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残雪の文体研究

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Academic year: 2021

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(1)平成八年度. 兵庫教育大学大学院学位論文. 残雪の文体研究. 教科・領域教育専攻. 言語系︵国語︶コース. M九五四〇六D 大門 晶子.

(2) 第一章  ﹁蒼老的浮雲﹂に見ちれる連想の手法・. 序章・・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮. . . .   8. 。 . .   8. ,  ◎  .     −. 目次.  第一節  ﹁亀﹂を軸とした言葉の連想・・・・⋮. 第二章  ﹁蒼二二浮雲﹂の主題・・::・・. .,.  25. ., ◆  25.  第二節 作品のトーンとなる感覚の連想・・・⋮.  第一節  ﹁亀﹂の持つイメージの二面性・・・⋮. 。..  29. ... 40. ⋮  37.  第二節  ﹁蹟﹂と﹁雀﹂の象徴性・・・・・⋮.  第三節 ﹁亀﹂﹁鼠﹂の占トと風刺性・・・⋮  第四節 残雪の主題構成法・・・・・・・・⋮.

(3)  第一節 中国の﹁鬼﹂・・・・・・・・・・・・⋮. 第三章 残雪が描く﹁鬼﹂:・・・・・⋮:. O. O. O. ■. ●. O.  第二節  ﹁蒼老的浮雲﹂の﹁五鬼﹂による人物の分類・.  第三節 麻老五の﹁鬼﹂としての役割・・・・・⋮ 終出早・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ⋮. 注記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮ 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・⋮. 9.. 43. ... 43. ・・9 46. ⋮  47. ... 57. . . . 61. ⋮  68.

(4) 序 章.  中国の女性作家残雪︵聯小聖︶は、 一九五三年に糊南省長沙巾に生まれ、現在も執卒中の作家である。邦訳は. 四冊出版されている。川版社によると、例えば代表作である﹃孝思たる浮囎ご ︵河出書房新社、 一九八九年刊︶. では、 ﹁混迷する中国から彗星のように登場した若き女性作家の描く時空を失った﹃賊﹄のひしめく衝撃的表現. 世界﹂や、 ﹃カッコーが鳴くあの一瞬﹄ ︵河出書房新社、 一九九一年刊︶では、 ﹁﹃これは強烈なデジャヴュな. のだ。人間の最も深いところに埋葬された永遠の記憶の歴気楼﹄ ︵置旧新聞書評︶。死と空虚の影を越えて激し. い生命に肖ろうとする著者の﹃世界﹄そのものの物語﹂、また﹃黄泥街﹄ ︵河出需房新社、 一九九二年刊︶では、. ﹁﹃彼女の物語は、エリオットの寓話やカフカのパラノイアの物語を思わせる﹄ ︵ニューヨーク、タイムズ︶。. 存在と非在に揺れる一つの通りの滅び、そしてありとあ・らゆる区分と境界の滅びの物語。﹂などと寸評されてい る。.  この、読者に不思議な感覚を与える作家残雪はどのような境遇で育ったのだろうか。これは、残雪の自伝的な. 作品﹁美麗南方之夏日﹂ ︹注1︺に詳しく書かれてある。それは、次のような書き出して始まる。.  一九五七年、父親作為︽新湖南報︾反歩集団頭目被劃﹁極右﹂、下方湖南師院労働教養、母親被遣送至三. 山労改。五九年、全家九口人従報社迂至岳麓山下両問十平方来左右的小平房、毎人平均生活費不到十元、又 遇上白然災害、父親既無儲蓄又無締毫外援、全家老少脅孔在死亡線上:::. ︵一九五七年、父が作った﹃新湖南報﹄が反言集団の頭目として﹁極右﹂と判断され、湖南師院に労働教護. として下方させられ、母は、労働改造として衡山に送られた。一家九人は新聞社から岳麓山のふもとの二間. −. 一. 鞠.

(5) 十平方メートルの部屋の平屋に移り住んだ、各自の平均の生活費は十元にも満たず、また臼然災害にもあい、. 父の貯蓄も外からの支援も全くなく、 一家は年寄り子供ともども死の線⊥をさまよった⋮⋮︶.  残雪は、知識分子一掃によって両親と離別し、山あいで極貧の生活を余儀なくさせられる。この作品は、この. ような経.歴を書体を変えて記している。そして、この個所をつないでいくことによって、残雪の経歴を知ること. ができる。以下簡略化して説明していく。残雪の家族は山あいの平屋の小さな家に引っ越した後、 一九六六年に. 文化大革命が始まり、残雪は小学校卒業で学問の機会を失うことになる。家族は離散し、残雪は一人暮らしをす. ることとなり、そこから父の所へ差し入れをする毎日となる。その後、町工場で十年忌まり働くなかで、一九七. 九年に父親が名誉回復された。残雪は子供を産んで町工場を退職したが、新たな就職先が見つからず、夫と独学. で仕立屋を始めるという最後のあがきを行う。現在は多少名の知れた仕立屋となり、家事と子育ての毎日という 生活のようである。 ︹注2︺.  このような生活の中で、処女作﹁黄泥街﹂ ︹注3︺が一九八六年差出版された。実際には最初に雑誌に発表さ. れたのは、 ﹁汚水上的肥臭泡﹂ ︹注4︺であるが、 ﹁黄泥街﹂が遅れて発表される形となったからである。この. 作品も含めて残雪の初期の作品の多くは﹃中国﹄に掲載された。この雑誌は、一九八六年十二月をもって停刊す. る。八八年九月に季刊の長編小説中心の雑誌﹃文学四季﹄が創刊されるが、八九年末に停刊している。そ−の原因 について、辻田正雄氏は次のように編集方針の問題を挙げている。 ︹注5︺.  ﹃中国﹄停刊の原因は何であろうか。編集方針そのものが問題にされたに違いない。 ﹃中国﹄誌上には、. 面謝︵一九五一年生︶、岩城︵五六年生︶、楊煉︵五五年生︶らの朦朧詩や、第三代詩と呼ばれる朦朧詩以. 後の若い世代の詩、たとえば、宋琳︵五八年生︶、張小波︵六四年生︶、孫暁剛︵六〇年生︶、李岩石︵六. 2.

(6) 0年生︶らの都市詩や以南︵六一年生︶らの感覚派の詩が、毎号のように掲載されていた。これらの詩は傾. 向はさまざまであるが、モダニズムの色彩が濃厚である。また、 ﹁蒼老的淫雲﹂を書いた残雪や、第一回 ﹁今天﹂詩歌賞を受けた多多らの実験小説にも多くの紙幅を割いている。そして、伝統批判の急先鋒である. 劉暁波や直進の評論も掲載されている。劉世論は知識人の愚忠を批判し、新時期文学に見るべき成果はない とまで論断した。.  これらが﹃中国﹄停刊の.原因であろう。また、牛漢や、詩人であり翻訳者でもある緑原といったかつての. は党の規律に違反したとして恩田となる。これについて. 胡風グループによって編集が進められることに対する作意党組の不満もあっただろう。  このように前衛的な作品を多く載せたため、 ﹃中国﹄. は﹃文芸報﹄にその原因と経緯がみえる。 ︹注6︺.  ︽中国︾是中国作鉱主掛盤一箇葉物、背理応受中国作協的領導和監督。但当作協領導筆意対刊物進行必要的 調整時、却遭到了︽中国︾編縛部某些落餌人的阻擁。這顯然是違背紺織規律的。. ︵﹃中国﹄は中国作家協会が主宰する刊行物のひとつである、それは中国作家協会の指導と監督に答えなけれ. ばならない、しかし当作家協会の指導組織が刊行物に必要な調整を行うとき、 ﹃中国﹄の編集部の某責任者 からの阻止にあった。これは明らかに組織の蜆律に背くものである。︶.  このような作家協会側の厳しい圧力の下で、残雪の処女作﹃黄泥街﹄は一部削除されながら遅れて発表となっ. た。この時代の作家の多くは新世代と呼ばれ、それまで規制が強くなかなか入ってこなかった外国の文学が入り だし、その影響を受けた時代でもある。 ︹注7︺. 一. 3. ︸.

