• 検索結果がありません。

近代犬山の地域経済に関する一考察 : 愛知県丹羽郡楽田村の所得格差の検証

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "近代犬山の地域経済に関する一考察 : 愛知県丹羽郡楽田村の所得格差の検証"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

2018 年 3 月

1.はじめに

 本稿の課題は,近代犬山の農業・農村を中心と した研究状況の確認と,近代犬山地域の特色の一 つとして楽田村を事例に,地域の所得格差を検討 することである。本稿における犬山地域とは, 1954 年に合併して現在の犬山市となった,旧犬 山町・城東村・池野村・楽田村・羽黒村をさす。  周知のとおり,犬山は,犬山城を中心とした近 世来の城下町として,歴史や文化に重きを置いた 地域であり,歴史研究が盛んに行われてきた。た とえば行政による歴史書だけでも『犬山市史』2 (以下,市史と略記),『愛知県史』3,『愛知県農地 史』などがあり,そのなかでも尾張藩4,犬山 城 5,犬山城下町6,木曽川流域7,などを対象と して,とくに中世・近世を中心とした研究が分厚 く蓄積されてきている。  しかしながら他方で,近代を対象とした研究は 非常に限られている。管見の限り,市史を除け ば,『愛知県史』にかかわるものが主であり8 その他に犬山の近代を対象とした研究はほとんど 行われていない。そこで近代犬山の地域経済に関 して,市史を参照してみると,「本市域における 産業経済は,愛知県あるいは全国の経済発展と同 じ歩みをもち,一部には地域的な特殊性も見られ るが,殆どは一般的な共通性を基底としていると いえる。(中略-引用者)産業は(中略),農業が 主流を占めていた。商業活動あるいは工業の発達 は(中略),城下町の犬山地区が中心となり,次 第に他地区へと広がっていたので,全体に遅れて いた」9とし,犬山における商工業の発達の遅れ を指摘している。ただし,「地域的な特殊性」は 明示されておらず,近代犬山の地域的な特徴につ いては,なお検討の余地があるといえる。近年, 日本経済史においては地域経済に関する研究が著 しく進展しており10,本稿も地域経済史研究の一 環として近代犬山を対象とすることを意図してい る。  また,このように犬山地域の近代史研究が停滞 している要因の一つに,史料的制約があると思わ れる。たとえば市史の刊行目録では近代史料は百 点余の収録となっており11,全体の一割にも満た ない状況である。市史の目録によれば,近代の犬 山町に関する行政文書は一切残存しておらず,実 際,筆者が実施した調査でも犬山町にかかわる行 政文書はごく僅かにしか確認することができな かった12。他方で,市史の目録には掲載されてい

近代犬山の地域経済に関する一考察

   愛知県丹羽郡楽田村の所得格差の検証

1

  

齋藤 邦明

A Study on Characteristics of the Regional Economy of Inuyama in Modern Japan

   An Investigation of the Income Distribution of Gakuden Village, Aichi Prefecture   

SAITO, Kuniaki

論文

   

(2)

氾濫原として,たびたび水害にあってきた14  次に,犬山地域の人口の推移を表 1 で確認して みよう。第 2 次世界大戦前に限ってみると,この 間,日本全国(内地)の人口は 47,965 千人(1908 年)から 71,933 千人(1940 年)へと約 1.5 倍に 増加していることから15,この地域の中で人口が 最も増加した犬山でさえ 1.37 倍であり,地域全 体として日本全国よりも人口の増加は低調であっ たといえる。特に農村部にあたる城東・楽田・池 野は,基準とした 1908 年よりも人口を下回る年 が見られるが,これは農村部から名古屋などの都 市部へと人口流出していたことを表している。な お,名古屋の人口増加率が著しく高い要因は,名 古屋への人口流入という側面もあるが,他方で名 古屋市が度重なる市域拡張を行ったためであ る 16 ないが,犬山市の各庁舎および犬山市文化史料館 では,犬山市に合併された旧町村(城東,羽黒, 楽田,池野)の史料が残されていることがわかっ てきた。その中でも行政文書に限ると,楽田村の 史料は質量ともに充実している。そこで本稿は, 楽田村の史料を利用して,近代の犬山の地域経済 の特徴について,若干の考察を試みたい。

