Kyushu University Institutional Repository
機能性単分子膜保護金ナノ粒子を基盤とした分子認 識機構の構築
冨田, 健太郎
https://doi.org/10.15017/1441286
出版情報:Kyushu University, 2013, 博士(工学), 課程博士 バージョン:
権利関係:Fulltext available.
機能性単分子膜保護金ナノ粒子を基盤とした 分子認識機構の構築
冨田 健太郎
(2014年 1月)
目次
第1章 序論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
1.1 諸言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
1.2 研究背景 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 1.3 生体内のアニオン種 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
1.3.1 硫酸イオンの関わる薬物代謝機構 1.3.2 尿酸濃度と疾病
1.3.3 神経伝達物質代謝物としての有機アニオン 1.3.4 その他の有機アニオン
1.4 既存のアニオン分析法の特徴 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 1.4.1 無機化学的検出法
1.4.2 機器分析による手法 1.4.3 生物化学的手法
1.5 研究の目的 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・19 1.6 論文の内容構成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20
第2章 原理 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22
2.1 諸言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23
2.2 金ナノ粒子の光学的性質 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23
2.2.1 局在表面プラズモン共鳴 2.2.2 Metal Photo Luminescence 2.2.3 一光子吸収による蛍光 2.2.4 光誘起電子移動
2.2.5 蛍光体間のエネルギー移動 2.2.6 電荷移動錯体の形成
2.3 金ナノ粒子の物理的性質 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34
2.3.1 コロイド化学
2.4 単分子膜 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・44 2.4.1 化学修飾可能な官能基
2.4.2 修飾速度
2.4.3 修飾部位の数の影響
2.5 分子認識化学 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48 2.5.1 イオンレセプター分子の基本的な構造
2.5.2 種々のアニオンレセプター分子 2.5.3 分子認識化学における量子化学計算
2.6 材料合成 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52 2.6.1 金ナノ粒子の合成
2.6.2 金クラスターの合成 2.6.3 有機合成
2.7 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・62
第3章 アニオンレセプター分子の性質 ・・・・・・・・・・・・・・・63
3.1 諸言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・64
3.2 計算化学を補助的に用いた分子の設計 ・・・・・・・・・・・・・・・64
3.2.1 分子骨格の幾何的特徴
3.2.2 イオノフォアが1つの分子とアニオンとの錯生成エネルギーの算出
3.2.3 イオノフォアが2つの分子とアニオンとの錯生成エネルギーの算出
3.3 アニオンレセプター分子の合成・評価 ・・・・・・・・・・・・・・・80
3.3.1 試薬 3.3.2 合成 3.3.3 評価
3.4 アセトニトリル溶液中でのアニオンレセプター分子の錯生成能 ・・・・・82
3.4.1 試料調製・測定操作 3.4.2 紫外吸収スペクトル
3.4.3 錯生成時の1H-NMRの観察
3.5 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・98
第4章 金ナノ粒子を用いた無機アニオン認識 ・・・・・・・・・・・・99
4.1 諸言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・100
4.2 接触角の測定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101 4.2.1 表面改質分子の合成
4.2.2 レセプター分子 (BME)-TMA混合修飾金基板の作製
4.2.3 リン酸を含む液滴に対する接触角測定の結果
4.3 BME-TMA修飾金ナノ粒子の示すアニオン応答の粒子径依存 ・・・・・104
4.3.1 種結晶金ナノ粒子の調製 4.3.2 金ナノ粒子の粒子径の調節 4.3.3 表面への分子修飾
4.3.4 可視-近赤外吸収スペクトルからの粒子径の推定 4.3.5 粒子径の異なる金ナノ粒子のアニオンに対する応答 4.3.6 本節のまとめ
4.4 金ナノ粒子表面への疎水性分子修飾法の開発 ・・・・・・・・・・・・113
4.4.1 表面修飾
4.4.2 置換基の違いによる凝集挙動の変化 4.4.3 表面モデルの考察
4.5 二光子吸収に伴う蛍光の測定 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・125 4.5.1 実験操作
4.5.2 蛍光スペクトルの解析
4.5.3 各種無機アニオン共存下での蛍光強度測定
4.6 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・132
第5章 金クラスターの一光子蛍光による有機アニオン認識 ・・・・・134 5.1 諸言 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・135 5.2 アニオンレセプター分子-PEGSH混合修飾金クラスターの合成 ・・・・・137
5.2.1 金クラスターの合成法
5.2.2 配位子交換 5.2.3 材料の評価
5.3 アニオン共存下での金クラスターの蛍光スペクトル変化 ・・・・・141
5.3.1 無機アニオンへの応答
