• 検索結果がありません。

上原専緑 の世界史理論

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "上原専緑 の世界史理論"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

上原専緑 の世界史理論

一世界史の認識方法を中心 に‑

有田 嘉伸*・小畑 晃一* *

(平成16年10月31日受理)

A StudyontheView ofWorldHistoryofSenrokuUehara

YoshinobuARITA*・KoichiKOBATA**

(ReceivedOctober31,2004)

1. は じめに

わが国の学校教育 における歴史学習 は,小学校,中学校,高等学校の各段階において行 われている 小学校段階では 「人物 ・文化遺産を中心、とした主題史的学習」を,中学校段 階では 「世界の歴史を背景 とした日本の歴史の学習」を実施 している。 また高等学校では,

日本史 と世界史 の二科 目が置かれ, それぞれA科 目,B科 目に分 け られている 平成10 年度の学習指導要領の改訂 に伴 い,世界史的内容 については,義務教育段階における学習 の機会が従前 に比べてその割合を縮小 したが,高等学校では平成元年度 より 「世界史」が 必修 となってお り,今 日まで引 き続 き必修科 目となっている

「世界史」の必修 は国際化,情報化が進展 している現代 において, グローバルな視野を 持っ生徒を育成す るという目的に応 じるものであ り,今後 さらに重要性を増 して くるもの と思われ る しか し,「世界史」 を含めて社会科各科 目を取 り巻 く状況 は,近年決 して芳 しいとはいえない状況 にある。高等学校 においては,平成元年 に戦後以来続 いて きた社会 科を解体 し,新 たに 「地理歴史科」 と 「公民科」を設置す るに至 った。21世紀を迎えた今 日においては社会科 という教科 自体が,50数年来の歴史の中で大 きな転換点 を迎えている といって も過言ではないだろう。「世界史」 もまたそのよ うな渦中にある‑科 目であ り, その歴史 は社会科同様,貯余曲折 を経ている。「世界史」教育の発端 は,1949年 に従前 の 東洋史 と西洋史を一本化 した科 目 「世界史」を設置 したことに始 まる 当時はまだ指導方 法が確立 してお らず,現場教師及び研究者 にとっては暗中模索の 日々が続いたといわれる

そんな中,早 くか ら世界史的な視野 に立っ ことの重要性 に着 目 し,独 自の世界史 に関す る 理論 (以下,世界史理論) を完成 させた歴史学者 に上原専線 (1899‑1975)がある

上原の世界史理論 は,多数の著書や講演で発表 された中にその内容が示 されているが, 特 に上原の場合 は,その理論の中身を実際に教科書や学術書 などの誌上 に発表 し,実践 し ている点 に特徴があるといわれる 本論では上原が打 ち立てた世界史理論 に着 目し,その

*長崎大学教育学部社会科教育研究室 **大村市立大村小学校

(2)

内容 を考察す ると共 に, それに伴 う上原独特 の世界史の認識方法 とい うものが どのよ うな 視点 に基づ いた ものであ ったかを検討す ることを目的 と している

2.世界史認識の契機

上原 は自身 と世界史 との関わ りにつ いて 「世界史認識への一つの発想」(1960)の中で い くっかの契機 を挙 げている 第‑ の契機 とな ったのは,一橋大学 における学生 の指導及 びゼ ミナールの開講 (1937‑)である 上原の専門 は ヨーロッパ中世史であ ったため,戟 前 は ヨーロッパ中世 をテーマと した指導 を行 っていた。 しか し,戦後 は学生の研究 テーマ が ヨーロ ッパ中世 に留 ま らず, アメ リカ史や ソビエ ト研究 を含む様 々な分野へ と多様化 し ていった。 そ こで上原 は, (非常 に多面的な関心、を学生が持 って くる その学生 の持 って いる関心 を殺 さないで, なぜそ うい う関心が出て きたのか, その関心か ら何が 自然 に育っ か, それ も私 とその個 々の学生 とのあいだの一対一 の関係ではな くて,一つの集団 と して のゼ ミナール とい うものが,有機的な もの と して成 り立っか, それを考えてい く方法 と し て思 い至 ったのが,世界史的認識 とい うものなんであ って,言 ってみればそ うい う仕事 の 実際のほうか ら突 き上 げ られて きた方法 として, いまの世界史研究 とか,世界史認識 とい うものが, どうして も必要 にな って きた。)(1)と述べている この点か ら,上原 は特 に戦 中か ら戦後 にか けて,学生側 に現れて きた多面的な研究関心 を有機的 ・統一的に把握す る 方法 の必要性 を 自覚 し,把握 の方法 と して,「世界史」 を強 く意識す るよ うにな った と考 え られ る

第二の契機 は,第二次世界大戦後の 「歴史的省察

」 ( 2 )

である。戦前の 日本歴史学 は, ヨー ロッパ歴史学だけでな く,中国史の影響 も受 けてお り,複雑 な性格 を持 っていた。 しか し, それは両者 の融合ではな く研究方法の模倣,研究成果の利用 といった ものに過 ぎなか った。

日本歴史学 は外国の歴史学 の精神 と研究方法 を摂取す ることの必要性 を感 じなが らもその 意欲 に欠 ける状態であ った。(3)そ こで上原 は,徹底 した実証主義,経験主義 に基づ くヨー ロッパ歴史学 に,歴史学研究 にお ける日本人 の主体性確立 の活路 を見 出 した。 (4)ヨーロ ッ パ歴史学 の方法 を忠実 に摂取 し,やがては ヨーロッパ歴史学への追随をやめていく 。 その

うちに独 自のテーマで,独 自の方法 とい うものが生 まれ る 日本歴史学の主体性がそ こに 確立 され ると考えたのである しか し, その方法 は主体性の確立 に重 きを置 くあま り,肝 心 の歴史 に対す る視点 とい うものが欠落 していた。 この点 に気づ いた上原 は,歴史を見っ める,歴史の内側,内容 をっかむ ことを意識す るよ うにな り, それまでの反省 を契機 と し て 『歴史的省察 の新対象』(1946)を著 した。 (5)その中で上原 は,世界, 日本, 自己 とい う ものを統一的につかむ方法 について思考 している 自己とい う存在が所属す る日本 は,覗 在 どのよ うな状態 にあるのか。 これを考え るにあた って, 日本 の動向を規定 している世界 の動向についてまず考えていかなければな らないという視点を出発点 とす る この点か ら, 戦後 の上原の思索が 「世界」 とい う対象か ら出発 し, それに規定 されて展開 されていった