2.近代犬山地域の特徴

  -犬山壮年会『犬山』を手掛かりに-

 はじめに犬山の地勢から確認する。犬山は,木 曽川左岸の平均標高 50m の扇状地(いわゆる「犬 山扇状地」)の扇頂部と標高 150 ~ 200m の尾張 丘陵の一部である東部丘陵地からなる地域であ る13。現在の名鉄小牧線は段丘上にあり,そこが 微高地となっているが,その他の低地は木曽川の 年次 犬山 城東 羽黒 楽田 池野 犬山 城東 羽黒 楽田 池野 名古屋 (単位:人) (1908 年の人口を 100 とした指数) (人) (指数) 1908 10,205 4,428 2,807 3,577 984 100.00 100.00 100.00 100.00 100.00 374,146 100.00 1915 11,399 5,029 2,880 3,896 1,076 111.70 113.57 102.60 108.92 109.35 389,272 104.04 1920 11,593 4,043 3,039 3,390 933 113.60 91.31 108.27 94.77 94.82 429,997 114.93 1925 11,611 4,615 3,090 3,704 1,009 113.78 104.22 110.08 103.55 102.54 768,558 205.42 1930 12,668 4,055 3,288 3,510 905 124.14 91.58 117.14 98.13 91.97 907,404 242.53 1935 14,502 3,947 3,397 3,426 1,004 142.11 89.14 121.02 95.78 102.03 1,082,816 289.41 1940 14,029 4,014 3,262 3,474 978 137.47 90.65 116.21 97.12 99.39 1,328,084 354.96 1947 19,548 5,290 4,203 5,145 1,228 191.55 119.47 149.73 143.84 124.80 853,085 228.01 1950 19,708 5,318 4,047 4,963 1,109 193.12 120.10 144.18 138.75 112.70 1,030,635 275.46 1955 - - - 1,336,780 357.29 1960 - - - 1,591,935 425.48 1965 24,963 5,093 5,799 6,194 996 244.62 115.02 206.59 173.16 101.22 1,935,430 517.29 1970 25,957 6,845 9,577 7,797 986 254.36 154.58 341.18 217.98 100.20 2,036,053 544.19 1975 27,803 8,392 11,304 10,600 1,016 272.44 189.52 402.71 296.34 103.25 2,079,740 555.86 1980 28,316 10,188 12,483 11,741 993 277.47 230.08 444.71 328.24 100.91 2,087,902 558.04 1985 29,444 11,540 13,687 12,369 1,253 288.53 260.61 487.60 345.79 127.34 2,116,381 565.66 2016 31,287 14,210 15,111 12,782 1,319 306.59 320.91 538.33 357.34 134.04 2,304,794 616.01 出典:犬山市教育委員会・犬山市史編さん委員会編『犬山市史 史料編六 近代・現代』犬山市,1989 年,338, 359-368 頁,名古屋市ホームページ「名古屋市統計年鑑」,犬山市ホームページ「統計概要」(いずれも 2017 年 2 月 1 日確認)より作成。 注 1:1908 年,1915 年のデータは出典資料によるものだが,戸籍法改正にともなう内閣統計局の人口調査による ものと思われる。 注 2:国勢調査が開始された 1920 年以降,本調査年と簡易調査年のデータを掲げた。 注 3:1947 年は,臨時国勢調査が実施された年である。 注 4:1955 年,1960 年のデータが欠落している理由は不明である。1954 年に犬山市が成立した為,一時的に地区 別のデータが取られなかった可能性がある。 注 5:1990 ~ 2010 年のデータは不明である。 注 6:参考として名古屋市,2016 年における各地の人口を掲げた。 表 1 犬山地域の人口推移

(3)

地乾燥水質佳良にして賃銀及び燃料低廉,力くわふる に水力利用の天恵あれば,頗すこぶる有望と謂はざる可 からず。犬山及び其附近の地味は率おおむね膏こう腴ゆにして 農産物豊穣」であり,地域の「主な産物を挙ぐれ ば米,麦,繭,生糸,絹織物,白木綿,清酒等に して,特産物としては犬山焼,荵苳酒,蒟蒻, 鮎,氷,亜炭等」(44 頁)で,とりわけ生糸が 「當町第一の重要産物」(同前)であった。  次に,人々の暮らしぶりについては,「犬山に は非常の富豪無きと同時に,赤貧洗ふが如き者も 尠 すくな し。従て家屋も雲を衝く大廈か(家-引用者)高 楼を見ざると共に,臭穢近づき難き貧民窟無し」 (39 頁)という記述がみられる。すなわち,犬山 地域は人々の経済的格差が小さいということであ る。しかしながら,近代日本は,現代と比較して も著しい格差社会であったことが知られてい る22。そこで行論において,近代の犬山地域は本 当に平等な地域社会であったのかどうかを検証し たい。  続いて,「食物必ずしも贅を尽さず。而も亦甚 だしき粗食を為さず。小作を営む農夫と雖ども, 全く麦飯と鹽しお菜なとのみを以て足れりとするはあら ず。時に溌はつ溂らつたる川魚の食膳に上り,或は獣肉の  続いて,犬山の地域的な特徴を概観していきた いが,その手掛かりとして,同時代の人たちによ る地域案内の史料を利用したい17。それが,犬山 壮年会が発行した『犬山』(1905 年)という冊子 である18。犬山壮年会は,「旧犬山藩の子弟で組 織,東京に本部,犬山と名古屋に支部を置く」19 組織であったとされ,『犬山壮年会雑誌』,『智仁 勇』などを発行していたことが知られている20 犬山壮年会が『犬山』を発行した目的は,「我が 犬山を社会に紹介せんとするにあり」としてお り,東京市で発行されている。  犬山地域の産業や経済の特徴から見ていこう。 すなわち,「商工業は維新廃藩の影響と,鉄道の 便備らざるとにより一時不振の観を呈せしも,近 来実業家の発奮に因り漸く衰勢挽回の運に向かひ つつあり」(『犬山』,44 頁。以下,同史料からは 頁のみ)として,明治当初の犬山の地域経済は停 滞していたという。とりわけ東海道本線が開通し て以降(1880 年代後半),物資の流通や人の往来 は名古屋,一宮,岐阜を経由する流れが次第に活 発になり,犬山は周辺地域よりも後塵を拝して いったのである21  さらに「農工商」の項目では,「殊に工業は土 図 1 愛知県下の主食状況(1885 年) 出典:「県下人民常食歩合表」(1885 年 12 月)『愛知県史 史料編 32 近代 10』,2015 年,14-15 頁より作成。

(4)

