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〔資 料〕『出羽待定法師忍行念仏伝 上』翻刻と解題

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Academic year: 2021

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解題  ※ 忍行念仏の道者として知られる禅峰待定法師の生涯とその行実を記した 『出羽待定法師忍行念仏伝』 は 、 江岸月泉の編纂と鶴阿宝洲の校閲によっ て、 享保十九年 (一七三四) 九月、 京都の書肆向松堂が開版し、 寺町三条 下の書林めとぎや宗八が売捌所となって世に出されたのが最初で、元文元 年 (一七三六) 七月には同じく京都の皇都書林が版行し、 二 条通車屋町村 上勘兵衛 知恩院石橋町澤田吉左衛門から売り出された。ともに上下二冊 本で、 向松堂蔵版には上巻に 「頭灯掌灯苦行念仏図」 「羽州置 賜 ヲイダメ 郡永居 ノ 郷松高山文殊浄境図」 が付され、 下巻に 「立屋背上念仏待月図」 「寒中七 日投河念仏図」が付されている。皇都書林蔵版にはこの四図の付されたも のと、 「羽州置賜郡永居 ノ 郷松高山文殊浄境図」 のみが付されたものがあ る。しかしどちらも上梓は七月十七日なので、これが待定の命日に合わせ て出版されたことは明らかで、元文二年板もあり、おそらく好評裏に重版 が求められていたものと思われる。 待定法師は貞享二年 (一六八五) 羽前国村山郡蔵増村 (現、 山形県天童市 蔵増) に生まれた。 俗 姓は東海林氏、 名は伝わらない。 夙に父が亡じたの で弱冠にして家名を継ぎ、資性柔順淳朴にして母に孝養を尽くし、慈悲心 憐れみ深く、礼譲をもって人に交わったので郷里の人々の尊敬を集めたと いう (注1) 。正 徳 五 年 (一七一五) 七月、 村山郡谷地の誓願寺で、 聖僧として名 高い奥州伊達の学運無能上人 (一六八三~一七一九) が法然上人の『選択本 願念仏集』を講義したのを日々聴聞し、浄土宗門の要義を信受して 即 日に 出家を 乞 うたが、母 妻子 あるをもって「 発 心 堅固 なら ば他 日 縁熟 の 時 ある べ し」と 切 々と 諭 され、日 課 念仏三 万称 を誓 約 し、 在 家ながら一向 専修 の 行者となった。それから ほ どなく、 雨 中の地蔵尊の 姿 を 見 て 発 心し 衆 生 済 度 の願心を 起 こし、 享保四年 (一七一九) 三十三 歳 のと き 、母 と 妻子 を 捨 てて出家 世した。 学 苑第 八五二 号 一五~七五(二 〇 一一 一 〇 )

『出羽待定法師忍行念仏伝上』

翻刻

解題

口靜



花恵

〔資 料〕 大聖寺所蔵 待定法師画像

(2)

優婆塞の姿で修行し、羽黒山に登って権現の宝前に籠って四十八日を要 期に昼夜不臥の念仏行を修し断食往生を望んだが、満願の日に光明の中に 霊告を受け、初志を断念しあらためて求道を志した。以来、日課念仏十万 称を誓い、木食草衣の姿で最上文殊ヶ滝 蔵王嶽 鳥海山 浅間嶽 熊野 山 富士山 筑波山 羽黒嶽 神波山 日光山 妙義山 大山 箱根山  立山など遠近の名山霊堀を巡って断食苦行念仏に精励した。越中立山で断 食念仏中に端厳の僧より、 「剃髪の身となり念仏して罪人を救度すべき」 由の霊告を受け、本国羽州最上に急ぎ帰ったが、師と仰ぐべき無能上人は すでになかった。 享保五年 (一七二〇) 六月、 寒 河江領西里にて無能に倣って男根を切断 し、同年秋に山形の曹洞宗宝勝禅寺瑞峰を拝して剃髪受戒し、禅峰待定と 号した。しばらく瑞峰のもとで参禅したが、念仏を正業と定め座下を辞し て同国用村に草庵を結び、また和合村の草庵に住して昼夜念仏十五万称を 行じ、ひたすら見仏の念行に励んだ。この庵居五年の間、道俗男女帰依供 養して勝縁を求める者が群参した。待定は時に函中に入っての百日苦行念 仏 頭灯 掌灯 川行などの苦行を修し、また奥羽二州を遊歴教化した。 このころ草庵に妻子が尋ね来たが うことはなかった。 享保十年 (一七二五) 、夏のころから無常を感じ、飯豊山を終焉の地と定 めたが、昔友の勧めによって置賜郡亀岡の真言宗松高山大聖寺奥院に参籠 すること七日、断食念仏昼夜十五万称 礼拝三千五百礼を修し聖境を感 得 したが、満願の日に 鐘 楼堂建 立の霊告を受けたので 捨 身往生を中 止 し、 建 立 成就 を志願した。置賜山 観音 に一百日日参して 所 願 成就 を 祈 り、奥羽  関東 を 遍 歴勧化し、頭灯 掌灯など 忍 行をもって 諸 人の帰依と 浄財 の 喜捨 を受けた。 さ らに勧化を 続 け、 享保十四年 (一七二 九 ) 五月、 最 上 貫 見村 地蔵 堂 に籠居三十日、この間 弥陀 の名号を一万五千 枚書 して 有 縁の 衆 生に 施与 し、地蔵 尊 の宝前に 左 の 指 灯を 燃 いて名号の 開眼 に 擬 し、 さ らに 米沢 領 小出 村の 白 山権現 宮 村明神 へ 参 詣 して 指 灯の 所 願を 啓請 し、 油屋 五 左 衛門宅 にて 鉄 で五 指 を 打ち挫 き、 油綿 を 巻 いて 燃 灯し 尽 くした。またこ の年の 冬 には、 報恩 のために 観音堂建 立の志願を 起 こした。 享保十五年 (一七三〇) 正月には 米沢 領 笹 野村 観音 へ 二七日間参籠し、 再 び 弥陀 の名号 五千 枚 を 書 き、 右手 の 拇 指 と頭 指 を 燃 して名号の 開眼 供養とした。また参 籠時、 夢 中に 観音 菩 が現 われ 、七月十七日 午刻 が入定の時日と告 げ ら れ 歓 喜 啼泣 した。六月には 仙 台 領 斗倉 の 観音 に一 指 を供養し、こ れ より 相馬 方面 に遊化し、同月十八日には 小 野村の宗 信 庵 (の ち 待定庵と 改む ) にて最 後 の一 指 を供養した。 七 月、 四万一千 余 人の 喜捨 によって大聖寺の 鐘 楼堂  観音堂 の 落 成 供養を 果 たした。 享保十六年 (一七三一) 二月上 旬 、待 定 を 敬慕 する羽州下 永 居中松村の 曹洞宗 永 松寺の 春 国和 尚 の 招 請 により 留錫 し頭灯供養を行じ、亀岡に 戻 っ て七月十三日には、 予 め入定地と定めた 新 建 の大聖寺 鐘 楼堂 傍 に 構え ら れ た 石郭 の 完 成 を 昵懇 の 相馬 泰心 院の 亮 海 阿闍 梨 らと見 分 し、十五日には大 聖寺の二 堂成就 に 点 眼 供養した。また そ の初夜には結縁の道俗を 集 め、 自 身の身 肉 を 有 縁の地に 送 り、 そ の地の 鎮 護 となすよう 遺 言し、十六日夜、 観音堂 に お いて 自 ら 利刀 をもって 両 眼 を 抉 り、 舌 根一 耳 二 面 二 口 中 六 唇 四 腕 二 腹 五 足 指 十二 脚 三十  十 九 ヶ 所 を切り 取 り 机 上に 並 べ置いた。の ち にこの身 肉 は、箱に 納 め 遺 書 にしたがって 有 縁の地八十 七ヶ 所 に 送 ら れ た。七月十七日、いよいよ入定 予 告の日というので帰依の 道俗が 雲 集 した。文殊 堂 で真言僧 徒 による 法 要が修 さ れ 、待定は 春 国和 尚 に 手 を 引 か れ て 石郭 内 に入り入定した。四十七 歳 だった。 入定の 翌 日から 窟 の中より参 詣 の 諸 人に十念を 授 ける 声 が 響 き、日 々 に二千三千と参 詣 者は 絶 え ることがなかった。 法 師の 姉 の 尼公 が最上から 訪 れ た時にはひとき わ 高 声 に十念が 授 けら れ た。八月七日 つ いに十念の 声 も 絶 え た。しかし、入定 後 九 十日に 当 たる十月十七日に参 詣 した一本 柳 村

