表現活動へのアプローチ-自己実現と自己表現-
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第46巻 第2号 lo f Hokka i do Un i i fEduca i i t Journa t t l ve r s on(Sec onIC) Vo yo .2 ‐46 , No. 平 成 8 年 2月 Februa r y ,1996. 表 現活動へのアプローチ 自己実現と自己表現 福. 井. 凱. 洛. 1, は じめ に 本稿ではA. H‐ マスローの欲求階層論による自己実現の概念を基本にした考察を試みた. 彼の研究の主 目標は人間理解にあると考える. 従って人間は健康であることによって人格 (人間性) の自己実現が可能で ある こと を立 証 して いる.. 本稿の自己表現は, その自己実現の具体的経験のパートナーである. 考察に至る動機は, 今日の学校教育 における表現活動のあるべき実像を求めるねらいがあった‐ 創造性を育む外的条件 (状況) は今日において 憂 う様相 を 呈 して い る が, この 点については子どもたちに対する教師の立場に限定した. . 論述において, 表. 現や創造性の解釈は造形を前提にしている.. 2, 自 己実 現 につ いて. (D 自己実現の意味 自 己実 現 の 概 念 につ い て は, マス ロ ー を は じめ, K. ゴール ドシ ュ タイ ン. ldste in), A‐ ア ド ラ ー ‐ Go. l (A‐ Ad ), B. フ ロム (E‐Fr e r omm), C. G‐ ユ ン グ (C.G‐lung) 等 の 心理 学者 達 がそ れ ぞ れ説 いて い. るが, 共通点を福井康之は次のようにまとめている. (註1) 「有機体は, 生命を維持し 潜在的な能力を発 , 展 させ よう とす る 自律 的 な機能 を 持 っ て いる. これ を 実 現 化傾 向 ( i tuah ) と よ ぶ‐ 発 達 の 過 ac z ngt endency 程 で形成 され てく る 自 己構 造 ( t tur ) も, 有 機 体 の 矛 盾 を全 体 的・統 合 的に 解 釈す る 方 向に 再構 seば‐s ruc e , 成 され て いく こ と」 であ る と‐ つ ま り, 人 間 は先 天 的に 生 理 的欲 求 と 自発性 を 有 し これ らによ っ て 陶冶 し ,. つつある自己力をもとに上昇志向をめざして自己葛藤という至高経験を通してより高い人格を実現しようと する存在であると理解できる. マスローは, 欠乏動機の充足により, 人間の潜在的可能性を発揮することを自己実現といっている 問題 ‐ は欠乏動機の充足後に現われる自己実現の段階で彼がいう成長動機である. それはすでに欠乏欲求が満たさ れ, もはや外部に欲求を求める必要のなくなった時, 他に依存する必要がないため 自主独立の行動し得る , 段階である‐ 欠乏動機による欲求 (欠乏欲求) が満たされた個人は, とくに意図的に努力しなければならな い状態でもない‐ 具体的には欲求を満たすことを目的とする段階である‐ さて, 成長動機による充足 は高次欲求の達成の段階である‐ そして高次欲求の達成は 人間にはかり知れ , ない生の充実感を与え, 成功の喜びを体験させる‐ その達成を導くものは それまでの段階的な欲求の充足 , を エネ ル ギ ーと した精神 の健 康 と 高度 の 心身 の はた らき によ るも の である この よ う な欲求 の 達成 は さ らに ‐. その機能的増進に拍車をかける. マスローはやがて人間普遍の価値 (註2) の実現とともに至高経験の高次 の段階に至るという‐ (註3) 239.
(3) . 福. 井 凱. 幣. この至高経験においてマスローはいくつかの原則論を示している. 認識の対象を完全な一体としてみるこ と, 認識がく り返されるにしたがって, 対象の本質をよく理解すること, 具体性を失わないで抽象する能力 と抽象性を失わないで具体的である能力とが同時に見出されること, 人格の二元性が統一され, 超越される こと, な どを挙 げて い る‐. このような至高経験は人間がめざす上昇志向の極致というべきであろうか‐ 強力な心的緊張及び葛藤によ り相反する人格の両極性を統合する段階をもって自己実現といえるのである‐ それでは自己実現を成しつつあり, 成しとげた人格状態はどうであろうか‐ 上田吉一は次のように述べて いる. (註 4). 「達成感 安定感 自信 自尊心と誇り, 信念, そして生活のよろこびが互いに交錯し, 実に多彩で特有 , , , の状態をあらわしている. それを客観的にいえ ば, 自我の高揚と高い心的緊張力からくる力の充実感, 人格 機能の十分なはたらきを示し, 人間性の法則 が完全に生かされている状態である. 」 と. さらに性質としては, はじめたことを完成するまで貫き通し, 失敗してもやり直し, 疲労や退屈や落胆と 闘い, あらゆる束縛に耐え, 冷静と忍耐を保ち, 抵抗と決断と創意に満ち, 強力な行動が必要な時に敏速に 行 動 をす る と い う特 性 を挙 げて い る‐ しか しこ こ で誤 解の な い よ うに補 足 して おく 必 要 が ある. それ は自 己. の実現のことばの通り, 自己実現は, 個々人の全体において, 人間のもつ資質において現実にもっている能 力 を最 高度 に至 る ことを い う が, この こと は個 々 人 が, 個 人 に お いて その 人 の到 達 しう る最 高 点 を示 す こと であ ると い うこ と で ある.. ( 2 ) 自 己実 現 へ の プロセ ス. マスローの欲求階層論の原点は, 高次の欲求が低次の欲求の充足のうえに生ずるということである. 低次 欲求の階層は次のような水準の段階を設定している‐ 第一の水準, 生理的欲求-食欲, 性欲, 睡眠, 排池, 休養の欲求な ど. 第二の水準, 安全欲求-苦痛, 恐怖, 不安, 不快な どを避け, 安定した人格状態を保つ欲求. 