香 川 大 学 経 済 論 議 第73巻 第 1号 2000年6月 197-216
ワーグナーの「妖精」と物語の背景
ーゴッツィと『千、一日物語』一
最 上 英 明
1.r
妖精」とその原作
ワーグナー(1 813~83) の「妖精J (Die Feen)は,完成された彼のオペラと しては,最初の作品である。作曲家が20歳の1833年から 1834年にかけて作曲 されたが,生前には上演される機会がなく,作曲家の死後, 1888年にミュンへ ンで初演された。その後のオペラと同様,台本もワーグナー自身によるもので, イタリアのコメディア・デ・ラ Jレテの劇作家ゴッツィ(1 720~1806)の「蛇女」 (La donna serpente)を題材として作られている。ワーグナーが愛読していた E..T ド A 。ホフマン (1776~1822) は, 1819年に出版された『セラーピオン朋友 会員物語』第1
巻所収の「詩人と作曲家」で,ゴッツィについて次のように書 いている。「あの壮麗なるゴッツィを考えてもみたまえ。戯曲形式のメールヒェ ンで,ぽくがオペラ作曲家にのぞんでいるものを完全にみたしているじゃない か。それなのに,ああいう秀れたオペラにむく題材の豊かな宝庫がこれまです こしも活用されてこなかったなんて,理解に苦しむよりこのあと,ゴッツィの 「カラス」の内容を詳細に紹介して,ゴッツィの素晴らしさを具体的に述べて いる。このホフマンのゴッツィ賞賛から,ワーグナーが強い影響を受けたこと は,容易に想像できる。また,ワーグナーの叔父アードJレフ・ワーグナー (1) 作曲家の生誕75周年を記念して,ワーグナーの全舞台作品が上演された機会に r妖 精」も同時に初演された。この作品の練習指揮を担当したのが,R
シュトラウスだ、ったこ とでも知られている。 (2 ) 深 田 甫 訳 : ホ フ マ ン 全 集 第 4巻 1 (創土社) 1982, 177頁。-198 香川大学経済論議 198 (1774'" 1835)は, 1804年にこの「カラス」を独訳しており,十代のワーグナー が多大の文学的影響を受けたこの叔父に負うところも大きいと考えられる。な お,コジマの日記によると,ワーグナーは1882年4月16日,旅先のヴェネツィ アのホテルに滞在中,ゴッツィの「カラス」を朗読して,満足したという。晩 年になっても,ゴッツィを高く評価していたことがうかがえる。 ゴッツィの劇は, 20世紀に入ってから,-トゥーランドット」がブ、ゾーニや プッチーニにより,-三つのオレンジの恋」がプロコフィヱフにより,それぞれ オペラ化されたことでも知られている。ワーグナーが,結果として,ゴッツィ を題材としたオペラ創作の先鞭をつけた点は,高く評価されてもよかろう。ゴツ ツィの劇は,このように後世のオペラ創作に影響を与えてはいるものの,内容 はすべてゴッツィ自身の創作によるものではなく,他の作品を下敷きにして書 かれている。「三つのオレンジの恋J (1761)は,パジーレの『ペンタメローネ』 に含まれる「三つのシトロン」など,イタリアにおける伝承をもとに作られて いる。東洋的な雰囲気の濃厚な「トゥーランドットJ(1762)と「蛇女J(1762) は,どちらも『千一日物語~ (1710"'12)というペルシアの物語集によって書か れている。フランス人ペティ・ド・ラ・クロワが,中近東から持ち帰った写本を もとに翻訳・出版した物語集で,-トゥーランドット」は「カラフ王子とシナの 王女の物語J,,-蛇女」は「ルズヴァンシャド王とシェーリスタニ王女の物語」 を原作としている。 ワーグナーの「妖精」に関しては,従来,作曲家自身も含め,ゴッツィとの 比較において語られることはあっても,ゴッツィの作品の源泉となった『千一 日物語』にまで言及されることは,ほとんどなかったように思われる。ワーグ
(3) Wagner, Cosima: Die Tagebucher BdA 1881-1883 Munchen (Piper) '1982, S 932 (4 ) ゴッツィの「蛇女」を題材として,ヒンメル (1765~1814)が1806年に「空気の精」 (Die Sylphen)を作曲している。このオペラをウェーパーの「魔弾の射手」の先駆とみな す研究者もいるという。また,カゼッラ (1883~1947)が1932年に「蛇女」という同じ タイトルでオペラ化している。 Jウォラック/E.ウエスト編(大崎滋生/西原稔監 訳):オックスフォードオペラ大事典(平凡社)1996参照。 (5 ) 原作については, Enzyklopadie des MarchensのGozziの項に詳しい。