5.3.2 金クラスターの有機アニオンへの応答
5.4 蛍光消光の考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・149 5.5 まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・151
第6章 結論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・152
参考文献 謝辞
付録 NMR spectra
1
第 1 章 序論
1.1 諸言 1.2 研究背景
1.3 生体内のアニオン種
1.4 既存の簡易アニオン分析法の特徴 1.5 研究の目的
1.6 論文の内容構成
2 1.1 諸言
先のiPS細胞の研究に対するノーベル賞の授与に象徴されるように、医学の発展は 目まぐるしいものがある。しかし、「病気の早期発見」や「予防医学」という言葉に 同じ印象を持つ人はどの程度いるのだろうか。これは、研究の難しさというよりも、
他に理由がありそうである。例えば、病気の早期発見を実現するためには、自覚症状 の無いうちから頻繁に健康診断に足を運び、レントゲンやMRI測定、血液検査などを 受ける必要がある。我々の国は幸いにも医療が充実しており、医療保険制度も整備さ れているが、それでも健診にはお金も時間もかかる。はたしてそのような手間をかけ る人がどれほどいるだろうか。
病気の早期発見や予防をめぐる状況を変えるためには、それを可能とする身近な手 段を確立する必要がある。すなわち、簡易かつ精度の高い在宅診断を可能とする手段 である。本研究で扱う「機能性単分子膜保護金ナノ粒子」が、分子認識というトピッ クスを身近な技術に変え、少しでも我々の生活品質の向上に繋がれば幸いである。
1.2 研究背景
本研究では、金ナノ粒子を用いて、水中のアニオン種全般を対象とした指示薬を構 築することが目的だが、研究背景としては、主な分析分野である生体の、リン酸イオ ン、硫酸イオン、有機カルボン酸誘導体に絞って、分析法を俯瞰する。
生体内には多種多様なアニオンが含まれている。例えば、アデノシン三リン酸(ATP:
Adenosine triphosphate)に代表されるリン酸化合物は、生体内のエネルギーの受渡の 媒体として重要な働きを担っている。また、投薬治療の際には、役目を終えた薬剤が 硫酸イオン誘導体へと変換されて尿中へ排出される。よって、排出された化合物を簡 易かつ目的の情報源に対して選択的な手法で調べることは、生体内の異常をいち早く 知る上で重要となる。
これまで、既存の分析手法(後述)により、人間ドックでの血液検査や新生児のマ ススクリーニングなどでアニオン分析が可能となったことで、病気の予防や早期治療 を行うことが可能になってきた。しかし、既存の手法は一長一短な面があり、しばし ば「相補的な」という言葉を耳にする。すなわち、目的の情報を得るためには複数の 分析手法を組み合わせて使わねばならず、必ずしもすべての手法が安価な値段で実施
3
できるとは限らない。このような状況が障害となり、アニオン分析の応用範囲が狭め られている現状があった。
そこで、本章では、アニオン種が我々の体内でどのように機能または生合成され、
いかに重要な情報源として利用できるかを解説し、それらを測定するために人類が開 発した手段を紹介することで、本材料が目指すべきアニオン分析能力を明確化するこ とを目的とする。
1.3 生体内のアニオン種
私たちの体内では、様々なアニオン種が、エネルギーの媒体物質としてや、脳にお ける信号伝達、代謝による異物の除去機構などのあらゆる場面で登場する。本節では、
その中から薬学や医学的に重要なアニオン種を取り上げ、分析することの意義を述べ る。
1.3.1 硫酸イオンの関わる薬物代謝機構
生体内へと取り込まれた薬剤や毒素などの化合物は、やがて代謝され、糞中、また は尿中へと排出される。特に尿中に排出される代謝生成物は、スルホ基を含んでいる ものが多い。硫酸イオンは生体内において0.3 mM程度の濃度に保たれており1、逐次 二つのATPを消費して活性硫酸(PAPS: 3’-phosphoadenosine-5’-phsphosulfate)という補 酵素へと変換される。2生体内の硫酸誘導体は、スルホトランスフェラーゼの働きに より、対象の化合物と硫酸イオンがPAPSを介してカップリング(硫酸抱合)するこ とで生合成される。3(図1-1参照)
図1-1 硫酸抱合による生体内での薬物代謝。図中のRは薬物の硫酸抱合を受けない
部位。
4
生成したスルホ基を含む代謝物は水溶性が高く、尿中へと効率よく排出される。代 謝生成した硫酸化合物の生成量や、硫酸イオン排出量をモニタリングすることで、投 薬治療において適切な投薬量を見積もる指標として利用できる。4, 5
また、プロドラッグと呼ばれる薬物は、代謝されてから薬理作用を示す。硫酸抱合 を受けた化合物が再び生体内に循環し、生理活性を示す例も報告されている6ことか ら、硫酸イオン誘導体の動態について詳細に調べることが新薬の開発へとつながるこ とが期待されている。7
さらに、神経伝達物質として知られるドーパミンやセロトニンといったモノアミン の、ヒドロキシルラジカルによる酸化ストレスへの暴露にて生成する、6-
hydroxyserotoninや7-hydroxyserotoninの除去にも硫酸抱合が関わっていることが報告 されている。8これらの酸化された神経伝達物質は、低濃度でも細胞の壊死やアポト ーシスを引き起こすため、パーキンソン病やアルツハイマー病との関連性が指摘され ている。9よって、神経伝達物質由来の硫酸化合物の生成量をモニタリングすること は、細胞の酸化ストレスに対する防御機構が正常に働いているのかを知るための指標 として利用できる。
1.3.2 尿酸濃度と疾病
尿酸は核酸塩基であるアデノシンやグアノシンの代謝物として生成する。多くの哺 乳類では、代謝生成した尿酸はallantoinと二酸化炭素に分解され、生物によってはア ンモニアまで代謝されるが、人を含む霊長類の場合、尿酸が最終代謝生成物となる。
この理由として、尿酸が体内においてビタミン Cと同様に抗酸化剤として働くことや、
人の遺伝子にも尿酸分解酵素(ウリカーゼ)をコードする遺伝子が存在しているにも かかわらず、その一部が終止コドンへと変異して不活性化されていることから、進化 の過程で尿酸を分解できない個体が優位に生き残れたものと考えられている。10しか し、尿酸が体内に過剰に存在する場合、高尿酸血症という状態になり、その一部が結 晶化して痛風を発症する。痛風では白血球による過剰な免疫反応が起こったとき、初 めて急激な痛みや炎症などの症状として現れたるため、発症を発作と呼ぶ。
尿酸は腎臓で尿へと排出されるが、近年、腸管からも排泄されることが明らかとな り、この事実を基とした、高尿酸血症の新たな治療法が開発されると期待されている。
5
11しかし、依然として、尿中の尿酸量をスクリーニングすることは尿酸の体内濃度や 腎機能の状態を知る上で重要である。
