<調査報告>滋賀県の宮座の現況-社会人類学的予備
調査-著者
高橋 統一
著者別名
TAKAHASHI Toichi
雑誌名
アジア・アフリカ文化研究所研究年報
巻
1969
ページ
39-70
発行年
1969
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00010263/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaj設
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一、 調査 の目的 と方法 二 、 調査 の結果 一二 、 結 び 一 、 調査 の 目的と方 法 滋賀県下の宮座については 、 昭 和 十年に肥後和男博 士 が 県庁を 介し て県 下の全神社を 対象に 、 その祭 肥組織を 広 汎 に調査 さ れたことがある。 それ は 一 定の調 査票 を配布 して記入 さ せ る方式と、 若干 の 地域 では 実 地を訪問 調査する方法 とを兼ね 合せたもので あ っ た よ うで あ る 。博士 は、 これに よ る資料をもとに、 大部の画期的 な著 作 論文 「近 江に於ける 宮座の 研究」 (東 京文 理科大学文 科紀要 、 第 十 六巻 、 昭 和 十三年六月〉 を公 刊 さ れ 、 そ の 後、 畿内 の他府県 に も この方法 を拡大し、 彪大な 資料を 整 理 ・分析 して、 「宮 座の 研究」( 弘文 堂、 昭和 十六年) を世に 間 わ れ たわけである。 巷聞に は後 者の 方がよ く知 られ、 ま た この 二青に よ っ て 、 官座 なるものが 一般に もよく 知 られるようにな り 、 ま た 研究上 の 諸問題 も大方 は提示 された、 と 滋賀県 の 宮 座 の 現 況備
調
査
官同
橋
統
見な してよ い であろう。 後著 はそ の意味で、 学界、 こ と に民 俗学や 日本史 学へ 多 大の寄与 をしたと云うべきであるが、 宮 座 をめぐる 基 本 的 諸問題の 殆ん どは 、 すでに前著 で扱 わ れており、 且、 前著には後著 で は整理 されす ぎて じ ま っ た理論的 な 諸問題 や 生 の 資料 ・考察がかな り含ま れており、 い わば宮 座研 究 の 前駆 的労 作として、 その 資料的価値 をも考えれば、 今日的 意味は、 む し ろ後者の方が大きいので はない かと さえ思われる。 私は この 後著 に誘 発 されて最近、 別 稿 「宮 座制覚書」 (岡 正雄 教授古 稀 記 念論文集 『民族学 からみた日本』 河出書 一房新社、 昭 和 四十五 年三 月、 所収〉 を記し た が 、 そこ で は主 として 、 私の宮 座 研究へ の今後の見通しをつ け る た め に、 理論 的枠組を 設 定 す るの がね らいで あ っ た。 それは 、 いわば民 俗学な いし日 本 史学 とい う立場より も、 でき る だけ 社会人 類 学的視角か らこ題 の 聞 に ア プ ロ ー チ してみようとす る試 みで あ る 。 ところで、 このような意図 から実際に問 題 に 接 近 す るにしても、 どのよ うな 手掛 りから何 処 のフ ィ ー ル ド に取組んだらよ い の か、 ということに当 面 し たわけである 。 そ こ で、 私と しては 、 肥後 博士 が当初 、 生の 資料を 得 られた 滋賀県 下の宮 座に関 して、 三十数年後の 今 日 、 それら が 果 し て 如何 九滋賀県の宮座の現況 なる 状況 にある ものか、 それをでき るだけ 把握す ることから出発するのが 最も 素直な 且 、 当 然 行うべきことであ るように思 われた。 云う ま で も な く 、 この三十余年には、 戦中 戦後 を通 じて多大の変 化がわが国 にお こ り、 民 俗日 村落 社 会もその例外ではな く 、 ことに最近に 至ってはその度合も速 度も著しい。 従って、 宮 座 の如きも、 おそら く崩壊 ・ 弛 経 ・変容 が十分に 予想 されるところである。 しか しまた 、 そ うした中にあって、 伝統 的な も のが 維持 さ れて いること も少く ないので はないか、 と考えられる。 とすれ ば、 変容過 程の 中に、 宮 座 の本質 を再検 討するのに都合よ い 何 ら かのもの を見出す こともできるであろう。 私は、 このように考えて、 滋賀県下 の宮 座の現 況 をひとまず、 把握 してみようと意図したわけである。 そして、 こ れをいわば予 備的な第 一段 階の 広域調査 (日 窓口包42 224 ) とし 、 この 結果に 即 して、 若干 の 地域の特定のいく つかの宮 座に ついて、 第 二 段階の 集中 的な 実 地 調査 GSHO5710 出σE 45円ε を試みてみよ うと考えた。 今 回、 ここに報 告発 表す るの は、 この 広域調査の 概 要である。 以 上 の目的 に そ って、 好都合なことには、 「近 江に 於ける 宮座 の研 究」 第三 章 に 滋賀県 下の宮 座の分 布を示 すリ ス ト が載っ てお り、 また分布図が 添えられてある 。 当 時 、 何ら かの理由によって 多少の調 査 も れ や欠 落が あ ったにしても、 一応これをもとに、 これらの 現況を調 べること はさ して困 難と も思 われない。 ただ 今日では、 県庁な どを介して、 いわば上から調 査 票 を 配布 して記入方 を義務 づ けること はで きない。 そこで私は、 然る べき 適当な 調査票 (この報 告論 文の末 尾 に添付〉 を予 め用 意し 、 これ を 必 要 部 数 た ずさ えて、 現 地 の市町村役場を 訪 ね 、 そこの 教育委員 会 事 務局や 公 民 館当局をわずらわして、 当該 の神社の 関係者H 宮 座の座員 たる古老 などに 四 0 記入 回答を 依頼 し、 再び これを当局の手で回 収し てもらい、 後日、 私 の 方 へ 返 送していただく という方 法をとった。 もとより、 私が何人かの調 査 助 手とともに個 々 の 神社や宮 座関 係者 を訪 問 し 、 白 分 たち で面接 しな がら調 査票に 回答 を記 入す れば 一番よい ので あるが、 限 られた経費 と日程 ではこ れは無理である。 しかも、 今回 の第 一次的 な広 域の 予備 調査で は、 それほ ど詳しいデ ー タ は 必 ずしも必 要ではない。 従って、 上記の方 法 は こ の 場 合、 止 む を 得 ぬ便宜的 方法と し て 、 厳密 さを欠く としても、 許 される ので はなかろう かと思う。 ただ、 このやり方 で、 一応、 必 要 な デ ー タ が 得 ら れ るかどうか、 つまり、 記入回 答が ある程度ととのい、 回収率 が十分にあげ ら れ るかどうか、 甚だ 危ぶ まれた 。 こ の点は、 次に 記 す よ うに 、 必 ず し も 満足 すべき結 果 ではなく 、 む し ろ危 倶 が か なり当ってし まったと云うべき かもし れない。 しかし、 回収 され返送していただ いた 分に関する 限り 、 か なり有 用な 諸事実が記入 されており、 それらから 未回収 の 分を推測するこ と 、も 、 一応はできなく はない。 また、 各 地 の 教育委員会 や 公 民館、を歴訪し た際や合い聞 をみて土 地の 古老などに接して得 た知見を補 足すると、 今回 の広 域調査 の主目的 はほ ぼ 達 せ られたのでは ないか 、 と考えられる。 前述 したように、 問題は む しろ今後の集中 的調査 に比重があるのだから、 今回 は 一応、 これで 当 初の目的 に近い成果 があ っ たものとして、 次の 計画に す すみたいと思 っている。 なお、 この調 査 の実施期間は、 昭 和 四十 四( 一九 六九) 年、 七 月 上旬 の十 日間で、 調査票の 回収返 送は、 最終期日 が同年十 一月末 である 。 前記の肥後 博士 による滋 賀県 下の宮座の分 布 リ ス ト で は、 旧市 郡町村 別 ( 一 市 ・ 十二郡 ・ 一O三町村 〉 に総 計二 九 四神社があげられ て い る。 そ の
