原 郁夫
*
1471.
はじめに
四国三波川帯のキースラーガー鉱床の研究は,「四国 の銅鉱石生産量は,1960年代なかばを境として減少に むかい,1972∼1973年の大久喜鉱山・基安鉱山・白滝 鉱山・別子本山鉱山・筏津鉱山の閉山とともに急激に衰 微し,1978∼1979年の新宮鉱山・佐々連鉱山の閉山で, 金属鉱業は実質的に終息する」(須鑓ほか,1991)のと 対応するようにして,1970年代末には,新しい視点に よる情報獲得のための現場を失った.このため,その母 岩である三波川変成岩の岩石学的研究・構造地質学(構 造岩石学)的研究が,全く新しい段階に入った1980年 代には既に,それに対応したキースラーガー鉱床の現場 での観察を通しての研究は不可能になっていたのであ る. 小島ほか(1956a)には,「四国三波川帯におけるキー スラーガーの層序学的位置」と題する論文がある.そ の中で,小島ほかは,「キースラーガーは…緑色片岩・ 石英片岩中,あるいはそれに接して存在する」と記載 し,「キースラーガーについて,その形態の違いを考え ずに,それらが三波川結晶片岩系の中のどんな層準にく るかということをしらべた.その結果,キースラーガー の層序上における消長が,地向斜時代における海底火山 活動の消長に一致していることを知った.また,キース ラーガーを胚胎する部分の岩相の特徴から,キースラー ガーが,原地向斜の海底火山活動による火山砕屑物質と それに伴った化学的沈殿物質から変成した部分に胚胎 されていることを知った.これらの考察から,三波川帯 のすくなくとも大部分のキースラーガーの原物質は,地 向斜海底火山活動によって供給されたもので,いわゆ るExhalationslagerstaettenをその原形とするものと解さ れる」とした.そして,都城(1965; Miyashiro, 1973)は また,キースラーガーの母岩となる緑色片岩(塩基性 片岩)について,「古生代の中期以後さらに厚い地向斜 堆積物を生じた.ほぼ現在の三波川変成帯の位置やそ の近くに火山列島があって,eugeosyncline性の堆積物 を生じた」,「The abundant extrusion of basalitic rocks of the non-sequence type ophiolites in this belt [三波川帯] is simultaneous with the late Palaeozoic sedimentation in the geosyncline [本州地向斜;上田・都城, 1973]」と述 べ,三波川変成作用については,ジュラ紀−白亜紀ま で続いていたとして,「The Sanbagawa metamorphism is the crystallization not of the contemporaneous geosynclinal sediments but of their basement」と考えていた.日本に おいては,陸域と海域の関係(問題−A)は,1960年代 末にはプレートテクトニクスの言葉で捉えられてきてい たのである(e.g.Matsuda & Uyeda, 1970)が,飛騨帯より 南三宝山帯までの領域の堆積体の起源(問題−B)につい ては,1970年代は,地向斜造山論の枠組み(本州地向 斜)で捉えられていた.本州地向斜領域が,プレートテ クトニクスの言葉で理解されるようになったのは,石賀 (1984, 第9図)による丹波帯における二組の地層群ナッ プの記載=陸源性堆積物,遠洋性堆積物,オフィオライ トに関する時代情報がきっちりと整理された付加体層序 の記載からであった(原, 2009参照).そして,今日にお いては,「many studies have established that Besshi-type deposits are ancient counterparts of modern volcanogenic massive sulphide (VMS) deposits related to mid-ocean ridge volcanism」,とNozaki et al.(2013)によって記され ることになる.したがって,三波川帯のキースラーガー鉱床が,プ レートテクトニクスを背景にもった眼で現場観察される ことはなかったのである.この論考が,このような制約 のもとで纏められたものであることに,まず理解を頂か
Structual Geology of the Sambagawa Metamorphic Rocks and Kieslager Deposits
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I. Structual Geology of Sambagawa Metamorphic Rocks as Country Rocks of Kieslager Deposits −
By Ikuo H
ARA*2016 年 8 月 22 日受付,同年 8 月 30 日受理
*広島大学名誉教授(Hiroshima University)
なくてはならない.本稿が第一の課題としたものは,小 島ほか(1956a)による「四国三波川帯におけるキースラ ーガーの層序学的位置」を,今日における三波川変成 岩の岩石学的・構造地質学的研究の成果= subduction-exhumation processesの解析結果を背景にして,再考し てみようとするところにある.この議論のためには,ま ず,キースラーガー鉱床の母岩である三波川変成岩の形 成プロセスを,外帯の構造論の中で明らかにすることが 必要であろう.それは,兼平(1977)・内田ほか(1981) によって総括的に論じられた,キースラーガー鉱床の探 査を含めた諸問題の理解にとって必要不可欠な情報を齎 すはずである.そこで,本稿では,キースラーガー鉱床 母岩の構造地質学的研究の成果を概観し,次の第II報 において,キースラーガー鉱床についてさまざまな角度 から論ずることにしたいと考える.
2.
外帯の構造論的枠組み―並列構造論から
ナップ構造論へ
2.1.