(7) 残雪の小説は一般的には実験小説に分類されるが、彼女自身は手法について次のように述べている。 ︹注8︺. 我忽然就快三十了、十年来青春、就卒去孔中腎過去了。念慮得関干鳥十来年、関干以后、我十三説出一群話、 而這些話、是]般人不善意識到、不忠黙過的、我想川文学、用幻想的形式帯出這型番。. ︵私はあっという問に三十をすぎ、十年の青春は、手探りの中でするりと過ぎ去ってしまった。私はこの十. 年来のこと、そしてそれ以降のことを話すことができると思う、その話は、かつて普通の人が意識したこと. がなく、話したことのないもので、私は文学を使って、幻想の形式を使ってこれらの話をしょうと思う。︶.  ﹁幻想的形式﹂とは象徴的な表現であって、王緋が﹁超現実物化﹂ ︹注9︺というように超現実主義の手法の. ようだとの指摘もある︹注10一︺。超現実主義とは﹁潜在意識や連想作用を重視し、自然から直接得られる心象の. かわりに潜在意識の心象を新しい非現実的な統合において表現することを目指した﹂ ︹注11︺ものであるとして. おく。この定義をここで採用したのは、この﹁非現実的な統合﹂が残雪のいう﹁幻想﹂であるかとも考えられ、. また実際に、連想による非現実的なものとの結びつきが多く見られ、適切に簡略化された説明であると解釈した. ためである。連想は意識が流れていく際に用いられるものである。これは意識の流れという手法でもある。  また残雪は﹁我的創作﹂で、創作態度を次のように述べている。 ︹注12︺. 大家的雑芸都鈷在所謂﹁現実﹂的小篇藤里、視線白然難皆様到某箇隠蔽的地方。在那箇地方、作者灘酒行着. 自認為最真実的人生表演。這箇登窯、作者分明看見在某種可能性下、宮詣毎箇人門生死票関心、但書分明看. 見国民眼中無神的反応。⋮⋮︵中略︶⋮⋮誰也没了義務来棒場、也没有義務来関心某箇人繰在隠蔽之処的暴 動作、証他見鬼去好了。. 4.

(8) ︵みんなの脚はいわゆる﹁現実﹂の小さな世界の中にあり、視線は白帯とある隠された場所に達しにくくなる。. その場所で、作者は白墨する真の人生の表演を行う。この表濾に、作者は明らかにある種の可能性を見出し. た、それはどの人の生死にも関係しているものだ。しかし、国民には無神の反応が見られる。⋮⋮︵中略︶. ⋮⋮誰も決起する義務もないし、誰かの隠された場所での小動作に関心を持つ義務はない。彼等には鬼を見 せればそれでよいのだ。︶.  民衆には﹁無神﹂の態度が見られるから、 ﹁鬼﹂を見せればそれでよい、つまり、民衆は現実に立って目に見. えないあやしいもの︵﹁神﹂︶は信じないという態度だから、日に見えないあやしいもの︵﹁鬼﹂︶を見せれば. それでよいというのである。中国における神・鬼を説明するのに、神・鬼の両方を日本と中国の観念の差から適. 確に説明している論、 ﹃魯迅﹁人﹂ ﹁鬼﹂の葛藤﹄があるので、そこから引用すると次のようである。 ︹注13︺.             き  ﹁人﹂は死ねばすべて﹁鬼﹂となる。 ﹁鬼﹂の一部、たとえば孔子、老子などの聖賢、関羽、岳飛などの. 英雄の﹁鬼﹂が﹁神﹂となることはあっても、このことに変わりはない。中国の伝統的観念では、 ﹁鬼﹂は. わが国でいう﹁オ一ことは異なり、人間の死後の存在である。魯迅の実弟で文学者である周作人は次のよう に 述 べ て いる。.   私はいつも思うのだが、中国人の感情と思想はいつも鬼に集まり、日本では神に集まる。したがって中.   国を理解しようとすれば礼俗を研究せねばならず、日本を理解しようとすれば、宗教を研究せねばなら   ない︵﹁我的雑学﹂十四、 一九四四︶。. ﹁鬼﹂とは人間の死後の存在、つまり幽霊のことである。この﹁鬼﹂は中国文学ではよく用いられ、中国の民. 騨. 5. 一.

(9) 族性も付与されることがある。こうした民族的な意味合いを考えるとき、前掲した﹁我的創作﹂から考えられる. 残雪の態度は、どうせ理解されないのだからという開き直りの態度ともとれそうであるが、それだけとは考えに. くい。何故なら、この文章では無神の民衆に﹁鬼﹂を見せる意図が明確にされていないからである。無神の民衆 になぜ﹁神﹂ではなく﹁鬼﹂を見せるのか、そして﹁鬼﹂を見せることによって残雪は何をねらっているのかと. いう疑問がどうしても残る。そして実際、残雪の作品には﹁神﹂より﹁鬼﹂という字の方が多く見られる。また、. 前掲した残雪の自伝的な作品﹁美麗南方之夏天﹂では、残雪の祖母は棒で﹁鬼﹂を払い、死ぬ前に残雪に﹁鬼﹂ について次のように言っている。 ︹注14︺. 天井里子来﹁呼唱﹂的悶響、是外書手持木棒在那里趨鬼、月光照出難那蒼老而剛毅濡顔部、恨迷人。⋮⋮  ︵中略︶⋮⋮﹁其実鬼是認有的、我意了六十歳、従来也没見過。﹂⋮十握着弾的手説。. ︵庭から﹁ヒュッヒュッ﹂という声が伝わってきた、それは祖母が木の棒を持って鬼を払っていたのだった、. 月の光に照らされた彼女の蒼白とした意志の溶そうな顔は、とてもうっとりさせられた。:::︵中略︶⋮⋮  ﹁実際鬼はいないんだよ、私は六十年生きてきて、今まで見たことがない。﹂彼女は私の手を握りしめて言 った。︶.  ﹁鬼﹂は本当はいないんだと言った祖母が棒を振り回して払っていた﹁鬼﹂とはどのようなもので、残雪は祖 母がいう﹁鬼﹂をどのように理解したのだろうか。.  残雪の考える﹁鬼﹂とは何か、そして﹁鬼﹂を見せることによって何を意図し、作品の中でどんな意味をもた. らそうとしているのか。また、 ﹁神﹂と﹁鬼﹂は、目に見えないという点では、残雪が手法として用いる﹁幻想. 之形式﹂の﹁幻想﹂と共通するものであると言えよう。残雪の﹁鬼﹂を見せるという創作態度と手法はどのよう. 一. 6. 一.

(10) な関係を持っているのだろうか。.  残雪の文体の研究として、残雪が考えるこの﹁鬼﹂と作品の中に見られる連想の手法との関係を検証し、主題 を構成する残雪特有の方法を解明していく。これが本論の口的であり、方法としては、連想が顕著で﹁鬼﹂が多 用されている﹁蒼老的浮雲﹂ ︹注15︺を中心に検証していく。. 7. 働.

(11) 第一章. ﹁蒼老的浮雲﹂に見られる連想の手法.  残雪が考える﹁鬼﹂を考える前に連想の手法について先に考察していきたい。具体的には、初期の中編作品で、 広く海外でも翻訳された﹁蒼老的浮雲﹂に顕著に見られる、連想の手法を考察していく。.  この作品は﹁烏亀﹂ ︵カメ︶を軸にして連想が広がっていっている。それは﹁烏亀﹂ ︵ヵメ︶のイメージの連. 想も含めて作品の骨組みとなっているのである。その連想形態は蜘蛛の巣状になっていて、その周辺になると軸. の﹁烏亀﹂とは関係はないが、作品のトーンを決定する要素、この作品の場合音・においなどをベースとした連 想が見られる。. ﹁亀﹂の連想を見ていく。第一章で、はじめて﹁亀﹂が登場するのは次のような場面であ. 第一節  ﹁亀﹂を軸とした言葉の連想  まず話の展開の順に る。 ︹注16︺. 夜詰、在楮樹属下黒黒一点残香里、更善無道隔壁那箇女人諾了一箇相同的夢。両人都在夢中看見一只暴眼珠 的烏亀向他個的房子爬来。. ︵夜、梶の木の花の最後の残り香で、更三無と隣の女は同じ夢を見た。二人とも夢の中で、一匹の眼の飛び出 した亀が彼等の部屋に向かって這ってくるのを見た。︶. 一. 8. 葡.

