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の「無記名」詩

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(1)

一 無記名詩の存在

には、

存在している。それらは、作 體五律を中心に、獨特の性格を持つ一群の詩が

である張

の置かれた

體 な 況を生のまま反映しないように見える。あるいは、張

るように見える。そのような作法を、本稿では「無記名 て作られたという痕跡を殘さないように仕立てられたものであ によっ 中國の古典詩の 稱することにしよう。 」と あり、その結果、そもそも詩 穽、それは作詩の制度であり、日常で

し、作詩人口が飛爲が一般 積を作ることになる。そうした詩の制度・日常は、作詩行 靈感の漲らない凡作の夥しい堆

に擴大する中

顯 において

になる。とりわけ

あるいは 別の宴席で、また詩會における唱和で、

況報

を で、その傾向は ねた手紙の代わりに、取り交わされる詩

出していた。 そのような儀禮

な應酬の詩は、

うに取り交わされるものである。從って、如何なる作 交の場でいわば名刺のよ

何なる場でその詩を作ったのかという記名性は、當然の が、如 なっていた。張 提と が新たに試みた無記名詩は、こうした

すなわち非樂府系の徒詩に試みられたこの「無記名 見えつつあった當時の詩界に對する一つの提案となった。 が 法は、その一方にある樂府系作品との境界線を溶解させ、兩 」な手

の境界領域に新しい詩

空 まず、張 を創出したのである。

の典型 な無記名詩と思われるものを

げて、

常の記名

作品と比較することから始めよう。

南原相 客

處南原相ひ

秋水 る處

生秋水

同作憶 た生ず

客同に

を憶ふの客と作り

の「無記名」詩

徒詩と樂府をつなぐもの

松原

(2)

如今分路行如今路を分かちて行く因誰寄歸信誰に因りてか歸信を寄せん漸 問

漸く

くして

明日重陽 を問ふ 明日重陽の

無人上古

人の古

(大意)南の原野で君の に上る無からん 立ちを える。君とは同じく故 る時、秋の川邊にがまた生

を懷かしむ

人であったが、今、別の

き始める。誰に、故

分かれる時に、君の行く手を への手紙を託せばよいのか。いよいよ ねる。明日は重陽

去った後、古い塞に共に登る人はいないのだ。 、しかし君が

詩題の「

客」には、記名

別詩の外形

べき被 となる

の名や、

別の地點、また

の目

地などの

體 報が記されていない。李白の「

鶴樓

孟 らば、すでにこの詩題において「作 然之廣陵」詩な

である李白が

された 鶴樓で催

別會に參加し、そこで揚州に

立つ孟

然を

という 別する」

體 な 報を知りうるのと、大いに趣を

しかも作品の本體においても、この にしている。

別詩が作られた場や、張 自身の

況について

品からは、この詩の作 明されることもない。結果として、作 である張

の なるほどそこには、 が見えなくなっている。

別の場としての「南原」と、時

ての「重陽の とし 日」が記されている。しかしそれらは古典に來

を持つ語であり、必ずしもその場の

體 味しているに のとは思えない。そもそも「南原」は、ある町の南の原野を意 況を提示するも 春水 ぎない。しかも江淹の「別賦」に「春碧色、

波、

君南

傷、如之何」(『六臣

文 の「秋水 邊」の光景を「陸地」に轉倒したものと見られる。また第二句 てより離別の定位置となった「南浦」を意識しつつ、その「水 とされ』、卷十六)

「春 生」も、春の川邊にがえるという「別賦」の

春碧色、

波」の時

えるを點じたものであるに を春秋轉倒して、秋の川邊に生

「秋水 !いない。つまり、「南原」も はなく、むしろ 生」も、それだけでは別れの場面を特定するもので

去の作品(江淹「別賦」)を下

加えて、重陽 合いの場面である可能性が高いのである。 "きにした出來

の登高は、親しい

だからこそ親しい と共にする行事であり、

の不在を

#く場ともなる。王維の「九

日憶山東兄弟」詩の「獨在 $九 爲 客、

%逢佳 兄弟登高處、 倍思親。遙知

&插茱萸少一人」は、その代表

あろう。この詩が、重陽 な作例となるで

に當たって

'の念を

この傳統 (べるのは、

こう考えてみると、この「 な發想を繼承するものである。

水 客」詩の「南原」の場と「秋

生」という

景、および「重陽」の時は、

別の場面を

體 に特定するものではなく、むしろ

を 別の場としての典型 )く

*臺裝置の樣に見える。分かりやすく言えば、

別の場 中國詩文論叢第二十九集

36

(3)

面として出

のである。作

の特殊で

體 を反映しようとしない詩。また見方を變えれば、作 な體驗 た特殊な の置かれ 況に られることのない、離別の感

一般を、典型

な場面設定の中に表現しようとする詩。この詩が無記名

「 性格を帶びるというのは、こういう意味である。 な

客」が無記名

であるのに對して、

に げる詩は

な場面を踏まえた「普

張 の別詩」となっている。そして は、その別の場面において、被

みずから向かい合う。「記名 である「鄭秀才」と 」というのは、その詩の中に作 である張

自身が場

を占めている、ということである。

鄭秀才歸

桂楫

爲衣桂楫

行當令 もて衣と爲す

歸行ゆく當に令

夕 に歸るべし

夕 浦に

ふこと

野 晝雨見人稀晝雨人を見ること稀なり く 到時熟野

江 到る時に熟し

泊處飛江

君はこれから立(大意) 山雨山雨靄餘暉餘暉靄たり 離琴一奏罷離琴一たび奏し罷るとき 泊る處に飛ばん

なおべべを な舟に乘り、兩親を喜ばせようと綺麗 る。きっと春の良い季

に故

に歸れるだろう。夜 の

が滿ちるとき、入江の奧深くに船を

ませ、晝

に雨が ば、人の れ を見かけることも少ない。

は、家に

り、 く時分には實 は、船 き場のあたりを

むとき、山に う。いま別れの宴に琴が鳴りや る雨に、夕日がうるんで見える。

詩題にある「鄭秀才歸

に歸ること。しかし實態は、鄭秀才(秀才は科 」とは、鄭秀才が親元にご機伺い

!の受驗 )が科

!に

"第して、失意の中に歸

えて することを言うものであり、あ この詩は、 "第を言わないのは、こうした別詩の作法である。

詩は、別の宴席で、餞別の品として手渡される。相手の 常の別詩が備える條件を滿たしている。別

ちに #立

$%の言

&を 'るのは、不可缺の儀禮

て目 配慮である。そし の常套とする。この詩の作詩の場は、別の宴席に相 地へと續く沿路の敍景を作品の中央に据えるのを、修辭

(尾聯「離琴一奏罷、山雨靄餘暉」)。そして首句に見える「 (ない とは、子供の綺麗な 衣」

)れ まれるときには、故 のことであり、別の詩にこれが詠 に待つ兩親をこれを

て喜ばせ、孝

盡くすことの慣用 *を な表現となる。また沿路の敍景は、中

二聯に の

+範 張 に展開されている。

は、別の宴席に出席してこの別の詩を作った。

の場面でこのような儀禮 ,交 な詩を作ることは、官僚として

す ご

,會生活の大事な部分であった。この詩は、張

がそうした

の「無記名」詩(松原)