地向斜造山論の時代 第二次大戦後の地向斜造山論の時代において,西南 日本外帯の地体構造は,一般に,北から南へ,三波川 帯,御荷鉾帯,秩父帯北帯,黒瀬川帯を含む秩父帯中 帯,秩父帯南帯三宝山帯,四万十帯と並列的配置を形成 すると見做されていた.例えば,山下(1957),Minato et al.(1965),市川(1970),勘米良(1977),木村(1979)な どの地史学・層序学の研究者による造山論である.変成 相解析の研究者であるMiyashiro(1973)は,三郡変成作 用の場であった本州地向斜において,その南半部に限定 して重複するようにしてジュラ紀−白亜紀の三波川変成 作用が起こっていた時,大陸斜面には海溝に位置する 四万十帯から北へ,秩父帯,御荷鉾帯,三波川帯,高温 低圧型変成作用を伴うマグマ・アークとしての領家帯が 並列的に発達していた.低温高圧型の三波川変成作用は, 三波川帯を変成温度が最高に達する軸として変成温度を 低下させながら,秩父帯−黒瀬川帯(Banno, 1964)から 四万十帯(関ほか, 1964)にまで及んでいた.中央構造線 は,四万十帯の南に広がる海洋プレートと陸域(本州地 向斜領域)が接するslab-surface faultの地下深部からの 本州地向斜領域内への延長であるとする並列構造論を展 開した.Banno et al.(1978),Nakajima et al.(1977)もまた, 三波川帯,御荷鉾帯,秩父帯という並列構造論を基礎に, 三波川変成作用の広がりを論じていた. 市川(1970)は,本州地向斜内で領家帯となる位置 の南縁に地向斜基盤の露出を齎す上昇傾向の地帯(古 領家帯)が発達し外帯と内帯が区分され,三波川変成 岩はこの古領家帯に南側から引きずり込まれた古生代 堆積体に由来すると説明した.古領家帯は,九州の領 家帯南縁(Sakashima et al., 2003)と日立地域の阿武隈 帯(Sakashima et al., 2003;田切, 2010)において,約 500Maの花崗岩類と変成岩類が発見されたことによって 陸塊として確定している(原, 2014参照). 岩 石 構 造・ 地 質 構 造 を 解 析 す る 研 究 者 で あ る Kojima(1953)は,同様の並列構造論を記しているが,外 帯の地質構造は南フェルゲンツを示すと記載し,それは 領家帯の南側への衝上により引き起こされた南フェルゲ ンツの構造運動を反映したものであり,中央構造線と御 荷鉾帯を,この構造運動の末期に運動の局所化に伴って 出現した剪断帯であると説明した.御荷鉾帯については, 小島が,御荷鉾岩類と周辺地質体との間に見られる構造 不連続に着目した判断であった.Kojima(1953)は,「the subjects [小島の構造論] are discussed on the stand-point of “hard-rock-geologists”. The writer wishes “ soft-rock-geologists” would criticize the subjects with their data」と 述べている.地向斜造山論の時代における,この二つの 型の構造論の相違は,“hard-rock-geologists”による,次 のような構造論において更に明らかになる. Koto(1888)は,関東山地の研究において,秩父帯の岩 類/御荷鉾緑色岩類/三波川変成岩というように緩やか に重なる地質構造を明らかにした.このような累重構造 は,徳田(1976)・原ほか(1977, Figs.19 & 20)・徳田・原 (1981)によっても確認され,御荷鉾岩類は,三波川変成 岩の構造を切断する移動岩体(ナップ)であると記載さ れた.三波川変成岩の上に御荷鉾岩類が重なる地質構造 は,伊那地域でも,Watanabe(1974; 渡辺・河内, 1977, Fig.2)によって報告された. 紀伊半島西部では,既往の多くの研究(岩橋, 1956, 1957, 1962, 1968, 1970; 平 山 ほ か, 1956a, b, 1959; 中 山, 1958, 1960; 神山ほか, 1964; 秋山, 1966;市川ほか, 1966;Hada, 1967)を総合して,原ほか(1977, Fig.14)に よって,三波川変成岩を核にもち,御荷鉾岩類をマント ルとする横臥褶曲(長谷毛原横臥褶曲)が,下底剪断帯 (長谷毛原−有田川構造線)をもって秩父帯の岩類に衝 上する地質構造が記載された.そして,武田ほか(1977, Figs.6 & 7)・原ほか(1977)は,地質図を作成し,四国中 央部池川地域では,三波川変成岩を核,御荷鉾岩類・秩 父帯の岩類をマントルとする南フェルゲンツの横臥褶曲 (狼カ城横臥褶曲)を形成し,秩父帯の岩類(秩父帯プ ロパー;佃ほか, 1981)の上に衝上している.狼カ城横 臥褶曲の上には秩父帯の岩類のナップ(中津山ナップ; 佃ほか, 1981)が発達すると記載した(第1図).四国西 部八幡浜地域では,秀(1972; 武田ほか, 1977; 原ほか, 1977, Fig.1)によって,御荷鉾岩類は,三波川変成岩の 上に重なり,南へ緩く傾斜していると記載された(原, 2008参照). このような情報を基礎にして,原ほか(1977)は,次のような構造論を提唱した.「Kojima et al.(1968)は領家 帯の古生界基盤は大陸性基盤であったと判断すべき資 料を提供している.三波川帯の古生界基盤はどのような 性格のものであろうか.みかぶ緑色岩類は,その岩石学 的・岩石化学的特徴から,海洋性地殻の一部であること が指摘されてきた(e.g.Ernst, 1972).この仮定にたてば, “三波川帯プロパー”は,海洋性地殻内部に押し込まれ た,あるいは海洋性地殻の衝上を受けた―層面片理形成 時でなければならない―古生代地向斜の部分ということ になろう.みかぶ緑色岩類のブルツエルは三波川帯下底 に向かってひろがっていたかもしれない」.三波川帯[低 温高圧型変成帯]の形成位置は,古生代地向斜の中で大 陸性地殻前面の海洋性地殻内に発達した巨大剪断帯であ る.このような推論にはまた,三郡変成岩,三波川変成 岩などの低温高圧型変成岩に特に強く発達する層面片理 の形成機構が,剪断変形によるとする原(1976)の研究 が基礎となっていた. この時期にはまた,“hard-rock-geologists”は,秩父帯 北帯−黒瀬川帯−秩父帯南帯の構成岩類のパイルナップ 構造を各地で記載してきていた(横山ほか, 1979;佃・ 原, 1979;富永ほか, 1979, 1981;富永・原, 1980;佃ほ か, 1981;槙坂ほか, 1982).そして,このナップ構造論 は,“soft-rock-geologists”によって,放散虫化石と放射 年代によって付加体層序の確定へと引き継がれ,ナップ 構造の構造論的意味の確定へと展開していくことになる (Ichikawa et al., 1990;須鑓ほか, 1991;Hara et al., 1992 参照).それは,本州地向斜領域が,プレートテクトニ クスの言葉で説明される過程でもあった(原, 2009).
2.2.
