」 曰 :「 汝 復 誰 耶?」 曰 :「 我 是 老 蠍 也。 」 於 是 書 生 密 便 誦 書 至 明, 不 敢 寐。 天 明, 亭 民 来 視, 驚 曰 :「 君 何 得 独活?」書生曰 :「 促索剣来。吾与卿取魅。 」乃握剣至昨夜応処,果得老蠍,大如琵琶,毒長数尺。西舎得老雄鶏父, 北舎得老母猪。凡殺三物,亭毒遂静,永無災横。

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿   読み下し文。   安 あんよう 陽 の城南に一亭有り。夜宿すべからず。宿さば 輒 すなわ ち人を殺す。書生の 術 じゅっ 数 すう に明らかなるあり。乃ち 過 よぎ りて之に 宿す。亭民の曰く「 此 これ 宿すべからず。前後此に宿して、未だ活くる者無し」と。書生の曰く「苦無きなり。吾自ら能 く諧す」と。遂に 廨 かいしゃ 舎 に住む。乃ち端坐して書を誦し、 良 や や 久 にして乃ち 休 や む。夜半の後、一人有り。 皁 くろ き単衣を 著 つ け、 戸 外 に 来 往 し、 亭 主 と 呼 ぶ。 亭 主 応 諾 す。 「 亭 中 人 有 る を 見 る や 」 と。 答 え て 曰 く「 向 さき に 一 書 生 有 り。 此 れ に 在 り て 書を読めり。 適 たまたま 休む。未だ 寝 い ねざるに似たり」と。乃ち 暗 あん 嗟 さ して去る。 須 しゅ 臾 ゆ にして、 復 また 一人有り。 赤 せきさく 幘 を冠する者 の亭主と呼ぶ。問答 前 さき の如し。復暗嗟して去る。既に去りて 寂 せきぜん 然 たり。書生来たる者の無きを知り、即ち起ちて向に 呼ぶ処に 詣 いた り、 効 なら いて亭主と呼ぶ。亭主 亦 また 応諾す。復云わく「亭中人有りや」と。亭主前の如く答う。乃ち問いて曰 く「 向 さき に黒衣にして来れるは誰ぞ」と。曰く「北舎の母猪なり」と。又曰く「赤幘を冠して来れるは誰ぞ」曰く「西 舎 の 雄 鶏 父 な り 」 と。 曰 く「 汝 は 復 誰 な る や 」 と。 曰 く「 我 は 是 れ 老 ろ う か つ 蠍 な り 」 と。 是 ここ に 於 い て 書 生 密 ひそ か に 便 すなわ ち 書 を 誦し明に至り、敢て 寐 い ねず。天明、亭民来たり視て、驚きて曰く「君何すれぞ独り活くるを得たるや」と。書生曰く 「 促 すみ や か に 剣 を 索 もと め 来 た れ。 吾 卿 けい と 魅 み を 取 ら ん 」 と。 乃 ち 剣 を 握 り 昨 夜 の 応 え る 処 に 至 れ ば、 果 し て 老 蠍 を 得 た り。 大 おお いさ 琵 び わ 琶 の如く、毒長数尺。西舎に老 雄 ゆう 鶏 けい 父 ふ を得、北舎に老 母 ぼ 猪 ちょ を得たり。 凡 あわ せて三物を殺すに、亭毒遂に静まり、 永く災横無し。   現代語訳はこうもあろうか。   安 陽 ((( ( の 城 まち の南に一つの駅 館 ((( ( があった。夜は宿ることができない。宿ればその人は死ぬのである。書 生 ((( ( で術数の 道 ((( ( に

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 長 け て い る の が い た。 こ の 町 に や っ て 来 て、 こ こ に 宿 を 取 っ た。 駅 館 の 吏 員 が 言 っ た。 「 こ こ に お 泊 り に な っ て は い けませぬ。このところここにお泊りになって、生きていたかたはおられませぬ」 。書生が言うよう「一向かまわない。 わ た し は ち ゃ ん と う ま く や っ て の け ら れ る 」。 そ し て と う と う 官 舎 に 泊 り 込 ん だ。 さ て 書 生 は き ち ん と 座 っ て、 本 を 朗誦していたが、暫くして止めた。真夜中が過ぎた時、ある者がやって来た。黒い 単 ひ と え 衣 を ((( ( 着ており、建物の外に来て、 亭 主 ((( ( 、 と 呼 ん だ。 亭 主〔 元 よ り 人 間 で は 無 い 〕 が「 は い 」 と 返 事 を し た。 「 駅 館 の 中 に 人 間 が い る の を 見 た か 」 と 訊 く。答えて言うには「さっき一人の書生がおりました。ここにいて本を読んでおりました。今たまたま読むのを止め て お り ま す。 ど う も ま だ 寝 て い な い よ う で す 」。 す る と そ や つ は 嘆 息 し て 立 ち 去 っ た。 暫 く し て ま た 一 人、 赤 い 頭 巾 を被った 者 ((( ( がやって来て、亭主、と呼んだ。問答は前と同様〔民間伝承の語り口では、煩を厭わず、同じ科白をきち ん と 反 復 す る の だ が 〕。 そ や つ も ま た 嘆 息 し て 立 ち 去 っ た。 立 ち 去 っ た あ と は ひ っ そ り し た。 書 生 は、 も う 来 る 者 が 無 い、 と 知 り、 す ぐ に 立 ち 上 が っ て 前 の 者 が 声 を 掛 け た 場 所 に 行 き、 真 似 を し て、 亭 主、 と 呼 ん だ。 亭 主 が や は り 「はい」と答えた。また言うには「駅館の中に人間がいるか」 。亭主は前と同様に答えた。そこで訊くには「さっき黒 い衣を纏って来たのは何だ」 。いわく「北の家のおっかさん豚です」 。また訊いて「赤い頭巾を被って来たのは何だ」 。 い わ く「 西 の 家 の 雄 鶏 と っ つ ぁ ん で す 」。 「 お ま え は い っ た い 何 だ 」 と 訊 く と、 答 え て 言 う に は「 わ し は 年 老 い た 蠍 さそり で す 」。 そ こ で 書 生 は 明 け 方 に な る ま で 静 か に ひ た す ら 本 を 朗 誦 し て、 寝 よ う と し な か っ た。 明 け 方 に な る と、 駅 館 の吏員がやって来て、書生が無事なのを見て驚き、 「どうしてあなただけが死なないで済んだのでしょう」と言った。 書 生 が 言 う よ う「 急 い で 剣 を 探 し て い ら っ し ゃ い。 わ た し は あ な た と と も に 怪 物 を 捕 ま え ま し ょ う 」。 そ し て 剣 を 握 り、昨夜返事がした場所に行くと、果して老いた蠍を見つけた。大きさは琵琶 ほ どもあり、毒尾の長さは数尺だった。 西の家では老いた雄鶏を見つけ、北の家では老いた雌豚を見つけた。合わせてこの三匹を殺すと、駅館の厄難は漸く

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿 収まり、以後ずっと災害は無かった。   書生が劫を経た動物どもに生命を奪われなかったのは、単に起きていたばかりではなく、本、多分儒書を読んでい たからでもあろうか。しからば、学問の一得と言いつべし。   官 営 の 宿 駅、 す な わ ち 駅 站 たん に あ る こ れ も 官 営 の 旅 館 は、 『 捜 神 記 』 で は し ば し ば 妖 怪 変 化 の 出 没 す る 場 所 に 擬 せ ら れている。巻十六「汝南汝陽西門亭」 (妖怪は不明) 、巻十八「南陽西郊有一亭」 (妖怪は老狐) 、「北部督郵」 (妖怪は 老狐) 、「陳郡謝鯤」 (妖怪は鹿) 、「廬陵郡都亭」 (妖怪は老 豨 き 〈老いた豚〉と老 狸 ((( ( 〈老いた野猫、あるいは山猫)の舞 台がいずれもこれ。しかし、これらの物語はいずれも妖怪が駅亭に棲む何物かに声を掛ける型ではないため、ここで は紹介しない。   ではもう一つ類話を。これは巻十九にある。題すれば「丹陽道士」か。   これは『太平広記』巻四百六十七水族四水族為人に「謝非」として収録されている。若干語句の相違があるが、大 筋には関係無い。   原文は以下の通り。   丹 陽 道 士 謝 非, 往 石 城 買 冶 釜。 還, 日 暮, 不 及 至 家。 山 中 廟 舎 於 渓 水 上, 入 中 宿。 大 声 語 曰 :「 吾 是 天 帝 使 者, 停 此 宿。 」 猶 畏 人 劫 奪 其 釜, 意 苦 搔 搔 不 安。 二 更 中, 有 来 至 廟 門 者, 呼 曰 :「 何 銅。 」 銅 応 喏 。 曰 :「 廟 中 有 人 気, 是 誰?」銅云 :「 有人,言是天帝使者。 」少頃便還。須臾,又有来者,呼銅,問之如前,銅答如故,復嘆息而去。非驚擾

