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監査に対するゲーム理論応用の試み(清水哲雄教授退官記念論文集)

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監査に対するゲーム理論応用の試み

酒 居

1伝統的監査アプローチに対する批判 II真実把握のために必要な行動とは? III戦略的形式での監査人対被監査者ゲーム IV 利得計算の構成要素 V 監査人の利得計算についての吟味 VI被監査者の利得計算についての吟味 VII まとめ 1 伝統的監査アプローチに対する批判  管理会計の分野においては,これまで代表的技法とされてきた標準原価計算        1> や直接原価計算が批判の矢面に立たされているとのことであるが,監査の分野 においてもこれと同様な動きを認めることができる。監査の戦略に関する近年 の一連の論文中にその動向を読みとることができるであろう。J. C. Felling− ham&D. P. Newmanはこのような伝統的監査法に対する代表的な批判論者 と目されてよい人々であるが,その批判の根拠は伝統的監査法のもたらす結果 の不正確性におかれていると理解することができる。他の諸科学とりわけ精密 科学においては致命的と看倣されるにちがいないこの一大難点についてJ.C. Fellingham&D. P. Newmanが言及しているところに耳を傾けてみよう。す なわち,これまでの代表的監査法に対するこれら批判論者の不満は以下のよう 1)廣本敏郎,「戦略的管理会計の構築」『JICAPジャーナル』, July 1994,44−49頁。

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に述べられている。  「決定理論アプローチ(とよばれる代表的監査法)のもとでは,監査によっ て被監査者の行動に影響が及ぶということ,そして,このことによってまた監        2) 査計画に影響が及ぶという監査人の認識している事実が拒否されている。」  J.C. Fellingham&D. P. Newmanは,さらに,代表的監査法に対する批判 の正当性を補強するために,以下の如く,M. Dresher&S. Moglewerの論文 の一節を引用している。  「しばしば,標本は競争的な環境のもとで得られる。すなわち,標本あるい は母集団,もしくは,その双方がある目的を達成するためにいじくられてきて いると言えることがある。さらに,どの程度までいじくられているのか何もわ かっていない。………。このような場合,標本をとる者は,標本あるいは母集 団がいじくられている可能性からのみならず,サンプリング上の誤謬がこのい じくりを隠蔽するための手段として用いられている可能性からも自分自身を守 らなければならない。競争的な環境のもとで行われるサンプリングに対しては 古典的統計学の仮説にもとつく試査はあてはまらない。このような試査は,確 率的な状況すなわち不確実性とはすべて偶然に帰せられるべきものであり,そ こには故意のいじくりなど存在しないということだけを仮定しているからであ3︶ る。」  筆者としては,上記二個の引用文に述べられているところが本当に監査専門        4) 家の理解しているところであるのかと驚かざるを得ないけれども,J. C. Fell− ingham&D. P. NewmanおよびM。 Dresher&S. Moglewerにとっては,真 実このように批判せざるを得ないのであろう。ゲーム理論の応用は,このよう 2) J.C. Fellingham & D. P. Newman, “Strategic Cansiderations in Auditing,” The  Accounting Review, October 1985, p.635.()内:筆i者補充。 3) M. Dresher & S. Moglewer, “Statistical Acceptance Sampling in a Competitive  Environment,” Ciperations Research, May−June 1980, p. 503. (J. C. Fellingham & D. P.  Newman前掲論文635頁において引用。) 4)ドル単位サンプリング法はM.Dresher&S. Moglewerが心配している事態に十分対  片したものである。(参照,拙稿,「予言の見地からする監査知識の吟味(7トードル単位サ  ンプリング法に対する批判とその吟味  」,彦根論叢 第248号,昭和63年1月,15−34頁。)

