Japanese Society for the Science of Design
NII-Electronic Library Service Japanese Sooiety for the Soienoe of Design
「工
芸 産 業
の
振 興
」
一
史
的研
究
と実践
HistoricaI
research and practice on」
」
the promotion for the craftworkindustry
.
”
比 嘉 明 子 HIGA Akiko
京 都 市 産 業技術 研 究 所工業 技 術 センタ
ー
Kyoto Municipal lndustrial Research lnstitute lndustrial TechnologyCenter
1 ,
は じめ に 私 は1998
年に研 究奨 励 賞 をい た だ くこ と がで き ま した が、
その 対 象と な り ま したの は 千 葉大学 大学 院にあっ て博士論文 とし てま と め た一
連の 研 究で あ り、
論 文 名は 「大 正・
昭和戦 前 期 に お け る工芸 産 業 の振 興に関する研 究一
農 展・
商工展と地 方 試験研 究 機 関に よ るデ ザイン の 実 践と思 潮」 仟 葉大学1996
年 )で し た。
2 .
論 文の概 要につ い て本 研 究は
、
大正・
昭 和 戦 前 期の地方工 芸産 業の振 興策と し て、
二 つ の 問題 を 取り上 げて、
その 意義 に っ い て考 察し て い ます。
・
つ は農 展・商
工展 とい う 工芸 展覧 会の 開催、
今一
っ は地方試 験 研 究機関の設 置 と その 活 動です。
農 展
・商
工 展 は、 大正・
昭 和戦 前 期にわたっ て商 工省 (当初は農商務省
。 現在の経 済 産 業 省に あた る) がi
羅 した工芸 展覧 会です。 通 称 で農展、
後に商T .
展 とされ、
大⊥E2
(1913 )年か ら昭 不冂14 (1939 )年 の27
年問25
同にわ た り継 続されま し た。
一
方、
地 方 試 験 研究機 関 は、
明治 中期か ら昭 和 初 期にか けて 全国 に 設置 されたの で あ り、
農展・
商コ展 と 同 様、
当時の 地方工芸 産 業の 振 興が大 き な目的で した.
農
展・
商工展 は、
その 規 模の 拡大 と ともに、
地方 工芸 産業へ の 影 響が多大 と なっ てい き まし た。
農 展 の ように政 府がキ催 す る全国 的 展覧
会は、
各地方の 工芸 産 業に あっ ては、
時代の 流 行を知るこ とのでき る 開かれ た窓の よ うな存 在であ り、
ま た、
政 府 に と っ て は各 地 方の 工芸 状 況を把 握 し、
その 方向 性 につ い ての 指示伝 達 を一
挙に、
かつ 全国 的に可能に さ せ る 手 段 と も なり ま し た。
この 際に各 地方の 試 験研究 機 関 が 中央と 地方をつ なぐパ イプ と な り、
地 方工芸 産業の奨
励の ための 全 国 的なネッ トワー
クが 形成
さ れ る にい た り ま し た。 これ は各 地の 工芸 産 業の 「近 代 化」 を促 すこと と なっ たの です。昭和 戦 前期に地 方 試 験 研 究機 関で実 施 さ れ た漆器 研 究 に 注 目し ますと
、
その 前提は輸
出振興で した、
製 作⊥程の 合理化と海外向けにデ ザ イン を 刷 新 す る こ とが 大 きな目標で し た。
研 究に携わっ た 地方商
工 技 師ら は、
日本 固 有の文化とし ての 工芸・
漆器の 開 発 に 対 し使 命 感を もっ て取 り組み ました.