に,都市部ほど米の比率が高い23。犬山が属する 丹羽郡では,主食として麦の割合が最も高い。ゆ えに,『犬山』の記述にも「麦飯」の文字が見ら れるのであろう。  以上みてきたように,犬山壮年会の人々は,犬 旨味に一盞せんを傾くるあり。是れ一は物価の低廉な ると,一は養蚕其他の利潤あるが為なり」(39 頁) として,犬山地域の食の豊かさも触れられてい る。やや時期が異なるが,図 1 に明治時代の愛知 県下の主食状況を示した。しばしばいわれるよう 町村名 楽田村 年次 1922 1923 1924 1925 1926 1927 1928 1929 1930 ジニ係数 0.624 0.634 0.621 0.601 0.632 0.621 0.594 0.593 0.600 世帯数 672 662 652 654 656 674 674 680 683 所得階級︵円︶ 1000- 24 23 23 13 20 21 3 6 8 901-1000 3 3 3 7 8 4 12 3 1 801-900 5 7 4 6 7 4 9 8 9 701-800 10 7 3 6 16 8 7 9 6 601-700 5 7 14 4 22 10 10 11 11 501-600 14 32 21 12 15 25 9 29 30 401-500 20 46 41 55 75 37 44 55 54 301-400 84 121 146 148 162 144 165 84 95 201-300 199 143 137 147 77 148 125 183 162 101-200 141 135 133 130 73 134 121 192 181 0-100 167 138 127 126 181 139 169 100 126 基本統計量 最高 5,550 5,500 5,500 4,500 4,500 5,000 2,500 2,470 1,784 最低 5 25 25 20 29 30 26 23 20 平均 273.7 301.6 300.9 286.5 323.7 294.8 261.8 274.5 264.1 最頻 250 300 300 300 330 300 262 50 50 標準偏差 338.2 336.6 327.2 275.2 310.1 312.7 214.3 215.0 206.2 町村名 楽田村(上段続き) 犬山町 年次 1931 1932 1933 1934 1935 1936 1937 1928 1929 ジニ係数 0.570 0.576 0.590 0.606 0.615 0.639 0.653 0.712 0.697 世帯数 679 682 677 678 676 642 667 2,449 2,475 所得階級︵円︶ 1000- 9 4 7 6 7 22 23 82 57 901-1000 1 2 2 1 3 6 10 21 10 801-900 1 4 6 6 7 9 8 20 23 701-800 3 5 5 6 8 12 22 42 30 601-700 10 8 6 19 18 23 38 61 53 501-600 9 14 15 19 15 40 48 97 67 401-500 26 21 20 41 44 67 80 163 145 301-400 45 41 54 85 83 96 94 280 289 201-300 137 126 132 138 147 117 111 405 428 101-200 266 246 235 202 181 118 99 688 755 0-100 172 211 195 155 163 132 134 590 618 基本統計量 最高 2,740 2,800 2,759 2,779 3,326 1,888 5,059 52,735 58,059 最低 0 0 7 9 9 1 0 15 0 平均 205.2 195.4 206.4 241.3 249.0 315.6 359.6 352.0 315.2 最頻 100 200 50 44 21 47 50 100 180 標準偏差 206.6 209.3 222.5 225.5 256.8 264.7 361.4 1,455.7 1,527.9 出典:楽田村「議決留」各年,犬山町「特別税・戸数割 納税者資力表」(1928,1929 年)より作成。 表 2 楽田村・犬山町の所得分布

(5)

の検証となる点である。それでも代替する史料・ データは存在しないこと,すでにジニ係数の計測 は世界レベル,日本全国レベルでも行われてお り,それらとの比較が可能であるため,データの 時期は異なるものの,当該地域の経済的特質を明 らかにするという意味においては,有益なアプ ローチであると考える。  また,現時点で把握できている旧犬山町の行政 史料は,1928・29 年のみである。そして,1928・ 29 年は金融恐慌と昭和恐慌に挟まれた不況期で あり,旧犬山町の史料では平常時の犬山地域の経 済状況を観察することが困難である。ゆえに史料 的制約のみならず,犬山町の史料データが有する バイアスを相対化する意味においても,楽田村の 史料を利用することの意義は大きい。  表 2 および図 2 に,楽田村と犬山町の所得分布 の結果をまとめた。まず,楽田村のジニ係数は, 0.6 前後を推移している。日本全国の市町村のジ ニ係数を計測した研究によれば29,日本全国では 1923 年 0.530,1930 年 0.537,1937 年 0.574 と 推 移したとされるので,楽田村は日本の中でも所得 格差の大きな地域であったといえる。次に同表 で,犬山町のジニ係数をみると,0.7 前後となっ 山を他地域に紹介する際,必ずしも経済的に目覚 ましい地域ではないものの,地域内の経済的格差 が小さいこと,派手ではないが豊かな生活が営め ることを強調していた。

3.楽田村・犬山町の所得分布

 それでは,犬山地域の経済的格差が小さいとい うのは,本当だったのであろうか。検証するにあ たり,ここでは楽田村の租税史料である戸数割を 利用して24,ジニ係数を計測する25。楽田村は, 「東部は山脈相連なり,土地総反別の約三分の一 を占む。其他平坦にして干マ田マ多し。町村制実施以 来,独立せん一小農村」26であり,農業では米麦 を中心としながら,養蚕・養鶏・林業・果樹など 複合的な農業経営を行う地域で27,「二の宮みか ん」28などの特産物でも知られた。  ここで主として楽田村の史料を用いる理由は, 先述のとおり,犬山町の史料に制約があるためだ が,楽田村の史料を利用するうえでも留意点があ る。それは戸数割史料において,個人の所得が記 載されるようになるのは 1922 年以降であり,そ れ以前の所得データは存在しないため,『犬山』 の刊行時(1905 年)とは異なる時期の所得格差 図 2 犬山地域のジニ係数の推移 出典:本稿・表 2 データ,南亮進・牧野文夫「所得と資産の分配」『岩波講座 日本経済の歴史 3 近代 1』岩波書店, 2017 年,44 頁より作成。

(6)

