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日本の学びにおける聖と俗

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Academic year: 2021

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著者 沖田 行司

雑誌名 基督教研究

巻 63

号 2

ページ 2‑8

発行年 2002‑03‑12

権利 基督教研究会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004247

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1 学びにおける「聖」と「俗」

──────────────────────────────────── 

これまでの日本の教育の歴史において、「心の教育」またはそれに類似した教育課 題がどのように登場してきたのか、そこからどのような問題が新たに生み出されたの か、といったことを中心に「心の教育」という語りの特質とその可能性を考えたい。

最初に、日本の近代教育の確立期に生じた、人間のあり方を問う道徳教育と近代的な 知識教育の分離から生じた問題に触れ、次に明治以来今日に至るまで、宗教教育が公 教育から排除されてきた事実について見ておきたい。

日本の近代教育の確立期において、教育に関するイメージが伝統的な観念から大き く変容する。「学びにおける聖と俗」というタイトルは、この変容が何をもたらした のかという問題意識を表している。

ところで、「心の教育」という言説は今日では一種の「はやり言葉」になっている。

「はやり言葉」というものは、実体を持たないのが常であり、やがて消え去る定めに ある。これに類似した言説は、明治以降、今日に至るまで、日本の近代教育の歴史に 何度も繰り返し登場してくる。

「心の教育」といったとき、私たちは、なんだか分からないけれども、妙に納得し てしまうところがある。何故なら、誰もそれを否定できないし、何よりも「心の教育」

という言説が、なんとなく人間教育の本質のように思えるからである。

しかし、人間の「心」とは何か、誰が、どのようにして「心」の教育を行うのか、

と問いかけて見ると、必ずしも答えは明瞭ではない。

近代以前、まだ学問や教育が儒教や仏教を背景に成立していた時代には、人間の

「学び」と「教え」には、単なる知識の授受以上に、ある種の「神聖さ」が介在して いた。そこで、「学び」とは何か、「教え」とは何か、と問いかけたとすると、「人に なること」または「人となすこと」という答が当たり前のこととして返ってくる。そ

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こでは、「心」を介在しない「学び」や「教え」などは在りえないのである。つまり、「心 の教育」という言葉自体が成立しえないのである。

この時代の大工の棟梁は、カンナをかける、または家を組み立てる技術(スキル)

を教えるのではなくて、何よりも大工としての「心構え」の習得を弟子に要求した。

剣道の修行を志す者は、人を殺す技術よりも、剣の修行を通して道に至ること、「心の 曇り」を払拭し、平常心を保つこと、つまり「心を磨く」ことを目指す。このように、

あらゆる種類の学びや教えは「心の修行」と深く関連づけられていたのである。

しかし、周知のとおり、学問・教育の近代化は、科学と宗教または道徳の分離を促 した。こうした教育や学問の世俗化は近代に普遍的に見られる現象であるといえる。

日本においても、明治に入ってから、近代的な「知識」教育と人間のあり方を問う 道徳教化が分化する。

明治維新期に日本の教育理念を何に求めるかで、大きな論争がおきる。それまでの 日本の知識人の知の体系を支えてきた儒教を重んじる人たちと、明治維新期のスロー ガンである王政復古の理念の下に台頭してきた神道家や国学者が教育の指導理念をめ ぐって激しい争いを展開した。

しかし、1870(明治 3)年頃より、学校教育では西洋学を中心とした近代的な主知 主義が採用されるようになった。道徳や人としての生き方に関する教えは、大教宣布 運動に見られるように、学校外の役割と位置付けられ、国民教化運動として展開され た。

1872(明治 5)年に制定された、日本の国民公教育の始まりを告げる、いわゆる学 制は、周知のとおり、主知主義、実学主義、能力主義を原理として出発する。ところ が、この学制に対する批判として、徳育の欠如がしばしば指摘された。

明治 10 年代に入ると、徳育論をめぐって論争が行われる。天皇の側近派である元

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は天皇の意を受けて「教学大旨」を起草し、忠孝道徳の必要性を唱えた。これ に対して、開明官僚派の伊藤博文は一貫して近代的な主知主義を主張し、明治天皇に 対してさえも、自説を譲ろうとはしないのである。

