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フロー体験に関わる葛藤
一自意識の喪失を手がかりにー
人間教育専攻 現代教育課題総合コース 村 上 啓 太 第1
章 フ ロ ー 研 究 の 現 状 と 問 題 の 所 在 フロー(日ow) とは、心理学の領域では「行 うこと自体が楽しい活動に没入している時の意 識 が 淀 み な く 流 れ て い る 状 態J、を表している。 この概念は、心理学者であるチクセントミハイ(
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)が、人が幸せを感 じる時に対するインタビュー調査の結果から共 通して得られた発言内 容 に よ り 発 見 し 、 定 義 づ けたものである。 石 村 (2008) によると、従来のフロー研究で は、フロー体験をする能力は普遍的であること が仮定され、フローはポジティプなものという 前 提 の も と 、 そ の 状 態 に 対 す る 研 究 、 実 践 に 対 する研究が多く成されてきた。それゆえ、フロ ーに対する個人特性に関する研究が少ないこと がフロー研究の問題点として指摘されているO 本研究では、フロー体験時の主観的感覚の中 には「自意識の喪失と世界との一体感Jがある ことに着目し、自意識の喪失に関して不安を抱 くことがあるのではないかという仮定の下、そ のような個人特性を持つ人はフローになりにく いのではないかということを考察する。 第2
章 自意識の喪失に伴う感覚 (1)自意識の喪失に関するフロー状態時の主 観 的 状 態 指 導 教 員 谷 村 千 絵 チクセントミハイによるインタビュー調査の 結果、フロー経験者は自意識が喪失した状態に 対し、「行為が自動的に行われる」、「周囲や行為 の対象と融合した感覚であるJ と述べている。 また、チクセントミハイによると、自意識が喪 失しているフロー体験中にこれらを意識的に感 じているわけではなく、これらはフロー体験後 に振り返った時に思い起こせることである。 (2) ヨガからみる自意識と自意識の喪失 ヨガの視点から考察される自意識とは、隈想 ヨガにより、肉体からアートマンを切り離す前 の状態における我のある状態においての自分自 身に対する意識であるといえる。また、ワスデ ーヴァ・ナイア・アイアンカーによると、ヨガ における自意識の根拠とはアートマンのことで あり、自意識の喪失とは、肉体からアートマン が離脱した状態である。その状態は、究極には アートマンに存在する意識を感知している状態 であることから、ヨガは自意識を喪失させても そこは、「なにものも存在しない無」の状態には ならないと考えられる。 (3)仏教(曹洞宗)・禅からみる自意識と自意 識 の 喪 失 南の仏教的な解釈に基づけば、自分であると いう意識、即ち自意識は、あくまで「縁起」に よる関係の中で成立する「項」でしかなく、そ- 58 - - 57 - の「項j もまた決して固定化されたものではな い。対象との関係を続ける行為のプロセスであ り、常に変化している。そうであるにも関わら ず、固定化された自分があるとするのは言語に より引き起こされる錯覚である。そして、その ような錯覚を引き起こす根源的な原因は、自分 であることの根拠が欠落していることに由来し た根本的な不安による欲望である。 南によると、釈迦はアートマンもブラフマン も前提としていない。人間にも、宇宙にも根拠 があるとしない仏教のスタンスからみる自意識 が喪失した状態とは、何ものも存在しない「ま ったき無」である。つまり、禅により自意識が 喪失した状態とはいわば混沌のような「まった き無J、即ち「空」であると考えられる。 第3