固定への道﹂︑斎藤義光氏﹁紹巴連歌の特質﹂︑両角倉一氏﹁紹
巴連歌試考﹂等の御研究を踏まえられたものである︒
︵2︶斎藤義光氏﹁紹巴連歌の特質﹂ ︵昭和三二年九月﹃国語と国文
学﹄︶
︵3︶小学館版﹁日本古典文学全集﹂の﹃連歌賢覧集﹄ ︵金子金治郎
氏︶による︒
︵4︶島津忠夫氏﹁連歌固定への道﹂ ︵昭和三一年十二月﹃国語国文﹄︶
︵5︶ ﹁宗祇以後紹巴に至る時期の連歌における花の句・月の句の配置
について﹂︵岡山県立玉野高等学校﹃研究紀要﹄十五号︶等︒
︵6︶ ﹃無言抄﹄にも同様の記述がある︒
︵7︶以前私は永享九年の北野社法楽万句﹁山何﹂に対して初オー・初
ウー3・ニオ9・三ウ7・名オ3と五句﹁花の句﹂が存在すると述
べたが︑初オーの﹁老松はいく十かへりぞ花の春﹂は﹁松の花﹂
であって正花ではなく︑誤りであった︒ ︵﹁永享九年北野社法楽
万句﹁山何﹂に対する疑問﹂ ︵﹃岡大国文論稿﹄第八号︶︶
︵8︶
︵9︶
︵10︶︵11︶
︵12︶︵13︶
︵14︶
︵15︶
︵16︶
︵17︶
︵18︶
︵19︶︵20︶
︵21︶︵補論︶
もう一対比較できると思われる︒ ﹃津山工業高等専門学校紀要﹄第十九号﹁句数之事﹂二座法度之事﹂﹁以呂波詞﹂の﹁て﹂﹁以呂波詞﹂の﹁の﹂テキストは﹁連歌貴重文献集成﹂第六集﹃連秘抄﹄による︒テキストは﹁連歌貴重文献集成﹂第三集﹃連歌諸抄﹄による︒
﹃至宝抄﹄︑なお﹁連々﹂が二段﹂となっている本文もある︒
﹁以呂波詞﹂の﹁も﹂
宗祇の連歌全体ではもう少し割合は多い︒例えば﹃三島千句﹄に
は六例ある︒
︵2︶に同じ
この句の解釈は先学と異るが︑敢えて自説により論ずる︒
︵4︶に同じ
﹁可思惟事﹂ 霧やたゴ野を一方に立ぬらん
( 末野なるさとは遥にきり立て
﹁野の霧﹂であるが右が﹃定家卿色紙開百韻﹄左が﹃永無瀬三吟﹄﹁の
句である︒
やはり左の句の方が﹁野末﹂ではなく﹁末野なる﹂と言った所など︑
微妙な所まで心配りがされており︑情感も豊かであると言えよう︒
一 126 一
色の段階をとぼして︑ある色調から別の色調へ︑直接ぱっと転
換することもあるのである︒出来上った作品を出来上ったもの
として見直すことしかできない我4にとって︑名ウ9の︑
庭も雲みるゆふだちのそら
村がらす花の中より嗣いで弐
という﹁見立て﹂を用いた﹁取成し﹂の手法など少し無理なよ
うにも感じられるのであるが︑実際の連歌の場においてこのよ
うな付句が出された場合︑恐らく何よりもその句境の転換の鮮
かさがまず感じられ興を催したのではあるまいか︒二巴流の連
歌の特質と魅力は︑まずこのような句境の移り変わりの妙にあ
っ﹇たと思われる︒ ﹃戴恩記﹄には︑
有時︑紹巴の御句ばかりをぬき書にせんと申せしかば︑其
事無用なり︒今よき句は有ぺからず︒我もわかき時はふか
く案じつるが︑ いまは毎日ある会︑た黛やりやうをのみ
こNうにかけて︑案ずる事これなし︒もし書ぬかんと思は
黛︑打越より童田て給はれと申されし︒
という有名な記事が見える︒この記事は先に︵W︶として検討
したごとくの︑紹巴流の連歌には一句それ自体としては情感に
乏しい句が多く︑比較的それがある句もすらくとした曲のな
い表現をとっていることの裏付けとし得るものであるが︑また
﹁もし書ぬかんと思は虻︑打越より書て給はれ﹂と紹巴が言っ
たというのは︑彼が一句の仕立てや二句問の付合よりも︑打越
←前句←付句と句境が展開してゆくその変化の妙に︑何よりも
自己の連歌の特質と魅力があると考えていたことを示している
と言えよう︒
そして︑ ﹁句境の変化の妙﹂に重点が置かれるなら︑ 一句一 句の句境は感覚的により鮮明である方が望ましいし︑隣りあう二句間の句境の距離は︑ ﹁連歌は思よらぬ方へうつりもて行こ ︵21︶そ興に乗ずる物なれ﹂と﹃無言抄﹄が言うごとく︑大きい方が概して望ましいと言えよう︒それが即ち﹁付け離れた付合﹂が好まれる所以である︒そして﹁付け離れた付合﹂がなされるためには︑ ﹁物を﹂止めのような隣りあう句に論理的にかかってゆきやすい句は処理が難しいとして嫌われることになろう︒また︑ ﹁をよばぬは袖ふれんともおもはぬに﹂ ︵延徳三年十月十五日﹁何木﹂初ウ3︶のごとき活用語の連体形につく﹁に﹂止めの句が紹主流の連歌ではめつたに見られなくなるのも︑同じ理由からであろう︒どういう句が好まれるかと言えば︑ ﹁独立性の高い︑隣りあう句に論理的にかかってゆくことのない︑・感覚的世界の鮮明な句﹂である︒そして︑一句をそのような句に仕立てるためのもっともポピュラーな手法が体言止めであることは言うまでもあるまい︒それが紹巴流の連歌で︑体言止めの句と︑体言止めの句に対して体言止めで応じた付合とが多くなる所以であろう︒そして︑体言止めが多用されれば︑既に述べたように必然的に助詞﹁の﹂が多くなり︑それがやがて﹁の﹂を重ねることにより一句の声調を整える手法の多用をうながすことになる︒それはまた︑ 一句それ自体としての詩的情感の乏しさをある程度補う効果もあったであろう︒ 以上︑諸先学の御叱正を願う次第である︒
