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日本調理科学会誌 Vol. 48 No. 1(2015) 表 1. 調査対象者の性別と年代 ( 人 ) 年代性別 20 歳未満 20 歳代 30 歳代 40 歳代 50 歳代 60 歳代 70 歳代 80 歳以上 合計 男性 女性

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沖縄の清明祭の行事食の現状と伝承に関する一考察

Current Status and Transmission of Festive Dishes during Okinawa’s Seimeisai

田 原 美 和*

§

森 山 克 子* 東盛キヨ子** 金城須美子**

Miwa Tahara Katsuko Moriyama Kiyoko Higashimori Sumiko Kinjo

This paper provides an overview of the history of Seimeisai, one of the representative memorial ceremonies for ancestors conducted in Okinawa, Japan, and evaluates the factors that have influenced the changes in festive dishes. In addition, the current status of festive Seimeisai dishes is discussed, and we consider whether the dishes have been inherited from previous generations, based on the results of the Japan Society of Cookery Science’s special research survey “Festive and Ceremonial Foods.”

Seimeisai in Okinawa was adopted from China, and was practiced regularly by the 18th century. The main offer-ing at royal graves and in Kume Village originally consisted of usanmi, which followed the Chinese model of sānshēng (i.e. three sacrifices among= pig, chicken, duck, fish, etc.).

However, this dish has recently become adapted as the simple ingredients packed in jubako(tiered lacquer boxes). Furthermore, while the offerings and food used to be homemade, in recent years, pre-made foods have been used as offerings. Therefore, although contemporary young people generally understand the concept of Seimeisai, few have a detailed understanding of the ingredients or knowledge of how to cook it, which raises concern of the transmission of this tradition in the future.

Therefore, there is a need to deepen our awareness of regional traditional events as part of school curricula and in the household, and to become more involved in transmitting the knowledge of festive dishes and the meaning of Seimeisai to future generations. This is particularly relevant in light of current concerns in local communities and families over the continuation of cultural traditions.

キーワード:行事食 festive dishes;伝承 transmission;沖縄 Okinawa;清明祭 Seimeisai

* 琉球大学教育学部

(Faculty of Education, University of the Ryukyus) ** 元琉球大学

(Former University of the Ryukyus) § 連絡先 琉球大学教育学部 〒 903-0213 沖縄県西原町字千原 1 番地 TEL 098(895)8405 FAX 098(895)8405 1. 緒  言  日本の最南端に位置する沖縄県は,古くは琉球王国時代 から中国・東南アジアとの交易,第二次大戦後は米国統治 による異文化接触の影響を受けながら独特の文化を形成し てきた。また,亜熱帯性気候風土の中で育まれてきた地域 食材,先人の知恵を活かした調理法や食に関する営みには, 日本本土とは異質なものも多い1,2)  年中行事の中でも沖縄の代表的な祖先祭祀の一つである 清明祭は,清明節(旧暦 3 月頃)に行われる祖先供養の墓 前祭のことで,シーミー(清明),ウシーミー(御清明)と も呼ばれている。十八世紀初頭に中国由来の祖先祭祀が琉 球王国の久く に ん だ米村(中国からの帰化人および渡来人の集落) で行われたのを始めとし,その後に,王族や士族階級を中 心に行われた祖先祭祀の風俗が次第に庶民一般にも浸透し, 沖縄全般に広がったといわれている。ただし,沖縄本島北 部の一部,離島の宮古,八重山などでは十六日祭(旧暦一 月十六日に行われる祖先祭祀)が行われ,清明祭はそれほ ど普及しておらず,本島からの寄留者3)や一部の士族だけ で行っており,必ずしも全県的に行われている行事ではな い4)  清明祭の供物は,玉陵(国王墓)や久米村系門中墓では, 中国の五牲や三牲に倣ったウサンミ(御三味=丸ごとの 豚・鶏・家鴨・魚など)を供えていたが,近年は,それら の素材を用いた料理を重箱に詰めるなど簡略化され,忠実 にその供物を継承しているのはごく僅かになっている5,6) 一方,庶民は,古くから餅と乾肴(豚三枚肉・昆布・ごぼ うなどの煮染め,揚げ豆腐,田芋のから揚げ,魚天ぷら, かまぼこなどで重詰め料理ともいう)の重箱料理を供えて 祀る習慣があり現在も広くおこなわれている7)  そこで本報では,沖縄の清明祭に関する文献・資料,先 行研究をもとに伝来の経緯や供物がどう変わったのか,歴 史的な変遷を概観した。併せて,日本調理科学会特別研究 「調理文化の地域性と調理科学:行事食・儀礼食」(以後, 特別研究と記す)の調査結果をもとに,現在の清明祭の認 知状況や経験の有無,供物や料理の内容,また,若い世代 にどのように受け継がれているのか,その現状を明らかに する事を目的とした。 2. 方  法  清明祭に関する文献,調査研究資料の検索により,沖縄 に導入された歴史的背景,供物の変遷について考察した。

