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幸田露伴の少年文学「鐵の物語」初出の発見について ― 雑誌 『実業少年』掲載 「人類世界の主催者たる鐵の面白き研究」(署名・鐵隠) ―

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(1)

幸田露伴の少年文学「

てつ

の物語」初出の発見について

 

  雑誌

  『実業少年』掲載

人類世界

主催者

面白

研究

」(

署名

鐵隠

吉田

  大輔

はじめに

『露 伴 全 集』は、現 在 ま で に 三 つ の 版 が あ る。第 一 次『露 伴 全 集』 (一 九 二 九 ~ 一九三〇 ) 、 第二次 『 露伴全集 』 第一刷 ( 一九四九 ~ 一九五八 ) 、 第二次 『 露伴全集 』 第 二 刷 (一 九 七 八 ~ 一 九 八 〇) で あ る (す べ て 岩 波 書 店 か ら 刊 行 さ れ た) 。こ う し て 三 度 の 刊 行を経るあいだに、それぞれの編集にあたった人々の熱心によって、幸田露伴 ( 一八六七 ~ 一九四七 ) が 書 い た 文章 は 、 か な り よ く 収集 ・ 整理 さ れ た と 言 え る 。露 伴の文章で、現在までに初出が未詳のままであるものは、そう多くはない。た だ、露伴研究の少なさとも関連してか、不明のままになっているものもいまだ ある。もっとも新しい第二次『露伴全集』第二刷のうち『別巻   下』には、浦 西 和 彦 が 作 成 し た「幸 田 露 伴 初 出 目 録」が 収 録 さ れ て お り、そ の 最 終 頁 に は、 「初 出 未 詳 作 品」と し て 約 七 〇 ほ ど の 文 章 が 挙 げ ら れ て い る (1)(約 七 〇 が い ま だ 初 出 未詳というと多いと思われるかもしれないが、露伴が生涯に書いた文章は膨大で、割合として考える とそう多いわけではない) 。 こうした初出未詳の幸田露伴の文章のひとつが、本稿で取り上げる少年文学 「鐵 の 物 語」で あ る。こ れ ま で の 三 つ の 全 集 す べ て に 収 録 さ れ て お り、第 二 次 『露伴全集』第二刷では、 「第十巻   少年文学」の巻に収められている (2)。 初出未詳の文章が何に依拠して全集に収録されていったかというと、単行本 で あ る 。第二次 『 露伴全集 』 第二刷 、 第十巻 の 「 後記 」 に 、「 鐵 の 物語 」 は 、 幸 田露伴 『 縮刷名著叢書   第五編   立志立功 』 ( 一九一五年 、 東亜堂書房 、 以下 、 本稿 で は 『 立志立功 』 と 表記 す る ) に 収 め ら れ た 文章 を も と に し て い る こ と が 記載 さ れ て い る (3)。 『 立志立功 』 を 確認 す る と 、 そ の 序文 で 、 露伴自 ら が 「 鐵 マ 物 マ 語 は 明治四十二年 の 筆」と た し か に 書 い て い る (4)。初 出 不 明 な が ら、こ の 露 伴 自 身 の 言 及 を も と に、 『露 伴 全 集』は、執 筆 年 を「明 治 四 十 二 年」 (一 九 〇 九 年) と 推 測 し て き た。た だ し 、 こ れ は あ く ま で 推測 で あ り 、「 鐵 の 物語 」 が 『 立志立功 』 収録以前 に 、 ど の ような媒体にどのような形で発表された文章なのかは、現在までわかっていな い。 『立志立功』序文の「明治四十二年の筆」とある露伴の言葉、 「筆」も、単 に 「 書 い た 」 と い う 意味 な の だ か ら 、「 一九〇九年 に 書 い て ど こ か に 発表 し た も の を 『 立志立功 』 に 再収録 し た 」 と い う 意味 に も 、「 一九〇九年 に 書 い た も の の、 どこにも発表していなかったものを『立志立功』刊行に際してはじめて収録し た」という意味にもとれる。つまり、雑誌その他には未発表ということも想定 しうる文章であった。第二次以降の露伴全集の編集に深く関係した、露伴の弟 子・塩谷賛も「初出の場所も月も不明である」という (5)。 しかしながら、あたりをつけて筆者が調査してみたところ、幸いに幸田露伴 「鐵の物語」の初出を発見することができた。本稿では、 「鐵の物語」をめぐる 研究状況とその変化を手短に触れたうえで、発見した露伴「鐵の物語」初出の 詳細を報告したい。