37

(4)

であり、そこでは詩が記名性を帶びるのは當然のは出席カード) 會生活に參加したことの證據品(自身の名を記した名刺もしく だった。このような記名

作品との比較の中で、

「 の

客」詩が無記名

であることの意味が確

ここで考えてみたいのは、こうした無記名 されよう。

の詩人においては張 作品が、同時代

の場合に特

に限って顯 に、しかもその五言律詩 張 に見られることである。

は、五言律詩を

版本によって配列には 部で一三二首作っている。(一〇四題)

干の

同があるが、

ねその 分の一を占めるのが、この無記名 部の三 れに對して後の三分の二は、記名 手法を取る作品である。こ な作品である。こうして兩 が 後にほぼ

然と仕切られていることは、詩集の原

(五代・張

?)において、五言律詩の中に二つの

が存在していると 質な作品群 以下いくつかのパターンに分けて、無記名 識されていたことを推測させるものである。 (1)

の實態を 手法を取る五律 察することにしたい。

二 樂府との

詩集の五言律詩の卷の

三分の一を占める無記名

の中には、樂府も含まれている。樂府は、無記名性を 作品 範

示すジャンルである。 に 秋塞 出塞

初下、將軍出師。分營長記火、放馬不收旗。

冷邊帳濕、沙昏夜探遲。征人皆白首、誰見滅胡時。

樂府(擬古樂府)の當然の作法として、この詩では、作

ある張 で

自身の記名

素、すなわち張

個人の體驗や感

直接由來するものは、作品の に 面から

けられて、いわば作 から獨立した第三人稱

な 樂府が、特定の作 點から詩は詠出されている。

を記名する創作詩ではなく、民衆の中の歌 として

(大修論』 *古樂府(擬古樂府)の表現機能として、松浦友久『中國詩歌原 府も踏襲するのである。 立した樣式であることを、このような文人の擬古樂 書店、一九八六年)には、①樂曲への想、②

の三人稱 點

!・場面の客體

!、③表現意圖の未完結

一般に、②について:古樂府系の作品では、作 該書より引用する。 される。その中、②③については本稿との關わりが大きいので、 !、として整理 の一人稱

個別 な

線は

"象され、共有

!された第三人稱

點から一首

體が 作 #寫される。そして、そのことによって、作品の場面は、

個人の

$體 な體驗の場としてではなく、いわば

面のように、客體 %臺上の場

!されて提示されるのが普

本 &である。これは基 には '代以來の樂府詩の傳統

發想・手法と見なしうるもの 中國詩文論叢第二十九集

38

(5)

であるが、

代の 作品にあっては、古樂府の長い

擬古 史における 手法の傳統も加わって、いっそうこの表現機能を

というこの理念は、 ③について:詩歌によって時の政治を美め刺り、諷し、諫める ると言うことができよう。(三二六頁) めてい 代 期の「毛詩大序」を

後世に繼承される……とりわけ樂府 な源泉として は、

の武 體がこのような詩歌 の樂府設立自 を理念としていた點に象

少なくとも理念 されるごとく、

には、つねにこうした比興

で して可能にしていたと言ってよい。しかしすでに「李白樂府論考」 解釋をジャンルと べたごとく、個々の樂府詩の實態としては、このような

でいるか否かは未決定・未確定のまま讀 を作品として常に含んでいたというわけではない。むしろ、含ん 素 に提示し、讀

の體 ・

ろにこそ、樂府詩が魅力あるジャンルとして發展してきた 斷によって、その表現意圖を完結させるというとこ

とによって未完結 樂府詩であるこ品における本事なり美刺諷諫なりの表現意圖が、 一つがあると考えられるわけである。とすれば、それは、當該作 因の され、讀

の 現上の機能・作用だと見なすのが、最も實態に 斷にゆだねられる、という表

あえて う。(三二七頁) しているであろ に言い換えれば、②の「

點の三人稱

體 ・場面の客 」とは、作

に固有の體驗や感

を、作 作品に明示 自身のものとして に持ち

まないことであり、本稿に言う「無記名性」 とほぼ同じ意味である。③の「表現意圖の未完結

美刺諷諫についてその意圖を曖昧なまま提示して、最 」とは、特に を讀 な解釋 は、この古樂府(擬古樂府)の手法と背離する。 の意圖を明確に提示することを標榜する元白らのいわゆる新樂府 にゆだねることである。③の點について言えば、美刺諷諫

五律卷の

ないが、これに 部の無記名詩を集める部分には、擬古樂府でこそ 似した作品も收められている。

「思 げる

人」詩は、郭

として收 倩の『樂府詩集』卷九三に「新題樂府」

名性・閨怨 する。古樂府題は用いないが、古樂府の手法(無記 題)を忠實に

よる樂府と定したのであろう。 倣した作品であるために、新題に

野橋春水 人

!野橋春水

橋上 !し

"君行橋上君の行くを

年年 去去人應老去去人應に老ゆべし "る

#自生年年

出門看 #自ら生ず $

門を出でて

無信向邊 $を看るも

%きみは信無くして邊

秋 楊柳別離處楊柳別離の處 %に向かふ

&今復鳴秋

&今復た鳴く

'の「無記名」詩(松原)

39

(6)

(大意)橋が、澄んだ春の川に掛かっている。その橋のたもとで、君の 立ちを見

った。君が何處までも

老いてしまうだろう。それなのに、 く去るうちに、私は年 年 年、

は のだ。門を出て、君が去った えて伸びる まま便りは を眺めやるが、君は邊に去った えた。別れの場の柳の木、今そこで秋の

が鳴く。

この詩は、「邊」に赴いた「君」を思

する思いを

第四句「年年 べる。

自生」は、『楚辭』「招隱士」の「王孫

春 兮不歸、

生兮萋萋」、すなわち隱士となった王孫を思

して招き

そうとするという詩句を踏まえる。その限りでは思

する は、女性ではなく男性である。この詩で、邊に君を 體 出したのち、君の歸りを待ちながら、自らの老いへの り

語る れを物

らせば女性であるに 體は、中國古典詩の作法(邊塞詩と閨怨詩の結合型)に照

いない。しかしこの詩の場合、その

の女性 體

性格を 出させるのではなく、むしろそれを抑制して 女性

している點が

『樂府詩集』は、この詩をあっさりと新題樂府に分 目されるであろう。

しかし果たして張 するが、

一考を 自身がそう意識して作ったものかどうか、

する。張

が容易ではないのは、兩 において樂府(含む新題)と非樂府の識別 布しているためである。樂府を、非樂府と の境界領域に、少なからぬ作品が分

て作るのではなく、むしろ樂府 別されたものとし

つまり無記名

手法を、從來 の基準では明らかに非樂府

な作品にまで

た作品の意圖 させる。こうし

な制作が、張

に特

と その點で、この張 !斷されるのである。

の「思 樂府に分 人」を『樂府詩集』に從って新題 ろ王建の同題の作が樂府に傳統 して事足りると考えるのは不十分なのであり、むし

な閨怨の特を有すること (2)