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四郎右衛門はじめ亀岡村など近里の者二十人余は高声に十念を授けられた という。 ※ 『出羽待定法師忍行念仏伝』の編者である江岸月泉 (一六九一~一七六〇) は奥州信夫郡山口村 (現、 福島市山口) の曹洞宗松柏山常円寺の六世で、 智道兼備の高僧として遠近にその高徳を知られた人であるが、しかしまた それは桑折の浄土宗大光山正徳寺の無能上人を知ってこれに傾倒し、禅門 にありながら念仏門に帰入し、民衆教化と利生事業に精励した念仏禅の行 実の結果だった。いまも当地方には百万遍念仏会が伝えられ、月泉の念仏 信仰の風儀は常円寺十世の時代まで続いていたというから (注2) 、その影響力の 大きさを窺うことができる。 月泉の無能敬慕の念は極めて篤く、 『無能和尚勧心詠歌集』 所載 「無能 和尚遺骸を荼毘にして舎利を得并舎利霊験 の 事 (注3) 」 によると、 「月泉は無能 の門人某から舎利一顆を乞い求め、これを宝塔に安置して尊重珍敬してい た。ある夜、舎利に向って、自分は自力修行のことを学んだが、他力本願 については不案内で、ただ慈訓を守ってひたすら名号を唱えるばかりであ る。これが果たして仏意に叶い順次に決定往生するものならば、舎利よ今 夜のうちに培増したまえと一心に念仏し祈請した。翌朝舎利塔を開くと、 一顆の舎利が一夜にして倍増し分顆していた。月泉和尚は信心肝に銘じ、 ますます往生の信を口称の一行に帰した」と伝えられている。月泉の念仏 帰入がひとえに無能の勧化によるものであり、その現証として舎利倍増を 実見したという信仰体験によって決定づけられたことは確実である。 月泉の念仏禅の余香は、現在も常円寺で毎年四月に「お春地蔵尊大祭」 が執行されていることにも窺うことができる。姑に殺された嫁のお春の供 養のために地蔵石 像 が 建 てられ、これの開 眼 供養には月泉禅師によって 助 命 された姑が 白 衣 に 洒水 を 捧げ て 従 い 懺悔 の行をしたという。この「お春 地蔵尊 像 縁 起 」の 物語 は、近世 農 民のき わ めて現実 的 な 問題 と月泉の念仏 禅がもたらした信仰の 有 り 様 をまことによく伝えている。 校閲 の 任 に当たった 鶴阿 宝 洲 (~ 一 七 三八 ) は江 戸中期 を代 表 する浄土 宗の学僧で、当時、 洛東鹿ヶ谷 の法 然院 に 住 していたが、上 洛 する 以前 に は 相馬 郡 中 村 (現、 相馬 市 中 村) の浄土宗 崇 徳山 興仁 寺 三 世の法 燈 を 継 い だ人 物 だった。 宝 洲 もまた無能を敬慕し、 無能の 逝 った翌 享保五 年 (一七 二〇) には 興仁 寺にあって『無能和尚行業 記 』二 巻 を上 梓 している。 宝 洲 は 『忍行念仏伝』 の 序論 に 記 すように、 「 予 、 嚮 きに 東 州に在るこ と 多 年。 因 って知 己 の 彼 の地に在る者、 亦頗 る 多 し。 故 にしばしば定の 偉 行を 告 げ 、これを 聞 くこと 殆 んど 熟せ り。しかれども 未 だ 此 の 如 く 委悉 な るに 至 ら ず 。今 此 の 全 伝を 視 るに 及 んで、 更 に 感 仰に 任 へず 」という事 情 から 序論 と 評 語 を 贅 して 依頼 された 責 を果たしたのである。宝 洲 は 洛東鹿 ヶ谷 にあっても学僧らしく、知 友 から 寄せ られる待定の 動 向とその 情 報 を 収 集していたとこ ろ に月泉から『忍行念仏伝』が 届 けられ、 校閲 と 序 文 を 依頼 されたのである。 『無能和尚行業 記 』 や 『忍行念仏伝』 に 加 えられた 序論 評 語 を見るだけでも、宝 洲 の学 識 が内 典 典 に 通 じた極めて 広 く 深 いものであったことが窺い知られる。 ※ 月泉は 『忍行念仏伝』 の 序 文 に、 「待定法師の化 功 はすでに奥羽二州に れているが、それは 坂 東 に 聞 えているだけで、いまだ 京畿 の 諸 州に 及 ん でいないのはまことに 惜 し むべ きことである。法師の 寂後 、その行 状 を 収 集している者も二 三 家 あるが、それ ぞ れ十分意を 尽 くしているとはいいが たい。自分は不 敏 の 身 であるが、 星氏 菅野氏 らが 筆 記 した法師の口 説 に もとづいて、 各説 を折 衷補訂 し二 巻 にまとめ、 『待定法師忍行念仏伝』 と 名 付 けたのである 」 という 。 ここに 本 書 編 纂 の 理由 と 経緯 はあきらかである 。 さらに月泉は 「 わ れ法師の在世に 曽 て 直面 せず 」 というが、 「 予 、法 師

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入定の後十五日過ぎて亀岡に参詣せり。地下窟内にして十念の音、温雅融 朗たり。誠に声々の下に自然に塵垢を洗ひ、念々の中に不覚に欲刺を抜く の思ひあり。ここに於て頓に狐疑を除いて鴻信を発し、急に本国に帰りて 諸人をも詣せしむ。諸人いたりし日は、入定後廿一日に当れり。その時も 猶、予が聞きし時に異なる事なしといへり。此の不思議はこれ仏力か法力 か、われその裁するゆへんを知らず」とあって月泉の待定に寄せる関心は 旺盛である。おそらくそれは月泉と待定がともに念仏禅の行者であったか らであろうと思われるが、月泉は稀代の忍行念仏布教の功業と、その壮絶 で尊い人生を入定という至法の方法で帰結した待定を敬慕し、小出村油屋 五左衛門 門馬氏など待定有縁の人々に取材して一 の伝記にまとめ上げ たのである。 ※ 良崇無能和尚は近世奥羽地方の浄土念仏門の聖僧として名高く、法然の 直弟で奥羽布教に大きな功績を残した石垣の金光上人 (一一五四~一二一七) と並び称される。諱は学運、法号を興蓮社良崇といい、自らは守一無能と 称した。 天和三年 (一六八三) 陸奥国石川郡須釜村 (現、 福 島県石川郡玉川 村) の矢吹家の次男に生まれ、 十四歳の時に発心し、 翌春には出家を望む が周囲より止められ悶々の日月を過ごした。しかし十七歳の春三月、伊達 郡桑折大安寺の良覚に投じて得度し、名越派檀林の磐城専称寺に入寺した。 翌年八月、羽州亀岡大聖寺の文殊菩 に七日間参籠して自行化他の所 願成 就 を 祈 願 し、下 総 飯沼弘経 寺 江戸増 上寺の檀林に学び、下 総 成 田山 で七 日間の 断食 をもって 道 学の 成 就 を 祈 念した。 宝永元 年 (一七 〇 四) 五月、 二十二歳の時、 専 称寺 宝前 において欲事を 断 じ、日 課 一 万 称の 誓 いを 立 て、翌二年、専称寺二十一世良 通 から法 脈 を 承け 興蓮社良崇の法号を 授 かると、いよいよ 持戒 を 強 くし、二十五歳の時 には 常坐 不 臥 と日 課 三 万 称を 誓 い、 雑 行を止めて念仏三 味 の生 活 に入った。 さらに 宝永 六年 (一七 〇 九 ) 二十六歳で 世の 宿 願 を 遂 げ、 以来墨衣 を 脱 ぐ ことなく 非 人法 師 の 身 となった。またある日、 向 後の 勤 行を定めんと 鬮 を 引 き、二度とも日 課 六 万 遍 の 鬮 を 引 いて六 万 称の行者となり、さらに 正 徳 三年 (一七一三) 三十一歳の春四月、 伊達郡小島村の 梅松 寺で、 唐青龍 寺光 儀 京栂尾 高 山 寺 明恵 の行業に刺 激 されて自ら 剃刀 をもって男 根 を 切 断 し、 一 向 専念の行者となった。 日 課 十 万 称を 誓 約 してからは 用 便 食 事  風呂 のときも念仏を止めず、さらにその 数 を記 録 した。無能生 涯 の念仏 惣 数 は、発心より入 寂 するまで 凡 そ三 億 六 千 九 百 三十 万 称、う ち百 万 遍 成 就 六度という。 こうした 求 道 生 活 のなかで奥羽二州を布教し、 数 々の 霊 瑞奇瑞 を現わし た。羽州では現 在 の 山 形 県村 山 地方を 巡錫 し、当時の村 山 郡 藤助新 田 村安 養 寺 溝延 村 宝 泉寺 谷 地 誓 願 寺 大 町 村 東昌 寺 寒河 江 正 覚寺 山 野 辺 浄土寺 上 ノ 山 称念寺 山 形 万 日 堂 同 天然寺 同 浄光寺に止 錫 し、奥州 においては現 在 の福島県 北 東 部 の伊達郡を 巡錫 し、当時の伊達郡桑折大安 寺 藤 田 大 千 寺 梁 川村称名寺 保原 村浄運寺 川 俣 村 東 円 寺 信 夫 郡福 島 到岸 寺 松 川村 常 念寺 安達郡 根 崎 町 台 運寺 (天 台 ) 田 村郡三春法 蔵 寺 (時 宗 ) 宇多 郡 幾 世 橋 不 乱院 相 馬郡石上村 常 円 寺 小 野 村 西 光寺  小泉村 万 日 堂 山 下村 西 方寺に止 錫 し布教した。 各 寺の寺 主 には 謙譲 を守 り、その 恩 恵 を 奉謝 したから、寺 主 らも無能の所行を 篤 く 保 護 した。 布教にあたっては、 説 法法 談 を行い、日 課 念仏を 誓 約 させ、生業に 従 事 する者には日 課 一 万 五 千 遍 を、 老 人 道 心者は二 万 遍 から三 万 遍以 上を 条 件 とし、 篤 信の者には 染筆 を 授け た。生 涯 に日 課 を 授け た人 数 は十六 万 九 千百 七十 余 人にの ぼ り、日 課 の 誓 約 も 卑 俗 化することなく 厳格 に行ったと 自ら 『 近代奥羽念仏 験 記 』 に記している。しかし 享 保 二年 (一七一七) 、布 教 途 中の安達郡本 宮 (本 宮市 本 宮 大 町 ) で 瘧疾 をわずらい、 同 四年 (一七一 九 ) 正 月二日 未 明 、三十七歳の さで 北 半 田 の 塞耳庵 に生 涯 を 閉 じた。

