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日本の公的金融システム : 政策運営との関連

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日本の公的金融システム

一政策運営との関連一

輪 田 麩 1 はしがき  最近わが国の経済社会の制度・仕組み,あるいはそれと密接な関係をもつ 政治・経済システムに対し,海外諸国から重大な関心が寄せられ,時には日 本の制度的仕組みの複雑さやその閉鎖的性格が,外国との間に経済摩擦を引 き起す原因ともなってきた。経済のグローバル化が進むなかで,わが国の制 度や政策,あるいはこれと密接な関係をもつ経済体制や政治経済システムの あり方を問題とし,検討を加えてみることは,それなりの意味をもつものと       1) 考える。小論においては,とくに公的金融システムを取り上げ,政策運営と の関連において,その歴史的な役割や今後の課題についてふれてみたいと思 う。       2)  先年石弘光氏が,「日本型政策金融の課題」と題する論文を雑誌に掲載され ていた。この論文は同年海外諸国の公的金融制度の調査に出向された同氏が, 1)ここにいう公的金融については,必らずしも明確な定義が存在しない。日本銀行金融 研究所編『(新版)わが国の金融制度』(日本銀行金融研究所,1986年)によれば,“公的 金融仲介機構”の用語が使用され,これを構成するものとして,郵便局,資金運用部, 各種政府金融機関等があげられ,「こうした公的金融仲介機構を通じて,毎年多額の資金 が国営の郵便貯金や各種の保険・年金などの形で政府に吸収され,政府はこれらの資金 を主な財源として,民間産業などに対する出資・貸付・債券引受などの投融資活動を行 っている」とし,「このような政府の金融活動がいわゆる財政投融資である」と記してい る。公的金融の定義は財政投融資の概念と完全に一致しているわけではないが,(この点 の詳細については龍昇吉『現代日本の財政投融資』139∼40頁参照)小論においては,前 記のような機構によって推進されてきた公的部門の金融活動が,わが国経済の発展過程 において,どのような意義をもつものであったのかという点に検討の課題をおいている。 2)石弘光「日本型政策金融の課題」(『エコノミスト』1983年10月18日号所収)

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2   彦根論叢 第269号 「発展途上国あるいは先進国のどの国と比較しても,日本の政策金融は独特 のメカニズムで運営がなされている」ことに改めて注目され,「この日本型政 策金融の特徴を明らかにしつつ,今後の果すべき役割,課題は何かを考える」 ことを課題とされたものであった。氏の指摘されるように,日本の“政策金 融システム”は,「一国の経済発展にとって必要な資金を広く国内から集め, それを一ヵ所にプールして活用する」ものであり,わが国の近代化過程にお いて,重要な役割を果してきた制度に外ならない。小論においては,現在の 財政投融資制度の前身ともいうべき,大蔵省預金部の機能をも含めて,わが 国の公的セクターの一環として定着してきた公的金融システムを取り上げ, このシステムのもつ歴史的意義について検討を加えてみたいと思う。 II “日本型市場経済体制”と政府の金融活動  わが国において政府による金融活動が,本格的な展開を示すに至ったのは, 第一次大戦後とくに1930年代のことであった。1930年代はいわゆる大恐慌の 時代であり,周知のように世界的にも,古典的な資本主義経済体制から混合 経済体制への移行が生じている。日本においても昭和初年から,農業問題や 失業問題が深刻化し,公的部門は財政支出の拡大や,産業に対する規制や助 成等の増大により,民間部門との間に密接な相互交渉の場を拡充することと なった。ところで前述のような混合経済化の歩みは,国によりさまざまな態        1) 様を示すこととなった。最:近公刊された榊原英資氏の著作は,この時代の政 治・経済史をも視座におさめた,歴史的なパースペクティブにもとつく日本 経済論であり,小論の内容にもかかわるところが多いので,ここで氏の主張 される“日本型市場経済体制”についてふれておきたい。  榊原氏によれば,日本では昭和初期から,アメリカ型の資本主義とは異な るユニークかつ普遍的なシステムが育成されてきたとする。氏によればわが 国においてはこの時代から,製造業および一部サービス業を中心とする大企 1)榊原英資『資本主義を超えた日本一日本型市場経済体制の成立と展開一』(東洋経済新 報社,1990年)

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       日本の公的金融システム   3 業セクターと並んで,金融・公共事業および農業等をベースとする公的セク ターが育成され,一方が他方をドミネートするという形ではなく,仕切られ た二元的構造として併存し,両セクターの問では,相互に補完し,あるいは       2) 激しい競争を行ってきた。かような“日本型市場経済体制”が,第二次大戦 後,財閥解体や農地改革により最終的にその枠組みを整え,自作農主義や従 業員主権に具体化された人間中心主義を原理に,民間大企業と公的セクター との仕切られた競争を軸に高度成長への蓄積を準備していくこととなったと     3) されている。  榊原氏の所説においてとくに筆者が関心を寄せたのは,日本の公的セクタ ーが,公共事業,金融業務等を軸とし,事業体としての性格を具有してきた とする指摘である。国は予算や金融・補助金・税制等を通じて影響力を行使 してきたが,とくに建設・公i共事業・農業などでは,地方自治体を中心とし た公的セクターの直接事業参加によって運営されてきたことが強調されてい る点である。氏によればかような態様こそ,1930年代に展開され,第二次大 戦後に完成された日本の経済システムの特質をなすものであった。  前述のように大恐慌を機に,わが国においても多様な形態での政府の介入 がみられるようになったが,わが国では大正期あるいは昭和初期においては, 相当に幅の広い自由な資本主義的経済活動が行なわれており,企業活動もま た自由な創意と自己責任体制のもとにおかれていた。昭和金融恐慌を機に財 閥系銀行が金融市場に支配的地位を確立し,財閥企業の組織化が進められて いたが,一方では新興財閥の進出も顕著であった。鉱工業生産は不況にもか かわらず1930年から35年にかけて年率7.3%の成長を続けており,建設業も7. 1%の成長を示していた。この間農業部門のみは成長率(年率)マイナス0.5 %という状況におかれていた。政府は「昭和恐慌による不況の長期化,小作 争議の多発等による社会不安の激化に対応して,地方・農村の公共事業を「時 局匡救事業」という形で急速に増大させる一方,全面的に財政を拡大し,金 2)同上,11頁参照。 3>同上,14頁参照。

