天皇制 と明治神宮体育大会
(第
2報
) 保健体育科教育教室入
江 *鹿
島
は じ め に (第1報
)で
は,明
治神宮大会の展開過程の第2段
階 (神宮大会の創始の過程か ら第4回
大会 ま で)ま
でを報告したが,引
き続 き,こ
の小論では,第
3段
階 (第5回
大会か ら第8回
大会)か
ら第4段
階 (第9回 大会から第12回大会)の
展開の過程 について報告する。11.絶
対 天 皇 制 と神 宮 大 会1,第
5回
大会 と天皇の「行幸」(1)秩
父宮の大会総裁就任 第5回
大会の特徴 は,何
と言っても秩父宮の総裁就任 と天皇の臨席である。秩父宮が総裁に就任 するに至 る経緯について『報告書』は,「秩父宮殿下 を本大会の総裁に仰 ぎ奉 る事については,九
月 二十五 日御快諾の旨正式に阪谷神宮体育々会長宛御通達あらせ られた。誠 に体育会の光栄である。 更に殿下には十月十 日本会総務委員,評
議委員一同を表町御殿に御召 しになって拝謁 を賜 ったaち と 記している。 この大会 に天皇が臨席す ることは本人 の意志 によるものであったが,宮
内大臣一木喜徳郎 は,昭
和4年
9月28日に小橋文相 に対 し「今回第五回大会 ヲ開催スルニ当 り,畏
クモ天皇陛下ニハ体育奨 励 ノ思召 ヲ以テ本大会二行幸アラセランルヘキ旨仰 出サレ,昭
和四年九月二十八 日阪谷会長ハ文部 省二出頭 シ,小
橋文部大臣 ヨリ右御通達書 ノ伝達 ヲ受ケタ リ。斯 クノ如キ本邦体育会 ノ栄誉 ニ シテ 誠二感激措 ク能ハスt2J」 との文書 を送付 している。 そして文相 は,同
日神宮体育会会長 に「天皇陛下 来十一月一 日,第
五回明治神宮大会へ行幸可被為仰 出候,条
此 旨体育会々長へ伝達可有之候,追
テ 当日雨天 ノ節ハ十一月二 日行幸可被為在候,(中
略)畏クモ天皇陛下ニハ第五回明治神宮体育大会ニ 行幸アラセラレルベ キ旨仰 出サ レタル趣,本
日別紙 の通宮内大臣 ヨリ通達有之 タルニ付,薮
二伝建 二及 フ,今
回明治神宮体育大会二行幸アラセラルルハ,汎
ク体育御奨励 ノ思召二出テサセランタル モノ ト拝承 シ,洵
二感激措 ク能ハス,我
邦体育会 ノ光栄之二過キタル ト共二,其
ノ責任急々重 キヲ 加 フル次第ナ リ,貴
会二於テハ益々働精努カー層実績 ヲ挙 ケ,優
渥ナル御思召二副 ヒ奉 ランコ トヲ 期セランルヘ シ●ち と通牒 している。 己 修 克 *日 本サッカー協会機関誌『サッカー』編集部(2)天
皇 の「行幸」 と「奉迎部」 の設置 そのため神宮体育会 は,「奉迎部」 を設置 し,「奉迎」の準備 をすすめてい る。 「l―l総
務掛 行幸事務 の大綱 を定 め,各
掛 の連絡 を図 り,経
理其の他 の掛 に属せ ざる事項 を扱ぶ。0警
備掛 競技場 内の警備 に関 し関係官庁 と連絡 を保 ち,予
め適当なる警備 方法 を定 め,又
当 日の 警衛 に当るもの とす。 働 儀礼掛 奉迎式,敬
礼等 に関 し,予
め関係方面 と打合せ をなし,そ
の具 体案 を作成 し,且
つ当 日の必要なる任務 に当るもの とす。lWl皇
族掛 当 日の台臨 に関 し御招待, 御接待等の事項 を取 り扱ふ もの とす。ω 接待掛 特別招待者の範囲 を定 め,招
待状 の発送、当 日の 受付,案
内,食
事,そ
の他 の接待 に当 るもの とす。 ∩ 競技掛 天覧競技 に関 し当該競技部 と緊密 なる連絡 を保 ち,競
技 の進行(特に天覧時刻 に注意),競
技の前後及び競技 中の御 出入 に際 し行ふ起 立,敬
礼 に就 き必要なる事項 を取扱ふ もの とす。0新
聞掛 新聞記者席,写
真班席 の位置(中略) 等 を予め選定 し,且
当 日の発表並 に撮影 に関係せ るものを取 り扱ふ もの とす。tRl交
通掛 皇族, 特別招待者 の車場 に関 し,其
の場所,設
備等 を調査 し,設
備係 と連絡 を保 ちて適 当に準備 を行 ひ, 当 日は車場 の整理 に当るもの とす。 l■l設
備掛 場 内の御通路,天
幕,便
所,其
の他諸般 の設備 に 関 し,予
め関係諸掛 と連絡 を保 ちて適当の方法 を構 じ,其
の整備,監
督 に当 るもの とす。ltl救
護 掛 競技場 内に於 ける救護掛 と予 め連絡 を取 り,当
日の救護 の連絡,補
助等 に当 るもの とす。 “Ъ(3)開
会式 と奉迎式 こうして昭和4年
10月 27日か ら8日間,第
5回
明治神宮体育大会が開催 されたが,天
皇 は,10時
に到着 し,そ
の後 の行動 は次の予定で行われている。 二〇総裁宮殿下 は玄関 まで御 出迎遊バサ レ,奉
迎 の後陛下 に従 はセラレ,定
メノ御席 に着かせ られ る。陛下の右方少 し く後方 とす。○名誉会長 は奉迎式場選士の中央前 に位置 して奉迎す。○副会長 は玄関前 に奉迎 して後御先導申 し上 げ。○各国務大 臣,宮
内次官,文
部次官,文
部参与官 は玄関前 に奉迎 して後,屋
従す。○大会顧問及各部顧問 は,所
定 の位置 に在 りて奉迎す。○奉迎部役員及所 属の部 な き役員 は,新
聞記者席 の前 の両側 に整列 して奉迎す。○指揮者 は会長 と役員 と選士の中央 に位置す。○役員中任務 のある者 は,其
任務 に必要 なる位置 に在 るもの とす。○皇族係 は,皇
族随 員 の後方 に在 るもの とす。○各部役員 は其部選士の右翼 に位置す。○選士 は掲額 の順序。(中略)○ 各部 は側面縦隊に整列す。一列二十五名 とし,其
数 を越 ゆるときは列の新 を増 す。○所属 なき役員 並 に服装 に於て列 に加 は り得 ざる役員 (フロック又 はモーニ ング以外 の月長装 の者)は ,役
員席 にあ りて奉迎す。○皇族方 は,玄
関内玄関 に向って右側 に於て御出迎遊 ばされ し後,息
従 して,定
の席 に着かせ られ る。皇族殿下方 は皇族係御 案 内申上 ぐ。o一
般参観者 は其位置 に於 て玉座 に面 して 起立 し奉迎す。○御着席前合図によ リー同玉座 に面 し起立 して奉迎す。(中略)○御着席 副会長の 御先導 によ り陛下,総
裁各宮殿下,従
者 の順序 にて臨御0」 また奉迎式 は「―,君
ケ代奏楽裡 に臨御 ○君 ケ代 は軍楽隊奉奏 し,一
般 は之 に合唱せ ざるもの とす。○陛下玉座 に着かせ給 う時,君
ケ代 を奏 し終 わ る如 くに奏するもの とす。○楽隊 は選士の前 の位置 にあるもの とす。○儀礼係 の一名 は奏楽 の合図をなす もの とす。二,役
員選士及び一般参観 者最敬礼 をなす。○石川総務委員 の指揮 によるもの とす,役
員選士最敬礼 し,参
観者 は之 に倣ふ。 三,奉
迎文捧読。四,一
同最敬礼 ○指揮者指揮す。五,万
茂三唱 ○名誉会長 の発声 により万歳 三唱。六,陛
下御着席。七,会
長役員選士の順序 にて退場,こ
の間奏楽す(中略)。 ○役員 は,中
央 よ り右向 し,左
は左向 して退場す。選士 は指揮者 の指揮 に従 ひ,評
議委員 に引率せ られ,中
