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︒ 慈 恩 寺 遺 跡

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(1)

2004年出上の木簡

賀 滋

︒ 慈 恩 寺 遺 跡

 1 所在 地    

︼豫 賀 県蒲 郡生 安土 大町 学 慈 恩寺  2 調査 期 間     一九 人二 年

︵昭 57︶ 九 月

︱ 一九 人三 年 月二  3 発 掘機 関    賀滋 県教 育委 員会

・⑪ 滋 賀県 文化 財保 護 協会  4 調査 担当 者  石 橋 正嗣 5  遺 跡 の種 類  集落 跡  6 遺 跡 の年 代  古墳 時代 前 期

︒室 町時 代 7  跡遺 及 木び 簡 出土 遺 構 の概 要 慈 恩寺 遺跡 は︑ 現在 の安 土浄 厳 付院 近 所に 在 たし 慈 恩寺 跡の 推と 定 され る遺 跡 であ る︒ 慈 恩寺 は︑ 近 江守 護佐 々木 頼氏 母が の菩 提 を 弔 う た め

︑ 延 文

・康 安 年 間 全 五 エハ ー 三 全 じ 建に 立 し た と 伝 え る 応︒ 永 一七 年 一︵ 四 一〇

︶ 一〇 月 に 守 護 佐 々木 氏 慈が 恩 寺 に年 貢

半 分 を 寄 進 す る と た し 文 書 期  の中

に ﹁守 護 方 私 寺

﹂ と あ 廊 り

佐 ︑ 々木 氏 の書 提 寺 であ

っ た

︵﹁ 東 寺 雑 掌 申 状 案

︵東

寺百 合文 書 函ル 一三 百D

︶︒

し かし

︑ 戦国 時代 以来 しば しば 兵 火 さに ら され

︑ 最後 は織 田信 長 の近 江 侵攻 によ り廃 寺 と な たっ と うい

︒ 一九 二八 年 県に 営 固場 整 備事 業 に伴 い発 掘 調査 行が なわ れ︑ 慈 恩 寺 に関 わ る遺 跡 の検 出 期が 待 され た︒ かし し︑ 調査 地 域 から は︑ 寺 院 関に わ る明 確 な遺 構 の検 出 なは く 室︑ 時町 代 と みら れる 大 規模 な 池 を はじ め︑ 溝

︒井 戸な どが 検 出 され

︑ これ と 別は 古に 墳時 代前 期 の竪 穴 住居

一三 棟 と 土坑 が検 出 さ れた 出︒ 土 たし 遺 物 は︑ 室 町時 代 属に す る大 量 の土 師器 皿

・陶 磁 類器

・瓦 類

︒石 製 五輪 塔 と柿 経と み られ る木 簡 及︑ 古び 墳 代時 期前

古の 式 土師 器 であ る︒ 柿 経を 含 む室 町 代時 の遺 物 の大 半 は︑ 池 より 出 土 した

︒ 柿経 の出 土 し た池 は︑ 層土

出・ 土土 器な ど か らそ

の形 成 期時 を 二 期時 想に 定 でき

︑ そ れぞ れ の時 期 に柿 経 が伴

い︑ 東

︒西 ニ カ所 より 出土 し て いる

︒ 東 側 の地 点 から 細は 幅 で両 面 に写 経 の施 さ たれ も のと 同︑ くじ 細 幅 で︑ 片 面 に のみ 写経

の施 さ たれ も の の︑ 二種 類 が出 土 し て いる

︒ 一方 西︑ 側 の地 点 か はら 幅 が広 く 片︑ 面 に のみ 写 経 の施 され もた の 出が 土 し て いる

︒ これ ら三 種 類 の柿 経 は︑

いず れも 木 目 のま

すっ ぐ 通 たっ ノヒ キを 使 用 し てお り 頭︑ 部 圭は 頭状 であ る︒ 頭部 左右 切に り込 みは 認 めら ずれ

︑ 二〇 本 把一 根で 元を 紐 くで く たっ も のや

︑ い く つか の経 巻 まを めと て

﹁タ

﹂ガ をは めた 態状 あに るも のも 認 めら れな か たっ

︒ な お︑ 今回 出土 し た柿 経 うの ち釈 読 きで たも のは 合︑

(2)