一、

「鐵の物語」をめぐる研究状況

露伴「鐵の物語」は、 「物語」とタイトルにあるが、フィクションではない。 一八八九年から一九一二年にかけ、露伴は啓蒙的な少年文学を多く書くが、こ の系譜に属する文章のひとつであり、鉄という物質を人類がどのように発見・ 利用してきたかを概観し、鉄利用の歴史を闊達に語った読み物である。 露伴のこの文章への考察を中心に据えた論文は、二〇二〇年五月現在、二〇 一 七 年 に 筆 者 が 書 い た も の し か な い (6)。ご く 簡 潔 に そ の 内 容 を 振 り 返 っ て お く。 二〇一七年既発表の論文において、筆者は、露伴「鐵の物語」における西欧世 界 の 鉄利用史 へ の 言及 は 、 露伴 の 蔵書 の 中 に あ っ た 、 John  Yeats,  The Techni -cal History of Commerce; or, The Progress of Useful Arts,  George  Philp  &   Son,  1887 と い う 英語文献 を 「 翻訳 」 し て い る 部分 が 多 い こ と を 述 べ 、「 東洋的 」 と考えられやすい露伴の作家イメージに反して、時として英語文献の利用が見 られることを具体的に示した。ついで、この英語文献は、露伴の「翻訳」に先 行して、明治政府の産業振興的な意図のもとに大島 貞 さだます 益 による翻訳が存在した が、大島訳に拠ったのではなく、露伴が自力で訳していたと推測できることも 述べた。また、鉄という物質や鍛冶仕事という労働は、露伴の愛好した主題の ひ と つ で あ る こ と に 触 れ、さ ら に、こ う し た「も の」の 発 達 史 を 書 く 試 み は、 「文 明 の 庫 くら 」 (一 八 九 八) な ど で 露 伴 が す で に 行 っ て い た 仕 事 の「番 外 編」と で も

(2)

言いうる性格を持つ、と論じた。 筆者がこの論文を書いたあと、二〇一九年、橋本 順 よりみつ 光 「欧亜にまたがる露伴   ―   幸田露伴 の 参照 し た 英文資料 と そ の 転用   ― 」 と い う 論 文 が 出 た (7)。現在 ま で あまり検討されてない研究課題として、和・漢だけではなく洋に及んだ露伴の 教養の問題がある。翻訳で触れたものも含め、露伴が読んだ西洋文献はどのよ うなもので、どのようにその影響があらわれているのか。これはおもしろい研 究課題であるにもかかわらず、前田愛・潟沼誠二・平川祐弘などの仕事を除い て、こ う し た 検 討 は あ ま り な さ れ て こ な か っ た (8)。筆 者 の 既 発 表 論 文 の 問 題 意 識 の ひ と つ は そ こ に あ り 、 気 づ く こ と の で き た 事例 と し て 、「 鐵 の 物語 」 の 英語 文献利用を取り上げた。新しく出た橋本の論文は、こうした露伴の西洋教養を めぐる研究の空白を埋める、重要かつ網羅的な成果である。橋本の指摘は多岐 に及び、いずれも示唆に富むが、その中で、前述の「鐵の物語」をめぐる筆者 の 見解 に 対 し て 、 橋本 の 論文 で は 、

The Technical History of Commerce or The

Progress of Useful Arts

以外 に も 複数 の 文献 を 参照 し て い た だ ろ う こ と が 示 さ れ、 たとえば露伴が「シーメンス、マルチン」とひとりの人物のように書いている の は 、 並行 し て 参照 し た と お ぼ し き ブ リ タ ニ カ の 中 に あ る 「 the  Siemens-Martin   Process 」 ( シ ー メ ン ス ・ マ ル タ ン 法 ) と い う 製鉄法 の 名 を 、 蓄熱平炉 を 改良 し た ウ ィ ルヘルム・シーメンスとピエール・マルタンという二人の人物から複合的につ けられたものと知らずに書いたためではないか、という新しい見解が述べられ ている。たしかに、 The Technical History of Commerce or The Progress of Useful Arts に 「 鐵 の 物語 」 の 西洋 の 鐵利用史 は 、 大部分 を こ れ に 依拠 し つ つ も、 時代が近くなればなるほど、この本にない記述がみられる点は、気になりつつ も捨象して論文にしてしまっていた。この点、新しい研究状況として、ここに 記しておく。