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4  彦根論叢 第269号       4) 利を引き下げ,積極的に不況に対応していく」こととなり,公的セクターの 事業体としての役割が強められることとなった。  1930年代の公的セクターの役割,あるいは当時の公的セクターを特色づけ るものとして,とくに注目されるのは公共事業であり,この推進のために, いわゆる公的金融の存在が大きな意義をもつこととなったのである。  明治時代から公的金融の中核をなしてきた大蔵省預金部は,第一次大戦後 の郵便貯金の増勢により,その資力を高めてきたが,昭和2年の金融恐慌後, 民間資金の郵貯への流入により,預金部資金の一層の増大をもたらし,さら に同資金の政治的資源としての役割を高めることとなった。  わが国における公的金融システムと政策運営との関連において,逸するこ とのできないのは,大正14年における大蔵省預金部の改革であった。この改 革は従来の預金部の機能や資金の運用方法について見直しを行ない,新たな 制度,機構のもとに,より公正な資金運用を行なうことをねらいとしたもの であった。とくに重要なのは,従来行政権の優位のもとに,資金運用にあた り大蔵大臣の専断に委ねられてきたものを,新たに預金部資金運用委員会を 組織し,その裁量権に制限をふしたことであり,さらにかような機構改革と 相まって,これまで国債引受けや内外事業資金として放出してきた預金部資 金を,「地方資金1への配分に重点を移し,地方経済の振興,あるいは社会的 な諸施設の充実など,いわゆる還元主義に重点をおく方向に融資,運用され るようになったことである。かような動向は第一次大戦後重大な転機を迎え た,わが国資本主義経済に対する重要な政策転換を意味するものであった。 ここにいう「地方資金」とは,預金部資金を原資とし,地方公共団体や各種 組合等に対し,地方債の引受けや,勧銀,拓銀,産業組合中央金庫(現,農 林中金)等を通じて融通される資金を意味している。地方資金は内地地方資 金と外地地方資金とに区別され,さらに前者は明治42年より存続してきた内 地普通地方資金と大正12年に導入された内地特別地方資金とに区分されてい た。内地普通地方資金は地方公共団体や各種組合,あるいは社会事業等に向 4)同上,96頁。

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       日本の公的金融システム   5 けられる資金であり,内地特別地方資金は,地方産業資金,災害関係資金, 失業救済事業資金等を含み,後述の時局匡救事業関係の資金もまた,この中 に含まれていた。普通地方資金の供給が概して固定であり,景気の動向等と ほとんど相関を示していないのに対し,特別地方資金は前者に比して資金額 が大きく,しかも景気の動向と強い相関関係を有し,恐慌対策を目的とする       5) 救済融資としての意味を強く具有するものであった。これら資金の経由機関 としては,当初前記の特殊銀行のウェイトが大きかったが,その後産業組合 組織を通ずるものや,地方債の引受けによるものが増大することとなった。 昭和恐慌当時地方自治体の財政は,自主財源は諸種の雑税からなる地方税に 過ぎず,税外収入への依存度が大きかったが,税外収入の中心は地方債であ り,税外収入総額の30∼50%を占めていた。この地方債の引受けは大蔵省預        6) 金部資金に依存するところが大きかった。以下当時の地方自治体における公 共事業の概況を滋賀県を例に述べておきたい。  滋賀県における県債の起債目的は第1次大戦後多様化しているが,とくに 昭和5年度から,当時の地方自治体にとって最大の課題となっていた,農村 救済を目的とする諸事業推進のために向けられている。主要なものとして農 山漁村失業救済資金,農村振興土木事業資金,農業土木事業資金等があり, いずれも預金部特別地方資金の県債引受けの形態で融通されている。恐慌対 策を目的とする応急融資としての意味をもつものであった。このうち農山漁 村失業救済資金は,昭和5年度に全国で総額6,560万余円が配分されている が,滋賀県では県債の預金部引受けにより,84万1,000円の融資をえている。 預金部による県債引受け利率は年4分2厘で,資金は県下各町村および各 種組合に転貸されている。貸付総額は73万9,100円で,事業別にみると耕地拡 張改良事業14万3,700円,山林開発事業6万5,000円,蚕糸改良事業24万7,900 円,水産諸施設1万2,500円,畜産事業5万2,500円,副業および農業共同諸 施設21万7,500円などとなっている。すなわち本資金により,「事業遂行の結 5)佐伯尚美『日本農業金融史論』(御茶の水書房,1963年)178頁参照。 6)一橋大学経済研究所編『解説日本経済統計』(岩波書店,1961年)177頁。

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6  彦根論叢 第269号 果がただちに効果をもたらすような事業で,国庫補助金を支給しないものを 選び,これを起すことによって農村の潜在失業者および都市からの帰農者を        7) 救済しようとした」のである。  昭和7年5月,犬養内閣が倒れ,斎藤内閣が成立したが,蔵相には高橋是 清が留任した。同内閣は農村救済を国内政策の最:重点目標として揚げ,昭和 7年8月いわゆる時局匡救急議会を召集し,時局匡救予算並びに関係法案を 通過せしめている。時局匡救事業は救農土木事業を目的とし,窮迫する農民 を土木事業に雇用し,賃金を稼得させようとするものであり,内務・農林両 省主管のもとに,昭和7,8,9年度の3ヵ年にわたり実施されている。一般会 計歳出としての時局匡救費は前記3ヵ年において総:額5億4,400万円に達し ている。時局匡救費は道府県に対し国庫補助金の形態で交付されているが, この事業には各地方自治体においても事業費の分担が必要とされており,こ れら地方分担金に対しては預金部から低利資金を供給し,さらにその利子を 国庫から補給している。滋賀県においても,昭和7年度より時局匡救予算を 計上し,財源の主要部分を国庫補助金あるいは県債発行による預金部資金に 依存している。預金部からの融資は,昭和7年度より10年度にかけて総額92 万8,500回目達している。榊原氏のいう公的セクターの特色とくに地方自治体 の事業主体としての役割は,このような経過のなかで形成されてきたのであ る。  前述のような地方資金の供給がどのような意義を担いえたかについては, 様々な評価がなされており今後の研究にまっところが多いが,預金部資金が 時局匡救費といった形で地方の救済に向けられたことは,公的セクターの新 しい活動領域の展開を意味するものであり,第二次大戦後の中小企業政策や 農業政策の面にも,この経験が直接,間接の影響を及ぼすこととなった。な お前述のような動向は,戦時体制への移行とともに転換し,預金部資金の運 用は国債引受けに集中し,とりわけ地方債への運用は著しく低下することと なった。預金部改造以後,特殊銀行・事業会社に対する融資が圧縮され,地 7)大蔵省昭和財政史編集室編「昭和財政史』第12巻,(東洋経済新報社,1962年)190頁。