プレートテクトニクスの時代 御荷鉾岩類の時代は,四国東部において,岩崎ほか (1984)によって,御荷鉾緑色岩類に随伴するチャートか ら140-150Ma頃の年代を示す放散虫化石が発見された ことにより,ジュラ紀最末期∼白亜紀最前期の付加体で あるとされた. 関東山地では,地向斜造山論の時代に確認された緩や かに重なる累重構造が,downward younging age polarityをもつ構造層序として説明されることになる:御荷鉾岩 類の上に,秩父帯ジュラ紀付加体(e.g.小澤ほか,1985; 徳田, 1986;松岡ほか, 1998)が重なり,その上にペル ム紀付加体(徳田, 1986)そして黒瀬川帯相当の岩類 (e.g.275Ma花崗岩・高温変成岩=小野, 1983, 1985;低 温高圧型変成岩=平島, 1984)が分布する.御荷鉾岩類 の下位に位置する三波川変成岩は,,約91-95Maの砕屑 性ジルコンを含む(Tsutsumi et al., 2009)ことから,少な くとも白亜紀付加体としての低温高圧型変成岩である. 紀伊半島西部で原ほか(1977)によって示された,三 波川変成岩を核にもち御荷鉾岩類をマントルとする南フ ェルゲンツの長谷毛原横臥褶曲の衝上を受けた,低角度 で北へ傾斜する秩父帯の岩類は,放散虫化石からジュラ 紀付加体であるとされた(中澤ほか, 1987)が,その後 その北端で,三波川変成岩直下の岩類(ぶどう石−パン ぺリー石相の変成岩)からセノマニアンーチュウロニア ンの放散虫化石が発見され四万十帯付加体であること, この地質体は南側では秩父帯ジュラ紀付加体の下位に連 続発達することが明にされた(Hara et al., 1992, Fig.19). そして,横臥褶曲核を構成する三波川変成岩の下部(沢 カ内ナップ相当;Hara et al., 1992)から約77Maの砕屑 性ジルコンが発見され(大藤ほか, 2010),この三波川変 成岩は,さらに若い白亜紀付加体起源の低温高圧型変成 岩であることが明らかにされてきた. 四国中央部池川地域で原ほか(1977; Hara et al., 1992, Fig.2)によって示された,三波川変成岩を核にもち,御 荷鉾岩類・秩父帯の岩類をマントルとする狼ガ城横臥褶 曲の衝上を受けた秩父帯の岩類(秩父帯プロパー)と横 臥褶曲の上位に発達する秩父帯の岩類(中津山ナップ) は,放散虫化石からともにジュラ紀中期付加体であるこ と(e.g.Hada & Ichikawa, 1982; Hada & Kurimoto, 1990; 松岡ほか, 1998),ジュラ紀付加体中津山ナップの上位 に,ペルム紀付加体ナップ(磯崎, 1991)さらにその上 位に黒瀬川帯の岩類(クロリトイド変成岩;饗庭, 1982) ナップが発達することが明らかにされた.そして,秩父 帯プロパー(仁淀川ナップ;Hada & Kurimoto, 1990)は, 三波川帯の三波川変成岩(沢カ内ナップ)の下位にナ 第1図 四国中央部池川を通る三波川帯(沢カ内ナップ)−御荷鉾帯−秩父帯−
三宝山帯−四万十帯の南北地質断面図,YH:八幡浜−東祖谷断層,黒瀬川ナップ: ペルム紀付加体を含む [Hara et al, (1992)による,一部改変].
ップ(坂本ナップ)として広がる地質体であるとされた (Hara et al., 1992, Fig.14)(第1図).
四国西部三瓶−大島地域の三波川帯−御荷鉾帯−秩父 帯では,槙坂ほか(1982;Hara et al., 1992, Fig.8;武田, 1995, 第1図)によって,秩父帯の岩類の上に,三波川 変成岩を核にもち,御荷鉾岩類をマントルとする南フェ ルゲンツの転倒褶曲(大島転倒褶曲)と,その上に秩父 帯ジュラ紀付加体ナップ,黒瀬川岩類ナップ,陸棚相堆 積体真穴ナップが発達すると読み取れる地質構造が記載 された. 外帯構造論において最大の難問は,黒瀬川岩類の 地 体 構 造 論 的 位 置 で あ っ た.Ichikawa(1981; 市 川, 1982),Hada & Suzuki(1983),Maruyama et al.(1984), Faure(1985),Isozaki(1987),Hada & Kurimoto(1990), Yoshikura et al.(1990),磯崎・丸山(1991)は,黒瀬川岩 類は,外帯付加体群と接合した一つの陸塊であるとした. これに対して,九州東部では黒瀬川岩類の下位に緩や かに秩父帯付加体/四万十帯付加体が分布する(園田・ 原, 1984),四国中部のジュラ紀付加体中津山ナップの上 には黒瀬川岩類ナップ/ペルム紀付加体が緩やかに分布 する(磯崎ほか, 1991; Hara et al., 1992) (第1図),紀伊 半島西部では黒瀬川岩類ナップが秩父帯の岩類の上に重 なる地質構造を形成する(前島, 1978),関東山地では黒 瀬川岩類ナップ/ペルム紀付加体/ジュラ紀付加体/御 荷鉾岩類/三波川変成岩が緩やかな地質構造を形成する (徳田, 1986;Hara et al., 1992),そして黒瀬川岩類分布 域の南側と北側の秩父帯ジュラ紀付加体の年代に相違が ない(e.g.石田, 1985;Ichikawa et al., 1990;須鑓ほか, 1991)ことなどから,原ほか(1987)・Hara et al.(1990, 1992)は,黒瀬川岩類は,外帯構成岩類の最上位に位置 するナップであると説明した(第1図). 上記のような外帯構成岩類の地質構造についての総括 における課題の一つは,黒瀬川岩類ナップのハイマート はどこにあるのかである.課題のいま一つは,沈み込み 帯深部で高圧変成岩となってexhumeした三波川変成岩, と高圧成岩とはならなかった御荷鉾岩類・秩父帯の岩類・ 四万十帯の岩類の接合プロセスを地質構造から読み取る ことである.後頁で検討される.
3.
三波川変成岩の地質構造
――連続体構造論からナップ構造論へ
3.1.
第一期の構造論 四国三波川帯の地質構造についての第二次大戦後の 一つの総括は,小島ほか(1956a),秀ほか(1956)に見る ことが出来る(原, 2008参照).これは,「わたしたち が調査を進めるにあたっては,じっさい上,ほとんどす べて新しくやりなおさなければならなかった…別子鉱業 所において調査課が確立されたのも,わたしたちの研 究を始めた時期とほとんど同時であり,調査の多くの部 分は同調査課の課員の方々と共同してなされた」(秀ほ か, 1956)結果であった.地向斜造山論で考える小島ほ か(1956a)は,このような調査によって,三波川変成岩 について,上位から順に,大生院層/三縄層上部層/三 縄層主部緑色片岩層/三縄層下部層/小歩危層/川口層/ 大歩危層/西祖谷層群と重なる層序を提唱した.しかし, 小島ほかが,西祖谷層群と上位の地層との間の境界とし たものは,後に,山根・原(2003)によって,地すべり の結果としての構造不連続面であるとされている. 小島ほか(1956a, 第2表,第1図,第2図,第3図)は, 上記のような層序区分の上に,四国三波川帯に分布する キースラーガー鉱床の層序学的位置を記した.別子本山 鉱床,筏津鉱床,白滝鉱床が分布する位置の小島らの調 査結果を示す地質図と地質断面図は,秀ほか(1956,第 3図,第4図)によって公表されたが,ここには,原ほ か(1977)が記したような問題があった.今日では,新た な地質図の作成とボーリング調査,そして別子鉱床群の 坑道における調査などの結果の総合によって,東平岩体, 五良津岩体,東赤石山橄欖岩体を含む地質体は,白滝角 閃片岩層がつくる北に向かって閉じる横臥褶曲(須領横 臥褶曲)の核を構成する地質体であるとされ,須領横臥 褶曲の額部は別子の南西須領地域に発達すると説明され ている(Hara et al., 1992, Fig.73;原・塩田, 1996, Fig.1). ここでは,内田ほか(1981)が掲載する,小島ほか(1956a) の層序区分に拠る,四国中央部三波川帯の地質図(第2 図)と原・塩田(1996; Hara et al., 1992)の同じ地域につ いての地質図と地質断面図(第3図),そしてボーリン グ孔S-11を通る別子本山鉱床周辺地域の南北の地質断 面図(第4図)を参照することで,この時期の構造論の 展開を読み取っていただきたい.白滝横臥褶曲と須領横 臥褶曲の関係は,第3図に読み取れる.3.2.