第三の水準,、所属と愛情の欲求-集団の一員として, 他人から愛 されたい, また愛 したいという欲求 で, 人間関係をよくし, 人間社会を作りあげる社会的欲求‐ 第四の水準, 尊重の欲求-安定した基礎に確立した自己に対する評価や承認, 尊敬を求める欲求. すなわち, まず生理的欲求の満足のうえに安全欲求が生じ, これが満足出来ると, 愛情の欲求が意識の前 面に出てくる‐ これが満たされると, 尊重の欲求が生じ, 高次の欲求を出現させる. ①第一の プロセス 欠乏動機の充足 (低次欲求の満足) し, 高次欲求が出現する段階である. 欲求の高次段階への推進力は, 他ならぬ低次欲求の満足 である. ②第二の プロセス やがて欲求の高次段階の過程をた どる‐ これは自己実現の到達点をめざした連続 して発展する過程であ る. この 段 階の 人 間 はマス ロ ー によれ ば 「完 全 なる 人 間」 (註5) で あ り, それ は何 よ りも 健康 である こと,. 自律的であること, 集中できること等の人間である. ③ 第 三の プロセス. 人格の高次な段階の過程は, 外界との交流のなかで, 統一的・普遍的なより高次の自己調整を形成し, こ れが人格をコントロールする. それではこの人格支配による人格の上昇段階の内容を考えてみたい‐ 人格をコントロールして統合する過程はまた, 心的緊張の過程でもある. この心的緊張に関して. オール 1 ポー ト (G. W.AI ) は, 人 間の心 理 ・ 生理 的体 系 をも っ た 固体 内の力 動 的体制 を も と に, 環 境 へ の独 自 t por 240.
(4) . 表現活動へのアプローチ 一目己実現と自己表現-. 性をもった適応できる人格論を説いているが, 人格は, 他者との社会関係において形成された自我自体のも つ力動的体制であるともいえる. 彼の説は人格の社会的適応に焦点を当てている. この点, 創造の発揮をそこなうことを指摘 しておきた い. 一つはその社会が個々人にとってどういう社会なのかであり, さらにもし病理的な (封建的, 独裁的, 犯罪横行) 社会に適応するとは一体どのような適応が可能なのかが問題である. マス ロー と 同 様 に 自 己実 現 の指 向と して,′心的 緊 張の 概念 を と らえて いる 学者 に ジ ャ ネ (PJane ) が いる t (註 6)‐ 彼 は, 心 的 緊 張 に よる 新 しい 総 合, 強し・注 意力 に よ っ て 数 多く の 意 識 的事実 を 統 一 す る こ と に よ. り, 周囲の環境に対してより広範な行動選択と効果的な判断が可能になると指摘している‐ 彼は人格の階層 を八段階に分類しているが, なかでも六段階から八段階のつまり反省的信念と意志の段階 理性的傾向の段 , 階, 実験的創造的傾向の段階ごとに心的緊張の最も高い傾向を示す. そのことは同時に各段階の心理的機能 との共応のもとで, 配列水準を順次推しあげると考えている‐ ④ 第 四 の プ ロセ ス. それでは個体内における心的緊張は具体的にどのようなものなのか‐ マスローは人間あるいは人格の二元 性を挙げている‐ 彼はそれを生理学的ホメオスタシスにはじまり, 心理学的ホメオスタシスにおいて説明し て いる‐ ホメ オスタ シス (homeo i t ) と は, 環 境 へ の 適 応や 生命 及 び 精神 維 持 の ため の動 的な平衡 状態を 保 つ こ s as s. とと解釈されている‐(註7) 生理的・心理的機構の一連の過程は, 欲求満足過程-緊張解消過程-均衡回復 過 程 と いう ホメ オス タ シス である.. マスローはこの点に関して, 後半について人格内の相対立する二元論の存在を明示している. たとえば衝 動肯定-衝動否定, 満足-不満, 目標到達-連続性, 目標の共通性-独自性 環境依存-環境からの独立 , , 自己中心-自己超越というホメオスタシスを示している. このような人格特 性における二元論的対立桔 抗 は, さらに精神的態度にも考えられ, 利己主義と利他主義, 肯定的態度と否定的態度 開放的態度と閉鎖的 , 態度, そして理性的二元性は, 主観と客観, 善と悪, 愛と憎, 本能と理性等が実在することによって二元論 が成立すると考えられる. 事実, 日常において我々の経験する記憶には, このような相対立する矛盾した立場が存在し 互いに支配 , 権を め ぐっ て 自 己葛 藤 して いる こと を 思 い起 こせ ば 納 得 出来 よ う‐ 上 田吉 一 が指 摘 して いる よ う に (註 8) ,. 人間のもつこのような生理学的心理的自己矛盾は, ただちに人格の分裂を意味するものではないという そ ‐ れがたとえ二律背反的両極性をあらわしているとしても, これらを統一する人格要素があるのである つま ‐ り, 両者の共存を可能ならしめる統合的作用によってその克服が可能になるというわけである 決して両極 ‐ の優劣の決着をただちに意味することではないのである‐ それでは, 統合の作用はどのようにして営まれるのであろうか‐ 相対立する両極の共存は ただちに両極 , を意味しない. 厳密にいえば同一個人にとって, それらは相容れない概念でもあるからである 上田はこの ‐ 点について, 人格は低次段階においても, 相対立する桔抗原理により心的緊張を経て動的平衡が達せられ , さらに心的緊張の推進力により, 高次の段階において, この相反する特性は弁証法的に止揚され 両極は超 , 越することができるという. この自己実現の段階における心的緊張にかかわる二元性の捨抗は 単に一対の , 両極であるとは推測しがたい‐ おそらく入れかわり両極を援護するあらたな両極か 新 しい両極が介 在 し , て, 錯綜 す る よ う に 人格 をゆ さぶる.. これらのことから, 両極の超越は, 対立を支配する新しい価値の実現であると考察する ただし 価値の . , 基準は個々人や全体にとって決して固定的ではなく, たとえば, 厳しい人間観と寛容な人間観に対応し て上 ‐ 昇したり下降する性質のものである‐ 特に上田吉一も指摘しているように, 他人に対する人格観は 価値基 , 241.