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       日本の公的金融システム   7 方還元が実現されてきたのであるが,戦時経済下においてかような志向は放 棄され,預金部資金の運用は文字どおり戦時財政に隷属することとなったの である。  第一次大戦以後預金部資金と同様の性格をもつ政府低利資金として活用さ れたものに,簡易生命保険の積立金があげられる。簡保制度は大正5年,中 産階級以下の人々の生活の安定化を目的として設置され,積立金の運用につ ていは,保険加入者階級すなわち中産階級以下の人々の福祉のために利用さ れることが原則とされていた。簡保資金の貸付は大正8年から開始され,当 初は住宅,公設質屋,小売市場など都市的施設に対し融資されていたが,同 11年より,新たに自作農創設維持や農業倉庫の建設などにも運用されること となった。とくに重要な意味をもつのが自盛資金の供給であり,大正15年よ り昭和11年に至る期間に,貸付資金総額1億5,000万円,貸付農家戸数2万3, 000戸に及んでいる。自作農創設維持事業は,大正末年以来台頭をみた小作争 議に対する「農村の社会平和の為の一つの安全弁であり且つ一つの社会保険   8) 的施設」としての意味をもつものであったが,反面その政策の志向において, 第二次大戦後の農地改革につながる意義を有していたのである。 III第二次大戦後の公的金融システム  わが国においては戦後の一時期まで,戦時下の官僚統制が持続していたが, 昭和20年代後半期より,次第に自由経済への転換がみられることとなった。 戦後の農地改革,財閥解体,労働改革等が,経済社会の平等化や国内市場の 拡大をもたらし,企業間競争を刺激することとなり,防衛関係費の激減とと もに経済成長をもたらす背景となっていた。戦後の日本経済が市場経済を基 調として,企業の活力を最大限に生かしながら発展してきたことは改めて指 摘するまでもないが,同時に自由主義経済の特性である競争の利点を維持し ながら,一方で公的セクターとの問に多様な形態での仕切られ.た競争が行わ れてきた。小論の対象とする公的金融システムもその一環として重要な機能 8)東畑精一『日本農業の展開過程』(岩波書店,1936年)175頁。

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8  彦根論叢第269号 を果してきた。  第二次大戦後,戦前の公的金融システムの中枢にあった大蔵省預金部が改 組され,昭和26年3月新たに資金運用部が設立された。昭和20年代後半より, 戦前の特銀に代る政府金融機関が相ついで設立され,さらに30年代から40年 代にかけて,多数の公団・事業団なとが設立されている。昭和28年に財政投 融資計画が制度化されているが,前記機関はいわゆる財投対象機関となり, 資金運用部資金の主要部分が,これら機関を通じて資本形成その他に利用さ れることとなった。  財投計画の制度化は,国による市場への介入のひとつの形態であった。し かし市場経済への介入とはいえ,国民総生産の一部を計画的に形成するとい った強力な計画的要素をもつものではなかった。わが国においては,かつて のイギリスやヨーロッパ大陸諸国にみられたような,重要産業における私的 独占企業の公有化といった形態での市場介入の必要性はなかった。チャーマ ーズ・ジョンソン教授の言葉を借りるならば,財投や政策金融は“市場調和        1) 的な介入の手法”としての性格をもつものであった。民聞の自発的な投資活 動を側面から助成し,誘導するという形での介入を意味するものであった。 換言するならば,財投あるいは政策金融の特質は,権力的な経済規制行政と は異って,金融という民間的な非権力的な介入の手段である点に求められる。 政府の直営事業のような経済的介入とは異なり,私的経済計画を金融的な側 面から,特定の目標に誘導するための制度・手段であった。  政府金融機関の融資動向をみると,政策金融の体系が形成されてきた,昭 和20年代後半代から30年代前半にかけては,電力・鉄鋼・石炭産業など,当 時の重点産業に対する日本開発銀行を中心とする産業金融が大きな役割を果 している。当時政府は産業政策を進めるための手段として,一般会計からの 出資金,補助金支出,税制上の優遇措置とともに政策金融にも多くを依存し 1>Chalmers Johnson, MITI and the Japaneseル1iracle, Stanford University Press, 1982.チャーマーズ・ジョンソン(矢野俊比古盤訳)『通産省と日本の奇跡』(TBSブ リタリカ,1982年)参照。

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       日本の公的金融システム   9 ていた。しかし30年代後半期ごろから大企業を対象とする資金供給が漸次低 下し,かわって中小企業金融,地域開発金融などがそのウエイトを高め,40 年代以降においては,社会開発金融が重点的な対象とされている。この間昭 和30年代後半から,公団・事業団などが財投の事業実施機関として増設され ているが,これら機関は公共事業や福祉関連事業の分野にかかわるものが多 かった。近年における財投資金の配分状況をみると,住宅金融公庫の資金枠 の増大など,生活基盤の充実に向けられる割合が増加してきている。  民間金融機関の資金不足が1角印化していた昭和20年忌から30年代にかけて, 財投は郵便貯金や厚生年金の積立金の増加などを背景に,民間部門ではカバ ーしえない長期・低利の設備資金を政府金融機関を通じ,あるいは民間金融 機関との協調融資により供給し,高度成長に役立てられてきた。また財投資 金は高速道路の整備など,産業基盤の整備の面においても,一般会計からの 歳出の不足を補う上で重要な役割を果してきた。すなわち財投は公共財の供 給など,市場メカニズムの不備を補うという面においても,わが国特有の制 度として活用されてきたのである。租税負担率を低く維持しながら,増大す る行政需要に対応していくための“装置”として,財投制度の意義は大きか ったと言わねばならない。  野口悠紀雄氏は財投に対する評価に関しては,「財政投融資がなければ存在 していたであろう資金循環のメカニズムを想定し,それとの比較において現        2) 実の制度を評価する必要がある」とされ,高度成長の初期段階においては, 重化学工業化の将来は明らかではなく,したがって,郵便貯金など財投の原 資にかかわる制度が存在しなかったならば,あるいは投資決定が完全に民間 主体にまかされていたならば,「短期的収益基準が重視され,流通業などに資        3) 金が流れた可能性」が強く,こうした観点からすると,「財政投融資は,日本        4) の産業構造を規定する上で重要な役割を果たした」といえるし,さらに高度 2)野口悠紀雄「財政投融資と日本経済」(宇沢弘文編『日本経済一貯蓄と成長の軌跡一』 (東京大学出版会,1989年)所収,222頁。 3)4)5)同上,224頁。