鉱物相分帯 四国三波川帯の変成相の解析は,小島(1951),秀(1954, 1961),秀ほか(1956),小島ほか(1956a.b),土井(1964), 小島・光野(1966), 金属鉱物探鉱促進事業団(1967, 1968, 19691970a, b)が公表した四国中央部三波川変成岩の地 質図と岩相層序―第2図のような調査結果―を基礎に, 坂野らによって進められ(e.g.Banno, 1964; Ernst et al., 1968; Kurata & Banno, 1974; 東野, 1975;Banno et al., 1978; 東野ほか, 1977),上位から順に,ざくろ石帯/黒 雲母帯/ざくろ石帯/緑泥石帯と分帯され(第3図参照), この帯境界は岩相境界面に平行である.現在観察される 鉱物相の配置は,変成温度最高の黒雲母帯を核とする南 側に額部がある横臥褶曲(猿田温度横臥褶曲)を形成す るが,これは二次的改変の結果であり,初生的には下位低温となる黒雲母帯/ざくろ石帯/緑泥石帯という配置 であったと説明された.
その後,黒雲母帯は,曹長石黒雲母帯とそのほぼ中 央部に不連続に分布する灰曹長石黒雲母帯とに区分さ れた(Enami, 1983; Sakai & Banno, 1984; Banno & Sakai, 1989)(第3図参照).そして,Enami et al.(1994)は,ピ ーク変成条件を,緑泥石帯=約300−360度,5.5− 6.5kb,ざくろ石帯=約440度,8.5kb,曹長石黒雲母帯= 約520度,8−9.5kb,灰曹長石黒雲母帯=約610度, 10−12kbと見積もった.
3.3.
第二期の構造論3.3.1.
沈み込みー上昇(subduction−exhumation) 過程を残す地質構造 1970年代後半からの地質構造解析は,鉱物相の帯境 界は,構造論的連続体の中での温度の連続的変化を反映 して現れた鉱物相境界であるのか,構造不連続−温度不 連続面であるのかどうかの検討として展開した.このよ 第2図 四国中央部三波川帯の地質図 [内田ほか(1981)による,変成岩の時代の部分削除], 1∼18:キースラーガー鉱床名.うな研究は,「Most workers … define a series with nappes that have distinct deformational and metamorphic histories (e.g.Hara et al.1977, 1990, 1992; Faure, 1983, 1985; Higashino, 1990) . In contrast, other works have treated the region essentially as a thermal-mechanical continuum (Banno et al.1978; Toriumi, 1985; Otsuki, 1992; Wallis et al., 1992a; Wallis, 1995)」(Wallis, 1998)と言うような結
果を齎した.小島学派の研究は,鉱物相分帯の帯境界の 構造解析として展開した(原, 2008).紙幅の都合もある ことから,各帯を構成する地質体は,変成変形履歴の異 なる沈み込み単元であるとする研究の根拠に限定して, 次に簡潔に記そう. 第3図 四国中央部三波川帯の地質図と地質断面図 [原・塩田(1996)による].
1)黒雲母帯とざくろ石帯の境界 下位のざくろ石帯には,黒雲母帯の岩石のブロック が含まれており,それが母岩とともにざくろ石帯固有の 変成作用を重複して受けていることから,母岩である ざくろ石帯の主体は,沈み込み帯でやや浅い位置まで 連続発達していた黒雲母帯の変成岩を削り取り(tectonic erosion)ながら遅れて沈み込んできた沈み込み単元(冬 の瀬ユニット)である(Hara et al., 1992, 1995;原・塩田, 1996, Figs.34, 36 & 37). 下位のざくろ石帯と黒雲母帯との間の構造不連続は, 黒雲母帯内部の地質構造との関係から,第3図に見ら れるように明らかである.説明させて頂こう.北に閉 じる須領横臥褶曲のform surfaceである白滝角閃片岩層 は,白滝地域において南に閉じる白滝横臥褶曲を形成す る.ここでその上翼は切断されている.その直上の厚い 緑色片岩(白滝第五角閃片岩)層が白滝から東へ立川ま で連続発達している.この白滝角閃片岩層−白滝第五角 閃片岩層は,立川付近では下位のざくろ石帯に接近した 位置にあるが,白滝から北へ蛾蔵越付近まで黒雲母帯を 斜断するように発達し,ここで上位のざくろ石帯に接近 している(原ほか, 1977).白滝第五角閃片岩層と上位 の地質体は,上位のざくろ石帯上端近くに軸面をもつて 南で閉じる横臥褶曲(猿田横臥褶曲)を形成する(原ほ か, 1977, Fig.6b; Hara et al., 1992; 塩田・原, 1996, Fig.2,
1998).この猿田横臥褶曲下翼下端の白滝第五角閃片岩 層は灰曹長石黒雲母帯である.このような下位高温の逆 転した温度構造を示す猿田横臥褶曲の下翼は,第3図 のように,西側で白滝角閃片岩層層準によって切断さ れている(古山ほか, 1985; 東野, 1990; Hara et al., 1990, 1992, Fig.74). このため黒雲母帯は,猿田横臥褶曲を構成する猿田 ナップII,とその下位の須領横臥褶曲を構成する猿田 ナップIに区分される(原ほか, 1983; Hara et al., 1992, Fig.13; 原・塩田, 1996, Fig.2)(第3図).下位のざくろ 石帯(冬の瀬ユニット)は,北側では猿田ナップIIと接 し,南側では猿田ナップIと接しており(第3図,第4図), 下位のざくろ石帯と黒雲母帯の境界は,構造不連続面な のである. 猿田ナップIにおいては,1990年代末から,エクロ ジャイト相変成作用を受けた後exhumeし,ついで緑 簾石角閃岩相変成作用を重複して受けた地質体が広く 分布し,緑簾石角閃岩相変成作用だけを受けた地質体 と混在するが,それは須領横臥褶曲のform surfaceで あり緑簾石角閃岩相変成作用だけを受けた白滝角閃片 岩の内側に,ブロックとして分布することが,Aoya & Wallis(1999),Wallis & Aoya(2000),Enami et al.(2007a, b),Miyamoto et al.(2007),Mouri & Enami(2008),桜 井・高須(2009),Kouketsu & Enami(2010),Kouketsu et 第4図 四国別子本山鉱床付近のボーリング 掘削点(S-11)を通る三波川帯の
