見の総合と今後の課題
著者
大塚 健司
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
シリーズタイトル
研究双書
シリーズ番号
616
雑誌名
アジアの生態危機と持続可能性: フィールドからの
サステイナビリティ論
ページ
275-290
発行年
2015
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00011184
サステイナビリティ論の展開に向けて
―知見の総合と今後の課題―大 塚 健 司
第 ₁ 節 本書の問題意識
本書では,われわれ人類は21世紀に入った今日においてもなお,長期化す る生態危機に直面している,という認識から出発している(序章第 ₁ 節)。こ こで「生態危機」とは,1980年代に世界的な生態危機への対処に向けて組織 された「環境と開発に関する世界委員会」(ブルントラント委員会)での国際 的議論(環境と開発に関する世界委員会 1987)をふまえて,「ローカルからグ ローバルなレベルにまで『網目のない織物』のように広がった経済的かつ生 態学的相互依存関係のなかで,世代内および世代間における持続可能性が脅 かされた状況」であるとした。また,同委員会での議論を経て編み出された 「サステイナブル・ディベロップメント」(Sustainable Development: SD)の根 源には,「人間の経済社会の持続可能性が環境の持続可能性に大きく規定さ れていることを前提としつつ,そのなかで地域環境と地球環境を現世代が保 全・利用しながら将来世代にいかに引き継いでいけるのか」という「サステ イナビリティ」(sustainability)についての問いが含意されていることを改め て確認した。本書は,このように生態危機と持続可能性のあいだにある表裏 一体の関係をふまえて,われわれは生態危機をいかに乗り越えてきたのか, あるいは乗り越えていけるのか,現実の生態危機への人間社会の対応可能性という観点から,サステイナビリティのあり方を探求することをめざしたも のである。 本書ではこの探求を具体的に進めていくにあたり,「現実の生態危機への 対応に関する経験知の総合の試み」を「サステイナビリティ論」と位置づけ, アジアにおける多くの環境ガバナンス論が注目してきた経済成長の「中心」 ではなく,長期化する生態危機による脆弱性が顕著にみられる「周辺」のフ ィールドに注目している。その事例研究の成果が第 ₁ 章~第 ₆ 章である。 本書の終章として以下では,序章で提起したサステイナビリティ論の視座 をふまえ,第 ₁ 章以下各章で展開された論点を串刺しにしながら,知見の総 合を試みるとともに,サステイナビリティ論の展開に向けた今後の課題を提 示しておきたい。
第 ₂ 節 知見の総合の試み
₁ .基層社会と高次・広域システム 本書は,これまで別々の学問領域で扱われてきたサステイナビリティとい う課題について,共通の枠組みで議論することを試みたものであり,またア ジアの経済成長の「中心」から「周辺」に視点を移し,周辺のフィールドか らのサステイナビリティ論の展開を意図したものである。これまでおもに経 済成長の「中心」における開発と環境をめぐる諸問題を解決していくための 政策論として展開されてきた環境ガバナンス論では,ガバナンスの中核をな す統治の仕組みやそれに対抗する社会運動が中心的課題とされてきた。それ に対して周辺のフィールドから長期化する生態危機による脆弱性をふまえた 環境・経済・社会の持続可能性(サステイナビリティ)をめぐるガバナンス を検討するにあたっては,①「中心周辺関係」といった空間・社会軸,②長 期的な「変化」をとらえる時間軸,③人間社会システムと自然生態系の相互作用(社会―生態システム)(Berkes, Colding, and Folke 2003)という ₃ つの視角 が重要になることを指摘した(序章第 ₂ 節)。 また事例研究にあたっては,そうした視角を意識しつつ,(力点の置き方は 各事例研究によって異なるものの)基層の地域社会・集団における経験や過程 に着目するとともに,それをより高次かつ広域システムにおけるガバナンス の枠組みのなかで検討するという共通の方法をとっている(序章第 ₃ 節)。