ことが推察 され る。(6)また上原 自身 も,戦後 の新 たな歴史的現実 の下で行 った 「歴史的省 察」が 自身を世界史認識 の仕事へ と駆 り立ててお り,世界史研究の一般的動機 とな ってい ることを後 に振 り返 っている。 (7)

続 いて第三 の契機 は,世界史教育 との関わ りである わが国では,戦前 は 「世界史」 と い う科 目は存在せず,内容 に応 じて外国史 は東洋史,西洋史 の二科 目に分類 されていた。

(3)

ところが,1949年 にこれ らの外国史を一本化 した 「世界史」 という科 目が,十分な議論 も ないままに成立 した。 このときの衝撃を尾鍋輝彦 は 「一つの怪物が,1949年の 日本 に突如 として現れた。社会科世界史 という怪物が

。 」 ( 8 )

と言 い表 している。尾鍋が このよ うに述べ たのは,成立 は した ものの,現場の教師や学者がその方向性を うま くつかめていないとい う現状 を踏 まえての ものであ り,成立当初の 「世界史」 は指導内容,指導方法などあ らゆ る部分で手 さぐりの状態であ った。科 目 「世界史」 における問題 は,その教育 目標や西洋 史 と東洋史の比率など多岐にわた ってお り,それに答えようとす る研究や議論が繰 り返 さ れた。 また,学校現場 に対応 した解説書 なども多 く出版 された。 (9)これに関連 して上原 は, 東洋史 と西洋史 とを合計 した ものではない,新 たに作 り出された 「世界史」,特 に高等学 校 における‑科 目としての 「世界史」のあ り方 について,現場の教師等 に対 して指導 ・助 言 を与え る立場 と して,「世界史」 とは何かを考えなければな らな くな ったと している

さらに,上原 は当時の世界史教育 に関 して,世界史の構造 について考察 した 『世界史講座』

(東洋経済新報社) の監修,『高校世界史』 (実教 出版)の編集 に取 り組んだ ことなどを挙 げてお り,それ らを通 して世界史認識の必要性が改めて発生 した ことを自覚 している。(10)

最後 に第四の契機であるが, これは第二次世界大戦後の現代の歴史的世界像が大 きく変 化 していることに由来す るものである 戦後の世界史 は 「新 しい時代」 を迎えた, という 認識が広が る中で, 日本人 は悩み と苦 しみに満 ちた生活経験 を通 じて,世界平和の問題, 民族の主体性 と自立性の確立の問題,民族独立の問題,民主主義の確立の問題 など多 くの 実際問題 を意識す るよ うにな った。(ll)上原 は, 日本人が直面 しているこれ らの諸問題 は, 本質的には世界の諸国民が直面 している諸問題 と同一の ものである(12)とし,それ らを把握 す る姿勢 として,世界史的現実の問題を把握せざるをえな くなると考えた。平和の問題や 独立の問題 自体 は, もはや 日本史の枠を越えた ものであって,世界史 と日本史 とを統一的 に把握す るとい う認識方法を媒介 としていなければ,それ らの問題の実態が把握で きない ということが土台 にな って,世界史認識が ここで もまた方法 として考え られるに至 った。

このように,上原の世界史認識の芽生えは,‑か所か ら出た ものではな く,大別す ると 四つの, いわば実際問題か ら出た ものであ り, これ らの実際問題を処理す ることと関連 し て,世界史研究が必要 となることを自覚 していった。 この世界史研究の実践 にあた って上 原 は,世界史認識の構造の問題,及び世界史認識の方法の問題を把握す ることが世界史研 究で求め られ る作業方法であると感 じ, 自身の実践の中で以後,積極的な発言を続 けてい

くこととな ったのである

3.世界史の認識方法

3.1歴史の認識方法

上原の世界史認識 にはい くつかの契機があったが,それは生活者 としての 日本人 という だけでな く,歴史研究者,教職者,著述 ・講演者 としての自分 にとっての実際的な問題か ら出た ものであ った。 この実際的な問題 を処理す るための認識方法の検討 は,世界史研究 に限 らず,歴史学の分野で も古 くか ら行われていたが, そのような従前の歴史認識の方法 は,戦前か ら戦後の 日本歴史学 にも強い影響 を与えていた。上原 にとっては くそ ういうよ うな方法をわれわれが どういう具合 に消化 していけるか)(13)という点 も一つの検討課題で あった。

(4)

戦前の 日本歴史学 は,明治以来, ヨーロッパ歴史学 の影響 を非常 に強 く受 けていたといわ れ,上原 自身 も (ヨーロッパ歴史学 と,「緊張」 の関係 に立 ちなが ら, それを支 えて来 た 諸 々の世界観や歴史観 について は,知識 を持っよ うにな って はきたが,諸 々の歴史観 との 思 想 的対 決 の うち に, 日本人 自身 の歴 史観 を確 立 す るまで に は, た ち い た って いな い。)(14)と考 えていた。

では, 日本歴史学 の動向を規定 した ヨーロッパ歴史学 における歴史観 とは一体何であ っ たのだろうか。上原 は次 の二つの歴史観 を挙 げている。一つ は歴史 を個性的で一回的な も の と して理解す る (個性化的認識) ことを認識志 向 とす る 「歴史主義」 の歴史観であ り,

