1994 年 1 月からスタートした新体制では 燃費に優れた 地球環境にやさしい乗用車に仕上げ 市販するまでの具体的なプランがつくられた この新体制のもとで 1995 年 10 月に開催される東京モーターショーに向けたコンセプトカー開発が進んでいた コンセプトカーにはハイブリッドシステムの搭載が決ま

18 

Loading....

Loading....

Loading....

Loading....

Loading....

全文

(1)

"1980年代後半、バブル経済は頂点に向かってい た。しかし、当時のトヨタ自動車会長であった豊田 英二は、好景気に踊らず、足元を見つめ直してい た。いつまでも同じ車の作り方でいいのか。このま まの開発で21世紀にトヨタ自動車は生き残れるの か。車づくりに対して危機感を強めていたのだ。 会 長の命を受け、1993年9月、当時の副社長であった 金原淑郎は、21世紀のトヨタ車を研究する委員会形 式のプロジェクト「G21」を立ち上げた。プロジェ クトでは「21世紀に向けた新しい車づくりの検討」 と「現在の開発の仕方を見直し、新しい方法に挑戦 すること」をテーマに話し合いが進んだ。そして 「外形は小さく、車内は大きな車」というパッケー ジに関する方向性が定まった。" 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社

(2)

1994年1月からスタートした新体制では、燃費に優 れた、地球環境にやさしい乗用車に仕上げ、市販す るまでの具体的なプランがつくられた。この新体制 のもとで、1995年10月に開催される東京モーター ショーに向けたコンセプトカー開発が進んでい た。コンセプトカーにはハイブリッドシステムの搭 載が決まり、開発が急がれた。モーターショーに華 やかに登場したコンセプトカーは、ラテン語で「~ に先だって」を意味する「プリウス」と命名。その 名の通り、21世紀の先駆けとなった。

(3)

今でこそハイブリッドカーとして知られる「プリウ ス」であるが、当時のモーターショーでは、ハイブ リッドシステムと他社に知られないよう「TOYOTA-EMS(トヨタ・エネルギー・マネジメント・システ ム)」と名付けられていた。当初、ハイブリッドシ ステムの搭載には反対の声もあった。要素技術の開 発が完了していないこと、特にバッテリーに関して は市販されているレベルでは絶望的であった。 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社

(4)

さらに、ハイブリッドシステムは研究レベルにあっ て、量産するための体制が整備されていないこと、 コストが高くなることなどがあげられた。また当 時、1970年代から、すでにアメリカのGMをはじめ とする世界の自動車メーカーが、ハイブリッドシス テムについて研究を重ねていたにもかからわず、 バッテリー、制御システム、ソフトウェアの3点が 技術的にクリアできず、実用化は不可能と考えられ ていた。

(5)

"――トヨタハイブリッドシステムの概要 トヨタハ イブリッドシステム(THS)は、発進時や低速走行 時のように、エンジンの効率が悪い状況では、エン ジンを自動的に止め、低速でも効率のいい電気モー ターの力で走る。通常の走行時には、エンジンを動 力源として走る。エンジンが効率よく働くように、 エンジンの力と電気モーターの力の割合を変えなが ら走るのである。" 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社 /div>

(6)

THS用エンジンでは燃費効率が徹底的に追求されて いるが、さらに効率のよい条件を保つように電気 モーターがアシスト役を果たしている。またTHSに は、電気モーターを使いながらも電気自動車とは異 なり、「外部からの充電が全く不要」という特長が ある。エンジンによって発電された電力は、電気 モーターによる車輪の駆動に使われるほかに、必要 に応じてバッテリーの充電にも用いられているの で、従来の自動車と同じようにガソリンを補給する だけで走ることができる。

(7)

"さらに、電気エネルギーを利用するTHSのメリット に「回生ブレーキ」がある。従来の自動車ではブ レーキをかけたとき発生する摩擦エネルギーを熱と して捨てているが、THSはこうした運動エネルギー を電気に変換してバッテリーに回収する。とくに発 進・停止を繰り返すような街中での走行時に有効な 優れたシステムである。またTHSは車両が停止する とエンジンを自動的に停止させることもできる。 こ のように最高の燃費を考え、走行条件によってガソ リンエンジンと電気モーターという2つの動力源を 使い分け、さらにエネルギーのムダを徹底して無く したTHSは、今までのガソリンエンジン車に比べて 燃費を約2倍に向上させ、排出するCO2を約50%削 減するとともに、排出ガス中のCO、HC、NOxを約 1/10に低減している。" 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社

(8)

"――モーターの量産化 将来、EVやハイブリッド カー、燃料電池電気自動車といった次世代自動車 が、ガソリンやディーゼルエンジンを使った車に 取って代わるなら、モーターがエンジンの代わりを 果たすことになる。そうなれば、自動車メーカーは モーターの生産を外部に頼るわけにはいかない。安 定して量産することが、これからのエコカー戦略の 重要な鍵となる。 それまで産業用や鉄道用の大型 モーターはほとんど手作りに近く、月産1万台とい えば、モーター業界ではとんでもない量産である。 大型モーター生産の機械化はこれまでほとんど例が なく、モーターの設計、形状、性能向上など、多く の問題があったため、生産技術部門による試行錯誤 が繰り返された。"

(9)

"――半導体の内製化 プリウスの車両制御コン ピュータに使う制御基盤の開発も内製化が決まっ た。さらにバッテリーの直流電力を三相交流電力に 変換し、電力制御するためのインバータユニットの 生産も、内製化することになった。長い歴史をもつ 電機メーカーと、わずか10年前にはじまったばかり であった社内の半導体部門とでは、比べようがない と反対の声も強かったが、将来、非常に重要な製 品・技術になるという長期的な視点から内製化が決 まった。" 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社