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10  彦根論叢 第269号 成長後期の財政投融資についても,仮にかような制度がなかったとすれば, 「住宅金融や中小企業金融などへの資金供給は,不十分なままに放置されて       5) いたであろうし,また,社会資本の整備も進まなかった可能性がある」とさ れている。またわが国においては公共事業の財源として,一般会計による公 共投資とともに財政投融資が活用されてきたが,この場合前者のみに依存す るならば,予算決定過程の実態を考えると,政治的決定による非効率的な支 出が行われた可能性もあり,「財政投融資は,収益性と公共性の両者を勘案す ることにより,効率的な社会開発政策を実現した手段であったとの評価が可     5) 能であろう」とされている。同氏の所説は公的金融システムあるいはそれと 密接な関係をもつ財投についての適切な評価であると思われる。  高度成長時代大銀行が専ら大企業目あての融資に狂奔し,国民は単なる貯 蓄主体程度の扱いを受けていた当時,郵貯が定額貯金のような相対的に有利 な貯蓄手段を提供し,銀行と拮抗,競争しつつ国民大衆のための貯蓄機関と して信頼されてきたことは評価されてよいし,郵貯が利潤追求を第一義とせ ず,広く国民の貯蓄習慣の育成に資するとともに,財投の主要原資として公 共部門の資金需要にこたえ,国民生活の安定や福祉の向上に寄与してきたこ        6) とも重要な経過であったと言わなければならない。  榊原英資氏は日本の間接金融が西ドイツなどと異り,民間の大銀行によっ て支配されることなく,郵貯のほか農協,相銀,信金,労金といった中小金 融機関の存在が大きな役割を果してきており,これら機関と都市・地方銀行 とを構成要素とする“日本型間接金融レジーム”が維持されてきたことを重 視し,特に「郵貯・農協と民間金融機関の資金調達における拮抗・競合関係 は,この分野における大金融機関による寡占的支配を不可能とし,政府の規 制の枠内での厳しい競争を引き起こし」てきたし,また「郵貯・農協の規模 の大きさとあいまって,この競争は所得分配の比較的公平な中産階級社会日        7) 本での高貯蓄の一つの要因になったと考えられる」とされている。 6)佐々木弘「郵貯民営化の必要性を考える」(『月刊・金融ジャーナル』1986年4月号) 所収参照。 7)榊原英資,前掲書,30頁。

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日本の公的金融システム   11 IV 農業および中小企業と財政投融資  すでに指摘してきたように,わが国においては,第二次大戦前から地方自 治体や産業組合等が,事業実施主体として重要な役割を果しており,これが 公的セクターの特色の一つとなっていた。かような特色は戦後においても持 続し,地方自治体や農協のみならず,中小企業関連の各種組合や団体等にお いても,事業実施主体としての性格を具備するものが増加してきている。こ こではとくに農業部門と財投との関連を,主として農業基盤整備事業につい て取り上げ,さらに中小企業金融の新動向と財投との関連についてみておき たい。  中小企業や農業においては,高度成長期におけるわが国経済の構造的な変 動過程において,補助金や政策金融との関連を深めていくこととなった。中 小企業や農業ではこの時期に,産業構造調整のための近代化政策や構造改善 事業が推進されることになり,補助金支出や政策金融の強化,拡大がもたら されたのである。  第2次大戦後のわが国の農業金融は,民間金融機関と組合系統金融機関お よび政府金融機関によって行われてきたが,農業関係貸出においてとくに重 要な地位を占めてきたのが,農協・信農連,農林中金によって構成される系 統金融機関であった。しかし第二次大戦後農林漁業金融公庫が設立され,各 種制度資金が導入されることにより,政策金融の役割が次第に高められてい くこととなった。農林公庫は昭和28年目設立された政府金融機関であるが, 昭和36年目らの農業基本法農政の展開を背景に,構造改善事業の推進や,自 立経営農家の育成等のために,長期投資,大型投資を助成する貸付事業が拡 大されることとなった。農業政策融資としては財投資金を原資とする農林公 庫資金や農業改良資金の外に,系統資金など民間資金を原資としながら,利 子補給などの形態での財政援助が行われる農業近代化資金,天災資金,畜産 特別資金などが主要なものとしてあげられるが,農林公庫は政策融資の最も重 要な機関として位置づけられてきた。農林公庫の農業関係貸付においては,

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12  彦根論叢 第269号 「農業基盤整備資金」が圧倒的に多く,平成元年3月末現在農業関係貸付残 高の59.2%を占めていた。  ところで農業部門においては後述の中小企業の場合と異り,第二次大戦後 の農林漁業に関する重要施策の多くが,国庫補助金と財政投融資との組み合 せによって推進されていることが特色となっている。この点を農業基盤整備 事業についてみておきたい。  最近における農林水産関係予算は,昭和56年度から平成2年度に至るまで マイナス・シーりングを重ねてきたが,この間食糧管理費の大幅削減が持続 し,代って公共事業関係費の農林予算に占める比率が高められ,平成2年度 当初予算では総額(3兆1,221億円)の52.0%(1兆6,219億円)を占めるに 至っている。この公共関係事業費には,農業基盤整備費,造林事業費,林道 事業費,漁港整備事業費などが含まれるが,このうちとくに農業基盤整備費 のウエイトが高く,平成2年度予算では総:額1兆264億円,農林関係公共事業 費の63.3%を占めていた。国の公共事業関係費に占める割合も,昭和40年代 前半までおおむね13%前後で推移し,その後若干の変動はあったが,平成元 年,2年度とも13.8%となっている。  農業基盤整備事業は(1)土地改良事業,(2)農用地開発事業,(3)特定地域農業 開発事業に区分されるが,事業総額中土地改良事業が全体の8割強に達し, 圧倒的に大きなウエイトを占めている。わが国においてはすでに明治32年に 耕地整理法が制定され,土地改良・耕地整理事業などが進められてきたが, 昭和24年新たに土地改良法が制定され,同法にもとつく土地改良事業に関す る一元的制度の確立により,農業基盤整備事業は農業政策の重要な対象とさ れてきた。かような事業が政府補助金とくに資本補助金の対象とされてきた のは,畑作・畜産が中心の西欧農業に比べて,日本の稲作農業が,灌慨・排 水工事などでより多くの投資を必要とすること,小規模経営の多い日本農業 においては,比較的小規模な土地改良事業でも多数の農家が影響を受け,い わゆる外部効果が発生するために土地改良が公共財化しがちであったことが     1) あげられる。 1>速水佑次郎『農業経済論』(岩波書店,1986年)174∼5頁参照。