199 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 199ー ナーが実際に参照したゴッツィの原作の独訳(1777年出版)をはじめ,作品の 成立に関する資料や,初演前後の作品評なども収録されている,ゾーデン/レツ シュ編纂のドキュメント集をみても w千一日物語』にまで言及しである個所は 一つもない。また,ワーグナー自身が「妖精」について書いている文章を見る 限りにおいては千一日物語』を知らなかった可能性の方が高そうではある。 しかし,個々のエピソードには優れたものをたくさん合みながら,全体とし てみると,いささか冗長な感じをも与える「妖精」というオペラへの理解を深 めるためには,ゴッツィが典拠とした原作にまでさかのぼって内容の比較考察 を試みることも,意義があるのではなかろうか。ペルシア起源の『千一日物語』 の「ルズヴァンシャド王とシェーリスタニ王女の物語J (以下,
R
と略記する), ゴッツィの「蛇女J (以下,D
と略記),そしてワーグナーの「妖精J (以下,F
と略記)の内容を比較検討しながら,三つの作品の共通点や相違点を考察し, 作品への理解を深めることが,この小論の目的である。1
1
.物語の分析
ここで扱う物語の概要を一言でまとめると,次の通りである。「人聞の王が妖 精の王女と恋におちいり(最初は王女が鹿に変身した姿に魅了される),子供も 得て幸福な生活を送るものの,妖精の王女から課された試練に耐え切れず,王 女と離れ離れになってしまう。その後,新たな試練を経て,またもとの幸福な(6) Soden, Michael von/Loesch, Andreas (Hrsg): Wagner Die Feen Frankfurt a M. (Insel)1983 (7) ワーグナーは後年の楽劇では,伝承の古い典拠にまでさかのぼり,素材全体に精通して から台本を作成するようになったが妖精」のオペラ化の段階では,ゴッツィの劇だけ に依拠しているとの指摘もある。 Krienitz,Willy: Richard Wagners "Die Feen“ Munchen uLeipzig (Georg Muller) 1910, S.52 ( 8) ゴッツィとワーグナーの台本は, Soden/Loesch編の前掲苦手所収のものを主に参照し た。『千一日物語』は, Petis de la Croix, Francois: Les Mille et un Jours. Nouvelle Edition.. Paris (Societe du Panth邑on Litteraire) 1843, S30-48の他, Erzahlungen aus Tausendundein Tag Hrsg. von Paul Ernst Frankfurta.M (Insel) 1963, BdJ, S 72-123の独訳を主に利用した。
-200ー 香川大学経済論叢 200 生活を取り戻す。」三つの物語での彼ら二人の名前は次のようになっている。 人間の王 妖精の王女 ペティ (R) Jレズヴアンシャド シェーリスタニ Ruzvanschad Scheheristany (シナ) (シェーリスタン島) ゴッツィ(D) ファノレスカド ケレスタニ Farruscad Cherestani (テフリス) (エノレドラド) ワ ー グ ナ ー (F) アーリンダル アーダ Arindal Ada (トラモント) (妖精の国) 妖精の王女の名前が, RとDとでよく似ていることがわかる。 Fのアーリンダ Jレとアーダという名前は,ワーグナーの破棄されたオペラ「婚礼」でのカップ ルの名前である。
D
もF
も,全3
幕構成となっているので,以下,それぞれの 幕ごとの内容を比較検討しながら,原作のRとの関連を考察したいと思う。 1 .第 1 幕D
もF
も,王女の仲間の妖精による対話で始まる。二人の妖精の名前は,ど ちらもフアノレツアーナとツェミーナ(ワーグナーは,ゴッツィの名前をそのま ま用いている)で,人間と結婚した妖精の王女が,妖精としての不死性を失い, 自分たちから去ってしまうことを嘆き悲しんでいる場面である。こうした導入 的な場面は, Rには存在しない。 Rでは,鹿を追いかけるという物語の発端か ら話が始まっているが,D
もF
も,こうした物語の本来の発端は,次の場で, 王と狩りに同行した家臣により,劇の前史という形で説明される。( 9) Voss, Egon: "Die Feen“im Kontext der Biographie ihres Verfassers In: Pro -grammheft des Bayerischen Staatstheaters am Gartnerplatz, Wagner: Die Feen 1989, SJ9-25, hier S.. 20
201 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 -201ー (1)物語の発端 DもFも,失除した王を探す家臣と王に同行した狩人とが出会う場面で,王 の失綜の理由が述べられている。王と狩りに同行したのは, Dではトノレファル ディーノとパンタローネの二人だが,
F
ではゲーノレノートー人である。失隠し た王を探すのは,D
