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から演奏しており ゴビ少年はデ カロのバイオリンのすべての動きを詳細に頭に叩き込み 帰宅後は それらのすべてを練習に取り入れようと努力した こうして見るとアルフレド ゴビはデ カロの直弟 子ではないが 殆どそれに近かったと言えるのではなかろうか 3. タンゴ演奏家として活動を始めるアルフレド ゴビは

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デ・カロ楽派の一翼を担う

アルフレド・ゴビ

齋藤 冨士郎 1.かつてはCクラス扱いだったアルフレド・ゴビ ポルテニヤ音楽同好会の機関誌であった Tango Argentino 誌の 1969 年 4 月号 に「名流楽団を分析する」という大変興味深い分析データが掲載されている。 その内容は 4 人の愛好家のグループが 32 の名流楽団について、(1)録音量、(2) 最盛期、(3)演奏力、(4)独創性、(5)影響力、(6)フィーリング、(7)好み、のうち (2)最盛期を除く 6 項目について A=秀・際立って優れているもの、B=優・優 れているもの、C=良・普通以下のものを含む、の 3 段階で採点したものであ る。さすがにオール A は無いが、フランシスコ・カナロ、カルロス・ディ・サ ルリ、オスバルド・プグリエーセが最高点に位置し、フリオ・デ・カロがそれ に肉迫している。これに対してアルフレド・ゴビは B がたった一つあるものの、 他はすべて C という最低の結果になっている。殆ど「オール C」に等しい。後 述するようにアルフレド・ゴビは録音量そのものが少なく、その上、1969 年 当時はそれらを聴く機会は非常に限られていたと思われるので、このような 結果が出たのだろう。一方、アルゼンチンではアルフレド・ゴビの理解者はいたものの、その数は多く はなく、大衆的人気という点では我が国同様にオスバルド・プグリエーセ(Osvaldo Pugliese)やアニー バル・トロイロ(Aníbal Troilo)のはるか後塵を拝するにとどまっていたようだ。しかし近年ではアルフ レド・ゴビの復刻 LP/CD も出揃ってきており、彼に対する従来の見方は修正が必要になって来たと思わ れる。 2.「パリのタンゴ」のパイオニアを両親として

アルフレド・フリオ・フローロ・ゴビ(Alfredo Julio Floro Gobbi、以下単にアルフレド・ゴビ又はゴビ と印す)はウルグアイ出身のアルフレド・エウセビオ・ゴビ(Alfredo Eusebio Gobbi)を父とし、チリ出 身のフローラ・オルテンシア・ロドリーゲス(Flora Hortencia Rodríguez)を母として、1912 年 5 月 14 日 にパリで生まれた。ゴビ夫妻はいわば何でもできるブエノス・アイレスの寄席・サーカス芸人であった。 パリに行ったのはガト・イ・チャベス(Gath y Chaves)社の依頼でレコード録音すするためで、アンヘル・ ビジョルド(Ángel Villoldo)も同行した。ビジョルドはアルフレド・ゴビの名付け親でもあった。ゴビ 夫妻は芸能活動や録音活動に加えて、タンゴ・ダンス教授としても成功し、パリで店を構えるまでに成 功したが、第 1 次世界大戦の勃発により幼いゴビを抱えて帰国し、ビジャ・オルトゥーサル(Villa Ortúzar) に居住した。 アルフレド・ゴビは 6 歳頃にすでにピアノを習い始めた。10 歳前後には父からバイオリンを贈られた のを機にバイオリンを習い始め、直ぐに上達した。これと並行してゴビ少年は、始めは街角の新聞売り 少年(カニジータ、canillita)として、その後はもっと実入りの良いオレンジ売りとして働き、学資を稼 ぎ出し、余った分はセントロまでの交通費と映画館の「セレクト・ラバジェ(Select Lavalle)」への入場 料に充てた。当時、「セレクト・ラバジェ」ではフリオ・デ・カロ(Julio De Caro)六重奏団が早い時間 (http://tandaoftheweek. blogspot.jp より)

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2 から演奏しており、ゴビ少年はデ・カロのバイオリンのすべての動きを詳細に頭に叩き込み、帰宅後は それらのすべてを練習に取り入れようと努力した。こうして見るとアルフレド・ゴビはデ・カロの直弟 子ではないが、殆どそれに近かったと言えるのではなかろうか。 3.タンゴ演奏家として活動を始める アルフレド・ゴビは 13 歳前後の頃すでにバイオリン、バンドネオン、ギターのトリオを組織し、1晩 3 ペソでパティオのバイレで演奏した。その一方で近所のカフェでドーラル(Dólar)煙草の人気キャラ クターカードを手に入れるために(いかにも子供らしい)、バイオリンでタンゴを演奏した。 1926 年、14 歳になったアルフレド・ゴビはすでにいっぱしの男として振舞い、セントロでは常連の著 名人になっていた。この頃、彼の最初のタンゴ“ペロ・フィエル(Perro Fiel)”を作曲した。そしてアン トニオ・ロッシ(Antonio Rossi)が指揮するオルケスタに加わり、テアトロ・ヌエボ(el Teatro Nuevo) やコメディア劇場(teatro Comedía)、ナシオナル劇場(teatro Nacional)に出演した。これを機にゴビは新 聞売りやオレンジ売りを止め、プロの音楽家の道を進むことになった。更に活動の場をピアニストのル イス・カサノバ(Luis Casanova)のオルケスタに移し、サロン「イタリア・ウニタ(Italia Unita)」での バイレに出演した。

