• 検索結果がありません。

自閉症状の発達的推移に関する事例研究

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "自閉症状の発達的推移に関する事例研究"

Copied!
64
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)目次 1.序………………・…………………・……・……………………………・・……………・ 1. H.研究方法…………………………………・・…………・・……・・…・……………・……・4. 皿.事例研究一事例と考察一………・…・…・・…………・……・……・………・…・……… 5.  1.事例1、自閉症状が表面的に改善した事例・………………・・…・……………・・5   事例1の考察…………・……・……………・…・・……・……………………………13. 2.事例2、思春期になり人格崩壊をきたしはじめた事例…………・……・…・…17   事例2の考察…・・…・…・……・…・…………・…・………・……・…・・………………29. 3.事例3、興味のある領域では言葉のやりとりができるようになった事例…33         一幼児期の自閉傾向をそのまま残しているタイプー   事例3の考察・………………………・……・・…・…・…・…………・…・……………43. 4.事例4、要求語は出ないが、パニックは減り、指導しやすくなった事例…47        一幼児期の自閉傾向を、そのまま残しているタイプー   事例4の考察・…・…………・…一………・…・…・・……………・……………一・・57. 5.事例5、とりつかれ行動が顕著で、行動の改善をみない事例………………61   事例5の考察………・………・…・………・……・・…・……・……・…………………69. 6.事例6、単動から響動になり、いまだにとりつかれ行動の著しい事例・…・・73   事例6の考察・………………・……………・・…・……・………・…・………・………83. 7.事例7、会話は可能になったが、空想傾向をあらわしてきた事例…………87   事例7の考察…………・…・…………・……・…・・………・………・…・……………99 8.事例の全体的考察………………・・………・……・…・……………・・…・・………105. IV 結論…・…………・…………・・……・…………・・……・………・・………・・…………115. V 参考文献……・…………・…………・……・・…・…・…………・……・…・………・…121. 謝辞.

(2) ■ 序. 折れ線型に特別な発達型があること、および自閉症児の予後などを先行研究と比 較しながら考察している。.  教育の現場で、自閉傾向をもつ子どもの成長・発達をみていると、その自閉.  同じく、隠岐(1983)は自閉児の示す自閉症特徴を年齢別に数理解析し、3歳. 傾向には、個人差があるうえ、加齢や発達にしたがって、様々な消退や変化す. までを「萌芽期」、9歳までを「開化期」、児童期を「収敏期」と名づけた。そ. ることを実感する。しかし、それは必ずしも「改善」とばかりはいかず、中に. して、自閉症状は生物学的レベルでの損傷(微細脳損傷)によって、まず発達の. は「人格崩壊」をきたすものや、「他の疾病」へ移行するものなども決して少. 保障される母子関係の絆が不全となり、自閉児らは生物的レベルでの行動プログ. なくない。いずれにせよ、この自閉傾向の発達年齢的変化は、私たちのように. ラムからカルテV一レベルへの行動プログラムの切り替えや、学習に失敗し、そ. 治療教育に携っている教師だけでなく、多くの臨床家たちも、いろいろな意味. のために、社会関係づけの障害から認知一言語障害、さらには自我統合の障害を. で注目している現象である。. 如実にせざるをえなくなり、これらの障害ゆえに自己の内部から自生する個人か.  例えば、「自閉児らへの治療教育や生活指導の具体的実際が、果してこの変. ぎりの行動規準に、ひどくこだわらざるをえなくなる、ことを推察している。. 容にどう効果を奏するのか」、また、逆に「阻害要因となるのは一体何である.  今一つ発達的観察についての現実的・実際的な問題として、いわゆる障害児全. か」、などは一人一人の子どもの事例研究を通じて検討し、治療教育の在り方. 員就学期に自閉児を受入れた養護学校では、今日、これらの子どもを社会へ送出. を検討考慮してみる必要があるように思う。また、臨床家にとっても、上記の. そうとしている。いわゆる後期中等教育後の問題にひどく悩んでいる、という現. 問題はいうまでもなく大切なことである。その他、「自閉児の予後がどうなる. 実的問題を見逃すわけにはいかない。. のか」、「自閉症候群の中にはどのような疾病タイプが混在するのか」、「そ.  早舞的には、自閉児の社会的自立と社会的参加をめぐって、今すぐ手をうたざ. れぞれに対する臨床的配慮、処置は実際どうずればよいのか」が問題になるで. るをえない問題が山積みしているのである。しかし、「教師や臨床家が何を根拠. あろう。. に、どうずればよいのか」、のこれらの問題を前に思案にくれていることは否め.  こういう意味で丁自閉性」を始めて問題とした t.Kanner(1943)や L.. ない事実である。. [isenberg(1956)は「6歳時点でのコミニュケーションの有無」をもって、予.  したがって、この際、今一度原点に返って、自閉傾向を持つ子どもらがどのよ. 後の良否の指標としている。同じく、 H.Asperger(1944)もまた「自閉性」. うな経過を経て今日にいたったか、の実際を直視し、教師の立場から検討するこ. の程度の軽重によって、発達的にその特徴がかなり変ることを指摘している。. とにより今日的課題ヘアブローチすることは最も切実な課題であるように思われ.  一方、自閉児の「発達性」を問題にした t.Bender(1954)は臨床神経学的. る。. 観点から「自閉性」の程度によって仮性精神薄弱型(幼児期)から、仮性神経.  私は以上のような観点にたって、勤務校で実際に出会った自閉傾向を持つ子ど. 症型(児童期)へ、さらに仮性精神病質型(青年期〉をへて、いわいわゆる成. ものうち、発達年齢とともにその傾向や特徴が変化していったもの6名、および. 人の分裂病への移行することを実証した。. 直接担当することはなかったが、その子どもについて多くの教師や関係者からの.  それに対し、自我心理学的立場にたつM.S.Mahler(1954)は、一般に乳. 協力を得て発達の経過がほぼ明らかになった1名、計7名を選び事例研究を進め. 児は母子共生関係を手掛かりとして自我を芽生えさせ、次いで分離一固体化の. ることにした。. 時期を迎えるわけであるが、自閉児は、この自我形成の臨界期での挫折により、.  なお、この研究で、私が特に問題としたのは7名の子どもらがどのような経過. 精神分析的解釈可能の症状をあらわにする、ということを説いている。. でもって今日にいたったか、の事実を忠実に記録することであった。そのために、.  また、若林(1983)は自閉症児の発達に発達型と遅滞型のあること、ことに. それぞれの子どもにどの時点でどのような指導や処置、配慮がなされ、それらが. 1. 2.