1.3.3 神経伝達物質代謝物としての有機アニオン
神経細胞は、チロシンを基にしてカテコールアミンと総称されるドーパミンやアド レナリン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質を生合成している。これらの物質は シナプスより放出され、別のシナプス上の受容体たんぱく質へと結合し、神経細胞を 脱分極させたりなどの信号を伝達する。信号を伝えた後の神経伝達物質は、再びシナ プス小胞に貯蔵されるか、モノアミン酸化酵素によってカルボン酸へと代謝される(図 1-2参照)。
6
図1-2 神経伝達物質の生合成と代謝経路。12R,S表記で表した場合、酵素反応により生成 するチロシン(L体)やNoradrenaline(L体13)はR体である。カテコール部位の硫酸抱 合による代謝経路は省略した。酵素の略称(PAH: phenylalanine hydroxylase, TH: tyrosine hydroxylase, DDC: dopa decarboxylase, AAAD: aromatic amino hydroxylase, DBH: dopamine--
hydroxylase, PNMT: phenolethanolamine-N-methyltransferase, MAO: monoamine oxidase, COMT: catechol-O-methyltransferase, AD: aldehyde dehydrogenase, AR: aldehyde reductase, ADH: alcohol dehydrogenase)。化合物の略称(DOPA: L-3,4-dihydroxyphenylalanine, 3-MT:
3-methoxytyramine, DOPAL: 3,4-dihydroxyphenylacetaldehyde, HMA: 4-hydroxy-3- methoxyphenylacetaldehyde, DOPAC: 3,4-dihydroxyphenylacetic acid, DOPET: 3,4- dihydroxyphenylethanol, DOPEGAL: 3,4-dihydroxyphenylglycolaldehyde, NMN:
7
normetanephrine, MN: metanephrine, DHPG: 3,4-dihydroxyphenylglycol, MHPG: 3-methoxy-4- hydroxyphenylglycol, MOPEGAL: 3-methoxy-4-hydroxyphenylglycolaldehyde, DHMA: 3,4-
dihydroxymandelic acid)。
ドーパミンの代謝物であるホモバニリン酸(HVA: homovanillic acid)や、アドレナ リンやノルアドレナリンの代謝物であるバニリルマンデル酸(VMA: vanillylmandelic acid)の代謝量をモニタリングすることは、生体内の神経細胞数の変動の指標となる。
例えば、小児がんとして知られる神経芽細胞腫(neuroblastoma)では、神経堤細胞が 腫瘍化して増殖するため、24時間で尿中に排出される量の範囲が、HVAで2.7-55 mg/24 h、VMAで0.8-107 mg/24 hに増加し、表1-1に示した通常の範囲から大きく外 れる場合がある。14また、副腎髄質や傍神経節のクロム親和性細胞が腫瘍化する褐色 細胞腫においても、尿中の神経伝達物質代謝物の濃度が増大する15ため、尿検査の項 目として重要である。一方で、パーキンソン症候群やアルツハイマー症候群に代表さ れる、神経細胞数が減少する疾患の場合、神経伝達物質代謝物の尿中濃度も減少する ことが知られている。16表1-1に神経伝達物質の主な代謝生成物と、尿中濃度をまと めた。
表1-1 各種神経伝達物質代謝物および尿中濃度。
a: ref. 17, b: ref. 18, c: ref. 14
正常な人の尿中のHVAとVMAの比率(HVA/VMA)は99.82%の確率で4以下と なるが、Menkes病の新生児では、4を超えることが知られている。19これは、銅輸送
ATPase遺伝子(APT7A)に異常をきたしたMenkes病患者では、銅を活性中心に持つ酵
素であるdopamine -hydroxylaseが機能せず、ドーパミンがアドレナリンやノルアド
レナリンへと変換されなくなることが原因である。Menkes病は10万人から25万人に 1人の確率で発症し、出生後即座に発見できなかった場合、難治性の痙攣や重度の骨 粗鬆症、内臓出血などの血管壁障害を起こして死に至る難病である。生後3ケ月以内
Total ammount in Urine Concentrations in Urine
(mg/24 h) (mg/g creat)
Vanillylmandelic acid VMA ND (0.99-2.77)c 2.29 (SD 2.09)b
Homovanillic acid HVA 4.9 (2.42-7.38)a 2.57 (SD 1.91)b
5-Hydroxyindole acetic acid 5-HIAA 5.15 (0.21-2.26)a 2.00 (SD 2.14)b
3,4-dihydroxyphenylacetic acid DOPAC 1.24 (0.21-2.26)a ND
Compounds Abbr.
8
の早期発見・治療を行った場合、神経障害を予防できることから、早期診断法の開発 が望まれている。
カテコールアミン以外の神経伝達物質としてはセロトニン、グルタミン酸、- aminobutanoic acid(GABA)などがあり、生合成されるニューロンの種類が異なるほ か、その生理作用も異なる。これらの神経伝達物質の分泌量や、代謝速度の変化が脳 の活動を制御している。したがって、代謝物の分析手法を開発することは、尿中濃度 の分析以外にも、脳に関わる新薬開発へと発展する可能性がある。
1.3.4 その他の有機アニオン
生体内では酵素を触媒として多様な有機アニオンが生合成されている。全てを紹介 することは困難なため、ヒドロキシ酸およびオキソ酸に絞った上で、これらのアニオ ンに関連する先天的な疾患や生活習慣病との関連性を述べる。
-ケト酸
分岐鎖-ケト酸は、先天的な遺伝子異常で生じるメープルシロップ尿症において、
尿中に多量に含まれることが知られている。20-22本症は、新生児マススクリーニング の検査項目に含まれるアミノ酸代謝異常症としては、フェニルケトン尿症に次いで2 番目に多い頻度で発生している。(フェニルケトン尿症の頻度は1/59,900、メープル シロップ尿症の頻度は1/671,000と報告されている。23)新生児マススクリーニングで は、偽陽性と判断された場合、患者の家族に多大なストレスを不要にかけることにな るため、近年ではタンデムマススペクトル測定による精密な検査が推奨されている。