(12)  このような夢を見た後、話は主人公の更善無が回想に浸る場而に移り、唐突に妻の牛耳との会話に移る。 その 会話の中で、慕蘭が金魚の話を持ち出す。それは次のようである。 ︹注17︺. 那男的居然還放了一箇破野選放在后面、里面義了両条黒金魚鳥、真理幼稚可笑的挙動!. ︵あの男は何とかラスの鉢を裏に概いて、中で二匹の黒い金魚を飼ったんだ、全く笑わせることをする!︶.  この、慕蘭と更善無の会話で金魚が出てきた後、唐突に更善無と隣の女との会話が始まる。しかし隣の女に意. 識が移ったためか、場面は急に更弊誌が隣の女、虚女華の家を訪ねる場而に移る。受善無は何か話したいことが                                     コガネムシ あって愚女華の家に行くのだが、うまく話せない。その更善無のセリフの中に、 ﹁金亀子﹂という言葉が出てく る。その場而は次のようである。 ︹注18︺. ﹁⋮⋮︵前略︶⋮⋮祢知道、那些花鳥開得人心門面的。有一箇時候、我是恨不錯的、我還二王地質隊帽。山. 面撃高的、太陽離黒酒瞳近、筒直一酒手就可以磁到⋮⋮当然、節這些有罪鐘意思、我側在同音一箇屋店下面. 住了八年、祢天天看到我、立看到我的時候、我就這様子。姫里肥壷来的時候、祢正在這間房子古帳轄、我断. 見床板、 ﹁±K±X冴冴nU  O  一  ︻﹂地響、心理霊寺、那間諜子壷有畜人黒和我一様、正隷農着悪夢四三纏。悪夢襲撃着小. 屋、従窓口鑓進来、圧在称身上⋮⋮等樹上結読了紅漿果、那時就会商金亀子飛来、我津田追慕安安穏穏地睡. 覚了、年年都這様。我夜里喜歓様両塊確将枕頭死死地圧住、無為法会出路不意地業提起来、把祢嚇一大跳。. 称整天洒殺虫剤、把平虫都毒死了、在黒暗里、当什慶東西襲来的時候、心理不藁薦囁?我喜歓有蚊滞在耳配. 備嚇地叫着、給我壮胆似的⋮⋮﹂他説来蛮的、連他自己都大喫一驚、不知在説些什器了。. 口. 9.

(13)   ﹁我要洒殺虫剤了。﹂煙看着他説、姑起雲斗掌噴筒。鈷走了九歩、又回輔頭来説:﹁漁法后面養了一盆洋. 金花、他個熱電種東西根利害、只要喫了朶以上就可以乱人死命。我喜歓這種東西、他漫罵人漫無辺際的夢想、. 弥老婆総在鏡子里倫着雪個咽?要是称想談祢心理那件事、悪日警急常来談、等我情緒好的時候。. ︵﹁⋮⋮︵前略︶⋮⋮わかってるだろう。あの花が咲いたおかげで人心が不安になったんだってこと。僕は間. 違いなく地質調査隊の仕事をしてた時だってあるんだ。山はとても高く、太陽は近くて、手を伸ばせばあた. りそうだった⋮⋮もちろん、こんな事言ってもなんの意味もない、僕たちは一つ屋根の下に八年も住んで、. 君は毎日僕を見てたし、君が僕を見たとき僕はもうこんなんだったんだから。夜亀がやってきたとき、君は. この部屋の中で寝返りを打っていた、僕はベッドの板が﹁ギシギシ﹂なるのを聞いて、ひそかに、あの部屋. の中の人も僕と一緒で、今まさに悪夢にまとわりつかれているんだなと思った。悪夢が小屋を襲い、窓から                                コガネムシ 入ってきて君の体の上にのしかかっている⋮⋮木に赤い実がなると、金亀子が飛んできて、僕たちは安心し. て眠ることが出来る。毎年こうなんだ。僕は夜二個の煉瓦で枕を必死に押さえつけつけてるんだ。だって不. 意にドンと鳴って、君をびっくりさせてしまう。君は一日中殺虫剤を撒いて、蚊を殺しているけど、夜暗闇. で何かに襲われても怖くない?僕は蚊が耳元でウォンウォンいってるのが好き、励まされてるような気がし.                          チョウセンアサガオ. て⋮⋮﹂彼はいろいろしゃべって、自分でも驚いて何を言ったのか分からなくなった。   ﹁わたし殺虫剤を撒かなきゃ。﹂彼女は彼を見ながらこう言い、立ち上がって噴霧器を持って行った。何. 歩か歩いて、また振り返ってこう言った。 ﹁わたし裏で金洋花を育てているの、これは恐ろしいもので、も し二つ以上食べたら死んでしまうものらしいわ。わたしはこういうものが好き、人を果てしない夢想にかき. 立ててくれるから、あなたの奥さん、鏡で私たちをのぞき為してるでしょう。もし心の中のあのことを話し たいと思ったら、いつ来てもいいわよ、私の気分のいいときなら。︶. l. O.

(14)   コガネムシ.  ﹁金亀子﹂が飛んできたら安心して眠れると更善無は言っているが、その即由は述べられていない。ここで出. てくる、それ以前に出てきた﹁亀﹂と﹁金﹂をつなぎ合わせたような﹁金亀r﹂はその必然性が不明でもあり、. 連想と考えるのが妥当であろう。以上で、連想を単純化すると、烏亀i←︵黒金魚︶−金亀子−金洋花の. ﹁亀﹂・﹁金﹂と、 ︵泥︶雲鳥︵亀︶!黒となる。また、 ﹁金洋花﹂には、その早手スに鎮痛鎮咳薬となる. 成分が含まれており、その後の話の展開の中で、 ﹁毎日寝る前に消炎鎮痛剤を一特認書せよ︵サルファ剤でも代. 川できる︶﹂ ︹注19︺という文句の書き付けを老況が母親から受け取る場而があり、この﹁金洋花﹂白体に含ま れている、鎮痛効果の有る成分によるイメージ的な連想であるとも考えられる。.  そして﹁金﹂色にこだわって﹁金﹂色に付随する事象の描写が多川される。この連想は視覚的な要素として次 の第二節で述べることにする。. 第二節 作品のトーンとなる感覚の連想.  この作品のトーンを決定する要素は感覚である。それも色・におい・音、つまり視覚・嗅覚︵味覚︶・聴覚の 連想が見られる。.  ここではその感覚を、視覚・嗅覚︵味覚︶ ・聴覚の順に見ていく。.  まず色・視覚についてであるが、第一節で述べた﹁亀﹂ ・﹁金﹂1﹁金亀子﹂の言葉の連想の中の﹁金﹂に. 連想の繋がりが見られる。ちなみに、前述した鳥←黒の連想も烏のイメージから色への連想へと移ってはいるが それ以上の連鎖を見せるには至っていない。  ﹁金﹂の色の連想としていくつか抜粋すると、次のような表現が見られる。. ロ. ー1. 一.

(15) ﹁⋮⋮︵前略︶⋮⋮深夜我在房間日走塁走去、隙見巨悪且且樹梢、正象]只淡黄発毛黒球⋮⋮﹂ ︹注20︺. ︶. ﹁⋮⋮︵前略︶⋮⋮深夜私は部屋の中でうろうろしながら、梢にかかった月が、淡い毛糸玉に見えた⋮⋮﹂. ︵. 原来他的謄子恨紅、上面有一層金黄色的汗毛。 ︹注21︺. ︵もともと彼の顔は紅く、表面には黄金色の産毛が生えている。. 妃一閉眼、立刻就看見向日葵空花盤、 一箇又一箇、熱娯端的、黄金的⋮⋮︹注22︺. ︶. ︵彼女が眼を閉じると、すぐに向日葵の花びらが見えた、それは一つ一つが熱く燃える、 黄金色の⋮⋮︶ 黄的灯光照着、屋里有種隠秘的邪悪。 ︹注23︺. ︵黄色い光に照らされて、部屋の中は一種秘密めいた邪悪さがあった。.  金色と黄色は色彩的にも近いものなので﹁金﹂ ・﹁黄﹂の言葉の連想ではないが、ここではその色に付随して. 描かれる事物が、色から想起されたものとしてふんだんに描かれている。この﹁金﹂色は視覚的な要素として、. この作品のトーンを決定しているといえよう。この﹁金﹂のトーンは、序章でも挙げた自伝的な作品﹁美麗南方. 之夏日﹂に見られる一種高揚した情緒と通じていると思われる。その場面を挙げると次のようである。. ⋮⋮︵前略︶⋮⋮、天地万物都応和着這圧厳神秘的脚歩、夕陽的金門里汲出数不落的煽蠕、我的小顔在這大 的歓喜里張紅了。.  到今天我乃然有這箇習慣、露量屏住気心銭荘所、面罵歩声在我的血管里響起来了。経常地、官詩会震昏我. ︶. 一. 12. 馳.

(16) 的頭脳。 ︹注24︺. ︵⋮⋮︵前略︶⋮⋮、天地万物がすべてこの厳粛な脚音に呼応している、夕陽の金の門の中から数え切れない. ︹注25︺. 蠕蠕が飛びだしてきて、私の小さな顔はこの大いなる喜びの中で紅潮した。  今になっても私にはまだこの習慣がある、じっと耳をこらして聞くと、あの四三が私の血管の中で響き出 す。そうなるといつも、私の頭はくらくらとしてくる。︶. この高揚した情緒は、残雪が作品を描く際の情緒と通じているのではないだろうか 次ににおい・嗅覚については﹁臭﹂の連想が見られる。 この作品﹁蒼老的浮雲﹂は冒頭から嫌なにおいで始まる。そのにおいは次のようである。.  楮樹上的大花含満了雨水、変得丁重起来、三一三九就﹁噌幡﹂ 一声落下一朶。  一通夜、青鷺無都在這種煩人的香気里倣着夢。那香気里四股濁味兀、使人聯山隠溝水、聞到官人就頭脳発 昏 、 胡 思 乱想。. ︵梶の木の白い花が雨水をたっぷり含んで、重くなって、やがて﹁ボタッ﹂と一輪落ちた。. ここでは﹁臭﹂の字は用いられず、.  夜通し、諸善無はこの煩わしいにおいの中で夢を見た。そのにおいは濁っていて、どぶを連想させ、その せいで頭がぼうっとして、あれこれ思いが乱れた。︶  この﹁楮樹﹂ ︵梶の木︶の花の煩わしいにおいは濁ったどぶのにおいがし、. ﹁味﹂を用いているが、以降の﹁臭﹂11においを連想させる源になっている。この冒頭部のすぐ後で、臭い屈を するという場而がでてくる。その場而は次のようである。 ︹注26︺. 響. 13. 卿.

