近世三井家同苗子弟の教育 : 「家業入見習」課程を中心に
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(2) . 昭和43年12月. 北海道教育大学紀要 (第一部C). 第 19 巻 第 2 号. 近世三井家同苗子弟の教育 -- 「家業入見習」 課程を中心に. 入. --. 宏. 江. 北海道教育大学函館分校教育学研究室. Hiroshi l iness Tr ¥ も[ 1 1: Bus 4 aining forthe N1elmbers of the House. t of Mi suiin Tokugawa japan.. 次. 目. . はじめに. は. じ. め. に. 本稿は近世三井家における同苗 (同族) 子弟の教育に関 して, 特にその 「家業入見習」 の制度 を中心に, その理念と実態を同家の同族組織, 経営形態等との関連において, 「稿本 三井家史 料」 を と お して 明 ら かに しよ う と す るも の で あ る,. 近世三井家は云うまで もなく, 日 本資本主義発展史上重要な役割を担った三井財閥の前身であ 0~60年代に伊勢松阪で主と して利貸による貨幣蓄積を行ない, 70年代から京都・ り, 17世紀の5. 江戸で呉服業を創め, 80年代には両替為替業務を兼営 し始め, 以後次第に店舗を増設 して, 三部 と松阪に十数店の経営を続け,さらに維新の動乱期を乗り切り,資本主義の確立と共に財閥と して ) 691) 687)の幕府払方御納戸呉服御用, 元禄4年(1 自己を形成 してい った1 , 三井家は貞享4年(1. の幕府為替御用方の用命によ って公儀御用達と しての格式も得, その隆盛は, 西鶴の 「日本永代 688) の描写をまつまでもなく海内に喧伝され, まさに江戸時代を通じて有数 蔵」 (貞享 5年・1 の巨商と して存在した,. 三井家の同族組織も極めてュ二÷クなもので, 「一家一本, 身上一致」 を建(たて)として, 兄 弟家 (将来とも 「兄弟同 然」 を建とする同苗) による事業と資本の共有, 徹底した家・店分離,. 非血縁成員を含まぬ同苗組織を原理としていた, これらは経営形態にも反映 し, 元禄16年(1703). 1 8) の大元方設置となり, またこの大元方による全事業の統轄 の店方制度の確立, 宝永5年 ( 70 形態が三井家固有 の同族組織を実質的に規定 し, 強固なものに した, 三井家のかかる同族組織は. 近世商家同族団 (暖簾内) 一般が本末の系譜的統属関係を中核に, 非血縁成員を含み, 家産の共 有ではな しに本家と分・別家間の庇護・奉仕的関係を特色と しているのに対 し 極めてュニークで,. 強いて商家同族団一般の形態になぞらえるな らば, 末子や奉公人が構成する越後屋暖簾内の頂点 -12 1-.
(3) . 入. 江. 宏. ) に 三井同苗十一 家が位置したといえよう2 ,. 以上みた如く, 近世三井 家がその営業規模において 当代有数の 巨商であり, その同族組織が一 般商家の暖簾内組織と異なるとき, その教育思想, 制度の究明は, 近世町人教育史研究上如何な る意義を有するかが改めて問われなければな らない, この点に関 して指摘 しなければな らないの 一般商家間にはその経営規模において質的にも量 的にも大きな懸隔を認めな は, 第一に三井家と-. が らも, 同時に少くとも店方制度を確立する程の中・上 層の商家においては 三井家の経営がその. 成員教育 (後嗣の育成や奉公人の教育) を含めて, 町人社会の t op と して常に憧侵され, 理想視 され, 一種のモ デ ルと しての役割を果 してきた点 (この点, 鴻池な ども常に同じような役割を担 ってきた) であり, 第二は, 町人社会の教育の本質を具体的な近世商家の 「家」 の理念と構造に 照 らして明 らかにする方法を認めるとき, 近世三井家の発展がいわば伝統社会における 「家」 の. 機能を極限にまで働かした一つの典型 と して, 当然考察の重要な対象となり得るという点である.. なお資料と した 「稿本 三井家史料」 は三井が財閥コ ンツェル ンをほぼ完成 した明治4 0年代に 三井十一 家に伝わる創業以来の旧記, 古文書 を家別編年体で編 修したもので総冊92巻, 戦後の財 閥解体期をま ってはじめて研究者の閲覧可能とな ったものである. 三井家関係資料は営業記録を. 中心に庵大な史料が今日 「三井文庫」 に所蔵されているが, 本稿の課題とする三井家家政の教育 史的研究においては家史の基本資料集と して編修された 同 「史料」 に よ っ て ほ ぼ そ の 本 質 を 明 ら かに し得ると思われる. 他日 「三井文庫」 所蔵史料閲覧の機会を得て補完したい, 1. 「家業入見習」 課程とその背景. 2) 享保7年(172 , 北家2代高平 (宗竺) が父高利 (宗寿) の遺訓・遺習をもとに, 改めて三井 家永世の家法と して集大成 した 「遺書」(以下これを便宜上 「宗竺遺書」 とよぶ) は, 以後同家に おいて文字通り根本規矩の位置を占めるものとな ったが, ここには家制・店制や町人の心得とな らんで特に 「子孫家業入見習の事」 の一項が設けられ, 次のような同 苗子弟教育のカリキュラム が 示 さ れ て い る.. 一, 男子十二 三才より, 京本店に差置, 子 ども同前ほどに致させ, 諸事仕入方見習を, 十五よ り江戸本店へ遣 し, 二 三年相勤, 初登り致 し, 在京の内叉本店に 差置, 此節者, 一方の買方. 承り, 帳面当り等, 役目相勤させ, 二十より叉江戸へ差下, 此度者, 本店にて一方の役儀諸 取, 帳面等の儀, 委く呑込, 二 十四五にて登り, 本店へ前のごとく相勤, 買方帳面等の儀を. 相覚へ, 其内一年, 大阪へ罷下り, 第一呉服店差置候て, 呉服方の儀不 及 申両替店・綿店 買方見習, 叉二十八九にて江戸下り, 此度者 綿店罷在, 一切を見覚, 此節上州, 叉者郡内山. 方買物等, 所々見廻り, 見覚可 申候, 尤二十己上者, 店々に罷在候内, 所々目録の節者, 支 配人と立会, 勘定致 し方自身手掛, 尤判形仕可=差出-候, 右の内, 一ヶ年 計, 京都両替店に ) も相勤可 申候, 三十以上者, 夫より親分の者勤方差図可=申付【候間, 其旨相心 得可 中 事3 , 家業見習いの履習課程を, 書学の年令, 場所, 主なる内容を明記 して具体的体系的に示 してい. るといえよう. 家法にかかる家業継承者の訓練課程 を示 したものと してはほかに京都大丸下村家 「主人心得之巻」(宝暦2年) , 近江中井家 「申渡之党」 (寛政12年) , 同じく小林家 「示合之条 ) があるが, それらと比較 しても最も詳細 具体的なものである 目」(嘉永年間) 等4 , , 同苗子弟の家業見習いを服務規定, 待遇面から具体的に示 したものに享保9年制定 の 「同苗在. 江衆議 薩 摩」 がある. 同規定は 「宗竺遺書」 に示された訓練課程に対して三井家がその経済的裏 付けを充分配慮 したものとして注目され る, 同定は, 御公用方勤番 の規定にはじま って江戸勤番 -1 22-.