後、 何回 かの 市町村 合併 があ っ た ので、 現在の 市郡町 村にこれら を割りふ っ て み る と 、 四十四市 町村 (六 市 ・ 十 二 郡 ・ 三 十 八町村) にな り、 県下 の 殆 ん ど 全 域に 渉 っ て い る 。 私は これら の市 町 村 教育委 員 会 ・ 公 民 館 のすべ てを 十日 間で歴訪 し、 調査票の 配布 ・ 記 入 ・回 収 ・返送 を依 頼し たわ け で ある が、 この う ち 調 査拒 否は一例も な く 、 い ず れも概ね調 査に は好意 的 で あ っ た 。 し かし 、 事務多忙と手不足及 び 配 布 ・記 入 ・回 収の 手 続 や 所要時 聞な どを勘 案して 、 短 時 日 の 期限 では 、 ひ き う けかねる とい う ところが多 か っ たので、 思 い 切 っ て約三ヶ月位でしてほ し い 旨 、 申 上 げ依 頼に 応じ て も ら う こ とにし た。 そ れ でも、 実際には 最終期限 は 、 さら に 一ヶ月余 りの び て し ま っ たが、 そ の こと 自体 は調査内 容 た る 事実と 何 ら 無 関係な ので間 題は な い 。 そ して 回収 ・ 返 送 が あ っ たのは 、 三十一市 町 村 (四市 ・ 十 郡) であり 、 のこり十三 市町 村の 教育委員 会 か ら は 、 数回の 督促、 お ね が い に もかか わ ら ず 、 遂 に 一通の回収 ・ 返 送 も な く して 終 っ た 。 これら 十三市 町 村は、 とくに 地域的な偏 りも な い か ら 、 まみの 全体 的な歪み は さしてな い と 見な し てもよ かろう 。 調査 棄 の 票数で は 、 二 九 四 神社 の う ち 回 収で きたのは一四O 社で 約半分 である 。 これは 回収率と して は 、 かな り 低 い が 、 今回 の如き調査 方法では むし ろ当然と云う べきであろう 。 ただ 、 前述 のよ う に 、 この 回収率 か ら直ち に 信頼 度を疑う のもどうかと 思 う し、 全体を精密 に調 べる のが本来の目的 でもな く、 ただ傾 向を捉 えれ ば今回 は一応、 ことたりる のだか ら 、 これで も よか ろう とあえて考える こ とにし た 。 な お 、 肥後 博士 の 前記 の 県庁 への依 頼調査で は 、 当時の大体、 村社 以 上一 O 三 六 社 の う ち 、 八 四 四社 が 回答 し、 宮座 のある 神社 は 概ねこ 滋賀県の宮座の現況 れに 入 っ てい たと 見なしう る 、 と されて い る 。 肥後 博士 の 場合に 較 べ て、 回収率 が わ る い の は 、 む か しの よ う に 官庁を通 して 上か ら半ば強制的に 調 査 が できな い ことと、 宮口座 がそ れだけ 崩壊 ・ 弛 緩して しま っ て 、 実際に調 査 に 応じ る ことができなか っ た り、 ある い は 調 査自 体を無 意味 と して 放げ てし まう ことが多 か っ たか ら だと も思 わ れ る 。 な お 、 このあとの 点 は 、 そ れだ け宮 座の今日 的な機能や 意味 が 希薄に な っ てい る こ とを 示してい る わ け で あ っ て、 調査 票 の最終 項目のA 今後、 官 座 を どのよ う に や っ て ゆ くつ もりですかV とい う設聞 に対し て、 大多数 の回 答が 、 どう にか 現状維持を したい と し、 伝統的 な しきたりの復 元を強 調し たり、 新ら し い 事態に即 応 し た 体制を打出すよ う な 意 見 があまり 見う け ら れ な い こ ととも関 連し て、 宮座 の将 来に 悲観的なか げ がみら れる よ う に 思う 。 ここで参考までに、 肥後 博 士 の 宮座 リ ス ト に ある 神社を、 現在の 市郡町 村別に仕分 けし た 数 (調査票の 配布方 依頼 数〉 と回 収数の 一覧 を示 してお く。 (滋賀県市町 村図参照 ) な お 、この 湖南 ・湖 東 ・湖 西 ・湖北とい う地域 区分は 、 私 の便宜 的な区分で 、 県下で 行 わ れ てい る 通 例の 区分 に必ずし も 合 致 しな い か も 知れ な い が 、 宮座の地 域的分布の 態様を み る のには 、 これ が具 合 よ い よ う に 思 わ れ る ので、 この方式をと っ て みた。 ( ) の 中の数 字は、 前が 調査票配布 数 !|つ まり肥後 博士 の リ ス ト に あ る数で 、 後が回 収数で ある 。 な お 、 後 者の方が 多い 場合 、が ある の は 、 先 方で 積極的に 追 加 して きたものが ある ためで ある 。 湖 (四七 一九 ) 南 草津市 (五 i四) 四
滋賀県の 宮 座 の 現 況 四 栗 太 郡 H 栗東 町 ( 一 O O〉 マ キ ノ町 (三 ーー 二 )、 朽 木 村( 一l 一) 甲賀 郡 H 石 部町 ( 二 一二 )、 甲西町 (六l 一一〉 湖 北 ( 一 一 ol四 九) 水 口 町 三 二l 六 )、 甲南 町 ハ 一ーーO〉 長浜市 (九 |O) 甲賀 町 ( 一ーー 一) 、 信楽町 三 O | 一二 ) 伊香郡 H 西 浅 井村( 九i 九) 、 余呉 村 ( 一 一ーーO) 湖 東 (九四l四 七 ) 木之 本町 竺 六i 八 )、 高月町 ( 一 五 五 〉 彦根市 ( 一ll 一〉 東浅井 郡 日 湖 北 町 ( 二 五 1 0 )。 虎姫町 (二 | 一一〉 近江 八幡市 ( 一 六|O) 浅井 町 ( コ一 O 〉、 びわ 村 合 二 li 一 一) 八 日市市 ( 一一一 | 六 〉 坂 田 郡 日 山東町 (六i一一 一 ) 、 伊 吹村 (二| 一一 〉 野洲 郡 H 守 山町 ( 五 O )、 野洲 町 ( 一二 O〉 中主 町 ( 五l O) 総
41 4ヨロ
(二九 四 一 四 O〉 蒲生 郡 H 安 土 町 ( 五 O 〉、 竜王 町 三 二|九) 蒲生町( 九 八 ) これら、 回答が 得 られたものを、 肥後 博士 の リ ス ト の分布図上に、 吏め 神崎郡 H 能 登川町 (三 七) 、 五 個 荘町 ( 五 l 一二〉 て記入してみると、 図の 如くで あ る 。( 折 込 み の付図参 照 。) この図の市 郡 水源寺町 (五 i 六 ) 町 村 名は昭 和十三 年当時 のも の であるが、 郡名は 現在も 殆 んど変 っておら 愛知 郡 日 愛知川町 ( 二 ill-二 )、 湖東 町 (三 |O) ず、 た だ市町 村名 とその境界は 合併によってか なり 変っ て い る 。 ここでむ 愛東村 ( 六 | 一二 〉 か し の旧町 村 名が 、 いま のどの新市町 村名 に当るか (含 ま れ るか) 、 いち い 犬 上 郡 日 多 賀 町 ( 一ーー 一) 、 豊郷 村( 一1111 一〉 ち 解 説するとよいのだ 、が 、 それもかえ って 繁雑 でわ ず らわ しいので割愛す 湖 (四 一ニ ーー 二 五 〉 建設 省国土地 理院監 修 「 全国 市 町 村 名便覧」 昭 和 三 十九 年版を参照 。) 大方 は、 図中の旧名からも見当 がつくはずである。 る。 (詳しくは、 西 図中O 印 大津 市 (一 一一 一 一回 ) は肥 後 博 士 の リ ス ト にある宮座で 、 こ の うち ・印 で塗 りつぶ し た の が 今 滋賀 郡 日 志 賀町 ( 三 二 ) 回、 回答 があったもの、 ム 印 が 今回新たに 追 加 回答が あ っ た ものであ る 。 高島 郡 日 高 島 町 ( 四 O 〉、 安曇 川 町 会 一 l一) この図からも判 る よ うに、 湖 東の近江八 幡市 や野洲 郡と か湖南の栗 太郡 新旭 町 ハ四i = 一 )、 今津町 (三 i 一一 ) H 栗 東 町 から回答がないの は、 この 地域が 早くから聞 け、 最近 の 都市化も著しい ことと 誼接・ 間 援 に 結び ついて い るものと思われ る 。 ま た 、 湖北 の 長浜 市も一応同様 だとみ られ る が 、 伊香 郡 日 余 呉村や 東浅 井郡 日 湖 北 町 な ど の 場合は、 この 辺りに宮座が ま だ かなり 遺 っ て いると思われるだ けに 今 回、 回答 が な か っ たのは、 やや残念で ある。 これらを除けば、 回収率は 低 い に し ても、 概ね肥 後博士 の調査当時 の宮座が 、 今日でも一応 は(少 くと も半数 は) 存続してい ると見なし てよいよう に 思 う。 それらの内容 に つ い て は 、 記入 回答さ れた調査票 によ っ て、 次章で 検討 し て み たい。 ニ 、 調 査 の 結 果 以下、 調査票 の 大項目( 宮座の 組織・ 官 座の行事・宮口 座の 経営) のうち 主に 、 今回 の調査 では 最も重要 なもの とし て力点 をおい た 、 宮座の 組織 に 関 し て 、 それぞれの小項目を 順次、 整 理 し な が ら 、 調査 結果 の あ ら ま し を 、 湖南 ・ 湖東 ・湖西 ・ 湖北と い う 地域別 に 述 べ るこ とに する。 潮 南 ィ 、 株座 と村座の別 神社 の主たる氏 子である当 該部落の うち で、 一定の家格 や家筋や古 い家 柄 の 家 々だけが 宮座を構成 し 、 いわゆ る座 株とで もい う べ き特権 的 地位身 分・ 権利義務 を もつのが 株座で 、 そうで な く 氏 子 た る 全戸が 宮座 を構 成す るの が村座で あ る 。 宮 座の宮 盛ら し い 要素の 一つが 株座 制 である とも考 え られ 、 古くは多 くが こ れ であ っ たと思われる が 、 もち ろ ん 村 座 もかな り古 くからあ っ たようであ る 。 今 日では、 逆 に 大半が 村座 に な っ て おり、 最近 滋賀県の 宮 座 の 現 況 ではこ と に 村 座化 の傾 向が 一般に つ よい 。 さ て 、 まずこの 問題を み て ゆ く と、 この湖 南地 域 で はまだ 株 座制をとっ てい るのが 案外 多く、 十九例 (回 答票 数 ) のうち 十例で 、 九例が 村座 制である 。 これはおそらく、 他の 地域 に較 べ てこ の地方が 山間部 (水口 丘 陵 ) の僻 村 とい う、 都市 化の 影響が 僅 少である自然 H 文 化環境とも 大い に 関 係があ るであろ う。 また 株座 制に か かわりあいが ある と思われ る のだ が 、 座組 織の 中に 士 分と平 (ひ ら〉 の違 いが み ら れ た り、 明確 な組織上 の 違 い が な く て も意 識 と し てそれ が 今もあ るような 事例 が 株 座制の中に 一例ずつあ る 。 この士 分 と平 の意識 の 違 い は、 明治 初年 に村座 化 し た ある 一例において さ え 、 現在 ものこ っ ている。 株座 制 の中には、 甲賀 郡 信 楽町上朝 宮の三所 神社 の 場合 の ように 、 境内に恒久的 な座小屋が い くつも整然と設けられ、 それらが 座での 格式( 士 と平を 含む〉 に対応 し た 様式 をもって い るものも あ る 〔写 真及 び図を参照 〕 | 但し 、この宮座の 現在の 機能 はかな り 弱 ま っ て い る 。 この他、 ず っ と昔は 村座で あ っ た が 、 その後に一戸 数が 増 えたので、 い つ の頃からかおのずから株座 に な っ て い る 、 というのも一例ある、 が 、 こ う し た事例にも注目す べ きであろう。 ロ 、 村座 化 の時期と理 由 村座 制の九例中、 村座 化の時期やその理 由が 不明とし であ っ たり無 記入 のものが五例で 、 他 は明 治初年・ 大 正 初 年・ 夫正十二 年 ハ第 一 次世 界大戦 の平 和会議を 記 念し て) ・昭 和 四十 一年 ( 戸数 増 ) であ る 。 不 明の ものは 、 おそ らくかな りむ か しか ら 、 す でに 村 座 で あ っ たものと思われ る 。 こ れら に関連 し て注 目すべ きは、 他の 地 域 で は 第 二 次大 戦の 戦中・戦後の時 期 に 村 座 化 し たような 事例が み ら れ る のに 、 この 地域 では、 今回の 回答例 でみ 四