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また,供物の内容や現状を把握するために県内の大手スー パーマーケットや餅店への聴き取り調査を行った。併せて 特別研究の全国統一のアンケート調査に,地域特性のある 行事として沖縄特有の清明祭を追加し,認知・経験の状況 等を検討した。調査は平成 21 年 12 月から平成 22 年 8 月に 実施し,対象者は県内の大学生およびその親,祖父母,一 般市民である。調査票は 300 部を配布し 255 部を有効とし た(有効回収率 85%)。なお,本報では沖縄県に 10 年以上 在住している者 225 名を分析対象とした。対象者の世代, 性別を表 1 に示す。なお,データの統計解析は,SPSS Ver 19.0 を用いて単純集計および若年層・中高年層のクロス集 計を行い,χ2検定により世代間の差を検討した。 3. 結果および考察 (1) 清明祭の起源と普及  清明祭の起源は中国とされ,中国大陸で清明の墓参を五 礼の中に加えて,儀礼として制度化したのは 732 年3)とい われている。大陸から沖縄に清明祭が導入された年代は定 かではないが,久米村の系統である蔡さい文ぶん薄ぷによって編纂さ れた『四本堂家礼』(別名:蔡家家憲)には,1728 年に一 門で清明祭をおこなう事を決めたとある8,9)。また,琉球の 歴史を記した琉球王府編集の史書(正史)である『球陽』 の 1768 年の記録には,「始めて毎年清明の節,上,玉陵に 謁し,奉祭することを定む。」10)とあることから,清明祭が 行われたのは久米三十六姓(中国福建省からの帰化人)が 初めで,王府がとり入れたのは 1768 年以降と推察され,首 里・那覇の王府官人の間に普及したのはおそらく十八世紀 末であろう4)といわれている。また『球陽』の 1870 年の記 録には,「本年,伊平屋島の玉陵に,初めて清明祭祀を行 ふ。」とある10)。伊平屋(1939 年に伊平屋村の分村があり, 伊是名村,伊平屋村が設置された)は王府の関係する唯一 の首里以外の地域で行われる清明祭であった。1879 年の廃 藩置県以降は首里王府の年中行事ではなく,王族の子孫で ある尚家が執り行っていたが,現在では伊是名村が主催す る公事清明祭11)として行われている。  したがって,清明祭の行事は 18 世紀初頭にはすでに久米 村の人々に導入され,その後,首里王府から士族へそして 庶民へと伝わっていった。現在でも清明の時期になると, 県内の各地で親族が墓前に集まり,供物を供え,焼香後に 供食(直会)する風習は継承されている(写真 1)。 (2) 清明祭の供物の変遷 1) 琉球王国時代―18 世紀初頭から廃藩置県まで―  前述した『四本堂家礼』に,清明祭の供物は「三味之品 物左ニ記之」とあり(図 1),豚肉,魚,鳥,餅,貝,酒,  茶などが記載8)されている。前述の『球陽』(1768)の清 明祭の記録には御三味物の表記はあるが,具体的な内容に はふれていない。窪は,御三味を中国起源の神仏への供物 とし,中国の殷代末期から清代末期まで,神や先祖の祭祀 のときに供えられる牛・羊・豚各 1 頭を総称して三牲,清 代の福建省では鶏・羊・豚肉またはその略式の鶏・魚・豚 肉が三牲とされ,後者が台湾や沖縄に伝わり,久米村で は鶏・魚・豚肉を御三味としたのであろうと指摘してい る12,13)  また,王家の清明祭に関する文書として,伊是名玉御殿 で行われていた清明祭の執り行い方を記録した「伊い平へ屋や島じま 玉 たま 御 うどぅん 殿公く じ ち ょ う事帳」「玉たま御うどぅん殿御おはつまつり初祭 并ならびにせいめい清明御お さ い祭祀し日に っ き記」「伊い平へ 屋や島じま玉たま御うどぅん殿清せいめい明御お祭さい祀し之の時とき 御うさん三味み物ものおがみ拝ととのえ調 御お盛もりあわせ合之の 仕し よ う様 并ならびに御お菓か子し腰こし掛ががり」(1870)がある。その御三味の供物を 図 2 に示す。供物としては「ふた(豚)頭,鳥(鶏),かす ていら,まんてう,はせを実(芭蕉・バナナ),魚,あひ 表 1.  調査対象者の性別と年代 (人) 年代 性別 20 歳未満 20 歳代 30 歳代 40 歳代 50 歳代 60 歳代 70 歳代 80 歳以上 合 計 男 性 2 21 2 3 3 0 1 0 32 女 性 22 36 11 50 54 8 10 2 193 合 計 24 57 13 53 57 8 11 2 225 写真 1. 清明祭の風景 金城須美子撮影 2002 年 4 月 今帰仁村与那嶺

