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 本児が高2(60年》の時、画いた人物茜である。な お、本人はとりつかれ行動がひどく、E葉はなく絵はか

けない。

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事例5の考察

 本児に出生前期、胎児16週ごろN親に血糖の増量をみた。そして、出生は 吸引によったが、周生期障害を思わせるようなものはなかった。

 乳児期の運動発達は順調であった。その他については特別変ったところはな かった。しかし、噴水様吐乳がひどく、雨降りなどには洗濯に困った。

 本児は表情も豊かな方で、始語は1歳3カ月で「マンマ」が出た。その後、

オーム返し、一語文、二語文をみたが、気分の変動があるのか比較的よく喋る 時期と黙ってしまう時期があった。生活の基本的習慣の自立についても、これ といった問題はなく、4歳で保育園に入園した。保育園での集団生活は皆とワ ンテンポぐらい遅れるところはあったが、両親は格別、心配していなかった。

 5歳で幼稚園に転入した。この頃から多動が急に目立ってきた。園長よりそ のことについて指摘された。

 園では片時もじっとしていることができず、動きまわっていたり、水道の水 を手にうけ感触を楽しむことが目立った。

 2学期には要求語がでた。また、図鑑に画かれている特定の車に興味をもち、

園の200冊ぐらいあるいろいろな本の中からアッというまに3冊の本を引出 し、例の本と見比べたりした。また、園の近くの文具点でミニカーをみつける とヒョイと園の柵を飛越え、そのミニカーに近付いたりしていた。

 半月ほどで、買いものに興味をもち、やはり園のヘンスを飛越えて外にでた。

また、同じ子どもの弁当をロッカーからひっぱりだしたり、おんぶを要求した・

り、外来者の車に興味をもったりしはじめた。同時に返事ができはじめ、この 頃から少しずつ行動は落着いてきた。

 また、とりつかれ行動としては、車の絵本が手放せなくなる→ジュースの缶 を集める→ジュースの瓶に変る→一生瓶にひかれる→ミニチュアの瓶をならべ る、といったぐあいに変化していった。また、菓子箱に興味をもち、それも

『雪の宿』から『カプリソーネ』のアルミ箱→『力ロリメート』の箱を持たね ば気にいらなくなった。

 このように本四は4歳ごろまでは言葉使いのおかしさ、や遅れはいくらかみ られた。また、集団にもうまく入れなかったことがあったが、両親は特別に異

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常ともなんとも思っていなかったようである。

 幼稚園に入ると同時に、ひとりよがりの気持ちで転々とする多動さ{集団へ とけこめないこと、社会的孤立およびまわりとの言葉のやりとりができないこ と、自分の興味あるものへのひどいこだわりと、敏捷さ、および興味のとりつ かれ行動など、自閉的傾向が入園を機会に一様に開花したかのようである。少 なくとも、この時点では発達遅滞を予想させるような遅れは認められない。し たがって、いわゆる自閉症候群の中でも比較的中核に属するタイプのように思 われるのである。

 養護学校入学から2〜3年間は、多動がその極に達し、素早く転々とする行 動にまわりのものはひどく困惑したのである。この様な極端な響動は何かに迫

られているような作業心迫様でもあり、これまでいくらか言葉のやりとりも出 来ていたのが、一方的に要求語の連発となった。そして、その様子は最早、一 刻の猶予もできないというほど切迫したものであった。しかし、それも次第に 減り、マジックハンド様の動作に退行し、ついには、無意味言語にまでなって しまった。なお、発語の模倣も充分でなく、無意味な2〜3語の発声を除いて はまったく不能となった。言葉の崩壊期は比較的急速に進んだ。

 また、母親の見分けが充分ではなく、異食がはじまり、弄糞行為、小便なめ、

性器いじりがひどく、これらは人目をはばからず続いた。

 したがって、これらのことは、なにか重大な脳機能障害が進行してきたこと を示唆するものであるかもしれない。

 なお、この閤、とりつかれは本→空き巻→ミニカー.サントリーの瓶へと移 っていったが、これがないと魔法の杖がなくなったかのように、必死に捜しま わったり、不安、焦燥となった。そして、これらの事物を持ち、指を曲げて、

曲げた悶接のところで叩いて音を聞いたり、臭いを嗅いだりなどの常同行為に 終始していた。しかし、かろうじて幼児期の埋もれた知的ひらめき的なものの 残遺として型嵌め、パズル、ビーズ通しができるくらいであった。