もう一つ は歴史 を法則 的な もの と して理解す る (法則化 的認識) ことを認識志 向 とす る

「法則科学」 の歴史観である。

17世紀 に成立 したとされ る近代歴史学 は,編年史や年代記,事績,伝記,覚 え書等の歴 史叙述 と関連 して発達 して きた。 この歴史叙述 は, 日常的でない,規則的に繰 り返 され る ものではないと判断 された事件や事態を報告 しよ うとす る意図があ り,当時の叙述 には独 自的,個性的な事件 ・事象 を対象 と した ものが多か った。18世紀 の後半 に入 り,(人間の 生活現実 の歴史的展開の うちに, ある種 の法則が発見で きると考えただけではな く, その 歴史的展開 はまさに法則性 において とらえ られなければな らない)(15)と考え る歴史学者が 現れは じめたが,一方で従来の個性的な事物 ・事象 を基 に歴史を捉え るとい う志向を改め ず,む しろその志向を強めてい く歴史学者 も多か った。

この結果,個性化的認識 と法則化的認識 の二つが, ヨーロッパ歴史学 の大 きな流れを形 成 してい くこととな った。20世紀 に入 ると,歴史学 の法則科学化 とい う傾向が見 られ るよ うにな り,法則化的認識が重要視 されてい くが,個性化的認識を支持す るマ ックス ・ウェー バー (1864‑1920)らは,近代歴史学 の学問伝統 と認識志向を守 ろ うとす る立場 (歴史主 義歴史学)か ら, これに対 して反撃の姿勢 を強めていった。一方, マル クス らの支持す る 法則科学的歴史学 (マルキ シズム歴史学) において も,法則 に照 らして歴史的現実 を解釈 す ることに性急過 ぎる傾向が見 られ, その反省か ら (経験科学 と しての歴史学 の領域 にお いては,生活現実 の歴史的あ り方や展開をいちお う個性的な もの として とらえよ う) (16)と す る新 たな学問傾 向が生 じて きた。上原 は, こうした新 しい傾向 は,「歴史主義」 の承認 を意味す るのか とい うと, そ うではな く, この新傾向は,法則科学的歴史学 自体 の発展 を 意味す るのであ って,「歴史主義」への改宗 を意味す るので はない(17), と している この 両者 の動向に関 して上原 は (今後 の歴史主義歴史学 は, マルキ シズム歴史学 に対 して 自己 を守 る意識 においてではな く, それを,歴史的現実 の把握 に競 う好敵手 と して, あるいは 歴史的現実の把握 に協同す る好伴侶 として 自覚す ることが必要ではあるまいか。事実,磨 史主義の歴史学 は,今 までに も, それ とは告 げないで, マルキ シズムやその歴史学か ら多 くの ものを学 び とって きた。 ・・・いずれ に して も,批判 とい うもの は 「排除」 で はな く,

「消化」 でなければな らない, と私 は考 え る もとよ りこの ことは, マルキ シズム歴史学 の側 について も, いい うるのである

) (18)と述べてお り,両者 の関連性 を指摘す る中で, これ らが戦前 の 日本歴史学 に影響 を与 えていた ことを強 く意識 している

上原 は,第二次世界大戦 によ って現代 の歴史的世界像が激変 を蒙 った ことを捉 えて 「現 代歴史学の様相」(1946)や 「現代歴史学 の相貌」(1950)の中で,戦前 と戦後の歴史学 の 変容 について,特 に ドイツ, アメ リカ, 日本 といった戦争 に深 く関わ った国々の歴史学 を

(5)

対象 に考察 している その中で上原 は,復興, あるいは発展 を続 ける諸外国の歴史学 に比 べて, 日本 の歴史学 は明治以来の ヨーロッパ歴史学への追随を続 けてお り,停滞期 を脱 し 切れていないと感 じ, 日本歴史学 もまた新 たに創造 され るべ きであると した。 また, その

ための実践課題 に関連 して新 しい問題意識,歴史認識の構築が必要であるとも考えていた。

上原 は 『歴史学序説』で,「現代 における日本民族 の現実の問題」 と称 して,平和 の確保, あ らゆる生活面 における主体性 と自律性の確立,民主化 の実現 といった問題 を挙 げている が, これだ けで は十分で はな く, さ らに多 くの問題があることを自覚す ると同時 に,現実 諸問題 の全体 を新 しい形で意識 し直す ことが必要である(19), と している

また,「日本 における独立 の問題」(1961)では,当時,多 くの国民が歴史的 ・政治的問 題 と して捉え うる問題 と して,①世界平和 の確立,②民族 の独立,③社会の民主化,④生 活 の向上 (重乏 の根絶) の四つを挙 げている。 ここでは,1960年代 に入 って活発化 しつつ あ ったア ジア ・アフ リカ諸国の独立 とい う歴史的事実 を受 けて (と くに現在の時点,今 日 的時点 に立 って, 日本国民 にとっての問題 はなにか とい うと, それ は第二 にあげた民族 の 独立 こそが,すべての歴史的 ・政治的な問題 の凝集点 と して, と くに重視 されねばな らな い問題である) と考えている。

さ らに,「ア ジア ・アフ リカ研究 の問題点」(1963)で は, アジア ・アフ リカ, ラテ ン ・ アメ リカ (イベ ロ ・アメ リカ)地域 の大衆が意識 している問題 と して,①生活 の問題,② 自由 と平等 の問題,③進歩 と繁栄 の問題,④生存 の問題 (平和 と安全 に関わ る問題),⑤ 独立 の問題 を挙 げている。 (20)

特 に独立 の問題 については,その他の四つの問題 と (同一平面の上 に並ぶ問題ではな く, それ らの問題 よ り一段 と深 いアクチ ュア リテ ィを持 ち, それ らの問題 に現実性 を付与 し, それ らの問題解決の異体的突破 口となる)(21)と述べ,他 の問題 の中心部 にあ って, それ ら が解決 されてい くための前提 の問題 と して捉 えている