そ して各事例のあいだにみられる ₃ つの共通要素として,主体(生業集団,農 山漁村,流域社会),環境の変化(社会・環境変動,気象災害,開発災害),サス テイナビリティの課題(適応・順応,維持・発展,脱却・回復)が挙げられ, それらの組み合わせは事例ごとに特徴がみられる(序章第 ₃ 節図 ₁ )。 このように本書における事例研究の分析枠組みは,多角的な視点と多様な 要素の組み合わせから構成されており,すべての知見を網羅的に体系化する ことは容易ではない。ここでは各事例研究の知見の総合の試みとして,各事 例研究で共通して注目している基層の地域社会・集団(以下,基層社会)に おける社会過程と高次・広域システムにおけるガバナンスとのあいだのクロ ス・スケールな相互作用を縦糸にしながら,各事例研究で展開されたサステ イナビリティの課題を整理・検討する。基層社会と高次・広域システムの関 係にはサステイナビリティ論に求められる ₃ つの視角が内包されており,そ れゆえ基層社会と高次・広域システムの関係のなかには複雑化した現代社会 のサステイナビリティをめぐる諸問題が顕在化していると考えられる。 ここで基層社会と高次・広域システムの関係のなかで,周辺のフィールド からのサステイナビリティ論に求められる ₃ つの視角(中心周辺関係,長期 的・円環的な変化,社会―生態システム)が各事例研究においてどのように組 み込まれているのかを改めて確認しておきたい。まず,基層社会(生業集団 や村落)と高次・広域システム(市場,地方政府,国家)のあいだのクロス・ スケールの関係には,自ずと中心周辺関係の視角が内包されている。各事例 のフィールドは,経済成長の「周辺」に位置し,サステイナビリティの脆弱 性が顕著であると同時に,そのなかでも分析の視点は基層の地域社会や生業
集団におかれている。また,各事例研究で視野に入れている高次・広域シス テムの中核にある市場,地方政府,国家については,いずれも経済成長を牽 引する役割(の一端)を担う「中心」としての性格を見て取ることができる。 つぎに,そのような中心周辺関係のなかで共通して論じられているのが,基 層社会が,自らが立脚する自然生態系や高次・広域システムの環境の変化 (災害,市場経済化,制度・政策の変更など)に対してどのように対応してきた のか,あるいは対応できるのかという課題である。ここには,本書における サステイナビリティ論の「変化」や「(社会―生態)システム」に関する視角 が含まれていることを確認することができる。 以下ではこのような考え方のもとで,各章の議論を横断するかたちで,主 たる共通の知見を検討しておきたい。 ₂ .実践知の多様な展開 序章でもふれたように,基層社会における環境・経済・社会の持続可能性 に着目した事例研究は,文化人類学,ポリティカル・エコロジー論,コモン ズ論などにおいて行われてきており,そのなかで基層社会に対する外的イン パクトの影響についても関心を集めてきた。また基層社会の外的インパクト に対する適応―非適応については,「在来知」「ローカル知」(indigenous knowledge, local knowledge)といった自然生態系のなかで育まれてきた実践知 が重要な役割を果たしてきたことも指摘されてきた。 本書の第 ₁ 章(モンゴルの牧畜)および第 ₂ 章(エヴェンキ族のトナカイ飼 養)においても基層社会による環境変化に対する適応が論じられている。た だし,ここでいう適応は自然環境のみならず,制度や政策などを含めた社会 環境を含む「多義的な環境」に順応したものであることに留意したい。また, これまで民族誌的研究やコモンズ研究で指摘されてきたように在来知やロー カル知など,いわば在来の実践知が重要な役割を果たしていることが確認で きる。しかも,そうした実践知は,国や地方の政策による介入(社会主義的
近代化,生態移民,銃の没収など)にもかかわらず,継承されてきた。 ただし,このような在来の実践知は「伝統の継承」という過去から現在へ の時間軸上を単線的に展開しているわけではない。モンゴルでは社会主義崩 壊後にみられる現代の寒雪害への対応としての移動は,それぞれの状況への 「対処」として,あるときは一世帯で,あるときは人と人のつながりをとお して行われており,伝統的なオトルに多様な選択肢が加えられていることで 柔軟な対応が可能となっている。さらに近年では国家が非常時草地利用制度 を整備するなかで,牧畜民によるオトルを支援しようとしている。 