(4) . 近世三井家同苗子弟の教育 の勤務期間, 服務規定を示 し, 家業見習いの期間である元服前後の勤務内容, 待遇については次 の よ うに 示 してい る.. -, 同苗棒初下り致, 元服候迄は, 会所へ相詰させ代物見習, 符帳書寿, 子ども同前に召造 . 一, 元服致させ候はゞ, 中柱へ出 し相勤, 尤夜に入, 勘定場金銀出入等相改, 店番状に致二判 形- , 商の鍛錬専精出相勤可 申事, 一, 前髪の内は不 及 申, 元服以後廿歳計迄, 不断木綿表の外, 無用可 壮:事, 廿歳後にては,. 綿服叉は紬 迄箸用可 仕事, 一, 右の条々, 荒増勤方申渡 し, 江戸店々の儀は, 一家身命の基に候へば, 若年の内より, 家 業にはまり, 安泰に相続致候様に, 跡無=油断-相心得可 申候, 尤勤番年老のもの, 猶叉宜 ロヘ後鑑に可 品も候はゞ, 此奥へ書載, 商 の鍛錬, 行作とも, 不法の儀無 之様に, 宜品書カ 仕 事,. 次に 「江戸勤番, 銘/ 小遣達」 とあって以下のような 「壱ヶ年分小遣高」 が示されている,. 研 一 豪 茎嬬. 両. 壱ヶ月,壱両壱歩割 壱 ヶ月, 三 歩割 ”. 但前髪有.之内, 此員数を以, 相渡 し可 申事 壱 ヶ月. 弐 両弐 歩割. , . 但元服以後, 廿四五才迄, 此員数を以, 相渡 し可 申事. 両 壱ヶ月 参両参 割 蜘 藁裏 茎寡需 壱 ヶ 月, 弐 両 弐歩 歩割 ,. 但廿六才より三十才迄, 此員数を以, 相渡可 申事 以下30才以上の 「公印」, 老分のものの 「極印」 について規定 し, さらに 「学印」 以上の者の江. 戸勤番に当っ て居越 しの際の増金を月割りにて支給することが定められている, 「初印」 は前髪 初下りの略号, 「学印」 は習学のための勤務の略号と考えられ, 同苗子弟たちは江戸に着府の際は もとより, 元服その他で格式が改められるとその都度帳簿に以上の符号をも って登録され, 本人. がこれに署名・捺印 している, ここでは同苗中, 本家子弟と連家子弟がその待遇面では っきり区 別 さ れ て い る 点が 注 目 さ れ る, 小 遣 に つ い ては,. 一, 前髪より廿歳位迄は, 右小遣入用の分, 過不及無 之様に, 支配人聞届ヶ相渡 し, 残金預 りに致 し, 罷登り候節相渡 し候様可 仕事. と二十才前は支配人の管理下におき, さ らに 一, 上州, 郡内へ買方見習に罷下り候はゞ, 入目の品付立目録を以, 自分判形相添, 大元方へ ふ り 出 し可. 被 申事. と買方見習に当 って特別に入用の場合は改めて大元方より支給することを示 している, 同規定. 各金の定」 を示 し, ここでも前髪初下りから 「極印」 までの段 はさらに赴任旅費と して 「道中片足 階と本家・連家の差別を示 している, なおこの 「定」 は元女4年一部改正をみているが, それは 小遣・路金の給付額の改正であ って, 本旨はほとん ど変 っていない, 以上 の家業見習いの履習課程な らびにそれを具体化する細則や給付措置は, いうまでもなく近. 世三井家が形成 した独自の同族組織, 経営形態が要請 したところのものにほかな らない, このこ. とはまさに, さきの 「子孫家業入見習の事」 の項が同家 の家制と店制を定めた根本規矩 「宗竺遺 -123-.
(5) . 入. 宏. 江. 書」 の中に相関連 して規定されていること自体によ って示されている, 「宗竺遺書」 によると家制の頂点に立つのは 「親分」 である. 同遺書 「親分の事 斧仕 置の次第」 に よ ると. 親分者, 一家惣親分と相心得, 其以下の者 ども, 実の親の ごとく 能仕へ, 其志にたがはず, 申付る品, 急度相守可 申候. とある, 「一家一本, 身上一致」 の理念を具現する要の位置にあるのが 「親分」 である, した が って, 「遺書」 は高利の長子高平直系 (北家) を惣領家と して家格において最上 位と し, 近い. 将来の 「親分」 の立て方に関 しては現状に則 した順位を示 しているが, 将来においては 「本家六 軒の内, 年かさ成者両人宛, 親分に罷成可 申事」 と して, 一族統轄の責務を原則と して本家6軒. の家督者全員に負わせている. ここに本家6軒とは, 表1 「三 井 家 同 苗 略 系 譜」 にみえる北家 (以下いずれも同族内の通称) , 伊皿子家, 新町家, 室町家, 南家, 小石川家を指し, ほかに連家. と して 日量書」 成立時に松坂家, 鳥居坂家, 小野田家の3軒があり, 後享 保15年, 長井家, 家原 家が連家に連なり, いわゆる三井十一家を構成 した. 表1. ≧ 三 井 家 同 苗 略 系言 当 基. (家初代 北 カL .. 局. 中. ). ) か寧 ニち 女 代( は長 高井. 高代 膝). 毒 孝養 晶古 室松坂 ・小 ー す 室松 室高 賓ゴ は 古( は坂 は利 ( 高 (鳥 高・鳥 高兄松 利五居 男・ 石 井安 利小居 野坂 家 利・坂 織機 饗 宴髪 田 男田家 女井 初 初 俊貞 ・俊初代 み弘代 石貞代 石頁代 ね重) 三男 ). . . 嵩を 久男. 審 庖男 好. 高響 伴男. 高言 搭男. 愚 雷. 南 家. 小 小. 室 誘 町. 新 導 町. 透 根 ) n i l 俊) 風 子 . ・ ヒ 聖 贋 家 初代貞. 霧. 代. 石 霜. 家 初 代. 裏. 初 代. 小(ね ( 伊肌 野寿. 伊 伊. 家 中 初. 田清. 家. 初 代 ). 代. 養 養. 女. 北. 家 家 代. 長 長. 註. 家名, 初代については, すべて 「稿本 三井家史 さ ト ま力に 中田易直 『三 料 」 J の取扱いにもとづいた.一ほかに中田易直 溌 井高利』 所収 「三井初期略系図」 を参照 した.. 室(. は小 覇 塁潔 ナ円 錫 三 三家 家. 女初 す代 た). 劾塞. 掛. 榛 原-〒 ′尾. ( 家 原家. 恩 i 珂 ブ き. 初 代 ). 家督は惣領 (長子) 相続を自明の事と して改めて示されてお らず, む しろ. 一, 縦惣領たりとも, 不行跡にて, 一家のが いにも可 成 ほ どの者, 一子とても, 致=勘当-可 申候, (傍点引用 者). と能力主義にもとづき長子が不適格者であ った場合の措置を示 し, その際は 「同苗より養子を 致 し, 跡目相続可 致候」 と規定 している, 別項にも -124-.