しかし、文明開化による近代化政策は伝統的な価値観の変容をもたらし、さらに自 由民権運動の激化を前にして、明治政府は人間教育のための徳育ではなく、社会秩序 の維持を目的とした徳育に取り組む。ところが、徳育の基本をどこに置くかで、議論 が百出する。

福沢諭吉は功利主義的な観点から、儒教主義を基本に置いた徳育論に反対した。福 沢によれば、親に孝行を尽くすという行為は、敢えて儒教倫理を持ち出すまでもなく、

社会的信頼を得るため、また自分の子供に孝養を尽くしてもらうために必要であると 説けばよいと言う。また他人に暴力を働けば、警察に逮捕され、損害を賠償される。

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さらに、乱暴者として、他人の信用も失う。全く大損であるので、合理的に考えれば 説明がつくというのである。

このように、道徳も、損得勘定で功利的に考えれば解決がつくと言ってしまえば福 沢に申し訳がないが、彼が主張したかったのは、自律の原理であった。

また、社会進化論を信奉する加藤弘之によれば、徳育は一定の宗教を背景にしなけ れば心から道徳を実践する契機は生まれないというのである。儒教、仏教、キリスト 教、神道という有力な宗派が、自前で道徳教育を実践し、最も成果が上がり、生き残 ったものを採用すればよいというのである。

西村茂樹は宗教を排除して、西洋哲学と東洋の儒教を綜合した、普遍的な道徳体系 の確立を説いた。西村によれば、文明開化とは、人間の品性が高まることに他ならな かった。従って、文明開化の教育とは、実学もさることながら、世界に通用する道徳 教育の確立を意味したのである。

こうした論争に終止符を打ったのが、1890 年に国民教育の原理として発布された

「教育ニ関スル勅語」であった。教育勅語の制定にあたった井上毅は、極力宗教的な 性格を排除しようとした。井上や伊藤博文などの開明官僚にとって、道徳や宗教を原 理とする教育は、時代に逆行するもので、近代的な産業国家の形成にとっては障害と さえなるものであった。しかし、教育勅語は、キリスト教を排斥したり、勅語奉読式 に宗教的儀式を取り入れることによって、擬似宗教化していった。

近年の研究によると、教育勅語は、異質な文化の下に生きる植民地の人々を日本人 として同化(臣民化)する際に最も効力を発揮したといわれている。この方法が戦中 のファシズムの時代に大きな影響力を発揮するのである。

教育における「聖なるもの」といったとき、私たちの頭に浮かぶのは、命の尊さや 他者に対する愛や学ぶ者の謙虚さ、というものではなく、まさしく個人を圧殺する

「勅語の体制」ではないだろうか。

戦後、日本国憲法の精神を受けて、教育勅語に代わって 1947(昭和 22)年に教育 基本法が制定された。その第一条には、教育の目的として次のようにうたわれている。

「教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義 を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた、心身ともに 健康な国民の育成を期して行われなければならない」。

民主主義を原理とするこの基本法が発布されて 55 年、半世紀にもなるが、今「心 の教育」を論じなければならない現実とは一体いかなるものであろうか。

結論的にいうならば、明治以来、日本の近代教育の目指したものは、豊かな人格形 成でも、「心の教育」でもなく、一貫して近代産業社会に必要な知識教育であり、そ うした能力を持った人材教育にあった。それが戦前の臣民教育という形態をとろうが、

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戦後の個性尊重の教育、民主的な教育というスローガンの下に展開されようが、日本 近代教育の基底に流れているのは、産業社会に適合する能力を有した国民を創出する ことであったと、私は考える。こうした、主知主義的教育、人材養成教育の展開は、

宗教教育を排除することから始まる。

2 近代日本における宗教教育

──────────────────────────────────── 

1872 年の学制においては、宗教のための専門学校は例外として、基本的には宗教教 育を制限している。しかし、学科時間外であれば宗教教育はある程度寛大に扱われて いた。たとえば、同志社では京都府知事に伺いを出して、校舎外の豆腐屋の 2 階を借 りて聖書を講義した。実際は多くのキリスト教系の学校では宗教教育が行われていた といわれている。