︵1︶この整理の仕方は木藤才蔵氏﹃連歌史論考﹄七八七〜七八八ぺー
ジ︑及び伊地知鉄男氏﹁連歌史の問題点﹂ ︵﹃日本文学の争点﹄
所収︶に依った所が大きい︒なお両氏の御論は島津忠夫氏﹁連歌
一 127 一
たが手枕に夢はみえけん
契りはや思ひたえつ工年もへぬ
いまはのよはひ山もたつねじ
かくす身を人はなきにもなしつらん
さても憂き世にかエる玉のを
松の葉をた黛朝夕のけぶりにて
浦わの里はいかにすむらん
秋風のあら磯まくら臥しわびぬ
雁なくやまの月ふくるそら
小萩はら移ふつゆも明日やみん
あだの大野をこΣうなる人
54
6
14 13 12 11 10 9 8 7
﹃水鳥膚三吟﹄の場合︑ を付したごとき主観的な語︑
一を付したごとき疑問の語や表現︑⁝⁝を付したごとき意志
を示す表現が多用され︑一句一句情感豊かに仕立てられている
が︑客観的なイメージが比較的鮮明に浮かびあがるような句
は︑三ウ5︑三ウー4︑名オー2といった所であまり多くない︒他
にも主観的な表現を含まない句はあるが︑三ウ3︑三ウ皿︑名
オ2︑名オ3など語のイメージよりむしろその語自体がもつ所
の情感を利用した句の仕立て方がされている︒以上のごときこ
とは宗祇の連歌が叙情詩的傾向を強く持っていることを示して
いると言えよう︒そして︑句境は秋←恋←春←恋←述懐←秋と
展開してゆくが︑その聞には三ウ6︑三ウー1〜珍︑名オ9〜10
のごとぎ比較的地味な句が介在しており︑移行は既レておだや
かである︒
それに対して﹃定家卿色紙開百韻﹄には主観的な表現を含ん あらしにくるXやまのはの月大井川瀬々に落来る秋のいろ筏や枝をくみもそゆらむ愛かしこさかまく水のながれあひ庭も雲みるゆふだちのそら村がらす花の中より旧いでxはるのはやしのふかきやまぎは入相の鐘さへたえて永日に法のつとめやくり返すらんむなしきをおもひの玉の数そひてまちふかしてや涙わびしも
だ句は少なく︑またほとんどの句は︑それ自体では情感に乏し
くとも︑感覚的にはそれぞれはっきりした視覚なり聴覚なりを
感じさせるような句作りがなされている︒そして︑句境は春←
秋←恋←水辺の叙景←春←秋←夏←春←釈教←恋と展開してゆ
くが︑その移行は﹃水無慾三吟﹄に比べればはるかに急である
と言えよう︒特に︑名オ2で春の叙景を直接秋に転じ︑名オ9
で夏の叙景を春に転じた所など︑それぞれ前句が比較的イメー
ジのはっきりした句であっただけに鮮かであると言えよう︒色
彩で喩えるなら︑ ﹃水無瀬三吟﹄の句境は︑ある色調が次第に
彩度を減じて一度無彩色になり︑それが次第に別な色調になっ
てゆくように移行するのが普通であるのに対し︑ ﹃定家卿色紙
ヘ ヘ へ開百韻﹄の句境は︑ある色調がすっと中聞色になり︑それが次
ヘ ヘ へにすっと別な色調に変化するように移行するのが︵無論︑時に
は無彩色になることもあるが︶普通であり︑そして時には中間
一 128 一
ということになろう︒ しかし︑ そういうこともない︒ それで
は︑紹二流の連歌の特質と魅力はどのような点にあったかと言
うと︑私はそれは﹁句が付け進められてゆくにつれて展開して
ゆく感覚的世界の変化の鮮かさ﹂であると考える︒これは︑実
際の連歌の場において付句の出されたその瞬間くに感ぜられ
る魅力であって︑句を何度も味読することによって感ぜられる
性質のものではなく︑従って︑出来上った作品を出来上った\ \ものとして見直すことしかできない我々には中々追体験しにくいことであり︑従ってそれを実作品に即して論ずることもまた非常に難しいのであるが︑ここでは﹃水無瀬三吟﹄と﹃定家卿色紙開百韻﹄の三折裏から名残表までを比較することにより︑敢えて試みようと思う︒序破急で言えば破の終りから急の部分であり︑ふつう一巻中最も興に乗った句作りがされる所である︒
︿水無瀬三吟V
たれかこの暁おきをかさねまし
月はしるやの旅ぞかなしき
露ふかみ霜さへしほる秋の袖
うす花すxきちらまくもをし
鶉なくかた山くれてさむき日に
野となる里もわびつxぞすむ
帰りこぼ待ちし思ひを人やみん
うときもたれがこXうなるべき
むかしよりた寒あやにくの恋の道
わすられがたき世さへうらめし
山がつになど春秋のしらるらん
うゑぬ草葉のしげき柴の戸
かたわらに垣ほのあら田返しすて
ゆく人かすむ雨のくれかた
やどりせむ野を鶯やいとふらむ
さよもしずかに桜さくかげ
燈をそむくる花に明けそめて ︵三ウ︶ 1
765432
名 オ
1)14 13 12 11 10 9 8
32
︿定家卿色紙開百韻﹀
河なみや花をよせ来て帰るらむ
はるもはつ瀬のやまかぜの音
すがはらやふしみは霞立こめて
月まちなら.す里人のそで
ころもうつつちのひ父きもたえみ\に
秋のあはれはゆふべなりけり