地をみると(さしあたり 5,000 円以上,該当者 9 名),出来町 1 名,下本町 2 名,鵜飼町 1 名,中 本町 2 名,鍛冶屋町 1 名,練屋町 1 名,余坂町 1 名となっており,犬山城城下(特に本町通り)以 外の地域にも中高所得者が居住するようになって いた。「特別税・戸数割 納税者資力表」からは, これらの人物の職業は判明しないが,居住地から みて多くが商工業者であったと考えられる。  これらの人々が必ずしも犬山の観光業と結びつ いていたわけではないものの,近代の犬山の商工 業の発展は,犬山城下のみならず,その外延にお いて広がりを見せており,その外延的拡大のなか に観光業も位置づくと思われる。とくに近代犬山 の観光業は, 1927 年の日本新八景に木曽川(日本 ライン)が選定されたことにみられるように,木 曽川流域を中心としたものであった。今後は,近 代犬山の商工業の担い手の実態を検討すること で,犬山地域の産業発展と高格差の要因が詳細に 明らかになると思われる。  次に,犬山地域の高格差を背景として起こった 歴史的事件として,戦間期の小作争議が挙げられ る。1925 年 に 城 東 村 今 井,1927 年 に 楽 田 村, 1933 年に城東村前原で,争議が発生している32 市史では,これらの争議の発生要因については 「高い小作料」(125 頁)のみが挙げられているが, それぞれの地域や産業構造に微妙な差異がある犬 山地域において,個々の小作争議の発生要因は詳 細に検討する必要があろう33。とくに,楽田村の 争議については,『愛知県農地史』にも取り上げ られており,そこでは楽田村の争議の帰結が愛知 県全体の小作争議にも影響したことが示唆されて いることから34,愛知県農民運動史上,主導的な 地域であったといえる。楽田村では,その後,経 済更生計画の立案や35,工場誘致などの動きもあ り36,犬山地域の農業・農村史研究の対象として も重要な位置を占めている。

4.おわりに

 本稿では,近代の犬山地域の特徴を把握するた めの基礎的作業として,近代犬山に関する歴史研 究のサーベイと,犬山壮年会の冊子『犬山』を手 掛かりとした近代犬山像の紹介,そして犬山町・ 楽田村の所得格差について考察してきた。本稿が 明らかにした諸点を簡単にまとめつつ,今後の課 ており,楽田村以上に所得格差が大きい。図 2 か らは,楽田村および犬山町のジニ係数が,全国と 比べて高い水準で推移していたことがわかる。と くに犬山町の値(0.7)は,日本全国でも高格差 地域の一つであったといえる30。以上のことから, 少なくとも大正期以降の犬山地域は全国でも所得 格差が大きく,所得平等というよりは,所得不平 等な地域であったことが示唆されるのである。こ の犬山地域の高格差の要因については今後の課題 であるが,ここでは犬山地域の高格差をつながる と考えられる近代犬山の変化と,高格差によって 生じた歴史的事件について言及しておく。  まず,犬山の近代を考えるうえで考慮すべき は,明治初期の経済的低迷から,いかにして犬山 の新興産業である観光業を発展させたかという点 が挙げられよう。市史によれば,犬山町の観光業 の発達は,木曽街道・名古屋街道などの主要道路 の整備に伴って,「明治末期から昭和初期にかけ て盛ん」(205 頁)になったことが述べられてい るが,その具体的な歴史は必ずしも明確ではな い。市史では,犬山壮年会の雑誌『智仁勇』から 犬山の商業に関する記事(藤井直喜「犬山繁盛 策」,1896 年)を引用して,「中部圏の発想,後 の愛知用水の構想などなかなかの卓見」(208 頁) であると評しているが,引用されている史料を見 ると「犬山不繁盛の原因は交通不便にして商売旺 盛ならずと云ふにあり」として,明治の犬山の商 業の停滞要因とその打開策を意図した記事と読め る。  上記の『智仁勇』の記事と同時期に発行され た,『愛知県実業家人名録』31によれば,「犬山町」 の項目に掲載されている人名は 11 名で,その内 訳をみると,酒造 1 名,生糸商 2 名,呉服商 2 名,材木商 1 名,雑貨商 4 名となっている。さら に『人名録』に掲載された人物は,1 名を除いて 犬山町字本町の商人であった(残り 1 名は鵜飼 町)。生糸をのぞけば,おそらく近世以来の商人 たちであろう。つまり,明治中期までは犬山地域 において観光業の展開はほとんどみられなかった といえる。  他方で,表 2・図 2 で使用した犬山町の「特別 税・戸数割 納税者資力表」は,明治中期からお よそ 30 年後で,『人名録』の氏名との照合は困難 であるが,そこに記載された中高額所得者の居住

(7)