これは一
[1 芸 晶輸
出が拡 大し た 明治 期以来の 「口本 的ナル モ ノ1 を 探 求 す る活 動の延 長上 に あ る と も 言 え ます。
この 時 期に開 催さ れ た工芸 展
覧
会で確認でき る漆 器 類は、
欧州の 流 行を 取 り 入 れ、
「モ ダン 」さ を 強 調 したデ ザインー
色になりました。
当 時は これら は「地 方 色」を失っ た もの とし て強 く批判 さ れ、
「指 導 所 型」 と も呼ばれ るこ と に もなりました。
技 師た ち に とっ ては、
「地 方」と「中央」を 繋 ぐ ネソ トワー
クの も と、輸
出振興 を第一
義とする国 家 的 方 針に沿 うこ と が必要と され、
常に政府か らの 指 示 を 待つ もの と な ら ざ る を得 ない状 況が あ り ま した。
この ため、
そ のデ ザイン は常に海 外 向 きで、
地域 的特 色 を 失 うこ と に繋がっ てい っ たの ですttし か し
、
これ ら は従 来の漆 器のイメー
ジを払 拭し た 新 しいデザ インへ の試 みで あ った と見る こ と がで き ます。
技 師の 努 力に よっ て、
地 域 独 自の 工芸 デ ザ イン を創出 した事例 もあ り ます。
こ うした動きは、
昭和戦前期 に おい て地 方で生 起したデザ イン運 動の ひとつ の 形で あっ た と評 価で き る と考えてい ま す。
3 .
その後の活 動と展 開 その 後、
私は京 都 市工業試験 場工芸 研 究 室 (現・
京 都 市 産 業 技 術 研 究 所工業 技 術セ ンター
デ ザイン 開 発 チ
ー
ム) で、
工芸 デ ザイン を担 当 するこ とにな りま し た。
これまでにす すめて きた研 究におい て、
常に念 頭 に あっ たの は、
工芸 産 業の振 興 策の 推 進と い う大きな 流れを見つ つ も、
現 場で職 務に取り組 む 人々 の 姿を 写 し 出 したい とい うこと で し た。 その 研 究の 対象であっ た 場 所に自 ら飛 び込むこ とになっ た44 SPECLAL ISSUEOFJSSD Vo]
,
13No.
22005 デ ザ イン学 研 究 特 集 号Japanese Society for the Science of Design
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わ けです
.
、
.
各 地 方にお ける 匚芸産業の 振興策が推 進され る 中 で得た もの と失っ たもの とにつ い て考 えてき た わ け で す が、
現在の 職 場にあっ て は、
今後、
生 み 出 すべ き 工芸の姿
と は な に か とい うこ とが新 た な 課 題にな り ま す.
、
その た めには、
「地 方 色」つ ま り地域 的な特 色を追
究 す るこ とが基礎 として 必 要 で あ る と考
え、
歴 史研 究に基づ く 地域の デ ザイン遺 産の 掘 り 起しと い うこ とを 進めて い ま す、
、
具体 的に は 京都に お け る
.
T
/芸 デ ザイン の 近 代 化 過 程 につ い て調査 研究 を 断 続 的 なが ら行っ てい ます , 平成ll
年一13
年 度の 科学
研究費
助成 に よ る 「明 治・
/
/
大正期の 図案 集の 研 究」 に参 加す る 機 会 を 得 ました が、
大学図書館な どい くつ かの 所 蔵 先 を 対 象に した 図 案 集 調 査が実 施され、
i
乏 して京都 市内での 資 料 収集
を行い ました,
: 明治期
か ら現在
まで多
色 木版に よ る 図案集
を 発 行 し てい る (株 )芸 艸 堂 (京都 市) に 協 力 をい た だい て 同社 所 蔵の明治 期一
昭 和 初 期の 主 な 図案 集を調査 し ま し た。
京都の 工芸やデザ イン の 近代化の 歩 み を 辿 る と き
、
図案 家・
神 坂 雪 佳 が 非 常 に 重 要 な存在 と言え ま す が、
科研 調査に よっ て雪佳が関与した 図案集24
件を把 握 し たこ と と もに、
これ まで情 報の少なかっ た雪 佳 の 弟子 である図案 家・
古谷 紅麟につ い て もある程度 の 知 見を得る こ と ができ ました.
,
雪 佳や紅 麟は、
京 都の 工芸 界の 近代化の推 進 者で あ る と 同 時 に、 琳派 を積 極 的 な継 承 者と して評 価 されてい ます。
この 調 査研究で は、
雪佳や 紅麟の 図案 集に おい て琳 派風意 匠 が どの よ うに表出し て い るの か を考 察し てい ますtt こ う し た作 業をすす める中で、
あ ら ため て 知 るこ と ができ たの は、
江戸期に興っ た琳派の 存 在が、
現 在の 京都の一
L
芸業 界におい て も底 流となり、
色あせ ろ ことなく脈々 と流れてい るこ とで す、
、
琳 派の モ チー
フ は工 芸デ ザ イン の.