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       日本の公的金融システム  13  農業基盤整備事業に対しては,一般会計や特別会計からの支出以外に,財 政投融資計画による支出が大きい。平成2年度予算では一般会計から8,696億 円,産投特会から1,568億円が事業費として支出されたほか,財投対象機関で ある国営土地改良事業特別会計,および農用地整備公団から合計1,370億円の 資金供給が行われ,さらに農林漁業金融公庫の農業基盤整備資金の貸付残高 は,平成元年3月末現在3兆941億円に達していた。  前述のように平成2年度の農業基盤整備費(一般会計)は8,696億円であっ たが,うち補助金等予算額は6,360億円で,予算総額の73.1%に達していた。 すなわち事業の主要部分が補助金等によってまかなわれていることがうかが われる。事業費については,国,都道府県,受益農家等により分担され,例 えば国の負担60%,残り40%のうち都道府県分が20%,受益農家が20%を負 担する場合,都道府県負担分と受益者負担分について,財投資金の借入れを 行うといったケースが多い。農林公庫の貸付残高の構成比において,農業基 盤整備費が6割近くに達している事実にも示されるように,財投機関による 融資も補助金と密接な関係を有していることがうかがわれる。  中小企業関係の政府金融機関も第二次大戦後相ついで設立されているが, 中小企業金融公庫,国民金融公庫に,商工組合中央金庫を含めた政府系中小 三機関と,昭和42年に設立された中小企業振興事業団(現,中小企業事業団) とが,政策金融の面で重要な役割を果している。  中小企業の政策金融においても,高度成長の過程で質的補完の必要性が高 められ,各種の貸付制度が導入されることとなった。中小公庫,国民公庫と も創設時においては一般貸付が圧倒的に多かったが,昭和38年中小企業基本 法が制定され,同法に掲げる政策目標を実現するために,同年中小企業近代 化促進法および中小企業近代化資金助成法が制定され,これを機に特別貸付        2) が次第に増加していくこととなった。特別貸付は一般貸付に比し低利の融資 2)特別貸付制度は,「地域振興,中小企業の近代化,構造改善,公害防止,産業安全等, 一定の政策目的に沿った投資を促進するため」の制度であるが,「その対象となる投資が 直接収益に結びつかないことや,懐妊期間の長いこと等から,貸付条件面で特に配慮し ている」制度である。(佐藤謙他編『図説・財政投融資』平成2年版,東洋経済新報社, 51∼52頁)

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14  彦根論叢 第269号 であり,それだけ政策融資としての性格をより強くもつものであった。主要 なものとして,中小企業近代化促進等貸付(昭和40年),流通近代化等貸付(43 年),中小企業構造改善等貸付(44年),下請中小企業対策貸付(46年)など があり,他にも多くの特別貸付制度が導入されることとなった。昭和47年度 において,中小公庫の総貸付額に占める特別貸付の割合は16.7%となってい た。なお昭和48年度には国民公庫の貸付制度として,小規模企業の経営改善 に資するために,小企業等経営改善資金貸付が設けられている。これは特別 貸付制度の一種として設けられたもので,金融制度としてはきわめて異例の 無担保,無利子の貸付制度となっている。  中小企業近代化資金助成法にもとつく中小企業高度化資金は,昭和42年8 月設立された中小企業振興事業団により継承され,都道府県との協力のもと に維持されている。(中小企業振興事業団は昭和55年に中小企業共済事業団と 統合,中小企業事業団となっている)。この事業団の事業のうち,財政投融資の 対象となっているのは,事業の共同化,集団化などの高度化事業に対する資 金供給である。同事業団の貸付は政策効果をあげるため極めて低利となって おり,特別のものについては無利子となっている。なお事業団に対しては, 財政投融資のほか,都道府県負担,一般会計出資が一定割合で投入されてい る。  前述のように中小企業関係の政策金融は,年を追うて整備されてきたが, 近年経済構造調整や地域活性化のための融資制度が相ついで創設ないし拡充 されてきたことが注目される。わが国経済は為替レートの変動や技術革新な どを背景に構造調整が進行し,多年の懸案であった経常収支の黒字削減も急 速な進展をみせている。前述のような経済構造の変化は,地域経済に対して も多様な影響を及ぼしてきた。昭和50年代までに縮小した東京圏と地方との 所得格差が再び拡大し,地域が取り組んできた内発的な地域経済の自立化戦 略を弱める可能性も生まれてきた。対外的な不均衡の是正という,外部的要 因と結びつく産業構造の変化が,他面において内部的な不均衡すなわち地 3)日銀金融研究所編,前掲書,399頁。

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      日本の公的金融システム   15 域間の不均衡を拡大させる要因として作用することとなったのである。かよ うな動向を背景に東京への一極集中の抑制や,地方圏への人口の分散,地域 の活性化が重要な政治課題となってきた。政府系金融機関による経済構造調 整や地域活性化のための貸付制度の急激な拡充は,前述のようなわが国経済 の動向や政治課題を反映するものであった。同時に行財政改革の進むなかで, 静観を余儀なくされてきた中央省庁の,新しい事業への進出の執念,権限拡 張への意欲を示すものであったといえよう。  政府金融機関における貸付制度の変化を,中小企業金融公庫についてみる と,昭和50年度当時,特別貸付として中小企業近代化促進貸付,構造改善貸 付,公害防止貸付など16制度がおかれていたが,平成元年度においては19制 度に増加している。すなわち昭和60年代に入り,国際経済調整対策貸付,地 域産業振興貸付,地域中小企業活性化貸付(ふるさと創造企業育成融資)の 3貸付制度が設けられている。これらは地域における雇用の安定や産業構造 調整の円滑な推進のために導入されたものである、  前掲『(新版)わが国の金融制度』によれば,「政府金融機関のうち,銀行 が主として大企業を融資対象とし,民間の金融機関に比較的近い性格を持つ のに対し,公庫は中小企業,農業,住宅建設,庶民金融などを融資対象とし,       ヨ  社会政策的色彩をより強く帯びている」と記されているが,財投対象機関で ある政府金融機関においても,このような機能分担が行われ,中小企業や農 業等についても十分な配慮がなされてきたことも,日本の経済システムの特 色であったといえよう。 V 公的金融システムの動向と課題  昭和50年代に入り財政投融資をめぐる環境にも大きな変化がみられるよう になってきた。金融緩和の中で政府系金融機関への資金需要が停滞し,財投 期問の使い残し(不用額・繰り越し額)の増加など,その重要な動向であっ た。  この時期から公的金融にかかわる論議がかわされるようになったが,当時