から都市部へと人口が流出する中で,地域経済を どのように維持していくかが大きな課題であった と思われる。現代の出生率の低下と高齢化による 人口減少とは意味が異なるが,犬山地域では都市 部への人口流出という点において,100 年以上前 から人口減少という課題に取り組んできたといえ る。  近代犬山の歴史を検討することの意義は,現代 の犬山地域の形成過程を明らかにすることはもち ろんのこと,近現代日本の地域経済が抱える問題 を犬山という視点から捉えなおす行為であるとも いえる。近代犬山が抱えた問題やその実像に迫る 作業は,今後の課題としたい。 参考文献 愛知県史編さん委員会編『愛知県史 通史編 7 近 代 2』愛知県,2017 年 愛知県史編さん委員会編『愛知県史 近世 2 尾西・ 尾北』愛知県,2006 年 愛知県史編さん委員会編『愛知県史 文化財 1 建 造物・史跡』愛知県,2016 年 愛知県史編さん委員会編『愛知県史 別編 民俗 2 尾張』愛知県,2008 年 愛知県農地史編纂委員会編『愛知県農地史 前篇』 愛知県農地開拓課,1957 年 有本寛・坂根嘉弘「戦間期の農業と土地所有」深 尾京司・中村尚史・中林真幸編『岩波講座 日 本経済の歴史 4 近代 2 -第一次世界大戦から日 中戦争前(1914-1936)-』岩波書店,2017 年 市橋鐸麿編『入鹿切聞書』愛知県小牧小学校校友 会,1931 年 犬山市教育委員会・犬山市史編さん委員会編『犬 山市史 通史編 下 近代・現代』犬山市,1995 年 犬山市教育委員会・犬山市史編さん委員会編『犬 山市史 史料編六 近代・現代』犬山市,1989 年 犬山市教育委員会・犬山市史編さん委員会編『犬 山市史 年表』犬山市,1998 年 犬山市教育委員会・犬山市史編さん委員会編『犬 山市史 資料目録』犬山市,1979 年 犬山市教育委員会・犬山市史編さん委員会編『犬 山市資料 第 1 集』犬山市,1981 年 入鹿池市史編纂委員会編『入鹿池史-入鹿用水 誌-』入鹿用水土地改良区,1994 年 宇佐見正史「1920 ~ 30 年代における複合的農業 題に触れて,おわりに代えたい。  まず犬山の歴史研究は,中近世を中心として展 開しており,近代については『犬山市史』や『愛 知県史』に関するものに限られていた。犬山地域 の近代史研究の到達点は,現在もなお『犬山市 史』であるといえるが,犬山地域の産業展開,地 域経済の特質など,多くの検討課題が残されてい る。  検討課題の一つとして,幕末維新期の城下町・ 犬山の停滞から37,近代の観光業の発展にいたる 歴史過程が挙げられる。『犬山』では,明治初期 から停滞していた犬山の地域経済が徐々に再興し ていたことを記していたが,明治後期以降,犬山 地域で展開する観光業に関する動きは看取されな かった。犬山町の「特別税・戸数割 納税者資力 表」からは,明治期の当該地域の有力商人とは異 なる,中高所得者の存在が見られたことから,明 治後期から昭和にかけて,犬山では新たな産業展 開があったことが示唆される。この点は,本稿に おいても『犬山市史』の記述の域を超えておら ず,さらなる検討を要するといえる。検討の方向 の一つに,本稿が主として利用した『犬山』の発 行主体である,犬山壮年会の組織構成と活動実態 を明らかにすることが考えられる。犬山壮年会 が,いつまで活動していたかについては不明だ が, 市 史 に よ れ ば,『 智 仁 勇 』 は「 昭 和 19 年 (1944 年-引用者)・366 号を以て終刊」(年表, 74 頁)とあるので,少なくとも 1940 年代までは 存続していたと考えられる。  また,犬山壮年会の『犬山』では,犬山の地域 経済の特徴として,質素だが,経済的格差の小さ な社会であることを強調していた。そこで,大 正・昭和期の楽田村と犬山町の租税データで所得 格差を検証したところ,20 世紀において犬山地 域は全国に比して不平等度の高い地域となってい た。こうした特徴は,近代の犬山地域が一貫して 不平等度が高かったのか,それとも明治期から第 1 次世界大戦を経て不平等度が変化したのか現時 点では不明である。この点は,明治期の所得デー タを得ることは難しいため,明治期の租税史料か らの推計や土地所有の資産分布などで,代替な検 証を行う必要がある。  また,近代の犬山地域の農村部では,農工間の 所得格差が広がり,表 1 に見られるように農村部

(8)

代日本経済史研究を中心に-」『歴史学研究』 第 929 号,青木書店,2015 年 武田晴人編著『地域の社会経済史』有斐閣,1999 年 塚本学「尾張・三河の地域性-十七,八世紀の両 者の位置と関係-」『愛知県史研究』創刊号, 1997 年 成瀬美雄編『成瀬正成公伝』松澤鎭,1928 年 羽賀祥二「1891 年濃尾地震と地域社会の動向- 尾張北部・西部地域の被害と対応-」『名古屋 大学文学部研究論集(史学)』第 57 号,名古屋 大学文学部,2011 年 早川大介「小平村の戸数割-「村議会会議録」を 題材に-」『小平の歴史を拓く-市史研究-』 第 5 号,2013 年 林順子『尾張藩水上交通史の研究』清文堂出版, 2000 年 平賀明彦「第 1 次世界大戦期の都市化の進展と小 作争議」田崎宣義編著『近代日本の都市と農村 -激動の 1910-1950 年代-』青弓社,2012 年 松澤鎭編『犬山』犬山壮年会,1905 年 松澤裕作「日本近世・近代史における「地域」と 「地方」」社会経済史学会編『社会経済史学の課 題と展望-社会経済史学会創立 80 周年記念』 有斐閣,2012 年 南亮進『日本の経済発展と所得分布』(一橋大学 経済研究叢書 45)岩波書店,1996 年 南亮進「日本における所得分布の長期的変化-再 推 計 と 結 果 - 」『 東 京 経 大 学 会 誌 経 済 学 』 (219),東京経済大学経済学会,2000 年 南亮進・牧野文夫「所得と資産の分配」深尾京 司・中村尚史・中林真幸編『岩波講座 日本経 済の歴史 3 近代 1 - 19 世紀後半から第 1 次世 界大戦前(1914-1936)-』岩波書店,2017 年 水本忠武『戸数割税の成立と展開』御茶の水書 房,1998 年 三和良一・原朗編『近現代日本経済史要覧 補訂 版』東京大学出版会,2010 年 森口千晶「日本は「格差社会」になったのか-比 較経済史にみる日本の所得格差-」一橋大学経 済 研 究 所 Discussion Paper Series A,No.666, 2017 年 谷沢弘毅『近代日本の所得分布と家族経済-高格 差社会の個人計量経済史学-』(札幌学院大学 経営の展開-愛知県旧東春日井郡勝川町の自小 作農家を対象として-」『岐阜経済大学論集』 第 42 巻第 3 号,岐阜経済大学学会,2009 年 宇佐見正史「戦間期日本の小農経済に関する一考 察-愛知県額田郡岩津町・市川幸次郎家の農家 経営を対象として-」『愛知県史研究』第 14 号,2010 年 大豆生田稔『お米と食の近代史』(歴史文化ライ ブラリー 225)吉川弘文館,2007 年 岡崎哲二「戦前日本における経済発展と所得分 配」『経済史研究』第 20 号,大阪経済大学日本 経済史研究所,2017 年(同『経済史から考え る-発展と停滞の論理-』日本経済新聞出版 社,2017 年所収) 小尾堅之助編『愛知県実業家人名録』愛知博文 社,1894 年 筧真理子「成瀬氏付属同心・城番と犬山城下町」 『研究紀要』第 11 号,犬山城白帝文庫,2017 年 楽田村史編纂委員会編『楽田村史』文化出版株式 会社,1967 年 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三編 『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店, 1989 年 岸野俊彦編『尾張藩社会の総合研究』第 1 篇~第 6 篇,清文堂出版,2001 ~ 2015 年 齋藤邦明「都市家計の居住行動と生活水準-東京 市を中心に-」加瀬和俊編著『戦間期日本の家 計消費-世帯の対応と限界-』東京大学社会科 学研究所研究シリーズ No.58,2015 年 佐藤正之「犬山研究の魅力:地域政策」『広報誌 犬山学』第 2 号,名古屋経済大学犬山学研究セ ンター,2018 年 柴田紘一郎・朱宮豊・是澤紀子「犬山城下町地区 における伝統的建築物の修理・修景に関する研 究」『日本建築学会東海支部研究報告集』第 53 号,2015 年 鈴木博之『都市へ』(シリーズ日本の近代)中公 文庫,2012 年 高木史人「「やろか水」伝説後日譚-「やろか雨」 噂から「入鹿切」噂に至るまでの輻輳を記録し た市橋鐸とその生徒たち-」『口承文藝研究』 第 30 号,日本口承文藝學會,2007 年 高柳友彦「「地域」経済史研究の現状と課題-近