央 より鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 32巻 第
1号
(1990)
■5 右 は右の方 に,左
は左 の方 に,各
部 中央 に近 き部 よ り退場す る0」 とい うものであつた。 こうして行われた開会式の模様 を『報告書』は,「本大会 の各競技 は本 日よ リー斉 に開か る ゝに当 り,午
前九時 よ り神営外苑野球場 にて開会式が行 われた。前夜来 の強雨 は名残な く晴れて,清
気 は 外苑一体 に満ち,一
碧拭へ る如 き大空の輝か しさ。全国 よ り集 まれ る各競技の代表選手八千並 びに 各競技役員 は,正
面 スタン ド貴賓席前 に整列すれば,姫
て定刻モーエ ング通常礼服 とこシル クハ ッ ト を召 された秩父総裁宮殿下 には前田事務官 を随へて御来場。井上名誉会長,平
沼副会長,小
橋文相 等に出迎へ られて貴賓席 に入 らせ られた。突如嘲暁たる君 ケ代 の奏楽が陸軍戸 山学校軍楽隊 によつ て奏せ られ,軽
い リズムを朝 の大気 に伝へ ると平沼副会長進 みて開会 の辞 を宣 した。総裁宮殿下 に は正面 の席,左
記要 旨の優渥 なる令 旨を賜 つたが,音
吐朗々 その声咳 に接する選手役員 は自ら頭 を 垂れた。総裁宮殿下 の御雄弁 なるに感激せざるもの はなかった。見 よ,美
しく澄わたれ る秋空隆々 たる筋骨叩けば錦の音 も発せんが,我
国代表選士,諸
子,而
して上 に戴 く総裁宮殿下 の御英姿,御
態度の颯爽たる様,之
れ将 に昭和聖代 の御代 にふ さわ しい情憬であつた0」 と伝 えている。 ところで大会会長 の秩父宮 は,「本大会 ノ回 ヲ重 ヌルニ従 ヒ盛大二赴 クコ トハ真二慶賀 スル処 デア リマシテ,是
レ特二其設立趣 旨ノヒルイナキ ト,麗
ハ シキ国民精神 ノ発露ニヨルニ他ナラヌ ト思 フ ノデア リマス。然ルニ本年ハ畏 クモ天皇陛下 ノ行幸 ヲ辱 ウスル コ トニナ リマシタノハ独 り本会 ノ栄 誉 ノ ミニ止マラズ,我
国体育界ニ トッテノ空前 ノ盛事 デア リマス。諸君ハ全国ノ代表者 トシテ明治 神宮 ノ神前二於テ,且
天皇陛下 ノ御前二於テ平常鍛ヘタル運動精神 卜磨 ケル技価 トヲ発揮 スルノデ ア リマ シテ,実
二無上 ノ誉デア リマス。此光栄 ヲ坦ヘル諸君ノ奮闘ニヨリ本大会ガ良好ナル成績 ヲ 収ムルノ ミナラズ,我運動競技界 ガ更二向上 ノー躍 ヲナサ ンコ トヲ切望スルノデア リマス°もと述べ, また名誉会長井上準之助 は,「奉迎文」のなかで こう述べている。 「本 日第五回明治神宮体育大会 ノ開催セランルニ当 り,畏
クモ天皇陛下 ノ行幸 ヲ添 シ,颯
爽 タル御 英姿二麗尺 シ奉 リテ,日
頃鍛練 ノ技 ヲ競 フノ光栄二浴 シタルニ,洵
二聖代 ノ盛事 トシテ唯々感激, 恐樫二堪ヘヌ トコロデア リマス。熟々惟 ミルニ,天
皇陛下国務御多端 ノ折カラニモカ ゝハ ラセ ラン ズ,本
大会二行幸アラセランタルハ,畏
クモ汎 ク体育御奨励 ノ思召二出デサランタルモノ ト恐察 シ, 我ガ国体育界 ノ光栄之二過ギタルモノナシ。此 ノ有難 キ聖 旨ヲ拝 シ奉 り,臣
等体育界二身 ヲ置 クモ ノノ責任 ノ愈々重 ク,且
ツ大 ナルモノアル ヲ切二感 ズルモノデア リマス。本大会二於 テモ今 ヨ リー 層倅励,協
カ シテ,明
治天皇 ノ御遺徳 ヲ顕揚 シ奉 り,併
セテ国民体育 ノ振興 ヲ図ルノ本 旨ヲ体 シ, 益々奮闘 シテ良好ナル成績 ヲ収ムルノ ミナラズ,我
ガ運動競技会 ノ更二進展 ノー躍 ヲナサ ンコ トニ 努 メ,優
渥ナル聖 旨二沿 ヒ奉 ランコ トヲ期 シテ止マヌモノデア リマス。臣等此 ノ光栄二浴 シ,IF舞
自ヲ禁スル能ハズ。謹 シンデ奉迎 ノ誠 ヲ輸 シ,聖
寿 ノ万歳 ヲ頌 シ奉ルk9j。 」 また浜 口首相 は,「藪二総裁秩父宮殿下 ノ台臨 ヲ仰 ギ,本
日ヲ以テ第五 回明治神宮体育大会 ノ開会 式 ヲ挙行 セラン,日
本各地二於 テ選抜サ ンタル青年男女諸君ハ,今
後八 日間二亘 り明治神宮外苑 ヲ 中心 トシテ水陸各種 ノ運動競技二精進セ ン トス。洵二我 ガ体育界 ノ盛事ニシテ,予
ノ哀心 ヨリ欣賀 二堪ヘザル所ナ リ。惟 フエ健全ナル精神ハ健全ナル身体二宿ル。運動競技ハ其ノロ的 トスル所身体 ノ発育 ヲ図ルニアルノ ミナラズ,之
二依 ツテ奮闘,忍
耐,勇
気及克己ノ精神 ヲ涵養 シ,以
テ品性 ヲ 陶冶 シ,人
格 ヲ完成スニア リ トス。殊二本大会ハ明治大帝 ノ御遺徳 ヲ景仰 シ,之
ヲ顕彰 スル為創製 セラレタルモノニシテ,其
ノ意義ヤ極 メテ深 ク且 ツ大ナ リ。而 シテ今回ハ畏 クモ聖上陛下 ノ御臨幸 ヲ辱 フセ ン トス。聖慮定二感侃二勝ヘズ。実 クハ当局有司遊二関係各位ハ思 ヲ此処二致サ ン,本
大 会 ヲシテ能 ク所期 ノロ的 ヲ達成セシメ,以
テ国民精神作興二資セラレンコ トヲー言所懐 ヲ陳べ以 テ 祝辞 卜為 ス(lω」と述べ,小
橋文相 は,「顧 フエ国運 ノ隆昌ハ元気旺盛,体
力強健ナル国民 ノカニ倹 ツ。体育 ノー 日モ忽ガセエスベ カラザルハ
,是
レ菅各人身心 ノ修養鍛練上緊要 ノ事タルニ止マラズ,実
二国家存立上 ノー大要鍵 タルニ,幸
二近時我邦 ノ体育運動ハ之二関スル施設ノ整備 卜国民 ノ自覚 ト ニ依 り,全
国致ル処年 ヲ逐 フテ顕著ナル発達 ヲ遂ゲ,明
治神宮体育大会亦 回ヲ重ヌルニ随テ益々隆 益 ヲ加 フル ヲ見ルハ邦家 ノ為慶賀二堪ヘザル所 ナ リ。長 クモ天皇陛下二於 カセラレテハ国民体育奨 励 ノ思召 ヲ以 テ,来
ル十一月一 日本大会二行幸アラセラレルベキ旨仰セ出サル。是二是 レ体育界無 上 ノ光栄ニ シテ,殊
二体育二従 フ者ノ責任ヤ怠々重 キヲ加ヘタ リト謂 フベ シ。謹 ンデ案ズルニ本大 会趣 旨 トスル所ハ明治天皇 ノ御遺徳 ヲ顕揚 シ奉 り,併
セテ国民体育 ノ振興 ヲ図ルニ在 り。本大会参 加 ノ諸君能 ク此 ノ旨ヲ体 シテ終始公明正大 ノ態度 ヲ持 シ,益
々運動本来 ノ精神 トスル所 ヲ発揚 スル ニ努メ,以
テ聖 旨ノ優渥ナルニ答へ奉 り,下
ハ以テ範 ヲー般国民二示サレンコ トヲ望ム(10」 と祝辞 を述べている。(4)マ
ス・ ゲームによる動員 と大会風景 こうして開催 された競技大会の様子 は,『報告書』 による と次のように描かれている。 「十月二十八 日 快晴である。外苑競技場で は府下西巣鴨六校 の連合女生徒三百名が戸 山学校軍楽 隊 につれ,渡
辺彦太郎氏指揮 の下 に美 しきフラワーダ ンスに呼物 の体操 は開始 され,次
いで東京市 立第一中学校生徒六百名が白帽子 に自のユニ フォーム,黒
のパ ンツで岩崎太郎氏 の指揮 によ り勇壮 極 まる体操,東
京女子体育専門学校百四十名 は三階堂 トクヨ女史 の リーダーで体操,ダ
ンスか ら童 謡,旅
行進 に移 って美 しさ眼 を奪ぶばか り。 この場面 に観衆 は大喝条 を浴 びせた。次いで二時か ら 開かれた関東代表法政大学対東海代表静岡高校 クラブのア式蹴球予選 は両軍の技価伯仲 して大接戦 を展開 し,延