と對比する中で、この閨怨

府の境界において作られた獨自の 性格を抑制する詩を、樂府と非樂 けることが重 張を持つ作品として位置づ

なのである。

"の「

客」は上

しており、ここでは

#單に するに止める。この詩は無記名 $明を補足 に收 な作品であるが、『樂府詩集』

怨 %されてはいない、その理由は、樂府らしさを演出する閨 素がないためであろう。加えてまた、張

えた作品と の體驗を踏ま

&

&

&

&

解釋できる、曖昧さを持つためでもあろう。

南原相 客

處、秋水

'生。同作憶

因誰寄歸信、漸 (客、如今分路行。

)*。明日重陽

+、無人上古。

この詩は、上

のように無記名

な手法を

しかしそれでいながら、この作品には作 ,るものである。

張 寄り添っているようにも見える。それは友人の の見えない影が 立ちを見

「 る

」の

-點の、懇切なる介入である。 中國詩文論叢第二十九集

40

(7)

無記名 あり得る。その場合は、「作 作品にも一人稱の人物が登場することは、しばしば

から

(語り手)」として位置づけられる。しかしこの詩の場合、「作 別された作中の一人稱 から 部分が殘る。頷聯「同作憶 別された作中の一人稱」と解釋するだけでは濟まない

客、如今分路行」では、

被 が、

と共に

の念に驅られる境

するに、作中の一人稱である にあることを表明する。

は、被

單なる冷靜な を眺めるだけの 察

ではなく、同じ

有する「生きて思う 臺に登り、同じ思いを共 漸「因誰寄歸信、 」として立ち現れている。さらに頸聯 問 」では、作中の一人稱は、被

い縋ってでも故

への己れの手紙を託したいと願う「

な悲哀の持ち

」として

かれる。こうした感

する作中の一人稱は、その背後に作 を備えて介入 とを思わせるものである。この結果、この詩は無記名 自身が寄り添っているこ

ことを印象づける。張 ことを基本とするにもかかわらず、あえてその埒外に踏み出る である は、

常の體驗

詩との 記名詩と無記名 にある 妙な境界領域に向かって、この詩を投げ

でいるのである。 ん

の詩は、故

に歸る人を

る詩である。

出山 友人歸山

北首山を出でて北首を

し 重去結

廬重ねて去りて

移石修廢井石を移して廢井を修め 廬を結ぶ 龕 舊書龕を

きて舊書を

分洞與 開田留杏樹田を開くも杏樹を留め る

居洞を分かちて

(大意)君は故 樵人見亦疏樵人も見るも亦た疏なり 長在幽峰裏長く幽峰の裏に在れば と與に居る を去って、他

今度は故 に骨を埋める覺悟だったのが、

に歸って

屋を營むのだ。石を動かして、古い井

杏の木を大切に殘し、も、洞には 修繕し、小屋を片付けて古い書物を積み上げる。田畑を墾くとき を 侶と一 君の顏を までも深い山の中にいるうちに、山中の木こりでさえも、きっと に寢きする。いつ

!れてしまうだろう。

詩と同樣に、この詩にも離別の場面を特定する

被 報はない。

である「友人」も無記名であり、詩中の一人稱である

についても、それを作

自身と同定する

い。また友人は故 報は含まれていな (「山」

)に歸るのだが、その故

あるかも が何處に

"く記されていない。その點では、無記名

作品の特 しかしこの詩の場合にも、作 #を備えるものである。

自身(張

)の 察することができる。そもそも「友人」は、歸隱を願う人物と $點の介入を

の「無記名」詩(松原)

41

(8)

しては、必ずしもすっきりと典型

は、 されてもいない。「友人」

らくは仕

を探して、一度は

里を決然と

てて世 希 の波に身を投じたのである(「出山北首」)。しかし今はその

も潰えて、世

を去って再び

うした心理の曲折は、特定の人物の 里に歸ろうとしている。そ 體 な經 ことを暗示するものである。その結果、作 が背後にある 張 感の こそないものの、作品に底流するその人物への深い共感が、共 の直接の介入

體となる作

自身の

王維の「 線を想定させることになる。

友人」詩の「下馬飮君酒、問君何

歸臥南山陲。但去莫復問、白雲無盡時」が、被 之。君言不得意、

(「君」

)と作中の

についての

體 な 歸隱 報を示さないにもかかわらず、

に對する深い共感の故に、そこに作

である王維自身の

線が感得されるのと、事

上記の三首の詩「思 は似ている。

人」「

客」「

順序に無記名 友人歸山」は、その なものからより記名

いる。無記名 なものへと性格を移して

な作品から記名

な作品へと、大きな斷

まずになだらかに續いていること、このことが張 を含 詩の特

して重 と

じことになるが樂府と非樂府との な意味を持つ。すなわち、無記名と記名、またほぼ同

互いを分け に明確な境界線を引いて、

張 れまでにはない新しい形の詩を作ろうとしている。この點を、 てるのではなく、むしろその境界領域においてこ 詩の特

として

價することが必

であろう

三典 型

人物像を

く詩

以下に取り上げる無記名

五律は、それぞれの方面の「典型 人物」を

いた詩群である。作

は作中の人物と交

もそもその人物は 係がないか、假にあったとしても隱蔽されている、もしくはそ 關 されたものである。特定人物の個別

況から解放されることで、より一般

・典型

な人物

まず讀むのは、邊塞に出陣する將軍を見 能になるのである。 形が可 る詩である。 (3)

征西將沙北風

!

沙北風に

!こり

"夜又

#營

"夜又た營を

戰馬 #へす

$中宿戰馬

幾 陰磧鼓無聲陰磧鼓聲無し 深山深山旗未展旗未だ展びず 探人冰上行探人冰上に行く $中に宿り 征西將幾

同收碎 か征西の將

%&

同じく收む碎

%&

(大意)北風に沙が

戰馬は、 'い上がり、夜中に、陣營に吹きつのる。

$の中に繋がれ、斥候は冰の上を

け入って、軍旗は卷かれたまま、陰山の北の沙 (む。深い山竝みに分

)には軍鼓が勢い 中國詩文論叢第二十九集

42

(9)

よく くこともない。かつて西征の將軍は、

う から軍を

ることはあったが、最後は皆な碎 め クマク南郊)を攻め取ったのだ。 の町(今のキルギス共和國ト

この將軍が特定の人物であるならば、その名を記し、またその人が事とする

征の 容を體

に記すことで、詩は一

張 リアリティを持ちそうなものである。しかしそれにも拘わらず、 の は將軍の名を記そうとしない。

するにこの詩は、邊塞樂府詩の

る。そもそも邊塞詩は、邊塞體驗を踏まえずに作られることが 生型と見るべきものであ 均値であり、邊塞の風土について培われた一般

修辭 イメージを

に典型

「詩でも初めの六句は、 して表現しようとするジャンルである。この (4)