(3) どう影響したか、などの問題については、あまりにも複綜しすぎ、かえって間 違った解釈を与えることを恐れ、この点は割愛することにした。したがって、. それだけに以下の事例研究は不備にならざるを得なかったことは否めない事実. 1【 研究方法  私が実際に治療教育にたずさわった年長自閉児のうち、自閉傾向そのものが 比較的目立った変化過程を示したもののうち、以下の3つの観点に重きをおい. である。.  なお、以下の事例研究は今後関係教師、父母、臨床家とのデスカッションの 中で、一歩一歩より具体的に問題が解釈されていけば大変幸いである。. て選び、それぞれの事例研究を行った。.  養護学校小学部から、すでに顕著な自閉傾向が認められ、それが小、中、高 等部にいたる間に、明らかに変化したもの。. ①本人および両親、各学年での担任教師、その他から比較的詳細に情報を得る ことが出来るもの。. ②原状からみてSMテスト、人物画、 CLACll、ビネーテストが可能と思わ れるもの。. ③本人自身のこれまでの記録(絵、日記、工作物)、および関係者によって残 されたた記録があるもの。. 具休的に事例を一覧表にすると表1のようである。.               表1 氏名. 1. 竹○克○ 光○義○. 2. 4. 7. 岸○智○. .生年月日. 学年. 備考. S42.4.19. 高3. S44.8. 2. 高1. 表面改善:Hタイプ 人格崩壊:皿タイプ. S46.8.14 S42.12.22. 中2 高3. 自閉残遺:1タイプ 自閉残遺:1タイプ?. S44.11.25. 高1. 入格崩壊:皿タイプ. S44.3.26. 高2. 多動から寡動へ:1タイプ. S51.8.28. 小3. 空想の世界へ:1タイプ. 男. 6. 松○幸○ 永○一〇. 男 男. 5. 加○誠○ 皆○美○. 男 男. 3. 性別. 男 男. 事例. 注 なお、備考については後で付け加えたものである。. 3. 4.

(4) 1皿 事例研究一事例と考察.  1歳半頃、「ブーブ」、「チャアーチヤーン」、「オチャ」などという言葉 がでた。「オチャ」とは、はっきりと言っていたが、言葉の数は少なく、一つ 憶えると一つ忘れるといった調子で言葉の数は増えなかった。. 1.事例1 自閉症状が表面的に改善した事例.  2歳頃になっても言葉が増えないことから、異常に気づいた。この頃、家主 の人から『民生委員の人にでも相談して見たら』と言われ、児童相談所、岡山. 竹○克○   高等部3年 男子  S42.4.19生まれ  本四は船員である父24歳とパート勤務の母22歳との第2子(長男)とし て生まれた。. 大学の神経科で受診した。岡大での診断は、知恵遅れ(大河原による診断)で、 『根気づよく同じ事を教えるように』と言われる。.  3歳になっても遊びがなく、近所の子が遊びに来ても自然と、ひとりぼっち になってしまった。しかし、姉とは遊べた。. 発達史.  この頃に、興味があったのは電池で「アーチ」、「アーチ」と言って持って いた。しかし、本児はほとんど遊ばないので、母親が紙を切ることを教えると、. 出生前:. 切取った紙を集めて、糸で括ることに一心になったり、姉の14巻の図鑑の図 を切取ってしまったりした。. 母親に疾病外傷はない。.  保育園に行きだしてから、パズルに興味を持ち始めた。このパズルへの興味 は高3の現在まで続いており、かなり難しいものでも、素早くすることができ. 周生期:. る。.  日常生活面では、オシメは3歳でとれ、それ以後、夜尿はなくなった。また、.  2週間予定日より遅れて出生した。生下時体重は3800gで、生まれてす. 排便は学校へ行く少し前からできるようになった。寝付きはよかった。しかし、. ぐ泣かず、たたいたら泣いた。けいれんはなかった。. 眠れない時は、気分を安定させるためか、紙を括ったものを持って寝た。偏食 があり、特に野菜が嫌いであった。. 乳児期:.  本四は幼稚園に行かず、旭川荘の児童園に通い、遊びを教えてもらった。そ こでは、「チュウリップの花」をしばらく、歌っていた。.  5カ月で首が坐り、1歳で這い這いができた。しかし、指差しは見られず、.  5,6歳頃、旭川荘からの帰り、母と天満屋近くで買物をしていて、迷子に. 視線が合わなかった。何か要求があると手を持って取らせた。. なった。母親はバスの時間がないし、どうしょうかとバス停の所で困っていた.  6カ月頃、どんなオモチャを持たせてもバタッと落し、これに興味を示さな. ところ、本児はその場所に帰ってきた。戻ってきた時、母の心配にもかかわら. かった。とにかく、泣声も低く、笑うことも少ない、おとなしい子であった。. ず、本児はケロッとしていた。以後、母親は外に出るときには必ず、本児と手.  ところが、1歳頃這い這いができだしてから、急に二二になり、目が離せな. をつなぐようになり、これはかなり大きくなるまで続いた。. くなった。そして、時には池などに落込むこともあった。. 小学部低学年期(1∼3年) 幼児期:. 5. 6.

(5) 本児は養護学校に入学した。初めての登校では、分離不安のためか、目に涙. にくいのか、そんな時よく「アオキ、ウンド」と言った。これはアオキくんと. をため母親を追っていた。しかし、言葉のない本児は、自分の気にいらない時. 運動場で自転車に乗りたいという意味であるが、徐々にこの時期から友達との. は、「アーツ」「アーツ」と、甲高い声を上げ、「我」を通そうとした。また、. かかわりの中で言葉がではじめた。. 校外へ散歩にでた時など、店に好きなものがあったりすると、「アー、アーツ」.  このように面恥は、小学校3、4年の頃から急に言葉がではじめ、あらゆる. と、言いながら手をふりほどき、そちらの方に走りよった。また、給食の時、. 面で大きく成長した。母親の話しでは、先生の指導と時期がうまく合ったこと. 自分だけが食べ終わると、椅子から離れて教室に帰りたくて、「アーツ」「ア. と、借屋から新築に移ったことで、家族の者の気持ちが伸び伸びとしてきたこ. ーツ」と叫び声を出した。. とがその原因ではないか、ということである。.  遊びでは友達に無関心という程ではないが、積極的にかかわって遊ぶ、とい.  しかし、物にこだわることはかなり強かった。歩行訓練(散歩)で、先生が. うことはなかった。. 本児ともう一人の子の手をつなぐと不安定になることが多かった。また、手を.  しかし、2年生では、水鉄砲で友達に水をかけられたりするとひどく怒って. つなぐ先生もA先生と決っていた。さらに家庭訪問で母親が先生に本邸の写真. いたが、やがて自分から水鉄砲を持って追掛けたり、キャーキャー言って先生. をみせると、「キャーキャー」といって取りあげ、自分のものにした。. の方にも水をかけに来るように、少しずつ水鉄砲をもって、先生とかかわりが.  2年生の頃、給食で2種類のスプーンがでたが、本丸は自分の嫌いなスプー. 出来はじめた。. ンであると友達のと代えた。要するに、自分の好きなスプーンでないと食べれ.  ところで、本島は絵に興味を示し、特に、機関車の絵を好んで画いた。そし. なかった。. て、その後、丁寧にハサミでそれを切取った。しかし、『おかあさんをかこう』.  また、パズルに興味があり、素早くしていたが、日本地図の北海道のところ. というと、横向きに画いた。これはぬり絵の場合も同様で、横向きにしか画か. がなくて、「あったくる」〈頭にくる)とよく泣きわめいた。. なかった。.  奇妙な癖としては、女の先生のオッパイに触ることであった。この癖は高等.  言葉は入学当初、ほとんど「アーツ」、「アーツ」であったのが、学校生活. 部3年の現在にいたるまで続いている。. を送るにしたがい、少しずつ増えてきた。.  1年生の頃、避難訓練で二階からすべり降りる時、「アブナイ」という言葉. 小学部高学年期(4∼6年). がでた。また、「ヤサイタベル」、「オチャ」、「ミミ」、「ハナ」、「クチ」 という言葉も日常生活の中で使えるようになった。.  高学年になり言葉は順調に増え、嫌なことも少しずつ我慢ができはじめた。.  2年生になり島のおばさんの家に一人で2疎した時、海をみて「うみ」とい.  4年生の始業式、三児がおしゃべりをしていたので、『∼ちpんだめ』と注. えた。さらに、学校で暑い陽射しの申で運動会の練習をしている時、「あつい、. 意すると、今までだと怒りだし泣きわめくのに、素直に言うことがきけた。こ. あついjといっていた。下校の時、帽子がなかったので出会う先生をみては. のように少しずつ我慢することができ始めたのである。. 「ぼうし、ぼうし」といって捜しまわることもあった。また、給食の時、好き.  この時期、言葉の学習がグループで行なわれた。その一つとして、カードの. なハンバーグがでると、自分のを食べてしまった後、「ハンバーグ」を連発し. 名前を先生の真似して発音する練習をした。これが本四に効果があった。「コ. た。. ップ」が「コッボ」になりやすかった。しかし、「コ」だけ、「プ」だけなら.  3年生になると、これらの言葉がさらに広範囲に友達とのかかわりの中でで. 正しく発音できた。形の真似も個人的に指導するとかなりできた。. てくるようになった。本児は、自転車に乗りたくてたまらないが、一人で行き.  5年生になり自分から日記を書きはじめた。当番活動で毎日、黒板の月日や. 7. i−8.