4.自己のオルケスタを持つまでの遍歴時代

アルフレド・ゴビが自己のオルケスタを持つのは 1942 年であるが、そこに至るまでに彼は数多の楽団 を遍歴している。これを「ボヘミアン」とするロマンティックな見方もあるが、実際は厳しい経済的現 実との戦いでもあった。彼の遍歴過程を整理してまとめると以下のようになる。

 1927 年。レコレータ(La Recoleta)地区のパベジョン・デ・ラス・ロサス(el Pabellón de las Rosas) に出演中のフアン・マグリオ「パチョ」(Juan Maglio “Pacho)のコンフントのメンバーとなる。  その後、ロベルト・フィルポ(Roberto Firpo)のオルケスタにごく短期間参加し、その後はカルロス・

ティリガル(Carlos Tirigall)のオルケスタに、更にマヌエル・ブソン(Manuel Buzón)のオルケスタ に参加する。

 1929 年。アンセルモ・アイエタ(Anslemo Aieta)、マリオ・パルド(Mario Pardo)、アントニオ・ロ ディオ(Antonio Rodio)のオルケスタに次々と参加する。因みにマリオ・パルドはギター奏者でゴ ビ作のタンゴ“デスベロ(Develo)”を初演した。  1930 年。バンドネオン奏者のドミンゴ・トリゲロ(Domingo Triguero)、ピアニストのオルランド・ ゴニ(Orlando Goñi)とでトリオを構成しようと試みるが挫折した。そしてバルダロ-プグリエーセ 六重奏団(Sexteto Vardaro-Pugliese)のメンバーとなり、映画館「メトロポール(Metropole)」に出演 する。この楽団のバンドネオン奏者はシリアコ・オルティス(Ciriaco Ortiz)とアニーバル・トロイ ロであった。当時、トロイロは 16 歳、ゴビは 18 歳と推定される。1931 年にバルダロが離れ、コン フントはプグリエーセ‐ゴビの名前の下に国内巡業に出、その後解散した。その後。ゴビはマヌエ ル・ブソンのオルケスタに再参加し、ゴニと再会する。  ゴビ自身が第 1 バイオリン奏者となり、バンドネオン奏者のアニーバル・トロイロとアルフレド・ アッタディーア(Alfredo Attadía)、第 2 バイオリオン奏者のホセ・ゴニ(José Goñi)、コントラバス 奏者のアグスティーン・フルチ(Agustín Furchi)、ピアニストのオルランド・ゴニからなる六重奏団 を組織し、カフェ「ブエン・オルデン(Buen Orden)」にデビューしたが永続きしなかった。

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3  ゴビはオスバルド・プグリエーセとドゥオを組み、LS2 ラジオ・プリエト(Radio Purieto)に出演す るも成功はせず、ドゥオは 2 ヶ月で解散した。  映画館「ガライ(Garay)」に出演するために新たに 6 重奏団を結成するも、一時的活動に終わる。 この時のメンバーはアルフレド・ゴビ、アニーバル・トロイロ、ホセ・ゴニ、アルフレド・カラブ ロー(Alfredo Calabró)、アグスティーン・フルチ、オスバルド・プグリエーセであった。その後は ゴニがピアノを弾いていたアルベルト・プグリエーセ(Alberto Pugliese)のオルケスタに参加し、更 にマル・デル・プラタ(Mar Del Plata)に行き、サバスターノ(Savastano)のオルケスタで働いた。  1935 年。ペドロ・ラウレンス(Pedro Laurenz)のオルケスタの第 1 バイオリオン奏者となる。1930

年代後半はホアキン・ド・レジェス(Joaquin Do Reyes)、アルマンド・バリオッティ(Armando Baliotti)、 ニコラース・バッカロ(Nicolás Vaccaro)、モンテビデオのピンティ-ン・カステジャーノス(Pintín Castellanos)らのオルケスタで働き、演奏者であると同時に編曲者としても貢献した。 5.オルケスタを結成し、レコード録音に向かう 1942 年、30 歳になったアルフレド・ゴビはようやく自己のオルケスタを組織する。そしてコリエンテ ス通りのナイトクラブ「サン・スーシ(Sans Souci)」でデビューを果たした。表 1 に 1964 年に至るまで のメンバーの変遷をまとめた。見ての通りメンバーにはかなりの入れ替わりがある。1947 年にアルフレ ド・ゴビは RCA Victor レーベルに録音を始める。ゴビは一番良かったのはその前の時期であるそうだが 西暦年 ピアノ バンドネオン バイオリン ベース 歌手 1942 Juan Olivero Pró Deolindo Casaux "Toto" D'Amario Mario Demarco

Ernesto "Toto" Rodríguez

Alfredo Gobbi Bernardo Germino Antonio Blanco

Juan José Fantín Walter Cabral Pablo Lozano 1943 César Zagnoli → Lalo Benítez Antonio Roscini Orlando Ponzoni Alberto Nuñez Babelli Alfredo Gobbi Julián Ortiz Emilio González José Singla

Fernando Cabarcos Pablo Lozano Walter Cabral

1947 Ernesto Romero

Alberto Garralda Mario Demarco

Ernesto "Toto" Rodríguez Mauricio Shulman Ricardo Varela Alfredo Gobbi Antonio Blanco Miguel Silvestre Luis Piersantelli Osvaldo Monterde Ricardo Pecci → Alcides Rossi Carlos Heredia Hugo Soler 1956 Ernesto Romero Carlos Pazo Ernesto Rodríguez Alberto Garralda Ricardo Varela Alfredo Gobbi Antonio Blanco Miguel Silvestre Luis Piersantelli