沙」「北風」「

「陰磧」などの 中」「冰上」「深山」

北の風土を指す常套語を竝べ

て、繪に ね、結果とし いたような邊塞のイメージを

樂府に き出している。邊塞 かれる出征の兵士が名を持たず、一般

・典型 ない。ただ ているように、この詩における將軍も、名をもって呼ぶことは され を合わせ、いわば下からの なるのは、多くの邊塞樂府では一介の兵士に焦點

線で邊塞の風土を

この詩では くのに對して、

以下の二首も、邊塞に めた點である。 軍の指揮官である將軍に焦點を合わせて新味を求

征する將軍を

るものであり、張

のお氣に入りの題材だったらしい。いずれも、特定の將軍に取材した作品ではないだろう。

白首征西將、 防秋將

能射戟支。元戎

逐 部曲、軍吏換旌旗。

招 、開邊舊壘移。重收隴外地、應似

家時。

萬里 安西將

西路、茫茫邊秋。計

!沙塞口、

"

#驛峰頭。

暗非時宿、沙深獨去愁。塞

$人易老、莫

鬢衰頭似 老將 %&蕃州。

、行 '(如風。不怕騎生馬、

兵書封錦字、手詔滿香筒。今日身憔悴、 能挽硬弓。

誇定 功。

*上記の外征將軍に取材した詩と表裏の關係にあるのが、以下に示す、邊塞(

)支)に とより ある。詩題に「故人」と言い、詩中に「君」と稱しているが、も 征してその地に戰死した兵士を弔う詩で

*+の詩である。將軍を詠じた詩も、この詩も、事

,

役)ではなく、人 (戰 ,

,

傳統に焦點を合わせることで、 ,

に變 な邊塞樂府 沒蕃故人張 を求めたものであろう。

-年伐 )支

-年 )支を伐ち .上沒 師

.上 師沒す

の「無記名」詩(松原) 43

(10)

蕃 斷 息蕃

罪の流以下に讀む二首は、 ****** 此の時に哭す天涯天涯哭此時 疑ふらくは君いきて在らん欲祭疑君在祭らんと欲す 殘旗を識る歸馬歸馬識殘旗 人の廢帳を收むる無きも無人收廢帳 長く別離死生死生長別離 息を斷ち

を背負う

を見

る詩である。

獨向長 流人

北獨り長

擁 舊業舊業作公田公田を作る 流名屬邊將流名邊將に屬し 雲暗塞天雲暗く天を塞がん ふさ の北に向かへば 添軍壘

知君 收冰當井泉冰を收めて井泉に當つ を擁りて軍壘を添へ

應老知る君

須記別 して應に老ゆなるべし 年須らく

(大意)一人長 に別れし年を記すべし の北に

する時、きっと沙が空を暗く

を見るだろう。 うの は

かれて、邊境の武將の下に

の田畑は、召し上げられて官田となる。 入され、元 を

って防壘を

氷を取って井 り、

水の代わりとする。君は、北の邊境で年老いるだ ろう。だから故

を後にした年を、しっかり憶えておくがよい。

罪を犯して家

を 收され、

して、邊境防衞の軍

入される

を悲しんで

に 別する詩である。一見、邊塞詩の系譜 なるもののように見える。しかし

士は、封侯を 常の邊塞樂府では、兵 みて軍功を上げようと

軍の困 むか、さもなければ從 の中で歸

命を の願いも叶わず、邊境に打ち棄てられて生 する

として

かれる。一方この詩の場合、從軍の

は予想されてはいるが(「擁

添軍壘、收冰當井泉」)、

流人に 題は、

とされ、家

も もてを失しなって轉

した

!命の を

なお「流人」は、張 ある邊塞詩とは別の枠組みで作られたものである。 "べることにある。この點で、この詩は從來から

が自ら交際を持った知人ではない。

#

らくは

・流謫という最惡の

!命を引き受けた

たとしても、その人物の個別性を 制作したものである。またかりにモデルとなる人物が念頭にあっ を想定して

$ぎ

とすことで、典型

%を

&し 'げた作品と理解すべきものである。

(似の作品に、嶺南に流される罪人を

る詩がある。

)代の

*念では、嶺南は貶謫の地である。

去去 +客

,+客去れ去れ

,+の客 中國詩文論叢第二十九集

44

(11)

瘴中衰病身瘴中衰病の身 山無限路

白首不歸人白首歸らざるの人 山無限の路 國戰騎象

(大意)はるばると 誰見日南春誰か日南の春を見ん 一家一家分幾處幾く處にか分かる 蠻州市用銀蠻州市ふには銀を用ふ あきな 國戰さには象に騎し

くの僻地に流される

と、瘴癘の地で身はむしばまれて病氣になるのだ。 人よ、おまえはきっ の山の合

を傳う

故に歸ることはできないのだ。南 は何處までも續いていて、おまえは白髮頭になっても、

見られるものか。 いったい誰が穩やかな氣持ちで日南の春をも散り散りになって、 て鬪い、南蠻の州では、買い物に銀を使う。そんなところで家族 の國では、戰さでは象に跨っ

この詩では、家族までも嶺南に

り散りになって、同じ場 い立てられてる。しかも散 に集まることも許されない。「南

の客」は、余

の大罪を犯したのであろう。彼には、生

の見 一生、北に歸る希 みはない。これからは瘴癘の風土の中で身體をむしばまれ、

は 張 たれている。 (6)

は、先の「

流人」とこの「

南 北と南の邊境でそれぞれに 客」の二首によって、

な 命を引き受ける罪人を

き 分ける。張

の趣旨は、悲慘な

命の典型を

嚴 くことにある。

の邊塞と

それぞれが典型を 熱の嶺南という兩極端の風土を取り上げたのも、

人物について、張 くのにふさわしかったからである。詩中の 味がない。こうした詩は、自分の直接 と交友關係の有無を詮索することには、意

無記名 な體驗と切り離された な空

以上に取り上げたものは、 ****** の中で、作られるものなのである。

う相 ましい出陣と、悲しい流罪とい はあるにしても、また

が邊塞樂府との關

有し、後 を多分に は張 が獨自に開拓した題材という相

ても、非日常 があるとし 共 な況におかれた人物に取材するという點では

!している。そうした事件は、張

の直接

するものではないので、無記名 な體驗世界に屬 これに對して以下に 手法との親和性は高い。

"げる一群の詩は、一應は日常

にある宗 な世界

#人物を

また作 いたもの。その人物を固有名で呼ばず、

張 との交

$も しても、作品はその 作品ではあるまい。またかりに制作の背後に特定人物がいたと %べない。特定の人物を念頭に置いた

&體性を

'象することで、人物の一般

典型 (・

もっともここに言う人物像の典型 (を實現したものと考えられる。

(は、必ずしも理想

ない。これらの詩に (では かれる人物は、いわば世

))

)

)

)

)

*

に體現することによって、かえってその世俗性が暴露され

の「無記名」詩(松原)

45

(12)