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16  彦根論叢第269号 『日本経済新聞』等を通じ積極的な発言を続けてきたのが松田修氏であった。 政府金融機関をめぐる問題に関する同氏の所見を取り上げておきたい。  松田氏は,高度成長期に政策金融が産業構造の高度化や輸出競争力の強化, 産業基盤の整備などに大きな政策誘導効果を発揮してきたことを認めながら, 最:近における問題として,政府金融が金融・資本市場の自由化や,財政再建 の課題など,環境条件の変化とともに,その抱える矛盾が次第に目立つよう になってきたことを指摘する。例えば金融市場における金利競争が激化し, 長・中・短期金利が構造的に接近しはじめてきた。かつて政策金融は,民間 よりも相対的に低い金利で長期の資金を調達し,それによる低利融資により, 質的補完を行いえた。しかし昭和52年頃から,資金運用部への郵貯の預託金 利,すなわち政府金融機関にとっての調達コストと,長期金利との利ざや縮 小が進み,政策金融の低金利といううま味がうすれ,政策金融による質的補 完の余地を狭めることとなった。このため民間企業は民間金融機関や資本市 場から,より低利の資金調達をはかり,政府金融機関の使い残りが目立つよ うになったことが指摘され,さらに原資の調達コストが割高になったにもか かわらず,政府が制度変更を避けるため,割高となった郵貯や年金資金を使 って財投の運営を続けており,ために政府金融機関の経営悪化がもたらされ, これら財投機関のいくつかは経営維持のため,一般会計などからの出資や補       1) 助金に依存する傾向を強めてきたことが指摘されている。  わが国においては,昭和40年代半ばまで資金コスト抑制のための低金利政 策が推進され,預金金利の低金利規制の中で,郵貯の資金運用部への預託金 利も低水準に維持されてきた。野ロ悠紀雄氏は,「長期プライム・レートと運 用部貸付金利の差は,30年度のはじめには5%,30年代前半3%,30年半後        2) 半から40年代にかけて2%であった」とされ,かような金利差が政策金融を 可能ならしめてきたとし,さらに資金運用部資金が政策金融たりえた理由と して,郵貯金利が低く抑えられていたこととともに,民間金融機関において 1)松田修『金融自由化の日本経済』(中央経済社,1986年)90∼99頁参照。 2)野口悠紀雄『試論・行財政改革』(PHP研究所,1981年)121頁。

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      日本の公的金融システム  17 も金利が固定され,限界的な金融機関の経営が成立するような,いわゆる「護 送船団方式」が維持され,金融機関に超過利潤が存在していたことをあげて いる。先に述べたように,昭和55年以降の金利の長期低下局面において市中 貸出金利が長期プライム・レートをかなり下回ることとなった。かような状 況下において,政策金融の低金利という民間に対する有利性は期待できず, 利子補給を行なわない限り,政策金融の補完機能は損なわれることとなつ      3) たのである。  政府金融機関の融資のうち政策的見地から低い金利で貸付けを行なう必要 がある場合には,従来から出資や利子補給が行われてきたが,とくに近年前述 のような動向を背景に,特定の政府金融機関に対する一般会計からの出資金 や補給金が増大してきている。補給金がとくに多いのは住宅金融公庫と農林 漁業金融公庫である。昭和63年度実績で住宅公庫3,440億円,農林公庫1,441 億円となっていた。これら機関に対する利子補給は,納税者の負担において なされている。いいかえれば近年における政策金融は前述のような意味で“隠       1 れた補助金”としての性格を強めてきたのである。  昭和50年代から,財投の原資調達の面にも重要な動向が生じている。財投 は原資の大部分を資金運用部資金に依存している。その運用部資金の主役は 郵便貯金であり,平成元年度末現在資金運用部資金残高230.1兆円,うち郵便 貯金が57.1%すなわち6割弱を占め,厚生年金,国民年金が合わせてて30.6 %,その他12.3%となっている。郵便貯金は全額資金運用部(大蔵省理財局 所管)に預託され,その資金が財政投融資として財投対象機関に供給される。 戦前そして戦後において,郵便貯金制度や簡保資金制度の存在こそ,財政投 資制度を支える基盤であった。  郵便貯金は昭和40年代後半には残高の伸びが25%を超える勢いで増加して きたが,50年代に入り伸び率は徐々に低下し,近年は数%程度の伸びにとど まっている。郵貯の増勢を支えてきた要因として,税制上の諸特典や定額貯 金の有利性などが指摘されるのが一般であるが,何といっても半年複利で最 3)同上,121∼30頁参照。

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18  彦根論叢 第269号 高10年間の預入れができる定額貯金の存在が,預金者の金利選好の高まりや, 投資期間の長期化といった資産選択の面での変化と相まって,郵貯の増大を もたらす最大の理由をなしていた。郵便貯金の残高は平成2年3月末現在133 兆円に達しているが,貯金残高の中には満期の到来しない貯金の利子が含ま れており,この利子分(元加利子)を差し引いた貯金の純増高額は,昭和56       4) 年頃から急速に低下してきている。低金利時代に移行して定額貯金の競争力 が低下してきたこととともに,50年代後半期から民間側においても,期日指 定定期預金や中国ファンド,ビッグ,ワイド,一時払い養i老,あるいはMM Cなど,高利廻り商品が相ついで開発され,郵貯の増勢に歯どめをかける要 因となってきた。郵貯資金の動向とともに,年金積立金の行方も注目される ところであるが,被保険者数に対する年金受給者数の割合が高くなるに伴い, これまでのような資金の安定的な増加が期待できなくなる。  財投の動向に対しさらに影響を及ぼしてきているものに,郵便貯金の自主 運用があげられる。郵政省にとって郵貯資金の自主運用は年来の願望であっ たが,昭和62年度に預託金の中から2兆円を運用し,その後自主運用ワクは段 階的に拡大されていくこととなった。「自主運用が大幅に拡大すれば,官業と        5) しての郵貯の性格はなし崩し的に変化せざるをえない」し,さらに「自主運 用の拡大は,財投→政府関係機関の縮小につながり,日本のマネーフローの       6) 4分の1を占める巨大な「公的金融体制」も,見直しを迫られる」こととな ろう。  前述のよう公的金融システムにかかわる環境変化の過程で,あるいは日本 経済の国際化,規制緩和,金利自由化等のうねりの中で,公的金融の制度改 革についても多くの論議が提示され,改めて公的金融システムのあり方が問 われることとなった。以下政策金融についてとり上げておきたい。  館龍一郎氏は政策金融の目的は,おおよそ次の二つに要約できるように思 われるとし,第1に,「市場の失敗」に典型的に示されるような,民間の信用 4)東洋経済『金融ビジネス』(昭和63年6月1日号)参照。 5),6)同上。

