経営者への組織的共感の深層心理学的接近:経営者意識論(7)
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(2) 第47巻 第2号 出せるようである。 すなわち経営者が極限的な危機の状態に直面したとき, 経営者の意識 は, ただ表層的な合理性の思考だけでは解決を見出せず, しばしば無意識の心的エネル ギ ー の補償作用によって, 再生の突破口を招くという。 それがすでにふれた経営者の個性 化過程であり, いわゆる集合的無意識から湧出するイメ. ー. ジ, ないし直観といわれるもの. の内容であろう。 それを ユ ングのいう共時性の概念をもって理解を深めることが可能なよ うに思う。 つまり因果的連関の原理としての合理性ではなく, 不合理性ではないが非合理 性といえる,「非因果的連関の原理としての共時性」によってである。 その議論は前稿121 • に ゆずるが, いわゆる科学的な因果律を超えた共時性の働きを,. ユ ングのいう「無意識の知」. として心理学的に理解しようと努めてみた。 そこで結語としてまとめたのは, 集合的無意識から湧出するイメ. ー. ジとしての知, これ. は英知とも表現しえようが, それは個人を超えてトランスパ ー ソナルに影響する力をも つ。 それは組織集団に, まさに集合的に影響し感化する。 すなわち組織的な共感をもたら すのである。 こうした状態は, 意識の「最適な関係」を創ることであり,「心が到達できる 最も創造的な状態である」(31 という。 そこには共時的現象で, 組織成員間に生起しており, 超心理的事象として観察し理解する領域となる。 やがて ユ ングも「共時性から超因果性へ」 のテ ー マに挑戦していく。 その過程なり内容をこれから検討し理解していきたいとおも. ぅ。. 2.. 超心理的事象の検討. まず ユ ングが,「心のなかに存在する知の無意識的な潜在力」について, どのように理解 していたのかをふまえておこう。 その内容は, 「暗黙の予知」であったり,「来たるべき事 物の暗示として体験される」ものであったり, それは 「事象の実際の出現に関して, 時間 的にほんの少し先んじて来ると思われる直観のなかに, 現われる」 (41 という。 そこで「直観」 についてみてみよう。 ユングがその主著の一つ,「タイプ論」(51 において とりあげた「直観タイプ」 は, いうなら「心理学的状況」であり, それはどのような人に でも生じえる状況であり, とくに「ある個人は直観に頼ることによって, 彼の人生過程の (2) 前掲拙稿。 (3) イラ ・ プロゴフ著「ユングと共時性」河合隼雄•河合幹雄訳. 創元社, 1987年刊, 93頁。 Ira Progoff "Jung, Synchronicity and Human Destiny" 1973. (4) 前掲訳書, 95頁。 以下括弧内. 引用文は特記しないかぎり, 同書による。 (5) ユング「タイプ論」林道義訳, みすず書房, 1987 年刊, Jung, C. G. "Psychologishe Ty pen" 1921. -108 (326)-.
(3) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近(大森) 次に現われる局面に. 鋭敏になる」類型があるという。 それは何故かというと, そのよう なタイプの個人が鋭敏になると体験できる直観の理由を次のようにいう。 すなわち「展開 するべき全過程が人間の種子のなかに存在するためであり, それは, 非意識的方法によっ て心の内で知覚することができる。 次に来る事象の目標あるいは目的は, その過程が動き 始め, 展開し始めるとき, 心のなかに, イメ. ー. ジとして存在する」161 という。. ここにいう「無意識的な知のタイプ」は, 通常の夢の現象からしても, 比較的に理解し えるが, 心霊現象やさらに「超感覚的知覚」(Extra Sensory Perception : ESP) といわ れる超常現象までふくめた, いわゆる超心理学の領域にわたってくると理解は困難になっ てくる。 それにたいするユングのアプロ ー チが, 事象の共時性という考え方である。 それ については. すでにふれてはいるが, ここで確認しておこう。サミュエルズなどによる「 ユ ング心理学辞典」 171 を参照すると, 時空間原則や因果性に隠れて見えないでいるものの探 求のなかから.「非因果的連関の原理」として展開した概念である。 それは時空間的に一致 しないが, そのつながりに意味が感じられる事態であるか, 逆に別々の出来事が, 時空間 的に一致し. しかも意味深い心理的連関がそこに感じられる事態であるか, 内的な心と外 的な物や事象をつなぐ原理であるといえよう。 つまり「共時的経験は, 二種の現実(すな わち,「内的」 現実と「外的」現実)が交差するところに生じる」まさに「意味のある偶然 の一致」181であるといえる。 これを解説するのに, プロゴフは 「 ユングと共時性」のなかで,「時間軸を横切る様式」 という概念をもって展開している。 すなわち無意識的な知というか, 認識能力について, つぎのようにいう。「意識が鋭敏になるというような方法で, 意識が無意識と密接な関係に なるならば, 無意識的な認識能力は. 人格の重要な要素となる。 このような場合の状態に おいて, 『自己』の本質的特質が現実化する。 そのとき『自己』は, 人格の広大な基礎とし て体験され得る。 なぜなら心は, それ自体を越えて世界に至り, ミクロコスモス内にマク ロコスモスが現われる媒介物となるからである。」 191 そこに「時間軸を横切る様式」が見出 されるというのである。 それは「空間的関係によって規定されていない方法」によって, 個々の事象の場合は, 「自己」 という場を経て. 意味のある連関として反映されるのであ る。 たとえば多くの事象の意味のある連関の認識をはじめ. 遠くの事象の知覚や未来に起. (6) 前掲訳書, 96頁。 (7) A. サミュエルズ他「ユング心理学辞典」山中康裕監修訳, 創元社, 1993年刊。 "A Critical Dictionary of Jungian Analysis" Andrew Samuels etc. 1986. (8) 前掲訳書, 37-38頁。 (9) 前掲訳書, 97-98頁。 -109(327)-.
(4) 第47 巻. 第2号. ることの予見などという, 超心理学といえる領域の現象についても,. ユ ングは自分の臨床. 体験からして, 肯定的かつ積極的に議論する。 たしかに経営の事例において反跳してみると肯定しえる内容でもある。 たとえば, 現代 の科学でいわれる因果律の原理でもって, 経営の戦略的な決定を論ずるとき, 「統計的な」 法則, あるいは「一般的観測」以上の正当さを期待しえるであろうか。「その意味すること は, 因果律的法則は一定の確率においてのみ正当であるということである。 統計的法則は, 絶対的に真であることはなく, ただ主としてあるいは大部分真であるだけである。 法則の 絶対的言明に適合しない現象の部分, 換言すると, 統計的変数の構成要素となる事象は, 因果律は本来正当でないことを示唆するのではなく, むしろ, 他の説明原理が ". ”. ". そのまま ”. に 必要であろうことを示唆している」umという。 たしかに ユ ングは そのままに 必要で ある説明原理として共時性を提出するのであって, 因果性に代替する原理というより, 補 償的なものという。 だが経営の戦略的な決定の場面に即していうなら, むしろ共時性の原 理によって, 様々な事象が心理的に布置 (コンステレ ー ション)されたイメ. ー. ジなりヴィ. ジョンを, 補強というか補完する説明原理として統計的あるいは合理的な因果性が意味を もっているのではあるまいか。 これは松下幸之助が創業当初において, いわゆる「水道哲学」といわれる経営の理念な りヴィジョンに気づく状況を想起すると首肯される。 その当時の大恐慌という社会的な状 況, そのなかで参詣した天理教本部の様子, そして松下電器の実状など, 様々な事象の交 錯するうちに, 無意識のなかで心理的に布置された構想がイメ. ー. ジとして意識に突如浮び. 上ってくる。 かならずしも因果的に説明しきれない状態で, 共時的な現象として生起する。 したがってその内容を補強し補完するために, より合理的な因果性や統計的な法則によっ て説明しようとする。 ただこうした超常的といえる現象は, 日常的に惹起するともいえず, また誰にでも生起するともいいかねるところに 一 般的な状態ではないといえる。 つまり 「それは, 特定の状況と事象が知覚できるようにそれが特殊化されるとき, 特別な重要性を 1111 のである。 それは無意識との関係において,「鋭敏な人格内の, より広い認知カ おびる」. の意識的発展によるとき」生まれ出るという。 それをユングは超心理学の実験研究のなか に検証しようと模索している。 そのなかで 「関心」という要因の重要性を見出しているこ とに注意したい。 つまり強いというか熱い関心が, 心理的エネルギ ー を増大させ, 無意識か ら直接にイマジネ ー ションとしての知覚が湧出してくるというのである。 その超心理学的 (10) (]]). 前掲訳書, 101頁。 前掲訳書, 98頁。. -110 (328 )-.