長戦 に入 るも勝負つかず,抽
選 の結果静岡高 は武運拙な く,法
政 に勝 を譲 って涙 を呑 んだ。各所 の庭球戦 は愈々 白熱 し,殊
に女子軟庭 ダブルス戦 はこの日早 くも決勝 ちに入 り,奇
し く も鹿児島錦江高女対熊本第一高女の双方九州同士の争覇 となったが,鹿
児島遂 に凱歌 を奏 し,本
大 会最初 の優勝者 となった。一方大久保射撃場で行 はれた射撃競技 は学生の部で東京商大優勝 し,在
郷軍人で は朝鮮大邸 の近藤君が一位 を占めた。め。」 「十月二十一 日 午前中の花 ともいぶべ き競技場 に於 ける男女学生の籠球,排
球競技で好天気 に恵 まれて,観
衆 も本大会 におけるレコー ドを破 り,ス
タン ドの両側 に陣取 った応援団か らは絶 えず可 憐 な声援が起 って素晴 らしい光景 を呈 した。 この日か らはじまった剣道競技 は,午
前八時か ら日本 青年館 に『ヤー』『オー』の懸 け声 も勇 まし く,大
小 の剣士入乱れて必死 の奮闘を続 け,ま
た内苑 弓 場で は弓道競技の火蓋が切 られた。庭球競技 は愈々佳境 に入 り,更
に一方尾久の新 コースに於 て は 華やかなボー トレースが開始 された。角力場 の拳闘競技 は進 んで準決勝 に入 り,か
くて今や水 に陸 にスポー ツの粋 は展開 され,天
皇陛下晴れの行幸 を明 日に控 えて選手 の意気 は沖天 の慨 を示 してい る。 この 日全国青年団代表八百余名 は年後一時 日本青年館 に集合,打
合せ を行 った上一同隊伍 を整 へて明治神宮に参拝 し,武
運 を祈 った。(中略)剣
道 に於 ける少年剣士の鮮やかな試合振 りは『武士 道国』の名 に恥 ぢず,尾
久 のコースに於 けるボー トレースが秋 のか もめを驚か した。中等学校軟球 決勝 で は群馬県の太田,前
橋 の両中学が図 らず も,同
県 を以 て雌雄 を決す ることゝな り,前
橋武運 拙な く敗退 したが,自
分等 の県が優勝 の栄冠 を獲得 した ことを祝福す るの美 しい場面 を見せた。か けていよ/\
晴れの天覧競技 に入 ること ゝなった。国 を挙 げてのスポーツ週間は正 にその最高潮 に 達 した観がある。3ち 」 天皇 は,「十一月一 日午後一時再 び御 出御 にな り,陸
上競技,排
球,籠
球,ホ ッケーを展覧 にな り, 午後二時全員起立最敬礼の中に玉座 を立 たせ られ,自
動車 に召 されて相撲場 にな らせ られた。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第32巻 第
1号 (1990) 117
相撲場で は筋肉隆々たる青年団選手が裸体 のま ゝ整列。(中略)陛下 には正面 テン ト張の玉座 にゐ らせ られ,青
年団相撲 を天覧 になったが,兵
庫県選手対 山梨県選手 の勝負か らは玉体 をお乗 出あら せ られてい と熱心 に御覧 にな り,殊
に鹿児島県選手 は長野選手 を見事 に叩 き込んで勝 ち名乗 を受け た時 には御満足気 に御笑ひ遊 ばされた。相撲天覧 は僅か十五分であった。殊 の外御気 に召 された様 に拝 された。二時二十七分陛下御立 ちの際 には全員が起立 して万歳 を三唱 して奉送 した。か くて午 後二時三十分野球場 に御臨場 あ らせ られた。早慶両軍 はホームブレー トを中央 に縦隊 に整列。選抜 いた中学選手 もその左右 にな らび,聖
上御着の際 には池田塁審 の号令で全観衆 と共 に最敬礼 を行 つ た。二時三十五分早慶野球戦 は慶応 の先攻 によって開始 されたが,秩
父宮殿下 には一々陛下 に御説 明遊 ぼされ,陛
下 に も御興味深 げに展開 されてい く白熱戦 を御覧 にな り,第
三回慶軍が一挙五点 を 獲得 してすさまじき応援団の拍手が起 るや,陛
下 には御微笑 をもらし給ぶ位 であった。か くて御予 定の時刻 を二十分 あ まりも過 されて三時二十三分還御 あ らせ られた。選手及 び観衆 は再 び最敬礼 を 行ひ,万
歳 を三唱 して奉送 しあ。つ」 とい う。 ところで,『報告書』による と,この大会 の集団体操な らびにマスゲームに参加 した学校,生
徒数, 指導者 は14,227名,ま
た この大会 に参力Hした役員,選
手の数 は25,589名 に及んでお り,こ
れに各会 場の観衆の数 を加 えるな らば,実
ち推定数約10万人以上が動員 されていると見 られ る。2.満
州事変の勃発 と奉納主義の確立(1)第
6回
大会 と「聖恩之旗」の設置 関東軍 の謀略 によって,昭
和6年
9月柳条湖で南満州鉄道が爆破 され,中
国軍 と交戦 となった。 これが,以
後一五年戦争 に突入す ることになる満州事 変である。 この満州事変 の勃発 によ り,神
宮大会 は, その皇道主義,国体主義 をよ リー層濃厚 にしてい くが, それ を象徴的に物語 るものは,今
日の天皇杯 に相当す るとも言 える「聖恩之旗」(三日の丸 の旗)の
創設であ る (資料-25参
照)。 『報告書』は,「畏 くも天皇陛下 には体育御奨励 の思 召 を以て昭和四年十一月一 日第五回明治神宮体育大会 に行幸遊 ばされ,明
治神宮外苑各競技場 に行 はれた各 種競技 を最 も御熱心 に天覧遊 ばされた。 之実 に本会無上 の光栄 たるのみな らず,本
邦体育界 の栄誉之に過 ぎたるものな く,洵
に聖代 の盛事 として 感激,恐
催 に堪へ ざるものあ り。 本会 は之が光栄 を永 に記念す ると共 に,此
優渥なる 聖 旨を奉戴 して我が運動競技界 の進展の為,一
層の砕 勤協力 を誓ぶ事 とし,宮
内当局 と協議 の結果,御
下賜 金 を以て国旗 を謹製 し,名
付 けて『聖恩之旗』と命 じ, 今回第六回大会 を開催す るに当 り,入
場式 に選手代表 之 を捧持 して役員選手 の先頭 に立ち,又
順次各競技場 に奉掲 して聖恩の有 り難 さを銘記せ しめた。 旗 生地別織 瀬上等単,縦
三尺横 四尺三寸,日
の丸 聖 恩 之径一尺八寸
,赤
色堅牢染抜 き 旗 竿 割竹六本組合せ,娘
色塗長八尺五寸五分,石
突銅輪金及銀 鍍金 旗 頭 黄銅台金鍍金三寸五分球型(10」 と記録 している (資料-25参
照)。 この6回大会で も秩父宮 を再 び大会総裁 として開催 されているが,『報告書』には「第六回明治神 宮体育大会開会 に当 り,昭
和六年二月七 日の評議委員会 に於て秩父宮翡仁親王殿下 を重ねて総裁に 仰 ぎ奉 る事 に満場一致之れ を可決 し,御
内意 を伺 ひ奉 りたるに軍務 の為,大
会開催 中行啓遊 ばされ 難 き旨の御内沙汰 あ りたるも,同
年七月十五 日会長坂谷芳郎男 よ り奉戴方願 出たる処御快諸の旨正 式の御通達あ り。同月二十一 日の評議委員会 に之れを報告 して,其の重ねての光栄 に一同歓喜 した。0」 とある。(2)開
会式 の絶対主義化 大会 は,10月
2日か ら既 に水泳競技が新設 された神宮プールで実施 されているが,開
