アポリネールと雑誌SIC
著者
伊勢 晃
雑誌名
年報・フランス研究
号
35
ページ
33-46
発行年
2001-12-25
URL
http://hdl.handle.net/10236/9484
33
アポリネールと雑誌 SIC
伊勢 晃
I
アポリネールは,1917年にスーポー に宛てた手紙 のなかで次のように書いている。
Quand VOus viendrez songcz a me mettre un ex‐dono sur mon exemplairc
dИ9γα″J夕″qui est un l市 re important et caractё ristique de
111]じ lit¬」i`:L‥」Stl】 じi」[l…J1lJ(ljI`〕 Lll,2】 [`:Lfillll日 11:L_]Ll』 【lL_`][:]世 `:`:11]【 ]`〕. (下線 は引用者 による) (α iC IV p.894。 ) 戦地からパリの文壇へ復帰した詩人を待つていたものは,若 い芸術家たちからの熱 狂的な受け入れ態勢であつた。)。 そこにはすでに伝説として語られる自分の姿があり , アポリネールは<ancetre>になっていることを強く意識していたのであろう。しかし,す でに指摘したとおり
0,ル
ヴェルディが創刊した雑誌 NORD―Sの
の編集方針の変化 を分析すれば,必 ずしもアポリネールを中心に当時の芸術運動が展開したとはいえな いことがわかる.1914年から15年 にかけての文学の空 白といえる期間から,文 学が息 を吹き返そうとしたこの時期にアポリネールが文壇復帰したことはどのような意味を持 つのであろうか。 本稿では,1916年に創刊されたアルベール=ビロの雑誌 SICと アポリネールの関係 に注 目することで,詩人が当時のアヴァンギャルドたちに与えた影響の一端を明確に することを目的とする.そ の理由は,雑 誌SICが 1916年 という戦乱の最中に創刊され34 アポ リネールと雑誌Src た文芸雑誌であり,新しい芸術家にとってほとんど唯一といえる作品発表の場であつ たこと,また,ボスチェッティが近著で指摘しているとおり0,アルベール=ビロが当時, アポリネール の絶 対 的な支持者 であり
,雑
誌SICが
シュル レアリスム演劇 ZθsM2″
JJgsル η″ιsノαsの
上演に多大な貢献をしたからである。この雑誌の内容と構成 を検証することは,ア ポリネールの帰還初期から彼の死までの時期における,エ スプ リ・ヌーヴォーの詩人と新しい芸術家たちとの関係を理解することにつながるであろう. 以下では、雑誌SICに発表されている作品を具体的に分析し,アポリネールがこの 雑誌 に対してどのような役割を果たしたか,彼 の参加 によって雑誌がいかなる変化を とげたかをあきらかにすると同時に,新 しい芸術を生み出そうとしている若い詩人たち のなかで,彼 がどのような位置にあったかを考察したい。 Ⅱ 雑誌S/Cは編 集 長アルベール=ビロのもとで,1916年 1月 から 1919年 12月 まで に全54号
が刊行 された。アルベール=ビロは,かなり早い時期から雑誌を出版したい と考えていたが,お もに金銭的な理 由から実現するまでには時 間がかかつた.SIcを
創刊するにあたつても,失 業年金 を資金 に充 当したり,印 刷 料金を抑制したりといった 工夫をし,当 初 は 自分の作 品と記事だけを掲載していた。このような出版 の経緯 に加 えて当時彼 はまだ 無名であつたということもあり,この雑誌 に対しては批 判的な意見が 多く存在する0。 しか し最近 では,お もにランタングルの研 究 によって,詩 人アルベー ル=ビロとともに,雑 誌SICの再言平価 が女台まっている(5).<SONS,IDЁ
ES,COULEURS,FORMES>の
頭 文字をとった S/Cと いうタイトル が示す とお り,この雑誌 はアルベ ール=ビロが総合 的な芸術 雑誌 を 目指したものであ つた.この点はアポリネールが編集長を務めた戦前の雑誌Zθs助
J″ιθsル
PαrJsと類 似する0.SICの
創 刊 当時,ア ルベール=ビロには前衛 的な芸術家の知人は皆無であ つたために,創 刊号から第3号までは,ほ とんど彼 の作 品や 記事のみで構成されてい る.しかし,イタリア未 来派の画 家セヴェリーニと出会い,彼 の紹 介でアポリネールと親アポリネールと雑誌
Src 35
交を深めることになつてから,SICは大きく変化し始める。
アポリネールの名前がSICに初めて登場したのは第3号で,ア ルベール=ビロの次
のような一文においてであつた.