(5) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近(大森) な実験研究において,「好結果の第 一の特徴は, それらが, 心の非常に肯定的な状態, すな わち心が希望に満ちた期待の態勢に満ちている状態に一致したことであった」0� という。 したがって ユ ングは, 超常現象というか, 超心理的な共時性の現象が生起するのは,「希望 11] といっている。 さらに ユ ングはこの 「希望の元 という元型的特質に基づくものである」. 型」を, むしろ「奇跡の元型」とか「魔術的効果」の元型という方が, 自分の好みである とさえいっている。 ここにいう「元型は, 抽象的・普遍的イメ. ー. ジではない。 それらは,. 人間の心の深層に変化の過程を起こす有効な要因である」が, 超心理学的な実験において, 「いずれにせよ, 不可能と思われる課題に直面した被験者は, 元型的状況に立たされたこと に気づく」ので, まさに「奇跡の元型」によって,「そこでは, 神性な仲介, すなわち奇跡 が唯 一の解決を与えるのである」11-0という。 たしかに松下幸之助の経営の再建や再生にみ る物語には神話的にさえなる奇跡のような史実が, 希望に彩られながら「魔術的効果」を あげたことを教える。 そのことを念頭に想起しながら, もう少し詳しくユングの知見を理解していこう。 ここ で ユ ングが,「希望」とか「奇跡」といって 「魔術的効果」の「元型」に言及するとき, そ れは「人間が直観的に感じる期待という特別な性質」について言っているのであり, それ II は「生命過程がそれ自身の作用のなかで変化を成し遂げるためにもっている能力」 � であ. るとも言っている。 したがって, こうした性質や能力は, 歴史上において 「信仰の源泉」 になったり, 心理的に「催眠的効果」をもち, 宗教とか神話という「文化的象徴」をまと うという。「これらの信仰は, 神秘的な方法で人生に影響を及ぼす元型的な力への人間の直 観的信仰に基づいており, また, それによって作用しているのである」 II� と。 このような 「直観的信仰」とその「作用」を, まりに神秘的なイメ. ー. ユ ングは 「魔術的効果の元型」と呼んだのであるが,. あ. ジを強調しすぎたきらいがある。 むしろ「心についてのユングの図. 式の基本的分類」にしたがって検討すれば, かなり明確になる。 すなわち心の表層の領域 である意識の下に潜在している個人的無意識と集合的無意識のうち, トランスパーソナル な心の最も深いレベルで,「魔術的効果の元型」体験は起っている。 したがってその影響力 は, 個人的なものより, より深くトランスパ ー ソナルであり,. ユ ングのいう操作的な意味. での「純粋なイマジネ ー ション」である。 つまり「魔術的効果の元型によって生まれた強. (12) (13) (14) (IS) (16). 前掲訳書, 106頁。 前掲訳書106頁。 前掲訳書, 108頁。 前掲訳書, 108頁。 前掲訳書, 109頁。 -111 (329)-.
(6) 第 47巻. 第 2号. い希望と予期の態度に依存する」1m イマジネ ー ションであるといえる。 それは人間行動の 原初的な本能と元型が結合した「類心的過程」であり,「心の最も根本的な側面」であると いう。 このような「類心的過程」といわれるものが, どのような超心理的というか超常的な現 象を引き起すのであろうか。 それは,「部分的, 心的水準の低下」OS によるという。 これに ついてユングは「ヌミノ. ー. ス」(numinosum)という概念に関連して説く。 これは至高体. 験ともいえ, たとえば奇跡の元型が人間の体験のなかに直接的に顕現されようとする場 合, ヌミノ. ー. ス的事象が起る。 そのとき心の一方において部分的に心的水準が低下してい. るとともに, 他方での上昇, つまり「心的エネルギ ー の大きな集中」を起こす。 それは活 動している元型的象徴を中心に, 心的内容を「集合体」(クラスタ. ー. )として布置すること. になる。 その状態では,「意識の活発性のレ ベルが, 心のある方面で高められ, 強められて いる間, 意識的制御は他の方面で全体的に見てゆるんでいる。 そのため, 心は, 無意識の llffi 最も深いレ ベルで, 特に類心的レベルにおいて, 元型的要因の全影響にさらされる」 と. いう。 これは心の「動的平衡作用」といえ, その結果として「無意識的な覚知能力」が広 がる。「この覚知は, 無意識を経て直接に表出される。 なぜなら, それは, 知識が習慣的に 意識に人る過程をたどらないからである」⑳という。 つまり, それは 「意識の仲介なしに やってくる知識」であり, これが「暗黙知」という,「知恵」といえるのではあるまいか。 こうした「超感覚的知覚」は,「無意識の内に潜在する感知能力」ともいえ,「人間の内な る能力」といえ, すべての人間に本来, 多少とも具有している能力であるが, 未発達とい うか, とくに現代人は発達させてこなかった「直接的認知」の仕方であったといえよう。 もっともこのような「直接的認知」の仕方は多様であり, それを詳細に描写することは困 難であるが, 一般的な型やその解釈は, 一応これまでの記述で理解しえよう。 これを松下幸之助の事例に適用して重ね合わせながら理解を進めてみたい。 すでにみた 創業当初における「水道哲学」の理念なりヴィジョンを「感得」したと表現している体験 は,ヌミノ. ー. スな,一種の至高体験であったろうし,超感覚的というか, 無意識に湧き上っ. てきた 「直接認知」いわばヒラメ キであり直観による知恵であったといえる。 そのとき事 業の経営について宗教と対比するなかで,「心的エネルギ ー の大きな集中」が起っており, 宗教と事業という「魔術的効果」を予期する元型を中心に, 自分の体験に根ざした心的内 (17) (!� (19) �O). 前掲訳書 109頁。 前掲訳書, 1 10頁。 前掲訳書, 111頁。 前掲訳書 , 1 12頁。. -112 (330)-.