滋賀県の宮座の現況 る 限り、 現わ れ て い ない ことであ る 。 こ の ことは 、 前記 の如く今でも株 座 制 が案外つよ く遺 って い る こ とと何 らかの関 連が ある ものと考 え ら れ よ ハ 、 双 分 的組織 座の 組織 が東西 ・ 左 右 ・ 上下 とい う よ う に 何らか の双 分的形 式を と る も のが時折 み ら れ る が 、 これ が当該 村落の地 理的形 態や 先述の 士 分と 平とい った 階層区 分、 さら には 祭儀の内容 や形式、 ある い は そ れ ら に 結び つ くか も知 れ ぬ 祭儀の機 能や意味 と か神 霊 観 念 (世 界観〉 などとも関 連し て、 民 族学 (社会 人 類 学) 上の概 念と して の双 分制 (N 42-528ロ1422r 門戸5] 。招山口2E-。P 門吉田ロ即日) につながりがある のでは ない か 、 とい う 問題、 が あ る 。 (こ れ に関する 理論 的検討に つい て は 、 「宮座 制 覚書 」を 参 前掲 拙稿 照 。 ) こ の点か ら 、 宮 座 の 組織を み て み る と 、 何 れ も 株座 」の 地域で は 、 制 を 保 って い る 六 例 にこ うした 組織が み ら れ る 。 このう ち 一例 は 組織上 は 確 然 とし てい な い が 、 座を 構成 する 三 つ の小字 (垣内 〉 のう ち 一 つが他 の 二 つ と対置す る 形 式で、 他 は 左 右 ・ 東 西 ・及び 左 中 右 と い う相 対立 する 座 組織が は っ きりし てい る 。 そして 何れか 一 方 、 例えば左の方が格 が 上であ る 。 これ には 士 分と 平と い う 身 分上の 違 い も多少 ある よ う で ある 。 この間 題 は 、 宮座の 行 事 会話 儀 ・饗 宴) にも関 連 する 複雑 な 問題だし、 今 後の重 要 課 題 の 一 つなの で、 ここでは これ にとどめてお く 。 い ず れ に しろ 、 この 地域で の 回答に 現わ れ た限りで は 、 株庫制 を 保つよ う な 、 宮座 が よ く 遣 っ てい る と こ ろ に双 分的組織が み ら れ る ことに注 目し て お き たい 。 ニ 、 宮 座へ の加 入・登録 ・脱 退 の 方式 このことは 村座 では 、 あまり 問題 にならない 。 ただ宮 座の実質 的 な主体 四 回 者が長老 衆、 つま りよ く グオ ト ナ グ などとよ ばれ る高 令 の 古老 たち であ る ので、 そ れ へ の加 入 (オ ト ナ 入 り ) がどのよ う な方式でな され 、 また 脱 退 がど のよ う に行われ るか 、 とい う問題が ある 。 湖南地域 の村座の回 答例で は 、 死亡 など によ り 欠員 が生じ補 充 する ときに、 オ ト ナ 衆 が 次 の 候補 者を 座の 常会に はか つ て 決 め る と い う 場 合と、 七 十 五 才 でオ ト ナか ら脱退 する (定 年制) とい う 場 合とが み ら れ る 。 この一一 例 は 、 何れも 村座と して は 納 得がい く方式 とい えよ う 。 株座 では 、 ヨ ソ モ ノ (移入戸) が除 外 され る のは 当然だが 、 一 般 に分 家 の取扱 い には 多少 の相 異が ある 。 こ の湖 南地域の 回答例 で は 、 分 家 は 自 動 的 に 入る と明 記し たのが こ 例、 株内 の 話合い で 決 め る と い う の が 例 あ る 。 また 、 加 入 に際し て、 加入料 (二 、 0 0 0 円 、 むか しは 米 酒で) を納 める 例もみ ら れ る 。 入座 (登録加入) を 出 生時 や 青少年 期 (若 者入り) に 行う 方式 もよ くみ ら れ る が 、 この地 域 の株 座の回答例で は 、 十七才で 入座 とい う 二 例がみ ら れ 、 また、 長男 を 生後二 ヶ月 で 登録加 入 さ せ る とい う の が 一例み ら れ る 。 ホ 、 年番神主と当家の選 出方式 宮 座 組織の 本 質的要素の 一 つ は 、 世襲的 H 職 業的 神 主 で なく、 年 番の神 主 とし て、 然る べきもの が順 次 、 年毎に神主を 継受し たり、 また同 じく毎 年順 番に、 祭儀の準備 やそ のあとの 饗宴 を ま かなった りする 当家になる こ とである 。 この年番神主と当 家は 、 一 方 が表 だった 役割で 他が 裏方 のよ う なものだが、 特定 の もの や家に 固定ぜ ず 、 何 れ も 順 番 に然る べきものがな る と い う点で は 同 じ なの で、 私 は こ れ を 当家制 とし て 包括的に 理解して い る 。 ll実 際に二 つを 同時 に兼務 し た り三 年に渉 って 相次 い で行う 場合も
ある。 これらの選 び方(順番の方式) にいろいろあること は、 すでに肥後 博士が指 摘し ている が 、 この ことを湖 南 地域 の 回答例で みてみよう。 当然であろう が 、 最も多いのが 年長順 で、 何れ も株座の 五例 であ り、 先 述 の 長男が 出生後二 ヶ月で 登録加入し たり、 十七才 で入 庫 したりする例は これに含 まれる。 年長順 である限 り、 かかる 登録加入の 順位が 問題に され るのもうなづ け る こと である 。 な お、 十七才 で入 座 す るこ 例 は甲賀 郡信楽 町多 羅尾の 里宮神社 と 高 官 神 社 の宮座の場合だが 、 こ れらで は、 一生の間 に ,七当 グ と云 っ て七種 の段 階的な 儀 礼上の役割を経 ねばな らぬ と されて 、 ー、J O 、しV M44 次に多いの は、 由来は不明だが 古記録 にの っ と っ て 一定 の順序 で行うも ので、 これが 三 例 、 そのうち ニ 例 は株座 だ が 、 他の 一例は 先述 の 明 治 初年 に村座になりな 、が ら、 いまも土 分と平の 意識が のこ っ ている場合であ っ て ハ草 津市 ・旧栗 太郡 常盤 村志那 中の 惣社神 社 〉、 」こ では 当家制に関 して は、 なお 旧慣 を 保持しているから、 厳密に は村 座と は云 い難いとすべきで あろう。 次にみられる の は 、 家並 順 でこれは 一例で株座であり、 また神占 (くじ) で決 め るの が 村 座の 一例で ある。 なお、 回答 例では 一例しかみ ら れな か っ た が 、 甲賀郡水 口町のあたりで は 神占方式が よ く 行われるという 話 を 古老から聞 いたことを付け 加 え てお く。 へ 、 年令 階梯 の役割 分 担 宮座 組織の 基本 的要素の 一つ は厳 格な 年令 階梯 原理で あ っ て 、 どの 宮座 にもこれによる 何ら かの 年令 階梯制( 〉mOEmE仏σ♂ 旨件。吋印wugg ) 、 が み ら れ、 それぞ れの 年令 階梯に は対応 する 一定 の 役割分担が ある。 湖南 地域 の 回答 例でみると、 いまでも上から下まで大体ととの っ て いるの は、 現在の 滋賀県 の 宮 座の現況 草 津 市 もとの旧栗 太郡 日 常盤 ・笠 縫 両村の二 例と甲賀 郡 日 石部町( 旧 石部 村〉 の 一例で、 何れ も村座である。 こ れ らは、 長老 たるオ ト ナ た ち の 人 数 を十人衆 というように制限 しており、 それが 中老 あたりまで及 び、 若衆 で は年令 で区 切 られている。 例えば、 北 大菅一 (旧 常盤 村〉 の大萱 神社 で は、 老翁( オ ト ナ )十三名・十人衆 ・十 五人衆 と年長順 に階梯 をなし、 これらを それぞれ第 一・第 二 ・第三協進社 とよび、 以下二 十 五 才 までが 第四協 進社 で青年団 退出者であり、 二 十四 才か ら十 五才 ま でが第五協 進社で青年団員 である。 ここ は村 座化の 時期が 不明だし、 かなりむ かし から村座であ っ た のかも知れないが 、「 協進 社」 という名称 や青 年団組織 との結合 は、 もち ろ ん明治 以後 の ことであろう。 それにしても村座の体制 が 、 少くとも株 座よ りは 、 このような上から下 まで 一貫 し た組 織を つくり ゃす いの では ないか とも考えられる。 株座 では 年 令階梯が 著 しく上に重いことが多いようで、 その 役割分担も、 例えば下笠 (旧 笠 縫村 ) の老 杉 神 社で は、 本オ ト ナ ( 最 長老 一名 で 統 括者 )・オ ト ナ 〈三 名) ・脇オ ト ナ ・ の ぞ き オ ト ナ (行 事の 準 備役) の四 種 の オ ト ナ があ るが、 これ以 下の 階梯は明 確な もの がな い 。 株 座の 他の四 例もオ ト ナ だ けは明 確だ が 、 それ以下に明確 な年令 階 梯 が な ぃ 。 村座で同様 なのは 一例だけ である。 しかし、 む ろ ん、 これ は湖南 地域 の今回 の回答 例にたまたまみられたことで、 一般的 な傾 向とみ るのは 早計 であろう。 株 座にしろ村座にしろ、 オ ト ナ の 階梯だ け が 組織的 にも機能的 にも、 どうにか遺 っ ているとい うの が、 む し ろ今日 の 一般 的状況 だから、 安易に もと の かたち を類推 しか ねるわけ である。 なお、 調査票 の回答はなか っ た け れ ど、 肥後博 士 の リ ス ト に ある栗 太郡 栗東 町 (旧葉山村〉 手原の 稲荷 神社では、 六人衆とよぶオ ト ナ が あ る が 四 五