本症は、生後間もない段階で重度のケトアシドーシスに陥った場合、致命傷となる 危険がある。したがって、可能な限り早期に、分岐鎖-ケト酸を生成するロイシン、
イソロイシン、バリンを取り除いた食事へ切り替える必要がある。先天性の疾患であ るため根本的な治療法は現時点では存在しないが、分岐鎖アミノ酸の摂取量をコント ロールすることで、発育障害や麻痺を避けて成長することができる。
9 β-ケト酸
糖尿病(1型)ではインスリンの分泌が極端に低下するため、ブドウ糖をエネルギーに 利用できなくなる。代替エネルギーとして脂肪酸が消費され(β酸化)、代謝物であ るアセト酢酸(3-OBA: 3-oxobytanoic acid)やNADH(: nicotinamide adenine dinucleotide の還元型)により還元された3-HBA (: 3-hydroxybutanoic acid)、および、その分解生成 物であるアセトンの尿中濃度が増大することが知られている。24生体内はミトコンド リアによって還元性が保たれているため、3-OBAと3-HBAの平衡は3-HBAに偏って いる。血中のケトン濃度が極度に場合、糖尿病性ケトアシドーシスという状態になり、
意識障害などの症状として現れる。しかし、生活習慣の乱れより生じる2型糖尿病患 者の場合、症状を自覚できない濃度で留まる場合が多いため、1型の糖尿病でない場 合でも、ニトロプルシドナトリウムを用いた3-OBA試験紙(次節に解説あり)を利用
して3-OBAを検査することがある。また、加糖された清涼飲料水による急性糖尿病で
は、糖尿病性ケトアシドーシスの症状が現れる。
糖尿病の治療では、症状の指標として主に利用されている血糖値や血中ヘモグロビ ンA1c濃度の観察に加え、簡易自己測定器を利用したケトン体のスクリーニング25を 行うこともある。
γ-ケト酸
-aminobutanoic acid(GABA)は抑制性神経細胞内にてグルタミン酸から生合成さ
れ、シナプス小胞に貯蔵された後、シナプスの間隙へ放出される物質である。統合失 調症※や痴呆、アルツハイマー症候群などにおいて、症状の認められない対照群との 間に脳内分泌量の差が認められる。再貯蔵されなかったGABAはミトコンドリア表面 の酵素群によりコハク酸へと代謝され、クエン酸回路へと組み込まれる。
GABAに関連した尿中バイオマーカーとしては、4-hydroxybutyric acidが挙げられる。
モノアミンオキシターゼにより代謝されたGABAはコハク酸セミアルデヒドとなるが、
これをコハク酸へと分解する酵素が先天的に欠損している場合に、コハク酸セミアル デヒドの体内濃度が上昇する。生体中は還元的であるため、アルデヒド基がアルコー ルへと還元された4-hydroxybutyric acidの尿中濃度の上昇として現れる。なお、この酵 素欠損が発症する確率は極めて低いため、GABAの分析は、β-ケト酸の場合とは大き
10
く異なり、主に脳科学の知見を得るためや、精神病などに対する新薬の開発のために 行われる。
※統合失調症は精神病理学において扱われる症候群であり、多数の要因が考えられる。
その中で、大脳皮質におけるGABA伝達の障害が指摘されている。26なお、本症にお いて尿検査が実施されることは少なく、診断にはNIRS脳計測装置などによる脳の血 流量変化観察が使われている。
1.4 既存のアニオン分析法の特徴
現在、実社会で行われているアニオン定量分析法は、大まかに以下の三つの分類に 分けられる。
(1) 無機化学的検出法 (2) 機器分析による手法 (3) 生物化学的手法
各手法とも異なる特徴を有しており、簡易分析から精密分析まで、用途に応じて使 い分けられている。本節ではそれらの特徴を紹介することで、本研究の目標の明確化 を図る。
(1) 無機化学的検出法
昔から存在する無機アニオン分析法として、各元素の組み合わせで生じる特異的な 相互作用や、化学反応を利用した手法が親しまれている。試験紙などの形に加工され たり、一回分の使用量の容器に小分けされたりすることで、使い切りの簡易測定キッ トとして用いられている。
塩化バリウム比濁法による硫酸イオン検出
硫酸イオンの簡易分析法としては、難溶性の塩である硫酸バリウムの濁度を利用し た分析法がある。本法は濁度測定の専用機器が必要であるものの、3分間で5 ~ 100 mg/Lの硫酸を定量できるキットが市販されている。27硫酸バリウム微粒子の沈降が比 較的速く、測定操作の僅かな個人差から生じる誤差や、サンプルに含まれるアルミニ ウムイオンの影響を受ける。
11 Dimethylsulphonazo III barium complex
硫酸バリウムの析出を利用した分析法として知られる他の方法としては、
Dimethylsulphonazo III barium complexを利用した吸光度測定法がある。28 本法では、
濃度が未知の硫酸イオンを含むサンプルに酢酸とエタノールを加え、これに濃度が既 知の塩化バリウム水溶液を加えて、硫酸バリウムを生成させる。その後、
Dimethylsulphonazo III溶液を加えると、硫酸バリウムの結晶とならずに余っているバ
リウムイオンとDimethylsulphonazo IIIが錯体を形成し、660 nmを中心とした光を吸収 するようになるため硫酸イオン濃度を測ることが出来る。アルカリ土類金属によって 妨害を受けることや、再現性を得るために30分放置する必要があるなどの問題があ るものの、簡便な操作で2.0 ×10-6 ~5.0 ×10-5 Mの硫酸イオン濃度を測れることが報告 されている。29
モリブデン青法
モリブデン青法は、リン酸イオンを分析する手法として古くから親しまれている。
酸性条件下、モリブデン酸イオン(MoO42-)とリン酸を混合すると、Keggin構造と呼 ばれる形態のPMo12O40
3-の錯体を生じる。この錯体を適切な還元剤を用いて、6価の モリブデンの一部を5価に還元する。生成物である複核錯体中には、異なる価数のモ リブデン原子が含まれることになる。すると、異なる二つの価数を有するモリブデン 原子間で、電荷移動に由来する可視光域の吸収帯が生じる。この吸収の極大は主に赤 色光の波長域であるため、生成物の水溶液は青色を呈する。本手法の検出範囲は0.2 ~ 10 mg/Lである。30
本法は比較的簡単な操作でppmオーダーのオルトリン酸イオンの定量が可能である ため、河川の水質検査におけるリン酸濃度測定に汎用されている。しかしながら、日 本の法律において厳しい環境基準の課せられた河川では、リン酸濃度の基準値は5 ppbであり31、モリブデン青法を用いて測定するためには濃縮操作が必要となること や、色の濃淡を利用した検出であるため、低濃度域での定量性が本質的に難しくなる 問題がある。また、試料中の還元性の物質や、一部の重金属酸イオン(WO42-など)