(10)

"経験の少ない開発チームにとって苦労はつきなかっ た。 インバータユニットは、家庭用エアコンのイン バータ数十台分にあたる電力を、たった1つの素子 でまかなわなければならない。構造も、素材も、市 販のものはまったく参考にならなかった。実験によ る破損を繰り返し、いろいろな工夫を重ねた結果、 世界中のエレクトロニクスメーカーが出している、 どのチップよりも破壊耐量が高い、世界レベルのイ ンバータユニットが完成した。"

(11)

"――バッテリーの開発 プリウスのユニット開発の 中でも、最も苦労が多く、生産開始までに開発でき るかが問題となっていたのはバッテリーであった。 バッテリーに関しては、すでにRAV4電気自動車用 のニッケル水素バッテリーを松下電池工業と共同で 開発し、実用化していた。プリウスも同じように、 松下電池との共同で開発が進められたが、今までの ほぼ1/10までコンパクト化が求められるとともに、 冷却や発熱についても、難しい問題が山ほどあっ た。" 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社

(12)

その開発の最中、1996年12月には、電気自動車やハ イブリッドカーの将来の市場を見越した共同プロ ジェクトを実現するため、トヨタ自動車と松下電池 の合弁で、パナソニックエナジーが設立された。松 下電池の「良いものを安く大量につくる」という哲 学と、トヨタ自動車のつくり込みの思想のもと開発 された電気自動車用のバッテリーは、世界最高水準 を達成。本田技研のハイブリッドカーへの採用も決 まり、外国のメーカーからも数多く問い合せがくる ほど、優れたバッテリーとして高い評価を受けてい る。

(13)

"――親子2代のチーフエンジニア 1994年に新体制と なったプロジェクト「G21」のリーダーには、車両 開発の経験のない内山田竹志が選ばれた。実験部出 身で、長年、振動実験に携わった後、技術管理部に 移り、技術部門の組織再編を担当するなどリーダー シップと新しい視点をもつ人物である。新しいプロ ジェクトには新しい発想が必要だと考えた上層部の 判断だった。" 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社

(14)

"内山田の父もかつてトヨタ自動車に勤務し、クラウ ン3代目に携わったチーフエンジニアだった。彼の 就任で、トヨタ自動車初の親子2代のチーフエンジ ニアが誕生した。 父の働く姿を見て育った内山田 は、中学の頃からトヨタ自動車で働きたいと考えて いた。大学に進学する時は、父の助言もあって、当 時、主流だった機械系ではなく、応用物理学科を選 び、研究室は苦手な実験を避けて自動制御を選ん だ。現在ならITSをはじめ、自動車メーカーでも制御 技術者への期待は大きい。しかし、時代が早すぎ た。彼が選んだ研究室にはトヨタ自動車からの募集 がなかった。どうしても入社したいと考えた彼は、 人事部を訪ね、入社試験を受けさせてほしいと頼ん だ。熱意が通じ、試験を受けることができた彼は、 無事、入社を決めた。"

(15)

父と同じように自動車の開発がしたいと夢みていた 内山田だったが、入社後、配属されたのは技術電算 部だった。ここでも彼はあきらめなかった。会社に 願い出て技術部門へ異動。車全体をとりまとめる仕 事がしたいと苦手だった実験部をあえて志望した。 実験部で16年半、技術管理部で4年の経験を経 て、1994年、長年の夢がかない、プロジェクト 「G21」のリーダーとなった。 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社

(16)

"――ハイブリッドシステムの開発による新たな排ガ ス対策の提案 ハイブリッドの開発が完成に近づこう とした1996年3月。プロジェクト「G21」でハイブ リッドシステムの開発を担当しているBR-VFのリー ダーとして、新たにベテランエンジニアが呼ばれ た。開発のスピードを危惧した上層部が選んだの は、排出ガス対策の第一人者である八重樫武久だっ た。 八重樫は、入社数年後、アメリカのマスキー 法に対応して設けられた、排ガス対策の特別プロ ジェクトに参加した。その後、ガソリンエンジンの 排ガス対策を中心に、三元触媒やEFI(電子制御燃料 噴射装置)を組み合わせた排気ガス低減に取り組ん だ。"

(17)

アメリカ・カリフォルニア州の新排ガス規制対応の リーダーとして、ULEV(ウルトラ・ロー・エミッ ショナル・ビークル)に対応したシステムを提案。 その過程では、連続可変バルブタイミング機構 (VVT-i)開発にも携わった。かつて苦労したアメリ カの環境規制であったが、その基準は排気のクリー ン度だけを過剰に強調し、実用性を無視していた。 さらに地球温暖化の原因と考えられる二酸化炭素 (CO2)もほとんど規制していなかった。アメリカ の規制は燃費に直接関わるだけに、燃費対策が遅れ ているアメリカビッグスリーに、開発の時間を与え ているとしか思えなかった。 世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」の開発 トヨタ自動車株式会社

(18)

"こうしたアメリカの姿勢に対し、八重樫は、ハイブ リッドカーを世界に先駆けて実用化することを誓っ た。排気ガスもCO2も大幅に低減し、なおかつ実用 性があって、アメリカの市場に受け入れられる車を 提案したいと意気込んだ。その熱意が世界初の量 産ハイブリッドカー「プリウス」を誕生させた。 "

Updating...

参照

Updating...

関連した話題 :