(6) . 近世三井家同苗子弟の教育 一, 同苗名跡 の儀, 子供無 之ものは, 随分同苗の内より養子 致 し, 相続可 致候, 男子無 之候 はゞ, 女子にても養ひ, 名跡相続致 し候様, 相心得可 申事. と述べて, 同苗による養子縁組によって名跡相続 の原則と している. 表2 「三井同苗 子弟教育 歴一覧」 によると各家初代11名を除いた6 5名中, 長子相続は17名, 次三男・末子が14名, 養子(家. 督養子を含む) は実に34名とな っており, 長子相続の百分率は26%にすぎな い, 家法では, 経験 に徴してあらかじめこの結果を予測 したかの如く, 同苗子弟すべてをい わば家督相続要員と して あらかじめ考慮したといえよう, 勿論, 同苗子弟による家督相続の原則がほぼ貫徹 し得たのは , 同苗11家という近世商家においても独特の同族形態に してはじめて可能であ ったといえる,. しか し 「全体私儀次男にて南家督相続仕候者には無二御座-候」〔内用記〕 (南家5代高英史料) とある如く, 原則は長子相続であり, 三井家子弟の教育を考察する場 合, 次三男の処遇をみなけ ればな らない, 「遺書」 も 「次男 ヰ末子の事」 の一項を設 け, 一, 次男 キ末子に至, 其親より為二元手- , 銀子と らせ候 の儀者, 先者其親の分別た るべく候, 勿論其時の親分の者, H同苗・元〆相談致 し片付可 申事 (但書略). と述べ, 次三男は原則と して 「自分賄身上致法也」 と し, 越後屋の暖簾を分けても三井姓を名. 乗 るこ と は 許 さ な い と して い る.. 次男以下はむ しろ他家養子を最上の捌き口と して考慮されていたようで, 一, 次男迄者, 同苗の内, 万一不幸芽為二思慮-別家に取立候とも, 其親心次第可 致候 其外 , 子供多く致=出生-候はゞ, 随分他へ養子に遣 し可 申候, 尤元〆・名代の 内たりとも, 子供 無 之者へ, 末子の内見立遣 し候様に可 致候 と 述 べ られ, さ らに. 幼少の節, 養子の口も無 之,店々へ相勤候は ゞ,手代同前, 子供の時より相励せ可 申候 , 籾成長致 し, 三十前後にも罷成, 養子に遣 し候とも, 別家に取立候とも, 其者器量勤柄, 兼 て見届, 仲ヶ間より合力の儀者割方余慶十 ヲの銀子の内を以, 親分の者, 同苗 F元〆相談の 上, 程よく元手とらせ可 申候. とあ って, 終始養子口を最良のコースと し, また養子に しても別家に しても元手金は器量,勤. 柄 に 基 づ く と して,. 一, 器量の者 一, 大体の者 一, 中位の者. 凡銀 三千枚位 凡銀七八拾貫目位 凡銀 三四拾貫目位. と能力主義を示 している.. 以上の如 く, 三井家の次三男は同苗家督要員と して充分そのチ ャ ンスを保持しながらも 原則 , と しては 「家」 のエ ゴイ ズムに基づいて他家養子を期待され, 幼年時からの丁稚・手代並の訓練 もそのための前提であって, 「遺書」 に. 勿論養子に遣 し候とても, 其者商の心掛無 之者, 先様にても役に立不 申候得者, 幼少の時 より, 手代同前に店勤させ, かんなん致させ, 尤寝臥とも手代同前, 店にて致させ可 申事 と あ る の は, そ の 本 質 を 直 椴 に 示 した も の とい え よ う,. 同苗子弟は店制の面では大元方要員であ った,. 「宗竺遺書」 は家制の規矩に続い て 「大元方頭. 領役の事」 の一項を設け,. 一, 親分へ差続候て, 同苗の内, 年かさ器量有ものを三人宛, 頭領役と して, 大元方諸事店々 の儀, 引請世話可 致候 -125-.
(7) . 入. 江. 宏. と指示 している, その業務内容は, 内寄会を 主催 して商いの評議をし, 各店の営業報告を監査 Lり さ らに. ≠ ] 丁寄世上金銀取遣の様子, 糸端もの一切, 諸相場等相考候て, 諸事差繰り可=申付- (中略) 叉 者は毎度店々へ廻り, 書通往来の様子, 金銀送り方, 代物の高下, 芳聞届了簡可 致候 云云とそ の任務が示されている, まこと大元方は 「一家根元の所」 にふさわ しく, 大元方掛り. 同苗は事業統轄の最高責任者と しての能力を要求された, このほか実務面では 「遺書」 は人事管. 理の能力を重視 し, 主人の心得として, 手代を見立る事専要候, 少きしっをあげて, 大き成益を捨る事なかれ, 少の益を取て, 大き 成 しつを求る事有, 家来の能もあ しきも, 叉主人たる者の心なり と 述 べ, ま た. 家業 にく らき主は, 其手代の図 りを しらず, 下に能もの有ても, 用る事な し, いた づらに差置 ば, 其ものは主のくらきをうらみ, 退く心出来る者なり. と, 奉公人の能力を見抜くためにはみずからが実務に明るくなければならないと している, 同苗子弟の 「家業入見習」 が, 以上 にみたように三井家の同族組織, 経営形態それ自体 が要請 する基本的課題であると しても, 家法作成者には同苗子弟の教育に関 してより切実な認識 があ っ たことは事実であろう, 「宗竺遺書」 に見えるきわめて具体的な習学課程 がそれを物語る。 「遺 書」 以下近 世三井家の重要な家法・家訓が成立 した享保年間は, 三井家にと って高美以下第4世. 代が誕生, 成長 しはじめた時期であった. 初代高利を中心にそ の子弟たちが営業面でも実質的役 割を果たした創業期は, まさに 「家伝記」 「商売記」 (前者は元祖高利夫妻の伝記を中心 に, 同族 の由来を示 したもので高平録, 後者は高利の商法を中心に家業発展の後をた どったもので高治の. 手になる. 共に享保7年「宗竺遺書」と合わせて一族に示された.) が記述する如 G過去の歴史的世 界となり, 三井同苗は整然たる店制の中で大 三井家のシンボルと して機能することを期待され, 三井家は経営の衰退という意味ではない が, 所謂守成期に入ったことは否定できない. 家法作成 者は守成の難しさを何よりも痛 切に感 じていた, 「遺書」 はすでに, 江戸・京・大阪者, (中略) 諸事に付結構を見習ひ, 客出心高ぶり, 身に位を付, それより家 業も疎略に成り申故, 二代・ 三代髭に親のごとく, 繁昌相続いたすもの無 之候. と指摘し, 北家3代高房が, 父高平の見聞をもとに 「凡京師の名有町人, 二代・三代にて家を 5・6例, ほかに銀座・糸割符・呉服所・両替屋の事例もつけ 加え 潰 し, 跡方なく成行」 くさまを4 て 「前車の覆を見て, 後車のいま しめの為」 に 「町人考見録」 として一族に書き遺 したのもこの. 認識にほかならない. 守成の難かし さと後継者育成の必要を痛感する事例は彼らの身近 かにあ った. それは後述する ように高利とその子弟たちが 次々にその店に家業見習いに入 った高利の長兄店 三井三郎左術門家. の悲劇である. 長兄俊次 (浄貞) は河村瑞賢と相識る程の人物で, 事実天才的商才の持主で家業 召貞には遊芸を習わせて屋敷に舞台を造り与え は隆盛を極めた, しかし後嗣の教育は誤り, 一子音 る程であ った. 「商売記」 は 「右の通先浄貞儀は, 無 隠商人にて候へ ども, 一子計在 之故, 子. の教方あしく」 「部貞儀は一生秤目も不 存候」 と述 べている. 三郎左術門家の哀徴はこの二代 目の無能によ って決定的になり, 同書は. -候故, 三郎左術門 ・三郎左術門幼少より, 家職の数方存不し被赤ト 後部貞商人之心無 之故, 子 商ノvD無 之, 手代他人迄是を見下す と述 べ, 「其身商人のみちを不 存しては, 子孫へ相伝数へ申儀成不 申, をのづか ら家次第に 一126-.