(7) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近(大森). 容が,「貧乏を克服する聖なる事業」 というクラスタ ー として, 心理的に意味のある一致と して, 共時的に布置されたのであろう。 その場合そのことに没頭没入して無我夢中といえ, 部分的にではあるが心的水準は低下している状態である。 そのときの類心的過程について は, すでにふれたように, 無意識のなかでも集合的といえるトランスパーソナルなレベル の, さらに奥底にある自然で原初的な本能といえる類心的レベルから湧き出るイ マ ジネ ー ショ ンが, 知的イメ ー ジとして表層の意識に顕現してくるプロセスである。 それは直接的 認知であり, 直観といえ, 暗黙知であり, 知恵といえよう。 こうしたプロセスは, それ以 後の松下幸之助の事業歴の, とくに危機といわれる経営の局面において, その内容は多様 に相異するものの, 同様な戦略的といえる直観的な知恵の展開が見出されるのである。. 3.. 共時的機能の理解. これまでみてきた超常的な現象ないし超心理的な事象への, 共時性の理解を, ただ抽象 的に検討するだけでなく, より体験的にというか, 直接的に, その機能を理解していこう。 さきにふれた松下幸之助の事例を, 具体的に理解しえるように, 検討をすすめてみたい。 その過程のなかで案外に, 共時性といえることを多様な事象のなかに見出すことが可 能である。 たとえば夢を見て, それが外的な事象と符合している体験にはじまり,「何か特 定の願いをするか, あるいは, それを強く望み, 希望するかしており, そして何か説明不 QI) とか, また「ある人が, 他の人, あるいは何か特殊な象徴を信 可能な方法でそれが起る」. じており, その人がその信仰のもとで祈るか黙視するかしているときに, 身体的な治療あ るいは他の『奇跡』が起こる」四 といった事象は, あらゆるところで具体的に生起している 共時的な現象であるといえる。 このような現象における共時性の働きをどのように理解す ればよいのであろうか。 それらはすべて「心の深層にあるイメ ー ジ」であり,「無意識の最深レベル」からのもの であることは, これまでの検討からしても理解できるが, その生起してくる心理的メカニ ズムは, まずどうであろうか。 それについて「情動的な強さがヌミノ. ー. スで元型的な要因. のまわりに生じ, その結果, それに相応するエネル ギ ー の退潮, すなわち, 心の他の部分 四 ことから起ってくるという。 これによって個人は共時的 での心的水準の低下が生じる」. (21) (22) ⑳. 前掲訳書, 1 24頁。 前掲訳書, 1 25頁。 前掲訳書, 1 25頁。 -113 (331)-.
(8) 第47巻 第 2 号 な事象と関係をもつ ことが可能になる。 そ こにはまず個人の情動的な強さが必要である。 たとえば経営者としてでも人間, 松下幸之助, 個人の, 強い情動的な関心が必要となる。 「物事をと ことん考え盛す」 という彼の思考態度が, それを可能にしている。 それがヌミ ノ. ー ス,. メ. ー. つまり至高体験を生み出す。 それは 自 己の深層から「希望」や 「 奇跡 」 の元型イ. ジとして湧き上って く る。 と ころが高揚したイメ. ー. ジに相応する心のエネルギ ー は,. 心の他の部分で退潮し, 心的水準の低下となって生ずる。 俗にいう「神がかり」的な現象 となって生起する。 そ こに 当時としては意想外な,「貧乏を克服する聖なる事業 」という イ メ. ー. ジが, 浮 び上ったといえよう。. この現象をさらに分析的に展開してみよう。 まず こうした共時的な事象は,「元型の性質 を反映する傾向」がある。 そして ユ ン グが 自 分の経験からもいうように, 元型を活性化さ せた「元型的コ ン ス テ レ ー ショ ン 」 として生起するのである。 たとえば松下幸之助の場合 おそら く 当 時の社会的な状況, つまり世界大恐慌の最中にあって, ただ これまでの 「尋常 な商人」 だ け であっていいのかの煩悶にたいして, かなり心情的にも悩み, 将来への 「希 望」 の方途を模索していたのであろう。 そ こに天理教という宗教的な雰囲気や事象が契機 になり, もともと内在されていた 「希望」の元型を活性化させ, それを中核にした統合的 なパタ ー ン が布置(コ ン ス テ レ ー シ ョ ン ) され形成されていったと理解しえる。 そのとき 心のそのほかの部分は「心的水準の低下」として背景になり,「 自 己」の心的反映として, 「希望」 の元型に符合したパタ ー ンのみが, 全景にイメ. ー. ジとして至高体験されるのであ. る。 ただ こ こで重要な ことは, この元型の活性化によって生じた共時性の至高体験の内味 を 「それを因果律によって実際に語らな ければならない巴 ことである。 これはたしかに 宗教的な至高体験を, たとえば教祖がいかに信徒に語るかを考えてみれば至難の術といえ よう。 下手をすれば, すでにふれた 「魔術的因果律」に堕ちる ことにもなるだろう。 これ を松下幸之助は, それからの経営にお け る史実をふまえるとき,「素直」に, かつ「率直」 に語る ことによって, 真実を平易に説 こうと努め続 け るのである。 これら一連のプロセスについて,. ユ. ン グの分析は, 「時間軸を横切るあるパタ ー ン から他. 四 と のパタ ー ン ヘの 変 化 を起 こす過程, 特に第二のパタ ー ン を体験させ知覚させる過程」. して, 特に後半を強調している。 この ことは, いうなら, いままでの経営の心的なパラ ダ イムを転換させ, 新生の心的パラ ダイムを組織のメ ン バ ー に体験させ知覚させる過程であ (24) 前掲訳書, 126頁。 (25) 前掲訳書, 1 27頁。 - 1 1 4 ( 332 ) -.
(9) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近(大森) ると理解しえよう。 そこに松下幸之助のまず「人をつくる」 企業 観なり, 経営について「教 えられない」 教育観の原点がうかがえるようである。 ここで再生の心的パラ ダイムというか,「時間の新たなパタ ー ン化」のために は, まずな によりも 「強烈に願望するという事実四 が重要であるという。 たしかに民族学や歴史的 にみて,「願望という情動の効力」が, いわば「神性な力」といえるものを覚醒させるので ある。 それ はしばしば「歴史的に規定された儀式」によってか,「根本的な象徴」のなかで なされる。 それ は, そのときのみ元型が活性化され, 至高体験がえられるからである。 そ こで経験される共時的といえる事象の非因果的パタ ー ンの生起する過程に は, 二つの要素 がある。 その第 ー は, それが人間の心の 内で起っている一連の事象であることである。 そ れ は , 情動の強化に はじまって, 元型の活性化そして心的水準の低下をふくんだ 「内的因 果の鎖四 にしたがって展開する。 それにたいして第二 は, 心の外で起っている 「外的で独 ⑳ 立な事象のア レ ン ジメ ン ト 」 であるという。 このア レ ン ジメ ン ト の用語については,「共. 時的現象 は, それぞれ独立の事象が, まるで誰かによってうまく配置してア レ ン ジメ ン ト されたように生じるものである」 と解説されている。 このこと はこれまでにもふれたよう に, ばらばらの事象が, まさに「時間を横切る様式」として意味のあるパタ ー ンに布置( コ ンステ レ ー シ ョ ン)されるのである。 これについて,「一 つが他を生み出す, 特に, 心理的 なものが, 外的状態を生み出す」四 というが, これを下手に説明すると,. ユ ングのいう「魔. 術的因果律」の罠に陥ち入ってしまう。 そうかといってユ ングの説明も,「微妙であり非常 にわかりにくい」のである。 したがってこれを理解するの は 至難であるが, 遂次的に理解 を深めて行こう。 ” まず大事なこと は, 「元型 は , 因果律によって作用するので は ない」 その理解である。. なぜならユングが, 「共時性の仮説の定式 化」に導かれたのが, そもそも「元型 は因果律以 外の何かに従うことに気づいたとき」 からで, その何かの探求こそが ユ ング終生の課題で あったのである。 そこで 「共時性を全体としての マクロ コ スモスのなかで作用する原理と Oll 考える」 ことに辿り着く。 つまり「時間を横切る様式」として形成されるパタ ー ン は , 共. 時的に全宇宙を包括するというのである。 そのとき, それに関係する個人的な存在, その 人生と行為は, どう位置づけられるのであろうか。 これについて は,「個人の ミクロ コ スモ (26) 前掲訳書, 128頁。 ⑰ 前掲訳書, 129頁。 (28) 前掲訳書, 188頁。 (29) 前掲訳書, 129頁。 (30) 前掲訳書, 130頁。 (31) 前掲訳書, 130頁。 - 1 1 5 ( 33 3 ) -.