(17) 二天里、老婆楡倫膜摸地倣了一本当子安二一根竿上、将那花九一朶一朶三下来、掲燗、煮浸菜湯里、姥遮遮 掩俺、躾媒閃閃、勉着屍股忙箇不急、自誓為自己的行動根秘密。老婆一喝了那種生湯夜里就打製屍、一箇接 一箇、打箇没完。. ︵昼間、妻はこそこそと竹竿でひっかけてあの花を一つ一つ落として、潰してスープにした。人目を忍んでこ. そこそと、尻を突き出してせわしなく、自分では誰にも知られていないと思っているようだった。妻はその あやしいスープを飲んで夜に臭い混をした。︶.  ここで、妻の慕蘭が梶の花をスープにして飲むのは、梶の花を見たら急に食欲がわいてきたためで、慕蘭自身. は梶の花のせいにしているが、夫の更善言は姑の放庇癖が遺伝したためと考える描写が以降出てくる。これ以降、 においが近接して描写される。抜粋して挙げると次のようである、 ﹁⋮⋮︵前略︶⋮⋮我還、以為是湛欄的白菜的味九帽!﹂ ︹注27︺. ﹁⋮⋮︵前略︶⋮⋮僕は腐った白菜のにおいかと思った!﹂︶. ︵.  ﹁外面的香気煩人得根、雨水把樹上的花朶都泡燗了、⋮⋮︵後略︶⋮⋮﹂ ︹注28し. ︵﹁外のにおいは全く煩わしい、雨がかかってみんな腐ってしまったんだ、⋮⋮︵後略︶ ⋮⋮﹂︶ 岳母悶悶地放了九消化不良的臭屍、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︹注29︺ ︵姑は押し黙って何発か消化不良の臭い厩をし、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︶. 一. 14. 一.

(18)  隠隠約約地聞到了一股、腺味九。 ︹注30︺  ︵彼女はかすかに生臭いにおいを嗅いだ。︶   那丸子有股鶏糞味九、他壊疑是鶏糞倣的。 ︹注31︺.  ︵その丸い粒は鶏の糞のにおいがし、彼は糞で作ったのではないかと疑った。︶   傷心地放着臭庇、⋮⋮︹注32︺  ︵悲しそうに臭い厩をして、⋮⋮︶.  これらのにおいは一般的に不快なにおいである。このように不快なにおいが近接して続いた後に﹁臭﹂の字を つかって﹁臭虫﹂という言葉が出てくる。それは次のようである。 ︹注33︺.      ナンキンムシ.   昨天与隔壁女人輔在床上時、他発現自己捏死了一只臭墨、他将血擦在床沿上、心理暗暗打定主意再不到這床   上来睡覚。                           ナンキンムシ.  ︵昨日隣の女のベッドで横になっているとき、彼は自分が臭虫を潰してしまったことが分かりその血をベッド   の縁でこすって拭き、ひそかにこのベッドに来て寝るのはやめようと思った。︶.         ナンキンムシ                                                           ナンキンムシ.  ﹁酸甲信﹂ ︵酢漬けキュウリ︶のにおいを嗅いで我慢できずに虚言華の家にやってきてしまった更善無は、虚. 女華のベッドで﹁豊里﹂を潰してしまったことをきっかけにもう来るのはやめようと考える。 ﹁臭虫﹂は、それ. 一. 15. 一.

(19) 以前から続けて描写されている不快なにおいと、不快なにおい←臭い屍←黒虫という連想を引き起こしている。. この﹁臭虫﹂の登場から後、 ﹁臭﹂という字を使ってにおいを表すことが多く見られるようになる。例えば﹁花.    ナンキンムシ. 的臭味﹂ ︵花の臭いにおい︶ ︹注34︺、 ﹁酸臭的汗液﹂ ︵酸っぱい汗のにおい︶ ︹注35︺、 ﹁臭豆腐干﹂ ︵酸化. した豆腐を干したもの︶ ︹注36︺、 ﹁狐臭﹂ ︵わきが︶ ︹注37︺、 ﹁臭魚﹂ ︵腐った魚︶ ︹注38︺といった描写. がある。このなかで、 ﹁狐臭﹂は﹁酸臭野塩液﹂を言い換えたもので﹁酸﹂に注目すると﹁酸黄瓜﹂ ︵酢漬けキ ュウリ︶ ︹注39︺との連想も絡んでくる。また、この﹁瓜﹂に注目すると﹁西瓜﹂が出てくる歳男があり、 ﹁酸. 黄瓜﹂の描写との近接から連想と考えられる。そして﹁西瓜﹂が出てくるのは一度だけでその都舞では少し唐突 で違和感を感じる。その場面は次のようである。 ︹注40︺.   更善無一跨出門去、就踪在一塊西瓜皮上、仰天脾了一大交。他宿運厩股定晴一理、発現門炊下一字野壷開四、   五塊西瓜皮。.                          スイカ  ︵更善無が門を一歩踏み出すと、そこに置いてあった西瓜の皮を踏んで、仰向けにひつくり返ってしまった。.   彼がお尻をさすりながら見ると、敷居にずらっと四、五枚西瓜の皮が並べてある。︶.  ここでは﹁金字塔﹂ ︵ピラミッド︶という言葉も使われており、前述した﹁金﹂の連想とも絡んでいる。この ように連想同士が蜘蛛の巣状に絡んでいる。.  その他のにおいの連想には、 ﹁爽竹桃﹂の連想が見られる。これは﹁爽竹桃﹂のにおいの描写から﹁來﹂の字 の連想へと移っていっている。それは次のようである。 ︹注41︺.   下一次那男人工来談那前事的時候、面一定斎告訴他、蛇喜歓過爽竹桃。到太陽離得根近︵一伸手思立以猟到︶、. 瞬. 1. 6. 一.

(20) 火竹桃的花朶帯着苦灘的香味、開起来的時候、⋮滞在樹底下鉋得象兎子一様快!. ︵今度あの男があのことを話しにやってきた時、彼女はきっと彼に白髪は來竹桃が好きだったことがあると言. わなければと思った。太陽がすぐ近くにあって︵手を伸ばせばつかめそう︶、來竹桃の花は苦みを帯びたに. おいがして、そのにおいがしだすと、彼女は木の下で兎のように軽やかに走り回った!︶.  ﹁⋮⋮不錨、泥漿熱型象煮運上的粥、上甑鼓着気泡。器量過的時候、脚板上藁出r泡、眼珠暴得単三掠出. 来⋮⋮爽竹桃与山菊花的香味有什籔区別?弥能心得清囁?我不稔睡覚、我一耳元、那些樹枝就抽在我平顔上、. 痛得要発狂。我時常根奇怪、右椚是厄瞳鴇草[伸進来的帽?我不是己経叫屈狸野上r鉄条了囁?︵我暇装対. 他意業即急倫。︶我打算別外倣両扇門、上而也遍満鉄条、這一来索子就象箇斎篭子了。也許在鉄平子里我才 睡得着覚?累死了!﹂.  慕蘭正従沙鍋里将排骨爽出来、要諸等去漸桧⋮。看着姥張開的血特大嚇、更虚無恨驚異、根疑惑。.  ﹁什麿東西作響⋮⋮﹂他遅遅疑疑地説。.  ﹁老鼠。我早上不監置嵩高愚子的。寄算過去了、開花的那些天真可伯⋮⋮謡扇為俳要掲什瞳名評。﹂.                                             ︹注421︺. ︵﹁⋮⋮そうよ、泥はまるで煮たったお粥のようで、表而はぼこぼこと泡立っていた。それが這ってきたと. き、脚には水膨れが出来ていて、目玉は飛び出し向きを変えてこっちへ向かってきた⋮⋮來竹桃と山菊の花. のにおいどう違うのだろう?あなたはっきり区別できる?私は眠りたくない、眠るとあの木の枝が私の顔を. たたいて、痛くて気が狂いそう。いつも不思議に思っているんだけど、あの木の枝はどうやって窓から入っ. てくるんだろう?私はもう老齢に言って鉄で釘付けにしてもらったのに︵彼には泥棒よけと嘘をついた。︶. 別に二重の戸も考えている。その上に鉄を打って、これでこの家は鉄の濫のようね。ひょっとすると私は鉄. 17.