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る,舂つく餅,あ ん 餅,九 年 母,荻(サ ト ウ キ ビ),か い (貝)」14)があり,それぞれ一対で構成されている。中でも 「伊平屋島玉御殿清明御祭祀之時 御三味物拝調御盛合之仕 様并御菓子腰掛」には御三味の作り方が具体的に記載され ている。これは首里城(王府)で調えられた御三味の調理 の仕様が伊是名に伝えられたようである11)  一方,若狭町村の士族,貝姓渡嘉敷(現在 福地)家に伝 えられた古文書『貝姓規模帳』15)(中国暦同治九年(1870) に作成された貝姓門中の祭祀等の決まり事を記した規範文 書)によると,「自分清明祭の砌,・・・中略・・・御三味 八 寸 重 弐 組」と あ り,大 根 昆 布 か ま ぼ こ 〆しめ志し ゝし (宍・豚肉の煮しめ) 牛蒡 ふくめん(魚の天ぷら)豆腐 等の乾肴の入った重箱と,餅の重箱を調えることが記され ている。この当時の士族階級では,門中清明祭には中国起 源の三味を,各家の墓参りには重箱料理を供えて清明祭を 執り行なっていたことが伺える。 2) 廃藩置県から昭和初期頃  明治の中期から第二次大戦前までの久米村に関する記 録16)によると,清明祭の供物に「三牲,餅,菓子,果物」 とあり,供物はその場で料理して酒宴をするとある。供物 の三牲は,通称ウサンミと称し,茹でた皮付き豚肉塊,尾 頭つきの蒸魚,内臓を取り除き生きたままの姿に整えた雄 鶏の三品である。墓前に供え祀った後,その場で調理して からし酢で食していた。 3) 第二次大戦以降  久米村でかつて魚や鶏は丸ごと,豚肉は塊のまま蒸して 供えていたウサンミは,近年,伝統を守っている所もある が,それを適宜に切り分け,重箱に詰め合わせて供え る17,18)など簡便化されている。  次いで,各地域の一般的な清明祭の行事食について県内 の『市町村史』から調べてみた(表 2)。地域によって若干 異なるものの,乾肴と餅の重箱料理(写真 2)が主であ る16,19-38)。座間味村や読谷村の一部の地域では,清明祭を 三月三日に行う地域もある25,36)。なお,北部や離島には清 明祭の記述がみられない地域もあった。  2013 年 4 月に執り行われた伊是名玉御殿の清明祭を取材 した結果,前述した「伊平屋島玉御殿清明御祭祀之時 御 三味物拝調御盛合之仕様并御菓子腰掛」の文献に記述され ている形態を忠実に継承していた(写真 3)。 (3) 清明祭の現状―「行事食・儀礼食」調査より―  沖縄における清明祭の認知状況,行事の経験の有無,行 事食の食経験,喫食状況,調理状況について,現状および 若い世代への伝承の状況を把握するため,特別研究の調査 結果を分析した。なお調査対象者の年代は 10~80 代と幅広 いため 30 代以下の 94 名を若年層,40~80 代の 131 名を中 高年層と区分し比較検討を行った。 1) 清明祭の認知状況・経験の有無  清明祭の世代別の認知状況を表 3 に示す。知っていると 回答した者は若年層で 88.3%,中高年層では 100%といず れの世代も認知度は高いが,若年層と中高年層の認知度に 有意差がみられた(p<0.001)。また,清明祭の経験は若 年層で 84%,中高年層で 98.5%と中高年層が高い(p< 0.001)。経験した事がないと回答した者もいるのは,前述 したように清明祭の普及していない地域に居住していたか , あるいは係累の少ない家庭など,清明祭を体験する環境に なかったことが考えられるが,その要因については今後の 課題としたい。 図 1.  清明祭の供物:三味の品 出典:沖縄県教育委員会文化課『四本堂家礼』8)より転載 図 2.  御三味の品 出典::『伊是名村史 中巻(島の古文書)』14)より転載