二、

「鐵の物語」初出の詳細

本題 に 入 る 。筆者 の 二〇一七年刊行 の 論文 で は 、「 鐵 の 物語 」 初出 を 不明 な ま ま 議論 を 進 め た 。 し か し 、 そ の 論文 の 註 (8)に お い て 、「 鐵 の 物語 」 の 初出 に 関 す る推測をひとつ述べておいた。当時述べた筆者の推測は、以下のようなもので ある。 『立志立功』には、 「鐵の物語」をふくめて七つの少年文学作品が収録さ れている。そのうち、 「鐵の物語」以外の六作品、 「番茶會談」 「供食會社」 「人 事豫測表 」「 芥子大黒 」「 小農園 」「 米價問答 」 は 、 い ず れ も 初出 が 明 ら か に な っ ている。これらは、露伴の親しい友人だった石井研堂が編集した雑誌『実業少 年 』 ( 博文館 、 一九〇八 ~ 一九一二 ) に 、 一九一一年 か ら 一九一二年 に か け て 掲載 さ れ た も の で あ っ た 。 つ ま り 、 こ の 本 に 収 め ら れ た ほ か の 六作品 す べ て が 、『 実業少 年 』 と い う 同 じ 媒体 に 発表 さ れ て い た 。筆者 は 、 ご く 当 た り 前 の 連想 と し て 「 鐵 の物語」の初出も『実業少年』のいずれかの巻にあるのではないかと推測でき るがこの点は調査できていない、と書いた。 そ う 書 い た 後 か ら 現在 ま で 、 筆者 は 、 幸田露伴 と 石井研堂 の 関係 や 、『 実業少 年』という雑誌に関心を抱き、調査を進めている。この雑誌の文化的意義につ い て は 二 〇 二 〇 年 刊 行 の 別 稿 の 中 で 触 れ た の で (9)、こ こ で 長 く 繰 り 返 す こ と は し な い 。『 実業少年 』 は 、 上級学校 へ の 進学 が で き ず 労働 に 従事 す る 少年 を 対象 に、その実践的啓蒙を目指した興味深い雑誌でありつつも、所蔵している図書 館 が 少 な く 、 こ れ ま で に ほ と ん ど 調 べ ら れ て い な い 。『 実業少年 』 の 所蔵 が 比較 的充実しているのは、筆者の知る限り、国際子ども図書館、大阪府立図書館児 童 文 学 館、日 本 近 代 文 学 館、札 幌 大 学 図 書 館 な ど で あ る (10)。二 〇 一 八 年、筆 者 は、札幌大学図書館に行き、一週間ほどかけて、同館に所蔵されている『実業 少年 』 を 調 べ て み た (11)。 す る と 、 運 よ く 、「 鐵 の 物語 」 の 初出 を 見 つ け る こ と が できた。のちに「鐵の物語」として一九一五年『立志立功』に収められた露伴 の文章の初出は、筆者が確 認したところ、次のようになる。書誌を挙げ、表紙 と 掲 載 頁 の 図 版 も 併 せ て 示 す (以 下、本 稿 の 図 版 は、二 〇 一 九 年 に 古 書 店 か ら 入 手 し た 筆 者 所蔵の『実業少年』から撮影したものだが、発見そのものは二〇一八年の調査の際に、札幌大学 図書 館蔵書によって得た) 。 ①   鐵隠「人間世界の主催者たる鐵の面白き研究」 『実業少年』第三巻第一四号、 博文館、一九〇九・一二月、五八~六一頁   ※ただし目次では鐵隠「 人類界 の 主催者 た る 鐵 の 趣味 あ る 研究 」 と タ イ ト ル が 異 な っ て 表記 さ れ て い る ( 図版 1)(図版 2) ②   鐵隠 「 人類界 の 主催者 た る 鐵 の 研究 」『 実業少年 』 第四巻第二号 、 博文館 、 一 九一〇・二月、四三~四七頁   ※こちらは、目次、掲載頁ともにタイトルは 同一である。 (図版 3)(図版 4)

(3)