会式 は午前 10時か ら行われ,君
が代斉唱の後,阪
谷会長 の代理 として河本液助が式辞 を代読 している。 「第六回明治神宮体育大会 ノ第一期 トシテ水上競技大会 ヲ開催スルニ当 り,全
国各地カラ選抜セラ ンマシタ代表選手諸君 ヲ迎へ,ソ
ノ発会式 ヲ挙行致 シマスコ トハ我等ノ哀心欣幸 トスル ト所デアリ マス。惟 フニ国運進展 ノ基礎 ヲナス国民精神 ノ作典ハ現下ノ急務デアツテ,之
力遂行 ノーニシテ足 リマセヌカ体育競技 ヲ振興 シ,国
民体位 ノ向上 ヲ図ル ト共二公明正大 ノ気象 ヲ涵養 シ,剛
健質実ノ 運動精神 ヲ発揮スルコ トハ,蓋
シ最モ適切 ナルモノ ト思 フモノテア リマス。本大会ハ明治大帝ノ御 誌徳 ヲ憬仰 シ奉 り,之
ヲ顕彰 スル ト共二,絶
ヘス,普
ク,正
シク,国
民 ノ身心 ヲ鍛練 スル為二設 ケ ラレタモノデア リマシテ,回
ヲ重ネル毎二限 リナキ進歩 ヲ遂 ケ,就
中水上競技二於 テハ正二世界 ノ 視聴 ヲ集 メ,断
然優秀 ナル成績 ヲ以 テ国民 ノ冷侍 ヲ高クシ,国
威 ヲ中外二宣揚 シツ ゝア リマス。吾 等ハ更二自重 ヲ加ヘマシテ規程 ヲ格守 シ,秩
序 ヲ保持 シ,堂
々全カ ヲ挙 ケテ技 ヲ競 ヒイテ,本
競技 場 ヲシテ実社会 ノ典型的訓練場 タラシメタイ ト思 ヒマス。特二内外多事ナル奉家ノ現状二鑑 ミマシチ
,未
夫会
)技
希六患差童夫チルシ造患致ジ寺女
)分
,論
会
,務
夕生当う功三晩壬藷著
)自
童卜
尭
誉ラ桝ルト
共三
,関
係各位ノ協カヲ得テ夫帯歯轟
)十
三二良
)浩
陸シ苅ジ
,菌
象
)苅
葎三言
Jラ│う
精進 シタイ ト思 ヒマス。終 リニ臨 ンデ本大会計画 ノ任二当ラレマシタ役員各位ハモ トヨリ,官
民各 方面 ノ誠意アル御声援並二各地予選会 ノ斡旋者二対 シ謹 ンテ感謝二意 ヲ表 シマス。0。」 かわつて中川文部次官が「天高 ク気爽ナル候,第
六回明治神宮体育大会 ノ開催 ヲ見,全
国各地 ヨ リ簡抜サ レタル水泳選手輩穀 ノ下二集 り来 リテ,其
ノ競 フ直二会心 ノ壮挙 卜謂 フベ シ。殊二競技ノ 場所ハ神宮外苑 ノ『プール」ニ シテ実二今夏 ノ新営二係 り,規
模 ノ大ナル設備 ノ完 キ東洋― 卜称セ ラル。選手諸子 ノ意気ヤ想 ヒベ ク龍虎覇 ヲ争 フノ壮観察スルニ余 リア リ。抑競技ハ読 ンデ字 ノ如ク 技ノ優劣エア リ。然 レ ドモ優劣勝敗 ヲ超越 シテ貴 ブベキハ其ノ精神 ノ純真ニシテ,其
ノ態度 ノ公明 エアル コ トヲ忘ルベカラズ。多年鍛練 ノ功 ヲ積 ミタル選手諸子二対 シテハ素 ヨリー片ノ杞憂タルニ 過ギザルベ シ ト雖モ,開
会 ノ初 二当 リー言婆心 ヲ添ヘテ祝辞二代 フ “ 0」 と田中文部大臣の祝辞 を代 読 してい る。 本大会 (秋季大会)の
開会式 は10月 27日に行われているが,秩
父宮 は,「本大会ハ特二明治節 ヲ ト シ,神
宮ノ大前二於 テ挙行セラレル ゝ点二深甚ナル意義 ヲ有ス。諸君ハ宜 シク日頃錬磨 シタル身体 技術 ヲ通 シテ大二競技精神 ヲ発揮スルニ止マラス,進
ンデ新 日本 ノ国運 ヲ双肩二荷 フノ国民的意気 ヲ示サザルベカラズ。余ハ親 シク場二臨ム能ハズ ト雖モ,諸
君ガ ヨク本会設立 ノ主 旨ヲ体 シテ,之
ガ貫徹 二遺憾ナカランコ トヲ信ズ。9」 と挨拶 し,ま
た副会長平沼 は,会
長阪谷 の式辞 を代読 してい るが,内
容 は水泳競技 の開会式のほぼ同様 であるので割愛す る。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 32巻 第
1号
(1990)
■9 これが終わ ると,「聖恩之旗」が榊原選手か ら平沼副会長 に返還 され,さ
らに若槻首相 (山桝秘書 官代読)は ,「凡 ソ運動競技 ノロ的タルヤ身体 ノ発育 ヲ図ル ト共二奮闘,忍
耐,勇
気,克
己等 ノ精神 ヲ涵養 シ,以
テ品性 ヲ陶冶 シ,以
テ人格 ヲ完成 スルニア リ。明治神宮体育大会ハ 日本 ヲ以 テ其 ノ第 六回開会式 ヲ挙行 シ,函
後八 日間全国各地選出ノ青年男女,水
陸各種 ノ運動競技 ヲ行ハ ン トス。 是 レ洵二我ガ体育界 ノ盛事ニシテ,邦
家 ノ為 メ欣慶二堪ヘザルナ リ。抑々本大会ハ明治天皇 ノ御 偉徳 ヲ憬仰 シ,之
ヲ顕彰 シ奉ル為 メニ創設セラレタルモノニ シテ,其
ノ意義ハ極 ワメテ深 ク且 ツ大 ナ リ。糞 クハ関係者各位克 ク此 ノ点二思 ヲ致 シ,本
大会所期 ノロ的達成二蓋澪 シ,以
テ国民 ノ体育 向上 卜精神 トニ寄与 セラルルアランコ トヲー言以テ祝辞 トス9ω 」 と述べている。(3)満
州事変下の大会 これ らの挨拶が終 わる と同時 に,『報告書』 は,「各競技部役員,男
女選手三十余名 は明治神宮参 拝の為退場 し,一
同 は河本総務委員 の合図で明治神宮 を遥拝 し,か
くして十時三十分厳粛 な る開会 式90」を終了 したが,「直 に成城女子部対東京女子大学のホ ッケー戦 に入 リー時間の熱戦 は成城女子 部 に上 った,日
本体育会体操学校,本
郷中学,東
京女子体操音楽学校,東
京基督教青年会等 のマス ゲーム,一
群 の筋肉の躍動,人
間の ピラ ミッド,バ
ン ドにつれて舞ふ白衣短袴の舞踊体操等々,観
衆 は悉 く統制 ある集団の律動美 に酔ふ。年後一時呼物 の学生対一般 の対抗陸上競技 は開始 され,織
田幹雄君 は三段跳 に十五米五八,南
部忠平君 は走 巾跳 に七米九八 の世界新記録 を作 つて我 日本陸上 競技史上 に不朽 の光輝 を止 め,満
場起立裡 に『君が代』 は奏せ られ,更
に日本新記録三 と日本 タイ 記録三 を出 して,明
治大帝の英霊の大前 に技 を競ぶ にぶ さはしい息詰 まるや うな猛烈 な競 り合 いが 演ぜ られた。一方上井草,早
大,御
茶 の水 の四個所 のコー トで は男子硬式 シングルス,又
戸 山学校 コー トで は郷上の名誉 と期待 とを背負って女子軟式 シングルス戦 は行 はれ,青
年 日本 の意気 と力 と を示す。その往音の希岐のオ リンピック大祭 に比すべ きスポーツカーニバルは次第 に高潮 して行 く。劾」 と記録 されている。 ここには,不
思議 と満州事変 という危機意識 は微塵 も見 られず,そ
うした時代感覚 は,郷
土主義 への埋没 と喧騒 によってか き消されてお り,そ
の意味か らも天皇制国家の政策的意図 は成功 してい た と言 えるだろう。その後 の競技風景が,如
実 にその ことを物語 っている。 「十月二十八 日 織 田,南
部 の世界的飛躍 に続 く第二 日は朝来朗かな小春 日和である。澄 み渡 った 秋空の下 に『聖恩之旗』 は秋 の陽 を受 けて外苑競技場 スタン ドの正面 にか ゞや く。此 の 日戦端 は先 づ午前九時巣鴨帝大 コー ト,御
茶 の水 コー トに切 られ,硬
球男子ダブルスにジュニア,シ
ングルス に華やかな旋風 を拾 き起 し,戸