(…)Nous entЮns dans une pёHode■oHssante,“jouiSSez“vous;nous avons des
artistes,la gucrre nous vaudra et nous vaut dqa des cuvreso Lisez donc dans le n° 8 de
〈〈L・ёlan》 le poёme vivant de Guillaume Apollinaire,le poё me qui commence:
Rarneau central de combat,
et vous serez tranquillisё s. (SIC,No.3,mars 1916,p.22.)
ここで引用されているのは,の ちに詩集Ca〃な″
"節
θSに収録 される詩《La Guerre》 の冒頭 の1行 である。 雑誌NOD―
S1/D創
刊 号の最初の記事 と同じように,ア ポリネ ールを中心 にした新 しい時代が始まるというアルベ ール=ビロの期待をこの記事か ら は読み とることができるだろう. SICに最初 に掲載されたアポリネールの作 品は第4号
の詩《LOAvenir》である。戦 地で書かれた詩 がアルベ ール=ビ ロの手 に渡つた経 緯 については明確 ではないが, この「小 さなダイアモンド」が,当 時無名であつた Grαbj″οノθrの
詩 人をどれほど勇気 づけるものであったか ,い かに重要な意 味をもつたかということは,アポリネールの死を 伝 える彼 の記事が物語つている。Sic en ёtait a sa 8me page,jlen ёtais le seul rCdacteutt j・ёtais inconnu de tous,isolё
suspect:Apollinaire me donna pour Sic ce petit diamant:L・
AVENIR
Regardons nos mains/Qui SOnt la neige/La rose ct rabeille/Ainsi que ravenir
(¨.)Quelquejout sijc deviens vieux,je lne divertirai a conter llhistoire de Sic pendant
la guerre,histoire ot il sera sans doute beaucoup parlё du grand chef de famllle qui
36 アポ リネール と雑誌S/C アポリネール はその後
,S/Cに
数篇 の詩 を発 表するとともに,アルベール=ビロにサ ルモン,サ ンドラルス,ジ ャコブ,モ ディリアニなどの芸術家を紹介する。また,アラゴン, コクトー,スーポー,ッアラ,ブ ル トンなど多くの若 い詩 人の交流の場をもうけ,彼 らも S/Cに作 品を発表 するようになつた。アポリネールの雑誌Zθs肋JrιθsルPα″ぉ が新し い芸術 家たちの作 品発表の場であつたように,雑 誌ycも
アポリネールの参加 によっ て,前 衛 的な性 格を強くしたといえよう。S/Cが
創 刊 され た1916年
1月 には,アポリネール はまだ最前線 にでており,詩 〈くL;Avenir》も塾壕 で執筆されたものであった。このことを考慮すれば,彼 が本格的に この雑 誌 との 関係 を深 めることになるのは ,第 8,9,10合 併 号のインタビュー《Les Tcndances nouvelles〉〉からだといえる。 このインタビュー はアルベ ール=ビ ロが病床 のアポリネールに対して行つたものであ るが,負 傷後の詩 人の芸術観 と創 作活動を理解するために重要である。 アポリネール はこのなかで,新 しいユマニスムは過 去の認識 からうまれ,未 来 に開 かれたものであるべきだと述 べる。La guerre qui a retrempё les caractёres a sans doute retrempё et renouvelё les
talents.Elle a dtta produit quelques livres de s01dats pleins dtune mae simplicitё et
dtidёes neuves,ceux de rna gёnёration doivcnt en etre satisfaits,car nous ntavons tendu quOa cela,poё tes,prosateurs ct peintres:exprirner avec silnplicitё dcs idёcs ncuves et humaines, crёer un humanisme nouveau qui fondё sur la connaissancc du passё
accordat les lettres et les arts avec les progrёs que l.on rcmarque dans les sciences et
les lnoyens nouveaux que liHonllne a a sa dispOSition。 (.…)Le prё scnt doit etre le fmit
de la connaissance du passё etla vision de l'avenir.
(S/C,No。8,9,10,aont_septembre‐ octobre 1916,p.58-59。)
このような考えかたは И′θοο/sの詩 人が戦 前に発表 したM"lirα′ノθtts θSルιrJ9“θsの
アポ リネール と雑誌 Src 37 れわれが注 目したいことは,ア ポリネールが芸術 としての映画の可能性 につ いて言及 していることである。 彼 は映画 が叙情 詩 的な感情を生み 出す芸術であり,抒 情詩 人 は映画 という手段を 用いて 自分 を表 現するようになるであろうと予言す る。またアルベ ール=ビロがおこな つた演劇 の未来 に関する質 問に対しても,最 高の劇 は映画であると確信をもつて答え ている.