による妨害、還元時のpHや反応温度などの様々な因子により、モル吸光係数や吸収 極大位置が大きく変動するという欠点がある。これらの問題は、モリブデン酸-リン酸 錯体が複雑な構造を有していることに起因している。32
ニトロプルシドナトリウムを用いた簡易ケトン検出
ニトロプルシドナトリウム(sodium nitroprusside または sodium pentacyanonitro- sylferrate(III), Na2[Fe(CN)5NO])はアセト酢酸(3-OBA: 3-oxobutanoic acid)に対して紫 色を呈する試薬である。33, 34反応物であるアセト酢酸が不安定であることもあり、反
12
応生成物の詳細な定性分析は行われていないが、一般的には以下の反応が生じている とされている。
Na2[Fe(CN)5NO] + CH3COCH2COOH + 2NaOH → Na4[Fe(CN)5N=CHCOCH2COOH)] + 2H2O
(Absorption peak at 540 nm)
本法は3-OBAに対して選択的であり、3-HBA(: 3-hydroxybutanoic acid)には応答しな い。前節に既述したように、NADHによる還元により平衡が3-HBAへ偏っているた め、生体内のケト体のごく一部しか測定できないものの、試験紙のようにサンプルへ 含浸するだけで0.5 mmol/L程度まで測定でき、薬局などの身近な小売店において、検 出キットとして50本~100本単位のリーズナブルな価格で手に入るため、最も身近な 疾病診断ツールとして親しまれている。以下に代表的な商品(メーカー)を示す。
Keto-Diastix® (Bayer AG) URiSCAN® (YD Diagnostics)
本法は構造が不明の、不安定な反応生成物が呈する過渡的な色彩変化を利用するた め、反応開始から比色操作までの時間を秒単位で規定する必要がある。また、濃淡に よる色彩変化を用いるため、試験紙による厳密な定量は難しい。
(2) 機器分析による手法
高速液体クロマトグラフィー
現在主流のアニオン分析法は、高速液体クロマトグラフィー(HPLC: High
Performance Liquid Chromatography)である。35-39シリカゲルなどの微粒子が充填され たカラムに、標的としているアニオンを含む混合物のサンプル溶液を送液し、化合物 毎の微粒子表面への吸着力の差を利用して分離する。カラムから流出したフラクショ ンを、紫外吸収分光器や電流計といった検出器で検出する。カラムの分離モードの違 いによって、イオン交換クロマトグラフィー35や逆相クロマトグラフィー36、親水性 相互作用クロマトグラフィー(HILIC: Hydrophilic Interaction Chromatography)37などの 種類があり、試料に含まれる分子に合わせて適切な手法を選ぶ必要がある。例えば、
13
前節で紹介した、尿中に含まれる神経伝達物質代謝物の分析15では、シリカゲルにオ クタデシル基を修飾したカラムを用いる、「逆相モード」が利用されている。
HPLCでは検出器の選択も重要である。検出器を適切に選ばなければ、せっかく分 離操作したサンプル中の物質を見逃してしまうことがある。例えば、一般的に用いら れている紫外光の吸収を用いる検出器(UV検出器)では、設定した波長域の吸光度 が小さい物質では、検知することが難しくなる。また、電気伝導度を用いた検出器で は、電気的に中性な分子を検出することが出来ない。そのため、内容物を予め予測す る必要性や、分析を行う人の知識や技量を要する分析手法として認知されている。こ うした欠点を解決する検出器として、誘導結合プラズマ(ICP: Inductively coupled plasma)に原子発光分光法(AES: Atomic emission spectrometry)や質量分析法(MS:
mass spectrometry)を組み合わせたものが利用されており、フラクションの定性分析や、
検出下限の大幅な向上が試みられている。15,38このように液体クロマトグラフィーを、
他の分析機器に組み合わせることで、それぞれの分析法の欠点を補えることも強みで ある。例えば、MSによる分析の場合、混合試料のままでは式量の等しい化合物のフ ラグメントが混ざり合うため、定性が著しく困難になる。しかし、液体クロマトグラ フィーによって予め分離することで、個々の化合物のスペクトルを取得することが可 能となる。39MSを利用した分析は有機物に対する優れた定性能力も相まって、新生児 マススクリーニングにおいても採用され始めており、医療制度の充実した国における 常用分析機器となりつつある。
しかし、ICP -AESやMSといった検出器はコストがかかり、導入できる施設も限ら れてくる。また、HPLC自体のコストもしばしば問題となる。廃液の問題からon-site 分析には適さないことや、サンプルの性状を整えてバックグラウンドの影響を避ける 必要があり、分析者に一定の技術を要求することなどから、疾病マーカーの在宅診断 への応用には課題が多い。
キャピラリー電気泳動
試料溶液に満たされた、内径100 m以下の細管の両端に電圧をかけて行う電気泳 動を、キャピラリー電気泳動と呼ぶ。通常の電気泳動と比較して、微量の試料の分離 が可能であること、廃液が少ないこと、電流量が小さくて済むため、高電圧を印加し た迅速な分離が可能であることなどの利点がある。HPLCと同じく、分離の方式によ
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っていくつかの種類がある。代表的な分離モードとしては、電気泳動、動電クロマト グラフィー、ゲルによる分子ふるい、等電点、等速電気泳動が挙げられる。40中でも、
試料溶媒に、検出標的の化合物と相互作用するミセルやホスト分子を混合して分離す る動電クロマトグラフィーは、電気泳動に加えて逆相クロマトグラフィーのような分 離条件が付与できるため、電気泳動できない中性分子でも分離できる点で優れている。
例えば、Mariaらは、ゲスト分子としてスルホ基によって電荷を付与したシクロデキ ストリンやクラウンエーテルを試料に混合することで、光学異性体を含む神経伝達物 質の混合試料から、個々の光学異性体を分離できることを報告している。41
キャピラリー電気泳動の試料セルはチップ化しやすく、機器分析としては小型化が 可能な部類になる。ただし、高電圧を要するため、製品化する場合には安全対策を万 全にする必要がある。
(3) 生物化学的手法
酵素を用いたイムノアッセイ
