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『柳宗元集』中に見られる"自注"に関する諸本間の異同について

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滋賀大学経済学部研究年報Vo1.11994 一43一

『柳宗元集』中に見られる“自注”に関する

       諸本間の異同について

戸 崎 哲 彦

は じ め に  唐・柳宗元(773∼819>の作品を通行の宋・ 明の諸版本に拠って読む時,注の表記の異同に しばしば戸惑わされる。とりわけその注が自注 であるか否かは重大な問題であるのだが,同じ 注文内容であっても「自注」という版本があれ ば,「元気」さらに「本四」「旧注」という版本 もあるというように,注の表記形式が諸本間で 錯綜しており,いかなる段階の注なのか判断に 苦しむ。しかも問題はそれだけではない。どう も同一版本内においても「自注」「元高」「本注」 「旧注」などが使われており,表記形式に統一 がないように思われる。したがっていよいよ混 乱に陥ってしまうわけである。さらに,「自注」 と明記してあるからといって,あるいは「訳注」 等であっても,どうも自注であるとは限らない ようである。柳宗元の書いた作品の本文つまり 正文であるのか注であるのか,注であっても自 注であるのか,後人の手になるものなのか,も し自注であれば,柳宗元の作として正文と同じ 重要性がある。そこで本稿では諸本を対応させ て一応の目安を作り,以てこのような混乱を少 しく解消したい。 工 版本と注の種類  まず,本稿で用いる版本とその略称を示して おく。  1:宋・詰訓本(四庫全書文淵閣本)    原刻は淳煕四年(1177)?  2:宋・音辮本(四部叢刊初編本)    原刻は紹煕年間(1190∼1194)  3:宋・百家一本(北京図書館蔵)    原刻は淳煕四(1177)∼二元六年(1200)  4:宋・五百家注本(文淵閣本・和劾本)    原刻は慶元六年(1200)  5:宋・世練堂本(台湾広文書局影印本)    原信は威淳年間(1265∼1274)  6:明・游居敬本(和刻本,戸崎蔵)    原刻は二二十六年(1537)  7:明・呂図南本(京都大学文学部蔵)    原鉱は萬暦三入年(1610)  8:明・蒋之翅本(四部備要本・和刻本)    原鉱は心心六年(1633)  9:宋・『文苑英華』(明刊本,中華書局)  10:清e『全唐文』・『全唐詩』(中華書局) 次に,本稿で考察の対象とする注を示してお く。諸本に見られる注の表記には様々なものが あるが,内容・形式上,それはおよそ次の四つ に分けられる。  (1)謡本による校正上の注記 具体的にいえば, 「京本」「永州本」「柳州本」 などをはじめ,「別集」「今本」「碑本」「俗本」 「別本」「一本」「諸本」「他本」「旧本」「曇(元 献)本」「沈(晦)本」「童(宗説)本」「溢 (緯)本」「孫(汝聴)本」「石碑本」等,およ び「一本」「一作」等,主に「∼本」というよ うな表記形式で示される。  (2>後人による音義・通釈の類 具体的には「童日」「韓日」「孫日」「播云」「張 云」「朱云」等々, 「(人)日/云」というよ

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うな表記形式で示される。これらの注家につい ては多くの版本が無知に氏名を掲げている。  (3)「集注」「補注」による校正・音更の類 百家注本が書前に掲げている「新刊並並音目詰 訓魚文諸乙名氏」の末に「新添集注一家」「続 添補注一家」,五百家注本の「柳集所収評論詰 訓諸儒名氏」の末に「山添集註五十家」「続添 補註七十家」と見える。これらは百家注本・五 百家注本の編者が集めたもので,後人の注であ ることは明らかである。以上の注の他に次のも のがある。  (4) 「自注」「元注」「本注」「旧注」という   表記形式 この中で(1×2×3)の類が柳宗元自身の加えた注, いわゆる自注でないことは明らかであるが,不 明なのが(4)の類である。それらは同一に自注で あるのかどうか,また,そもそも「自注」とい うものも確かに自注であるのかどうか。そこで 虫魚を分類し,問題となる注を抽出する作業か ら始めなければならない。以下,巻の順によっ て早い例から抽出して順次検:討を加えてゆく。 ll 「元注」と「自注」の関係  今日に伝存する『柳集』に見える注記の中で 自注である可能性があるものは,巻十二「墓表」 の一例が最初であろう。  自注の初例と「『集』元注」  Ol:(12−03)「故殿中座御史柳公墓表」  音圧本には題下に小字注で「爲會葬人作」と あるのみであるが,詰枕本には「即公之叔父, 甘露先侍御者([之墓表也,其名山不可考1)。 貞元十二年,公爲集賢正字頓作。集注云:“爲 會葬人作”。量以其備書“本道節度張公乃遣殿 中監李輔忠致脂”“侍御史章重規等救助”“汝南 周公基面琢珍書徳”,以見其一時窪窪(埋葬の 典礼)之盛耶」とあり,百家注本およびその系 統にある五百家台本・世線堂本・呂図南本には ほぼ北斗本(韓醇注)を襲って「爲位記人作。 〔韓日〕:即公之叔父,立体先后御者之墓表也, 其名画不可考。北岳注云:“爲會葬人作”。乙 吉其逸書……」という。さらに蒋之翅本は「自 注」であると明言して「自注:爲會葬人作。○ 柳公女子心叔父,嘗出先侍御粧盛者也,日赤諌 不可考。但細注云:“爲會葬人作”。量以其備 書……」とする。 「本紀云」の部分は詰座本・ 百家注本などと同じであり,「集雨注」を指す であろう。「鼻元注」とは『(柳宗元)集』の 「元注」のことで,駅頭本のいう「集注」とは 「集元城」の誤り(文淵閣本のみの?)ではな かろうか。詰訓本が「忙忙」という例は後に挙 げるように多いが,「集注」という例はこれ以 外に見られない。ただし百家注本・五百家注本 には「集注」がしばしば引かれており,それは 書店の「新刊百介音訴訟訓柳肉細儒名氏」に 「新郎集注一家」とあるものであり,ここに詰 鞘堂がいう「集注」とはそれではなかろう。後 に明・蒋之謡本が「自注」とする根拠は,蒋之 翅が利用した宋刊本である五百家裁本あるいは 百家注本さらに詰訓本などが「集元注」として いること,つまり宋刊本にいう「元注」を「自 注」と判断したのではなかろうか。なお,この 注文は游居敬本・全唐文には見えない。  この注文の内容に関して,百家注本系統と詰 山本との間に若干の不一致が見られるが,百家 島本に見えて差立本に見えない部分は詰去年で は次に収める(12−04)「故叔父殿中侍御史府 君墓回文」題下注に「公立表殿中直直,版又写 詳焉。殿中君,諌不可考,見先「侍御史墓表』 注」とあって,逆にこの注文は百家山本の(12− 04)「故叔父殿中侍御史府君臣版文」題下には 見えないから,百家注本は先行する詰虚血に見 える両作品の注文を合成して先に掲げたもので あると考えられる。「元注/自注」とされてい る注文「寺子葬人作」とは,巻三七・三八の 「表」の題にしばしば見られる「爲∼(人)」 と同じで代作のことであり,葬儀に参加した人

