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『今昔物語集』の表現と思想

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『今昔物語集』の表現と思想

著者 廣田 收

雑誌名 同志社国文学

号 78

ページ 40‑52

発行年 2013‑03‑20

権利 同志社大学国文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013342

(2)

﹃ 今 昔 物 語 集

﹄ の 表 現 と 思 想

廣 田

はじ めに

﹃今 昔物 語集

﹄独 自の 思想 はど のよ うに して 取り 出す こと がで き るで あろ うか

︒宗 教思 想と いう こと から すれ ば︑ 何よ りも 仏教 学に よる 教義 や教 理か らす る分 析が なけ れば なら ない

︒そ れで は︑ わが 国 の分 析に 考察 の余 地は ある だろ うか

︒い うま でも なく

︑説 話 の分 析は

︑説 話個 別の 表現 の分 析と

︑説 話を 選択 し配 列構 成す る編 纂の 問題 の分 析と が同 時に 必要 であ る︒ のみ なら ず︑ 逆説 的な もの いい にな るが

︑﹃ 今昔 物語 集﹄ の編 者は

︑教 義や 教理 を伝 える にあ たっ て︑ なぜ 迂闊 な方 法と して 説話 をも って 伝え よう とし たの か︒

﹃今 昔物 語集

﹄は

︑い うま でも なく ジャ ータ カ以 来の 伝統 を踏 まえ てい る︒ いう なら ば︑ 方便 とし ての 比喩

s t o r y

をも つ説 話の 形を 借り

︑し かも 説話 集と いう 編纂 物を もっ て何 を表 し︑ 何を 伝え よう

とし てい るの か︒ その こと の中 に︑ もし かす ると 仏教 一般 には 還元 でき な

︑﹃ 今昔 物語 集﹄ 独自 の思 想が 見出 され るか もし れな い︒ その よう な問 題を 考え るた めに

︑論 点を 整理 して おき たい

︒ 一 出来 事に 対す る認 識の 相違 まず

︑﹃ 今昔 物語 集﹄

︵以 下︑

﹃今 昔﹄ と略 す︶ 巻第 一五

﹁薬 師寺 済源 僧都 往生 事﹂ 第四 を考 察の 対象 とし たい

︒旧 大系 によ れば

︑出 典は 未詳 であ る︒ 同一 説話 は﹃ 宇治 拾遺 物語

﹄第 五五 話﹁ 薬師 寺別 当事

﹂で ある

︒ま た類 似説 話は

︑﹃ 日本 往生 極楽 記﹄ 九︑

﹃元 亨釈 書﹄ 巻第 一〇

﹁感 進﹂ 篇第 二︑ 薬師 寺済 源︑ など であ る

︒ さて

︑﹃ 今昔

﹄巻 第一 五第 四の 概要 は次 のと おり

︒ 今は 昔︑ 薬師 寺に 済源 とい う僧 がい た︒ 済源 は薬 で﹁ 法 文﹂ を学 び︑ 寺の 別当 とな った

︒し かる に︑ 済源 は別 当の 立場

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四〇

(3)

にあ るに もか かわ らず

﹁寺 ノ物 ヲ不 仕ズ シテ

﹂極 楽往 生を 願っ てい た︒ 済源 が臨 終に 臨ん で弟 子に 言う には

︑自 分は 別当 では ある が﹁ 寺ノ 物ヲ 犯シ 不仕 ズシ テ﹂ 他念 なく 念仏 を唱 えて きた

︒ とこ ろが

︑極 楽の 迎え はな く︑ 火の 車が 来た

︒鬼 ども に自 分が 何の 罪で 地獄 に迎 えら れる のか と尋 ねる と︑ かつ て済 源は

︑寺 の米 を五 斗借 りて 使い

︑返 却し てい ない とい う︒ 済源 は︑ まさ かそ れく らい の罪 で地 獄に 堕ち ると はと 驚き

︑す ぐ米 一石 を寺 に送 れと 弟子 に命 じた

︒弟 子た ちが いい つけ を実 行す ると

︑済 源は 今極 楽の 迎え が来 たと 言い

︑念 仏を 唱え て往 生を 遂げ たと いう

︒ 本説 話は

︑高 徳の 僧が いく ら他 念な く修 行し たと して も︑ わず か でも 瑕瑾 があ れば 往生 は叶 わな いと いう

︑類 型的 な戒 めの 物語 と読 める

︒私 はま ず︑ この 説話 が︑ 薬師 寺の 僧の 物語 であ るこ とに 興味 を持 つ︒ この 説話 に法 相宗 の思 想は 表現 され てい るの か︒ 済源 が学 んだ

﹁法 文﹂ とは 何か

︒ そこ で︑ 類似 説話 とし て﹃ 日本 往生 極楽 記

﹄︵ 以下

︑﹃ 極楽 記﹄ と 略す

︶と の間 の異 同を 見た

︒す ると

︑ま ず第 一に

﹃極 楽記

﹄は 最初 に済 源が

﹁心 意潔 白に して 世事 に染 まず

︑一 生の 間念 仏を 事と なせ り﹂ とあ り︑

﹃極 楽記

﹄は これ を説 話の 主題 とす る︒ つま り︑

﹃今 昔﹄ のい うよ うな 寺物 の米 を盗 んだ とい う疑 いは な

︒﹃ 極楽 記﹄

では

﹁米 五石 を捨 てて 薬師 寺に 就け て︑ 諷誦 を修 せし め﹂ たと いう

︒ 盗用 では なく

︑布 施で あっ たと いう

︒す なわ ち﹁ 寺の 別当 とな りし に︑ 借用 せし とこ ろこ れの み﹂ とす る︒ つま り︑

﹃極 楽記

﹄で は寺 の別 当で あっ ても

︑違 反は 皆無 であ った こと をい う︒ おそ らく 本説 話は

︑当 時の 社会 にお いて は︑ 別当 とも なれ ば寺 物を 私有 化す る弊 が常 態化 して いた こと を基 盤と する

︒わ ずか な違 反で も重 大な 過失 とす る﹃ 今昔

﹄に 対し て︑

﹃極 楽記

﹄は 別当 に過 ちは 無き に等 しい とす る︒ つま り︑ 説話 にお ける 事柄 に対 する 認識 のあ りか たに 根本 的な 違い があ る︒ さら に注 目さ れる 点は