明治政府が公的に宗教教育を排除した理由として、一般的にはキリスト教の排斥が 指摘されている。もちろんそうした要素は強いが、私は、産業立国に必要な近代的な 主知主義教育を貫徹するところに宗教教育を排除しようとする隠された意図があった のではないかと考える。

私たちは、ややもすると明治教育を天皇制との関連で国家主義的側面からとらえが ちである。もちろんそれは基本的には正しいのであるが、人間の「心の教育」の側面 を排除して主知主義路線を歩んだことの意味を、もう一度とらえなおす必要があるの ではないだろうか。近年こうした考えが、教育史の専門家の間で再検討され始めて いる。

それでは、キリスト教と教育勅語の関係はどのように見ればよいのであるか、という 問題がでてくる。つまり国家神道によって粉飾された天皇に対する尊崇とキリスト教 の関係である。

1891 年の内村鑑三の不敬事件(教育勅語奉読式にキリスト者である内村鑑三が拝礼 をためらったことに端を発した事件)がおこった。その後、井上哲次郎らが「教育と 宗教の衝突」と題して、キリスト教批判を展開した。つまり、キリスト教は、天皇へ の尊敬と愛国を基本原理とする教育勅語の精神と矛盾するというキャンペーンであ る。

やがて、この論争がひと段落した 1899(明治 32)年に「文部省訓令第 12 号」が出 された。これは、一般に教育と宗教の分離訓令と呼ばれている。「一般の教育をして 宗教の外に特立せしむるは学制上、もっとも必要とする。依りて官・公立学校、学科 課程に関し法令の規定ある学校に於いては、課程外たりとも宗教上の教育を施し又は

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宗教上の儀式を行うことを許さざるへし」。

これは宗教専門学校は別として、教育勅語以外の教育の原理を認めないということ を意味している。もっとも、立教中学校は寄宿舎は文部省の管轄外であるということ で立教学院寄宿舎で宗教教育を行っている。

これまでは、この訓令 12 号はキリスト教弾圧を目的としたものであるとの解釈が 主流であったが、宗教を教育から排除すること、つまり教育の役割を主知主義に置き、

人間のあり方や心の問題を取り扱わないという宣言であると理解したほうがいいので はないかと考える。

ところが、1935(昭和 10)年に突然「宗教的情操の涵養に関する留意事項」という 文部次官通牒が出された。そこでは「宗教教育は家庭における宗教上の信仰に基づき 自然の間におこなわれ、宗教団体の教化活動に俟つべきもの」というように、教育と 宗教の分離を確認した後に、学校においては、生徒の宗教心を軽視したり侮蔑しない ことと述べ、教育勅語と矛盾しない内容と方法で宗教的情操を涵養することが奨励さ れている。その内容は以下の 5 項目ほどにまとめることができる。

◆  ◆  ◆

①学校教育は一切の教派宗派教会等に対して中立不偏を守る。

②正しい信仰は尊重し、迷信は打破する。

③人格の陶冶に資するため、宗教的情操の涵養を図る。ただし、教育勅語と矛盾 しないこと。

④追悼会や遠足旅行などを用いて宗教的情操を涵養する。

⑤宗教家の修養談話を聞かせる。

◆  ◆  ◆

これらは、日中戦争が開始され、国民教化のための道徳教育を徹底するために、宗 教的情操を必要としたことを意味している。この宗教的情操教育が、戦争遂行に利用 され、さまざまな悲劇を生み出したことは歴史が証明するところである。

戦後、先に述べたように、戦前の反省のもとに新しい憲法に基づいて、教育基本法 が制定された。周知のとおり、日本国憲法第 20 条では「信教の自由」が定められて いる。教育に関しては、終戦の翌年 1946(昭和 21)年の第 90 回帝国議会憲法改正委 員会で、宗教的情操教育に関する決議が行われた。終戦直後の荒れ果てた国土におい て、親や身寄りをなくした子供たちが路頭に迷い、日本全体が殺伐とした状況下にお いて、この決議がなされた。四海同胞主義、隣人愛、社会奉仕の思想の普及徹底のた め、宗教的情操の陶冶を尊重しなければならないというのである。