とはずれは我身も露と消なまし
わすれぐさ生ふる中の通路
住よしやまつ原つ2く陰ふりて
日はをちかたの沖のしらなみ
まほなりし舟も嵐のうき雲に
雁の翅やわかれゆくらむ
さえかへる霜夜の鶴の音に鳴て
春だにあかしわぶる芦のや
守そめて苗代垣ねつくる田に
のこる薄のすゑほのかなり
霧やた虻野を一かたに立ぬらん
一129一
⑮は﹁祷衣﹂である︒下句というハンディを負いながら︑右
の句の方がはるかに豊かな詩的情感を感じさせると言詞よう︒
この場合︑何としても効果的なのは﹁風﹂の語である︒季は勿
論﹁構⁝衣﹂で秋︑ ﹁秋風と券面﹂と言えば︑李白の有名な﹁長
安一片月 萬戸祷衣声 秋風吹不尽﹂云々という﹃子夜番歌﹄
の一節を誰しも思いうかべよう︒そのような情趣が僅か十四字
の中から感じとられる見事な句である︒それに対して左の句は
ヘ ヘ ヘ ヘ へ﹁たけ高し﹂と言うのかも知れないが︑それよりも連歌として
ヘ ヘ へはむしろ間延びした句であろう︒特に﹁ころもうつつち﹂など
とわざわざ言う心要はどこにもあるまい︒後に示すように︑こ
の句の前には︑近い所に﹁風﹂や﹁月﹂や﹁里﹂の語が詠まれ
ており︑それらを用いることができず句作りは確かに難しい所
なのであるが︑それでも﹁雁﹂とか﹁旅﹂とか﹁宿﹂とか︑﹁つ
ち﹂の代わりに詠み込むべき句材はいくらでもあったはずであ
る︒ ①は﹁暁の鐘﹂であるが︑この一対については②と同じこと
が言える︒つまり︑右の句はそれなりにょい句ではあるが︑下
句というハンディもあって︑左の﹁た攣あらましのね覚﹂など
という表現を含んだ句に比べられたら︑詩的情感の豊かさとい
う点ではどうにもかなわないということである︒
①は﹁春の雨﹂である︒右の句は何ら特別な表現を含んでは
いない︒しかし語の組合せ方が絶妙で︑春の雨の夕暮︑遠くへ
帰ってゆく人の後姿がうす霞んで見える︒そんな情趣のある光
景が見事に浮かびあがってくる︒それに対し左の句は︑ ﹁東
風﹂などという語を用い︑また上句でもあるのに︑句の仕立て
方が悪いせいであろう︑情趣はあまり感じられない︒ 最後の⑮は﹁旅の時雨﹂である︒右の句は﹁さよ時雨﹂の語が適切で︑旅宿での夜︑しみじみと時雨の音に耳をすます旅鼠の情感がすらくとした曲のない句調の中からよく感じとられる︒それに対して左は﹁はる工事も袖はしぐれ﹂と一つ曲を聞かした表現をしている︒冬が本格化する前に少しでも先を急こうとする旅の苦しさ・辛さが感じとれる点では左であるが︑右のしみじみした趣も非常によく︑私には甲乙つけ難い︒ 以上のごとく︑③〜㈹︸の十一対のうち︑②⑮⑥︵⑥︶㊦⑤①①の麗ないし八において︑詩的情感の豊かさという点で差が認められた︒そして︑それら七ないし八対において︑より馬脳かな詩的情感があると私がした方の句は︑実は全て﹃水無瀬三吟﹄の方のものなのである︒このように︑宗祇の連歌には一句それ自体のうちに豊かな情感を含んだ句が多い︒逆を言えば︑紹巴流の連歌の一句くは︑宗祇の連歌に比べれば一句それ自体の詩的情趣に乏しく︑そして︑比較的それが感じられる句も︑⑮◎⑮の対に見られるごとく︑二面の連歌に比べればすらくとした曲のない表現をとっているのである︒近世末の連歌師が自記流の連歌に対して﹁平穏にしてさせるふしもなき歎﹂とか﹁させるふしなくた指扇なるのみ﹂とかその印象を述べているとい ︵︐←ノ︶うのは島津忠夫氏が指摘されたことであるが︑それは恐らく︑紹読流の連歌の右のごとき点を直観的に感じとっての評であろう︒ ︵稿末試論参照︶
三 紹巴流連歌の特質と魅力
大面流の連歌が︵W︶として述べたようなものなら︑他の面
での魅力がない限り︑翻意の連歌に比べて一方的に劣ったもの
一130一
明はつる夜のかねの恥く①︵ 鐘にわれた黛あらましのね覚して
ゆく人かすむ雨のくれがた①︵ 東風ふくや雨をのこせる山ならん
いくたびかかりねの宿のさよ時雨⑭︵ はる雪間も袖はしぐれの旅衣
わざと一方を左︑一方を右と揃えることなく並べたのである
が︑左右いずれの句により豊かな﹁一句それ自体としての詩的
情感﹂が感じられるであろうか︒順に検討してみよう︒
@は﹁松虫﹂である︒右は﹁かげはいつこ﹂などという所︑
それなりに詩的情感のある句である︒しかし︑それよりも︑左
の句は ﹁なく音かひなき﹂ と感情移入した所︑また﹁よもぎ
ふ﹂を詠み込んで荒れたもののさびしい情感を盛りこんだ所な
ど︑右の句には下句というハンディがあるにしても︑詩的内容
は左の句の方がはるかに豊かであると言えよう︒
⑮は﹁鴬﹂である︒右は鴬の音につられて足のおもむく様が
曲なく詠まれており︑これもそれなりの句ではある︒しかし詩
的情感はやはり左の句の方が曲豆かではあるまいか︒まず﹁やど
りせむ野﹂ と言って旅中の夕暮の情を盛り込んでいる︒ そし
て︑ ﹁鴬やいとふらむ﹂ という表現もや工奇異な感はうける
