『 重井筒』中之巻 にお ける助詞 「 が」と「 の」
‑ 「 が 」 の用法の変化を中心 に‑
Thepar t i c l es " Ga" and " No " i n
KasaDe‑Wl・zutsu‑2‑ Change si n t heus ageso ft hepar t i c l e " Ga"
I新 垣 公 弥 子
1 .は じめに
筆者は これまでに 『曽根崎心中』『堀川波鼓』『重井筒』 (上之巻)における助詞
「が」 と 「の」について まとめた。本稿は 『重井筒』 (上之巻)においてまとめき れなかった中之巻 についての用例 をまとめた稿である。
助詞 「が」 と 「の」 については、多 くの研究成果がある。 しか し先行研究の成 果だけで充分か といえば、必ず しもそ うではない。筆者は、 い くつかの課題 を持 ちなが ら、現代 における助詞 「が」 の成立 について明 らか にしていきたいと考 え ている。その手始 め として、近松作品における助詞 「が」 の収集、分析 を継続的 に行 って い く予定で ある。近松作品 を取 り上げ る理 由 としては、本作 品が助詞
「が」 の過渡期 にある用法 を含 んでいる と考 え られ ること、そ して大野 (1987) のデータに欠ける1700年代か ら1800年代 のデータを補 う必要があるという2点が あげ られる。筆者は、このほ ど 『曽根崎心中』『堀川波鼓』における助詞 「が」と
「の」 をまとめた。本稿はそれ に続 く稿である。本稿では 『重井筒』(1704‑05) における助詞 「が」 と 「の」の用例 を収集 し、そのデータを大野 (1987)および
『曽根崎心中』『堀川波鼓』のそれ に加えて、助詞 「が」の用法の変遷 について観 察 した。その結果、『土佐 日記』以来 「が」の使用比率は 「の」 と比較す ると若干 の増減 をみせなが らも、全体 として増加傾向にあるといえ 『重井筒』 も、その変 化過程の中にある ことを明 らかにした (図3,図4)。 また 「が」のかかる形式比率 (図 5)にお いて も助詞 「が」は 「体言が体言」か ら 「体言が用言」へ移行す る変化 の中にあることを明 らか にした。 これ までは、大野 (1987)の研究 を基盤 にデー タを加えた結果であるが、本稿ではさらに以下のような点が明 らかになった。
『重井筒』では助詞 「が」 の連体 ・主格 ・接続 といった3つの用法が認め られ る。
その中で もまず、主格用法が 「が」の全用例 の58パーセ ン トを占め、最 も用例の 多い用法であった。次 に接続用法の 「が」が23パーセ ン トで、続 いて連体用法が 19パーセ ン トである ことがわか った。 これ まで筆者が調査 して きた近松作 品で は、 「が」 の用法 として主格用法、連体用法、接続用法の順 に使用が多かったが、
『重井筒』上之巻では、連体用法の使用例が接続用法よ りも減 り、助詞 「が」 に おける連体用法の衰退が見て取れ る。
このようにひ とつの作品において 「が」 の用法 を数値化 してみせたのは、管見 による限 りない。 この数値化 によ り、 どのよ うな割合で 「が」 の3つの用法が使 用 されているのかが明 らかにされ るばか りでな く、各作品を比較す ることで、そ の使用の変化、変遷 を知 ることができるもの と推測 され る。以上のよ うな見通 し を持ちなが ら本稿では助詞 「が」 の用法 について研究 を進めていきたい。
1.1 研究の流れ
日本語 において助詞が構文上、重要な働 きをしていることは言 うまで もない。
その中で も比較的研究の進んでいるのが、助詞 「が」であ り 「の」であろう。 し か しなが ら、助詞 「が」が どのように連体助詞 としての職能 を失 ってい くのか、
また どのように主格助詞 としての位置 を確立 してい くのか、そ して接続助詞 とし ての位置をどのように確立 してい くのか、その詳細 については、 まだまだ明 らか にしなければな らない点が多 く残 されている。助詞 「が」 の用法の一つ として接 続の働きが現れるのが鎌倉 ・室町期であるといわれ る。その言語生活 を反映 して いると考 え られ る作品の中か ら 『重井筒』 (1704‑05)を本稿では取 り上げ、現 代語 における 「が」が どのよ うな変化 の過程 を経て成立 したのか について考察 し たい。考察の手順 としては、 これ まで助詞 「が」 との対で論 じられてきた 「の」
の働きと比較 しなが ら考察 を進めてい く。本論 を進める前 に 「が」 と 「の」 の研 究史の概略をまとめて示す と以下 のようになる。
助詞 「が」 と 「の」 についての研究は少な くない。青木 (1952)では、万葉集、