ることになる。

學得餐霞法餐霞の法を學び得て逢人與小

人に逢へば小

力 身輕會試鶴身輕ければ會ず鶴を試み かなら (丹藥)を與ふ 未離山力

無 ければ未だ山を離れず 犬 在 無きも犬

不牛自 ほ在り

さずして牛自ら

なり 空漱水

叩齒 空しく漱水し 堂 叩齒す

堂の

(大意)すでに餐霞の

で、山から離れて飛び去ることはない。 身體が輕くなったので、いつも鶴に乘るが、まだ力が足りないの を修得し、人に出會えば丹藥を與える。

いる。 犬はまだ側にいる。畑をすこともないので、牛はのんびりして べるものはないのに、

、何も

せずに唾を飮み

む修行をし、

て叩齒の 堂にこもっ

を行うのだ。

して身體を淨

すれば、このようになれる。その修行と く。しかしその結果として のイメージを「大眞面目」に一つ一つ律儀に積み上げてゆ

き出されるのは、滑稽な

ない。「人に逢へば小 でしか

を與ふ」という善良なる親切心。修行 が足りないために、鶴には乘れるものの

くまで飛

という能力の できない 體 な

價。こうした

寫の から てが、この人物 祕性を剥奪してゆく。

姑(『

詩』に「一作

山中女

幾年山裏 士」)

幾年か山裏に

已作毛身已に作る毛の身 せる

!氣常稀語

存思自見 !氣して常に語ること稀に

存思して自ら

を見る

"龜同不

龜を

"ふも同に

留藥任生塵藥を留むるも塵の生ずるに任す せず

#問西王母西王母に問はんと

何年も山中に(大意) 仙中第幾人仙中第幾人なるかと #す ほつ まい、すでに

いる。氣が漏れないようにと、いつも言 $の苔が體じゅうに生えて

%數は少なく、冥想して、

の を見る。龜を

に西王母 く、仙藥が殘っているが、飮まずに塵が生ずるのに任せている。 &っているが、共に何も口に入れることはな '中ですかと位はどの列序でのねてみたい人仙は人のこ、。

この詩は、

()「 辟 」のいわば女性版である。作

よる懇切な に

き方が、皮肉な口吻へと轉

してゆく。

中に籠って修行していると、 士が山 身に

$の苔が生えてくるという。 中國詩文論叢第二十九集

46

(13)

張 はこの俗

を詩中に活用する。とは言うものの、

身に

に苔が生えた

は、

樣でしかない。この

の苔が生えた女

士は、人のではこれ見よがしに、氣が漏れることがないようにと沈默を裝う。この人物のそうした作爲

行爲は、修行

人物はいったいどのランクかと問う、この しての未熟性を表すことになる。さらに西王母に向かってこの と この女 居じみた發問も、

士を滑稽

するものでしかない。 (7)

の詩は、市井の隱

を く。

先生已得

先生已に得

傳法又非眞法を傳ふるも又た眞に非ず 問年長不定年を問ふも長に定まらず 得錢多與人錢を得れば多く人に與ふ 救病自行藥病を救ひて自ら藥を行り 市井亦容身市井にも亦た身を容る なれば 見鄰

を見る

時時使鬼 く

時時鬼

(大意)先生はすでに得 を使ふと ( で、市井に 士の境地の一つ)となっているの 氣で身を置いている。病氣を治そうと

を飮んでは、

效を引き出すために

みなく施す。年を き回り、金を手に入れれば、他人に惜し ねても、いつも言うことが

い、方

を傳授 する時も、怪しげだ。この

士、

の るのだ。「自分はしょっちゅう鬼 に會うたびに自慢げに語 を組み伏しているのだ」と。

は、市井にあって修行する

士を淡々と

く。しかし後

時にも、眞實を傳えていない。そればかりか、自分は鬼 人に會うと、そのたびに自分の年齡を僞って語り、法を授ける 四句になると、その人物がまやかしであることを暴露する。

支配できる超能力 をも

であると、

張 人には吹聽する有樣である。

は、

つの 士の振りをして人をたぶらかすこうした人物を、一 型として

いて揶揄する。「

辟 」「不

「隱 姑」

」とも

の修行

を裝う

であるが、張

する線は冷かである。それは當時の の彼らに對 の

らい、まやかしの呪 !圍には奇矯をて と關係しているのだろう。 を誇るような手合いが集まっていたこと 士に對する揶揄と比較すると、「律

"」を詠じた

は、そうした口吻は感じられない。 の詩に

"

#行長不出

#行して長に出でず つね

$羸最少年

持齋唯一 $羸最も少年

齋を持して唯だ一

%律豈曾眠律を

%じて豈に曾て眠らんや

の「無記名」詩(松原)

47

(14)

移徑

を けて

濾蟲 に徑を移し

入泉蟲を濾して

(大意) 此に到りて幾人か傳ふる到此幾人傳 從來天竺法從來天竺の法 た泉に入る 行して、寺の外に出ることもない。

ら らに痩せて、う しない。 い。戒律を持して、事はただ一度。律を守って、居眠りも を踏みつぶさないように、いつも

う を き、井

水に

む蟲は掬い取って、元の水に

してあげる(

ているのだろうか。 天竺から傳わった佛法、それを今は、いったい何人が正しく傳え 生は禁物だ)。

この律

が戒律を嚴格に守って修行に

感を示すことで、その一方で、佛法の本來を しんでいることに共 れて墮

した佛 これらの詩では、個性ではなく、典型 が目に付くことを揶揄する。(「從來天竺法、到此幾人傳」)

された人物像を

ことに趣旨がある。宗 く の場合、

典型 定の修行と一體となって な人物像を結びやすかったためであろうし、特に巷

俗人にはそうした「 の 」に對する固定

なイメージが

たのだろう。張 くあっ はそれを

手にとって、こうした一の宗

を 以上の詩群は、外征の將軍、流罪 いた詩を制作したものと考えられる。

、また宗

その趣向は少しく 人物など、

!なるが、いずれの場合も作

と直接の對應 關係を持たない人物を措定し、それを典型

して

で共 くという點

"した特

無記名 #を持つものである。

手法は、そもそも樂府に特

て、邊塞樂府の #なものである。從っ

$長にある將軍を

%った

&篇が、無記名

を踏襲することは自然な 手法 'びであろう。これに對して、後二

は、樂府の傳統

な題材から

記名 ()するものであり、これらを無

手法によって

くのは、張

の新しい工夫なのである。

四 記名と無記名の混淆

の無記名

作品の興味深い點は、

*點の三人稱

の典型 ・對象

を徹底した

において、作 +,のような作品があり、しかもその一方 の -體 な體驗を踏まえる記名

らかに續していることである。 作品へとなだ

.の二篇は、

/先のどこにでもあるような

が詩の 0凡な川邊の世界 1臺である。特定の地名が記されることもなく、また作 の身に

2こった特定の事件が付

の限りでは無記名 3しているようでもない。こ 故かそこには、作 性格を帶びるものである。しかしながら何 自身の

*線が張り付いているように見える。

夜到漁家(『

漁家在江口漁家江口に在れば 45詩』一作宿漁家)

6水入柴

7 6水柴

7に入る 中國詩文論叢第二十九集

48

(15)