(6) 曜日のかきかえをすすんでした。. 中学部期〈1∼3年〉.  会話は次第に、その状況に合ってものが出はじめてきた。.  雛祭り会で5年生は『花咲じいさん』の劇をした。本児は殿さまの役で「ア.  中学部に入り、本児の几帳面な生活が目立ってきた。特に、宿題を毎日出し. ッパレ、アッパレ」と台詩で練習させていたら、「キレイニハナガサキマシタ」. てほしく、時々忙しくて宿題を作るのを先生が忘れたりすると、何回も何回も. といった。これは教えなくとも話の筋が分っており、自分で自分なりの言葉を. 催促した。担任は、本児を『サボルということのできない生徒』である、とみ. だしたためと思われる。. ている。.  しかし、固執性は未だ残っており、他児が本直の席に座ると泣いて怒った。.  対人関係の面では、同級生のHとよく相撲をした。常にHが「∼来い。すも. また、日記を書き始めたのはよいが、日記を書かなかったら大変で、帰りの会. うじゃあ」と本月を呼出し、稽古台のように転がした。身体の大きな本児なの. 等で「にっきかく にっきかく」を連発していた。パターン的行動は、それほ. だが、わけなく降参した。しかし、本児はHが怖いのか、「∼すもうじゃあ」. どみられなかったが、その日の予定が気にいらなければ勝手に変えることがあ. とHが呼びに来ると、行かなければならないものと思っているのか、決して断. った。. わることはなかった。なお、この頃、先生に対しては呼び捨てにすることがみ.  女の先生の胸に触ることは依然として続いている。. られた。.  数は1∼11まで数えることができだした。ただ、12が「ジュウイチニ」.  女の先生に触る傾向は依然として続いた。また、異性に対する思いが、,思春. となったが、言われた数は数字で正しく書くことができた。しかし、『みかん. 期になり芽生えてきたのか、林間学校などに行って泊まる時、本児は「N(女. が10こある。4こだけ残して後全部とってください』という問題は理解する. の先生)と寝る」「K(同級生〉と寝る」とよくいった。教生の先生(女の先. ことはできなかった。. 生〉が来ると、気にいった先生をみつけ、「∼カルタ」と誘い、カルタをして.  運動面では縄とびができはじめた。粘土で人形を作ると、その顔、手、足、. 遊んだ。カルタには本児はなれきっており、素早く取ることができた。なお、. 身体は理解できた。. 本児はカルタの他にトランプ(七並べ、ババヌキ〉なども好んでした。.  日常生活の面はなかなか偏食はなおらなかった。更衣は自分で出来るが、後.  運動は好きでよくやっていた。特に、ソフトを好み、打てば一塁へ走るとい. 仕末が出来ない。排尿.排便は自立できていた。. うルールは理解できたが、2塁、3塁と進むことは理解出来なかった、マラソ.  いずれにしても、本児は小学校入学当初と現在では大きく変化した。5年生. ンは次第に勝ち負けを気にして走るようになり、スキーは10mほど滑れだし. の最後の懇談で、父親は次のようなことを話した。. た。. 『字を憶えるなんて夢にも思わなかったが、憶えてみると、また欲がでてもっ. 高等部期(1∼3年). と何か出来ないか、と思う。漫画でも何でも本が読めるようになってくれたら、 と思う。. 高等部になり、形式的だが会話ができはじめた。ただ、助詞「を」が抜ける.  家でトランプで算数を教えているが、たし算は得意だが、ひき算はまだであ. る。朝、6時に起きて6時35分に家を出るが、1度も起こさないのに一人で 起きる。日生の近くに身障者の工場がある。そこへ通勤で勤めさせたい。』. ので、先生が「を」を強調すると、次のような文になった。 石拾いたくさん「を」しました。草刈りたくさん「を」しました。  この様な具合でどうも文の関係が理解できていないようであった。.  また、夏休みの宿題で小学校2年生の漢字ドリルの結果は次のようになった。. 9. 10.

(7)  バンを『食』べるが、(多)べる、こたつを『買』つたが、(科》つた、. r歩道』を(歩動)、『人形』を(二形》、などと当て字か、新語づくりがみ. 灘. 欝纂. 先生》が同じ剣道クラブなので楽しく参加していた。. 臨. 澤、. A.州. にあった。本児は人に勝とうという気のない性格であるが、担任の先生(女の. 響︸.  クラブは剣道クラブに入る。このクラブに入った動機は鏡開きの“ぜんざい”. 凶総.. られた。しかし、本児は勉強家で毎日、宿題を要求した。.  ド アげちモ もドぢ  へて.  高等部になり、本児は寄宿舎で室長になった。室長になって本児は同室の子 の面倒をよくみはじめた。寄宿舎からの報告によれば、『同室の子の面倒をこ ちらが指示しなくても、彼なりに“∼逃げた、部屋連れてくる”などと言って 下級生の世話がよくできるようになってきた』ということである。.  以上のように、本児は小学校入学当初に比べれば、対人関係、とりつかれ行. 辮鍵. e・. 罫麺s 群1.. ’麗・s・.. 凝. 動、言語、集団行動などの面で大きく成長した。特に、言葉の発達はめざまし.  しかし、女の先生に触る癖やとりつかれ行動などはいろいろと形をかえては. 難. きているが、未だ残っている。また、自閉症状が改善されたとはいえ、パター. 爆鳴 .  . いものがある。. ン的なロ調、などは残っており、本質的にはいまだ多くの自閉症状を残してい る。とはいっても本児は、対話ができ、学校をでたら「働きたい」と自分の希. 蜘癖,,. 望を表現するまでになった。これはやはり大きな成長である。.  現在、本児は集会委員をしており、号令をかけたり、ちょっとした下級生の 面倒もみることが出来るようになってきている。. Photo. 1−1  高3の1学期に三児が画いた人物画である。形式的、 紋切型で内容が乏しい。ただし、筆圧は強い。. 11. 12.