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      監査に対するゲーム理論応用の試み  175 な批判をふまえて,これまでの代表的監査法に代替すべきものとして提案され てきた。 II 真実把握のために必要な行動とは?  J.C. Fellingham&D. P. Newmanが次のように言うとき,その主張を完全 に正しいものと認めることはできないであろう。  「伝統的な(監査法である)1人決定理論は,被監査者に対する監査の影響 を考慮しないことのために,監査危険の程度を見積るうえでしばしば誤りを犯    5) してきた。」  「準拠性テスト」という概念は,アメリカ公認会計士協会監査基準書第55号 において「統制についてのテスト」という概念にとって代わられ,消去される        6) ことになったものではあるが,その目的について記した同監査手続書第54号の 中に次のような文言を見出すことができるであろう。すなわち,“合理的といえ る程度の保証”とは,監査上の判断の問題であるけれども,  「どのような性質の準拠性テストを,どのようなタイミングで,どのような 範囲にわたって実施したかということ,および,その結果はどのようなもので        7) あったかということによって決まる。」  この引用文中に示されている「どのようなタイミングで」は明らかに,被監 査者に対する監査の影響を考慮し,本当の姿,真実な有体を把握しようとした ものに他ならない。  このようなことは当然承知しているであろうJ.C. Fellingham&D. P. New− manが上記引用文によって言わんとしたところは,すると,別のところにある にちがいない。それは詳細な情報の収集にかかわるものであると理解してよい であろう。J. C. Fellingham&D. P. Newmanは実に数多くの仮定を設定し 5)J.C. Fellingham&D. P. Newman,(1ρ. cit., p.636.()内:筆者補充。 6)拙稿,「米国監査基準書第55号の意義と問題点」,彦根論叢 第282号。平成5年5月,11 −12頁。 7)AICPA, SAP No.54. Paragraph 60,拙稿「予言の見地からする監査知識の吟味(3)一 一準拠性テストにおける内部統制の役割  」彦根論叢第 230.号,昭和60年1月,34−35 頁。

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ているけれども,その中の以下の3個のもののうちから,このような読みとり をなすことができるであろう。  「第1の仮定,それは全競技者が相手の好みと利得(payoffs)について知っ ているというものである。第2の仮定,それは,監査人は監査手続A1かA2かを 選択する以前に,P(被監査者が更なる努力をするという選択をするときの誤 謬の条件付確率)およびq(被監査者がもうこれまで程の努力をしないときの 誤謬の条件付確率)の値を知っているというものである。第3の仮定,それは, 監査人も被監査者もモデルに関するすべてのパラメータに同意しており,互い        8) に他を理性的なものと見ているというものである。」  監査人と被監査者との関係がこれまで独立的であるべしとされてきたことは, 監査基準亀卜1号,AICPA専門家行動規範の原則および規則101等に照らし明     9> らかである。これらのものにおいて,監査人は被監査者が及ぼしてくるかもし れないあらゆる影響からも身を守るように,独立性に関して他者の誤解を招く ことのないよう形式面に関しても注意を払うよう求められている。それは丁度, 前記M.Dresher&S. Moglewerかちの引用文中に紹介されているような罪悪 との関わりを有する被監査者を想定してのことであるにちがいない。  ところが,被監査者についての詳細な情報を収集するためであるとはいえ, 監査人が被監査者とのゲームに参加しうるためには,少なくとも身分的に対等 とならなければならないことは明らかである。ゲームに参加しながら相和し興 じない,また,精神的独立性のみならず形式的独立性さえも完全に維持すると いうが如きことは到底想像し難いことと言ってよいであろう。JC. Felling− ham&D. P. Newmanが示している上記3個の仮定は,このような状態をは るかに越えて,監査人と被監査者との間のきわめて親密な関係を暗示するもの である。正に次の如き質問がJ.C. Fellingham&D. P. Newmanに対し発せら れなければならないであろう。 8)J.C. Fellingham&D. P. Newman, op. cit., p.638.()内:筆者補充。 9)加藤 厚,「米国における監査実務」,日本監査研究学会海外監査実務研究部会編「海外 監査実務』,第一法規出版㈱,平成6年2月。p.127.

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      監査に対するゲーム理論応用の試み  177  “被監査者に対する監査人の独立性に関し疑念をいだかせる程までに被監査 者についての情報を収集したうえでなければ,利害関係者を真に保護するため の監査は不可能なのであろうか?” III戦略的形式での監査人対被監査者ゲーム  先ず,J. C. Fellingham&D. P. Newmanが示している監査人対被監査者ゲ ームの概要を説明することにしよう。監査人の調査活動は,監査手続の拡張に 関していえば,これを「拡大する」と「拡大しない」とに区別することができ るから,前者「監査手続を拡大する」にA、,後者「監査手続を拡大しない」に A2なる記号を附すことにする。被監査者の行動も同様に,会計情報の処理に際 して払うべき努力水準に関して,「高水準の注意を払う」と「高水準の注意を払 わない」とに区別することができるから,前者に対してE、,後者に対してE2な る記号を附すことにする。被監査人の行動E、,E2は監査人の調i査活動A、, A2 をふまえたものでありうるし,逆もまた同様に成り立つと仮定することにしよ う。ただし,監査人が監査手続の拡張はしないという選択枝A2を採用している 場合には,被監査者の行動はE、であるのかE2であるのか監査人にとっても不 明であるということにする。また,Qは限定付監査意見の表明を, NQは無限定 監査意見の表明を表すものとする。すると,ゲーム相手の行動をも織り込んだ 行動選択枝(戦略)は,この場合,被監査者・監査人のおのおのについて以下       10) の如く識別することができるであろう。  被監査者の戦略   E1:会計情報の処理に際して高水準の注意を払うという選択   E2:会計情報の処理に際して高水準の注意を払わないという選択  監査人の戦略    (Al,Q,Q):監査手続を拡張する。しかし,被監査台が高水準の努力を払    っていようと払っていまいと監査意見は限定付のものとするという選択    (A1,Q,NQ):監査手続を拡張する。そして,被監査者が高水準の努力を 10) J. C. Fellingham & D. P. Newman, oP. cit., pp. 638−40.