al.(2010),Kabir & Takasu(2010)によって記載されてき た.即ち,須領横臥褶曲核は,エクロジャイト相深度ま で沈み込み変成作用を受けた後exhumeし緑簾石角閃岩 相変成作用を受けた地質単元(猿田ユニットIa),と後 から沈み込んできて,exhumeしてきた猿田ユニットIa とメランジュを形成しながら,緑簾石角閃岩相の変成作 用を受けた地質単元(猿田ユニットIb)で構成される(原, 2011).これに対して,猿田ナップIIは,緑簾石角閃岩 相変成作用のみを受けた地質体(猿田ユニット1b相当) で構成されている(Enami et al., 2007b; 原, 2011). 構造不連続を示唆する更にいま一つの重要な情報を 示そう.三波川帯の構造的上位層準では粗大な斜長石の 斑点(斜長石斑状変晶;第5図a)が観察されるが,こ の斜長石斑状変晶の包有鉱物Siとこの変晶を取り巻き 層面片理を形成する鉱物Seとの間には,第5図bのよ うに,一般に構造不連続が認められる(Hara et al., 1983, 1992, 1995;原ほか, 1984, 1995;原・塩田, 1996).そし て,黒雲母帯の斜長石斑状変晶中のSi角閃石は,コア からリムに向かってcrossite,barroisite,hornblendeと 累進変成的な累帯構造を示す(第5図c).これに対し て,ざくろ石帯(冬の瀬ユニット)の斜長石斑状変晶中 のSi角閃石は,コアからリムに向かってglaucophane, barroisite,winchiteと後退変成的な累帯構造を示す(第 5図d).それは,この図に示されているように,累進変 成過程を刻印しているざくろ石中のSi角閃石の成長史 とは,異なっている.両帯は明らかに異なる変成履歴を もつ地質体なのである. 2)ざくろ石帯と緑泥石帯の境界 猿田川−佐々連地域では,ざくろ石帯(冬の瀬ユニッ ト)と黒雲母帯(猿田ナップII)の塩基性片岩の有色鉱 物が規定する線構造Lmは傾斜方向南西系であり,ざ くろ石帯下端部から緑泥石帯(沢カ内ユニット)の塩基 性片岩のLmは東西系でほぼ水平で,ここには古くから 知られる構造不連続があった(e.g.堀越, 1958;Oyagi, 1964).この構造を,原ほか(1995, 第4図)は,次のよ うに解析した. 緑泥石帯(沢カ内ユニット)−ざくろ石帯(冬の瀬ユ ニット)下端では,塩基性片岩のLmは東西系でほぼ水 平配置である.珪質片岩における石英の長軸の配列が規 定する線構造Lqも両帯を通して平行で東西系でほぼ水 平配置であるが,LmとLqは僅かに斜交している.ざ くろ石帯中部−上部では,塩基性片岩のLmは傾斜方向 南西系であるが,珪質片岩のLmとLqは僅かに斜交し ながらもほぼ水平配置東西系である.その直上の黒雲母 帯(猿田ナップII)下底部(原ほか, 1995, 第4b図,13 ∼16地点)では,塩基性片岩でも珪質片岩でもLmは 傾斜方向南西系であるが,Lqはそれにほぼ直交し水平 配置東西系である(第6図).その上の黒雲母帯(原ほか, 1995, 第4b図,17∼19地点)では,Lmは傾斜方向南 西系であるが,石英の伸長方向は優位配列を示さずラン ダムでLqは認められない.そのすぐ南上位の黒雲母帯 (原ほか, 1995, 第4b図,地点20)では,LmとLqはと もに傾斜方向南西系である. 緑泥石帯(沢カ内ユニット)−ざくろ石帯(冬の瀬ユ ニット)下端部から構造的上位層準に向かって,何故に 上記のような構造変化が起こったのか.この現象は次の ように説明された.黒雲母帯の層面片理の基本構造は, 後退変成期の構造であり(Hara et al., 1983, 1992;原ほか, 1984;Wallis, 1998;Takeshita & Yagi, 2004),黒雲母帯(猿 田ナップII+I)がざくろ石帯(冬の瀬ユニット)と接合す る過程の変形作用(Sb1時相の変形作用)により,傾斜 方向南西系のLmとLqが形成された(地点20の構造が その残存構造).そして,ざくろ石帯(冬の瀬ユニット) の下位に緑泥石帯(沢カ内ユニット)が接合した時(Sb2 時相)の変形作用により,東西系水平配置のLmとLq が形成されたが,このSb2時相の変形作用の浸透度の上 位構造層準に向かっての減少を反映して,ざくろ石帯の 中∼上位層準と黒雲母帯下端部の塩基性片岩では,Lm は傾斜方向配置を維持したが,変形しやすい石英は水平 配置のLqに改変した(第6図).それより上位層準では, 石英はランダムファブリックに改変する程度の変形であ った. このような解析から,ざくろ石帯(冬の瀬ユニット) と緑泥石帯(沢カ内ユニット)との関係は,構造不連続 であり,沈み込み単元冬の瀬ユニットは,一つのナッ プ(冬の瀬ナップ)であると見做されてきた(原ほか, 1995;原・塩田, 1996;原, 2014). ここで更に説明されるべき構造は,緑泥石帯(沢カ内 ユニット)とざくろ石帯(冬の瀬ナップ)において,水 平配置東西系のLmは,水平配置東西系のLqと僅かに 斜交していること,即ちここに二回の変形時相が識別 されることの理由である.この問題は,次のように解 析されてきた.緑泥石帯最上位層準STサブユニットで はピーク変成作用時相にcrossiteが安定であるのに対し て,最下位層準NOMサブユニットではピーク変成時相 にwinchiteが安定である.ざくろ石帯(冬の瀬ナップ) −緑泥石帯(沢カ内ユニットSTサブユニット)上端部 に見られる斜長石斑状変晶(Hara et al., 1992)は,先頁 で述べたように,winchiteをSi鉱物として含む(第5図 d)ことから,この構造層準が後退変成作用を受けていた winchite安定時相=沢カ内ユニット下部のNOMサブニ ットが底付けしピーク変成作用を受けていた時相に,こ の斜長石斑状変晶は出現したと考えられる.そして,例 えば,ざくろ石帯(冬の瀬ユニット)の第7図Fの珪質 片岩露頭においては,Lmとそれに平行な軸をもつ,第 7図Fのような褶曲をマスクするようにして,斜長石斑
第5図 三波川変成岩の斜長石斑状変晶 a)露頭写真:後退変成過程における層面片 理に沿った不均質剪断変形による斜長石斑状変晶の伸長,b)層面片理に沿って伸長 する斜長石斑状変晶(P)の顕微鏡写真:変晶核に包有される鉱物の片理Siと層面片 理Seの斜交=変晶核の圧力溶解とマントル外縁の成長,c)黒雲母帯(猿田ユニット 1b)の斜長石斑状変晶のSi角閃石(黒塗り)とSe角閃石(白抜き)の化学組成,d) ざくろ石帯(冬の瀬ユニット)のざくろ石のSi角閃石(丸に点)と斜長石斑状変晶の Si角閃石(白丸)とSe角閃石(黒丸)の化学組成 [Hara et al. (1992)による].