(8) . 近世三井家同苗子弟の教育. 衰 微致候事」 と戒めている, 後継者の育成を誤 って家を潰 した事例は 「町人考見録 “こも, この 三郎左術門家のほかに新屋伊兵衛, 呉服所等の例をあげているが, 長兄店の場合は何よりも身近 かな教訓として示唆するところ大であ った ら思われる。. 最後に 「子孫家業入見習の事」 に示された履習課程が具体的には 何を根拠にして作成されたの かという問題にふれたい, 「宗竺遺書」 に示された教訓は もっぱら初代高利に薫陶を受けた長男 高平, 次男高富以下の子弟たちの脳裡にやきついている父の言行, 教訓に基づくものが多く, そ. れに後年高平ら自身の体験より 得た思想, 処世智が加わったものと思われる. したが って家業見 習の訓練課程も当然彼らの体験的結論が有力な根拠となってくる, この意味で 「家伝記」 「商売. 記」 に記された彼らの修業期の記録は注目される,. 高利自身, 寛政12年, 14才で江戸に下り長兄俊次の本町四丁目店に入り, 20才前後で 「店支配」 を経験している,長男高平も寛女7年,15才 に達すると江戸に下り同 じく俊次の許に托されている, 「手代同前」 の勤務であ った, 次男高富も15才になると俊次店に入り, 「是ハ宗竺と違, 二男之 儀に候故, 店手代共あしらい, 猶以引下げ仕申候, 手代共掛取に参候節ノ ・ , 寒夜の節にても燈灯. 共に被 参候」 という勤務で, 彼らの待遇は 「仕着セ木綿着物一つ, 高宮嶋の雌子一つ, 五 を特,f 節句夷講な どに銭百女づ 小遣ニ相波申迄」 であ った, 三男高治も同 じく15才で兄たちを追 って 俊次店に入ったが, これは 「猶々店手代のあし らい, 一向常の子ども同前ほどの儀, 五節句夷講 にも, 常の子供同前, 店手代共へ不 残給仕致し, 仕廻裏店男とも飯を給候節, 一所に漸給申様成. 品にて在 之事」 とみずか ら回想している,. 以上, 家法作成者たちは年少時の他店修業という商人としての基礎訓練の上 に, 愈々父高利の Uし, 今度は父自身か ら商略 の伝授を受けたわけで, 高利と共に京室町薬師町店に在 っ 創業に参詣 た高平など 「例 之惣領宗竺悉く伝を受」 と 「商売記」 は伝えてい る, 「家業入見習」 課程の制定に当っては, もとより当時の町人社会一般の慣習が影響しているで あろうし, 何よりも 三井家自身が確立した店制と三都にまたがる 10 数店の営業店組織が具体的 条件を提示したといえ よう, 営業種目が呉服商いと為替・両替に分かれ, さ らに呉服関係には木 綿, 生糸, 絹織物 等の問屋業もあって, 大元方要員たる同苗子弟はそのす べてに一応の知識, 経 験を要求され, それが複雑な習学課程の枠組を作ったのも事実である. しかし, 少年時か ら丁稚 .手代並の厳しい訓練をとおして 「商人心」 を形成し, 順次営業店の統 括 的 業 務 にも立会わせ. て, 人事管理や 事業統轄の能力を育成しようとしたカリキュラムの構成原理には, 高平以下家法 制定者たちが創業時に身を 以って味わった経験が大きく横たわ っていたと考え られる. 口 「稿本. 家業見習いの実態. 三井家史料」 にもと づ き, 三井11家の家督継承者 (いずれも幕末までに主要な教育歴. を完了している者) 76名の通過儀礼, 家業見習い, 手習い, 学問等の履歴 を表にまとめたのが 表2 「三井家同苗子弟教育歴一覧」 である。 父高利によって, 直接訓練を受けた高平たちの世代. (北家2代の高平を除いて, いずれも各家の初代) は一応別格として, 「史料」 の中から明瞭に 教育歴として指摘できる記録を拾うと, 北家3代高房の元 禄3年7才での寺入り, 伊皿子家2代. 高勝の宝永3年15才での江戸下向等が早く, 制度的背景を考えられるものとしては鳥居坂家2代 高豊が正徳3年11才で京本店初出勤, 享保元年14才で江戸習学の記録が古く, 「宗竺遺書」 に示 された習学課程にほぼそ った教育歴を記録の上で残しているのは北家4代高美(享保13年半元服). 以降である. こ のことは, この時期に通過儀礼・家業見習い課程が制度的に固定し, 且つそれを -12 7-.
(9) . 入. 江. 宏. 記録する慣習がほぼ確立したことを物語るといえよう,. 史料に徴して明瞭なことは13・4才からの京本店出勤, 15・6才 における江戸初下向, 19才前. 後の二度目江戸下向, そして買方見繕といずれも三井家記録方において明確に家業見習いの教育 課程として把握されていたことで, これらを示す文書に 「習学」 「勤学」 「修錬」 「買方見習」 等の文字が使用されている, すでに享保19年, 小石川家3代高長が14才で京本店に初出勤した記. 録に. ・初 而店御勤学として御出勤被 遊候 〔永書〕 一, 弁蔵様御儀, 昨日‘ (以下傍点いずれも引用者) と勤学の文字がみえ, 同 じ高長が江戸習学にて大元方より勤務励精を賞せられたことを示す文 書にも 「御習学」 「御修錬」〔内永書〕 の文字がみえ, 長井家2代高隙 が元女2年, 20才で2度目 の江戸習学に赴いた際の文書にも,「店御勤方御習学 の儀」〔江戸大阪証番状控〕云々の文字が 見え,. 室町家3代高興の江戸初 下向 (元文4年) も 「元蔵様此度初 而江戸為二御習学‐ , 本店御出勤」〔名 これ らの文字は北家高清ら第5世代以降の記録にはほとん ど慣用 代要聴書〕 と記録されている. 語として常用され, たとえば北家8代高福が文政9年, 19才で上州辺へ買方見習に赴いた記録が 一, 次郎右衛門様御儀, 上州辺買方為二御習学-今朝御出立, 藤岡江向, 御越被 遊候〔永聴記〕 と 記 さ れ て い る 如 きで あ る,. 表2に示された 歴代家督者の京本店初出勤, 江戸習学初下向, 二度目江戸勤学等の年令は 「宗 竺遺書」 の 「子孫家業 入見習の事」 に示された習学課程にほ ぼ一致している. ただし 「遺書」 が. 江戸習学 の期間をいずれも二・三年間としているのに対し, 記録が示す実際の在府期間はほぼ一 年間が多か った様である. また 「遺書」 では20代における晋学課程も具体的に示しているが, 記 0代に入るとそれぞれ の個人的条件, 家の事情, 店の都合等によ って江戸および 大阪勤学 録では2 の時期, 期間等はまちまちで共通のパター ンを認め難く, また内容も20代に入ると店名 前を襲名. して実際に公儀御用 の業務につく等, 結果としては 「遺書」 が意図した様な実務をとおしての訓 練がなされたにしても形式的には多く 「勤番」 となり, したが って 「教育歴一覧」 においても, 整理の技術的困難もあ って三度目以降 の江戸習学はこれを割愛した.. ラ貴書」 のカリキュラムと大きな相違が認められるのは 山方・上州等へ 家業入見習いに当って 「. の買方見習の年令で ある. 「遺書」 では28・9才, 3度目の江戸勤学の際としているのに対し, 「史料」 の諸記録では24才で実施して いるもの2人を除いて, 20才前後が多く, 16・7才 の例も. ある, しかもこれらはいずれも二度目江戸習学の際実施されている, (なお質方見習の記録は14 例で, ほかには見当らない, 記録のないものすべてが実施しなかったとは断定できないが, 木履 習者がかなり多か ったものと推定される.) 見習課程について, 文政年間のものであるが, 南家5 代高英文書には 一, 同苗共及十才余候得者京地店江出し前髪之内江戸へ遣し一ヵ年も過京都江帰り 重て江戸へ. 参候節ハ上州奥州杯へも手代共と同様仕入買方二造 (中略) 大凡右之通勤方之次第も先祖より ) 5 建置御座候 (傍点引用 者). とあ って, 後年は実情に即してか, 二度目の江戸習学時に買方見習いをすることが建として確 認されていた様である, こう した実情に応 じての履習課程の変更は 必ずしも家法違反と しては問題にならなかったが, 同苗子弟としての家業入見習いを軽視 したり 忌避 したような場合は家法に背くものと して厳 しく 弾劾されたのである. 実はさきの高英文書は文政年間一族中に違法があった際, 高英が一族の長 老として紀州藩庁に提出 した申訳けと詫状の下書の一部であるが, さきの文章に続いて 「然ルニ 28- ー1.