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※ 無能の布教勧化は短期間であったが、 「師、 も し法を求むる者ありと聞 き給う時は、路の遠近をも問わず、いかなる山の奥までも必ず尋ね至りて 教化せられけり」 (不能編 『無能和尚行業遺事』 ) 、「勧化の詞、 諄々として、 農民樵夫漁父猟師の輩、幼年の小児までも、一度その説を聞いて信心を激 発し、たちどころに悪を改め仏を称する類、その数を知らず。辺域の仏化 に疎き所にて、かく国こぞりて申すありさま、誠に権化の人ならでは、か かる不思議は有り難かるべし」 (宝洲編 『無能和尚行業記』 ) と伝えられるよ うに、全霊を傾けたものであった。そしてそれは『行業遺事』に「凡そ法 海一味にして平等無差なれども、 機万別して宗々異同あり。しかれども 諸宗いずれか金口聖説の法門にあらざらん。されば何れの宗教を学び伝う る人にもあれ、皆ともに仏の遺弟子なれば、たがいに妬執の情あるべから ず」とあり、 『祈請制戒七十二件』に「他善に随喜し嫉妬を懐くこと莫れ」 「自法を愛し他修を軽んずること莫れ」 「たとい理ありといえども諍論を致 すこと莫れ」 「あながちに自らを是とし他義を非とする莫れ」 とあるよう に、 他宗をも認めた上での念仏勧化であり、 「平等心に住して親疎を論ず ること莫れ」 「人を労して自ら楽しみを求めること莫れ」 「慈悲心に住して 悪人を憎むこと莫れ」 「内に仏性を観じて下賤を軽んずること莫れ」 と い い、これを実践して乞食 非人 療者 遊女など社会から蔑視され差別さ れた人々にも救済の法談をし日課を授与したから、無能による法談勧化の 法筵は短期間のうちに爆発的な広がりを見せたのである。 こうした 背 景 には 、 無 能 の 霊 的 作 用 の 現 証 が あったことが 指 摘 されている (注4) 。 すなわち勧化道場において参詣者が聞法中に得た不思議体験である。この 霊的体験の注進を輯綴したものが『近代奥羽念仏験記』 『勧化念仏奇特 集 』 『無能和尚行業遺事』 で、 持 病 が 治 った 悪 夢 を見なくなった 難 産 を 克 服 した 阿弥陀如来 を 夢 見たなどの現 益や 、 名号や 念仏に 対 する不 敬 に 応 報 して発 狂 などの現 象 が 起 こったなどの現 罰 が注進されている。無能は 篤 信者に 名号符 (注 5 ) を与えて念仏を 精励 したから、その 名号 による現 瑞や 奇 瑞 も 少 くないのである。 僧 伝 や 行 状 記に現 益や 現 罰 が記 録 されるのは 珍 しいこ とではないが、無能の霊能的現証 ほ ど 顕著 なものはなく、それは 没後 にも 及 んでいた。 たとえば遺 身舎利 の霊験がある。 『無能和尚遺 骸 を 茶毘 して 舎利 を得  舎利 霊験の事』 『信 達 一 統誌 』などによると、 「無能は 享保四 年 (一七一 九 ) 正月 二日、 三 十七 歳 にして 北半田 の 塞耳庵 ( 桑折町北半田御免町 ) で 遷 化し、 遺 骸 は遺弟 や 有 縁 の道 俗 が遺 言 にしたがってその 地 に 土葬 したの だ が、 六 年 後 の 享保 九 年 (一七二 四 ) 六月 になって 聊 か 障 難が 起 こり、 遺 跡 を 桑折 の金 剛 山 大安寺 ( 桑折町 沢 ) に 移 すことになった。 七 月 一日に 墳墓 を 掘 っ て 棺 を 開 いたところ、遺体は 葬 った時と同じ 状 態 で 厳 然 として 残 り、 臭穢 もなく、 群 参の人々はみな 感 した。 夕刻 、 庵 の 庭前 で 荼 毘 したところ、 西方 の 空 が 朗然 として金 色 の 雲 がたなびいたのでみな奇異の思いで 眺 めて いた。 翌 日、遺 骨 を 納 めようとすると、 灰 の中に 光 り 輝 く 舎利 があって、 その数は数 百 にもおよび、 白 色 紫 色 の 舎利 がその 色 ご とに 皓潔 な 光 を発 していた。この奇特は無能 尊 師が 多 年にわたり実修実行されたことの奇 蹟 であろうと皆々一同に 語 り 合 って 拾 いあ げ 、それを 瓶 に 納 めて 大安寺 に 安 置 し、同 寺 境 内に 供養 塔 を 建立 した」と伝えている。 この 舎利 現 出 の はたちまち遠近に聞こえ、 競 うように 大安寺 へ 参じて 舎利 を 拝 する者が 後 を 断 たず、無能を 誹謗 し 対 峙 していた者の中にも念仏 に 帰依 する者があり、また弟子の不能 や 大安寺 和尚に霊 舎利 の 分 与を 懇願 するものが 少 なくなかった。 承 け 戴 いた 舎利 はそれぞれの 地 域にもたらさ れ、 や がて同 衆 によって無能 講 念仏 講 が 結 ばれたのであるが、それは 今 も 各 地 に 残 る 名号 幅 名号 碑 百 万 遍 供養 塔 などによって 確 かめることが できる。無能の勧化の 影響 は 深 く、か つ 大 きな広がりを見せている。

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※ 霊舎利一顆を得た一人が江岸月泉だった。月泉はその舎利が一夜のうち に倍増するという霊験不思議を体験し、 「ますます往生の信を口称の一行 に帰した」のである。奥州信夫郡山口村の曹洞宗松柏山常円寺六世であり ながら念仏門に帰入したのは、偏に無能の勧化の影響によるものだった。 月泉が編じた『出羽待定法師忍行念仏伝』に伝えられる待定法師もまた 無能の法筵を聴聞して発心出家したのである。 『忍行伝』 によれば、 正徳 五年 (一七一五) 七月、 農業を営んでいた待定は、 近郷の谷地誓願寺で行 われた無能による四十八夜々念仏の法座に参会して『選択集』の講話を聴 聞し、すぐさま出家して弟子になることを望んだが、老母や妻子を残して の出家に理のないことを切々と諭す無能に日課三万遍を受け、出家を思い 止まった。 しかし出家の思い断ちがたく、その二年後には老母 妻子を捨てて捨世 の身となり、優婆塞の姿で諸国の霊山霊窟を経巡り断食苦行 忍行念仏す ること四年、越中立山で籠山中に「剃髪の身になって罪人を求うべし」と の霊告を受け、無能の弟子となるべく急ぎ羽前に帰ったが、その時すでに 無能は遷化してこの世になかった。仕方なく同郡西里村の素封家逸見家の 厚意を受けて 留し、 日課十万遍を称すること一年が過ぎた享保五年 (一 七二〇) 、 無 能の捨世に倣って逸見家の庭先で男根を切除した。 その後、 縁を伝って山形宝勝寺の瑞峰禅師から剃髪受戒し、禅峰待定の法名を得て 参禅するが、翌享保六年には座下を辞し念仏正業の生活に戻っているから、 禅門での出家は方便にすぎなかったように思われる。諸人救済や衆生済度 という化他行は優婆塞の身では到底なしえないものだったからである。 待定の忍行の一端は 『忍行念仏伝』 に付載された 「頭灯掌灯苦行念仏図」 「羽州置賜郡永居 ノ 郷松高山文殊浄境図」 「立屋背上念仏待月図」 「寒中七 日 投河 念仏図」によって 伺 うことがで き る。五年に お よ ぶ草庵 生活に お い ては、 毎 月十五日 二十五日には、頭と 手 の 平 に 百匁 燭 をの せ 、 燃 え 尽 き るまで念仏を口称する苦行を 修 し、 毎 月二十三夜 二十六夜には、日 没 になると一 本足 の高下 駄 を 履 いて屋根にの ぼ り、 満 々と 水 を入れた 茶碗 を 三 指 に載 せ て月の出るまで高 声 念仏したり、あるいはようやく身体が入る ほど の 箱 を 作 って仏前に置 き 、 炒大豆千 五 百 粒 と一 碗 の 水 を 持 ってその中 に入り、念仏一万遍 ご とに一 粒 を食して一日十五万遍を称える苦行を 百 日 間 修 したり、また 庵 前を 流 れる 極 寒の 最 上 川 に 浸 かって七日 間 の念仏を 勤 め るな ど の 難 行苦行を 果 たしながら日課十五万遍を称え 続 けた。 無能上人名号 無能上人真影

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待定は自身を木食僧であることを認めているが、しかしこうした行法は 浄土門の正業ではなく、木食行の範疇をも遥かに超えたものであって、そ れはいわば山岳信仰における懺悔滅罪の精神世界の表出とも言うべきもの であるが、それに加えて待定の場合には、彼自身が生まれながらに背負っ た強烈な厭離心からの所業であったことが指摘されている (注6) 。それは長く秘 されていたことだが、武士であった待定の父親が思い余って人を殺してし まったことがあり、待定の苦修練行には、この過根に対する惣領としての つぐないの心情が存するというのである。入定にあたって自身の身肉を八 十七片に切り分け、これを有縁の地の鎮護になすべく八十七ヶ所に送った と伝えるが、その最も多く送られた地域は、待定の父が過ちを犯したとい われる地方だったという。そうであれば、熱心に取材して編じたはずの月 泉が、 『忍行念仏伝』に待定の俗姓「東海林 とうかいりん 」を「せうじ」とふりがなし、 かつその俗名を伝えなかった理由が諒解されるのである。 待定は四十七歳の享保十六年 (一七三一) に羽州高畠村の松高山大聖寺 文殊堂の傍らに入定したのだが、大聖寺においては待定法師像を祀り、七 十六翁高橋庄吉筆の頭灯掌灯念仏をする待定法師画像を有し、現在も毎年 七月中旬に念仏踊りが行われている。これは屋代郷の義民高梨利右衛門を 悼み、また待定法師の偉業を讃え、法師の墓参 (注7) をかねて奉納されるもので、 ながく同寺観音講によって引き継がれてきたのである。また、相馬小野の 待定庵においては、指のない待定法師像の前で、今も月々百万遍念仏が行 われている。 待定の生涯とその業行をめぐってはすでに種々の意見が提出されている が、それについてもっとも基本資料とすべき月泉編『出羽待定法師忍行念 仏伝』を翻刻紹介することにしたい。 注 1 松高山大聖寺所蔵の高橋庄吉筆の頭灯掌灯念仏をする待定法師画像に添え られた 略 伝に 拠 る。 誤字 を正して紹介すると、 「 抑 、 此 名僧待定 坊ハ 、 ハ 禅峰ト云 。生 国 ハ 出羽 国 村山 郡 大 字 蔵 増 村 ノ産 ニシテ 、俗姓 ハ 東海林 氏 。 資 性 ハ 柔順淳朴 ニシテ 、 弱冠 父 ヲ亡へ家 名を相 続 シ 、 母 ニ 仕へ テ 大 変孝 行 ニシテ 、 慈悲 心 甚ダ深ク 、 物ヲ憐ミ 、 礼譲ヲ以 テ 人 ニ 交リ 、 故 ニ 郷 里 ノ 人々 ニ 大 想 尊敬セラレ 、 或時伊達 郡 浄土 宗 聖僧 無能和尚 ト云 智識ガ 、同 郡 谷 地 誓願 寺 デ御説 法 セラレタル ヲ 拝聴 シテ ヨ リ 、大 ヒ ニ 仏法信 者 ト ナ リ 、 堅 ク 発 心 スル 所 ト ナ リ 、 慈 愛 ノ 老 母 ト 最 愛 ノ 妻女 ヲ 振 り 捨 テ ヽ 、 時 ハ 享保四年 仲春 御 歳三十三 才 ノ 時 、 剃 髪 ナ シテ 世 ナ シテ 、 当亀岡 文殊 尊 ノ 霊 地 ニ 参 ラレ 、七ヶ年 間 山 籠 ナ シテ 忍行苦 労 セラル 。一心 不乱 、念仏 ヲ 唱 へ 居 リ シ 処 、 黎明 ニ 近キ頃 山 谷 急チ震動 ナ シテ 、待定 坊 大 ヒ ニ 驚キ 起ツ テ 、四方 ヲ 見 ル ニ 、 虚空 ニ 声アツ テ 申サ ル ヽ ニ ハ 、『 此 ナル 霊 山 ニ 、一 ツ ノ 鐘楼 堂 待定庵所蔵 待定法師像