Ricardo Pecci Alfredo Del Rio Tito Landó 1963 ? Mario Demarco Alberto Garralda 他は不明 Alfredo Gobbi Aquiles Aquilar 他は不明 ? Alberto Hidalgo (=Roberto Ariel) 1964 Normando Lázzara Mario Demarco Luis Maggiolo Osvaldo Piro Emilio Nurié Alfredo Gobbi Eduardo Salgado Ariel H. Gessaghi Osvaldo Monteleone アルフレド・ゴビ楽団のメンバー 表1

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4 (参考資料[4],[5])、録音が無い以上聴いて確かめることはできない。残念である。 6.誰もが明言を避けるアルフレド・ゴビの晩年 1958 年以降、彼の死に至るまでのアルフレド・ゴビの晩年について伝記作者は皆、明言を避けている ように見える。1963 年にコンフィテリーア「パティオ・デ・タンゴ(Patio de Tango)」での演奏風景の写 真や表 1 に示したように 1964 年の楽団メンバー構成がわかっていること、更に最近復刻された CD "ALFREDO GOBBI Discografía Completa vol. No.4-(1956-1964)" BATC 89217 には 1963 年~1964 年の放送

1943 年 9 月のアルフレド・ゴビ 楽団。説明には、メンバーは左 からFernando Cabarcos(ベー ス)、Lalo Benítez(ピアノ)、 Pablito Lozano y Walter

Cabral(歌手)、Alfredo Gobbi、 バンドネオン:Roscini,

Ponzoni, Núñez その他は不明、 バイオリン:Julian Ortiz, Emilio González, Singla とあ る。(画像出処:参考資料[2])

1956 年のアルフレド・ゴビ楽団 (画像出処:http://www.tanguear.it)

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5 録音が収録されていることから、参考資料[1]の著者が 言うようにゴビ楽団は彼の死に至るまで解散はしなか ったというのは事実であろう。しかしその活動は低調 で不連続的であったという。どうしてそうなったのか については諸資料が明言を避けているが、ゴビのよき 理解者であったアストル・ピアソラ(Ástor Piazzolla) が「アルコールに負けて」と言っているのでアルコー ル依存症であったと想像される。最晩年はブエノス・ アイレスの名もないナイトスポットでピアノを弾いて いたと伝えられている。バイオリンの流しをしていた という話もある。 ゴビに因んでエドゥアルド・ロビーラ(Eduardo Rovira)は“El Engobbiao”を、アニーバル・トロイロは

“Milonguero Triste”を、ピアソラは“Retrato de Alfredo

Gobbi”を作曲した。 アルフレド・ゴビは 1965 年 5 月 12 日に世を去った。 享年 53 歳。 7.アルフレド・ゴビ楽団の録音履歴 アルフレド・ゴビ楽団のディスコグラフィ([1],[9],[10])によれば、ゴビ楽団は RCA Víctor レーベルに 1947 年から 1957 年まで在籍し、76 タイトルを録音し た。1958 年に Orfeo レーベルに移籍したが、ここでは 6 タイトルしか録音していない(“Adiós corazón”は 2 人 の歌手がそれぞれ録音しているので、録音数としては 7 録音である)。図1はゴビの録音履歴である。年平均 にすれば 7.5 タイトルで、特に少ないとも言えない。 曲種はすべてタンゴ、ミロンガ、バルスである。歌曲 と器楽曲の割合は約 3:1 で、これも平均レベルであろ う。録音数の変動はあるものの、特に年と共に減少す る傾向は見られず、このデータからは特段の経年的衰 えは見て取れない。 ゴビにとって不運なことは、何時のことかはわからないが、RCA Víctor 社のあるマネージャがゴビを 含めた同時代のタンゴ演奏家のマトリスを破壊し、テープの上に別の音楽を上書きしてしまったことで ある。こうしてゴビの貴重な録音記録は失われてしまった。 8.アルフレド・ゴビの演奏スタイル・特徴 高山正彦氏はその著書の「タンゴ」(新興楽譜出版社、1954 年)の中でゴビについて「「ヴィオリン・ ロマンティコ・デル・タンゴ」の通り名がありますが、実のところは一向にそれらしくもない、むしろ キメの荒い感じのヴァイオリンで、演奏も決して非力ではないのでありますが、魅力に乏しいうらみが 1963 年のアルフレド・ゴビ楽団。 (画像出処:参考資料[2]) 0 2 4 6 8 10 12 1947 1948 1949 1950 1951 1952 1953 1954 1955 1956 1957 1958 Alfredo Gobbiの録音履歴 図1