(21) の濫の中でしか眠れないのだろうか?本当に疲れた!﹂  慕蘭はちょうど鍋の中から埋骨を囲みだし、歯で裂いた。その大きく開いた血のように赤い口を見て、更 善無はふと、変な感じがした。.  ﹁何か聞こえる⋮⋮﹂彼はためらいながら言った。.  ﹁鼠だよ。朝鼠取りをはずすべきじゃなかった。すべては過ぎ去った、花が咲いたあの何日かは本当に怖 かった⋮⋮あなたが何かたくらんでるんじゃないかと思って。﹂︶.  ここでは、來竹桃i←骨を認むi←鼠を來む︵ねずみ取り︶という連想になっている。まず語り手が虚汝華の. セリフから慕蘭へと移り、その中で、 ﹁來﹂という字が連続して使われている。場面が移動しているにも関わら. ず、 ﹁爽﹂という字のみが近接して使われている。これは作者側の意図的な語連鎖であると考えられる。これら. のにおいは先にも述べたように主に不快感をもよおすにおいである。しかし、不快なにおいではないものもある。. これは、においの分類とその意味づけとして、第三章の第三節で行っているのでここでは雀略する。  次に、音・聴覚の連想として、 ﹁麻﹂i←雷へとイメージの広がりが見られる。この﹁麻﹂は人の名前﹁麻老. 五﹂としても使われているが、最初の使われ方は﹁麻雀﹂で、その後﹁麻痒﹂ ﹁麻老骨﹂とつながり、形容詞的. にも用いられるようになり、 ﹁麻八五﹂の人物の特徴として更に連想が広がっていく様子も見られる。その﹁麻. 老五﹂の特徴としては頭に瘤があり、それが肉の球へ、そして比喩的に肉の塊がごろごろ転がる様子と音︵﹁轟. 隆隆﹂︶へ、そして雷の音へと連想が広がっているのである。話の展開の順に挙げると次のようである。. ﹁仇口側屋里有没有殺虫剤?﹂隣居野老五抽出下痢上生了一箇大肉瘤葺石、微笑着向。 ︹注43︺. ﹁君たちの家に殺虫剤はあるかい。﹂隣人の愚老五が大きな瘤のある頭を近寄らせて、こっちに笑いかけな. ︵. 一. 1. 8. 陶.

(22) がらやってきた。︶. 他在母親的目光下汎喪地縮成一団、変成了一箇大肉球、微微額料薪。 ︹注44︺. ︵彼は母親の眼光に気力がくじけ、縮こまってかたまり、大きな肉の球になって、 ぶるぶる震えた。︶. 前不義的一天夜里、⋮肥正門倣一箇捕蜆虫機器、忽然夢里的一声雷鳴将妃驚醒過来、姥よ拷亮竃灯、又所見了第. 二声、大三声⋮⋮艶艶上衣、朝九子房里走去、肴見証象一箇肉球那様蜷早着、雷声原来機甲従那箇三十的肉 球里而発出来的日﹁轟隆隆、轟隆隆⋮:﹂ ︹注45︺. ︵最近のある夜、彼女がちょうど蝶を捕まえている夢を見ていた時、突然夢の中で雷が鳴り響き、彼女は驚い. て目を覚まして、灯りをつけると、又二度、三度⋮⋮と音が聞こえた。彼女は上着をはおって、息子の部屋 に歩いていくと、彼は肉のかたまりとなってうずくまっているのが見えた。なんと雷の音はあの肉の塊が震 えて出した音だった”﹁ゴロロ、ゴロロ⋮⋮﹂︶ 我的股間長了一箇瘤子、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︹注46︺ ︵私の股間には瘤があるんだ、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︶ ﹁麻老五就要変成一箇肉団。﹂ ︹注47︺. ︵﹁麻老五は肉の塊になるわ。﹂︶. このように、 ﹁麻老五﹂+﹁肉瘤﹂一←﹁肉球﹂・﹁肉団﹂ ︵老況︶一それが転がる音︵轟隆隆︶−雷鳴. 殉. 1. 9. 隔.

(23) という連想が見られる。この他にも﹁麻﹂の連想には﹁麻点﹂ ︵まだら︶ ︹注48︺、 ﹁密密麻麻﹂ ︵ぎっしり︶. ︹注49︺、 ﹁肉麻﹂ ︵ぞっとする︶ ︹注50︺といった用い方も見られる。この﹁麻﹂は﹁麻痒﹂ ︹注51︺として             しび も用いられており、 ﹁麻﹂“託れる一←痙攣︹注52已といった連想の広がりも見られる。.  ﹁麻﹂からの連想として雷鳴へとつながつたが、次に雷に関係して雷が落ちる・割れるといった意味を持つ ﹁辟刀﹂の連想を考える。この﹁辟刀﹂は擬音語としても動詞としても用いられている。.  この作品は冒頭部を少し過ぎたところで﹁辟刀壁粕粕﹂ ︵ビチャビチャ︶という擬音語が出てくる。それは次の ようである。 ︹注53︺. 他生気地踏倒了一朶日中無人的小東西用足尖在地上掘了︼筒浅浅楽器、抜着泥巴将那朶花埋起来。在他﹁勢 辟刀粕珀﹂地干這勾当的時候、⋮⋮︵後略︶⋮⋮. ︵彼は腹を立ててこの限中に芸無しの小さな花を踏みつぶし、つま先で地面を少し掘って、泥をその花にかけ て埋めた。彼がそこで﹁ビチャビチャ﹂と花を埋めている時、:::︵後略︶⋮⋮︶. 次に、この擬音語と近い個所で﹁辟刀﹂を動詞としても用いているところがある。それは次のようである。.                                              ︹注54 ︺.  ﹁我有箇隣居、在打雷的当九開収音機、 一下感温雷壁成田両段!⋮⋮︵後略︶⋮⋮ ︵私の隣人で、雷が鳴っているときにラジオをつけていて、雷に打たれて真っ二つになった人がいる1⋮⋮ ︵後略︶⋮⋮︶. この擬音語の﹁辟刀壁粕粕﹂と動詞の﹁二刀﹂はどちらも第一章の︵一︶に含まれており、その後各章ごとに﹁壁﹂. 口. 2. 0. 冒.

(24) が動詞として用いられている。章ごとに見ていく。. ︶. 最近有一次、他和汝華在勢而相遇、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︹注55︺ ︵最近、彼は汝華と街中で出会った、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︶ 瞬見在遠処的什簸地方驚雷勢倒了一楳大樹。 ︹注56︺. ︵彼女は遠くのどこかで雷が大木に落ちるのを聞いた。 大樹之在清農被雷辟刀倒的。 ︹注57︺. ︵大木は朝早く雷に打たれて倒れた。. ︶.  このように、各寝ごとに﹁辟刀﹂が用いられているが、どれも雷で割れる・ぶつかるといった表現である。. ︶. 他、この﹁辟刀﹂と同じ音の﹁僻﹂も擬音語で二箇所用いられている。その個所を挙げると次のようである。 整箇城市都在紅光中晃動、空中﹁癖粕﹂作響。 ︹注58︺. ︵街中で紅い光が揺れ動き、空中で﹁パチッ﹂と鳴った。. 有人在后而的溝里蝦藻、 ﹁縣里粕軸﹂的声音離無塩り悸地響飛来、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︹注59︺. ︵裏の溝でおしっこをしている人がいる、 ﹁ビチャビチャ﹂という音が何の気兼ねもなく響きわたった、   ︵ 後 略 ︶ ⋮⋮. この. 一. 21. 一.

(25)  火花が散る音と小便をするときの音であるが、小便をするときの音﹁僻里雪砿﹂ ︵びちゃびちゃ︶は前に挙げ. た泥を蹴るときの音﹁壁絵三号﹂ ︵びちゃびちゃ︶と水がはねる音という点で共通しているにもかかわらず使い. 分けが見られる。もともと中国語で擬音語・擬態語を表記する際は、漢字自体の意味をあまり考えることなく、. 擬音・擬態に近い音を持つ字を当てるというものである。よって擬音語を表記する際﹁辟刀﹂を使おうと﹁縣﹂を. ︶. 然后難曲:⋮⋮. 使おうとどちらでもかまわないわけである。しかし、残雪の﹁勢﹂の使い方は、他の作品を見ても動詞としての 使い方しか見られない。 ﹁種在走廊上的革果樹﹂では、. 他緻出一箇漂亮的壁叉動作、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︹注60︺ ︵彼はヒュッと切って割る動作をした、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︶ 他蛸下去、完全象是刀壁開来一半。 ︹注61︺. ︵彼が横になったのを見ると、刃物で真ん中から断ち切ったようだった。. というような使い方である。また﹁繍花石巌蓑四老油溝煩悩﹂での使い方は次のようである。. 忽然地盛捧靴座到虚器上来、 一ロバ手緊緊工費住我的瀬頭、別]只手掌用一壁、壁得平起来、   ︵ 後 略 ︶ ⋮⋮︹注62︺. ︵突然靴を脱ぎ、ベッドに上がり、片手で私の肩を強くつかむと、もう片方の手で斬りつけ、 私を飛び上がら せた、それから彼女は話し出した、⋮⋮︵後略︶⋮⋮︶. 陶. 2. 2. 聯.