行客欲投宿行客宿に投ぜんと欲するも 人 未歸

人 竹深村路 ほ未だ歸らず

竹深くして村路

く 出 船稀

出でて

遙見 船稀なり

沙岸遙かに見て沙岸を

春風動 ぬれば

衣春風

(大意)漁師の家は川のりにあるので、 衣を動かす

門の中まで入ってくる。 が滿ちると水が柴の 家の 人がその家に宿を借りようと訪ねると、

人はまだ漁に出掛けていた。深い竹林の中へと村の

き、 は續

が出る頃、

船の數も少なくなった。

て くまで岸邊を訪ね いてみると、春風が、私の粗末な衣を吹き

門 野店臨西浦野店西浦に臨みて 宿江店 す。

有橘

橘 路迴山 夜靜江水白夜靜にして江水白く 賣酒與漁家酒を賣りて漁家に與ふ 停燈待賈客燈を停めて賈客を待ち 有り

斜路迴りて山

斜めなり 泊船處

に船を泊する處を

ぬれば 見 沙

ちて

(大意)村の宿屋は、西の入江に臨んでいて、門 沙を見ゆ

には橘が

を かせている。燈を

げて行

人を

え、酒を漁師に賣る。夜は 靜かに更けて、長江の水は白く光り、

はめぐって山の

に傾く。そっと舟を泊めてあるところを は斜め ねると、

は 江邊の沙が廣がっている。 ちて、

この二つの詩は、共

した特

「夜到漁家」詩は『 がある。詩題については、

詩』では一本に「宿漁家」に作ると

す。(四部叢刊本『張司業詩集』にはこの

「宿江店」詩との詩題の 記なし)。これであれば、

「漁家在江口」篇の首句「野店臨西浦」も、やはり同一の對偶 似は明らかになる。また二(對偶性)

二篇の詩がくのは、繪になるような、典型 れた可能性も推定できるだろう。 となっている。そもそも二篇は、雙子の作品として制作さ

場面である。川の水が柴 !された水邊の に作られた漁師の家。あるいは、行 "の中まで入ってくるほどに、川の傍

人を泊め、また(賈客)

#くの漁師には酒を賣るような鄙びた

た庶民の世界である。士人( 籠。それらは、完結し

$%

&によって第三)

'(に傍

)

されることはあっても、彼らがその一員となってみずから入り

*むような世界ではない。そこで張

+は「一應は第三

'(な ,

點」から、その世界をき始める。それは例えば、邊塞詩が

-

地では決して見られないような、繪になるような、

沙 .涼とした

/の光景をき、また宮怨詩が庶民が見ることも叶わぬ豪

0

な宮殿において、繪になるような、悲しみに沈む宮女をくの

+の「無記名」詩(松原)

49

(16)

と同じように。しかし邊塞や宮怨は、

詮は樂府の傳統

かも余りにも非日常 な題材であり、し な題材である。これに對して張

二篇の詩に がこの

くのは、典型

ある日常 な世界ではあっても、どこにでも な生活である。このような當たり

り の世界を、當た

のものとして

くことは、樂府にはなかった。張

れを無記名 は、そ な「徒詩」を用いて

この二篇の詩には作 き取ろうと試みたのである。

自身の記名性が稀

人公(一人稱)は、そもそも何 である。作中の かも夕し。)欲投宿」 自ら(「行客こに宿を借りようとするそ、り「漁家に到」は、 詩において「夜到漁家」人公は、そのこれらの詩にはある。 もかかわらず、無記名性を指摘するだけでは濟まない氣配が、 。しかしそれにに現れたのか、一切明らかではない(無記名性) なのか、またどうしてこの場

待ちかねて、 れには、漁に出掛けたまま歸らぬ人を くの入江にまで足を伸ばすのである(「遙見

。單に漁家の光景を岸」) 沙

くのであれば、

點は俯瞰

な第三 き回る必 の位置に靜止すれば良く、このように自らの意志を持って動 はない。このような「作中の

持って移動する」ことの背後には、作 點が、自らの意志を である張

自身の

ここでもやはり意志を持って行動する。彼は、詩題「宿江店」 同樣のことは、「宿江店」でも指摘できる。作中の人公は、 が想定されるのである。 線 にあるように川邊の

に船 籠に宿を借りる。そして夜には、そぞろ き場まで出掛けて、水が

である(「 ちて廣がった水際を眺めるの 泊船處、

見 りなく作 沙」)。この作中の人公も、限 である張

張 自身を思わせるものである。

でいながら自らが目に見、肌に感じたように、その世界を は、川邊の村の世界に闖入したりはしない。しかしそれ

取る「詩」を求めたのである。それではなぜ張 き の日常が、張 なかったのか。しかしそれでは、その中に完結する世界=庶民 にみずから足を印して、そこの世界の人々と交わり語ろうとし は、その世界

という部外

が加わることで容易に元の

えてしまうのである。張 を變 は、いわば人からは見えない

人 明な

る。足 となって、「手付かずのまま」の村の中を見て回るのであ を立てることもなく空中を漂うような獨特の「

ともいうべき感覺。無記名 感」

手法は、そのような

以上の「夜到漁家」「宿江店」は、そこに作 ****** 方法となった。 寫のための 張 の への、記名 しきものが感得されるという意味で、無記名を基本とする作品 線ら 手法の して以下に取り上げるのは、張 が推測される作品であった。これに對

の體驗(經

と)

應關係が確 な對

される點で、さらに張

自身に接

ている。換言すれば、記名 した作品となっ 手法が、より密接に無記名

手法 中國詩文論叢第二十九集

50

(17)

と手を結んでいるのである。

薊北

思(『

詩』一作

日日 人)

國日日

國を 長因 空歌白苧詞空しく歌ふ白苧の詞 み 人處長に人を

日ごと故(大意) 折り盡す南に向かふの枝を折盡向南枝 門外の柳客亭客亭門外柳 祗だ自ら知る多愁多愁祗自知 た獨り語り失意獨語失意 憶ひ得たり家に別れし時を憶得別家時 るの處に因りて 人の の方を眺めやり、空しく白苧の詞を口ずさむ。

立ちを

るたびに、故

に別れを

ばかりが多かったことを、自ら噛みしめる。 す。志を得ないまま、自分に向かって獨り言をいい、悲しいこと げた時のことを思い出 木、その南に張り出した枝は、南に の門の外の柳の 立つ を見 かり折り取ってしまったのだ。 るうちに、すっ