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ヲ建立セヨ』ト申サレタル。法師ガ不思議ニ思へ耳ヲ傾クルニ、又モ御声 アツテ、前ノ如ク聞へタル。如斯霊告再三ニ及ビシ為メ、待定坊様ガ有難 キ感ニ打タレ、大ヒニ御決心ナサレ、鐘楼堂及ビ観音堂ヲ建立ニカヽリテ、 享保十五年ニ落成サレタリ。今ニ現存セル荘厳美麗ナル堂々ガ、待定坊様 ガ十方ニ勧化、浄財ヲ集メテ建立ナサセラレタリト云伝へテ居リマス。其 勧化帳簿、御堂等ナリ凡ハ四万一千余人記シ、其外釈 ノ御尊及ビ参籠堂 ヲ建立ト記サレテ在リト云。何ント待定坊様ノ徳力コソ実ニ偉大ナ功績ナ リト思フ。七十六翁高橋庄吉」とある。待定に対する大聖寺周辺における 衆庶の一般的な理解が示されている。 注 2 長谷川匡俊氏 『近世浄土宗の信仰と教化』 (一九八八年二月、 渓水社) 所 収「奥羽の念仏禅月泉と忍行念仏者待定」 。 注 3 『無能和尚勧心詠歌集』 は東都長泉律院蔵版。 長谷川匡俊氏 『近世の念仏 聖無能と民衆』 (二〇〇三年九月、 吉川弘文館) 所収 「無能没後の無能信 仰と弟子不能の無能寺開創」にその梗概が載る。 注 4 鈴木聖雄氏『解読「無能和尚行業記」併びに「行業遺事」 』(二〇〇三年六 月、誓願寺)第二章「無能和尚による奥羽の勧化」第二節「無能和尚に勧 化された人々」第一項「勧化とその現証」に指摘がある。 注 5 守一山無能律寺が印施した『無能上人行状和讃』に載る不能画の「無能上 人真影」と無能上人の 名号 符 。真影には「法のた めう き 世 も身をも すては て ゝ南 無 阿弥陀 仏  」の詠歌が 添えら れている。 注 6 鈴木聖雄氏『解読「無能和尚行業記」併びに「行業遺事」 』(二〇〇三年六 月、誓願寺)第二章「無能和尚による奥羽の勧化」第二項「禅 峯 待定の  世」に指摘がある。 注 7 日本ミイ ラ 研究グ ル ープ 『待定法師 入 定 墓 の 発掘 調査報 告 書 』( 平 成十四 年九月、 昭 和 女 子大 学内田 研究 室 )によると、 入 定 墓 か ら 人 骨 は 出 土しな か っ たとい う 。 明治 三十五年九月二十八 日 の東 北地 方 を 襲 っ た大 暴風雨 に よ っ て 流失 した も ののよ う で ある。 ( 関口 記) 凡例  一、 『 出 羽待定法師忍行念仏伝』 ( 袋綴装 上 下 二 冊 )の 翻刻 にあた り 、 底 本を そ の 初 版と 考 えら れる 家 蔵の 向松 堂版に 採 っ た。享保十九年(一七三四)九月、 京 都の 書 肆 向松 堂が開版し、寺 町 三 条 下 の 書 林 め と ぎ や 宗八 か ら 売 り 出 され た も の で ある。 一、上 段 に 写 真影印 を 置 き 、 下 段 に 翻刻 文 を 示した。 一、行 取 は凡そ 底 本 の 通 り とし、 丁数 を 各 丁 末 に記した。 一、 漢字 仮 名 と も 原 則 として 通 行の 字 体 を 使用 し、 古体 略体 も 通 行の 字 体 に 改 め 、 清 濁 を 施した。 一、 右 ルビはその まま付 したが、 左 ルビは( ) 付 き で 示した。 一、 句 読 点 を 私 に施し、 判 読不能の 箇 所は ■ で 示した。 一、 引 用 部分 や 心 中表 現には「 」『』 を 付 し、 書 名 には『 』 を 付 した。 一、 翻刻 にあた り 、 素 稿 はす べ て 宮 本 が 作 成し、 関口 が 監修 した。

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」上 表表紙 出 羽

待定法師忍行念仏伝

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(白丁) 」上 表表紙見返 頭灯掌灯苦行念仏図 」上 図①

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」上 図① 」上 図② 羽州置賜 ヲイダメ 郡永居 ノ 郷 松高山文殊浄境図 南 東 北 シヽイハ テカケ石 ハヤマ キンゼイ札 大セウジ ザゼン石 クマノ チセウイン サンモン ビンヅルサカ ザワウ 白山 村中 官領 寺領 交雜 西 山門 ヨリ 至 二 二 王門 一 八十 間、二王門 ヨリ 至 二本堂 一 百六十間、山 三十六町有 余 待定道人入定之地

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奥州 今属 ス 二出羽 ニ 一 。『続日本紀』五 ニ 「元明天皇乙未 永井 ノ 郷社亀 カ 岡文殊童真縁起略 割 テ 二 陸奥 ノ 国最上置賜 ノ 二郡 ヲ 一 、隷 ツク 二 出羽国 ニ 一 焉」 。 『先代旧事本紀』 依 二 推古帝 ノ 勅 ニ 一 、聖徳太 廿九帝皇紀 ノ 上 ニ 曰、 文具 ニ 如 二 按 ズルニ 継体帝 ヨリ 至 テ 二 欽明 子共 ニ 二臣秦 ノ 川勝 一 所 レ製。 伝 ノ 下 ニ 引 ガ 一 。 帝 ニ 一 、所現 ノ 神 ハ 山田 ノ 末社 吉野権現 永居 ノ 文殊 八幡太神等 ナリ 也。然 ルニ 此 ノ 文殊大士 ハ 人皇二十 九代宣化天皇二年正月、 従 リ 二 震旦五台山 ニ 一 飛 ビ 来 テ 、化 シテ 而成 リ レ ト 、示 二 シテ 不朽 ノ 相 ヲ 一、鎮 二 座 シ玉フ 此 ノ 山 ニ 一 。即 チ 宝龕 ニ 所 ノ レ 秘 スル 聖像是也 ナリ 。獅子 モ 亦化 シテ 而成 ル レ ト 。堂 ノ 巽 タツミ 、山 ノ 半腹、獅子巌是也 ナリ 。斯 レ 乃、五所文 殊 ノ 随一也 ナリ 。有 リ 二 徳一上人 ノ 所 ノ レ 造賓頭盧尊者 一 。擁 二 護 ス 本堂 ヲ 一 。故 ニ 飛 ノ 工、 建立已来、 至 テ 二 干今 ニ 一 、 無 シ 二火変 一。本 堂 ノ 北 ニ 有 リ 二 ノ 枯木 一。倒 ル ニ 于風 ニ 一 。中 ニ 有 リ 二 ノ 痕 アト 一。写 スニ レ 紙 ニ 尊容儼然 タリ 。是 ヲ 名 ク 二 虫 ノ 文殊 ト 一 。 内陣 ノ 四柱 唐戸等、 有 リ 下 ニ 汗大 ニ 流 レテ 至 ルコト 中 半時或 ハ 一昼夜 ニ 上。此 ノ 時、 衆僧集 二 シテ 本堂 ニ 一 、特 ニ 行 ズ 二 念誦 ヲ 一 。是 レ 其 ノ 例也 ナリ 。凡 ソ 五嶺松高 シテ 而境多 シ 二 異瑞 一 。如 キ 下 聞 キ 二 仏法僧鳥 ノ 声 ヲ 一 、或 ハ 聞 ク 二 誦経  音楽 ノ 響 ヲ 一 等 ノ 上、不 二 具 サニ 述 ブ 一。是 ノ 故 ニ 諸州 ノ 僧侶、潔斎 シテ 登山 スル 者、絡繹 トシテ 不 レ エ 。宝龕前 ノ 尊 像 ノ 者、春日 ノ 所 レ 作也。寛永年中 ニ 脩飾 ス 。 嵯峨 ノ 大 覚寺 ノ 宮 二 品 法 親王及 ビ 洛東智積 教院 元 寿 僧正、 遂 二開眼供養 ヲ 一 。 」上 縁起略 待定 法 師忍 行念仏伝 序論 弥陀覚 皇 在 テ 二 因地 ニ 一 シテ 言 ノタマ ハク 、 仮令 ヒ 身 ヲ 止 ヲクトモ 二 ノ 苦毒 ノ 中 ニ 一 我 ガ 行 ハ 精 進 ニシテ 忍 デ 終 ニ 不 ン ト レ 悔 ヒ 。而 シテ 忍 力 成 就 シテ 不 レ 計 ラ 二 苦 ヲ 一 。 勇猛 精進 ニシテ 志 願 無 ク レ コト 、 以 テ 得 レ 為 コトヲ 二 三界 ノ 雄 ト 一。今 夫 レ 如 実 ニ 心 トシ 二 於 仏 心 ヲ 一 、行 トスル 二 於 仏行 ヲ 一 者 ノハ 、 待定 法 師 、其 レ 殆 ン ド 庶 幾乎 チカヽ ラ ン カ 。法 師 、 稟 テ 二 ヲ 夷遐 ニ 一 抽 デ 二 志 ヲ 絶代 ニ 一 、 壮 年 ニシテ 棄 テ ヽ レ 家 ヲ 、而 入 リ 二 空門 ニ 一 瞻 テ 二 地 蔵 ノ 石像 苦 雨 ニ 所 レテ レ 灌 ガ 巍 然 タルヲ 一 、 頓 ニ 発 ス 二 広度 ノ 大 心 ヲ 一 。 節 シ 二 心 ヲ 一 、事 トスルコトハ 二 抖 一 ヲ 殆 ン ド 侔 シク 二 雪 山大士 金色 頭 陀 ノ 之 上行 ニ 一 燃 シ 二 手指 ヲ 一 刳 グ ルコトハ 二 眼 晴 ヲ 一 全 ク 同 ジ 二 崖菩 定 蘭道 人 ノ 之 苦 修 ニ 一 。然 レ ド モ 体 テ 三 澆 末 ノ 出 要 不 ルコトヲ レ 過 ギ 二 念仏 往 生 ノ 一 門 ニ 一 、 ミ 日 」上 序論 01オ