記紀歌謡、祝詞、宣命な どにおいて、助詞 「が」 は親愛、親近感 を表わ し、 さ ら にこれよ り転 じて軽侮、嫌悪、憎悪等 の感情 を表わす場合 に用 い られ、一方 「の」
は敬意 を表わす場合、 またはある程度心理的距離 を保つ場合 に用 い られ るとされ ている。平安時代の 「が
」
「の」にもほぼ 同様の区別が認め られ、話 し手 と心理的距離の小さい語 (親 しい関係の語)には 「が」、心理的距離の大 きい語で (親 しく ない関係の語) には 「の」がつ くという、 いわば親疎関係の差で 「が」 と 「の」 が用 い られていた という指摘がなされている。 この指摘 を深化 させ、大野(1978) は、その親疎の用法の基底 には、 ウチ ・ソ ト意識があると述べている0
院政鎌倉時代 あた りか ら 「が」は軽卑、「の」は尊敬 といった意味合 いを持つ語 との関係 を密接 にしてい くよ うになる。 山田 (1954)では、 これは 「が」が、そ の承 ける体言 に意義上の主点 を置 くのに対 し、「の」はそのかかる体言 に主点 を置 くという旨を述べている。そ して、此島 (1973)では、その表現上の差異が、軽 卑 と尊敬の意 となってあ らわれたのだ とす るが、やは り大野 (1987)の指摘す る よ うに、基本的には、 ウチ ・ソ ト意識か ら軽卑 「が」・尊敬 「の」 といった意味が 派生 し、そ こか らさ らに非尊敬へ とゆるやかな区別へ移行 し、やがて室町時代 を 境 にして、 このような意味の区別 も失われていった と考 える方がよ り妥 当であろ
う。
橋本 (1969)を受け、大野 (1987)は、構文上の働 きでは、 「が」 も 「の」 も もとは体言 (以下、A体富) と体言 (以下、B体言) とを結ぶ連体助詞であった こ とを明 らか にしている。すなわち、 もとは
「 A
体言 +が+B
体言」「 A
体言 +の+B体言」 という表現構造 をつ くっていた。 「が」 の承けるA体言 は主体が 「親 ・軽 卑 ・ウチ」 とみなす ものであ り、 「の」 の承けるA体言は主体が 「疎 ・尊敬 ・ソ ト」
とみなす ものであった。 この他 にまた
「 A
体言 十が +活用語連体形+B
体言」「 A
体言 +の+活用語連体形
+B
体言」な どの構造 もあ らわれ、時代が下 るとともにこ の構造 も多 くなってい く。そ して中世 になる と、連体形が終止形 を駆逐するとい う文法現象 に加 えて、 「が」「の」 の承 けるA体言 の意味上の差異 も失われ るとい う現象な どを背景 に、「 A
体言 +が」 は下の活用語 との結びつきを強め、一方「 A
体言 +の」は、下のB体言 との結びつきをます ます強めるようになる。 このように して現代語 の主格助詞 「が」、連体助詞 「の」は成立 した と考 え られている。 さら に 「が」は、その用法 を拡大 させ、接続助詞 としての機能 も備 えてい く。
以上のように、助詞 「が」「の」は、大 きな変化 を経て今 日に至 っている。 この 変化 を概略的に踏 まえなが ら、『重井筒』では助詞 「が」 と 「の」が どのように用 い られて いるのか につ いて観察 しなが ら、連体 助詞 として の機能 を失 って い く
「が」 の有様、そ して主格助詞成立の様子、加 えて接続助詞成立の様子 について
観察 してい く。
1.2 用例抽出の方法 と示 し方
まず、『近松浄瑠璃集上』日本古典文学大系に基づいて 『重井筒』における 「が」
「の」の全用例 を前後 の文脈 とともに抽出 した。抽出 した 「が
」
「の」は、その用 法 に基づいて、大 き く主格用法 と連体修飾用法、接続用法 に分類 し研究 ノー ト「『重井筒』 中之巻 における 「が」 と 「の」」 (2008)としてまとめた。
本稿 を進めるにあたっては、「が」 と 「の」の用例数 を示す必要があるが、その 場合、全用例数 を示すのか、 あるいは異な り語数 を示すのか、 どち らの方法 をと るのか、選択す る必要がある。 まず 『重井筒』 中之巻 における 「が」 と 「の」 の 全容 を把握するためにも、できるだけ筆者がデータに手 を加 えることな く、すべ ての用例数 を示すほうが 『重井筒』中之巻 の言語実態 に即す ものと考 え られ る。そ の後で、必要 に応 じて、異な り語数 を示す ことにするが、断 りがない限 りは、す べての用例数 を示す こととす る。次 に大野 (1987)のデータおよび新垣 (2006) に本データを加え、データをグ ラフ化 してい く。 『重井筒』中之巻 のデータは全用 例数 をそのまま数値化 した。
2 .