滋賀県 の 宮 座 の 現 況 (株座 か 村座 か 不 明 〉、 ここ に は 「玉梅 社」 と よぷ 若衆組織が ある !栗東 町 役場 職員の 中村 洋 三 氏 に よ る。 現在 は十 五t 三 十 才が 成 員 で 、 昭和 四 十 三 年 に 住 宅公団用 地とし て売却 するま で 、 部落有 林の 管 理権が 玉 梅社に あ っ た。 社長 ・副社長以下、 若干 の 年令 階梯があ る が 、 主 な 機 能 は祭礼の 獅子 舞 で 、 この 役割 分担が オ ト ナ を中心 とす る 宮座組織 につなが るものと考え られる。 他方 に 青年団 組織があ っ て 、 これ は日常 活動 により深 い関係 が あ るので 、 玉梅 社 の方は 次第 に 魅 力 が な く な っ て いる と い う 。 先 の 北 大萱 の 協進 社の よう に、 宮座も 青年団 も 包括する か たち をとると、 組織的 にも機 能的 にも統合 され たものとして 存続維 持 し て ゆくことが可 能に な るのだと 思 わ れ る 。 その意 味 で 北 大 萱 の 例 は、 官口座 の 将来 に 一つ の 示唆を 与 え るの ではない か と 思う 。 ト 、 イ エ 制 度との 関連 家長た る戸主 及 び そ う な るべ き長男 にだけ 正 式 の座 員た る資 格が あり、 次 三 男 は座員 に な れ な か っ たり、 なれて も準座員 たるそれしかない、 と い う の が 宮 座のメ ン バ ー シ ッ プ に み ら れる 一般 の 原則 のよう で あ る。 これは 通 常 の年 令階梯制 日 若 者 組 と か なり 違う点 で 、 宮座 が イ エ (家 ) 制度と密 着し て 発達 した結果 だ と 思われ る。 湖南 地域 の回 答例で は 、 株座 の四 例が 戸主 と長男、 ある い は 長 男の み登 録 と か 一戸 一名 と か 記 し てあり、 村座 の 場 合 は戸主 の み が 一例 、 長男だ けだ が養子 や移入 者も村入 の手続 を ふめ ば 入座 で き る と い う の が 一例 で あ っ て 、 他に はとく に 記入回答が な か っ た 。 な お 、 甲賀郡甲西町 ハ旧 三 雲村〉 平松の 松尾神社の 株 座 で は、 父が死亡し て か ら で な い と座 員 の 正 装 で あ る 山烏 帽子 着 を着用 で きぬ 、と されて いる。 四六 回答記入例 が 少 いので 一般化 は で き な い が 、 村座の場合の方が 戸主や 長男 にメ ン バ ー シ ッ プ を 限定 するという 制 約 は ゆるむ ので は な いかと 、 一応考 えられる。 チ 、 昔と 今の差 異 こ れ は 以 上 の イ t ト ですで に か な り 出 て きている が 、 この 設問 で 問 い 直 してみ たところ では、 次の よ う な 回答例 があ っ た。 ホ の 項 で 先述し た H七 当9 とい う儀 礼上 の 段 階的役割 が あ る 二 つ の株座 の場合 は、 十七才の 入座 が 近 年、 二 十 才 の 成 人の時 と 変り 、 ま た 七 当 もだ いぶ 簡略に な っ た と い う ニの項 で 触 れたオ ト ナ の 七 十 五 才 定 年制 (村 座) は、 昭 和 二 十 年から そう な っ たとのこ とで 、 それ以 前 は生涯 隠退 はし な か っ た 。 村座 では、 こ うしたこともや り易 いだろう し 、 この方式 は今後 の 宮座へ の 一つの 示唆 で もあろう 。 ま た 、 大 正 初 年に村座 化し た例 では、 す べ て 座 の 常 会 に はか つ て決められている が 、 以前 はオ ト ナ に な っ て か ら 一番上 (イ チ パ ン ジ ョ ウ ) と よ ぶ オ ト ナ の 代表 者にな るのに八 年か か っ ていたのを、 これ では途 中 で 死 亡す るものもあるので 、 こ れを四年 に改 めたという 。 こ の回答 記入 だけ では詳細が わから ぬ が 、 こ れ も 一種 の定 年制で は な い かと思われる。 湖 東 ィ 、 株座と 村座の 別 この湖東 地域は大部分が 琵琶湖と鈴鹿山系 の聞 にひ ろが る近江盆 地で 、 湖岸 の近江 八幡 市 及び その 東方や や内 陸 の 八日市市 の両市 を中心 に し て い る。 湖岸 部 は、 いわゆる近 江商 人の 拠点 地帯 として早 くから経 済的 にひら
け た が 、 内陸部は純 農村地帯と し て い まも豊か な 風 光を とど め て い る 。 今 回の 調査 では、 肥後 博 士 の 宮 座 リ ス ト に ある 九 十 四 の う ち 、 ち ょ う ど半 分 の四 十 七 の 回答が 得 ら れ た が 、 そのほ とん どは内陸部 のも ので 、 や はり 宮 座は湖岸 部 で は 、 もはや衰退 し て し ま っ て い るも の と 一応 考 え ら れ る 。 〈前 掲 の分布 図参照 ) さ て 、 株座 と村座 の 別 で は、 株座と 明記さ れて いるのが 一例だけで、 犬 上郡 多賀町 (旧多賀村 〉 敏満寺 の 胡宮神社の 場合で ある。 ここ では、 二五 O 戸の うち 座員 は松宮 ・種 村 ・ 田中の 三 氏 姓 に 限 ら れ て い る(戸 数 不明 )。 他は 村 座と 書か れ て い るのが 大部 分で 、 記 入のな い の が 少 し あ っ た。 こ の 点、 次 の ロ の村 座化 の 時期 につ いて の 回答と も 関 連 するが、 おそ ら く こ の地 域 (湖東 の内陸 平 野部〉 ではか な り 早くか ら 村 座に な っ て いた も のと 思 わ れ る 。 あるいは 早く に人口 (戸口 ) が 安 定し 、 変動が さ し て な い ま ま に 今 に至 っ て い る とみ て よ いの か も 知 れ な い 。 とにか く 、 株 座が 多 い 前述 の湖 南 地域 (主 に山 間 部) とか な り 対照 的 で あ る 。 な お 、 湖岸部 の神 崎郡能 登川町 〈旧伊 庭村) 伊庭で は、 望 湖 ・ 大浜・ 徽峯な ど三神 社の 宮座 が組 織的に も機能 的 に も著 し く 衰退し て いるのに (肥 後博 士 の リ ス ト で は 明治 二 十 五年 ま で 〉、 他方 で は い わ ば 一種 の株 講が神 仏 混浴の か たち を と っ た 小 褐 社 堂 信仰と 結び ついて 発達 し 、 株座的 な組織 や機能 を果 し ている 諸例 (七例〉 が回答と し て 寄 せ ら れ た 。 〔写 真 参照 〕 こ れ をこ こでは グ在 地 ( ざ い ち γ とよ ん で いるが、 特定のいく つか の 氏姓 (家 筋〉 の戸主な い し 長男 に 成員を 限り 、 長男 は出生と 同時 に登 録 さ れ 、 この年 令序列が 上は オ ト ナ に も及 ぶ 。 そ し て 年 番の 当家制も 行わ れるし 一定 の 基 本財産 ( 山林 -田 畑〉 も最近ま で あ っ た か ら 、 ど う も こ れ ら の 例は 宮盛の 転移 あるいは 滋賀県の宮座 の 現 況 一 形 態の ように 思 わ れ る 。 そ し て 在 地は、 か な り 古 く (徳 川期〉 か ら 行 わ れて いたよ うであ る 。経済 的 に 早く ひ ら け た湖 岸東 部に か か る 形態が み ら れ る のは 興味深 いし 、 神 仏混 浴が深く か か わ る だけに 複 雑 な問題を含 ん で いる。
おにゅう