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『柳宗元集』中に見られる“自注”に関する諸本間の異同について (戸崎 哲彦) 一45一 の求めに応じて作った文であることをいう。そ れは本文中に「本道節度尚書朗寧ヨE張公……解 明牙將試殿中舟囲輔忠[監備凶禮1贈野営厚, 行軍司馬侍御史車重規西塔飼救助……故友諸生・ 宗人外姻,號働會葬……野営,汝南幌公巣等相 野琢石町徳,用圖不朽」というのに符合する。 (12−04)「故叔父殿中侍御史府君墓版文」に 「公有男一人,始六年 」というから子供はま だ幼く,いっぽう柳宗元自身は「小子(柳宗元) 常以無兄弟,移其睦於朋友;少孤,移笹下於叔 父」というように,父柳鎮の死後に父代わりと して可愛がられたらしいから,親族の中で文を 撰するのは文才のあった柳宗元(貞元九年793 に進士科登第)が適当であろう。しかし当時は 「貞元十二年」つまり柳宗元二四歳という若さ であるから,自ら進んで撰したのではなく,そ こでその意を表わすために敢えて「爲會葬人作」 と注したとも推測される。したがっていわば親 戚一同を代表して撰したので,「端山葬人作」 という表現になったのではなかろうか。かりに そうだとれば詰訓本のいう「集[元]注」およ び百家注本系統のいう「集元注」とは蒋測地の いうように「自注」を意味することになる。いっ ぽう音聞本においては,自注が「元注」「自注」 などという表記のないまま,小字注の形で残さ れているということになる。ただしこれはこの 一例からの推測に過ぎない。しかし,注にいう 「會葬人」とは詰訓本が指摘しているように 「墓表」中には多く示されており,そこで本文 の記載内容によって後人が「爲単三人作」と推 断して注したものと考えられないこともない。 また,墓誌銘の一般的な書式からいっても 「爲∼作」というのは破格であるし,柳宗元の 他の例とも異なる。柳宗元の他の墓誌銘も多く は,親戚・知解など,人から依頼されて撰した ものであるが,依頼者は文中に示されており, 題下に注することはない。これらの点から,こ の例は後人によって加えられた注と考えるのが 穏当であるように思われる。  これにつづく「自注」「元注」の例はどうい うわけか巻十四の「天華」に集中して見られる。  「天対」に見える「竹野」  02:(14−04)「天子」中「合地者三,一筆解 同。排撃吹冷,交錯而功」下  「天平」という作品は『楚辞』天間に提示さ れている屈原の疑問に柳宗元が答えたものであ り,この条は「天間」にいう「陰陽三合,何本 甲化」に対する答えである。しかし『楚辞』に 加えられた漢・王逸の注は「謂天地人三合成徳 其本甲帯化所生乎」といってすでに一つの答え を示している。柳宗元が「合焉者三,一声統同。 辱炎(陽)吹冷(陰),交錯而功」というのは, 宇宙の生成元素たる「三」者を「天・地・人」 であるとする王帯説に対して,陰・陽・天であ るという別の答えを示しているわけである。こ の柳文に注して,音辮本には「〔柳文元注云〕: 穀梁“岬町不生,濁半半生,干天不生,三合然 後生”。王逸以外“天・地・人”,非也」といっ て柳宗元の自注であるようにいい,また百家注 本・五百家注本にも「〔元注〕:穀梁子云“掲陰 野生,岬町不生,岬町不生,三合然後生”。王 逸興爲“天・地・入”,非也」といってほぼ同 文が見える。ただし五百家注本は「元干潮穀唐 子傳……」に作る。世綜堂本・呂図南本は「元 亨」の二字を闘き,「穀三子傳」「穀梁傳」に作っ ているが注文は同じ。洋琴翅本は「柳自注:穀 梁傳……」として注文は同じ。「導引」「爆撃子」 「船梁子傳」とはともに『(春秋経)下梁傳』 のこと。今これによる限り,これは柳宗元自身 の加えた注であるように思われる。少なくとも 蒋之唐本は自注であると見倣していた。これも 百家以下系統あるいはさらに男呼本に「元注」 とあるのに拠ったものであろう。しかし今これ を自注であると判断するのには躊躇を覚える。 その理由はいくつかある。①:じつは詰二本で はこれと同じ内容の注文を掲げながら,「此封 『天間』 “陰陽三合,何本何化”。蓋取『穀梁 子』所謂“濁陰不生,掲陽不生,猫天引生,三 合然後生”之意。王逸以謂“天地人”,非也。

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“冷”,音零」というように,内容は音辮本・ 百家注本系統と同じであるが異なる表記をして いる。これによれば,正訓本は「蓋∼」とある ように,柳宗元の回答「対」の根拠を推測して それが『琴平伝』にあることを示しているわけ だから,柳宗元の自注だと見倣してはいないよ うであり,かつ音戸本・百家注本系統のように 「柳文元注」とも「元注」ともいっていない。 百家注本系統の注文が韓醇の注(詰訓)からの 引用であることも考えられるが,そうならば少 なくとも百家吟歩系統においては,それが芳醇 の注である場合には「天国」篇に限らず,「〔韓 日〕……」と表記するのが通例であるから,こ のような百家零本系統の例から見れば例外であ るということになる。いっぽう音辮本は詰訓本 とは別系統であって互いに参考にしていないと    の思われる。そうならば,音辮本・百家注本と詰 訓本は同一の内容を示し,かつ記載の形式もほ ぼ同じでありながら,音辮本・百家注本が「柳 文元注」・「元注」とし,詰訓本が「蓋∼」とし ているのはどういうことであろうか。②:また 音辮本の「元注∼」は「天対」本文の下ではな く「天間」本文の下にある。  このことについて考える前に,「天対」の編 集について指摘しておかねばならない問題があ る。音辮本・百家注本など今日の通行本には 「天下」の中に「天間」が入っている,つまり 「天間」という屈原の提起した問題を条ごとに 掲げた上でそれに対する柳宗元の回答である 「均勢」を配するという構成になっている。し かし本来の「天対」には「天間」は附されてお らず,それは後に編入されたものである。その ことは百家注本が「天対」の題下に「〔補注〕…… 用参取『天間』平入『封』語,章分骨條析之, 庶男野牛焉」,五百家彫本・呂図南本には「壁 上弼日……夢弼嘗胆其文義不次,贅牙難讃。今 取『楚街判屈原『天間』,半分句析,才学干前, 1)拙稿「『柳宗元集』考(上・下)」 (『彦根論 叢』289・290,1994)を参考。 傍以子厚之『封』繋三星之,再生其用事之搾出, 謹以上記,音而訓之。庶使『問』『封』爾全, 以上稽考焉」といい,音別本・游居敬本も題下 に「馬料『楚詞・天間』下段附入,遇『天間』 則低罫引前,遇『平鍋』甲高爲於後,中入諸家 音繹,半者詳焉」といい,また首巻の「目録」 の「天封」下に注して「『楚詞・天間』散入篇 内」,別集・外子等の「目録」の「附録」下に 注して「両得『一子・天間』,今散入十四巻 『天封』篇内」,「附録」の首に注して「蕾附 「楚詞・天間』,今移就十四巻『天封』篇内,錯 綜該載,半里観覧」などということによって明 らかである。つまり,後の編者が読者の便をは かって, 「天間」の各条を一字分下げて前に掲 げ,それに対する「天間」を一字分上げて後に 掲げるという,対応させる方法をとり,さらに 百家判子は「問:……」「封:……」を加えて 問答形式に編集しなおしているわけである。ま た,詰訓本の「天対」題下注の中にも「至公乃 爲之『封』,間馬王逸之失。始讃之早早曉其義。 以『天間』四半牛鍋求之,章決聖断,問答之意 昭然,義見用。疏公『天封』之言,而附『天間』 早撃筆下,兼乎衆説以下申出。公之所以斥王逸 之失者,兼場之,子易獣帯焉」という。いずれ もこれらの底本であったもの,あるいは原『柳 集』には,「天間」は附いていなかったのであ るが,後の編注子たちが「天間」を附して色々 工夫したものらしい。ちなみにそれを示せば三 つの形式がある。  A:「早期」本文。此W「天間」・「……」。  B: 「天問」本文    「天対」本文  B’: 「天問」本文(問:……)    「天対」本文(i封:・・…・) Aは詰手本で, 「手彫」の正文のみを大字で掲 げ,それに対する「天間」をその下に小字駅止 による「此上『天間』“……”」という形式で 補足している。したがって詰串本はより本来の 形に近いものであり,原『柳集』を形を伝える ものとして貴重である。いっぽうBの音辮本・