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 不得眠,遂起,呼銅問之 :「 先来者誰?」答言 :「 是水辺穴中白 鼉 。」 「汝是何等物?」答言 :「 是廟北巌嵌中亀也。 」非 皆陰識之。天明,便告居人,言 :「 此廟中無神。但是亀, 鼉 之輩,徒費酒食祀之,急具 鍤 来,共往伐之。 」諸人亦頗疑 之。於是并会伐採掘,皆殺之。遂壊廟絶祀,自後安静。   読み下し文。   丹 たん 陽 よう の道士 謝 しゃ 非 ひ 、 石 せき 城 じょう に往きて 冶 や 釜 ふ を買う。 還 かえ るに、日暮れ、家に至るに及ばず。山中 廟 びょうしゃ 舎 渓水の 上 ほと りにあり。 入りて宿に 中 あ つ。 大 たいせい 声 して語りて曰く「吾 是 これ 天帝の使者にして、此の宿に停まる」と。 猶 なお 人の其の釜を 劫 ごうだつ 奪 するを畏 れ、 意 おも い 苦 し み 搔 そ う そ う 搔 と し て 安 か ら ず。 二 更 中、 来 り て 廟 門 に 至 れ る 者 の 有 り、 呼 び て 曰 く「 何 いずく ん ぞ 銅 や 」 と。 銅 喏 だく と 応 ず。 曰 く「 廟 中 人 じん 気 き 有 り、 是 誰 な る や 」 と。 銅 の 云 え ら く「 人 有 り て、 是 天 帝 の 使 者 な り、 と 言 え り 」 と。 少 しょう 頃 けい に し て 便 すなわ ち 還 る。 須 しゅ 臾 ゆ に し て、 又 来 れ る 者 有 り。 銅 と 呼 び、 之 に 問 う こ と 前 さき の 如 く、 銅 の 答 う る こ と 故 もと の 如 し、 復 また 嘆 息 し て 去 る。 非 驚 きょう 擾 じょう し て 眠 る こ と を 得 ず、 遂 に 起 ち て、 銅 と 呼 び て 之 に 問 う。 「 先 に 来 た れ る 者 は 誰 な る や 」 と。 答 え て 言 う「 是 水 辺 の 穴 けつ 中 ちゅう の 白 はく 鼉 だ な り 」 と。 「 汝 是 何 ら の 物 な る や 」 と。 答 え て 言 う「 是 廟 北 の 巌 がん 嵌 かん 中 の 亀 き な り 」 と。 非 皆 陰 ひそ か に 之 を 識 おぼ ゆ。 天 明、 便 ち 居 人 に 告 げ て 言 う「 此 の 廟 中 神 無 し。 但 ただ 是 亀 鼉 の 輩 はい の み。 徒 いたず ら に 酒 食 を 費やして之を 祀 まつ れり。急ぎ 鍤 そう を具して来たれ、共に往きて之を 伐 う たん」と。諸人 亦 また 頗る之を疑う。 是 ここ において 并 あわ せ 会 かい して 伐 ばつくつ 掘 し、皆之を殺せり。遂に廟を壊し祀を絶ち、自後安静なり。   現代語訳。   丹 陽 ((( ( の道 士 ((( ( 謝非が石 城 ((( ( に出掛けて 丹 たん 薬 やく を ((( ( 煉成するための釜を買った。帰宅する途中、日が暮れてしまい、家に辿り

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿 着くことができなかった。山の中で 社 やしろ が谷川の 畔 ほとり にあったので中に入って宿にした。そして大きな声で「わたしは 天 帝 ((( ( の使者であるぞ。この宿に泊まることにした」とどなった。だがなお、せっかく買った釜を誰かが奪うのではな い か、 と 危 惧 し、 あ れ こ れ と 思 い 煩 っ て 不 安 で 眠 れ ず に い た。 二 更 ((( ( 中、 社 の 門 ま で や っ て 来 た 者 が 有 り、 「 銅 は ど こ に お る 」 と 呼 ん だ。 す る と 銅 が「 は い 」 と 応 答 し た。 曰 く「 社 の 中 に 人 間 の 気 配 が あ る。 こ れ は い っ た い 何 者 だ 」。 銅が言うよう「人間が参りまして、天帝の使者である、と申しております」 。その者は〔 「溜息をついたが」が欠落し ている〕 〕暫くして帰って行った。少しすると、またやって来た者がある。 「銅」と呼び、前の者と同様の質問をし、 銅の答えもさっきと変わらなかった。するとこの者もまた溜息をついて立ち去った。非は胸がどきどきして眠ること が で き ず、 と う と う 立 ち 上 が っ て、 「 銅 」 と 呼 ん で 訊 い た。 「 初 め 来 た 者 は 誰 な の だ 」。 答 え て 言 う に は「 あ れ は 水 みず 辺 べ の 穴 の 中 に 棲 ん で お り ま す 白 い 鼉 だ 龍 りゅう で ((( ( ご ざ い ま す 」。 「 お ま え は い っ た い な に や つ だ 」 と 問 う と、 答 え て 言 う に は 「これは社の北の岩穴の中に棲んでおります亀でございます」 〔この箇所はおかしい。社の中にいないはずの存在が、 社の中で返答していることになってしまう。亀は二番目にやって来た者なのである。そして留守居役の「銅」の正体 は記されていないが、社中の銅製の祭具のたぐいかも知れない〕 。非は全てをこっそり覚えておいた。夜が明けると、 辺りの住民に告げて「この社には神はおりませぬぞ。ただ亀、 鼉 龍といったものどもがいるだけじゃ。あいつらを祭 ったりしたのは酒食の無駄遣いだったのですて。急いで 鍤 すき を用意してござれ。一緒に行ってあいつらをやっつけまし ょう」と言った。人人もやはり大いに不審に思っていたところなので、寄り集まって探し出し、全て殺してしまった。 とうとう社をも壊し祭礼を止めたが、その後は平穏無事だった。   亀や 鼉 龍は社に供えられた酒、食べ物、あるいは犠牲の動物などを飲みかつ喰らって、のんびり暮らしていただけ

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 であり、夜中に来たのは、お供えのお下がりを忝く頂戴するために他ならない。だから、そこに「天帝の使者」がい る、 と 聴 い て、 が っ か り し て 引 き 上 げ た の で あ る。 人 間 を 喰 う 習 慣 は も と も と 無 か っ た の で は な い か。 「 天 帝 の 使 者」を畏れ憚ったことだけが、道士を喰おうとしなかった理由ではあるまい。人喰いを常習にしていたなら、近在の 衆としては道士に対し、よく生きていた、とかなんとか、物語を飾る驚嘆の言葉を掛けていてしかるべしなので。も っとも、いずれにせよ、右の物語には訳文で指摘したように大きな欠落がある。 鼉 龍や亀の精がどういう容姿、装束 の人間に化けて社にやって来たかの描写も無い。   以上『捜神記』の三話は、これら精怪に仮託して何かをあげつらったのではなく、また、虚妄を確信しながらおも しろい物語に仕立てたのでもない。干宝は超自然的な事象とて必ずあり得ることとして『捜神記』を編んだ、と言わ れるので。

     

〔二〕

  宋の 李 り ぼう 撰『太平広記 』 ((( ( で「精怪類」の項を調べると、三百六十八巻~三百七十一巻(これは半ばまで)は「雑器 用」とあり、さまざまな器物や土偶の怪の話三十八 編 ((( ( を収録している。このうち詩を詠む精怪たちの話に限れば左記 のごとくである。もっとも右の『捜神記』の類話はない。これらは全て古びた器物の精怪であり、彼らが出没する家 に泊まった人間には別段手は出さず、多くは自らの正体を仄めかす詩を詠んで、夜明けとともに姿を消し、詩からい か な る 器 物 か を 推 察 し た 人 間 が 彼 ら を 見 届 け る〔 別 に 燃 や し た り、 土 中 に 埋 め た り、 と い っ た 処 置 は し な い 〕、 と い う型である。この型も中国後代、および日本に影響を与えているので是非解説しておきたい。

(11)