これ が 、 例えば竹田旦 教授に よ っ て 調査 報告 さ れて いる 福井県 遠敷 郡名 田庄 郷の ,地 の 神 講 グ とよばれる株 講あるいは株 内な ど と形態・機能の上 で 、 ど の よ うな 異 同があるも のか 、 成 立基 盤を も考 えると調べる価 値 は十 分 あるように思 う。 ハ竹 旧 日一 , 「 家」 をめ ぐ る 民俗 研究' 弘文堂刊、 昭和 四 十 四 年 、 二七 ot九九 頁、 参照 ) ロ 、 村座 化の 時期 と理 由 前項 でみ た如く大部分が 村座 で あ る が 、 村座 化の 時期 を明記し てあるの は五例 のみ で 、 そ れ ぞ れ 明 治 初年(土 分と 平の 区別が な く な っ たので )・ 大 正 二 年(差別を なくすため と費 用 が か さ ん だ ため 開放〉 ・ 昭 和 二 年 (合配再 編成 のため )・ 昭和十年( 理由不明 )・ 昭和十四年 頃 (理 由不明) である。 従 っ て前述の よ うに、 今回 の 回答 記入例か ら察 するに 、 ず っと以前 (す で に徳 川期) か ら 村 座 で あ っ た ところが大部 分で あ っ たの ではな い か 、 と 一 応 考え ら れる。 な お 、 肥後 博 士 の 調査か らは具体 的 に ど の 程 度 の も の が 株 座な の か 、 あるい はい つ 頃 か ら 村 座 な の か が わ か ら な い し 、 も ち ろ ん リ ス ト に も この点 の記 載が な い ので 、 私の 調査回答と の比較 ができな い。 ハ 、 双 分 的組織 四 十 七の 回答の うち 、 双 分 的な座 組織を 明記 し て あるのが十一例で、 東 四 七滋賀県 の 宮 康 の 現 況 西 (四 例 ) ・南 北 ( 一) ・左 右 合 己 ・大 小 ( 一〉 な ど と い っ た区分、 及 び 部落別 会 一) で あ る 。 そ し て 東 西 の う ち 、 氏姓 別 の も の と部落 別 の も の と が 一例 ず つ で あ る 。 ま た 、 蒲生郡蒲生町 (旧朝日 野村) 鋳物師 の 竹 田神 社 に は ,し ゅ し部屋p と よ ぷ 座 小屋 が 二 つ あ っ て || 四 月 の 宵 宮 ・ 六 月と十 二 月 の 例 祭や大 波 と か ・ 九 月 の 八 朔 及び月 例 の 座 の 行 事 を こ こ で は 「し ゅ う し 」 と よ ぷ il し ゅ う し も 別 々 に 行 われ る と い う 。 座 の 組 織も 四 村 (新 村) 座 (獅子舞) ・内 座 (だ ん じ り ) ・石原座 (宝枝幡〉 ・大 村座 (神輿) と い う よ う に 機 能 的 に 分 れ 、 且、 か つ て 竹 田 神 社 は 鋳物師以外 の 七 部落 の 郷 氏 神 で も あ っ た と い う し 、 ま た こ の 辺 り 一帯 に は 士 分 と 平 の 別 が い ま で も あ る と 一五 わ れ て い る か ら 、 こ の 双 分的組織 は な か な か 複 雑 の よ う だ 。 L 、 ず れ に し ろ 、 こ の 湖 東地域 の 営口 座 に は 双 分 的組織 が か な り つ よ く み ら れ る と 云 え る で あ ろ う 。 ニ 、 宮座 へ の 加 入 ・ 登 録 ・脱 退 の 方式 ほ と ん ど す べ て が 村 座 で あ る か ら 、 分家や移入戸 に 対 し て も 一般 に 差 別 は し な い 。 そ の よ う に 明 記 し た回答は 七例あ る が 、 た だ 自 動 的 に 宮 座 に 加 入す る と い う よ り は 、 何 ら か の 手 続、 例えば米 一俵 の 代 金を座入 に 当 っ て 納 め る と い う こ と が 、 す な わ ち 村 入 で も あ る よ う な場合が普通 の よ う だ 。 他方、 分家 は 認 め る が 移 入 戸 は い け な い と 明記し て あ る の が コ一例 、 さ ら に 移入戸 は次 の 世 代 か ら が 三 例 、 移 入 戸 は 十 t 二 十 年し て か ら が 二 例 あ っ た。 ま た 、 分家 ・移入戸と も年番神主 に な る順番が 、 た と え 戸主が年 長 で あ っ て も お く れ る と い う の が 一例 。 さ ら に ま た 、 分家や移入戸 は あ る特 定 の 座 に 加 わ る と い う の が 一例|! こ れ は愛 知郡愛東村 〈旧西小椋 村) 妹 の 四 八 春 日 神 社 の 官 座 で 、 こ こ は 妹 の 他 に 三 部 落 の 郷 氏 神 で も あ っ て (計 二 六 O 戸〉、 それら、 が い ろ い ろ に 連合 し て 六 つ の 盛 (こ こ で は 講と よ ぷ ) を つ く っ て お り 、そ の う ち の 一 つ に 分 家や移 入戸、 が加入 す る こ と に な っ て い る 。こ れ は 、 第 二 次 大戦 後 に 新 分家 た ち が つ く っ た 最 も新ら し い 座 (講) で あ る 。 家 に 男 子が な け れば養 子 や 聾 を と っ て 座入 さ せ る こ と も よ く 行 わ れ る が 、 こ の 湖 東地域で の 回 答 に は 、 戸主が 死亡 し て 男 子が なければ 一時 、 座 か ら は ず し 、 養子を と り ρ足洗' の 神 事 を し て 復 座 す る と い う 例が み ら れ る ーー 大 正 二 年 に 村 座化 し た 八 日市市 (旧蒲 生郡中野村〉 中野 の 中野神社。 座入 の 年 令 は 、 長男十 五 才 と明記 さ れ た の が 四 例 あ っ た 。 こ の う ち 長 男 が結婚 す る と父が退座 す る と い う の が 一例 、 ま た 六 十 五 才 で 年 番神主 (年 行司〉 を し て 退 く と い う の が 一例 で あ る 。 村座 と し て 面 白 い の は 、 当家が 全戸を 一巡 し た と こ ろ で 、 更 め て P座 の 組 か え グ が な さ れ る と い う 一例 で 、 そ の 場 合、 十 五 才 以 上 の 長 男 が い る 家 が す べ て (永住権を 認 め ら れ た 移入戸を ふ く む) 加入 す る |! 神 崎郡永源寺町 (旧蒲生郡 市原村) 石谷 の 白鳥神社 の 宮 座。 こ う し た例 を み る と 、 本来、 宮座 と い う の は か な り 柔軟 な組織を 一面 に お い て も つ も の と も思われ、 株座 の 方 が か え っ て 不 自 然 に さ え み え て く る 。 近江盆地 が 鈴 鹿山系 の 山 裾 で 切 れ る 辺 り の 石 谷 に 、 古く か ら 村 座 で あ っ た と み ら れ る こ の よ う な か た ち の 組 織が あ る の は 、 興味 深 い こ と で あ る 。 ホ 、 年番 神主と 当 家 の 選出方式 こ れ ら の 順 番が年長 順 だ と し て い る の が 十 一例 、 座入 (官付け) つ ま り 登録順 と答 え て い る の が 九例 で あ る が 、 宮付けも結局 は出生 順 だ か ら 、
括すれば 二 十 例 で 、 今回 の 回答記入が あ っ た 二 十 八 の 大 半が こ れ で あ る 。 そ し て 年 呑神主 (社守 と か 宮 守 と か よ ぷ ) に な る年 令 は 、 一般 に は オ ト ナ (長老) と し て高令で あ る こ とが多 い が 、こ の 湖 東地域 の 回 答 例 で は 、 十才 〈 一例 ) ・ 四 十 二 才 合 一) 、 若連中を お え て 合 一〉 と い う 具合 に 、 若干 の 幅 が あ る 。 ま た 、 長男が 十 五 才 に な っ た家、 が 当 家 に な る と い う の が 一例 あ っ た 。 年番神 主や当家 ハ人) が 必 ず し も 高令者 で な い こ と は 、 それぞれ の 宮 座 の 事 情 に よ っ て 、 そ れ な り の 意 味が そ の ス テ イ タ ス に あ る わ け だ か ら、 そ う し た組織上 ・機能上 の 吟 味をす る 必 要が あ ろ う 。 年長H 座入順以外 で は 、 神 占 に よ る も の (四 例 〉 ・古 来 一定 の 順 ( 一) ・ 区 (部落) 長が推 薦 し そ れ を区民投 票 に か け る ( 一) と い う回答が あ っ た 。 な お 、 年長順と い う 回 答 の う ち で 、 同年 令ならば、 それぞれ の 父 の 年 長順 に よ っ て き め る と い う 例があ っ た 。 こ れ は愛知郡 愛東村 (旧角 井村) 百済寺 の 白媛神社 の 宮 座 で 、 こ こ で は ま た 、 ト の イ エ 制度とも関連 す る の だ が 、 座 へ の 登 録加入 に 当 っ て 、 長男 は 十 五 才 ・次男は 二 十 才 ・ 三 男 は 二 十 五 才 で 座 入 す る と い う 。 い ず れ に し て も 、 か な り年令意識が つ よ い 例 と し て 注 目 し て お き た い 。 へ 、 年令階梯 の 役 割分担 何人衆と い う よ うな 長老階 梯 で あ る オ ト ナ の 組織 だけが明 確 で 、 あ と は 組織上 、 階梯 が は っ き り し な い の が 大半 で あ り 、 オ ト ナ の 年 令 は 五 十 才位 か ら が多く、 六 十 才を中 心 に し て い る の が 普通 で あ る ハ十七例)。 中老階 梯 ま で 組 織が明確なも の も 少 し あ る が 、 他方、 さ ら に 若 者階 梯ま で 明 確な も の が 五 例、 逆 に 長 老階梯が 組織的 に 不 明確 で 、 か え っ て 中 老階梯 (三 十 滋賀県 の宮座の現況 七 t 四 十 六 才 ) だ け や 中老 (二 十 六 t 四 十 五 才 〉と 若者 (十 五 t 二 十 五 才 ) の 階 梯だけが 組織的 に も 機能的 に も 明確な の が 一例、 ず つ 回 答さ れ て い る 。 