(8) りの社会学習を行っていたことは否めない。例えば、それは小学部入学時の分. 事例1の考察. 離不安や給食後、自分のクラスに帰りたくて、奇声とも要求語ともいえる発声  事例1は周生期に若干問題があり、定頸も遅れている。したがって、何らか. をみせたし、危機的場面では「アブナイ」とか、自分の好物に対して「ハンバ. の生物レベルことに中枢神経系に問題があったのかもしれない。. ーグ」などと、少しずつ発語をみるにいたったし、日常使うような言葉が、興.  本児は、一般の乳児が興味を抱くようなオモチャには関心がなく、しかも表. 奮した時、単語として立て続けに発つせられたりしている。. 情の表出の乏しい子どもであった。また、指差しもなく、事物の象徴化もまず.  こういう段階をへて、3年時に急に言葉が多くでだし、ある程度の指示にも. くて、母親と何かの事物を共有することも困難であったようである。そして、. したがえるようになったのである。しかし、ある程度の指示にしたがえるとい. 1歳になり、ようやく言葉が出たが、rつを憶えると一つを忘れるというしだ. うことは、本州が依然としてもつ、とりつかれ行動のため指示が無視され、行. いで、言葉の拡がりは貧弱であった。同時に多野になってきた。. 動が中断されることが多かったからである。しかし、このとりつかれ行動も集.  したがって、この時点では生物的に何らかの問題があり、母子相互関係を通. 団行動をする中で少しずつ、その程度はマイルドになっていった。それにつれ、. じて、少しずつカルチャーレベルでの行動を学習すること自門に問題があった. とりつかれの障害によるパニックもいくらかコントロールがきくようになった。. ことは否めない。いうならば、母子関係の絆が弱く、社会学習が不全で、認知. このとりつかれのマイルド化は他児や先生とのかかわり方を柔かくするのに効. の方向づけがひとりよがりとなり、母子間での感情の共有も儘ならず、言葉の. 果があったし、また、それを拡げる役割を持った、といってよい。. 遅れ、対人関係、ことに同年齢の子どもとの遊びもできなかったようである。.  こうして本庁は日常生活の様式をさがしはじめたわけであった。とりつかれ. また、認知の方向づけの偏りは狭い範囲で「切り紙造り」にのめりこむはめと. 行動は、こだわり行動となり、しかも、そのこだわり行動も日常生活を素材に. なった。これが14巻の子ども図鑑を勝手に切り抜いたり、また、それをたば. するもの、例えば、「日記」とか「宿題」をだしてもらい、それを必ずfなし. ねたり、さらにはまた、寝付かれない時、呪いとしてこれを持って寝る、とい. とげる」というように変っていったのである。これとの関係はもう一つハッキ. うことへと深入りしていったのである。. リしないが、数がわかり、人形の身体のつくりを理解し、運動でも縄とびがで.  また、この自分だけの興味の中に生き続ける彼は他者をあまり気にせず迷子. きだした。.         を                                                が  み. になっても、親碗配や親を見失った不安より、自分の気持ちのままに無心に.  しかし、小学部の頃から女の先生に触りにいくことだけは依然として続いて. 動き、関心のあることに吸付けられることに終始したのである。したがって、. いた。こうして、こだわりは次第に几帳面、融通のなさへ、と変ってきたし、. 本丁は自分から閉ざしてしまうというのではなく、あまりにも自分本位でまわ. ついにはあまりにも自分だけの立場を固執するために、奇をてらうような、わ. りがほとんど目に入らないことが、まわりのものを戸惑わせ、社会的孤立する. ざとらしい、文章造りや新語造りなどがではじめたようである。. ことにつながっていった、といわざるをえない。また、この自分本位さはもの.  いずれにしても、本児のとりつかれたようで狭く偏った認知のあり方がマイ. の見方や興味のあり方を同じようにひどくひとりよがりのものにし、他者との. ルド化されるにつれて、言葉が習得できだし、これをもとに対人関係が拡がり、. 共有、共感することを極めて制約せざるをえないために言葉の障害をきたし、. それによって、さらに社会学習の輪を拡げ、まだ会話はできないが、言葉のや. 自生的に発生した自分だけの対象物にのめりこむようにとりつかれていくこと. りとり、指示の理解、要求の表現ができ、単純作業も自分の納得のいく「範囲. になったわけである。. の仕事量」のなかかではたしかになった。また、簡単な社会ルールもわかり、.  しかし、本町はまったく心を閉ざし、社会関係を絶っていたわけではない。. 下級生の面倒もみれるようになったのである。. 確かに、偏狭でかたくなであり、社会的関心も乏しい本甲ではあるが、本門な. 13. 14.

(9)  何をもって自閉傾向の改善とみるかは難しいが、仮に最低限の社会ルールの 理解、他者との社会感情の具有や分かちあい、言葉のやりとりによる社会役割. や社会的責任がとれること、とするならば、本児は幼児の域はでないが、その 改善をみたといえよう.しかし、いまだに感情のこもらないロボットようの喋 り方、型式ばった尺子定規な行動、こだわり、ひねくれ行動などを多く持って. いることから、その基盤にある「自閉性」は未だに改善されていないといわざ るをえないのである。. 一 15. 16.

(10) 2.事例2  思春期になり人格崩壊をきたし始めた事例. 誕生前に言葉がでた。大人が「ヨーイ」というと「ドン」といったり、食べ 物をみて「パン」、「マンマ」、自動車を「ブー」、両親を「パパ」「ママ」. 光○義○   高等部2年男子    S.44.8.2生まれ. などいっていた。しかし、言葉はいつの間にか消えていった。.  本児は両親ともに34歳の時、3人兄弟の第2子(長男)として出生した。.  1歳3カ月で歩いた。その歩き方はまっしぐらに突き進むので、人や物にぶ つつかってよく転んだ。しかし、ぶつつかっても転んでも一直線に突き進んで いった。歩き始めると多動になり、呼びかけにも反応せず、言ってきかせても. 発達史. 言葉が理解できず、目を離すことができなかった。          ゆ  2歳4カ月の時、東京から津山に引越した。祖父にも言われたし、両親も言. 出生前.周生期:. 葉が遅いので「おかしい」と思っていた。母親は言葉を憶えさぜるために、絵  母親に妊娠中、疾病外傷はなかった。しかし、妊娠7カ月の時、逆子といわ. を画いて物の名前を教えた。. れたことがあった。.  2歳7カ月の頃、頭文字だけがでるようになった。例えば、「りんご」→.  10カ月予定日に出生したが、出生時の児頭回旋がうまくいかず、吸引によ. 「リ」、「マジック」→「マ」のといった具合であった。やがて母親の画いた. って出生した。生面時、仮死、けいれんなどはみられなかったが、児頭の左側. 絵を真似て本児も絵を画くようになった。. が赤くなっていた。しかし、黄疸は軽く、おっぱいの吸付き、泣く力とも良好.  言葉は依然としてでなかったが、字が書けるようになった。しかし、字は幅. だった。なお、生下時体重は3470gであった。退院直後39度の熱を出し. の広い一筆がきのような字であった。(例えば4》>. たが、後遺症につながるような異常はなかった。.  3歳児検診で自閉症といわれた。脳波をとるように言われ、その結果は知恵 遅れに似た未熟波がでたため、服薬を勧められた。.  この頃、音を怖がるようになった。電車の音、人混みの中(市場など)、料. 乳児期:. 理で妙める音、などに敏感でよく泣いた。また、扉の音、車のエンジンの音、.  目ざとい赤ん坊でちょっとした物音にもすぐ目を醒まし、一度目を醒ますと. 花火などは耳を手で押えて怯えていた。. なかなか眠られなかった。母親がおんぶして寝かせ、「眠った」と思って下に.  3歳6カ月の夏、無熱性のひきつけが起こった。医師からは冷たい水の飲み. おろすと、また目を醒ますという状態であった。人見知りをせず、愛想がよく. すぎ、といわれた。おむつは4歳になってはずすことができ、どうにか排泄習. て、笑顔がよい、おとなしい子どもであった。. 慣がついた。.  6カ月頃、歩行器に入れておくと、ところかまわず動きまわっていた。なお、.  1年保育で幼稚園に入学した。しかし、泣く時期と笑う時期が1週間∼10. 本児は乳児期頃からすでに本が好きで魚や食べ物の図鑑、テレビの料理の本等. 日間隔であらわれ、落ちつきなく集団行動がとれなかった。. を持たせておくとおとなしかった。しかし、母親の後追いもなく、芸当をいく ら教えても関心を示そうとしなかった。. 小学部低学年期(1∼3年〉. 幼児期:.                                  )  本誌は養護学校に入学した。入学当初、本児は玩具の店の前を歩くとスルス ルと列を抜けだし、店に入り玩具を欲しがった。制止すると抵抗して、「サッ. ,. 17. 18.