日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿 巻三百六十九   「元無有」 (『玄怪録 』 (((( )。 故 こ 杵 しょ (古い砧杵=砧に用いる 杵 ((( ( )、灯台(燭台) 、 水 すい 桶 とう 、 破 は 鐺 とう (壊れた鍋) 。 巻三百七十   「崔 かく 」( 『宣室志』 )。文筆(文字を書く筆) 。 巻三百七十一   「独孤彦」 (『宣室志』 )。鉄杵(鉄の杵) 、 甑 そう (こしき。瓦製の蒸し器) 。   「姚康成」 (『霊怪集』 )。鉄銚子(鉄の徳利) 、破笛(壊れた笛) 、 禿 とく 黍 しょ 穣 じょう 箒 そう ( 黍 きび 殻 がら 製のちびた箒) 。   このうち「元無有」はこんな物語。   まず原 文 ((( ( を挙げる。 〔旧字は新字に改めた。句点は原文通り〕 。   宝応中。有元無有。常以仲春末。独行維揚郊野。値日晩。風雨大至。時兵荒後。人戸多逃。遂入路旁空荘。須臾霽 止。斜月方出。無有坐北窗。忽聞西廊有行人声。未幾。見月中有四人。衣冠皆異。相与談諧。吟詠甚暢。乃云。今夕 如秋。風月若此。吾輩豈不為一言。以展平生之事也。其一人即曰云云。吟詠既朗。無有聴之具悉。其一衣冠長人即先 吟曰。斉紈魯縞如霜雪。寥亮高声予所発。其二黒衣冠短陋人詩曰。嘉賓良会清夜時。煌煌灯燭我能持。其三故弊黄衣 冠亦短陋。詩曰。清冷之泉候朝汲。桑綆相索常出入。其四故黒衣冠人詩曰。爨薪貯泉相煎熬。充他口腹我為労。無有 亦不以四人為異。四人亦不虞無有之在堂隍也。遞相褒賞。羨其自負。則雖阮嗣宗詠懐。亦若不能加矣。四人遅明方帰

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 旧所。無有就尋之。堂中惟有故杵灯台水桶破鐺。乃知四人。即此物所為也。   次に読み下し文にしてみる〔句点を読点に改めた箇所がある〕 。     宝応中、 元 げん 無 む 有 ゆう なる有り。 常 かつ て仲春の末を以て、独り 維 い 揚 よう の郊野に行く。日の 晩 く るるに 値 あた り、風雨大いに至る。時 に 兵 へいこう 荒 の後なり。 人 じん 戸 こ 多く逃れり。遂に 路 ろ 旁 ぼう の空荘に入る。 須 しゅ 臾 ゆ にして 霽 せい 止 し す。斜月 方 まさ に出でんとす。無有 北 ほくそう 窗 に坐 す。忽ち西廊に行人の声有るを聞く。未だ 幾 いく ばくもあらずして、月中に四人の有るを見る。衣冠皆異なれり。 相 あ い 与 とも に 談 諧 し、 吟 詠 甚 だ 暢 のびや や か な り。 乃 ち 云 いわ く。 今 夕 秋 の 如 し。 風 月 此 か く の 若 し。 吾 輩 豈 あに 一 言 を 為 し て、 以 て 平 生 の 事 を 展 の べざるべけんや、と。其の一人即ち曰く、 云 しかじか 云 と。吟詠既に朗かなり。無有之を 具 つ ぶ さ 悉 に聴く。其の一なる衣冠せ る 長 たけたか き人即ち先ず吟じて曰く。 斉 せい 紈 がん 魯 ろ 縞 こう 霜雪の如し。 寥 りょう 亮 りょう たる高声予の発する所、と。其の二なる黒き衣冠にし て 短 たん 陋 ろう の人 詩 うた いて曰く。 嘉 か 賓 ひん の良会 清 せい 夜 や の時、 煌 こうこう 煌 たる灯燭我能く持せり、と。其の三なる 故 ふる く 弊 やぶ れたる黄の衣冠に して亦短陋なるが、詩いて曰く。清冷なる泉を候朝に汲み、 桑 そう 綆 こう 相い 索 ひ きて常に出入す、と。其の四なる故き黒き衣 冠の人詩いて曰く。薪を 爨 た き泉を貯え相い 煎 せん 熬 ごう す。他の口腹を充たすを我が労と為す、と。無有亦四人を以て異と為 さ ず。 四 人 亦 無 有 の 堂 隍 に 在 る を 虞 おそ れ ず。 遞 あ い 相 い て 褒 賞 し、 其 の 自 負 す る を 羨 む。 則 ち 阮 げん 嗣 し 宗 そう の 詠 懐 と 雖 いえど も、 亦 能く加えざるが若し。四人 遅 ち 明 めい にして方に旧所に帰る。無有就きて之を尋ぬるに、堂中 惟 ただ 故 こ 杵 しょ 灯台 水 すいとう 桶 破 は 鐺 とう の有るの み。乃ち四人の即ち此の物の 所 しょ 為 い なるを知れり。   最後に現代語 訳 ((( ( を試みる。

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿   唐の宝応元 年 ((( ( 元無有という者があった。 嘗 かつ て春の半ば〔陰暦二月〕の末つ方、独りで維 揚 ((( ( の郊外に行ったことがあ る。暮れ方になって、ひどい吹き降り。折しも戦 乱 ((( ( があった後のこととて、多くの住民が難を避け逃亡している。そ こでとうとう道から脇に入った空き屋敷で雨宿りした。しばらくして雨が上がって晴れ渡り、夕 月 ((( ( が昇って来る。無 有 が〔 表 座 敷 の 〕 北 に 面 し た 窓 際 に 座 っ て い る と、 〔 中 庭 を 隔 て て 〕 西 の 回 廊 を 通 る 人 の 声 が す る の が 聞 こ え た。 や がて月明に四人の姿が見えた。衣装といい、 冠 かぶりもの といい、皆一風変わった身なり。お互いに打ち解けた話しぶりで、 のんびりと詩を吟じたりするのだった。そのうちだれかが言うには、 「今宵はまるで秋のよう。景色がこんな趣きだ。 ど う だ、 わ た し ら、 日 ひ ご ろ 常 の こ と を 是 非 と も 詩 うた に 詠 よ も う じ ゃ な い か 」。 す る と ま た だ れ か が な ん と か 言 っ た。 や が て 吟 詠が始まり、無有はこれらを 具 つぶさ に全て聴き取ったのである。   先ず最初は衣冠を着けた丈の高い男。      斉 せい 魯 ろ の ((( ( 白き練り絹は、あたかも霜か雪かのよう、      朗 ほが らで高きかの音はこのそれがしが 出 いだ せしぞ。   次は黒い衣冠で、背の低い者。      佳 よ き 客 まろうど 人 の楽しき 宴 うたげ 、 清 すが しき夜さりに      明るき灯明、しかと捧げつ、この我は。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号   三番目は古く破れた衣冠で、やはり背の低いのが、      清く冷たき 井 せい 水 すい を、朝な朝なに汲みてしか、      桑〔の繊維〕を編みたる 釣 つ る べ 瓶 の縄で井戸に出入りをいたせしか。   四番目の黒い衣冠の者は、      薪 たきぎ を燃やし、井水満たし、ゆるりとろりと 炊 た き上げつ。      他の衆をば満腹にして進ぜるが職分よ。   無有はこの四人が妙ちきりんだとは思わなかったし、四人の方も無有が表座 敷 ((( ( にいるのを気にしなかった。お互い 同士褒め合って、相手の自負するさまを羨むのだ。 阮 げん 籍 せき の ((( ( 詩『詠懐八十二首』だって、これには及ぶまい、といった あんばい。   四人は夜明けがたになってやっと出て来た所へ戻って行った。無有が探してみると、屋敷内には砧に用いる古い杵、 燭台、水桶、壊れた鍋があるだけだった。そこで四人が実はこれらの変化だったことを知ったのである。   こ れ は 到 底 民 話 で は な い。 『 玄 怪 録 』 の 著 者、 つ ま り 牛 ぎゅう 僧 そう 孺 じゅ の 戯 文 で あ る こ と は 明 ら か。 怪 事 を 見 聞 し た「 元 無 有」 〔「もともといやあしない」の意〕なる人物の姓名そのものがこれを裏書している。ただ、どうしてこんな戯文を

