近現代中国文学にみる寡婦の形象 : 権力者としての寡婦
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(2) 82. 白水. 紀子. 米では実権 文化の共謀者あ るいは代行者とみなされ、 彼女たちは女性の 範時から外されて、 男性. 点線で描かれる。 また、 この三角形の 低層部に位置 する多くの女,性 たち、 特に母となった 女 ,性は娘との関係において、 男 ,性に従属したまま 女性蔑視. 化した女として 男性文化領域に 実線ではなく. を娘のなかに 再生産する男桂支配の 手先となると 考えられている。 そのためこうした 抑圧的な女 性 たちを批判することは、 彼女たちの内部に 潜む男性中心原理を 批判することを. 意味した。. とこ. ろが中国では、 筆者の考えにょれば、 権 力を掌握した 一部の女性たちは、 構造的にも相応の 位置 がすでに用意されており、 男性化せずに「 母 」あ るいは「 妻 」としてこの 三角形の中に 自らの位 置を占めることが 可能であ る。 彼女たちは女の 範時から排除されることなく、. つまりジェンダー. 描かれ、 一部はその頂点に 届くこともできる。 そしてこ の三角形の見方として、 一つは欧米との 比較として、 近 現代中国社会の 権 力の配分を示したもの としてみることも、 また他方で、 中国社会のあ る特定の階級内の 権 力配分を示したものとしてみ ることもできる。 中国では、 経済的要因が 何よりも最優先される 最下層の人々を 除き、 どの階級 を 捨てずに男性文化領域の. 内部に実線で. にもこの図のような 権 力配分の構図が 認められると 考えられるからであ る。 ただ、 中国ではどの 階層に属する 男女も当時の 社会の支配的思想であ る儒教文化の 影響下にあ るため、 男性の場合は ますます男性中心原理が. 強化され、 また三角形の 底辺に位置する 女性たちは、 この強力な男性中. 心原理による 支配を彼女たちの 上部に位置する 男性から受けるだけでなく、. さらに権 力を握った. 女性たちから 同性に よ る抑圧も受けることになる。 そして三角形の 上層部に位置する 女性たちは、 男性中心原理の 思想の影響を. 受けながら、 男性原理に吸収されることなく、. あ くまでも 妻 或いは. 最年長の女性として 相応の権 力と権 威を有することが 可能だと考えられるのであ る。. 家父長制とは、 一般に男性および 上位の世代に 権 力が有利に配分される 社会システムをいうが、 その概念は歴史的・ 空間的にそれぞれ 特色があ. る。 欧米のように 長幼の序といった 年齢・世代の. 上下が人間関係の 上下にあ まり結びつかなり 社会とは異なり、 中国の家父長制において 世代の支 配は大きな要素となり、 更にそこに 女 ,性も含まれる 点で特色があ り、 そのために以上のような 違 いが生じているのであ る。. 欧米の家父長制. 中国の家父長制. 支配権 を握ったいわゆる「強い 女」はどの国にも 存在する。 その理由として、 一般にはその 女 性の強烈な個性や 性格、 特殊な環境やチャンスなどが 指摘され、 個別的な現象として 捉えられる.
(3) 83. 近 現代中国文学にみる 寡婦の形象. ことが多い。 確かに、 環境に恵まれた 豊かな家の出身であ ったり、. あ. るいはその. ょ. うな家に嫁い. だりした女性には 権 力を握るチャンスは 多いだろうし、 また同じような 条件のもとで、 一方は支 配 者に、 一方は犠牲者に 分かれた場合には、 その女性の,性格などが大きく原因しているだろう。 しかし、 本稿で明らかにしょうとしているのは、 いと望んだ 時. ( 男性のすべてが. あ. る女性が、 かりに権 力欲を存分に 満足させた. 抑圧者でないのと 同様に、 女性のすべてが 権 力欲が旺 盛だとは限. らない。 だからあ くまでもそれを 望んだ 時 ) 、 どの程度それは 構造的に許されていたのか、. そし. てその条件とは 何であ ったのか、 という点であ る。 それが構造的に 不可能な社会であ れば、 偶然 のチヤン スや 環境に恵まれたごく 一部の女性だけしか 権 力を握ることができないが、 は 社会の基層にまで う. 相応の権 力を握る女性が 存在し、 それが必ずしも 偶然に. よ. 中国社会で. るものではない. よ. に思われるのであ る。. (二 ). 中国おける「母の 神話」の解体. 強い支配 力. をもった女性が、 息子や娘そして 嫁に対して暴力的あ るいは精神的抑圧行動をとる. 話は、 中国文学の世界では 珍しいことではない。 近代文学でも 張 愛吟「金鎖 記 」の セ 坊や 曹昌. (1937 年 ) の 焦 大星の母農民をはじめ、 謝休 心「最後的安息」 (1920 年 ) 、 漏 沈着「隔絶」 「隔絶 之後 (1924 年 ) など、 しばしばこのタイプの 女性が登場する。 そして現代文学において もこの系譜は 絶えず書き継がれている。 たとえば、 残雪「山上的小屋」 (1985 年 ) 、 方方「風景」. 「原野」. 」. (1987 年 ) 、 鉄凝. 「. 攻塊門. 」. (1988 年 ) 、 池莉 「伸足一条 河. 」. (1991 年 ) 、 徐坤. などがそうであ る。 中国女性がもつ 二つの正反対のイメージのうちのひとっ、. 「. 女蝸. 」. (1994 年 ). 「強い女」の. イメ. 一ジは 、 これらの作品によってますます 補強されているのであ る。. (1999 年 ) " で、 こうした「強い 女」とくに権 力を握っ. 盛英 はその著書『中国女性文学新撰』 た 母を描く女性作家たちの. 創作意図について、. 「彼女たちは 母親を男桂社会の. 協力者、 共謀者と. みなし、 その『転覆』を 狙っている。 また、 母親の形象の 異変を通して 女性の負の側面と 負の効. 用を暴き、 その『解体』を 企図している。 こうした女性文化の 視点は四十年代の 張 愛玲 ときわめ て似ている」と 述べ、 女性作家たちの 男性中心主義の 転覆と母の神話の 解体の目論見がすでに 近 代 文学からみられることを 指摘している. 0. そして、 さらにドイツのあ る中国文学者との 会話をつ. ぎのように紹介している。 彼女は私にこう 言った。 「アメリカの 一部のフェミニストは 鉄凝の. 攻塊門 》が好きではあ. ません。」その理由は「彼女はどうして 女性をあ んなに悪く書けるのか」にあ の フェミニストが「母の 神話」を覆す 主な矛先は……結果として と「共謀者」になっているところに. り. るらしい。 欧米. 母親が男 権 社会の「合作者」. 向けられる。 早梅文化への 攻撃に精力を 傾け、 大いに「 姉. 妹愛 的な関係」を 提唱しているアメリカのフェミニストは、. 当然のことながら 女性自身の内部. から「母の神話」を 解体することは 望まないのであ る。 だが……私は. 鉄 凝が 司符 文. ( a. 攻塊. 間 ) の 主人公 ) の「人性悪」を 真実に描き、 深く掘り下げたことを 高く評価する。 この芸術形 象が私に与える 啓示は少なくとも 二点あ る。 一つは、 女性の表現 欲 、 権 力欲がいったん 膨らむ と. 文. 、 「母親」も「悪魔」に 変わるということ、 二つは、 女性自身による 自己分析と検討 :. (原. 白番 ) は、 当然女性文化の 重要な構成部分であ るべきだ、 という点であ る。 ・…‥ 鉄凝の. く攻塊門 》は 司椅 文の解体を通して、 女性自身に対する 審判を見事に 行ったのであ る。 女性交.