(11) ポロ、オスシ…」など、次々にでたらめな言葉を発した。この様な言葉は家庭. も8段にしないと落着かないようで、「はち はち」といって自分で8段にか. の中でもよくみられた。. えた。.  風邪のために学校を休んでいると、本児は朝、起きて「学校 バスのってい.  ちなみに、WlSC知能検査の結果は動作性が60であった。. こう」などと言っていた。.  対人関係ははなはだ稀薄で、皮相的なものであったが、好きな本《料理の本、. という言葉がでた。. また、家族の者全員が、家にいないと落着かず、夜など出張で父頼が帰らない. ・ 1季. 時には「パパ」「パパ」といって寝付かれなかった。父親が帰って来ると、. しい様子をみせ、「おじちpん、さよならするん」と言って帰そうとした。  なお、病児は音を怖がった。姉の運動会に行った時、花火があがると、両手 で耳をふさい怖がった。. r(1回.  2年生の頃、歩行訓練に「山に出かけよう」と言うと、本児は「いやだ」と. 一一e. 審. 「おかえりなさい。」と挨拶をした。逆に、お客さんが家に来ると、帰ってほ. 圃. 夕.㍗. ﹂.  一方、本日のとりつかれ行動は、少しでも靴が重れると気になって怒った。. ◇ 1. 食べ物の本》などに関しては他児Mと取り合いになったりすると、「本かして」.    ’. ‘Si]i)F. 大きな声ではっきりと言った。もちろん、充分な会話に伝ならないが、自分の 思ったことを単語で要求することはできた.例えば、「ママ、ママ」「オリテ オリテ」「ゴハンイルン」など、このように必要な時には、よく「パパ」「マ. .. i. マ」「おねえちゃん」と言え、要求語も出すことができた。さらに、この頃、 本児は絵も画くことが出来た。(寅料参照》.  また、本児は認知面は良いようで、はめいた、ピクチャーパズルなど素早く. Photo. 2−1  山雨が安定期に画いた絵、いろいろな電化用品が画か れているが、明るくて絵全体のバランス、月一がとれ、. することができた。. 比較的自然な感じがする。.  日常生活については、3年の頃、食欲が大変盛んになった。食べる量、スピ ードなど調整しようと、家庭でも学校でも少し我慢させる指導がなされた。し かし、あまりその効果はなかった。.  しかし、遊びの面では、「御児Hがすべり台の上からボールを転がし、本児 が受取る」という遊びができだした。また、家庭でも弟の友達が来ると、「お すもうのこったしょう」などといって、本児は小さい子どもたちと楽しく遊ぶ. 小学部高学年期《4∼6年). ことができた。.  こだわり行動は依然として続いた。とび箱が7段になっていると、どうして. 19. 4生頃から本児は少しずつ情緒が不安定になることがみられ、調子の良い時. 20.

(12) ?”r;36Xpt,;L−f1 !lesew!lel−IT.:FlyM1. . ’” 一. Photo. 2−2 本直が画いた自分の顔である。. Photo.2−4 i 本児が画いた自動車である。太陽、草、雲などがかか. れている。この絵は小学部低学年としては自然で、まとi まりのあるものである。. ‘.〆㌔:紙幾憲∵. iig””V,’TrA. 三・弾脚・“e・轍;   ・一回.・峨、.       ’一’一L N.      :頭轟醸塾蕨二張隠り鞭。、.. Photo. 2一一.3” @’wp’”” @n’@f“.   三児の画いた朋であ下. 熱徽査織鰹醐 21. 一揺L,            ×. Photo. 2−5  お祭の時の様子を画いたものである。.  多少、表情などが粗末で、雑な画き方ではあるが、お 祭の感じがよくでている。. 22. −﹁. イ. 蟹護一. ・こノ. x. β. 多. 撚一.   s p. 止し. 髪∼.   一 タク㌃ ・こ,, 零            みこ・・亮ζ(o 矩 ぜ.

(13) と悪い時の落差が激しくなった。なんとなく生体リズムが不調になり、そのリ. 逃げた。. ズムが急テンポで変った。不調の際は、家では眠れないことが多く、時には朝.  6年生の頃、給食をもどしはじめ、これが癖ついた。“猛烈にたべてはもど. まで起きていることがあった。また、昼夜の倒錯がみられるようになった。. す”というパターンが習慣化してきた。ただ、本児は、もどすにもかかわらず、.  一方、調子のよい時は、言葉がよくでた。例を挙げると、オシッコをした時、. 食べ物を漁って歩きまわった。. 本児は先生に「オシッ]したん ここからしたん」とズボンの前をおさえて告.  とりつかれ行動も、この頃よくみられた。ノートやハガキを書いていて、1. げることができた。. 字でも間違えると、全部けしてしまった。また、大便をする時間は5時∼7時.  また、この頃、先生とのかかわりもみられるようになり、朝来ると教師の肩. の間とに決っていた。また、卒業式の時、胸のリボンの中央の所が、とれてい. をたたき、「先生 おはよう」と挨拶をすることができた。. たのでそれが気になり、「つけて」「つけて」といって落着かなかった。.  また、200コマもあるジグソウパズルを短時間で完成させることもできた。.  なお、以下に参考寅料として不安定期の文字と絵の写真をあげておく。. も久. 贈. 遷辱美書. 胡艶一型. 罵レ■レ.一 .、. ・葦鴬ぺ客.玉にげご喪べぎ. ミ. 少一 ’1 .. 。   ん弓お異し.    の  り も . 醍奄庫..おじいちやんと、︷. lr 23、隊. 愛妻髭猷. 熱 で. 擬ぺざんたべた・.. 蕩いしかう驚,. を. こ  ゴ. τ    あ  ﹂  16﹂‘. .一. 1  て乱. L ﹂           ロ. u  、‘二∵.\:,“. 1、. ぼ⋮.・罫累ゴで魚。童. ︻麟齢鰍﹄ヒ‘■同h旧曝. 『い.  おしよヶ〃つ感・おもち. さらに、日記も書くことが出来た。(資料参照). i. Photo. 2−6  本児が安定期に書いた日記である。まとまった文章が 文で表現されている。. Photo. 2−7  本日が安定器に画いた絵、紋切型ではあるが、それぞ れはまとまっている。. なお、この頃、奇妙な癖として、女性に近付いて、臭いを嗅ぐことがみられ た。.  音には、依然として怯えた。地域の祭に参加すると、獅子舞いに耳を塞ぎ、. 23. 24.