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       日本の公的金融システム  19 制度では,社会的に望ましいと考えられる水準の資金供給が行なわれ難 い分野に対し信用を提供すること,すなわち民間に委せておいたのでは, 不当に高い金利を支払わされ,しかも十分な資金の供給が得られない分野に 対して,政府が直接信用を提供することであるとしている。いうまでもなく 「市場の失敗」とは,市場機構によって資源の適正配分が不可能であるか, 可能であるとしても著しく困難な場合を意味しており,外部効果の存在,公 共財的側面,規模の経済,リスクが大きく民間ではその負担に耐えない場合 などがあげられ,かような場合に公共部門による金融事業への介入が認めら れるのであり,従来から政策金融の目的の第1にあげられるのがこのケース であった。  第2に,ある政策目的を達成するために,政府が特定の分野への資金の誘 導を行なう場合である。例えば住宅建設や,輸出・輸入促進のために資金を 融通する場合などである。華氏はこの第2の目的について付言し,このよう な政策は一時的にはともかく,長期的にも成功するか否かは別箇の問題であ るとし,さらに社会情勢の変化に応じて政策目的の重要性も変化するので, 目的や効果についてはたえず見直しを行なう必要があるとされている。同氏 はさらに政策金融の今後のあり方にふれ,政策金融は原則として,民聞金融 の補完にとどまるべきだということを確立することが必要であり,今後にお いては直接貸付形式よりも,民間金融に対する干渉の少ない,保証や保険と いう形で,民間金融の欠陥を補完する方向を目指すことが望ましいとされて  7) いる。政策金融の目的としてほぼ妥当な所見と考えられる。  今後の政策金融の対象としては,将来の成長,発展は見込みうるものの, リスクが大きく,投資の懐妊期間の長い事業への融資や,先端技術の開発な どへの融資を重視していくことが必要であろう。中小企業などでも高いレベ ルでの技術を蓄積し,技術開発能力が高いにもかかわらず,信用・担保力の 面でのリスクが大きく,民間金融機関からの資金調達が困難であるような場 合には,同様に政府金融機関からの資金供給が行われることが望ましい。 7)館龍一郎『金融再編成の視点』(東洋経済新報社,1985年)136∼141頁参照。

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20  彦根論叢 第269号  これまでの政策金融の重点は,いわゆる生産者におかれており,消費者, 生活者に対する配慮が欠落しがちであった。土地問題や地価対策,住宅問題 などの,絶望的なまでの立ち遅れも,政治姿勢におけるかような側面への欠 落によるものであった。良質の賃貸住宅の建設のために,国や地方自治体の 援助のもとに,政府金融機関の資金供給を行なうことなど,今後の重要な課 題となるであろう。  今後の政策金融のあり方が問題とされる場合,とりわけ中小企業や農業に かかわる政策金融について考慮しなければならない問題が多いと思われる。  既述のように大企業の場合には高度成長の過程において,政府による助成 制度への依存は急速に低下していくこととなったが,中小企業や農業におい てはこの時期から補助金や政策金融との関連を深めていくこととなった。政 府金融機関による貸付けは,特定の政策目的を達成するために行われるもの であり,その意味で資金の借り手に対し規制が加えられることとなり,政策 金融による誘導は,市場における自由な経済活動に制約を及ぼすことになる。 この種の政府介入も,それが過度にわたる時には,「政府規制と並んで,企業       8) の自己責任の原則に反し,自由かつ公正な競争を歪めるもの」となるのであ る。中小企業政策や農業政策においては,制度融資が重要な役割を果してい るだけに,これら融資のもつ機能について十分に吟味をしてみる必要があろ う。いわゆるバラマキ行政に堕することを,極力排除していかねばならな い。  周知のようにわが国においては中央集権的に行政機構が確立されており, 財政を通ずる資金の配分も補助金等と同様に,いわゆる「タテ割り行政」と 密接な関係をもっており,中央省庁から都道府県へ,さらに市町村へという タテの系列関係を反映している場合が少くない。しかも中央省庁内部の部局 間のセクショナリズムが,そのまま都道府県の行政組織にも反映されること となり,補助金や制度融資の配分に,重複や競合を生み,結果的に資金の効 率的な利用をさまたげる要因となる。 8)上野裕也『競争と規制一現代の産業組織一』(東洋経済新報社,1987年)48頁。