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   払っているなら監査意見は限定付きのものとし,努力していなければ無    限定とするという選択   (Al,NQ,Q):監査手続を拡張する。そして被監査者が高水準の努力を払    っているなら,監査意見は無限定とし,高水準の努力を払っていないよ    うなら限定付きとするという選択   (A、,NQ,NQ):監査手続を拡張する。そして,被監査者が高水準の努力を    払っていようといまいと監査意見は無限定とするという選択   (A2,Q):監査手続を拡張することはしない。そして,被監査者が高水準の    努力を払っていようと,そうでなかろうと監査意見は限定付きとすると    いう選択   (A2,NQ):監…査手続を拡張することはしない。そして,被監査者が高水準    の努力を払っていようと,そうでなかろうと監査意見は無限定とすると    いう選択  上記おのおのの戦略の意味を吟味するとき,被監査者の戦略はさておき,監 査人の戦略の中には明らかに不合理なもののあることが知られるであろう。J. C.Fellingham&D. P. Newmanにおいても,上記6個の監査人の戦略が望ま しさにおいて同等なものでないことを認めている。ここに,J. C. Fellingham& D.P. Newmanにおいて,不要戦略の消去法として用いられている方法が戦略        11) 相互の利得比較計算であることは注意を要する。すなわち,(Al,Q,Q)と(A2, Q)の比較によって(A、,Q,Q)が,また,(A、,NQ,NQ)と(A2,NQ)の比較 によって(Al,NQ,NQ)が消去されている。利得比較計算の見地からする(Al, Q,NQ)の非優位性の証明は筆者に理解し難いものであるが,これも消去され, 今や,監査人の有する本当の戦略は(A1,NQ,Q),(A2,Q),(A、,NQ)の3個 であるとの結論が導き出されている。このような結論の中に,伝統的監査アプ ローチのもとでは到底認められそうもないような行動選択枝がすでに入り込ん でいることは必ずしも明らかでないであろう。 11) lbid., 648−49.

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監査に対するゲーム理論応用の試み  179 IV 利得計算の構成要素  ゲームに相対する当事者は必ず相手の手の内を完全に読み切ったうえでなけ れば駒を進めることはしないものであるのかどうか素人の筆者にはわからない。 しかしながら,勝負師とよばれる人の中には海水をすべてくみ出して海底を安 心して歩くことができる位に徹底的に先を読み切ることのできる人もいるのか もしれない。あらゆる場面を想定しての計算が勝負師の頭の中で働いているの であろう。J. C. Fellingham&D. P. Newmanの論文においては,正にこのよ うな利得計算が監査人・被監査者双方において行われているとの仮定のもとに, 計算の構成要素についての定義が示されている。以下に紹介する如く,監査人 対被監査者のゲームにおける利得計算:の構成要素は予期されるコストであり, 従って,監査人・被監査者双方にとって最も望ましい戦略は予期されるコスト       12) の総体(利得)最小化の戦略であることは注意を要する。 C、  重要性ある誤謬は存在していないのに監査人が限定付監査意見を表   明することに伴い,監査人に帰することが予期されるコスト C2  重要性ある誤謬が存在しているのに監査人が限定付監査意見を表明   していないことに伴い,監査人に帰することが予期されるコスト CA  監査上のテストを拡張することに伴い,監査人に帰する直接的コスト CH  被監査者がより多く努力することに伴い,被監査者に帰する直接的コ   スト CQ  監査人から限定付監査意見を付与されたことに伴い,被監査者に帰す   ることが予期されるコスト CEQ 重要性ある誤謬が存在し,これに対し監査人が限定付監査意見を表明   しているとき,被監査者に帰することが予期されるコスト CENQ 重要性ある誤謬が存在しているにもかかわらず限定付監査意見が表   明されていないとき,被監査者に帰することが予期されるコスト P  :被監査者が会計情報の処理に際し,高水準の注意を払うという戦略を 12) J. C. Fellingham & D. P. Newman, oP. cit., pp. 637−38.