以上 の よ う に 、 二回 に わ け て 掲載 さ れ て い た 。初出 の タ イ ト ル は 「 鐵 の 物語 」 と は 異 な る。前 半 掲 載 時 の タ イ ト ル は、 「人 間 世 界 の 主 催 者 た る 鐵 の 面 白 き 研 究」 (目 次 で は「人 類 界 の 主 催 者 た る 鐵 の 趣 味 あ る 研 究」 ) で あ る。後 半 掲 載 時 の タ イ ト ル は 、「 人間世界 」 が 「 人類界 」 に 変 わ り 、 ま た 、「 面白 き 」 が 抜 け 、 ふ つ う の 「 人 類界の主催者たる鐵の研究」になっている。後半掲載時には「面白き」がタイ トルから省かれたとはいえ、この文章の最後の言葉は「これから先にまた何様 なに進歩する事だらうか。面白い面白い。實に面白い」と鉄利用の進歩を言祝 いで終わっている。署名は、 「鐵隠」と書かれており、 「露伴」とは書かれてい な い 。 し か し 、 文章 の 内容 は 、 僅 か な 字句 の 違 い 以外 、『 立志立功 』 所収 の 「 鐵 の物語」と同じであり、ほぼ間違いなく幸田露伴の文章である (初出と単行本の字 句 の 違 い は 、 本稿末尾 に 示 し た ) 。露伴 が 『 立志立功 』 序文 で 「 明治四十二年 の 筆 」 ( 一 九 〇 九 年 に 書 い た も の) と 述 べ て い た よ う に、一 九 〇 九 年 一 二 月 に『実 業 少 年』に はじめて載り、一九一〇年二月に、同じく『実業少年』に続きが掲載されてい たことが確かめられた。 『 実業少年 』 と い う 雑誌 は 、 先述 の よ う に 、 こ れ ま で あ ま り 調 べ ら れ て お ら ず、 所蔵 し て い る 図書館 も か な り 少 な い 。 ま た 、『 立志立功 』 に 収 め ら れ た 際 の タ イ ト ル 「 鐵 の 物語 」 と は 異 な る タ イ ト ル で 掲載 さ れ 、「 露伴 」 と い う 署名 で 書 か れ た 文 章 で も な か っ た た め に、こ れ ま で 気 づ く ひ と が 誰 も い な か っ た の だ ろ う。 「 露伴 」 の ほ か に も 、 蝸牛庵 、 脱天子 、 乱筆狂子 、 雷音洞主 な ど さ ま ざ ま な 雅号 を 露 伴 は 使 っ た が、 「鐵 隠」と い う 雅 号 を 筆 者 は は じ め て 見 た よ う に 思 う (筆 者 が 見 落 と し て い る だ け で「鐵 隠」を 露 伴 が 用 い た 例 は あ る か も し れ な い) 。「鐵 隠」と い う 雅 号 は、鉄利用史を少年向けに書くという文章の内容に合わせて用いたものだろう が 、 露伴 ( 幸田成行 ) の 幼名 は 「 鐵四郎 」 な の で 、「 鐵 」 と い う 字 に 親 し み が あ っ て使用したものでもあるだろう。幼い頃ともに遊んだ遅塚麗水 (一八六七~一九四 二 ) は 、「 幸田 の 鉄 ち や ん 」 だ っ た こ ろ の 露伴 の 姿 を 生 き 生 き と 回想 し た 文章 を 残している (12)。 当時 、『 実業少年 』 の 年少読者 に 、 こ の 文章 を 書 い た 「 鐵隠 」 と は あ の 幸田露 伴である、ということがわかったのだろうか。これが露伴の文章であることは、 記事のどこにも書かれておらず、また掲載誌のほかの箇所にも示されているわ けではないので、ほとんどの読者にはわからなかったのではないかと思われる。 『 立志立功 』 や 『 露伴全集 』 の 文章 と は 内容的 に ほ と ん ど 同 じ だ が 、 や や 目 を ひ く の は、前 半 部 掲 載 誌 面 の 最 後 に、 「次 号 よ り 愈 ゝ 趣 味 湧 く が 如 き 快 文 と な る」という予告文が置かれていることである。この予告文を書いたのはおそら (図版 1)『実業少年』第三巻第一四号表紙、筆者蔵 (図版 2)『実業少年』第三巻第一四号、五八頁、筆者蔵

(4)