(10) 第47巻. 第2号. ス的生は, マ ク ロ コスモ スの, より大きな一 般的パタ. ー. ンの一側面である」⑫ と いう。 だが. 個人は 自 分の人生において. 合理的に決定された行為をしよう と 努力し, 意識的に 自 分の 目 標にたいして「因果律による思考」によ っ て生きている と もいいえよう。 これにたいし て,「人間の人生の展開は, 二つの別個の次元, つまり存在の二つに分離した次元上で同時 に起こる」° と いう。 それは前にふれたように. 「第ーは, 自分の人生, 動機. 行為に対す る個人的知覚である」 と いえ. 「他方. 第二の次元は, 個人以上のものである」と いい,「そ Cl4I と いう。 そこ れは, 共時性が働く, ト ランスパ ー ソナルなマ ク ロ コス モ ス的領域である」. には,「ある規則性, その結果による, ある定常的な要因」がある。 そこで「すべてのこれ 田 らの要因は, 規則的で記述可能であり, 原則 と して予想可能な方法によ っ て働き続ける」. と いう。 こうした二つの別個の次元が, 同時に起こる と . どうなるのか。 まず第一 の因果律によ る個人的知覚において.「一つ以上の因果の筋が他 と 重なりだすやいなや, 因果律を越えた 何 かが活動し始める」 と いう。 たし かに一つの因果の相互作用は, その直接的な影響を理 解しえようが, 多数の因果関係の相互作用が重複する と なる と , そこに生成する相互因果 律 と 呼ぶべき効果は複雑 と なるように思えるが. むしろそこにはそのような相互作用がな く, 相互因果律 と いえるものが存在しない と いう。 そこにあるのは, 「因果的に互いに関係 しない諸事象が, 非常に意味に満ちているため, 符合 と いうこ と以上の何かをも っ ている そ. と 思われる仕方で, 同時に起るこ と がある」現象である。 それが共時的な現象であり, の特性が共時性であり,「要するに, それには 『意味がある』 と 思われる」°° 性質がある。. 繰り返すが,「ユングが共時性の本質 と 見るのは, これらの事象の 『意味のある符号』 であ る四 と いえる。 これをユング自身の言葉によれば,「共時性は, 二つ以上の因果的連鎖が, CIII 互いに平行に走 っ ており, 同じ意味を表現している場合にのみ考慮の対象 と なる」 と描. 写している。 このような現象は, 出来事 と して, 相異した個人だけでなく集団や組織においても, 人 間関係および歴史的な事象 と して, しばしば見出される と いう。 そうした事例のうちの一 つ と して, 松下幸之助の経営における幾つかの出来事を数えるこ と が可能であろう。 その 8閲⑳8閲聞⑱. 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書. 前掲訳書.. 1 30頁。 1 3 1頁。 1 3 1頁。 1 3 1頁。 1 32頁。 132頁。 1 34頁。 - 1 1 6 ( 334 )-.
(11) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近 (大森) 出来事につ いて後の機会に詳しく検討してみるが, そこに共通する基本的な要件 は. たし かにつぎのようである。 それ は 「二つ以上の事象がある時に同時に生じ, 双方と も因果的 に関係して いな いけれど, それらの間に明確に意味のある関係が偶然の一致の可能性を超 えて存在して いる と き, その状況 は, 共時性の根本的要素をもって いる」Cl9I と いえる。 だが 松下幸之助の事例を検討してみる と , さらにつぎのように付言できるようである。 すなわ ち「意味のある一致」 と いう要件 は. 基本的で根本的要素で はあるが, むしろ状況に客観 的に必要な条件であり, ま た それに過ぎな いので はあるま い か。 そこに主観的 と いうより 主体的な十分条件 と い うものが見出されなければならないのではなかろうか。 これにつ い て は , われわれが論拠にして いる「ユング と 共時性」にお い て, プ ロ ゴ フ も. ユングの見解に欲求不満がある と して. その20年間にわた る観察からしても,「共時的事象 に対する感受性を高めるこ と , 特に, そのような出来事 と 自分の人生を調和させる能力を, l4ID と 述ぺて いる。 たしかに経営者が自分の人生にお 個人が発展させるこ と は可能である」. いて, 共時的事象をより多く起こし たり, 予見して行動し た り, 出来るの と 出来ない の と は, 大きな違 い と なる。 どうも松下幸之助の事例を通して見るかぎりで は, それが可能で あり, 実行して いるように思われる。 そうし た 「精神的成長の過程への応用研究」や, そ のた めの技術的な研究の展開につ い て は , 別途の機会にして, ここで は経営の実践の問題 と して は , 重要な側面であるこ と を指摘しておき た い 。 もっ と もユングも,「心理学的技法 に付随する効果 は, それらが, 共時的状況に対する感受性を強化するように導くこ と であ る」 りJI と い っており, この側面を否定して いるわけでもな い 。 ただユングの主たる関心 は, あくまで「共時性原理の理論的発展」 に注がれ たのである。 つまり「ユングの研究の焦点 は. 共時的状況内で働く, 底流して いる力 と 事象を同定する こ と にある門 と いえるのである。 そしてさらに 「共時的事象の内的な動きを追う」ように なる。 そこで軍要な働きをするの は, 元型の役割であり, その 「内的一貰性 と 統合の要因」 であり, その と き 「元型 は. 人間に対するそれらの有意味性にあ っ て, 関連する内容をま と め る人の心の内なる要因である戸 と いう。 どうも引用を連らね綴って いく と , ますま す冗長になるだけで, 難解 と なり混濁するばかりである。 思 い 切って翻案し, 事例的に要 約してみよう。 た と えば松下幸之助が. 世界大恐慌の最中にあって, 外部的な環境にただ 受身の因果関係 と して適応して い くこ と も可能であるが, た と え中小企業の経営者 と いえ (39) (40) (41) (42) (43). 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書,. 134頁。 135頁。 136頁。 136頁。 137頁。 - 1 1 7 ( 33 5 ) -.
(12) 第47巻. 第2号. ども, 主体的に対 応 し ていく気持は起る。 そのとき経営者に, 「強烈に願望するという事 実」があれば, 「元型的象徴」俗にいう願いとか想いが活性化 し て, 深層心理に潜む「希望」 の元型を揺り動か し , 「内的一 貫性, のある統合の要因」と し て働き始める。 そこにその当 時の時代という時間を横断 し た, 有意味で, 包括的なパタ. ー. ンというか, 心的パラ ダイム. が, 種々雑多な事象のなかに統合的に観えてくる, 形成されてくる。 それが「貧乏を克服 する聖なる事業」 というイメ. ー. ジ,. コア. ・. コンセ プトであり, のちの「水道哲学」に結晶. 化されていく過程であるといえよう。 それは「意味のある符号」と し ての童要な機能をは たすのである。. 4.. 超因果性への展開. これまで共時性の機能について理解 し てきたが, それが機能する領域は, まず「人間の 経験に特有に関連 し た説明原理」 と し てである。 それともう一つ, 「全自然現象に適用でき る一 般的な理解原理」で,. し たが っ て 「それは人間の人生の運命と現象を扱う人間科学だ. U -0 そ し てユングはた し かに心理療法の け ではなく, すべての科学に関連するものとなる。 」. 臨床の経験のなかから出発 し ているが, 晩年においては心理学者というより,「物理学者を 説得する試み」 に時を費やすようにな っ ていく。 やがて「物理学と心理学は統合されると いう確信」すら抱くようになる。 つまり 「科学の全領域に関連する一般原理」145) と し て共時 性を提示するようにな っ たのである。 もう一 度, 確認するなら, 「ユングの定式によると, 共時性原理は, 全体と し ての マ ク ロ コスモ スに広がる包括的原理という広義のものと, 心 がかかわ っ ている事象に特に関する原理という狭義のものの両方を意味 し ている。 」り° だ がそのなかでも元来は, 心理療法の臨床の知見の副産物と し て, 共時性の概念が,「個人の り 1) と認識 し たところ 運命を深く研究するには, 因果律を超えた新たな展望が必要である」. を原点に出発 し ていることに注意 し ておく必要がある。 む し ろこの「因果律を超えた新た な展望」が, ミ ク ロ コスモ スの人間科学を深めるとともに, マ ク ロ コスモ スの科学全般へ の広がりを促 し たといえよう。 これについてユングの見解を理解 し ておこう。 まず「共時性を因果律と同じ水準の原理 であり, あるタ イ プの現象を説明する一つの手段と し て, 特別に定式化された原理と し て (44) (45) (46) (47). 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書,. 142 頁。 1 44 頁。 1 46 頁。 1 47 頁。 - 1 1 8 ( 336 )-.