が︑ ﹁梅の花見にこそ来つれ鴬の人思人来といひしもをる﹂
︵古今集一〇一一番︶の本歌を考えれば︑鴬の声がしきりに聞
こえる様であることがわかる︒旅中の夕暮︑この野で一夜の宿
りをとろうかと思えば鴬がしきりに鳴く︑無心に嚇る鴬の声を
かき乱してやるのも可哀想だ︒そんな旅人の思いが伝わってく
へ19︶
る︒ ◎は﹁帰雁﹂である︒右の句は単独ではほとんど詩とは言い難い︒ ﹁雁の翅﹂は一応詩的言語であると言えるが︑この程度の表現は和歌や連歌の嗜みのあるものなら誰でもできることである︒それに対し左の句は﹁きけばいまはの﹂という所︑また
﹁の﹂で声調を整える所など十分に詩的情感を感じさせる︒
⑥は﹁鶴﹂である︒右は﹁霜夜﹂と言って静寂感を強調して
鶴の鳴き声をよくひき立たせており︑また﹁の﹂を重ねて声調
を整えてもいる︒左は﹁冬枯の芦﹂また﹁江﹂と言って︑冬の
海辺の荒涼たる様を盛り込み︑それが鶴に非常にマッチしてい
る︒どちらもよくできた句であると言えるが︑ ﹁あしたつわび
て﹂と感情移入する所に言い尽せない情感があるように私は思
うが︑いかがであろうか︒
⑥は﹁薄﹂である︒左右共に︑白く穂の出た薄の秋風に吹か
れている様が︑短い詩型の中でよく表現されていると言えよ
う︒句合せの術語を用いるなら﹁持﹂という所であろうか︒但
し︑右が純粋な叙景であるのに対し︑左では﹁をし﹂と言って
いるのは両者の違いとして重要であるが︑それは後に論ずる︒
㊦は﹁早春の柳﹂である︒右は﹁川かぜ﹂と言い︑またコむ
ら柳﹂と言って︑早春の川辺の光景をうかびあがらせている︒
また﹁春見えて﹂という表現からは︑新芽をふき出した柳の枝
が風に揺れる様の中に春の息吹を感じとった微妙さがよくうか
える︒左も同じような光景を詠んだものであるが︑表現は大雑
把であり︑右の句のごとき微妙さはほとんど感じられない︒
劣ること数等と言えよう︒
②は﹁手枕﹂であるが︑土ハにどうということはない句のよう
である︒ ﹁持﹂でよかろう︒
一 131 一
表皿 紹巴の百韻十五巻と宗祇の百韻八巻における助詞「の」の数と,
それが二つ以上用いられている句の数
紹
巴
生 口口口
A
B
二
① 84 19
@1@1@1@j@1@ ② 90
82 i 96 79 i1021 97 1 95
16 i 14
15
三四一計
0 0
19
﹇・・冨5 0
20 1 23 1 12
il TI−l1
0 0 0 0
21 15
@1@
1
24 ] 26 1 21
⑪
77 89
11 1 13 i 15
・︸・
3 1
0 0
17 90
16 12 17@3 0 20
@1@L@1@
ss ] go i 7s 1 go
ioli21i2[i4
平均
88. 1
4 0 18
・一・玉・・マ
2 0 12
17. 9
A⁝一巻中助詞﹁の﹂がいくつ 使用されているか︒B⁝一巻中助詞﹁の﹂が二つ以 上用いられている句がそれ ぞれいくつあるか︒※作品欄の番号は表1︑表皿と
同じである︒
虐不
旧
作
ロ
⑳ ロロ
@1@
⑳
A
69 73 62 57
㊧ 68
B
13 二 8 5
11 6
里6・一・
1 三 2 3
0 四 0 o
14 計 8 10
2 0 8
2 0 13
@1@
・一・
57 i 61 1i,=ll
噌ユ 0
1 0
平均 63.4
13 5 7
9. 8
︵W︶もう一点︑是非とも指摘しておかねばならないことがあ
る︒それは︑宗祇の連歌には一句それ自体で豊かな詩的情感の
感じられる句が多く見られるのに対し︑紹巴流の連歌にはその
ような句は︵皆無ではないが︶非常に少なく︑一句単独では情
感の極めて乏しい句がほとんどだという点である︒この点につ
いては今までのごとき客観的・統計的方法では明らかにし得な いので︑宗祇と紹巴のそれぞれの代表作とされている作品中の句を比較することによって示そうと思う︒一一については﹃水無心三吟﹄︑紹巴については﹃定家卿色紙開百韻﹄ ︵昌叱・細川藤孝・紹巴・心前の四吟︶を用いることにする︒土ハに当時としては最高度の技量を備えた連衆による作品であり︑恐らく宗祇︑紹巴がそれぞれ目差した理想の風体に近いものが︑この二作品には実現されているであろうと思われるからである︒ さて︑まず両作品中から雪・月・花以外でそれぞれ題材が共通する句を一対とすることにすると︑次の③〜⑭を比較することがでぎる︒ かげはいずこの松むしの声③︵ 松虫のなくねかひなきよもぎふに 行方はうぐひすの音にいざなはれ⑤︵ やどりせむ野を鴬やいとふらむ 雁の翅やわかれゆくらむ◎︵ きけぽいまはの春のかりがね さへかへる霜夜の鶴の音に鳴て⑥︵ 冬がれのあしたつわびてたてる江に のこる薄のすゑほのかなり⑥︵ うす花す瓦きちらまくもをし 川かぜに一むら柳春みえて㊦︵風わたる翠春をいξむ
けさの余波をおもふ手枕⑧︵ たが手枕にゆめはみえけん