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『柳宗元集』中に見られる“自注”に関する諸本間の異同について (戸崎 哲彦) 一47一 游居敬本のように二段組みに工夫するものもあ り,さらにこの形式(最初の条のみに「問」 「封」を加えている)から,百家返本系統(五 百家注本・世繰堂本・素図南本・論点翅本)の ように「問」「封」を加える形式(最初の条の みに「問日」「封日」,後は「問」「封」のみ) が工夫されたと考えられるが,このような分割 掲載の形は察夢弼に始まるものらしい。  今,問題の注文は,寸止本では「柳文元注云」 として「天間」本文の下にあり,百家注本系統 では「元注」として「応対」本文の下にある。 これが自注ならば音辮本のように後人によって 附加された「天問」本文の下に入っているはず がない。あるいは音辮本は誤って「天間」本文 の下に移してしまったのであろうか。しかし音 辮本が「元払」を「天間」本文の下に入れてい るのは後に見るようにここだけではなく,偶然 のこととは思われない。したがって形式からいっ ても,注の説明(「蓋∼」)から見ても,詰論 本が本来の形であり,問題の注文は柳宗元の自 注ではないように思われる。そうならばこの例 から推測すれば音辮本のいう「柳文元注」,百 家二本のいう「元注」は,必ずしも自注の意で はないことになる。なお,先に見た詰謡本のい う「集注」とは百家田本の「国元注」と同じで あり,以下に見える百家注本系統の「元注」は 「織元注」の略であり,音一本の「元注」は 「柳文元注」の略であり,百家注本系統の「『集』 元注」と音辮本の「『柳文』元注」とは同じで あろう。  03:(14−04)「天対」中r南有意旭,羅首以 嘘。候・忽之居,帝南北海」下  この例も少々錯綜している。音訳本には「『荘 子』“南海之帝富田,北海帝工面”。〔酒病云コ: “條・忽,在『荘子』甚明。王逸以爲電,非也”。 〔朱云〕:(『前癌』)『招魂』説“始業九首,往 淫心忽”,正広聴也。 『荘子』寓言,恐非屈原 本意」といい,百家注本にもほぼ同じく「〔下 面〕:“條・忽,在『荘子』義甚明。王逸以爲 電,非也”。〔韓日〕:公以王逸條忽注爲誤,然 「招魂』云“雄旭九首,往來脩幽幽人”」とい

い,蒋之話本に至っては「元払」の部分を

「[柳?]自注」と明言している。この注文は, 『楚辞』の「脩忽」を王逸注が電光であるとす る先行の解釈に対して柳宗元は『荘子』に拠っ て海に棲む怪獣であるとするが,『荘子』は寓 言であってそこに見える倹・忽は擬人化したも のであり,『楚辞』天間のそれとは異なるとい う反論を示している。この議論の是非はともか くとして,いっぽう詰訓本には「此面『天間』 “tk7e九首,修忽焉在”。王逸云:“雄7EB一身 九首,速記電光;慢言,電光也”。柳先生云: “非是,義在『荘子』甚明”。然『招魂』云: “臨御九首,乱心往丸呑人”」という。この 「柳先生云」とはどういう意味であろうか。詰 訓本が本文から判断し,その根拠を示したもの であろうか,それとも自注なのであろうか。こ れも先の「蓋取『穀梁子』所謂“掲示不生,濁 浪不生,濁天暦生,三合然後生”之意。王宮以 謂“天地人”,非也」という王逸批判の意を類 推するのと同じではなかろうか。詰直弟では 「柳先生云」の内容は「身心,義在『荘子』面 明」のみであるが,音辮本・百家謡本では「元 山」の内容は王逸出との関係を明らかにする形 で「候[修]・忽,在『荘子』 [義?]甚明。 王逸以爲電,虚心」という文に合成されている。 たしかに詰訓本のように「非是,義在『荘子』 忌明」というだけならば意味論明瞭であり,こ の点では音辮本・百家注本のようにするのがよ く,そこで二言本・百家謡本の注は自注のよう に見えてくるのだが,少なくとも百家注本の注 は詰訓説の注に拠って揉成されたものと考えら れないこともない。また,音幽幽については 「『荘子』:“南海之帝爲談,北海三冠忽”」とし た上で「〔評注云〕:條・忽,在『荘子』無明」 という順序も不自然であり,この「元注」は柳 宗元の自注ではなく,後人の加えたもののよう である,あるいは後に百家謡本系統によって附 加されたかのようである。詰訓本が「柳先生云」 で「是に非らず」というのは王逸の説を指すわ

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けであるから,そうならば自注の中で年豆の説 が示されていなければならない。これも先の例 と同じく柳宗元の「対」の内容からその根拠を 推測して示した解説と考えるのが穏当ではなか ろうか。また,五百家注本は「票日:藩王逸話 “倹忽,電光也”,又『招魂』……」としてお り,「元注」「自注」ともいわず,また百家恒 心と異なるのも自注ではなかったことを示して いるように思われる。なお,百家臨本は「脩」 字に作るが,その系統にある五百家注本および 音痴本は「條」字に作って「候一作脩,歯音叔」 という。  04:(14−04)「天寵」中「有薄春立,厭圖以 誰。浮山敦産。赤華伊菓」下  これも先の例と同じく合成されているように 思われる。出血本には「三惑『天間』……。柳 先生云:“衙,岐也。 『山海経』多言“其岐五 衡”。王翁面謂“生九交除道”,恐誤。又“浮山 有草,言葉智慮”。赤華,即詠華也。菓,想両 切」といい,音響本には「〔元出汐〕:『山海経』 多言“其岐油漉”,話法“四衛之岐”。王逸以爲 生九十中,恐謬。又“浮山有草焉,其葉如麻”。 赤華,即菓面目」,百家注本にもほぼ同じく 「〔元注〕:『山海経』多言“面諭[岐]五言”, 又云“血止”。衙,岐也。無紋以爲気絶壷中, 恐謬。又“浮山壷草,其丁丁麻”。赤華,即某 三品。#,出語切」,五百家注本は分かち書き しており,「……厭圖以誰」の下に「〔元注〕: 『山海経』多言“山前五衝”,又云“四衝”。 衝,序詞。王逸以混生九壷中,恐謬。察(夢弼) 日:……故子心注云“逸以爲生面意中,謬 ”」, 「赤華伊根」の下に「原注日:『山海経』“浮山 言草焉,其葉如意”。赤華,即菓国辱」という。 蒋之翅本は五百旧注本および世練堂本・呂図南 本と同じく分かち書きしており,前の句のみに 「柳自注云」とする。ここでも先の例と同じく, 詰面谷では結論を示してその根拠を挙げる形式 から,音話本・百家注油では逆に根拠を挙げて 結論を示す形に変わっている。争点は「天間」 にいう「葬九衙」について,王逸はこれを交差 する路であるとするが,柳宗元は互生する枝で あるとする点にあり,先の例と同様に,詰藍本 は柳宗元が「有薄六一」といっているのに拠っ てその根拠を示したもののように思われる。も しそうならば,音辮本・百家謡本は韓醇が柳宗 元の意を推測して「柳先生云」としたものを自 注と見倣して「元注」といったようにも思われ るが,百家注本は詰点本あるいは細説の注を参 考にしており,両者の関係は認められても,滋 雨本と詰二本との関係は認めがたい。いっぽう 「麻冠」に限っていえば,百家注本と音辮本は 近い関係にあり,両者は詰訓本と異なる。する と,音辮本と百家注本が用いた校本の中に同じ ものがあったのであろうか。  05:(14−04)「天対」中「綾魚灯貌,潭列姑 射。魅虚心北洋,惟人是食」下  この例については,詰山本には先の例に見ら れたような「柳先生云」は無く,「此封『天間』 “綾魚何所,魅並並庭”。 [柳先生云?]『山海 経』六綾魚在海中,近列姑射山。“魅堆”當爲 “雀”。魎称念北画山,三曲,虎爪,食人。王 逸以爲奇獣,誤」という。音図本には「〔元注 云〕:『山海経』綾魚在海中,総論姑射山。“堆” 當爲“崔”。魎崔磁心山,如鶏,虎爪,食人。 王面諭誤。〔朱云〕:“崔”作“雀”」,百家注本 にも「〔元注〕:『山海経』綾魚在海中,近列姑 射山。“崔”當爲“雀”。山雀在北號山,南面, 富尾,食人。王妃以爲奇獣,誤 」といい,表 現に若干の異同がある。いっぽう五百家塾本に は音辮本・百家話本が「元注」とする「『山海 経』綾魚心海中,近列姑射山」は無く, 「票 日:……『山海経』西海中,近列姑射山,有毒 魚,人面・人手・魚身……」として票夢弼の注 として引かれており,さらに「元春日:“堆” 當爲“雀”。魅雀在北富山,如鵯,虎爪,食人。 王逸話爲奇獣,誤也。察日:……子厚注謂: “堆”當爲“雀”。按『集韻』“鵠:雀屡,同漏 壷切”,則魅堆即麺雀也」というから,童画弼 も柳宗元の自注と考えているようであり,転学 麹本にいたっては「柳自注謂:“堆”當爲