(13) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近 (大森) 提示している。 」 そしてここにいう「あるタイプの現象とは, 全体としての宇宙内に見られ る 『非因果的秩序』に帰属すると思われるもののことである」つまり非因果的秩序, 今 日 的にいえば, 複雑系とかカ オ ス(混沌)の説明原理といえようか。 しかも 「共時性は, 因 果律と衝突しないで, むしろ, これと相並んで存続している」という。 したがって,「共時 性の価値は, 特に, 因果律では十分扱えない現象を扱う手段を提供することにある」咽 と している。 そしてそのことは, 「心的事象と, それに対応する物理的状況が, 共に生じる」 領域としての狭義の共時性だけでなく,「物理学上の不連続性」などを取扱う, より一般の 領域を対象にする広義の共時性まで包含することになる。 こうした展開は, 当 時 チ ュ. ー. リ ッ ヒ で研究していたアイン シュ タインとの交流のなかで育まれたものともいうが, その 相対性理論と, 共時性理論および元型論との関連を探索することは, アイン シュ タインの 「相対性という概念の元型的特性」についての, のちの記述からしても興味を唆らされると ころである。 いずれにしても1940年代以米,. ユ ングが,. あらゆる人間の物質的な世界の認. 識に, 生来の 「主観的な要素」 が重要であると指摘したことに, 市民権を与えたのは, ア イン シュ タインの革新的な貢献によるものであるという。 つまり「観察者の主観的な条件 が, あらゆる状況に対する, 新たな要因であるということは, 相対性理論の概念の第 一の 要素である門 というのである。 そして相対性理論は西洋思想の成果として, 物理的マク ロコスモスに適用された領域であるのにたいして, やはりアイン シュ タインとともに ユ ン グも関心をもっていた東洋思想の成果に, 人間の運命についての, 心理的 ミ クロコスモス に適用される易経の経典があることも, あわ せて記憶に止めておく必要がある。 そして ユ ングは共時性の理論によって, これら相対性理論と易経を架橋する役割を果さ せようともしたのである。 すなわち,「物理的 マクロコスモスの一般的解釈と, 心理的 ミ ク ロコスモスの個別的研究の両方に関与する必要」, つまり「物理的環境と心理的事象という 対立物を結合する」団 ことを解決しようと意図していたのである。 そのため ユ ングは, む しろアイン シュタインの相対性理論の知見から出発して, 普通の意味での因果律を超え る; 「連続体」とでもいうべき概念によって, 物理的なものと心理的なものの結合に解答を えようと努力するのである。 そしてついに,「物理的世界は, 秩序と様式化を数学によって 与えられている。. 一. 方, 心理的世界での, それに対比される構造化は, 元型によってなさ. れている」GIi と結論づける境地にいたる。 したがって, ここで重要になるのは, 元型であ (48) 前掲訳書, 148頁。 (49) 前掲訳書, 154頁。 (50) 前掲訳書, 155頁。 (51) 前掲訳書, 156頁。 -119(337)-.
(14) 第47巻. 第2号. り, その 「秩序づける」性質である。 これについて,. ユ ングは. 「元型は, イメ. ー. ジと観念. に形を与え る能力によってその姿を現わす」という。 このことは元型というものが, 「心的 領域で働く, ものに形を与 え る特定の要因」 であり, しかも 「心の内容に形を与えるた め の, 一定のパタ. ー. ンと流儀をもっている戸 といえる。 そして物理学における数学的因子. とともに,「秩序づける要因」として, 元型は補い合って 宇宙を両側から現出させる働きを もつ という。 しかも元型は,. ユ ングが「非心的側面をもつ 」というように,. 類心的側面と. もいえ る, 人間の心の内 容が, まだ分化していない自然の, 「原初的な形態」 である。 そし て 「心的水準の低下を通して 到達される, この元型の類心的側面において, 共時性原理を 図 示す諸事象は起こる」 のである。 それはすでに 「非心理的」 といえ , 自 然に融合した状態. での事象といえる。 それは共時性が適用できる領域が, 個人的, 社会的経験を超え て, 自 然や宇宙にまで拡張される可能性を秘 め ている。 したがって 共時性原理が, ア イン シ ュ タ インの相対性原理と並び立つ位置というだけでなく, つ ぎのようにもいえよう。 たしかに, 「 ユ ングは, 自分が共時性の理論のなかで発展させたものは, 旧友 ア イン シ ュ タ インが発展 させた相対性理論と対等に釣り合う原理と思っていた」が, それ以上に「 ユ ングの理論は, 心的次元が包括的な宇宙観に内包されているという利点をあわせもっていた色 といえ よ う。 このように, 共時性がもつ , 因果性を超えた機能や性質について, 基本的なことをみて きたが, さらにはっきりと超因果性を求 め て, 共時性そのものの特性を追っていってみよ う。 つ まり共時性という用語からして,. ユ ングもいうように,「時間的現象」. のみの特性を. 強調している嫌いがあり,「不満足な表現」であるとしている。 そこに共時性が, さらに検 討されていく余地と方向が見出されるといえ よう。 すなわち時間的以外の関連している事 象や経験の領域まで考察を拡張していく余地であり, そこに見出される方向である。 たと え ば 「空間的な透視」というような空間的現象も, そうであろうし, また共時性の研究が 進むにつれて, 「元型の,. コ ンステレ ー. シ ョン上の特質」, いうなら 「統合的な秩序の要因」. が重要になってきているが, 従来の命名法の方向のなかでは, あまり反映されてき ていな かったといえる。 これまでみてきたように, たしかに「 ユ ングの考えによれば, 因果律と共時性は互いに 釣り合って補い合う関係にある」が, それにとどまらず,「超因果性」をになっているので. (52) (53) (54). 前掲訳書, 157頁。 前掲訳書, 158頁。 前掲訳書, 1 59頁。. -120 (338)-.