(5) . 福. 井 凱. 絡. 準をできるかぎり低くし, 受容的態度が望まれるが, 自己の人格については, 自己受容を失わない程度に価 値基準をより高めることで, 自己に対する厳しさ, 絶えざる向上意欲を喚起しつづけること, 自己実現に限 りなく近ずく達成の方法であると説いている.. 3, 表 現 につ いて. ( 1 ) 1992年 (平成4年) 改訂, 施行されている学習指導要領・図画工作科目標は 「表現及び鑑賞の活動を 通して, 造形的な創造活動の基礎的な能力を育てるとともに表現の喜びを味わわせ, 豊かな情操を養う」 と ある. 懸念されることは, 上文を通して現場の教師達が造形指導上, どのような裁量を成されてし・るかにあ る. 例え ば, 創造活動とは どういう性質の活動か, 叉その基礎的な能力とはいったいどう能力を期待するの か, 表 現 の 喜 びと は どう い う喜 びか, な おか つ, こ こ でい う教育 的情 操 と はい っ た い どう いう価 値 を も っ た. 情操なのか, そして精神薄弱者にも普遍的な情操なのか‐ という理解の問題がある. 西野範夫は当事者として, 改訂に際し図画工作料のテーマをつけるとすれば, ということで次の項目を明 示 して いる. (註 9). ①子どもらしさとその子らしさの表現 ②夢と愛願の美の創造 ③子供の表現を見直す ④造形的な創造活動の喜び ⑤人間らしい感覚の育成 ⑥子供たちの育ちを図る 以上の項目についてそれぞれに亘って西野は解説しているが, その中で, 子 どもたちの自主的な活動は, 子 ども た ち の表 現本能 や創 造本 能 な どに も と づ い たも の で あると 説 いて い る‐ しか し, これ らの こ とが 一 般. 的に現場の教育指導において忘れられがちになっていることを憂いている. それは, 自主的とは見せかけ で, 惰性的で創造本能も生かせず, きわめて私語会話の多いさわがしい自由な時間として授業展開が成され て いる の ではな い か と推測 で きる‐ さ て, さ きの 図画 工作 科の 目標 を 二つ に要 約 できる.. a, 人格形成上, 造形表現は必須である‐ b, 表 現の 喜 びを 大 切 にす る‐. 情操の豊かさは, 造形表現のよさと, 喜びを経験し分かることによって獲得するものと考える‐ 西野が指 摘した子どもたちの表現本能や創造本能は, aを指していると考えられるし, 人間らしい子 どもたちを育て ることはbの喜びを体得することによって, 豊かで人間性のある人格形成が期待できると考える. これらの ことから, 前述の要約した二つの内容を考察することによって, 現場の混乱を少 しでも解消できれ ばと 思 う‐. 先に 「表現の喜び」 についての解釈を簡明にすると, 喜びの本質を一つは表現する喜び, 叉はそのものの 喜びであり, もう一つは表現できた完成あるいは成就した喜びに分けて考えてみる‐ 前者は, 造形すること の感動や楽しいと思う喜びであり, 後者はプロセスにおけるその楽しさや喜びを越えて, 完成後に感じ味わ う喜びと考えられる. 指導要領で示されている要点は, aおよびbに分類した. ここで筆者はbの表現の喜 びがあって, aの造形表現が進展していくという仮説を考えている. つまり喜びの体得は, 造形表現の動力 (エネ ル ギー) と な り, この両者 の 関 係 が 順 次, 表現の 水準 を 高 めて いく も の と考 え る.. 242.