﹃元 亨釈 書﹄ が︑ 釈済 源︒ 学 于薬 師寺 延義

︒兼 修念 仏三 昧

︒ と︑ 具体 的に

﹁三 論﹂ とす る点 であ る︒

﹃今 昔﹄ と同 様︑

﹃極 楽記

﹄ は︑ この

﹁法 文﹂ につ いて は何 も触 れて いな い︒ それ では

︑済 源が 学ん だ﹁ 三論

﹂と は何 か︒ 普通

︑﹁ 三論

﹂は

﹁三 部の 論の 意﹂ とさ れる

︒す なわ ち﹁ 龍樹 菩薩 造中 論﹂ 四巻

︑﹁ 提婆 菩薩 造百 論﹂ 二巻

﹁龍 樹菩 薩造 十二 論﹂ 一巻 をい う︒ そし てこ の三 書が

﹁三 論宗 所依 の論 書﹂ であ ると され る

︒ それ では

︑三 論は 法相 宗の 経典 に含 まれ てい るの かど うか が問 わ れる であ ろう

︒ま さに

︑﹃ 今昔

﹄が 単

﹁法 文﹂ を学 んだ と︑ 一般 的な こと して 表現 して いる とこ ろに 意味 があ るの では ない か︒

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四一

(4)

二 教義

・教 理か 信仰 か そこ で︑ 薬師 寺と いう 固有 名詞 をも って 設定 とす る説 話と して

︑ もう ひと つ﹃ 今昔

﹄巻 第一 一﹁ 行基 菩薩 学仏 法導 入語

﹂第 二を 考察 の対 象と した い︒ その 概要 は次 のと おり であ る︒ 幼く して 貴さ を示 した 行基 は︑ 出家 して 薬 の僧 とな った

︒ 修行 を終 えて 寺に 帰る とき

︑男 から 膾︵ なま す︶ を貰 う︒ 行基 が食 べて 吐き 出す と︑ 膾は 小さ い魚 とな って 池に 入っ た︒ たち まち 人々 は︑ 徳の 高い 僧に 対し て犯 した 驕慢 の罪 を恥 じた

︒天 皇も 聞き 及ん で︑ 行基 を大 僧正 に任 じた

︒さ て︑ 元 の僧 智 光は

︑行 基よ りも 智︵ さと り︶ 深い 自分 が公 に認 めら れな いこ とを 嫉妬 して 他界 する

︒そ こで 智光 は︑ 行基 に宮 殿が 用意 され てお り︑ 自分 が地 獄に 堕ち るこ とを 知る

︒や がて 許さ れた 智光 は︑ 行基 に罪 を謝 した

︒実 は︑ 行基 の前 世︑ 某童 が行 基の 功徳 を受 けて 出家 し︑ 元興 寺の 僧智 光と なっ たの であ る︒ 智光 が講 師と して 法を 説い たと き︑ 居合 わせ た小 僧が 智光 に向 かっ て︑ 前世 に功 徳を 施し た旨 を揶 揄し て︑ 歌を 詠み かけ た︒ 智光 は怒 り︑ 小僧 はそ の場 を逃 れた

︒そ の小 僧が

︑各 地に 造寺

︑道 路の 整備

︑架 橋な どを 行っ た行 基菩 薩︑ 文殊 菩薩 の化 身で ある

︒ 旧大 系に よれ ば︑ 出典 は﹃ 極楽 記﹄ 二と され る︒ また 同一 説話 はな

し︒ 類似 説話 は︑

﹃日 本霊 異記

﹄︵ 以下

︑﹃ 霊異 記﹄ と略 す︶ 中巻 第 七話

︑﹃ 三宝 絵詞

﹄中 巻第 三︑

﹃私 聚百 因縁 集﹄ 巻七 第三

︑﹃ 古本 説 話集

﹄第 六〇 話︑

﹃元 亨釈 書﹄ 巻第 一四

﹁檀 興﹂ 篇な どで ある とい う

︒出 家し て薬 師寺 の僧 と成 った 行基 は︑ 法 ヲ学 ブニ

︑心 ニ智 リ深 ク あっ たと いう

︒こ れに 対し て︑ この 条︑

﹃極 楽記

﹄に は︑ 瑜 を読 みて 奥義 を了 知せ り

︒ とあ る︒

﹃日 本思 想大 系﹄ は︑

﹁瑜 伽唯 識論

﹂を

﹁瑜 伽師 地論

﹂と

﹁成 唯識 論﹂ とは

﹁と もに 法相 宗︵ 唯識 学︶ の所 依経 論﹂ とし

︑﹁ 唯 識中 道の 理に 悟入 すべ きこ とを 示し たも の﹂ とす る︒ また

﹁成 唯識 論﹂ は﹁ 万法 唯識 一切 の諸 法は 内心 にあ り︑ それ を離 れて 実法 はな いこ との 義を 示し たも の﹂ と注 する

︒ なぜ

﹃極 楽記

﹄は

﹁瑜 伽唯 識論 等﹂ と明 記す るの か︒

﹃極 楽記

﹄ にお いて 経典 の違 い︑ 経典 の何 であ るか が︑ 重大 な関 心事 であ るの に対 して

︑( 一) と同 様︑

﹃今 昔﹄ は︑ この 事例 でも

︑先 にみ たの と 同様 に﹁ 法文

﹂と する だけ であ る︒

﹃極 楽記

﹄が 経典 の差 異に つい て詳 細で ある とい うよ りも

︑﹃ 今昔

﹄が 一般 化し てい ると 見る べき であ る︒ それ では

﹃今 昔﹄ が経 典の 彼此 を問 わず

︑﹁ 法文

﹂と 一般 化し た のは なぜ か︒

﹃今 昔﹄ の関 心事 はど こに ある のか

︑別 の事 例で 考え

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四二

(5)

てみ たい

︒ 三 説話 の論 理 そこ で︑

﹃今 昔﹄ 巻第 一三

﹁陸 奥国 法花 経最 勝二 人持 者﹂ 第四

〇 を考 察の 対象 とし たい

︒出 典は

︑﹃ 法華 験記

﹄巻 中第 四八 であ ると され る︒ また

︑同 一説 話は なし

︒類 似説 話も なし とさ れる

︒﹃ 今昔

﹄ 巻第 一三 第四

〇の 概要 は次 のと おり

︒ 今は 昔︑ 陸奥 国に 二人 の僧 がい た︒ ひと りは 最 を持 つ 光勝 で︑ もと 元 の僧 であ った

︒も うひ とり は法 を持 つ 法蓮 で︑ もと 興 の僧 であ った

︒光 勝は 法蓮 に︑ 法華 経を 捨 てて 最勝 王経 を持 つべ きだ と主 張す る︒ する と法 蓮は

﹁仏 ノ説 キ給 フ所

︑何 レモ 不貴 ヌハ 无シ

﹂と いう

︒す ると 光勝 は︑ 最勝 王経 と法 華経 のど ちら が優 れて いる か︑ 勝負 をし よう とも ちか ける

︒し かし 法蓮 は﹁ 更ニ 此レ ヲ執 スル 心无 シ﹂ であ った

︒光 勝は 一町 の田 を作 り︑ 年作 の多 寡に よっ て経 の優 劣を 決し よう とい う︒ 光勝 は経 の威 力に よっ て種 も播 かず 稲を 田一 面に 作っ た︒ 一方