計 三七 九点 であ る︒ 柿経 は︑ 池跡 の東 西 ニ カ所 で検 出 たし も ので あ るが

︑ そ のお のお のに 関連 遺 物 が認 めら れ る︒ まず 東︑ 側 の地 点 の細 幅 両面 写 経 の柿 経 伴に う も のと し ては 木︑ 製 の小 塔 あが げ られ る︒ これ は 材一 から な てっ おり

︑ 総高 わず か人

七・ 帥と 小型 のも の で︑ 方 形 の基 礎 部 の 上 に ふく ら みを も たっ 球 形 近に い塔 部身 と そ の上 に笠 部︑ さら に笠 部 の中 央 より 棒 状 の突 出 を作 り出 し て いる が︑ 全体 的 に腐 蝕 が著 し いた め塔 の種 類 は判 断 がし た い︒ ただ

︑ こ の突 出 部 が五 輪 塔 の空

︒ 風輪 あに た る部 分 で︑ 腐 欲 よに

てつ 棒状 にな

たっ と考 え るな ら ば︑ 奈良 の元 興寺 極 楽坊 や当 麻寺 にそ の類 例 が認 め られ 鎌︑ 倉 代時 から 室 町時 代 にか け て のも のと いえ うよ

︒ 次 に︑ 西側 の地 点 の広 幅片 面写 経 の柿 経 に伴 う 遺物 と し ては 土︑ 師 皿と 瓦質

の火 舎 があ げ ら れ る︒ 土師 皿 は退 化 ヘソ 皿 の形 態 を残 し て るい も ので 底︑ 部 外面 中央 わに ず かな らが 凹 みを 有 し︑ 日縁 端 部 付近 に 一条 の沈 線 入が るも ので あ る︒ 沈 線 は有 す るも の の︑ 底 部 の 凹 みは 認 め られ な い︒ 瓦 質 の火 舎 は 口径 二三

m程 のも ので 小破 片 の 残存 であ るた め詳 細 に つい ては 不 明 あで る︒ とも あ れ これ ら 土の 器 は いず れも 室 町時 代 期後 か ら桃 山 代時 にか け て の特 徴 を有 す るも の であ り 前︑ 述 の木 製小 塔 より 時代 が 下が るも のと 考え て るい

  8 木 簡 の 釈 文

・ 内 容 ω  

︒ ﹁ 了 無 凝 如 彼 井 木 叢 林 諸 薬 草 等 而 不 自 知

︒ ﹁                                          一 一一  ↓/ 一  一一 一  卜ф ︵∞

Ю∞ ︶﹀︿ × o ∞ト

②  

﹁ 上 中 下 性 如 来 知 是 一 相 一 味 之 法 所 謂

×

×

0  

﹁脱 相 離 相 減 相 究 党 涅 槃 常

■ 寂 滅 相 終 帰 於

×

×

い  

﹁ 空 仏 知 是 已 観 衆 生 心 欲 而 将 護 之 是 故

×

×

⑬   即 ﹁ 為 説 一 切 種 智 汝 等 迦 葉 甚 為 希 有 能

×

×

0  

﹁ 如 来 随 宜 説 法 能 信 能 受 所 以 者 何 諸 仏

×

×

O  

﹁       法 尊 随 宜 説 難 解 難 知 本 時 尊 世 欲 重 宣

×

×

①  

﹁ 義 而 説 掲 言                    

∞ ︵ こ 溢 要 P

①  

﹁ 破 有 法 王 出 現 世 間 衆 随 生 欲 種 種 説

×

×

ω

⑩  

﹁ 如 来 尊 重 智 慧 深 遠 久 駄 斯 要 不 務 速

×

×

(3)

2004年出土の木簡

釈読

でき 柿た 経 の内 訳 は︑ 細 両幅 面写 経 一四 三点 細︑ 幅片 面写 経 一七 点 広︑ 幅 片 面写 経 二 一九 点 の合 計 三 七九 点 であ る︒ 但 し︑ 長 さ ニ ー三