この詩は、詩題にある「薊州」を

な根據に、張

驗を踏まえた記名 の薊州體 作品として解釋されている。張

他にも「薊北春懷」詩があり、張 にはこの

かなことであろう。 (8) が薊州體驗を持つことは確 また方回は、詩中に言う「白苧詞」と蘇州との關係に

佳句。司業、姑蘇人、故云空歌白苧詞」と ている。『瀛奎律髓』二九に「此張司業集中第一首詩。三四眞 目し べる。張

苧詞」で知られる蘇州の出身(張 が「白 の生地は蘇州で、

和州に移居)であることを 人以後に 提に、この詩における張

を確 の記名性

しようとする。この詩が記名

方の事實である。詩題は、 しかしながらこの詩が無記名性を帶びていることも、また一 地が無いように思われる。 作品であることは疑う余

詩の一本に「

人」に作ると

記されている。この

文の存在は、詩題の「薊北」という

況設定がこの詩の抒

に殆ど反映されず、從って省

ける たことを示唆している。この詩は、制作の地點や、その場にお だっ

況を特定しない無記名

な のであり、この點では、 別詩として「解釋しうる」

の「思

人」「

無記名 客」のような な 別詩の

なるほど「作中の一人稱」は、日ごとに故 長上に位置するものである。

蘇州なる白苧詞を歌う境 を懷かしんで、

にある(「日日

またその人は、孤獨な失意の境 國、空歌白苧詞」)。 自知」)。しかしこれだけでは、 にある(「失意獨語、多愁祗

子が流離の

一般 きを詠ずる古來 な 題であるに止まり、詩には依然として、張

の體驗と重ね合わせる積極 その人 そもそもこの詩に記名性を持たせたければ、作 な根據は示されていないのである。

張 は、

の「無記名」詩(松原)

51

(18)

いつ、何しにここに來たのかといった作

に固有の

では、南に の少し加味すれば良い。しかも尾聯「客亭門外柳、折盡向南枝」 報をほん 立つ友人を何人も見

でも可能であった。記名 のだから、薊北の地で誰と別れたかを書き加えることはいくら ったことが暗示されている の に作られる詩が多い中で、あえてそ (9)

を しかもこの詩には、制作の場についての ない。 けようとしたこの詩の工夫を、見ごすわけにはいか

報不足という

極 條件ばかりではなく、積極

樂府は、特殊な人物(詩人)に屬するものではなく、普 らされてもいる。一つは、樂府「白苧詞」を歌うという設定。 に無記名性を演出する工夫が凝

の中にある歌 の人々

である。張

がその歌

が、制作 を歌うという行爲自體

としての特

性と をまるめることで、普 離を取って、つまり自分の個性 表明となる。また尾聯の柳の枝を手折って の人々と感覺を共有しようとする態度

人に 爲も、民 るという行 こうした民 俗に屬するものであり、これも同樣の效果を持つ。

ら張 に寄り添う行爲を詩中に點ずることで、この詩か

という特殊

の記名性が稀

苛立ちのない、穩やかな歌 になって、その代わりに、

同じ時期の作であろう 性が附加されるのである。

ことが言えるだろう。この歌 の「薊北春懷」についても、同樣の

「薊北」という(詩題と第七句) な氣分を持った詩に、かりに 體

地名がなかったならば、こ の詩を張

自身の體驗

作品と見ることは

しくなる。

薊北春懷渺渺水雲外渺渺たり水雲の外別來

信稀別來

問路更愁 卻寄在家衣卻りて家に在りしときの衣を寄す 因逢江使江をぐるの使に逢ふに因りて 信稀なり 路を問はるれば更に

逢人空 きを愁へ

歸人に逢へば空しく歸るを

今 く

薊 北今

(大意)故 又見塞鴻飛又た塞鴻の飛ぶを見る の北 は、はるばると

い川と雲の彼方。別れてから、

信も

えがちだ。長江の南に行く使

家で に出會ったので、かつて ていた衣を託して

る。故

への のりを その !ねられると、

いことに悲しい思いが

"み上げ、

く歸 人に會えば、當てもな の思いを口にする。今

、薊州 く雁を見た。(故 の北に、朔方へと飛び行 の便りはやはり屆かなかった)

この詩を

#む歌 氣分が何によって作られるのか。

容易ではないが、しかし一つ言えることは、そこに作 明は

重 自身の

$しく切實な體驗を持ち

"まなず、また讀

ないということである。 に押しつけもし 中國詩文論叢第二十九集

52

(19)

傳記 究の

果に據れば、この時の張

の薊州行は、仕

を求めての干

を目 とするものであったらしい。干

結果は不首尾にわり、失意のうちに の もとを訪ね、それから故 州にいた同學の王建の の和州に歸っている

。薊州で

の念に驅られてこの詩を作ったころの張

は、挫折と

にあったことになる の中 第四句「卻寄在家衣」に 。

では、 目しよう。「寄衣」は詩歌の世界 地にいる夫に妻が衣(特に出征兵)

(特に

を)

行爲であり、 る

するにそれは、女性の細やかな愛

である。このことは、張 を表すもの ることができる 自身の樂府「寄衣曲」によっても知

。張

はこの語を詩中の

によって、そこに柔らかな に活用すること こうすることで張 の思いを託したのであり、また 中の一人稱」を作り出したのである。この詩から作 は自己の男性を抑制して、もう一つの「作

かに密 に直

する 懣が けられ、不思議に

このような詩を、單に作 滿たすことになるのは、このためであろう。 明な悲哀が作品を の體驗の中から生まれた記名

品と理解するだけでは、この詩に 作

められた張

の工夫を見

ごすことになりかねない。

五張

の無記名性の特

・李白との比較

の詩における無記名性の特を、李白との比較で考える 李白の文學は、一般 ことは有效であろう。

!・典型

學が特殊 !を特としている。杜甫の文

!・個別

!を特とするのと、對蹠

いる。その李白が、擬古樂府を得意として多くの卓れた無記名 な性格を持って 作品を殘したのに對して、杜甫は「

別」などの新樂府の先驅 身が見聞した時事と直接對應する「兵車行」「麗人行」「三吏三 少數の例外を除けば殆ど擬古樂府を作らず、その代わりに、自 "出塞」「後出塞」等の 作品を作ったことは、兩

の相 松*浦友久「李白樂府論考」(同『李白 際立てるものとなる。 #を に、年)李白の「戰 究』三省堂、一九七六

$南」と杜甫の「兵車行」を比較して

うに %のよ

&べる。「〈兵車行〉が〈戰

$南〉と

そこにうたわれた戰役の 'なるもう一つの手法は、

(容が、かなり

)體 應する、と考えられる點である。……少なくとも讀 に特定の史實と對 た現實の戰役を、〈兵車行〉の行 は、そうし 李白の〈戰 *により直接に意識している。

$南〉が、部分

には詳細な戰役

+寫を試みながら、

,體としては何れとも定めがたい一般

戰役

ることとは、きわめて對照 +寫で統一されてい である。李白におけるこうした一般

!や集 -!、さらに古典

!や客體

ある以外の作品にも、 !の傾向は、實際には、樂府詩 .度、共

/して

0められる。

に 面から見れば、この傾向は、離別詩や閨怨詩の分野においてとく 1題や素材の 2しい」(二九四頁)

の「無記名」詩(松原) 53

(20)