Mais il est attourdehui un art dOot peut na'tre une sortO de sentiment ёpique par
l'amour du ly五 sme du poёte et la vёritё dramatique des situations, ciest le
cinёmatographe.L・ёpOpёe vёritable ёtant celle que llon“ citait au peuple assemblё et rien ntest plus prёs du peuple que le cinёma.Le poёte ёpique s'cxprilnera au rnoyen du
cinёma,ct dans unc belle ёpopё e ot sejoindront tous les arts,le lnusicienjouera aussi
sonめle pour accompagner les phrases lyriques du rё citant。
(.…)Mais le grand thё atre qui produit une dramaturgie totale ceest aucun doute le
cinёma。
(S/C,No。
8,9,10,aoOt‐ septembre―octobre 1916,p.59.)アポリネールの映画 に対する関心と期待 は 1907年の段 階ですでにみられる.しか し,このインタビユー の内容から,ア ポリネールがパ リの文壇 に復 帰 したあとは映画 に 対する興 味がさらに深まっていることがよくわかる。事 実
,1917年
に彼 は実際にアンド レ・ビー と映画シナリオ Zα βだ力αri″`を
執筆ているし,1918年
にブル トンにあてた手 紙では映画 のシナリオを12作品執筆し始 めていると書いている③。 このように,SIC 8,9,10合 併号はアポリネール にとって負傷後初めて,自らの芸術観 や 映画 に対する関心 について語る場 として重要であつた。それと同時にycと
ぃぅ雑 誌 自体もこれを転 換 点 として,国 の内外 を問わず 若 い前衛 芸術 家たちが注 目し,作 品を発 表 す るモデルニテの雑誌 という性 格を明確 にし始 めた。ではこのインタビュー は具体的 にどのような影響 をSICに与えたのであろうか。38 アポ リネールと雑誌 Src Ⅲ S/Cはこの号以 降,編 集 方針 が大きく変 更されている。アルベール=ビロは 当初,批 評的研 究は掲 載せ ず,作品と芸術 関係 の情報のみで雑誌 を構成することを考えてい た。しか し,8,9,10合 併号以後は,作 品だけではなく,批 評,論 文が多く掲載されるよ うになる.アル ベ ール=ビロも彼 自身の理論である
<Nunisme>に
関する論考を数号に わたつて発表 している.<Nllllisme>と はギリシャ語の □□□(=maintenant)に由来する。彼 は詩《Les Anciens》 の 中で,<...nous sommes CuBI田 阻s,FU「 URISTES, SIMLILTANISTES,L「 NANIMISTES,+...ISTES,+..。 ISTES,cn un nlot NUNISTE> (S/C,No.H,novembre 1916,p.82.)と 説 明しているが,彼 の関心は特に演劇 におけ る
<Nunisme>に
あつたと考えられる。このことはアポリネール に対するインタビューの 多くが演劇 に関する質 問で 占められていること,8,9,10合 併 号の論文《A pЮpos dun thёatre nuniquc》 で具体 的にその演劇 への応用が論じられていること,そ して後述する ようにアポリネールの演劇 ιθs ν勧 “ JJgsル η″ιsノαsを
SICの<manifestation>と して上演したことなどからあきらかであろう。しかし,論 文《A propos dtun thё atre nunique》 で
語られていることは,す でにアポリネールが《zOne》や《Les fenetres》などの詩で実践し
ている芸術理 論<simultanёisme>の 演劇 への応用 という色合 いが強 く,結 論部はこの
インタビュー にお けるアポリネールの発言に大きく影響されているように思われる0.
われわれが注 目したいことは
, 25号
(1918年 1月)に発表されたスーポーの論文《Note l sur le cinёma〉)と映画詩《Indittrence》である。《Note l sur le cinё ma》 には
スーボーが 8,9,10合 併号に強い関心を持ちこれらふたつの作品を寄稿したという説
明が,<N.DoLoR>と いう署名のはいった小さな文字で書き加えられている.
Dans une nOte sur le thё atre nuniquc(SIC,octObre 1916)nous aVOns donnё une
place au cinё ma et nous avions l'intention d・ёtuc五er ce moyen nouvcau d.expressiOn ot
nous voyions conllne caractё Hstique la rttlisation de 10ultra‐
rёalisme ; notre
アポリネールと雑誌 Src
premiё re note et ce preIIlier poёIIle cinёIIlathographiqueo N.DoLoR (S/C,No.25,janvier 1918,p.187.)