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿 記 し た の か。 廟 堂 の 顕 官 と し て 権 勢 を 恣 ほしいまま に し、 あ る い は、 誠 心 誠 意 天 子 に 忠 義 を 尽 く し た 面 面 も、 一 朝 用 い ら れ なくなれば、どこぞの配所に 流 る 謫 たく されてただ老残の身を 託 かこ つのみ、とでもいう諷刺なのかな、と思う。彼がその代表 格だった科挙の進士を振り出しの高級官僚と、 李 り 徳 とく 祐 ゆう を旗頭とする門閥貴族の抗争角逐はなんとも有名な話だから。     なお、さまざまな変化が一堂に会し、行き暮れてたまたまそこに宿った文人に詩を詠んで聞かせる、というこの主 題 を 大 い に 発 展 さ せ た 話 と し て は や は り 唐 の『 東 陽 夜 怪 録 』( 作 者 不 詳 ) が あ る。 登 場 形 態 は 全 部 動 物 で、 病 気 の 駱 駝、瀕死の驢馬、老いさらばえた鶏、三毛猫、兄弟の 蝟 はりねずみ 、毛の抜けた犬といった具合。文人の名は成自虚〔 「おの ずと無くなる」の意か〕 、 字 あざな は到本〔 「源に帰る」とでもいう意か〕である。   明初の 瞿 く 佑 ゆう 作 ((( ( 『 剪 せん 刀 とう 新 しん 話 わ 』を模した 李 り 禎 てい 作 ((( ( 『剪刀余話』の「武平霊怪録」では土偶・器物の精怪が廃寺で詩を詠じ る。塑像の仏像、欠け硯、 禿 ち びた筆、銚子、土釜、破れ蒲団、木魚、棺に掛ける蔽い、古い扇の面面。   こ れ ら の 話 の 精 怪 は、 『 捜 神 記 』 の そ れ と は 異 な り、 作 者 が 信 じ て い る わ け で は な い。 全 て 世 は 虚 し い。 器 物、 動 物 は も と よ り、 人 間 も 老 ろ う し ょ う 少 不 ふ じ ょ う 定 が 世 の 習 い で は あ る。 さ は さ り な が ら や は り 齢 を 重 ね れ ば そ れ だ け 惨 め、 ぼ ろ ぼ ろ になって棄てられるのだ、との自嘲と諦念を語ったもの。   なお、 「武平霊怪録」は『剪刀余話』の翻案が多く含まれている 浅 あ さ い 井 了 りょう 意 い の ((( ( 『 狗 いぬ 張 はり 子 こ 』 ((( ( 巻之六に「塩田平九郎怪異 を見る 」 ((( ( として収められている、とこじつけられようか。とは申せ、辛うじてその全体の構成と末尾の部分が前者に 着想を得た、と言える程度である。翻案とするにはあまりにも遠い。精怪の数は三、破れ団扇、割れ笛、古箒。それ ぞれ吟じた七言絶句を読み下しにすれば、かくのごとし。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号   団扇   高低竪起孤輪月          高低 竪 しゅ 起 き すれば孤輪の月   扇動縦横興涼風          扇動縦横すれば涼風を 興 おこ す   弄罷委棄埋湿土          弄 ろう 罷 や み 委 い き 棄 せられ湿土に埋もる   爛皮腐骨故情窮          爛皮腐骨 故 こ 情 じょう 窮す   笛   当時得意龍吟調          時に当たり意を得たり龍吟の調べ   一曲飛声渉碧霄          一曲の飛声 碧 へき 霄 しょう に 渉 わた る   今日庭中破砕竹          今 こんにち 日 庭中破砕の竹   方慕穿林舞謡媚          方 まさ に慕う林を 穿 うが つ 舞 ぶ 謡 よう の 媚 こび を   箒   荐掃埃塵更靡遑          荐 しきり に 埃 あい 塵 じん を掃きて更に 遑 いとま 靡 な し   愁懐疲羸鬚髯喪          愁懐 疲 ひ 羸 るい して 鬚 しゅ 髯 ぜん 喪 うしな う   如今憔悴荒村客          如 じょ 今 こん 憔 しょう 悴 すい して荒村の客   衰朽 竛 倚短牆          衰朽 竛 れいへい 短 たんしょう 牆 に 倚 よ る

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿   「 竛 」(孤独な様)は原典『怪談名作集』では「冷 」とあるが、誤植であろう。今改めておく。   先に挙げた『霊怪集』の「姚康成」に登場するのは、鉄銚子(鉄の徳利) 、破笛(壊れた笛) 、禿黍穣箒(黍殻製の ちびた箒)なので、あるいはこちらの翻案かも知れない。彼らの詠んだ詩も七言絶句である。ただし「塩田平九郎怪 異を見る」の詩はそれとは全く異なる。浅井了意の創作か。

     

〔三〕

  関敬吾編著『日本昔話大成 』 ((( ( 七には「宝の化け物」 、「化け物寺」 、「化け物問答」の三種の代表話がその類話ととも に収められている。これらの諸話は「宝の化け物」型と「化け物寺」型の二種に整理し直す必要があろう。   関の挙げる「宝の化け物」の宝は必ずしも金銀銅とそろっているわけではないし、屋敷に留守居役が控えているの も少ないようだが、大体において宝自身が世に出たがって怪異を示し、それを恐れなかった勇者がそれを自分の所有 とする、という型。むしろ「化け物寺」の項目に入っている話にこの型の代表例とすべきものが見える。   「化け物寺」の項目には大別すると三つの話型が入り混じっている。 ①「宝の化け物」型   これはおおむね『捜神記』の「細腰」に似ている。   類話の一つ(大分県 臼 うす 杵 き 市)の粗筋。   武者修行の侍が化け物が出るという家に泊まる。夜中に床下から黄色の 裃 かみしも を着た者が現れ、 「さいわい」と呼ぶ。 「 へ ー い 」 と 返 事 が あ っ て、 何 者 か が 応 対、 訪 問 者 は 去 る。 次 い で 赤 い〔 位 の 順、 つ ま り 価 値 の 高 い 順 に 出 る な ら

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 「 白 い 」 で な い と お か し い 〕 裃 を 着 た 者 が 出 現、 同 様 の こ と が あ る。 次 い で 白 い〔 位 の 順 に 出 る な ら「 赤 い 」 で な い とおかしい〕裃を着た者が同じことをする。これが済んだあと、侍は真似をして「さいわい」と呼ぶ。応対に出た者 を捕らえて訊問すると、相手は訳を打ち明ける。そのことばによれば、元来この家は金持ちの所有だったのであり、 床下に金貨、銀貨、銅貨が埋めてある。黄色の裃は黄金の精、白い裃は白銀の精、赤い裃は赤銅の精、自分はそれら を入れた壺の精〔なぜ壺が「さいわい」なのか分からない。 「幸い」 、つまり「宝」を管理しているからだろうか〕だ、 と。侍は翌朝村人たちとともに床下を掘ると、大きな壺に入った金・銀・銅貨が出て来る。 ②  「漢字の化け物」型   いわくある建物に出没する化け物が、そこへ泊まった人間に自らの正体を漢字の 音 おん で告げる。 文盲の有象無象にはどうせ分かるまい、と思ってのことだが、教養のある僧侶あるいは武士がこれを類推、棲息す る 場 所・ 素 性 を 突 き 止 め、 処 分 し て 怪 異 を 祓 う。 こ れ は「 化 け 物 問 答 」 の モ テ ィ ー フ で も あ る の で、 「 化 け 物 問 答」については改めて解説はしない。いずれにせよ、こうした物語の語り手が聴き手より多少文字を心得ていたか らこそ成立した型である。   代表話(岡山県岡山市)の粗筋。   侍 が 化 け 物 寺 に 泊 ま る。 夜 更 け に 戸 を 叩 く 者 が あ っ て、 「 木 へ ん に 春 の て い て い こ ぼ し は 内 か 」 と 訊 ね る。 中 か ら は「今日は好い 肴 さかな があるから入れ」との返事。これが三回繰り返される。 〔四回でなければ纏らな い ((( ( 。東西南北の北 が 欠 け て い る ば か り か、 「 最 初 か ら こ の 寺 に 棲 む 」 と 称 す る 余 計 な 存 在 が 代 わ り に 登 場 す る 始 末。 語 り 手 の 記 憶 不 足 であろう〕 。それから、以下の連中が次次に、唄を歌い、踊りながら、侍を喰おうとその部屋を覗くが、睨み返され、

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿 こいつは手強い、と察知して引き下がる。   「とうやのばず」→「東野の馬頭」 〔東の野原に棄てられた馬の頭〕   その唄。      とうやのばずは 愛 いと しいことよ、       いつを楽とも思いもせいで、      腰は砕けて、足打ち折られ、      後は野山の土となる、土となる。   「さいちくりんのいちがんけい」→「西竹林の一眼鶏」 〔西の竹藪にいる一つ目の鶏〕   その唄。      さいちくりんのいちがんけいは、      世にも稀なる片輪と生まれ、      人の情けはよう 蒙 こうむ らで、      西の林に独り 寝 ぬ る、  〔独り〕寝る。   「なんちのぎょじょ」→「南池の魚女」 〔南の池に棲む人魚〕