く石井研堂だろう。この言葉を見ると、あらかじめ最初から終わりまですべて の原稿が研堂の手にわたっており、スペースの都合で掲載を二回に分けたので は な い か と 思 わ れ る 。 な お 、「 次号 」 と 予告 さ れ て い る が 、 実際 は 「 次 々 号 」 に 載った。 二回にわたる掲載では幾枚かの写真が併載されているが、露伴の文章と直接 に 関係 し な い も の が 同一頁 に レ イ ア ウ ト さ れ て い る こ と が ほ と ん ど で あ る 。「 鐵 の物語」前半部が出た『実業少年』三巻一四号では、露伴の文章とともに載せ ら れ て い る の は 、「 穴 ほ り の す き 」 (「 す き 」 と は 鋤 の こ と で あ る ) と 「 寒暖時計 」 の 写 真であり、これらはほとんど内容と関係がなく、この号のほかの記事とも直接 の 関係 を 見出 し に く い 。 ま た 、 後半 が 掲載 さ れ た 『 実業少年 』 四巻二号 で は 、 ア メリカの秤屋と服地屋のショーウィンドーの装飾がどのようになっているかの 写真が二枚併載されているが、これも露伴の文章内容とはほとんど関係がない。 た だ し 、 こ ち ら の 場合 は 、 こ の 号 に 「 巧 み に 窓 シ ヨーウインドー 飾 す る 一例 」 と い う 写真特集 が 設 け ら れ て お り、別 の 頁 の 記 事 と は 関 連 が 見 出 せ た (13)。一 枚 だ け、鉄 の 利 用 史を書く露伴の文章の内容にはっきり呼応する写真もあった。四巻二号に併載 さ れ た ヘ ン リ ー ・ ベ ッ セ マ ー の 写真 で あ る ( 図版 5)。同一頁 に 掲載 さ れ た 文章 の なかで、ベッセマー転炉法を確立し、鋼鉄の生産量を飛躍的に拡大させたベッ セ マ ー に つ い て 、「 其 の 後 も 引続 い て 種 々 の 発明 や 改良 が 企図 さ れ た り 遂行 さ れ たりして居ましたが、其の中終に彼の製鉄界に於て大功を立てたところのベス マ ア が 出 て 来 ま し た ( 中略 ) さ う す る と 鋳鐵 が 炭素 を 適度 に 失 ひ 適度 に 興 へ ら れ て鋼鉄になつて仕舞ふのですが、鋼鉄が容易に低廉に世間に供給されるように な つ た の は 實 に 此 の ベ ス マ ア の 発明 に 負 ふ 所 が 多 い の で す 。」 と 露伴 は 書 い て お り (14)、 こ の 文章 に 対応 す る 写真 が 付 さ れ て い る 。写真 の キ ャ プ シ ョ ン に は 、「 製 鉄界の大発明家サアー・ヘンリー・ベスマア」とある。 それだけではなく、 「鐵の物語」後半部が載った『実業少年』四巻二号には、 露伴 の 文章 の 直前 に 、「 ベ ス マ ア の 発明 と 成功 」 と い う 無署名記事 が 載 っ て い る。 この記事は、ベッセマーと、同じく製鉄法の進歩に貢献した発明家・ウィリア ム・ケリーとを関連させつつ、ベッセマーを主として、その生涯を簡潔に論じ た記事である。このように雑誌の上で、記事同士を関連させて編集している様 子も、後半部掲載時にはうかがえた。

終わりに

以上が、新しく見つけることのできた露伴「鐵の物語」の初出の詳細である。 こ の 発見 に よ っ て 、 単行本 『 立志立功 』 に 収 め ら れ た 露伴 の 文章 は 、 す べ て 『 実 業 少 年』に 掲 載 さ れ た も の で あ る こ と も、付 随 的 に 明 ら か に な っ た。 『実 業 少 年』にもっとも頻繁に文章を寄せた文学者のひとりは露伴だったが、この雑誌 (図版 3)『実業少年』第四巻第二号表紙、筆者蔵 (図版 4)『実業少年』第四巻第二号、四三頁、筆者蔵

(5)