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課仏名十余万声。亦普 ク 勧 テ レ ヲ 令 ム レ ゼ 二 数遍 ヲ 一。未 ダ ズ四 曽 テ 有 ラ レ ルコト 三 人 ヲシテ 傚 ハ 二 自 ノ 忘身 ノ 苦行 ニ 一。後精 二 勤 シ 本州亀 ガ 岡文殊 ノ 岳 ニ 一 、募 二 シテ 州郡 ヲ 一 、 建 ツ 二 鐘楼及 ビ 円通殿 ヲ 一 。而 シテ 後、遂 ニ 欲 シ 下 辞 シテ 二 閻浮 ヲ 一而帰 ント 中 安養 ニ 上 、乃 チ 割 二 截 スルコト 身肉 ヲ 一 、八十七創。以 テ 擬 ス 二 大法 ノ 供養度生 ノ 之縁 ニ 一。予 ジメ 卜 シ 二 石 窟 ヲ 於巌畔 ニ 一、安詳 トシテ 入 ル 二定龕 ニ 一 。四衆雑沓 シテ 如 ク レ スルガ 二 考妣 ヲ 一、悲敬交 く 至 ル 。蓋 シ 『釈書』 『忍行伝』 ノ 之後寥々 トシテ 乎、未 ダ レ 下 若 ク 二法師 ノ 一 具 サニ 備 ル 二 行 ヲ 一 者 ヲ 上。於 テ レ 是 コヽニ 東奥信夫 ノ 郡小白山江岸泉禅師、慨 テ 三 其 ノ 高 行 ノ 蹟不 コトヲ 二 遠 ク 伝 ラ 一、旁 アマネク 労 シテ 二 採訪 ニ 一 ニ 編 二 ス 行伝二巻 ヲ 一。書成 テ 以 テ 遥 カニ 寄、令 メ 二 予 ヲシテ 校閲 セ 一 、且 ツ 嘱 ス 二 之 カ 序 ヲ 一 。予嚮 キニ 在 ルコト 二 東州 ニ 一 多年。因 テ 知己 ノ 在 ル 二 」上 序論 01ウ 彼 ノ 地 ニ 一者、亦頗 ル 多 シ 。故 ニ  告 ゲ 二 ノ 偉行 ヲ 一 コト レ 之 ヲ 、殆 ンド 熟 セリ 。然 レドモ 未 ダ レ 至 ラ 二 ク レ 此 ノ 委悉 ナルニ 一 。今及 デ レ 視 ルニ 二 此 ノ 全伝 ヲ 一 、更 ニ 不 レ 任 ヘ 二感仰 ニ 一 。輒 チ 不 レ 揣 ラ 二陋拙 ヲ 一 。記 シ 二 之 カ 序論 ヲ 一、且 ツ 贅 シテ 二 評語 ヲ 於文間 ニ 一 、以 テ 塞 グ 二 其 ノ 需 ヲ 一 。且 ツ 夫 レ 如 キ 二伝中 ニ 云 ガ 一 氷河 ニ 沈 テ レ ヲ 七日不 レ出。或 ハ 百日辟 テ レ ヲ 、而 モ 命不 レ 隕 ヲチ 。或 ハ 焼 二 截 シテ 身肉 ヲ 一 容貌自若 タリト 。此 レ 等 ノ 奇蹟、吾 レ 若 シ 聞 カバ 二 之 ヲ 街談遊辞 ニ 一、疑 テ 以 テ 為 ナリ 二 荒 唐 ト 一 。 実 ニ 世 ノ 之一大奇 事 ナリ 也 。然 ルニ 彼 ノ 地 ノ 知己、 現見 シテ 告 ゲ レ ヲ 、 泉 老 禅 確 実 ニシテ 記 シ レ ヲ 、彼 ノ 方 ノ 旅客 上 ル レ ニ 者、詳 カニシテ 二 其 ノ 物色 ヲ 一 、為 メニ レ 予 ガ 数  言 ヘリ レ 之 ヲ 。於 テ レ ニ 予如 ク 二 タリ 覩 ガ 一レ 之 ヲ 、 亳 モ 無 シ 二 疑 訝 一。其 ノ 如 キ 下 法師身 ヲ 止 ヲキ 二 迫 ノ 函 中 ニ 一 断 テ レ ヲ 念 仏 スルコト 数 旬 、或 ハ 危 二 シテ 樹端 ニ 一 捧 テ レ ヲ 待 ツ レ ヲ 等 ノ 上 」上 序論 02オ

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人、或 ハ 毀 ソシル 三 ノ 事怪僻 ニシテ 不 コトヲ レ 得 二中正 ヲ 一。謂 ク 孔子猶 ヲ 曰 フ 、不 ンバ レ 得 二中行 ヲ 一 必 ヤ 也狂狷 カト 。賛寧評 シテ 二 神僧 ヲ 一云、性僻 ニシテ 而高 シト 。今毀 シル 二 法師 ヲ 一 ハ 是 レ 求 セメ レ キヲ 求 ム レ ハランコトヲ 。此 レ 非 ズ 二君子 ノ 之情 ニ 一也。夫 レ 有形 ノ 之所 ロ レ ブ 莫 シ レ タルハ 二 身 命 ニ 一 。故 ニ 食 ラヒ 二 甘旨 ヲ 一 、衣 テ 二軽軟 ヲ 一 以 テ 養 フ レ 性 ヲ 者 ノハ 、欲 シテナリ 二 其 ノ 寿考 ナランコトヲ 一 也。羅隠 ガ 曰、 両臂重 ク 二 於四満 ヨリモ 一 、万物少 ナリト 二 於一身 ヨリモ 一 。然 ルニ 法師為 メニ レ 法 ノ 捨 レ ヲ 難 ヲ レ 作 シ 能 ク 作 シ 、上 ミ 供 シ 二 諸聖 ニ 一、下 モ 施 ス 二群生 ニ 一 。先仏 ノ 所行既 ニ 云 フ 、無 ント 三 芥子 バカリノ 地 モ 非 ルコト 二 捨身 ノ 之処 ニ 一。今静 カニ 憶 フニ 二 法師 ノ 所行 ヲ 一、不 レ 勝 エ 二感泣 ニ 一 。又法師 焚 二 臠 シテ 身肉 ヲ 一、無 ク 二 痛楚 ノ 色 一、見 ル 二 其 ノ 容易 ナルヲ 一 。僧崖 ノ 伝 ニ 有 リ レ之。崖将 テ レ 指 ヲ 置 ク 二 火中 ニ 一。振叱 タ 作 シ レ 声 ヲ 、青煙涌出 スレドモ 欣笑、自如 トシテ 竟 ニ 無 シ 二 痛色 一。崖 」上 序論 02ウ 曰、痛 ハ 由 テ レ ニ 起 ル 。心既 ニ 無 シ レ ミ 。指何 ゾ 有 ント レ 痛。又有 二 性強剛 ナル 者 一。如 キ 二 北宮黝 ユウカ 一、膚被 テ レ サ 而不 レ タハマ 、目被 テ レ サ 而不 ズ レ 逃 マジロカ 。如 キ 二 蜀 ノ 関羽 ノ 一 、嘗 テ 中 ル 二 流矢 ニ 一。其 ノ 瘡 キズ 已 ニ 癒 レドモ 陰雨 ニ 骨甚 ダ 痛 メリ 。医 ノ 曰、創 キズ 雖 二 已 ニ ト 一 、矢鏃 ノ 毒遺 ル レ 骨 ニ 。当 サニ ト二 破 テ レ 臂 ヲ 去 ル 一レ 毒 ヲ 。関羽即 チ 伸 テ レ 臂 ヲ 而劈 ツンサキ 、開 テ レ ヲ 令 ム レ ラ 。其 ノ 間対 シテ レ 客 ニ 言笑。殆 ンド 自若 タリト 矣。如 ハ 二 本邦尊願法師 ノ 一、年已 ニ 八旬、 攸 ノ 心切 ニシテ 身 ミ 刺 シ 二 腹肚 ヲ 一、去 リ レ 腸 ヲ 断 テ レ 胆 ヲ 不 ルコト レ 死 セ 五旬余日。一室 ノ 人 モ 初 メ 久 ク 不 ト レ 知 ラ レ ヲ 。如 ノ レ ノ 勇悍 ノ 之類、 世 ニ 所 ナリ 二 罕 ニ 有 ル 一。法師 ノ 所為不 レ ラ レ 為 ルニ レ 疑 ト 。如 キハ 二 常坐 不 臥 冬夏 一衣 水茹徒跣等 ノ 一 、 皆 ナ 頭陀 ノ 之 跡 ナリ 也。仏 世 ニ 大 葉専 ラ 行 ス 二頭陀 ヲ 一 。年 老 テ 不 レ 捨 テ 。 世 尊為 メニ 分 テ レ 座 ヲ 与 ヘ テ 二 葉 ニ 一 曰、有 レバ 二 頭陀 ノ 行 一 我 法 ガ 則 チ 存 ズト 。 竜樹 ノ 曰、 十 二 頭陀 ヲ 不 レドモ 二 」上 序論 03オ