では王の忠臣トグルーノレの他,ブリゲルラとタルタリアと 三人いるが, Fでは家臣のモーラJレトとグンターの二人である。Dではトルファ ルディーノが,再会したブリゲyレラに王の失院の経緯を説明する。 フアルスカド王とパンタローネと私と三人での狩りの最中,雌の鹿を発見 した。ファlレスカド王は,その鹿にすっかり惚れ込んでしまし、あとを追っ た。つかまえようとすると,川に飛び込んでしまった。一日中,その川で鹿 を捜したが見つからなかった。やがて,川の中から「ブアルスカド,私につ いてきなさい」という甘い声が聞こえた。王は川の中に飛び込み,パンタロー ネも私もあとに続いて飛び込んだ。川底では,鹿が美しい王女の姿になって いた。「決して私の素性を尋ねてはいけない」と彼女は言った。二人は結婚し て幸福な生活を送り,双子の子供も生まれた。そのうち,王は彼女の素性を 知りたいという想いがつのり,ある日,王女の机の引出しを開けて調べよう とした。すると王女がその場にやってきて激怒した。そして,彼女も子供も 側近も宮殿も消え,こんな荒野に変おってしまった。F
では,モーラノレトとグンターが,出会ったゲーノレノートから話を聞く。 八年前,王と狩りに来たとき,夕暮れ時に,立派な雌の鹿を発見した。森 の奥深く追っていくと,鹿は川の中に消えてしまった。美しい声が聞こえた ので,王は不思議に思って川の中に入り,自分もあとを追った。水にのまれ て気を失ったが,気がつくと,美しい別世界に来ていた。王は美しい女と恋 におちいった。女は八年間,自分が誰であるかを絶対に尋ねなければ,永遠 に彼のものになると言い,王はそれを約束して,幸福な結婚生、活を送った。202 香川大学経済論叢 202 二人の子供も生まれたが,約束の八年目が過ぎようとした最後の日に,禁じ られた聞いを発してしまった。すると,大音響とともに,宮殿も侍女も消え, こんな荒野に変わってしまった。 このように, DでもFでも,王との体験を同行した家臣が物語る。鹿を追って 川に飛び込み,鹿に変身していた王女の宮殿で,幸福な結婚生活を送る。とこ ろが,王女から禁じられた行為をうっかり実行じてしまうという内容も共通し ている。ただし,王女の机の引出しを捜す
D
と,禁聞を発してしまうF
と,細 部での違いはある。この禁問の誓いを破るというモティーフは,後年の「ロー エングリン」の先駆けとも言えるであろう(男女の違いはあるが)。 さて,劇とは違って,物語の体裁をとっている原作のRでは,官頭ですぐ王 の体験が語られている。物語としては当然の書き出しといえよう。この原作は, 次のような内容になっている。 ノレズヴァンシャドというシナの若い王は,狩りをしていたある日,白い雌 の鹿を目撃した。この鹿は青と黒の斑点があり,足に黄金のリングをつけ, 背中には銀の刺しゅうのある黄色いサテンの敷物を載せていた。この美しい 獲物を一目見た王は,自分のものにしようと全速力で追いかけた。鹿は追跡 を逃れ,ほこりも立たないような軽快な足取りで逃走し,水の中に飛び込ん だ。シナの王は,馬から飛び降りて,素早くかけより,泉の周囲を回り,水 をかき回し,獲物を捜そうとした。しかし,まったくその痕跡すら見つから なかった。あの鹿は狩人たちを惑わすために,姿を変えて楽しんでいる乙女 であろうと,王は言った。同行の一同も同感だ、った。ルズヴァンシャドは, 絶えず、水の方を注視していた。王は,夜も,この泉を見張ることにした。大 臣一人を残し,他の者たちは帰らせた。やがて狩りで疲れた王は,見張りを 大臣に任せ,眠り込むが,大臣も睡魔には勝てず,寝入ってしまった。 彼らは,素晴らしいメロディーで目を覚ました。明るく輝く美しい宮殿が 自の前にあった。王は大臣と宮殿に入った。奥の広聞に行くと,若く美しい203 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 -203-女主人が黄金の玉座の上に座っているのが見えた。彼女は,五 六十人の乙 女たちが,歌を歌ったりリュートを弾いたりしているのに耳を傾けていた。 王は彼女に言った。「あなたは,シナの王である私を,即座に奴隷にしてしまっ た。私を哀れんで,どうか名前をおっしゃってください。」すると彼女は答え た。「私はあなたが追ってきた雌の鹿です。」彼女は王と大臣を食事の部屋に 案内し,食事と酒をふるまった。それから,王は王女に情熱的に話しかけた。 王女は心を動かされ,彼に言った。「王よ,あなたは私より素性は低いが,私 はあなたへの愛を抑えることができなかったのです。あなたが得た獲物がい かに大きいか,ここでお話しすることにしましょう。シェーリスタンという 島があり,妖精たちが住んでいます。王はメヌジャールといい,私はその娘 でシェーリスタニという名前です。三ヶ月前,初めて父の宮廷を離れ,人間 の住む国々を知るために世界中を回りました。島に帰ろうとした今日,私は 狩りをしているあなたを見たのです。あなたにすっかり魅せられた私は,鹿 の姿になって,あなたをおびき寄せようとしたのです。」 このように妖精の王女は,鹿に変身して,王を呼び寄せた経緯を知らせるので ある。 DやFの内容と異なるのは,王女が最初から自分が妖精であることを, 自分の名前と一緒に明かしていることである。「素性を尋ねてはならない」とい う禁問のモティーフは,原作には存在しないことがわかる。 このあと,