『重井筒』中之巻における 「が」の様相『重井筒』 中之巻 において助詞 「が」は、 「我亜 身」 のような連体助詞の用例が み られる他 に、「目壁見 えず」のよ うな主格助詞 の用例 もみ られ る。 さ らに 「痕は 付けまい更 うぬが命 に疲付ける。」のよ うな接続用法の例 も見 られ る.その内訳 を みると、連体修飾の 「が」は13例、主格助詞は38例、接続助詞が15例であった。
これ らの合計は66例である。 これ を100として 『重井筒』 中之巻 における 「が」
の有様 を示せば、 (図1)のようになる。
「が」のもともとの職能であった連体用法 を、主格用法さ らには接続用法 まで も が、用例数 として上回る結果 となっている。 しか しなが ら、「が」の連体用法 も併 用 されてお り、 まさに 「が」 の用法の移行 ・発展 ・残存 といった様相 を表わす結 果 となっているといえよう。
重 井 筒 中 之 巻 に お ける「が 」の 比 率
0 0% 手 芸
彫 刻 接 続 .16
[表1] % 実数
連体 8 4
主格 76 38
接続 16 8
計 100 50
2.1 連体用法の 「が」 と 「の」
助詞 「が」 と 「の」 は、その職能ゆえに両者 を対照 させなが ら、みてい く必要 があることは先行研究 の示す ところである。
まず ここでは、連体用法の 「が」 について 「の」 と比較 しなが ら論 じてい く。
主格用法の 「が」、接続用法の 「が」 については後述す る。
『重井筒』中之巻 における 「が」 「の」の承 ける形式 について、各々全用例数でみ ると 「が」の承ける形式は66語、 「の」の承ける形式は163語であった。 この用例 については新垣 (2006手稿 ・研究 ノー ト) に基づいている。全用例 を100とした 場合 に、両者の承ける形式 を比較 してみる と (図2)のようになる。 「の」の承け る形式は92パーセ ン トを占め、 「の」 は 「が」 よ りも多 くの形式 を承 けている こ とがわかる。
(図2)
さらに連体用法の 「が」 と 「の」の承 ける形式 を異な り語数でみると、 「が」の 承 ける形式は8語で あった。 また 「の」 の承 ける形式 は106語 であった。 これ を
「が」「の」各々について、 [表3]のよ うに 「(1)人 を表わす語」 と 「(2)人以外 の語」 とに分 け、その比率 をみる と次のよ うになる。
[表3] が の
実数 異な り語数 実数 異な り語数
(1)人を表す語 13 9 24 23
(2)人以外の語 37 34 142 71
[表3]か ら、 「が」 と 「の」 は概 して異なる語 を承 けている といえよ う。すなわ ち、 「が」は主 に 「(1)人を表わす語」 を承 け、 「の」は 「(2)人以外の語」 を承 けているといえる。 この ことは大 き く先行研究 の示す他 の作品における 「が」 と
「の」 の使用比率の結果 に合致す るといえる。
『重井筒』 における 「の」 の承 ける形式 に着 目す る と、 「私」 「女夫」 にお いて
「が」 「の」 の両助詞で承 ける例が見 出せた. 「私蚕顔」 「私丞三受合 い」 「私垂三ほれ たのはいろはの中に有 るといふ」「私蚕智恵ではあるまい。」「私壁御無心御恩 に受 けうと有 りければ。」「私92,もの」「女夫亜何 に借銭 しませ うぞ」「女夫堅 いひ合せ」
「女夫里 中」 「女 ども女房91印判 まで を引捜 し。」
『曽根崎心 中』 では 「三△ の心ぞ」「
三
△が 中に降 る涙」 といった各1例 の例 を 見出す ことができた。 また 『堀川波鼓』で も 「二人の袖下」 「二人の挟」 「二人の 女」のように 「二人」 という語 は 「の」で承 け られて いた。新垣 (2006a)で指 摘 したように、本来、数詞である 「二人」 は 「の」で承 けるべきところであるが、『曽根崎心 中』『堀川波穀』では 「の」 「が」 の両方で承けてお り、承ける体言の ウチ ・ソ ト意識 に混乱が生 じていることがわかる。 では 『重井筒』 中之巻 ・下之 巻 においては どのような状況 にあるか といえば、 「二人92̲親」 1例 を確認す る こと はできたが、 「が」で 「二人」 を承ける例は見 出せなかった。
上記の例 のよ うに 「が」 と 「の」 の承ける体言が混乱す る例がみ られ るものの、
基本的には、承ける体言は重複す る ことな く、整然 と区別 を保 っている。つ ま り、
『曽根崎心中』『堀川波鼓』『重井筒』上之巻 において助詞 「が」 と 「の」は、そ の承ける形式 を異にす ることで、基本的 にはその機能 を区別 している状況にある といえる。
2.1.1 「が」の用法
[表3]では、助詞 「が」 と 「の」が承ける体言 を 「(1)人 を表わす語」 と 「(2)
人以外 の語」 に分 けて示 した。 「が」 の連体用法 にお いて、承 ける体言 の 「(1) 人を表わす語」は、さらに[代名詞 ・親族語桑][人名]のように下位分類できる。 こ れ らに分類 され る語嚢は次の通 りである。例 えば、[代名詞 ・親族語柔]には 「うぬ」
わた し わ し
「おれ
」
「君」
「我」
「私」
「私」 といった語例がみ られた。 [人名]には 「小市郎」「竹」 というものがみ られた。 これ を以下〔表4]に示す。