ふきくる風は早うつこゑ⑤︵ ころもうつつちのひ剥きもたえみ\に
一 132 一
﹁たえぐ﹂とか﹁ゆふべく﹂とか︑同音の繰り返しによっ
て成立している語彙が紹巴の連歌では多用されているという点
であるが︑私なりにその点を再確認したのが表Wである︒斎藤
氏の指摘が正しいものであったことがこれより知れよう︒しか
し︑一句の声調を整えるのに紹巴流の連歌でより頻用されるの
は︑助詞﹁の﹂を重ねて用いる手法である︒例として表工の③
の百韻を採りあげよう︒この百韻には延べ九十六の助詞﹁の﹂
が用いられているが︵比較のため言えば﹃水無瀬三吟﹄では五
十七︶︑そのうち助詞﹁の﹂を三つ用いた句は次の五句である
︵声調にかかわることだから︑ほとんど連語化したものも数え
るべきである︶
里人の帰る肝の面の日はくれて
呉竹のうしろの山の峯にして
古跡の露の有明の春もなし
花の春柏の秋の名残あれや
散出る椎の葉分の花の色 初ウ4ニオ5ニウー3三ウ9
名ウー
二つ用いた句は次のごとく十六句の多きを数える︒
曙の霧に外面の月淋し
あまたかけ樋の水の水上
聞よりも心のふかぎ室の内
ねぬべきも酒のむしろのあたxかに
鴬の初音ほのめくけさの雪
てふの羽風の猶や添まし
百敷の箔の透間かさなりて
冬もほのかに荻のはの音
夏の日に富士の雪さへ消はてx ニオ3ニオ6ニオー1ニオー3ニウーニゥー4三オ3三オn
三ウー わくことはりの罪の程く見るが内に室のけしきのかはりぎてゆるせる衣の品くの色下の帯とけそむる夜の添ねしていく一むらのうら風の末春四後せ砂山霞む空萬代までのやまとことの葉 三ウ8三ウー3名オ2名オ3名オ盤名ウ2名ウ8
この手法は無論宗祇の連歌においても見られるものである︒
しかし︑数は少ない︒例として表皿の⑳を採りあげると︑そこ
において助詞﹁の﹂を三つ含む句は次の一句のみであり︑
か瓦るなよあだ言の葉のつゆの暮
二つ含む句も次の四句に過ぎないのである︒
契りきやあらぬ野山の花のかげ
契りてもえやはなべての.草の原
苔にいくへの霜のころも手
蓮葉のうへを契りのうらみにて
但し︑
く︑それでも宗祇の連歌に比べ紹巴の連歌に助詞 初ウー3初ウ7ニオーニウ皿名ウ5
表皿に示すごとくこれは各作品について偏差が大き
中々はっきりと一線を画することができないのであるが︑
﹁の﹂を重ねて用
いた句が八割方多く見えることは事実として言えることであ
る︒そしてその違いは︑連歌の実作者の目には︑直観的にも今
の我々よりもっとはっきりと感じとられたであろう︒そこで
﹃難波田千句﹄に戻ると︑例えぽ第二百韻について言うなら︑
一巻中の助詞﹁の﹂の数は五十三︑それを二つ︑あるいは三つ
含む句はそれぞれ四句と一句にとどまり︑明らかに紹巴の時代
の連歌ではないことが知れるのである︒
一133一
る︒何故かというと︑表WのB欄︒C欄に示すごとく︑体言止
めの句の多用ということが体言止めの句に対して体言止めの句
で応じる付合の増加︵二倍半以上︶という現象となり︑それが四
句も五句も連続するような場合が紹巴流の連歌には見られるか
らである︒宗祇の連歌において体言止めの句に対して体言止め
の句で応じた付合の連続は︑ほとんどの場合せいぜい二句で︑
三句連続となると表Wの八巻中には⑳のニオ2〜4と︑⑳のニ
オ9〜11と︑二か所あるだけでまず稀と言ってよい︒しかし紹 ヘ へ巴の連歌においては三句や四句連続というのはざらで︑極端な
場合⑥のごとく︑三折表の第五句から裏の第二句まで︑十二句
体言止めの句に対して体言止めの句で応じた付合が連続するよ
うな例が見られる︒このようなことは忙忙の連歌には決して見
られない現象である︒では﹃難波田千句﹄はどうかというと表
Vのごとくであり︑体言止めの句に対して体言止めで応じた付
合はやや多目だが︑宗祇の連歌にはっきり近い結果が得られる
のである︒近世末の実作者達には︑以上のような達いは統計的
手法によらずとも︑多分直観的に感じとられたであろう︒
︵V︶次に︑体言止めの多用と表裏の関係になることである
が︑例えば﹃難波田千句﹄第四の初ウm﹁うらみばかりにむね
ぞくるしき﹂を体言止めに仕立てようとすれば︑ ﹇うらみばか
り刎むねdくるしさ﹂とするのが普通であろう︒そうすると︑
助詞﹁の﹂の使用がどうしても増加する︒紹巴流の連歌は助詞
﹁の﹂の多用という点でも︑宗祇時代の連歌とは違った印象を
与えるものである︒特に︑助詞﹁の﹂を重ねて用い声調を整え
たような句が紹巴流の連歌には多く見られる︒紹雨冠の連歌に
声調の美を求める傾向が強いことは︑かなり以前斎藤義光氏に
表V 『難波田千句』における体言止めの句の数と,体言止めの句に体言止めで応じた付合 場合の値である︒ 全て体言止めの句として数えた り︑数値の大きい方はそれらを 八と第九に各一句の面詰があ ※第七と第九に各聖句︑第三と第 ※A・B・Cは表Wと同じである︒
第一第二
AB
38
13 鉋趨
C 006