(6) . 表現活動へのアプローチ 一目己実現と自己表現-. ( 2 ) 表現の意味 何度も繰り返すことになるが, 図画工作科の目標において, 人格形成上, 造形表現は必須であると提起し )ことを前提にして推論したい た. このことは前項の自己実現と一体的な関係にある ‐ 表現についての定義は,「目に見えないもの, 観念的なもの, すなわち無形のものを目に見える形, 有形化 す る こ とに ある」 と 定義 さ れて いる‐ (註10 ) 今 日 の 造 形 教 育 に おいて は, 目に 見 えるも の を 同 じく 目に見 える別 の も の に移 しか え る, 再現 も しく は模. 倣をも含む広い意味に解されている場合が多い‐ さらに, 表現を目的としないものでも, 造形の解釈によっ ては, 何らかの美的要素をもつか, もっと派生的には, 美的要素の有無にかかわらず, 人間の意識的活動に よ り, 目に 見 え, 手 に はふ れる 形をつ く る こと, ま た はつく られた 形 象一 般 ま でも包 含 され る こと も 現 状 で はめ ず ら しく な い.. 本稿における推論は造形表現を前提にしているので, 芸術的表現を意図する立場である‐ デルタイ (W‐ Da hey t ) は表現概念を, 体験-表現-理解を連続した精神の連動行為と考えた‐ それぞれ三つの概念の特色 は, 表現を意図 (意識的) によって限定された内容から解放し, 無意識の表現の次元を拓いたことである‐ 彼によると, 理解された表現は必ずしも作者が意識したものとは限らなく, 体験にもと づ いた表現におい て, その体験もすべてが意識の中に残っているわけではない‐ つまり, 気持とか印象とい っ た意識化とは 違 っ たも の で ある‐. むしろ彼は無意識化された体験をも形象化するのが表現であり, その内容は充分な理解作業によって解釈 が可能であるというのである‐ デルタイは無意識化という概念を意識を越える概念に置き換えている‐ その 実存するものは例えば, 表現行為において, 意識よりも気持が先行するとか, 意識を越えた感動や喜びなど の情緒的な諸要素が相当すると思われる. このようなデルタイの表現概念の究極は, 意識を越える表現のな かに創造性が介在すると推測できる. be 豆‐ リ ー ド (Her t ) は 「芸術 によ る 教育」 ( 1953年刊) に おい て, 児童 は自分 の知 覚や 感 情を な ぜ r ‐Read. 外部に現わそうと欲するか?叉, なぜ児童は単に物や感情を心の中で, あるいは想像で表現するだけで満足 しな いの か ? と いう 間に 対 して, リ ー ドは 伝 達 commun i i t ca on = 意 志の 伝 達 である と 主 張 して いる. そ れ で. はなぜ児童は伝達しようと欲するのか?に対して, リー ドは 「伝達は, 他人を動かそうとする意志を包含す る. だからそれは社会的活動であるとして, 本質的には他人からの反応を求めてい る申込」 であるという 1 (註1 ) つまり, 第一に表現は, 感情や知覚を外部に表わす基本的なことから, 自発的に外部に問い掛け, 評価を 得ることにより, 表現者は社会に順応しやすくなる‐ 第二には, 順応に終始せず, 外部との平衡 つまり自 , 己調整によって, 社会と社会を構成する個人との調和の成立を可能にすることにある‐ 個々人の感覚と客観 的環境との調整のための 「表現」 が最も重要な要素として置いている. そして審美的教育の最も大切な機能 は, 自己調整にかかわる心理的調節を助長することであるという‐ ( 3 ) 心理的機能と表現 リー ドは審美的教育において心理的機能の強化と調節の必要性を説いている‐ その手段 及び重要な要素と して 「表現」 を中枢に置いている. つまり 「表現」 の価値は心理的機能の 作用にかか っ ていると考えられ る‐ ュ ソ グは心 理 学上 の型 と して, 精神 作 用 に は二 つ の型 「外 向」 と 「内 向」 を示 して いる 外 向 は目的物 , . ‐. に向かって興味が外向きに運動する‐ 主体を目的の下に置き, その結果 目的物に優れた価値を与えること , になる‐ これに対して内向きは, 興味が目的物から離れて主体及び個人の心理過程の方へ向かう 運動をす る‐ 内向きの見方はいかなる場合でも, 自己と主観的心理過程を, 目的と客観的過程の上に置くという. 243.
(7) . 福. 井 -凱 絡. しかしユングは, これらのことに関し, 両者の型は基本的なものであ っ て, 外部的な状況 や事情に対 し て, 作用の度合いが変化するという. それは外的状況だけの視点でなく, 内部の基本的な機能の優 劣によ り, 精神作用の特徴がみられるということである‐ ユングはこの基本的機能を, 心理的機能と呼んでいる. これを 「思考」 「感情」 「感覚」 「直覚」 の四つに分類している. この四つの型は, 習慣的にある優勢な機能的 特 徴 に よ っ て相 応す る 型 に 分け られ る‐ これ らの 型 はさ らに先 述 の よ うに, そ の 目的物に 対す る 関係 によ っ て 内 向 きと 外 向 きに 区別 し, 八 つ の型 を 分類 して いる.. ユングの説によれば, 個人の人格の意識的な面は, 無意識の中から反対の性 (男の場合は女, 女の場合は imus ) に よ っ て補 整 されて いる. つ ま り一個 体 に は, 四つ の 中に ある 優 勢 の型 が 存在 し 男) = ア ニ ムス (An. ても, 内面的 (特に無意識) には相反する型の緊張により新しい型, あるいは優勢とみとめられる型とは逆 の 傾 向をも っ た 型 が 内部 衝 突に よ っ て 介 在す る こと が ある とい う. 従 っ て一 面 的 に見て 型 の判 断にま どわ さ れ ない こと が大 切 で あろ う‐ ブ ロー (E‐Bu l l ) も 審 美 的 鑑賞 と して 客観 型, 生理型, 連 想型, 性 格 型 と い う 四 つ の 型 を 示 して い ough. る. リー ドはこれとユングの心理的機能の型の類似を見ている. すなわち, 客観型は明らかに思索型に対応 し, 生理型は感覚型に, 連想型は感情型に, 性格型は直覚型に対応するという. そこで, ブローの分類による諸種の型の特徴は, 子 どもの気質にかかわる表現活動の指導上, 重要な意味 を もつ もの であ る‐. 