(9)

氏付属同心・城番と犬山城下町」『研究紀要』 第 11 号,犬山城白帝文庫,2017 年など)。 その他,建築学の分野で,柴田紘一郎・朱宮 豊・是澤紀子「犬山城下町地区における伝統 的建築物の修理・修景に関する研究」『日本 建 築 学 会 東 海 支 部 研 究 報 告 集 』 第 53 号, 2015 年,山村亜紀「犬山城下町の空間構造 とその形成過程」『地域と環境』第 14 号,京 都大学大学院人間・環境学研究科「地域と環 境」研究会,2016 年などがある。 7 木曽川に関する近年の研究としては,木曽川 学研究協議会による雑誌『木曽川学研究』が 多角的な検討を行っている。 8 たとえば愛知県史の編さんに関わった羽賀祥 二氏などの研究がある(同「1891 年濃尾地 震と地域社会の動向-尾張北部・西部地域の 被害と対応-」『名古屋大学文学部研究論集 (史学)』第 57 号,名古屋大学文学部,2011 年)。 9 「第 1 章 政治・経済 解説」犬山市教育委員 会・犬山市史編さん委員会編『犬山市史 史 料編六 近代・現代』犬山市,1989 年,739 頁。以下,『犬山市史』に関しては,編者・ 発行元を略して引用する。 10 地域経済史に関わる研究は膨大な数にのぼる ため,ここでは代表的な研究と研究サーベイ を挙げておく。武田晴人編著『地域の社会経 済史』有斐閣,1999 年,松澤裕作「日本近 世・近代史における「地域」と「地方」」社 会経済史学会編『社会経済史学の課題と展望 -社会経済史学会創立 80 周年記念』有斐閣, 2012 年,高柳友彦「「地域」経済史研究の現 状と課題-近代日本経済史研究を中心に-」 『歴史学研究』第 929 号,青木書店,2015 年。 11 『犬山市史 資料目録』,1979 年。 12 犬山市役所,犬山文化史料館にて実施(2017 年 9 月 19・21 日,2018 年 2 月 11 日)。旧犬 山町に関する史料目録等は確認できなかった が,犬山文化史料館に「昭和 3 年~昭和 8 年 犬山町役場・上本町 記録文書 平成 14 年 5 月 3 日 本町「ポパイ屋」で発見」というメモ書 きとともに,小段ボール箱のなかに収められ た税制関係史料が残されていた。本稿では楽 田村の史料と併せて,この旧犬山町史料も利 選書)日本図書センター,2004 年 山口由等「20 世紀初頭の名古屋の流通基盤整備 と都心化」『愛媛経済論集』第 35 巻第 1 号,愛 媛大学経済学会,2015 年 山口由等「20 世紀初頭の愛知県経済の発展-後 発工業地帯のキャッチアップと経済圏形成-」 『愛媛経済論集』第 36 巻第 1 号,愛媛大学経済 学会,2016 年 山村亜紀「犬山城下町の空間構造とその形成過 程」『地域と環境』第 14 号,京都大学大学院人 間・環境学研究科「地域と環境」研究会,2016 年 湯沢規子「近代日本の産業地域形成期における農 家経済構造の変化-愛知県『農家経済調査』に みる農家の暮らし-」『史林』第 99 巻第 1 号, 史学研究会,2016 年 注 1 本稿を執筆するにあたり,岡田和明氏(名古 屋経済大学法学部教授),犬山市役所総務課, 犬山市文化史料館の皆さまの協力を得た。記 して謝意を申し上げる。 2 犬山市に合併された旧町村の自治体史では, 楽田村史編纂委員会編『楽田村史』文化出版 株式会社,1967 年がある。 3 とくに犬山地域に関連する巻として,愛知県 史編さん委員会編『愛知県史 近世 2 尾西・ 尾北』愛知県,2006 年,同前『愛知県史 別 編 民俗 2 尾張』愛知県,2008 年,同前『愛 知 県 史 文 化 財 1 建 造 物・ 史 跡 』 愛 知 県, 2016 年。 4 尾張藩に関する研究は枚挙に暇がないが,と くに尾張藩社会研究会のメンバーが中心と なって刊行している『尾張藩社会の総合研 究』(岸野俊彦編,第 1 篇~第 6 篇,清文堂 出版,2001 ~ 2015 年)が挙げられる。また 近世経済史では,林順子『尾張藩水上交通史 の研究』清文堂出版,2000 年などが挙げら れる。 5 犬山城と犬山城主・成瀬氏については,公益 財団法人・犬山城白帝文庫が主となって研究 を進めている(同『研究紀要』など)。 6 犬山城下町に関しても上述の白帝文庫による 研究が挙げられる(例えば,筧真理子「成瀬