︑法 蓮は 無為 に過 ごし たが

︑田 に瓢 が一 本生 えた

︒瓢 の中 には 米が 詰ま って いた

︒法 蓮は まず

︑こ の白 米を 仏経 に供 養し

︑諸 僧を 招い て饗 した

︒ま た国 内の 男女 に布 施し たと いう

︒ 話末 評語 は︑ 法 の威 力を 賞賛 して いる

さて

︑こ の説 話は 一見

︑最 勝王 経・ 光勝

・元 興寺 と︑ 法華 経・ 法 蓮・ 興福 寺と の対 立と その 優劣 を求 める もの とみ える

︒興 福寺 を優 位の もの とす る立 場は

︑﹃ 今昔

﹄編 纂の 立場 を根 拠付 ける もの であ ろう 注 ︒ 目す べき こと は︑ 法蓮 は光 勝と 同じ 次元 には 立っ てい こと であ る︒ すな わち

︑法 蓮は 最勝 王経 か法 華経 か︑ あれ かこ れか とい う二 者択 一の 立場 には 立っ てい ない

︒光 勝が 最勝 王経 にこ だわ った のに 対し て︑ 法蓮 は法 華経 の立 場に 立ち つつ

︑﹁ 仏ノ 説キ 給フ 所︑ 何レ モ不 貴ヌ ハ无 シ﹂ と︑ 最勝 王経 か法 華経 のい ずれ もが 仏の 説き 給う もの とす る︒ これ こそ

︑﹃ 今昔

﹄の 主張 する 大乗 の立 場で はな いか

︒さ らに 光勝 が勝 負を 挑ん だと きに も︑ 法蓮 は﹁ 更ニ 此レ ヲ執 スル 心无 シ﹂ と︑ 光勝 の考 えに こだ わら ない

︒と いう より も︑ 関心 を示 さな い︒ 法蓮 は︑ 光勝 とは 違う 次元 にい るも のと して 形象 され てい る︒ それ では

﹃今 昔﹄ の宗 教的 立場 とさ れる

﹁法 相﹂ とい う語 につ い て考 えて みた い︒ 四 説話 にお ける

﹁法 相﹂ の語 義

﹃今 昔﹄ にお ける

﹁法 相﹂ の用 例は 次の よう であ る︒

① 所謂 ル玄 奘三 蔵ト 申ス

︑此 レ也

︒法 未ダ 不絶 ズシ

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四三

(6)

テ盛 也ト ナム 語リ 伝ヘ タル トヤ

︵巻 第六 第六 )

② 道照 和尚

︑亘 唐伝 法 還来 語

︵巻 第一 一第 四︑ 標題 )

③ 道慈 ヲバ 大安 寺ニ 令住 メテ 三論 ヲ学 シ︑ 神叡 ヲバ 元興 寺ニ 令住 法 ヲ学 シケ リ︒

︵巻 第一 一第 五)

④ 玄肪 僧正

︑亘 唐伝 法

︵巻 第一 一第 六︑ 標題 )

⑤ 知周 法師 ト云 人ヲ 師ト シ︑ 立ツ ル所 ノ大 ヲ学 ビ︑ 多ノ 正教 ヲ持 渡ケ リ︒

︵同 )

⑥ 其後

︑此 寺ニ 僧徒 数千 人集 リ住 シテ

︑法

・三 論・ 二宗 ヲ兼 学 シテ 多ノ 年序 ヲ経 タル ニ︑

︵巻 第一 一第 一五 )

⑦ 其ノ 時ニ

︑仙 人︑ 僧ニ 語テ 云ク

︑﹁ 我ハ 此レ

︑本

︑興 福寺 ノ僧 也︑ 名ヲ バ蓮 寂ト 云ヒ キ︒ 法 ノ学 者ト シテ 其 ヲ 翫ビ シ間 ニ︑ 我レ

︑法 花経 ヲ見 奉リ シニ

﹁汝 若不 取︑ 後必 憂悔

﹂ ト云 フ文 ヲ見 テシ ヨリ

︑始 テ菩 提心 ヲ起 シキ

︵巻 第一 三第 二)

⑧ 法文 ヲ安 置シ テ︑ 天台

・法 ノ智 者ノ 僧ヲ 請ジ テ︑

︵巻 第一 五第 三五 ) いず れも

﹁法 相﹂ の用 例は

︑経 典そ のも のを いう より も︑ 教義

・ 教理 をい う︒

﹃仏 教大 辞彙

﹄は

︑﹁ 法相

﹂に つい て﹁ 諸法 の相 状を 云 ふ︒ 唯識 家に ては 主と して は一 切諸 法の 性相

︵し やう じや う︶ に就 て説 を立 つる より 法相 宗と 称せ らる

﹂と する

︒ま た︑

﹁法 相宗

﹂に つい ては

︑﹁ 解深 密教 の正 所依 とし

︑ま た成 唯識 論・ 瑜伽 師地 論に

依り て広 く諸 法の 性相 を決 判す る宗 旨﹂ とし て︑ 日本 への 伝播 を次 のよ うに 整理 する

︵原 文を 概要 にと どめ

︑口 語文 に直 した

︶︒ 第一 伝 孝徳 天皇 の白 雉四 年五 月︑ 道 は勅 命を 受け て入 唐︑ 玄 奘三 蔵に 遇っ て経 天論 を持 って 帰京

︒法 相宗 を日 本に 伝 えた

︒ 第二 伝 その 後︑ 斎明 天皇 四年

︑弟 子の 智通

・智 達が 入唐

︑玄 奘 に学 び︑ 帰京 の後

︑奈 良に 観音 寺を 開き

︑法 相宗 を伝 え た︒ 第三 伝 次に

︑文 武天 皇大 宝三 年︑ 智鳳

・智 鸞・ 智雄 が︑ 勅命 を 受け て入 唐︑ 智周 を奉 って 宗義 を学 び︑ 帰京 して 法相 宗 を伝 えた

︒ 第四 伝 興福 寺の 義淵 の門 下で

︑玄 昉は 元正 天皇 霊亀 二年

︑勅 命 を受 けて 入唐

︑智 周に 謁し て本 宗を 研き

︑聖 武天 皇天 平 七年

︑帰 京し て興 福寺 に法 相宗 を伝 えた

︒︵ 以下 を略 す︶ 法相 宗の 伝来 につ いて は︑ 玄奘 三蔵 法師 伝が 第一 伝で ある とさ れ る︒

﹃今 昔﹄ が︑ 法相 宗の 経典 を﹁ 法文

﹂と 一般 化す る傾 向を もち つつ

︑一 方で は︑ 特に 法相 宗の 伝来 に注 目す る傾 向を もつ こと は留 意さ れる

︒そ こで

︑そ の玄 奘三 蔵法 師伝 につ いて

︑次 に考 察を 加え たい

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四四

(7)