R
では,妖精の王女シェーリスタニの父王が亡くなったとの報せ が王女のもとに届けられ,王女が妖精の国の支配者となるために,ルズヴアン シャド王と-E!別れることになる(こういう設定は,D
とF
でも第l
幕の最後 で出てくる)。王はシナに帰国するが,その後,王女のことが気にかかり,一人 で旅に出る。(
2
)魔女のエピソード Rでは,この王が旅の途中で見聞した出来事として rチベットの若き王とナ イマンの王女の物語」という別の物語が挿入される。分量的にはRとほぼ同じ-204ー 香川大学経済論叢 204 か,それよりもやや長い位の物語である。この物語の概要が,
D
でもF
でも魔 女ディルノヴァツ (Dilnovaz)の話として利用されているのが注目される。 〈魔法の指輪〉という,後年のワーグナーの楽劇を暗示するようなモティーフ が登場するエピソードでもある。妖精の王女に夢中になっている王に対して, 家臣が,王の熱を冷まそうとして語る魔女の話である。F
では,あっさり触れ られるだけであるが,この部分のロマンツェは,音楽的にも優れていて,後年 のライトモティーフの萌芽とも見られる旋律が使われているのも興味深い。F
でトは,ゲールノートが次のように歌う。 昔,デイJレノヴァツという名の悪い魔女がいた。年老いて醜悪だったが, 指に指輪をはめ,若くて美しい姿となっていた。まさに絶世の美女の姿で, ある王の王妃となった。ある日,王は彼女が他の男に抱かれているのを目撃 した。激怒した王は,剣で彼女に切りかかり,指輪をはめていた指を切り落 とした。すると,王妃はもとの醜い魔女の姿に戻ってしまった。 Dでは,もう少し情報が多く,王もチベットの王と特定されている。魔女の名 前は同じデイノレノヴァツで,パンタローネが語る。 ディルノヴァツという年老いた醜い魔女がいた。魔法の指輪の力で,チベッ トの美しい王妃に姿を変えた。本物の王妃を追い出し,自分が王妃の座につ いた。ある日,王は,彼女が別の男とベッドにいるのを目撃した。激怒した 王は,剣をとって彼女に切りかかり,指輪をはめていた指を切り落とした。 すると,彼女はもとの醜い姿に戻ってしまった。チベットの王は,本物の王 妃を探しに出かけ,物乞いまでしていた彼女を見つけ出し,その後は幸福に 暮らした。 (10) ここでの音楽が,この後,玉が王女へ疑惑を抱く際に用いられているという。Reimann, Heinrich: Die Feen In: Soden/Loesch: a. a..0, S..220-253, hier S.. 242f205 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 205 FもDも,魔女が魔法の指輪で変身して王妃になりすますが,不貞を目撃され, 指を切られて,もとの醜い姿に戻るという点では共通している。ただし, Dの 方は,本物の王妃とそっくりの姿になりすまし,本物の王妃と入れ替わるとい うように,話がやや複雑である。
R
に挿入された物語を参照すると,D
がこのもとの物語を忠実にまとめてい たことがわかる。 Rでは,王はシナの固に帰ったあと,密かに一人で旅に出る。 チベットの国境を越えると,木の下に若い女性がいるのを見つける。衣服は破 れていたが,布地からそう身分の低からぬ者であることがわかったので,彼女 に近づいて,声をかける。彼女は,王に自分の身の上話を始める。内容は以下 のようなものである。 私はナイマン王の娘,他に兄弟がいなかったので,王の死後,私が王女と なった。ところが,ある日,モンゴルとの戦いで戦死したはずの叔父ムアフア ク王子がやってきて,王座を奪い,私の命まで奪おうとした。命からがら, 大臣と一緒に国を脱出し,チベットに移り住んだ。大臣は,画家として生計 をたて,私を娘として養ってくれた。二年が過ぎ,彼の絵がチベットで評判 となり,若い王まで,画家の家を見学にやってきた。そこで,王は私を一目 惚れし,画家と私は王宮に住むことになった。やがて,チベットの王と結婚 することになり,私はこれまでの経緯をすべて王に話した。王は復讐を約束 してくれた。ナイマンに使者を送ると,ムアファクは死んだとの報せが届い た。その後,私とまったく同じ姿をした女性がやってきた。この女は,自分 が本物の王妃であることを王に信じ込ませ,私を追い出してしまい,私はこ うして哀れな物乞いをしている。 彼女がこのように語り終えると,チベットの王が裸同然の姿のまま馬に乗っ て,猛スピードで走り過ぎた。すると今度は,豪華な服を着たチベットの王が そのあとを全速力で追いかけて行った。