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『柳宗元集』中に見られる“自注”に関する諸本間の異同について (戸崎 哲彦) 一49一 “雀”,梅雨以爲奇獣,非也」と明言する。詰 訓本には「柳先生云」が無いが,説明の形式自 体は先の例と同じであり,かつ王逸の説を訂正 するという点でも共通する。今日の詰訓本(清 二本)が「柳先生云」を脱字しているのであろ うか,あるいはこれも詰北本と百家注本・音画 本の用いた底本にちがいによるものではなかろ うか。  06:(14−04)「天対」中「大澤千里,群鳥是 解」下  この例にも微妙な異同がある。詰藍本には 「此封『天問』 “翌曲弾[弾]日,鳥焉解羽”。 『准南子』云……。柳[先生?]日:『山海経』 (大荒北面)云“大澤千里,群鳥之所解”。 『(天)問』作‘烏’字,當爲‘鳥’。後人不知, 因配上句,改爲‘烏’也」といって,今までの 例のように「柳先生云」とはせず,「三日」と 作るのは単に「先生」を脱しているのであろう。 百家画工・五百家質本([ ])にもほぼ同じく 「〔元注[日]〕:『山海経』日“大澤[千里3,群 鳥[鳥]之意解”。『問』作‘烏’[字],當爲 ‘鳥’。後人不知,因配上句,改爲‘烏’也」, 音話本にも「〔元注云〕:『山海経』日“大澤千 里,群鳥之所解”。 『問』作‘烏’字,當爲 ‘鳥’。後人不知,因配上歯,改爲‘烏’也”。 〔朱云〕:如柳説,則別是一事,如奮説直土中之 烏,而借“解羽”二字以『問』,玄義亦通」と いう。蒋之謡本は「柳自注:『山海経』 “大澤 千里,群鳥之所生隠所解”,又『穆天子傳』 “北至膿泉之埜,飛鳥之解其羽”。『問』作‘鳥’ 字,當爲‘鳥’。後人不知,六出止句,改爲 ‘鳥’也。今按奮説……」といって自注である と明言するが,その部分はじつは察五爵の注で あり,五百家続本には「動注日;『山海経』日 “大澤千里,群鳥鳥配所解”。『問』作‘烏’字, 當爲‘鳥’。後人不知,因沖上句,改爲‘鳥’ 也。幻日:按『山海経』 “大澤千里,群鳥之所 生及所解”,又『穆天子傳』 “兜鉢噴泉之野, 飛鳥三智土羽”。子無用此以前『封』,当鉦“鳥” 爲“鳥”……」というから,蒋之翅本の「柳自 注」には明らかに混乱がある。これは「天問」 にある「鳥」字を『山海経』に拠って「鳥」字 の誤りであるとすることによって「天間」に回 答しようとしたものである。したがって前の例 のように根拠となる文献あるいはその文を示す だけの説明では不十分であり,どうしても誤字 の説明が必要になる。説明がこのような二段階 にわたる込み入ったものである点からは後人の 加えたものとは思われないが,柳宗元の「大澤 千里,群鳥是解」からそれが類推できないこと もない。また,奇妙なことに音写本は「天間」 文の下にも注して「柳云:“烏”當作“鳥”」と あり,この部分は「天工」下の注文と重複して いる。「柳云」とは自注であるように思われる が,これは先の音直島の例で同じく「天間」下 に「柳文元注云」とあったものと同じではなか ろうか。では,このような重複がなぜ出現した のか。それは音暗紅の底本つまり「天瀬」篇に 編入する前の段階で「附録」にあった「天間」 にすでに注がついていたことに起因すると考え るべきであろう。そうならば「天間」は後人の 縞馬であるから,その下の注も後人のものであ る。なお,今日の研究の上からいえば,百家読 本に比べて音量本はここに限らず朱子の注を加 えていてその分だけ詳細であり,作品の解釈の 上ではより有益なテキストであるといえる。  07:(14−04)「才量」中「該徳胤孝,館谷干 西」下  速馬本には「柳[先生?]云:“該才女収, 王逸注誤”。按『禮記』注疏:“蔭収,少腺氏 之子日該,爲金面”」といい,音辮本にも「〔柳 文元注云〕:該謂藤収,王雨注誤」という。「柳 文元注」とは先の「天間」下における表現と同 じであり, 「天対」下にいう「受注」も本来 「柳文元注」と同じであったことを想像させる。 この注文も今までの例と同じく王逸の注にいう 説(「該,包也」)を否定するものであり,該 が人名(座下あるいは王亥)であり,藤収(刑 罰を掌る官)となった者であることをいう。百 家注本にも詰訓本とほぼ同じく「〔元注〕:該爲

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藤収,王逸注連。韓(醇)日:按『禮記』疏……」, 五百家類本も「元注日:該為薩収,王逸註誤也」, 世繰堂本も珍しく「元注日:該爲葺収,王冷血 誤也」という。世繰堂本は百家注本・五百家注 本を襲うが,「∼日」の部分を削除するのが通 例である。しかしここでは今までになく「元注 日」といっている。単に削除するのを忘れただ けであろう。この条の注では諸本は一致してい るが,先の例とは異なって根拠となる文献を示 していない。この例では韓醇が「按」として 『四球』の『疏』を引いており,このことによっ て,先の例でも「蓋∼」といっていたように, 柳宗元の説の根拠を類推したものではなかろう か,という仮説をさらに強固なものにする。  08:(14−04)「天対」中「鍼欲兄愛,以快修 富。愈多馬車,卒逐以下」下  百家麗容・五百家副本・呂図南本に「〔元 注〕:『(天)問』云“百事”,蓋謂車也。王逸以 皇図本金,誤断」といい,蒋之底本は帽章を 「柳自注」とする。音戦車にも「元浮雲」とす る同文の注が見えるが,1天対」の下ではなく 「天間」の下にある。また,詰訓本にも「王逸 三百爾拝金,非也」という同内容の注が見える が,「柳先生云」「柳云」などを冠しておらず, 同時に「蓋謂車也」の部分が見えない。これら の注は「天間」にいう「百爾」の「爾」を,王 逸が金の単位とするのに対して柳宗元は車の量 詞(後の「輌」字)とすることをいうものであ る。つまり「天涯」の解説であって,どうして 金ではなく「輌」と解したかの根拠を示すもの ではない。これは音辮本の注や百家注本の孫 (汝聴)注が指摘しているように, 『国語」晋 語に「秦后子(鍼)來仕,其車千乗」「秦后子 棄晋車千乗」となることに拠ったもの。柳宗元 は『国語』に通じており,「非国語」二巻を著 している。「爾」を「金」のことではなく「車」 のことであるというだけでは注として不十分で あり,かつそのような内容であれば「薄暑」を 見れば明らかであるから不必要である。また, 「天対」本文は明らかに「天間」を「車」で解 釈しており,それを注で「蓋駐車也」という推 測の表現にするのは自注として適当ではない。 詰日本がただ「帳票以百雨爲金,非也」といっ ているように, 「元注」の内容は「天降」の理 解を後人が解説したもののように思われる。  09:(14−04)「智計」中「於菟不可排熱,怠 焉庸蹄」下  百家注本および五百家注本・呂図南本には 「〔元注〕:『問』云“袋出子文”,哀今無此人, 但王子蘭也」,音辮本にも「〔元注云〕:『問』