上原 は, 日本人が ア ジア ・アフ リカの問題 を考 え る場合 には, (ア ジア ・アフ リカ世界 の一員 と して考 え るんであ って, それ以外の,人間 と して考 え るわ けで はない。) と し, 五っの問題 はア ジア, アフ リカ, イベ ロ ・アメ リカの問題であると同時に, 日本の大衆 に とっての問題で もあると考えている さ らに (これが 日本人 の問題であるとい う自覚があ れば こそ, その 自覚 を媒介 と して, ア ジア, アフ リカ, イベ ロ ・アメ リカを見 ると‑, そ の広大 な地域 とい うものが 日本人 の持 っている問題 と等質の問題 を持 っているとい うこと を発見す る。) とも考 え, (日本人が今 日どうい う問題 を持 っているか とい うことに対す る自覚 と問題意識がないな らば, ア ジア, アフ リカ, イベ ロ ・アメ リカの問題 とい うもの を,理解す ることは絶対で きない。 また逆 にア ジア, アフ リカ, イベ ロ ・アメ リカの問題 とい うものの実態が, どうい うものであるか とい うことがはっきりつかめないな らば, 冒 本の問題 とい うもの もわか らな 。) と述べ る中で, ア ジア ・アフ リカの諸問題 をモデル と した, 日本の諸問題 の 自覚, あるいはその逆 の方法 を通 して双方向的な把握が可能であ ると考えていた。 (22)

上記 の五つの問題 は,政治的 ・社会的 ・経済的問題 と して意識 された ものであ ったが, これ らの現実問題 の成 りゆ きを左右す るよ うな実際的意味を持っ ところの重要 な問題 と し て, さ らに二つの問題 を挙 げている その問題 は, 日本の国民が以上 のよ うな問題 をまさ しく問題 と して意識 していき, 自覚化 していかなければな らないとい う問題 (国民文化創

(6)

造 の問題),及 び 日本の国民 にそれを意識 させていき, 自覚 させていかなければな らない とい う問題 (国民教育の問題)である。 (23)

上原 は, 日本の大衆 にとっての現実的問題 は, もとよ りこの七っ に限 られ るものではな いが, これ らの問題 は戟中,戦後の生活経験 を通 して国民大衆が直接 に感 じ取 った問題で あ り, これ らの問題 こそが大衆 における生活現実 の具体的な内容 その ものを構成す るもの であ った と している そ して, これ らの問題 は日本だけでな く, ア ジア ・アフ リカ地域, 全世界の問題 として置 き換 え ることがで きるとす る立場か ら, 日本人独 自の新 たな歴史認 識 を築 くことへの活路を見出そ うと していたと思われ る。

当時の現実的問題 の認識 について,上原 は (現在の問題意識 に対応 し,場合 によっては 連接 さえす る諸問題 の存在形態 と存在理 由を探究す ると同時に,現在の問題意識 に対応す る問題 の非存在 をっ さとめ, その理 由を明かに していき, さ らに,現在の問題意識 に対応 す ることのない別種の諸問題 の存在形態 と存在理 由を も追究 していき, それ らの諸問題の 存在 な らびに非存在の全構造 な らびに全動態 として 「過去」を形象化す ること)を通 して,

(「過去」 を 「過去」 と して把握す ることによ って,「現在」 はあ らためて 「現在」 と し て再 自覚 され うる) と考え, この (「現在」 の問題意識 を出発点 と し,それを手がか りと して 「過去」 を形象化 して いき,形象化 されたその 「過去」 を媒介 と して, あ らためて

「現在」 を認識 してい く)操作 の反復を,「歴史化的認識」 と名付 けている。(24)

上原 にとって,「歴史化的認識」 とは, いわば歴史的思惟方法 の問題 であ り, それ 自体 多 くのパ ター ンを持 った ものであ った。個性化的認識や法則化的認識 はその一例であるが,

「現代認識の問題性」(1963)において,その主要 なパ ター ンとして,古代ユダヤ教的形態, ギ リシア ・ローマ的形態,中国的形態, キ リス ト教的形態, イス ラーム的形態,近代 ヨー ロッパ的形態,歴史主義的形態 (個性化的認識), マル クス ・レーニ ン主義的形態 (法則 化的認識), ア ジア ・アフ リカ的形態, 日本的形態 などが挙 げ られている。(25)

このよ うに,「歴史化的認識」 とい う認識方法が決 して単一 ・等質 の認識方法 を意味 し ないとい うことを受 け,上原 は次のよ うに述べている

(生活現実の歴史化的認識 としての現代認識 をわれわれの知的究明の課題 とす る場合 には, 歴史化的認識一般 とい うよ うな ものを方法的立場 とす ることは不可能 にな り,前掲 の歴史 化的認識の歴史的諸パ ター ンの中か ら,一つのパ ター ンを自覚的に選 びとるか,それ とも, 前掲の歴史的諸パ ター ン以外 のパ ター ンを自己の責任 において新 しく創造す るか, そのい ずれかが どうして も必要 にな ります。) (26)

上原が挙 げた歴史化的認識 の諸パ ター ンの中に,「日本的形態」が含 まれているが, こ れは先 に述べた日本歴史学 における思惟方法の ことを指 していると思われる 上原 は, ヨー ロッパ歴史学 の影響 を受 け,個性化的認識 と法則化的認識 の方法を模倣的に捉 えたに過 ぎ ない 日本歴史学 において,戦後 の 日本の大衆,民衆がつかみ取 った諸問題 を, どうい う具 合 に国民 を主体 と した認識 にまで定着で きるか とい うことと関わ って 「課題化的認識」 と い う概念 を意識す るよ うにな った。上原 にとって, それは認識 のための認識ではな く, 日 本国民 と して一体何 をなさなければな らないか とい う政治的 ・歴史的課題 を発見 し, それ を認識 にまで定着 させて かなければな らない ものであ り, (事実や事態 をたんに事実 そ の もの,事態 その もの と して受 けとるのではな く,解決,克服,対決,実現 などを要す る 課題 と して受 けとるところに,「課題化的」 と呼んでよい認識方法が成 り立っ)(27)と考 え

(7)

ている

上原 自身 は,個性化的認識 について,法則化的認識への対抗 を意識す るあまり,経験科 学 としての歴史学 にあるべ き,個性 ・一回性の重視 という志向が,意味のない相対主義へ と導 いてい く危険があるとし,法則化的認識 について も,法則 というものを前提 し,歴史 的現実 を法則 にあて はめて説明す るだけの ものにな って しま う危険があると指摘 してい る(28)が, この両者 は (課題化的認識を媒介 として初めて現代的意義 を もって くる) (29)とも 考えていた。