(26)  これらの﹁勢﹂は、真っ二つに切る・割るといった意味の動詞として使われている。そして、この他の作晶に. も擬音語として﹁勢﹂を用いる語法は見られない。このことから、残雪が﹁蒼老冠浮雲﹂で擬音語として﹁辟暫し. を冒頭部で用いたのには意味があるのではないかと考えられる。そこで、擬音語と作品に見られる蹄の効果につ いて考えていく。.  この作品のベースとなっている音、は先にも述べたように﹁麻﹂から徐々に雷鳴へと連想が広がっていて、雷. 鳴などの轟音は作品の中で一貫して流れており、これがベース膏であると考えられる。そして特に最後に雷が家. の前の人木に落ち、最終章の結末へと破滅的な流れを見せるといった雷の果たす役割は大きい。この、雷が落ち. て真っ二つになるというイメージを予想させる効果として、胃頭部で擬音語をダブルコーテーションマークをつ. かって強調させたのではないかと考えられる。そして各章ごとに﹁辟刀﹂を動詞として使いながら意図的にそのイ. メージを最後まで持続させようとしたと考えられる。つまり、音の持続を保つ役割の一端を担っていると考えら れるのである。.  ここまで、連想をことばの面から見てきた。連想同士は一種蜘蛛の巣状の形態を持ちながら、互いにどこかで. 結び付いている。この言葉の連想は、実は西洋が起源の意識の流れなどに見られる連想とは違うものである。と. いうのは、意識の流れに見られる西洋の一般的な連想は、主人公ないし登場人物による連想という形態を持って. いるが、残雪のこの連想の場合、作者の側の連想によって場而が移り変わっていくという特徴が見られるからで. ある。つまり作者の意図的な語連鎖なのである。このような作者側の意図的な連想は話しのつながりをひどく悪. くさせている所もある。そのため、読者は違和感、不快感もしくは一種の不安感を抱かずにはいられない。  このような、作者側の連想は残雪が初めて用いたものではない。この、作者側の連想という指摘は早くは二恩. の作品について論じた論文にも見られる。そこでは意識の流れについて、次のように指摘している。 ︹注63︺. 口. 2. 3. 嚇.

(27) 作者は自分で顔を出す︵第29パラグラフ︶けれど、この現象は叙述のスタイルを壊してしまう。この作者. 介入の叙述の方法によって、主人公たちの意識は十分に描出されない。自由連想、色彩の叙述は美しいが、 主人公のものではなく、作者自身を語る文構造となっており意識の流れとは言い難い。.  王蒙がつかった手法が根付いたのかどうかは分からないが、残雪のつかった手法は少なくとも西方で意識の流. れなどで使われた連想の手法とは異なるものであるという事は言える。そして、この論文の著者は王蒙の主題抽 出について次のように言っている。 ︹注64︺. のか、その具体的な説明はない。詩の世界と、. 王蒙は、読者と作品が分裂したままである。. 対象を写し取る散文世界とは方法がちがう。ジョイスは神話.  そうすると、私的なイメfジが一般化され、 読者に主題を抽出させる為には、どういう手段が講じられる 的方法によって私的イメージを一般化させた。.  王蒙のつかった手法では私的イメージが一般化されないといっている。作者側の連想という手法を王蒙も残雪. もつかっているのだが、残雪の主題構成はどうなっているのか。この事を、第二章で検証していく。. 2. 4.

(28) 第二章. ﹁蒼老的浮雲﹂の主題. 第一節  ﹁亀﹂の持つイメージの二面性.  この作品では﹁亀﹂のイメージの連想が作晶の骨格になっている。亀には二つのイメージがある。 一つは日本. でもよく知られているように長寿で、甲羅を亀朴としても使われた神霊があって尊ばれる亀のイメージであり、. もう一つは泥を這い回る亀と、その系列の俗語としてのコキュのイメージである。亀には他人に女房を寝取られ. た夫というイメージも持っているのである。この山来は﹁五爵組、人﹂ ︹注65︺に見えるが、これは亀の形態か らきているようだ。亀同士はその形態から交尾ができないと考えられていた。そのため、雌の亀は雄の蛇と交尾. をして子供を産む。そして生粋の亀の子が生まれてくると考えられていたようである。この俗語が﹁蒼老的浮雲﹂ 5                                                      2 の骨格になっているのである。つまり、登場人物の人間関係にこの俗語が当てはまるのである。虚汝華と隣に住 む男更善無は、同じ夜亀が這ってくる夢を見て肉体関係を持つようになる。虚汝華の夫活況は女房を寝取られた. 夫となってしまい、舅に﹁大烏亀﹂ ︹注66︺と罵られる。さらに、更善無と慕蘭夫婦には子供がいるが森下華と. 老況夫婦には子供がいない。この人物関係の設定は﹁亀﹂のコキュのイメfジを確実に踏まえていると言える。 しかし、そうなると、訴訟無が蛇の役を担うことになるのだが、この作品では虚汝華に蛇の影がまとわりついて. いる。そして、更善無も男かどうか分からないと妻の慕蘭に言われてしまう。虚汝華11雌の亀、更善無11雄の蛇 という役割が逆転している節があるのだ。.  虚汝華に蛇の影がまとわりつくというのは虚汝華の母が娘のことを蛇のようだという個所がニカ所あるからで ある。それは次のようである。.

(29) ﹁真是一条毒蛇噺、為什簸?﹂ ﹁木当に毒蛇ね、どうして?﹂. ︵. ︹注67︺. ︶. 近来姥変得象蛇一様霊巧了:︹注68︺ ︵近頃彼女は蛇のようにすばしっこくなった:︶.  比喩的に憶いう表現を用いているのは虚汝華の他は追善無にも一回あるのだが、暗喩ではなく直喩で毒蛇と言. われるのは二叉華だけであり、強調されている印象を受ける。さらに、更善無が妻に男かどうか分からないと言 われる場面は次のようである。. ⋮⋮︵前略︶⋮⋮仇日燗之謙語竜忌月爬瞳誓事?隣居己経在議論這件事、説祢見了他就象濡鼠見了猫、叢説称是. 不是箇男性這件事根値得懐疑、因丁丁也没親眼僻見過、所以没法証実⋮⋮﹂︶ ︹注69︺. ︵⋮⋮︵前略︶⋮⋮あなた達の間柄は一体どういうこと?近所の人はもうこの事を噂してるわ、あなたが彼を. 見ると鼠が猫を見たみたいだって、それにあなたも男に値するのかどうかって、というのは誰もその目で確 かめていないし、照明する方法がないからつて⋮⋮﹂︶.  嫌がらせにしても妻がこのような事を言い出すのは意味ありげである。そこで、虚汝華“雌の亀、更善無11雄. の蛇の設定では、作者が主題を構成する上で不都合な何かがあるのではないかと考えられる。.  虚尊墨”雌の亀、更善無11雄の蛇の設定では﹁亀﹂のコキュのイメージの由来によると生粋の亀の子供が生ま. 一. 2. 6. 一.

(30) れてくることになる。しかし、作者は亀の子どもが生まれてくることを意図していないのではないだろうか。こ う考えるには三つの理由がある。.  まず一つ目の理由は、子供に関するものであり、虚汝華には子供への信頼のような考えが見られる。それは次 のように描写されている。. 一開始他椚㈱都抱着希望、以為含有孫子、后来⋮肥反倒幸災楽禍起来一答椚這家子︵姥、老況、鋼製︶願事. 総愛幸災楽禍。隔壁那鬼尊崇崇的男人寛会有一箇孫子、総論這一点罫書姥覚得十分愚説。小孫子、総不可能 象大人那様瓢忽的咽?︹注70︺. ︵初め彼等は二人とも希望を抱いていた、子供が出来ると思っていたからだ、その後彼女はかえっていい気味 だと思うようになったii彼等のこの家族︵彼女、老況、姑︶はどんなことにも総じて他人の不幸を喜ぶの. だ。隣のあのこそこそした男には子供が出来た、この事を思うと彼女は不思議でならない。子供は、大人の ようにふわふわするということはあるまい?︶. 従前我還想過小孫的軍帽、真不可理解冴。我時論覚得只要我一跡脚、就会随風立到半空中。 ︹注71︺. ︵以前は私は子供のことを思った事もあったけど、本当にわからないわね、私はよくつま先立つと風に吹かれ て空中に舞い上がりそうな感じがする。︶.  子供は、大人のようにふわふわした不確かな存在ではないという考え方である。.  二つ口の理由は、亀に関してであり、亀にプラスの表現が見られないからである。夢に出てきたときの亀の様. 子は目が飛び出しており、泥沼を這っている状態でどことなく気味の悪い様子である。そしてその亀はひつくり. 曽. 2. 7. 幽.