(4) 84. 白水 紀子. 学の独特の魅力は 、 往々にして女性作家のこのような 文. :. 盛其 問. 自己分析と、 母に対する分析・ 検討. (原. 審母 ) の中にあ るのだ。. はこう述べて、 これまで彼女自身が 中国文学に描かれる 母親 像 に対して抱いていた 疑. 一一彼女たちはなぜ 男性だけでなく 同 ,性である女性にたいしても 虐待、 抑圧をおこなうの. か -一に対して、 女 ,性にも表現欲 、 権 力欲があ ることを認めることで 一つの回答を 示している。. そしてこれらの 作品が母性の 深層まで切り 込んで、 女性文化心理構造の 陰暗部を提示しているこ とは、 女性文化の心理的素質を 高める上で意義があ り、 また悪魔となった 母の男性社会に 対する 潰乱と報復は 男性中心文化を 解体する上で 意義があ る、 と述べている。 つまり、 周縁文化の解体 と再生、 さらに男性中心文化への 揺さぶり、 という点で「悪魔」となった 母を描いた作品の 意義 を 認め、. 高く評価しているのであ る。. 話題になった 鉄 凝の長編小説「 政塊門 女性が寡婦となって. インであ. る. 」. (1988 年 ) " は 、 愛情のない不幸な 結婚生活を送った. 後、 家庭や社会に 対して可能な 限りその支配. 力. を拡張し続けた 一生を、 ヒロ. 司猜文 と孫の「私」の 二人の視点を 交差させながら 描いたもので、 自己顕示 欲 が強く 、. 何事に対しても 攻撃的な. 司 猫又. は、 夫の放蕩 と死によって 婚家が傾き、 実家から得た 財産によっ. て夫家を維持するようになると、. まず舅や義妹に 復讐をし、 息子の死後はその 嫁を陥れ、 さらに. 孫娘の行動まで 干渉する猿滑 で 悪辣な寡婦として 描かれている。 そして彼女は 家庭内だけでなく 社会活動においても 積極分子になるために 様々な計略を 巡らせるが、 家族はいくら 傷つけられて も 彼女の言葉に. 従い、 嫁は再婚後も 彼女に仕えて 老後の世話をし、 孫娘もまた関係を 断ち切れず. にいるという 話であ る。. しかしながら 欧米では、 娘たち. 放 佳作家を含む. ). は 殉教者としての 母を嫌悪し、 また家父 長. 制の共謀者としての 母を否定したために、 文学の中に母が 描かれることは 少なく、 描かれたとし ても作品の最初のところですでに 在 として描かれていることが. 死亡しているか、 遥か遠くに住んで 娘とは交流がないような 存. 多く、 むしろ文学における「母の 沈黙と不在」がその 特色であ った. といわれている。 そのため、 70 年代以降の女性文学では「母親探し」が 盛んに行われ、 母の負 の 側面を描き、 それを理解し、 乗り越えることで 新たな母娘関係を 模索するものが 描かれるよう. になり、 文学のテーマも「母と 娘の断絶」から「母と 娘の創造的関係」の 追求へと変化している㈲。 その背景には、 フェミニズムにおける 母性神話の崩壊. ( 母性の呪縛からの. 解放 ) や作られた 女 ,性. 像の解体など 理論面での深化によって、 制度としての 母性の否定と 創造的力の源泉としての 母,性 に 関心が集まってきたことが 考えられる。. この欧米での 流れと「母の 神話」の解体 こと ). ( つまり母の負の. が盛んに描かれる 中国の女性文学の 流れとを. 側面を描き、 悪魔となった 母を描く. 上ヒ校すると、. 以下のような 疑問が当然湧いて. くるだろう。 つまり、 母娘関係を描く 文学のテーマが、 欧米では「母と 娘の創造的関係」へと 変 化しているのに、 中国ではなぜ「母の 神話」の解体そのものに 強い関心が向けられ、 母と娘の 「対立」あ るいは「服従」が 描き続けられるのか、. また、 欧米で母の抑圧行為の 対象は主として. 娘 であ り、 文学において 両者の精神的葛藤が 多く描かれるが、 中国ではなぜその 対象が娘 、 嫁 、 息子、 孫など広 い 範囲に及び、 またそれが時に 暴力的であ にヌサする答えとして. り. ぅ. るのか、 という疑問であ る。 これ. 盛英は 「女性の表現 欲 、 権 力欲がいったん 膨らむと母親も 悪魔に変わる」と. いうが、 こうした精神分析的アプローチだけでは. 以上のような 疑問に十分答えることはできない.
(5) 85. 近 現代中国文学にみる 寡婦の形象. だろう。 まず、 そもそも現実社会における 母の権 威が、 中国と欧米ではどのように 異なっている のか、 歴史的、 構造的な側面からのアプローチも. 不可欠であ り、 中国で女性間抑圧の 主犯となり. うる母たちが 絶えず生まれてくる 根源を明らかにすることが 求められているのであ る。 これまで中国文学は、 一方で慈愛・ 犠牲・忍従などの 言葉で修飾された「母の 神話」を作り しながら、 同時にこのイメージとはお. 田. ょそ かけ離れた「悪魔」になった 母を繰り返し 描いてきた。. この欧米とは 様相を異にする 中国における「母の 神話」の解体がどのような 意味をもっているの か 、 まず第三節で 寡婦の地位について 簡単な整理をおこなってから、. 第四節より具体的な 作品の. 分析を通して 考えてみたい。 (三 ). 一 民国時期. 権 力を握った寡婦. 近 現代中国の家族規模は 大半が直系家族 ( 息子夫婦の子. )) と核家族. (親. (観. 、 子. ( 一組の息子夫婦、. 未婚の兄弟姉妹 、 孫 コ. と子 ) であ るため、 文学作品に登場する、 権 力を握った女性は、. 主に直系家族の 第一世代に属する 寡婦であ る場合が多い。 このタイプの 寡婦、 とりわけ「豊かな. 家 」の寡婦は、 息子夫婦に を 通して積極的に. よ. る経済的保障と 息子たちとの 強い情緒的絆を 背景に、 守節すること. 儒教体制に参与することが 可能となる。 彼女たちは自らの 守節と引き換えに、. 子や嫁に対して 孝の実践を強要し. ( 自発的孝から. 強制的 考 へと孝の内容をずらすことによって. )、. 家父長制を内側から 支える強力な 支配者として 登場するのであ る。 たとえば民国時期の 寡婦の権 力を支える要素の 一つであ る、 寡婦の財産権 についてみれば、 1930 年に公布された 国民党のいわゆる 新民法で認められるようになったものの、 この法律はご く. 限られた都市部のみに 有効であ ったため、 民国時期には 寡婦の財産権 はなかったと 考えるほう. が 現実的であ る。 しかし、 また一方で息子. ( たち ). は母の同意を 得ないで土地の 売却など家産の. 処分はできないのが 一般的であ ったといわれている。 さらに、 たとえば日常家事を 担当する「 当. 豪的」と一般的家事. ( 家政 ). を担当する「家長」に. 関しても、 仁井田. 寡婦となった 母が「当家的」であ ると同時に「家長」にもなることがあ. 陸 氏の論考 (引によれば、. り、 その場合、 対外的に. 女が出ては都合が 悪い場合は息子や 一族の男性に 委託していた、 と記されている。 寡婦に限らず 日常家事を担当する「当家的」の 権 限が正妻を中心とする 女 ,性 たち. ( 妾を含む ). に与えられて ぃ. たことは、 すでに多く め 研究者が指摘するところであ る。 たとえば滋 賀寿三氏は 1940 年に華北 で行われた農村調査 おける. " 家のあ. " にもとづいて、 つぎのように 述べている。 「家父死亡後の 母子同居の家に. るじの問題において、. るのが、 人々の常識であ. る. ( 中略 ) " 家長 ". は誰かと問えば、 母が家長であ ると答え. 2 6 に思われる。」そして、 この寡婦に与えられた 家長権 は私法上の. ものであ ると以下のように 説明している。 「第一に、 公法上において 家を代表する 機能、 これは 息子があ るかぎり母に. 帰せられることはない。. ( 中略 ). 第二に、 私法上における 家務管理の機能、. これはしばしば 母に帰せられる。 すなわち母が 当家となることは 決して珍しいことではないⅡ. つまり、 たとえ公法上の 家長でなくとも、 世代の上で寡婦は 家長であ る息子よりも 上位にあ って 実質的支配権. を握ることができたため、 寡婦の地位は 相当強かったと 推測されるのであ る。. 日本では明治を 挟んで「 家 」の構造に大きな 変化がみられ、 中世においては、 家の内部を統括. するのは貴族から 庶民に至るまで、 正妻の役割であ ったといわれている。 そこでは正妻が 家とい う小宇宙の権 力者となることができたために、. 中世説話には 継母の継子いじめの 話や意地悪婆. さ. んの話が多く 登場するという㈲。 ところが近代には い ると正妻は主婦と 呼ばれて、 これまでの 嫁.