33 7 第 第
四 三
38
11 i14N16
141二42
第五第六
o o o
5句 6句
OI12句
00 0 0
2
14N16
IN21 o o o 41
11 40 12
32第七 卵 3
第八
6 35 v36
7一 8
27第九 〜 26
第十
平均
36. 5N37. 2143N45
4 0000 0 0020 0 1000 0 600 00 0 0002 0 3 0ハU OO
12 v14
9.7N10.2 2N3
−占00 0
0 0 0 0 0 0
0 0 0
0 0
olo 0 0
0 0 0
表VI紹巴の百韻十五巻と宗祇の百韻八巻における
同音の繰返しによって成立している語彙の数 紹 巴作品
例数
@1@1@
10 i 11 7
④ 6
⑤ 9⑥7
@i@
⑨
⑩
816
8 9
⑬丁⑫下
⑬
均⑮ ⑭ 9 5 7.61 8
宗 祇作品
軒数
@1@1@ @1@
⑳ ⑳
平均 ⑱
1
O13i3 3 2
3 1
i2. o
ゆノよって指摘されながら︑遣句付の頻用という点ほどにはその後
の支持をうけていないようであるが︑私はそれを正当でかつ重
要な指摘であると考える︒斎藤氏がその論拠として示すのは
一 134 一
れ以前から一あるものは意識的に︑あるものは無意識的に
i行われてきたことがそこで成文化されたということにとど
まるというのが︑今の私の考えである︒それでは何故この時代
になって成文化されたのかと言えば︑それはこの時代連歌を嗜
む人々が非常に広汎化したからであろう︒それまでの論書は︑
多く︑特定の人々を対象とした指南書の性格を強く持つのに対
し︑ ﹃無言抄﹄が︵主に初・中級の技量の︶不特定多数の人々
を対象にした記述の仕方をしているのは︑その点非常に示唆的
であると私には思われる︒
︵皿︶一句目仕立て方の面でも﹃難波田千句﹄には︑丁丁流の
連歌にはない特徴が見られる︒非常にわかりやすい点から言え
ば︑第二の二折裏寺十一句に︑
うたエねは親のいさめの有物を
第四の初折第九句に︑
恋しさも今はの時はなぎ物を ら と︑ ﹁物を﹂止めの句が二句見える点である︒ ﹃無言抄﹄に
﹁今は物をととむる事嫌也﹂とあるごとく︑紹五流の連歌にお
いて﹁物を﹂止めば私の調査した限り千句においても例を見な
い︒しかし宗祇の時代の連歌には間々﹁物を﹂止めの句が見え
る︒表皿の八巻の中にも
古郷と思ふべぎ世はなき物を ⑳三審ー1 ロ と︑一例が存在する︒
︵W︶次に︑今までの三点ほどはっきりした相異として看取で
ぎることではないが︑紹長流の連歌の本質にかかわる点として
︵この点については最後に論じようと思う︶重要なのは︑宗祇
の時代の連歌に比べて紹巴流の連歌には体言止めの句が多いと
表IV 紹巴の百韻十五巻と宗紙の百韻五巻における体言止めの句の数と,
体言止めの司に体言止めで応じた付合
紹
巴
「⑫1⑭1⑩1⑨1⑧1⑦1⑥i◎1④1⑥i②1①1作品 A B一KO L!t 1!1 [!t IS.4−1 5.2..1.58−i 57 150 148 150 [49
C
句句句234
5句6句
L,un−i 1一一ua24 il−lllll,41−,7111.il12一, ITL,s lt;,s..ltL.Q.一1=一,s I
−!.一41m一,[,1=,!一,1=一=一一一,1・
g−1rmlLI!IYTILIm9−1.m9−IMTQr1
9−i−2−N!1!1!1]!1!1
零一18i吉i8呈呂一8一き8
0 0
OIO 12句
00 0 0
ololo 110両
0 0
e・Qpimp
51.01 49 ! 49 48
20.1 17i17i20121 1711g
田・・2⁝T 巴一︒田oo・・T・
4020﹁00 一 一 爾引11田司oo−−F一
平均
1・2・⊥・・
20田1一〇司.釧 一釦21㏄飴010−じ A⁝一巻中体言止めの句がいく つあるか︒B⁝一巻中体言止あの句に対し て体言止めの句で応じた付 A口がいくつあるか︒C⁝一巻中体言止めの句に対し て体言止めの句で応じた付 合が二二以上連続する場合 がそれぞれいくつあるか︒※作品欄の番号は表工︑乳量と 同じである︒
作品
白示
L@1@1@[@1@1@
祇
A
36 ISt
CB霧胸匝狗⁝殉
01 0師00
0 0
38 7 1
29 2 0
:平均⑳1⑳1⑳1㊧
136. 6i 3s 1 37 1 44 1 3g
217−16
01111
ofMb
14 5 o o o o
o o o Ito
o匝0
010.000
0 0 0
0
1一−一Q00
0 0
〇一〇〇〇92100000
7.9 7
1000 0
0 0
いうことである︒表1にあげた紹巴の連歌十五巻︑器皿にあげ
た宗祇の連歌八巻にそれぞれ体言止めの句がどれほどあるかを
数えた結果が表WのA欄の値である︒宗祇の八巻の平均は三