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       日本の公的金融システム  21  猪口孝・岩井奉信『族議員の研究』によれば,かようなタテ割り行政によ り,「ひとつの政策にいくつもの官庁がかかわってくる」場合には,「政策の 『ナワバリ』をめぐって,官僚制内部の対立が激化すること」になり,わが 国ではこの傾向が,やがて「族議員」の台頭にも連がるものであったことが       9) 下記のように指摘されている。  「たしかに官僚制はひとつの省庁内部では『上意下達』の強力な組織を有 し,調整能力も高い。しかし他の省庁との関係となると話は違ってくる。実 のところ,官僚制は官僚制相互の利益調整のための強力な機関をそれ自体が 持たず,その権限もないため,官僚制相互の間に利害の対立が起きた場合, 著しく調整能力に欠けるという弱点を持っているのである。通産省と郵政省 や郵政省と大蔵省の対立が『百年戦争』と評されるのは,並例する官庁間の 利益調整を行なう官僚制内部の明確な権力が欠如していることを如実に物語 っている。このような本来的に官僚制が持つ弱点が,経済成長のスローダウ ンとともに露呈したのである。その結果,それぞれの官庁は自己の利益の実 現を求めて,制度的に官僚制の上位に位置する与党・自民党にその調整のゲ       10) タを預けざるを得なくなり,族現象を助長することになったのである」と。  官僚機構が民間企業と異なる点は,市場によってその成果が評価されえな いことであり,官僚機構内部の各省庁,部局の成果基準はそれぞれの左右し うる予算規模や,民間部門への介入の余地の拡大におかれており,したがっ       11) て官僚にとっては,予算の増大や権限拡大が重大な関心事となるのである。  わが国においては,とりわけ農業部門において,保護主義的な諸施策が推 進されてきたのであるが,かような動向は行政機関と農家あるいは農業団体 などとの間に,独自の対応関係を強化し,拡充させることになった。農家や 農業団体の意識や行動の中に,政府による規制を通じ,競争市場から保護さ れ,あるいは市場システムとは別の領域で存続することを期待し,希求する 9)猪口孝・岩井奉信『族議員の研究』(日本経済新聞社,1987年)22頁。 10)同上。 11)貝塚啓明「金融における官業と民業」(『季刊・現代経済』第45号)参照。

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22  彦根論叢 第269号 傾向を助長し,いわゆる「族議員」らの仲介的機能と相まって農水省を中心 とする官僚機構と,農家や農業団体との間に,「相互補強型構造」を維持し強          12) 化させることとなった。かような構造を生み出す上で,補助金や制度融資の 役割は大きかったといえよう。後進的な産業部門に対する政策はもとより重 要な意味をもつものであり,今後も政策金融の対象領域として維持されるこ とは必要である。しかし反面においてそれが補助金と変わらぬほどの条件で の,保護主義的な助成手段としての意味をもつ場合には,資金の借り手にお ける自立心の向上をはばみ,政府や地方公共団体の助成を当然とするような 考え方を助長する点が問題となるのである。

VI結  び

 第一次大戦後とくに/930年代の不況期を通じ,わが国においても他の先 進資本主義国家と同様に,公的セクターの比重が高められることとなったが, 日本においてはこの過程において公的金融システムの役割が増大し,いわゆ る“日本型市場経済体制”の重要な制度的な仕組みあるいは機構として活用 されることとなった。大不況期の“日本型市場経済体制”下にあって,公的 セクターの重要な機能としての金融業務や公共事業に深い関係を有してきた のは,郵便貯金資金や簡保資金を支えとする大蔵省預金部資金であった。「時 局匡救事業」は当時の公的セクターの機能の重要な一側面を示すものであり, 第二次大戦後の農業政策や地域開発事業にも大きな影響を及ぼすものであっ た。  第二次大戦後のわが国経済社会の大変革の過程で,旧特殊銀行の廃止や大 蔵省預金部の資金運用部への転換など,戦前の公的金融システムは大幅な変 貌をとげることとなった。しかしこの間大蔵省による政府資金の統合運用と いう骨格は一貫して維持され,戦後においては資金運用部資金法の制定によ り,一段と強化されることとなった。財投制度は戦後新たな制度・機構とし て確立され,定着してきたのである。 12)竹内靖雄「日本の活路・脱く士農体制〉』(「THIS IS』11987年8月号所収)参照。

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      日本の公的金融システム  23  かつて橋口収氏(大蔵省官僚として主計局長をつとめ,初代国土庁事務次 官を歴任)は,その著書において“財政投融資計画の効用”にふれ,「国民の 自発的貯蓄として貯蓄された資金を,政府が法律の規定に従い,統一原理に 従って一元的に管理していることの意義と,その国民経済的利点とをいっそ       1) う正しく評価しなければならない」と記している。同氏は財政投融資計画の メリットとして,日本の財政は,財投計画と表裏一体の活動をなすことによ り,その柔軟1生を保持してきた事実を指摘し,「資金運用部資金,ことにその 主たる源泉をなす郵貯資金が強制貯蓄としての性格をもたないことや,まか りまちがってもインフレ・マネーとして作用する心配をもたないことが,財 政政策や金融政策との協調を容易ならしめているし,また,価値あらしめて   2) いる」とされ,「日本財政の弾力性を支えうるのは資金運用部資金であるとい っても過言ではないし,日本財政のもつ最大のメリットは,資金運用部資金        3) を有することであるといってもいい」と記されている。ここに示される所見 はこれまで財投批判などが提起されるたびに,大蔵省側からの反論として提 示されてきたものと基本的に変わらない。  資金運用部資金の統合管理と,財投計画にもとつく一元的運用とは,資金 の効率的運用という面において意味をもち,また財政の弾力的運営という点 でも効果を発揮してきたことは否定できない。問題はわが国の経済社会をめ ぐる環境が急激な変貌を重ね,対外的には国際協調型の経済への転換が急務 とされている時代に,財政投融資や政策金融がこれまでのような形で維持さ .れていくことが妥当であるかどうかということである。財投制度そのものは 制度の歴史的経過からも明かなように,基本的に追いつけ追いこせ型の発展 段階に対応する経済システムに外ならない。そのために,資金の運用の面で もしばしば国内的な諸聞題への対応が重視されたり,あるいは生産者サイド に重点がおかれる傾向をもたらしてきた。さらに財投制度の欠陥が指摘され, 1)橋口収『新財政事情』(サイマル出版会,1977年)129頁。 2)同上,130頁 3)同上,131頁。

(24)

24  彦根論叢 第269号 とくに財投対象機関にかかわる特殊法人問題などに厳しい批判がなされても, 官僚制自体に調整機能を期待できない以上,財投対象機関の統廃合など現実 にはきわめて困難である。日本の政治経済システムはいま,国際化の波の中 で根本的な問い直しを迫られている。  榊原氏のいうように,「大企業が早い時期から国際摩擦に直面し,外国との 競争によって変革を余儀なくされてきたのに対し,公的セクターはどちらか というと閉鎖的システムの中で,政治的制度を成熟させ,参加を拡大してき  4) た」のであるが,今後の課題としては,制度改革の目的を明確にし,「国際化       ら  ・自由化のプロセスの中でも十分生き残れる公的セクター」としてのあり方 が検討され,制度改革に向けて継続的な努力が必要とされるのである。 4)榊原英資,前掲書,192頁。 5)同上,194頁。

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