(6) 86. 白水. や使用人を指揮監督する 責任者というイメージは. 紀子. 希薄になり、 家庭内での唯一の 家事担当者とな. って い く。 この流れに沿えば、 近代中国の母の 権 威のあ りかたは中世日本の 正妻に近い印象を. ける。 だが中世日本の 正妻との違いは、 近代中国の母. ( 正妻そして寡婦 ). ぅ. に与えられる 村社会的. 権 力の大きさにあ る。 一般に前近代は、 身分 差 のほうが男女差よりも 大きく、 同一身分内で 男女. 差が顕在化するといわれているが、. 近代に入っても 節近代を引きずっていた 中国社会では、 当然. 上位にあ る女性が下位にあ る男女を抑圧することは 容易であ っただろう。 さらに、 夫の身分的地 位 に応じて事に 相応のポストが. 与えられ、 単なる英夫人としてではなく、 夫の社会的地位や 名誉. をバックに社会において 一定の地位を 確保することができるという. 中国の慣習も、 既婚女性が社. 全豹活動に加わり 社会に対して 一定の権 力を行使することを 可能にした要因だと 考えられる。 民 国時期の母の 対社会的権 威のあ りかたについて 論じたものがないため、 参考として 明清 時期のも. のを紹介すれば、 その中で論者は、 文学作品の中から、 たとえば 明末の 未亡人となった 呉月娘や 『酸性 姻縁伝. 』. (第. 『金瓶梅』. (第. 92 回 ) の. 21 、 22 、 32 回 ) の 見 夫人などの例を 挙げて、 寡婦が. 親戚間のトラブルの 解決にあ たり、 時にはそのために 訴訟 人 になるなど、 寡婦の対覚的な 行動に. 社会的承認が 得られていたことを 論証し、 こうした事例から「男は 外、 女は内」というパターン は 現実の生活においては. 絶対的ではなかったと 指摘している。 しかしこの論者は、 女性の多くは. 男性社会で従属的地位におかれ、 妻が家族や地域の 中で重要な地位を 占めることは 少なく、 れは家長の死後にようやく 手に入れることができた」㈲と. 「. そ. 述べている。 有夫の女性の 地位に関す. るこの解釈の 当否はひとまず 保留して、 寡婦の問題に 絞れば、 以上のことから 中国の伝統社会で は 有夫の母よりも. 寡婦のほうがより 強い権 力を握ることができ、 民国時期に入っても ,ぼ 況は基本. 的に変わらなかったのではないかと (四 ). 失敗した「母の. 推測されるのであ る。. 素目 英. 反乱」. 『孔雀東南燕』. (1929 年 ). 以下、 中国近現代文学に 描かれるさまざまな 寡婦の形象のなかから、. 「悪魔」となった 母を描. き、 かつ新たな寡婦像の 創造に挑戦した 作品をとりあ げて、 それを描く作者の 問題意識に迫りた レ、 0. まず 衰昌英 「孔雀東南 燕 」。Ⅲに描かれた 寡婦の形象からみていこ. う. 。. 「孔雀東南燕」は 古楽府「 焦仲 卿の妻」のことを 言い、 民間ではその 首句 をかりて「孔雀東南 飛 」と. よ. ばれているもっともポピュラ 一な長編叙事詩であ る。 作者は不明、 制作年代にも 漢朝 説 、. 六朝 説と 諸説あ. る。,,,。. スト一リーは、 漢 末の建安年間に、 盧江 府の小役人魚 仲 卿の妻 劉 蘭芝が、 仲 卿の母に嫌われて 実家に戻され、 家族に再婚を 強制されたために 水に身を投げ、 これを聞いた. 焦ィ申卿も樹に首を 吊. って自殺するというもの。 その後、 二人は華山の 傍らに合葬され、 墓の東西に 松と柏 、 左右に 梧 と 桐が植えられると、. やがて 枝と 枝が互いに覆いかぶさり、 葉と葉が交わりあ い、 その中でひと. つがいの 鴛焉が 向かい合って 鳴いているという 話であ る。 これはのちに 様々なジャンルで 作品化され、 主題も夫婦の 情愛の深さを 讃 えたもの、 相愛の二 人 をひきさいた 封建的 礼 教を批判したもの、 自由のない女性の 生の苦難を訴えたもの、 など作者 たちはこの詩に 対する自分の 読みと解釈に 基づいて作品を 仕上げてきた。 民国時期の作品、 たと えば 熊佛西. 「蘭芝 興ィ申卿. 欧 陽子 情 「孔雀東南燕」. 」. (独幕劇 ). ( 京劇 ). (1929 年 ) " 、 衰昌英. (1946 年 ). 「孔雀東南燕」. ( 三幕 劇 ). (1929 年 ) 、. 1950 年に民間より 採集した「孔雀東南燕」.
(7) 近 現代中国文学にみる 寡婦の形象. ( 越劇 ). (1950年 ) ." などをみると、. 87. 仲 卿の母と蘭芝の 元の「悪玉」としての 役割は不変であ る. ヱ又 日 が、 二人の仲を引き 裂くに至る原因を 何に求めるかによって、 登場人物たちの 性格や両家の 経済. 的 状況設定などは. 多様であ る。. ここで寡婦の 形象に絞って 言及すれば、 衰昌英 「孔雀東南 燕 」の描く仲卿の 母の形象は、 民国 時期のこれらの 作品だけでなく、 恐らくそれまでの 多数の「孔雀東南燕」物語があ. まり重きを置. いてこなかった、. 寡婦の精神的. 孤独. あ. るいは自明のこととして 取り立てて注目することのなかった、. と 一人息子に対する. 異常な執着心を 前面に押し出して 描いている点で 特色があ る。. まず、 衰昌英 自身が語る創作の 意図からみてみ よ. 中国では姑は 昔から絶対的な 権 威を持って嫁を 扱ったので、 焦仲 卿の母が蘭芝を 追い出したの は、 確かにこの権 威を執行したにすぎない。. しかし、 この回答は私を 満足させなかった。 私は. 人と人の関係は 、 常に一種の心理作用がその 背景にあ ると思うからだ。 焦仲 卿の母が蘭芝を 嫌 っ たのも一種の 心理作用であ る。 私個人の経験と 日頃 の見聞によれば、 妹姑がうまくいかない. のは、 その大半が「やきもち」にあ. ると推測する。. 一人で苦労して 息子を育てあ げ. ・…‥母親は. たのに、 息子がまったく 関係のない女性に 奪われてしまうと、 心中いくらかの 憤嚥と 不平の感 情が 涌いてくるものであ る。. あ. る程度の年齢に 達していたり、 さっぱりした 性格の人なら、. こ. の苦痛を黙って 飲み込んでしまう。 しかし、 かりにまだ若くて、 気 ,性が激しく、不幸にもまた 寡婦であ る人にあ たったならば、 仲卿と 蘭芝の悲劇が 生まれるのは 避けがたいのであ る。 。 ", 表具英から脚本完成時にこの. 作品に対する. 意見を求められ、 またのちに武漢で 舞台上演を見た. 蘇雪林は 、 その時の観客の 反応を次のように 伝えている。. しかし残俳ながら、 その夜の観客は 悪 い 家庭制度に反対する 五四以来の問題劇の 観念にしがみ ついてこの心理劇を 見ており、 最後まで 焦 母のことを息子の 嫁を欲しいままに 抑圧する気性の 激しい婦人とみなし、 彼女に同情の 片鱗さえ示すことを 知らなかった。 それで、 彼らは役者が 胸を掻きむしり 血を吐く. よう. に発した悲痛な 言葉を聞いても、 感動しないばかりか、 反対にど. っと大笑いしたのであ る。 明らかに極めて. 厳粛な悲劇が、. 人を楽しみ笑わせる 喜劇に変わってしまったのだ。 く言えば、 る. あ の夜の観客のレベルが. あ. の夜の劇場の. 雰囲気から言えば、. これは決して 役者の失敗ではなく、 遠慮な. 余りに低く、 まだ高尚な悲劇を 鑑賞できなかったためであ. 。 ・…‥しかし 本紙の批評を 連日見ていると……この. 上演をけなすだけではまだ 足りないらし. く、 脚本にまで累を 及ぼしていた。 ・…‥「孔雀東南燕」のような 脚本が、 「陳腐」とか「低級 趣味」などの 潮 りを受けたことに 私は驚かないではいられない。. 表具 英 「孔雀東南 燕 」の上演には、 技術的な問題 因. に関しては様々な 角度から言及されるべきであ. ( 服装、. 冊. 言語 ) も含んでおり " 、 失敗の原. るが、 今は衰. 昌 英の寡婦の描き. 方について考え. てみたい。 第三幕で、 息子が嫁を追って 水に身を投げたことを 聞いて 焦 母が気絶したり、 精神錯乱状態で 地面の草の束を 息子に見立てて 抱きしめ愛撫する 場面はこの劇の 最終場面にあ たり、 またこの 劇 の クライマックスでもあ った。 しかし、 観客の涙を誘うどころか 大笑いされてしまったのであ. る。.