分離操作を必要としない既存の分析手法として、最も実用的な物質選択性を有する 手法には、酵素と検出標的分子の特異的な相互作用を利用した分析がある。昨今のラ イフサイエンス分野における盛んな研究開発の結果、検出対象とするアニオンに対し て特異的に結合する機能を持つ酵素を、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR: Polymerase Chain Reaction)によって増幅、大腸菌などの微生物に導入することで、工業的に生産 することが可能となった。酵素を利用した分析手法は直接法や競合法など数々存在す るが、その中でも、Sandwich ELISA( : Sandwich Enzyme-linked immunosorbent assay)を 利用した手法(図1-3)は生体由来の有機アニオンに対して優れた感度と選択性を有 する。42図1-3の例では、抗体を固定した基板に抗原を結合させ、その後、始めから 標識した他の抗体で抗原をサンドイッチする単純なプロトコールを示したが、他にも 多様なプロトコールが考えられ、感度や選択性を高めることが可能となる。
図1-3 Sandwich ELISAのプロトコールの例。
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例えば、Sandwich ELISAを用いたバニリルマンデル酸(VMA: Vanillylmandelic acid)
の検出 42では、血清、血漿、均一化された細胞、尿などのあらゆるサンプルについて、
0.156-10 ng/mLという低濃度域(検出下限0.039 ng/mL)の定量が可能である。検出に
やや時間がかかること(VMAの場合1-4.5時間)、酵素の保存期限に限りがあること などから、在宅診断に用いるには課題が多いものの、HPLCや分析の専門家を有しな い病院においても、比較的簡易に高感度分析を実現できる点で優れている。
色素タンパク質誘導体
その他の生物化学的手法としては、色素タンパク質を応用したアニオン分析も、実 用的な方法として知られている。例えばBergらはcircularly permuted蛍光タンパク質
(蛍光タンパク質のC末端とN末端を適当なリンカー配列で繋ぎ、内部に新たにN 末端とC末端を作成した変異体)として、黄色蛍光タンパク質に、ATP(: adenosine
triphosphate)の結合によって大きなconformation変化を引き起こすバクテリア調節タ
ンパク質(GlnK1)組み合わせることで、ATPとADPの比率を可視化するレセプター 分子を報告している。43このような色素タンパク質を利用したプローブ分子は、細胞 間で交換されるシグナルとしての低分子を可視化できるため、医学や薬学の分野で生 体組織の観察に常用されている。44
上記の既存の手法は優れた感度や物質選択性を有する反面、機器のコストや製造コ ストが高く、pH 指示薬のような簡便性を実現することは本質的に難しい。そのため、
アニオン分析が活用される場面は、病院や研究所などでの、特殊な用途に限定されて いる現状がある。
酵素電極
酵素電極を利用した成分分析として、グルコースオキシターゼやグルコースデヒド ロゲナーゼを利用した、グルコースセンサー45や、D-3-hydroxybutyrate dehydrogenase を利用したケトン体センサー46が普及している。
酵素電極には、酵素反応の活性中心の金属を、電極電位を走査して直接的に酸化還 元する直接電子移動型と、NAD(: nicotinamide adenine dinucleotide)やFAD(: flavin adenine dinucleotide)といった電子伝達を担う補酵素と、メディエーターと呼ばれる化 合物を介して酸化還元するメディエーター型がある。図1-4に各酵素電極の構造を示 した。
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図1-4 直接電子移動型(A)とメディエーター型(B)の酵素電極の構造。図中の
NADHは補酵素NADの還元型を意味する。酵素は酸化反応を触媒する場合を想定し た。
直接電子移動型の酵素電極では、電子が酵素の骨格中を移動したり、骨格で隔たれ た空間を飛び越えたりする必要がある。よって、電極の材質だけではなく、表面の微 細構造に対して酵素がどのように接しているかが重要となる。そのため、電極に微細 なピラーを立てたり45、ミクロ細孔を形成させたり47などの加工が施されている。
一方、メディエーター型の電極では、利用する酵素の選択に加えて、メディエータ ーの改良も高感度化への要点となる。例えば、Forrowらは、1,10-phenanthroline
quinoneをメディエーターとして用いることで、脱水素酵素であるD-3-hydroxybutyrate
dehydrogenaseの活性を妨げずに電極を長寿命化できることを報告している。46メディ
エーターに求められる具体的な性質は、(1)酵素と基質の反応を妨げずに酵素を電極に 長期間固定できること、(2)酵素と電極の間の電子移動を迅速に仲介できることである。
よって、単に酸化還元すれば良い訳ではなく、酵素の反応に固有な酸化還元電位と、
電極の走査電位の範囲で、数千回以上繰り返す酸化還元反応を受けるのに耐える必要 がある。このような厳しい条件を満たすメディエーターとして、フェロセンやその他 の遷移金属錯体、キノン類などの化合物が用いられている。
酵素を固定した電極の寿命は、通常、常温保存の場合 18 ヶ月程度と言われている。
酵素の脱離や失活はもとより、電子伝達体の分解など、複数の構成要素が変化するこ とで、検出対象とする物質の定量性が損なわれてしまうことが知られている。
17 酵素反応を用いた比色分析
低濃度のリン酸イオンやフェノールなど、多くの低分子の定量に適した汎用的な方 法として、酵素反応に伴う酸化性物質や還元性物質を介した比色分析法が実用化され ている。
酸化性物質を利用した分析としては、種々のオキシターゼの反応副生成物である過 酸化水素濃度を、4-アミノアンチピリンなどの求核試薬と(New) Trinder’s reagent48, 49の カップリング反応にて生成する色素の吸光度測定を行うことで、目的物を定量する方 法が知られている。具体例としてリン酸の定量の場合の操作を述べる。リン酸を含む サンプルにイノシン酸を加え、プリンヌクレオシドホスホリラーゼによってヒポキサ ンチンとリボース-1-リン酸へ分解する。生成したヒポキサンチンをxanthine oxidaseに よって尿酸と過酸化水素に分解し(図1-5の反応行程1)、生成した過酸化水素によって 4-アミノアンチピリンとTrinder’s reagentがperoxidase存在下、カップリング反応を生 じることで色素が生成する(図1-5の反応行程2)。
図1-5 New Trinder’s reagentを用いた比色分析。R1~3は置換基。
モリブデンブルー法と比較して5倍程度高感度であり、濃度0.05 ~ 2.00 mg/Lのリン 酸イオンを5分間で検出出来る簡易測定キットが市販されている。50生体関連試料に 用いる場合、試料中に内因性のヒポキサンチンが含まれている。よって、定量操作を する前に、試料中のヒポキサンチンを同様の操作で尿酸と過酸化水素に分解し、生成 した過酸化水素を求核試薬非共存下にてTrinder’s reagentを用いることで消去しておく 必要がある。