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    採択した後に誤謬が残存している条件付確率  q  :被監査者が会計情報の処理に際し,高水準の注意を払わないという戦    略を採択した後に誤謬が残存している条件付確率 次の表は,これらの計算要素を用いて示される全6組の戦略組合せのおのお のについての利得計算がJ.C. Fellingham&D. P. Newmanにおいてどのよ うに考えられているか紹介するため両氏共同執筆の論文から引用したものであ 13) る。      縮小された戦略的形式で示した監査人対塁監査者のゲーム       被監査者の戦略 監 査 人 の 戦 略 *(監査人の利得,被監査者の利得) 出所J.C. Fellingham&D. P. Newman,“Strategic Consideratisns in Auditing,”The  Accounting Review vol. LX, N o. 4, p. 641. E1 E2

A、,NQ,Q (CA十ρC2,CH十ρCENQ)* (CA十(1−9)C、,CQ十(1CEQ)

A、,Q ((1−P)C1,CH十CQ十1)CEQ) ((1−q)C1 , CQ十(∼CE2)

A、,NQ (ρC、 ,カCE。Q) (αC2   ,   gCENQ)

V 監査人の利得計算についての吟味  命題1:被監査者の戦略がE、であることを見越したうえでの監査人の戦略 (Al,NQ,Q)によって生じる監査人の利得は(CA+PC,)である,について  ここで示されている事例は,被監査者の払ってきた努力のうちに盲点があり, 被監査者の内部統制組織をもって補足しえなかった誤謬・不正を監査人が勘定 残高について行うテスト(substantive tests)で発見し得なかったが故に監査人 は無限定意見を表明していたが,実は重要な誤謬が存在していた;このことの 故に監査人が負わなければならない責任は金額にしてC2である,という事例で ある。代表的監査技法としてのドル単位サンプリング法(前述J.C. Felling− ham&D. P. NewmanおよびM. Dresher&S. Moglewerが批判の対象とし ている古典的統計学の仮説を用いた属性サンプリング法)は,このC2を限りな 13) lbid., p.641,

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      監査に対するゲーム理論応用の試み  181        14) く0となるよう統制することのできるものであるが故に,筆者としてはこれを, したがってまた,PC2を利得として計上することは不要であると考える。古典的        15) 統計学が暗黙裡に立っている仮説(限界確率は均等である)を否認するか是認 するかの攻防は,結局,人が信頼を置くものは何であるかという人生観の相違 に帰着することであろう。本当に信頼することができるものは何であるかとい うことについての意見の相違,それは今の場合,人の話に信頼をおくか,それ とも,自分で実際に納得するまで調査したところに信頼をおくかの相違であり, 信頼できるのは,前者ということよりも,むしろ,後者であるということであ れば,それは古典的統計学の仮説を是認することに通じると考えることができ 16) る。  命題2;監査人は監査手続を拡張して監査対象を詳しく調査するということ をしていないが故に,被監査者の戦略がE、であるのかE2でるのか監査人には 不明であるが,それはE、であると仮定したとき,監査人の戦略(A2,Q)によっ て生ずる監査人の利得は〔(1−p)Cl〕である,について  このような場合について,監査人の認識している利得計算自体に異論をさし はさむ余地はないであろうけれども,C1はどのような大きさとして見積もられ るものであろうかということが重大関心事とならざるを得ない。一体ここに示 されているような事例において,被監査者から見た監査人とは何者であるの か?被監査者の行動がElであろうがE、であろうが,監査手続を拡張して調査 することはしないでいて,しかも,監査人が出す結論はいつも限定付監査意見 というときの被監査者の怒りはこの〔(1−p)C1〕の中に計算されているといえ るのであろうか。このような監査人に対する被監査者の異議申し立て行動は他 の人々の知るところとならないであろうか。実に,ここに示されているような 14)拙稿,「予言の見地からする監査知識の吟味(7トードル単位サンプリング法に対する批判  とその吟味  」,彦根論叢 第248号,昭和63年1月 28−33頁参照。 15) J. A. Tracy “Bayesian Statistical Methods in Auditing,” The Accounting Review,  January 1969, p.63拙稿「予言の見地からする監査知識の吟味(3ト準拠性テストにおけ  る内部統制の役割一」,彦根論叢 第230号,昭和60年1月,42頁。 16)拙稿,「監査におけるベイズ風統計学応用上の問題点」,『企業会計』,中央経済社,1985  年3月,109−111頁。