(10) . 表2 三 井 家 同 苗 子 弟 教 育 歴 一 覧 名. 整. 家. 理 ‐ 前. 号. 督. 1 - 高 利 i ; 高 平 . : 高 富 ・ 高 治 高 孝 高 高. 18. か 高 孝 高 高 高 高 高 高 高. 19. 高. 20. 政. 1 { 1 2 1 モ 1 4 I E I E 17. 21 22 23 24 25. 高 高 高 高 高 高 政 高 高 高 孝. 高. 4 2. 嶋 高 製 44 孝 4 5 4 5 高 46 46 高 灯 生 7 高 48 杢 8 政 嶋鶏 1 9 高 43. 0 ~ 51 1 ~ 52 ~ 2 弱 ~ 3 54 4 ; 55 ; 5 56 ; 6 貯 ; 7 総 ; 8 灘 ; 9 鑓 o r 61 ; I. 高 高 高 高 高 高 高 政 - 孝. 伝. 高 高 鑓 i 2 高 窮 3 高 6 4 4 孝 6 5 高 衝 高 硝 高 総 高 鱒知 政 1 7 復 鷲 後 7 5 報. 豊 俊. 孝 紀. 駈 万 27 28 28 器 29 綿 30 鑓 31 縫 32 33 33 高 紘 34 高 3 5 35 高 箭 36 高 訂 37 高 総 38 高 39 39 高 0 4 40 高 虹 41 高 鱒 26. 北 北 伊 新 二 室 伴 要 松 古 鳥 久 南 ち 長 春 ー白 俊 野 房 北 方 新 勝 伊 遠 室 副 石 選 松 博 南. 美 陳 弥 時 長 興 無 登 路 邦 本 清 岳 行 典 業. : ; ] ] ] ] 1 1 1 1. 柄 高俊4男 高利長男 高利次男 高利3男 高利4男 弘重4男 俊貞3男 高利9男 高利4女 高利1 0男 益田玄春男 高平長男 高治長男 高利1 1男△ 高好次男△ 高治3男△. 1 3 2 2 2 2 2 本阿弥九右衛門3男△ 2 高久長男 2 高古次男 1 政名次男 2 高古5男△ 高房長男 4 2 高房次男△ 高房3男△ 3 3 高速長男 3 高房4男△ 3 高遠長男 2 高房5男△ 3 高勝長男 3 高豊長男 高博長男 3. 鳥 家 野 北 長 新 松 石 室 家 伊 鳥 南 野 3 北 5 松 4 室 4. 新 4 南 4 亮 室 5 董 石 4 義 長 3 祐 北 6 蔭 鳥 4 年 伊 4 徴 野 4 雅 新 5 行 松 5 英 南 5 昭 家 5 民 室 6 経 石 5 逆 室 7 就 北 7 延 鳥 5 匡 松 6 基 伊 5 茂 室 8 由 家 6 嗣 野 5 蔵 長 4 益 : 石 6 長 5 厚 : 北 8 福 : 新 6 満 … ‐ 6 軒 令 ! 南 6 彰 l 伊 6 映 メ 鳥 6 潔 , 南 7 愛 i 春 ち 家 7 石 7 松 7 室 9 野 7 北 9 新 7 鳥 7. 出 生. ・. 番. 1 ]. 続. 孝紀長男 高美次男 高選6男△. 高陳長男△. 高長男(庶)△ 高博次男△ 高長次男△ 高長3男 高路次男△. 高清長男 高路4男 高登次男 高路5男△ 高弥男(庶)△ 西村広尚男△ 高業次男. 政董長男△ 高亮3男 高興長男△. 高典長男△ 高清次男△. 政董男△ 高行長男 高英長男△ 高経長男△ 政昭次男 政昭3男△ 高義次男 高経3男 高義3男△. 高就長男 高祐男△ 高就次男△. 高英3男 高就4男△ 高就男(庶)△ 高英7男△. 政由長男 高英8男△ 高匡次男 高茂次男 孝令長男 高福長男 高満次男 高福次男△. 註1 . 人物は出生順に配列 した.. 初髪袴嚢半砦元善買 墾 墾方 店テ 川 ハ. 入 国 大 学 阪 皇 肇 ≦. 司 三 見 初 入 勤 度 雷 午 置 著 勤 服 服 目 習 学 門 学. 留. 年 元和モ 承応; 承応モ 明暦e 万治2 万治3 魔女4 寛女1 1 延宝1 延宝3 天和2 貞享1. 7. 元禄1 元禄5 元禄5 元禄6 元禄8. 15. 元禄1 4 元禄1 6 宝永4 宝氷5 正徳 戻5. 11. 14 17 14 15 14 17 18. 享保3. 14 14 16 16 20. 享保4. 18. 13 13 15 15 18 16 15 16 17. 18. 14 15 16 16 19 ‐ 5 13 14 15 15 18 19 13 15 16 19 17. 15. 享保5. 享保6 10 享保1 0 1 享保1 0 13 享保14 享保1 4 8 享保1 5 1 4 享保1 8 2 3. 寛保2 寛保3 延享1 延享3 延享4 寛延1 宝暦2 宝暦6 宝暦9 宝暦9 宝暦1 2 宝暦1 2 明和2 明和3 明和4 明和8. 2. 3. 4 2. 13 14 15 15 18. 15. 13 14 15 16 21 13 14 15 15 18. IS. 4 1 3 14 15 15 19 ‐ 18 4 13 14 16 15 20. 3. 7 S. 1. 3. 5 13 15 15 15 19. 2. 3. 4 13 14 15 15 18. 2. 3. 5 13 14 15 15 18. 2. 3. 4 13 15 15 16 18. 4 ′. 3. 7 12. 1. 15 14 16 16 19 19. 15. 1 8 ‐. 18. 21. 16 16. 13. 14 15 16 16 20. 6. 13 15 15 16 18 14 15 14. 19. 16 16 19. 3. 5. 3. 4 22 15 24 19. 13 16 14 19 15 15 19 24. 4 13 15 17 16 20. 天明8 寛政1 寛政5. 21. 32. 26. 15 15 16 17 6. 寛政5. 文政1 0 天保7 天保8 天保9. 13. 4 13 14 15 16 18. 安永6 安永8 天明6. 轍2 轍3 轍4 燐6 轍6. 7. 13 14 17 16. 安永4. 寛政5 寛政9 寛政11 寛政1 2 文化3 文化5 文化5 文化7 文化1 0 文化13. 17. 5 3 2. 18 16. 6 13 14 15 16 17 5 13 14 16 16 20 21. 3. 13 1 4 16 16 19 24 ‐ 4 13 15 15 16 28. 3. 5. 15 17 17 24 13 15 17 17 36. 2. 3. 20. 3. 15 16 1 8 19 ‐ 13 15 15 16 17 20. 3. 13 16 17 17. 18. 1 4 15 15 1 8 ‐ ‐ 15 14 16 16 18 17 3. 4. 15 21 16. 15. 14 14 15 16 1S 3 2. 3 3 3. 13 1 5 17 17 19 18 ‐. 1 6 ‐. 18. 17 17 19 20. 5 15 15 20 16. 15. 13 15 1 5 16 19 19 ‐. 4 12. 3. 4 13 15 15 15 22. IS. 3. 4 13 15 15 15 21. 19. 5 18. 21. 2 ‐ 家省略符号中, 石は小石川家, 野は小野田家を示 し, 他はいずれも頭文字を用いた. 家督の系譜はすべて 「稿本 三井家史料」 の取扱いにもとづいた. なお, 家原家3代は南家5代高英が, 家原家4代は南家4代高業がそれぞれ兼ねている. 3 ‐ 続柄の△印は養子・家督養子を示す. 4 ‐ 教育歴はいずれも 「稿本 三井家史料」 所収の諸記録による..