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酵素反応に伴って生成した還元性物質を利用して行う低分子分析法としては、脱水 酵素などの酵素反応で生じるNADHを還元剤として、テトラゾリウム塩を還元するこ とにより生成するformazan色素の吸光度測定が知られている。51,53
図1-6 Formazan色素を用いたNADHの比色分析。R1~3は置換基。
formazan色素の生成量は生きた細胞の数に対応することが知られているため、単純
に細胞数をカウントするために用いられることもある。生きた細胞を含まない試料で は、脱水素酵素の種類に応じて選択的な低分子分析が可能となる。例えば、ケトン体 である3-hydroxybutanoic acidの分析では、酵素として3-hydroxybutyrate dehydrogenase を利用することで0.1 ~10 mmol/Lを定量出来ることが報告されている。54,55
酵素反応により生じる酸化還元分子を介した手法は、利用する酵素の種類を置き換 えるだけで様々な分子を定量できるため、汎用性の高い方法と言える。一方で、試料 中に他の酵素や微生物、酵素反応を阻害する薬剤などが含まれている場合、目的物の 定量が困難になることがある。
既存のアニオン分析法の性能や特徴について表1-2にまとめた。
表1-2 既存のアニオン分析法の性能および特徴。
19 1.5 研究の目的
本研究では、前節でまとめた既存のアニオン分析手法が不得手とする、簡易・高選 択的、かつ、汎用性の高いアニオン分析手法の実現に向け、金ナノ粒子を基盤とした アニオン指示薬を創造することに目標を定めた。具体的には、アニオンの吸着が金ナ ノ粒子の光物性に変化を及ぼす系を構築するため、「金ナノ粒子の表面にアニオンレ セプター分子を導入することによって、分子認識能を付与した材料」(図1-7)を合 成した。
図1-7 本材料の概要と基本戦略
アニオンレセプター分子とは、アニオンをゲストとするホスト分子の総称である。
検出目標とするゲスト分子に対して選択的となるように、自在に設計することができ る。アニオンレセプター分子は、有機溶媒中のアニオンに対して優れた感度を有する が、水中では溶媒和による低感度化が甚だしく、疾病マーカー分析に用いるには問題 があった。そこで本研究では、金ナノ粒子の表面に局所的な疎水的環境を構築し、そ こへアニオンレセプター分子を埋め込むことで、レセプター分子単体では難しかった、
水中のアニオンを検出する課題に取り組んだ。局所的な疎水的環境を得るためだけな ら、ミセルやベシクル、デンドリマーなどの有機構造体でも良いが、苦労して溶媒和 を避け、レセプター分子がアニオンと錯生成出来ても、それが信号の変化として捉え られなければ意味がない。金ナノ粒子であれば、アニオンの吸着が引き金となって生 じる凝集に伴う、色彩変化を用いてアニオンの存在を可視化できる。さらに、金ナノ 粒子の有する二光子吸収に伴う蛍光や、金ナノ粒子を量子サイズ効果が現れるまでダ ウンサイジングすることで得られる、一光子吸収に伴う蛍光も有しており、検出目的 のアニオンの存在を可視化する上で、金ナノ粒子は優れた性質を有する。
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粒子の凝集に伴う色彩変化を利用したアニオン吸着の可視化では、アニオンの吸着 を、粒子の凝集に導く機構そのものを創造する必要がある。そこで、アニオン吸着を 粒子の表面電位変化へと誘導可能な分子膜を設計し、無機アニオンを題材として、そ の凝集挙動や表面物性の変化を調べた。得られた結果をもとに、表面で起きている吸 着現象を説明するためのモデルを提案した。
また、有機アニオンの検出にあたっては、金クラスターの蛍光を利用した検出手法 の構築に挑戦した。有機アニオンの場合、アニオン部位以外の部位も識別する必要が あるため、光誘起移動などの蛍光消光機構と組み合わせることが有効だと考えたため である。そもそも、微粒子の蛍光は金ナノ粒子に限ったものではなく、半導体ナノ粒 子や蛍光性ポリマー微粒子などを用いても得られるものだが、金ナノ粒子の金-硫黄間 の結合56の利便性や蛍光退色への耐久性の高さ、生物毒性の低さなどの総合的な性質 を考慮すると、実用的な分子識別手法を構築するためのプラットフォームとして、金 ナノ粒子ほど利便性の良い材料は珍しい。
いずれの手法においても、検出対象とする生体内の低分子に対して、いかに選択的 な表面を得るかが重要な研究課題となる。本研究では、金-硫黄間の結合を利用して、
表面に疎水的な環境を構築すべく、カチオン性界面活性剤誘導体による単分子膜や、
鎖状の両親媒性ポリマーの成す高分子層に着目した。詳細については第2章にて取り 上げるが、これらのソフトな界面は、生命の巧みな知恵を連想させるものである。具 体的には、生命が脂質二重膜によって区画分けされた構造を持ち、物質を局在化させ ることで高度な機能を発していることを連想させる。そして、科学技術は、この生命 のもつ機能の仕組みに習い、それを再現しようという試みの下に発展してきた。ソフ トな界面で分子を識別しようとする本研究の試みも、そうした思想に支えられている。
1.6 論文の内容構成
本章ではアニオン分析をめぐる社会的な需要と、既存の手法の利点や課題について 述べることで、本研究に取り掛かった目的まで導入した。
第2章では、本研究の材料を構成する、金ナノ粒子やアニオンレセプター分子の物 性について解説し、本材料を設計するに至った理由を明らかにするとともに、目的と する材料を得るための議論を深めた。第3章では、分子膜へ導入する前の、アニオン レセプター分子単体の性質について詳細に調べた結果を紹介した。第4章では、前章
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で明らかにした性質を有するアニオンレセプター分子を、カチオン系界面活性剤誘導 体を修飾した金ナノ粒子の表面へ導入し、無機アニオンの検出に取り組んだ成果を紹 介した。第5章では有機アニオンの簡易検出に向け、金クラスターの蛍光を利用した アニオン分析法の可能性を模索した。最後に、第6章にて本研究を総括し、本研究の 発展が実社会に与えることのできる変化についての著者の考えを述べた。
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第 2 章 原理
2.1 諸言
2.2 金ナノ粒子の光学的性質 2.3 金ナノ粒子の物理的性質 2.4 単分子膜
2.5 分子認識化学 2.6 材料合成 2.7 まとめ
23 2.1 諸言
本章では、本研究を進めるにあたり、必要とした材料調製や物性に関する事柄をま とめ、材料設計における基本戦略の明白化とそれによって導かれた簡易アニオン分析 手法のコンセプトについて詳細に説明する。