への寄稿を再編集して成立したのが、一九一五年の『立志立功』という本だっ た よ う で あ る 。 た だ し 、『 実業少年 』 に 露伴 が 書 い た 文章 の う ち 、「 甘味 の 三世 」 (『実 業 少 年』一 九 〇 八・三) や「 磐 い わ ね み ず の す け じ で ん 根 水 之 助 自 傳 」 (『実 業 少 年』一 九 一 二・七) の よ う に、 『 立志立功 』 に 収録 さ れ な か っ た も の も あ る 。『 立志立功 』 所収 「 番茶會談 」「 供 食會社 」「 人事豫測表 」「 芥子大黒 」「 小農園 」「 米價問答 」「 鐵 の 物語 」 と い う 七 作品の選択や編集、あるいはこの本の出版企画そのものが、露伴の意図をどの 程度汲んだものかは、よくわからない。 「鐵の物語」を除く六つの小説作品は、 柳田泉のように「実業鼓吹小説」と呼んで似た志向を持つ作品群と考える見方 も あ り、こ れ ら が 同 じ 本 に 収 め ら れ て い る こ と に 違 和 感 は な い (15)。さ ら に こ れ らに、鉄利用史を明るい文体で語ったノンフィクション「鐵の物語」を一つ加 え、 『立志立功』は編集・刊行された。 『実業少年』に露伴が寄せた文章のなか で 、「 磐根水之助自傳 」 が 収 め ら れ な か っ た の は 、 こ れ が 、 水 を 主人公 に し 水 の 姿の変化を水の一人称で描くという科学小説で、やや異質なためかとも思われ、 こ れ が 外 さ れ た こ と は 理解 で き る よ う な 気 が す る も の の 、 こ の 中 に 「 鐵 の 物語 」 を入れるのであれば、砂糖の利用史を書く「甘味の三世」は収録されてもよい ように思える。だが、 「甘味の三世」は『立志立功』に収録されなかった。 『立 志立功』をめぐって、どのような意図で再録作品の選択がなされたのかは、い ま ひ と つ は っ き り し な い 部分 が 多 い 。 た だ 、 露伴 は 、『 立志立功 』 序 で 、 こ う 読 ま れ た ら 喜 ば し い と し て 、「 若 もし 夫 そ れ 此 こ の 巻 かん を 読 む 者 、 未来 の 世 の 吾 ご じ ん 人 に 須 ま つ も の 甚だ多きを感じ、 而 しか して吾人の才を 用 もち ゐ 氣 き を 役 えき し 力 ちから を 致 いた し徳を立つべき 所 ゆ え ん 以 の 地 の 甚 はなは だ 大 な る を 會 え し 、 手 に 唾 し て 起 た ん と 欲 す る あ ら ば 、 吾 が 志 こころざし 酬 むく は れ た り と い ふ べ き 也 なり 」 (16)と、こ の 本 を 通 じ て 世 の 中 に い ま だ 達 成 さ れ て い な い 事 業 が た く さ ん あ る こ と を 年少読者 に 感 じ さ せ 、「 手 に 唾 し て 起 た ん 」 と 思 っ て も ら え た ら 自 分 の「志」は「酬 は れ」る の だ と 言 っ て い る。こ の 言 葉 は、 『立 志 立 功』所収「番茶会談」の一節で露伴本人を思わせる「妙な人」なる登場人物が 語る言葉「 萬 まん 一 俺 わし の談話によつて、未来に諸君の頭脳や手腕を待つて居る事業 は非常に 澤 たくさん 山 あるものだといふことを諸君に感じさせることが出来れば、それ で 俺 わし は 満 足 す る の で す」を 改 め て 言 い 直 し た よ う な 言 葉 で あ る (17)。柳 田 の 言 う 「 実業鼓吹小説 」 六作品 に 加 え 、 実際 の 鉄利用史 の う え で 発明 や 改良 を な し て 活 躍した人間たちを闊達に語る「鐵の物語」は、思えば単に鉄の歴史を語ってい るだけではなく、その最後の部分では、新しい合金や錆への耐食性を備えた鉄 の 改良 な ど が 語 ら れ 、「 諸君 の 頭脳 や 手腕 を 待 つ て 居 る 事業 」 に つ い て 述 べ た 部 分 を た し か に 備 え た 読 み 物 に な っ て い た 。「 鐵 の 物語 」 が 『 立志立功 』 に 収 め ら れたことは、創作作品六つとはまた別のかたちで「諸君の頭脳や手腕を待つて 居る事業」を年少読者に想起させるものだっただろう。 (図版 5)『実業少年』第四巻第二号、四五頁掲載、ヘン リー・ベッセマー肖像写真、筆者蔵 (1)  浦西和彦 「 幸田露伴初出目録 」『 露伴全集 』 別巻 ・ 下 、 岩波書店 、 一九八〇、 四八七~五八二頁。このうち、最後の五八二頁に、初出未詳作品がまとめ られている。 (2)  幸田露伴 「 鐵 の 物語 」『 露伴全集 』 一〇巻 、 岩波書店 、 一九七八 、 四四三 ~ 四五五頁 (3)  前掲露伴全集一〇、六五二頁 (4)  幸田露伴『縮刷名著叢書   第五編   立志立功』東亜堂書房、一九一五、序 (5)  塩谷賛『幸田露伴』中、中公文庫、一九七七、二二七頁 (6)  吉 田 大 輔「幸 田 露 伴「鐵 の 物 語」の 英 語 典 拠」 『京 都 造 形 芸 術 大 学 紀 要   Genesis 』二一号、京都造形芸術大学、二〇一七・一一、五八~六七頁 (7)  橋本順光 「 欧亜 に ま た が る 露伴   ―   幸 田 露 伴 の 参 照 し た 英 文 資 料 と そ の 転