客観型-一貫した傾向は, 色彩に対する純粋に知的な判断をする‐ 例え ば混合 した色彩に対 して, は っ きり した 好 き嫌 い を持 た ない. ま た, どの 色 でも 好 きに な りう る. b. 生理型-色彩の有機的効果に対して, 個人的な反応を示す. 有機的効果とは, 色彩の刺激や温度, 明 るさである. 結局一般的体質によって, 刺激を好むか, 鎮静を好むか, あるいはあたたかさ か冷たさかを選択する. 連想型-色彩によって喚起される精神的暗示は非常に強力である. 色彩はいわ ば, 想像的活動の連続 を引き起こし, 主観的作用が一連を支配するため, 次々にもとになった要素の記憶がうすれ て いく‐ した が っ て 重 要 な こと は,、対 象 である 物 それ 自体 でなく て, そ の物 と 関 連す る純 粋. に主観的な感情である. このタイ プの表現は, 対象よりも主観的に経験した感情の表現とな る‐ その意味において想像的活動に相応できる‐ d. 性格型-このタイ プの性質は直覚型である‐ その鑑賞は, 最大限の強調と最小限度の個人的感情とに よ っ て 際立 っ て いる. つまり客観的要素を抵抗なく受け入れるので, 表現は個性に欠けてい てい わゆ る 面 白く な い‐. それでは, 心理的諸機能と表現にかかわる造形的諸要素の関係は具体的 に どうなのか. 小林重順は肉体 的, 運動的要因, 知覚的要因, 欲求的要因, 情緒的要因, 思考的要因の五つに亘って述べている. 要点を記 述すると次の通りである. 肉体的, 運動的要因 目と手の調和の巧みなタイ プである‐ したがって表現材料の肉体的, 運動的調整にすく れているため逆に 模倣も巧みである‐ 心理的機能は, 肉体運動の媒介により造形化されるため, 技術的な練習に抵抗なく, そ の効 果 は大 きく, フ ォ ル ム に力 動 的作用 をす る.. b. 知覚的要因 視覚的経験と非視覚的経験のいずれかを強調するかで, 造形的特徴は大きく変化する. 前者はリアルな欲 求充足を, 後者は量的感情の強調 (デフォルム) に向けられる‐ さらに視覚的経験は, 思考や情緒と結合 し, 視点移動, 空間知覚, 錯覚処理, 色彩の質的変化, 色彩の価値を求める‐‐これに対し非視覚的経験は, 244.
(8) . 表現活動へのア プローチ 一目己実現と自己表現-. 視覚と融合しつつ共感覚的機能をなして, 視的造形性 (写実) に対しデフォルムによる情緒的強調, 象徴化 を 進 める. c.. 欲求的要因. 欲求は刺激を思考や情緒に結合させる. つまり外敵刺激を受けやすく内的興奮化を起し, 大脳における神 経系に連動する. 従って芸術的衝動が起こりやすく, これが表現意欲に結びつく. d‐ 情緒的要因 知覚と情緒の未分化な結合を相貌的知覚と呼ばれている. 例え ば自 己中心的に環境を認知する働きな ど は, 幼児や未開人の表現に類似性が認められる‐ 相貌的知覚は, 対象を知覚する前にその表出を知覚する‐ そして表出的実在の知覚から表現が始まる‐ ただし, 表現における技巧の形式的繰り返し (強調, 催促) は 心理的こわばりが強くなる‐ 一般的にいう外圧-抑圧である‐ その場合, 個人的欲求を充足することを大切 にするが, 外圧 (型にはめる) に反抗し, 表現方法を自己流に次々展開していくか, 退行, 逃避などの消極 的態度により表現を放棄する. e‐ 思考 的要 因. 造形的適応における時間空間 (画面) の処理は, 知覚と思考の結合による‐ 構成 は作者の思考を反映す る. さ らに 思 考 と情緒 の交 互 作用 によ り, プロ ポ ー シ ョ ン ( ノミル ール や コ ントラス ト) が 位 置 づ け られる‐ プロ ポ ー シ ョ ンは表 現 の た め の ゲシ ュ タ ル トであ り, ア ル ンハイ ム (R‐ Amhe im) に よ れ ば, 人 間 は 生 理. 的, 心理的バランスによってその反映が投影される‐ 方向, 重み, 型, 頂点と底面, 左右対称が考えられる と いう力 学 的 ゲシ ュ タ ル トを 主 張 して い る‐. 以上の心理的諸機能が互いに作用し, 統合されて表現行動の特徴を現わすと小林は指摘する‐ なお, 彼は 統合作用について, その行動作用は, 美的比較判断, 創造的人格形成, 社会的影響の過程において行われる という‐ それは, 個々人による対象あるいは表現方法の価値基準, 個々人の人格的気質と自発性, 外的環境 との心理的調節と, それぞれにおいて置きかえると理解しやすい.. 4, 自己表現. 表現と表現にかかわる心理的諸機能の統合作用によって, 表現に対する機能的特質=人格内の気質の根拠 が明らかになってきた‐ 自己実現における心理的緊張は, 個体内自身において例えば上昇志向とか新しい価 値を求めて, 二元性が介在しながら生ずるものと, 外部との優位的調節 (対立を克服する) によるもので あ っ た.. 表現については, デルタイが示唆しているように, 本来的には見えないもの, 情緒それは, 心象, 感動, 喜び, 悲しみ, 怒り, 愛情等, 対象による内容は有形に限らず情緒的なものを表現する優位性を示唆したも の と考 察 でき よう. これ らの こ と か ら, 自 己実 現 と 自 己表 現の 関係 は次 の よ う に 設定 を 試 みる‐. ・自己実現のプロセスにおいて自己表現は, 具体的に経験する自己実現であると‐ この設定を仮説的に考えてみると, 互いにパートナーとしての関係が成立する‐ 教育の目的は人格の形成 にある. ほとんど異議を唱える人はいない‐ 人格の自己実現は自己表現によって推進されていく. 先のデルタイの表現概念と基本的に共通する点においてローエソフェル ドの自己表現の主張がある‐ 彼は 一 般 的に, 思 っ た こと, 考 えた こと 感 じた こと を た だ ち に 自 己表 現 だ と考 える こと に 警 告 してい る 日本 , ‐. の学習指導要領で記載されている文言の表現としては習慣化されているが, ここでいう彼の指摘は次の事例 につ い て である‐ 245.