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 その唄。     なんちのぎょじょは、     冷たい身やな、     水を家とも 床 とこ ともなして、うんぬん〔語り手は次の文句を忘却〕   「ちゃかす」→(茶滓) 。これは前述したように余計な因子の混入。かつまた芸無しであって、唄とも言えないその 科 せ り ふ 白 は、      わしはこの家に千年棲んだ      ちゃかすでござる。   なお、 「木へんに春のていていこぼし」→(椿で拵えた木槌)なる留守居役が怪を示すのは、 「椿を信仰上の特別な 木とみなすところから、これから道具を作ることを忌む地方も多い 」 ((( ( との記述が参考になろう。   結 局 こ の 話 型 は 中 国 の 詩 を 嗜 たしな む 古 い 器 物 た ち が か よ う に 訛 伝 さ れ た も の で は な い か な。 も と よ り 漢 詩 は 日 本 の 民 話に全くそぐわない。そこで、前掲のような唄に変わる。   なお江戸期の怪談集の一つ『 宿 と の い 直 草 ぐさ 』 ((( ( 冒頭(巻一の一)の「廃れし寺をとりたてし僧のこと」が恐らくこの種の民 話の源泉であろう。つまり、書承の物語が口承となった好例と思われる。粗筋は以下の通り。

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿   諸国行脚の僧がある所で立派な寺を見る。住職はいない。近くの住民に訊ねると、これまで何人も僧が来たが、翌 朝には行方不明、とのこと。この僧は檀家一同の止めるのも構わず、寺に留まる。丑三つ 刻 どき に庫裏に一丈余の光り物 が出る。やがて外から「 椿 ちんぼく 木 候か」と訪う声。光り物が「 誰 た ぞ」と言えば「 東 とう 野 や の 野 や 干 かん 」と応える。入って来た姿を 見 れ ば、 身 の 丈 五 尺 ば か り、 両 眼 は 日 月 の よ う。 次 に は「 南 なん 池 ち の 鯉 り 魚 ぎょ 」 と 名 乗 る 者。 身 の 丈 七、 八 尺、 目 は 黄 金、 身 に は 白 銀 の 鎧。 次 の 者 は「 西 さい 竹 ちく 林 りん の 一 い っ そ く 足 の 鶏 けい 」。 朱 の 兜 かぶと 、 紫 の 鎧、 左 右 に 翼 が 生 え、 身 の 丈 六 尺 ば か り。 最 後 の は 「 北 ほ く ざ ん 山 の 古 こ り 狸 」 と 称 し、 色 は 見 分 け 難 く、 身 の 丈 四 尺 ほ ど。 こ れ ら 全 部 で 五 つ の 化 け 物 は 僧 を 取 り 囲 み、 い が み 鳴 き して脅しに掛かったが、僧は 般 はん 若 にゃ 心 しん 経 ぎょう を唱えて一向動じないので、どこかへ行ってしまう。朝の 勤 ごんぎょう 行 をしていると、 壇徒が五、 六人やって来る。彼らに僧は化け物の正体を指摘する。いわく「およそ化け物四つは外、ひとつは内に候。 五つながら所を覚え候。先づ東の野に狐有るべし。南の池に鯉、西の藪に足ひとつある 庭 にわ 鳥 とり 、北の山にたぬき、是外 よ り 来 た る 四 つ な り 」。 村 人 は 得 物 を 携 え て こ れ ら を 狩 り 出 し、 殺 し て し ま う。 そ れ が 終 わ っ て か ら 僧 は、 こ の 庫 裏 の材木に椿が使われていないか、 と訊ねる。 乾 いぬい の 隅 の 柱 が そ れ 、 と 分 り 、 こ れ を 取 り 替 え る 。 寺 は そ れ か ら 繁 盛 し た 。   かように、かなりの数の漢字とその音読みを鏤め、なかなかに高い(?)教養が示されている。従って、文字に暗 く、この物語を耳で聴くだけの庶民は、化け物の名乗りからその正体を推測することはできない。それを僧侶──と 言うか、語り手──が解説するわけで、これが中国での精怪の詩に相当する。庶民は感心したことだろう。   し か し こ の 文 字 と な っ た 物 語 も ま た 民 話 を 素 材 に し た よ う だ。 作 者 は 結 び に こ う 記 し て い る。 「 外 よ り 来 た る 四 つ は、年経て化くる術を覚ゆる事もあるべし。内の椿の光るこそ、おぼつかなくも怪しけれ〔=よく分からないけれど

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 妙なことである〕 」。椿の古木は奇異を示すことがある、との民間信仰を知らないわけだから、骨子は民話から得たの であって、作者の創作ではない、と類推される。もっとも作者は次いで「かからば、などか古下駄も師走を待ちて踊 ら ざ ら ん ((( ( 〔 = そ れ な ら、 古 下 駄 だ っ て 師 走 に な っ て 踊 り そ う だ 〕」 と 言 っ て い る か ら、 動 物・ 器 物 が 劫 こう を 経 る と、 怪 異を表すことがある、との民間信仰は共有しているのである。 ③  「 古 い 器 物 の 化 け 物 」 型  『 百 ひゃっ 鬼 き 夜 や 行 ぎょう 絵 巻 』 ((( ( な ど で も 分 か る よ う に、 棄 て ら れ た 傘、 蓑、 合 羽、 足 駄、 草 履、 柄 杓、笊、杵、臼などは化けるのであって、夜な夜な踊って人間を脅かす。ただしこの連中、学の持ち合わせも無い が、さしたる凶暴性も無い。化け物の通有性はこうだ、と思い込んだ者によって、類型的に「人喰い」にされてい ることもあるが。   さて、 『捜神記』の直輸入であるにせよ、詩を 嗜 たしな む中国の古い器物たちの書物になっている物語(書き手も読者も 当然教養人である)が、日本の僧侶・公家・武士などまずしかるべき学識ある人人によって移入・翻案されたもので あるにせよ、我が国でこうした民話が好んで語られ、聴かれたことの背景にある思想は何か、と考えてみるのも一興 であろう。 『捜神記』型か、 〔二〕で紹介した中国の知識階級の「世は無常」型か。それとも他にあるのか。他にある とすれば、縄文時代以来数千年に亘って日本人の理性の下に澱んでいる、と思われる(いや、証明はできませんけど ね) 精 ア ニ ミ ズ ム 霊信仰 、すなわち、万物に魂がある、とする思想──いや、感覚というべきかな──をまず挙げるべきであろ う。 『 百 鬼 夜 行 絵 巻 』 の 精 怪、 日 本 流 に 申 さ ば、 付 つく 喪 も 神 がみ ど も が あ れ ほ ど 楽 し げ に 跋 ばっ 扈 こ 跳 ち ょ う り ょ う 梁 、 な ん と も 精 彩 を 発 揮 し ているのは、もとより絵師の彩管のお蔭ではあるが、そうした絵師の才能を支える広汎・強大な共通認識があっての