(8) 88. 白水. 紀子. この場面はもちろん 一人息子を失った 寡婦のショックの 大きさを表現しようとしたものだったの だろう。 しかし、 嫉妬で何も見えなくなった 姑が嫁を苛めて 家から追い出し、 さらに息子を 精神 的に追い詰めておきながら、. 自分のこれまでの 行為に対する 反省の言葉は 一言もなく、 ひたすら. 息子への愛が 語られるのであ る。 これでは観客の 涙を誘い、 彼らの中に浸透している 抑圧的な 寡 婦の イメージを突き 崩すことは難しかっただろう。 焦 母の年齢は 36 、 7 歳。 夫が亡くなった 10 年前、 この若い寡婦のその 後の長い一生は 、 残され た 遺産を息子のために. 管理し、 息子を成人させ、 孫を抱くことだと 決められてしまう。 そして、. 病弱だった息子との 間に生じた心地よい 母子融合の時期は 短く、 母性愛、 異性愛……. 愛 と名のつ. くものは全て 注いだはずの ,息子は別に愛の対象を見つけて 離れていく。 焦 母は,息子を嫁に取られ るのは「不公平」だと 天に向かって 訴える。 「もし天地の 間に公道があ るのならば、 どうしてこ の 苦痛の中から 手に入れた少しばかりの. 幸せを保証してくれないのですか。. どうして造反を 知らないことがあ りましょう。 私は……私は. この世の母親が. 天に背く叛徒になります. !. 」. (,,). 中国の伝統的社会で 寡婦は服装や 髪形から感情生活まで 暗黙のうちに 定められた枠の 中で生き ることを求められていた。 やがて息子が 成人し 、 嫁をもらい、 自分も姑となってようやく 一家の 長としての地位を 確保した時、 家父長制の下でこれまで 抑圧されてきた 寡婦の心は、 このとき 大 きく揺れて、 一気に嫁への 嫉妬という形をとって 爆発したのであ る。 だが、 衰昌英が 思い描いた「母の 造反」とは、 残俳ながら家父長制に 対する反乱ではなく、 た だ 嫁を追い出すことに. 向けられた。 焦 母は蘭芝を追い 出したあ とに、 自分に従順で、 息子にも慎. ましく接することのできそうな 別の女性をあ てがお. うと. 考えていたのであ る。 ために 焦 母は嫁を. ひたすらいじめ 抜き、 同時に息子に 対しても、 頻繁に自らの 権 威を誇示する 言動をとって 、 若い 二人に絶対服従を 強いていく。 焦 母は寡婦役割を 拒否する道ではなく、 むしろ寡婦の 権 力を最大 限 に行使できる 本来のあ るべき家父長制を 追求する道を 選択したのであ る。 これまでの「孔雀東南燕」にも、. 焦仲 卿の母が若 い 夫婦の仲睦まじい 様子に不快感を 示し、. 子を嫁に奪われた 母親の寂しさを 描写する場面はよくみられたが、 人々の関心の 大半は、. 烏、. 「母の. 権 威」を強力に 振りかざす横暴な 母のもとで生じた 若い男女の不幸な 運命のほうに 向けられ、 姑 の 嫉妬や怒りを 生み出す原因については 関心があ まり払われてこなかったと 言ってよい。 よって. 表具 英 がこのような 寡婦の感情生活に 注目し寡婦の 形象を豊かにしようとした 試みは評価される べきであ ろうが、 しかしながら 上の考察で明らかになったように、. 一方で「母の 権 威」をたてに. 思うがままに 抑圧的行動をとるという 従来のパターンを 踏襲しながら、 一方で寡婦の 孤独や不幸 を 訴えたために、. 観客にその真意が 伝わらず、 ただオーバ一な 感情表現ばかりが 目立つ「低級趣. 味」としてしか 受け取られなかったのであ. る。 衰昌其 は「孔雀東南燕」をギリシャ. 悲劇の原則に. 基づいて改編することで、 若い二人の悲劇は 避けようのない 運命だったと 考えた。 しかし、 欧米 とは異なる中国特有の 母と息子、 姑と 嫁の関係にこそこの 悲劇の根源があ るのではないか。 寡婦 から豊かな心を 奪い、 息子に対する 自然な愛情表現まで 変質させてしまう、 この不幸を生み 出す 根源であ る中国の家父長制構造に 衰昌英が 無頓着だったこと、 そのため結果として 家父長制を強 化する方向に 寡婦の行動を 描いてしまったことが、 かO. この作品の致命傷になったのではないだろう.
(9) 近 現代中国文学にみる 寡婦の形象. (五 ). 七 巧の寡婦の系譜一一家父長制の. 89. 破壊者としての 寡婦. 家父長制を支える 女たちの力関係のバランスが 崩れた時、 家族の分裂や 分家がおこり、 家父 長 剛 構造の弱体化へとつながっていく。. それは、 嫁と姑の関係、 嫁同士の関係、 妻と 妾 たちとの関. 係が 、 女たち自身によって 意識的に壊されて 起こることもあ るという。 本節では、 男性中心原理 によって成り 立っている家父長制構造に 女性の側からゆさぶりをかけた. (1943 年 ) ". 作品 一一張愛吟『金鎖 記 口. 』. を 取り上げてみたい。. 『金鎖 記 』のヒロイン. 曹セ 巧の形象をめぐっては 研究者の間でさまざまな 説があ るが、 ここで. は彼女の後半生において、. 寡婦となり分家して. 烏、 子と娘の支配者となった 七項 は ついて考察す. る。. 夫の死後、 セ 巧が義弟の季 澤 との関係を終わらせた 時を、 あ る論者は「 セ 巧におけるく 女 ) の 死 」と捉え、 これ以降「作品の 後半はく父の 影 ) としての セ巧と 息子、 娘との葛藤を 中心に展開 される」. 者. " 。 ,と説明して. ( 父の影 ). レ. 、 る 。 つまり、 狂気の女となって 息子や娘を抑圧する セ 巧を父権 の代行. として捉えているのであ る。 たしかに、 成人に達していない 子供たちの教育や 簾 け. を 彼女が家長として「親戚並みに」しようとしたのは. 父権 の代理行為であ るといえよう。 しかし、. 息子と娘をアヘン 中毒にし、 娘の縁談を次々に 潰し、 息子の家庭を 執 拘 な嫁いびりによって 破壊 したセ 巧の行為をはたして、. 「く. 父の法 ) の 被害者は今度は 恐ろしい実行者になる」といえるのだ. ろうか。 抑圧的な女性を 一般には男性化した、 父権. ( 父の法 ). の代行者と捉えることが 多い。 だ. がそれは男性中心の 価値観をもって、 男性中心原理の 働く家父長制の 安定・強化に 加担する 女 ,性 を言. う. のであ り、 権 力を欲しいままにする 女性すべてがそうとは 限らないのであ る。. 中国の家父長制構造の 中で、 女性たちがもっている 彼 抑圧者として、 抑圧者として、 そして家 父長制の破壊者としての 顔は、 どれもが女という 性を抜きにしては 考えられないものがあ る。 七 巧は、 恋をして笑顔を 取り戻した娘を 見ると、 「思わずかっとなって 皮肉まじりに」「仝 度 こそ姜 の家を飛び出してすっかりご 満悦だね。 けど、 どんなにおたのしみでも、 そんなに顔に 出さない でおくれ一- まったくぞっとするよ」と 叱りつけたが、 それは自由と 愛を手にいれた 娘に対する 同性としての 嫉妬の表現であ ると同時に 、 娘をいつまでも 自分の側においておきたいと 願う母の 、. 娘 に対する執着心の 屈折した表現でもあ った。 セ 巧は、 娘自身は勿論のこと 周囲の人たちも 理想、 的だと考えていた 娘の婚約に対して、 故意に婚約者のあ ら捜しをしてこの 婚約に反対し、 とうと う. 娘に迫って婚約破棄をさせてしまう。. そして、 二人が今度は 友達としての 付き合いをはじめる. と、 この男性を自宅に 招き自分と娘のアヘン 中毒の姿をわざと 見せつけることによって、 この男 ,性の心に恐らく 永遠に生きつづけるはずであ. った娘の美しい 姿 まで徹底的に 破壊したのであ る。. また セ 巧が息子の長自の 嫁を、 寝室での出来事を 話題にして散々いびったのは、. 家 制度を維持す. るために従順な 嫁 として 朕 けるためではなく、 セロの抑圧された 性によって引き 起こされた異常 な嫉妬からだった。 七 巧は目を細めて 長自を見た。 この何年か、 七 巧の人生にとって、 男は長自ひとりしかいなか った 。 この男にだけは 金をねだられても 気にならなかった. どのみち金はそっくり 彼のもの. になるのだ。 だがしかし、 自分の息子であ るがゆえに、 男としては半分しか 価値がない さ ら. この半人双さえ 自分のものにする. と. ( 中略 ).