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あります」と述べている。これは決して酷評ではなく、ゴビに関する情報が少なかった時代においてゴ ビの特徴を比較的良く捉えていると思うが、そうかといって褒め言葉でもない。筆者はこれを読んで「ゴ ビとはその程度の音楽家か」と思い込んでしまい、ゴビを積極的に聴こうとしなかったことを今になっ て悔やんでいる始末である。「El Violín Romantico del Tango」という語句は恐らく RCA Víctor 社が宣伝用 にあまり深く考えずに作り出したものと思われ、ゴビの特徴を的確に捉えているとは思えない。 アルゼンチンではゴビはプグリエーセ、バルダロ、トロイロと並んでデ・カロ楽派(Decareana)の一 翼を担うと見られている(参考資料[1][2][3])。ゴビの演奏スタイル・特徴をどう表現するかについては 皆が苦労している。ゴビの演奏スタイルは設立当初はディ・サルリに近かったというが、次第にデ・カ ロの影響を強めて行く。オラシオ・フェレール(参考資料[2])やオスバルド・ピーロはゴビ(参考資料 [1])をタンゴの形式の創造者・パイオニアと述べているが、抽象的な記述に止まっている。ルイス・ア ドルフォ・シエラ(参考資料[6])はもう少し具体的に、バイオリンの小さなビブラート、物憂いポルタ メント、深い暗示、オルケスタにおけるゆっくりとしたアクセントの非常に特異なリズムのマーキング、 という言葉でゴビの音楽を特性付けているものの、結局のところ「タンゴのスタイルに対するゴビの寄 与は、デ・カロの「何か」、ディ・サルリの「何か」と同じように定義が難しいその「何か」であり、そ れは彼のオルケスタの音以上には伝えられない「何か」である」というに止まっている。小松亮太氏も ゴビについて「トロイロ、プグリエーセ、ピアソラらと仲間だったという気がする」と述(参考資料[8])、 これも上記の見解に重なるところが大きい。 石川浩司氏はもう少しわかり易くゴビの音楽をピアニストの左手の鋭いリズム感とデ・カロ以来の重 厚なハーモニーで特性付けている(参考資料[5])。更に石川氏は「40 年代のゴビ楽団はトロイロには及ば ないもののプグリエーセよりは上だったのではないか」とまで述べているが、この見解には多数のプグ リエーセ・ファンから異論が続出しそうである。 筆者自身はゴビの演奏スタイルの特徴はバンドネオン陣の、統制のとれたアンサンブルに裏付けされ た、ゆったりとしたリズムの、プグリエーセ以上に深く刻み込むようなスタカートとそれを支えるピア ノの重低音にあると考えている。その上に、デ・カロの奏法を引き継いだゴビが率いるバイオリン陣が 随所に優美な音色を響かせる。ゴビの演奏を Pathé 時代のデ・カロの演奏と聴き比べると、ゴビとデ・カ ロとの親近性がよくわかる。そうかと言ってバイオリンを特に際立たせたスタイルではない。ゴビのバ イオリンは技術的には不安定で欠陥もあったと諸資料には記述されている。確かにゴビの演奏を聴いて みると、例えばエンリケ・フランチーニ(Enrique Francini)楽団のように、バイオリンが演奏全体をリー ドするという印象はあまりなく、音自体も弱い。その意味で「El Violín Romantico del Tango」という呼び 名は確かに適切ではない。 上述のようなゴビの演奏スタイルの特徴は器楽演奏の場合にはっきりと聴き取れる。しかし、残念な がら歌曲の場合にはその特徴は良くは聴き取れず、ともすると平凡な演奏に聴こえてしまう。これには 2 つの理由があって、その第 1 は伴奏が重厚に過ぎ、歌を生かしきれていないことである。この点ではト ロイロにはるかに及ばないと言える。第 2 は歌手の選択で、どの歌手もこれといった魅力に乏しい。こ の点でもトロイロやプグリエーセには及ばない。例外はホルヘ・マシエル(Jorge Maciel)で、彼の歌が 入った場合は聴き応えのある演奏になっている。歌曲の場合の歌手の選択と歌手自身の力量がいかに重 要であるかがよくわかる。歌の取り扱いがもう少し上手ければゴビは我が国でももっと評価されていた だろう。

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7 9.多数のタンゴ人との交流があったアルフレド・ゴビ アルフレド・ゴビはミゲル・カローのようにその傘下から多く優れたタンゴ人を輩出するということ はしなかったし、そういうことのできる性格でもなかった。しかし4.と5.でみたように彼は生涯に わたって多くの優れたタンゴ人との交流があった。特にオスバルド・プグリエーセとはバルダロ‐プグ リエーセ 6 重奏団やドゥオを通して 20 歳前後から交流があり、想像以上に互いに影響し合ったと考えら れる。ピアソラは「ゴビはプグリエーセのスタイルを含み、プグリエーセはゴビのスタイルを含み、そ れが 40 年代のタンゴ黄金時代への礎になった」と言っている(参考資料[1])。ゴビとプグリエーセの演 奏スタイルの類似性には深い理由があったということだ。 エルビノ・バルダロもゴビにいろいろ影響を与えたと思われる。しかしバルダロ自身が楽団を率いて 活動した期間は非常に短いので、どの程度の影響であったかはわからない。 バンドネオン奏者のマリオ・デマルコは初期及び最後期のゴビ楽団に在籍した。デマルコは 1951 年か ら 1953 年まで自身のオルケスタで活動し、1954 年から 1959 年まではプグリエーセ楽団にも在籍した。 ゴビ、プグリエーセ、デマルコ自身の演奏を聴き比べると、デマルコの方がゴビとプグリエーセの両楽 団の演奏スタイルに影響を与えたのではないかと想像する。勿論、私見に過ぎない。 アストル・ピアソラとアルフレド・ゴビは共演をしたことはないと 思うが、互いに相手を認め合う間柄であった。ピアソラがキンテート でゴビの “Mi Redención”を録音した時(1961 年)、ゴビは RCA Víctor のスタジオまでやって来た。そしてピアソラの編曲を非常に気に入っ ていたという。後年、どこかのカフェでの落魄したゴビのピアノ演奏 を録音した人がいたらしい(*)。そしてアストル・ピアソラはそれを聴 いたことがあるという。それは大変美しいバルスであった。後にゴビ がこのバルスの鉛筆書きの初稿を持ってピアソラの自宅を訪ねたこと があった。しかしその時ピアソラは生憎と不在だったので、ゴビはそ の初稿を入り口の下に置いたまま去ってしまった。ピアソラはこのこ とを生涯に悔やんでいた。 これらの人々以外で、ゴビと交流があった人々の中で我が国でも良 く知られている人々を列挙するとセーサル・サニョリ(César Zagnoli) オスバルド・タランティーノ(Osvaldo Tarantino), エドゥアルド・ ロビーラ, オスバルド・ピーロ(Osvaldo Piro)らの名前が挙げられ る。特にオスバルド・ピーロ約8 年間ゴビ楽団に在籍し、ゴビから大 きな影響を受けた。そのことはピーロの演奏を聴くとよくわかる。 10.作曲家としてのアルフレド・ゴビ 作曲家としてのゴビの作品数は表 2 に示した。それほど多くはなく、 また地味な作品が多い。それらの中で“Camanduraje”, “El andariego”, “Mi redención (Redención)”, “Orlando Goñi (A Orlando Goñi)”などは 現代の演奏家によって非常にしばしば取り上げられており、傑作と言