(31) 返ってしまうという表現がある。それは次のようである。 ︹注72︺.  ﹁満天紅警語得我頭眩目眩、我心理懊悩地融着那東西也許爬不到了、 一塊最近的突出的石頭将会把窃弄箇. 四脚朝天。宮要爬到那里去帽?﹂          ロ  ﹁宮要爬到那里去帽?﹂姥象回声似地応着。       む ︵﹁空一泡の紅い光でめまいがした。ぼくはあいつがもしかしたらどこにもたどり着けないのではと心配し. た、一番近くの突き出た石でつまずいて仰向けにひつくり返ってしまいそう。あいつはどこに行くんだろう?﹂  ﹁どこに行くんだろう?﹂彼女はそっくりな声で答えた。︶.  すぐそこの石ころにつまずいてひつくり返ってしまいそうなこの亀は、どこにもたどり着くことはないだろう。 この表現から、亀に何らかの期待を見出すことは出来ないことが分かる。. と.  最後に三つ目の理由は、作品の最後で、虚汝華が雌の鼠に餌を与えている場面があるからである。その場面は 次のようである。 ︹注73︺. 姥掌樗起来用最后一点干肉畷一只黒鼠。飽把干肉偏在床底下、疏疏宣﹁畳畳璽岐﹂的咬噛声。. ︵彼女は身を起こし最後のわずかな干し肉を一匹の雌鼠に与えた。ベッドの下に投げて、鼠が﹁ガリガリ﹂ それをかじる音に耳を傾けていた。︶. なぜ鼠、それも雌の鼠に餌を与えているのだろうか。この﹁藍鼠﹂は何かを意味していると考えられる。. ﹁母鼠﹂の描写における﹁鼠﹂の意味を次官で検証していき、コキュのイメージの虚汝華“雌の亀、夏善無11. 一. 2. 8. 一.

(32) 雄の蛇の役割の転換の意味を考えていく。. 第二節 ﹁鼠﹂と﹁雀﹂の象徴性.  この作品には鼠が描かれる頻度がかなり高い。そして、それと対立するかのごとく雀の描かれる頻度も高い。. 鼠と維は﹁雀鼠﹂又は﹁全角鼠牙﹂、 ﹁雀鼠之争﹂という諺もあるが、これは同じようなイメージで同格的に憶 いられている。この律鼠の語源は﹃詩経﹄に見られ、それは次のようである。 ︹注74︺.   誰謂雀無角 何以穿我屋   ⋮⋮︵中略︶⋮⋮.   誰謂鼠無牙 何以穿我蒲  ︵誰か謂はん雀に角無しと 何を以て我が屋を穿つや   ⋮⋮︵中略︶⋮⋮   誰か謂はん鼠に牙無しと 何を以て我が庸を穿つや︶                     玄.  ここでは、強暴なものとして喩えられてる。雀と鼠は弱い動物ではあるが、被害が日常的なだけにばかになら. ない。ここから﹁雀鼠﹂という語はできたようである。残雪の場合、雀と鼠は対立的に使われている。それはこ. れらの動物の生死の描写に顕著に見られる。雀は極端に悲惨に死んでいく、または殺されるのに反して、鼠はの びのびと生き延びているのである。ここで雀と鼠の描写を比較していく。. 刷. 2. 9. 卿.

(33) まず雀の死に方は、冒頭部を少し過ぎたところに次のような描写が見られる。 ︹注75︺.  他是在半里拾認諾只小麻雀的。看来宣是剛剛学飛、野壷至論里去的。宮門淋淋的小束西蝋型卓子上、稚徽.  的心臓還在胸瞠里搏動。他将官吾子来、抜過去、心不在焉地敲着、 一直看着宣咽藁菰。. ︵彼はドブの中からその小雀を拾った。それはやっと飛ぶことを覚えたばかりのようで、幼い心臓はまだ動. いていた。彼はそれをひつくり返したりつかんだり、ぼんやりとたたいたりして、じっとそれが息を引き取 るのを見ていた。︶. そして、次に雀が死ぬ場面は、死ぬというより残酷に殺されているのである。それは次のようである。 ︹注76︺. 梢一恢復、贈岩桜天井早霜羅霜野麻雀、整磁整天地守候。在天井里的盛土、釘着几十ロハ麻雀的屍体、 一律是 従眼珠里釘進去的、外人看了無不目曜口呆、満身鶏轟轟←拾。. ︵少しずつ回復して、彼女は庭に雀を捕まえる篭を置いて、一日中ずっと見守っていた。庭の壁には、丁数羽. の釘を打ち込まれた雀の死体があって、それらは全て目玉に釘が打ち込まれており、見知らぬ人が見るとぴ っくりしてゾッとせずにはいられないだろう。︶                  −.  雀の目に釘を打ち込んで壁に釘付けにするという殺し方は残酷で、その殺し方に何らかの意味を見出すことは できない。.  このように無惨に殺される他、自分で窓から飛び込んできて床に落ちる場合もあるが、この自殺のような死に 方は次のようである。. 一. 3. 〇. 隔.

(34)  コ只死雀従隔壁弓勢発破洞里悼到了天花板上。没有入射、親子乍∼撞会死的帽?﹂ ︹注77︺. ︵﹁一羽の死んだ雀が隣の屋根の破れ目から天井板に落ちてきた。誰も射っていないのに、雀がどうして死ぬ ん だ ろ う ?﹂︶. 隔壁房里的天花板整箇地墨下来了、⋮肥聞到一股刺鼻腔石灰味、 一只雀子﹁胞﹂地一声悼在歴世聖業上、還撹 命地僕騰了一陣才死。 ︹注78︺. ︵隣の部屋の天井板が全部はげ落ち、彼女は鼻を刺す石灰のにおいを嗅いだ、雀が一羽﹁パッ﹂と音を立てて 彼女の布団の⊥に落ちて、必死にもがいたあげくとうとう死んだ。︶.  誰かに殺されたわけでもないのに、自殺するかのように落ちてくる舵。この他、自殺かどうかは不明だが、維. が石臼に潰されて死ぬ場面もある。この石臼に潰されて死んでいく盆の死に方は残酷で陰彫とした描写になって いる。.   石磨緩緩地転、越訴越陰沈、越階越殺気騰騰、麻雀在露都砕前発出的惨叫、急増在暴努的、圧抑的雷声里。.                                               ︹注79︺  ︵石臼がゆっくりと回りだした、だんだん陰欝に、だんだん殺気だって、雀が砕ける前に発した絶叫は、怒り   を抑圧したような雷鳴にかき消された。︶.  これは、最終章である結末の直前の場面で、この第三章の最後は結末へと破滅的な流れを見せ、結末を予測さ. せるかのごとく象徴的な描写が続く。雀が石臼に潰され、空から独りでに雀が落ちてきてもがいたあげく死に、. 桶. 31. 一.

(35) 石臼の音と連動するかのように雷が鳴り大木に落ちるのである。最終章へと向かう破滅的な情緒と雀の死に方は どこか共通するものがある。.  しかし、鼠に対する描写はこれに反して全く逞しい生の描写である。鼠の死の描写は一個所だけで、それも人. を脅かすためによく鼠の死骸を投げたというようなもので、死に方には触れておらず悲惨さなどは感じられない。. そして、この鼠の逞しさについては、行ったり来たり動きまわる様子や、誇張された足音からも見て取れる。そ の様子は次のようである。. 難所見隔壁床上的人目神経官能症折磨得業来復去、圧得床板、 ﹁岐嘆冴嚇﹂響箇不停、屋頂上有許多老鼠在 穿俊、爪子抜下的灰塊不断地在帳頂上。 ︹注80︺. ︵彼女は隣に住んでいる人がベッドの上で神経症を患って寝返りを打つのが聞こえる、そのベッドの板を押す.  ﹁ギシギシ﹂という音は鳴りやまず、屋根裏にいるたくさんの鼠が行ったり来たり動き回り、爪ではぎ取っ たほこりが絶え問なく蚊帳に落ちてくる。︶. 白天是昏沈的、在白天、卓上居然有成群四品鼠穿俊、跳出弾性的、沈欝旬的脚歩声。 ︹注81︺. ︵昼間は薄暗いものだ、昼間でも、鼠の群れがテーブルの上を走り回り、弾力性のある重い足音をズシンズシ ンとたてている。︶.  鼠の逞しさが描かれながらやがて虚汝華の挙動が鼠と重なってくる。まず、虚汝華の暮らしぶりが鼠のようだ. という喩え方から始まり、そのうち夫の老況は虚説華が自分を噛み殺そうとしていたんだという強迫観念に取り. つかれ、彼女の本性は鼠だったんだと考えるようになる。これは、よく眠れるよう虚汝華と別れてからも空豆を. 繭. 2 3. 一.