状変晶が成長しており(第7図H),それは,変形のな い静的な環境で斜長石斑状変晶が成長したことを示し ている.この珪質片岩において,Lqを規定する石英は, この斜長石斑状変晶を取り巻き,Type II S-C構造を示し (Hara et al., 1992, Fig.89c),Lqに沿った西向きセンスの 剪断変形によって形成された非対称c軸ファブリックを 示す(第7図A∼E).このことから,Lqは,Lm形成 後静的な環境で斜長石斑状変晶が出現した後の変形作用 (Sb4変形作用)によって形成された構造である,三波川 変成岩がexhumeし,off-scraped aequenceに割り込む時 の変形作用であると説明されてきた(Hara et al., 1992; 原・塩田, 1996;原, 2014). 3)緑泥石帯とoff-scraped sequenceとの境界 緑泥石帯(沢カ内ナップ)は,三波川帯の南部では秩 父帯ジュラ紀付加体坂本ナップと接し,北部では四万十 帯白亜紀大歩危ナップと接している(第3図) (Hara et al., 1992, Fig.14).この接合部の構造は,原ほか(1995, 第6図,第7図;原・塩田, 1996, Fig.72)によって,詳 細に解析されている.紙幅の都合により詳細は割愛する が,解析の結果は,三波川変成岩がoff-scraped sequence に割り込み衝上するSb4時相に,接合部直下の岩石にお いても,西向きセンスの剪断変形により,著しく変形さ れたことを示している.
3.3.2.
沈み込みー上昇過程構造の崩壊 四国中央部の立川−本山−佐々連−白滝−中七番−別 子地域の三波川帯においては,上記のように沈み込み− 上昇(subduction−exhumation)過程を刻印した地質構 造が,良く保存されている(第3図).しかし,吉野川 横谷より東側では,三波川帯の北半部を構成する地質 体は,蛇紋岩,黒雲母帯の岩石,ざくろ石帯の岩石,そ してごく僅かにではあるが緑泥石帯の岩石も混在するメ ランジュ(井の内メランジュ)を形成することが,塩田 (1981, Fig.2;Hara et al., 1992, Fig.14)によって記載され, このメランジュ帯下底は,ざくろ石帯(冬の瀬ナップ) 内部を切断し,ところによっては緑泥石帯最上位層準(沢 カ内STサブナップ)を切断しており,高越地域では高 越鉱床を含む厚い塩基性片岩より下位に位置するものと された.その後,このメランジュ帯からエクロジャイト のブロックも発見され(中山ほか, 1983;加治, 1984), Faure(1983)によってもこのメランジュ帯の下底剪断帯 が確認されている. 井の内メランジュ帯相当の地質体は,吉野川横谷より 西の四国中央部では,三波川帯北縁に分布する(第3図) (大生院メランジュ帯;Hara et al., 1992, Fig.14;原ほか, 1995;原, 2014).佐田岬半島に至る四国西部ではこの メランジュ帯の連続体がかなり広く分布する.それは, ざくろ石帯の岩石と緑泥石帯の岩石が混在する双海ナッ プ,とその下位のざくろ石帯の岩石を下底にもつ緑泥石 帯の岩石の二つのナップ,寺野−磯津ナップ/蒲山−佐 礼谷−出石ナップである.その下位に,中央部から連続 する緑泥石帯の中山−肱川ナップ(沢カ内ナップNOM サブナップ)が,そしてその下位に泥質片岩・砂質片岩 主体の八多喜ナップが分布する(武田ほか, 1991;Hara et al., 1992, Fig.14;Seki et al., 1993, Fig.8).井の内−大生院メランジュ帯の形成に関わる変成変形 作用は,actinolite安定条件での現象であるが,その変形 作用の性状については,Hara et al.(1992Figs.65 & 102), Seki et al.(1993, Fig.9),原ほか(1995, 2014)によって詳 細に解析されている.ここでは説明はしないが,次の点 を記しておこう.四国中央部の猿田ナップIIにおいて, 東野(1975, 1990)が,上位のざくろ石帯とした地質体(第 3図)は,その中で観察された塩基性片岩のすべてにお いてhornblendeの残晶が認められ,泥質片岩や珪質片 岩においてもところによって黒雲母の残晶が認めらるこ とから,塩田・原(1996, 1998;原, 2014)によって,著 しく後退変成作用を受けた黒雲母帯あり,この後退変成 作用に関わる変成変形作用は,大生院メランジュの形成 における下底の剪断変形を示すもので,それはSb4時相 第6図 猿田川の黒雲母帯(猿田ナップII)の珪質片 岩の顕微鏡写真:LmとLqの斜交.
の変形作用であると説明された. 上記のように,先Sb4時相の三波川変成岩の構造が, Sb4時相に破壊される度合いが,中央部で著しく弱く, その西側と東側で大きくなっていることから,Sb4時相 における沈み込み帯内部の力学構造に,大きな側方変化 があったことが読み取れる.
3.4.
放射年代学的情報と構造論3.4.1.