(*) この時代のゴビがピアノで“Mi Redención”を演奏した録音が YouTube にアップロードされている。

1 A mis manos -milonga-2 Antojos

3 Camanduraje

4 Capillita de mi pueblo 5 Cavilando

6 Cuando llora mi violín 7 Cuatro novios

8 De punta y hacha 9 Deselvo

10 Dicen que sos mala 11 El andariego 12 El mamao 13 El último bohemio 14 La candombera 15 Mensajera -vals-16 Mi paloma 17 Mi redención 18 Mujeres son mujeres 19 Orlando Goñi 20 Otra vez el viejo

21 Soy el cantor de la orquesta 22 Tu angustia y mi dolor 23 Un tango para Chaplin 24 Viejo madrigal

-vals-Alfredo Gobbiの作品

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8 ってよいだろう。 11.デ・カロ楽派の一翼を担うアルフレド・ゴビ オスバルド・ピーロは「アルフレド・ゴビの内的世界に入るのは非常に難しかった」と述べている(参 考資料[1])。ゴビは内向的人間で、自由奔放に生きるボヘミアンであった。他の多くのタンゴ人のように ひたすら成功を求めて突き進む人ではなかった。従って楽団経営の面でも大衆的人気を獲得するには至 らず、少数の理解者からの支持を得るに止まった。結果的に冒頭に示したような C クラス扱いになって も仕方がなかったと言える。しかし近年では音源が出揃ったこともあって、ゴビをじっくりと聴くこと も可能になった。今後はデ・カロ楽派の一翼を担う者としてのゴビの再評価が一段と進み、A クラスは 無理としても B クラスには行けるのではないだろうか。 12.アルフレド・ゴビの復刻 LP/CD アルフレド・ゴビの復刻 LP/CD には以下のようなものがある。 復刻 LP:

(a) "黄金時代のアルフレド・ゴビ" RCA(日本ビクター) RA-5385

(b) "ALFREDO GOBBI, ROBERTO RUFINO, ROBERTO FIRPO(h), AZUCENA MAIZANI EN "ORFEO" A.V.ALMA CTA-5088

復刻 CD:

(c) "TANGO ARGENTINO ALFREDO GOBBI Instrumentales innovidables" BMG 74321 63349-2 (d) "ALFREDO GOBBI 1947/1953" EURO Records EU 17008

(e) "ALFREDO GOBBI 1949/1957" EURO Records EU 17028 (f) "ALFREDO GOBBI AÑOS '54 al '57" BMG 74321 53383-2

(g) "ARCHIVO RCA TANGO ALFRED GOBBI Y SUS CANTORES 1951/1957" EURO Records EU-16012

(h) "ARCHIVO COLUMBIA JOSE SALA - ALFREDO GOBBI" EURO Records EU-18007 (i) "ALFREDO GOBBI Discografía Completa vol. No.1-(1947-1949)" BATC 89214

(j) "ALFREDO GOBBI Discografía Completa vol. No.2-(1950-1953)" BATC 89215 (k) "ALFREDO GOBBI Discografía Completa vol. No.3-(1954-1956)" BATC 89216

(m) "ALFREDO GOBBI Discografía Completa vol. No.4-(1956-1964)" BATC 89217 (11~17 番目の曲目の 録音年月日記載は誤り)

これらの中で(i)~(m)は Discografía Completa と称しているだけにゴビの全録音を収録している。ただ、 (m)の収録曲の 11 番目から 17 番目の曲目については録音年月日の記載が全く間違っている。何か根拠あ ってのことと思われるが、残念なことである。その代わりに(m)では 1963 年~1964 年の放送録音が復刻 されており、貴重な音源と言えよう。実際に聴いた感じでは中々しっかりした演奏で、衰えたという印 象は受けない。バンドネオン陣を率いるマリオ・デマルコのお蔭かも知れない。 (a)と(c)は器楽演奏のみ で、私見であるが、一番聴き応えがある。また(a)の収録曲はすべて(c)に含まれる。(b)と(h)は Orfeo 録音 のすべてを含む。