また,中国大興安嶺森林地帯におけるエヴェンキ族の生業環境変化への対 応には,トナカイの角を市場に出すという新たな生業戦略のために,伝統的 な生業技術を創発的に進化させた「内在的展開」をみることができる。 この生業技術の内在的展開が成立するにあたって「接続性」が重要な鍵を 握っている。「北方の三位一体」のうち「二位」を失うという生業存続の危 機に陥ったエヴェンキ族がトナカイ飼養を持続できるのは,角を全国の中薬 市場に販売することで可能となっている。すなわち市場システムと自律的に 接続することで,生業技術の「内在的展開」がなされていると考えられてい る。そして市場システムとの接続を可能にしているのは,郷政府によるイン フラ支援策などである。そこには観光市場における地方政府間の競争という 現代中国の政治経済システムのなかでのインセンティブ・メカニズムが働い ていることもまた示唆されている。 このように,ふたつの事例では,自然生態系のなかで生業を営む民族集団 が在来の実践知を継承しながら生業を維持していくために,自然環境の変化 (気象や生態系の周期的な変化)に対してのみならず,基層社会を包摂する高 次・広域システムである国家,地方政府による制度の変更や市場の意向を含 めた意図せざる社会環境の変化に対して適応・順応し,接続していくことが 求められていると考えられる。 さらに実践知は,自然生態系のなかで生きる民族集団に固有のものではな く,現代の複雑社会におけるローカルなエンジニアリングにおいても重要な
役割を果たし得ることが第 ₆ 章の事例から示唆される。中国淮河流域の水汚 染被害地域で飲用水源改善を独自に行っている NGO は,枯渇性資源と考え られる深層地下水ではなく,絶えず補給され流動している浅層地下水を水源 としながら,自然界にある微生物の自浄能力を緩速濾過装置のなかで生かす 生態技術を導入し,水源の多様な地理的・水質的状況に応じて改良しながら 普及を進めている。 他方で政府は,深層地下水を掘削して水源にするような工学的技術を選択 している。深層地下水については枯渇リスクだけではなく,地層に含まれる フッ素による中毒リスクが指摘されているものの,NGO の実践知に基づく エンジニアリングは政策レベルではまだ受け入れられていない。ここでは技 術選択の経路依存を意味する「ロックイン」(城山 2007)がガバナンスの障 害になっていると考えられる。自然生態系の作用を重視する実践とそれを人 間が管理しようとする政策との「ミスフィット」(ヤング 2008)がガバナン スの課題として指摘できる。 ₃ .コミュニティの自律的接続性 経済成長の「中心」となる地域に比べて自然・社会経済的条件が不利な内 陸地域あるいは山間地域における農村の維持・発展可能性を論じた第 ₃ 章 (中国)と第 ₄ 章(日本)でも,厳しい自然・社会環境への適応・順応がキー ワードのひとつとなっている。そのなかで基層社会としては村落コミュニテ ィの役割とその存続・発展のための条件が論点であり,高次・広域システム としては国家と地方の政治経済システムが視野に入っている。そして基層社 会への国家の政治経済システムの浸透が進行するなかで,基層社会による 「内発的な発展」や「維持可能な発展」の可能性が論じられていることが, 第 ₁ 章や第 ₂ 章とは異なる点である。 中国内陸の張掖オアシス農村の事例(第 ₃ 章)では,繰り返される干害な どの厳しい自然環境条件に適応・順応するために,個人の自助努力(出稼ぎ)
や個人に対する公的援助に加えて,地域の共有資源の管理運営主体であると 同時に農村基層社会の自治単位でもある「村」が重要な役割を果たしている。 また厳しい自然環境条件に適応・順応しながら長期にわたり生態危機に向き 合って維持・発展してきた日本の山間地域における集落は(第 ₄ 章),戦後 の資本主義経済の浸透のなかで,限界集落という新たな危機に直面している。 全国のなかでも限界集落化が先行している高知県では,地方行政だけではな く,コミュニティもまた独自の対応が迫られている。そのなかで,従来から の集落(地区)における人と人のつながりや合意形成という基層の社会的メ カニズムにも留意する必要があることが指摘されている。 ここで共通のキーワードとなる「コミュニティ」は学術界だけではなく行 政用語としても広く用いられてきたが,近年においてもその定義をめぐって さまざまな議論がなされている1。