前述の 「高校世界史」や 「日本国民の世界史」 は, この 「課題化的認識」 に基づいて編 集 された ものであ り, ここでは,人間社会の発展の普遍的な法則性を追求す ることも,人 類が過去 に形成 したあ らゆる文明を普遍的に叙述す ることも当面 の課題ではなか った。上 原 ら編者が主 として意図 したのは, 日本国民 自身の生活意識 ・歴史意識の形象化であ り, 世界の諸文明がいかに して 日本文明の成長 に寄与 したか, また現在の 日本の直面 している 歴史的な諸問題が, それ ら諸文明の動 きによってどう規定 されているか,それ らの点を具 体的な もの として主体的に追求す ることであ った。(30)

「高校世界史」及 び 「日本国民の世界史」 においては,当時の 日本人が新 しい歴史認識 を構築す る際には, さ しあた って,戦争を通 じて 自覚す るに至 った世界平和の確立や, 冒 本人の主体性 と自律性の確立,民族の独立,民主主義の確立 といった諸問題の克服 と,そ れ らの問題意識を認識原理 とした日本人 による歴史像の形成が求め られていた。 それは課 題化的認識 による世界史像の形成 と呼ぶ ことができるものであ った。

本節では,学問 としての歴史学の認識志向を発展 させた上原 自身の歴史認識方法を具体 的にみて きた。上原が国民 に求めた歴史化的認識 とは,「課題化的認識」 に基づ く歴史認 識であ り,それは,従来の歴史認識方法 としての個性化的認識 と法則化的認識 において, いわばフィルターの役割 を果 たす ものであ ったといえる

現代の問題意識を媒介 とした歴史化的認識のパ ター ンの一つ としての 「課題化的認識」

に基づ く諸問題 の自覚,問題の共通性 を見出す中での世界史的 自覚, これ らを通 じて世界 史像を自主的に形成 してい く作業が可能 となると上原 は考えていた。次節以降ではこの, 世界史的 自覚,及び世界史像の自主的形成 に関 して具体的に考察 してい く

3.2世界史的自覚

上原 は,戦後の 日本国民が新 たな歴史認識 を創造す る必要があったことを感 じる中で,

「課題化的認識」の概念を提示 した。「課題化的認識」 とは, 日本国民が直面 している諸問 題を自覚 し, それ らを解決,克服,対決,実現を要す る課題 として認識す るという作業で あるとされ るが,諸問題の認識 は 「世界史的 自覚」を伴 うべ きもので もあった。上原 は, これ らを媒介 として,最終的に 「世界史像の自主的形成」を行 うことが国民的課題である と考えていた。

世界史的 自覚 とは, (世界 と日本 と自分の生活 とを動的な もの として統一的に認識す る こと) (31)であると上原 は述べているが,それは, (自分の生活 というものは,家庭や職場 を中心 とする場合で も,いっで も世界や日本の問題が集約 されたかたちでそこに問題になっ て来ているのであ って,世界や 日本の動 きと関係のない自分だけの生活や仕事 というもの は絶対 にあ り得 ない。どんな仕事, どんな生活 も, 日本全体の問題,世界全体の問題 につ

(8)

なが っている ‑世界や 日本の問題 は, 自分の生活や仕事 の中に‑ ばい入 り込んでいるの であ って, 自分 の生活 を営み, 自分の仕事 を進 めていこうとす ると,世界や 日本 の問題 を どう考え, どうそれ と取 り組んでい くか とい うことと関係づ けなければ, どうす るわけに もいかない)(32)とい う考えに基づ くものであ った。 この点か ら,上原 は先 に挙 げた 日本国 民 にとっての五っの諸問題 と世界の人民が抱 く諸問題 との間に等質性があることを見出す

とともに, これ らを統一的に把握で きるもの と して考えていた と思われ る

上原が, この世界 と日本 の諸問題 の統一的把握 を意識す るに至 った実践 の一つに 『岩波 小辞典 世界史一西洋‑』(1964)があ る。 いわゆる 「西洋」 における73の独立国の歴史 をおさえ るとい う取 り組みを通 して上原 は, それぞれの国における問題が (一つびとつの 国限 りの問題ではな くて, その国 とほかの国々を含む一つの地域世界 における共通 の問題 であるだけではな く,一つの地域世界 ごとにその問題 は,具体的に相互 に関係 し合 い,相 互 に媒介 し合 い,相互 に因果関係,意味連関を作 り出す ことによって,一つびとっの国を 越えた普遍的な問題 を形成 していることがわか って くる。)(33)と し,世界や 日本, その他 の地域世界 を越 えた ところでの諸問題 の統一的把握 の必要性 を認識 している。

また,上原 は,国民一人 ひとりが世界史的 自覚 において生 きることが望 ま しいと考え, それを実践す る上で (どんなに身辺的な問題 で も, それ らは人類の世界史的全動向, 日本 民族 の全歴史的あ り方 と深 く結 びっいた歴史的 ・政治的問題であるとい うことを自覚 しう

る人間, そ うして, そのよ うな自覚 に立 って歴史的 ・政治的問題 の解決 にあた らなければ な らないとい う主体的な態度 の出来ている人間,そのよ うな自覚や態度 に基づいて,歴史 的 ・政治的問題 を解決 してい く力を もった人間, そのよ うな人間をっ くることが教育の理 想 であ り目標であるべ きではないか)(34)とも述べている これは,当時,成立 したばか り の科 目 「世界史」 に対 しての提言 を含む もので もあ った。

明治以来, 日本人 は主体 と しての 自己を認識 しつつ, 日本 に影響力を及ぼす存在 と して 西洋 を意識 し, さらに,西洋 とは異 なる存在であ り, 日本人の行動半径の内に入 って くる 存在 と して東洋 を意識 して きた。 この意識が 日本史,東洋史,西洋史 という分 け方 を選ば せ, その伝統 は第二次世界大戦後 まで受 け継がれて きた。戦後,東洋史 と西洋史を一体化 させた科 目 「世界史」が登場 したが,初期の 「世界史」はその教育 目標 よ りも,東洋史 と 西洋史の比率 の問題 とい った教育上 の事務的な課題 に対す る論議が繰 り返 され,「世界史 教育 をいかに して行 うか」 を顧み る傾向は少 なか った といえ る そんな中で,上原 はいち 早 く世界史教育 の重要性 と必要性 を意識 した。 そ こでの実践 の一つが 『高校世界史』及 び