(9) . 福. 井 凱 絡. 思 い や考 え, 感 じ方 は, 例 え ば 他の まね (模 倣) を して 表 現する こと も で きる. も しも, 子 ども た ち が,. 独創的に没頭しているように見えても, 表現方法が決定的に重要になる‐ 表現方法を見逃して, 結果のみの 評価がなされると, まねの実在は表現者の実像化となる‐ 一般的に自発的な自己同一化が行われる場合はよ いが, それを外部 (教師あるいは集団の雰囲気) からの催促を感じると, 性格型や知覚型のタイ プは, 外部 の 基 準を さ っ そ く 自 己 内に置 き換 える. こ れ がま ね の一 つ の 要 因 である‐. 従って表現としての形式, 内容はもどかしいが, さかのぼれば2~3才児のなぐり描きは, 発達段階に相 応した自己表現として認められるのである‐ 美術作品が誠実な表現でなく, 模倣によってつくられたとすれ ば, なぐり描きの方がむしろ正しい自己表現だということになる. 確かな推測をすれば, 2~3才児の子ど もたちは, 一般的に模倣する能力は未発達かも知れない‐ 自発的に自己の心情や感情, 思いを自己流に表現する良さと, これらを見失い模倣に傾注するかの教育的 診断と配慮を教師が担わなけれ ばならない. そして配慮とは自発的な自己表現に没頭しうる子どもたちを育 み援助することである‐ さらに自発的な子どもはどのようにして育てるのかという重要な問題もある‐ 自 己表 現 に つ いて の これ ま での 論 点 をま とめ て みる と, そ れ は 自己を正 しく 見 つ め, 自 己を 客観 化 (自 己. 同一化) し, 自己に忠実で正直になり, 主体的判断によって表現することである‐ その主体的判断とは, 自 主的に自己の認知や行動に責任感をもつことであり, 例えば表現した作品を大切にする愛情とかおもいやり が相応すると考える‐. 5, 表現活動の現実的課題. 目) 子どもの模倣と表現 模倣を定義すれ ば,「ある存在の, あるあり方を模範として, それに倣うこと, および, その結果として生 ) 解釈すると, ある作家のある作品を模範として み出されるような模像関係と模像そのもの」 をいう.(註12 模 倣 を たと える と, ある作 家 につ いて は, 人 が 人 を模 倣 す る こ とに な り模範 と いう 「人格」 を対 象に する‐. そしてある作品をという場合は物が物を, という記号的概念として模像関係を意味することになる‐ さらに 実際にはいるいるな模倣関係が存在する. 行動, 演出, 技術な どは, それぞれある人の, という人格の反映 された対象として模倣するであろうし, ある人の, を除けば行動や演出, 技術そのものをという模倣にな る. 旋 律, , 文 章, 構 図, 配 色, 話術, し ぐさ等, その 対 象 は多 い‐ つ ま り模倣 す る とい う こと は, 完 全 に 行. 為概念であり, 一般的には, 模像関係が大勢であることは多く が認めることである‐ しかしながら, 模範と模像の双方が同時に模倣の関係が存在することも指摘しておきたい‐ 具体的には, それがすべてとはいえないが 「体面の維持あるいは, 威光への同一視」 という深層心理である‐ 主に 「流 行」 と い う現 象を 支 える 人 間の心 理を さすの である が, タ レントや 歌手, 尊敬 する 人への あ こ がれ か らく る. 自己同一視が変 じて自己変身化の欲求的行為である. いずれにしても, 模像行為は, 転写, 写しとる一に対し, 表現は心の中の情緒の世界を外化する‐ そして 一般的に模倣は模範に対して価値のうえで劣るという意味を含んでいる. 例えば, ある人が別の人を模範と して 特 定の 課題 に 関 して 模 倣 を行 う こと である. この場 合の 模 範 は, 自分 に と っ て 望ま しい ことを 体験 して. いる他者であり, その望ましい事柄に接近し (現在の自分より高い動機と欲求) それを己のものとするため の手段が模倣である. 模倣への傾斜はこの価値の格差によってさらに増大する. つまり模倣は彼我の格差を 解消する一つの方法である. このようにして技術や徳性が習得されると模倣の役割も終了するが, 多くの場 合, 模倣は再燃する. ここで大切なことは, 模倣は誰もが経験する不可欠の通り道である肯定論に対してである. 技術を模範と 246.