上記ふたつの事例ではコミュニティは実 存する地域共同体としての「村」や「集落」に相当する。そこには一定の 「社会的共同」(宮本 1982)が成立している。しかしながら,中国内陸農村に おける村では出稼ぎで一定期間不在の村民が地域への富の還元に重要な役割 を果たしていたり,高知県の集落では転出した住民(他出子)や外部からの 支援者(ボランティア)が行き来しながら集落維持・活性化のためのさまざ まな活動が行われていたりするなど,コミュニティの社会的共同性は必ずし も自己完結しているわけではないことが示されている。震災の人類学的フィ ールドワークを行っている木村は「コミュニティ」という既存の概念に替え て広く人びとの「集まり」(木村 2013)という分析概念を提案しているが, 上記事例では内外の人びとの集まりは,あくまで一定の地域共同性を核にし た外とのつながりやかかわりという点が重要な意味をもっていることが示さ れている。すなわち,従来のコミュニティと外の世界とのあいだでの内外の 構成員の行き来をとおした「自律的接続性」がコミュニティのサステイナビ リティにとって重要であることが示唆される。 中国内陸農村や日本山間農村における上記ふたつの事例では,基層社会の なかの伝統的主体である村落コミュニティが厳しい自然環境条件に適応・順
応しながら維持・発展を遂げてきたが,基層社会への国家の政治経済システ ムによる浸透が進行するなかで,コミュニティによる内発的な取り組みとと もに,国家や地方によるリスク軽減のための支援策が重要な役割を果たし得 ることはもちろんのこと(第 ₃ , ₄ 章),両者のあいだに「ミスフィット」 (ミスマッチ)が生まれることも示されている(第 ₄ 章)。そして市場システ ムに対して外に開かれたコミュニティが,外の世界とのあいだで構成員の行 き来をとおしてコミュニティの維持可能な発展を図っているというように, 基層社会の高次・広域システムへの「自律的接続性」がサステイナビリティ の重要な要素となっていることが確認できる。さらに,日本の山間農村にお いては,限界集落という新たな危機(生産・生活リスク)に直面するなかで, 地域の「再生」というコミュニティの「レジリエンス」(resilience)もまた 問われている2。 ₄ .言説と公共圏の役割 第 ₅ 章と第 ₆ 章では,基層社会と高次・広域システムの関係はさらに複雑 な構図のなかで理解することが求められる。いずれも,対象とする基層社会 は,水資源開発(第 ₅ 章)や工業開発(第 ₆ 章)により長期かつ広範にわた る被害(これらをまとめて序章では「開発災害」と表した)を受けた沿岸・流 域の農漁村コミュニティであり,いかに災害状態から脱却・回復・再生する かというレジリエンスがサステイナビリティの中心的課題である。そして高 次・広域システムには,国家や地方政府が開発促進を行うとともに災害対策 や環境政策も担うという両義的な主体が,サステイナビリティの構図のなか で中心的な位置を占めている。さらには,学界(第 ₅ 章),マスメディアや NGO(第 ₆ 章)という現代的アクターもまた重要な役割を果たしている。 アラル海災害の事例では(第 ₅ 章),災害の初期対応のなかで,漁業を継 続するか,放棄するかをめぐって,二律背反的で,ともに「不確実」だが, どちらも科学的・技術的に「正しい」言説が同時進行で流布した結果,「ダ
ブルバインド」状態(ベイトソン 2000; 山下・市村・佐藤 2013)に陥っていた。 そのうえに,アラル海の水位回復を期待させるようなシベリア河川転流構想 が持ち上がったが,その構想が実現することもなくアラル海災害は進行した。 そのあいだ,政府も住民も根拠のない期待のなかで危機対応を先送りするな か,健康被害の拡大を招いてしまった。この背景には,何らの悪意や搾取が 働いたというよりは,「構造災」(松本 2012)で指摘されるような,科学,政 治,社会のあいだにおける長期にわたる膠着状態がガバナンスの機能不全を もたらしたのである。 他方で淮河流域における水汚染被害の事例では(第 ₆ 章),「癌の村」と呼 ばれている「被害コミュニティ」が隠れた主体となっている。隠れてしまっ た要因には被害コミュニティへのアプローチが困難であるというフィールド ワーク上の制約のためでもあるものの,被害コミュニティが問題解決過程に 直接参加することができていないという点も重要である。