『日本国民の世界史』 の編集であ った ことは言 うまで もない。

さ らに当時 は, 日本史 と世界史 をどのよ うに結 び付 けて把握 してい くか, とい う学問的 傾向 も見 られたが, この点 について上原 は,世界史的 自覚 の下で は, 日本史の外側 にある もの としての世界史, 日本史 と違 った もの としての世界史 といった捉え方 は重要ではない, と している 上原 にとって,両者 は結 び付 けるべ きものではな く, 日本史 とは,世界史の 中に含 まれ,世界史の一部分 と して意義 をな しているものであ った。

このよ うに 「世界史的 自覚」 は,一つ は課題化的認識 における世界の統一的諸問題 の 自 覚 に寄与す る点 において, そ して もう一つ は課題化的認識 を実践す る日本国民 を育成す る ための世界史教育 の中で,世界史の中には日本史を含む とい う見方‑寄与す るとい う点 に おいて重要 な視点であ った ことが うかがえ る 異体的に言 うと,前者 は, 日本 に も,世界

(9)

に も同 じ問題性が貫 いているというとい う認識で両者を統一的につかむ とい うことであ り, 後者 は, 日本史だ けでな く諸地域世界 の様 々な歴史の有機的構造体が世界史であ り,その 有機的な一部分 と して 日本史を位置づ けることもまた,世界史を統一的に捉 え る方法の一 つであるとい う見方 に基づ くものであ った。

この世界史的 自覚 における世界 と日本,世界史 と日本史の統一的把握 の問題 は,歴史的 空間の問題 とも関連 を持 っている 世界 と日本の間には多 くの地域世界が存在す る し, 冒 本の中に も地域があ り, もっとも小 さな単位 と して個人が存在 している この歴史的空間

において 日本国民が意識す る諸問題 は (必ず これ らの歴史的空間のどれか一つ において, またはそのい くつかにまたが って, またはこれ らのすべてにかかわ って生起 し,展開 し, 解決 されてゆ くのであ って,超空間的 に生起,展開,解決が行 なわれ ることは,ぜ ったい

にあ りえない。) (35)ものであ った。

以上,課題化的認識 における世界史的 自覚 の必要性 について述べた。当時の 日本国民が 意識 した諸問題 は,世界史的 自覚 の下では, ア ジア ・アフ リカだけでな く全世界 に共通す る問題 と して意識 され うるものであ った。諸問題 を統一的に把握で きるとい う視点 に基づ いて課題化的認識 を行 い,世界の諸問題,地域世界の諸問題, 日本の諸問題 を個人の問題 と して受 けとる 上原 は, その一連 の作業 を通 じて 「世界史像 の自主的形成」 を行 うこと が国民 にとって必要であると考えていた。次節ではこの 「世界史像 の 自主的形成」 につい て具体的に述べてい く

3.3世界史像の自主的形成

上原の世界史認識 においては,世界史的 自覚 の下 に課題化的認識 を行 い, 自分 自身のオ リジナルな世界史像 を創造す ることが求 め られていた。上原 はこのオ リジナルな世界史像 の創造 を 「世界史像の 自主的形成」 と名付 けているが, それ は,個人個人が 自主的に認識 す る世界史 の構造であ り,体系であ り,視角 ・方法を意味す るものであ った。

この 「世界史像の 自主的形成」 を行 う上で,上原 には少 な くとも二つのね らいがあ った と思われ る 第一 は ヨーロ ッパ中心史観 の克服 と戦後の歴史像の変革 に伴 う新 たな歴史像 の構築であ り,第二 は, これ らの実践 を通 しての 日本人 の自律性,主体性 の獲得である。

第一 のね らいについて,上原が 「日本歴史学 は ヨーロッパ歴史学 の影響 を強 く受 けてい た」 と指摘 した ことは既 に述べた とお りである その ヨーロッパ歴史学 の傾向 は, ランケ (1795‑1886)の 「世界史」 にお ける,東洋,特 にイ ン ド以東 の歴史記述が欠 けていると い う点 によ く表れているといえ る。上原 は, ランケの 「世界史」 について くその世界史像 は,全体 として, ヨーロッパを中心 とした世界史認識であるというよ りも,む しろヨーロッ パ史を世界史 その もの と同一視 したかのよ うな印象 を与え る)(36)と し, その後 も少 なか ら ず ランケの影響 を受 けた ヨーロッパ歴史学 に対 して, その最大の欠陥 は 「ヨーロッパ中心 主義」 にあると批判 している この ヨーロッパ中心史観 は当時の ヨーロッパ人の世界史観 を反映 してお り, このよ うな傾向は20世紀初頭 まで続 いた。 しか し,第一次,第二次世界 大戦 を経 た現在 (1950年代)で は,戦前 とは異 な った世界の動 きやあ り方が生 じ,性質や 構造 の異 なる問題状況が作 り出され, いわば世界史上 の新現実 といえるものが生 まれて き た。 このよ うな歴史的世界像 の変化 は, ヨーロ ッパ人 に自己の地位 の自覚 を促 し,一方で その他 の世界の人 々には,世界史上 の新事実 に如何 に して対応 してい くべ きか とい う問題

(10)

を意識 させ るに至 った。 この事態 に対 して 「日本人 はどうあるべ きか」 を意識 した上原 は (新 しい世界の動向や,その問題情況 について, 日本 の国民が,で きるだけ深 く,で きる だけ広 く,で きるだけ有機的な, そ してで きるだけ リアルな, 自主的認識 と自律的判断を 備え ること)が必要 であると考え, その方法 は (日本の国民が 自分 自身で,世界の新現実 を世界史の全体動向 と全体内容 に照 らして捉 え る)以外 には無 いと している。(37)その方法 こそが 「世界史像の 自主的形成」であ り, それ は (今 日の 日本人の問題意識 を着実 に踏 ま えた ところの, しか も充分 に客観 的な世界史像 を, 日本人 自身 の手 で作 り上 げてゆ くこ