六・六︑それに対して紹巴の十五巻の平均は五一・○で︑四割
弱の増加を示している︒数値的には大した違いではないように
も思われるが︑実作品を見た時︑印象はかなり違ったものとな
一135一
花にほふかげにうかれて帰夜に 名オ3
◎には︑ のこれるかたの花の行商 初ウ8
㊦には︑ 暮がたき日かげやいつの花の春 初オー
㊥には︑ ぎこえじと風も花にやかすむらん 三八7
のごとく︑議論の余地のない﹁花の句﹂が存在しているからで
ある︒ 実作品から帰納して︑式目作法に関する面で宗祇の時代と紹
巴の時代とでははっきり違っていると私が言うことができるの
は︑以上の二点にとどまる︒その他の点はどうかと言うと︑最
初に述べたごとく﹃新式﹄には見えない多くの規定が紹巴の時
代﹃無言抄﹄等で式目化されており︑一見この時代になって連
歌の式目作法が急速に繁雑化したかのごとき印象は確かに受け
るのであるが︑しかし一一々の規定について具体的に検討し
たわけではないので︵私自身今一つ自信を持って言うことがで
ぎないものの一﹃無言抄﹄等で新たに式目化される規定の大
部分は︑ ︵!︶ ︵五︶の二点を除いて︑宗祇の時代既に行われ
ていたらしく︑中々その違反例を見付け出すことができないの
である︒また︑たとえある規定についていくつかの違反がみつ
かったとしても︑他の大部分の所でその規定が遵守されていれ
ば︑それは多分意識的な︑例外的規定外しであることになろ
う︒例えば︑ ﹃無言抄﹄では﹁植物﹂の連続は二句以内だとい ︵9︶うことが記されている︒それは﹃新式﹄には見えない規定であ
る︒そして︑有名な違反例だが︑ ﹃湯山三吟﹄には三折表の第 十四句から裏の第二句まで三句﹁植物﹂が連続している例がある︒しかし︑それにもかかわらず︑宗祇の他の作品では私の調査した限り﹁植物﹂は全て二句以内で捨てられており︑従って問題の規定は︑ ︵式目化されていなかったが︶当時既に行われていたことが明らかになる︒また﹁恋と述懐とむすびたる句︑ む 恋の句ばかりになるべし﹂という規定も﹃新式﹄には見えな︑いものである︒しかし﹃実隆公記﹄明応五年九月二十一日の所に見える宗祇書状中には﹁尺教に述懐をむすび︑恋に述懐まじり候時は︑尺教・恋に成て︑述懐には不嫌之﹂ という記述が見え︑これも宗祇の時代に行われていたことが知れる︒同様に ︵11︶ ︵12︶﹁寺の打越に鐘すべからず﹂とか﹁野に原︑二句嫌﹂というこ ほ とも﹃宗祇問答﹄には︑ 寺と云句に打越鐘はいかが︒よろしからず︒ ぬ ﹃骨脂伝抄﹄には︑ 野に原の事︑如何︒打越を嫌候也︒などとあり︑これらも﹃無言抄﹄で初めて式目化されたものであるが︑宗祇の時代既に行われていたことが知られるのである︒ 勿論﹁ちどりニ千の字﹂が﹃宗祇問答﹄では﹁面を可嫌候﹂と答えられているのに︑ ﹃無言抄﹄では﹁折をきらふべし﹂と おゾされているなど︑紹巴の時代︑ ﹁昔より去嫌連々きぶく﹂なっている傾向はあるにしても︑そのようなものは比較的稀な点に限られ︑重要な点で去嫌が二つの時代で決定的に違うというこどは︑︵1︶︵R︶の二点以外に私には見出し得ない︒従って︑より徹底した調査が必要なのは無論であるが︑ ﹃新式﹄にはない多くの規定が﹃無言抄﹄等に記されているということは︑そ
一 136 一
﹁四花七︵八︶月﹂の規定にかなっているのは︑この八巻では
⑳︵水無瀬三吟︶のみなのである︒
︵∬︶次に︑第四の三折表の第十二句 ﹁花ざらすxぐ墨染の
袖﹂が﹁花の句﹂として取り扱われていないらしいのも︑紹巴
以後の連歌に馴れた目には普通でないと感じられたであろう︒
実作雨中に見える例を今の所見出すことができないのが残念で
あるが︑紹巴以後の連歌においてなら﹁花ざら﹂が正花とされ
たであろうことは︑例えば﹃産衣﹄の︑
花皿 正花也︒本植物也︒釈教也︒樫は本の事に非ず︒其
時節くの花を手湿る物也︒ という記述などより知れる︒しかし﹃難波田千句﹄では正花と
はされていないようである︒何となれば︑同じ折の裏の第十句
が7今こんとてや花も待らん﹂と議論の余地のない﹁花の句﹂
であり︑その上に﹁花ざら﹂を正花として取り扱うなら︑ ﹁花
の句﹂同士は折を嫌いあうという応安新式以来極めて厳密に遵
守されてきた大原則に違反することになるからである︒そんな マ ことは連歌の常識として考えられない︒
事は単に﹁花ざら﹂ 一語にとどまらない︒昨年私は﹃新式今
案の ﹁花﹂ の規定について﹄と題する一文で︑据置の時代の
﹁花の句﹂とされる範囲が紹巴以後の時代に比べてかなり狭い ︵8︶ことを検証した︒そして宗祇の連歌においても﹁花の句﹂とさ
れる範囲は︑私の見る所ほぼ宗瑚の時代のそれがそのまま承け
継がれているように思われるのである︒繁を厭わず論ずること
にすると︑ ﹁花の句﹂とされるためにはその雪中に必ず﹁花﹂
の語がなければならないが︑それらを次のA〜Eに分類するこ