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9 Å 録音年月日 レ コ ー ド番号 マ トリ ス 番号 曲名 曲種 歌手 作者 復刻 C D /L P 1 16/5/47 60-1328 83434 La V irutra T ang o Instrument al V icente Greco (a)(c)(i ) 2 16/5/47 60-1328 83435 La entrerri ana V al s Carl os Herei da y Hug o Sol er A lfredo. Eusebi o Gobbi (d )( i) 3 30/7/47 60-1393 83554 Jueves T ang o Instrument al Udel ino T ranzo-Rafael Rossi (a)(c)(i ) 4 30/7/47 60-1393 83555 A mor de forastero T ang o Carl os Heredi a A lfredo Rol dán-Gui llerumo López (d ) (i ) 5 4/11/47 60-1485 83744 A doraci on V al s Carl os Heredi a Ramón A rg üel lo-P edro P idoto (d)(i ) 6 4/11/47 60-1485 83745 Barca rol a T ri ste T ang o Hug o Sol er A ntoni o Bl anco-Idal berto Nery (d ) (i ) 7 31/1/48 68-1527 83816 A memonos V al s Carl os Heredi a Ocampo-Fl ores-Gobbi (d )( i) 8 31/1/48 60-1257 83817 El i ncendi o T ang o Instrument al A rturo De Bassi (a)(c)(i ) 9 12/5/48 60-2066 83917 T ierri ta T ang o Héctor Maci el A gustín Bardi -Jesús Fernández Bl anco (d)(i ) 10 12/5/48 60-1594 83918 Muchachos yo teng o un tang o T ang o P abl o Lorenzo Natty P aredes (d )( i) 11 8/9/48 60-1667 91092 Remembra nza T ang o Jorg e Maci el Mari o Mel fi -Mari o Batti stel la (d)(i ) 12 8/9/48 60-1667 91093 Independi ente cl ub T ang o Instrument al A gustín Bardi (a)(c)(d)(i ) 13 31/1/49 60-1738 91196 La vi eja serenata V al s Jorg e Maci el T eófi lo Ibañez-Sandal io Gómez (e )( i) 14 31/1/49 60-1738 91197 P uro apronte T ang o Instrument al Domi ng o P laterotti -Fél ix V ill a (a)(c)(e)(i ) 15 24/3/49 60-1769 91242 El P ol lero T ang o Jorg e Maci el Héctor Marcó (d )( i) 16 24/3/49 60-1769 91243 Orl ando Goñi T ang o Instrument al A lfredo Jul io Gobbi (a)(c)(i ) 17 25/7/49 60-1819 91350 T u amarg ura V al s Jorg e Maci el y Áng el Díaz Laureno Martínez Smart (d )( i) 18 25/7/49 60-1819 91351 No la trai gas T ang o Áng el Díaz Héctor Genti le-Rei nal do Yi so (d )( i) 19 13/10/49 60-1854 91428 ¿P or qué soy reo? T ang o Áng el Díaz Hermi na V el ich P y Juan V el ich (d )( i) 20 13/10/49 60-1854 91429 Raci ng cl ub T ang o Instrument al V icente Greco (a)(c)(i ) 21 21/12/49 60-1901 91524 Chuzas T ang o Instrument al A gustín Bardi (a)(c)(i ) 22 21/12/49 60-1901 91525 Sombras T ang o Jorg e Maci el Franci sco P racáni co-V ermi ni o Servetto (e )( i) 23 27/3/50 60-1931 91603 Ya no eres mía T ang o Jorg e Maci el Héctor Marcó (j ) 24 27/3/50 60-1931 91604 Mal a entraña T ang o Héctor Coral Enri que Maci el -Cel edoni o Estabal Fl ores (d )( j) 25 18/4/50 60-1944 91633 P el el e T ang o Instrument al P edro M. Maffi a (a)(c)(d)(j) 26 18/4/50 60-1944 91634 Estás en mi corazon T ang o Jorg e Maci el A . Bl anco-Jul io Cami lloni (e )( j) 27 31/10/50 60-2056 93923 T ropa T ang o Jorg e Maci el y Héctor Coral P edro Bl anco-Áng el V ilar (e )( j) 28 31/10/50 60-2056 93924 Sal to Mortal T ang o Jorg e Maci el Domi ng o Jul io V ivas-Juan Mazzaroni (e )( j) 29 23/11/50 93959 La intri ga T ang o Jorg e Maci el Héctor Stamponi -Héctor Marcó (e )( j)