五 長老 ・中 老 ・若 者 の す べ て の 階 梯が明 確 に と と の っ て い る 五 例 の う ち 、 組 織も機能も 最も整然 と し て い る の は 神 崎 郡 五 個 荘 町 (旧南 五 個 荘 村 ) 七 里 の 五 箇神社 の 宮 座 で 、 次 の 如 く で あ る 。 こ こ は 七 里 と 隣 の 石 馬寺部落 の 一部 、 計 八 十 戸 で 営 む村 座 で あ る が 、 男 子 は 十 二 才 に な る と 一月 二 十 一 日 の 座 の 初 寄 り で 、 「前髪」 と し て 座 入す る 。 こ れ は い わ ば グ使 い 歩 き ρ で 二 年 間 つ と め る 。 こ れ 以後、 七 十 才 の 「守人」 ま で 座員 と し て の 義 務が あり、 部落か ら他 出 し て も帰 省すれば当 然 の こ と と し て 、 行事 に は 所定 の 服 装 で 奉 仕 し なければ な ら な い 。 前髪 の あ と は 二 十九才ま で が 「若連中」 で あ る が 、 二 十 九才 の 者 の 中 か ら 然 る べ き者を 官世話 (後述) が若 連中頭を指名す る 。 若連中 は 区 (部落) 長 か ら 一 万 円 を 支 給 し て も ら っ て 運 営費用 の 一部 に し て い る 。 三 十 t 四 十 九才が 「世帯者」 (し ょ た〉 で 、 こ の 間 に 三 ヶ年を宮世 話 と し て 、 毎年 人ず つ が 順 番 に 宮 座や神 事 の 世 話役を つ と め る 。 ま た 、 四 十 才 位 の と き に 世帯宿 (し ょ た や ど ) の 杯 をうけ、 二 人 ず つ 一組 で 宵 宮 の 賄 を し な く て は な ら な い 。 こ れ は 、 い わ ゆ る 当 家 で そ の 費 用 は 約 二 万 円 だ と い う 。 五 十 t 六 十 才位が 「中老」 で 、 現在 の 定 員 は 十 名。 こ の 中 老 入 に も振 舞 を し な く て は な ら ぬ が 、 そ の 費 用 は 約 一 万 円 で あ る 。 な お 、 中老頭 は宵宮 の 宿 を提 供す る き ま り で あ る 。 中老 か ら先、 つ ま り 大体 六 十 一才以上が 「守人 」 で 、 そ の 最高年 令 は 七 十 才位と さ れ て お り 、 それ以 後 は お の ず か ら 隠退 す る 。 こ の 守 人 入 に も振舞 を し な く て は な ら ぬ が 、 そ の 費用 は 約 二 万 円 で あ る 。 か く て 、 」の 場合 は 、 少年 (前髪) ・青 年 (若連中) ・壮 年 (世帯者) 四 九
滋 賀 県 の 宮 座 の 現 況 老年 (中老〉 ・長 老 〈守人) と い う 、 極 め て 整 然 た る年令階梯 が 確 立 し て い て 、 組織的 に も 機能的 に も宮座が 一貫 し た年 令階梯 制 と し て 存 在 し て い る と 云 え る で あ ろ う 。 類似 の 事 例 は 、 先 の 湖 南地区 で も み ら れ た が 、 こ の よ う な事例を み る と 、 宮麗を民族学 H 社会人類 学 で い う年令階梯 制 の 一形 態 と し て 捉 え よ う と す る 私 の 意 図も、 あ な が ち 無 理 で も不自然 で も な い 、 と 一応 い え る の で は な い か と 思 わ れ る 。 ト 、 イ エ 制 度と の 関 連 こ の 項目 (宮 座 に お け る 長 男と 次 三 男 の 差 別) に つ い て の 具 体的な記入 回答例 は少 い の だ が 、 整 理 し て み る と 次 の 如 く で あ る 。 戸主 (家長) の み が 座 員 で あ る と し た の が 四例、 戸主 と長 男が 一例 、 長 男 は 座入す る が 次 三 男 は不可と い う の が ニ 例 で あ る 。 そ し て 座 帳 へ の 登 録 は 戸 主 と 長 男だ け だ が 、 次男以下 も座と し て 出 認 め る (い わ ば準座員) と い う の が 一例 で あ る 。 他方、 一戸 一名 で 誰 で も 戸主 と み な さ れ る と い う の が 一例 で あ る li こ れ は 先 に ロ の 項 目 で 明 治初年 に 村 座 化 し た と 記 入 し 、 ニ の 項 目 で 移入 戸 は 二 十 年し て 加 入 が 認 め ら れ る と 答 え、 ま た ホ の 項 目 で 当 家 は 区 (部落〉 長が推薦し それ を区民投 票 に か け る と 回答し た事 例 の 場 A口 で あ っ て 、 こ れ ら 一連 の こ と か ら 、 座 の 組織が 明治以降、 徐 々 に ゆ る ん で き て い る こ と を う か が う こ と が で き よ う 。 な お 、 村座 で は あ る 、が 士分と平 の 別 が 意 識 と し て の こ っ て い る と 先 に 指 摘 し た 一例 の 場 合 な の だ が 、 こ こ で は 地価 等級 割 に よ る 家 々 の 序 列が宮口座 に も み ら れ る と 回答さ れ て い る 。 こ れ が具 体 的 に ど ん な こ と を 意 味 す る か は わ か ら な い が 、 特殊な事例と し て 一応 、 注 目 し て お き た い 。 五 O チ 、 昔と今 の 差 異 す で に 今 迄 の 諸 項 目 の 中 に か な り 出 て き て い る が 、 吏 め て 聞 い 直 し て み た と こ ろ で は 、 階梯 (儀礼上 の 年 令的 な ス テ イ タ ス ) の 数 が 減 っ て 簡 略化 し た 〈 一例 )、 む か し は移入戸 は座 長 は で き な か っ た が 今 は で き る ( 一) 、 む か し は オ ト ナ が 青年 団を よ く 指導 し た ( 一) 、 な ど と い う 意 味 の こ と が 回答と し て 記 入 さ れ て い る 。 湖 西 ィ 、 株座 と村座 の 別 湖西 地 域 は 比 良 合 一国 H 比 叡) 山系が湖岸 ぎりぎり に せ ま っ て い る た め 、 北部 の 石 田 川 ・中 部 の 安 曇川 ・南部 の 真野川流域 に 僅 か な 平 地が あ る だ け だ か ら 、 集落 の 形 成も乏 し い が 、 それ だ け に 対 岸 の 湖 東 に く ら べ 、 都 市文化的 お くれも大きく、 従 っ て 宮 座 の よ う な古俗も い ま な お 温 存 さ れ る 傾向 が み ら れ る よ う だ 。 な お 、 は じ め に こ と わ っ た よ う に 、 私 の こ の 地 域 区 分 で は大 津 市を湖 西 に 入 れ て あ る の で 、 市街な い し 街 村部 の 宮座組織も 含 ま れ て お り 、 こ れ ら は ま た 、 それ自体、 特殊な様相を 示 し て い る 。 株座 と村 座 の 別 で み る と 、 全部 で 一一十 五 の 回 収 票 の う ち 、 村座が 十七、 株座 が 入 で 、 株座 が わ り に 多 い 。 但 し 、 株座 の う ち 四 例 は 市街な い し 街村 部 の も の で あ る 。 こ れら は 、 戸 口 (人 口 ) が多くな っ た た め に 、 座 に 関 係 す る 家 々 が 必 然的 に 結 集 し 、 (分家 も入れ ぬ U、 結 果 と し て 株 座 に な っ た と み ら れ、 神社自体 の 格 式も高 く、 儀礼神事も豪華 で あ る 。 そ し て 、 そう し た 格 式あ る 祭 儀 に た ず さ わ る こ と の 誇 り や 特 権意識 が 、 株座 をも た ら し た の だ と も 云 え よ う 。 大津 市瀬田町 (旧栗太加) 神債 の 建部神社 (も と官幣
大社) の 場 合 で は、 神領と 橋本二 部 落 二 、 二O O戸 の う ち 、 座を 構成 す る のは 一O O戸たらずだ が 、 ずっ と以前 は村 座の かた ち で あった ようだ と回 答 者は 記 し て い る 。 そ し て 神 領が 大 野 座 とし て 大 野 神 社 (同じ境内に ある 〉 に属 し 、 橋本が 弓 座 とし て 建 部神社 に属する 双 分 形 式 の 宮 座 で、 慶長 以来 の古 式にのっと った 儀礼神事を 伝承 し て おり、 第 二 次 大戦 後の 農 地開 放ま で、 両座とも相当の 資産 をもって 座の 運営を 行 っ て き て い る 。 こ うし て 伝 統的気風 が い まもつよ く遺 さ れ て いる わ け だ が 、 こ のような事例 は、 宮 座 一般から み れ ば 、 やは り特殊 なも の と見 なくて はな るまい 。 同じ株 座 で も 高島 郡安曇 川 町 (旧 本庄村 ) 川島の 阿志都爾 神社の場 合で は、 川島部落 一O O 戸 の うち 鹿を 構成する の は 提中・ 早藤・下司 の諸姓二 十四 戸で 、 分家は 家格に応じ た 加 入 料を 納め て 入座で きる 。 これ などは 、 まあ 普通の 株座 と 云 っ て よいだ ろ う。 株 座とは別 に氏 子組 織も 十分 にで き て い て 、 両者 が併存す る し て い る か た ち も あ る 。 