(10) 90. 白水. セ 巧が息子にアヘンをすすめ、. 紀子. 息子が嫁に 飼 いて外で女遊びを 始めると、 今度は妾をあ てがっ. たのも、 すべて息子を 家にとどめ、 自分の傍におくためであ った。 この一連の行為は 、 夫の死を 契機に儒教的家父長制によって. 予め決められていた「妻の 役割」から解放された セ 巧が 、 つづい. て与えられた「寡婦の 役割」を拒否し、 一人の母に戻って 、 女の欲望を剥き 出しに表現したもの であ る。 金銭に対する 異常な執着はそのための 保証金だった。 虐待の対象が 嫁や妾に向かったの は、 愛する男を奪われた 女の嫉妬と復讐であ り、 娘や息子に対する 精神的抑圧は「母の 愛」の 本. 首部分を極限にまで 拡大したものだったのだろう。 もし彼女が男,性の 価値観に同化した「父の. 法」. の執行者であ ったのならば、 家の秩序を保ち 支配権 を強固にするために、 アヘンから子供を 守り、 跡取りの誕生に 執着して、 息子の嫁や妾をあ れほど 執拘 にいびったり、 自殺に追い込んだりする ことはなかったであ ろうし、 娘の結婚にも 積極的にかかわっていたはずであ 生んだ時、 それを祝. う. る。 だが妾が息子を. 描写は完壁なまでに 黙殺され、 娘とその恋人の 永久の別れ、 病に臥して瀕. 死の状態にあ る正妻の荒涼とした 寝室の風景が 描かれるだけであ る。 そして妾がのちに 正妻とな り. 、 一年後にアヘンを 飲んで自殺したとだけ 追記されている。 セ 巧から息子の 代へと発展していくはずの 妻家は、 セ 巧のこれらの 行為によって 崩壊寸前とな. り. 、 結婚に対する 意欲をなくし 骨抜きにされた 兄妹は セ 巧の死後、 遺産分けをして 町中に消えて. いく。 つまり 七 巧の行為は「父の 法」によって 秩序だてられた 家父長制を補強するものではなく、 あ きらかにその 反対に、 家父長制に対する 破壊行為であ ったのだ。 七項はうつらうつら. と. アヘンベッドに. 横たわっている。 三十年というもの、 彼女は黄金の. 首伽. をはめてきた。 その鈍重な首伽の 角で 町人もの人を 叩き殺し、 死に至らないまでも 半殺しの ィ. にあ. 目. わせた。 七項 は、 実の息子と娘が 自分に対して 恨み骨髄に徹しており、 婚家の者も実家の. 者も、 かんなが自分を 憎んでいることを 知っている。 , …‥彼女のことを 好いてくれたのは、. 肉. 屋の朝 禄 、 兄さんの義兄弟の 丁五根、 張 少泉 、 それから仕立屋の 沈さんの息子。 好いてくれた. といっても、 からかうのがおもしろかっただけなのかもしれない。 だけれども、 もしそのうち のひとりと結婚していたら、 日がたつうちに 子供も生まれ、 彼女にほんとうの 愛情をもつよう になってくれたことだろう。 セ 巧は頭の下のひだ 飾りのついた 枕を動かし、 顔をこすりつけた。 反対側の涙は. 拭かず頬にかかったままにしておくと、. しばらくたってひとりでに. 乾いた。. 男性中心原理によって 女性に押しつけられる 娘 、 妻、 母、 そして寡婦の 役割を女性自身が 拒否. する時、 それは家父長制イデオロギーへの 反乱として る. 。 張 愛吟『金鎖 記 Ⅰの作品としての 迫力は、 この. ぅ. ょう. けとめられ、 女の狂気として 人の目に映 に家父長制の 内部から揺さぶりをかけた. 女 ,性の捨て身の 行為を初めて 文学の世界に 描いたことにあ る。 張 愛吟 は、 セ 巧に手中の権 力を放. させるのではなく、 反対にそれを 最大限に発揮させることでこれまでの 母親像を異化し、 悪魔 となった母もろともに 中国の家父長制を 葬り去ろうとしたかにみえる。 家父長制の被害者からそ. 棄. の 破壊者へとダイナミックな 展開をみせた 曹七 巧の母・寡婦の 形象は、 その後の女性文学に 測り. 知れない影響を 与えている。 (六 ). 除地「 女嫡. 」. 母の権 威の崩壊. 現代文学のなかで、 「悪魔」になった 母を描き慈母のイメージで 作られた「母の 神話」に強い.