(15) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近 (大森) はなかろうか。 すなわち「事象が時間的に同時に起こることは, 共時性の主要な側面であ るけれども, 共時性は, そのことに尽きているのではない。 さ ら に重要なことは. 同時に 起こることは, 実際の要因であるより, むしろ記述する上での要因であることである。 同. 注意すべきは, 実際に事象が同時発生することは, 共時性にとって 必要条件にすぎず,. む. 因 時発生それ自体が, 共時的事象を生 じ させるのではない」 と。 少 々冗長な引用であるが,. しろ記述的な「意味のある一 致」という要因が. 甫要な十分条件であるということである。 したがって,「共時性の本質は, それが, 時空を越えた, 因果関係を問題にしない宇宙のな かに生まれる秩序原理をも ているという事実のなかに認め ら れるべきである」 151l という。 そしてユングの大きな貢献は, その秩序原理としての, 意味の一致が, 意識的な. 知的な ものより, ずっと深い水準, 深層心理で働いていることを提示したことである。 つまり 「実 際 意味というものは, 個人の情緒の無意識的な水準, あるいは, それを越えたまさに元 型的な深みにおいて経験されるものであろう」G� と。 ここにいう元型的な要因というのは, 「全体としての状況を再結晶化させ, 再構成する役」 をして, 「新たな状況を創造する」 の である。 なぜか, 「それは時間軸を横切って存在するので, 新しい状況を貰き, 特徴づける ところの, 秩序づけの新たな特質の中心となる」か ら である。 こうした作用は, これまで の因果律の定義にしたがうようなものではなく, 「再結晶化」という, 「時間軸を横切る状 況を再構成する回 のである。 それゆえに, 「超因果的要因」といえるのである。 どうも抽象的になると, 「この意味のある再構成の起こり方は, わかりにくい」閾 といえ る。 これをより貝体的な事例として, 再 度松下幸之助の創業当初における, いわゆる 「水 道哲学」による再結晶化, そして 「貧乏を克服する聖なる事業」 への再構成化という, 意 味のある秩序づけの過程について, み てみよう。 当時の社会的な環境というか状況には, それぞれ「因果の鎖」によってつながっている一連の流れが, 複数それ以上の多数として 分離しなが ら 存在している。 たとえば世界大恐慌の状況そのものが, そうした一つの流れ であり, そのとき知人に誘われて 天理教本部に参詣することも, その一つの流れ であり, また 中小企業でありなが ら 電器メ. ー. カ. ー. を経営しているのも, 別の一つの流れで, それぞ. れの流れのなかには何 ら かの因果的な繋がりがある事象の連なりである。 しかしその流 れ, ないし連なり, それぞれは分離している, 因果的に関連しているとはいえない。 だが それ ら 複数の事象が, ある心理的な衝撃といえるものによって,「意味のある一致」による 閲⑱罰⑱閾. 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書 前掲訳書. 前掲訳書.. 162頁。 162頁。 163 頁。 164頁。 165頁。 - 1 2 1 ( 339 )-.
(16) 第47巻 第 2 号 新たな秩序づけ, つまり「水道哲学」 に よ る再結晶化となり,「貧乏を克服する聖なる事業」 と し て再構成化される。 その過程は, すでにみた よ うにまず「強烈に願望するという事実」から, おそらく出発 するのであろう。 その こ とに よ っ て, かえ っ て 「心的水準の部分的低下」を起 こ し , 夢中 没我というか陶然の状態で, 意識の深層に潜在 し ている元型的な要因, とくに 「希望の元 型」といわれるものを活性化 し , 集合的無意識のさらに奥底の類心的領域からのメ ッ セ ー ジをイメ. ー. ジと し て意識上に湧出させる。 その内容は, いままでみた, いくつかの因果的. に関連のない, 複数の因果の流れを横切 っ て貫く, 因果を超え, 時間を越える, 「意味のあ る一致」 という統合化をもたらす。 それは専門的にいえば, 「活性化 し た元型の刻印と関心 を帯びた新 し い コ ン ステレ ー ショ ン 」という こ とになるが, 要するに新 し い 「水道哲学」 という心的メ ッ セ ー ジを中心に, 種 々な因果の流れを再構成化 し , 有意味に再結晶化させ る過程である。 こ れが, 「意味のある一致と呼ぶもののなかに有意味性が生じる仕方」関 と いうが, どうもまだ解りにくい所がある。 その主な理 由 の一つは, 「それが, 意図的な決意に よ っ て生じ得ない こ とに よ る」 とい う。 た し かに因果的な思考の慣習のなかでは, 合理的な因果の鎖を頼 っ て, 意図的な決意 を求める こ とになりがちである。 し か し こ れは「因果律を越えるよ うな方法」 で し か可能 でないといえ よ う。 こ れについて, 「再構成が起 こ る可能性が高まる雰囲気はつくる こ とが できる」 611 というが, その詳細は展開されない。 たとえば「個 々人にと っ て, 共時的事象を 起 こ す能力を高める こ とは可能なのか」 など, 幾つかの疑問は投げかけられるが, その解 答はかならず し も明らかといえない。 む し ろ種 々の共時的事象を, 客観的な事象にもとづ いて記述する こ とから, その理解を始める よ り仕方がないという。 それからすれば, 松下 幸之助の経営における共時的な事象を, よ り客観的な史実と し て, 神話化, 偶像化せずに 理解 し ていく必要があろう。 その題材と し ては, こ れまでも採り上げた創業当初における, 「事業の真の使命を知る」 という意味での, 「命知」の事象は, それ以前の「尋常な商人」 の時期から新生の出発といわれる ほどの画期的な こ とであるだけに, さらに詳細に検討 し てみる必要があろう。 それについて, プ ロ ゴ フ は自分の経験から し て参考になる「共時性 に関連する デ ー タ の集積」とその研究について ア ド バイスを し てくれている。 つぎの段階 で, それを参考に し ながら議論を展開 し てい こ う。. (60) 前掲訳書, 165頁。 (6り 前掲訳書, 165頁。 - 1 22 ( 340 )-.
(17) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近(大森). 5.. 組織的な共感の現象. これからの共時性の研究 について, 二つのアプロ ー チが経験的 に 提示されている。 その 一つは, 「人生の比較研究」といえるものと, もう一つは, 個人成長の「 日 誌フ ィ ク法」といえるものである。 なかでも第. 一. ー. ドバッ. の研究領域は, 「個々人の経験の全サイクル に わ. たる内的発展」を検討しようとするもので, あらゆる人々を対象 に することは可能である が, とく に 「『創造的人間』と分類してよい人々の人生 に とりわけ, 共時的事象が発生する 勤 と 傾向が見られるのではないかということは, 検討 に 値する 一つの個別的仮説である」 いう。 そしてそれが明確 に なれば, かなり軍大な意味をもつであろうと。 また第二の研究 領域は, 対話 に よって個人の成長 についての集中的な 日 誌プログラムを検討しようとする もので, 「ある人の, 全人生を通じての個人の成長過程を助けることである」という。 そし てそのことは, 「人生の 日 常的経験のなか に 共時的現象が気づかれず に ゆきわたっている ことを示している」“ ともいう。 ここ に いう「 日 誌フ ィ. ー. ド バ ッ クの方法」 の詳細は明確で. ないが, 手順として大切なのは, 個人的だけでなく集団的 に も, その経験を活用して, そ の雰囲気を漸進的 に 深めていくことで, そのとき 「過程黙想という技術」 を使うことも有 効であるという。 こうした「集団の質と個人の経験の質を深める過程は, 共時的経験が発 生できる環境を築くこと, およ び, それら に 対する個々人の感性を高めること に 対してき わめて重要なものである」 からという。 そのよう に 雰囲気を深めることは, 第 一 に , 「心的 水準の低下」(abaissement du niveau mental) という状態をつくり, さら に 第二 に , そ の結果として「パ ー ソナ リ テ ィ のトラン ス パ ー ソナルな集合的無意識の下深くの類心的水 準を活性化させ, 敏感 に させる匹 のである。 これらは, もともと「個々人の創造的発展の研究」のためのものであるが, それを経営 のなか に 援用していくことは, 十分 に 可能である。 それはプロゴフが, 「ア プラハ ム ・ リ ン カ ー ン の生涯 に おいて共時的事象」 がどのよう に起き, そこでの「超因果的要因の働き」 について考察している事例をみると, 肯定できるし, 積極的 に なれる。 それを松下幸之助 の事例 に 適用してみれば, 二つの側面から, あわせて考察することが可能 に なろう。 まず 第 一の側面は, 松下幸之助その人の, 「創造的人間」としての経験の全サイクル に わたる内. (62). (63) (64). 前掲訳書, 170頁。 前掲訳書, 1 71 頁。 前掲訳書, 172 頁。 - 1 2 3 ( 34 1 ) -.
