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鳴門教育大学学術研究コレクション

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Academic year: 2021

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フロー体験に関わる葛藤

一自意識の喪失を手がかりにー

人間教育専攻 現代教育課題総合コース 村 上 啓 太 第

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章 フ ロ ー 研 究 の 現 状 と 問 題 の 所 在 フロー(日ow) とは、心理学の領域では「行 うこと自体が楽しい活動に没入している時の意 識 が 淀 み な く 流 れ て い る 状 態J、を表している。 この概念は、心理学者であるチクセントミハイ

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)が、人が幸せを感 じる時に対するインタビュー調査の結果から共 通して得られた発言内 容 に よ り 発 見 し 、 定 義 づ けたものである。 石 村 (2008) によると、従来のフロー研究で は、フロー体験をする能力は普遍的であること が仮定され、フローはポジティプなものという 前 提 の も と 、 そ の 状 態 に 対 す る 研 究 、 実 践 に 対 する研究が多く成されてきた。それゆえ、フロ ーに対する個人特性に関する研究が少ないこと がフロー研究の問題点として指摘されているO 本研究では、フロー体験時の主観的感覚の中 には「自意識の喪失と世界との一体感Jがある ことに着目し、自意識の喪失に関して不安を抱 くことがあるのではないかという仮定の下、そ のような個人特性を持つ人はフローになりにく いのではないかということを考察する。 第

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章 自意識の喪失に伴う感覚 (1)自意識の喪失に関するフロー状態時の主 観 的 状 態 指 導 教 員 谷 村 千 絵 チクセントミハイによるインタビュー調査の 結果、フロー経験者は自意識が喪失した状態に 対し、「行為が自動的に行われる」、「周囲や行為 の対象と融合した感覚であるJ と述べている。 また、チクセントミハイによると、自意識が喪 失しているフロー体験中にこれらを意識的に感 じているわけではなく、これらはフロー体験後 に振り返った時に思い起こせることである。 (2) ヨガからみる自意識と自意識の喪失 ヨガの視点から考察される自意識とは、隈想 ヨガにより、肉体からアートマンを切り離す前 の状態における我のある状態においての自分自 身に対する意識であるといえる。また、ワスデ ーヴァ・ナイア・アイアンカーによると、ヨガ における自意識の根拠とはアートマンのことで あり、自意識の喪失とは、肉体からアートマン が離脱した状態である。その状態は、究極には アートマンに存在する意識を感知している状態 であることから、ヨガは自意識を喪失させても そこは、「なにものも存在しない無」の状態には ならないと考えられる。 (3)仏教(曹洞宗)・禅からみる自意識と自意 識 の 喪 失 南の仏教的な解釈に基づけば、自分であると いう意識、即ち自意識は、あくまで「縁起」に よる関係の中で成立する「項」でしかなく、そ

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- 58 - - 57 - の「項j もまた決して固定化されたものではな い。対象との関係を続ける行為のプロセスであ り、常に変化している。そうであるにも関わら ず、固定化された自分があるとするのは言語に より引き起こされる錯覚である。そして、その ような錯覚を引き起こす根源的な原因は、自分 であることの根拠が欠落していることに由来し た根本的な不安による欲望である。 南によると、釈迦はアートマンもブラフマン も前提としていない。人間にも、宇宙にも根拠 があるとしない仏教のスタンスからみる自意識 が喪失した状態とは、何ものも存在しない「ま ったき無」である。つまり、禅により自意識が 喪失した状態とはいわば混沌のような「まった き無J、即ち「空」であると考えられる。 第3

自意識の消滅に対する不安とフローの 関係 (1)人が不安を感じるメカニズム 長野(1994)によると、一枚岩的な現実(とわ れわれが思っているもの)の背後に別のリアリ ティの存在を感知し現実世界が見せかけの信濃 性を失った状態や、シニアイアンに伴うはずの シニフィエが欠如しているという状態は不安を 引き起こす状態である。しかしその状態になる には、一枚岩的な現実の世界や、シニフィアン にシニフィエが伴っている状態に「親しみ」を 抱いていることが前提である。 (2) 自意識の消滅に対する不安とフロー体験 ヨガにおける自意識のある状態とは、意識や 思考を司るアートマンが宿っているため、その 状態から見る自分が自分である。よって、自分 というものを把握しているし、それに対し親し みを抱いていると考えることができる。 南の仏教的な解釈にもとづく自意識は、本来 的に存在するものではなく、作り上げられた仮 のものである。南は、人が実存するためには制 度が必要であると述べるO ある一定の条件を設 定することで初めて意味が生まれる。そして、 自意識もまた制度の一つであると考えられる。 以上のことから、自意識は人間にとって深い 親しみを抱く対象であり、人が実存するために 必要な意味づけをされたものであると言え、そ れがあることで秩序をもって日々を生きること ができると考えられる。 ヨガにおいては、自意識を喪失した後にも根 拠や秩序が存在し、決して混沌ではない。する と、自意識の喪失においてヨガ的な解釈の人は 不安を伴わないと考えられる。むしろ真理に近 づくため、快感を伴うことも考えられる。しか し、ヨガにおいて真理に近づく状態は非日常で あり、日常的に親しみのある自意識が喪失する ことも事実であるため、ヨガ的な解釈を深く理 解していない人は不安を伴うことも考えられるO 仏教のスタンスからみる自意識が喪失した状 態とは、いわば混沌のような、「まったき無」で あるO つまり、自意識の喪失に対し仏教的な解 釈である人は不安を伴うことが考えられる。し かし、それを深く理解し受け入れている人は不 安を伴わないことも考えられる。深く受け入れ ていれば、そこには無秩序という秩序、即ち「空」 が生まれるからである。 以上より、程度の差はあるがフロー体験の際 の自意識の喪失には不安を感じる場合があると 考えられる。自意識の喪失に不安を感じる場合 があるということは、自意識の喪失に不安を感 じやすいという個人特性を持つ人は、フローに なる前の段階、その過程で不安による葛藤が生 じると考えられる。

参照

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