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種 田 山 頭 火 論

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Academic year: 2021

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種 田 山 頭 火 論

教科・領域教育専攻

言語系(国語)コース

松井春奈

序章研究の目的と方法

種田山頭火には、俳句は、詠み手の掬庄の知 識があってこそ、その作品に対する理解度が深 まるとしづ持論が有る。それは、彼と同日制

t

の 俳句界における中心的な人物高浜虚子と相反す るもので、あった。だが、山頭jくの持論は、今日 における俳句の鑑賞等に引き継がれており、有 効である。そこで¥私も山頭火の持論に従い、

山頭火の俳句作品を探究してしだために、山頭 火の境涯と照合させながら研究してし1く。

また、僧侶に転身してからの山頭火は、酒の ような句から出発し、次第に水のような句を作 句することを目標にするようになる。同時に、

自身の境涯を〈淡如水〉とする理想像を目標に 掲げる。そもそも、山頭火にとっての酒のよう な句、水のような句とは何で、あったのか。水の 句そのものに何が詠まれていたかを分析すると 共に考察してし、くD

第 一 章 山 頭 火 の 生 涯

種田山頭火の一生を、出家以前、以後に大き く分けて辿ってして。特に出家以後では、その 年に栴教的で、あった出来事等をもとに山頭火そ の人に迫るD

第二章拠点を持つということ

山頭火は、文字通り「漂泊Jの旅をしていた。

だが、その放浪生活の中で、次第に庵を持つこ

指導教員 松原一義

とへの憧れを抱くようになっていった。山頭火 は、漂泊の旅以降、「三八九居J• f其中庵j・「風 来居j・f‑‑草 庵Jの四つもの居住地を一一{牛ずつ 持ったO 草庵とは、風流入が、自然の豊富な地 に禅的要素を取り入れながら文化活動を行う場 所である。山頭火の場合、水にこだわり、良質 な水なり温泉が沸いている場所を選び、適度に 人里離れた所に求めた口山頭火は家に「庵J と

「居Jの言葉を使用する。「庵Jは片田舎での素 朴な生活を、「居jは町中に近い所での生活であ る口山頭火は、それぞれの場所で地域の句会な ど文芸活動に参加していた。

それだけではなく、山頭火は、そこから日本 各地への旅に出発し、また戻ってくる。「庵j

「居」はし、わば拠点で、あるO

どちらの拠点にせよ、山頭火が‑併に留まり 続けると、仏教よりも文学に対する比重が大き くなってしまう。漂泊の旅へと赴くのは、その 反動によるものだろう。山頭火の内に、句作の 向上や僧侶としての向とへの願いを秘めていた のではないだろうカもこれらを受け入れてくれ る場所を、拠点が担っていたと考える。

第三章 山頭火と水一一代句集『草オ持』を通して 山頭

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くが一代句集『草木塔』に詠んだ「水j

には、空からの降水と大気中を漂う細かな水・

地上の水に大きく分類することができる口水の

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内 ぺ

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つ ム

(2)

素材の分析を試みた結果、山頭火は、中でも芭 蕉ら先人の漂泊者たちが好んで使用していた素 材「時雨Jを意識し、こだ、わっていたことが分 かった。作品から、先人たちは雨を凌いだが、

山頭火は時雨に同化していこうとしたことが分 かったO 山頭火は、自分自身の信念を貫き、彼

らの時雨の系譜を引き継ぎはしなかった。

また、水音を頼りにしたり、水流に沿って歩 んでいくことで、水とともに旅をし、そして水 を求めて歩んだ。

また、水の素材の分析から、山頭火は、単に 水好きとし1う理由だけではそこに前生する

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71<.J を詠まなかった。「水jの用語の使い分けをし、

脚色もしているのではないだろうカもそして、

あまり好きではない類の「水jでも、悪く詠ん ではいない。その対象の「水Jの句からは、む しろ自分が自然と一体化できるような雰囲気を 愛していたようだ口それによって、修行の様子 を詠んだ勾や、「水jのそのままの様子を詠んで いるものに分けていたようである。

第四章酒のような句、水のような句

修行を始めた頃の句が収録されている「鉢の 子Jは酒のような句であり、「山行水行」が始ま る頃は、酒と水が混合したような匂であり、こ れからは水のような匂を目指すとしづ。作品と 作家の掬匡とが呼応するという持論を持つ山頭 火は、水のような句を作り、同時に〈淡如水) の場産ぺ子き着くことを目指す。

分析の結果、酒のような句および水のような 句の見分け方は、純粋に出来たか、それとも不 純にで、きたかが鍵で、あった。そして、酒のよう な句とは推考を重ねて作り上げた俳句のことで あり、水のような匂とは雑念のないまま素直に 詠んだ句のことだと考える。

第五章 山頭jくと旅

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昭和十四年の鳴門への来訪

山頭火は、本学のある鳴門市へも二度来訪し たことがある。本章では、一度目の来訪が空白

の自制~と呼ばれる昭和三年のため、資料の残る

二度目の来訪、昭和十四年を考察する。山頭火 は、四国へ愛媛から入ってきたO そこから四国 八十八ヵ所第一番札所のある鳴門を目指し、そ

してまず向かったのは鳴門海峡で、あった。

山頭火が鳴門市へ来た理由は、俳句と同じ短 京間文学で、ある和歌の耕土に鳴門があるからで はないだろうか。山頭火が鳴門でどのように過 ごしたのか、山頭火の俳句から検証する。

ーす車の山頭jくの行動を辿ってし、くと、山頭火 が鳴門に訪れたのは、第一番札所へ行こうと思 ったこと、そして単なる鳴門j毎峡への見物だけ ではないとしづ見解に至った。『遍路日言己~~士、

その冒頭部の時を月始めに設定し、場所は多く の遍路者と同様に、四国の玄関口として利用さ れてきた鳴門市岡崎の地に設定し、調整を図っ ているように窺える。

『遍路日言己』は、日記でありながら、読者を想 定、;蔀哉しており、一種の虚構を交えて執筆し たと捉えることができる。

終章研究の成果と課題

種田山頭火についての人と文学について研究 していくにあたり、山E長たの持論である作品を よく瑚卒するには、作家の境涯と深し、結びつき があることがよく分かったO やはり、今日に引 き継ぐ俳句の鑑賞文の汗須長は有効で、あったのだO

また、ヌ岡高における酒のような句、水のよう な句は、一代句集『草木塔』における「行乞途 上jまでしか考察していないむその後、山頭火 がどのように水のような句へ近づいていき、果 たしてく淡如水)の掬匡に成り得たのか、課題 が残る。

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