ここではスーポーがアルベール=ビロの論 文《Th輸騰 nuniquc)〉に含まれる映画の
記述 に興 味を示したために,このノートと詩 を寄稿 したと説 明されているが,わ れわれ
はむしろ,前 述のインタビューと1917年
H月
に行 われたアポリネールの有名な講演《L.EspHt nouveau et les pottes》 に若 いスーポーが触発 されて執筆したと考えたい.
その理 由は,まず 当時アルベ ール=ビロが若いアヴァンギャルドたちを惹きつけるだけ
の新 しい芸術観 を構 築 していたとは考 えにくいことがある。上 述 したとお り《Ttttre
mnique》はアポ リネー ル の 芸術 観 との差 が認 められ ず ,ア ル ベ ール =ビ ロ自身も
<Nunisme>と いう用語をすぐに放棄している。の.次 に,詩 《In出籠rence》の最後 にス
ーポー本 人が記 しているとおり,これ らの作 品が執筆されたのは 1917年 12月であり,
これ は講演《L.EspHt nouveau et les poёtes》の直後 にあたる.スーポーはこの講演 に
アポリネールから招 待を受 け出席 していた.そ の影 響 は,《Note l sur le cinё nla》の次
の文にはつきりと認 められる(11).
Dёs lnaintenant appanllt pour ceux qui savent voir la Hchesse de ce nouvel art。 (.¨ )
Il appartient alors au cだ ateur, au ptte, de se sewir de cette puissance et de cette
richesse jusqu・ alors nёgligёes,car un nouveau servitcur est a la(五 sposition de son
ilnagination。 (S/C,No。25,janvier 1918,p.187.)
このように講演《LIEspHt nouveau etles poёtes》にみられる映画を芸術 として考える
アポリネールの一貫 した態度 が,スーポーの 《poёmes cinёmatographiques Slつへ と
つながり,シ ュル レアリストたちに受け継 がれていくのである。
病床 の詩 人へ のインタビューは
,SICの
編集 方針 を変えただけではなく,ア ルベール=ビロに前衛 芸術 に対してより積極的な姿勢をとらせる動機 となつた.SICは第
H号
40 アポ リネール と雑誌 Src ラムの詩などの印刷 に対応できるようになり,新 しい芸術 雑誌としての価値を高めてい く.また,アルベール=ビロは雑誌購読者のために
<SIC AMBULANT>と
いう名のもと にさまざまな講演会を開催 したり,<Editions SIC>と いう名称で出版 事業を始 めるよう になる。 雑 誌ycを
さらに発 展 させ るきつかけとなったことは,ア ポリネー ルの戯 曲 ιθs M2″ θ′′ `sル η″s,αsの
上演とその援助 であつたといえるだろう。アルベール=ビロは 〈くManifestation yC du 24 juin 1917》 という企 画 によって,この歴 史的なシュルレアリ スム演劇 の上演を実現させ ている。そのきっかけとなったのが,ア ポリネールヘのイン タビュー であった.実際のインタビューではアルベ ール=ビロは負 傷 した詩 人とさらに 長 時 間,演 劇 につ いて語 り合 い,そ の会話をとお して新 しい演劇 の詩 学についての 認識を互いに深 めたにちがいないっというランタングルの指 摘は正 しいであろう(13J.ァ ポリネールの演劇 への関心は彼 の文学体験 が始まった頃からのものであり,実際 に 彼 は悲劇 ,笑 劇,風刺劇,歴 史劇などさまざまな作 品を残 しているが,このインタビュ ー以後 ,演 劇 に対する理論 的意 味づけを意識 したのではないだろうか。このことは, アポリネール が1916年
から17年
に書き記したと思 われるノー トの内容00や,Zθ s M2廟 θ′′θsル
η″ιs,αsの
序文とプロローグの内容から理解 できる。序 文はこの「シュル レアリスム的 二幕劇 」が<Editions SIC>か ら上演 の 1年 後 に出版 された時に付加 されたものであるが,ア ポリネール はここで,<surё alism少や <suttalistoな どの新語を解
説 すると同時 に,新しい演劇 の美 学 に関する彼 の考 えを論理 的 に展 開している。そ
れ に対して,プ ロローグでは詩の構成をとりながら,演 劇 におけるエスプリ0ヌー ヴォー
が具体 的 に語 られる。アポリネール 自身はプロローグが作品そのものよりも重要である
と断 定し(151,また序 文のなかでも演劇 芸術 につ いての 自分の提案 はプロローグにそ
の本質 的な特徴を提示したと述べている(10.