(14) 榊. 蓬奪薄.. r一,.          寵能肉. ったり、何時もいる家族が揃ってないと、不安で寝つかれなかった。そして、. 15Hぐらいこの様な不眠が続いたり、昼夜が倒錯するという睡眠上のトラブ.            セ. ん  んんん’7●’7ゆりφワ6噸・・噸6噛 」 轍 ●・’≧\u の.           鷺. −ールど︷︾.  ’略 .               ㌧. 、んご.写7. ... 暢ノん図う.  調子が悪くなると、(通学途上の汽車の中で)’急に大きな声を出したり、走. 一﹁ーー1一﹁.鳳。. mzaパ、角触. 感じがする」ということであった。. 亀ん敏・﹀. ムん’んん乙ん醗. 敷いたり、学校では先生の問いに正しく答えることが出来た。このように調子 の良い時と悪い時とでは、その差が大きく、母親の話では「人が変ったような. 6もほφ. 翻を倉即興. ルが激しかった。. んrPφり. が極端に減った。貝体的には、寝起きはよいのだが、寝つきが悪く、場所が変. 甲㌔.. そのため薬の服用をすすめられた。これに対して本児はもどし癖がつき、休重.  一方、男子の良い時は、風呂から上がった後など、家族皆のフトンを出して. ノ.  中学部になり、これまでの生活リズムが急激に壊れ、最も謂子が悪かった。. 5鞘調. 中学部期(1∼3年):. 課,. ㌦魂レ. 瞭. t¥L. =“...“.:i‘. りだすことがあった。それはアット言う問で、母親の制止ではどうしょうもな いことが度々あった。.  また、こだわり行動も強く、通学している時、扇風機が一つでも回ってない と、落着かず、スイッチを入れに行ったり、レンガの角が欠けているとセロテ ープではろうとしたりした。. Photo. 2−8. 2−9  不安定期に画いたものである。この期には文章表現は 出来ず、紋切型の絵、単語の羅列しかできなくなってき た。.  日常生活面では、特に食べ物に関心があり、それに執着した。朝、登校して.  この頃、注目すべきことは、行動に迷いが見られだしたことである。. 来るとすぐに今日の献立表を見て、嫌いなものがあると、泣いた。本児は生く.  本四は朝、登校の折、門まではやって来る。しかし、門からは入れない。先. さいもの、形の汚いもの、こった煮などを特に嫌って食べようとしなかった。. 生が、門まで迎えに行っても、後退りして泣き顔になる。仕切り直しのように. また、わさびやからしが大嫌いで、『からしつけるよ』というと、いうことを. 行ったり、来たりして、教室に入るまで20分近くかかる。下校の時、スクー. 聞き、いうことを聞かせるために、母親は常にねりがらしを持って歩いた。. ルバスに乗る場合も同様の仕切りなおし行動がみられた。.  しかし、中3になり、「ハイ」と大きな声で返事が出来るようになった。時.  また、音を怖がることは中学部になっても依然として続き、運動会の応援の. には(調子の良いときには》、ハナ歌で演歌『無方松の一生』を歌うようにな. 賑かな音には、耳を塞いでいた。そして、時々、「∼先生の靴、ちくぜん煮、. った。ただし、物やことなどに対して、図鑑的な絵や言葉をかくことには、依. わさび」などと、意味のない遅延反響言語を発した。. 然として興味を示し、いろいろなものを画いた。.  なお、本児の状態を検査してもらうと、『これらの状態(食べなくなる、リ ズムの急激な変化》は自閉症の思春期によくなるもので、神経的に迷うので、 そっとまわりの者が見守ってやってほしい。』ということであった。. 25. 26.

(15) 乳叩磯欄購. 高等部期(1年).  高等部になっても中学部でみられた生活リズムの乱れ、不眠、昼夜の倒錯等 がみられ、学校を休むことが何回もみられた。このように調子が悪くなると、 行動面では突発的な行動があらわれ、休の大きくなった本児の行動を制止させ るのは、容易なことではなかった。.  一方、言葉の面では、調子の良いときは、よく言葉がで、しかも、その言葉. 鴨s◎、. づかいは以前より良いように思われる。.  こだわり行動は、本児は暑くてもボタンをキチンとかけたり、上着をズボン の中にキチン入れないと気が済まない。また、通学中、改札口を出る時、母親 が出たところがら出られない。そして、右足から出ようか、左足からでようか、. なんども仕切りなおしするなど、まだまだ固執的強迫的な多くの問題をRえて. Photo.2−10              i                            本児が最近(60年)画いた絵、調子の良い時と比較}. いる。. すると崩れ方が目立つ。              1.                     97  以上のように本児は幼児より多少型のちがった自閉症状、強いていうならば 脳障害を示唆するような動作の異常、気分の周期的変化、音への過敏さ、など、 を随伴したものであった。.  しかし、小学校1∼3年頃にかけては、これらは顕著な改善をみるにいたっ た。ことに対人関係、言葉、絵画などのギコチなさの消失、柔かさは特記すべ きであった。.  しかし、その後、気分の幽囚的変化、摂食の障害による多食と近地と;肥満 とやせなどを繰返し、対人関係もギコチナク、言葉、絵画などでは紋切型の常 同傾向が目立つにいたった。.  特に、この傾向は思春期頃から著しくなった。したがって、これは人格の崩 壊をきたしはじめた事例であるといえる。. 一一“ Pho tJd一 F一 2−1 1 本児が人格崩壊を露呈してきた時の人物画である。. (高1、16歳). 27. 28.