例 え ば、 滋賀郡 志賀町 (旧 小松村〉 南小松 (二五O戸 〉 の八 幡神社 の場 合 は宮衆 の 四 家とよばれ る四戸で株 座が つく ら れ 、 このうち 二家が 一年 交代 でで宮 守(神 主) をつ と め る き まりで 、 両家に は座 を運営する た め の 一定の 資産が 保 管 され て い る と いう。 調査 票の 記述か ら推 察する と、 宮衆はか つて はも っと力 があっ た よ うで ある が 、 他 の二 家も 座の 財産 処分にから んで 、 実質的 には離脱 し て い る よ う だ 。 そ し て他方 で 、 氏 子 組織が つく ら れ て 、 かつて の 特 権的 な 宮衆を チ ェ ッ ク し て い る 、 と い う の が 実情 のようだ 。 か かる 株 座と氏子組 織 の 併存は 、 明確 に村座化 し 得 ない中間 的移行 形態 とみ て よ い の か もし れ ない 。 ま た 、 明治 初年に 株座 た る 宮 衆が 解 散 し た 後 、 その う ち の 一 家だ け が 代 々 神 主をつと めて きて い る高島 郡新旭町( 旧新 儀村 〉太 田の大 田神 社 滋賀県の 宮座の現況 の場 合も、 村座 と云 って も 、 この 南小 松のような もの と み た 方 が よ いよう だ 。 この 点 で 興味を ひ くのは、 同じく旧小松村・北 小松 ハ二 五O 戸) の 樹 下 神社 の村座で 、 ここ は明治 十 五 年に株 座から 村座にな って いる 。 こ の辺 り は士分 と平 の 区別 が 少 く とも 江戸中期まで あ った ようで、 その違 いが 宮 座 にも反 映 し て い た のかどうか、 ともかく明治 十 五 年 までは ,十 二 座 グ とよ ば れ る 座筋の家々だ けで座 が構成 され て い た 。 そ れ が 如 何な る 事 情 か ら 台、 8宮 係り H とし て 特 権的 地位が 変更 され る こ とに なっ て 、 村方 (部落 側) と の 聞 で 二年間に及 ぶ訴 訟に まで 発展 し た が 、 座方は 訴 訟 の 費 用 が か さ み (座の 財産も これ で失う〉 、 次々に 脱落し て 遂 に 大阪 控訴院の 判決 を 待 た ず に 終息 、 かくて 宮 座 はひ とま ず廃絶 され た と い う。 その 後 、 宮係り が 氏 子 総代とな って 、 いわ ゆる 氏 子 組織 に近 い村座形 式になり今日に至 っ て い る よ うである 。 以上 、 南北 両小松の事例 は、 株座 と村座をめぐ る 宮 座 の 特 権 的 H 身 分階 層構 造 や 意識とも から んだ 興味 ある 問題を 提示 し て いる と 思われ る が 、 L 、 ずれ 立入って 調べた いと 考 え て い る 。 戸 、 村座 化の 時期と 理 由 現在 は 村 座 で あ る が 、 もとは株座 で あ った もの の 村 座 化 の時期を記 入国 答例 で み る と 次の 如くであ る 。 明治 初期(二例) ・明 治 中 期 会 己 ・ 明治 末期 ( 一) ・第 二 次 大戦 後 ( 一) 最 近 (二 )。 こ れ ら は、 第 二 次大戦 後 と回 答 し て い る 事 例に、 経営困難 な る た め と い う理 由 が 明 記 し てあ る他 は、 どれ も理 由が記 され て いな い。 五
滋賀県の宮座の現況 た だ 、 最近 (昭和四 十年) と答 え て い る事 例||高島 郡 マ キ ノ 町 (旧観熊 村) 在原 の 日 主口神社 ーーー で は 、 地価 一 O O 円 以 上 の 家 々 に よ る 株座 で あ っ た の が 、 昭和 四 十 年 に そ の 制 限が な く な っ た と い う 。 こ の 例 は 、 い わ ゆ る 特権的 な株 座をも つ よ う な 家 筋 の も の だ け に よ る 株座 で は なく て 、 む し ろ 実質 的 に は早 く か ら 村 山座 な の で あ る と 見な し た方が よ く 、 それが 経済的階 層 日 家 格 の 条 件と し て 付 与 さ れ て い た の だ と 思う。 こ の こ と は 昭 和 四 十年 ま で は 、 地価 一 O O 円 の 増 減 に よ っ て 、 座 へ の 加 入脱退が さ れ て い た と い う 記 述 か ら も 云 与える と思う。 八 、 双 分 的組織 今回 の 回 収 票 で は 九 例 に 回答記 入があ っ た が 、 う ち 二 例 は 古 記録か ら の 写 し と 引 用 で あり、 ま た 、 も と 左右 二 座 が あ っ た と い う の が 一例 、 そ し て 現在も何ら か の 双 分 的組織が み ら れ る の は 六 例 で あ る 。 こ の う ち 四 例 は 明 ら か に 部 落 別 の 双 分 で あ る 、が 、 他 は そ う で は な い 。 こ れ ら の 何 れ に も 株時 も村座もあ っ て 、 別 に 両 者 の 整 合関 係 は な い 。 興味 深 い の は高島 郡新旭町 (旧饗 庭村) の 五 十 川 ・米 井 ・ 田 井 ・辻 沢 の 諸部落 (計 一 六 五 戸) を 氏 子 と す る 大 国主神社 の 座 で 、 い ま は 新 嘗講と称 し て い る が 、 古く か ら 講 と 云 っ て い た よ う で 、 兄 八 講 と 弟 八 講 の 二 つ に 分 れ て い る 。 い ず れも 五 十川部落 の P宮元H と よ ば れ る 一定 の 家 々 、 それぞ れ 十 二 戸 ・ 四 十 五 戸 ず つ で 構 成 さ れ る か ら 、 形態的 に は 一応 、 株 座 で あ る。 明確な年 番神主 制 は な い が 、 任期 三 年 の 選 挙 で え ら ば れ た世 話方 (官 世話) が 、 新宮や祭 礼 の とき に 神 宮を 招 い て 神 事儀礼を 行 い 、 そ の 際 に 講 の 当 番 (神 占 で え ら ぷ ) が 賄 い を と り し き る (そ の 費 用 には 講 員 の 会 費 と 五 世話 方 か ら の 補 助も含ま れ る 〉。 こ の 世 話方と当番 は 、 要する に 年 番神主 や 当家だ と み て よ い と 思 う し 、 全体 と し て 、 こ れ は 官口座 の 一 つ の か た ち だ と 考 え ら れ る 。 お そ ら く 本来 は株座的な宮 座 だ っ た も の が い つ の 頃 か ら か 、 や や 近 代 化 し た株 講 の か た ち を と っ て 、 こ の よ う に な っ た の で は な い か と 思 わ れ る 。 い ず れ に し ろ 、 講がず っ と昔か ら 兄 と 弟 の 二 つ に 分 れ、 世話方 もそれぞれ 二 人 と 三 人 、 当番 も 三 人 と 五 人ず つ 別 個 に 選 ばれ、 儀礼も宴会 も別 々 に 行 われ、 双 分 的組織 と し て か な り徹 一緒 に は し な い と い う 点 は 、 底 し て い る 。 し か し 、 こ れ が ど ん な 事情 に よ っ て も た ら さ れ、 何を意 味す る か は 、 当面 は何も わ か ら な い 。 な お 、 こ の よ う な 講 の か た ち を と っ た 宮 座 を 如 何 に 理解 す る か は 、 湖東 地 域 の 神崎郡能登川町伊庭 の 回 答事例 の 場 合 で も 言及 し た よ う に 、 今後 の 課 題 と し て お き た い 。 そ の 際、 比較 さ れ る べ き 参考 事例と し て 挙げ た 9地 の 神 講H の 分 布地域 で あ る 福 井県遠敷郡名 田 庄 郷 は 、 こ の 一高島郡 新旭町 か ら 朽木渓 谷を山越え し た と こ ろ で あ る だ け tこ 一層 興味深 い 。 ニ 、 宮 座 へ の加 入 ・登 録 ・脱 退 の 方 式 こ の 項目 へ の 回 答記 入 は 十 一一例 し か な い 。 こ の う ち 株 座 は 五 例 で 、 そ の 一 つ は イ の 項 で 先 述 し た よ う に (高島郡安曇川町 川島 の 阿 士山 都爾神社) 、 分家 は 家 格 に 応 じ た加入 料を 納 め て 入 座 す る。 七例 の 村 座 の う ち 、 二 例 は 分家 は加入 で き る 、が移入戸は不可と記し て あ り、 他 の 項 目 の 記 述 を あ わ せ て 考 え る と 、 部落 の ほ と ん ど 全戸が古く か ら の 地 つ き の 家 で あ っ て 、 実質 的 に 村 座 H 株 座 と い う か た ち だ と み ら れ る 。 そ の う ち の 一 つ 、 高島郡朽木 村中牧 の 日 吉 神社 で は 、 長男 が 十 八 才 に な る と ム ラ の 戸 主仲 間 に P十 八 振