Un thёatre rOnd a deux scenes/une au centre llautre forrnant coIIline un anneau/ Autour des spectateurs et qui perlnettra/Le grand dё ploiement dc notre art moderne/
アポリネールと雑誌 SIC
couleurs les cHs les bmits/1La musique la danse llacrobatie la poё sie la peinture/1Les ccurs les actions et les dё cors lnultiples cοっp.881.)
アヴァンギャルドたちの関心もこの序 文とプロローグに集 まっており,ここでのアポリ ネールの新 しい演劇 に対する考えかたは20世紀演劇 に多大な影響 を与えている。 Zθs」眈r″θ′′θs″ η″ιsjαsの 上演は<manifcstation>と しての意 味を持つていたため に,雑 誌 SICの 第18号から第22号までは大部分の記事 がこの演劇 に関連する内容 で 占められる. 第 18号 に《SIC》という署名で発表された論 文ではこの上演の成 功を伝 えるとともに, 筋 書きを詳 細 に紹 介 し,数 名 の批 評 家 の意 見を掲 載 している。アポリネール 自身も くくS破Poёmes》 という6人 の役者それぞれの献辞をつ けた詩 を発 表する(1つ。また第19, 20合併 号では,新 聞や雑誌 に掲載された んθs Mク″ `′ ノθsル η彪∫Jαsに ついての論評 が転載 され るなど,ア ルベール=ビロのアポリネール に対する支援態勢 がはつきりとわ かる。しかし,「シュル レアリスム演劇 」という演劇 史 上 に残るイベ ントをアポリネールとと もに成 し遂 げたことによつて,雑 誌 SICが 国内外のアヴァンギャルドの詩 人たちに認 め られる存在 になつたことも確かであろう(1め.ι gS Mα″θルsルη″ιsfαsの 上演以降,新 し い芸術の推進者 であるアポリネールを慕つていた若 い芸術家たち0"が ,次 々と
ycに
作 品を発表するようになり,SICは正真正銘 の前衛 芸術雑誌 となつたのである. Ⅳ 以上のように,雑誌SICは
アポリネールが協力することにより,前 衛 的な雑誌 として 大きく成 長をとげた。新 しい芸術運動 に対する知識も交友 関係 にも乏しかつたアルベ ール=ビロは,ア ポリネールとの出会いによつて,前 衛 芸術運動 に関わることが可能 となつたのである.これは彼 の<Je suis nё enjanvier 1916.>と いう言葉からもよくわかる。
しかし,ア ポリネール にとつても第
1次
大戦 後の文壇復 帰 と戯 曲 ι`s M2″θノ′θ
sル
アポ リネールと雑誌 Src
ものであった。アポリネール はこのことを十分 に認識 してお り,講 演〈くLOEsp五t nouveau
et les poёtes》のなかでアルベール=ビロのオノマトペ詩《L・Avion》について言及してい
るし00),彼の詩集3ノPο′″θsルPοθ力θsに 序 文として詩《Poёmeprёfaceprophё tie》を
贈つている。 このようなふたりの深 い信 頼 関係 は,ア ポリネールの死まで続 く.この点
については,雑 誌 MttD―S1/Dの 編集 長であったル ヴェルディとは相違するところであ
ろう。昨年の拙稿で指摘したとおり。1),《L.EspHt nouveau ct les poё
tes》に失 望したル ヴェルディは,MttD―
Sの
の編集 方針 を変更し,自分を中心とした雑誌へと変化 させ ている。アポリネール は戦前の雑誌 ι `s Safだ`sル
Pαr,sを 復刊したいと望んでいた が,そ の夢は叶わなかった。しかし,雑 誌ycが
総 合的な前衛 雑誌 としての役 割を果 たしていた。このような意味においてS/CはZ`s肋ルιθsルPα″お に直接つながる雑誌 であると言えるのではないだろうか。 雑誌 SICも ⅣORD―Sの
もともに,アポリネールという新 芸術 の推進者 によって前衛 的な雑誌 として機 能 し,新 しい詩 人たちの作 品発表の場 として大きな役割を果たした が,前 衛雑誌 は長くは続かない.雑 誌 S/Cは アポリネールの死後約 1年 間発行された のち,そ の 4年 間の役割を終える.この期間にアルベール=ビロは 自分 自身を意識し, その後は独 自の作 品制作 に向かうことになる。そして雑誌 MttD―Sの
のルヴェルディ もダダイスムや シュル レアリスムからは独 立した道を歩 むことになるであろう。 今後 ,ア ポリネール と第一 次大戦後の新 しい芸術 との関係 をより明確 にするために は,これ らの雑誌 が芸術 に新 しい地 平を開 くことになるダダイスムや シュル レアリスム の雑誌 にどのように受 け継 がれていくのか,ど のように変 質 させ られていくのかという 問題 を解 明しなければならない。そしてアルベール=ビロやル ヴェルディがこれらの芸 術運 動 といかなる距離をとることになつたのかを検 討する必 要があろう。これ らの点 に ついては稿を改めて論じたい。 使 用テクスト:SIC,Jean―Michel Place,1993.(本 文中のページ数はこの版による)
ア ポ リネー ル と雑 誌Src
Cwras a“ ′raSθθOHP′夕rθ∫二Gallimard(BibliOtheque de la Plё iade),1977.(PrIIと 略記)
6E“ッras θο″ψ′arθs′θG"J′ra“副θ4Pο′′j″αJ″r4Andr6 Balland et Jacques Lecat,1966.