(11) . 近世三井家同苗子弟の教育. 則兵 衛儀ノ ・壮年二て 八郎右衛門名前譲受御為替方相勤不申他国ノ ・勿論度々江戸往返も 不仕商事不 )(傍点引用者) 云云と 事件の主要 人物則兵衛 (北家6代高祐) が 「祖先よ 6 鍛錬之上疑惑深く」 , り建置」 かれた訓練課程 を本人の我億から受 けなかったことを指摘 しており 後年の不始 末の一 , 因がここにあると認識されており注目される,. 家業見習いは13才の京本店 出勤には じまるが, それに先立ち, 父な どに伴われて判形 (人別帳 調印) のため三井家の本貫松坂に赴き, 時には伊勢の大廟 に参詣 した記録も多い 旅を経験さ せ . て見 聞を広める配慮もあ ったことと思われる さ らに11才頃大阪に赴き 住吉参詣の後 大阪本 . , , 店に立寄 って食事などをとり, 店の振舞にて芝 居見物をする慣行もあり これも少年時から自然 , に店に親しませる配慮とも考え られる。 北家7代高就史 料には5才の時京本店に赴 き 蛭 子 講 を 見, 6才・7才と同じく御霊宮 祭礼に京本店に出掛けた記録がある ここにも幼時 から店の行事 , を参観させ, 店に親 し ませようとする配慮が 感 じられる 他に記録が見当 らないが, これも恐ら , , く 同 家 の薗 行 とな っ てい た の で あ ろ う.. 同苗子弟の京本店習学 は大元方の指示によって行われる, たとえば天保8年, 松坂家7代高敏 の場 合, 「岩吉儀追々成長二付, 当地本店晋学申付候」〔勢州書状控〕 と大元方から父 高匡らに命. 令書が出されている. 小野田家7代孝信の場 合 (弘化4年) は 「八助様当年拾 弐才に御座候 明 ,, 年 御出勤御建ニ候得共, 御 宅御不人二付, 今日‘ ・通勤被 遊候」〔名代言送帳〕 云云の記録があ り, 都合によ り習学年令を一年早めたこと, 店へ通勤したことなどが知 られる また室町家4代 . 高行のように大阪在住 (当時高 行は長井家男) のものがまず大阪本店に出勤し 次いで京本店 に , 習学するケ ースもある. 大阪ではやはり 「当分御通 ひ勤也」〔日記録〕 と記録されている . 「三井家 史料」 中, 京都本店習学に関して最も古い記録は, 鳥居坂家2代高豊が正徳3年11才 で松坂より上京, 出勤を命ぜ られた際のものである. この時宗竺 (高平) が高豊 の務方心 得とし て本店支配人 に示した 「定」(全8条) の主要部分は次のよ うなものである . 一, 元服為 致候迄は, 支配人. 双方より殿付けに挨拶可 仕候事, 亀之助 (註,高豊) より可 為二殿付け-,役人よりは様付に 挨拶可 仕事 , 主人の通に相心 得可 申事,. 組頭より上座迄 平手代 (中. 略). (並力). , 不断務方子供井に支配人可二申付→ 就 中職人等へも風呂敷包為 特使に出し可 申事, , 二季の衣類等橋遣候儀, 冬. 木綿布子. 夏. 麻雌子. 但帯は絹帯迄免 之 一, 従=勢州-供の男など付 け越し候共, 早速帰し可 申事 , 一, 店に相務申候内, 為二後見-其外世話芽のため おとなしき手代一人可 申渡 事 , 二 一 , 内容上注目されるのは, 習学に当っては子供並の勤務を要求している反面 同時にまた , , 将 来の同苗主人としての権威を対奉公人との関係において 充分保持するよう配慮されている点であ る, なお末尾には 「家業にはまり覚候様に為 致度に付 此趣に候間 江戸・京 ・大阪 何方に , , , 相務候共, 子供の内は, 右の通に可 致候」(傍点引用者) とあ って この課程が京本店 のみなら , ず, 江戸・大阪においても考えられていたようである なお通過儀礼の面では この京本店出勤 。 , 後一年位経過して14才前後で半元服を行う慣行が成立していた , 江戸哲学も親元から申請し, これを受けて大元方が命令する形がとられている 同苗子弟に同 . -129-.
(12) . 入. 江. 宏. 年輩の者, あるいは二度目勤学 の者があれば一緒に下向した様で, いわば江戸習学 の同期生が存 在することも稀ではなか った。 江戸下向に当っ ては大元方にて示合い が行われ 「御 示 合 之 覚」 が取り交わされたが, 伊血子家には初代高富が2代高勝 の江戸初下向に際し てみずから訓戒した. 「勤方之定」 (宝永3年) が 伝えられている. 江戸習学心得 としては 「史料」 中最も古く, ある いは後代の 「示合之覚」 の原型とな っていることも考えられる. 全文12条でまず 一, 朝は五ツニ起, 手水遣朝飯給, 髪結, 早々見世江出 可 被 申事, ミ ロ 一, 見世二ては, 商 一通は不 及 申, 直打栽物前売奥帳 通所切店染地方, 右之通能呑込, 雑務 儀は其役所々之手代江相尋可 被 申事, 一, 及 暮候は勘定場 二て毎日之売高間可. 被 申事,. 一, 夜は手習清 書支配人江見せ可 被 申候, 井算盤も致二稽古一四ッ半二急度 臥可 被し申事, とあり, 次いで京都 の両親へ 「一ヶ月二三度宛」 自筆 で便りをすること, 他出の際は支配人に 断ること, 過食を戒め保養を心 掛けること, 衣類をみだりに桁えず, 「買物二御出候衆中江腰慾 二挨拶」 すべきこと, 祖父母の命日には仏前に礼拝 すること, 京都よりの書状は支配人へも 読み .等が示され, 聞かせること, 上京の節は尋ねられたこ とに支障なく返答できるようにしておくこと 付 条に違反するよ うなことがあ った場 合には 早速報告するよ う支配人へ堅く申′ ,修行中これらの箇 け て お く と結 ん で い る.. 「示合之覚」 は次第に 定例文言が多くなり 形式化したようであるが, それだけよく整備さ れ体 系化されてきた, た とえば, 女政5年, 新町家6代高満, 北家8代高福両名に示された 「御示合. 覚」 は主文17条と後文より成 っ ているが, 第2条には 一, 商内店の儀に御座候得ば, 御入来御買人様方へ御 会釈御町噂御取扱御はき物迄も御直 し被. 遊候程の御心入を 以, 諸事御謙り御勤 務可 被 遊候 (下略) と習学態度について細かな注意まで与え, 16条には同苗子 弟ゆえ奉公人の中には 護言等があろ うが決 して取上 げてはならないとそ の措置を示 し, 17条では江戸習学中の手習・算盤 ・学問を奨 励 して 次 のよ う に 述 べ て い る,. 一, 御詰中御読物 ・御手跡・十路露等, 無 怠御稽古可 被 遊候 但し, 於二御当地-御稽古被 遊候御書物, 御持下被 遊於ニ彼地-可 然師に参御稽古可 為にし遊 候, 且叉本心御 修行無 怠可 被 遊候得ば, 尚叉無 怠御調可 披 遊候, 是叉彼地学文所御 a l学問- f l 民事故、 無二 座候間, 御聞合御講釈御聴聞御出可 被 遊候, 兎角大勢御召遺被 遊す て は 難 治候間, 呉々も御 世祷可. 被 遊候 (傍点引用者). この箇条は大元方重役が三井家主人に 学問が重要な条件であることを認識 していたことを物語 り注目される, さらに同書には異郷に勤学 する子弟への暖い配慮も示され, 15条には きヵ 一, 江戸表は, 湿気深く土地に御座候, 到て魚類沢山に候得ば, 過食被 遊 候ては御 病気等相発 可 申, 大切之御身上御座候条, 飲食程克被二召上- , 折々灸治等被 遊候て, 万端御養生専一 に御心掛け可 被 遊候 とあり, 後女にも京都におい ては両親・同菌方がお られて心得う塗いの儀があれば厳 しく叱正も されるが, 江戸では別宅・支 配人が勿論注意はするが, 異郷にての習学故つい差控えることもあ 儀候得ば, 後日は御名 前 りがちで, この点充分心するよ うにと諭 している, そ して 「御家柄之御● 等御譲請可ノ被 遊御身上に御座候得者, 商内筋道御不鍛錬にては御下知難〉被 遊候」 と改めて家 法に万事違背なく 「商内向励方駈引之様子」 万端よく見習うよ う指示 している。 同苗子弟の習 学状況については江戸より京都の元方へ 勤務評定 を含む報告 書が提出された, 」 -130-.