云……但任子蘭也jと見える。詰訓本には

「『問』・『対』皆哀見醒此賢者,但舞子蘭書徒也」 というのみでやや異なり,かつ「柳先生云」 「柳云」を冠していない。また,五百家注本を 襲う世繰堂本にしては珍しく同注文が見えない。 この「対」では前に「天間」を掲げているわけ であるから,再度それをいう必要はなく,した がって世練堂本のようにするのが適当である。 しかし「天間」は後人(韓醇から)に附益され たものであるから, 「元注」が自注であるなら ば「天間」が引かれていてよい。しかし,もし 自注ならば,「天対」の各条は「天間」の回答 であるから,この条のみに引用しているのは不 自然である。  10:(14−04)「天対」中「歎吾赦聖哲以旅 」 下  いずれの注文もほぼ同じで音訓本([])・ 百家注本および五百家注本は「元注[云]」と して「癖人謂未成君而死日“赦”。堵教,[楚] 文王兄也。今頃懐王図郭堵赦不長而死,以此告 之。(王)逸注聖画堵赦会長・楚賢人,大謬」 という。ここで注目すべきは回訓本の表現が 「柳自注云」に変わっていることであり,かつ 「柳自注云:“楚人謂……。心逸注以下堵敷翠 嵐・楚賢人,大謬”。黙考『左氏』……公之注 亦誤 」というから,詰冠位は明らかに柳宗元 の自注と認めているわけである。そうならば, 先に見られた詰訓本の「柳先生云」「柳云」も 自注と見倣されていたと考えられる。しかしこ の例のみに「自注」というのは不可解である。

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『柳宗元集』中に見られる‘‘自注”に関する諸本間の異同について (戸崎 哲彦) 一51一 これは「天間」にいう「二二堵七三不乱」に対 するものであり,王逸の注に「二言,楚賢人也。 屈原放時,語誌教日“楚二二衰,不復旧久長也”」 とある。王逸の説は,二二は楚の賢人であり, 屈原が楚から放逐される時に堵教に楚国は滅び るであろうと告げたこというものと解釈してい る。つまり「天間」の文を「留れ二二に告ぐる に長からざるを以てす」と理解している。楚の 堵赦という人物は『左伝』荘公十四年(前683 年)に「二子(三王)滅息,以息嬬蹄,生堵二 三成三二」(『史記』四十「楚世家」は「二二」 に作る)と見え,宋・洪二三『楚辞補注』等に 「荘公十九年,二二立」「二三年,二王斌杜赦而 立」という。 「二二」にいう「二王」は韓醇の いうように「三王」の誤りであろうが,しかし, もし「天北」にいう「堵赦」がこの堵[杜]赦 であるとすれば,屈原(前340∼278年)の時代 から四〇〇年近くも前のことであり,「吾」が 屈原を指すものではなくなる。いっぽう柳宗元 が「三山敷三関二二Fjというのは, 「吾が赦 の関せられて以て旅 するを歎(なげ)く」と いうことであり, 「歎(なげ)く」は「二二」 の「二三∼」を承けたもの,「閥」とは遮る・ 塞ぐ意であるから「堵」,「旅F」は客死するこ と「不長」。つまり「天間」を「回れ堵赦して 以て長からざるを告ぐ」と読んだわけであり, 具体的には楚の二王(前328∼298年)が屈原の 引言を聞き入れなかったために,秦に捕らえら れ,一時は趙に逃れるが入国を拒まれ,魏に逃 れようとして秦の追手に捕まり,死んで遺骸が 帰されたという史実(『史記』八四「屈原三生 列伝」・四十「楚世家」)をいうものと解される。 「赦」とは短命であった吾が王のこと。すると, 「旧注」にいう「今哀二王三二堵赦霊長而死, 二二告之」とは,「二三散二二以旅Fjをその まま解説するものである。しかも『左伝』昭公 十三年「實砦赦」の七二の注にいう「不二君無 誼二者,二二謂之“赦”」まで引いている。 「二二」の文ですでに意味は明らかであり,そ れを作者自身がこのように丁寧な解説,いわば 種明かしのような説明をすることは常識的には ありえない。「旧注」は不必要な解説であり, かつその中でいう「二心,濡文三兄也1は史実 を誤っているだけでなく,柳宗元は成王の兄と いうような人物と考えているのではなく,「闘」 「二戸」というように阻害・抑留されて客死す る不運な状態をいうものと見倣しているのであ る。したがってこの「元注」は「天対」の根拠 を推断して解説した後人の加えた注であるとい える。詰二本がこの例に限って「柳先生云」と せずに「柳自注云」としているのは,「公之三 二誤 」ということが示しているように,批判 する必要上,その説の提示者を明確にせんとし たまでのことであり,別に底本に「自注」があっ たわけではなかろう。  11:(14−04)「天対」中「三二二不二,掲二 二僻」下  音二本に「〔元三云〕:一本作“三四丁丁聖人 三三不道”」といい,詰二本に「一本作“食姑 不二聖人胡不道”」,百家二本・五百家二本・二 二堂本・呂図南本・蒋之二本に「一本云“食二 不二聖人胡弓不道”」とする。これについては 清・陳景雲『柳集点勘』が「當在前“益革丁銀” 条“食姑不失[聖3,[夫]三二不道”句下,二 二三三,宜削」というように,前半にある「益 三民難」の「天対」下にあるものが混入し,重 出したものである。しかし,「一本」の内容は 柳宗元の「天対」の本文であり,その中で「一 本∼」というのであるから, 「旧注」は自注で はありえない。これは明らかに本文を校勘した 者の注である。音二本がこのように明らかなも のさえ「元三云」としているのは,音写本自体 も「元三」は底本にあった注であり,自注と考 えていないことの証拠ではなかろうか。  以上, 「天対」に見られる「自注」あるいは 「元注」がたしかに柳宗元の自注であるならば, それは正文と同様に重要な価値をもつが,多く が「二二」の説の根拠を挙げた本文の丁寧な解 説であり,自注であると判断することにはなお 躊躇せざるを得ない。