ジルコン年代情報 近年,ジルコンの放射年代測定に基づく,三波川変 成岩の地史学的研究が盛んになっている.そこで,この 情報を基礎に,上記の“hard-rock geologists”の構造論 を,補強することを試みたい.真部ほか(1996)は,大 歩危ナップから採集した火成岩礫が,約95∼101Maの 放射年代(U-Pb年代)を示すことを報告した.Aoki et al.(2007),大藤ほか(2010)は,大歩危ナップから採集 した砕屑性ジルコンのU-Pb年代は,約82∼98Maで あるとしている.これらの情報は,三波川変成岩ナップ 直下の大歩危ナップ構成岩類の付加年代が,約82Maよ りは後であることを示唆している.これは,紀伊半島西 部で三波川変成岩ナップ直下の四万十帯付加体が,セノ マニアンーチュウロニアンの放散虫化石年代を示すこと (Hara et al., 1992)とは矛盾しないが,大歩危ナップが少 しばかり若い付加体であることを示す情報と見るべきも のであろう. Knittel et al.(2014;試料番号S5)は,四国西部肱川 で,三波川変成岩最下位層準中山−肱川ナップ(沢カ内 NOMサブナップ相当の塩基性片岩;Hara et al., 1992; Seki et al., 1993)直下の八多喜ナップからの砕屑性ジル コンのU-Pb年代が,約94Maであることを報告している. これもまた,紀伊半島西部の三波川変成岩直下の四万十 帯付加体とほぼ同じ付加年代の地質体であることを示唆 する.Knittel et al.(2014)はまた,佐田岬で掘削された 2000mほどの深度に達するボーリングにおいて,三波川 変成岩最下位層準の厚い塩基性片岩層(佐礼谷−蒲山− 出石ナップの塩基性片岩;Hara et al., 1992, Figs.6 & 10) より下位からの5試料の砕屑性ジルコンにおいて,約 87−106MaのU-Pb年代を報告している.これは,こ の放射年代を示す地質体が,四国東部と紀伊半島西部で 三波川変成岩の直下に位置する四万十帯付加体群に近い 年代の地質体であることを示している. 紀伊半島と大歩危峡谷では,この四万十帯付加体 が,秩父帯ジュラ紀付加体の下位に接合している構造が 観察されるが,この接合に関わる変形作用を,Hara et al.(1992; 原, 2014)は,Sb3時相の変形作用と呼んでいる. 三波川変成岩が,これらのoff-scraped sequenceのナッ 第7図 汗見川のざくろ石帯(冬の瀬ユニット)の珪質片岩露頭(F): A∼E=石英のc 軸ファブリック(薄片の位置は図G;Sbは片理),H=F図の露頭の褶曲の軸に垂直 な薄片の顕微鏡写真,P=斜長石斑状変晶 [Hara et al.(1992)と原ほか(1995)による].プ群に割り込み衝上するのが,先頁で述べたSb4時相変 形作用である.ジュラ紀最末期−白亜紀最前期付加体御 荷鉾岩類直下で,Knittel et al.(2014)が記載した岩石(試 料番号S-10;砕屑性ジルコン年代=約91Ma)は,変成 度と構造的位置から,原(2014)が想定したSb4時相に おける,狼カ城横臥褶曲−大島転倒褶曲に巻き込まれた off-scraped sequenceの四万十帯付加体であろう.Knittel et al.(2014)が記載した,同じような構造的位置から採 集された,試料番号S-6(砕屑性ジルコン年代=174− 190Ma)の地質体も,同様の意味をもつもの(off-scraped sequenceの秩父帯ジュラ紀付加体由来)である可能性が ある. 次に三波川変成岩の原岩の時代論情報を読み取ること にしよう.大藤ほか(2010)は,四国東部で大歩危ナップ 直上の緑泥石帯下部層準(沢カ内NOMサブナップ相当) から採集した砕屑性ジルコンのU-Pb年代が約71Maで あること,紀伊半島西部の三波川変成岩(緑泥石帯の岩 石を含む)において最も若いU-Pb年代が約77Maであ ることを報告している.したがって,三波川変成岩の下 部を構成する地質体は,紀伊半島西部でも四国東部でも, exhumeし衝上した直下のoff-scraped sequenceの四万十 帯付加体よりは若い沈み込み年代の岩石であったと考え られる(原2014).
Otoh et al.(2010)は,小島ほか(1956a)の三縄層のベ ースから砕屑性ジルコンを採集し,U-Pb年代が約88− 91Maであると報告しているが,これは今日では井の内 メランジュ帯からの情報と読むべきものである.吉野川 では三縄の厚い塩基性片岩(ざくろ石帯)より下に位置 するざくろ石帯(冬の瀬ナップ)と接して,井の内メラ ンジュ帯の下底があるからである(塩田, 1981; Hara et al., 1992, Fig.101).この年代のもつ意味は,後で考察さ れよう. Shimojyo et al.(2010)は,汗見川の猿田ナップIIの灰 曹長石黒雲母帯の砕屑性ジルコンは,約85Maの変成年 代を示す,別子地域の大生院メランジュ帯の砕屑性ジ ルコンには約100Maを示すものがあると報告している. 他方,Okamoto et al.(2004)は,猿田ナップI の石英エク ロジャイトのジルコンから,約148∼110Maの堆積年 代を示し,約127Maの変成年代を示すものがあること を報告している.ここでは,Kabir & Takasu(2010)が, エクロジャイトには,二つの時相のものがあることを報 告していること,年代に振り回されることなく,組織の 歴史的重層構造に留意が必要であろう.
3.4.2.
考察 四国中央部の大生院メランジュ帯は,泥質片岩・砂質 片岩の多い構成岩類の岩相特性,と直下の猿田ナップ I+IIの構造保存の状態,即ちメランジュ帯の形成に関わ る力学構造の側方変化とから,猿田ナップIIの黒雲母帯 (猿田ナップ1b相当)にその由来が限定されると考えら れる.このような判断の妥当性はまた,そのほとんどが ざくろ石帯から上位の高変成度岩由来であり塩基性片岩 の多い岩相特性をもつ井の内メランジュ帯において,特 に厚く連続性の良い塩基性片岩(三縄の塩基性片岩;小 島, 1951)は,南側の矢筈山付近から由来したものであ るとする,Hara et al.(1992, Fig.65)の解析結果に求めら れる.したがって,Shimojyo et al.(2010)の大生院メラ ンジュ帯からの砕屑性ジルコンの100Maは,猿田ナッ プIIの黒雲母帯の原岩(猿田ナップ1b相当の原岩)の 堆積年代に繋がる情報であると見るのが妥当であろう. かくして,猿田ナップIのエクロジャイトの原岩(猿田 ナップ1aの原岩;約110Ma)は,確実にそれ(猿田ナッ プ1bの原岩;約100Ma)より古い付加体なのであろう. 外帯の構成岩類のdownward younging age polarityか ら,ジュラ紀最末期−白亜紀最前期付加体御荷鉾岩類の 下位の若い付加体と想定される三波川変成岩の原岩年代 を,Hara et al.(1992)は,秩父帯南帯三宝山帯の白亜紀 前期付加体群相当と見做した.しかし,ジルコン年代情 報は,それは,110Maよりは若いものに限定されること を示唆しているように見える. 上記のようなジルコンのU-Pb年代情報と構造解析の 情報とを総合することで,次のよう言うことが出来よう. いくつかの鉱物相では,鉱物相の相違は原岩の付加年代 (エクロジャイト=110Ma,黒雲母帯=100Ma,緑泥石 帯沢カ内ナップNOMサブナップ=71Ma,ぶどう石− パンぺリー石相四万十帯付加体=セノマニアンーチュウ ロニアン)を示していることから,より広く,エクロジ ャイト相の岩石(猿田ナップI)/黒雲母帯の岩石(猿田ナ ップI+II)/ざくろ石帯の岩石(冬の瀬ナップ)/緑泥石帯 の岩石(沢カ内ナップSTサブナップ/NOMサブナップ) の間には,構造層準の下位へ向かって若くなる沈み込み 単元と言う関係がある.したがって,ざくろ石帯(冬の 瀬ナップ)の付加年代は,Otoh et al.