五 第一 伝と して の玄 奘三 蔵法 師伝 それ では

︑﹃ 今昔

﹄巻 第六

﹁玄 奘三 蔵渡 天竺 伝法 帰来 語﹂ 第六 を 考察 の対 象と する

︒旧 大系 によ れば

︑出 典は

﹃神 僧伝

﹄巻 第六

・四

﹁玄 奘﹂ とさ れる

︒ま た同 一説 話は なし

︒類 似説 話は

︑﹃ 三宝 感応 要 略録

﹄巻 下第 一七

︑﹃ 打聞 集﹄ 九﹁ 玄奘 三蔵 心経 事﹂

︑﹃ 三国 伝記

﹄ 巻第 二第 二三

﹁玄 奘三 蔵渡 天竺 事﹂ など とさ れる

︒ 本説 話の 概要 は次 のよ うで ある

︒ 今は 昔︑ 玄奘 法師 とい う聖 人が いた

︒法 師は 天竺 に渡 り︑ 広 き野 で五 百人 の異 形の 鬼に 出会 った

︒法 師が 般 を誦 する と︑ 鬼は 退散 した

︒こ の心 経は

︑法 師が 天竺 で道 にお いて 得た もの であ る︒ すな わち 深き 山の 中︑ 人跡 絶え た所 に危 篤の 人が いた

︒病 人 は臭 い匂 いの する 瘡の 病で

︑山 の中 に捨 てら れて いた

︒病 者は

︑ 医師 が膿 汁を 舐め ると 治癒 する と言 った とい う︒ そこ で法 師が 病者 の全 身を 舐め ると

︑微 妙の 香が 出来 し︑ 病人 は観 自在 菩薩 と顕 われ た︒ 菩薩 は法 師を 聖人 と讃 え︑ 自分 は法 師を 試み るた めに 人の 形に 顕わ れた

︑広 く衆 生を 導く よう にと して 法師 に心 経を 授け た︒ やが て法 師は 摩竭 陀国 に至 り︑ 正法 蔵と 讃え られ た戒 賢論 師

の弟 子と なり

︑法 師は 法を 伝え た︒ 正法 蔵は 法師 に︑ 夢の 中の 出来 事を 述べ た︒ すな わち

︑黄 金・ 瑠璃

・白 銀の 三人 の天 子が 顕わ れ︑ 正法 蔵に 昔の 過を 観じ て懺 悔す ると

︑罪 は除 かれ ると 言い

︑支 那国 の僧 に汝 の法 を伝 えよ

︑と 述べ た︒ そこ で正 法蔵 が懺 悔し て待 つと

︑法 師が 訪ね てき た︒ そこ で正 法蔵 は法 師に 法を 授け た︒ 法師 が恒 伽河 に至 り船 に乗 ると

︑賊 の船 が現 われ る︒ 群賊 は 突伽 天神 に仕 え︑ 春秋 に美 麗な 人を 殺し

︑肉

・血 を天 神に 祠し て福 を祈 る祭 を行 って いた

︒群 賊は 法師 を見 て︑ 天神 に捧 げる にふ さわ しい 人だ とし て法 師を 殺そ うと する

︒法 師が 兜率 天の 慈氏 菩薩 を念 じ︑ 法を もっ て群 賊を 教化 しよ うと する と︑ 法師 は兜 率天 に昇 り︑ 天衆 に圍 堯さ れる

︒す ると 黒風 が吹 き︑ 群賊 は天 衆の 怒り と知 る︒ 群賊 は法 師を 許し

︑み ずか らの 殺盗 の業 を懺 悔し たの で︑ 法師 は五 戒を 受け た︒ さら に天 竺の 戒日 王が 法師 に帰 依し

︑財 を献 じた

︒さ らに 法 師が 信度 河を 渡る とき

︑龍 王の 望む 鍋を 与え

︑法 文が 沈む こと を防 いだ

︒こ れが 玄奘 三蔵 法師 であ る︒ それ で︑ 法 の 法は 未だ 絶え ず︑ 盛ん であ ると いう

︒ この 説話 のど こに

︑﹁ 法相 大乗 宗﹂ の盛 んで ある こと が示 され て いる のか

︒そ こで

︑仏 教儀 礼と いう 視点 から

︑説 話の 事項 を次 のよ

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四五

(8)

うに 取り 出す こと がで きる

︒ 異形 の鬼 を﹁ 般若 心経

﹂で 退散 させ たこ と︒ 観自 在菩 薩が 病人 と変 じ︑ 法師 に心 経を 授け たこ と︒ 正法 蔵が 昔の 過ち を懺 悔し て罪 を除 き︑ 法師 に法 を伝 えた こ と︒ 異教 の祭 祀を 行う 群賊 に懺 悔を させ

︑五 戒を 授け 教化 した こ と︒ 天竺 の戒 日王 が法 師に 帰依 し︑ 財を 与え たこ と︒ 法師 が信 度河 を渡 ると き︑ 龍王 の望 む鍋 を与 え︑ 法文 が沈 む こと を防 いだ

︒ すな わち

︑こ のか ぎり で根 本経 典は

﹁般 若心 経﹂ であ る︒ 本説 話の 伝え るべ き要 点は

︑法 相宗 とい う宗 派︑ 宗門 より も︑ 罪の 懺悔 をも って 異教 の徒 を教 化す るこ とに 主題 があ る︒ それ では

︑次 に法 相宗 にか かわ る第 二伝 を見 るこ とに した い︒ 興 福寺

︑元 興寺

︑薬 師寺 など の寺 名を 含む 説話 の事 例で ある

︒ 六 興福 寺︑ 元興 寺︑ 薬師 寺な どの 寺名 と説 話 ここ では

︑﹃ 今昔

﹄巻 第一 一﹁ 道照 和尚

︑亘 唐伝 法 還来

﹂語 第 四を 考察 の対 象と した い︒ 旧大 系に よれ ば︑ 出典 は﹃ 三宝 絵詞

﹄中 巻第 二と され る︒ また 同一 説話 はな し︒ 類似 説話 は︑

﹃続 日本 紀﹄

巻一

︑﹃ 霊異 記﹄ 巻上 二二

︑﹃ 扶桑 略記

﹄第 四︑

﹃元 亨釈 書﹄ 巻一 伝 智篇 など であ る

︒ 本説 話の 概要 は次 のと おり であ る︒ 今は 昔︑ 天智 天皇 の代 に︑ 道照 和尚 とい う聖 人が いた

︒幼 く して 出家 して 元 の僧 とな った

︒そ の道 心は 盛ん であ り︑ 貴 きこ と仏 のご とく であ った ので

︑世 人は こぞ って 帰依 した

︒あ る時

︑天 皇が 道照 を呼 び︑ 震旦 に玄 奘と いう 法師 が天 竺か ら

﹁正 教﹂ を伝 えて 本国 に戻 った とい う︒ その 中に

﹁大 乗唯

﹂ とい う法 門が あり

︑玄 奘は これ を重 視し てい る︒ それ は﹁ 諸法 は必 ず識 に離 れず

﹂と いう 教え であ る︒ とこ ろが この 教え はま だ我 が国 には 伝来 して いな い︒ そこ で汝 は速 やか に震 旦に 赴き

︑ 玄奘 法師 に出 会い

︑か の﹁ 教法

﹂を 習い 受け て帰 還せ よ︑ と命 じた

︒道 照は 玄奘 のも とに 行き

︑自 分は 国王 の命 によ って 来た

︑ つい ては

﹁唯 の法 門﹂ を習 いた いと 願う と︑ 玄奘 はま るで 以 前か ら知 り合 いで あっ たか のよ うに 親し く道 照に

﹁唯 識の 法 門﹂ を教 えた

︒道 照は 瓶の 水を 映す よう に習 得し た︒ 玄奘 の弟 子は 小国 の僧 との 対面 を諌 める と︑ 玄奘 は道 照の 宿坊 に行 って 様子 を確 かめ よと 諭す