山学校 コー トで は全国高女の精鋭が軟式女子単複戦 に母校 の名誉 を 其熱球 に賭 けて戦ふ。外苑競技場で は午前九時五十五分 の北大対名高商のホ ッケーに続 いて 日本体 育会体操学校女子部の円舞,攻
玉社 中学校 の近代的な野球体操 の後,蹴
球の全 日本選手権大会第一 回戦 に入 り,果
然 スタン ドはサ ッカー,フ
ァンで賑 ひ,熱
戦又熱戦,観
衆 は熱狂 と昂奮 に湧 き立 っ た。0。」 「十一月三 日 『聖恩之旗』 を捧 げて開会 を宣 して よ り八 日間,連
日快晴に恵 まれて満都 の明朗 な 興奮 を拾 き起 こしつ ゝ総観覧三十万,未
曽有 の盛況 の裡 に菊花 の香 りも高 き明治の佳節 を最後 に, 総決算 の 日を迎へた。第八 日は外苑 をこめる朝霞 の晴れや まぬ内か ら人波が渦巻 く,午
前八時既 に 日本青年館 には優勝 を競ふ,烈
しい剣士の気合 いの声が響 き渡 り,競
技場 にホイツスルが高鳴れば 紅 白のユニホーム乱れ飛ぶOB紅
白戦 に観衆 は湧 き立つ。オ リンピック予選の器械体操 には賛嘆の 声上 り,(中
略)男女,一
般陸上競技選手の活躍 はマラソンに,女
子 の八百 に,砲
丸 に日本新記録 を出すの盛観 を呈 した。野球場で は広島商業対広菱 中学
,早
大対立大 の決勝戦 にスタン ドの声援 を捲 き起せ ば,相
撲場で は拍子木 の音神宮の森 に こだ まして,力
士選手権 の好取組 は好角 フア ンを陶酔 に導 く。墨堤 の向島 コースではフォア,シ エル,固定席艇 の全 日決勝戦 に海軍の対抗 カ ッター フア ン の興奮 をわ き立たせ,内
苑 に響 く弓弦の音 にも決勝戦 の烈 しさを思 はせ,古
典 と近代 のスポーツの 総動員 の万華鏡 も昭和青年最後 の活躍 を写 し,幾
多 の華やかな収穫 を残 してスキー競技 のみを除 く 本大会 も日出度 く藪 に閉会 を宣 した9つ。」 なお,こ
の秋季大会 の参加者 は,11,048人
である。3.事
変下の第7回
大会(1)秩
父宮の大会総裁就任 第7回
大会 も,昭
和7年
9月30日か ら水上競技 をもって開催 され, 6回
大会 と同様 に秩父宮 を総 裁 にす えている。その経緯 は,「明治神宮体育会で は第七回明治神宮体育大会開催 に関 し,昭
和八年 初頭以来準備 を進めて居 たが,四
月文部省 内に事務所 を移転 し,四
月十四 日日本工業倶楽部 に開催 された評議委員会 に於て総裁 に秩父宮充仁親王殿下 を奉戴す るに決 し,大
会期 日並 に各競技部 の大 体 の計画 を可決 し,会
長坂谷芳郎男 よ り秩父宮家 に奉戴願 出たる処,左
の如 き御承諾の御通達があ つた。(中略) 明治神宮体育会会長男爵阪谷芳郎男殿 充仁親王殿下 を第七回明治神宮体育大会総裁 に奉戴致度 旨 御願 出相成候処御承諸被在候条此段 申進候也(25も とぃ ぅものであった。 こうして 7月19日,日
本青年館 において開催 された評議委員会で大会予算 を承認 し,ボ
クシング の復活,ヨ
ッ ト部 の新参加 を認 めて大会 の計画 は全 て成立 し,開
催 されている。『報告書』 は,「畏 くも総裁秩父宮亮仁親王殿下御親裁の下 に明治神宮外苑競技場 を中心 に市外各所並 に栃木県 日光, 新潟県小千谷 に於て華々 し く開催 された。会期 中天候 に恵 まれ,総
ての計画 は予定以上 の成功 を収 め,所
期 の目的 を充分 に果 たす事 の出来 たのは之れ偏 に明治大帝の御遺徳 の然 らしむる処 と深 く感 銘す る次第である・ 0」 と記 し,ま
た10月 27日 に各種競技の開会式が開催 されている。 「非常時 日本 の秋,若
人 の意気 を高 らかに誇 るスポーツの豪華版。第七回明治神宮体育大会 の本競 技 は十月二十七 日か ら菊花香 る明治節の十一月三 日までに亘 り明治神宮内,外
苑 を初 め,市
内外 の 各競技場 に於 て華々 し く開催 された。夜来 の雨審れて秋空一碧ふが如 く,神
苑秋色濃やかな二十七 日午前十時全 日本各種 スポーツの精鋭一万三千余 を集 め,明
治神宮外苑競技場 に盛大 な開会式 は挙 行 された。清々 しい秋気,適
当に湿 った トラック,ク
ッキ リとした白線,そ
の上 をふみ しめつつ海 軍軍楽隊の『軍艦マーチ』 に合 はせて,四
列縦隊 に組 んで千駄 ケ谷駅寄 日か ら役員選手 は颯爽 と式 場 に入場 して来た。先頭 に『聖恩之旗』が秋 の陽に燦 と輝 いて,光
栄の旗の捧持者成城高等学校籠 球選手松井聡君の張 り切 った顔が見 える。その護衛 を承 る逗子 ボー ト倶楽部 の西園寺美代子嬢,静
水会端艇部 の八島作衛君,続
く選手代表東京高等師範学校籠球選手佐々木久吉君,平
沼副会長以下 役員,各
部旗 を掲 げた (中略) 二十二競技,男
,女 ,軍
人,警
官選手の堂々たる歩武,こ
れ実 に青年 日本 の一大示威行進である。 スタン ドに湧 き起 る拍手 の波,之
れに和 して帝国飛行協会の芝谷一雄飛行士 は爆音高 く式場 の上空 を低空飛行 し,各
新聞社 の飛行機 も之れに加 はる。来賓席の中島商工大臣,英
国大使,丁
満州国公 使,チ
エツコ公使 な どが熱心に日本若人の威力 に見入 る。 トラックを半周 してスタン ド正面 に一同 整列 し,総
務委員宮木昌常開会 を宣すれば,中
央大学庭球部中垣美好君,女
子体育専門学校庭球部 松崎せい子嬢 は正面 ポールに進み,国
家吹奏裡 に国旗 は掲揚 され,君
ケ代 の斉唱に移 る と共 に芝生鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 32巻 第
1号
(1990) 121
席側 のフヰール ドか ら一千羽 の伝書鳩が放 され,五
色 のテープをひいて青空 に乱舞す る。大演習の 為,福
井県地方 に御成 中の総裁秩父宮充仁殿下 の令 旨を副会長平沼亮三氏が謹 んで捧読すれば,会
長坂谷芳郎男 は壇下 に待立す る。の。」 秩父宮 は,「本大会 力特二明治 ノ佳節 ヲ選 ヒ,神
域二於 テ挙行 セラル ゝ所以 ノモノハ,競
技精神 ノ 作興ヲ念 トスルニ因ル。今ヤ我国競技 ノ声怠々揚 り,之
力選手 タルモノノ地位益々向上 ヲ致 シツ ゝ アルハ世 ノ認ム所 ナ リ。諸子ハ応二運動 ノ真意義 ヲ体得 シ,国
家多事 ノ此 ノ秋二於 テ国民 ノー員 ト シテ新 日本 ヲ雙肩二捨 フノ覚悟 アル ヲ要ス。予ハ今 日親 シク此 ノ式二芭ム能ハス ト雖モ,語
ヲ寄セ テ諸子 ノ奮闘 ヲ希 ヒ本会素志 ノ貫徹 セムコ トヲ望ム。働」 と述べている。 続いて斎藤首相 (山川文部省体育課長代読),山
本 内相 (潮次官代読),鳩
山文相 (栗屋次官代読) 等が祝辞 を述べているが,例
えば鳩 山は,「秋高ク馬肥 工,金
風颯 トシテ爽気人二逼ル是 ノ時二当 リ 第七回明治神宮体育大会 ノ開カル ゝア リ,男
女一万 ノ選手全国各地 ヨリ集 り来 り満 ヲ持 シテ未ダ放 タザル処,辱
クモ総裁宮殿下 ノ令 旨ヲ奉 シ,満
場粛 トシテ森厳 ノ気外苑二張ル。時局多難,挙