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿 ことと思えてならない。しかしながら論者は浅学非才、そうした仮説を検証するだけの材料を皆目持ち合わせていな いので、気の利いた化け物の 顰 ひそみ に倣い、この辺で早早に引っ込むことにして、この小論を終える次第である。   ( () 干 かん 宝 ぽう   生 没 年 未 詳。 字 あざな は 令 升。 現 在 の 河 南 省 に あ っ た 新 蔡 郡 出 身。 幼 い 時 か ら 学 問 に 励 み、 群 書 を 広 く 読 ん だ。 生 来 陰 陽 術 数 を 好 ん だ。 東 晋 の 元 帝( 司 し 馬 ば 睿 えい 。 在 位 三 一 七 ─ 二 二 ) の 時、 佐 著 作 郎、 著 作 郎 と し て 仕 え、 そ の 後、 山 陰 令、 始 安 太 守、 司 徒 右 長 史、 散 騎 常 侍 な ど の 職 を 歴 任。 ( () 干 宝 編 撰 と 言 わ れ る  「 晋 散 騎 常 侍 新 蔡 干 宝 令 升 選 」 と あ る 自 序 が 残 さ れ て い る。 し か し、 後 世 の 複 数 の 文 人 が こ れ に 自 ら の 筆 録 を 混 入 さ せ た 可 能 性 は 大 い に あ ろ う。 た と え ば 巻 四「 河 伯 」 は「 宋 時 」( 宋 の 時 代 ) で 始 ま り、 巻 十 一「 相 思 樹 」 は「 宋 康 王 」 で 始 ま る。 六 朝 の 宋 で あ ろ うが、もとより晋以降である。 ( () 民 間 伝 承 に 多 大 な 影 響 を 与 え た  奇 妙 な 記 述 と 思 わ れ る か も 知 れ な い。 し か し、 口 承 文 芸 が 文 人 の 素 材 と さ れ て 文 学 化 さ れ る の と 同 様、 書 籍 と な っ た 文 学 が 巷 間 に 口 承 さ れ て 民 話 と な る 現 象 も 少 な く な い の で あ る。 日 本 で は 前 者 の 例 と し て た と え ば『 竹 取 物 語 』 が、 後 者 の 例 と し て た とえば民話「鉢かつぎ」 (「御伽草子」の「鉢かづき」から)が挙げられよう。 ( () 伝 播 し た 痕 跡 が 少 な く な い  『 宇 治 拾 遺 物 語 』 だ け を 例 に 取 っ て も、 『 捜 神 記 』 に 収 録 さ れ た も の と 同 工 異 曲 の 物 語 が 四 つ あ る。 た だ し、 『 捜 神記』が源かも知れない、と言えそうなのは⑴のみに留まる。   ⑴巻第一 ・ 八「易ノ占シテ金取出ス事」←巻三「隗焔」   ⑵巻第二 ・ 一二「唐卒塔婆ニ血付ル事」←巻十三「由拳県」 (「述異記」巻上にも)   ⑶巻第三 ・ 一六「雀報 レ 恩事」←巻二十「弘農楊宝」   ⑷巻第一〇 ・ 六「吾嬬人止 二 生贄 一 事」←巻十九「丹陽道士」 (本文で扱った) ( ()原文   (晋)干寶撰『新校捜神記   二十巻』 (世界書局〈台北〉 、二〇〇三第二版)による。 ( () 現 代 語 訳  こ れ は 論 者 の 試 訳 だ が、 『 捜 神 記 』 の 全 訳 に は 次 の も の が あ る。 干 宝 著 竹 田 晃 訳『 捜 神 記 』( ワ イ ド 東 洋 文 庫 一 〇、 平 凡 社、 二〇〇三) 。これは一九六四年初版の東洋文庫三巻本を一冊に纏めたもの。 ( ()魏郡 現代の山西省大名。 邯 かんたん 鄲 の近く。 ( () 北堂   奥座敷。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 ( () 三更が果てる頃   午前二時頃。 ( (0) 一 丈  十 尺。 東 晋 の 一 尺 を 二 四 ・ 四 五 セ ン チ と す れ ば、 十 尺 は 二 メ ー タ ー 四 四 セ ン チ 五 ミ リ。 も っ と も そ う 細 か く 考 え る こ と も あ る ま い か ら、 ざっと二 ・ 五メーター。 ( (() 杵  片 手 搗 づ き の 杵 で、 手 で 握 る 中 央 部 が く び れ て い る。 杵 に は、 砧 きぬた の 上 に 布 を 拡 げ、 こ れ を 打 ち 和 ら げ る 砧 ちん 杵 しょ も あ る が、 こ こ で は 竈 の 下 か ら発見されたのだから、籾を 搗 つ いて精米したりする食品加工用の杵の方であろう。 ( (() 金銀五百斤   一斤は一六両。東晋の一両を一三 ・ 九二グラムとすれば、一斤は二二二 ・ 七二グラム。五百斤は一一一 ・ 三六キロ。 ( (() 銭 一 千 万 貫  「 千 万 」 は「 莫 大 」 の 意 で あ ろ う。 文 字 通 り 一 千 万 だ と、 一 貫 は 銅 銭 千 枚( 千 文 ) だ か ら 銅 銭 百 万 枚 に も な っ て し ま う。 も っ と も巻三「上党 鮑 ほうえん 瑗 」では「銭数十万、銅鉄器二万余」が井戸の中から出て来るが。 ( (() 安陽   現代も山西省にある。邯鄲南隣の都市。 ( (() 駅館   官営の旅宿。 ( (() 書生   読書人。古くは多く儒生を指す。この話の場合、ただ、書生、と名乗るだけで駅館で相当の待遇を受けたようだ。 ( (() 術数の道   さまざまな方術──神仙の術──を用い、自然界の注意すべき現象を観察することで、人の寿命や運命を予知する 術 すべ 。 ( (() 黒い単衣   皁 そう 衣 い は時代によっては下僕、および彼らが着る服をも言うが、ここではもちろん本性が黒い豚( 豕 いのこ ・ 家 か 猪 ちょ )だからである。 ( (()亭主   本来なら亭長。すなわち宿駅の 長 おさ で駅館を管理している者。しかしここでは妖怪どもの間で駅館の留守居役とされている 物 もの の 怪 け 。 ( (0) 赤い頭巾を被った者   雄鶏の 鶏 と さ か 冠 を仄めかしている。 ( (() 狸  「 貍 」 が 正 字。 「 た ぬ き 」 で は な い。 源 みなもとの 順 したがう 著『 倭 わ 名 みょう 類 るい 聚 じゅう 抄 しょう 』( 『 倭 名 抄 』・ 『 和 名 抄 』。 承 平 元 = 九 三 一 撰 進 ) で は「 貍 」 の 和 名 は 「 太 た 奴 ぬ 木 き 」。 し か し、 李 時 珍 原 著 / 鈴 木 真 海 訳 文 / 白 井 光 太 郎 監 修・ 校 注『 頭 註 国 訳 本 草 綱 目 』( 春 陽 堂、 昭 和 四 ─ 九 ) に よ れ ば「 和 名 や ま ね こ 」。 頭 注 に「 別 ニ 野 生 ね こ 又 お ほ や ま ね こ ア リ 」 と あ る。 李 時 珍( 一 五 一 八 頃 ─ 九 三 ) は「 貍 に 数 種 あ り。 大 小 狐 の ご と し。 ( 中 略 )。 貓 ねこ の ご と く し て 円 頭 大 尾 な る も の を 貓 びょう 貍 り と な す。 そ の 気 臭 し。 肉 食 う べ か ら ず。 ( 中 略 ) 斑 あ り て 貙 ちゅ 虎 こ の ご と く し て 尖 頭 方 口 な る も の を 虎 貍 と な す。 よ く 虫 鼠 果 実 を 食 う。 そ の 肉 臭 か ら ず し て 食 う べ し。 ( 後 略 )」 と 述 べ て い る。 「 虎 貍 」 は 雑 食 性 な の で、 こ の 点「 た ぬ き 」 と 同 じ だ が、 形 状 は 異 な っ て い る。 一 方 橘 たちばなの 成 なり 季 すえ 作『 古 こ 今 こん 著 ちょ 聞 もん 集 じゅう 』( 建 長 六 = 一 二 五 四 成 立 ) に は「 狸 」 が 妖 異 を 表 わ す 話 が 四 編 あ る が、 う ち 二 例 で は 捕 ら え ら れ た 「 狸 」 が 料 理 さ れ て 食 わ れ て い る。 し か し「 た ぬ き 」 の 肉 は 臭 い し、 味 も よ ろ し く な い そ う で あ る( 土 に 埋 め る な ど し て 臭 み を 抜 く 調 理 技 術 も あ る、 と い う が )。 姿 の 似 た「 あ な ぐ ま 」( 貒 たん 。「 ま み 」「 み た ぬ き 」 と も 訓 じ る ) は 大 層 食 味 が 良 い( 『 本 草 綱 目 啓 蒙 』『 大 和 本 草 』 な ど ) そ う な の で、 こ れ と の 混 同 と 解 釈 す れ ば、 『 著 聞 集 』 の こ れ ら の 話 の「 狸 」 は「 た ぬ き 」 で よ か ろ う。 さ て、 動 作 が 遅 鈍、 性 格 が 臆 病( 恐 怖 に 襲 わ れ る と 瞬 間 的 に 気 絶 し て し ま う。 専 門 用 語 で は「 擬 死 」。 例 の「 た ぬ き 寝 入 り 」 は こ れ )、 胴 長 短 足 で、 あ の 愛 嬌 あ る 顔 の 動 物 が 日 本 で 変 へん 化 げ の 一 類