) (38)であるとされた。

第二のね らいは,新 しい世界史像 を構築 してい く中での 日本人 の自律性,主体性 の獲得 であるが, この点 は上原の世界史教育 との関わ りの中で,特 にその実践 を通 して常 に意識 された ことで もあ った。

戦後,新科 目と して設置 された 「世界史」 は高等学校 の‑教科 にとどま らず,広 く国民 の間で も徐 々に知 られ るよ うにな ってい った。 しか し, それ は 「世界史」 とい う言葉 は知 るよ うにはな ったが,世界史の感覚や意識 を充分 に身 に付 けているとはいえないとい う程 度 の もので 「世界史像の 自主的形成」 を実践す るには至 っていないとい う状況であ った。

上原 はこの ことを悲観 していたわ けで はな く,戦争 の前後 における生活の違 いを自覚 し, その自覚 において生 きよ うと している多 くの国民 には,世界史の感覚や意識がい くらか備 わ っていると考えていた。当時の 日本国民 に欠如 していたのは, (身 に備わ った世界史の 感覚や意識 を造形化す る方法であ り,世界史像 の自主的形成への志向や意図を具体化す る 実践)(39)であ った。 それは, 日本国民 には (世界史像形成のための準備 とい うものが, ま だされて はいない) (40)ことを意味す るものであ った。 この準備不足 は,科 目 「世界史」 の 方向性が不透明であ った ことに一つの原因があると思われ る 上原 は当時の世界史教育の 親状 を,誰かが書 いた世界史の教科書 ・参考書 を覚え こませて, そ こに書かれた とお りの 歴史像 を持 たせ るよ うな指導,われわれの問題意識や生活意識 と関係 な しに世界史が展開 されていると認識 され るよ うな指導 に終始 していると感 じ, それは 「世界史学習の模倣」

に過 ぎないと批判 している。 (41)

上原 にとって,世界史学習 とは (生徒 な ら生徒 自身の問題意識か ら出発 して世界史像 を 創造的につ くりあげてい く) ことであ り, それ以外の方法 は考え られない ものであ った。

また,そのよ うな世界史学習の実践 は (ある段階の学校 の生徒 たちに限 るとい うよ うな も のではな くて,国民の全体がそ うしなければな らない もの) と認識 されていた。(42)

そ こで上原 は,「世界史像 の 自主的形成」 を個人 に実践 させ ることを意図 した 『高校世 界史』 を編集す るに至 ったのである (この世界史 は,一言でい うな らば,‑現代 日本人 の切実 な問題意識 と生 きた生活意識 に基づ き, それを出発点 として書かれている)(43)と上 原 は述べ るが, その問題意識 とは,世界の平和や 日本の独立,民主主義 の確立,国民 の生 活水準 の向上 など無数 に存在す るのであ って, これ らの諸問題 は (決 して個 々ば らば らの ものではな く,相互 に関連 し,結 びあ って現代 日本 の生活現実を構成 している)(44)もので あ った。 それ らの諸問題 の解決を目指す上では,個人が 自律性,主体性 を確立 してい くこ とが不可欠 の要素であ り, これ もまた 「世界史像 の自主的形成」 の作業を通 して達成 しう るものであると上原 は考えていた。

さ らに上原 は,問題意識や生活意識 に基づいて創造 された新 しい世界史像 は (三年 も五

(11)

年 も間 に合 う世界史像か とい うとそ うで はな く, それ は毎 日毎 日書 きかえていかなければ な らな

。)(45)と し, その代 わ りに書 きかえて い くその過程 で, 自分 の持 っている問題意 識が深 め られ,広 が ってい き,他 の問題 との関連が明確 にな ってい くとも考 えていた。 こ のよ うな考 えの下 で, 「世界史像 の 自主 的形成」 を個人個人 の 日常 の生活 に浸透 させ るこ とを意図 しつつ積極的 な著述,講演 を続 けたのであ った。

以上,戦後 の 日本社会 において浮かび上 が った諸 問題 を解決す る上 での具体的作業 の一 つ と して上原が提唱 した 「世界史像 の 自主的形成」 につ いて具体的 に明 らか に して きた。

これ は,世界史的 自覚 に基づ いて,世界 の諸問題 と日本 の諸問題 の間の同質性 を見通 し, 課題化的認識 を通 して,諸 問題 の解決 に取 り組 む とい う作業が行 われて初 めて実践 され う

る ものであ った。

しか しなが ら, このよ うな上原 の考 え は当時の国民 には理解 され に くく,『高校世界史』

も表記上 の理 由か ら教科書検定 に不合格 とされ るなど,上原 の考 えが公 に認 め られ ること は少 なか った。後 に上原 自身 も, この 「世界史像 の 自主 的形成」に関 して は (最初含意 さ せ よ うと した重 く切実 な意味内容 はまだ十分 には理解せ られず, また, た とえいちお うは 理解せ られた と して も,今 日で は棚上 げされた観が深 い。) (46)と振 り返 って いる。

4.上原理論 の位置づ け

上原 の打 ち立 てた世界史理論 は当時の学界 において も画期的であ り,1950年代 の世界史 成立 当初 の教育現場 に も一つの道筋 を示す ものであ った。 しか し,多 くの国民 に とって は 上原 の理論 は難解 であ り,やがて,様 々な角度 か らの批判 も受 けるよ うにな った。上原 自 身,教科書検定 の不合格 や学者への不信感,妻 の医療過誤 による死 などの革般 の事情か ら 批判 に対 す る反論 を出す ことはほとん どなか った。 また,晩年 は亡 き妻 の回向を唯一 の人 生 の 目的 と し, 日蓮研究 に没頭す るよ うにな り, その難解 な理論 は 「もはや歴史理論 で は ない」 と切 り捨 て る学者 も現れ始 めた。 しか しなが ら,本論 でみて きた上原 の世界史理論 は,特 にその活動が顕著であ った1950‑1960年代後半 の論述 を中心 と して,現代 の社会科 教育,世界史教育 に多 くの示唆 を与 え るものであ ると考 えている。20世紀 において聞 き逃 されたままにな って いる感が ある上原 の理論 は, よ りグローバル化が進 む ことが予想 され る21世紀 において,地球規模 で物事 を考 え ると同時 に,個 と しての 自分 自身が生 きてい く 上 で確固 た る視点 を持っ ことの必要性 を我 々に自覚 させて くれ る ものであると言 え るだ ろ