2.2 金ナノ粒子の光学的性質
金ナノ粒子の物性は原子クラスターレベルからサイズが増加するにつれ、離散的な エネルギー準位を有する状態から、金属的な物性へと変化する(図2-1)。Ramakrishna らは、二光子吸収断面積の粒子径依存性が2.2~3 nm(Au原子数にして309~976個に相 当)において不連続となることを理由に、この粒径範囲に粒子が金属的に振る舞うと論 じている。57
図2-1 金ナノ粒子のサイズに依存した光学的性質の変化。
2.2.1 局在表面プラズモン共鳴(LSPR: Localized Surface Plasmon Resonance)
貴金属ナノ粒子のコロイド溶液は特徴的な色をしている。これは良導体である貴金 属ナノ粒子内の自由電子が光の電場によって集団的に振動し、共鳴波長の光のエネルギ ーを吸収するためである58。金ナノ粒子の場合、球状粒子はその粒子径(5 ~ 200 nm)に 応じて波長520 ~ 540 nm程度の緑色光を吸収するため、赤から赤紫色を呈している。
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その他の形状としては棒状粒子(Nanolods) 59や正十面体などの多面体60、平板三角形
(Nanoplates: 正確には正四面体の頂点が切断された形状60やそれが底面で張り合わされた
形61、立方体(Nanocubes)59、錐を底面で張り合わせた形状のもの(Nanobipyramids)59、トゲ トゲとしたボール状の粒子62などが知られており、形状ごとにLSPRの極大吸収波長の 数や吸収強度が異なる。
特に、金ナノロッド(図2-1参照)は、その2つの極大吸収波長のうち長波長側の吸収 波長がロッドの長軸の長さに比例し、63, 64生体を透過可能な近赤外光を効率よく吸収す るよう設計できるため、癌細胞の光熱変換療法への応用が可能な材料として注目を集め ている。金ナノ粒子の形状の違いに起因する光の電場による双極子モーメントの大きさ については、有限差分時間領域法(FDTD method: Finite Difference Time Domain method)
によって計算できる。これは、粒子をYee格子(三次元空間をxyz軸に垂直な面で分割 してできる格子)に分割し、Maxwell方程式(Faradayの電磁誘導の法則とAmpereの法 則)を用いて電場強度および磁場強度を別々の格子の点で逐次的に計算する方法で、プ ログラム化した製品が無償でインターネット上65において入手可能である。
LSPRの共鳴波長は、粒子とその周囲の誘電率の差に感受性を示す。 59この応答強度は、
球状の粒子よりも、金ナノロッドの方が大きく、LSPRに帰属される二つの極大吸収波長 のうち長波長側の吸収極大波長位置が、表面への化合物の吸着による誘電率変化に応じ てシフトする。可視-近赤外吸収スペクトル測定による、LSPRピークシフトの誘電率依 存性を応用したセンシングは、顕著な誘電率変化を生じるタンパク質の検出へ多用され る。しかし、微小な誘電率変化しか生じない小さな標的分子の検出には、適さない。し たがって、本研究では後述の凝集による色の変化を利用した。
図 2-2 局在表面プラズモン共鳴。
25 凝集体の光学的性質
可視吸収スペクトルの測定は金ナノ粒子の凝集状態変化に関する情報も得られる。凝 集状態の金ナノ粒子は図2-2に示した電気双極子が相互作用(LSPRカップリング)し、
分散状態の金ナノ粒子のLSPRによる吸収波長よりも長波長側の赤色光および近赤外の 光を吸収するため、金コロイド溶液の色は青~紫色に変化する。さらに、凝集によって 長波長域の散乱光も増大するため、可視吸収スペクトルの形状はより複雑になる。
凝集した球状粒子のLSPRカップリングの極大吸収波長位置については、一つの金ナ ノ粒子の場合と同様のFDTD計算で求めるか、金ナノ粒子をひとつの電気双極子として 近似して計算すれば求めることができる。また、大きさの異なる二つの金ナノ粒子が接 近した際の、色の変化がどのようなLSPRカップリングを示すかについては、分子の結 合性軌道に例えたユニークなモデルが知られている(図2-3)。66
光電場によって誘起した電気双極子 p1、p2が平行もしくは逆平行になる組み合わせは、
同軸上で同じ方向を向く(:σ)、逆平行(:π)、順平行(:π*)、同軸上で向かい合わせ
(:σ*)の4パターンで表される。そのうち、双極子間の反発エネルギーが最も小さいの はσであり、順にπ、π*、σ*となる。このモデルの優れているところは、二つの粒子の 双極子モーメントが等しい場合にπとσ*は双極子間でエネルギーを打ち消しあうため吸 収スペクトルには現れないということが直感的に分かる点や、LSPRカップリングした際 に短波長側の極大吸収波長位置が分散状態の位置よりわずかに短波長シフトする理由を 共鳴エネルギーの増加と関連付けられる点である。加えて、Sheikholeslamiら67はこのモ デルを大きさの異なるニ粒子モデルや、ヘテロな元素のニ粒子モデルに拡張してLSPR カップリングによる吸収スペクトルの形状を説明している。
図2-3 LSPRカップリングを分子軌道にあてはめたモデル(左)ニ粒子の双極子 モーメントの大きさが等しい場合、(右)双極子モーメントが異なる場合。
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実際のコロイド溶液の凝集状態はニ粒子ではなくいくつもの粒子が凝集しているが、
光の波長に対して粒子が充分小さいことを考慮するとすべて平行方向の双極子モーメン トと見て差し支えないことがわかる。
可視吸収スペクトルをより詳細に理解するためには、上記のLSPRカップリングによ る吸収に加えて、凝集体の光散乱による減光分を考慮する必要がある。凝集体の散乱に ついてはXuら68がMie散乱を凝集体に拡張したGMM(: Generalized Multiparticle Mie)
法によって計算することが可能である。Zhongら69はこのGMM法に金の反射率を適用 し、金コロイド溶液の可視吸収スペクトルについて粒子径および粒子間距離、直線上に 整列した粒子についてシミュレーションを行った。その結果、散乱光の長波長シフトは 粒子間距離が近づく、粒子が大きい、凝集体の粒子数が多い、の三つの条件で生じるこ とを示した。
以上のように金ナノ粒子のコロイド溶液の可視吸収スペクトルの測定で得られる情報 は複雑であるものの、微粒子の凝集状態を知る上で有用である。以下の図2-4にこれら の因子と短波長側のRayleigh散乱(図2-4、左端)を考慮した金ナノ粒子の吸収スペクト ルの一般的な形状とその構成成分を分散状態および凝集状態についてまとめた。
図2-4 吸収(減光)スペクトルの構成成分
上:分散した金ナノ粒子の吸収(減光)スペクトル、下:凝集体の吸収(減光)スペクトル。