とにする︒ A桜以外の植物の花であることがその句自体から明らかで あるもの B色彩や形態の類似により︑雪︑霜︑波などを﹁花﹂と表 現したもの一所謂﹁島物の花﹂ C﹁心の花﹂ ﹁詞の花﹂ ﹁花の姿﹂ ﹁花の袖﹂など︑華や かさ︑美しさ︑はかなさなどの象徴として﹁花﹂の語を 用いたもの D桜花を指す﹁花﹂であるが︑ ﹁桜﹂の語も同一句中にあ るもの E桜花を指して﹁桜﹂の語なしに単に﹁花﹂と言ったもの 右のA〜Eのうち︑AとDが常に﹁花の句﹂とはされないこと︑また︑Eが必ず﹁花の句﹂とされることは︑いつの時代の連歌についてもあてはまる原則であるので問題はない︒問題はBとCであるが︑紹巴以後の時代においてなら︑Cの場合は
︵まず︶全て︑Bの場合も余程植物としてのイメージの少ない
句作りがされない限り﹁花の句﹂とされることは︑ ﹃新式今案
の﹁花﹂の規定について﹄で示したとおりである︒
しかし︑宗祇の連歌においては事情は異なる︒例えば
④瀬々に花ちる浪ののどけさ 美濃千句 第五 名ウ2
◎した折を雪なる花の梢かな 葉守千句 第八 初孫ー
などはBに分類されるべき句であり︑
㊦山守の心の花を風もしれ 美濃燈花千句 第四 初ウ5
eことぽの花の時うつる道 延徳元・五・十一 何路 三ウ2
などはCに分類されるべき句であるが︑これらは﹁花の句﹂と
はされていない︒何故なら︑これらの句の詠まれている同じ折
に︑⑳には︑
一 137 一
のような点でこの作品は紹巴以後の時代の連歌と違っているの
か︒一つは式目作法の面で︑一つは惹句の仕立て方の面で︑や
はりこの作品は︑紹巴以後のものとはっきり異った特徴を有し
ていると私には思われるのである︒本稿はそれを具体的に明ら
かにした上で︑それらを敵塁流連歌の特質に結びつけて考える
ことを第一の目的とするものである︒
二
紹三流の連歌は宗紙時代の連歌と具体的にどう違ってい
るか
︵1︶肝玉以後の連歌に馴れた目で﹃難波田千句﹄を見て︑ま
『難波田千句』の「花の句」「月の句」の配置
﹁花﹂の配置﹁月﹂ の 配 酒
折
面 長皿
初⁝三三童璽勉二
第 ウ9 オ11 オ1 オgjオ4
g一.i..e一一.
猛E牙
L一 L 一.
オ2 ウ7 ウ7
ウ オ⁝ウ︸オ ウニ三=二⁝名名
第二
11@9 一儲屡
Eウ13オ3iウ13
オ31ウ1 ウ141ウ10ウ10
牙i鵜i…
3
1 1
13
3 5
8 9 3 3
3111
−1 6
5 第六8 2 1 10ウ オ オ オ
2 4
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4
10 ウillウ11
オ・・「・・
rt 31ウ9 第 第 八 七
ウ1
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5,13 10
一丁
14@13 13
9
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7
第九薦第土姐
オ4 オ13
ウ2
4
10
※ハ
1,9
亜3374
※イ 第十二句が欠句︑※ロ 第七句︑同右※ハ 第六句︑同一※二 第五句目同右
※二
7 12
8
月の句である可能性あり ず最も普通でないと感じられたのは︑多分﹁花の句﹂ ﹁月の句﹂の配置であろう︒これは既に機会あるごとに述べているこ ︵D︶となので論は端折るが︑再挙以後の連歌なら﹁花の句﹂は各折に一句︑ ﹁月の句﹂は各面に一句︵ただし名残裏にはなくともよい︶普通きちんと配されている︒例えば﹁連歌合集﹂第四十二冊は天正期の紹巴の百韻十五巻を収めたものであるが︑それらにおける﹁花の句﹂ ﹁月の句﹂の配置を表にして示すと︑表1のごとくである︒ しかし︑ ﹃難波田千句﹄の﹁花の句﹂ ﹁月の句﹂の配置は表Hのごとくで︑ ﹁花の句﹂のない折が四折︑ ﹁月の句﹂が二道存在する面が四面︑名残裏でもないのに﹁月の句﹂のない面が十九ないし二十三面ある︒このようなことは紹巴以後の連歌では考えられないことである︒しかし宗祇の連歌では︑今は有名な八巻について示すに止めるが︑表皿のごとくであり︑所謂
表皿 宗紙の百韻八巻の「花の句」 「月の旬」の配置
「「ヤ﹂の配置
作
品 ﹁月﹂の配置
折
面嗣奪
劃寛正⑫畜
薯徳 ⑳7 ㊧㎜キ享
@1@〃耀
⑳三 年吾墨初三三名薇一観ヨ⁝︾ヨ多⁝獄伽・…濶ス人則⁝袈・⁝η⁝・⁝⊥・騨−量・露譜⁝姐賑・⁝・⁝・⁝・⁝・⁝∵⁝
3
・了⁝器人肥⁝鳶篶
萱・丁路
3⁝10⁝20
4…
ウ…
U 8⁝3⁝ 何人
11 { tl
5
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ウ13 ウ1 ウ11 ウ7
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一 138 一