この事例では被害 コミュニティを代弁する地元 NGO が政府やメディアに対して実情を伝え, 政府,メディア,NGO の共鳴によってできた「公共圏」のもとで,被害コ ミュニティにおいて問題解決に向けた政府主導の政策や NGO による実践が 行われている。しかしながら,抑圧された公共圏のもとでガバナンスの中核 的な問題であるはずの被害救済問題への政策対応は遅れがちである。 また淮河流域の事例では,被害コミュニティは均一に分布するのではなく, 流域の社会・生態・地理的特徴に沿って分布していることが指摘されている。 ここでは不均等な発展が流域の社会―生態システムに作用することによって, 被害がその特徴に沿って「分配」されているかのようである(よって疫学調 査が意味をもつ)。このことは日本における水俣病の経験を想起させる(宇井 1968; 原田 1972)。今後,問題解決のためのガバナンスを検討するにあたって はこのような被害の分配による「社会生態的不平等」(socio-ecological inequi-ty)関係にも留意していかなければならない。
すなわち,以上のふたつの事例では,高次・広域システムの「中心」とな る主体(国家および地方政府)が開発促進とともに開発によりもたらされた
災害対応や環境政策を行うという両義的な主体であること,さらに問題解決 にあたっては,被害コミュニティによるレジリエンスが自動的に作動するの ではなく,学界,マスメディア,NGO などの現代的アクターが織り成す 「言説」や「公共圏」が重要な鍵を握っているとみることができる。アラル 海災害の初期対応においてはその「言説」はガバナンスの硬直を招き,淮河 流域の水汚染被害への対応においては「公共圏」が創造されたものの,抑圧 的な作用を抱えていることが示されている。 ₅ .変化とリスクの舵取りに向けて 知見の総合の試みとして最後に,生態危機をめぐる「変化」や「リスク」 への対応について検討しておきたい。長期化する生態危機への対応にあたっ ては,自然環境やそれと密接にかかわる制度的環境の変化について,過去・ 現在・未来という単線的変化だけではなく,突発的,周期的,漸進的変化に も目を向けていく必要がある(序章第 ₂ 節)。またそうした変化による人間社 会に及ぼす影響が懸念されるようになれば「リスク」となる。それでは人間 社会と自然生態系を含む社会―生態システム全体のサステイナビリティを考 えた場合,そうした変化やリスクを舵取りすることはいかにして可能なのか。 各事例において基層社会がどのように変化やリスクをとらえ,舵取りしよ うとしているかをみていくと,以下の ₄ つのパターンを確認できるであろう。 第 ₁ に,在来的な実践知には,気象災害へのモンゴル牧畜民によるオトル (第 ₁ 章)やエヴェンキ族のトナカイ飼養民による生業技術(第 ₂ 章)のよう に,自然や生命の周期的変化を織り込んだ適応の仕組みを内在していると考 えられる(内在的対応)。第 ₂ に,出稼ぎ(第 ₃ 章),他出子(第 ₄ 章),NGO (第 ₆ 章)などコミュニティの内外をつなぐ構成員や主体による「連携的対 応」がみられる。第 ₃ に,山間地域の厳しい自然環境条件のなかで存立して きた集落の縮小に対するコミュニティからのさまざまな実践(第 ₄ 章)や, 汚染された浅井戸の水源を生物浄化技術によって飲用水供給を可能に(第 ₆
章)するような「創造的対応」もまた重要である。そして第 ₄ に,頻発する 干害リスクの軽減のための灌漑開発(第 ₃ 章)や水汚染被害軽減のための深 井戸を水源とした簡易水道建設(第 ₆ 章)などのように,近代工学的技術に よって自然環境を媒介するリスクを軽減する方法(工学的対応),または,政 府主導の農業保険(第 ₃ 章)や集落活動支援(第 ₄ 章)のような「制度的対 応」などの「外来的対応の受容」である。 以上のような対応様式のひとつひとつは,従来の学問領域でも指摘され, また議論されてきたことであるが3,現代の複雑化した社会―生態システム におけるサステイナビリティの知のあり方として,こうした多様な対応を視 野に入れていくことが重要であろう。 さらに,本書の事例では,制度的対応と創造的対応のミスフィット(第 ₄ 章),ある工学的対応と別の工学的対応のあいだでのガバナンスの硬直化(第 ₅ 章),工学的対応が優勢のなかでの創造的対応の周縁化(第 ₆ 章)など,複 数存立する知のあいだでの相互矛盾についても留意しなければなるまい。ま ずは,漸進的な変化やリスクに対してわれわれは往々にしてうまく対応でき ていない,ということを自覚したうえで,社会―生態システムの変化に十分 に注意しながら決定しかつ行動しなければならないという教訓をしっかりと 確認していくこと,その要因や構図を理解し広く社会的に共有しながら舵取 りをしていくことが,よりよいサステイナブル社会の構築に向けた重要な一 歩となるであろう。