国振 張ノ秋此壮挙 ヲ見ル。真二欣快 ノ至二堪ヘズ。惟 フエ公明正大 ノ精神ハ運動競技 ノ体ニ シテ百折不 撓ノ意気ハ其 ノ用ナ リ。体用遊 ビ行ハ ンテ必勝 ノ勢始 メテ生ズ。之 ヲ早木嘗 フレバ,精
神意気ハ根 幹ニシテ勝敗,輸
扇ハ華実ナ リ。其 ノ根幹 ヲ培ハズシテ,徒
二華実ノ美 ヲ追 フハ決 シテ運動競技ノ 本 旨ニアラズ。是 レ多年 ノ修練 ノ功 ヲ積 ミタル選手諸君 ノ既二十分獲得セラレタル所ナル ヲ信ズ ト 雖モ勢 ノ激スル所低 キニ就 クベキノ水反 リテ,或
ハ奔謄逆流ス。諸君庶幾 クハ深 ク心底二留メ正々 堂々ノ陣以テ優秀 ノ美 ヲ済スニ努 メラレンコ トヲ」 と祝辞 を述べている。 そして「臨席の中島商工 大臣は自ら壇上 に進 んでスポーツに涵養 された精神 と体躯 を以て,明
治大帝の御前 に演ず る此明治 神宮体育大会の意義 あるを礼賛 して次期国民 の発奮 を求め99」 ているが,そ
の後 の風景 は,次
のよ うなものであった。 「終 って各競技役員,男
女選手代表六十余名 は大会開催 を奉告す る為,総
務委員岩原拓氏 に率 ゐ ら れて明治神宮参拝 に向ひ,一
同遥 に明治神宮 を遥拝 し聖恩の旗 を正面役員席 に安置すれば宮木総務 委員閉会 を宣 し,軍
楽隊奏楽裡 に一同退場 して十時四十五分芽 出度開会式 を終 った。麗かな秋 日和 に母校 の名誉,郷
上の誇 の為 に戦ぶ若人達 の熱戦又熱戦 に,早
くも初 日か ら大会気分 は急速度 に濃 度を増 した。外苑競技場で は開会式後,直
ちに行 はれた東京府中学校二十三校二千七百余名のマス ゲーム,日
本体育会体操学校男子部五百名,女
子部百五十名 の体操 に続 いて女子 ホッケー戦 に成城OGが
一対零で女子大 を一蹴 して全 日本選手権 を獲得 し,北
大対名古屋高商の試合 は北大 にとって は前回の雪辱戦。遂 に三対―で北部 に揚 り,蹴
球 の第一回戦 は関西代表関西学院対北陸代表富山師 範の組合せ,対
局六対―で関西学院 に栄冠 は握 られ,次
の関東代表東京OB対
北海道代表函館籠球 団の一戦 もお膝下 の東京OBの
勝利 に帰す。0」 「十月三十一 日 前 日の雨名残 な く署れた第五 日,天
あ くまで高 く清澄の気神苑 に温 り,か
ゞやか しい体育 日本 の遼々たる前途 を祝福 して居 るや うだ。総裁秩父宮殿下 には妃殿下同伴,午
前九時四 谷第六小学校 の卓球場へ成 らせ られ,続
いて 日本青年館 の柔道,外
苑野球場 の新人野球,正
午 には 競技場へ と順次台臨遊 ばされた。此 の日か ら待望の野球 と陸上競技が序開 きされ,正
九時神宮野球 場では帝大 を除いた五大学 に日大専修 を加へた七大学の新人 と,全
国か らす ぐり抜いた中等学校野 球団の入場式が行 はれた。(中略)国歌 の吹奏裡 に各主将 の手 によ り国旗掲揚 の式があ り,平
沼会長 は秩父宮殿下 の令 旨を奉読 し,(中
略)明治天皇 の御遺徳 を偲ぶ競技 には総 てが清浄化 されて快いゲ ームが展開す る00。」 「十一月二 日 血湧 き肉躍 るスポーツ万華鏡 に,非
常時の秋 を飾 る大会 も愈々あ と一 日となって,七 日目は各競技 とも最後 の力闘
,血
戦 に大会の興趣 と感激 は将 に絶頂 となった。(中略)外苑競技場 で年前中行われ る筈であった籠球戦 は芝生が乾かぬ為YMCAに
会場 を移 させ,男
子一般準決勝で 東京高師,成
城高校勝残 り,中
等学校で は長野商業,女
子で は新津高女が栄冠 を得 る。外苑競技場 で は午前十一時か ら非常時気分 を反映 した陸軍戸山学校 の兵式体操が軍国的雰囲気 を作 る。三百四 十名 の軍人の半裸体 の体操 に筋肉美 を誇 つての後武装 して進 めの号令一下丈余の障碍物 を乗越へ銃 を擬 して模造敵兵 を撃つ手4g弾 を投 げる。軍刀 を揮 って稟馬 の首 を勿Jねる。防毒マスク物々 しく突 激するといぶ勇壮 な応用体操 に満場 の観衆 を喜 ばす。中等学校 のホ ッケー決勝戦 に名古屋商業快勝 の後,世
界制覇 を目蒐す陸上競技 は開始 された。(中略)フキール ドで は石津嬢がオ リム ピック選手 の貫禄 を見せて円盤 に自己の保持す る日本新記録 を二米二七 も伸 ば して記録 を更新 し,伸
び行 く日 本女性 の意気 を快 い まで に吐 く。男子競技 も新進選手の活躍凄 く続々好記録 を確立 し,輝
く『陸上 日本』の希望。強 めて行 く。 日本青年館 の剣道 は在郷軍人 の争奪戦 で銃剣術 は熊本 の田口君,軍
刀 術 は姫路の大倉君 に栄冠輝 き,神
宮相撲場 の青年団相撲 は静岡の優勝 とな り,内
苑 の仮 弓場では大 学高専中等学校 の雄が 自熱戦 を演ず る。(中略)此日午後六時か ら東京市主催 の下 に日比谷新音楽堂 で『東京秋 の夕』 を催 し,参
加選手役員 を招待 した。り。」 ちなみに,こ
の大会 に参加 した選手役員 は,総
勢31,811人 に上 っている。0。4.第
8回
大会 と奉納主義の浸透(1)秩
父宮の再度 の総裁就任 第8回
大会 の秋季大会 は,昭
和10年 10月 29日 より11月 3日 まで開催 されているが,こ
の大会で も や はり秩父宮 を総裁 に仰 いでお り,そ
の辺の経過 を『報告書』 を見 ると,こ
う記 されている。 「明治神宮体育大会 は第八 回明治神宮体育大会 に就いて昭和十年七月十二 日総務委員会 を開 き,其
大体 の方針 を決定 し,二
月十三 日の総務委員会 に於ては期 日短縮 の計画 を立て,之
れが実行方法 に ついて議 を進 めた。六月七十四 日並 に七月二 日の総務委員会 に於 て前回通 り秩父宮衆仁殿下 を総裁 に奉戴す るに決 し,宮
家 の御都合 を伺 い奉 った処,殿
下 には弘前連隊 に御赴任遊 ばされるので,大
会 に台臨遊 ばされ難 きを以て如何 にや との御 内意があ り,協
議の末本会 としては殿下台臨の如何 に 拘 はらず,殿
下 を総裁 に奉戴 したい と満場一致之れに決定 したので,更
に宮家 に願出たる処,御
聴 許 あ り,七
月十八 日附 を以 て左 の如 く達せ られたので同 日開催 の評議委員会 に報告 し,一
同拍手 を 以て之れを迎へた。(中略)かくて各部 に於 て準備委員,競
技委員 を選 出 して諸般 の準備 に万遺漏 な きを期 した。4)。 」 なお秩父宮附宮内事務官前田利男の坂谷会長 に対す る回答文 は,「死仁親王殿下 ヲ第八回明治神宮 体育大会総裁二奉戴致度 旨御願 出相処,御
承諾被為在候条此段 申進候也●5も とぃぅものであった。 また各種競技 の開会式 の模様について,『報告書』 は,次
のように報告 している。 「明治大帝の御遺徳 を偲 び奉 る昭和 日本 の一大オ リム ピア第八回明治神宮体育大会本競技 は,輝
く 秋空の下聖恩 の旗 に栄へて愈々十月二十九 日の開会式 によって火蓋 は切 られた。古代 オ リム ピック もか くや と思 はれ る全 日本 のスポーツダム は,神