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表 2.  沖縄県の市町村史にみる清明祭 文献名 行  事  食 清明祭の概要 発行年 国頭村史 重箱につめた餅と肴,神酒 清明祭は中国の行事だけにそれを行わない村落が多い。 国頭村では屋取(寄留人)の多い宜名真がさかんで, その他はほとんど行っていない。 1967 宜野座村史 重箱には餅,ナントゥー,カステラ,別の重箱には豆 腐,肉,かまぼこ,大根,にんじんなどの炒め物やて んぷらなどを詰める。戦後はみかん,バナナ,りんご などの果物を供える。 大正の中期頃から,最も盛大な行事になった。それ以 前は,墓のある家や,村の共同墓で質素に行われてい た。 1989 東村史 <慶佐次>お茶,重箱料理を用意する。魚,かんてん, さとうてんぷら,いかてんぷらなど。<平良>花米, 丸餅十五個の入った重箱一つ,てんぷら,魚,豚肉料 理などの重箱一つ,果物等。 この地域の清明祭は家族や門中を祭祀単位とするのを 原則とする祖先供養であり,日取りは各村落,各単位 で異なっている。 1987 読谷村史 重箱料理(白い餅,肉・豆腐・田芋・大根の煮しめ・ 昆布など季節の野菜も取り入れた)。酒,お茶など。 祖先供養の行事で,三月三日に行うところや,清明節 に入ってから行うところがある。午前中,墓の掃除を し,午後,墓参りに行く。 1995 北谷村史 重箱料理。昔は,百姓は五品,士族は七~九品と決 まっていたがいずれも奇数を用いる。 <上勢頭>嫁いだ娘や分家した息子達は重箱一対と酒 一合,打紙三枚を持参する慣わしがあったという。餅 は普段より大きく作り重箱に入り切らないごちそうを 持って行った。 1992 宜野湾市史 <我如古>料理は肉・揚豆腐・天ぷら・野菜の煮し め・紅白の卵・かまぼこなどを重箱に詰め,丸餅の重 箱詰(二十一個入れ)を一対とし,その二組を供える のが普通であった。 <伊佐>盥に料理を盛って墓前に運び,そこで重箱に 詰めて供えた。お茶。 清明祭当日,墓の周辺を掃除し,花を飾り,ゴザを敷 き,家族や親せきが集まって祖先の霊を祀った。遊山 めいたにぎやかな雰囲気である。その行われ方や規模 においては,現在も変わることがない。 1985 那覇市史 <久米村>三牲(通称ウサンミ。鶏,豚,魚,卵など を丸ごと供える),餅,酒,果物など。 清明の時季に墓前で行われる。 供物を盆に盛り卓にのせ,線香を焚き,蝋燭をともし, 酒を奠し,紙銭を焚いて拝す。終わって供物をその場 で料理して宴となる。 1979 <旧那覇・首里・小禄> 重詰料理(重箱)は揚豆腐,牛蒡,大根,天ぷら,昆 布,カマボコ,肉,カステラ,コンニャクなど。餅, 果物,菓子,酒。 重箱は四箱で一組にし,二箱は料理を詰め,残り二箱 には餅を入れる。 首里で久米村のウサンミに倣った三牲を大ウサンミ, 重箱料理はウサンミといった。 墓の庭にむしろを敷き,親類縁者が集まり,祖先をま つり,一門のつながりを深めた。 大里村史 <カミウシーミー>供物は餅の重箱とおかずの重箱 <ムラウシーミー>餅(重箱に十五個つめる),重箱 (ト―フ,豚肉,天ぷら,こんぶの煮しめ),酒。 清明の節に入るやすぐに墓参りをするのは,カミウ シーミーの方で,大里村全体で村一円に役場で日を決 めて執り行うのが,ムラウシーミーといわれる。 1982 糸満村史 重箱料理のカティムン(肴)と餅は必ず奇数を詰めた。 各家庭からムチジューを持ち寄り,祖先に感謝と加護 を祈願した後,墓の前庭で重箱の料理を交換し合って 食した。戦後は食品衛生面からお墓に供えるのはお菓 子・果物だけ。シーミーの料理は家庭の仏壇に供える。 1991 座間味村史 餅,肴のお重(シーミーメー)を供える。 清明祭と三月三日の行事は同日に行われる。この行事 が同日に行われるようになったのは,経済的理由から だという。午前中は各門中がお重を持ち寄って墓参り をして過ごす。墓前にお重を供え,打紙を焚く。 1989 多良間村史 内容は十六日祭りと同じ:十六日祭の記載には,ご馳 走,餅,酒,肴がある。 清明の節入り日に(新暦の四月五日)に古くから行わ れている。 門中が集まってお供えした後,ご馳走を食べながら楽 しい時を過ごす。 1993