 中学部では多動は幾分和らいだとはいえ、目が離せなかった。日常の生活の 訓練を条件付で教えることが試みられた。これがある程度効果があったのか、

少しは席に着くことが出来だしたし、簡単な問いにも応えることが出来はじめ た。しかし、会話にはならなず、要求語もでず、「ナアナア」といいながら欲

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しいものを指差しする程度であった。

 本児はこのような状態にあり、まわりには関心がなく極端に孤立していた。

作業学習はほとんど不能で嫌がってしなかったし、先生のいいつけを聞くよう なことはみられなかった。そして、自分の気のむくものが目に入れば、たちま ち引付けられてしまう、という状態であった。このように、とりつかれ行動だ けはまったく以前とかわることなく続いているのである。

 高等部の今日にいたるまでこのような行動は依然としてみられる。

 以上、本児は幼児期に、やや晩発性ではあるが、かなり典型的な自閉的傾向 がみられた。しかし、小学低学年から中学年にかけて言葉の崩壊、低次元の奇 癖が数多く露呈しはじめ、形骸化した行動が目立つようになった。いわゆる、

脳障害の進行をみるオレ線型の極端なタイプかもしれない。

 その後、個別のいろいろな治療教育が行われ、幾らか改善をみるにいたった が、なお人格の崩壊は歴然とした事実である。

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6.事例6  多動から寡動となったが、いまだにとりつかれ行動の著しい事

永○ 一〇   高等部2年  男子   S44.3.26生まれ  本児は父親27歳と母親24歳との3人兄弟の第2子(長男)として生まれ

た。

発達史

出生前期:

 母親は妊娠中、疾病外傷はなかった。しかし、父親の事故(昭和43年12 月)による入院のため、その看護や心労によるためか、切迫流産をしかけた。

しかし、大事にはいたらなかった。

周生期

 妊娠時、上記のように切迫流産の兆候はあったが、出生は満期で安産であっ た。生下時体重は3400グラムで仮死もなく、黄疸も軽かった。

乳児期:

 首の坐り3カ月。這い這い5カ月。歩行10カ月と、身体運動発達には問題 はなかった。しかし、あまり泣かず、人見知りもせず、そのため手のかからな い子どもであった。また、笑いも少なく、視線も合わなかったし、母親を目で 追ったり、後を追って困らせるようなこともなかった。ただ、這い這いをして いた頃、母親の姉が、『この子は這い方がおかしい。きっちりしている。』と 指摘した。それは、部屋中にカルタや紙片が散らばっていると、這って進む際 に、それらを一枚も残さず、きれいに集めてから前進する、などの行動癖から、

そういったものである。

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幼児期:

歩き始めると行動範囲が広くなり、目を離すことが出来なくなった。1歳過 ぎ、遊んでいて後向きにガラス戸に頭を突っ込み、何針か縫う怪我をした。ま た、2歳前、急に車道に飛び出し、タクシーにはね飛ばされたが、この時には 怪我はなかった。後日、小学生になってから、この時の様子をしっこく絵に画 いていた。

 2歳から3歳にかけては、どんな錠前をつけても、巧みにはずして外にでて しまうため、父親は家のまわりに柵を作った。

 3歳から5歳にかけて、時計に興味を示し、それがカレンダーや数字へと拡 がった。また、ふらふらとよその家へ入りこんで、建具をジット眺め入ってい た。幾らいい聞かせても、その家の障子の形が、自分の頭に刻みこまれるまで はやめようとせず、相変らず入りこんだ。やがて、自動車のナンバープレート へと興味が拡がり、目の前を一瞬に通りすぎた車のナンバーでも憶え、それを かいたりした。

 5歳になると、ガスメーターや自動車のメーターに関心を示し、そんなに好 きならと自転車にメーターを取りつけてやったところ、それまでいくら練習を 重ねても乗れなかった自転車のりをあっさりマスターした。そして、自分で9 00メーターと決めると、丁度、メーターがその距離をさす時に家に帰りつく ように、自転車で出掛けるようになった。

 一方、言葉の方は、誕生を過ぎても喋らなかった。マジックハンドをつかう が、指差しはなかった。2歳の時、テレビをみていて「ヤクルト」と言ったの が二二であった。男の子は言葉が遅い、とは思っていたが、テレビにでる商品 以外、3歳になっても言葉らしいものがでず、 おかしいな と思っていた。

 3歳児検診では動きまわり、検査が受けられなかった。

 4歳の時、多動で目を離すことができず、母親が必ず本四についてまわらざ るをえず、そのためか、母親は次女を流産した。

 幼稚園へ行く時期になっても、多動で言葉の少ない本児を受入れてくれる幼 稚園はなく、いろいろ探したすえ、ようやく1年保育に入園できた。入園後は 母親をみつけ「おかあさん」といえた。以後、2語文程度であるが、語彙は少

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ドキュメント内 自閉症状の発達的推移に関する事例研究 (ページ 35-47)

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