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監査人の利得計算に関して抱かざるを得ない最大の心配は,自らのゲームの相 手方を目前の被監査者のみの如くに余りに狭く限定して理解していることはな いであろうかということに認めうるであろう。  命題3:監査人は監査手続を拡張して監査対象を詳しく調査するということ をしていないが故に,被監査者の戦略がE、であるのかE2であるのか監査人に は不明であるが,それはE1であると仮定したとき,監査人の戦略(A2,NQ)に よって生ずる監査人の利得は(PC,)である,について  この(PC2)は,被監査者に関わりをもつ種々の利害関係者としての財務諸表 読者に対し監査人が負うべき責任を金額で示したものであるにちがいない。C2 を数量的に表現することの困難性についてはさておき,叙上のことに関する限 りにおいては議論の余地なきものと認めることができるであろう。しかしなが ら,このような監査を行ったことに対する被監査者への影響は計算する必要が ないのであろうか。監査人は被監査者側に対し詳細な調査をしていないが故に 被監査者側の内情を知る立場に居ないとはいえ,被監査者は監査人と同様では ないと考えるべきでなかろうか。監査人において,“当方は無限定監査意見を与 えたのであるから,被監査者は感謝こそすれ異存はない筈である”との思いを 抱いているなら,それはとんでもない計算違いというものではないであろうか。 少なくとも,十分な調査もしないま・に無限定意見を表明する監査人に対し被 監査者は尊敬を寄せることができようとは筆者には思われない。これは,直ち に形式をもって示すことのできない利得であるとしても,相当に重要な利得と 認むべきものであろう。  命題4:被監査者の戦略はE、であることを見越したうえでの監査人の戦略 (A1,NQ,Q)によって生じる監査人の利得は〔CA+(1−q)Ci〕である,につい て  このような場合とは,被監査者側において誤謬・不正一掃のための継続的努 力をしないという戦略(E、)がとられていることを承知のうえ,監査手続を拡 張して詳しく調査してみたが,その結果は案の如く,限定付監査意見が相当で ある,というが如き場合といってよいであろう。そもそも被監査者において,

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      監査に対するゲーム理論応用の試み  183 誤謬・不正の存在はこれを許さないとする姿勢および行動がとられていないの であるから,“重要性ある誤謬・不正は存在していないのに監査人が限定付監査 意見を表明したのは許せないことである”と被監査者が抗議してくることは考 え難いことであるし,また,このことの故に被監査者から訴訟がおこされたと しても,監査人として十分抗弁しうることであろうから,監査人の利得として 〔(1−q)C、〕を含める必要があるのか疑問であると言わざるを得ない。このこ とは企業内部の事情に全く疎い他の利害関係者において同様であると考えてよ い。このような場合に考慮しておくべき監査人の利得とは,むしろ,不適正意 見とすべきところを限定付適正意見としたことに伴うコストであるとは考えら れないであろうか。これと同じ問題提起は次の命題5に関してもあてはまって いる。  命題5:被監査者の戦略はE、であるのかE2であるのか監査人には不明であ るが,それはE2であると仮定したとき,監査人の戦略(A2,Q)によって生ずる 監査人の利得は〔(1−q)Ci〕である,について  このような場合とは,監査人が被監査者側の財務諸表にはどの道問題がある にちがいないとの予断に立ち,監査手続を拡張して詳しく調査することもしな いま・に限定付監査意見を表明した場合であると言ってよいであろう。このよ うな監査は手抜き監査という他なく,もとよりこのような監査を行っている監 査人に対し弁護すべき理由ありとは認め難いものである。しかしながら,被監 査者側においても戦略E2の採用という弱味が存在していることを認めざるを 得ないが故に,“監査人は十分な調査をすることもなく限定付監査意見を表明し たけれども,事実,重要な誤謬は存在していなかったのであるから監査人の監 査は不当であり,監査人は責任を負うべきである”との申し立てが被監査者側 よりなされることはほとんど考え難いことであると言ってよいであろう。この ことについて訴訟がおこされたとしても,誤謬・不正の存在を許さないための 行動をとっていない被監査者の財務諸表中に重要な誤謬が存在していないとい うが如きことはほとんど考え難いことであるが故に,これを深刻に受けとめる 必要はない。監査人の心に不安が生ずるとすれば,それは今後,A2の道を捨て