域明治神宮外苑 を中心 に遺憾 な く其盛観 を繰広 げ る。全国をす ぐる精鋭一万三千が前回以来 こ ゝに二春秋,郷
上の栄誉 を双肩にかけて,七
日間,檜
舞台で華々 しい輸扇 を決 しや うとす る選士の眉字 に浮ぶ必勝 の意気 に凄 まじい ものがある。 大会 の労頭 を飾 る開会式 は二十九 日正午か ら秋風 爽かな明治神宮外苑競技場 に挙行 された。此 日 (中略)午
前十一時,役
員選手一同は神宮水泳場か ら千駄谷駅前に至 る歩道 に整列 した黒 の学生服 が大多数 を占めているが,其
中に庭球男女の白いユニホーム姿,軍
人 の多い馬術部 のカーキ色,中
鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 32巻 第
1号
(1990) 123
には女流選手のスマー トな姿 もあって,オ
ール 日本 のスポーツマ ンの総動員 だ。 正午競技場大時計 の下のマラソン門がサ ッ ト開かれ るや,勇
壮な軍艦マーチを吹奏す る海軍軍楽 隊の リズム も軽快 に北海製缶倉庫缶友会漕艇選手箕輪正三君の捧持す る聖恩旗 を先頭 に,庭
球代表 の楠,藤
田両君 に衛 られ粛々 として進 み,数
歩離れて選手代表仙鉄漕艇部佐竹貞臣君,大
日章旗 を 捧持す るホッケー部代表 の浜 田盛政君,之
れ を護 てホ ッケーの西沢咲子嬢,本
部役員 を間 に挟 んで 百躯揃ひの端艇部 を初 め庭球,ホ
ッケー,水
上,剣
道 と参加二十二競技部代表委員,選
手「夫々部 旗 を押立て ゝ婉虹 の列 を作 って青年 日本 の威容 を場 内に撒 きつ ゝトラックを半周すれ ば,ス
タ ン ド か ら芝生か ら破れ る許 りの熱狂的拍手が起 る。空か らは海外同胞号 を初 め数機が奉祝 の爆音高 く, 銀翼 を輝かせて場 内を大 きく旋 回 してけふの盛儀 を祝福す る。(中略)中央 スタン ドの壇上 には平沼 副会長,岡
田首相代理,松
田文相,後
藤内相,有
馬明治神宮宮司,其
左右 に顧問,参
与,総
務委員, 評議委員が居流れ る宮木総務委員起 こって厳かに開会 を宣 した。刷暁たる『君ケ代』 の奏楽 にホッ ケー選手浜田盛政,藤
野勝太郎両君 によって正面芝生スタン ドのポール高 く国旗が掲揚 され ゝば, 一同之れ を仰いで国旗 を唱和 し,『聖恩之旗』を中央部 に安置す る。 まさに感謝のシー ンである。此 時フキール ドの一遇か ら二千の伝書鳩が羽 ばた きも勇 まし く一斉 に放 たれ,秋
空 に舞乱 して平和 の 瑞群 を浜 らせ る。平沼副会長 は恭 し く総裁秩父宮殿下 より賜 った令 旨を捧読する。°。」 その令 旨は,「薮七第八回神宮体育大会 ヲ開クニ当 り全国 ヨリ来集セル選士諸君二告 ク,本
大会 カ 明治節 ヲ期 シテ神宮 ノ大前二於 テ挙行 セラルルハ,特
二重大ナル意義 ヲ有スルコ ト夙二諸君 ノ熟知 セル所ナ リ。宜 シク平素鍛練セル心身 卜洗練 セル技術 トヲ以 テ,相
競 フヘ ク現下 ノ世界情 勢 ヲ願 フ テ将来国家 ノ中堅 トシテ国運 ノ進展二貢献 スヘキヲ期 シ,十分 ノ意気 卜熱誠 トヲ示ササルヘカラス。 予今遠隔二在 り,親
ンク場二臨 ミ諸君 卜相見サル ヲ遺憾 トス。幸二能 ク本会 ノ主 旨ヲ体 シテ其 ノロ 的 ヲ貫徹 シ,完
全ナル成果 ヲ挙 ケム コ トヲ望 ム。7も と述べている。 続 いて岡田首相 の祝辞(松尾大佐代読),松
田文相,後
藤文相,有
馬神宮宮司等が祝辞 を述べてい るが,岡
田は,「国民 ノ健康ハ国家興隆 ノ素因ナ リ。健全ナル精神ハ健全ナル身体 二宿ル ヲ以 テ国民 精神 ノ作典ハ国民健康 ノ増進二倹 ツ所甚 夕多 シ。藪二全国万余 ノ男女,聖
恩 ノ旗 ノ下二相集 ヒ,明
治天皇 ノ神前二於 テ技 ヲ競 フ壮観 ナ リト謂 フヘ シ。今 日第八回明治神宮体育大会 ノ開会 二当 り,大
会ノ真意義 ヲ真二深 キモノアル ヲ思 ヒ,一
言祝辞 ヲ寄セテ出場 ノ選手二告 ク0°」(松尾大佐代読辞) と祝辞 を述べ,こ
れ らの挨拶が終わ ると「各部役員,男
女選手代表 は明治神宮参拝 の為退場 し,選
手一同は神宮 を遥拝 して再び破れ る許 りの拍手裡 に一同静々 と退場 して式 を終わ り,姦
に七 日間に 亘 るスポーツ豪華絵巻 の第一頁 は開かれた。(中略)開会式後一時か ら競技場 で は此 日呼物 である体 操大会が始 まる。千三百の小学校児童 の可愛 らしい徒手体操,女
子体専の非常時 日本 の相応 しい薙 刀体操,筋
肉美 を見せた体操学校,裸
姿の学童相撲体操手'団扇太古に合わせた女子体操音楽学校, 妙技 を見せた器械体操団,ワ
イシャツに事務服姿の簡易保健局,花
模様 を描 く三千六百 の女子 中等 学校 の徒手体操 に,手
留弾が飛ぶ,日
本刀が振 りかざされ る戸 山学校 と何れ もとりどりの特色 を発 揮 した体操 の躍動美 に悦惚た らしめる°9」 と,時
艮告書』 は,記
録 している。(2)大
会風景 その後 の大会 は,次
のような ものであった とい う。 「十月二十一 日 木曜 日,秋
空一碧の好 コンデ ィシ ョンに恵 まれた第二 日は怠 よ高潮 に,日
本青年 館の青年団対抗柔道で は熊本五回連続優勝 の覇業 を成 しとげ,個
人決勝で も熊本 の辻本五段が故郷 に錦 を飾 る事 となった。神宮球場で は朝九時か ら中等,大
学新人野球選手の入場式が あ り,前
回の覇者明大チームか ら銀製優勝 ′ヾッ トが返還 され
,平
沼副会長の始球式で開始 甲子園の決勝 で破れた 強豪育英商業 は,愛
知商業 に敗退 し,専
修 は早大新人 を破 って五大学の為 に気 を吐 き,戸
塚球場で は早実 は岐阜商業 に零敗 し,日
大 は立名館 に喰われ る律の。」 「十一月二 日 連 日明朗 な競技 日和 に恵 まれつ ゝ白熱戦 を重ねて,急
よ第五 日を迎へた一万三千の 若人 の意気 と熱 は外苑 の空高 く炸裂 してスポーツ日本の賛歌の如 く響 き渡 る。此 日十一時半頃神宮 外苑 の空 に二羽 の鳩が現 はれゆるやかに一周 して飛去ったが,此端兆 に一同厳粛 な感激 に打 たれた。 競技 は何れ も準決勝,決
勝へ と最後 の争覇戦 に移 った。籠球 は男子一般 の準決勝 に引続 いて女子 と 男子 の決勝が競技場 中央で同時 に行 はれ,女
子 は京都府立第一高女,中
等 は朝鮮 の崇仁商業が優勝 す る。之れが終 ると入れ代 ってホ ッケー地方対抗決勝戦 に入 り,関
東軍 に凱歌が上 る。年後か ら全 日本 の血 をたぎらした青年団対抗陸上競技最後の決勝 と,来
年度伯林オ リム ピック大会 を控へての 重大 な全 日本選手権大会 も新 に登場 した。青年団対抗 は全北海道チームが堂々四十点の大量得点 を なし,前
回三度 の覇者鹿児島か ら優勝旗 を奪 回,四
度 目の制覇 をなした。一般選手権 で は,五
千米 で関東 の村社選手が一四分五八秒の大記録 を出し,多
年待望の一五分 を割 る日本記録 を樹立 した。 暁の超特急,吉