(2010)の情報から すれば,88−91Maである可能性があるように見える. かくして,これら高圧変成岩となる膨大な海洋性地殻の 剥ぎ取りに伴う堆積体の沈み込みは,約110Ma頃から 約71Ma頃までの間に約10Maの間隔で起こったと言う ことが出来よう. ここで構造論の上から課題となることは,外帯の沈 み込み帯では,何故に88Ma頃(Wallis et al., 2009;Lu-Hf年代)からエクロジャイト相深度から変成岩(沈み 込み単元猿田ユニット1a)がexhumeに転ずることにな ったのか.そのコントロールポイントの発生は何による のか.緑簾石角閃岩相変成作用のみを受けた黒雲母帯の 岩石(沈み込み単元猿田ユニット1b)が,そこから,猿 田ナップ1aとともに,exhumeすることになったコン トロールポイントの発生は何によるのか.ざくろ石帯のイントは,その後次第に浅い深度へと移動することに なり,緑泥石帯沢カ内ユニットNOMサブユニットが形 成された後,これらの高圧低温型変成岩をoff-scraped sequenceの中へ割り込ませながら沈み込み帯では,何故 にoff-scraped sequence(71Maより若い四万十帯付加体 群)ばかりが形成されることになったのかが問題になる. このコントロールポイントには,第II稿で示されるよ うに,堆積体の沈み込む方向と変成したそれがexhume する方向を,ミラー関係にする働きがある(原・塩田, 1996).ここでは,高圧低温型変成岩のexhumationに は,コントロールポイントの発生とその浅所への移動と いう現象が関わっており,それが何によって齎される のかの理解が鍵であると言うことが出来る.そしてま た,Hara et al.(1992, 1995;原・塩田, 1996)とKabir & Takasu(2010)は,沈み込んでくる地質体は,exhumeし てきた地質体のtectonic erosionを齎しながら沈み込むこ とを記載したが,このことから想定される沈み込み帯深 部における構造状態「two-ways street」が重要な課題と なる. 高圧低温型変成岩のexhumationの機構について, Suppe(1972)以 来, さ ま ざ ま な モ デ ル(Cloos, 1982; Platt, 1986;Avelallement & Guth, 1990;Chemenda et al, 1995;Huerta et al., 1999)が提唱されてきたが,上記の ようなexhumation機構を読み取る三波川帯研究者には, 三波川帯こそが,具体的にモデルを捉えうる最適なフ ィールドであるという実感がある.Hara et al.(1992)は, 三波川変成岩のexhumationに関わるコントロールポイ ントの発生と移動を齎す地質現象は,黒瀬川−古領家陸 塊の内帯付加体群への衝突に伴う陸塊の沈み込み帯に おける衝上運動と海嶺の接近−沈み込みに伴う沈み込み 帯の著しい圧縮ポイントの拡大上昇によるものと説明し た.
3.5.
外帯の地体構造論 猿田ナップIの須領横臥褶曲の核を構成する東平岩体, 五良津岩体,東赤石橄欖岩体(第3図,第4図)は,三 波川変成岩が沈み込み帯深部で掴み取ってexhumeして 来た岩塊であり,これらは島弧下部地殻・上部マント ルを構成していた地質体であると説明された(Kunugiza, 1980;Kunugiza et al., 1986;Takasu, 1989).それは,三 波川帯の北縁における島弧の存在を示唆する情報であっ た.そして,黒瀬川帯の岩類のナップとしての構造状態 1987; Hara et al., 1990).そして,この島弧は領家帯南縁 に存在していた古領家帯であると理解され,黒瀬川− 古領家陸塊と呼ばれて来た(Hara et al., 1992;原, 2010, 2014).この問題に関する詳細な議論は,これらの引用 文献を参照頂きたい.しかし,次の点を附記しておくこ とが必要であろう. このような黒瀬川−古領家陸塊に支配された,外帯構 成岩類の構造地質学的関係から,外帯は,黒瀬川−古領 家陸塊が内帯のジュラ紀付加体と縫合した位置(MTL-0) で規定される(原, 2003, 2014).黒瀬川帯ナップを構成 する岩類が持つ化石群の研究から,田沢(1993, 2000)は, 外帯は,南部北上帯とともに,内帯に対して南から移動 して来て内帯と縫合した地質体であることを明らかにし た.MTL-0がこの縫合線(suture line)である. 大島−三瓶地域の地質構造(武田, 1995)から明らか なように,領家帯の137Ma花崗岩(藤井ほか, 2008)を 含む白亜紀前期火成岩活動場から由来したナップ群と外 帯の岩類とが接合した中央構造線は,九州の臼杵−八代 構造線にほぼ一致することから,この中央構造は MTL-UY,そして,四国における中央構造線は,その形成過程 に多量のカーボネイトが出現したことを示す(岸ほか, 1996;塩田ほか, 2001)が,このカーボネイトの炭素同 位体組成から,この中央構造線の運動は三波川変成岩 の運動に規制されたものと推定され,この中央構造線を MTL-IIIと呼んだ(原, 2003, 2014).ちなみに,MTL-Iは, 領家帯における白亜紀後期火成岩活動高温変成場に由来 するナップ下底剪断帯で中部地方佐久間地域から紀伊半 島中央部の領家帯南限を画する断層であるが,それより 西では香川県手島−山口県大島へと領家帯内部に発達す る.そして,MTL-IIは和泉層群堆積時相に運動した中 央構造線である(原, 2003, 2014参照).4.
おわりに
本稿は,産業技術総合研究所特別顧問である石原舜三 氏の勧めがあって,執筆されたものである.このような 機会を与えて下さった石原氏に感謝申し上げる.石原氏 は,必要な文献の提供にも心をくだかれ,文献を選択し 送付して下さった.記して感謝申し上げる.文 献 (本稿を読むにおいて参照されるべき主要文献) 1)三波川帯の構造地質学 原郁夫(2009)「本州地向斜,忘却の地質学史」,ニシキ プリント. 原郁夫(2011)「変成帯地域地質学の現在―II」ニシキプ リント. 原郁夫(2014)「対の変成帯と中央構造線の地域地質学」, ニシキプリント.
Hara,I., Shiota,T., Hide,K., Kanai,K., Goto,M., Seki,S., Kaikiri,K., Takeda,K., Hayasaka,Y., Miyamoto,T., Sakurai,Y. & Ohtomo,Y. (1992) Tectonic evolution of the Sambagawa Schists and its implications in convergent margin processes. J.Sci.Hiroshima Univ., Ser.C, 9, 495-593.
原郁夫・塩田次男(1996)沈み込み帯35km−10km深度 のテクトニクス―三波川帯からの情報.広大地研報,
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Ichikawa,K.,Mizutani,S.,Hara.I.,Hada,S. & Yao,A.eds. (1990)「Pre-Cretaceous Terranes of Japan」,Pub.of IGCP No.224 小島丈児・秀敬・吉野言生(1956a)四国三波川帯にお けるキースラーガーの層序学的位置.地質雑,62, 30– 45. 2)変成相解析 A o y a , M . & Wa l l i s , S. R . (1999) S t r u c t u r a l a n d microstructural constraints on mechanism of eclogite formation in the Sambagawa belt, SW Japan. J.Struc. Geol., 21,1561–1573.
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