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しかし、教育基本法第9条の宗教教育に関する規定では2つの大きな基本方針が定 められている。

◆  ◆  ◆

①宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重し  なければならない。

②国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育、その他宗教 的活動をしてはならない。

◆  ◆  ◆

みかけは、宗教の自由を保障しようとするものであるが、明治以来の徹底した宗教 教育の排除を受け継いだものと理解することができる。

1949(昭和 24)年に「社会科その他、初等教育及び中等教育における宗教の取り扱 いについて」という文部省通達が出された。それは次の 6 つにまとめることができる。

◆  ◆  ◆

①研究目的で寺社教会に見学してもよい。

②特定の宗教を否定したり肯定したりしてはいけない。

③科学と宗教は両立することを教えなければならない。

④信教の自由の意義について教える。

⑤文学・語学・美術・建築に関する教育において宗教的な教材を用いても宜しい。

⑥高等学校においては、各種の宗教教義や哲学の客観的な研究を選択科目として 設置してもよい。

◆  ◆  ◆

このほか、自発的な宗教活動として、正課の時間外では生徒は自発的に宗教団体を組 織することができること、教師は個人の資格において顧問・会員として参加することが できると述べられている。これらは宗教教育の可能性を示唆したものと理解できる。

また、現在用いられている、『中学校学習指導要領』の第 3 章道徳では「学校の教 育活動全体を通して、道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養う」

と規定されている。とりわけ、内容 3 では次のように記されている。

「自然を愛護し、美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに 対する畏敬の念を深める」。まさに道徳教育は宗教教育を前提しなければ、その限界 を超えることが出来ないことを示しているのである。

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おわりに

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これまで見てきたように、日本の近代教育にはイメージと現実とのダブルスタンダ ードがあるように思える。学問・教育の目的は人格の形成と豊かな心の育成にあると 誰しも信じている。しかし、果たして、そのようにカリキュラムが編成され、それを 教育・学問の主眼にすえて、現実の教育が展開されているのだろうか。

私たちの社会の教育は大きな問題を抱え、岐路に立たされている。さまざまな教育 矛盾がさまざまな現象となって新聞紙上に取り上げられている。「より美しくなるあ なたのお肌のケアー」という女性の心をくすぐるキャッチ・フレーズのように、何か あれば「心のケアー」という言説が何のためらいもなく平気で飛び交っている。

今日の教育改革の課題として、「心の教育」と同時に、情報化時代に生き抜くため に初等教育におけるコンピュータ教育の導入と語学教育の重視が叫ばれている。大学 においては、人間社会について深く思いを寄せて、人間が人間らしく生きるために社 会や科学のあり方を批判的に見つめ、ラジカルに考える能力を養うことよりも、産業 社会に即戦力として役立てるような人材養成が叫ばれている。

人間の心の解明は、近代科学の領域においても進められ、「心をサイエンスする」

という言葉が魅力的に語られているが、そこで用いられている「心」とは果たして人 間の「心」の全容を意味しているのだろうか。人間の心の問題をめぐっては、人類史 は宗教という形態をとって、多くの蓄積を持っている。「心の教育」を語る際に、私 たちは、そうした蓄積を再度見直すことにより、豊かな成果が得られるのではないか と考える。

同志社の新島襄は次のような近代文明観を披瀝している。「知性だけあって道徳上 の主義がなければ、その個人は隣人や社会に対して益をなすよりは一層害をなすであ ろう。とぎすまされた知性はよく切れるナイフに似ている。彼は仲間をそこない、自 分自身をもほろぼすことになるかもしれない」。キリスト教主義をもって徳育の基本 とするという同志社教育の基本方針は、近代日本が欠如させた「心の教育」を踏まえ たものではないかと考えられる。「心の教育」という言説を使わなくともよい教育が 出現することを願って話を閉じたいと思う。

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