平安時代 になると、「が」の用法 として、ウチ扱 いす る相手の範囲がやや広 くな り、夫や妻 ・親子だけという限 られたウチの人か ら、次第 に 「召使」な どまで も 承 けるよ うになって くる ことが、大野 (1987)で述べ られているO 『重井筒』で は 「丁稚め」を 「が」で承けている。 しか しなが ら 「丁稚めが帖にちがひな しと。」 という例であ り、 「が」 の主格用法 となっている。
また 『曽根崎心中』では 「奴」を 「が」で承 けていた。 『堀川波鼓』で も 「が」は、
ごく身近な人を承 けているといえるが、 「下女
」
「下人」 も 「が」で承 けている。「召使」 と 「下女
」
「下人」
「奴」 を同列 に扱 うことができるのか ということと、前代 において、 これ らが 「が」で承け られていたか どうかについて も調べてみる 必要がある。大野(1987)によれば、 「が」は年月 とともにその使われ方が拡大 し、
承 ける形式 についていえば、呼び捨てにす る人間の名前 を承けた との報告がある。
例えば、「漢文訓読な どで、官職 の名 もない人名だけの名前が出て くるが、その大 部分 を 「が」で承 けている。人の名前を呼び捨てにす るのは、相手 をウチ扱 いす るものだ という古 い習慣 によ り、人名 を扱 う場合 には 「が」 を用 いた」 と解釈 し ている。 このような用法は 『重井筒』上之巻 にも見 られ、既述 のとお り 「が」は
「小市郎
」
「竹」 といった人名 を承けている。次 に時間を表わす 「今 日
」
「明 日」といった体言 についてであるが、これ につい て も新垣 (2006a)で指摘 した とお りで ある。 『曽根 崎心 中』では 「全且 が 日ま で」
「盟 且の こと」という用例が現れていたが、「が」の働きを考 えれば、「人以外 の語」である 「今 日」 は、本来のウチ ・ソ トの関係でいえば 「の」で承け られる べき ところである。 『堀川波鼓』では 「全且の祭客」
「全且のはれ」 のように 「今 日」が 「の」で承 け られて いる例が2例認 め られた。 また 『重井筒』では 「が」で承ける例が見 出せなか った。今後 よ り多 くのデータを収集す る必要はあるが、
近松作品において 「今 日」 という体言は次第 にウチ ・ソ ト意識崩壊 の渦 中にある といえよ う。
[表
4 1
連体助詞 「が」の承ける語「(1)人を表わす語」
代名詞 .親族語桑 .・兄貴 までが、お前が、女 どもが、誰が、飛脚屋が、
が、私が、丁稚が
[表5]連体助詞 「が」の承ける語
「(2)人以外の語」
次に 「が」の用例は比較的少ないとはいえ、 [表5]のように 「(2)人以外の語」
も承ける。上記の具体的な用例は 「外卓三内。」というものである.客観事物を表わ す 「外」を 「が」で承けているということは、 「外」を話 し手である 「我」が身近 であると捉えていることになる、その点で 「が」の承ける体言が前代よ りも拡大
したといえる。
2.1.2 「の」の用法
ここでは、上述の 「が」 との対比 として 「の」の用法 についてみていく。 「の」
は圧倒的に客観事物 を承けるが、比較的少ないとはいえ、[表6]のように 「(1)人 を表わす語」 も承ける。
[表6] 「の」の承ける 「(1)人を表わす語」
代名詞 .親族語柔 ..こなたの、そなたの、兄貴の、男男の、男の、女 どもの、
主の、人の、私の、兄御の、兄嫁御 の、入婿の、男の、旦那の、女房の、
夫婦の、孫の、女夫の、隠居様の、隠居の、夫の、親仁の
次に 「の」の多 くは 「(2)人以外の語」を承ける。 これ を示せば、[表61のよう になる。所属語嚢が多いが、紙面の許す限 り語例 を示 していく。
[表6] 「の」の承ける 「(2)人以外の語」
数詞 ‑ 三世の、二人の、二人 目の、三十ばか りの、丁銀四百 日包の、三十 日 の、千々の
地名 ・場所 ・・堀江の、伊勢の、内の、内外の、奥の、門の、京の、紺屋の、
下の、谷町の、茶屋の、内々の、中の、中の島の、人置の、鎗屋町の、吉 文字屋の、六軒町の、方 々の、客衆 とや らの、南の、最前の
時間 ‑ 昨夜限の、明 日の、 いつ もの、今 の、重井筒 の、今 日の、後 目の、今 宵の、師走の、正 月前の、年季の、後の
自然 ・植物 ・天候 ・・月の、霜の
身体 に関する語 ‑ 我が身の、 身代 の、阿保の、坊主天窓の、頭痛の、 いふ顔 の、老眼の
人の感情 ・身につけるもの ・・下心の、心の、気 の、宵寝 まどひの、誹の 食物 ・・酒の、塩の
神 ・・諸イ弗の、法界の、氏神様の
その他 ・・暖簾、何 の、跡の、家の、生死 の、一夜の、一服の、踊の、銀 の、
釜の、大事の、薪の、涙の、鋸屑の、虎落の、 いろはの、寮事 の、徐の、
よそよその、留守の、持 って行 けとの、 あの、彼の、此の、その、其の、
是程の、 とて もの、捨てたの、退 いての、銀 まで見せての
3 .「 が 」 の 「 承ける形式」 と 「 かかる形式」の変化