シナの王とチベットの王妃は,この様 子を目撃して驚くが,この事情は次のようである。この日,王は狩りに出かけ-206-- 香川大学経済論叢 206 たが,王妃に大事なことを言い忘れて,途中で王宮に戻った。秘密の階段を使っ て王妃の部屋に入ると,自分とそっくりの姿をした男が王妃と一緒にいるのを 目撃した。王はベッドにいるこ人に切りかかったが,男はさっとかわして逃げ 去った。偽の王妃の手を切り落とすと,醜い老婆の姿になった。だまされたこ とを知った王は,老婆の首も切り落とした。そして,逃げた男を急いで追いか けて行ったのだった。逃げた男を取り押さえたチベットの王は,この男にこれ までの経緯を語らせた。 私の名前はムクビル。父はダマスカスの裕福な織工で,莫大な遺産はすべ て相続した。しかしディルヌアザ
(
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という名の女性を愛してしま い,毎日,彼女に高価な贈物を買ぎ,そのうち財産もすっかり失ってしまっ た。それでも,彼女は私を見捨てることなし面倒をみてくれた。ディルヌ アザがだんだんと年をとるにつれ,愛人の数も減り,やがて誰にも相手にさ れないほど年老いてしまった。彼女は苦しみに耐えられず,私と一緒に,ベ ドラという名の魔女を探しに荒野に旅立った。この魔女から,彼女も私も魔 法の指輪をもらった。私たちはダマスカスで生活したあと,ナイマンの固に 出かけた。ナイマンでは,若い王女が王座につくことになったが,モンゴル との戦いで亡くなったとされた叔父のムアファクを王座に望む声があること も耳にしたからだ、った。彼のことをよく知る人たちから話を聞き,魔法の指 輪で彼の姿になりすまし,王女を追い出した。その後,彼女を王妃としたチ ベットの王が,王妃の仇をとるために攻めてくるという話を耳にした。私は 死んだことにしようと思い,墓に入れられたあと,ディルヌアザにこっそり 墓から出してもらった。以前の姿でその固から逃走し,チベットに向かった。 今度は,ディノレヌアザが王妃の姿になりすまし,本物の王妃を追い出した。 今日,あなたが外出すると,私は官官の姿になって,王妃の寝室に入り込ん だ。彼女は私に,服を脱いで,王の姿になるようにと言った。私は彼女の望 んだようにして,彼女のそばに横になっていたら,突然,秘密の階段の扉が 聞いて,あなたが部屋に入ってきた。それで,急いで逃走したのだ。207 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 -207 この話を聞き終えたチベットの王のところに,あとを追いかけてきたyレズヴ、ア ンシャドがたどり着き,本物の王妃がまだ生きていることを知らせる。彼女と 再会させたあと,ルズヴアンシャドは,チベットの王宮で数日過ごし,シナの 国に戻る。固に戻ると,自分の経験を部下に語って聞かせるが,皆口々に,シェー リスタニもこうした魔女に違いないと王に語り,王もその気になる。 以上が原作の概要であるが, DやFでは簡単に触れられるだけのエピソード が,元来はこのように複雑な物語であったことがわかる。王妃になりすます女 性の名前も,デイノレヌアザからデイルノヴァツになるだけで,よく似ている。 ただし,オペラの大半の登場人物の名前をゲノレマン風に変えたワーグナーとし ては,チベットという地名は残したくなかったのであろう。 DとFでは,王女も同じような指輪をした魔女だといって,王に王女を諦め させようとするが,効果がないので,家臣が神父に変装したり(パンタローネ, グンター),王の父に変装したり(トグルール,モーラノレト)して,帰国を促す シーンが続く。こういう場面はRにはなく,ゴッツィが劇作化にあたって,創 案したシーンである。変装という舞台上での効果を考えてのことであろう。 ( 3 )王女との再会と試練の予告 さてRでは,王女の父王が亡くなったあと,王と王女は離れることになった が,妖精の国の支配も軌道にのったある日,突然,王が妖精の固に連れて行か れるという設定になっている。王が急に姿を消したので,残された人々は驚く。 しかし,王は妖精の国で王女と幸せな生、活を送っている。王女との結婚に際し て,王に課せられた条件は,妖精と人間とは習慣が違うのだから,王女が何を しても,絶対に非難したり叱ったりしてはいけないということだけである。 このような条件は, DとFでも,王への試練として,このあとの主要なモ ティーフとなる。 DとFでは,禁問の誓いを破った王は,王女と離れ離れにな るが,第
1
幕の最後で再会する。王の睡眠中,荒野に王宮が姿を現し,王女が 登場する。そして,翌日の試練について予告して幕となる。ここで,何があろ うとも,絶対に王女を呪ってはならないという誓いを立てさせられるのである。208 香川大学経済論叢 208 なおこの時,王女は,父王(人間なので,死ぬ定めになっている)の死去の報 せを受け,自分が即位するために,一旦,王のもとを離れる。
2
.