(αC Ⅳ と略記)
注
(1)1916年 12月 31日にLθ PoOrθαssassJ″び 出版 を記念 する祝 宴(banquet)が ,彼の友人や若
い詩 人たちによってオル レアン宮 で開催 された。詩 人 はそのときの感 激 をモーリス・レーナル 宛 の手 紙 で述 べ てい る。Piere‐Marcel Adema(勤f′ra“″θ“″ ο′″″α能,La Table Ronde,
1968,pp.29■299.またピーター・リードが雑誌NOD―
Sの
創 刊 号の分 析 から指 摘 していると おり,ア ポリネール 自身も戦 前 自分 に付 与されていた新 興 芸 術 のパイオニア,統率者 としての イメー ジをく renOuveler>し たい とい う気 持 ちを持 つてい たとい えよう。Pcter Readく く“LaVictoire 'l deApollinaire contexte, sources et unages 》 dans Mёlanges Dёcaudh ιし側フガ′
″ο "ッ aα “J♭″s ra“ s sιsご二αrs,Minard,1986,pp.203-205 0)拙稿「アポリネール と雑 誌 MttD―反 D」 ,『年 報フランス研 究』34,関西 学院 大 学フランス学 髪や,2000,pp.1_11.
(3)Anne Boschetti 腸 ′οιsJ`′ arro“│∼ο″liFαJ″
,力 0″
""θ-lPο9“θ″∂9∂‐fタノ∂ノ,Seuil,2001, p。211.
(4)Marie―Louise Lentengre 〈くUn urlivers dans une revlle〉〉
dans Suて勇Jean_Michel Place,1993,
pp.I― II.
(5)Marie―Louise Lentengre PJθ ″
1′ノ‖b`r-31irOrニサ
“ッθ″rliο″′
g sοJ′Jean‐Michel Place,1993.
(6)拙稿 《乙ω Sο Jだω ど
`Pαガs comlle lieu de misc en scene de l'inventioll apollinaricIEIC)), E"ごasグθ ra″〔響
``′′J″ごra″″/ra″fαlisθs No.78,Sociaё JapOnaise de Languc et Litteramre
Fran9aises,2001,pp.158‐ 173.を参 照. OfbJ″。,pp.160_162.ま た,ア ポリネー ルが晩 年,伝統 的 な形 式 のなかか ら新 しい形 式 を生 み 出 そうと模 索 していたことは拙 稿「アポリネールと雑誌
NOD―
乱D」 υ.εJ′.,pp.6‐9.で指 摘 した。 ロランス・カンパが述べているとお り,1913年に出版 されたM″
lira″ο “ asttι″9″ はフランス以 上にその他 のヨー ロッパ 諸国やアメリカで話題 となり,ア ヴァンギャル ドたちに永く参 照されるテ キストとなった。Lallrence CaIIlpa,Es油 ご″9“θ′幼 "〃 J″αJ″,SEDES,1996,p.27. 18pァポリネールは 1907年の段階ですでに当時の映画状況をふまえたうえで,短篇作品《Un beau■ lm》を執筆している。また,雑誌のなかではじめて映画時評を連載 したのは,彼 が編集 長であつたL′s sattω ′θ Paガsであった。また,1917年にガストン・ピカールから受けたイン タビューでは,書 物が 1,2世 紀のうちに消滅し,その役割をレコード盤や映画が継承するであ ろうという大胆な予測を示している。アポリネールと映画については,拙 論『 アポリネールにお ける「エスプリ・ヌーヴォー」の総合的研究 ―― 散 文作 品の新 しい位 置 ――』,博 士論文 (関西学院大学),1998,pp.95‐141 を参照.0ロ
ランス・カンパは,アルベール=ビロの考えについて次のように略述している。44 アポリネールと雑誌 S/C
puisqu・il est dans la tradition poctique d'inventer perpё tucllement de nouvene foHne. Lallrence Campa,PaJttassa,sン “bο′ liS“θ,EsP拓 "″ ο “ ツθα “,Ellipses,1998,P.107. 本 文 中で指 摘 したとお り,このような考えはアポリネール が生涯 をとお して述 べていたことで あり,ア ルベ ール=ビロ独 自の思想 とは言い難い。この点 に関しては,稿を改 めて論 じたい。 また 当 時,演劇 Las Mttθ′′θs′θ rl"siα
sの
紹 介 記 事 の な か で,アポ リネ ー ル が <Nurlisume>の 創 案 者 だ と誤 解 した雑誌も存在 した 。Michd Dёcaudin《 Lθs M7″`′
揚 ′θ
rlレゼsJαs_Docllments‐Dossier de pressc(COmpkttnents),dans O“ θツ′ο―νθ 7,Quamёme sёHe No.4,octobre― decembre 1998,pp.107¨ 109.