︒弟 子た ちが 宿坊 を覗 くと

︑経 を読 む道 照は 口か ら﹁ 白き 光﹂ を放 って いた ので

︑弟 子た ちは 道照 が

﹁権 者﹂ であ ると 知る

︒報 告を 受け た玄 奘は 弟子 たち の愚 を叱

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四六

(9)

った ま ︒ た道 照は 新羅 国の 五百 人の 道士 の要 請を 受け て﹁ 法﹂ を説 くと

︑見 知っ た日 本の 僧が いた

︒彼 僧は 自分 は日 本で は﹁ 役の 優婆 塞﹂ であ った

︒﹁ 日本 は神 の心 も物 狂は しく

︑人 の心 も悪 かっ たの でこ こに 通っ てい る︑ と答 えた とい う︒ 道照 はく やし い思 いで 帰国 した

︒ 道照 は帰 国後

︑弟 子た ちに

﹁唯 の要 義﹂ を説 いた ので

︑そ の法 は今 に至 るま で盛 んで ある

︒道 照は

﹁禅 院﹂ を造 って 住ん だ︒ 絶命 の折

︑道 照が 西に 向か って 端座 する と︑ 光が 房に 満ち た︒ 道照 は弟 子た ちに 光を 確認 させ た︒ その 後︑ 光は 房だ けで なく 寺の 庭の 樹木 を照 らし た︒ 弟子 たち は光 が西 を向 いて 飛び 去る こと を目 撃し

︑道 照が 極楽 往生 を遂 げた こと を確 信し たと いう

︒そ の禅 院は

︑元 東南 にあ る︒ まさ に道 照は 権者 で あっ た︑ と

︒ 本説 話に おい て︑ 法相 は﹁ 正教

﹂と りわ け﹁ 大乗 唯識

﹂を 伝え る べき

﹁教 法﹂ と捉 えら れて いる

︒大 系は

﹁大 乗唯 識﹂ につ いて

﹁世 親の 著︑ 大乗 唯識 論を 指す

﹂と し︑

﹁諸 法は 必ず 識に 離れ ず﹂ に

﹁す べて の現 象は

︑対 象を 認識 する 心の はた らき によ って いる

﹂と 注し てい る

︒こ の説 話は

︑一 貫し て唯 識の 伝来 と︑ その 繁栄 を伝 え てい る︒

七 説話 の構 築と 思想 の複 合 原田 信之 氏は

﹃今 昔﹄ の﹁ 成立 の場

﹂が

﹁南 都法 相宗 興福 寺で

︑ 編者 は唯 識学 学問 僧で ある

﹂こ とを 論証 しよ うと され た

︒ その 中で 私が 興味 をも った 点の ひと つは

︑﹁ 中国 仏法 伝来 史群 全 十話 中︑ 具体 的に 記述 され た宗 派名 が﹃ 法相 宗﹄ のみ とい う事 実﹂ に注 目さ れて いる こと であ る

︒ま た﹁ 相承 の不 完全 な天 台宗 に対 し︑ 法相 宗の みが

︑弥 勒・ 無着

・世 親︱ 護法 戒︱ 賢・ 玄奘 道︱ 照﹂ と

﹁三 国相 承が とぎ れる こと なく 日本 まで 続い てい る事 実は 重視 すべ きで あろ う

﹂と され るこ とで ある

︒私 は︑ 法相 宗を

﹃今 昔﹄ の基 盤 とみ ると 断言 する

︑原 田氏 の勇 気あ る立 論に 敬意 を表 した い︒ その 後︑ 原田 氏は

︑﹃ 今昔

﹄の 天竺

・震 旦・ 本朝 とい う構 成と 巻 の配 列が

︑法 相宗 の教 判に 合致 する こと を明 らか にさ れた

︒す なわ ち︑

﹃今 昔﹄ は天 竺部 三巻 を法 相宗 の三 時教 判に 基い て表 現し

︑震 旦部 始発 をな す巻 六は 中国 仏法 伝来 史か ら構 成し

︑本 朝部 始発 をな す巻 一一 は︑ 日本 仏法 伝来 史か ら構 成し てい ると いう

︒ま た︑ 法相 宗の 四重 二諦 をも って 仏法 部・ 世俗 部は 構成 され てい ると いう

︒す なわ ち︑ 律宗

・三 論宗

・天 台宗

・華 厳宗

・真 言宗 など の教 判に は合 致し ない とい う︒ そし て︑ 新出

﹃三 国伝 燈記

﹄が 承安 三︵ 一一 七 三︶ 年八 月に

︑興 福寺 にお いて 藤原 鎌足 の画 像を 掲げ

︑学 問僧 覚憲

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四七

(10)

が貴 族と 僧侶 を聴 衆と する 講筵 にお ける 草案 を記 した もの であ るこ とか ら﹁ 南都 の唱 導の 場﹂ を想 定す る︒ 原田 氏は

︑こ の﹃ 三国 伝燈 記﹄ が﹃ 今昔

﹄と 説話 を共 有す るこ とに 注目 し︑

﹃今 昔﹄ の編 者が

﹁唯 識学 学問 僧﹂ であ る可 能性 を重 ねて 指摘 して いる

﹃今 昔﹄ 編纂 に関 する 原田 氏の 所説 は︑ 首肯 でき るも ので ある が︑ その 上で あえ て︑ 小疑 を述 べる とす れば

︑﹃ 今昔

﹄の 特質 は︑ 編纂 の原 理や 理念 だけ で説 明す るこ とが でき るの か︑ とい う問 題が ある よう に思 う︒ 本稿 の事 例に 挙げ たよ うに

︑個 別の 説話 が﹁ 般若 心 経﹂ や﹁ 三論

﹂を 顕彰 する 根拠 を︑ 説話 の素 材と して 出典 に含 まれ てい たか らだ とい うよ うな 論理 だけ では 説得 力に 欠け る︒ そも そも 説話 は︑ これ を受 容し 採用 して