舞H を し て 加 入 し 、 それをも っ て 座 入 と す る 。 こ の と き父 は 座 を息子 に 譲 っ て 退く。 次 三 男 は部 落内 へ 聾 養子 に い け ば 、 そ こ の 跡 と り と し て 同 様 に 振舞 し 入 庫 す る と い う 。 村座 の 他 の 五 例 の う ち 、 二 例 は 分家 は本 家と同じ (株筋 の 〉 座 に 入 り、 移 入 戸 は 親 戚や知人 の 座 に 入 る と 記 さ れ て お り、 他 の 記 述 と あ わ せ 考 え る と 、 こ れ ら で は 明 治中t末期 に 村 座 化 し た と は 云 ぇ、 ま だ も と の 株 座組織が消 え て い な い こ と が 十 分 に 窺 え る 。 例えば、 高 島郡新旭町 (旧饗 場村) 日 瓜 の 障 神社 の 場合 は北座敷と南 座敷 の 二 小 字が 別 々 の 座 を も ち 、 北 の 清 水 ・山川両 氏が諸人 (も ろ と 、つ ま り オ ト ナ 〉、 南 の 長 庭 ・ 三 田 村両 氏 が 脇 諸人と な っ て い て 、 こ れ に は こ の 地 へ の 先 住後住 と い う 地 っ き の 先 後関係 や姻 戚関係が か ら ん で い る ら し い 、 と の こ と で あ る 。 明治 四 十 二 年 に 座が開放され村 座 に な っ て 、 い ま は P結 (け ち γ よ ば れ て い る と い う が 、 こ の 名 称 の 意 味 は よ く つ か め な い に し て も、 と か く 上 述 の こ と か らも現 在 で も 株 座的色 彩、 が消 え て は い な い と 云 え よ う 。 高島郡今津町 (旧川上村 ) 深清 水 の 日 音 神社 の 場合も、 こ れ と ほぼ同様で あ る 。 こ の 他、 ロ の 項 で 先 述 し た が 、 最近 ま で 地 価 一 O O 円 の 増 減 に よ っ て 座 へ の 加 入脱退 が さ れ て い た村座 の 例 が あ る 。 ま た 、 男子が生れ た と き、 親 取り を し て 宮 衆台帳 に 登 録 し 、 そ の 年 度 の 春 祭 に 神事当番 を し て 座 (古く は株座だ っ た が 今 は 村 座〉 に 加 入 す る 、 と 記 入 回答し た 事例が あ っ た 。 ホ 、 年番神主 と当家 の 選出方式 こ の 項目 の 回 答記入 は 十 三 例 あ っ た が 、 そ の う ち 年 長順が 六例、 家並順 が 一例 、 年長順と家並順が 別 々 に 行 わ れ る の が 一例 (イ 、 で 先 述 し た 大 津 滋賀 県 の 宮 座 の 現 況 市瀬田町神 領 の 建 部神 社 で 双 分 的な弓座が 年長順 ・大 野座が 家並順) で あ る 。こ の 他 で は 、 古来 一定 の 順 ( 一例 )、 神占に よ る ( 一例 )、 特定 の 家 (二 例 日 イ で 先 述 し た 、 滋賀 郡志賀町南小松 の 八 幡神社 と高島 郡新旭 町太田 の 大 田 神 社) 、 選挙 に よ る ( 一例 )、 な ど で あ る 。 へ 、 年令階梯 の 役 割分担 こ の 湖西地 域 に は 、 今回 の 回 答 で み る 限り で は 、 長老 ・中 老 ・若 衆と い う明確な年 令階梯が 組織 的 に と と の っ て い て 、 機能的 な役 割分担 も は っ き り し て い る 事例 は な い 。 序列上、 一応 そう し た ス テ イ タ ス が 上 下 に 一貫 し て い る 場 合 は多少 あ る に は あ る が 、 こ れ も明確な組織と し て は存 在し な い と ょ う で あ る 。 従 っ て 、 こ の 地域 で は 、 い わ ゆ る オ ト ナ あ る い は そ ロ ト と い う長 老階梯 だ け が 組織的 に も 機能的 に も 、 き わ だ っ て い る と み て よ い で あ ろ う 。 記入 回答 例 で は 七 例 に お い て 、 こ れ が 明 記 さ れ て い る が 、 こ の 項 で 記入 が な く て も 、 回収票 の ほ と ん ど で 、 そ う し た こ と を 窺う こ と が で き る な お 、 前項 で 触 れ た 高 島郡今津町深清水 の 日 音神 社 の 場 合 は 、 ち ょ っ と 興味 深 い こ と が 記 さ れ て い る 。 こ こ は 明 治 二 十 年 に 一応 、 村座 に 変 っ て い る が 、 い ま で も 氏 子 は概ね氏姓 別 に 十 株 の 株 筋 に 分 れ て い る 。 そ し て 各 株 の 年 長者 (い ま は 大体、 五 十 才以上) 一 人 が 株 代 (か ぶ だ い ) と よ ば れ る 代表者 で あ っ て 、 他 の 株 員 は 株 代を親と よ び 、 株代 は 株 員 を 子 と よ ぶ 。ま た 十株中 の 最年長者 が 老 司 と よ ば れ る座全 体 の 統 括者 で あ る 。 な お 、 男子 の 年 令 に 応 じ た ス テ イ タ ス は次 の 如 く で あ る 。 「初宮参り 」 は 六 月 二 十 八 日 の 夏 居 で す る (長 男 は 次 三 男 よ り も特 に 念 五
滋賀県 の 宮 座 の 現 況 入り に 〉。 次 い で 、 三 才 の 男 児 は 年頭 に 「さ け か き 」 と い う 儀礼 の た め に 参 拝 す る 。 十 五 才 に な る と 四 月 十 二 日 と 十 一月 九 日 の 祭 礼 で 「烏帽 子着」 の 儀 礼 を行うが 、 こ の 年 に 結 婚 し た男子 も こ の と き 「祝言直 し」 を行う。 同 じ く こ の 時 に 、 三 十 才 の 男子が 「冠頭」、 五 十 才 の 男 子 (但 し 夫 婦 揃 っ て い る 妻帯者) が 「神役」、 つ ま り 年番神 主 と し て 祭 儀 に 奉 仕す る 。 こ れ をすま せ る と 「株代」 に な り、 順 に そ の 地 位を 次 の も の に 譲 っ て 隠 退 す る 。 こ の 年令階 梯的な ス ラ イ タ ス ・ シ ス テ ム は 、 官座 に お け る年 令階梯原 理を明ら か に 反映 し て い る と 云 っ て よ か ろ う 。 ト 、 イ エ 制 度と の 関 連 こ の 項目 の 回 答記入例 は 少 い 。 長男 は 座 へ 加入 す る が 、 次 三 男 は 不 可 と し た も の 四 例、 こ れ と実質 的 に は 同 じ と み ら れ る が 、 と く に 戸 主 が 正 座 (株) 員 で 長 男 は 準座 (株) 員 で あ る と 記 し て あ る の が 一例||前 々 項 で も前項 で も 触れ た 深 清 水 の 場 AT--で あ る。 他 に 、 成年男子が 正 座 員と記 し で あ る の が 一例 あ っ た 。 チ 、 昔と今 の 差 異 こ の 設 聞 に 更 め て 答 え て い る 例 は な か っ た が 、 以上各 項 に お け る 私 の 記 述 の 中 で 、 現在 ま で の 変 化 の 過程や現 状の 意味 に つ い て は 、 回答さ れ た 事 実 に 即 し て 、 あ る 程 度、 考察し た つ も り で あ る J 湖 ゴヒ 五 四 ィ 、 株座 と村 座 の 別 湖北 は 西 か ら 野 坂山系、 東 か ら伊吹 山 系 に す っ ぽ り固まれ、 琵琶湖 の 北 東岸 に 多 少 の 平野部が あ っ て 長浜市 ほ か い く つ か の 町 が 発 達 し て い る が 、 全体 と し て は 、 県下 で も開発 が 立 ち お く れ て い る 地 域 で あり、 こ と に 山 間 部 で は 、 宮座 の 如きも、 か な り 遺 っ て い る の で は な い か と み ら れ る 。 た だ 一章 で も 述 べ た よ う に 、 そう し た 地 区 か ら の 回 答が 不十分 で あ っ た の で 、 今回 の 調 査 デ ー タ で は 、 現在 の 実 態を よ く 把 え る こ と が で き な か っ た 。L か し 、 一応 の 現 況 と 全般的傾向 を み る こ と は 可能な の で 、 以下それ を報告 し て お こ う 。 湖北地 域 で は 、 座 と か 宮 座 と い う 名称 は あ ま り 聞 か れ な い よ う で 、 般 に 神 事儀礼や饗宴を さ す オ コ ナ イ あ る い は シ ュ ウ シ と い う 名称 が 用 い ら れ、 オ コ ナ イ 組 と か シ ュ ウ シ 組 と か 云 わ れ て い る 。 宮講 と か 講 と か い う 云 い 方 も、 あ ま り 聞 か な い 。 一一、 三 の 方 か ら 聞 い た 話 で は 、 伊香 ・東浅井両 郡境 の 己高山 (九 二 三 米 ) 鶏足寺か ら 眺 望 で き る範 囲 に 、 オ コ ナ イ が み ら れ る と い う こ と で あ る が 、 こ れ は 主 に 先 程 の 北 東湖岸 の 平 野部を さすも の と考 え て よ か ろ う 。 湖北 に は 、 こ の 他 に も伊香郡 の 山 間部 は も ち ろ ん だ が 、 私 の 地域区分 で t主、 坂田郡も入 る わ け で ( 一般 の 慣用もそう だ ろ う )、 こ れ ら に も 当然、 オ コ ナ イ は 現 在も あ る 程 度、 遺 さ れ て い る と み ら れ る 。 そ れ は 回 答記 入 さ れ た 事 実か ら窺え る だ け で なく、 今回 は回 答が来な か っ た と こ ろ (伊香郡余呉村丹 生郷な ど) で も 、 オ コ ナ イ が 古 い か た ち の ま ま 行 わ れ て い る よ う だ 、 と い う 話 を よ く 聞 い た 。 い ず れ 、 別 の 機会 に こ れ を 確 め た い と 思 う。