(10)Maric―Louise Lclltengre PJ`rraメ
1′bθ ttl-3jttο′LT″ッθP7rliO″ dし sοj,qP.θJ′。,p.107.
(1め アポリネー ル は講 演 のなかで,芸術 としての映 画 の可 能性 に言 及 し,言語 を用 いた単純 な
芸術 よりも壮 大な芸 術 によつて,詩人 に開かれる想 像 力の活 動 の場 は限 りなく広 がると説 いて いる。スーポーの記 事 はこの部 分 を参 考 にしたと考えられ る。(PttI.,p.944.)
(12)Philippe Soupault Eθ ガ漁「どθεJ“ご″αノ9ノ∂―f9Jr,Plon,1979,pp.23-25.
(13)Maric‐Louisc Lentengrc Pjθ ″ηИJb`″′‐31irar LT″ッθ″万ο″′θ sOJ,qttεfr。, p■ 16-117.
(11)Peter Read′4,ο′′ルαJ″ gr Lθ s Aイa″g′′θs′θ rlレゼsJαs Iン ″ッα″c力θ ′Eras, Presses Universitaire de Rennes,2000,pp.61‐62.
(15)fbJど.,p■ 33.
(16)P。.,p.868.
(lη ピエ ール・ピレは,この詩 にはエスプリ・ヌー ヴォー の到 来というメッセー ジがこめられている
とし,ア ポリネール にとつては一 種 の声 明 文としての価 値 があつたと分析 している。Picrrc Piret
《Llesprit nouveau,les p“tes et la s“ne Liapport exメ:rimental des Й
“θ〃ω ′a rliだ
slα s〉〉,
f9ノ∂θr/ゅο〃J“αfた,LlHamattant,1999,p.85.
(1助Lω A々″θ′′asごa rliだsJαsの序 文が海 外のアヴァンギャルドたちに与えた影響 については
,
Willard Bohn〈(Apollinaire et ravant_gttde intemationale〉 〉dans O“θツ′ο―vθ 7(Bulletin
intemationale des ёtudes str Apollinaire),TЮ iSiёme ttric No.27,juillet―scptembre 1997,
pp.90‐94.参照 。この論 文 は同氏 の著書 И′ο′′J″αtt α″グルa lirra“arJο″α′αッα″r―gα〃θ,蹟
NL
1997の結論 部 に該 当する。また,ア ルベ ール=ビ ロおよび雑誌 SICは,ア ポリネールとの関
係 において海 外 のアヴァンギャル ドの知るところとなつたことが,この著 書からもわかる。 (1"例 えば,ブ ルトンはす でに医学生の頃にアポリネールとの手紙 のや りとりを始めている。また
スーポー 自身 が語 つているとお り,彼の最 初の詩 をS´Cに発 表させ たのはアポリネールであつ
た。Philippe Soupault(〈 Guillaume Apollinaire〉 〉dans Michel Dё caudin G“Jfra“″ι/4Pο〃J“αJ″,
Librairie Sёguier―Vagabondages,1986,p7ツアラはチューリッヒか らアポリネール に雑誌Dαあ
への執筆協 力を求めている。
(20)PrII.,p947,p1686.
01)注
(2)参照.