李白論また李杜比較論の詳細は他に讓るとして、本稿では李白の數篇の無記名

性格の作品を讀むことで、その特

の大

を理解することにしたい。

早發白

李白

辭白 雲

に辭す白

千里江陵一日 雲の 千里の江陵一日にして

兩岸猿聲啼不盡兩岸の猿聲啼きて る

輕舟已 まざるに

萬重山輕舟已に

ぐ萬重の山

細 夜書懷杜甫

風岸細

星垂 危檣獨夜舟危檣獨夜の舟 風の岸 野闊星垂れて

野闊く 大江流

名豈文章 きて大江流る

名は豈に文章にて

飄飄何 官應老病休官は應に老病にて休むべし れんや 似飄飄何の似たる

天地一沙 ぞ

天地の一沙

李白の詩は、白

から舟を放って三峽を下るときの作、杜 甫の詩は、三峽を

ごく でもなくどちらも、詩人それぞれの詩風を代表する名作である。 けて江陵に向かうときの作である。言うま 單に整理してみよう。李白の詩には、李白自身に關する 報が殆ど含まれていない。早年、二十四

の出蜀時の作か、

年、五十九

の夜 貶謫を赦

まれる それすらも明證がないために久しく議論されてきた。作品に含 されて江南に歸る時の作か、

體 況が、限られているためである。

江陵一日 年は「千里 」の「

」に 目して、後の解釋が定

るが、そうであったとしても、この詩の制作の背後にある夜 !"してい

貶謫・赦

という李白

ないことは、この詩の重 年の一大事件が作中に痕跡も留めてい

#な特

とならざるを得ない。

にこの詩は、當時の李白の #する 體 れた、無記名 況を反映することなく作ら 李白の生活の細部に思いを 性格の作品なのである。またその結果、讀は、

のことを、作品から讀み出して滿 $すこともなく、「三峽を下る」そ これに對して杜甫の詩には、杜甫の %するのである。

體 況が刻み

ている。「細 &まれ 風岸」からは、時

'が春であることが、「星垂

野闊」から、場

が三峽を

けた

あることが、「名豈文章 野を流れる長江の一段で 」から、文官としての榮

(の希

斷念せざるを得ないことが、そして「飄飄何 挫折したことが、「官應老病休」からは、老病によって任官を )が 似、天地一沙

からは、この時の杜甫が放浪の境 」

*にあったことが、克明に分 中國詩文論叢第二十九集

54

(21)

かる。總じてこの詩は、大

三年春、杜甫五十七

して 、病身を押

州から三峽を下り、江陵の手

に できるのである したときの作と確定

。そこにあるのは李白と杜甫の詩風の相

人に由來する細部を の詩では、杜甫の境涯を思うのである。李白の場合は、李白個 である。讀は、李白の詩では、三峽の舟下りを思い、杜甫

典型 象することによって、誰もが共有しうる は、むしろ杜甫自身に密 された世界を手に入れているのだが、一方の杜甫の場合

することで、個別を普

げることに の高みに揚 功している。兩の相

以下、李白の代表作をいくつか は、記名性の濃淡にある。

げよう。

山中問答問余何意栖碧山余に問ふ何の意か碧山に栖むと笑而不答心自

笑ひて答へず心自ら

桃 なり

流水

然去桃

流水

別有天地非人 然として去り

別に天地の人

白髮三千丈白髮三千丈 秋浦歌十七首(其十五) に非ざる有り 愁似箇長愁ひに

靜夜思 何處得秋霜何れの處にか秋霜を得たるを 不知明鏡裏知らず明鏡の裏 りて箇の似く長し かくごと

看 光床

舉頭 疑是地上霜疑ふらくは是れ地上の霜かと 光を看る 山

頭を舉げて山

低頭思故 み

頭を低れて故

を思ふ

李白のこれら三篇も、記名性は稀

中に隱遁する思い、老いの思い、 である。それぞれに、山 が、その時の李白がどのような境 の思いを綴るものである にあったのかは詮索する

がない。この中、「靜夜思」は『樂府詩集』卷九〇に「新樂府辭」として收められるが、同題の作は、李白のこの詩以外にはない。「××思」が樂府系の命題法でもあることが新樂府辭と

白の個別 た一つの根據でもあろうが、それにもまして、この詩が作李 定し 體驗を直接に反映しない無記名

重 手法を取ることも な

提となっていたに

「靜夜思」を樂府と(新題樂府) いない。しかしいずれにしても 定したのは後世の郭

「靜夜思」に限らず、およそこのように無記名 圖したことはなかったと考えて良かろう。李白の詩の地色は、 であり、李白はこの詩に限って、新題の樂府として作ろうと意 倩なの

確 であることを

することの方が重

このような李白の詩は、言ってみれば、 である。

ためのものなのである。そして李白は、 臺の上で歌われる 臺に上って大向こう

張の「無記名」詩(松原)

55

(22)

を に詩を讀み上げる役

か、または

々と歌聲を

歌手である。李白は かせる名 臺に上って、余計な自分の

ど野 明をするほ

ではない。それは

臺を下りてから、仲

と いことである。あくまでも見せる自分を見せて、見せない自分 で語ればよ つぶやいているときでも、己れの 別している。李白は、「靜夜思」のように聲も低く一人で

は 臺上にあって、人が

ものと見せないものの截斷の上に 李白の詩が一般に示す記名性の低さは、彼の文學が、見せる していることを意識しているのである。

に山に入ったのか、今その山の中でどのように 「山中問答」であれば、どの山なのか、どのようないきさつで り立つことを意味している。

などは見せるべきものではない。余分なことを らしているか、

てこの詩の 明すれば、却っ るのである。このようにして、李白は きたいものが見えなくなるのを、李白は知ってい

張 ****** 浴び、李白の詩は、輝くように鮮明な輪郭を見せるのである。 臺に上って照明の光を の一群の詩は、無記名性を特

は、李白の場合と恰も方向を としている。しかしそれ のそれが、余分なものを切り にしているように見える。李白

とすことで鮮明で

郭を求めるものであるとすれば、張 りの深い輪

のものは、自分が

手法である。李白が、見せたいものを自ら高く ら下りることで、それまで見えなかったものを見えるようする 臺か

げるものとす れば、張

張 分が脇に身を寄せることで見えるようにするのである。 のものは、低いところにあって目立たぬものを、自 の詩に かれる對象は、「

などではない。 りが深く輪郭が鮮明なもの」

なものでも、劇場

かを特別のものとして なものでもない。何 するのではなく、そこにある

ものをそのままに 凡な よく見れば何時でも何處にでもあるようなものが、張 こうとする。人目を惹くことはなかったが、

名詩に の無記

き取られるのである。少しく斷定

るとすれば、張 な言い方が許され の文學は、まだ個性にというものに疲れる

の、歌

の優しさと豐かさに憧れているのである。張

は、明確である。 の趣向

結語に代えて・無記名

の意味

本稿では、張

の無記名

作品に なぜこの無記名 目し、考察を加えてきた。

な作品が

目されるかといえば、張

て特 に限っ

まり張 に、しかもほぼ五言律詩に集中して出現するため、つ が意圖 である。從って、本稿は最後に、張 にこの種の詩を作っていると推測されるため

が無記名

張 制作の意圖について考察しなければならないだろう。 作品を作った の無記名

手法の實態を、個々の作品に

して

體 考察した結果として、 に 名 のことが確された。すなわち、無記

手法は、單一の目

のために用いられるのではなく、その 中國詩文論叢第二十九集

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参照

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