(11) 近 現代中国文学にみる 寡婦の形象. 9. 衝撃をあ たえた作品には、 盛英 がその著書で 言及し高く評価しているものだけでも、. 鉄凝. 「. Ⅰ. 政塊. 門 」、 池莉 「称号一条. 河 」、 徐坤 「文摘」、 棟梁「昇一尺 耳架的蔽撃声 」、 除外 斌. 方方「落日」、 崔達. 穆 新株 的 葬礼」などがあ り、 その母のほとんどが 寡婦であ る。 本節ではそ. の中から 徐坤. 「. 「文摘」. 徐坤は 「関船『 女嫡. 「犬箱 」「 羽蛇 」、. (1994年 ) 援について具体的な 作品分析を試みたい。 』. (化政 ) 」. ". において、 自分にできることは、 代々伝わる煙草の 長キセ. ルや挽き 白 、 竃の神様の送り 迎え……こうした「反復循環. し 続けるものの. 比 楡を借りて、 綿々. と. して絶えることのない 民族の歴史を 解体することだけであ る。 歴史の巨大な 圧力の下で、 人類に なにができるというのだろう。 無意識の仁義忠孝が 父を殺し、 子を殺すなかで、 出鱈目にあ るの は 真実に 、 死にあ るいは生きている。 これがす なね ち、 歴史の中で人類が 生存している 境遇なの. だ」と語っている。 小説の題名になっている 女蝸 とは、 中国の創世神話に 出てくる女の 神様のこ とで、 初めは泥をこねて 丁寧に人を作っていたが、. 蔓 で泥水をかきまわして 飛び跳ねる. ちっ. やがて仕事に 飽き、 疲れきった彼女は 、 藤の. ぼけな人間を 作ってしまう。 金持ちは彼女が 自分で泥を. こねて作った 人間、 貧乏人は藤の 蔓 で作った人間だといわれている。. 女嫡は徐坤が. 「. 祓 」で述べ. る「綿々として 絶えることのない 人類の歴史」を 作った張本人でもあ る。. 以下、 多少長くなるが 中編小説「女捕」の 粗筋を紹介したい。 物語は 、 竃の神様を天に 送った 1930 年 m2 月 23 日の旧満州地区. ( 現在の東北地区 ). で、 10 歳に. 満たない 事 玉几が 10 元と 5 斗の高梁と引き 換えに重奏 蝸。 として千家に 買われていくところから 始 ま. ろ。 寡婦となった 玉几の母は玉几の 妹をつれて再婚し、 これが玉几と 母の最後の分かれとなっ. た。 玉几は干 象 の一人息子 干継業 の 嫁 として買われたのだが、 この時その未来の 夫はまだ八歳の 頁 子供だった。 千家には他に 孤児になったところを 拾われ、 下男として住み 込みで働いている 慰 ll. という若い男が 一人いるだけで、 家事一切が玉几の 幼い肩にのしかかる。 そして少し大きくなっ てからは農作業もやらねばならなかった。 日、. 「長川頁. 姑から受ける 虐待はすさまじく、 五九が千家に 来た翌. はただ驚くばかりだった。 たった一晩で、 玉几の目は熟した 桃のように腫れ 上がり、. まん丸だった 顔もゆがんでいた。 きっともう姑に 殴られたのだ。 この村で、 どこに嫁を殴らない 姑がいようか。 」㈱玉几は姑の 虐待に耐えられず、 幾度か家を逃げ 出しては連れ 戻され、 自殺を 何度も考える。 そして 4 年後、 少女から 娘 へと成長した 玉几は、 いつも彼女にやさしく 声をかけ てくれる舅に 体を求められ. 妊娠してしまう。 ところが、 舅に民間療法の 堕胎薬を飲まされて. 苦し. みだしたことから 姑に妊娠が知れ、 舅 、 夫、 長順の前で丸裸にされて 気を失うまで 全身を鞭打た れる。 彼女は相手の 男の名を隠したまま 男子を出産、 しかし、 その子は妊娠中に 飲んだ堕胎 薬が. 原因だったのだろう 知恵遅れの子だった。 その後玉几は 、 夫との間に次々と 子どもを生む。 1949 年、 社会主義中国が 誕生すると、 地主だった千家はすべてを 失って町に流れ 住む。 1960 年の食 料 飯能の時に夫が 病で倒れ死亡すると、 彼女は セ 人の子供と姑を 抱え、 子供たちにも 石炭 津 拾い や縫い物をさせて 一家を懸命に 支えるのだった。 だが、 食欲の旺 盛な姑は空腹 に我慢ができず 嫁 の 不孝をなじり、 旧時と変わることなく 煙草の長キセルを 彼女の体に振りおろし 続けていた。 しかし、 玉几はむしろこの 姑の仕打ちを 甘んじて受けるようになっていた。. 自分自身が孝の 対. 象 となる日が近いことに 気づいた彼女は 、 姑に従順に仕える 姿を子供たちに 見せる事で、 将来子 供たちも同じように 自分に孝行を 尽くすことを 望むようになったのだ。 彼女は一心に 姑に尽くし、 一方姑は嫁の 魂胆を見抜いてますます 嫁いびりを楽しむようになる。. だが、 子供のころから 姑に. 手なずけられ、 玉几を憎しみのこもった 目で見るようになっていた 次男は、 祖母に仕える 母の姿.
(12) 92. 白水. を見ると、. 玉ノ しの期待に反して、. 紀子. 「祖母と同じように 、 彼もまた母を 自由にこき使える 妖姫とみ. なした」 (24) のだった。. 以上は、 いわば玉几という 一人の女性の、. まさに地獄絵をみるような 屈辱と忍従の 生活をとお. して、 近代中国女性の 典型的な半生を 描いたものと 読め、 この部分だけでも 十分に読みごたえが あ. る。. しかしこの小説の 特色は玉几が 一家の支配権 を握ったその 後半部分によく. 現れている。. 60 年代の半ば、 中国社会が文化大革命へと 大きく一歩を 踏み出したころ、 千家にもその 波は 確実に押し寄せてきた。 かつて 姑と嫁 、 母と子の間にあ った厳しい身分関係が 揺らぎはじめたの だ」. O. 社会の末端まで 思想教育. (社会主義教育運動・. 四清運動 ). が徹底されるなかで、. まず祖母が批. 判大会の壇上に 引きずり出され、 玉几から悪徳地主の 妻、 重奏 娘 をいじめた鬼のような 姑 として. 告発される。. 苦しみを思い、 る。 嫁が姑を批判するという、. 玉几は長恨とともに 街道委員会の 社会活動積極分子として「昔の. 日の幸せをかみしめる. ( 憶 苦患 甜 ) 」報告会に参加したのであ. 仝 旧. 社会では到底考えられなかった 事を、 社会主義中国は 可能にしたのだ。 玉 九の語る苦難の 体験 話 を. 聞いて涙しないものはなく、. で 祖母を実母の. 匿. う. こうした情況のなか. 如く慕っていた 次男ができることは、 母を威嚇することと、 祖母を長順の 部屋に. ことぐらいだった。 この後、. き る するが、. 的になる。. 姑は階級の敵として 大衆の怒りの. 次男はⅡ. ヒ. 方の油田に働きに. 出たまま戻らず、. 姑はその後も 長生. このころから 一家の実権 は玉几に移っていく。 千家での権 力交代は姑の 死を待たず. して思いがけず 早められたのであ る。 しかしながら、 玉几もまたかつての 姑のようにその 権 威を存分に発揮できなくなっていた。. ず、 三男夫婦が玉几のもとを 去っていく。. 三男は男の兄弟六人. ( 五男は天. ま. 折 ) の中で勉強が 一番. でき、 従順な,性格だったので玉几は特にかわいく 思っていた。 ところが、 その最愛の息子が 師範 学校を卒業後まもなく、 W の 娘 と結婚したいと 言い出したのであ る。 玉几は息子が 大人になった. ことを喜ぶとともに、 苦労して育ててきた. 息子をみすみす 別の女にとられてしまうのが 辛 かつた。. 彼女は三男に 向かって、 寡婦としての 苦労話なして 聞かせ、 家族を次男一人に 任せて自分だけ 家 を. 出ようとする. 身勝手を責め、. 兄が結婚するまで 待つ. 23 に言った。 だが三男は、 一家と同居す. ること、 また給料はすべて 家に入れることを 条件に、 ようやく玉几から 結婚の承諾を 得る。 玉几 は 内心不満だったが、. W に親戚を持つ 魅力を考えて 同意したのであ る。 そして、 結婚した翌日の. 朝、 それは玉几が 正式に 姑 として嫁に 咲 けをはじめる 最初の日でもあ った。 しかし身構えていく ら 待っても二人は. 起きてこない。. 彼女はさっそく. 祖母のために 煙草の火をつけに 行かせるよ. う. 怒りを爆発させる。 三男に嫁を叩きおこして、. 怒鳴りつけたのであ る。 三男が妻は町の 者だからこ. した習慣がわからないのだとかばうと、 玉几の怒りはますます 激しさを増して い く。 彼女は三 勇夫婦の給料を 全額家に入れさせ、 嫁に経済上の 自由をまったく 与えないようにしたばかりか、 祖母に煙草に 火をつけるしきたりも 絶対に免除せず、 嫁が行かない 時は息子に嫁の 代わりをやら せることで、 息子が嫁を甘やかしていることへの 懲罰とした。 また食事時には 祖母と自分につき っきりで仕えさせ、 食後は靴底を 縫い、 布団をつくり、 綿入れの上着に 綿を入れるやり 方まで 干 ぅ. 象 のやり方を学ばせようとした。 仕事から帰った 嫁は、 家事をや. に針仕事を夜遅くまで. させられ、 三男もまた眠くなるまで 三九の側に仕えさせられたのだった。 母親は、 息子の瞼が眠くてこれ 以上開けておれなくなり、 部屋に戻ってもすぐ 眠 てしまって 、.