︑表 現が 改訂 され ない とす れば

︑説 話の 表現 その もの が受 容さ れ支 持さ れた こと を意 味す るか らで ある

︒ ただ 私は

︑そ のよ うな 議論 に分 け入 るよ りも

︑や はり

﹃今 昔﹄ の思 想は

︑所 載さ れて いる 説話 のす べて を法 相宗 のみ に還 元す るこ とは でき な

︑と いう こと を是 認す ると ころ から 論を 立て るべ きで はな いか とい う発 想を とる

︒ 恣意 的と いう 謗り を受 ける かも しれ ない が︑

﹃今 昔﹄ には

︑例 え ば︑ 次の よう な説 話も 含ま れて いる

︒ 巻第 五﹁ 僧迦 羅五 百人 共至 羅刹 国語

﹂第 一 補陀 落浄 土の 信仰 巻第 一五

﹁醍 醐観 幸入 寺往 生語

﹂第 一四

辺土 苦行 の思 想

巻第 一九

﹁信 濃国 王藤 観音 出家 事﹂ 第一 一 本覚 思想 巻第 二四

﹁以 陰陽 術殺 人語

﹂第 一八

陰陽 道思 想 これ ら任 意に 挙げ た事 例は

︑法 相宗 の教 義・ 教理 に納 まり きら な いと いう 印象 を受 ける

︒以 下︑ その 概要 を記 して おき たい

︒巻 第五

﹁僧 迦羅 五百 人共 至羅 刹国 語﹂ 第一 の概 要は

︑次 のよ うで ある

︒ 今は 昔︑ 天竺 に僧 迦羅 が五 百人 の商 人を 連れ

︑財 を求 めて 一 艘の 船に 乗り 南海 をめ ざし た︒ とこ ろが

︑に わか に逆 風が 吹き

︑ 大き な島 に漂 着す る︒ する と端 厳美 麗な 女性 が現 れ︑ 愛欲 の心 を起 した 男た ちは 連れ られ て女 たち の家 に行 く︒ 男た ちは 女た ちを 妻と して 住む

︒女 の寝 顔に 不審 を抱 いた 僧迦 羅は

︑家 の中 に開 かず の部 屋を 発見 する

︒僧 迦羅 は閉 ざさ れた 築垣 を登 り︑ 中に 夥し い死 骸を 見つ ける

︒瀕 死の 男か ら︑ 女た ちが 羅刹 鬼で ある と聞 き︑ 僧迦 羅は 商人 たち を連 れて 逃げ 出す

︒浜 に出 た僧 迦羅 は︑ 補陀 落世 界に 観音 を念 じる と︑ 大き な白 い馬 が現 れ︑ 男た ちを 乗せ て南 天竺 に赴 く︒ 本国 に帰 って 二年 後︑ 僧迦 羅の もと に羅 刹女 が尋 ねて くる

︒僧 迦羅 が追 い出 すと

︑羅 刹女 は王 宮に 参上 する

︒僧 迦羅 が王 にあ れは 羅刹 女だ と諫 言す るが

︑王 も愛 欲の 心を 起し て大 殿に 召し て懐 抱し

︑愛 染に よっ て政 治を 疎か にし た︒ ある 朝︑ 女は 口に 血を 付け て大 殿か ら出 て︑ 鳥の よう に飛 び去 って しま う︒ 御帳 の中 には

︑御 髪だ けが 残っ てい

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四八

(11)

た︒ やが て王 子が 即位 し︑ 僧迦 羅に 羅刹 国を 討伐 する よう に命 じる

︒二 万の 軍勢 を率 いて 羅刹 国を 滅ぼ した 僧迦 羅は

︑国 王か ら羅 刹国 を授 かる

︒そ れで 僧迦 羅国 とい われ る

︒ ここ には

︑わ が国 の古 代末 期か ら中 世に 盛ん とな った 補 がみ られ る

︒蟻 の熊 野詣 に見 られ るよ うに

︑日 本に おけ る補 陀落 信仰 は︑ 古層 の他 界観 を基 層と して

︑苦 行に よる 聖化 とい う︑ 在来 の宗 教的 論理 に基 いて いる とみ られ る︒ また

︑﹃ 今昔

﹄巻 第一 五﹁ 醍醐 観幸 入寺 往生 語﹂ 第一 四の 概要 は︑ 次の よう であ る︒ 今は 昔︑ 醍醐 に観 幸と いう

︑真 言宗 で入 寺と 呼ば れる 階層 の 僧が いた

︒観 幸は 幼く して 仁海 に真 言密 法を 学び 行法 を修 し︑ 東寺 の入 寺僧 とな った

︒と ころ が観 幸は 堅く 道心 を起 し︑ たち まち 本寺 を去 り︑ 土 に行 き︑ 聖人 とな って 修行 した

︒入 滅 の時 を知 った 観幸 は弟 子に 念仏 を絶 やさ ない よう に言 い残 して

︑ 持仏 堂に 入っ た︒ やが て︑ 弟子 たち が覗 くと

︑観 幸は 仏前 に端 座合 掌し 他界 して いた とい う

︒ 観幸 が本 寺を 捨て て土 佐国 に行 った 意味 とは 何か

︒﹃ 今昔

﹄に お ける

﹁土 佐国

﹂の 用例 から する と︑ 聖人 とな って 修行 した こと は︑ 補陀 落浄 土の 信仰 とか かわ って

︑よ り基 層に 辺

・辺 をい う

もの であ る︑ と理 解で きる

また

︑﹃ 今昔

﹄巻 第一 九﹁ 信濃 国王 藤観 音出 家事

﹂の 一一 の概 要 は︑ 次の よう であ る︒ 今は 昔︑ 信濃 国に 某湯 があ った

︒こ こは 薬湯 とし て有 名で あ った

︒あ る時

︑里 人が 夢を 見て

︑明 日午 の時 に観 音が 示現 し︑ この 湯浴 みを する とい う御 告げ を得 る︒ その 男は どん な姿 かと 尋ね ると

︑葦 毛の 馬に 乗り 武具 を備 えた 齢四 十余 の男 だと いう

︒ 夢が 覚め た男 は里 人に 告げ 回し たの で︑ 人々 は湯 を新 しく 替え

︑ 注連 を張 り︑ 香花 を供 えて 待っ た︒ する と︑ 午の 時が 過ぎ る頃

︑ 夢と 同じ 姿を した 男が 現れ た︒ 人々 は礼 拝す るば かり だっ たの で︑ 男に わけ を尋 ねら れた 僧は 経緯 を語 った

︒男 は︑ 自分 は馬 から 落ち て治 療に 来た だけ だ︑ と説 明し たが

︑あ まり にも 人々 が礼 拝ば かり する ので

︑男 は﹁ もし かす ると 自分 は観 音か もし れな い︑ 出家 しよ う﹂ と決 断す る︒ 男は 出家 の後

︑比 叡山 に登 るが

︑五 年ば かり 横川 に修 行の 後︑ 土 に赴 いた とい う

︒ 男が 比叡 山を 離れ

︑土 佐国 に出 かけ たの は︑ やは り補 陀落 信仰 や 辺地

・辺 土に おけ る苦 行を 求め たと いえ る︒ しか し本 説話 の核 をな すの は︑ 無名 の翁 が出 家す るこ とは

︑新 たな 仏の 顕現 であ ると する

︑ 本 であ る︒ 本説 話は

︑俗 なる 存在 のう ちに 仏性 を認 め︑ 出家 にお いて 仏菩 薩の 顕現 を認 めて いる

︒出 家の うち に仏 菩薩 の顕 現が ある とい う認 識は

︑﹃ 今昔

﹄の 他の 説話 にも 認め られ る

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

四九

(12)