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 二十四の「天対」以後,もし見落としがない とすれば,「元注」という表記はどういうわけ か,巻二五の「序」・巻二九の「記」に音辮本 のみに見られるのを例外として,巻三九「状」 に至るまで見られない。逆にいえば,「元注」 は「天対」に集中しているわけである。また, 「天間」以下の例は正文との混同の可能性が考 えられるものが集中しているようである。  正文と混同されている「飯島」  12:(25−02)「送出豊群公義後序」中  詰訓本には篇末の正文「……遂抗手而別」と いう句の後に大字で「豊之季弟泰知名與余善」 とある,つまり正文として扱われているが,百 家注本・五百家注本・世繰堂本・呂図南本・蒋 之謡本([ ])は同位置に注して「一本[末] 有“豊之出鉱泰知名,與余善”十字」という。 百家注本系統は当時このような十字を正文にし ていたテキストの存在を告げており,それは詰 山本に符合するから,「一本」というのは詰山 本あるいはその系統のものと考えられる。いっ ぽう音辮本は同じく篇末において「〔計画云〕: “豊之季生出知名,與輪止”」として注文とし て扱っている。これによってテキストには次の 三つの形があったことがわかる。  (a)……而別。豊之季弟泰知名,與余善。  (b)……而別。  (c)……而別。豊之季弟泰知名,與余目。 (a)は冷雨本および百家注本等のいう「一本」, (b)は百家乱心・五百家注本・世練堂本・游 居敬本・呂図南本・蒋之翅本,(c)は音辮本。 「與余善」という一人称を用いた表現は作者自 身の言と考えざるを得ない。この点からは後人 の加えた注ではなく,本人の書いた正文あるい は自注である。これを内容の点から見るならば, 本文中にすでに「宗元常與韓安平(泰)遇於上 京,追用古道,交於今世,以是息出兄 。熟字 茂実(韓豊)」とあるから,内容はほぼ重複し ているわけであり,また,作者と唱言との関係 をいう内容が兄韓豊を送別する文に,しかも 「……遂抗手而別」という篇末にあるというの は,一篇の終わり方として安定性を欠く。蒋之 翅本が「一本末有……十字。愚説似贅,從『奮 本』剛去」というように確かに贅言であり,百 家注本の系統と思われる「旧本」に従って削除 すれば事は簡単であるが,しかしそれでは一人 称である「余」のあることが説明できない。こ の点からは自注と見倣せば合理的に解決がつく。 ただし,このような説明の仕方と全体に関わる 内容の文が確かにあったとすれば,題下注であ るのが普通であろう。あるいは「……遂抗言虚 伝」という部分ではなく,全体に関するものと して篇の最後に補足されたのであろうか。この ような文が確かにあったのならば,本来は(c) のように小字注であったものが,大字で書かれ て本文に混入したのではなかろうか。そうなら ばこれは注文が正文と混同されている珍しい例 ということになる。また,少なくともこの例に 限っては音面面が原本に近く,したがって音辮 本のいう「元注」とは柳宗元の自注を含んでい る可能性がある。  13:(29−01)「游黄渓記」中  英華には「楚相之人,油魚以尾,不以頭」を 小字爽注の形で加えており,詰謡本にも同じ文 が小字爽注の形で示されており,百家注本・五 百家梅本には同注文に「南面」が,音繋柱・幽 谷南本には「元注云」が,蒋之面心には「柳自 注」が冠せられている。暗線堂本にも同注文は あるが「奮注」は無し。ただしこれは世練堂本 の通例である。全唐文には見えないが,後人の 注と見倣して削除したのではなかろうか。これ       のは方言の説明であるとはいえ,すでに拙稿で触 れたように,作者自身が注しなければ解らない ようなものではなく,したがって後人の加えた 注であろう。ただ,ここでさらに一つの問題が 提起される。それは百家注本の「奮注」が何を 指すかという問題である。この例において見れ 2)「『文苑英華』の注記の階層性」(『彦根論叢』 291, 1994)o

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『柳宗元集』中に見られる“自注”に関する諸本間の異同について (戸崎 哲彦) 一53一 ば,内容は音陸連の「凶漁」と同じであるから, 同一のものを指すと考えられる。たとえば音辮 本の「薬注」が並並翅本の理解するように柳宗 元の「自注」であるならば百家注本の「奮注」 も自注であることが考えられる。しかし,百家 注本は先には「元老」という表現を使っており, その内容はほとんどの例(9/11)が山斗本の 「元注」と同一であった。これをどのように理 解したらよいのであろうか。百家注本が「奮注」 というのはここだけではない。他の例に当たっ た上で再考しなければならない。  14:(39−10)「上戸窪手」題下  諸本に見られる注文は同じで「左降官員外置 同正員俸料,奮用戸部省員閾官銭充,今請改授 正解,占閾不用上件銭,毎年函嶺敷萬貫」とい い,詰訓本には「元注」を,百家市島・五百家 豆本・心線堂本には「元女島」を冠している。 いっぽう音辮本・呂図南本・蒋之翅本には同じ 注文はあるが「元注」「柳自注」等を冠してお らず,一致しない。注文の内容は本文と直接関 係して当時の具体的な状況について述べている から,柳宗元自身の文であると考えられるが, 注というよりむしろ正文というべきものであろ う。そうならば,血球本・蒋之翅本が「元注」 「柳自注」と明記していないものの中にも自注 があることになる。また,詰官本はここで初め て「元注」という表現を用いており(ただし初 回の「集注」は「集白血」と考えられる),「元 仁」という表現は他面(百家注本・音辮本)と 一致するが,他本の用語が統一的であったのに 対して不統一である。  151(39−11)「涙滴上本府状」題下  諸本に見られる注文は同じで「築島(人名) 救兄比重,以竹重臣果紅霞,経十一日身死,莫 誠禁在龍城縣。准律(『唐紅』ニー)“以白物 殿傷,二十日。保享内死者,依殺人論”」とい う。ただし詰訓本には「元注」を,百家色本・ 五百家副本・世銀堂本には「元朝云」を冠し, 音一本・呂図南本・下之麹本には何も冠してい ない。つまり上の例の形式と同じである。注文 は内容が本文に直接関係しているだけでなく, 現に本文には「陰虚牒准律文細分者,已帖縣准 童謡秋分後墨立田言上」とあるように,この注文 は明らかにその牒文である。したがって柳宗元 自身の文であり,注というよりも正文と見倣す べきものである。 皿  「本心」と「自注」の関係  以上は「虫垂」あるいは「自注」と称されて いるものである。これに対して「本屋」とよば れるものがあり,それは他本ではしばしば「自 注」とも称されている。しかも,これらの例は どういうわけか詩歌の巻に集中して見られると いう共通性がある。  詩中に見える自注  16:(42−02)「弘農公……謹献詩五十韻,以 畢微志」当直  諸本の注文には均しく「許侍郎(孟容)サ河 南,許工業分司東都,王舎人(仲紆)居憂在洛, 皆弘同舟(翁飴)平生親友」という。ただし, 回訓本は「自注云」を,百家注本・五百家注本・ 世線堂本・呂図南本は「公自注云」を,音辮本 は「本塩云」を,蒋之翅本は「柳自注云」を冠 する。全唐詩にはこの注文は見えない。この注 は「淵龍過許勧,氷面弔王祥」という詩句につ けられたもので,百家画面の孫(汝聴)注がい うように,後漢の許勧とその兄の許度に楊愚の 友人である立体容兄弟をなぞらえ,晋の王祥に 王仲督をなぞらえたものであり,詩中に許孟容・ 王仲紆のことはこの句以前に見えない,つまり 彼らの比喩であることを判断する手がかりは詩 中にないから,それを知る者つまり作者自身の 注である可能性が高い。  17:(42−03)「酬池州斐曹長亡君寄道州呂八 大使,立眩見直二十韻一首」田中  諸本の注文には均しく「光臨(装礼)嘗盈虚 (感情)戸部出征賦」といい,詰屈本に「自注 云」,百家注本・五百家注本・世繰堂本・呂図