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Sel lo RC A V ictor

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10 30 23/11/50 60-2066 93960 T rai ci oner a T ang o Héct or Co ral Juan Ch irl anda -Lui s Garrs o P e (d )( j) 31 26/4/51 63-0065 94144 Est rel lita del sur (Est rel las del sur) V al s Jorg e Mac iel y Héct or Co ral Fel ipe Co rone l Ru eda (e )( j) 32 26/4/51 63-0065 94115 La catre ra T ang o Inst rum enta l A rturo De Bas si (a)(c)(d)(j) 33 26/6/51 63-0111 94261 Cal or de hog ar T ang o Jorg e Mac iel Eug eni o Carr ere-J esús Fern ánde z Bl anco (d )( j) 34 26/6/51 63-0111 94262 Que me qui ten lo bai lao T ang o Héct or Co ral Mi guel Bu ci no (g )(j) 35 27/6/51 63-0112 94265 La num ero ci nco T ang o Jorg e Mac iel Rel ato: Fi orav anti Rei nal do Yi so-O reste Cu faro (e )( j) 36 27/6/51 63-0112 94266 El anda ri eg o T ang o Inst rum enta l A lfredo Jul io Gob bi (a)(c)(j) 37 3/4/52 68-0245 94857 Nue ve pun tos T ang o Inst rum enta l Fran ci sco Can aro (a)(c)(d)(j) 38 3/4/52 38-0245 94858 Co mo l as Mar gari tas V al s Jorg e Mac iel y Héct or Co ral H. Gen ti le-Jo sé Ro tul a (d )( j) 39 28/4/53 68-0649 SO0967 T u ang ust ia y mi dol or T ang o Jorg e Mac iel A lfredo Jul io Gob bi -Jul io Cam ill oni (e )( j) 40 28/4/53 68-0649 SO0968 A s de carto n T ang o Carl os A lmad a J. M. Gon zal ez P rado -L. V iaoi ana-R . A . Barb oza (d )( j) 41 9/6/53 68-0740 SO1056 A unq ue seas mu jer V al s Carl os A lmad a A rturo Gal lucci -A bel A znar (d )( j) 42 9/6/53 68-0740 SO1057 P ara qué vi vi r así T ang o Jorg e Mac iel Luc iano Leo cata-Rei nal do Yi so (e )( j) 43 27/10/53 68-1224 SO1745 Si sos bruj o T ang o Inst rum enta l Em ili o Bal carse (c )( g )( j) 44 27/10/53 68-1224 SO1746 P or eso cant o así T ang o Carl os A lmad a L. P etrei ra-A . Can tó (g )(j) 45 22/6/54 68-2427 SO2636 Cu atro nov ios T ang o T ito Lan dó V erg ara-C . y R. Sal inas-A . J. Gob bi (f)(g )(k) 46 22/6/54 68-2427 SO2637 Can zone ta T ang o Jorg e Mac iel E. Lary -E. Suá rez (g )(k) 47 26/8/54 68-1823 SO2776 Frat ernal T ang o Inst rum enta l Ism ael Spi tal ni k (c )( g )( k ) 48 26/8/54 68-1823 SO2777 Un reg al o de Rey es T ang o Jorg e Mac iel P ascu al Mam one-Rei nal do Yi so (g )(k) 49 13/12/54 68-1953 SO3625 El hi jo cruel T ang o A lfredo Del Ri o A rturo Gal lucci -Raú l Hor maz za (g )(k) 50 14/12/54 68-1953 SO3628 T ri ste dest ino T ang o A lfredo Del Ri o A gust in Mag al di -A nto ni o Est eban T el lo (e )( f) (k ) 51 14/12/54 68-2003 SO3629 Lag ri mas y son ri sas V al s Inst rum enta l P ascu al De Gul lo (c )( k ) 52 14/12/54 68-2003 SO3630 T u ang ust ia y mi dol or T ang o T ito Lan dó A lfredo Jul io Gob bi -Jul io Cam ill oni (g )(k) 53 28/3/55 68-2061 SO3756 A mi s man os Mi long a A lfredo Del Ri o A lfredo Jul io Gob bi -Jul io Cam ill oni (e )( f) (k ) 54 28/3/55 68-2061 SO3757 P or una mu ñeca T ang o A lfredo Del Ri o Em ili o Bal carse -Ben ig no Cal vel o (e )( f) (k ) 55 13/6/55 68-2081 SO3811 Cam andr aje T ang o Inst rum enta l A lfredo Jul io Gob bi (a)(c)(g )(k) 56 13/6/55 68-2081 SO3812 P redes ti nada T ang o T ito Lan dó A nto ni o Bl anco -Jul io Cam ill oni (f)(g )(k) 57 30/6/55 68-2163 SO4059 Un tang o para Ch apl in T ang o A lfredo Del Ri o A lfredo Jul io Gob bi -B . Sal as (e )( f) (k ) 58 30/6/55 68-2163 SO4060 Que nadi e sepa mi sufr ir V al s T ito Lan dó Áng el Cab ral -Enr ique Di zeo (e )( f) (k ) 59 30/6/55 68-2162 SO4061 Lag ri mas de sang re T ang o A lfredo Del Ri o Ro bert o Gi mén ez (e )( f) (k ) 60 30/6/55 68-2162 SO4062 A med ia luz T ang o Inst rum enta l Edg ardo Don ato-Carl os Len zi (c )( e )( k ) 61 16/4/56 1A -082 8 SO4929 T e esta ba espe rand o T ang o A lfredo Del Ri o Ro bert o Gi mén ez (e )( f) (k ) 62 16/4/56 1A -082 8 SO4930 Hi sto ri a de un amo r T ang o T ito Lan dó Carl os A lmar án (f)(g )(k)

(11)