(16) うな才能をみせた。. 事例2の考察.  3年生では対人行動が拡がり、学習活動もこれまでとちがって、かなりの進  三児は、出生前期、周生期に特別な異常はなかった。乳児期、音に過敏で目. 歩を示した。例えば町並の絵をえがいた。それには相貌的である太陽に目、鼻. ざとかったが、対人的には、随所に無関心さが目立った。しかし、本には特別. をつけてニッコリと微笑んでいるような絵が画けたりした。また、何種類かの. の興味を示していた。. 電機器具を繰り返しかいたが、それらの配列には不自然さはなく、ミカン色の.  誕生頃、一語文がでたが、いっとはなしに消えてしまった。1歳3カ月で歩. 電灯などは、なんとなく温かさを感じさせるものであった。ちなみに、この際. き始めたが、多動と同時に真直ぐに進み、目の離せないことが多かった。また、. のWISCはIQ60であった。しかし、こだわり行動は学校生活に関するも. 2歳7カ月頃から、再び発語をみせるようになったが、先頭語だけであった。. のではあったが、依然として続いた。. しかし、字のみはなんとなくかけるようになったが、それは枠どりをした肉太.  このように本児は2,3年時には自閉傾向は軽減し、みるべき改善を示した. 字であった。同時に、この頃、再び音に過敏になり、電車の音、人混みの中、. のである。              ・. 料理の妙める音などにびくついて泣いた。また、扉の開閉、エンジン、花火な.  しかしながら、これを境に自閉傾向はともかく、幼児期にもみられた周期的. どにもひどく怯えていた。. な感情の起伏が再びあらわれはじめた。ことに、情緒的に不安定になると、体.  3歳6カ月の時、無熱性けいれんを起こした。しかし、4歳頃までは、特別. 調が悪く、不眠となり、時には一晩中眠れず、昼夜の倒錯さえみられた。. 変ったところはなかった。.  また、音に怯えて逃げまどったり、女性に近づいて、体臭を嗅いだりした。.  5歳頃、周期性をもった感情の変化がみられた。すなわち、よく泣く時期と. 加えて、6年頃から給食をよくもどし、嘔吐癖がついた。ことに摂食の障害は. ニコニコ笑う時期が7∼10日の周期であらわれ、同時に行動が不安定になっ. ひどく猛烈に食べては吐く、というのが習癖となった。. たり、集団行動がとれなくなった。.  一方、200コマぐらいのジグソウパズルなどは、いとも簡単にやってのけ.  このように、本児は自閉傾向を示したが、音への怯え、言葉の消失、周期性. た。また、1字でも写し間違えると、初めからすっかりけさなければならない、. の感情の変化、および脳波異常など典型的な自閉児とはやや異なった症状を露. という仕切り直しを繰返しはじめたのである。. 呈しはじめている。これから中枢神経の障害の部位を同定するわけにはいかな.  なお、この間、かって画いていた暖かみがあり、比較的現実的な絵はもはや. いが、脳幹部、ことに視床、視床下部の間脳あたりに問題があるのかもしれな. 画かなくなり、以前から楽しんで画いていた食べ物の絵を巧みに、そして、そ. い。        ・. の横に肉太の文字で名前を書くという傾向が強く、次第にそれは紋切型になっ.  こうして本浦は養護学校小学部に入学したが、対人認知、社会常識、対人感. た。また、体調、感情、生活リズムの周期的な乱れはいつそう激しくなった。. 情、社会ルール、社会役割などについては、ほとんどこれといってみるべきも. 嘔吐癖が強く、そのため服薬できなくなったし、昼夜の倒錯が目立ち、ところ. のはなく、社会的孤立と社会関係のなさが目立った。加えて、幼児からの興味. かまわず、衝動的に奇声、大声を発したり、走りだすことも少なくなかった。. の偏り、本ことに料理、食べ物には強い関心を持っていた。また、とりつかれ. ことに食べ物への好き嫌いは激しく、学校での給食の献立票をみて、嫌なもの. としての執着行動もつよく思うようにならないと不安定となり、イライラした。. がでると、泣きだすことも度々であった。. なお、音へあ恐怖は依然として続いた。しかし、この間に言葉がではじめ、簡.  また、ちょっとしたことで、仕切り直し行動をして、校内のところでなかな. 単なやりとりは可能になったし、ことに要求語はわずか仁出た。また、ピクチ                     ノ ヤーパズルなども巧みであり、その能力は同年齢の子どもをはるかに越えるよ. か足をふみこめず、20分ぐらい仕切り直しをし、先生が迎えにいくと泣きだ. 29. したりもした。. 30.

(17)  音に怯えることも依然として続き、群衆の歓声などに怯えきっていた。  しかし、気分のよいときは、ハナ歌で演歌を歌ったり、図鑑的な絵を紋切型 にかいたり、また、指示にしたがって、行動したり、返享ができ、喋ったりも していた。.  この様な状態は年とともに激しくなった。ことに、摂食障害によるやせと肥 満、感情の周期的変化、音への怯え、保続を思わせる徹底した仕切り直しは特 記すべきであった。.  以上の経過からみると、本児には脳障害が中枢神経のかなり奥深い皮質下、 ことに注目されるのは間脳であるが、その障害が皮質にまで及び、自閉傾向を 生むにいたった、といってもよい。.  一方、この脳障害は加齢とともに進行しつつあるかもしれない。なぜならば、 人格の崩壊の現象はまさにこれに因由するのではないか、と思われるほどであ るからである。. 31. 32.

(18) 3.事例3  興味のある領域では言葉のやりとりができるようになった事例.  また、つかまり立ちしてる頃、壁土が落ちるほど頭突を繰返した。この頭突.         一幼児期の自閉的傾向を、そのまま残しているタイプー. の理由はよくわからなかった。しかし、頭突は3、4年続き、幼稚園に入る頃 になってようやくおさまった。. 加0誠○   中学部2年 男子  S46.8.14、生まれ  本甲は運送会:社に勤める父親37歳と、会社事務員である母親19歳との間. 幼児期:. の第一子として生まれた。.  2歳頃、言葉が少ないこと、言っていることを理解できないことなどから、 発達史. 両親はなんとなく心配し始めた。特に、言葉の遅れ、あるいは、言葉の内容の 異常を感じた。しかし、この子の所作をみると、かなり決め細かい動作も可能. 出生前:. であり、表情は言葉のないわりには生き生きしているため、全体的にはこの子 の発達が遅れているのかどうか判断に戸惑った。.  妊娠中毒症が約8カ月続いた。そして、この間、血圧が上がり、体調はまま.  3歳で普通の保育園に入園したが、母子分離が充分でなく、特に、不安が強. ならなかった。しかし、その他には特記するほどの疾病外傷はなかった。. く、よく泣いた。.  保育園では、まわりの人の言うことが理解できず、一人勝手によく動きまわ った。一方、友達全体に対しては、特別これといった関心はなかったが、ある. 周生期:. 特定の友達に強く関心を持ち、その子を押倒したり、苛めたりした。そこで、.  出生は予定日より、約1カ月遅れた。生下時体重は35009.生まれたと. N親はいたたまれなくり、その保育所を2カ月でやめさせて、S学園に移した。. きは元気よく泣き、哺乳力も充分であった。アップガー指数はよくわからない. S学園は染筆行動をあまりやかましく言わなかったので、本四は比較的伸び伸. が、生下時の状態からみて、それほど低い得点ではなかったようである。. びと生活することができた。しかし、本児の行動は多罪で、家の者は片時も目 が離せない状態であった。少しでも目を離すと、本児は迷子になり、捜さなけ ればならなかった。大抵、1時間ぐらいで見つかったが、その時、本児は平然. 乳児期:. とし、泣くようなことはなかった。また、よその家に上がりこみ、冷蔵庫を開  3カ月で首が坐り、6カ月でお坐りができた。しかし、一一般に人見知りの激. け、飲食ずることもしばしばあった。したがって、両親はたえず、謝ってまわ. しい7カ月頃には、ほとんど、それらしいものは現れなかった。また、イナイ. らなければならない状態であった。. イナイバァー.オツムテンテンなどの芸当を憶えることもなかった。歩き始め.  日常の基本的生活習慣に関しては、オシメがとれたのが2歳であったが、ト. は1歳であったが、この時には、まだ欲しいもの、関心のあるものに対する指. イレにいくのをひどく怖がった。そのため、ポータブルトイレを使ったが、本. 差しは認められなかった。本児の乳児期は、あまり泣くことのない、大人しく. 児はこれが決った場所に置いてなければ、そこで用をたすことができなかった。. 育てやすい子どもであった。. また、本四は偏食がひどく、好きなものは、みそしる、御飯、カレーライス、.  その後、大きな声や奇声が出始めたが、いわゆる言葉にはならなかった。特. 焼き飯などで、嫌いなものは野菜の妙めもの、魚、味付け海苔などであった。. に、自分の思うようにならないと「ギヤー」と言うような奇声を頻発した。. 特に、めがないほど好んだものはめん類であった。一般に、食べ方はあまり噛. 一 33. 34.