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名 テ 為 一レ 戒 ト 。能 ク 行 ズレハ 則 チ 戒 ヲ 荘厳 ス 。不 レトモ レ 能 ハ レ ズルコト 不 レ ヲ 。譬 バ 如 シト 下 布施 ノ 能 ク 行 ズレバ 則得 レ 福 ヲ 、 不 レ 能 レ 行 ズルコト 者 モ 無 キガ 上レ 罪。 蓋 シ 為 ニ 下 美 ニシ 二 其 ノ 衣食 ヲ 一 、惰 テ 二 其 ノ 四肢 ヲ 一 不 レ 知 ラ 二慚愧 ヲ 一 者  上 、所 三 以 ノ 為 ス 二 誡 ヲ 一 者亦不 レ ラ 。故 ニ 聞 ク 二 法師 ノ 之風 ヲ 一 者 ハ 頑夫 モ 廉 ニ 懦 ダ 夫 モ 有 リ レ コト レ 志 ヲ 。夫 レ 兼金 清玉 ハ 者在 テモ レ 萃 ニ 而貴 ビ レ 之 ヲ 、在 テモ レ 夷 ニ 而宝 トス レ 之。 何 レニ 之 クトシテカ 不 ンヤト レ 用 ヒ 哉。 此 レ 法師 ノ 之 謂 ナリ 也。冀 クハ 可畏 ノ 君子採 テ 為 ンコトヲ 二 僧史忍行伝 ノ 之冠首 ト 一。今筆 シテ 二 一時 ノ 議論 ヲ 一、以 テ 為 二 ガ 序 ト 一 享保十九年竜舎甲寅七月上澣 洛東獅子谷白蓮社沙門鶴宝洲槃譚  印(白蓮社)印(宝洲) 」上 序論 03ウ 待定法師忍行念仏伝序 原 ヌルニ 夫 レ 於 テ 二 願生西方 ノ 機類 ニ 一 、古徳姑 ク 分 ツ 二 其 ノ 四種 ヲ 一 。一 ニハ 上々 ノ 機、厭欣 ノ 心 頻 リニシテ 不 レ 二 報命 ノ 尽 ルヲ 一 、忽 ニ 捐 ツ 二身命 ヲ 一。如 キ 二『新修伝』 ニ 云 カ 一 、或 ハ 投 二 身 ヲ 高嶺 ニ 一 、或 ハ 委 ステ 二 命 ヲ 深泉 ニ 一、或 ハ 自 ミ 堕 チ 二高枝 ヨリ 一 、或 ハ 焚 テ レ 身 ヲ 供養 スル 者、 略  聞 クニ 二 四遠 ヲ 一 向 ナン トス 二 百余人 ニ 一 ナリ 也。 二 ニハ 者上機、 欣 ノ 心雖 レ シト 而 モ 不 レ ヘ レ 生 ヲ 、亦不 レ 悲 マ レ ヲ 、唯 ダ 畢命 ヲ 為 シテ レ 期 ト 念 仏往生 ス 。三 ニハ 者中機、随分 ニ 雖 レ 有 ト 二 欣 ノ 心 一、忽 チ 聞 テ レ 死 ヲ 而一念生 ズ 二 怖心 ヲ 一 此 レ 依 ル 二無始 ノ 慣習 ニ 一。然 レドモ 省 テ 二道理 ヲ 一 後、不 シテ 二 更 ニ 驚 カ 一 、住 ス 二必死 ノ 念 ニ 一。四 ニハ 者下機、雖 三 聞 テ レ 理 ヲ 発 スト 二 欣 ノ 心 ヲ 一、猶 シ 如 シ レ ガ レ 水 ニ 。噫 アヽ 、如何 ンシテカ 是 レ 二 ント 死路 ヲ 一。苟 モ 生 ズ 二鄙心 ヲ 一 。雖 二 然 モ 嘆情 スト 一 、竟 ニ 非 レ キニ レ 逃 ル 。故 ニ 強 テ 願 ジテ 二 往生 ヲ 一念仏 ス 。此 ノ 人病 ヒ 重 ク 死至 ル 時、仏力加 」上 序 04オ

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祐 シテ 娑婆 ノ 執、漸 ク 忘 レ 、浄土 ノ 願、  起 テ 、終 ニ 正念 ニ 往生 ス 。如 ノ レ 此 ノ 諸機、不 レ 能 二 具 サニ 述 ルコト 一 。就 テ レ ニ 其 ノ 上々 ノ 機 ハ 者、如 シ 二 善導 ノ 云 ガ 一 。一心 ニ 唯 ダ 信 ジテ 二 仏語 ヲ 一 レ 顧 ミ 二 命 ヲ 一 、決定 シテ 依行 ス 。是 ヲ 名 ト 二 ノ 仏弟子 ト 一。待定法師 ハ 其 ノ 所謂 ル 上々 ノ 機 ナリ 也。法 師託 シ 二 生 ヲ 於羽州村山郡 ニ 一 、三十三歳 ニシテ 捨 テヽ レ 家 ヲ 世 シ 、暫 ク 優婆塞 ノ 身 ニシテ 而 修 二 歴 スルコト 処々 ノ 名山絶嶽 ニ 一 有 リ レ年。性最 モ 堪 タリ 二 苦行 ニ 一。艸衣 木食不 レ 厭 ハ 二氷霜 ヲ 一 。 夏時 ニハ 露形 ニシテ 以 テ 施 シ 二 蚊蚋 ニ 一、備 サニ 嘗 ム 二 艱辛 ヲ 一。本 ヨリ 帰 シ 二 弥陀仏 ニ 一、常 ニ 一心 ニ 念仏 ス 。修 二 励 スルノ 越 ノ 中州立山 ニ 一 之日、聞 テ 三聖僧 ノ 告 ヲ 二祝髪 ノ 之事 ヲ 一、径 タヾチニ 還 リ 二故国 ニ 一 、投 ジテ 二 山形 ノ 府、瑞峰和尚 ニ 一 、薙染 シテ 名 ク 二禅峯待定 ト 一 。時年三十七歳。和尚見 テ 二法師 ノ 器宇爽抜 ナルヲ 一 、授 ルニ 以 テス 二 教外別伝 ノ 之旨 ヲ 一 。法師欣然 トシテ 奉 ジテ レ 教 ヲ 、只管打坐道 」上 序 04ウ 骨匪 ズ レ 凡 ニ 。遂 ニ 辞 シテ 二 瑞峯 ヲ 一、卓 二 庵 ヲ 於用村 ニ 一 。掩関独坐、脇不 レ ケ レ 席 ニ 。三日 ニ 一 タビ シ 、五日 ニ 一 タビ 食 ス 。法師未 ダ 在 リシ レ 家 ニ 時、嘗 テ 聴 テ 三 無能運公 ノ 講 スルヲ 二 選択念仏集 ヲ 一 深 ク 領 ス 二念仏往生 ノ 之旨 ヲ 一。能公 ジテ 二 其 ノ 深詣 ヲ 一、以 テ 器許 ス 焉。故 ニ 雖 三一旦参 スト 二 曹洞 ノ 之禅 ニ 一、而法師 ノ 本意偏 ニ 在 リ 二 念仏 ニ 一。因 テ 禁 二 シ 不急 ノ 之言事 ヲ 一 、日課 仏号十有五万、昼夜孜々 トシテ 以 テ 換 フ 二 難則 ノ 参禅 ニ 一 。或 ハ 立 テ 二 高樹上 ニ 一、合掌 念仏 シテ 侍 チ レ 月 ヲ 。或 ハ 浸 シテ 二 身 ヲ 於凍河 ニ 一 励声 ニ 念仏 シテ 不 ルコト レ 出七昼夜。如 レ ノ 等 ノ 苦 修具 ニ 如 シ レ ルガ 二 本伝 ニ 一 。或 ル 時、法師窃 カニ 念言 ス ラ ク 、 吾 レ 雖 レ 有 ト 二区区 タル 度 生之心 一、 奈 何 セン 澆末 ノ 衆 機、 順化 ノ 者 ハ 少 ク 、 違拒 ノ 者 ハ 多 シ 。不 ジ レ カ 断食往生 期 セン ニハ 二 広度 ヲ 於 還 来 ノ 之時 ニ 一。因 テ 聞 テ 二 ノ 亀 ガ 岡文殊 ノ 嶽 ノ 之 霊勝 ヲ 一 、上 テ 而 勤 励 スルコト 七昼夜 ナリ 。 」上 序 05オ

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当 テ 二 第三日 ニ 一、空中 ニ 有 テ レ声数 シバ  告 テ レ 定 ニ 云、建 二 立 セヨト 鐘楼 ヲ 一 。定感 ジテ 二 霊告 ヲ 一、以 為 ラク 山神托 スルニ レ 吾 ニ 以 テス 二 大事 ヲ 一 。非 ジト 二 是 レヲ 少縁 ヲボロゲニ 一。自 リ レ シ 留 テ 二断命 ヲ 一 、発 ス 二建立 ノ 志願 ヲ 一。乃 チ 遊 二 化 シテ 国郡 ニ 一 グ 二 募縁 ノ 意 ヲ 一 。法師或 ハ 行 ズ 二 内施供養 ヲ 一。謂 ク 頭香 掌香 頭燈  掌燈、或 ハ 燭 トシテ 二 手 ノ 十指 ヲ 一 ス 二 十方仏 ニ 一。此 レ 等 ノ 苦行、前後 数 アマタヽビ也 矣。此 ノ 間更 フ 二 度 ノ 涼燠 ヲ 一。四方嚮 フコト レ 化 ニ 如 ク レ 響 ノ 、財施蛆 ノ如ニ 集 リ 、鐘楼円備 セリ 。更 ニ 起 シテ 二 一願 ヲ 一 ニ 造 ル 二 観音堂 ヲ 。亦達 、自 ヲ 至 テ 不 シテ レ 日 アラ 而成 ス 。二堂 ノ 搆製、厳麗極 ム レ 美 ヲ 。法師 能事了畢 テ 復 タ 燃 シ 二 指燈 ヲ 一、抉 二 出 シ 両眼 ヲ 一 、割 二 スルコト 身分 ヲ 一 八十七刀。以 テ 充 アツ 二 度供養 ニ 一 。遂 ニ 鑿 ツテ 二 松高 ノ 巌畔 ヲ 一 シテ 二 石室 ト 一 、入 二 ス 其 ノ 中 ニ 一 。行年四十七。嗚 呼、未 ダ レ 聞 二中世以来如 レ 定 ノ 之比 ヲ 一 。可 シ レ ツ 、叔世ノ曇華、最上大行 ノ 之 」上 序 05ウ 人 ト 也。故 ニ 法師 ノ 在世寂後、厥 ノ 利物 ノ 之盛 ナル 、不 レ 二 具 サニ 述 ルコト 一 。善 ク 令 ム 下  ノ 強 剛 ヲシテ 箇々知 リ 二甘露 ノ 之味 ヲ 一、夷域 ノ 暴民 ヲシテ 人々握 ラ 中 水清 ノ 之珠 ヲ 上 。闔国悉 ク 念 仏 シ 処々成 ル 二仏国 ト 一 。如 ク レ ノ 法師 ノ 化功既 ニ 二奥羽二州 ル ニ 一 。雖 レ ト カニ 聞 ヘテ 二 坂 東 ニ 一 、未 ダ レ バ 二 京畿諸州 ニ 一。可 シ 二 以 テ 惜 シツ 一 。法師 ノ 寂後、集 ル 二 ノ 行状 ヲ 一 ノ 二三 家、非 ズ 三 各  無 キニ 二 臧否 一。故 ニ 予雖 二 不敏 也ト 一 、拠 テ 二星氏 菅野氏等 ノ 所 レ スル 法師 口占 ノ 之 説 ニ 一、以 テ 折 二 シ 之 ヲ 一 勒 シテ 為 シ 二 二 巻 ト 一 名 ク 二 待 定法師 忍 行念仏 伝 ト 一 法師一 代 ノ之 履歴 、 忍 行念仏 ノ 之 言 、以 テ 蔽 フ レ 之 ヲ 。所謂 ル 忍 行 ト 者、 梁唐 宋 ノ 三 伝 ニ 或 ハ 曰 ヒ 二 身 ト 一 、或 ハ 曰 フ 二 遺 身 ト 一 虎関 ノ 釈書 ニ 以為 ラク 、其 ノ 目 無 ト 二含蓄 一。 故 ニ 革 テ 為 二 忍 行 ト 一 今 亦 従 テ レ 之 ニ 而 名 ク 。法師雖 レ 二 スト 干洞 上 ノ 之 禅 ニ 一 、而 」上 序 06オ