⊥二で 重要で ある・
方、
日常 的 な 業 界の 方々 との 話の 中で 「京都の 工芸 は 琳派を一
歩 も出てい ない、
これを超えな くて は」といっ た声 が 聞こ えて き た りもします。
否 定 的見方の よ うで す が、
裏返 せば、
京 都で は琳 派が現在で も生 き た 存 在 で あ るこ と を 実感 させ る とも言えます。
琳 派は古く て新しい 存 在で す
.
手 垢 がっ いた よ う に見え て も 人々の 関心 が失 わ れ ず、
常に再生 を繰り 返 し てい ます、
理 由 は さ まざまに 考 え られ ますが、
その一一
つ は 琳派が基 盤 に してい るの は 工芸 品であり、
生 活 に 根 ざした もの であっ たか ら だ ろ う と思い ま すtt 琳派だ けでな く京都 とい う 地域が持っ て い る デ ザ イ ンの 遺産は他に も多く存 在しま す。 伝統的な技 術 で製 作される 工芸品の需要が減少 してい る 現 実にあ っ て、
京都の 地で育
て られた美 術や工芸の伝
統を、
新 鮮で魅 力あ るn
芸の創出の ために 活 か すこと がで きるで しょ うか,
,
この 課 題 に おい て、
史的 研究の 成 果か らなにを学び活 用で きる で しょ う か、
史 的研.
究 を 応 用 に 直 結 さ せるの み に考えて はなり ま せ ん が、
過去 と 現在と を結ぶ ことに よっ て未 来の姿
が 開 か れ ること が あ る と思い ます、
,
そし て、
そ れ は、
どの 地 域にあっ ても有 効で あ ろ う と 思い ま す/
t これ までの 展 開は と問 わ れ れ ば、
史 的 研 究 だけ で な く 具体 的に携わるこ と に 研究の 足 場 を 変 え た 活 動 へ の 展 開 とい うこ と がで き るで しょ うか。
し か し、
いた だい た賞
の 重み につ り合
うこ と か どうかを 思 う と 汗 顔の 至 り です, 私 が論文で扱っ た時代におかれて いた 研 究 機 関の 使 命と現 状の そ れ は異 なっ て き てい る と 思い ます、
, 私は それ を、
デザ イン とい う領 域の 広 が りに眼 を 配 りつ つ も、
もの づ く りの 現場 に居 られる方々 とっ な が りを も ち な が ら、
地域の独 自性 を活か したデ ザイ ン の創 出 を 目指す ことで あ ろ う と思っ てい ます。
困 難 な 時 代 を迎えつ っ ありますが、
そ れ で も 自 負 をも っ て取り組んでい きたい と考えてい ます。
4 .
最 後に振り返っ て 見 れ ば壮大 な テ
ー
マ に取り組ん だもの で、
諸先輩方 か らの ご指 導と多くの 方々 の ご協力 が なけ れ ば と て も続け ら れ ない ことであ りました。
皆様 に、
そし て、
テー
マ との 出会い を導い て く だ さっ た 坂 本勝比 占先 生 (神戸芸術上科 大学名 誉 教 授 )、
ま と め る まで の困 難 な 道の り に おい て真摯
に ご指 導 く だ さっ た宮崎 清 先生 (千葉大学) に、
この 場を借 り、
あ ら ためて 深 く感 謝し たい と 思い ますt/
【参 考文献 】 ) 1 } 2 平成 11年一
13年度科 学 研 究 補 助 金 基 礎 研 究 〔B〕「明 治・
大 正期の図 案 集の研 究」一
連の研 究 成果につ いて は、
「明 治・
大 正 図案集の研 究一
近 代に い か された 江 戸 の デザイン 」(国 書 刊 行会 2004)によ って見 ることが でき る。
デ ザ イン学 研 究 特 集 号 SPECIAI