う 。

【注】

(1)『上原専線著作集19』評論社,1997,「世界史認識への一 つの発想」(1960) p.126 (2)上原専禄 『歴史的省察 の新対象』未来社,1970 p.3

ここで上原 は, 「生活現実 を歴史 と して と らえ る知 的行動 をわれわれ は歴史的省察 と称 しうるで もあろ う」 と述 べ, 「省察」 とは 「観察」 に似 なが らも, その姿勢 にお いて, よ り模索 的で あ り, 「認識」 に通 じなが らもその体質 にお いて, よ り思索 的で あ る, と して いる

(3) 『上原専線著作集15』評論社,1990,「現代歴史学 の様相」(1946) p.51

(12)

(4)『上原専線著作集19』「世界史認識 へ の一 つの発想」 p.120 (5) 同 上 p.128

(6)宮薗衛 「上原専線 によ る世界史像形成 へ の出発‑1940年代後半 にお け る 『世界史』

への取 り組 み‑」『筑波大学大学 院教育学研究科教育学研究集録』第11集,1987 p.72 (7) 『上原専緑著作集25』評論社,1987, 「世界史 の起点」(1968) p.560

(8)尾鍋輝彦 『世界史 の可能性一理論 と教育‑』東京大学協 同出版部,1950 p.1 (9) この間 の事情 につ いて は,有 田嘉伸 「わが国 にお ける 『世界史』理論 の歴史 (2)

一科 目 『世界史』成立期 の世界史理論‑」 『長 崎大学教 育学部教科教育学研究報告』

12,1989を参照

(10)『上原専線著作集19』「世界史認識 へ の一 つの発想」 p.130‑131

(ll) 上原専線編 『高校世界史』実教 出版,1956 p.2,5

上原専線編 『日本 国民 の世界史』岩波書店,1960 p.3,6

(12) 『上原専線著作集14』評論社,1989,「世界史 的現実 と国民教育」(1960) p.181 (13)『上原専緑著作集19』評論社,1997, 「世界史認識へ の一 つ の発想」(1960) p.133 (14)上原専線

(15) 同

(16) 同

(17) 同

(18) 同

(19) 同

『歴史学序説』大明堂,1959 p.176

上 p.58

上 p.68

上 p.68

上 p.73

上 p.86‑88

(20)『世界認識 と国民教育研究』(1964)で は, 日本 の国民大衆,世界 の人民大衆 の問題 意識 と して この五 っ の問題 が挙 げ られて い る また, 『現代 にお け る 「東洋」 と 「西 洋」』(1969)にお いて も, この五 つ は 日本 の大衆 が感 じ取 った問題 で あ るが,世界 の 多 くの地域 にお いて も違 った名前 なが ら同様 に問題 にな って いる, と して い る

(21) 『上原専線著作集25』評論社,1987,「ア ジア ・ア フ リカ研究 の問題点」(1963)p.76 (22)『上原専線著作集19』「現代 ア ジア ・ア フ リカの世界史 的問題状況」(1967) p.33 (23)『上原専線著作集25』「歴史研究 の思想 と実践」(1964) p.285‑286

(24) 『上原専線著作集25』「現代認識 の問題性」(1963) p.49‑50 (25) 同 上 p.21

(26) 同 上 p.22

(27)『上原専緑著作集25』「ア ジア ・ア フ リカ研究 の問題点」(1963) p.65 (28) 同 上 p.64‑65

(29)有 田嘉伸 「上原専線 の世界史理論

『社会科教育 の理論』ぎ ょうせ い,1989, p.74 (30)上原専線編 『日本 国民 の世界史』岩波書店,1960, まえがさp.iv

(31) 『上原専線著作集13』評論社,1991,「世界史 的 自覚 に生 きる」(1960) p.250‑251 (32) 同 上 p.239

(33)『上原専緑著作集25』評論社,1987,「歴史研究 の思想 と実践」(1964) p.297 (34)『上原専線著作集12』評論社,2000,「民主主義教育 の世界史的 自覚」(1955) p.39 (35)『上原専線著作集25』「世界史 の起点」(1968) p.545

(36)『上原専線著作集13』評論社,1991,「世界史 にお ける現代 の ア ジア」(1954) p.21

(13)

(37) 『上原専線著作集8』評論社,1993,「ヨーロッパ史の諸時代」(1954) p.6263 (38) 同 上 p.63

(39) 同 上 「世界史像の新形成」(1954) p.54‑55

(40) 『上原専緑著作集12』評論社,2000,「日本国民のための世界史教育」(1956) p.139 (41) 同 上 「現代 日本 における教育の課題」 (1954) p.2122

(42) 同 上 p.22

(43) 上原専緑編 『高校世界史』実教 出版,1956 p.4 (44) 同 上 p.5

(45) 『上原専線著作集12「現代 日本 における教育 の課題」 (1954) p.22 (46) 『上原専政著作集25評論社,1987,「世界史の起点」(1968) p.559

参照

関連したドキュメント

原価計算の歴史は︑たしかに︑このような臨時計算としての原価見積から出発したに違いない︒﹁正式の原価計算 1︵

これまた歴史的要因による︒中国には漢語方言を二分する二つの重要な境界線がある︒

本県は、島しょ県であるがゆえに、その歴史と文化、そして日々の県民生活が、

歴史的にはニュージーランドの災害対応は自然災害から軍事目的のための Civil Defence 要素を含めたものに転換され、さらに自然災害対策に再度転換がなされるといった背景が

層の積年の思いがここに表出しているようにも思われる︒日本の東アジア大国コンサート構想は︑

彼らの九十パーセントが日本で生まれ育った二世三世であるということである︒このように長期間にわたって外国に

討することに意義があると思われる︒ 具体的措置を考えておく必要があると思う︒

第三に﹁文学的ファシズム﹂についてである︒これはディー