(13) . 近世三井家同苗子弟の教育 れらの文書をみると現場 の教育担当者たちが いずれも同苗子弟の教育に真剣に立向r っていたこと が知られる. たとえば小石川家3代高長の第1回江戸習学時に, 他の同苗子弟の都合から高長が. 本店習学 を途中で切り上げて向店へ引移るよ う命令が出た際, 現地責任者から 「弁蔵様 万端御は. まり宜, 算盤大方二御覚相済, 侮而裁物御習学, 御 自 身r絵 図な ど御写取, 殊外御はまり被 遊 候, 然に向店へ御引移候而ノ ・御残念成事故, 逆之儀二, 来 ・ , 是迄御仕寄之儀不図たるみ出候而ノ. 春御上京迄, やはり本店二而御習学被 遊候様仕度」〔内永書〕 趣旨の願いが出されており, 大元 方もこれを許可した と記録している. 注目されるのは, 三井同苗子弟がこの第一回江戸習学中に江戸本店で元服をしていること で, 普通15・6才, 前髪を切り幼名を改め, 勤番の待遇も原則として 「初印」 から 「学印」 となる.. 集団加入の実質面からいえば江戸習学そのものが重要な意味をもつが, 元服後の改名, とりわけ 三井家 に伝統的名前の襲名が同苗としての精神的自覚をうなが した 点も見逃せない. なお 三井家. では元服改名 とは別に, 江戸習学中は三井家の嫡子を示すよ うな名前を避けて, 習学中にふさわ. しい名前 (普通は幼名) に改名させている, 山方買方見習の際は10数日の短期間でも必ず改名の 措置をとっている. これは 「何事ぞ出来候而は名前出候事故」〔書状之控〕 とある如く店名前はも とより三井家に重要な名前に癖をつけない措置であると共に, 習学中は丁稚・手代並という趣旨 からくる配慮もあったと思われる,. 第1回の江戸習学は期間約1年で終了し, 帰京後は再び京本店勤学となる, 享保19年9月25日, 新町家3代高弥 (金蔵・16才) と長井家2代高陳 (伝蔵・17才) は江戸から揃 って帰着, 高陳は. 10月11日, 高弥は同月13日から京本店に出勤をは じめている. 当時の 「内寄会評議留」 には. 一, 内寄会之上, 金蔵様・伝蔵様, 本店御出勤日,」会所書付之通, 尤, 金蔵様御習学之場所 五日之間 帳面之当り 一日宛唐物方・染物方 . 五日之間. 絹か賀方. 五日之間. 西陣方. 小松方・大坂方・木綿方・謎方. 右之通順々御勤仕之積, 尤, 役所二而諸事何ニ限 らず, 或ノ ・符帳之書出 し地之物節江代物 之地書札認方 右之通御習学之上, 直打之相手被 遊候様御勤学之事 とあり, 初登り後の京本店勤学の内容を伝えている. 第2回江戸習学は18・9才頃からが多いが, 種々の事情で2 0代に入 ってからのものも 見 ら れ. る, 習学は結婚や店名前の譲受けがあっても行なわれ, 年令的にも極端なケースであるが室町家 7代高逆は22才で京本店初出勤し, 24才で江戸習学のため初下向 しており, 鳥居坂家5代高延は. 21才 で初めて京 本店に習学, 32才の時江戸向店習学を行っ ている, また長井家5代高 厚 も36才 の時2度日の江戸習学 (向店) を行っ ている. 高速の場合は23才の時一旦 新 町 家 に養子として 入り, さらに室町家に入家 してい るし, 高延の場合も幼年時に他家 (丹波宇津村与兵衛) の養子 となったが16才の時実家の家原家に復し, 21才で高祐 (北家) の養子となり, さらに22才で高蔭. (鳥居坂家) の婿養子になるとい った経歴のためである, 高厚の場 合は2度自習学 の年である天 保12年の記録に, 「長井伝蔵方借財済方二付, 宅暮相縮メ 仕法相立候二付, 至極相談之上改江戸. (傍点引用 者) 〔寄会帳〕 とあって, 借財整理が成 っ て改めて習学を申付けら れていることがわかる, 前2者の場合, 青年期まで家業見習いの機会が全くなかったとは想像で きず, む しろ三井家家法にもとづく同苗子弟としての格式における京本店勤学や江戸習学が なか. 向店勤学申渡候」. ったので, 改めて勤学が要請されたものと解したい, 高延が32才で江戸向 店習学のため下向 した -13 1-.
(14) . 入. 江. 宏. 時の記録に 「江戸表御勤番の儀未御越無二御座- 」 〔書状之控帳〕 の文字がみえるが, 「宗竺遺書」 に示された家業 入見習課程 の履習は, 村共同体における若衆組の経験の如く, 三井家同苗にとっ てその正式のメ ンバ ーとなるための必須の前 提であったことが知 られる.. 2度目江戸習学 の形式, 諸手続きは第1回目とほぼ変りがない. 今度は 本店のほか向店, 芝口 店へ移 っての習学もあり, また店名前を襲名 しているものは途中 両替店に勤番 している. たとえ ば北家8代高福の2度目江戸下向 の際の記録では文政10年3月 5 日 の 条 に,. 一, 次郎右衛門様御儀, 呉服方御習学無二御故障-被 為 済 候二付, 今日両替店 江御引越被 遊候 〔永聴記〕. とあり, 文政11年3 月15日 の 条 に は 一, 次郎右街門様御儀, 御年番無二御故障-御勤, 呉服方為;御哲学→ 今日 当店江御引移被 遊候 〔永聴記〕 とあっ て, 江戸下向中呉服方習学 の間に約一年間両替店勤番を行 っている. この場合, 習学と. 勤番は明確に区別され, すでに高福初下向の際の 「御示合覚」 (前出) に 一, 両替店御勤番様は, 御役柄之儀に付, 御取扱御建方も御座候て, 格段御事, 然に御哲学 之 御儀は訳達にて, 手代同様に御勤可 被 遊御事に候得を , 只々商内筋道能々御鍛錬肝要 (下 略). とあって, 勤務上 の心得におのずから区別のあるべきことを説いている. ただし両替店勤番は 必ず しも店名前を襲名 したものに限らなかったよ うで, 実質的には江戸下向中業務内容 の全く異 る呉服業と両替業を交互に習得す る仕組みであったとも考え られる.. 買方見習いは第2回江戸習学期間中重要な行事であった, たとえば小石川家7代高喜に対 し天. 保12年に出された 「弐度目御習学御下向. 御示合書」 には ・辺士不 一, 御手透之節, 山方筋買方御見習被 遊候様 仕度,(中略) 全体商業修行之御為, 且ノ 自由成儀共御覧被 遊候ヘハ, 御身之御慎二も相成, 人清も御弁候ヘハ, 下 人等御遣ひ方宜相 ・御建被 為 置候ヘハ, 買宿ノ 成候道理二而, 御先祖様‘ ・不 及 申買方役之者へも, 御出立前 右等之趣急 、度執計仕候様別宅共へ御談被 遊, 手代並之御心得を以, 綿服二而処々 買方振合御 見習克々御修行可 被 遊候. と, 山方筋買方見習いの意義と心得が述べ られている, 買方見習の実習地は, 山方 (八王子方 面) , 上州 (藤岡方面) , 奥州の三地方があり, 期間は山方・上州方面が約1か月, 奥州が約3か. 月程度であ った. 買方見習いは江戸と異り地方への旅行であるから親元でも心をつかい, 小石川 家7代高喜が天保13年, 20才の折上州に赴いた時, 実父高英より寄せられた書簡には 「旅行随分 堅固二御越候様と存候, 兎角喰物ヲ用心専一二可 被 成候, 秋季之旅行ハ大事二候条, 折角々 々. 御厭専一に存 候」(傍点引用者, なお厭うはいたわる, 大事にするの意) 云云の文面がみられる, なお江戸習学 の実態については, この高喜の誌録にかかる 「日記」 が小石川家 に伝わり, 着店 : の際の盃事 , 土産物の配分, 店々挨拶, 紀州様挨拶, 早速の神田明神祭礼見物は じめ江戸三店振. 舞によ る木挽町芝居見物, 水天宮参詣等の行楽, そ して本店寄会・月並寄 会出席, 各種文書の調 印, 公儀禁令の示合等同苗と しての勤務内容, 歳暮, 年始等の年中行事, さらに病気の事や京都. の両親より の便りなど詳細に記録されており, 三井同苗子弟たちの江戸での日々が偲ばれる, ま た高喜はさきの上州買方見習い の際にも道中日記を誌 し, 暇乞, 出立, 鴻巣泊, 上州藤岡店着,. 本庄真綿市, 八幡市での買 付け, 市休みを利用 しての妙義山・榛名山・伊香保行楽等の様子を伝 えている 〔万覚帳〕 . ただこれ らは心覚えのメモが主で, 彼らがどのような心構えで習学 したか, -132-.