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2) 清明祭の主な供物と料理  清明祭を知っており,かつ経験したことがあると回答し た者のうち,この行事で「重箱料理を食べた経験がある」 写真 2. 乾肴と餅の重箱及びその他の供物 森山克子撮影 2012 年 5 月 那覇市識名 写真 3. 伊是名村公事清明祭の供物 田原美和撮影 2013 年 4 月 伊是名玉御殿 表 3.  清明祭の認知状況および経験の有無 ―世代別比較― (%) 世 代 認知状況*** 経験の有無*** 知っている 知らない あり なし 若 年 層 N=94 88.3 11.7 84 16 中高年層 N=131 100 0 98.5 1.5 *** p<0.001 表 4.  清明祭の重箱料理の喫食経験および喫食状況 ―世代別比較― (%) 世 代 喫食経験 喫 食 状 況 あり なし 毎年食べる 毎年ではないが時々食べる 途中から食べるようになった 食べなくなった 若 年 層 N=78 97.4 2.6 N=74 79.7 14.9 1.3 4.1 中高年層 N=125 97.6 2.4 N=96 92.7 4.2 1.0 2.1 n.s n.s のは若年層で 97.4%,中高年層で 97.6%と両世代とも喫食 経験は高く,世代間の差はみられなかった。喫食状況では, 食べたことがあると回答した者で「毎年食べる」とした者 は中高年層で 92.7%,若年層では 79.7%と中高年層の方が 高い傾向にあり,「毎年ではないが,時々食べる」は中高年 層で 4.2%,若年層では 14.9%と喫食状況に違いが見られ た(表 4)。  また,調理状況や食べ方について「重箱料理を家庭で作 るか」の質問に対し,以前(5 年以上前)は作っていたと 回答した者は若年層で 53.2%,中高年層では 49.6%,現在 も家庭で作るとした者はそれぞれ 46.8%,41.1%とその割 合は低くなった(表 5)。一方,「重箱料理を購入する」と した者は,以前は若年層で 20.3%,中高年層で 16.3%で あったが,現在では前者で 21.5%,後者では 28.7%と以前 と比較してその割合がやや高くなり,特に中高年層で購入 あるいは一部既製品を利用する家庭が増加傾向にあること が伺える。  同様に,餅の喫食状況について,この行事で食べたこと があると回答した者は若年層で 90.5%,中高年層で 97.4% であった(表 6)。食べた経験があると回答した者で,「毎 年食べる」は若年層で 78.4%,中高年層では 92.2%,「毎 年ではないが,時々食べる」は若年層で 18.5%,中高年層 では 5.6%と世代間の喫食状況に差がみられた(p<0.05)。 餅は家庭で作るかどうかを以前・現在で比較した結果,両 世代とも以前は作っていたと回答した者は約 20%あったが, 現在ではその割合は両世代とも更に減少し,購入するとし た割合が中高年層では高くなった(表 7)。若年層で購入す るとした割合が以前と現在の差が小さいのは,聴き取り調 査の結果から沖縄県内の老舗の餠店は昭和 30~40 年代に出 店しており,その頃にはすでに市販の餅が入手しやすい状 況にあり,消費生活環境に大きな差はないことなどが要因 としてあげられる。  現在の清明祭の行事食は伝統的な供物の重箱料理以外に も,オードブル,寿司,果物,菓子などがあげられ,それ ぞれの家族の嗜好に合わせた食べ物が供されている。  なお,今回の調査では,中国伝来の三牲に倣ったウサン ミの記述はなかった。 (4) 清明祭の行事食に関する聴き取り調査  平成 24 年 9~10 月に沖縄県内の大手スーパーマーケット (A 社)を対象に,清明の節に販売される供物,それに付