3.1 「が」の用法の変遷これまでは、「A体言 +が+B体言」の用法 について 「A体言 十の+B体言」と比 較 しなが ら、「が」の用法 についてみてきた。 ここでは、助詞 「が」の 「承ける形 式」 と 「かかる形式」 の変化 について観察 し、主格助詞 「が」 の成立 には どのよ うな構文上の要 因があるのか について考察す る手がか りとしたい。大野 (1987) では、すで に奈良時代 に、B体言 の部分 に用言が くる例がみ られ る ことが指摘 さ れているが、「が」の下 に用言 の終止形がきて、文 を終止す る例はまだ発見できな い旨が述べ られている。 「が」の変遷 にはい くつかのバ リエー シ ョンが存在す るこ とは推測す るに難 くな く、大野 (1987)では、おおよそ5つのパ ター ンで 「が」
の承ける形式、かかる形式の変化の様子 を示 している。 しか しなが ら充分 に整理 しつ くされているか といえば、必ず しもそ うではな く、 この項 については今後、
資料の整理 を通 して考察 を深める必要がある。今回は大野 (1987)の分類 をでき るだけ忠実 に概略 しなが ら 『重井筒』 の用例 を示す にとどめる。
3.2 「ウチなる体言 +が +用言の連体形」
「が」 の下の用言 の下 には、
1) 君 亜 行 く道 (万葉集3724・連体) 2) 我 亜 待 ち国益 に (万葉集3957・連体)
上記のように、体言 または体言 を承 けるはず の助詞な どが くる。 1)の 「行 く」
は連体形で、 「道」にかか り収 まってい く。 また2)の 「に」 という助詞は、名詞 を 承けるのが一般的であるので、動詞 を承 ける際には連体形 を承ける。 「間ふ」も連 体形であ り、結局の ところ、 1)も2)も 「体言が体言」 という形 に集約 され る。そ して 「が」 の下 には決 して形容詞が こないことが特徴であ り、なぜ 「が」 の下 に は形容詞が こないのか、 ということが問題なのである。
3.3 「ウチなる用言 +が +シク活用 +さ」
「が」の下 には決 して形容詞が こない ことが大野 (1987)によ り指摘 され、な ぜ 「が」 の下 には形容詞が こないのか、 ということについて、形容詞 をク活用、
シク活用 に分け、その職能 と合わせて興味深 い指摘がなされている。 (p.133) なぜ、「が」の下 に形容詞が こないのか とい うことについて次のように述べてい る。
1)吾 を待たす らむ 畳 が か
な
しさ (万葉集890・連体) 2)春菜摘む子 を 星亘 が かな しさ (万葉集1442・連体)上記のよ うな例である。助詞 「が」はウチの人間を承 ける助詞であったが、特 に 「吾 ・我」な どを承 ける ことが圧倒的に多かった。つま り、上記 の2)「が」 の 承けている 「見 る」 とい う連体形は、 ウチの人間の、特 に 「我」 の行為その もの として扱われた もの と考 え られる。そ して 「が」 の下 には 「かな しさ」 のような 情緒 を表わす名詞 を置 き、これ によ り 「見 るがかな しさ」(自分が見 るのはかな し い) ということを表現 している。 ここで重要な ことは、用言 を承けるという用法 が誕生 した ということである。
時代の下る 『堀川波穀』では、 このような用法がすで に確立 されていると考 え られるが、その用例は見 出せなかった。
3.4 「用言の連体形 +が」の用法
ウチ扱いの体言 を承ける 「が」が、すでに 『万葉集』 にも、わずかではあるが み られる。大野(1987)は次のよ うな例 を示 している。
寄 るべき磯 の塞豊 が 淋 し皇 (万葉集3226・連体)
「が」は もともと人間 しか承けなかったのだが、上記の例は形容詞の連体形 を承 けている。そ して、その下 には シク活用の形容詞 「さぶ し」 を連体形 にした 「さ ぶ しき」がきている。 さ らに、平安時代 になると、 このよ うな用法が拡大 されて、
事柄全体 を 「が」で承 けるようになってい く。
みづか ら聞 こえぬ が わ りなき三上 (蟻輪 日記上巻 ・連体) 酒なれば飲んであげ る が ご馳走 と。 (堀川波鼓 ・連体)
このように用言 の連体形の下 に 「が」 がきて、それが下の 「淋 しい」や 「わ り ない」といった情意表現 につづいてい くという形は、「が」の用法の発展 として注 目されると大野 (1987)は述べている。
以上は助詞 「が」 の連体用法である。次 に 「が」 の主格用法 について観察 して い く。
『曽根崎心中』『堀川波鼓』では 「用言 の連体形 +が+形式」 の形が表われてい るが、必ず しも 「が」 の下 には情意表現 の語桑がきているわけではない。 これは 大野 (1987)が例示 している 『鯖蛤 日記』の用法よ りも、よ り発展 した 「が」の 用法であると考 え られ る。
さて話す こと が 互 を (曽根崎心中 ・主格)
此の母 と吏̲基△ が 此の世があの世へかへって も。 にぎった銀 を逆立呈 蛙三三 。京 の五候の醤油問屋常 々銀の取 りや りすれば。是 を頬 に上って見 て も折 しも悪 う銀 もな し。 (曽根崎心中 ・主格)
次 に接続用法 について観察 してい く。
門に立ちける が 内には男の喚声。 (重井筒 ・接続)
3.5 「ソ ト扱 いの形式 十が +シク活用」
3.2で見てきたように、助詞 「が」が動詞の連体形 を承ける場合、その動作主体 は、当初 自分 自身であった ことは、想像 に難 くない。 『万葉集』以来 「が」の承 け る体言の多 くが 「我
」