(13) 近 現代中国文学にみる 寡婦の形象. もう. 93. 嫁と オンドルの上でのことをやる 気力が残っていないだろうと 判断してから、 ようやく息. 子を放免した。 息子は母に属するもの、 何者も母の側から 奪い去ることはできないのだ、. あ. の. ほお世の高い 妖怪女などもっての 他 だった。 、 貌. 姑の直接の権 威のもとにおかれた 嫁はもちろん、 息子も母の権 威には絶対服従が 求められたの であ る。 数年後ようやく 嫁が男子を出産すると、 玉几は嫁の子育ての 仕方が何かにつけて 気に い らず、 自分が育てると 言いだした。 三男は嫁と母の 間に立って苦しんだ 挙げ 句 、 「結局は孝の 字. が一位を占め、 子供を抱いて 母に差し出したのであ る」℡。 これには嫁も 自分のことを「ただ 働 き、 子どもを産む 機械としか思っていない」. ". と 怒りを爆発させ、. 乳飲み子を置いて 家を出て. いく。 そしてとうとう 三男も嫁の後について 家を出ていったのであ る。 母に対する夫の 執着と 譲 歩 によって、 結局は子供を 残して家を出るという、 嫁にとっては 相当の犠牲を 払っての 姑 との決 別であ った。 だが旧時の嫁に 比べると、 これでも大きな 変化を意味した。 不変で固定的に 思われ ていた現状が 徐々に変革されはじめたのであ. る。 一方、 初孫を手にした 玉几はかって 姑が次男に. 対して自分の 悪口を吹き込んだのと 同じように、 今度は自分がこの 三男の息子に 嫁の悪口を散々 教えこんでいく。 玉几にはこの 抑圧の世代連鎖を 断ち切ることなど 思いもつかないことだった。 まもなくして、 玉几は次女を 下放先の事故で 失い、 今、 さらにまた三女まで 下放させねばなら なくなる。 思案の末、 一人っ子あ るいは病気の 者は下放しなくてもよい、 知った玉几は、. あ. という規定があ るのを. る日、 偶然を装って 三女の目に強烈な 光線を浴びせ、 一時視力を失わせてしま. った 。 このため三女は 玉几の思惑通り 下放を免れたものの、 病院に連れていくのが 遅れたために. 危うく本当に 失明しそうになる。 視力を回復してことの 真相を知った 三女は 、 母を心底憎み、 や がて遥か遠くに 下放して い く。 彼女は後にその 地で結婚して 子供を産み、 永遠に家に戻ることは. なかった。 その後、 下放先から戻った 長女が結婚をして 家を出て行くと、 玉几は度々長女を 実家に立ち寄 らせて、 寂しさを紛らわせていた。. だがそれに長女の 夫が苦情を言い、 怒った玉几は 夫の勤め先. にでっちあ げの密告をして、 汚職の罪をきせる。 案の定、 娘が泣きながら 実家に戻ってきた。 彼 女は娘に慰めの 言葉をかけながら「心はこのうえなく なのだ」. 満足だった。 いつだって娘は 母と心は一つ. " 。 しかし、 夫はすぐに釈放され、 やがて密告者が 母だとわかると、 怒った娘はその 後. 母との関係を 一切絶ってしまったのであ る。 一方、 四実の干芋祥は 二人の姉たちとは 反対に自分の 一生を母に捧げる 道を選択する。 外地の 工事現場で長いあ いだ働いていた 四 男は家に戻ってきた 時、 母の決めた結婚を 黙って受け入れた。 玉几は四更にすでに 恋人がいるのを 知りながら、 その娘の出身が 悪い. (小 資産家 ). と言って取り. 合わず、 別の相手を探してきて 四男 と結婚させたのであ る。 干孝祥は 黙って母の宋 配 に従った。 母は一生十分といつていいほど れ以上母を悲しませることはできなかったのだ。. 苦労してきたので、 彼はこ. 涙をのんで恋人と 別れ、 結婚式で毛主席の 写. 真の前でお辞儀をし、 それから一緒になって 、 愛も欲もない、 ただけんかばかりの 不穏な日々. を過ごした。 彼がその恋人と 密かにかつての 愛 ,清を温め合うようになったのは、 すでに母が死 亡した後のことで、 その時彼はすでに 天命を知る年になっていた。. 彼は自由のない、 半分恋人. 半分 夫 という人格の 分裂した、 気も心も使い 果たすような 生活を送ったのであ る。 ㎝.
(14) 94. 白水 紀子. こうして、 玉几のもとから 次男、 三男、 長女、 三女が去り、 知恵遅れの長男と 解放軍の兵士だ った一番下の 息子. ( 大男 ). 除けば、 千家 は姑と孫. が戦死し、 さらに次女が 事故で亡くなると、 別居している 四 勇夫婦を. ( 三男の息子 ). の三人になってしまう。. この物語は、 玉几が千家に 嫁いでから 60 年後の 1990 年、 ふたりの老女の 愛情を一身に 集めた 孫 の千穂 全 が大学の博士課程を 修了して、 千家の名誉を 挽回し、 その息子の 100 日目の誕生祝 い 0 日に姑が息を 引き取るところで 終わる。 そして玉几も 姑と同様に強大な 寡婦を最後まで 演じ 続 け てその一生を. 完結させたのであ る。. この ょう に、 作者の徐 坤は 、 一家の支配権 を握った寡婦の 権 威が、 玉几の自己覚醒ではなく. その下位にあ る子供たち、 特に娘や 嫁 たちの反乱によって 、 次々と揺さぶりをかけられる 様を描 いている。 特殊な育てられかたをした. 次男を除けば、 自分の息子を 母に差し出し 嫁の後について. 家を出た姉男、 母の言いなりに 結婚した四実、 孝行息子だった 末の息子など、 息子たちが常に 母 の強い支配下にあ って従来の孝行息子のパターンを. 繰り返すのとは 対照的に 、 嫁や娘たちは 母の. 不当な干渉や 抑圧に正面から 反抗することで 自立を勝ち取っていく。 これを可能にしたのは 社会 主義中国になって 単に女性たちが 経済的に自立したからではなく、. さらに精神的にも 母の一元的. 支配から徐々に 解放されてきたことを 意味していよう。 この作品は、 玉几という一人の 寡婦の 一 生 をかりて、 一家の権 力を握り「悪魔」となった 母の姿を克明に 描いた「母の 神話」の解体の 物 語 であ ると同時に、 社会主義中国における 寡婦. (母 ). の権 威の崩壊を描いた 物語でもあ る。 徐坤. 0 戦略は 、 母たちの自発的な 覚醒ではなく、 下の世代の娘たちの 反乱によって 母の権 威を外から. 突き崩そうとするものであ (セ ). るようだ。. まとめ. 中国近代文学に 描かれる寡婦 像 には、 無力で悲惨な 境遇にあ る寡婦と権 力を握った強い 寡婦と いう二つの大きく 異なる系譜があ るが、 この他、 恋愛小説にも 寡婦が度々登場し、 たとえば、 寡. 婦 と年下の甥の 恋愛を描いた 葉 帰洛「未亡人」 劉祷静. 「寡婦的山」. (1928 年 ) " 、 金持ちの寡婦の 恋愛遍歴を描いた. (1932 年 ) ㎝など、 興味本位に寡婦の「自由な 性」を描くものが 多かった。. ところが、 社会主義中国になると、 現代文学に描かれる 寡婦像は多様化し、 上記 2 つの大きな系 譜以外にも、 寡婦が経済的困窮から 救済された 話. 「楊梅子寡婦」. (1958年 ) " など当時の社会政. 策 に呼応した「翻身」初や、 寡婦の恋愛を 寡婦自身の内側に 潜む旧い結婚観からの 緩やかな意識. (1986 年 ) (" など、 その描写に深まりがみられるようになっ てきた。 そして、 池莉 「休足一条 河 (1991 年 ) ㈹には、 8 人の子供を抱えて 懸命に生きる 寡婦. の解放と重ねて 描いた 古華. 「貞女」. 」. の姿を描きながら、 一方で子供や 義弟の心を取り 返しのっかないほどに 傷つけてしまう、 慈母の イメージとはほど 遠い母親 像 が描かれるようになる。 教育も十分に 受けていない 一人の寡婦が 本. 音を生きることは 難しく、 生活に追われる 毎日の中にあ って、 彼女は子供たちの 心の成長に気を 配る余裕も、 またそれが必要だということも 知らなかった。 息子たちは幼心にも 懸命に母を助け、 母の愛を得ようとするが、 多感で聡明な 二女の冬几からみると、 母は「食べていくこと」しか. 頭. にない、 子供への配慮を 欠いた教養のない 母、 寡婦となった 後も常に男の 影が付きまとうだらし ない母に映った。 冬 几は母を軽蔑した。 そのために母からますます 疎まれるようになった 冬几は、 自ら志願して. 僻地に下放し、 母に絶交の手紙を 書く。 この作品は、 寡婦となった 母の居直りにも. 似た退しさと 愚かさが、 母の権 威の名のもとに 幼 い 少女の心をずたずたに 切り割いてしまった 残.