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表 7.  餅の主な調理状況や食べ方 ―世代別比較― (%) 世 代 家庭で作る 実家・親戚などで食べる 購入する 以前 現在 以前 現在 以前 現在 若 年 層 N=79 20.3 17.7 35.4 29.1 35.4 34.2 中高年層 N=129 20.2 13.2 21.7 20.2 40.3 47.3 ※複数回答 表 6.  清明祭の餅の喫食経験および喫食状況 ―世代別比較― (%) 世 代 喫食経験 喫 食 状 況* あり なし 毎年食べる 毎年ではないが時々食べる 途中から食べるようになった 食べなくなった 若 年 層 N=74 90.5 9.5 N=65 78.4 18.5 0.0 3.1 中高年層 N=114 97.4 2.6 N=90 92.2 5.6 1.1 1.1        n.s * p<0.05 表 5.  重箱料理の主な調理状況や食べ方 ―世代別比較― (%) 世 代 家庭で作る 実家・親戚などで食べる 購入する 以前 現在 以前 現在 以前 現在 若 年 層 N=79 53.2 46.8 44.3 38.0 20.3 21.5 中高年層 N=129 49.6 41.1 24.0 21.7 16.3 28.7 ※複数回答 随して店頭にならぶ料理・菓子・果物類の販売状況に関す る聴き取り調査を行った。A 社の担当者によると,七品ま たは九品の乾肴を簡易様式の重箱に詰め,販売を開始した のは昭和 60 年頃(1985)からであった。豚三枚肉・昆布・ ごぼうの煮しめなどの販売はスーパーマーケットよりも惣 菜店が早く,行事の際に消費者が単品で販売されている惣 菜を購入し,家庭で重箱に詰めかえたり,また惣菜店に自 前の重箱を持参しその中に料理を詰めてもらったりしてい た。この状況を参考に,A 社でも重箱料理の販売を始め, それ以降,約 30 年間の販売は伸び続けているという。重箱 料理以外にも巻き寿司,オードブルなどが同時に購入され ている。菓子類は饅頭など供物用の伝統的な菓子以外に子 どもが好む商品が売れるという。重箱料理は供物として伝 統が守られ,それ以外は家族の嗜好に合わせて購入されて いる。 (5) 若い世代への伝承について  今回の特別研究の結果から,沖縄における清明祭の認知 度や経験はいずれの世代も高いものの,供物の重箱料理の 喫食状況は,「毎年食べる」と回答した割合は,若年層は中 高年層と比較してやや低い。一方,調理状況をみると,家 庭で全て手作りではなく,一部既製品を利用する,あるい はすべて購入するなど行事食の外部化が見られ,スーパー マーケットの聴き取り調査の結果からもその傾向は明らか である。但し,外部化傾向があるとはいえ,専門の業者が 従前のしきたりを継承しながら手作りをして提供している 状況もあり,今後も重箱料理は何らかの形で次の世代へ継 承されていくものと推察される。  2000 年に行った県内高校生を対象とした沖縄の行事食に 関する認識・関心についてのアンケート調査の結果39)でも, 清明祭や旧盆の供物や重箱料理を作る事については「家庭 の習慣だから大切」と回答した者が約 6 割,作った経験は 少ないが,それを「継承したい」「どちらかといえば継承し たい」と回答した者は約 8 割と意識は高かった。また, 2008 年のアンケート調査では,継承したいとする意識は高 かったものの,その方法としては一部既製品を用いる,あ るいは購入するとの回答が約 6 割を占めた40)  近年,女性の社会進出,核家族化,食生活の洋風化など にともない,行事食を家庭で作る機会が減り,伝統的な行 事食が親から子へ伝承されない傾向にある41)。その中で沖 縄の清明祭の重箱料理は,喫食経験や喫食頻度は世代に よって多少差はあるが,全国の調査報告(特別研究―行事 食・儀礼食―)41)にある年中行事と比較しても,その割合 は高い。しかし,いずれの世代も重箱料理の調理状況は減 少傾向にあり,既製品の利用が増えれば,伝統の調理法や 家庭の味の伝承が損なわれる状況にある。家庭の味の伝承 について,島田らは,家庭にはその家特有の味付けがあり, 食べ慣れることによって美味しいと感じる味覚嗜好が形成 されるものとし,その味に親世代の味付けを子世代がおい しいと感じる味覚嗜好の伝承が家庭の味の伝承の前提条 件42,43)だと考察している。調理の外部化傾向が進むなか,