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A、の道へ進むように促すものと考えてよいであろう。ともあれ,このような場 合における監査人の利得を〔(1−q)C1〕と解することの妥当性には多大の疑問 があると言わなければならないであろう。このような場合における監査人の利 得とは,本当のところ,限定付監査意見などでは済まない,すなわち,不適正 意見を表明すべきところを限定付適正意見としたことに伴い,財務諸表の読者 に全く誤った意思決定をおこさせるに至ったコストであると解することが相当 であると筆者は考える。  命題6:被監査者の戦略はE、であるのかE2であるのか監査人には不明であ るが,それはE、であると仮定したとき,監査人の戦略(A2,NQ)によって生じ る監査人の利得は(4C2)である,について  このような場合とは,被監査者側において誤謬・不正の存在を許さないため の措置が何らとられていないことを承知のうえで,監査人は監査手続を拡張し て詳しい調査をすることもなく無限定意見を表明している如き場合であるから, 監査であるとは到底認め難い監査が行われている場合であると言うことができ るであろう。このような監査を行ったことに伴う監査人の利得を(qC2)と認め ることなどほとんど考え難いことである。被監査者の財務諸表中に重要性ある 誤謬が存在しているにもかかわらず,監査人が無雑作に無限定意見を表明して いたことに伴い財務諸表の読者の意思決定を誤らせるに至った責任,これがき わめて重大なものとして認識されるべきことについては言うまでもない。しか し,問題は単に監査人の公表した結論(無限定意見の表明)に誤りがあるかも しれないということだけで済ませることのできないものと認むべきである。す なわち,ここで描かれているような監査人が居るとすれば,その不誠実の中に こそ大きな影響を及ぼす問題があると言うべきであろう。その不誠実は単に監 査人が個人的に負うべき責任の発生原因となるばかりでなく,開業会計士一一me に対する社会の信用を失墜させるもの,社会成立の根幹にかかわる大悪事であ るということに思いをいたすべきである。これらのことを考えれば,この場合 における監査人の利得はqC2なる表現では到底言い表し得ないものであること は明らかであり,このような監査人の行動は,あり得る戦略の一つとして許容

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       監査に対するゲーム理論応用の試み  185 してはならないものと言わざるを得ない。 VI被監査者の利得計算についての吟味  命題7:監査人の戦略は(A,,NQ,Q)であることを見越したうえでの被監査 者の戦略(El)によって生じる被監査者の利得は(CH+PCEN,)である,につ いて  このような場合とは,被監査者は自社の財務諸表中に誤謬・不正が存在して いることはないよう絶えず努力してきたが,その努力は監査人より無限定意見 を得るに及んで十分報われており,監査人・被監査者双方共に何人に対する負 債も存在しないことを認めている場合と解してよいであろう。このような場合 に(PCE.,)を被監査者の利得として認識する必要があるのか問われなければな らない。職業専門家としての監査人が,監査手続を拡張して重要性ある誤謬・ 不正の存在を捜し求めて問題なしとの結論を下したのであり,被監査者側にお いても自社の財務諸表中に重要な誤謬・不正なしと自負し得るだけの絶えざる 備えをしていたにかかわらず,なお(PCENQ)を認識しなければならない余地と はどのようなものであろうか。それはすなわち,被監査者の自負する内部統制 は共謀行為の前に無効であるということであり,これを補う監査人監査の油断 ということでなければならない。それでは被監査者側の共謀行為の故に重要性 ある誤謬を監査人が見出し得なかったのであるとすれば,監査人が重要性ある 誤謬を見出しえなかった責任は被監査者側にあるということになるのであろう か。監査人による監査は被監査者側における共謀行為にも対処し得るものであ       17) ることを要する故に,否であることは明らかである。それ故,(PCEN,)を被監 査者の利得として計上することは不当であると筆者は考える。  命題8:監査人の戦略は(A2,Q)であることを見越したうえでの被監査者の 戦略(E、)によって生じる被監査者の利得は(CH+CQ+PCE,)である,につい て 17)拙稿,「予言の見地からする監査知識の吟味⑤一一内部統制の整備・運用状況についての  評価とsubstantive testsとの関連付け  」彦根論叢第244号,昭和62年6月,7−10頁。