第2
幕 DもFも,第2幕の主要なモティーブは,妖精の国の提に基づく人間の王へ の試練であるが,第2幕の構成に関しては, DとFとでは,いくつかの違いが 見られる。 Dでは,第2幕の前半は,第1幕と同じ荒野が舞台で,最初の子供 の試練は,ここで演じられる。その後,王の故国に舞台が変わり,王の帰郷の あと,次の戦いの試練となる。一方, Fの方では,第2幕の冒頭に王の帰郷の 場面がおかれ,子供と戦いの二つの試練は,すべて王の故国で立て続けに起こ るように変更されている。これは,劇的緊迫感を高め,一気にクライマックス を築き上げようとするワーグナーの意図によるものであろう。 他にDと比較すると,王の妹のカンツアーデと,侍女のスメラノレディーネと いうこ人の戦乙女 (guerriera)が,F
ではローラ一人になっている。また,アー リン夕、ル王と妖精アーダの悲劇的カップノレ,王の友人モーラルトとローラの英 雄的カップノレ,このこつに対処する形で,F
では,ゲールノートとドロッラと いうコミカノレな第三のカップノレも登場する。このドロッラがスメラルディーネ に対応するともいえるが,この第三のカップルは r魔笛」のパパゲーノとパパ ゲーナのカップルともよく比較される。 次に,第2
幕の試練の場について話を進めたいと思う。 ( 1 )子供の試練 王が王女と子供との再会を果たすものの,王の自の前で,王女が子供二人を 火に投げ入れるという,この物語でもっとも衝撃的な出来事が子供の試練であ る。一同は驚惇し,フア/レスカドもアーリンダノレも怒るが,普いの通りに黙っ ているようにと注意を受ける。これも,R
に,その起源があり,以下のような (11) Reirrtann: a. a. 0, S.. 237f209 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 ~209~ 内容になっている。 自分の固から連れ去られたノレズヴァンシャド王は,妖精の国で王女と結婚 した。その際 r何を見ても,絶対に私をしかつてはいけない」と王女に誓わ された。王は自分の国のことも忘れてしまいそうになるほど,妖精の国で幸 福に暮らした。一年後,男の子が生まれた。狩りの最中に子供が生まれたと の報せを受け,急いで宮殿に戻ると,母は大きな炎の前で子供を抱いていた。 王は生まれたばかりの王子を抱き,キスをして,また王女に返した。すると, 王女は子供を炎の中に投げ入れてしまった。炎は子供とともに消えてなく なった。王は心を痛めたが,王女との約束を思い出し,じっと我慢し,怒り をおさえた。黙って部屋に戻り,一人で涙を流したのだった。その一年後, 女の子が生まれた。島の妖精たちは,三日間お祝いをした。王は娘の美しさ にうっとりし,息子を失ったつらさをも忘れた。ところが,白い雌犬がやっ てきて,王女は娘を与えた。雌犬は娘を口でくわえて,消え去った。この時 の王の苦しみは,筆舌に尽くしがたかった。王は,自分は果たして幸福なの かどうか疑問に思い,シナの国に帰国することにした。 以上が, Rでの子供の試練の内容であるが, DやFでの子供二人を一度に火中 に投げ入れるという設定は,原作を簡略にしていることがわかる。原作では, 火中に投げ入れるのは男の子だけで,女の子は雌犬に連れていかせるという設 定になっている。また,時期的にも一年の聞があり,どちらも妖精の国での出 来事になっている。
(
2
)戦いの試練D
とF
では,王が失除して不在中に,父王が亡くなり,敵が王の妹(Dでは カンツアーデ,F
ではローラ)を妻にして,国を乗っ取ろうとたくらんでいる 事情が,第1幕の最初の方で語られる。 Dで、は,ムーア人の王である巨人モル ゴンが攻めてくるという設定, Fでは,単に敵のムーロルトが攻めてくるとい-21βー 香川大学経済論議 210 う設定である。 Dでは,カンツアーデの恋人がトグルール, Fでは,ローラの 恋人がモーラノレトであるが, トグルールまたはモーラルトが,魔術師(Dでは ゲオンヵ,
F
ではグロ-
Z
)
)
のところに出かけて,失綜した王子の消息を尋ね る。この魔術師の助言によって,第1
幕での王子探しが行われることになった のである。 第 2幕で,攻め込んでくる敵との戦いが語られるが,この戦いの場で,妖精 の王女が不可解な振る舞いをする。これが,次の戦いの試練である。D
では, 国を乗っ取ろうと攻めてきたモノレゴンの軍に街は包囲され,街の食料も底をつ いてしまい,馬や犬まで食べ尽くされ,死人の肉まで食される状況となる。そ の窮状を救うため,パドウールという名の大臣が食料品を調達するのだが,パ ドウールが運んできた食料は,途中ですべて奪われてしまう。残ったのはこ本 のビンだけである。ケレスタニ王女を先頭とする軍勢に襲われ,食料がすべて 川の中に投げ捨てられたのである。「私のしたことを,夫のフアルスカドに伝え なさい」とパドウーノレに言い残して王女は姿を消す。この話を聞いたブアノレス カドは,大いに激怒して,とうとう王女に呪いの言葉を吐iいてしまう。F
では,モーラノレトが戦死したらしいとの悲報がもたらされ,兵士たちが戦 いから逃げ帰ってくる。戦場に突然アーダと名乗る女性の率いる箪勢が現れ, 攻撃を受け,味方が総崩れになってしまったとハーラルトが語る。アーリン夕、 yレがアーダの方を指して確認を求めると,ハーラルトは確かにこの女だと言う。 怒り狂ったアーリンダルは,アーダを呪ってしまうことになる。R