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其 ノ 始終 ノ 行期、偏 ニ 在 リ 二念仏往生 ニ 一 。遺身苦行 モ 全 ク 回 ス 二往生 ノ 助満業 ニ 一。如 シ 下 彼 ノ 僧崖 紹巌等 ノ 以 テ 二 捨身苦行 ヲ 一 中 向 スルニ 西方 ニ 上 也。亦為 二念仏弘通 ノ 之方便 ト 一 。其 ノ 旨、具 ニ 至 テ 二本伝 ニ 一 而可 シ レ ヌ 矣。甞 テ 聞 ク 良忠記主 ノ 言 ク 、若 シ 其 ノ 上機 ハ 頓 ニ 捨 ツ 二 身命 ヲ 一。若 シ 其 ノ 劣機 ハ 不 レ 二 頓 ニ 捨 コト 一 。纔 カニ 生 ジテ 二 意楽 ヲ 一 、臨 テ 二命終 ノ 時 ニ 一 一向 ニ 不 レト レ 顧 二身命財 ヲ 一 也。此 レ 見 テ レ 賢 ヲ 思 ノ レ 斉 ント 之徳 ナリ 也。冀 クハ 法師希世 ノ 高蹤流 ヘ 二 之 ヲ 四遠 ニ 一 、永 ク 垂 テ 二 将来 ニ 一、以 テ 不 ント 二 埋没 一 コト 爾 リ 。 享保十八己丑年孟冬下浣 東奥信夫郡文字 邑沙門泉江岸敬 ノ テ 書 ス 二干小白山 ノ 之精舎 ニ 一 」上 序 06ウ 上巻略目録 〇待定生縁の事 初丁 〇無能和尚教化の事 初丁 〇地蔵の石像を見て大菩提心を起す事 二丁 〇大菩提心功徳の事 三丁 〇老母妻子に生別の事 五丁 〇西行発心の因縁 七丁 〇羽黒山苦行の事 九丁 〇権現、福俵をあたへ給ふ事 十丁 〇羽黒  稲荷は五穀成就の神成 る 事 十二 〇月 ぐはつ 山 湯殿山苦行の事 十三丁 〇妻子尋ね来りし事 十四丁 〇苅 かる 萱 かや 発心の因縁 十五丁 〇文殊が滝苦行の事 十六丁 〇苦行の意地問答の事 十八丁 〇諸山にて苦行、種々妖怪の事 十九丁 〇魔事対治の法 廿丁 〇妖怪の類、鏡を恐るゝ事 廿丁 〇立山にて地獄現ぜし事 廿一丁 〇悪魔地獄を現じ、大心を退せしむ 廿二 〇天に鏡林鏡 壁 ありて諸天の い ま し めとな す事 廿三丁 〇神の 呵 しか りを 受 るは 却 て 善な る事 廿三丁 〇 剃髪出家 の本意を 論ず る事 廿三丁 〇 根 こん を 断 たつ の 論 廿五丁 」上 目録オ

(19)

〇剃染受戒を遂られし事 廿六丁 〇心地修行の事 廿九丁 〇日課多少の論 三十一丁 〇平生身の威儀の次第 三十三丁 〇抹香を食し蚊帳等を用ひざる事 三十三丁 〇他行の時の用意 三十五丁 〇畜類に食を施す事 三十五丁 〇身中の尸 し 虫を養ふ事 三十六丁 〇十斎日放生の事 三十六丁 〇毎月の布  仏祖の忌辰苦行の事 三十七丁 〇三十日に配する仏号本説 三十七丁 〇外道と仏法との苦行の論 三十七丁 〇月待の苦行の事 三十八丁 〇身を蚊虻に施す事 三十八丁 〇病人加持の事 三十九丁 〇癩病 疱瘡の膿血を吸事 三十九丁 〇毎年寒七日川行の事 四十丁 〇文覚上人苦行の事 四十一丁 」上 目録ウ 待定法師忍行念仏伝巻上 奥陽信夫曹洞下月泉集 洛東獅谷宝洲校閲並評 法師待 定 たいぢやう 諱 いみな は禅峯、俗姓は東海林 せうじ 氏、出羽 では の 国村山郡 蔵増 くらます 村の産なり。賦 ふ 性 せい 柔順 にうじゆん にして、操 さう 履 り 淳 じゆん 朴 はく (あつくすなほ) なり。弱 じやく 冠 くはん の年父におくれ、母につかへて家名 かめ い を相続し、尤至 しい 孝 かう の聞 きこえ あり。慈 じ 仁 にん 物をあはれみ、礼譲 れいじやう を以て人にまじ はる。曽 かつ て庠序 しやうじよ の門 もん に遊ばずといへども、言行 げんかう をのづから 道に叶へり。故に郷党 きやうとう の人以て則 のつと るに足 た れり。定在俗 ざいぞく の昔より葷腥 ぐんせい を嗜 たしま ず、羽 う 鱗 りん (とりうを) を害 がい せず、事にふれて世の 」上 01オ

(20)

常なき事を観じ、生死一大事をなげく心いと深し。 この故に家業 かげ ふ の暇 いとま には、神 しん 祠 し 仏寺に拝詣 はいけい し、知識高 人の門に周旋 しうせん す。其比、奥州伊達 だての 郡の隠士学運無能 和尚 一時の英哲なり。別に『行業記』二巻久しく世に流行す。 法化奥羽 おふう 二州にあまねく。延 ひい て諸州に及へり。浄宗 此国村山郡谷 や 地 ち の誓願寺に来て『選択集』を講ぜらる。定その講 こう 筵 ゑん に 臨 のぞ み、日々聴 ちやう 采 さい して夙 しく 種 しゆ 頓に発 はつ し、浄土の法門に於て 大信を生じ、集 しう の一部始終 殆 ほとんど 通暁 げう せずといふ事なし。 能公、一日、定を入室 につしつ せしめて、 『選択』の要義を試問 しも ん せらるゝ に、其領会の旨、穏 をん 当 たう にして祖宗 そし う の正統 たう に契 かな へり。能公、 その法器 はふき を嘆 たん じて、宗門の秘訣 ひけ つ を授けられたり。定 」上 01ウ 歓喜信受し、即日 そくじつ に剃 てい 度 ど し給はん事をこふ。能公の曰、 「汝は大家の主として母堂 ぼだ う あり。妻子あり。今出家せんと 欲 ほつ せば、世儀にも背き、恐らくは障碍 しやうげ また少からじ。発心 門に堅固ならば、他日縁 ゑん 熟 じゆく の時あるべし」と。剃髪の事許 きよ 容 よう し給はず。定所願を成ぜざることをふかく嘆 なげ きしかば、 和尚曰、 「出離の要道、秘璽 ひじ を以て既に面授し、師資の 際遇 さいぐう 、こゝに足れり。因縁 純 熟 じゆんじゆく の時、いづれの宗にても 剃度 ていど し、但 たゞ 、真実に念仏せば、常にわが膝下 しつか にあるに 異 こと ならじ」と、教諭 けうゆ せられしかば、剃髪の事いよ  おもひ 留 とゞま りて、更に日課念仏三万称を誓約 せいやく し、在家ながら 」上 02オ

(21)

一向専修の行者なりき。 〇定明師 めいし の許可 こか を得て安心決定の後は、上求 ぐ 下化 け の 心いよ  進 すゝ み、厭穢 ゑんゑ 欣 ごん 浄 じやう の念さらに頻 しきり なり。身は塵寰 ぢんくはん に ありといへども、心は雲山 うんざん に居するがごとし。然るに衆生の 発心得悟の因縁、種々同じからず。かの縁覚の聖人は、 飛 ひ 花 くは 落葉 らくえう を見て、道果を証し、古人 こじ ん は或は桃の夭々 ようよう たるを見て心地 しんぢ を悟り、或は水声 すいせい の潺々 せんせん たるを聞て 玄 げん 旨 し を了 れう ず。経に曰、 「仏 ぶつ 種 しゆ は縁より起 おこ る」と。この謂 いひ なるべ し。定或時要用 よう  の事ありて、遠く一族 ぞく の方へ尋ね行 しに、中途 ちうと にしてにはかに時雨 しぐれ に へり。幸、路傍 ろば う に寺 」上 02ウ あり。走 はし りよりて門に入り、柱石 ちうせき に腰うち掛て晴間 はれま を まつに、雨しきりにして止ず。遥に庭 てい 際 さい を見れば、石の 地蔵尊巍然 ぎぜ ん として立給へり。雨露 うろ を遮 さへぎ る庇 おほひ もなく、 尊像しとゞにぬれて、いとわびしく見え給へり。定此体 てい を見奉りて低頭 ていづ 合掌し、つら  観念すらく、 「貴 むべし   さつた の悲願。われ聞く、 『菩 も百千劫波 ごふは の いにしへは、五障三従の女身にてましませしに、忝くも 悲母の獄苦を救 すく はんため、菩 の大願を発し、六 度万行を修し、久遠劫 く をんごふ よりこのかた、未来 みら い 際 ざい を期 ご し て、六趣四生の身を現じ、随類摂化 せつけ し給へり』 。我これを 」上 03オ

(22)