伽の 小破 片 を はじ め経 文 部分

の欠 損 が著 し もい の︑   一本 と し て数 え るに 不は 適 当 なも の︑ あ る いは 土 圧が 抜 けず に密 着 たし まま の塊 状 のも のな もど いく つか あ るた め︑ そ の正 確 な出 土点 数 不は 明 あで る︒ 点数 厖が 大 であ るた め︑ こ こで 広は 幅 片面 写経 の 部一 例を 示 し て紹 介 たし 妙︒ 法 蓮華 経巻 第 三薬 草 喩品 第 五 のう ち の 一連 の部 分 であ る︒ 0 には 書き 損 じ の訂 正︑ い には 脱字 補 入が みら るれ

︒ さ て︑ こ 2 二種 類 柿の 経 を形 態 別 比に 較 一覧 す ると 左︑ 表 よの う なに る︒ 筆跡 は太 字 や細 字 整︑

った 字 や曲 が たっ 字 など 個 性豊 か な も のが 多 く 書︑ 体 行は 書

・草 書

・楷 書 を使 用 し︑   一人 仕の 事 なで い こと は明 白 あで る︒ 経典 は法 華 経 人巻 二人 品 のみ で︑ 開 結 二経 盆

︹ 量義 経

・観 普賢 経︶ 解は 読 たし も のに は含 ま れ て いな か たっ

︒ 慈恩 寺遺 跡出 土柿 経の 形態 別比 較

方 写

法 経 削り剤ぎ 削り剥ぎ 割り剖ぎ 製作方法

滑らか 滑らか やや粗い 写経面

四五︒二

一九 六・

※ 二七・四

長 さ

︵伽

︵最 長 値

・九

︵J

・ ○〇 ・

○ 一 六 二 二 i

O・

iO

・ ○

○ 一 四 五 六

︒〇 三 一

︒ 一 一

厚さ︵伽︶

灘 荘

(4)

これ ら の点 と全 体 を みた 上 で︑ 分 類整 理 たし 結 果 は次 の通 り であ やZ︒

①   両面 写 経 の場 合 は︑  一 般的 な 二〇 本 把一 を必 ず もし 巌守 し て い な いも のも あ る︒ 但 片し 面 写経 は 一把 の本 数 は不 詳

②  巻 数

︒品 題 法は 華 経 該に 当 し︑ 他 の経 文 は入 てっ いな い︒

③  広 幅片 面写 経 は校 正 が施 され おて り

﹁皆 校﹂

﹁校

﹂ の記 入 があ る︒ 他 二の 種 類 も校 正 され ては いる が︑ 整然 と たし も ので はな い︒

④  番 号記 入 がと こ ろど こ ろ見 受 けら れる 後︒ の作 業 例︑ えば 大 把 にす る時 など の煩 を避 け るた め あで ろう

⑤   同じ 経 文を 書 いた も のは 細 両幅 面写 経 は二 点 広︑ 幅 両面 写 経も 二点 あ る

︵細幅 片面 写経 は数 が少 くな 不詳

︶︒

こ のこ と か 法ら 華 経 の大 把 は 四 つ以 上あ

たっ と推 定 さ れ るが 実︑ 際 の出 土量 は少 くな 腐 蝕 が 進 ん で るい と いう 事実 否は め な い︒ な お︑ 細幅 両 面写 経 に

﹁南 無 阿弥 仏陀

﹂ と 六字 名号 が記 入 され た も のが 点四 あ る︒  9 関係 文献 賀滋 県 教育 委 員 会

﹃ほ 場 整 備 関 係遺 跡 発 掘 調査 報 告 書 X 1 5 1 1﹄ 全 九人 三年

︶ 同 和﹃昭 五七 年 度滋 賀県 文化 財調 査年 報﹄ 盆 九八 四年

︵両 肺封 子 ︵ 鰤

︿ 安 趾剛

懃膊 緯顔

資料 陸一

館し

参照

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