「吾」であった ことを見て もこの ことは理解できる。 しか し、「が」は徐 々に、 自分 の動作 に限 らず相手の動作、第三者的な状態、 あるいは形 容詞 の連体形 まで も承 けるよ うに、用法 を拡大 していった。 『万葉集』にはわず か なが ら、次 のよ うな例が ある ことを大野 (1987)では指摘 している。
初瀬川寄 るべき磯 の塞豊 が さぶ しさ (万葉集3226・連体)
これは 「寄 るべきよい磯 の無 い ことの淋 しさよ」 とい う意味である。 ここでは
「が」 は、 「無 し」 とい う語 を承 けて いる。 これは 「が」 の承 ける形式が3.2で見 たよ うな 「我」の行為そ の もの として扱 われた形式ではないにも関わ らず、「が」で 承 けた とい う意味で、 「が」 の用法が拡大 した例 といえる。
3,6 「ウチな る用言 +が +ク活用 (さ)」
助詞 「が」 は、そ の下 にク活用 の形容詞 を基幹 とす る名詞相 当の形式 をBとし て持つ に至 る。 このよ うな用例 もわず か に見 出せ る。
活 き川瀬 を 見 る が さや けさ (万葉集1737・連体)
『重井筒』では、 「ウチなる用言 十が +ク活用 (さ)」 の形は見 出せなか ったが、
次 に示す よ うな 「体言 +が +ク活用」 の形が1例、見 出せた。
塵 が 重 うて (曽根崎心 中 ・主格)
この例は 「が」 のかか る形式が、形容詞で ある こと、 さ らには連用形 になって いる点で、「が」のかか る形式 としては、ひ とつそ の用法 を拡大 させ た といえよ う。
しか しなが ら、「が」の承 ける形式 としてはウチなる体言 の範 囲内である といえる。
3.7 「体言 +が +形容詞」
3.2では、 『万葉集』 では 「が」 の下 に形容詞が こな い、 とい うことについてそ の概略 を述べた。時代 の下 った 『重井筒』『堀川波鼓』では次 のよ うな例が見 られ る。
瀬戸 が な うてな うて うか うか と尽 した。 (重井筒 ・主格) 是 が 嬉 しか ろ うか。 (重井筒 ・主格) 房め が 後 の為 もよい。 (重井筒 ・主格) 手鼓な りとも打 った が よ吏 (堀川波鼓 ・主格)
曲 が を邑 (堀川波鼓 ・主格)
以上、3.「が」 の 「承 ける形式」 と 「かか る形式」 の変化 につ いて述べたが、
これは、主格助詞 「が」 の成立 を考える上で、 もっとも核心 となる点であると考 え られるので資料の整備がいそがれ る。
4.
接続助詞 「が」の成立 4.1「が」の用法の拡大次世代 を担 うべ く 「が」 の用法 は拡大 されて い く。そ の ことにつ いては大野 (1987)に詳 しいので概略みてい く。
古典語 といわれ る鎌倉時代 までの作品では、 「の」は 「が」の20倍か ら8 倍 くらいの使用頻度であった。 ところが、室町時代以降 になると、「の」の
「が」 に対す る倍率は3.9か ら1.4倍 くらいに激減する。 この激減 の理 由は、
「が」 の用法の拡大 にある。つま り 「が」 の用法が次第 に拡大 され、多用 されるに至 ったか らである。 まず、「が」の用法が拡大す るさきがけとして、
次のような例がある。
世 もめでた く治 まって、民のわづ らひ もなか りLが、高倉宮の御謀反 に よって又天下乱れて (『平家物語』巻五富士川)
今 日み られる 「見た丞三分か らなかった」のよ うな、いわゆる接続助詞 「が」
の用法が この鎌倉時代か ら顕著 になってきた。
以上のよ うな接続助詞の用法が 『天草本平家物語』 では 「が」 の全例のおよそ 20パーセ ン トを占めている との ことである.ちなみ に、 『重井筒』では 「が」 の 接続用法の例は、図1で示 したように23パーセ ン トとなっている。
表8,表9は各作品における 「が
」
「の」 の全用例数 を示 した ものである。 これ を グラフ化 したのが図3,図4である。 図3,図4を比較す ると、「が」の用例数は概 して 増加傾向にあることがわかる。 これは既述 のよ うな接続助詞 「が」 の用法が確立 された ことに起因す るものと考え られ る。しか しなが ら、「が」の用例 の増加 の要因は、これだけではな く、その他 にも次 のような ことが考 え られ る。 これ まで連体用法が主であった 「が」は、 ウチの人 間だけを承け、また 「我が国」のように、体言 と体言 を結ぶ働 きをしていた 「が」
が 『平家物語』では 「我が行 く道
」
「君が とるもの」 といったよ うに、下 に用言の くる例が非常 に増えて くる。そ して 「が」の下 に直接体言が くるよ うな 「梅が香」 のような 「体言 +が +体言」といった用法が減少 してい く。 この 「君が為」
「荻が表8 作 品名 が の のの倍率
平 安 鎌
倉 土佐 日記 21 451 21.5 源氏物語 96119,539 20.3 百座法談 55 896 16.3 宇治拾遺物語 617 5,650 9.1 徒然草 106 1,491 14.1
表9 作品名 が の のの倍率
室町 以
降 天草本平家物語 1,514 5,904 3.9 天草本伊曾保物語 425 1,547 3.6 昨日は今日の物語 125 519 4.2 雑兵物語 481 653 1.4 曽根崎心 中 95 371 3.9 重井筒上之巻 66 163 2.5 重井筒 中之巻 50 181 3.6 堀川波鼓 102 484 4.7 雁 1,356 2,934 2.2