また

︑﹃ 今昔

﹄巻 第二 四﹁ 以陰 陽術 殺人 語﹂ 第一 八の 概要 は︑ 次 のよ うで ある

︒ 今は 昔︑ 主計 頭の 小槻 糸平 とい う人 がい た︒ その 子に 某と い う算 道の 先生 がい た︒ 某が 若か った ころ

︑身 の才 は賢 く︑ 世に 並ぶ 者の ない

︑将 来有 望な 存在 だっ たの で︑ 同輩 たち は﹁ あい つが いな けれ ばよ い﹂ と嫉 妬し た︒ ある 時︑ 某の 家に

︑も のの さと しが あっ た︒ 某が 陰陽 師に 尋ね ると

︑占 いは 重く 慎む 必要 があ ると いう 結果 が出 た︒ 特に 慎む 日に

︑某 は門 を強 く閉 ざし て物 忌し てい た︒ そこ で敵 の男 は︑ 隠れ 陰陽 師に 頼ん で︑ 某が 死ぬ よう に︑ わざ を掛 けさ せた

︒隠 れ陰 陽師 は︑ 物忌 の日 にこ そ呪 いは 有効 であ る︑ だか ら某 を呼 び出 して ほし い︑ 声だ けで もよ いと いう

︒そ こで 敵の 男は

︑隠 れ陰 陽師 を連 れて 某の 家に 赴き

︑門 を叩 いた

︒某 は面 会を 断る が︑ 敵の 男が 少し だけ でも 開け てほ しい とし つこ く言 った

︒天 があ り︑ 死ぬ べき 宿世 ゆえ に︑ 某が 遣戸 から 顔を 出す と︑ 隠れ 陰陽 師は 死ぬ べき 呪い を掛 けた

︒三 日経 って 某は 命を 落し た︒ 宿報 とい いな がら

︑ 物忌 は慎 むべ きで ある とい う

﹃今 昔﹄ の用 例に おい て︑ 物忌 とは

︑血 の穢 れを 忌む ため に︑ も しく は枯 渇し た生 命力 を充 実さ せる ため に籠 るこ とを 基 とす る︒ そも そも 在来 の神 道に おい て︑ 物忌 とは

︑暗 闇に 神を 見る ため の籠

りで あり

︑そ れは 祭の 基層 をな す仕 掛け であ る

︒さ らに

︑そ のよ う な宗 教思 想の 上に

︑仏 教的 斎忌 と︑ さら にそ の上 に︑ 陰陽 道の 習俗 が重 ねら れて いる

︒本 説話 では

︑宿

・宿 させ つつ

︑ 陰陽 道の 物忌 を守 るべ きで ある と主 張す る﹃ 今昔

﹄の 思想 的戦 略が 見て とれ る︒ つま り︑ 院政 期の 仏教 説話 集に 組み 込ま れた 説話 は︑ 原初 的な 在 来の 思想

︑古 代天 皇制 にお いて 制度 化さ れた 神道 思想 と︑ さら に当 時隆 盛し てい た陰 陽道 の習 俗な どと

︑仏 教思 想を 複合 させ て構 築し てい ると 見る こと がで きる

︒説 話集 構築 の営 為そ のも のが 宗教 思想 の複 合を 意味 した とい える

︒ まと めに かえ て

﹃今 昔物 語集

﹄に 含ま れて いる これ らの 説話 は︑ 恐ら く︑

﹁純 粋﹂ の法 相宗 の立 場を 示し ては い

︒習 合

s y n c r e t i s m

を容 認せ ざる を得 ない とい う立 場で ある

︒言 い換 えれ ば﹃ 今昔

﹄の 編者 は︑

﹁純 粋﹂ の法 相宗 の普 及を めざ した わけ では な

︒院 政期 にお いて 釈尊 を頂 点と する 仏菩 薩の 体系

︑古 代日 本に おい て新 しい 仏教 神学 を打 ち立 てよ うと する とき に︑ 在来 の神 道や

︑教 団の 外部 にお ける 苦行 の信 仰︑ 当時 普及 して いた 陰陽 道の 民間 宗教 など と複 合さ せつ つ︑ どの よう に自 らの 宗派

︑宗 門の 思想 と折 り合 いを つけ て自 己主 張す

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

五〇

(13)

るか とい うふ うに

︑説 話を 構成 して いる ので はな いか と愚 考す るも ので ある

︒ いう なら ば﹃ 今昔

﹄は

︑法 相宗 を基 本と しつ つ︑ その 教化 に向 け て日 本在 来の 思想 と複 合さ せ︑ その 主張 を仏 教一 般へ と拡 張さ せて いる と見 るこ とは でき ない か︒ この 疑問 の当 否に つい ては