(6)

用 」『 大阪大学大学院文学研究科紀要 』 五九巻 、 大阪大学大学院文学研究科、 二〇一九・三、五五~九〇頁、筆者の論文への橋本の言及は、同、八〇頁 (8)  前田愛 「 露伴 に お け る 立身出世主義   ―   「 力作型 」 の 人間像 」『 近 代 日 本 の 文学空間   歴史 ・ こ と ば ・ 状況 』 新曜社 、 一九八三 、 一三四 ~ 一五二頁 、 潟 沼誠二「幸田露伴の『大氷海』 」『語学文学』三六号、北海道教育大学語学 文学会、一九九八、一~五頁、平川祐弘『天ハ自ラ助クルモノヲ助ク   中 村正直 と 『 西国立志編 』』 名古屋大学出版会 、 二〇〇六 、 一二一 ~ 一三八頁 および一八一~一八七頁。岡田正子『幸田露伴と西洋   キリスト教の影響 を視座として』関西学院大学出版会、二〇一二、のように、キリスト教の 影響という観点から露伴を分析しようとした成果もある。 (9)  吉田大輔 「 幸田露伴 「 御手製未来記 」 に お け る 商業 ア イ デ ィ ア   ―   そ の 文 化 史 的・産 業 史 的 意 味 の 一 端 に つ い て   ― 」『 比 較 文 学 』 六 二 巻 、 日 本 比 較 文学会、二〇二〇・三、五一~六五頁 (10)  国立国会図書館や東大・明治新聞雑誌文庫などよりも、管見の限り、本文 に挙げたこれらの図書館の所蔵が充実しているように思う。国立国会図書 館 デ ジ タ ル コ レ ク シ ョ ン に は 登録 は あ る が 、 二〇二〇年五月現在 、 イ ン タ ー ネット公開はされていない。博文館関係の刊行物は、博文館創立者の大橋 佐平・新太郎父子が設立した旧・大橋図書館の蔵書を引き継ぐ三康図書館 の 所 蔵 が 充 実 し て い る が、こ こ に も『実 業 少 年』は あ ま り 残 っ て い な い。 旧・大橋図書館蔵書は、一九二三年の関東大震災で多くが失われた。おそ らくこのために、関東大震災以前に刊行された『実業少年』は、現在の三 康図書館もあまり持っていないのだろう。 (11)  札幌大学図書館が『実業少年』を多く所蔵しているのは、かつて同大学の 学長職にあり、晩年、石井研堂へ強い関心を抱いていた山口昌男が、一九 九八年の明治古典会に出ていた揃いを購入していたという経緯による。山 口 昌 男・坪 内 祐 三「対 談・石 井 研 堂 を 語 る」 『彷 書 月 刊   特 集・大 博 物 学 者・石井研堂の世界』一五巻七号、弘隆社、一九九九・七月、一三頁 (12)  遅塚麗水「迎曦塾時代の幸田露伴」坪内祐三編『明治の文学一二   幸田露 伴』筑摩書房、二〇〇〇、四六一~四六九頁。これによれば、露伴と麗水 は、一緒に勉強するほか、大砲や榴弾を自作し煉瓦の壁を砲撃したり、爆 弾を作って大爆発させたりするなどして、仲良く遊んでいたようである。 (13)  無署名 「 巧 み に 窓飾 す る 一例 」『 実業少年 』 第四巻第二号 、 博文館 、 一九一 〇・二月、一八~一九頁、目次ではこの記事は「最も進歩したる窓飾りの 写真」とあり、タイトルが異なる。 (14)  鐵隠「人類界の主催者たる鐵の研究」 『実業少年』第四巻第二号、博文館、 一九一〇・二月、四四~四五頁 (15)  柳田泉『幸田露伴』中央公論、一九四二、四一四頁、なお柳田の言う「実 業鼓吹小説」には「磐根水之助自傳」も含まれる。 (16)  前掲露伴立志立功、序 (17)  前掲露伴立志立功、一四七頁 新発見 初出 単行本 立志立功 異同 以下 に 、 新発見 の 初出 と 『 立志立功 』 と を 見比 べ て 、「 鐵 の 物語 」 本文 の 目 に ついた異同を示しておく。なお、句読点の位置や段落変えの箇所などの変更も あるものの、煩瑣になるため、字句を加筆・削除・変更している箇所のみにし ぼって記す。最初の「」に示しているのが『実業少年』掲載の初出の際の語句 で、次の「」に示しているのが『立志立功』に収録された際の語句である。便 宜的に、 『露伴全集』一〇巻の対応頁数も記しておいた。 ① 「 最 必要物 の 一 で 」 → 「 必要物 の 一 で 」 ( 字句削除 、『 露伴全集 』 第一〇巻 、 四四三頁 に 対応) ②「埃及の昔は随分開明で有りましたが、知つては居たけれども」→「埃及の 昔 は 随 分 開 明 で 有 り ま し た が、 埃 及 人 は 鐵 を 知 つ て は 居 た け れ ど も」 (字 句 追 加、同、四四五) ③「古い書物に堅硬性を有すべき銅合金の製造法を記したのが今日に存して居 りますのみならず~」→「古い書物に堅硬性を有すべき銅合金の製造法を記 したのが今日に存して居ります。 周禮に六齊の記事が有りますのは、すなは ち其です。それ のみならず~」 (字句追加、同、四四五) ④ 「 銅合金 で 作 つ た と こ ろ の 記事 を 歴史 に 遺 し て 居 り ま す し 、 そ れ か ら 」 → 「 銅 合金で作つたところの記事を歴史に遺して居りますし、 干将莫耶などは皆銅 の合金の剣です。呉越春秋には五山の鐵精を采つて造るとありますが、それ は文飾です。 それから」 (字句追加、同、四四五~四四六)