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿 と さ れ る の は ど う に も 合 点 が 行 か な い。 た と え ば、 人 見 必 ひつ 大 だい 著『 本 朝 食 鑑 』( 元 禄 八 = 一 六 九 五 刊 ) に は、 「 た ぬ き は 腹 鼓 を 打 つ。 老 い た た ぬ き は 化 け て 人 を 喰 う。 山 家 に 入 り 込 ん で 炉 端 に 座 り、 暖 ま る と 陰 嚢 を 延 ば し、 長 さ 四、 五 尺 に も 達 す る そ れ で 女 性 や 子 ど も を 包 ん で た ぶ ら か す。 云 云 」 と 記 さ れ て い る( 島 田 勇 雄 訳 注『 本 朝 食 鑑 』、 東 洋 文 庫、 平 凡 社、 一 九 八 一 )。 な る ほ ど、 こ れ で は「 か ち か ち 山 」 で 婆 様 を 殺 し、 そ の 姿 に化けて、 婆様の肉を汁にして爺様に喰わせるという悪役を演じるのもむべなるかな。案ずるに、 中国では「のねこ」 「やまねこ」である「貍」 が、 や ま ね こ が 特 定 の 地 域 に し か 棲 息 し な い 日 本 で、 人 家 の 近 く に も 出 没 す る ご く あ り ふ れ た 獣「 た ぬ き 」 を 表 わ す 漢 字 に い つ し か 当 て ら れ、 「 貍 」 が 妖 怪 と な っ て た ち の 悪 い 所 業 を 働 く、 中 国 に お け る 数 数 の 故 事 も 伝 え ら れ て、 「 貍 」 →「 狸 」 →「 た ぬ き 」 が 日 本 で は「 化 け る 」「 兇 悪 なこともある」とされるようになったのであろう。おそらく鎌倉・室町時代に。 ( (() 丹陽   現代の鎮江。江蘇省にある。 ( (() 道 士  道 教 の 修 行 者。 道 教 は 後 漢 末 期 頃 か ら 勃 興 し た 中 国 在 来 の 宗 教。 老 子 を 祖 と す る 教 義 を 確 定 し、 仏 教 を 真 似 た 教 団 を 形 成 し た も の。 天 上 を 支 配 す る 元 始 天 尊、 天 か ら 初 め て 地 上 に 遣 わ さ れ て 道 を 説 い た 太 上 老 君、 後 漢 末 に 再 び 地 上 に 出 現 し て 教 団 を 組 織 し た 玉 皇 上 帝 = 張 ちょう 道 どう 陵 りょう の三柱の神を最上神とする。この他にも大小無数の神格がある。 ( (() 石城   江蘇省呉県の県城に当たるか。 ( (() 丹 たん 薬 やく   道士が不老不死を願って作る薬。 ( (() 天帝   天を支配する神。万物の創造者。天公。 ( (() 二更   午後九~十一時。 ( (() 鼉 だ 龍 りゅう   長 ちょう 江 こう 鰐。鰐目の爬虫類。体長二メーター以上になったそうな。かつて中国に棲息。その皮を太鼓に張ると、 よく鳴ったとか。 「白い」 のは突然変異のアルビノではなく劫を経たためであろう。 ( (() 李 り ぼう 撰『 太 平 広 記 』  宋 の 太 平 興 国 二( 九 七 七 ) 年 に 太 宗 皇 帝 の 勅 命 で 李 昉 ら が 作 成。 漢 代( 紀 元 前 二 〇 六 ─ 王 莽 建 国 の「 新 」 で 中 断 ─ 二 二 〇 ) か ら 五 代( 後 梁・ 後 唐・ 後 晋・ 後 漢・ 後 周。 九 〇 四 ─ 五 九 ) ま で の 小 説・ 伝 記 を 集 め、 項 目 別 に 編 集 し た も の。 全 五 百 巻。 手 軽 に 入 手 で き る 刊 本 と し て は、 李 昉 等 編『 太 平 廣 記 』 全 十 冊( 中 華 書 局〈 北 京 〉、 一 九 六 一 第 一 版、 二 〇 〇 三 第 七 次 印 刷 ) が あ る。 こ れ は 簡 体 字 で は な く 旧 字 で あ る 上、 句 点 が 付 さ れ て い る。 旧 字 も 句 点 も 大 い に 助 か る。 ま た、 王 秀 梅・ 王 泓 冰 編『 『 太 平 廣 記 』 索 引 』( 中 華 書 局、 一 九 九 六 第 一 版、 二 〇 〇 三 第 二 次 印 刷 )、 張 国 風 著『 『 太 平 廣 記 版 本 考 述 』( 中 華 書 局、 二 〇 〇 四 第 一 版、 二 〇 〇 四 第 一 次 印 刷 ) も 出 版 さ れ て い る。 特 に 前 者 の 存 在はありがたい。 ( (0) さ ま ざ ま な 器 物 や 土 偶 の 怪 の 話 三 十 八 編  内 容 は さ ま ざ ま。 「 姜 修 」 は そ の 名 の 酒 飲 み の 許 に 黒 装 束 の 丈 三 尺 ほ ど の ず ん ぐ り む っ く り が 訪 れ、 痛 飲 し た 挙 句、 古 い 酒 甕 と な る 無 邪 気 な 話 だ が、 「 王 屋 薪 者 」( 王 屋 に 薪 きこ る 者 = 王 屋 山 の 木 き 樵 こり ) の よ う に、 鉄 の 銅 ど ら 鑼 が 化 け た 仏 僧 と 亀 の 背 骨 が 化

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 け た 道 士 が、 互 い の 教 え を 誇 り、 争 う の を、 通 り 合 わ せ た 木 樵 が 嘲 り、 双 方 と も 役 立 た ず だ、 と し て 殺 そ う と す る と、 正 体 を 現 す、 と い う、 明 らかに儒士が仏教・道教を諷刺したものもある。 ( (()『 玄 怪 録 』 牛 僧 孺( 七 七 九 ─ 八 四 七 ) 著。 牛 僧 孺 は 科 挙( 官 吏 登 用 ) の 進 士 を 振 り 出 し と し た 唐 朝 の 高 官。 隋 の 文 帝 の 治 世 末 期、 五 九 八( 一 説 に 六 〇 四 ) 年 に 始 ま り、 唐 代 に 大 成 し た 科 挙 制 度 に よ る 高 級 官 僚 の 中 心 的 人 物 で、 李 徳 祐( 七 八 七 ─ 八 四 九 ) を 代 表 と す る 世 襲 貴 族 勢 力 と 苛 烈な権力闘争を行った。 ( (() 砧 に 用 い る 杵  前 掲 注「 杵 」 参 照。 布 の 艶 出 し の た め に 砧( 石 の 叩 き 台 ) に 拡 げ て 打 つ 杵。 こ の 作 業 は 洗 濯 の た め に も ヨ ー ロ ッ パ か ら ア ジ ア 一円に掛けて行われた。 ( (() 原文   『太平廣記』巻三百六十九「元無有」 。前掲中華書局第七次版。 ( (() 現代語訳  これは論者の試訳だが、前野 直 なお 彬 あき による名訳がある。前野直彬訳『六朝・唐・宋小説集』 (中国古典文学全集 6 、平凡社、昭和三四 初版、三七再版)所収「空家の怪」 。 ( (() 宝応元年 唐の粛宗の年号。七六二年。 ( (() 維 揚  現 江 蘇 省 江 都 県 の 揚 州。 も と「 惟 揚 」 に 作 る。 古 く か ら 諸 人 が 憧 れ た、 富 裕 で 繁 華 な 都 市 だ っ た。 隋 の 煬 よう 帝 だい が 開 か い さ く 鑿 さ せ た 中 国 南 北 を 結 ぶ 大 運 河 と 中 国 中 部 の 大 動 脈 長 江 下 流 部 揚 子 江 の 交 叉 点 と い う 交 通 の 要 衝 に 当 た り、 唐 代 に は イ ス ラ ム の 大 帝 国 ウ マ イ ヤ 朝( 七 五 〇 ア ッ バ ー ス 朝 に 取 っ て 代 わ ら れ る ) な ど の 商 人 も こ の 地 に 来 て 貿 易 を 行 う 者 が 多 く、 国 際 都 市 と し て 殷 い ん し ん 賑 を 極 め た。 西 ア ジ ア か ら 天 山 南 路・ 北 路 を 経 て 長 安・ 洛 陽 に 通 じ た 陸 上 交 通 路 は、 大 運 河 に よ っ て 揚 州 に 達 し、 更 に こ こ か ら は 海 路 で 泉 州・ 広 州 を 経 由、 南 海、 イ ン ド 洋 を 渡 っ て ペ ル シ ア 湾 に 及 び、 当 時 湾 岸 最 大 の 貿 易 河 港 ア ル・ バ ス ラ( ア ッ バ ー ス 朝 に お い て は 人 口 三 十 万 を 超 え た ) に 到 っ た。 ア ル・ バ ス ラ は ペ ル シ ア 湾 か ら 五 五 キ ロ、 テ ィ グ リ ス、 ユ ー フ ラ テ ス が 合 流 し た シ ャ ッ タ ル・ ア ラ ブ 河 と 運 河 で 結 ば れ て い る。 テ ィ グ リ ス へ と 遡 る と、 上 流 五 四 五 キ ロ に は バ ク ダ ー ドがある。 ( (() 戦 乱  唐 の 皇 帝 玄 宗( 在 位 七 一 二 ─ 五 六 ) は 国 境 に 節 度 使 を 配 置、 こ れ ら に 兵 馬 財 政 の 権 を 委 譲 し た。 た め に 外 敵 は 効 果 的 に 防 禦 さ れ、 国 威 隆 盛 と な っ て、 い わ ゆ る「 開 元( 開 元 年 間 = 七 一 三 ─ 四 二 ) の 治 」 と も 称 揚 さ れ る 白 銀 時 代 が 齎 さ れ た。 し か し、 玄 宗 の 寵 を 得 て 平 へい 慮 ろ ・ 范 はん 陽 よう ・ 河 か 東 とう の 三 節 度 使 を 兼 ね た 安 録 山 が 七 五 五 年 乱 を 起 こ し、 東 都 洛 陽 を 陥 おと し、 首 都 長 安 に 迫 り、 自 ら 大 燕 皇 帝 と 号 し た。 七 五 七 年 そ の 実 子 慶 緒 に 殺 さ れ る。 玄 宗 は 蒙 塵 し て 蜀 に 難 を 避 け、 子 の 粛 宗( 在 位 七 五 六 ─ 六 一 ) は ウ イ グ ル な ど の 兵 を 借 り て 政 権 回 復 を 図 っ た。 し か し 叛 乱 が 平 定 さ れ たのは漸く粛宗の子の代宗(在位七六二─六五)の世になってである。 ( (() 夕月   「斜月」は本来「西に落ちかかる月」の意だが、ここでは前後の文脈から意訳した。 ( (() 斉 せい 魯 ろ   斉・ 魯 は と も に 周 代 の 諸 侯 の 国 だ が、 こ こ で は と も に 山 東 省 の 別 称。 山 東 省 は 絹 織 物 で 有 名。 山 東 省 の 英 語 名 シ ャ ン タ ン Shantung  は