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 被監査者は自社の財務諸表中に誤謬・不正が存在していることは無きよう多 大の努力を払ってきたにもかかわらず,監査人から限定付監査意見を,しかも, 監査手続を拡張して詳しく調べることもなく付与された;この場合の被監査者 の受くべき利得,これは形式上,(CH+CQ)と表現される他ないのでなかろう か。本命題において更に付加されるべきものとして示されているPCEQとは,要 するに,監査人がでたらめに出した限定付監査意見が正しかった場合に,財務 諸表読者に対し被監査者が当然負う負のイメージを指すものに他ならない。被 監査者において如何に努力していようとも,共謀による誤謬・不正に対し被監 査者の内部統制は無効であるが故に,このような場合もあり得ることを否定す ることはできないであろう。しかしながら,このことが明らかになった場合の ダメージとしてのPCEQは(CH+CQ)の中に包括されているものであり,独立 した利得項目としてこれを認識し計上することは不当であるように思われる。  命題9:監査台の戦略は(A、,NQ)であることを見越した被監査者の戦略 (E1)によってもたらされる被監査者の利得は(PCENQ)である,について  このような場合の典型は,これを,被監査者の戦略(E、)に全く依存して監 査人口ら詳細な調査をすることもなく無限定意見を表明した場合に認めること ができるであろう。一見,被監査者にとっては好都合な事に見えようとも,こ れは被監査者にとっても当てにならない監査,被監査者の楯になるとは考えら れない監査であるが故に,このような監査人と監査契約を締結している限りに おいては,監査人が本来負担すべき責任をも被監査者のコストとして認識する ことは止むを得ない。この意味でPCENQを被監査者の利得として承認すること ができるであろう。被監査者の戦略(E1)に伴う被監査者の利得(CH)はJ、 C. Fellingham&D. P. Newmanの不注意によってか,ここに認識・計上されて いないとはいえ,これが利得に含まれることは言うまでもない。それ故,この 場合における被監査者の利得は(CH+PCEN,)と表現されるべきである。  命題10:監査人の戦略は(A,,NQ,Q)であることを見越した被監査者の戦略 (E2)によってもたらされる被監査者の利得は(CQ+qCEQ)である,について  監査人は監査手続を拡張して詳細な調査に着手してくるということがあらか

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      監査に対するゲーム理論応用の試み  187 じめ分かっているにもかかわらず,被監査者の側においてこれに十分な対応を していないという状況,これは普通には理解し難いことのように思われるであ ろう。しかしながら,これに類似した状況は私達の日常生活の中で稀に観察し うるところであり,別段奇異とみなす程のことではないのかもしれない。この ような状況,すなわち,被監査者において誤謬・不正の存在余地なきよう多大 の努力を払うという行動がおこされていない状況に監査人の監査が及んで限定 付監査意見が付与されるということは,言わば,当然の帰結であって何ら不思 議ないことではあるけれども,被監査者にとっては手痛い打撃であるにちがい ない。(CEQ)によって示されるものがこれに他ならない。しかしながら,この 場合においても,被監査者のうけるダメージとしてのCEQから独立してCQな る利得が別に存在するとは考え難く,これを認識して計上することは不当であ るように思われる。  命題11:監査人の戦略は(A2,Q)であることを見越した被監査者の戦略(E2) によってもたらされる被監査者の利得は(CQ + qCEQ)である,について  このような場合とは,監査人も被監査者も共に与えられている課業に対しき わめて不誠実な態度で臨んでいる場合であると考えられるであろう。被監査者 は監査人が力の出し惜しみをする者であること,すなわち,被監査者において 誤謬・不正を無にするための努力が払われていようとも監査人はこのことを知 ろうともしない者であることを知っている。また,努力すれば費用がかかり, 誤謬確率の減少という点から見て得られる利益はきわめて微細なものであると       18) いうことについても承知している。それ故,被監査者の状況がE1であるのかE2 であるのか知らない監査人は無限定意見を出してくれるかもしれないとの期待 ・全く不当な期待をもって低い努力水準の道を選択したということが仮定され ているのであろう。このような被監査者の期待に反し,監査人は十分な調査も しないま・に限定付監査意見を表明したが,これに伴い被監査者が被ることに なったダメージは,当然帰すべきところに帰したと考えることができる。しか しながら,この場合CQかち独立したCEQなる利得の存在は考え難く,これを別 18) J. C. Fellingham & D. P. Newman, oP. cit., p. 642.