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調理に手間のかかる重箱料理の全てを家庭で手作りするの は困難であるならば,半加工品等も上手く利用しながら, 受け継がれてきた調理法,家庭の味を親から子へ伝える取 り組みが必要だと考える。  現行の中・高等学校「学習指導要領 家庭」の食生活領域 には地域の食文化に関する内容が掲げられ,郷土料理や行 事食など地域や家庭における食の伝承が重視されてい る44,45)。また,学校における食育の推進等に関して「食に 関する指導の目標」の一つに,「各地域の産物,食文化や食 にかかわる歴史等を理解し,尊重する心をもつ」46)とある ことからも,家庭,学校教育の中で地域の伝統行事への認 識を深め,行事食の伝承に積極的に関わる必要があると考 える。実際に,沖縄県内の北部地域の小・中学校の学校給 食には,行事食の献立に清明祭の料理として御三味(豚 肉・豆腐・こんぶ・かまぼこ・天ぷら等)を提供している 学校もある。また,今後は,県内の小・中・高校の家庭科 教育等の中で,地域の年中行事の食に関する体系的な取り 組みも,実践的な態度の育成のためにさらに必要になるで あろう。  江原は,意図的・計画的な教育も重要であるが,家庭や 地域においては,何かを学びとるまでともに暮らしながら 待つこと,習得を支えるために見守り,はげますなど周囲 の「目」や「言葉」や「心」が不可欠であろう47)と述べて いる。沖縄は,門中や親族とのつながりを大事にする共同 体意識が強い地域でもあり,清明祭は特にその絆を深める 行事の一つと言える。行事を通して,コミュニケーション を取りながら親世代・子世代がともに調理する体験を増や していく事,その後に親族で供食を楽しむことは,清明祭 の意義を伝えながら若い世代へ調理技術,家庭の味の伝承 に結びつくと考える。  沖縄は第二次大戦後の約 27 年間,米国統治下におかれ日 本本土とは異なる歴史的背景をもつ。第二次大戦中および 戦後の極度の物不足は,伝統的食習慣の伝承を中断させ47) 年中行事や食環境にも多大な影響を与えたといわれている。 戦後の混乱期で食べるものが極度に不足していた時代を経 て,現在でもなお盛んに執り行われている清明祭の意義や 供物について認識を深めながら,家庭や地域,学校教育の なかで調理する機会を増やし,行事食を次世代へ伝承して いくことが重要である。 4. ま と め 1.  沖縄の清明祭は,18 世紀初頭にはすでに中国から久米 村の人々によって導入されていた。その後,首里王府の 行事として受容され,士族階級,そして庶民へと伝わっ ていった。現在でも清明の時期になると,県内の各地で 親族が墓前に集い,供物を供え,焼香後に供食する風習 が色濃く残っている。 2.  玉陵(琉球国王の墓)や久米村系門中墓では,墓前に 中国の三牲に倣ったウサンミ(御三味=豚・鶏・家鴨・ 魚など)を供えて祀っていたが,大方その素材を用いた 料理を重箱に詰めるなど簡略化され,忠実にその供物を 継承しているのはごく僅かになっている。 3.  日本調理科学会「行事食・儀礼食」のアンケート調査 をもとに,清明祭の認知・経験状況を若年層(30 代以下) と中高年層(40~80 代)に分けて分析した結果,沖縄に おける清明祭の認知度や経験はいずれの世代も高い。 4.  清明祭の重箱料理の喫食経験は,両世代ともに高いが, 喫食状況は,「毎年食べる」と回答した割合は,若年層は 中高年層に比べて低い傾向がみられた。 5.  清明祭の行事食の調理状況についてみると,以前は手作 りをしていたものが,現在はスーパーマーケットや惣菜店 等で手軽に入手出来るため,購入するとした割合が多くな り,外部化傾向がみられた。なお,今回の調査では,中国 伝来の三牲に倣ったウサンミの記述はみられなかった。 6.  行事食の主流にある重箱料理は,外部化傾向がみられ, 今後は調理技術や家庭の味の伝承が危惧される。 7.  若い世代への伝承には,家庭や地域,教育機関等で, 積極的に関わり,清明祭の歴史や意義を認識させ,より 実践的な取り組みが必要かと思われる。  本研究を遂行するにあたり,調査にご協力くださいまし た関係者の皆様に深く感謝申し上げます。なお,本研究の 概要は,日本調理科学会平成 22 年度大会及び日本調理科学 会九州支部平成 24 年度大会において報告した。 文  献 1) 金城須美子(1993),沖縄の食文化-料理文化の特徴と系 譜,「海洋文化論」,比嘉政夫編,凱風社,東京,pp. 210-211 2) 平成 21~23 年度日本調理科学会特別研究委員会(2011), 平成 21~23 年度日本調理科学会特別研究報告書「調理文化 の地域性と調理科学―行事食・儀礼食―」,日本調理科学会, 東京 3) 窪徳忠(1981),「南島文化叢書 1 中国文化と南島」,第 一書房,東京,pp. 7-8 4) 平敷令治(1995),「沖縄の祖先祭祀」,第一書房,東京,p. 93 5) 金城須美子(1985),伊平屋島の伝統的食生活の特徴,琉 球大学教育学部紀要,29,275-276 6) 金城須美子(1987),沖縄の肉食文化に関する一考察―そ の変遷と背景,生活文化史,11,28 7) 田原美和,森山克子,金城須美子,東盛キヨ子(2012), 沖縄の清明祭の供物・料理の現状と伝承について,平成 24 年度一般社団法人日本調理科学会九州支部学会講演・研究発 表要旨集,一般社団法人日本調理科学会九州支部,16 8) 沖縄県教育委員会文化課(1981),「四本堂家礼」,沖縄県 教育委員会,沖縄,pp. 45-46,pp. 50-51 9) 崎濱秀明(1971),御財制・蔡家家憲(四本堂家禮),「沖 縄旧法制史料集成 第五巻」,崎濱秀明,東京,pp. 187-189 10) 球陽研究会編(1974),「沖縄文化史料集成 5 球陽読み下し 編」,角川書店,東京,p. 367,p. 652 11) 伊是名村教育委員会(2007),「伊是名村銘苅家の旧蔵品お