(15) . 近世三井家同苗子弟の教育 また商業見習いの具体的内容等を伝えるまでには到っておらず, この点残念である. m. r家業入 見習」 の意義. すでに指摘 した如く三井家同苗が その創業期において 営 業 上 に果した役割は大きかったが, 町人世界に君臨 し, 店制が整備されるとその役割はむ しろ象徴的なものにな った. 勤番制が しか れ, 同苗中の長老になると大元方の構成メ ンバ ーとして統轄的業務に従事したが, 実質は公儀御. 用 の儀札的役割が多く, その生活は形式的にも 実 質 的 にも著 しく貴族化してい った様に思われ る. 「宗竺遺書」 をは じめ 「家伝記」 「商売記」 等近世三井家の中心的規矩, 教訓書が成立, 提 示された享保期は丁度三井家にとってその創業期から守成期への転換期であ ったといえよう。 そ こに理想像として示されたものは 明らかに創業期に文字通り主役を果した初代高利とその子息た. ちの活躍の姿にほかならないが, 同時に注意してよむとその言行録においてつねに配慮されてい るのは整然たる店制の中で大三井家の守成 の主に要請される行動規範にほかならない. ここには 三井同苗の役割が. ial substan[. i c なものに転換していく中で, 彼らの理想像 なものから symbol. が どの よ う に 変 化 し て い っ た か が 明 瞭 に 示 さ れ て い る,. 享保18年, 高房が同苗の店々勤方について示した 「覚」 に 「大元方掛り之同苗ハ, 一家之建方. ・商用共, 不 致二鍛練-候而ハ, 用向滞, 宗竺老与 風如何様之品御尋候も難 計候, 其節即答申 候様, 無二油断」b得可 被 申事」 という文言がある. 文字通り創業の世代と守成の世代の橋渡し の役割を果たした高房らしい発想である。 ここではもはや家政と経営の能力が未開の肱野への挑 戦にではなく, 確 立した権威に試めされるためにのみ存在している. 文政4年, 鳥居坂家4代高蔭は家法取締りに関 する訓戒書の中で 「人に属ての御用にあらず,. 名前に附ての勤なり」 と述 べている, ここではもはや各人の個性・能力より先にむしろ個性を否 定した役儀に伴う行動様式が存在する。 同苗子弟の習学態度にも明らかな 弛緩があった, 天明元年, 北家5代高清か 高祐らと共に同族 子弟に与えた 「申波の覚」 冒頭には次の如く 示されている, 一, 若き同苗当店出勤の儀, 前々は出勤料とても無 之処, 中古為 励日々出勤料被二相定一 ,依 之何れも早朝 より出勤七ッ時分迄も相詰候事に候, 然る所近年同苗の内, 心得違にて不情成 者も有 之, 不時の至に候, 店表出勤の儀は, 商用 方為二勤学-末々に至, 万事商ひ方差図等可. 致の事に候, 然るを其無二心得- , 致二不情-候事, 有間敷儀有 之勤方, 此度左に改申渡候 ここにはすでに 勤学の趣旨を改めて説かねばならない事態 があ ったといえよう.. 以上 のような三井家同苗の地位と役割の変化, 家業見習の形式化を前提としたとき, 「遺書」. に示された 「家業入見習」 課程の履習は現実には如何なる機能を果したのであろうか, またそれ が幕末維新期まで忠実に履行された事実をどのように評価したらよいのか, 以上の点が改めて問 われねばな らない,. もとより 「家業入見習」 課程がたとえ形式化したにせよとにかく履習されることによ って, 大 元方要員として必須の実務的能力や 識見の形成に必要最少限の経験が得られるという実質的意味 は否定できない, しか しより重要な機能はその象徴的側面であろう, 厳格な丁稚・手代並の訓練 課程 (それはまさに元祖高利以下の経験したところのものであった.) をとお して祖先の創業期の l 労 苦 を 同 苗 子 弟 た ち に 追 体 験 (Nacher eben) さ せ る こ と に よ っ て, 個 と して は 断 絶 しな が らも こ. れによ って祖先と一体化し, そこから 「家」 の連続を実感し, その維持・発展の意義を知る極め て厳粛な長期にわたる祭儀にほかならなかった。 (この意味で 「家伝記」 「商売記」 はまさに三 一133-.
(16) . 入. 江. 宏. )) 家業見習いにおける以上 の機能を理解 しないでは 「遺書」 に示された「子 井家の神話である7 , , 孫家業入見習」 の制度と その後一世紀半にわたる実施の歴史の本質は理解 し得ないといえよう.. なお 三井家同 苗の現実が 「先祖より, 本家六軒は兄弟の建方に候へども,年月を経候ては, 忌服 は兄弟の通致候へども, 他人と同前にて, 実意は少 しも無 之, 只我意を働候て, 巳に成行可 申 事にて候」(伊皿子家3代高登史料 〔宗巴居士書懐〕・天明2年・傍点引者) とある如く, 同族間. にたてまえを裏切る現実があり, しかも 「内証の収納も, よほど遠」 う八郎右術門名前はじめ実 利を伴う店名前譲受をめぐる確執があった (同上書) とするならば, 同苗11家は同族間の陰湿な ・いにうち勝つために, それぞれの後嗣の教育に重大な関心を払わざるを得ず, その中心である 争 家業見習いに ついてはとりわけ力 が入れ られたであろうことは容易に想像され る, 「史料」 に多く 遺されている江戸習学中の子弟に対する親元からの書簡の内容はこの推察を裏付ける. 三井家に おいて 「家業入見習」 課程が幕末まで 忠実に履行された背景には, その象徴的機能とともに, こ うした現実的要請が意外に大きく作用 していたように思われる, 註. 1) 中井信彦 「三井家の経営-使用人制度とその運営-」 『社会経済史学』31巻6号による. なお江戸期三井 家の経済史的研究と してはほかに土屋喬雄 「日本資本主義の経営史的研究」 (昭和2 9年) 他, 町人思想史 的研究には中田易直 「三井高利」 (昭和3 4年) 他があり, 本研究はこれらに負うところが多い, 2) 中田易直 「「宗竺遺書」 より見たる三井町人の同族組織」『日本歴史』54号, 同 「享保期における三井同族 組織の成立」『社会経済史学』2 0巻1号参照. 3) 以下三井家関係史料の引用は特に断わらない限り 「稿本 三井家史料」 による. 出典はわずらわ しいので 必要と思われる場合を除き原則と して省略した. 4) 「大丸二百五拾年史」 (昭和42年)62頁. 江頭恒治 「近江商人中井家の研究」(昭和40年)3 56頁. 宮本叉 次 「近世商人意識の研究」 (昭和16年)23 7頁. 5) 三井高陽 「越後屋覚帳」(昭和15年)14頁. 6) 同上. 7) 集団における神話と祭儀の,機能については, 黒崎八洲次良 「神話と祭儀についてのノートH」 ,同ロ 『人文 論究』25号・26号参照, 1年度, 42年度文部省科学研究費補助金による 「近世商家の家憲・店則の教育史的研究」 の一 本稿は昭和4 部である, なお 「稿本 三井家史料」 購入について御配慮戴いた北海道教育大学付属図書館函館分館当局に謝意を表 する,. 4一 「13.
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