第 ₃ 節 今後の展開に向けた課題
本書ではアジアにおける経済成長の周辺のフィールドに着目して,長期化 する生態危機による脆弱性をふまえたサステイナビリティ論の展開に向けた 事例研究を積み上げたものであるが,アジアは気候風土にしても,社会経済 発展の状況にしても実に多様であり, ₆ つの限られた事例だけから知見を総合するのには自ずと限界があり,さらなる事例研究の積み重ねが求められる。 また事例研究の方法についても,本書のような国・地域横断的な相互比較だ けではなく,それぞれの対象国・地域においてさまざまな要素の共通性と差 異性に着目しながら事例の相互比較を積み重ね,対象国・地域におけるサス テイナビリティ論を深化させていくことも可能であろう。さらには,社会主 義化というアジアのいくつかの国における政治的実験をめぐる共通性と差異 性が,環境・経済・社会のサステイナビリティに及ぼした影響などに着目し て,社会主義的近代化についての複数国での比較研究を深めていくことも有 意義であろう。 本書の基本視角である基層社会と高次・広域システムのあいだのクロス・ スケールの関係についても,今回はあくまで各国内での相互作用を視野に入 れただけであり,国境を越えたリージョナルな,あるいはグローバルなヒト, モノ,情報,金融の流れが加速するなかでのリスクの拡散という「世界リス ク社会」(ベック 2014)を正面からとらえることはできていない。世界リス ク社会におけるサステイナビリティを,アジアにおける経済成長の中心周辺 関係をふまえていかにとらえていくかというのは挑戦的な研究課題であろう。 またリスク社会論を提起したベックがドイツの現状から出発したように,ま た近年ベック自身もまた,欧米と非欧米地域とのあいだの多元的な近代化に 注目していたように,アジアにおけるリスク社会のもとでのサステイナビリ ティが欧米のそれと比べてどのような共通性と差異性があるのかもまた,重 要な研究課題となるであろう4。 最後に,本書で試みたサステイナビリティ論の意義と今後の展望について 述べておきたい。本書で得られた知見のひとつひとつについては個々の学問 領域で議論されてきた範囲であり,それらの知見の総合の試みからも必ずし も飛躍的に新たな理論的展望が打ち出されたわけではないとの批判があり得 るだろう。しかしながら本書の研究プロジェクトは必ずしも既存の関連学問 領域を束ねた学融合的な新たな統合理論の構築を意図したものではない。む しろ,われわれ人類は長期化する生態危機に直面しているという認識のも
と⑸,環境・経済・社会のサステイナビリティを追究すること,そのために 学問領域を超えたコミュニケーションを促進すること,そうして究極的には サステイナビリティという課題に関心をもつ人びとに共通する言語と概念の 構築を行っていくことにこそ意義があると考えている。ここで「共通する言 語と概念」は,さまざまな専門分野を包括する「アンブレラ」(傘)ではなく, むしろさまざまな専門分野の「ベース」(基礎・土台)となるべきものである。 すなわち,サステイナビリティ学という新たな学問領域(学融合的な新たな 統合理論)を大々的に打ち上げることよりも,サステイナビリティの基本的 考え方(基礎理論)を広く共有していくことに重きを置いているのである⑹。 そのためには,本書の分析枠組みの批判的検討とともに事例研究を何重にも 積み重ねていくこと,それら事例研究の比較検討から得られた知見を各地 域・各領域における研究と実践のなかに埋め込んでいくことが求められてい る。 〔注〕 1 たとえば,山下(2008)は共同体やコミュニティに関する学説史をふまえ て現代社会における「リスク・コミュニティ論」のあり方を論じている。田 辺(2008)は「想像するコミュニティ論」においてコミュニティをマクロな 社会とミクロな個人をつなぐ統治のメカニズムから深化させようとしている。 