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⑤ 「 其 の 知識 が 不足 で あ つ た こ と が 」 → 「 其 の 知識 が 不足 が 有 つ た こ と が 」 ( 字 句修正 、 同 、 四四八 ) ※ こ の 部分 は 、 第二次 『 露伴全集 』 第二刷 で は 、「 其 の 知識 に 不足 が 」になっている。 ⑥「鐵鉱を得玉ひたることでは有るまいか、と想像される のです 」→「鐵鉱を 得玉ひたることでは有るまいか、と想像される 位です 」 (字句修正、四四九頁) ⑦「アブラハム・ダルビーが始めてコークを」→「アブラハム・ダルビーが始 めてコーク ス を」 (字句追加、同、四五〇) ⑧「西班牙人が亜米利加へ渡つた時に、土人が鐵器を持つて居たので 喫驚して 聞糺したらば 天から得たと云つたといふ 話かある隕石は天から落ちて来る間 に他のものは 燃え盡して、鉄とニツケル、コバルト等の鐵系統元素ばかりと なつて居る」→「西班牙人が亜米利加へ渡つた時に土人が鐵器を持つて居た ので 喫驚した、聞糺したらば 天から得たと云つたといふ 話のものは 燃え盡し て 鐵 と ニ ツ ケ ル 、 コ バ ル ト 等 の 鐵系統元素 ば か り と な つ て 居 る 」 ( 字句変更 、 同、 四五五) ※   文中でも述べたように、本稿は、二〇一八年に札幌大学図書館で行った調査 を も と に 書 い た 。『 実業少年 』 の 閲覧 の 便宜 を は か っ て く だ さ っ た 同図書館職 員の皆さま、かつて『実業少年』の揃いを購入し、図書館蔵書として残して おいて下さった、故・山口昌男先生に感謝いたします。

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