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よび史料の解説書―公事清明祭をめぐる公文書とご拝領の 品々―」,伊是名村教育委員会,沖縄,pp. 14-15,p. 60 12) 窪徳忠(1997),「増訂新訂 沖縄の習俗と信仰」,第一書 房,東京,p. 211,p. 230 13) 沖縄大百科事典刊行事務局(1983),「沖縄大百科事典上 巻」,沖縄タイムス社,沖縄,p. 286 14) 伊是名村史編集委員会(1988),「伊是名村史 中巻(島の 古文書)」,伊是名村,沖縄,pp. 127-131 15) 那覇市経済文化部歴史資料室(1998),「那覇市史 資料篇 第 1 巻 9」,那覇市役所,沖縄,pp. 435-437 16) 那覇市企画部市史編集室(1979),「那覇市史 資料篇第 2 巻中の 7」,那覇市企画部市史編集室,沖縄,p. 4, p. 116,pp. 206-207 17) 新星図書編集部(1978),「琉球料理全書-2 ふるさとの 伝承料理」,新星図書,沖縄,p. 33 18) 渡口初美(1981),「沖縄の祭祀と行事料理」,国際料理学 院,沖縄,p. 34 19) 国頭村編(1967),「国頭村史 別冊」,国頭村役所,沖縄, pp. 24-25 20) 大宜味村史編集委員会(1979),「大宜味村史 通史編」, 大宜味村,沖縄,p. 375 21) 宜野座村誌編集委員会(1989),「宜野座村誌 第三巻 資 料編Ⅲ」,宜野座村役場,沖縄,p. 307 22) 東村史編集委員会(1987),「東村史 第 1 巻 通史編」,東 村役場,沖縄,pp. 317-319 23) 金武町誌編纂委員会(1983),「金武町誌」,金武町役場, 沖縄,pp. 763-764 24) 伊波信光(1988),「石川市史」,石川市役所,沖縄,p. 297 25) 読谷村史編集委員会(1995),「読谷村史 第四巻 資料編 3 読谷の民俗上」,読谷村役場,沖縄,pp. 288-299 26) 北谷町史編集委員会(1992),「北谷町史 第三巻資料編 2 民俗上」,北谷町役場,沖縄,p. 244 27) 宜野湾市史編集委員会(1985),「宜野湾市史 第五巻資料 編四 民俗」,宜野湾市,沖縄,pp. 376-377 28) 西原町史編纂委員会(1989),「西原町史 第四巻 資料編三 西原の民俗」,西原町役場,沖縄,p. 931 29) 豊見城村史編纂委員会(1964),「豊見城村史」,豊見城村 役所,沖縄,p. 613 30) 大里村史編集委員会(1982),「大里村史第七編民俗調査資 料」,大里村役場,沖縄,pp. 500-503 31) 新屋敷幸繁編(1980),「与那城村史」,与那城村役場,沖 縄,p. 158 32) 佐敷町史編集委員会(1984),「佐敷町史 2 民俗」,佐敷町 役場,沖縄,pp. 377-378 33) 糸満市史編集委員会編(1991),「糸満市史資料編 12 民俗 資料」,糸満市役所,沖縄,p. 188 34) 仲里村史編集委員会(2000),「仲里村史 第六巻 資料編 5 民俗」,仲里村役場,沖縄,pp. 544-545 35) 具志頭村史発行委員会(1961),「具志頭村史」,具志頭村 役所,沖縄,p. 482 36) 座間味村史編集委員会(1989),「座間味村史 中巻」,座間 味村役場,沖縄,pp. 353-359 37) 平良市史編さん委員会,(1987),「平良市史 第七巻 資料編 5 民俗・歌謡」,平良市教育委員会,沖縄,pp. 388-397 38) 多良間村史編集委員会(1993),「多良間村史 第四巻 資料 編 3 民俗」,多良間村,沖縄,p. 256 39) 金城須美子,田原美和(2000),高校家庭科食物領域の 「食生活の変遷と食文化」に関する地域特性の指導内容およ び教材・資料の検討(第 2 報)―沖縄県内高校生の認識・関 心度について―,琉球大学教育学部紀要,57,163 40) 田原美和(2008),沖縄の「伝統食」継承に関する調理学 的研究(第 1 報)―高校生の実態・意識調査を中心に―,琉 球大学教育学部紀要 , 72,211-212 41) 渕上倫子,桒田寛子,石井香代子,木村安美(2011),特 別研究「調理文化の地域性と調理科学:行事食・儀礼食」― 全国の報告―行事食・儀礼食の認知・経験・喫食状況,日本 調理科学会誌,44,436-441 42) 島田玲子,澤畑絢子,木村靖子,川嶋かほる(2010),親 子間における調理の類似性,日本調理科学会誌,43,301-305 43) 島田玲子,山口真希,木村靖子,川嶋かほる(2013),親 子間における味覚嗜好の類似性,日本調理科学会誌,46, 114-120 44) 文部科学省(2008),中学校学習指導要領解説技術・家庭 編,教育図書,東京,53-57 45) 文部科学省(2010),高等学校学習指導要領解説家庭編, 開隆堂,東京,29-30,44-46 46) 文部科学省(2010),食に関する指導の手引―第 1 次改訂 版―,11-13 47) 江原絢子,無藤隆 , 酒井治子,今田節子,神崎宣武,坂本 元子,下村道子,足立己幸,高橋久仁子,斉藤隆(2001), 「食と教育」,江原絢子編,ドメス出版,東京,pp. 87-89, pp. 248-249 (平成 26 年 2 月 26 日受付,平成 26 年 10 月 22 日受理) 和文抄録  沖縄の代表的な祖先祭祀の一つである清明祭の伝来の経緯や行事食の変遷を概観し,併せて,日本調理科学会特別研究 「行事食・儀礼食」調査の結果を世代別(若年層 30 代以下,中高年層 40~80 代)で比較しながら,清明祭の行事食が若い 世代に受け継がれているのか考察を行った。沖縄の清明祭は,18 世紀には中国の渡来人の集落(久米村)で執り行われて おり,その後,首里王府,士族,そして庶民へと伝わっていった。主な供物として,国王墓や久米村では,中国の三牲に 倣ったウサンミ(御三味=豚・鶏・家鴨・魚など)を供えていたが,近年は,伝統を守っている所もあるが,大方その素 材を用いた重箱料理に簡略化している。アンケート調査の結果,清明祭の認知度,経験の状況はいずれの世代も高い。行 事の供物である重箱料理は,以前は手作りをしていたが,現在は一部既製品を利用する,購入するなどの割合が多くなり 外部化傾向がみられる。こうした状況から,若い世代は清明祭の概要について認識はしているが,食材や調理の知識や体 験が少なく,次世代への伝承が危惧される。今後は,調理技術や家庭の味を守り,受け継ぐために,清明祭の意義を理解 させ,家庭や地域,教育機関等で行事食の習得を促進するなど,積極的に関わる必要があると考える。

表 2.  沖縄県の市町村史にみる清明祭 文献名 行  事  食 清明祭の概要 発行年 国頭村史 重箱につめた餅と肴,神酒 清明祭は中国の行事だけにそれを行わない村落が多い。国頭村では屋取(寄留人)の多い宜名真がさかんで, その他はほとんど行っていない。 1967 宜野座村史 重箱には餅,ナントゥー,カステラ,別の重箱には豆腐,肉,かまぼこ,大根,にんじんなどの炒め物やて んぷらなどを詰める。戦後はみかん,バナナ,りんご などの果物を供える。 大正の中期頃から,最も盛大な行事になった。それ以前は,墓のある家
表 7.  餅の主な調理状況や食べ方 ―世代別比較― (%) 世 代 家庭で作る 実家・親戚などで食べる 購入する以前現在以前現在以前 現在 若 年 層 N=79 20.3 17.7 35.4 29.1 35.4 34.2 中高年層 N=129 20.2 13.2 21.7 20.2 40.3 47.3 ※複数回答 表 6

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