竹沢(2010)は,田辺のコミュニティ論を援用して「コミュニティを人びと の生活実践の行われる具体的な場」としてとらえたうえで,「それへの権力の 介入と外部社会の圧力を考慮し,なおかつそれらを跳ね返そうとするコミュ ニティ内部からの反発力を,特異性と歴史的な観点から記述していくこと」 が重要であると指摘している。最近ではコミュニティが学術用語のみならず 行政においても広く使われていることが問題解決の現場での実践にあたって 誤解や混乱を招いている危険性について,2011年の東日本大震災による津波 被災地域をフィールドにする木村(2013)や原発避難問題の構図を当事者と 研究者との対話により解明しようとしている山下・市村・佐藤(2013)など が論じている。 2 もっとも,都市・農村問題については,日本にしても,中国にしても,農 村における内発的発展の視点だけでは解けないであろう。佐無田(2014)は, 日本の農村危機を考えるにあたって,「内発的発展をベースに,地域単位の発
展論にとどまらず,都市―農村関係を再構築し,地域的連携によって垂直的 国土構造を改革する『地方からの国土政策』のアプローチが必要とされる」 と指摘しており,中央周辺関係を捉え直す政策論的視座として,日本のみな らず,都市化が不可避的に進行している中国においても示唆に富む。 3 たとえば Mitsumata(2013)は,地域共有資源の制度的メカニズムを探求 するコモンズの日本における事例研究の蓄積をふまえて,ローカル・コモン ズの外的インパクトへの対応様式を,①コミュニティを基礎とした調整,② 協働的調整,③抵抗の ₃ つの類型があると指摘している。本書の整理では, ①は第 ₁ や第 ₃ の様式,②は第 ₂ の様式にほぼ対応しているが,③の「抵抗」 に対応する様式は含まれていない。それは本書の事例から意図して排除した わけではない。むしろ長期化する生態危機という観点から環境の変化をとら えるなかで,基層社会と高次・広域システムを対立関係でとらえるのではな く,社会―生態システムのなかの相互浸透的な入れ子関係でとらえている。 もっとも第 ₆ 章の事例のように,NGO による対抗的活動は見受けられるが, 本書では,外的インパクトへの抵抗というよりも,企業や政府による行為へ の対抗措置と考えられる。 4 さらに,本書の視角を,先進諸国におけるポスト経済成長社会,すなわち 「成熟社会」のサステイナビリティ論に敷延していくことも可能であろう。こ れについても今後の課題である。 ⑸ これに対して,われわれ人類はこれまでも生態危機を少しずつ克服してき たし,いまは過渡的状況にあるだけで,今後の技術革新,社会革新によって 必ず克服できるという楽観的な立場もあり得るであろう。それに対して本書 が「長期化する生態危機」という認識をあえて提起したのは,確定的な事実 であることを主張しているというよりも,「それらの存在を仮説的に想定し, それらについての知識を仮説的に提示する」(盛山 2013, 74)ことによって, 地域研究者がフィールド調査の対象としている社会から新たな知見を見出し, それによってわれわれの社会のあり方を省察し,「よりよい共同性のための知 的探求」(盛山 2013, 331)を行うことを意図している。筆者がこのような視点 の重要性に気づくきっかけになったのは2011年の東日本大震災であった。 ⑹ これは大橋(1989)が指摘した「パラダイム」という考え方に近い。大橋 (1989, 70-74)は,一般的発想や用語からなる「共通概念」と特殊な発想や用 語からなる「専門概念」を分けたうえで,この共通概念と専門概念が重なる 部分が「パラダイム」であると論じている。そして,「すべてのパラダイム, つまりあるディシプリンの根本的発想の枠組みは一般概念でなければ表現す ることができず,原則的に一般概念のみで記述される」特徴をもっていると している。必ずしもこの大橋の議論を参照しているわけではないが,同様の 思考法で作成されたテキストの良書として石(2002)が,また環境政策史と
いう構想の体系化を試みる興味深い論稿として喜多川(2013)などがある。
〔参考文献〕
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<英語文献>
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