では,次のような内容になっている。 モンゴル軍が強力な軍勢を率いてシナに攻めてくることになった。 lレズ ヴァンシャドは集められる限りの軍勢を集めて,モンゴル軍に立ち向かった。 敵のいる広大な平原に陣地を設営することにした。この陣地に大臣のワーリ が食料を調達することになった。様々な食物や飲物がラクダやラパによって (12) ワーグナーが参照したゴッツィの独訳では,この魔術師の名前は既にグローマとなっ ている。211 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 211 運ばれていた時,シェーリスタニと妖精の一群が現れて,ラクダから荷物を 降ろし,食物をこなごなにし,飲物も空にしてしまった。ワーリが事情を王 に報告すると,食料がなくなり絶望的な状況になったことに激怒した王は, 王女に対する怒りを,ついに爆発させてしまう。 このように,戦場で王の軍勢に不利になるような奇妙な振る舞いを王女がする という点では,どれも共通している。 ( 3 )王女の真相告白と変身 このあと,事の真相が王女によって説明される。 DとFでは,戦いの試練の 真相が先に説明されるが,
D
では,-パドウールは裏切者である。食料には毒が 盛られている。彼は敵と通じていたのだ、」とケレスタニが語る。ノTドウーノレが ビンの残りを飲むように命令されると,自ら短万を刺して自害する。F
では, 「私が倒したのは敵の軍勢である。ハーラルトが敵と密通して我々を裏切ろう としていたのだ」とアー夕、が述べる。そして,-モーラルトはまだ生きていて, 敵に勝利して帰ってくる」と語る。 Rでは,-モンゴノレの王がシナを壊滅させる ために,ワーリと手を結び,食料には毒が盛られていたのだ」とシェーリスタ ニが言う。大臣ワーリは,残った毒入りの食物を食べさせられ,倒れて死ぬ。 毒の盛られた食物というモティーフを,D
は原作からそのまま受け継いでいる ことがわかる。 さて,先の子供の試練であるが,D
では,人間と妖精との聞に生まれた子供 を諦めて,不死の存在から死すべき存在に変えるために,子供たちを火に投げ 入れたのだと語る。F
では,ただ「誕生を浄める」という簡単な説明があるだ けである。そして,二人の子供を王のもとに呼び出し,王女は王が誓いを守れ なかったことを嘆き悲しむ。そして,D
では,二百年間,蛇の姿に変えられる こと,F
では,百年間,石に変えられること,こうした罰が妖精の国の大王か ら王女に課せられることになる。R
では,王女は「息子を火の中に入れたのは,サラマンダーに教育を授けて212ー 香川大学経済論叢 212 もらうため。娘を雌犬に与えたのは,妖精にふさわしい教育を受けさせるため だ、ったのだ」と語り,子供たちを呼び出す。 その晩,王女は妖精たちと一緒に シナの軍勢の先頭に立ち,モンゴノレ軍を全滅させ,戦いに勝利して,食料の心 配も解消させる。そのあと,王女は「妖精の国の提にしたがって,あなたと別 れなければならない」と言い残し,子供たちを連れて姿を消してしまう。 3 .第 3 幕 R, D, Fの三つそれぞれにおい、て,内容がまったく異なるのが,次の第3 幕である。第
2
幕の最後で,妖精の王女が蛇に変身するのがD
,石i
に姿を変え るのがFであり, Rでは,ただ王女が子供とともに王のもとから去ってしまう だけである。D
とF
では,第3
幕で,蛇や石になった王女がまたもとの姿に戻 ることになる最後の試練の前に,別の二つの試練がある。まずDでは,火を吐 く強暴な雄牛を退治し,それから不気味な巨人を倒さなくてはならない。これ らは,いずれも魔術師グローマからの助言 (r右の角を取れJr左の耳を切り落 とせJ)によって,無事に切り抜ける。 Fでは,試練の前にグローマから楯と剣 と竪琴を渡され,地霊たちとの戦いと青銅の男たちとの戦いを,それぞれグロー マの助言 (r楯を使えJr剣を使えJ)により勝ち抜く。そのあとが,蛇または石 の試練となる。 ( 1 )ワーグナーによる蛇から石への改変D
とF
との最大の違いは,王女が変身するのが,蛇なのか石なのかという点 である。最後の試練でのこの変身の改変について,ワーグナー自身は,次のよ うに述べている。 ゴッツィのメ1レヒェンがオペラ台本に適切であることを発見したばかりで なく,素材そのものが私を非常に魅惑した。一人の妖精が,彼女の愛する男 を所有する代償として,自己の不死性を失う。ただ過酷な試練を克服するこ とができれば,不死性を取り戻せる。そのためには,彼女の恋人である人間213 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 213ー の男もつらい試練をうけねばならない。すなわち,妖精が男にどんなに冷酷 に当たろうと,彼女への信頼を失つてはならないのである。男はこの試練に 打ち勝たなかった。ゴッツィのメルヒェンでは,そのため妖精は蛇となって しまう。しかし後悔した恋人がその蛇に接吻をあたえることにより,彼女に かけられた魔法をとき,結婚する。私はこの結末を変え,石に化した妖精が 恋人の恋慕の歌によって魔法をとかれることにし,妖精王によって彼女とと もに,妖精国の不死の喜びの中に迎え入れられるようにした。 Dでは,王が蛇に接吻を与えることで,もとの妖精に戻るが,あっさりと接 吻するわけではない。おぞましい姿であるから,本当に王女が変身した蛇なの かどうかの確信が持てず,グローマの助言で,何とか勇気を振りしぽるという 状況である。 Fの方は,竪琴の演奏で,石になった妖精がもとの姿に戻る。こ れもグローマの助言である。音楽の力により,もとの生命を取り戻すという点 では,ノレネサンス期のオペラ誕生の契機ともなった「オルフェオ」の伝統とも つながるとも言える。オペラとしては,音楽の演奏により試練を乗り越えると いう手法は,非常に効果的である。 また,人聞が石に変えられるというモティーフは,ゴッツィの「カラス」で 登場している。この「カラス」は,冒頭でも触れたように,ワーグナーの叔父 ア一ドルフが独訳して出版した作品でもある。そのため,ワーグナーによる蛇 から石への改変は,叔父への敬意の意味があるとも解される。 劇の最後は, Dでは,王と王女は子供たちと妖精の国エノレドラドを支配する ことになる。テフリスの国はトグルールとカンツアーデに委ねられる。最後に