(10) . 表現活動へのア プローチ 一目己実現と自己表現-. する模倣について考えてみる‐ この場合の技術の価値はすでに社会に見れば既存のものである‐ 模倣による 技術の修得は表現のための一つの出発点であって到達点ではない. つまり模倣は一つの手段であって究極の 目標ではない‐ 模倣への集中は, 一時的に創造を阻む作用 が同時に潜んでいることを忘れてはいけない. し たがって一般的に技術の本質は繰り返しにある‐ 熟練による獲得される, ある人の熟練による, ある人らし い技術なのである. さて肯定の立場からは, 技術には誰でも共通し共有できる技術論がある‐ 言語にしてもそうであるが, い わゆる記号論的解釈である‐ たしかに共通語という言語はあるし, 誰が行使しても同 じ技術がある‐ 共通性 という原理は人間が共存=集団-社会という営みに欠かせない機能的性質である. しかし, 表現における技 術や 言 語 は, これ らの上 に, 個 々 人のそ の 人 ら しさ=個 性 と して の性 質 を いうの である‐. 今日の学校教育においては, 模倣が学習の過程で介在し, 黙認している状況は否定できないであろう‐ 少 なからず学習の重要な要因として了解しているからである. 人によっては, 乳幼児期の言葉 (言語) の習得 は模倣によって獲得されることを根拠に肯定して, それを学習の手段として過大視している場合がある. そ れは重大な見落としである. 子どもたち (児童) の模倣は 「意識的行為」 による模倣であるのに対し, 乳幼 児は, 自己を他人に伝達する必要性を 「本能的」 に察知していることである‐ 模 倣 によ り修 得 した 「言 語」 や 「技 術」 は, あく ま で模 倣に よる 言語 であ り技 術 であ る‐ 模 倣 に よる 表 現. は, 他人方式に依存するため自発性がそこなわれる‐ 自己に正直で本位でない模倣は, 表現における自己調 ‐じ, 自己を失うことになる. 表現活動を通して, 自分らしい表現 (自己表現) の喜びを体得す 整に混乱を生 る 創 造 的経 験 を 味 わ う こと によ っ て, 子 ども た ち は 「模 倣」 に対す る, は っ き り した認 識 を持 つ こと が 可能 であ る と 考 える‐. ( 2 ) 創造性と自己表現 学校教育において, 図画工作科及び美術科の授業計画で 「創造的表現活動」 という用語が使われている‐ この場合, 客観的にはある授業で展開されている活動が, 創造的である条件を満たしていることを前提にし て い る. 重 要 な こと は, 子 ども た ちの 何 を 育 むの か である. 子 ども た ち に 存在 して い る 創 造性 を働 かせる と い え ば 好 都 合 で はある が, 潜 在 して いる 創 造性 を引 き 出 した り, 目 覚め さ せ よう とす る こ と が 重要 である‐. そのために, 条件学習として二つに分けての学習=創造性を育む, が考えられる. 一つは, 創造性を生み出すための必要条件を確認し, その必要条件を育てる学習を行う‐ この学習は狭く 考 え な い で, 遊 び で ある とか, 鑑賞, 自然 体 験 を通 した 学 習 を 想 定 しても よ い であろ う. も う 一 つ は, これ. があってこそ創造性があるという条件を確認し, その条件が働く学習をすることである‐ それでは, 創造性を生み出す条件を人間的素質の面で考えると, 孤独, 集中, 忍耐, 感受性, 流暢性, 適 応性, 直感性, 批判性などが挙げられる‐ 創造性があるという条件は, 独自性の実現に向かう, 自己性, 周 囲に追随 (模倣など) しない自主独立性, そして新しいものを生み出す独創性が考えられる. このように創 造的学習を具体的方法で考えると, 創造性よく分かってくる. 要するに, 自分で独自に新しい価値を生み出 す力動的現象一般が創造性であり, 新しい価値実現の働きが創造であると考えられ る. 子 どもたちにと っ て, その新しい価値は客観的に既存のものであっても, 子どもたちにとっての創造であると教育的に解釈す る の が適 切 であ る. ロ ー エ ソフ ェ ル ドが 指摘 して い る よ う に, 創 造性 は総て の 人 間 が, 生ま れ な が ら備 えて いる本 能 である と. いう. 子どもが自己を表現しはじめると同時に, 潜在している創造性が働きだす試行が開始される. ローエ ソフェル ドの指摘から, 創造性が生まれる前提が人間に用意されていることが分かった‐ 先の条件の学習で 示した事と合わせて, 教育的条件に置き換えてみると, 新しい価値を生み出すことは, ある事柄 (対象) に 247.