枝」(「体言 +が +体言」)のよ うな本来か らの用法は、鎌倉時代 の作品では、 「体 言 +が +形式」の形のおよそ70パーセ ン トを占めて いた ことが大野 (1987)によ り指摘 されている。 しか し図5に示す通 り 『天草本平家物語』では、それが30パー セ ン トに減 っている。そ して現代語では さ らに減少 し、数 えるほ どしかない状況 である。その代わ りに 「体言 +が +用言」 といった形が非常 に増 えてきた。
図5に示 した
「
「が」 のかか る形 式 比率」 のグ ラ フは、大 野 (1987p.153)の データに 『曽根崎心 中』
『堀川波鼓』そ して 『重井筒』のデータを加 え、筆者が作 成 した ものである。大野 (1987)ではパーセ ン トの値が示 されているに留 まって いるが、 どのよ うな数 を どのよ うに算 出 したのかが非常 に重要である と思われ る ので、参考資料 として以下 に具体 的な用例数 を示 してお く。 『重井筒』 では助詞「が」が体言 にかかる例 (連体用法)が13例認め られた。 また、用言 にかかる例 (主格用 法) は38例 で あった。表1をあわせ て参 照 され た い。 これ を100として パーセ ン トの値 を出 した ものが図5で ある。
図
5「
「が」 のかかる形式比率」 をみ る と、 『古本説話集』 には じま り、 『宇治拾 遺物語』『徒然草』『天草本平家物語』『雑 兵物語』 と 「が」 のかか る形式 に 「用 言」が くる用例が増 えている ことがわか るO 『雑兵物語』よ りも時代 の下 る 『曽根 崎心 中』『堀川波鼓』『重井筒』の 「が」のかかる形式 としては、 「用言」の形が増 加す るもの と予測 していたが、結果 としては用言 にかか る用例 は 『雑兵物語』 よりも少な くなっている。
また、大野 (1987)も指摘す るよ うに 『お伽草子』 の値 につ いては今後考察 を 深 める必要が ある。
(図5)
「が 」の か か る形 式 比 率
古 本 説 話 集 (平 安 末‑鎌 倉 ) 宇 治 拾 遺 物 語(1242) 徒 然 草(1330) 天 草 本 平 家 物 語(1592) 雑 兵 物 語(1683) 曽根 崎 心 中(1703) 堀 川 波 鼓(1706) 重 井 筒 上 之巻(1704‑1705) 重 井 筒 中 之 巻(1704‑1705) お伽 草 子(1716‑1736)
ロ 「体 言 が体 言 」 ロ 「体 言 が用言」
0% 20% 40% 60% 80% 100%
以上、 図5に示す よ うに 「が」 は、そ のかか る形式 を変化 させ る。 これ と平行 して承 ける形式 も変化、拡大 させ て いった ことは
、「 3 .
「が」 の 「承 ける形式」と 「かか る形式」 の変化」で述べた とお りである。
古 くはウチの人間が大部分 を占めていたのに、 『天草本平家物語』 では、 「人 目 壁 しげ うござるによって
」
「足音亜 高 う聞 こえたれば」
「夜亜 更 けま らせ うずれ ど も」 のよ うに 「人 目」
「足音」
「夜」 な ど、古 くは ソ ト扱 い した もの も 「が」 で承 ける例が増えて いるとの結果が大野 (1987)でな されている。 これは 「が」で承 ける体言 と 「の」 で承 ける体言 とが、 ほ とん ど同 じものにな って しまった、 あるいは、 まった く同 じよ うな働 きをす るよ うにな った という現象のあ らわれで、結 局のところ、話 し手である我が、何 をウチ とし何 をソ トと捉 えるか という観念が 混乱 し、従来のよ うな固定的なウチ ・ソ ト意識が崩壊 した ことを意味す る。 また 大野 (1987)は、社会生活 における階層の別 の混乱が、ウチ とソ ト、軽蔑 と尊敬 を区別す るのに用 い られた 「が」 と 「の」 の用法の混乱 という形で、言語 に反映 された旨を述べている。
しか も、 ウチ ・ソ トの混乱 によ り 「が」 と 「の」 の区別が変化す るにあた り、
かつては 「が」 に比較 して、 「の」 の使用頻度が高いのに対 し、 「が」が 「の」 の 役割 を奪 うことによ り勢力を増 してい く傾向が顕著である。例えば古 い写本では、
其の人里 亡びた らば (平家物語 ・巻‑殿下乗合) 其の人亜亡びた らば (天草本平家物語)
とあることは大野 (1987p.155)の指摘す るところである。 このよ うに、 「が」が
「の」 にとって変わっているのである。
つまり、先 にも述べたが、 「が」の接続用法の確立、発展が助詞 「が」の使用頻 度 を高める要因 となったのである。 『重井筒』における 「が」 と 「の」が同一体言 を承ける用例 をまとめると[表10]のよ うになる。
[表10] 「が」 と 「の」が同一体言 を承ける用例
わし 私が顔わし 私 の物
私 わし
私が智恵ではあるまい○
私 私がほれたのはいろはの中に有 るといふ○
私が受合ひ
女夫 女夫が何 に借銭 しませ うぞ 女夫の中
6 .まとめ
助詞 「が」 のもともとの働 きは 「体言」 と 「体言」 とを結ぶ働 きであった こと は先に述べた通 りである。 「が」の承ける体言 を 「A体言」、 「が」のかかる体言 を