(13) Wagner, Richard: Eine Mitteilung an meine Freunde (1851) In: Gesammelte Schriften und Dichtungen von Richard Wagner.. Hildesheim (Olms) 1976, Bd 7, S 252f ここでは,渡辺護:リヒャルト・ワーグナーの芸術(音楽之友社)1965, 151~152 頁での引用を利用した。 (14) Schreiber, Ulrich: Die Kunst der Oper Frankfurt a M. (Buchergi1de Guten -berg) 1991, Bd 2, S 463f (15) Schreiber: a.. a 0, S 464
214~ 香川l大学経済論叢 214 妖精の王が登場するFでは,王女と同様に王も不死の生命を与えられ,妖精の 国に迎え入れられる。トラモントの国は,モーラルトとローラに任される。
F
では,この不死性という側面が非常に重要視されている。 Dでは,妖精の王女 はむしろ不死性を失う(=人聞になる)ことに憧れており,子供を火に入れた のも,不死'性を失わせるためだったという説明まで与えられている。この点に, ゴッツィとワーグナーの考えの違いも感じられる。 (2)劇的要素の乏しい原作 最後の試練の場面は, DもFも劇場的な視点からあれこれと工夫をこらした が,原作のRではいささか異なっている。ほとんど動きらしい動きはなく,王 女と子供を失ったルズヴァンシャド王が,十年間,家族のことだけを思いわず らいながら,ただ隠遁生活を病床で送るだけである。原作の最後の部分を引用 してみる。 「大臣よ,仕事はお前に任せよう。私の帝国を統治してくれ。お前がよいと 思うことは何でもやってよい。私は余生を泣いて過ごそうと思う。自分の愚 かさのせいで失った妻と子供たちのことを想いながら。お前以外の誰にも会 わない。国のことは絶対に口にしないなら,お前とは話することにしよう。 お前は,シェーリスタニと子供たちのことだけ話せばよい。私は悲嘆にくれ ることだけが唯一の仕事なのだ、。」 ルズヴァンシャドは,大臣以外は誰も入れない自分の部屋に本当にこもっ た。大臣は毎日,王を訪ね,王の気に入るよう,苦悩に同情し続けた。時が たてば王の苦悩が和らぐと思ったからである。しかし反対に,苦悩は日に日 に強まるばかりだ、った。王は深い憂欝におちいり,ほとんど十年間,重い病 状で寝込んでいた。死への心構えもできた頃,突然,王の部屋に王女が現れ た。「王よ,私です。あなたの苦悩を終わらせるためにやってきました。私た ちの国の提では,あなたが誓いを破った罰として,十年間別れなければなら なかったのです。この十年間,あなたが私に忠実でなかったら,あなたと再215 ワーグナーの「妖精」と物語の背景 215 会することは許されなかったでしょう。私がここを去るとき,私は永遠にあ なたのもとから離れねばならないと思ったのです。<アダムの息子が,そんな 長い間,忠誠を守れるはずがない。私のことは,いずれ記憶から消え失せる だろう>と私は思ったのです。アラーに栄光を。私が思い違いしたことに。 人間でも人を愛し続けられることが,やっとわかりました。それで,あなた のところにも戻ってこれたのです。王よ,幸運の締めくくりに,子供たちと も会ってください。」王女が話を終えるやいなや,シェーリスタンの王子とパ ルキス王女が姿を見せた。王は天にも昇る心地だ、った。王の健康は見る見る うちに回復し,四人はその後しばらし幸福に暮らした。王と王女が亡くな ると,シェーリスタンの王子はシナの国を譲り受け,パノレキス王女はシェー リスタン島を支配した。そして,彼女は,偉大な予言者ソロモンの妻となっ たのである。 このように,最後は幸福な結末で終わるとはいえ,王は十年間,ただ自室に閉 じこもって,家族のことを想っているだけである。物語のストーリーとして, 特に問題があるわけではないが,舞台で演じられる劇としては,極めて単調な ものになってしまうであろう。ゴッツィによって,最後の試練がスペクタクYレ な要素を強める形に改変されたのも,当然といえようか。また,妖精の世界と 人間の世界,死と不死とは,それほどきちんと区別して考えられているわけで もなさそうである。子供の成長後の後日談にまで話が及ぶのも,物語ならでは といえよう。
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ま と め
この小論では,これまでのワーグナー研究では,ほとんど紹介されたことの なかったR (ゴッツィが典拠とした作品)をもとに, DやFの内容を比較考察 してきた。ゴッツィが物語を巧みにDとして劇作化したこと, Dをさらにワー グナーが緊張感を高める構成に仕立て上げて, Fを作曲したこともわかった。-216ー 香川大学経済論叢 216 同時に