岡選手 は流石 に貫禄 を示 し,百
米準決勝で一〇秒四の大会記録 を出すな ど,オ
リム ピック遠征軍 に更 に強靱な力 を加へた。青年団対抗相撲 は大阪が団体,個
人三つ乍 ら神宮覇権 を独 占 して青年団競技全部 を終 った律ユち」 「十一月二 日 あさみ どり澄み渡 りたる大空 の下聖戦六 日興奮のるつぼにた ゝき込 まれた大会 も, 菊薫 る明治の佳節 を迎へて各競技共決勝 に入 り,若
人力闘 と大舞台の最後 を飾 るフィナー ンが華や かに奏せ られた。此 の日午前十時明治神宮外苑絵画館の裏の広場では松田文相臨席の下 に盛大な体 操祭が行 はれた。(中略)午後零時五十分マラソンのスター トで全 日本陸上選手権第二 日を開始,朝
鮮 の孫選手二時間二六分四二秒の世界最高記録。一万米で は村社選手次いて又 も三一分七秒八の驚 異的新記録 を樹立 し,三千米障害で は関東 の今井選手が九分三一秒八の堂々たる日本記録 を産む等, 躍進スポーツ日本 の力強い歩 みは高 らかに誇示 された。(中略) 十一月四 日 聖恩旗 を捧 げ持て,数
に七 日間,開
会以来無類 の快晴に恵 まれて,全
国万余 の精鋭 が競 った大会 も急 よ最終 日に入 って,朝
九時か ら競技場 にオール 日本の女性総動員 の女子陸上競技 選手権争奪戦が凌刺 と展開 された。(中略)来るべ きオ リム ピックをめざして,北
は北海道,南
は台 湾か ら馳せ参 じた若 き女性 の意気込 み も格別 な ものがあ り,冒
頭 の砲丸投で早 くも児島嬢が 日本記 録 を破 り,八
百米継走で一,二
位共 日本記録 を樹立 し,槍
投では山本嬢が神宮記録夕五種競技では 田中嬢が 日本新記録 を出す等 目覚 ましき活躍 を見せて,男
子三千米競争で は奈良岡,和
田,風
間の 三選手が揃 って 日本記録 を出すなど,伯
林へのホープを確実 にした。か くて湧 き返 る興奮 の波 に午 後五時大会 を終 り,直
に閉会式 に移 り,粛
条 と降 る冷雨の中で一同起立,厳
かな君 ケ代奏楽裡 に中 央ポールに掲揚 されて居た日章旗 は下 され 全員空 も割れよと叫ぶ聖寿万歳の三唱で大会を終 った “り。」 この大会 には全 日本体操祭への参加者 を含め,選
手,役
員25.839名が参加 している “ 9。 15。 日中 戦 争 の 開 始 と明 治 神 宮 体 育 会 の 再 編1,国
民精神作興 と9回
大会(1)明
治神宮宮司有馬良楠 の体育会会長就任 昭和12年7月,日
本軍が行方不明の兵士 を捜索中に中国軍 と武力衝突 した。2日後,休
戦協定が 成立 したが,近
衛 内閣 は,防
共 と資源,市
場確保 のために「重大決意」,「挙国一致」 の下 に第2次
上海事変か ら支那事変へ と戦線 を拡大 させていった。 この日中戦争の開始 によって,神
宮大会 は,鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 32巻 第
1号 (1990) 125
大東亜新秩序建設 の喧伝 とともに,国
体主義 に加 えて軍事色 を強めてい く。 それ は,明
治神宮体育 会会長 に阪谷 を退 け,海
軍大将で,明
治神宮宮司で もある有馬良楠 を新会長 とした こと,さ
らに明 治神宮体育会規約 を有馬の意向によ り改正 し,第
9回
大会 の総裁 に賀陽宮恒憲王 を据 えた ことであ った。その ことを『報告書』 は,
こう報 じている。 「明治神宮体育会 は第九回明治神宮体育大会開催 に当 り,昭
和十一年十一月二 日の評議委員会 を最 初に翌十二年二月二 日には新総務委員並 に主事 を選 び,六
月十五 日の評議委員会 に有馬良楠閣下 を 推戴 し,坂
谷前会長 を名誉会長 に推 し,有
馬新会長 の希望 に依 って本会の規約一部 の改正 を行 ひ, 又全会一致の希望た る総裁 には賀陽宮恒憲王殿下 を仰 ぎた く,か
ねて願 ひ出置 きたるところ六月二 十一 日附 を以て左 の如 く聴許 あ らせ られた。 昭和十二年六月二十一 日賀陽宮附 宮内事務官 宮野 安 明治神宮体育会副会長 平沼亮三殿 回
答 貴会主催第九回明治神宮体育大会総裁二恒憲工殿下 ヲ推戴致度 旨御願 出之件御丞諾被成候 か くて役員の全陣容整 ひ
,着
々準備 を進めつ ゝある時,七
月 に至 り日支事変の突発 あ り。為 にグ ライダー競技の中止,陸
海軍現役 の軍人 の参加見合わせ等 の事 あ りしも,関
係役員一同 は,よ
く時 局の重大性 と銃後国民 の責 めを感 じて奮ひ起 ち,国
民精神 の作興並 に体育向上 の為 に,益
々大会 の 内容充実 に力め,左
の 日程 の如 く華々 し くも亦厳粛なる大会 を無事遂行 し得 たるは,偏
に明治大帝 の御聖徳 による処 と一同深 く感激措 く能 はざる所であった。(中略) 第九回大会が事変下 と云ふ特殊 なる事情 の下 に開かれたる大会 と云ふのみな らず,種
々たる点 に 於て従来 の大会 と異 なれ る諸点 の見出す事 の出来 るのは特筆 に値す るものである。即 ち先づ第一 に は,政
府 の補助金 を三万円 (従来 は一万円)に
増額 され,入
場料 を全廃 した事である。第二 には, 前記の如 く現役軍人 の不参加 は致 し方なかりしも,危ぶ まれた地方青年団選手 の出場 は却 つて従来 よ りも多か りしは,全
く明治大帝 を憬仰する若人 の心 を如実 に反映 した もの と見 るべ く,第
二 には, 冬期競技 を除 き,東
京 に於 ける諸競技 に参加する役員選手全部が打揃 って明治神宮の神前詣で ゝ戦 勝の祈願 を行ひ,亦
従来や りっぱな しの感 あ りし終了時 に,今
回 は特 に厳粛 なる閉会式 を挙行する など.何
れ も国民精神作興 の現 はれである。第四には,自
転車,送
球,重
量挙等の新種 目が行 はれ たのはた とへ独立 した種 目でない もので はあって も,オ
リム ピック東京大会 の近づ きつ ゝあるを物 語 るものであった “。。」(2)第
九回大会 と戦勝祈願 こうして第9回
大会 の開会式が行われている。 「一部門に亘 る各種競技 は十月二十八 日か ら八 日間神宮外苑競技場,其
他 の競技場,演
武場 に於 て 行 はれたが,参
加人員実 に二万二千二百名 に,実
に非常時銃後 の守 りを固 うす る若人 の精神 と身体 との総動員である。競技 に先立 ち七 日には,恒
例 によ り前回の優勝額奉戴式 を午前十時 に行ひ,同
日午後三時か らは青年団選手一同の明治神宮参拝 を行 った。即 ち午後二時五十分 日本青年館前 に集 合 した五十四団体 の選手,役
員九百二十三名 は十集 団に分かれ,聖
恩旗 を先頭 に各集団毎 に都下少 年団の嘲味鼓隊が行進譜 を奏 じ,陸
上競技場広場 にて香坂大 日本青年団理事長査閣の下 に分列式 を 行ひ,そ
の間裏参道 を明治神宮 に進み,鳥
居前 に整列 して国運隆昌を祈願 し,更
に遥 に北支及 び上海 の空 に向って皇軍 の武運長久 を祈 った後