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南本に「公自注日[云]」,音辮本に「本注云」, 蒋之翅本に「柳自注」を冠する。全唐詩にも同 注文が見える。注は詩句「乗嫌々孔僅」下にあ り,播孟陽(度支塩鉄副使)を財政家として 「孔僅」(「漢書』食貨志)に喩えたものである ことをいう。これも先の例と同じく,詩句中の 比喩を説明したものであり,諸本の注の形式も 先の例と同じである。詩中で播難詰のことは本 詩句の前には見えておらず,したがって斐礼の 事跡をよく知る者の加え得る注である。斐礼に ついてはじつは「中華甲斐曹長……」という題 下注において詰脚本は「装詔州,名字未詳」, 百家注本にも「〔集注〕:斐土州,名字未詳」, 音辮本にも「装曹長,未詳下名」といい,明の 蒋之平坦に至っても「斐詔州,名與字倶未詳」 とされている。今,筆者がこれを斐礼とするの は陳景雲『柳圏点勘』・置物皓氏『唐刺史考 (五)』(江蘇書籍出版社1987)などに従ったも のである。  18:(42−03)「酬和州斐曹長使君津道州呂八 大使,因予見示二十韻一首」詩中  注文には諸本均しく「道州(平温)昔使絶城 (吐蕃),一遇猜夏之虞」といい,詰過剰に「自 注云」,百家注本・五百家勢本・世絵堂本・呂 図南本に「公自注日[云]」,音辮本に「本署云」, 蒋之翅本に「柳自注」を冠し,全唐詩にも同じ 注文が見える。注文は詩句「按三軍侯猫・」下に あり, 『漢書』旬平群を典故(稽侯狢は単子の 名)として道州刺史であった呂温が吐蕃に副使 として行ったことをいう。注にいう「道州」と は詩題にいう「道州呂八大使」のこと。呂道州 とは後人も題下に「呂道州,名温,字化光……」 と注しているように呂温のことで,呂温が吐蕃 副使となったことは両『棚下』の本伝および徳 宗本紀,さらに呂温自身の作品(『呂和叔(温) 集』に収める)によって容易に知られることで あって後人が注することも可能であるが,これ も先の諸例と同様に詩句の比喩を説明したもの で,諸士の形式も同じあり,作者自身の注であ る可能性が高い。  19:(42−15)「楊尚書寄榔筆,知是小生本様, 令華商擢使孟管厚,輻献長句」陣中  諸本の注文には均しく「漢以尚書郎作詔文」 というが,百家注本・五百家注本・世練堂本・ 旧弊南本に「本注」,音辮本に「本注云」,詰修 景・蒋甲形本には「自注云」「柳自注」等を冠 していないという,表記に異同がある。全唐詩 には見えない。これは詩句「尚書奮用干天詔, 内割新馬脚部経」につけられたものであり,も し自注とするならば,後句は王義之の典故であ るが注がなくて(詰訓本・百家注本・音辮本等 には注があるが,評注・自注などではなく韓醇・ 孫汝聴などの注),前句だけにあるのは不釣合 いであるという疑問もあるが,そもそも「漢以 尚書郎作詔文」というだけの説明であるならば, つまり今流調されて参州刺史となっている楊於 陵が尚書として詔勅を起草する重任にあったこ とをいうだけのことであるならば,わざわざ自 注をつけて説明して見せる必要はないであろう。 蒋之翅本が珍しく「自注」としていないのもこ のような判断によるものと考えられる。また, この例では詰訓本は柳詩における先の諸例の表 記とは違って「自注」であることをいわず, 「公自注」とするのが定式であった百家注本に おいてもそのようにせずに「本田」としている。 これによれば詰訓本・百家注本は「本注」と 「自注」とを区別しているように思われる。つ まり,この例は「本割」であって「自注」では ないのである。そうならば県単本がいう「本年」 は詰訓本・百家注本と同じく文字通り「本注」 であって必ずしも自注のことではなかろう。つ まり「本塁」とはもとあった注,詰訓導・百家 上本の底本としたものにすでにあった注であり, 音辮本のいう「本工」にはこれらと同じ段階の 旧注と自注が区別されずに混在しているように 思われる。  20:(42−37)「長沙騨前南川感奮」詩題下  諸本の注文には均しく「遡上難中別於此」と いい,詰置目に「自注云」,百家卸本・五百発 注本・世練堂本・呂図南本に「公自注云」,音

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『柳宗元集』中に見られる“自注”に関する諸本間の異同について (戸崎 哲彦) 一55一 辮本に「本直云」,前之翅本に「柳自注」,さら に全唐詩にも「自注」という。このような具体 的な事跡は作者本人でなければつけられない内 容である。全唐詩が珍しく「自注」として掲げ ているのもそのような判断によるものであろう。 柳宗元が長沙駅に在ったことは長沙が流諦の道 程上にあることから容易に推測されるが,「徳 公」は『柳集』にはここにしか見えず,未詳で ある。現に諸家も注していないし,今日に至っ ても未詳である。詩には「海面(徳公)一送別, 存亡三十秋」と詠まれており,詰訓導が「元和 十年(815),赴柳州道中作」とするように,三 十年前つまり貞元初(785)の作であり,この 頃,柳宗元は邪岳都団練判官であった父に従っ て岳州に来ており,その時,必修長沙に遊んだ       ヨラ ものと思われる。  21:(42−55)「段賢戯上書後,寄劉連州,並 示孟器二丁」詩題下  諸本の注文にはほぼ均しく「家鼠二軍(王義 之)書,毎紙背庚翼二三“三二二六紙二月三 十日”」といい,詰二本に「自注云⊥百家注本・ 五百家二本・二二堂本・呂図南本に「公自注云」, 音二本に「本二三」,蒋之二本に「柳自注」,全 3)羅聯添『柳宗元事蹟繋年萱史料類編』 (国立編 訳即自華叢書編審委員会1981)に「徳宗貞元元年 (七八五)十三歳」の条にこの詩を繋年して「徳 公証考」,王国安『柳宗元詩箋釈』(上海五一出版 社1993)にも「按=徳目,未詳其人」という。た だし丁秀慧氏『柳河東詩繋年齢釈』 (台湾・国立 師範大学碩士論文1974)には「按貞元初年十三, 楽聖輿年二十七也」というから, 「徳論」を権徳 輿と見倣している。権徳島(759∼818)は元和十 三年に卒している。しかし権徳輿は誼では文公。 あるいは「與徳目」を「徳輿公」と読み替えした のであろうか。憶測であるが, 「徳公!という呼 称は僧侶かも知れない。また,『柳集』の中で求 めれば,元全柔は貞元二年四月に直中観察使から 湖南観察使・山州刺史になっており,(12−02) 「先君石表門先友記」に父の友人として挙げられ 「車群柔;……気象甚偉,好賢徳報怨,妙詩者也」 と評されている。おそらく長沙で交流があったと 思われる。しかし元全柔の設が徳公であったかど うかは未詳であり,憶測に過ぎない。 唐詩にも「自注」という。このような具体的な ことは後人が二恩から推測して注することは不 可能であり,明らかに作者の自注である。ただ し百家注本を底本とする呉文治『柳宗元集』 (中華三局1979)は「公自注云:家有……二月 三十日二二。〔二日〕按『二二』:王義之,二二 少……庚二三安西将軍。〔韓日〕『二三録』云: 柳二二書,後生多三三……」に作って「校勘記」 に「“日”下原脱“嘗観”二字,糠回訓本補」 というが,これは不必要な校訂ではなかろうか。 というのは二三本(文淵二本)には「自注云: 吾二二……二月三十日。嘗観『二二録』云……」 と見え,それで文意が通じるし,現に音辮本で も「……三十日」,三二堂本・蒋之二本でも 「三十日。二階史』……」としている。呉文 治氏らが校勘で用いたのは文三下本であり,そ れと文淵閣本とが異なっているのであろうか。  221(42−60)「銅魚使丁都,寄親友」詩題下  諸本の注文に均しく「二丁支郡(柳州)三綱 官・考典・二二(上佐・録事三軍・判司)等, 悉附都府(節度使)至京」とあり,詰翻本に 「自注云」,百家二本に「[公?]自注云」,五 百家二本・三三堂本・呂図南本に「公自注云」, 音二本に「本二三」,全唐詩にも「自注」とい う。ただ蒋之二本には,本詩は載っているが, 詩題(総目には見える)が闘落しており,その 下にあるべき注も見えない。おそらく同文は 「柳自注」としてあったであろう。また,百家 注本も「公」が閾字で五百家注本等と同じであ ろう。注は当時の嶺南の官吏に関する具体的な 状況を述べたものであり,肥州刺史であった枷 宗元自身の注であると思われる。  23:(43−11)「遊子即夜還叙志七十韻」詩中  百家山本・五百家二本・山雲堂本には「〔本 注〕:“薦”與“蕎”同」といい,音辮本・蒋 之二本にも同注文が見えるが, 「本注」あるい は「自注」を冠していない。いっぽう詰二本に はこれと同じ注文は見えず, 「“煮”,音勲; “薦”,普刀切(ハウ/pao)。“三民棲愴”, 見『禮記』」と注している。また,音辮本には