先師に聞けり。 『浄土に生ぜんと欲せば、身命を惜 おし む ことなかれ』と。又、 『自身得楽の為に浄土を求る事 なかれ。夫 それ 菩提心とは、願作 ぐはんさ 仏の心なり。願作仏の心 とは、これ度衆生の心なり』と。われ此言 こと ふかく耳底 にて い に留む。誠に大菩提心とは、一切衆生を一子の如 く憐 あはれみ て、苦を抜 ぬき 、楽 らく を与 あたふ るなり。地蔵尊も安養 あんやう の聖衆に列 つらな り給へども、正しく無仏世界の能化 として、大悲代受 だいじゆ 苦 く の誓ひあり。   さつた も本は凡夫 なり。われ亦志願 しぐはん を発 おこ しなば、何ぞ未来世の地 蔵尊とならざらんや」と。忽ち大心を奮 ふん 起し、かの 」上 03 地蔵尊に向ひ合掌して此願言をなさく、 「敬 テ 白 ス 、我 レ 今 マ 以 テ 二 ノ 身心 ヲ 一、奉 ル レ 投 二 シ 于地蔵願王 ノ 之大悲海 ニ 一 。伏 シテ 願 クバ 生々世々如 ク 二 地蔵尊 ノ 一、於 テ 二 無辺 ノ 世界 ニ 一 、現 ジ 二衆生随類 ノ 之 身 ヲ 一 、一々 ノ 之身、一々 ノ 之行、能 ク 合 カナフテ 二法界 ニ 一、尽 シテ 二 未来際 ヲ 一、永 ク 成 リ 二 大悲闡提 センダイ ノ 之人 ト 一、度 シ 二 シ 一切衆生 ヲ 一、而 シテ 後 チ 地蔵菩  ト レ 時 ニ 取 ント 二 正覚 ヲ 一矣」 。かく心 しん 口 く に発願して、すなはち 名号を称る事千有 ゆう 余遍す。此間数刻 すこ く を移 うつ し ける程に、風やみ雨晴て一天洗 あら ふが如し。日も既 すで に 斜 なゝめ なれば寺を出て家路に帰りにける。 評に曰、定行者たま  石像 しやくぞう の雨濯 うた く に感じて頓に大心を発 」上 04オ

(23)

されしも、年比 としころ 日比、信修深かりし効 しるし なるべし。吉水大師の宣 のたま はく、 「受 じゆ 教 けう と発心とは各別なる故に、習学するには発心せざれども、 境界の縁を見て信心を起すなり」と。禅林 ノ 観師 ノ 曰、 「欲 セバ レ 生 ゼント 二 浄土 ニ 一 必 ズ 発 スベシ 二 道心 ヲ 一 。人非 ズ 二 木石 ニ 一(イハキ) 。好 メバ 自 ラ 発心 スト 」。又曰、 「抑  一華開 ケヌレバ 者、天下皆 春 ナリ 。一 タビ 発心 スレバ 者、法界悉 ク 道 ナリ 。身 ハ 雖 二 人身 ナリト 一 心 ハ 同 ジ 二仏心 ニ 一」と。天親の 『発菩提心論』 ノ 上に発心の功徳を説て曰、 「如 キ 二 ノ 菩 最初 ノ 発心下劣 ノ 一念 ノ 一、福徳、果報、百千万劫 ニモ 説 キ 不 レ 能 ハ レ スコト 。况 ヤ 復 タ 一日、 一月、一歳、乃至百歳 マデ 所 ノ レ フ 諸心、福徳果報、豈可 ンヤト 二 説 キ 尽 ス 一 」。今定、 道人の「   さつた も本は凡夫なり」といへる事、これ亦暗に論文 に叶へり。 『菩提心論』の上に、諸仏を思惟 しゆい して菩提心を発 すに五事 じ ある事を明す。其中に曰、 「一 ニハ 者、思 二 惟 スルニ 十方過去  」上 04ウ 未来 現在 ノ 諸仏 ヲ 一 、初始 ハジメ ノ 発心 ニ 具 スルコト 二 煩悩 ノ 性 ヲ 一 、亦如 ナレドモ 二 我 ガ 今 ノ 一 、終 ニ 成 ジテ 二 正覚 ヲ 一 為 ル 二無上尊 ト 一。以 テ 二 ノ 縁 ヲ 一、故 ニ 発 スト 二 菩提心 ヲ 一 云 云 。 〇定すでに無上道心を発起し、深く在俗の家業 かげ ふ を ひ、捨家棄欲 いと し や けきよ く の念 おもひ こゝに切 せち なり。しかれども老母あり。 妻女あり。嫡子わづかに五歳。次子三歳なりしかば、いかゞは せんと百慮 りよ 千思 し をめぐらしけれども、扨しもやむべき事 ならねば、老母一族 ぞく 等を集め、泣 なく  世 とんせい 修行の心願 を述 のべ られける。 「夫 そ れ 釈 大 聖 は、浄 飯 ぼ ん 大 王 の 太 子 たいし にてま しませしかども、妻子 珍宝 王位 を捨て、 檀 たん 特 どく 山 せん に 入 て 道を学 び給 へり。 只 釈 尊の み にあら ず 。三世の諸仏いづれ 」上 05オ

(24)

も最初 さいしよ 発心は、皆しかりとなん。三界の中に流転 する事は、恩愛を断ずる事あたはざればなり。われ今 おほけなくも、釈 如来の御跡を学び、 世出家し、 仏道を修し、かならず無上菩提を得ん時、父母親 しん 族 ぞく をはじめ、一切衆生をこと ゛ く済度せば、これ一且 たん 恩に背くに似たれども、真実には永き報恩と成べし。 わが本意全く自身の苦を れん為に、家を捨 るにあらず。われ 世の後は財産 ざいさん 園 をん 林 りん 田宅 でんたく にいたる まで、一族相 あい よりよろしくはからひ、老母妻子の奉 ほう 養 やう に 備 そな へ給ふべし。わが身は既 すで に早世 さうせい し、今は此世になき者と 」上 05ウ おもひなし、是非 ぜひ に所願を許 ゆる し給へ」と。理を尽 つく して申 されしかば、皆々はじめは愕然 がくぜん (おどろく) として言葉 ことば なし。良 やゝ ありて老 母色を変 へん じ申されしは、 「われ今、年老 おひ たり。たとひ 世す とも、嫡子が成 せい 長を待て後、いかやうとも汝が心にまかすべ し」と。妻女は二子 し のいはけなきを膝 ひざ のほとりにちかづけ、 たゞ涙にむせびてぞ有ける。一族の諸人も、各とり ゛ に 世の事いさめ止 とゞ めける。定もさすが恩愛の情 なさけ せき来 く る滝 たき のごとし。然れども心中につよく抑 お し留め、 上来の心願かたく変 へん ぜざりしかば、母堂 ぼだ う をはじめ、皆々 今はいかにも其志の奪 うば ふべからざるを見て、 世の 」上 06オ

(25)

事泣 なく 々 なく 承 しやう 諾 だく せらる。定こゝに於て、年来の大願、心の ごとく成就して、頓に重担 ぢうたん (おもに) を卸 おろ すがごとく、歓喜いふばか りなし。定かさねて発心 修行 自他得脱の功徳など、い とこまやかに談 だん じ、老母親族 しんぞく に拝謝 はいじや し、すなはち仏前 に香燈を捧 さゝ げ、静 しづか に念仏せらる。門外の諸人も集 りて同音に称念す。念仏畢 をは りて、定母堂 ぼだ う 妻等に 向ひ、 「末代悪世の衆生、殊には五障百悪の女身は、 弥陀の本願、念仏往生の外には出離の法なし。只信 心堅固に念仏相続し、臨終正念にて聖衆の来迎 に預り、極楽に生じ給はゞ、必一仏浄土の蓮台に 」上 06ウ 奉らん事久しきにあらじ。娑婆 あひ しやば にてしばらく各一 所相 あい 集 あつまる は、たとへば宿 しゆく 鳥 てう (ねとり) の夕 ゆふべ にひとつ林にすみて、旦 あした に はおの  東西南北へちりわかるゝに異 こと ならず。永く不 ふ 退 たい の浄土に生れ、 に一処に会 とも え するにはしかず」と、いと ねんごろに勧 すゝ め申されしかば、人々深くあはれを催 もよほ し、即時 そくじ に数 す 十人、定を知識として、日課 につくは 念仏を 誓 ちか ひ、いづれも但 たん 信 しん の行者とぞ成ける。かくて、定仏 前にて亦心中に誓ひをなして曰、 「われ 世以後は、 今生にて再び母 妻子 親属等に対面すべからず」 と。其外の心願ども、彼是 かれこれ 誓ひを立られけり。扨人々 」上 07オ

(26)

に永きわかれを告 つげ 、即日 そのひ の夜半ばかりに、人しれず ひそかに家を出られ侍る。時に享保四年己亥 仲春。定年 とし 三十三なり。 評に曰、定の発心のおもむき、殆 ほとんど 西行法師の跡に彷彿 ほうほつ せり。 『西行紀談』を按ずるに、 「西行法師 初名 二 円位房 ト 一 。後 ニ 生年廿五歳 改 テ 名 ク 二 大宝房西行 ト 一 のきさらぎのころ、出家の事を思ひ定めたりしに、折ふしそらかすみ 心ぼそかりければ、 空になる心は春のかすみにて世にあらじとも思ひたつかな かくて後、鳥羽 とば 殿 どの より、夕にをよび宿所にかへりさしいれば、年比 いとをしくおもふ娘の四になるがふりわけ髪も、かたすぎぬ程 にて、よにらうたげなる有様に何 なに 心なく縁にはしり出て、 」上 07ウ 『父のおはしますうれしさよ。などやおそく御かへりありける。君の 御ゆるしなかりけるにや』などいひて、よにいとけなきなでしこの 姿 すがた にて狩 かり 衣 ぎぬ の袂 たもと にすがりけるを、たぐひなくいとをしくは おもへども、過にしかた、出家を思ひとまりしも、此娘ゆへなり。 されば第六天の魔王は、 『一切衆生の仏になる事、をさへんが 為に、妻子といふきづなをつげをき、出離 しゆつり の道をさまたぐ』 といへり。これをしりながらいかで愛著 あいぢやく の心をなさんや。これ こそ陣 ぢん のまへの敵。煩悩 ぼんなふ のきづなをきる初 はじ めなりと思ひ て、此娘をなさけなく縁 ゑん より下へ蹴 け おとしたりければ、ちい さき手をかほにおほひ、なを父をしたひ啼 なき ければ、これに つけても心ぐるしくはおもへども、聞入ぬ様にて、内へいりぬ。 」上 08オ

参照

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