Title
はじめに
Author(s)
高宮, 広衛
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 3(2): 1-2
Issue Date
1963-03-30
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10718
は じ
め に
高 宮
広 衛
( 琉 散 開 す る 研 究 の う ち 、 仇 民 や 文 化 を 対 象 と す る 分 野 は 従 来 最 も関心が校がれ、研究史の上でも古く遡ることができる。ところでこの分野の 発展をうながした動因の主なものとして次の二つを見遁すことはできないであ ろう。その一つは琉球の帰属、つまり琉球の人びとは果して日本民族かという 疑問の解明が一大関心事であったことと、もう一つには日本文化あるいは民族 の起源を探究するよで琉球の研究は不可避的であったことの二つである。この 二つの背景はいわゆる沖縄学発展の大きな推進力となり、また幾多の業績をう む動因ともなって、今日では琉球の姿もある程度その輪廓を現わせるところま でこぎつけた。しかし、重要な問題の多くは今なお未解決のまま残されている そして、自然科学の分野については、今やっと研究の絡についたばかりだとい っても過言ではなし、。従ってこれまた今後に多くの問題を抱えている。 このような諸問題の解決と琉球という地域社会の発展にいささかでも 貢献したいという趣旨の下に、本学では琉球列島の調査を企画し 一九六三年 七月調査団を組織した。調査はこれを二段階に分け、第一段階においては資料 の蒐集や分析及び問題の所在を明確にするため琉球諸島を一九六六年夏までに サーグエイすることを日様とした。 この目標の下にまづ選定されたのが最北端の伊平尾村である。今回の 調査者-と研究分担は下記の通りであるが、出発直前、二度も台風の襲来があり 高 宮 広 徹 考 古 学 屋 嘉 宗 克 民 俗 学 砂 川 勝 信 言 語 学 字 座 徳 光 民 俗 学 大 嶺 哲 夫 生 物 学 嶺 井 勇 経 済 学 ために出発が旬日も延びてしまった。結果として、頭初の計画にいささか変 東が生じ言語班の砂川勝信団員が学生の教生実習とかち合って参加できなかっ たことは甚だ残念である。 調査に要した日数は九月十二日より同二十日までの八日間である。と ころで農繁期とかち合い、ある分野では調査にかなりの支障を来す結果となっ lたが、全体としても時閣の制約と交通の不便さに禍いされて充分なサーグエイ を行い得なかった。従って幾多不十分な点なしとせず、次回を待ってこれを補 いたいと思うのである。本特集号は今回の調査成果の一部を集載したものであ る。 調査を行うにあたり、琉球石油株式会社(社長稲嶺一郎氏〉、那覇~ 航ターミナル(社長大城鎌吉氏)並びに琉球生命相互保険会社(社長嘉数昇氏 )の三社に調査資金をあおいだ。これについては学長真栄田義見先生の御健力 に負うところが大きし、cまた現地においては元村長新垣務助氏、村長新垣千代 吉氏、村議会議長城間喜平氏の他多くの方々から多大の御援助を預いた。特に 社会教育主事の仲村信広氏は御多忙中にも拘らず始終行動を共にされ、また本 学教育学科二年次の末吉一雄君の厳父末吉熊吉氏は毎日博中見舞をされ、暑さ に参り勝ちな私達を激励された。以上の方々の積極的な御支援により旬日とい う短い期間ではあったが、ある程度成果を挙げることができたのである。ここ に厚〈謝意を表したい。 一九六三年三月