(36) 甜けに行きながら、餌に砒素を入れてひそかに鼠を殺すみたいに空豆に毒を入れて、彼女を殺してしまおうとい. う考えを持つようになる原因でもある。このような夫の殺意を知っても上里華はいたって平気で、老況にそんな. ことをする度胸はないと問題にしない。虚汝華もたくましいのである。更にこの虚汝華には鋭い塚︵歯︶がある. のである。これは母親からの遺伝とも考えられる。母親と虚汝華の歯の描写を挙げると次のようである。. 后自殺細細査看真理的牙歯、発現出陣真贋生得恨古怪、十分尖利、過干細小、卒直不意人的牙歯。 ︹注82︺. ︵後で彼女の歯をじっくり調べてみたら、奇妙に尖っていて、潔く、人受の歯とは思えない歯が生えていた。. ⋮⋮︵前略︶⋮⋮、他個説我是一隅老鼠、這話不錯、平着喜歓蝶在陰暗的地方咬噛家具、我的下歯堅塁由此 磨得十分尖利。 ︹注83︺. ︵⋮⋮︵前略︶⋮⋮、彼等は私のことを鼠だというけど、これは間違いないわ、たしかに私は暗いところに隠 れて家具をかじるのが好きだったし、私の歯も以前とても尖っていたんだから。︶.  この作品で描かれる雀には﹁胃角鼠牙﹂の雀の角、この場合嚇のことであるが、この嘱が描かれてはいない。. それに反して鼠︵虚汝華とその母︶には牙︵歯︶、それも鋭い歯が描かれている。このような鋭い歯を持つ親子 であるが、母親は雀を殺し、虚汝華は最終章で雌の鼠に餌を与えている。双方の行為が対照的であることが特徴. である。これは、虚露華が特別なのであり、その名前からも実在と非実在の問の虚の部分に存在する人物である. と考えられる。この作晶に描かれる人物はすべて﹁鬼﹂であり、具体的には第三章でふれるが、虚汝華は唯一、 この﹁鬼﹂ではない不思議な存在であるといえる。.  また、子鼠についての描写もある。前述した子雀はドブに落ちて死んでしまったのに反して、子鼠は大きく成. ︶. 一. 3 3. 一.

(37) 雀に次. 前野直彬氏の﹁燕雀﹂についての言及を見ると. 長しているのである。雀と鼠、どちらも庶民的な小動物であるにも関わらずこの対照的な描写の差異は、. ︶. のようなイメージがあるからではないだろうか。 ︹注84︺  ﹁難乎、燕雀安知鴻鵠之志哉!﹂ ︵﹁墜乎、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや一・﹂.  これは秦帝室に対して最初の謀反を試みた陳勝の言葉である。 次のようである。 ︹注85︺. 陳勝は体制の変革などという立派な理論を持ち合わせてはいない。社会の底辺にうごめいていた民衆の一人. として、もっと浮かび上がりたい、権力の座に座りたいという﹁志﹂を持った。⋮⋮︵中略︶⋮⋮そうした ﹁大志﹂を抱かず、日常の生活に満足し、またはあきらめている多くの民衆が燕雀なのである。しかし現実. に反旗をひるがえすとなると、いくら鴻鵠でも燕雀の数を力としなければならない。⋮⋮︵中略︶⋮⋮幸い. に、栄達を得た少数の﹁建国の功臣﹂を除いた一般の燕雀は、やはり燕雀にもどった。最も力が弱く、最も. 多く血を流し、しかも報いられないのが彼らなのだから、 ﹁鴻鵠の志﹂に対して燕雀どもが猜疑心を抱いて も、当然といわなければなるまい。.  大志を抱かず、日常生活に満足しまたはあきらめている﹁燕雀﹂、そして最も力が弱く最も多く血を流し、し. かも報われない﹁燕雀﹂、すなわち民衆。 ﹁雀﹂にはこのイメージが強いのではないだろうか。.  同じような小動物である﹁轟轟﹂だが、民衆の象徴として描かれるとき、雀の力はあまりにも弱く報われない。. 口. 4. 3. 一.

(38) それに、 ﹁燕律﹂には小人物としての喩え︹注86︺があるのである。.  小人物にしても、報われない小市民にしても、 ﹁維﹂のイメージはあまりよくない。残雪は雀とは対照的に鼠. をたくましく描いたのではないか。そしてこの鼠には何らかの希望が込められていると考えられる。.  結末で、虚汝華が雌の鼠に餌を与える場而は第一節で挙げたが、干からびた体で、鼠に干し肉を与える。この. 表現は残雪の白伝的な作品の中に見られる表現を思い出させる。それは次のようである。 ︹注87︺. 臨幽思有人送来了補助給妃的一点細糠、姥再也咽不七去、就由我刑姉妹文喫了。裸根甜、群雀是外婆潜血、 那血里也有糖。我椚渇了外婆的血、才得以延続了小生命。. ︵死の直前に人が祖母のために少しの糠をくれた、彼女はもう飲み下すことが出来ず、私たち姉妹で分けて食. べた。糠はとても甘く、ひょっとしたらそれは祖母の血で、その血の中に糖が入っていたんだ。私たちは祖 母の血を飲んで、幼い命はやっとながらえた。︶.  糠は祖母の血で、その血によって生きながらえたという表現は、干からびた体で鼠に干し肉を与えるという表. 現と重なる。実際書かれたのは﹁蒼素的浮雲﹂の方が先なのだが、もともとこのような考え方は持っていたのだ. ろう。干からびた体で雌の鼠に与えた干し肉は虚汝華の体の肉で、祖母の血で生きながらえた残雪は、作品の中 で虚汝華の肉で雌の鼠を生きながらえさせようとしたのではないかと考えられる。残雪は鼠を、雀のように無惨. に死んだりしない、鋭い歯を持った逞しい動物として描き、それを庶民の象徴とした。そして、その雌の鼠に血. となる餌を与えることによって子孫を残し増やそうとしたのである。ここには鼠の繁殖力の強さも関係している だろう。.  以上より、雷管華11雌の亀、墨黒無μ雄の蛇の役割の転換の理由ついて、庶民の象徴となる強さを持った鼠に. 5 3.

(39) よって子孫をつないでいこうとしたため役割を逆転させたのだと考えられる。.  それでは、なぜ子孫を残すために亀ではいけないのか。ここで、亀の二黒性を同時に表現した有名な話が﹃荘. 子﹄にある。これは、釣りをしていた荘周の背後に楚の大夫二人が近寄り、楚の政務の担当を依頼した時に、荘. 周が亀の比喩を用いて大夫を煙に巻いた話である。この時荘周が亀を喩に出した場面は次のようである。.                                              ︹注88︺. 荘子三三導水。楚王使大夫二人往先学。日、願沖繋内借 。荘子持竿不顧。日、吾聞、楚有神亀、死己三千. 歳 。王巾笥而蔵之廟堂之上。此亀者寧翠蔓為留骨而貴乎、寧其生而曳悪縁塗中乎。二大乱流、寧生干曳尾 塗中。荘子日、往 。吾将曳尾於塗中。. ︵荘子撲水に釣る。楚王、大夫二人冠して往き先んぜしむ。曰く、願はくは寛内を以て累はさん、と。荘子竿. を持して、顧みず。曰く、吾聞く、楚に神亀有り、死して己に三千歳なり。王、巾笥して之を廟堂の上に蔵. すと。此の高なる者は、寧ろ其れ死して骨を留めて貴ばれんか、寧ろ其れ生きて尾を塗装に曳かんか、と。. 二大夫曰く、寧ろ生きて尾を越中に曳かん、と。荘子日く、往け。吾も将に尾を正中に曳かんとす、と。︶.  神霊を持つ亀と泥を這い回る亀の二面性において、荘周は泥を這い回る亀を選んでいる。これは、自由を望む. 荘周の願いからである。この亀を前野直彬氏は﹁和光同塵﹂の具体的な一例としながら次のように述べている。.                                               ︹注89︺   この亀を、荘周は﹁和光同塵﹂の具体的な一例とした。それで気楽に世を送ることができれば本望だったで.   あろうが、世間はなかなか、そうはさせてはくれない。神霊がないとわかれば、鈍重で無抵抗な小動物であ   る。寄ってたかって、なぶりものにしようとする。. 幽. 3. 6. 隔.

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