(11) . 福. 井. 凱 幣. 熱中し, あらゆる気取りや, 自己防衛, 恥じらいを捨てて, 自己の限界にいどみ, 生き生きと経験する過程 の中で生まれる. 次に創造そのものの表現は, 自己の主体性を保持し(自己性), 義務・義理・恐れ・不安な ど, 対人意識や利害関係の意識に屈せず, 自由に自己を (自主独立性) を表現することである‐ これらの主 体性と独自性が連動して, 新しい価値を生み出す独創性に連動していくと考えられる. これまでの独創性と自己表現の解釈は, 人間性及び人格が主題になっている. 現実的には, 外的な条件, 例えば生活及び人間関係, 社会及び人間環境, 学校及び学級の環境の在り方によって子ども一人一人の条件 の学習や教育的条件が変化したり分解作用が生じてくることをつけ加えておく必要がある‐ 3 ( ) 教. 師. 教師の立場は, 子どもたちからみれば, 創造性の外的条件つまり最も身近な人間関係になる‐ この人間関 係は, 子どもたちから教師へ期待することは, 個々において多様である‐ しかし子どもの自己表現が創造的 で主体的に行われるかは, 教師の理解と援助が必要である. 一般的ではあるがこのような人間関係が基本的 である. さらに具体的に関係を示すと, 子どもの自己表現-自己実現は, 教師においても自己表現-自己実 現 である こと が, 両者 が相 互 に理 解 が 深ま る と い う, 新 しい 教育 環境 が 期 待 で きる. ロ ー エ ソフ ェ ル ドは,. 優れた美術教師は自ら創作活動をする必要性を説いている. そ の 理 由の 一 つ は, 教 師 は自 分の 作 品を 通 して, 子 ども に 自 己同一 化 す る こと, もう一 つ は子 ども たちの 自 己表 現 の よ さを, 身を も っ て 体 験す る こと に よ っ て, 子 ども た ち か ら見 える 教 師 は身近 に 見えて く る の で. ある. 大人も子どもも表現の喜びは新しいほど生き生きとしたエネルギーになるし, 現実的な力となる. 過 去の喜びとしての力は現実に対応する輝きにかけ, 時間が経つほど力を過信する‐ つまり子 どもたちの表現 活 動 の 現実 に 対 して純 粋 にな る こ と が 難 しい こ とに なる. マ ー チ ソ・ ブー バ ー (M‐Bube ) は, 教 師に と っ て 求 め られ る 資 質 の一 つ と して 創 造 的人 間 であれ と主 張 r して い る. (註13 ) 創 造 的表 現 は, 子 ども た ち にだ け期 待す る の で はなく, 子 ども たち の立 場 に立 っ た 経 験も. 必要だという. そして創造性は自発性によって至高, 実現する‐ 自発性はまた, 自由な教育的環境によって 育ま れる‐ ただ しこの 自 由 は, ただ ち に 不 自 由か らの 解放 を意 味 していな い. 外部 と 自 己調 整 に よ っ て 得 ら れ た 自 由 であ る.. ブーバーによれば, 自発性の反対は強制である. 教育手段及び作用としての強制の反対は, 強力, 援助で ある. 従って子どもの自発性は教師の協力-援助作用によって強化され, その経験がさらに自律性-自主性 と結び付くと考えられる. 教師の援助・強力もまた, ただちに手をかしたり, 仕方を教えるものではない‐ よい基本的な方法を提示することは必須であるが, 子どもたち一人一人の選択する方法まで指図する必要は な いの である.. 教育方法の手段としての強制や強要, 具体的にいえば一方的な教育指導では, 決して自発性や自律性が育 たない‐ 皮肉的だが, 育つとすれば服従と黙従の精神は確かであると考えられる. 子どもたちの創造的自己 表現は, 子どもたちの自発的・自立的教育条件が整ってこそ機能することを, 筆者も含めて常に自責の念を も っ て 知 る べ き である.. 6, お わ り に 子どもの成長は長い目で見ると連続的に見える. しかしその成長の過程は, 子どもたち一人一人にとって 非連続の連続である‐ ともすれば自己能力の基準の限界に挑むがために挫折 (非連続) を何度となく体験 し, それを克服して成長していく過程 (連続) である. これらの両者を含めた過程もまた, 欠乏動機を充足 248.
(12) . 表現活動へのア プローチ 一目己実現と自己表現-. してエネルギーとし, さらに高次の動機を経験して人格の自己実現をめざす一連の過程でもある‐ 自己表現 はこの一連の長い過程で位置を占めるより具体的経験である‐ 授業展開の一コマごとに, 子 どもたちはその体験した喜びを次の一コマに結びつけなければならない. そ の こと に よ っ て 情操 は蓄 積 され 欲 求 水 準 が 向上 して いく. よく ある 現実 で ある が, 大 人た ちの ある 集 団の あ. る事業の終わりには反省会を兼ねた ごくろうさん会がある‐ つい美酒にひたり過ぎてハメをはずす (没落- 二 日酔) こと はめず ら しく な い‐ 同 じよう に, 子 ども たち は一 コマ の経 験 で満 足 し, 自信 をも つ こ と は大 切. だが, 満足が過ぎると次の欲求への障害となる‐ 子 どもたちの一コマの表現活動の終わりは, 子どもたち一人一人の自己報酬が伴う終わりでなけばならな い‐ なぜなら自己報酬とは教師からのほめ ことばよりも価値のある, 子 ども自身が獲得する喜びであ り, 次 の表現につながる新たな欲求になるからである‐. 註 1, 教育心理学の基礎知識, 福村出版,1982 2, 上田吉一, 自己実現の心理, 誠信書房,1989 ,p‐53 マスローは, 知識欲求, 美的欲求など, 真・善・美・正義・完全性を挙げている‐ 3, 上掲書,p.11 5 4, 上掲書,p‐18 3 5, マスローによれば, 真・善・美・正義等の普遍的価値を追及し, 実現する人間である. 6, 前掲書, 自己実現の心理,p‐188 7, 前掲書, 教育心理学の基礎知識,p‐60 , キャノ ンによる原理的解釈 8, 前掲書, 自己実現の心理,p‐189 9, 西野範夫, 小学校学習指導要領の展開, 明治図書,198 9,p‐p‐1~3 5,p.53 10 , 佐々木健一, 美学辞典, 東京大学出版会,199 11 リー ド 芸術による教育 1 8 6 H ‐ , . , ,p 1 2, 前掲書, 美学辞典,p‐45 1 3, 前掲書, 芸術による教育,p‐273 (本 学 教 授. 釧 路 校). 249.
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