(10)

21 この点は,犬山学研究センター記念設立シン ポ ジ ウ ム(2017 年 10 月 21 日)における, 佐藤正之氏(名古屋経済大学経済学部准教 授)の報告(同「犬山研究の魅力:地域政 策」『広報誌 犬山学』第 2 号,名古屋経済大 学犬山学研究センター,2018 年)から示唆 を得た。佐藤氏は,犬山という地域の「中心 性が低下した」と表現している。 22 南亮進『日本の経済発展と所得分布』(一橋 大学経済研究叢書 45)岩波書店,1996 年, 南亮進「日本における所得分布の長期的変化 -再推計と結果-」『東京経大学会誌 経済学』 (219),東京経済大学経済学会,2000 年,谷 沢弘毅『近代日本の所得分布と家族経済-高 格差社会の個人計量経済史学-』(札幌学院 大学選書)日本図書センター,2004 年,南 亮進・牧野文夫「所得と資産の分配」深尾京 司・中村尚史・中林真幸編『岩波講座 日本 経済の歴史 3 近代 1 - 19 世紀後半から第 1 次世界大戦前(1914-1936)-』岩波書店, 2017 年,岡崎哲二「戦前日本における経済 発展と所得分配」『経済史研究』第 20 号,大 阪経済大学日本経済史研究所,2017 年(同 『経済史から考える-発展と停滞の論理-』 日本経済新聞出版社,2017 年所収),森口千 晶「日本は「格差社会」になったのか-比較 経済史にみる日本の所得格差―」一橋大学経 済 研 究 所 Discussion Paper Series A,No.666, 2017 年。 23 大豆生田稔『お米と食の近代史』(歴史文化 ライブラリー 225)吉川弘文館,2007 年。 24 戸数割については,水本忠武『戸数割税の成 立と展開』御茶の水書房,1998 年,南亮進 『日本の経済発展と所得分布』(一橋大学経済 研究叢書 45)岩波書店,1996 年,早川大介 「小平村の戸数割-「村議会会議録」を題材 に-」『小平の歴史を拓く-市史研究-』第 5 号,2013 年を参照のこと。 25 ジニ係数は,0 から 1 までの値をとり,1 に 近づくほど不平等度が高いことを表す。 26 「大正 15 年 楽田村勢」(犬山文化史料館所 蔵)。 27 周知のとおり,愛知県の農業は,安城の「日 本デンマーク」に代表される,複合的農業経 用する。 13 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理 三編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川 書店,1989 年,1604 頁。 14 たとえば,大雨による入鹿池(人口貯水池) の堤防が決壊した,「入鹿切れ」(1868 年 5 月)が有名である。入鹿池については入鹿池 市史編纂委員会編『入鹿池史-入鹿用水誌 -』入鹿用水土地改良区,1994 年を参照。 「入鹿切れ」については,郷土資料として, 市橋鐸麿編『入鹿切聞書』愛知県小牧小学校 校友会,1931 年,犬山市教育委員会・犬山 市史編さん委員会編『犬山市資料 第 1 集』 犬山市,1981 年がある。また,上記の小牧 小学校の聞き書き資料を検討した研究に,高 木史人「「やろか水」伝説後日譚-「やろか 雨」噂から「入鹿切」噂に至るまでの輻輳を 記録した市橋鐸とその生徒たち-」『口承文 藝研究』第 30 号,日本口承文藝學會,2007 年。 15 三和良一・原朗編『近現代日本経済史要覧 補訂版』東京大学出版会,2010 年,4-5 頁。 16 齋藤邦明「都市家計の居住行動と生活水準- 東京市を中心に-」加瀬和俊編著『戦間期日 本の家計消費-世帯の対応と限界-』東京大 学社会科学研究所研究シリーズ No.58,2015 年,117 頁。 17 同時代人の視点を利用した愛知県の地域研究 として,塚本学「尾張・三河の地域性-十 七,八世紀の両者の位置と関係-」『愛知県 史研究』創刊号,1997 年。この論文では, 尾張の人の「三河」像と,三河の人の「尾 張」像に迫っている。 18 松澤鎭編『犬山』犬山壮年会,1905 年。奥 付によれば,松澤鎭は「東京府士族」と書か れており,住所は東京市麹町となっている。 19 『犬山市史 年表』, 74 頁。 20 犬山壮年会名義ではないが,『犬山』の編者 である松澤鎭が出版した,成瀬美雄編『成瀬 正成公伝』松澤鎭,1928 年がある。犬山壮 年会については,市史でも年表の中でごく簡 単に触れられているだけであり,結成理由や 具体的な活動については今後の課題といえ る。