(18) 第47巻. 的発展を フ ォ ロ. ー ・. ア ッ プする ア プ ロ. ー. 第2号. チ である。 そ れにたいし第二の側面は, 経営に参. 加する集団, 組織の人々の, 人生における個人の成長の過程を フ ィ ロ. ー. ー. ド. ・. バ ッ クするア プ. チ である。 しかも こ れら二つの側面は, おたがいに共時的な現象や経験を深める相乗. 的な相互作用がある よ うにおもえる。 こ の よ うな仮説を, 松下幸之助の事例のなかで検証 する こ とができれば, 意味があるといえ よ う。 こ れについてまず理論的に,. ユ ングが深層心理の臨床研究からえた結論の理解から出 発. したい。 そ れは逆説的にき こ えるが, 超心理的というか, 共時的な事象は,「自然発生的経 脚 である。 そ れはかな 験」であり, そ れは, 「 日 常生活の流れのなかで起 こ るという認識」. らずしも精神病的な異常や宗教的な特殊な事態にかぎらず, ごく一般的な状況での経験で あるという認識である。 そ のなかでも, 共時性やそ れを促す「心的水準の低下」の現象は, す ぐ れて「個人一人 よ りも, 群衆の感激性や伝統や信仰が働いている社会的状況のなかで の ほうが よ り起 こ りやすい」 靱 という。 こ の こ とをふまえてみれば, さきにみた二つの側 面の相乗効果的な作用の過程が, 枠組として浮び上 っ てくる。 こ れについても,. ユ ングの. 思想の基礎的な概念といわれる 「自己」の働きを組み込んで理解したい。 こ こ に「自己」という概念は,. ユ ングの用語であり,. そ の定義にしたが っ て, 二つの面. からみる。 そ の一つのレ ベルは, 「自己」 を「進化論的概念」 としてとらえ, 「自然から生 じて, 種の構成員としての人問個人の成長の基礎となる現実の場を与える」ものと理解す る。 したが っ て 「『 自 己』 そ れ自体は経験的である回 といえ, 現実の実在 (reality) とい え よ う。 そ れにたいして, もう一つのレ ベルは,「存在論的」といえ, 「存在の究極的実在」 というべき, いうなら究極の実在といえ よ う。 そ れはライ プ ニ ッ ツ の「予定調和」や老 子 の「道」に相当するという。 そ して そ の内容について,「 そ れはマ ク ロ コス モ スとミ ク ロ コ ス モスが互いに参与し合う, またそ れに よ っ て参与する包括的統合であり, また, とりわ け, 人間個人の生のなかで宇宙の究極的実在が, そ れに よ っ て表出され, 反映される包括 総 という。 そ の よ うな究極的な実在としての自己は, 表層的な自我意識か 的統合である」. ら表出されるものではなく, そ うかとい っ て無意識の領域においても, 個人的といわれる レ ベルからの反映でもなく, いわゆるトランスパ ー ソナルな, 集合的な無意識の, あるい はさらに奥底の類心的なレ ベルからの反映 であると, こ れまでの知見からして理解しえ る。 そ のため存在の究極的な実在としての自己, いわば包括的統合としての大自己は, 個 (65) (66) (67) 閲. 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書, 前掲訳書,. 1 20頁。 1 21頁。. 114頁。 1 1 4頁。. - 1 24 ( 342 )-.
(19) 人の成長の過程にある現実的な実在としての自己, いうなら小自 己にたいして, 集合的な 無意識のレベルにおいてトランスパ ー ソナルに共鳴, 共感を呼 び起こすのである。 しかも それは「 自 然発生的経験」として, 日 常生活のなかで認識される。 そこに共時的事象が生 成する必然というか, ダイナ ミクスが見出されるといえよう。 さてこれだけの理論的というか, 準備をして, 松下幸之助の, これらに関連する事例を みる訳であるが, 実はその著作というより, より率直な意図が理解できるとおもい, その 関 「発言集」 を幡きながら, 色々と模索してみた。 そのうちに, 彼が終生というか, とくに. 晩年に強調しつづけていた 「素直」ないし「素直な心」 という キ ー ワ. ー. ド に直面し, どう. も 「 自 己」とくに大 自 己をつきつめて, 俗にいうなら,「自分に素直になる」ということに 思い至ったのではないかと考察してみたのである。 だがこの作業 も 当 初から難所に遭遇 し, この資料としての発言集, 各巻およそ400頁の冊子が, 索 引 編 を別巻にして44巻で構成 されており, そのうち,「素直」およ び 「素直な心」の項目についてふれている冊子が, 丁 度半分 22 巻 そして発言している個所が99 ケ 所におよんでいるのである。 これをすべて量 的に検討し消 化するのには, 紙数の制約からも限界があり, 今回ここでは恣意的ではある が, とくに関心を ひいた内容との関係にかぎって吟味してみたいとおもう。 それは事項的 にいうと,「素直な心とは」ということにはじまり, 「素直な心と悟り」そして「素直な心 と衆知」 ということについてである。 まず 「 マ ネ ジメ ント」 にかんする 「自己啓発のすすめ」 叩 という テ ー マ のインタ ビ ュ. ー. で, つぎのような文脈のなかで, 答えていう。「ただ人が集まり, 知恵を出しあえば, 衆知 になるというものではない。 お互いに知恵を出しあい, 何が正しいかを見いだすために, 知恵と知恵との真剣な話しあいの過程が大切です。 しかし, これだけでは小衆知です。 もっと高い段階は, 過去, 現在すべての人間の知恵が融合調和された叡智というべきもの au でし ょ う。 これが真の大衆知といえる。 」 いうまでもなく蛇足であるが, すでにふれた小. 自 己の知と大 自 己の知の関連を想起させる。 そして 「そのような大衆知に高めるために, 個 々 人には何が必要ですか」の 問 いにたいして,「基本的には, "素直な心. ”. というもので. はないか。 素酒な心とは, 私心がなく, 曇りのない心というか, 一つのことにとらわれず に, 物事をあるがままに見ようとする心です。 そういう心になれば, 物事の実相をつかむ 力が生まれて, なすべきことをなし, なすべきでないことを排する勇気も湧き, また誤り. (69) 『0) 『l). 「松下幸之助発言集」 I -45巻, PHP 研究所, 1993年迄刊。 前掲発言集, 第 19巻, 183頁。 前掲発言集, 237頁。 - 1 25 ( 343 )-.