アポリネールと雑誌Src 資 料
“ (1919,1-2ア ポ リネー ル追 悼 号 まで) 45 No AM アポリネール の作品 アポリネール関連事項 その他 1 1916.1 アルベール=ビ ロの作品のみ。 1916.2 セヴェリーニの版画とアルベール= ビロの評論、詩作品 1916.3 初めてアポリネールについて触 れられる 1916.4 L:Avenlr 1916.5 Dialogue rlllnique掲 載 開 始 1916.` アルベトール=ビ ロ:L Nunisme
1916.7 Po諭e Expos面on‐audition davant garde開
催の予告
8,9,10 1916.8,9, インタビュー Les Tendances
nouvelles,ルネ・ベ ル テ ィエ の Espoir en Guillaume Apollinaire
セヴェリーニの版画,B∝doni論 掲
載 ,ア ルベール=ビ ロのA propos
diun th6atte nunique
1916.11 印刷所が変更される。
1916.12 1l pleut アルベール・ビロの詩Liespnt
modemeの最終merci Guillaume,
んι Pο′たαssass′″″が紹介される
デルメの詩Jeu予 定期購読を呼び かける広告
1917.1 0.3フランに値上げ,ルヴェルディの
詩 Quai auX neurs,s/C発 売場所 の紹介
1917.2 Un p《食me
1917.3 ストラヴィンスキーについての記事
1917.4 LんPont ETC.…で、雑誌脚
m_乱
の が出 たことに対する賛辞が述べられる 1917.5 Pablo Picasso Mercure de Franceか ら詩集CaιJligrα″″asが 出ることの予告
ディアギレフバレーの上演につい ての記事,コ クトー名で掲載された 詩 Resmurant de Nuit
1917.6 Six poemes Las脆〃θ′ルsグθ rlittsfasの
Compte renduが 特集される 前号に掲載された詩Restaurant de Nuれがコクトーのものでなことが明 示される 1917.7,8 ι `sνa″′ιιsル ηtts′αsに つい ての各雑誌 、新聞の批評を掲載 ストラヴィンスキーの楽譜マニュス クリ掲載,ス ーポーの詩Ⅸception 21, 22 1917.9,10 LθsMattθ′′asル η″″s,αsの コー ラス部分の楽譜,Edition Sicか り陀sMα ″ι′Jθs″■彪s′αsが5 フランで出版されることの予告 ツアラによる1'art n鈍 "の記事, Dada,Noiな ど新 しい雑誌が出版さ れたこと紹介 1917.11 アル ベ ー ル=ビロの詩Poёme a crier ct a danser_L'avion,Miroir, 日本 の 詩 の 翻 訳 掲 載 1917.12 戦争のためLas Mα″θJJasル 動奮′αsの 出版が遅れることに 対する謝罪 ジャコブのComet a D6sに ついての 記事,1916‐1917までのSorrmaires 掲載
46 アポリネールと雑誌Src 1918.1 0。50フランに値上げ,表 紙のレイア ウトが変わる,ス ーポーの評論Note l surle Ciこ肛La 1918.2 表紙フェラのレs Mα″θ″θsル 動塗ブα∫デッサン,詩集 Иra″ J″′θ″ルraИ″ο″,の記事 S/Cが ふたつの集会を行う予定が あることを告げる 1918.3 ピカールの詩 Eptte偽面l麟ea Guillaume Apollinatre,アラゴン の評論レ 24 Juh 1917 スーポーの詩C`巌 1918.4 ツアラの詩 Bois parlant ou mtelligible.… 29 1918.5 アラゴンとプルトンのTreize Etudes, スーポーの詩Escalade,アラゴンの 評論 30 1918.6 7,8,9月は休刊で、10月から月に2 回発行されることを予告,アラゴン の詩
G面
pour gar9on アルベール=ビ ロG載血oulorの断 片発表1918.10 アラゴンのLes Cuvres li"命aires
ian9JsesでCα′rligra″″as扱 わ
れる
ルヴェルディの詩V∝巌側おns
dans ia clart`
1918.10 スーポーのPhotttaphies a―ee,
ツアラの詩ARC 1918.11 ラディグの詩Poёme 1918。 11 アルベール=ビロによるアポリ ネール死亡の記事 ルヴェルディの詩B“ce au fond du couloir,Avant lhorloge,ツアラ による1lart neFeの記事 1918。 12 1月にアポリネール追悼号を出 すことの予告
アラゴンの LぉCuvres litt“aire
mm9aises 1918 アルベール=ピ ロによるCο “ル“″ ねoψsに 関する記事 1918年のSonmJres掲載 37,38, 39 1919.1_2 アポリネール追悼号 特別号価格2フラン