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途認識して計上することは不当であるように思われる。  命題12:監査人の戦略は(A2,NQ)であることを見越した被監査者の戦略E2 によってもたらされる被監査者の利得はqCENQである,について  この場合においても,監査人・被監査者双方共きわめて不誠実な態度で与え られた課業に臨んでいる状況が示されている。命題11の中に読みとられる状況 との相違点,それは被監査者の不当な期待が満たされたということに認めうる であろう。正にあってはならないことが監査人の側においても被監査者の側に おいても生じたというべきである。このことの責任,すなわち,重要性ある誤 謬が存在しているにかかわらず監査人により無限定意見を与えられていたこと に伴う責任,もしくは,このことに起因するダメージは本来監査人が負うべき ものであることは言うまでもない。このような,結局は被監査者にとっても無 益な監査しか提供しない監査人を選任したのは,他ならぬ被監査者であるとい うこと,および,内部統制の整備・運用に対する被監査者の不誠実さを併せ考 えるとき,本来監査人が負担すべき危険コストqC2を利得qCENQの形で被監査 者にも負担させるとは止むを得ないことと思われる。この意味で本命題を瓦全 することができるであろう。 VII まとめ J.C. Fellingham&D, P. Newmanは,本稿第4節において引用し紹介して いる「縮小された戦略的形式で示した監査人面被監査者ゲーム」吉富の諸パラ メータに対し仮定的数値を割当てたゲームを例証した後,次のように述べてい る。  「実際,われわれのパラメータ値では決して生じることのない唯一の純戦略       19) は,監査人が(A、,NQ,Q)を選択することである。」 この発言こそはJ.C. Fellingham&D. P. Newman両氏の思いを的確に表現し たものであると筆者は理解している。しかしながら,以上吟味してきた如く, そのゲームに含まれる各命題に対し,そこに示されている通りの利得計算を行 19) J, C. Fellingham & D. P. Newman, oP. cit., p. 643.

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       監査に対するゲーム理論応用の試み  189 って期待コスト最:小という利得をもたらす戦略を選び出すことはほとんど無意 味に近いと言わなければならない。  それでは何故,代表的な監査法において是認されているところに近い監査人 の戦略(A1,NQ,Q)が否定され,あり得べからずと考えられてきた戦略(A、, Q),(A、,NQ)が肯定されるというようなことが生じてきたのであろうか。そ れは,J. C. Fellingham&D. P. Newmanにとって:是認されるべきことは,先        20) ず,行動科学者の観察の合理性ということにあった,ということと関連するも のである。監査人の行動と被監査者の行動との間の相互作用に関する行動科学 者の観察には,代表的監査技法の適用を愚かと思わせるものが実際に存在した のであろう。このようなことは大いにありうることである。J. C. Fe11ingham& D.P. Newmanは,行動科学者の観察が正しいものであるかどうか自ら確かめ るということを行ったかもしれない。そして,実際に観察されるところが正確 なものであるということから,いつしか行動科学者の観察に信頼を置くに至っ たということではないであろうか。筆者としても,行動科学者の観察がきわめ て正確なものであろうことを否定するものではない。しかしながら,行動科学 者の観察とされるものは監査人として常にこれを承認し信頼して大丈夫なもの であるのかということが問われなければならない。行動科学者の観察は実務を 正確に観察し,これを描示することに尽きるとすれば,監査人として拒否すべ き実務についての観察もその中に入っている可能性はあると言わなければなら ない。それにもかかわらず,このような可能性に注意を喚起することもなく, 監査人もしくは監査研究論者がひたすら行動科学者の観察に信頼を置くことは, とりもなおさず,目を開いているべき者が批判的精神を欠いたま・実務に盲従 することを意味するであろう。  古典的統計学の仮説を内包する勘定残高についてのテストは,テスト結果か ら見る限りにおいて,監査対象の状態がどのようなものであるかを示してくれ る。テスト結果と平常の観察あるいは予断との間に意外性が見出されるときも あれば,見出されないときもあるというのが現実であるにちがいない。テスト 20) ibid.

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の結果は客観的事実であるとしても,それをふまえた統計的推論よりは実際の 状態の方がよいということは大いにありうることである。この面における監査 の不正確性批判であるならば,これは甘受して差支えなきものと考えることが できるであろう。利害関係者保護を目的とする監査にあっては辛さは甘さに優 ると考えられるからである。  他方,いかにテストを工夫しようとも,テスト結果をふまえた統計的推論よ りは実際の状態の方が悪いという場合が存在すれば如何ということも考えられ るであろうけれども,筆者はそのような場合を想定して思い煩う必要はないと 考える。人が心の中で思い図っていること,それがいつまでも秘密のま・隠さ れていることはありえないことである。それが悪事であるならば悪事の故に死 に至るにちがいないのであり,このような場面を想定して不安に陥ることは無 用なことであると筆者は考える。

参照

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