(15) 95. 近 現代中国文学にみる 寡婦の形象. 酷さを描いて、 これまでの「悪魔」になった 母とはまた違う 姿で、. 「母の神話」の 崩壊に迫って. いる。. このように、 寡婦の形象は 中国現代文学の 中で様々なイメージを 付与されながらも、 強力な支 配権 を握った寡婦に 対して次の世代の. 反乱が描かれるようになったこと、. それがとりわけ 娘の母. に 対する反乱となって 描かれている 所にその特色をみることができる。. 抑圧の世代連鎖を 断ち切. り、 女性間抑圧という 女性の負の歴史を 終わらせ、 最終的に中国の 家父長制構造に 強い打撃を与 えるためには、 まず直接の被害者であ る女性自身が 声を上げ、 立ち上がらねばならないのだとい うことを、 これらの作品は 女性解放の基本に 立ち返って力強く 描いているのであ る。 欧米社会とは. 違って、 近代中国型家父長制は 性別による支配とともに 世代の支配も 大きな要素. となっており、 さらに本稿で 分析したように、 その中には女性も 含まれている。 中国社会では 直 茶家族で第一世代に 属する女性が、 宗族の安定と 継続という大儀名分のもとで、 望を満足させることはそれほど. 難しいことではなく、 本稿で扱った 文学作品には、 この大儀名分 (姑 ). さえ影が薄れ、 欲望をむき出しにした 寡婦 回. 個人の願望と 欲. が登場している。 明らかに姑の 権 力は今日の中. において家族改革を 保守化する要因となっていることがみてとれよう。 社会主義中国が 誕生して儒教批判が 基層社会まで 浸透していくなかで、 人間関係を厳しく 規定. していた男女、 上下の区別が 緩和され、 家父長制構造もそれにともなって. 少しづつ変化が 生じて. きた。 しかしながら 80 年代以降、 改革開放政策に 伴い農村部を 中心に宗族の 活動が再び活発に なってきたこと、 また都市部における 労働市場からの 女性労働者の 締め出しや主婦の 増加などジ ェンダーをめぐる 情況が変化をみせていることなどは、. 当然のことながら 嫁と 姑の関係、 母と子. の 関係、 そして夫婦の 関係に新たな 影響を与えているに 違いない。 中国の家父長制構造は 社会 体 制の急激な変化に 比べると、 近代から現代へかなりゆっくりしたぺ. ー スで変化しているようであ. る。. [ 注釈 ]. (1). 白水紀子「 近 現代中国の寡婦の 地位 一守節と再婚をめぐって」 -. ( 東京大学東洋文化研究. 所 紀要 ) 第一四 0 冊 (2000-11) (予定 ). (2). 盛英 『中国女性文学 新探. (3) (5). 鉄凝. 「. 攻塊門. 」. 』. ( 中国文 聯. ( 文学四季 ). 出版社. (1988年秋 2. 創刊号. 渡辺和子『フェミニズム 小説論』第六章「娘の. ょ び マリアンヌ・ハーシュⅠ寺沢みづほ 訳. お. p.94. (6) (7). 一. 1999-9)引用は p.11,105,133 巻). 『. 攻塊門. 』. 母探し、 母の娘探し」 『母と娘の物語』. 1997-5) (拓殖書房 1993-12). (作家出版社. ( 紀伊国屋書店. 1992-9). 103. 245-266 滋 賀寿 三 『中国家族法の 原理』 (創立 社 昭和 51 年第 8 版 ) p.299 ∼ 309 (8) 脇田晴子「日本女性史の 軌跡とジェンダ 一史の課題」 思想 ) n0.898 (199か4) p.205 仁井田 陸 『中国の農村家族』. ( 東京大学東洋文化研究所. 1952-8). p. ・. く. (9). 超 世 楡 「光明年窯 暗的博 我一明 清 時期両性関係 初探 」『陽剛与 除棄 的 変奏』 中国社会科学出版社. (Ⅰ. 0). ( 関家風生締. 19959) p.278. 表具 英 「孔雀東南 飛 」『了し雀 東南 飛 攻具他犯 幕劇 一冊』. ( 商務印書館. 1930 年初版、 1940. 年 第 4 版 ) 。 執筆は 1929 年 5 月。. (11) 田中謙二『中国詩文選二姉. 楽府. 故由』. ( 筑摩書房. 1983-1) P.73 一 117.
(16) 96. 紀子. 白水. 23. Ⅰ・ ユ. (独幕劇 ). 欧 陽子信田孔雀東南燕. (京劇. 1. 熊佛西 「蘭芝 興 神郷」. 第 26巻 1 号. { 東方雑誌 ). )J U北京宝女童. 1955年 ). (1929-1) 『. 欧 陽子 借 文集 ] 第二巻 ( 中国威. 1980-8)所収。 執筆は 1946年。. 創出版社 Ⅰ4. Ⅱ越劇 ) 孔雀東南燕』. ( 馬彦祥. 綿. 上 雑 出版社. 1951-2)01950年に全国各地で. 採集した. 1l. 56. ︵︵. 地方則の一 つ 。. 序言」双掲 注 (10) p.1∼ 2. 衰昌英 「孔雀東南燕. 蘇 書林「孔雀東南燕側木及其値上演成績的批評」『青鳥 集 一冊』 p,36. ∼. (. 商務印書館. 1938-7). 39. 7. Ⅰ上. 向培良 「関船演劇並数書林先生」『青鳥 集 一冊』. ( 同上 ). 。 この中で何倍良は 脚本そのもの. Ⅰ 8・9. ︵︵. が 上演に向かないと 指摘している。. (10)P.39. 衰昌英 「孔雀東南燕」双掲 注. 1 1. 張 愛吟『金鎖 記 山原 戴 (. 12 二 2 、. く雑誌 ). 3. (1943.11, 12) 。 テキストは『 張 愛吟自選集』. 海南国際新聞出版中心出版 1995-12)を使用し、 引用は池上貞子訳Ⅰ傾城の. ︶︶︶︶︶︶︶︶︶ ︶︶︶︶︶︶ 初れ 四 乃花 打為乃 ㏄㎝㏄ 穏田 ︵ ︵︵︵︵挺︵ ︵︵︵ ︵︵︵︵︵︵. 社. 199 車3) 所収のものを 使った。 本文の引用は 同訳書 p,88 ∼ 89 、 74 、 103 ∼ 104. 都辺 建. 徐坤. 恋 J ( 平凡. 「. 「. 張 愛吟『金鎖 記. 女蝸 」『女蝸. 徐坤 「関船. 論. ( 東方 学 》第. 」. ( 河北教育出版社. 』. >. ( 女嫡. 』. (化政 ) 」. 89 輯 (199年1) p.87∼ 88. 199車4) 所収。. 199410-9 『大姑』双掲 注 (21)p,344. %. (21)P.13. 徐坤. 「. 女娼 」双掲 注. 徐坤. 「. 女蝸 」双掲 注 (21) p.80. (21)P.97 (21)P.106 (21)P.107. 徐坤 「文摘」双掲 注 徐坤. 「. 女蝸 」双掲 注. 徐坤. 「. 女娼 」双掲 注. 徐坤. 「. 女蝸 」双掲 注 (21) P.125 一 126. 徐坤. 「. 女蝸 」双掲 注 (21) P.124. 集 鼎洛 「未亡人」. 1928 年 4 月執筆. (花 坂出版社. 劉祷静 「寡婦的 心. 」. ( 神州国光. 1932-11). 「楊梅子寡婦」. 白垂「貞女」. ( 作品 ). く花城 》. 池莉 「休足一条 河. 1992-10) 所収. 」. く. 社. 199 色5). 19589 198色1 『貞女』 ( 時代文芸出版社 1989-3)所収。 小説家 ) 1991-3 u1991年中篇小説 選 ( 第二鞘 )J 0 人民文学出版社.
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