「B体言」 とす ると、助詞 「が」 はその双方の形 を少 しずつ変化 させ ることで、
その職能 を広げ る とともに、その使用頻度 を増 しなが ら、現代 日本語 における主 格助詞 という位置 を獲得 し、 さ らには接続助詞 とい う機能 をも持つよ うになった。
大野 (1987)は、助詞 「が」 の承 ける 「A体言」 と、 「が」 のかか る 「B体言」
のそれぞれ につ いて、それぞれが どのよ うな段階 を経て変化 して きたのか につい て研究 して いる。大野 (1987)のデータは助詞 「が」 と 「の」 の関係 の変遷 を見 てい く上で重要なデータである ことは周知 の通 りで ある。 しか しなが ら、それで 充分であるか といえば必ず しもそ うではない。 図3、図4か らもわか るよ うに、大 野 (1987)のデー タ には1700年代〜1800年代 の資料 が不足 して いる。本稿では 1704か ら1705年 にかけて成立 した といわれ る 『重井筒』を取 り上げ、大野のデー タを補 った。 『重井筒』では、 「が」 が どのよ うな状況 にあるのか観察す るととも に、それが、助詞 「が」全体 の変化 の過程 にお いて どのよ うな位置 を占めるのか、
大野のデータ も含 めてグ ラフ化 した。
そ の結果 は、図3、図4に示 した通 りで ある。平安時代か ら明治時代 にかけての 各作 品の 中に 『重井筒』 の 「が」 と 「の」 の比率 を当てはめてみ る と、 『土佐 日 記』以来 「が」 の使用比率は若干 の増減 をみせなが らも、全体 として増加傾 向に あるといえる。 『重井筒』 の場合 もその変化 に合致す る といえよ う。
次 に図5は、各作 品 にお ける 「が」 のかか る形式 の比率 につ いてグ ラフ化 した ものである。 これ も増減 はみ られ るものの全体 としては 「体言が体言」 の形か ら
「体言が用言」の形へ と移行 して いる とみ られ る。 『重井筒』の場合 もこの変化 の 中にあるもの と解 され るが、大野 (1987)で も指摘 されているよ うに 『お伽草子』
の数値が突 出 して 「体言が体言」 の形 にな って いるので、そ の要 因解 明 について は今後 の課題である。
以上が各作品の中における 『重井筒』 の 「が」 の有様である。以下 『重井筒』
に着 目し、その 「が」 の有様 についてみてい く。
まず、本来、連体助詞 としての働 きをす る助詞 「が」であるが、『重井筒』では わた
し
わし「うぬ
」
「おれ」
「君」
「我」
「私」
「私」 といった体言 を承 けて いる。そ して 「小市 郎」
「竹」
「房」 といった人名 も承 けて いる。 さ らに、 「外」 といった 「人以外 の 語」 をも承 けて る。 しか しなが ら、基本的 にはウチなる体言 は 「が」 で承 け られ て いる といえよ う。次 に、主格用法 の 「が」について まとめる。 『重井筒』にお ける 「が」の割合 を
見てみると、66例 中、主格助詞は38例 (連体助詞は13例、接続助詞は15例)となっ ている (図1,表1参照)。具体例 をあげれば次のようになる。 「目が見 えず
」
「噂が あかぬのあかぬの」な どである。『重井筒』における 「が」の有様は、連体助詞 としては承 ける体言 (A体言) を ウチ ・ソ トで区別 しなが らも、前代よ りもウチ扱 いの体言 を拡大 させている。 さ らに、主格用法が発達 し、「是亜嬉 しかろうか.
」
「瀬戸蚕 な うて」のように、かか る体言 (B体言) に形容詞が くる例 もみ られ る。以上のように、『重井筒』における 「が」 と 「の」の承ける形式、かかる形式 に ついてデータをまとめ、助詞 「が」 の3つ の (連体 ・主格 ・接続)用法 の有様 に ついて観察 した。今一度、本研究 の概要 をまとめると次のよ うになる0
Ⅰ.大野 (1987)のデータに 『重井筒』のデータを加 え、グ ラフ化 し 「が」の用 法の変遷 について観察 した。
Ⅱ.『重井筒』 にみ られる 「が」 の用法の整理 をした。
前代 までの用例の基準か ら逸脱す ると考 え られ る 「が」用法 1. 連体用法
(
「が」 の承 ける語)① 「丁稚め」 (侮蔑語)、② 「外」 (客観事物) 2.主格用法
① 「是亜嬉 しかろうか。
」
「瀬戸壁 な うて」 (形容詞 にかかる) 3.接続用法① 「亭主 も辻 まで行 くか と見 え し亜三十ばか りの女房 と。」、② 「高年町に 帰 りし壁O」
以上が本研究 の概要で ある。今後 の課題 としては、近松 の他 の作 品 にお ける
「が」 について も調査 を進め、①連体助詞 としての 「が」 の衰退の有様、②主格 助詞 「が」 の成立 (承 ける形式 ・かかる形式の変化 を中心 にみてい く)、③接続助 詞 「が」の成立 について、その詳細 を明 らか にしてい く。特 に、「が」の承 ける形 式、かかる形式の変化 の詳細 をみる ことで、主格助詞 「が」 の成立の要因が明 ら かにされるものと考 え られ る。
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