(11)

33 今日,日本の製造業の中心である中京経済圏 は,明治期においては東京や大阪に後れを とった「後発工業地帯」であったが,日露戦 後、工業地帯として急速に成長していった (山口由等「20 世紀初頭の名古屋の流通基盤 整備と都心化」『愛媛経済論集』第 35 巻第 1 号,愛媛大学経済学会,2015 年,同「20 世 紀初頭の愛知県経済の発展-後発工業地帯の キャッチアップと経済圏形成-」『愛媛経済 論集』第 36 巻第 1 号,愛媛大学経済学会, 2016 年)。それは他方で,工業部門への就労 機会の増加と工業部門の所得上昇によって, 農工間の所得格差(相対的貧困)が拡大して いったことを意味する。1920 年代には,小 作農が相対的貧困の是正を要求する小作料減 免争議が多く起きた。この争議において,小 作農は「自らの機会費用(最善の農業賃金) に見合う農業所得の増大を要求する」ことか ら,「機会費用争議」とも表現される(有本 寛・坂根嘉弘「戦間期の農業と土地所有」深 尾京司・中村尚史・中林真幸編『岩波講座 日本経済の歴史 4 近代 2 -第一次世界大戦か ら日中戦争前(1914-1936)-』岩波書店, 2017 年,145 頁)。また、自然災害や凶作な ど小作農の絶対的貧困によって生じる小作料 減免争議は,「生活防衛的な争議」とされる (同前)。 34 愛知県農地史編纂委員会編『愛知県農地史 前篇』愛知県農地開拓課,1957 年,612-614 頁。 35 「楽田村経済更生計画書」1934 年(『犬山市 史 史料編六 近代・現代』,769-779 頁)。 36 「楽田村工場誘致期成同盟会会則」1939 年 5 月 19 日(楽田村役場「議決留 庶務部」昭和 13 年・昭和 14 年)。 37 明治初期,江戸城下も含め,多くの城下町は 荒廃したことが知られている。鈴木博之『都 市へ』(シリーズ日本の近代)中公文庫, 2012 年。 営の先進地帯である。犬山地域に限定しなけ れば,愛知県の農業・農村史研究は盛んに行 われている。たとえば,宇佐見正史「1920 ~ 30 年代における複合的農業経営の展開- 愛知県旧東春日井郡勝川町の自小作農家を対 象として-」『岐阜経済大学論集』第 42 巻第 3 号,岐阜経済大学学会,2009 年,同「戦間 期日本の小農経済に関する一考察-愛知県額 田郡岩津町・市川幸次郎家の農家経営を対象 として-」『愛知県史研究』第 14 号,2010 年,湯沢規子「近代日本の産業地域形成期に おける農家経済構造の変化-愛知県『農家経 済調査』にみる農家の暮らし」『史林』第 99 巻第 1 号,史学研究会,2016 年など。 28 『楽田村史』によれば,「徳川時代末期頃より 東部地帯の山脈に沿って僅かに家敷内に蜜柑 が栽培され,また西部平坦地帯には桃・柿等 の栽培が行われていたが,斯くの如くにして 果樹の栽培は戦後次第に盛(ん-引用者)」 となったとある(174 頁)。また,『犬山市史 通史編 下 近代・現代』,174-175 頁も参照。 29 南亮進・牧野文夫「所得と資産の分配」深尾 京司・中村尚史・中林真幸編『岩波講座 日 本経済の歴史 3 近代 1 - 19 世紀後半から第 1 次世界大戦前(1914-1936)-』岩波書店, 2017 年,44 頁。 30 南亮進『日本の経済発展と所得分布』岩波書 店,1995 年,「付表 2 所得不平等度とそれに 関連した変数:全国の市町村」に,全国 164 地域(市町村)のジニ係数,平均所得などが 掲載されている。それによれば,1930 年時 点で 0.7 以上の市町村は 5 ケースにとどまる。 31 小尾堅之助編『愛知県実業家人名録』愛知博 文社,1894 年,213-215 頁。 32 『犬山市史 通史編 下 近代・現代』,125-131 頁。犬山のほか,小牧などでも小作争議が発 生しており,この地域は愛知県北部の農民運 動の中心地であった。愛知県における小作争 議については,平賀明彦「第 1 次世界大戦期 の都市化の進展と小作争議」田崎宣義編『近 代日本の都市と農村-激動の 1910-1950 年代 -』青弓社,2012 年,愛知県史編さん委員 会編『愛知県史 通史編 7 近代 2』愛知県, 2017 年,第 4 章などを参照。

(12)

参照

関連したドキュメント

向上を図ることが出来ました。看護職員養成奨学金制度の利用者は、27 年度 2 名、28 年度 1 名、29 年

住所」 「氏名」 「電話番号(連絡 先)」等を明記の上、関西学院 大学教務部生涯学習課「 KG 梅田ゼミ」係(〒662‐8501西 宮 市 上ケ原 一 番 町 1 - 1 5

番号 団体名称 (市町名) 目標 取組内容 計画期間

※1 13市町村とは、飯舘村,いわき市,大熊町,葛尾村, 川内村,川俣町,田村市,富岡町,浪江町,楢葉町, 広野町, 双葉町, 南相馬市.

番号 団体名称 (市町名) 目標 取組内容 計画期間

[r]

当法人は、40 年以上の任意団体での活動を経て 2019 年に NPO 法人となりました。島根県大田市大 森町に所在しており、この町は

なごみ 11 名(2 ユニット) 、ひだまり 8 名(2 ユニット)短期入所(合計 4 名) あすわ 2 名、ひまわりの家 2 名