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「“煮”,偉勲。『礼記』:“煮蕎棲愴”。〔童云〕: “薦與“菖”同義,本音悲丸切(ヘウ/biao)」 というから,百家注進の「本注」と極めて近い 注文(「藤與蕎同」+義)が見えるが,宋・童 宗説の説としている。さらに,游居敬本でも珍 しく注して「“艸女手”“薦”倶追撃(カウ/ hao)」という。ただし詩句下ではなく篇末で あり,内容は同じであるが,表記を異にする。 これは詩句「寧追撃魑魅,所催煮薦」の注であ るが,「蕪」が険字であるとはいえ,音義の注 である点,また詰訓本・音辮本等が形式を異に する点から見て,自注であったとは思われない。 百家注本が「自注」とせずに「本気」としてい るのもそのためであろう。そうならば百家寸描 では「自注」と「本注」とが区別されているこ とになる。全唐詩も「薦」字下にただ「音蕎」 とするのみである。なお,柳宗元は(44−05) 「非国語」神降子幸で「以“煮商棲愴”,妖之馴 者也」というように『礼意』祭儀の言葉をその まま使っており,聖訓本・百家注本等に「〔韓 日〕‘‘煮”,音薫,香氣。“煮蕎棲愴”,見『禮 記』」,音辮本に「〔張日〕“煮”,音薫。 『登記』 “煮魚棲愴”」という。  24:(43−31)「法華寺下竜夜飲」詩題下  諸本の注文に均しく「宝亀“酒”字」といい, 音辮本はさらに「本注云」を,蒋之翅本は「柳 自注」を冠する。全唐詩には「得“酒”字」の 三字のみある。なお,呉文治「校勘記」には 「“賦”上原脱“本注云”三字,擦音画本補」 というが,ここに限ってそのように校正するの は不必要なことである。音辮本の「本注」と百 家注本の「本注」とは必ずしも対応していない。 この詩については(24−09)「法華寺西農業飲 賦詩序」があるが,「賦得嘘字」であることは 見えておらず,作者しか知り得ないことである。 したがって柳宗元がつけたものには違いないが, 詠詩の作法のひとつであって,先のような理解 の補助として比喩・背景などを説明する類の自 注とは性質を異にする。あるいは大字で詩題に 加えて正文としてもよいものである。詰訓本・ 百家注本などが「自注」といっていないのもそ のためであろう。  25:(43−68)「飲酒」詩中  諸本の注文にほぼ均しく「始爲聖者也。[○] “爵”,音聾。 “先”,息見切」とあり,詰倉本 に「自注云」を,百家井然・五百家注本・世々 堂本・呂図南本に「本書云」を,蒋之翅本に 「柳自注」を冠する。自注ならば蒋之翅本が 「柳自注:“先貸”始爲酒者」というように 「始爲国者也」までであろう。ただし音辮本は 「“爵”,音采。“先”,息見切。始為酒者也」と いうように,順序を逆にしており,かつ音辮本 の通例である「本塁云」を冠していなレ㌔たし かにこの注文は詩句に「墨農期斗酒,爲我駆憂 煩」という「圧延」についていうものであるが, それが「始めて酒と為る者なり」(一番搾り) という意味であることを自らわざわざ解説する 必要はなかろう。 「先」が「さきがけ/はじめ の」の意であるのは「“先”,息見切(去声)」 であるが,この「先」が平声での用法(まず/ さきに)でないことは詩の平灰律の上から容易 に知られる。百家才華が「自注」とせず,音辮 本が「本曲」ともしない点,かつ音急激が「息 見切」という音注の後に配している点などから 見て,後人の注である可能性が高い。これを先 の(43−!1)「遊観亭夜還叙志七十韻」の例と 合わせて考えればより確証がもてそうである。 つまり,音辮本の「本質」は百家注本系統のい う「自注」に対応して自注であるものが多く, 百家注説系統のいう「本注」は「自注」と区別 されていて非自注・後人による他注であろう。  「非国語」に見える「圧注」  詩の巻以後では,どういうわけか音田本に限っ て, 「非国語」に至ってまた「卓筆」が見られ る。先にみた例では,音辮本の「元注」は詰訓 本の「柳先生日」「元注」および百家注本・世 心堂本等の「元旦」さらに蒋之勉本の「柳自注」 とほぼ対応していたが,「非国語」ではこのよ うな対応は見られない。そもそも「非国語」は

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『柳宗元集』中に見られる“自注”に関する諸本間の異同について (戸崎 哲彦) 一57一 北国初期の穆修の四五巻本系統には正集に収め られていたものであるが,音辮本では正集は四 二巻までであり, 「非国語」上下二巻は「別集」 として収められていた。このことと何らかの関 係があるであろうか。なお,試図南本(京都大 学文学部蔵本)は第二二冊つまり巻四四・四五 「非国語」を間く(「目録」には見える)。  26:(44−24)「郭堰」中  游居敬本以外の諸本には『国語』出語の引用 の文に均しく注して「口山蛭三輪,言以宣五行」 といい,音幽幽のみがこれに「元注云」を冠し ている。  27:(44−24)「郭イ医」中  游居敬本以外の諸本には『国語』客語の引用 の文にほぼ均しく注して「少則三若[君],多 則五宮[君]」といい,音臨本のみがこれに 「元応云」を冠している。  この二例の注文とほぼ同一の文が『国語』論 語の呉・章昭(204∼273)の注解に見える,つ まりこれらの注文は章油注の引用である。詰副 本では「非国語」において『国語註』として章 昭注がしばしば引かれており,ここもそれと同 じであると考えられる。つまり,「非国語」に おいても,先に指摘した「天対」における『隔 心』の「恵山」の引用とその王逸注を掲げて補 足するという,類似した形式をとっている。た だし,この部分については詰訓本では「『国語 註』:……」という形式にはなっていない。  そもそも詰謡本には「非国語序」題下注に 「其問載『国語』断戴不詳者,輯:附益之,庶乎 其理易見焉」とあり,百家注本・五百家話本も これを「韓日」として引き,そこで詰訓本・百 家洋本・五百家注本および世繰堂本などでは 『国語』の文が附議されており,その部分は 「自∼至∼新附」あるいは「広本止載∼」とい う注の表記で示されている。ただし痛心魚心も 弓鳴の注を引き,『国語』の文を附益してはい るが,「新附」の部分を明示していない。いっ ぽう音調本・游居敬本などは詰訓本のような注 もなく附益もされていない。また,詰訓本系統 では『国語』の引用文を当時の『国語』のテキ ストによって校正して載せており,音臨本は引 用文の下に注の形で異同を示している。つまり, 回訓本系統はかなり編集の手が加わったもので あり,音辮本がより「奮本」に近い形を保存し ていて貴重である点は先の「天対」と同じであ る。さらに形式も異なっており,次の二つがあ る。   A:『国語』引用文      非日(「非国語」)   B: 『国語』引用文     非日(「非国語」) Aは「非国語」を『国語』より一字下げて区別 するもので,詰訓本および音辮本系統。Bは逆 に『国語』を一字下げて区別するもので,百家 注本系統。先の「天宮」の形式もこれにならっ たものではなかろうか。  そこで音話本が「奮本」に近いわけであるか ら,音辮本にいう「元注」も旧劇にあったもの として自注であるように思われる。ただしその 「謡本」が劉禺錫編次の原『柳集』あるいはそ の形を伝えるものであったかどうかは別の問題 であるが, 「非国語」に限っては「天問」の各 条にそって順次加えている「沖鳴」とは異なっ て『国語』のある句・段の記載について述べた ものであるから,それがどの部分を取り上げた ものなのか知るために必ず『国語』の該当部分 を掲げなければならない。現にこの「郭堰」の 条には「非日:墨一言而東之,則愚護可見 」 とのみいっており,「斯言」の内容が前に示さ れていないと何を指しているのか理解できない。 したがって「非国語」については『国語』の引 用が掲げられていたはずであり,それはおそら く音辮本のそれ,あるいは音辮本のような簡単 な引用であったと推測される。  今,問題の部分は『国語』七「隠語」一に 「郭偶日“夫口,三五之門也。是以読口之齪, 不過三五”」というのを取り上げて,「墨斯言而 観之,虚血誕可見 」と非難するものであり, これは百家注本系統に「與前“伐朧夷”事相属」

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いてもらう権利﹂に関するものである︒また︑多数意見は本件の争点を歪曲した︒というのは︑第一に︑多数意見は

(注)本報告書に掲載している数値は端数を四捨五入しているため、表中の数値の合計が表に示されている合計