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日本民話「化け物寺」の由来─中国の源泉と日本への流入─ 鈴木滿 山 シャンタン 東 絹 シルク ( 繭 けん 紬 ちゅう )をも指す。 ( (0) 表 座 敷  「 堂 隍 」 は「 堂 皇 」 あ る い は「 堂 堭 」 で あ ろ う。 本 来「 四 壁 の 無 い 建 物 」 だ が、 こ れ で は 意 味 が 通 じ な い の で、 こ こ で は「 表 座 敷 」 とした。 「堂」は屋敷の中央以南の平土間の広い場所だから。 ( (() 阮 げん 籍 せき   二 一 〇 ─ 六 三 年。 字 は 嗣 宗。 三 国 時 代 の 魏 の 文 人。 い わ ゆ る「 竹 林 の 七 賢 」 の 一 人。 同 好 の 士 は 青 眼 で、 礼 教 の 士 は 白 眼 で 迎 え た、 と いう。 ( (() 瞿 く 佑 ゆう   一 三 四 一 ─ 一 四 二 七 年。 字 は 宗 吉、 存 斎 と 号 す。 浙 江 省 銭 せ ん と う 塘 の 人。 『 剪 刀 録 』 四 十 巻 を 著 す が、 こ れ は 既 に 彼 の 生 前 に 散 逸 し て し ま い、 胡 こ 子 し 昴 ごう と い う 人 物 が 内 四 巻 を 入 手、 当 時 瞿 佑 が 流 さ れ て い た 陝 西 省 保 安 に ま で 赴 き、 校 閲 し て も ら っ た の が 世 に 残 り、 『 剪 刀 新 話 』 と 称 さ れ た、 という。 ( (() 李 り 禎 てい   一 三 七 六 ─ 一 四 五 二 年。 字 は 昌 しょう 祺 き 。 江 西 省 廬 陵 の 人。 進 士 及 第。 高 官 を 歴 任。 文 人 と し て も 高 名 だ っ た が、 小 説 集『 剪 刀 余 話 』 を 編 んだので世人の評価が下落した、という。小説など官途に就いている知識人が手を染めるものではない、という一般常識があったのである。 ( (() 浅 あ さ い 井 了 りょう 意 い   ? ─ 一 六 九 一 年。 江 戸 前 期 の 仮 名 草 子 作 者。 『 剪 刀 新 話 』 か ら の 翻 案 十 八 編 を 含 む 怪 奇 小 説 集『 伽 おとぎ 婢 ぼう 子 こ 』 を 初 め と し、 『 東 海 道 名 所 記 』、 『 新 可 笑 記 』 な ど が あ る。 父 は 俗 称 東 本 願 寺( 浄 土 真 宗 大 谷 派 本 山 ) 末 寺 本 照 寺( 摂 津 国 三 嶋 江 = 現 高 槻 市 ) 住 職。 父 の 弟、 す な わ ち 叔 父 の 東 本 願 寺 か ら の 出 奔 に 連 座 し て 寺 を 追 わ れ た 父 と も ど も 故 郷 を 後 に し た。 従 っ て そ の 前 半 生 は 辛 酸 を 嘗 な め た も の の よ う で あ る。 寛 永 年 間 ( 一 六 二 四 ─ 四 四 ) 末 京 都 に 移 住、 や が て 出 家、 寛 文 年 間( 一 六 六 一 ─ 七 三 ) 末 年 に は 本 山 に 帰 参 が 叶 う。 本 照 寺 と 同 音 の 本 性 寺 を 紙 寺 号( 名 義のみの寺号)として本山から許された延宝三(一六七五)年以降、書名には本性寺昭儀坊了意を用いた。八十歳以上で世を終わったらしい 。 ( (()『 狗 いぬ 張 はり 子 こ 』  元禄五(一六九二)年出版。 ( (()「塩田平九郎怪異を見る」   『怪談名作集』 (日本名著全集第一期、江戸文芸之部第十巻、日本名著全集刊行会、昭和二) 。 ( (() 関敬吾編著『日本昔話大成』   全十二巻(角川書店、昭和五四初版) 。 ( (() 四 回 で な け れ ば 纏 ら な い  前 掲 書「 化 け 物 問 答 」 の 類 話 で は、 「 さ い ち く り ん の け い さ ん ぞ く〔 「 さ ん ぞ く け い 」 の 訛 伝 で あ ろ う 〕」 、「 な ん ち の り ぎ ょ」 、「 ほ く ざ ん び ゃ っ こ 」、 「 と う ざ ん ば こ つ 」 が、 「 ち ん ほ く 内 に か 」 と 言 っ て、 山 寺 へ や っ て 来 る。 「 西 竹 林 の 三 足 鶏 」、 「 南 池 の 鯉 魚 」、 「 北 山 白 狐 」、 「 東 山 馬 骨 」 で あ る。 「 ち ん ほ く 」 と 呼 ば れ る 留 守 居 役 は 墨 壺 と 筆( 矢 や 立 たて と し て 一 つ の 存 在 扱 い )。 「 ち ん ほ く 」 は 勿 論「 椿 ちん 木 ぼく 」 な の だが、この話の語り手にはそれがなんだか分からなくなっており、矢立の名としたのだろう。 ( (()「椿を信仰上の特別な木とみなすところから、 これから道具を作ることを忌む地方も多い」   鈴木 棠 とうぞう 三 著『日本俗信辞典   動植物編』 (角川書店、 昭 和 五 七 初 版 )。 前 掲 書 に は「 岡 山 県 勝 田 郡 で は、 椿 の 槌 を 使 う こ と を 戒 め る。 あ る 時、 椿 の 槌 が 夜 鳴 を し た こ と が あ り、 割 る と 血 が 出 た、 と いう」ともある。

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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 3 号 ( (0)『 宿 と の い 直 草 ぐさ 』  『江戸怪談集』上(岩波文庫、岩波書店、一九八九)所収。江戸初期の仮名草子の一つ。萩田安静著。開版延宝五(一六七七)年。 ( (() な ど か 古 下 駄 も 師 走 を 待 ち て 踊 ら ざ ら ん  は て、 古 下 駄 が な ぜ 師 走 に 踊 る の か。 世 人 が 正 月 を 迎 え る た め 身 の 回 り の 品 品 を 新 調 す る と、 古 傘、 古蓑、古合羽、古下駄のたぐいも掃き溜に棄てられるので、これを恨んで付喪神になり、怪異を示す、とでも言っているのだろうか。 ( (()『 百 ひゃっ 鬼 き 夜 や 行 ぎょう 絵 巻 』  古 い 器 物 が 付 喪 神( 精 怪 ) と な る、 と の 民 間 信 仰 を 反 映 し て、 鎌 倉 末 期 か ら 室 町 時 代 に 至 る ま で、 そ う し た 器 物 の 化 け 物 を描いた絵巻が幾つも出た。現存するものに伝土佐光信筆、伝土佐経隆筆がある。

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