11 63 16/7/56 1A -0974 SO5025 El i nqui lino Mi long a A lfredo Del Ri o C. Lucero-J. Mazzea (e )( f) (k ) 64 16/7/56 1A -0974 SO5026 T uya T ang o A lfredo Del Ri o y T ito Landó Horaci o P ettorossi (f)(g )(k) 65 16/7/56 1A -0975 SO5027 Que fáci l es deci r T ang o T ito Landó Rodol fo Sci ammarel la -Rubén Fernández de Ol ivera (f)(g )(k) 66 16/7/56 1A -0975 SO5028 Entrador T ang o Instrument al Mari o Demarco (c )( g )( k ) 67 18/9/56 1A -1062 SO5116 Si n vuel ta de hoja T ang o Instrument al A lberto Jul ián Garral da (c )( g )( m ) 68 18/9/56 1A -1063 SO5117 Cal la T ang o T ito Landó Roberto Rufi no-Manu el Barros (f)(g )(m) 69 18/9/56 1A -1063 SO5118 Si n madre T ang o A lfredo Del Ri o A lfredo Eusebi o Gobbi (g )(m) 70 18/9/56 1A -1062 SO5119 El sol itari o V al s T ito Landó Leopol do Díaz V él ez (f)(m) 71 16/4/57 1A -1252 T O119 Y… al gun día T ang o Mari o Bel trán Héctor Lettera-A bel A znar (m) 72 16/4/57 1A -1252 T O120 Mensajera V al s T ito Landó A lfredo Jul io Gobbi -Jul io Cami lloni (f)(m) 73 18/6/57 1A -1311 T O200 El eng obbi ao T ang o Instrument al Eduardo Rovi ra (a)(c)(m) 74 18/6/57 1A -1311 T O201 La úl ti ma curda T ang o T ito Landó A níbal T roi lo-Cátul o Casti llo (f)(m) 75 25/9/57 1A -1436 T O364 Cuanta ang usti a T ang o T ito Landó Jul ián P laza-Manuel Barros (e )( f) (m ) 76 8/10/57 1A -1436 T O380 Refl ex ionemos T ang o Carl os Yanel Juan P abl o Marín (m) 録音年月日 レ コ ー ド番号 マ トリ ス 番号 曲名 曲種 歌手 作者 復刻 C D /L P 77 17/4/58 50006 103 A di ós Corazón T ang o T ito Landó L. Etcheg oncel ay-H. Sapel li (b)(h)(m) 78 17/4/58 104 A di ós Corazón T ang o A lfredo Del Ri o L. Etcheg oncel ay-H. Sapel li (h)(m) 79 17/4/58 50007 104 Garabatos dee mujer T ang o T ito Landó Rodol fo Sastre (b)(h)(m) 80 7/7/58 50010 115 Mi col eg ial a V al s T ito Landó A . Di Rosa-H. Genti le (b)(h)(m) 81 7/7/58 50010 116 Sal udos T ang o Instrument al Domi ng o Federi co-Franci sco Federi co (b)(h)(m) 82 31/7/58 50013 151 No me supi ste amar T ang o T ito Landó A rturo Gal lucci -Enri que Lary (b)(h)(m) 83 311/7/58 50013 152 Dame ti empo T ang o A lfredo Del Ri o A . P odestá-C. Ramos-F. Yoni (b)(h)(m) Sel lo Orfeo (1 ) “A lf re do G ob bi ” R ev is ta d e B U E N O S A IR E S TA N G O C L U B (A Ñ O 2 -N U M E R O 4 – D IC IE M B R E D E 1 9 9 7 )及び (2 ) h tt p :/ /w w w .t od ot an go. com /s p an is h /b ib liot ec a/ d is co gr af ia s/ を 基に 作成 。 復刻L P :( a) "黄金時代のア ルフ レ ド・ ゴ ビ " RCA ( 日本ビ ク タ ー ) RA -5 3 8 5 (b ) "A L F R E D O G O B B I, R O B E R T O R U F IN O , R O B E R T O F IR P O (h ), A Z U C E N A M A IZ A N I E N " O R F E O " " A .V .A L M A C T A -5088 復刻C D :( c ) " T A N G O A R G E N T IN O A L F R E D O G O B B I In st ru m e n ta le s in n o vi d ab le s" B M G 7 4 3 2 1 6 3 3 4 9 -2 (d ) " A L F R E D O G O B B I 1 9 4 7 /1 9 5 3 " E U R O R e c o rd s E U 1 7 0 0 8 (e ) " A LF RE DO GOB BI 194 9/1 957 " EUR O Rec ords EU 170 28 (f) " A LFREDO GOBBI A ÑOS '54 al ' 57" BMG 74321 53383 -2 (g ) "A RC HIV O RC A A LF RE DO GOB BI y sus cant ores 195 1/1 957 " EUR O Rec ords EU -16012 (h) "A RCHIV O COLUMBIA JOSE SA LA -A LFREDO GOBBI" EURO Records EU -18007 (i ) " A LF RE DO GOB BI Di scog rafía Co mp leta vol . No. 1 -(1947 -194 9)" BA T C 892 14 (j) " A LFREDO GOBBI Di scog rafía Compl eta vol . No. 2 -(1950 -1953)" BA T C 89215 (k) "A LFREDO GOBBI Di scog rafía Compl eta vol . No. 3 -(1954 -1956)" BA T C 89216 (m)" A LFREDO GOBBI Di scog rafía Compl eta vol . No. 4 -(1956 -1964)" BA T C 89217 (11 ~ 17 番目の曲目の録音年月日 記載は 誤り )

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12 参考資料

[1] Miguel Ángel Fernández (ed.), “Alfredo Gobbi” Revista de BUENOS AIRES TANGO CLUB (AÑO 2 - NUMERO 4 – DICIEMBRE DE 1997)

[2] Horacio Ferrer, “El libro de tango” Tomo 2

[3] ”Alfredo Gobbi(h) TODO ROMANTICISMO”, TANGO 1880-UN SIGLO DE HISTORIA-1980, No.11 [4] 高場将美、「タンゴ 100 年史 下 1936~1980」、((有)中南米音楽、1982 年)

[5] 石川浩司、「タンゴの歴史」、」(青土社、2001 年)

[6] Luis Adolfo Sierra,“HISTORIA DE LA ORQUESTA TÍPICA”, (CORREGIDOR, 1997) [7] 石川浩司、「マリオ・デマルコ考察」、Tangueando en Japón, No.24, (2009) , pp.64-69 [8] 「小松亮太さんの語るプグリエーセ……etc」、Tangueando en Japón, No.7, (2001) , pp.54-59 [9] http://www.todotango.com/creadores/ficha/21/Alfredo-Gobbi

[10] http://webtango.web.fc2.com

参照

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