(19) まず、早食いのほうであった。. クなど吐くほど正確にかいた。この傾向は中2の現在まで続いている。.  他児との遊びには関心を示さず、近所の子が来ても一一人ポツンと離れて遊ん. でいた。遊びの中で好んだのは水遊びであったが、水がチョットでも服につく と嫌がって、服を脱ぐことがしばしばであった。.  動物園に行った時などは、動物に関心はなく、石ころ、立札を覗きこむ程度 であった。また、写真を撮る時、カメラの方をむこうともしなかった。つまり、 写真を撮られることには無関心であった。.  本児が、最も興味を示したのは自動車であった。国産はもちろん世界で有名 な自動車の名前を全部憶えており、自動車に対する記憶はズバヌケタものであ った。.  自動車以外にも本児は庭などに置いてある石の固物、例えば蛙とか狸、とう ろうなどに興味を示し、それらにさわってみたり、抱きついたり、お地蔵さん をひつくり返してまわったりした。.  奇妙な癖としては、人の帽子やメガネを取ったり、脱いである靴を履いて出 て庭に捨てたりすることがよく見られた。道順は決っていて、新しい道を通る と不機嫌になった。. Photo. 3−1  本願の画いたバスである。これを画いたのは中1の時であるが、小学.  言葉は1歳5カ月頃、ウマ(御飯)、ブーア(水)などがで、S学園の頃. 部低学年の時のバスとほとんど変化はみられない。 野. (4歳頃)2語文がでた。しかし、多くは自分の欲求だけを相手構わず言い、. 関. 相手の質問にはほとんど応答しなかった。 翰. レ. ﹁愛. なにをした?』と尋ねると、「今日は原木運び」と正しく答えることができた. a. 護.  このような傾向は、中2の現在まで続いている。父などが大きな声で『今日. ヂ. L      櫃.        ,c9. が、静かに優しく言うと、「これどこでこうたん?消防自動車?」などと勝手. 劉ご・. 1・. なことを答えることが多かった。.  それでも、しつこく尋ねると、「津山、0くん」という。これは本児にとっ. うである。. の顔などは先生が強制すれば画く程度であった。.  絵の中で最も好んで画いたのは、自動車の絵である。乗用車タイプ、トラッ. s. .:窒  ... \、、.. オ. \、. _\. しi. F ’』. _乙). 諺. の中の事が多く、日常生活のことはあまりなかった。写生は最も苦手で家の人. ⇔_心・. o om \ご、..  4,5歳頃から絵を画きはじめた。はじめ、人間の顔を画いていたが、絵本. 111111illii. て嫌な時の表現であり、「もうええかげんにやめてくれえ一」と言う意味のよ. ) 9. 垢 L“ 、.       liXIV         ・、ご’                      .ミ。.・tS.e.一層噺. Photo. 3−2  本児の画いた乗用車である。この自動車はポンコツで捨てられていた ものだが、本児が一番気にいっているものである。内部が画かれている. 35. のが特徴的である。.              一 36 一.

(20) を乗せて遊んだりしたこともあった。. 小学校低学年期(1∼3年).  家に帰っても、近所の子どもたちにも、いくらか興味をしめすようになった。.  夕方、遊園地で鉄棒をしている子どもたちの所に行き、「病院いくんか?救  本立は養護学校1年生に入学し、同時に寄宿舎に入った。入学当初は、母親 と別れるのが辛いのか、「おかあちゃん、来る?中止バス乗って来る?」と、. 急車にのっていくんか?」と、話しかけ、まわりに子どもたちがいるだけで、 ”k. 楽しそうだった。. 何回も何回も繰返していた。寄宿舎に帰る時など、涙をためて訴えることがあ.  もちろん、本丁の他児への関わりは、視野の狭いものではあるが、こうして. った。本児の学校の生活は、一人遊びが主で、自動車の本をみたり、砂の感触. 他者への関心が、少しずつ芽生えてきた。. を楽しんだりしていた。また、オモチャの自動車をひつくり返して、「事故」.  バス、汽車、新幹線などの絵、粘土は暇さえあれば、飽きることなく、熱心. といって遊んだ。本物の消防自動車が、総合避難訓練のためやって来ると、本. にやっていた。『遠足の絵をえがきなさい!』と、言っても本児は、新幹線や. 命は大変な喜びようで、本物の帽子、マントを身につけてもらい、走り回って. 消防自動車を画いた。この時期、絵や粘土のなかにお母さんが登場した。. いた。対人関係は、同級の友達と関わって遊ぶことはほとんど見られなかった。.  話言葉は、相変らず、「∼するんか?」の型式になりやすかった。要求語を. ただ、大人と一対一で遊ぶことはあり、先生に「コリャ、マテ、スルカ?」と. 出すために、本児の目の前にミカンを置いて、「ミカン下さい」と言わせよう. 言って、追いかけて貰うと、「ウアー」と大声を出し、笑いながら逃げるのを. としたが、「ミカンどうぞ」、「ミカンは黄色」、「ミカンたべるんか」(遅. 好んだ。’. 延反響)などが口をついて出るだけで、どうしても「ミカンください」とはい.  友達、先生との対話はほとんどできなかった。『Kくん、はやくならびなさ. えなかった。. い!』などと言うと、無視するか、あるいは「トヨタカローラ1、H先生のメ.  しかし、池田動物園に遠足にいった後、家で母親が『何に乗っていったん?』. ガネとったらいけません!、いけません!」などと、関係のないことを次々に. と聞くと、「中潮バス」と答え、『お昼は何をたべたん?』ときくと「お弁当」. 口にすることが多かった。どうも、本児は自分の興味のあることは、ちゃんと. と答えることはできた。. 答えることができたが、そうでないものは答えないか、遅延反響語がでやすか.  このように本日は自分の関心のある事柄に関しては、比較的正しく答えられ. った。. るが、帰りの会などで、日直が「Kクン言ってください1」などと言うと、.  幼児期にみられたとりつかれ行動が、この時期にもみられた。この頃、家庭. 「Kクン言ってください1」と、よくオウム返しになった。朝の会で名前カー. がらの連絡によれば、「他の家に入り、紙塩を庭一杯に広げて、絵や豊島バス. ドをとる勉強でも、自分のカードが分かっていながら、友達のカードを取ろう. の広告を捜すのに必死になった」と、いうことである。また、家に帰る列車の. とした。先生が、『カードとらんと国立病院で手術してもらおうか』と真顔で. 中では、学生に興味があり、学生の帽子を取ったり、帽子を被ってない学生に. いえば、「行かないよ、だあれもおやん」(誰もおらん)といって、正しく、. 帽子を被せたり、急に抱着いたりした。学生たちは、本児をみると、急に頭を. 自分のカードをとることができた。. 押えたり、“恐怖の抱着きマン”というほどであった。.  テレビは、番組では、「クイズ列車」、コマーシャルでは、「競輪」(タカ.  2年生になり、今まで、同級生徒とほとんどかかわりを示さなかった女児は. マツケイリン)「ボLト」(コジマボート)などになると、絶対にかえない。. 充分ではないが1年生のHに興味を示すようになった。本児は自ら、Hと手を.  また、家でカルタが1枚なくなると、こだわって大騒ぎになる。 “. つなぎ、仲よくした。ただ、本谷とHとの遊びは、 本心がHをウルトラマン.  3年生になっても絵や粘土に対する興味は続いた。この頃、本位は図書館に. タローといって、転がすことが多かった。また、自転車の後ろに車をつけ、H. 行き、その本を見て、ウルトラマン、自動車、などの絵を画いた。特に、消防. 37. 38.

参照

関連したドキュメント

これらの定義でも分かるように, Impairment に関しては解剖学的または生理学的な異常 としてほぼ続一されているが, disability と

はありますが、これまでの 40 人から 35

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

また自分で育てようとした母親達にとっても、女性が働く職場が限られていた当時の

○齋藤部会長 ありがとうございました。..

夫婦間のこれらの関係の破綻状態とに比例したかたちで分担額

にちなんでいる。夢の中で考えたことが続いていて、眠気がいつまでも続く。早朝に出かけ

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