(20) 第2号. 第 47巻. を 正 し , 正 し い 方 向 に 導 く こ と も で き る と い え る で し ょ う 戸 と 。 ま さ に 「存在 の 究極的実 在」 か ら 表 出 さ れ る 「包括的統合」 と い う の か, 「予定調和」 の 「道」 で あ る と も い え , 種 の 悟 り の境地 で あ る と も い い え よ う 。 こ れ について も,. さ き ほ ど の 「衆知」 と と も に , つ ぎ の よ う に ふ れ て い る 。 そ れ は 「乱. 世 を生 き る 指導 者 の 条件」 m と い う イ ン タ ビ ュ に つ い て, 強 い 信念 と か,. ー. で の応答で あ る 。 著作 「指導 者 の 条件」 閻. も の の 見方 が 妥 当 で あ る , 強 い 責任感 を も っ ,. 心を も つ な ど, 色 々 と い っ て い る が,. あ る い は素 直 な. の 質 問 に 答 え て, つ ぎ の よ う に い う 。. 「 な か で も い ち ば ん 大事 な の は素直な心で す な 。 素 直 な 心 に な っ て, 衆知 を 集め な い と い か ん で す わ。 人の言 う こ と を よ く 聞 か な い と い か ん で す な 。 し か も 大事 な こ と は, 聞 い て そ れ に 流 さ れ た ら い け ま せ ん な 。 流 さ れん と 吸収す る ん で す な 。 」⑮. そ して. ". 経営 の コ ッ. ”. とか. ". 経営の ツ ボ. ”. と い う こ と の 会 得 に つ い て の 質問 に た い し て.. こ う 答え て い る 。. 「 こ れはねえ, 教え る に教え ら れな い ですよ。. 一. 種の悟 り で す か ら な . ほ ん と う は。 お釈迦. さ ん で も 7 年間苦行 し た が, そ の苦行の あ い だ は悟 れ な か っ た ん で す な 。 で, 苦行を や め て 山 を下 っ て き て. 乙女 に 助 け ら れ て ヤ ギの 乳 を 飲 ん で . そ れ で 菩提樹の下で 一服 し た 。 そ の と き.. ハ. ッ と 悟 っ た ん で す な 。 そ ん な も ん で. 一生懸命苦行 し て い る と き は何 も 悟 れ な く て,. そ れ が す ん だ あ と で, と に か く. 一. 人で安楽 に し て じ っ と 考え て い る う ち に ふ っ と 気がつ い た. ん で す ね。 そ れで 人生 と い う も ん は こ う い う も ん だ と 分か っ た ん で す な 。 コ ツ を 悟 る と い う の は. い う た ら 何で も そ ん な も ん です よ 。 」(lfJ. 経営 の コ ツ や ツ ボ は, 教 え る に 教 え ら れ な い , 一種 の悟 り と し て, 釈迦 に 重 ね 合 わ せ て, 自 分 の体験を比喩 と し て 説 い て い る が.. な お 舌足 ら ず を 感 じ て, つ ぎ の よ う に も 付 け 足 し. て い る。. 「 で す か ら 多少, 具体的 に 分 か り や す く い え ば, 一つの仕事 を し た 瞬間 に ,. こ れ は成功で. あ っ た な と い う こ と を 考 え る 。 あ る い は そ の瞬間 に , こ れ は成功や っ た け ど も ,. ⑰閥閥⑮閥. 前掲発言集, 237頁。 前掲発言集, 89頁。 松下幸之助著 「指導者の条件」 PHP 研究所, 1975年刊。 前掲発言集, 97頁。 前掲発言集, 1 06- 107頁。 - 1 26 ( 34 4 ) -. し か し 完全.
(21) 経営者への組織的共感の深層心理学的接近(大森) じ ゃ なか っ たな, と い う こ と を反省する。 そ う い う こ と が無意識に考え ら れる と い う こ と が 必要で すな。」(171. これも重要な示唆をふくんでいる。 つまり瞬間に, しかも無意識に, その仕事の成否や 程が分かる, ということ, これは言うは易いが, 仲 々 に至難である。 しかもその前提には 成功のパタ ー ンというか ヴ ィ ジョ ンが, すでに描かれている必要を暗示している。 この状 況は, すでにみた無意識の, しかもより深層の, 集合的無意識の領域から湧出する イメ. ー. ジによる認知のプロ セ スであろうことを想起させる。 そのため凡人には, かなり困難であ ることをア ピ ー ルすると, つぎのように回答している。. 「やはり素直な心にな ら な い と ね。 だか ら, な ま じ っ か技術を 知 っ て いる人間, 知識を も っ て い る人間は, なかなか悟 りに く い ですよ。 時間がかかり ま す ね。 『そ んな こ と で き ま せ ん』 と い う わ け で す わ。 け れ ど も 何 も 知 ら ん 人間は, 『 そ う ですか。 そ んな ら ー ペ ん や っ て み ま し ょ う 』 こ う な り ま すな。 そ れで や っ て みる と, で き る わ け です。 と い う て も, 仕事 を す る のに全然知識 も 技術 も な い と い う のでは困り ま す け どな。」⑱. 表層的な意識の レ ベルにおける, 技術などの知識にとらわれたり, こだわったりすると, かえって邪魔となって, 悟りに至れない。 まさに素直な心で, 無意識のうちに, そして集 合的な レ ベルまで直人していくことが肝心である。 それは仕事に頑張る悩んでいる段階で は駄 目 で, やがて夢中になり没頭し, 無我の境地にいたるとき, ふっとその コ ツ を悟る。 それは仕事でも, 経営でも, そして人生ででも同様であるといっているのであろう。 このようにしてみてみると, 松下幸之助は, たとえ仕事とか経営を通しての悟りである かもしれないが, まさに悟りの域を体験しているからこそいえる内容であろう。 それは, これまでみてきた,. ユ ングのいう共時性の事象や,. その理論を, かなり検証するのに十分. な証言なり証拠となりえるのでないかと考えられる。 したがって組織や集団としての経営 においても, 共時的な事象が生起することは,「自然発生的経験」として 日 常的にありうる 現象である。 それは松下幸之助, 個人の「素直な心」による集合的無意識 レ ベルの, いわ ば「希望の元型」 を活性化させ, ヴ ィ ジョ ンとしてメ ッ セ ー ジすることを契機にする。 そ してそれが「群衆の感激性」として, 組織, 集団の成員それぞれの深層心理, とくに集合 的 レ ベルにア ピ ー ルし, 共鳴と共感を換起していくものといいえよう。. ⑰ 前掲発言集, 107頁。 而 前掲発言集 107頁。 - 1 2 7 ( 34 5 ) -.
(22) 第47巻 第 2 号. 6.. 結. -玉; iiロ. これまで, 共時性の事象や, その理論について,. ユ ングの知見をもとに,. プ ロ ゴ フ の見. 解にしたがって理解し, それを具体的に経営者, 松下幸之助の事例に関連させながら検討 してきた。 そこに経営者への組織的な共感の生起する現象や, その論拠について, 理解し えたようにおもう。 それをさらに経営の事象に対応させながら, その理解を深め, かつ広 めてい く 必要が あ る。 それは一方において, 松下幸之助のいう 「素直な心」についての検討を深めてい く 方向 で あ る。 それは, すでにふれたように22巻, 99 ケ 所におよぶ事項⑲ をさらに質的に探索す る作業 で あ る。 そのなかには 「素直な心と適正な判断」ということをはじめ,「素直な心に なる方法」などまで, 多種多様な内容がふ く まれている。 そして具体的な 「素直な心にな る方法」についても, さらに 6 ケ 所にわたって発言しているほどで あ る。 これらを深 く 理 解してい く ことも, 理論的な内容を深めるとともに, 経営への応用を展開するためにも, 今後さらに必要となる領域といえる。 それは,. ユ ングのいう能動的想像法. (active imag. ination) に関連する領域で あ る。 また他方において経営の領域への応用の問題として, すでにふれもした個性 化および創 造性との関連において, と く に創造的破壊, ないしイノ ベー シ ョ ンの領域へ, 考察を広め てい く 方向で あ る。 それは経営者, 個人の独創的な判断という問題から, 組織, 集団の成 員による共感そして協働という問題まで, その領域に幅広 く 幾多の事象が存在している。 そこでは, イノ ベー シ ョ ンそのものを, どう考え, どう位置 づけてい く のか。 それは従 来の考え方とどう相異するのか, それはやはり深層心理学的な見方というか接近によって 特徴づけられていなければならないで あ ろう。 そしてそれが従来の考え方と, どう関連づ けられ, 役割, 機能としてだけでな く , 構造的にも位置づけられるのか, 理解していこう。 図 それはさらに最近いわれる 「イノ ベー シ ョ ンの ジレン マ 」 という問題にたいしても, ど. のような理解を展開しえるのか, 期待しえるのでは あ るまいか。. 『9) 前掲発言集 44巻 中 22巻 第45巻索引, 226-227頁。 (8()) C. ク リ ス テ ン セ ン 「イ ノ ベ ー シ ョ ンの ジ レ ン マ 」 伊豆原子訳, 翔 泳社, 2000年刊。 "Th e Innovator's Dilemma" Clayton M. Christensen, 1997. -128 (34 6)一.
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