︑今 後も 国文 学の 立場 から 検討 を続 け たい と思 う︒ 注

① 山田 孝雄 他校 注﹃ 日本 古典 文学 大系

今昔 物語 集﹄ 第三 巻︑ 岩波 書店

︑ 一九 六一 年︑ 三五 二頁

︒以 下﹁ 旧大 系﹂ と略 称す る︒

② 同書

︑三 五二

~三 頁︒

③ 井上 光貞

・大 曽根 章介 校注

﹃日 本思 想大 系 日本 往生 極楽 記﹄ 岩波 書 店︑ 一九 七四 年︑ 二三 頁︒

﹃国 史大 系 元亨 釈書

﹄吉 川弘 文館

︑一 九六 五年

︑一 六〇 頁︒

⑤ 望月 信亨

﹃望 月仏 教大 辞典

﹄世 界聖 典刊 行協 会︑ 一九 三二 年︑ 一七

〇 一頁

①に 同じ

︑第 三巻

︑五 九頁

③に 同じ

︑一 六頁

③に 同じ

︑三 九五 頁︑ 補注

①に 同じ

︑第 三巻

︑二 六〇 頁︒

①に 同じ

︑第 三巻

︑二 六〇

~二 頁︒

⑪ 龍谷 大学 編﹃ 仏教 大辞 彙﹄

︵九 版︶ 第六 巻︑ 富山 房︑ 一九 八五 年︑ 四

一三 二頁

①に 同じ

︑二 巻六 五頁

①に 同じ

︑二 巻六 五~ 七〇 頁︒

①に 同じ

︑第 三巻

︑六 三~ 四頁

①に 同じ

︑第 三巻

︑六 三~ 五頁

①に 同じ

︑六 四頁

︑補 注︒

⑰ 原田 信之

﹃今 昔物 語集 南都 成立 と唯 識学

﹄勉 誠出 版︑ 二〇

〇五 年︑ 五 頁︒ 原田 氏の 所説 は論 旨明 快で ある が︑ 一方

︑﹃ 今昔

﹄の 教学 や仏 教思 想 につ いて は︑ 鎌倉 時代 に成 立し た﹃ 八宗 綱要

﹄︵ 一二 六八 年︶ 以 と考 え︑ 八宗 成立 以前

︑も しく は八 宗兼 の立 場と 見る こと もで きる

︒﹃ 八 宗綱 要﹄ は︑ 東大 寺華 厳宗 の僧 凝念

︵一 二四

〇~ 一三 二一 年︶ が二 九歳 の時 に著 した とさ れる

︵中 村元 他﹃ 岩波 仏教 辞典

﹄岩 波書 店︑ 一九 八九 年︑ 六六 四頁

︶が

︑こ れは 鎌倉 新仏 教の 定着 を象 徴す る書 であ るか ら︑

﹃今 昔﹄ の歴 史的 成立

︵一 二三

〇~ 四〇 年頃

︶を それ 以前 とみ るな らば

﹃今 昔﹄ は八 宗成 立以 前の 立場

︑も しく は八 宗兼 学の 立場 であ ると いう こと にな る︒ もち ろん

︑国 文学 の側 から 見る と︑ 本稿 にお いて 論じ たよ うに

︑説 話 の表 現に おい ては

﹁法 相﹂ の語 の事 例や

︑興 福寺 を支 持︑ 顕彰 する 立場 が認 めら れる から

︑﹃ 今昔

﹄が 法相 宗の 教義

・教 理に 基く とす る︑ 原田 氏の 説を 補強 する よう に見 える

︒ しか しな がら

︑ま たそ う単 純化 する こと もで きな い︒ つま り︑ 私は

﹃今 昔﹄ が基 に法 相宗 の立 場に 立ち つつ

︑他 宗そ して 他の 宗教 や在 来の 習俗 をも 抱え 込む こと にお いて

﹃今 昔﹄ を編 纂し てい るの では ない か︑ と愚 考す るも ので ある

⑱ 同書

︑一

〇三 頁︒

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

五一

(14)

⑲ 同書

︑一 二一 頁︒

⑳ 原田 氏は

︑﹁ 南都 仏教 と今 昔物 語集

﹂と 題す る講 演に おい て詳 細な 報 告を され た︵ 日本 文化 研究 会A I︑ 二〇 一二 年七 月︑ 於東 大寺 総合 文化 セン ター

︶が

︑資 料に つい ては 紹介 を略 せざ るを えな かっ た︒

﹃今 昔﹄ が未 完の テキ スト かど うか につ いて は議 論の ある とこ ろだ が︑ 用語 や用 字か ら分 類ま で︑ 一貫 した 編集 原理 や基 準の 存在 が想 定さ れ︑ この 書の 編纂 は個 人的 な営 為で はな く︑ 教派 や宗 門を 挙げ た教 団的 な事 業の 産物 であ った と想 定す べき であ ろう

①に 同じ

︑一 巻三 三八

~四 三頁

根井 浄﹃ 補陀 落渡 海史

﹄法 蔵館

︑二

〇〇 一年

︒根 井氏 は﹁ 補陀 落渡 海 の説 話で 常に 引き 合い に出 され るの は︑ 土佐 国の 室戸 を足 摺岬 の渡 海伝 承で ある

﹂と いう

︵同 書︑ 三六 九頁

︶︒

①に 同じ

︑第 三巻

︑三 六三

~四 頁︒

﹃今 昔物 語集

﹄に

﹁辺 地﹂

﹁辺 土﹂ をめ ぐる 修行 の認 めら れる こと は周 知の とお りで ある

︒徒 歩︵ かち

︶よ り行 く難 行・ 苦行 は︑

﹃蜻 蛉日 記﹄ 右大 将道 綱母 の長 谷詣 のよ うな

︑古 代の 女性 たち の物 詣や

︑中 世の 歌謡

﹃梁 塵秘 抄﹄ にも 歌わ れて いる 熊野 詣に も︑ 日本 宗教 の基 層を なす 思想

︑ 思惟 の認 めら れる こと が留 意さ れる

①に 同じ

︑第 四巻

︑八 七~ 九頁

もち ろん 本覚 思想 にも 日本 天台 にお ける 受容 と︑ 中世 以降 の世 俗的 展 開の 歴史 があ るこ とは 知ら れて いる が︑ 私の 興味 は︑ 日本 にお ける 仏教 教義

・教 理が

︑在 来の 神道 的思 惟︑ ある いは 汎神 的な 認識 へと 重層 化し て行 くこ とで ある

︒超 越者 を他 者と して 外在 的な 存在 とみ るよ りも

︑人 の内 側に 仏性 を認 めて 行く 思想 の深 化に

︑日 本仏 教の 変容 があ るの では ない かと いう こと が知 りた い︒ 鎌倉 新仏 教に おい ても

︑釈 尊で はな く教 祖︑ 宗祖 が神 格化 され ると いう 現象 は︑ 日本 仏教 の特 質と され るが

︑こ

れは 古代 天皇 が神 々を 祭祀 する 祭祀 者で ある とと もに

︑現 つ神 とし て国 土を 統治 する とい う︑ ミコ トモ チの 思想 と同 様の 枠組 みが ある ので はな いか

︒人 のう ちに 超越 性を 認め る思 想︑ 思惟 はな お中 世に おい ても 形を 変え て継 承さ れて いる のか もし れな い︒

①に 同じ

︑第 四巻

︑二 九四

~四 頁︒

廣田 收﹁ 宮廷 人た ちの 物怪 対処 法と 陰陽 師の 活躍

﹂﹃ 怪﹄ 第三 四号

︑ 角川 書店

︑二

〇一 二年 一二 月︒

︹付 記︺ 本稿 は︑ 奈良 市元 興寺 文化 財研 究所 を会 場し て開 催さ れた

︑南 都文 化研 究組 織︵ NC CS

︶に おけ る研 究発 表︵ 二〇

〇八 年三 月︶ の報 告に 基い て いる

︒な お︑ 報告 資料 に付 した 語の 用例 や事 例な どは 紙幅 の都 合か ら省 略 した

﹃今 昔物 語集

﹄の 表現 と思 想

五二

参照

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